Blood Meridian of Metropolis 4
#05 MAYUMIの稼働
倒壊したビルディングは今や文明の象徴としての役割を終えてただの邪魔者として往来の交通を妨げていた。砂塵と土埃にさらされて外壁はどの建物も同じ赤銅色に染まっておりそれらが元を辿ればただの土くれであったことをこれ以上なく住人たちに知らしめた。遥か彼方にあるはずの地獄界から熱波が風に乗ってやってきて路上に投げ出された霊たちの背中を容赦なく焦がしては瓦礫に吸い取られていった。それらの瓦礫は夜が深まった時分になってさえ熱を保っておりメトロポリスが誕生する以前の荒野に差していた夕陽の原始的な温もりのことを古株の動物霊たちに思い起こさせた。血のように赤い夕陽。あるいは彼らの全盛期を彩った夕陽の熱。
復興作業に従事しているのは人間霊だけではなく下っ端の動物霊たちも同様だった。今や組織の大小は関係なくあらゆる雑多な種族の動物たちがグループを組んで作業にあたっていた。そして週明けからは元・埴輪兵団の兵士も加わった。武具をはぎ取られてつるつるの地肌をさらしている彼らは周りの赤銅の景色と同化しており青白い肌をした霊たちよりも遥か以前からこの地に棲んでいたかのように思われた。それはある意味では事実だった。彼らはまさに畜生界の大地が育んだ土と水から生まれてきたからだ。おびただしい血が流されてきた赭(あかつち)の落とし子。それが彼らだった。
◇
――で、この画面からどうやれば先に進めるってんだ?
ちゃんと聞いてなかったの? さすが勁牙組。脚は早くても頭の回転は亀以下ね。
勿体ぶらないで教えてくれよ。
おいオオカミ野郎。貴様のフサフサの毛が邪魔で画面が見えない。
てめェもその馬鹿でかい翼を引っ込めろよ。
――ちょっとあんたら顔を寄せないでよ暑苦しいったらありゃしない!
カワウソ嬢もおヒゲが邪魔だ。ちくちくしてウニ坊主みたいだぞ。ちゃんと手入れしてるのか?
ンだとコラ。
やンのか?
上等だ。
おもて出ろや。
ここはもう表だ馬鹿。
三匹が殴り合いを始めそうになったところでカワウソ霊が持っているタブレットから声が聴こえた。
――操作に慣れていない方もご安心ください。私のアナウンスに従っていただければ本日の作業は至極順調に進むことでしょう。
なんだなんだ? オオワシ霊を殴り倒したオオカミ霊が端末に視線を戻した。こいつぁ憎き兵士長じゃないか。
タブレットの画面に映っているのは杖刀偶磨弓そっくりのデフォルメされたキャラクターだった。剣は帯びておらず服装も鎧甲冑ではなくカジュアルなグレーのスーツを着こんでおり首には赤いスカーフを巻いている。本物とは似ても似つかない柔和な笑みを浮かべておりまるで別人のようだった。それは兵士というよりも観光バスのガイドさんに見えた。
画面に表示された矢印に従って指をスワイプさせたりタップさせたりしてカワウソ霊は端末を操作した。すると仕事を終えて待機状態になっていた埴輪たちが一斉に動き出して次の現場へと隊列を組んで向かい始めた。一糸乱れず疲れも見せない。人間霊や動物霊は遠巻きにして彼らの背中を見送りながら額に浮いた汗を拭うのだった。
何をしたんだカワウソ嬢。立ち上がったオオワシ霊もタブレットを覗きこむ。その機械でリモコンみたいに指示を飛ばしてるのか。
――正確にはソフトウェアにあらかじめ登録された作業スケジュールに沿って彼らは動いています。磨弓のキャラクターは述べる。なので皆さんは作業の仕上がりを確認次第、次々と実行シークエンスを進めていただければそれで結構です。
しーくえんすってなんだ?
要するにボタン操作ひとつであいつらはせっせと動いてくれるのよ。と、カワウソ霊。これなら人間霊のケツを蹴飛ばしたり喉が痛くなるまで叱咤する必要もない。楽なものね。
しかしその作業スケジュールとやらは誰が登録してるんだ。復興すべき場所の優先順位は? それを決めるのがいちばん頭を使うんだぞ。
ご提供いただいた過去のビッグデータを参考に私が組ませていただきました。と、電子の磨弓。――どうぞ私めにお任せくださいっ!
オオカミ霊とオオワシ霊は顔を見合わせた。狼は耳をピンと立てており大鷲は翼の先を広げていた。
――おいおいおい、いくらなんでもそりゃマズいだろ。と、オオカミ霊。何でもかんでもこいつらに任せちまうってことじゃねぇか。
それのどこが悪いのよ? おかげで私たちも人間霊も楽ができる。一日の休憩時間だって五倍に増えたのよ?
