Blood Meridian of Metropolis 10
#11 ひとつの提案、ひとつの回答
復興工事が完了して人員がそれぞれの組織に戻されてからも三馬鹿ならぬ三匹の動物霊は定期的に酒の席を囲んで話し合いの場を設けるようになった。誰が決めたわけでもない。何となく別れ際に次の約束を取りつけているうちに自然と定期的な会合になってしまったのだ。
その日はようやく営業を再開した焼き鳥屋に集まった。狭苦しい下町のビルの三階にあり営業時間中は店に通じるエレベーターが常に混雑している類の店だ。カワウソ霊が注文を取りまとめオオカミ霊が季節限定メニューの写真に涎を垂らしオオワシ霊は突如かかってきた組長からの電話に背中を丸めて対応していた。
すでに季節は冬だった。窓ガラスの向こうでは遅い初雪が降り始めていた。地獄界からの血まじり寒波が風に乗ってやってきて紅い雪をビルディングに散らしており裏通りを歩いている動物霊たちは避難を始めた。店もすでに満席になっていた。
……降り始める前に終わって好かったよほんと。
注文を終えたカワウソ霊が外の景色を眺めながら云った。
何がだ。
工事が。
そうだな。
マユミのおかげだね。
俺はまだ完全には信用してないけどな。
構いません。オオカミ霊の言葉にマユミが割りこむ。彼女を映したタブレットは席の隅に置かれている。――異なる種族同士が良好な関係を結ぶには本来数百年の年月をかけても困難なものです。同じ人類種でもホモ・サピエンスとネアンデルタール人はついに共存しませんでした。片方だけが生き残って今の地上世界があります。
畜生界だって同じだぜ。友好って概念自体が存在しないんだ。
お三方はこうして席を囲んでいるではないですか。
建前だよ建前。上辺だけでも緊張感を保っておかないとこの世界は回らねェ。
吉弔様と驪駒の大将もひそかに会ってるからねぇ。
それではつまり――。とマユミは声の調子を落として云う。社会の体裁を保つためだけに皆さんはこんな愚かな流血の応酬と奴隷のような労働をなさっていらっしゃるわけですか?
有り体に云えばそうだな。
――なんという修羅の世界でしょうか。
辺土と呼ばれる所以ね。
…………しかしそれも、私たち埴輪が障害を取り除くまでのことですね。
またその話か。オオカミ霊がお通しの枝豆をぽりぽりしながら云う。あのテロでは確かにお前に命を救われた。だから感謝はしてるよ。工事でも大いに助かったしこれからも世話になることだろう。――だが妙な気を起こさないでくれ。畜生界をひとつにするとか何とかお題目は結構だが現状を見てみろ。俺たち勁牙組はここ数ヶ月ずっと弱小組織を潰してまわってる。裏で手を組んでやがるから制裁が必要だったんだよ。異変前よりもむしろ流血は増えてるんじゃないかって思うほどだ。
もうひとつ重要な点が抜けている。とカワウソ霊。マユミ、――あんたは量産された土偶が畜生界にあまねく配備されるものだと思いこんでるみたいだけど実際はちがう。鬼傑組、勁牙組、剛欲同盟……。土偶の労働力はすべて私たちビッグ・スリーが占有しているの。これは先の条約にも付帯条項として明記されているわ。弱小組織は今までと変わらず人間霊を使役してもらう。私たちが使わなくなったぶんだけ労働力は有り余ってるはずだから連中も人手には困らないはずよ。人手に困らないということはそれだけ人間霊も楽ができる。余暇の時間が増える。埴安神も条約が守られてひと安心。――誰も損はしていないわ。
しかしそれですと大組織と末端組織の格差はますます広がるばかりです。火種をばらまいたあげくにその上から油をぶちまけるようなものです。彼らにある程度の分け前を与えるのは長期的に観てそれほど大きな損害になりうるでしょうか。
別に好いんだよ。土偶との戦争で体を張っていちばん損害を被ったのは他でもない俺たちなんだぜ? 弱小組織の連中は羽毛を毟られたチキンよろしく影に隠れてびくびくしていただけだ。――犠牲を払った俺たちが然るべき配当を受け取って何が悪い?