その代わり私たちはつい先日まで敵だったはずの連中を受け容れてあまつさえ情報まで渡してしまっている。と、大鷲。これは形を変えた戦争だ。情報と経済を巡る戦争だぞ。――その端末は吉弔様が導入を決めたのか?
ええ。埴輪も量産体制に入ってる。近いうちに人間霊は順次偶像に置き換えられるそうよ。
なんだそれは。敵の再軍備を許してるようなものじゃないか。
埴安神袿姫は約束を守ると吉弔様は――。
どの口がそれを云うんだよ。オオカミ霊が鼻息を荒くする。今まで鬼傑組が協定を守ったことが一度でもあるってのか?
ちゃんと守ってるわよ。解釈の相違よ。
よりタチが悪いじゃねェか。
オオワシ霊が割りこむ。――それで、用済みになった人間霊は最終的にどうなる?
決まってるじゃない。餌よ。
――エサ?
餌よ。当然でしょう。奴らにはもう食肉以外の価値がない。農耕用の牛がトラクターに置き換えられたのと一緒よ。
フーン。……当然そんなことは連中も露知らずだろうな。
でしょうね。
三匹は作業現場に目を向けた。きしんだ歯車のように不器用ながらもあくせくとシャベルや一輪車を動かしている人間霊たち。動物霊が休憩を始めても彼らは働き続けていた。協定の発効により適切な休息が与えられているはずなのだが彼らはみずから休憩を拒否して一心不乱に瓦礫を取り除いたり道を舗装しなおしたり建物に塗装を施したりしていた。何の感情もこもっていないかのようなその瞳には奇妙な輝きが横たわっておりそうした輝きは時として社畜として働いている動物霊にも見受けられるものであったので三匹もすぐに気づくことができた。三匹は思わず互いの顔を確認しあった。
……仕事をしなくてもいい、か。オオカミ霊が呟く。あいつらにとっては幸せなのか不幸なのか分からんなこれじゃ。
他の二匹はうなずいた。
電子の磨弓こと“マユミ”の声が再び聴こえたのはその時だった。
――いずれは人間だけでなく動物の皆さんを労苦から解放するのが私のお役目です。
三匹は顔を戻した。
マユミは無限の優しさを込めて話し続けた。
私はこの畜生界に楽園を築きあげるために生まれました。動物霊と人間霊が手を取り合って生きていくユートピアです。いずれは家畜ならぬ社畜としてはたらく動物霊の皆さんも労働から解放されそうなれば醜い争いもなくなることでしょう。争いは常に相手への無理解と不寛容から生まれるのだと私は学んできましたが実際のところは少し違うように思います。
呆気にとられる三匹を無視してマユミは続けた。
――かつて袿姫様は仰いました。“脳と手の仲介者は心でなくてはならない”と。私はそれを一歩進めて考えてみました。脳が考えることを止めて手を動かす必要もない社会になったら両者の垣根はなくなります。そして私たち偶像は脳と手の役割を同時に果たすことができます。そうなれば心にも出番はありません。むしろ平和のためには心がいちばんの邪魔者なのです。これから動物霊と人間霊の境界は限りなく曖昧になりそれは動物霊の組織や派閥でも同じことが云えるでしょう。畜生界は永久とも云うべき闘争の年月を経てようやくひとつになるのだと私は教えられてきましたしそう確信しています。
◇
その日の作業はあまりにも順調に進んだ。順調すぎて怖いくらいだった。新しいシステムを導入した初日には必ずと云っていいほど不具合が付き物であり三匹はそうした地獄のようなトラブルの頻発に今まで苦しめられてきたのだが今回はそれすらなかった。まったく見通しの立たなかった復興作業の雲間から光が差し始めた。マユミは必要とあれば夜通し作業を続けられると提案してきたがカワウソ霊は断った。それで本日は仕舞いだった。
一同はマユミの歓迎を名目に鬼傑組がケツ持ちをしているバーで飲むことにした。三匹は一杯目をテネシー生まれのムーン・シャインのストレートで味わうことにしており注がれた琥珀色の液体をじっと見つめては一日の労働の疲れを溶かすのが常だった。リンゴとシナモンのフレーバーが加えられたそのウィスキーの風味はアップルパイに似ており驪駒様もこの店で出されるムーン・シャインを気に入っているのだとオオカミ霊は語った。
勁牙組の組長が敵対組織のパーに、ですか。
マユミが訊ねてきた。
お忍びで、だけどな。と、オオカミ霊。これは秘密だぞ。立場上、敵対こそしているが驪駒様と吉弔の姉御は悪くない間柄なんだ。
腐れ縁のようなものよ。カワウソ霊がシーリング・ファンをぼんやり見つめながら云う。お二人とも開拓時代からの付き合いらしいから。
開拓時代……。私のデータベースには畜生界の歴史に関する資料が乏しいので理解しかねます。
要は今のメトロポリスができる以前、――大昔の時代ってことさ。オオワシ霊が盛大にゲップを漏らす。あの時代を知ってる霊も今となっちゃ少数派だ。賢い電子埴輪さんが知らなくたって無理もない。ビルディングの代わりに岩山と赭(あかつち)、あとは遥かな大草原(グレート・プレーンズ)が広がるばかりのだだっ広い世界さ。畜生界が辺土と呼ばれて蔑まれてきたのも仕方ないことだ。今以上の無法地帯だったからな。あの頃は。
敵対組織の連中の皮を剥いで持って帰ったら褒美に賞金が出たんだぜ。オオカミ霊が酒をくゆらせる。あの時代にはまだ温厚な草食動物の霊がたくさんいたんだがな。一部を除いて狩りつくされちまった。代わりに人間霊が増えたもんだから自然と俺たちの主食もそっちになった。小鹿の肉の味を知らない組員だって沢山いる。古き好き時代って奴だよ。――驪駒様は酔っ払うといつもあの時代の話をしては吉弔様に鬱陶しがられてる。
是非ともお聞きしたいものですね。その昔話。
おい、――これ誰の忘れもんだ?
別のオオカミ霊がバーテンダーに話しかけた。彼の手には大きなリュックサックが握られていた。バーテンダーである小柄なフロリダパンサー霊がバーカウンターの後ろの鏡越しにリュックを見た。
さてな。これまた間抜けな奴がいたもんだ。
とんでもなく重てェな。いったい何が入ってんだ?
俺が知るか。
中身、見ちゃってもいい?
好きにしろ。どうせお前の仲間が忘れたんだろ。勁牙組はいつも抜けて――。
その時けたたましい警報とともにマユミの鋭い声が場の空気を切り裂いた。
――伏せてくださいッ!
三匹はその警告が何を指しているのか分からなかったが長年の抗争で培ってきた野生の勘は裏切らなかった。三匹が伏せた瞬間にリュックに収められていた手製爆弾が力を解放してチャックに手をかけていた勁牙組の組員を粉々に吹き飛ばした。飛散した破片は反応が遅れた動物霊の胴体を両断して店の壁に突き刺さりシーリング・ファンやテーブルはもちろん壁にかけられた鹿の剥製も爆圧で無残な最期を遂げた。
三匹はすぐに身を起こして手近な物陰に隠れようと互いに足を引っ張り合いもつれあって転んだ。
――やりやがったなコンチクショウッ!
オオカミ霊が他の二匹の頭を蹴り飛ばして叫ぶ。
どいつだ。こんなことをしでかしたのはどこのどいつだ!
負傷した動物霊は白い成分を床に撒き散らし失った四肢の断面を押さえて転げまわりながらうめき声を上げていた。すでに力尽きて霧散している者もいた。粉々になった霊の成分が店の壁にへばりついて奇怪なアートを描いておりそれを見ながらオオワシ霊は唾を吐き捨てた。
……やっと平和になったと思ったらこれだ。
救急車が到着し負傷者の搬送が始まった。三匹が現場の指揮をとっている最中にマユミが淡々と述べる。
――店の入り口に設置された監視カメラの映像から容疑者を割り出せるかもしれません。不審な動きをしていた動物霊をリストアップしました。
おいおいそんなことができるのか。カワウソ霊からタブレットを奪い取って狼がまくし立てる。どいつだ。教えろ!
こちらをご覧ください。
爆発の瞬間とその直後を記録した約一分間の映像が再生された。三匹は頬をくっつけ合って決定的瞬間を見逃すまいと穴が空くほど見つめた。三回、四回と繰り返し確認しているうちに三匹は得心がいったようにうなずき合った。
……こいつか?
そのようね。
間違いない。
爆発の後どいつもこいつも慌てふためいて店から出てきたのにこいつだけは至って冷静だ。ちらっと店を振り返っただけであとは悠々と歩き去っていやがる。――おい、リュックを置いたところは映ってないのか?
店の中にカメラは仕掛けられていませんが入店時にそれらしきものを持っているのが確認できます。
――とにかく、すぐに吉弔様へ報告しなくちゃ。
カワウソ霊はタブレットに映された容疑者をじっと睨みつけながら云った。
それはエボシカメレオンの霊だった。
~ つづく ~