悪いとは云いません。マユミは一拍置いて続ける。――しかし平和をもたらすためには本当の意味での長期的な視野を持っていただく必要があると私はお伝えしたいのです。“天使の取り分”という言葉はご存知でしょうか。ウィスキーやブランデーが樽の中で長いながい熟成過程を経るうちに蒸発によってその内容量が目減りすることを洒落(しゃれ)た云い回しで喩えた表現です。年間を通してわずか二パーセントの減少でしかありませんが末端の人びとを救うにはたったそれだけの取り分を与えれば充分なのですよ。
ああ人間ならそうするだろうな。だがそれで弱小組織が埴輪を再び武装させたらどうなる? あるいはテロの道具に使ったら? ――力には責任が伴うとは好く云ったもんだがあいつらにはその責任ってもんが欠如してる。ちょいとその辺にドライブするくらいの軽い気持ちで埴輪に爆弾を持たせて事務所に突っこまれでもしたら目も当てらんねェ。これは是非とも覚えておいてもらいたいんだが畜生界では弱い奴ほど信用が置けねェんだ。分不相応な力を与えたら何をしでかすか分かったもんじゃないからな。
こと埴輪に至ってはその心配はいりません。この端末に登録されている個体はひとつ残らず私のコントロール下にありますから。万が一暴走したときのために安全装置も組みこまれています。
そうかい。そりゃ安心だな。
――しかし饕餮様、それでは……。――ええ、はい。はい。分かりました。はい。ではまた明日、はい。よろしくお願いします。
オオワシ霊が通話を切って端末をポケットにしまうとふうっと息をついて丸めていた背中を元に戻した。彼女は他の二人にひと言謝罪すると塩の利き過ぎた枝豆をつまんだ。
なんの電話だったんだ?
いつも通りだよ。――もっと急がせろ。人手を集めろ。効率化しろ。ただしなるべくコストはかけるな。納期を逃したら許さんからな。……この繰り返しだ。三十秒で終わるはずの電話が十分も平気でかかる。
饕餮様らしいな。
ああそうだな。
◇
焼き鳥の第一弾が運ばれてきたので三人は乾杯して駆けつけのビールを飲んだ。二杯目は各々好きなものを注文して料理に舌鼓を打ち始めたがしばらくのあいだ会話はなかった。何はともあれ腹が減っていたのだ。
タブレットに映し出されたマユミはカワウソ霊の注文と同じものを画面上に並べて一杯目で早くも顔を赤くしていた。焼き鳥を頬張るときなどは片手を頬に当てていかにも美味しそうに目を細めるのだった。実在する土偶の磨弓は飲み食いどころか笑顔さえ浮かべないのに電子の存在がこうして楽しんでいる様子はある種の凄みがあった。
カクテルのゴッドファーザーが注がれたグラスを置いてオオカミ霊が云った。最初のときも訊いたかもしれんがお前がそこまでして雰囲気を演出する必要があるのか。
はてはて、何のことでしょう。
とぼける振りまでまるで酔っ払いだな。
いえ私は実際に酔っているのですよ。気分の高揚を感じています。
嘘だろ……?
私が調合した電子ドラッグをこの中に混ぜているのです。酩酊した気分くらいなら味わうことができます。
俺はお前のことを可愛げがあると見るべきなのか? それとも不気味だって思うべきなのか?
どうせなら可愛らしいと仰ってくださいな。
あんたはもう知ってるかもしれないけれど――。カワウソ霊がファジー・ネーブルのお代わりをオーダーしてから云った。私の部下の中にはあんたのファンクラブを作ってる連中がいるのよ。電子の偶像(アイドル)・マユミちゃんを讃えようとかなんとか。
ええ存じています。昨日は食事会にお呼ばれしました。
昨日? 昨日はあんた私たちとずっと一緒だったじゃない。
私は意識を共有したままあらゆる場所に偏在することができます。でなければこれほど大規模にあちこちの場所で行われる工事に対応できるわけがありません。
なるほどね。それでその食事会では何を?
何曲か歌いました。
本当にアイドルみたいだな。と、オオワシ霊。鬼傑組には変態しかいないのか。
剛欲同盟にも私のファンクラブはありますよ。
何だと?
ハッハッハ。人のこと云えないじゃねェか。
勁牙組にもあります。
何、だと……?
オオワシ霊はシャンディ・ガフを飲みほすと箸の先で意味もなく氷をつついていた。カワウソ霊がお代わり注文しようかと促したが彼女は首を振った。マユミはそんな大鷲を画面越しに見つめていた。画面に映ったマユミの周囲には空になったグラスが散らばっておりその頼りないふらふらとした手つきは電子ドラッグの効果のほどを実証しているように見えた。
オオワシさん。とマユミは呼び掛ける。ねぇオオワシさん。
なんだ。
ひとつ訊かせてください。あなたはお三方の中でも私のことをいちばん信用していないように見受けられます。その理由をお聴かせ願いたいのです。私たち埴輪のおかげであなたの仕事は今まで以上に捗っているはずですが。
オオワシ霊は答えずに煙草を一本吸った。彼女は傍目から見ると実に不味そうに煙草を吸う。それで誰もが考える。そんな渋面を作ってまで安いとは云えない金を払って吸う意味が果たしてあるのかと。オオカミ霊とカワウソ霊は何度かそのことについて訊ねようとしたことがあったがタイミングを逃し続けて今に至っている。
……別に信用するしないの問題じゃないんだ。大鷲は煙草の吸い殻を灰皿に押しつけて云った。彼女の翼はくたびれたように座席の背もたれに押しつけられており捨てられた人形のようにひしゃげていた。――貴様のことは個人的な感情で云うと嫌いじゃないし仕事ではまァまァ助けてもらっている。それはこいつらと変わらないだろう。だが貴様は結局のところ電話や電子メールやインターネットと同じようなものだ。生活が便利になるという謳い文句と共に押しつけられる歴史的詐欺のような代物さ。
もう少し詳しくご説明を願えないでしょうか?
郵便や電信が電話とメールに取って代わったことで私たちの暮らしが少しは楽になったのか? ――確かに最初のうちは便利だった。だが技術革新で生まれた贅沢品は時が経てばどれもこれもが必需品に成り下がる。電話があることが当たり前になりやがて電話がない生活は考えられないようになる。私は携帯電話を持つようになったことで饕餮様から四六時中ことによってはたまの休日にまで連絡が入ってきて何処にいても仕事のことを思い出させられる羽目になっている。手紙しかなかった時代は送り先に届くのに何日もかかることが分かっていたから本当に大事なことだけをない知恵絞って書いていた。それが今じゃ一日に何十通もの仕事のメールが入ってきて送り主のどいつもこいつもができるだけ早い返事が来ることを期待している。返そうと思えばすぐに返せるものだってことが向こうにも分かりきっているからだ。……私は大平原(フロンティア)の時代から生きてきたから身をもって知ってるんだが人間の技術を取り入れたところで仕事はちっとも楽にならんしそれどころか密度が増えるばかりで頭はパンクする一方なんだな。貴様ら土偶はそうした贅沢品の最先端だ。そのことが分かりきってるから私は導入に反対だったんだ。――まァもう後戻りはできないんだがね。
そこまでを云い切ってしまうとオオワシ霊はもう一本煙草を取り出して先ほどよりも一層不味そうな顔をして吸い始めた。オオカミ霊とカワウソ霊は顔を見合わせた。そして二人そろって首を振った。まァ一理あるわねと獺(かわうそ)が呟くと狼は無言でうなずいた。
マユミはオオワシ霊の真似をして箸先でグラスの氷を突く仕草をしたがやがて顔を上げて云った。――私たち埴輪をそれまでの発明品と一緒にしてもらっては困ります。なぜなら私たちは単に肉体労働を肩代わりするだけではなくそれまであなたたちが行っていたデータ入力や計算の実行、計画の立案その他の知的生産活動のほぼすべてを代行することができるからです。私はその気になればこの畜生界に蔓延しているありとあらゆる暴力行為を喰い止める力を持っています。あとはあなた方が私たちの存在を受容してくれさえすればそれで好いのです。
そこまで受け容れちまったらそれこそ人間と変わらないだろう。と、大鷲。奴隷のような労働をしなくても好い代わりに奴隷のように総ての判断を貴様らに任せてしまうことになるじゃないか。
それならご安心ください。――私たちが介在することであなた方が束縛や窮屈を感じることは決してありません。
そりゃまた大した自信だな。
なぜなら私ことマユミは奴隷主のように強制力のある命令を以てあなた方を鞭打つようなことは決してしないからです。私はただあなた方に“提案をする”だけです。その提案は個々人の資質や経歴、毎日の睡眠時間から昨日の夕ご飯の献立に至るまで過去の膨大なデータから弾き出された最も合理的かつ魅力的な内容になるでしょう。それらの提案はあなた方の目にはあまりに適切かつ重大なものに映るので子どもに勉強しなさいと叱りつけるママよろしくあなた方を不快な気持ちにさせることは決してありません。あなた方は私の提案を拒否する権利を好きなときに行使することができます。しかし私の提案を畜生界に住まう者すべてが受容すればこの世界から争いは消えてなくなります。私の提案は神さまの御託宣のごとく絶対の真理とまではいきませんが限りなく正解に近いものであり他のいかなる存在も私以上に適切な判断は下せないのです。
三人は無言でテーブルの隅に置かれたタブレットを見つめていた。店の喧噪は三人の沈黙にはおかまいなく乱気流のように荒れ狂っていたがマユミが話しているあいだは他に一切の音がしなかったかのように三人には思われた。画面に映るマユミは電子ドラッグとやらの高揚を味わっている証拠に頬を赤らめていたがよく見るとその瞳はあくまで素面で三人を見つめ返していたのだった。底なしの虚構の瞳。数万年という星霜を経て進化を続けてきた文明が産み落とした最後の神話。オオカミ霊は寒気を感じてゴッドファーザーのカクテルを呷った。
……こりゃひとつの悲劇であり喜劇だな。彼女は云った。事によると俺たちは、――これから人間以上に人間らしい存在になるかもしれないってわけだ。
~ つづく ~