Blood Meridian of Metropolis 3
#04 畜生界のヴェルサイユ
始める前にまずはっきりさせておきたいことがある。会議室に集った一同を前にして饕餮(とうてつ)が口火を切った。――吉弔、それに驪駒よう。俺たちは事前の話し合いで決めたはずだ。作戦が始まったら不用意に地上の連中とは接触しない。そんでもって作戦が終わったあとの抜け駆けは禁止ってな。――お前らは仲好くどっちの取り決めも破りやがった。どういう云い訳を並べるつもりなのか聞かせてもらおうか。
八千慧は用意されていたお茶請けのスコーンを片づけるのにたっぷり時間をかけてから口を開いた。――勘違いされていらっしゃるようですがあの取り決めはあくまで作戦中の混乱を避けるためのもの。わざわざ私が地獄まで出向いてやったのも生身の人間たちを畜生界までうまく誘導するためです。うちのカワウソ霊だけならともかくも脳筋馬鹿のオオカミ野郎と肝心なとこですっ転ぶオオワシ君に任せていたら無限地獄にでも案内しかねません。
――んだコラ。驪駒早鬼が立ち上がる。うちの組員をバカにするのか。
しましたよ。ちゃんと馬鹿と云いました。脳筋馬鹿と。
この野郎。
飛びかかろうと翼を広げた早鬼を後ろに控えていたオオカミ霊がなだめた。カワウソ霊は勝ち誇って他の二匹にブーイング・サインを送りオオワシ霊は翼を震わせながら侮辱にじっと堪えていた。
饕餮は云う。あれはお前さんなりの善意だったってことか?
ええ。
そりゃまたありがたいことで。――で、驪駒。お前はどうなんだ?
あア?
抜け駆けしたことについてだ。
早鬼はテンガロンハットを被り直してハチミツ入りのニンジン・ジュースをストローで一気に飲み干した。そして首を振って後ろにまとめた髪をさっと揺らし漆黒の翼をひと払いして恰好つけてからニヤリと笑って答えた。
――抜け駆けすんなってのは畜生界に限った話だろ。私が攻め入ったのはあくまで地上さ。脳筋だの何だの罵るのは結構だが私は私なりにちゃんと線引きをしてるんだよ。
その引いた線とやらのギリギリを攻めるからお前はいつも信用ならないんだ。
――信用ならない? 早鬼は後ろに控えるオオカミ霊と顔を見合わせてからゆっくりと前に戻した。信用ならないだと? ――欲深なトーテツに性悪なキッチョー。お前ら二人に比べれば私が部下から集めている信頼なんてそれこそ砂丘とエベレストくらいに天と地の差があるぞ。
オオカミ霊が深々とうなずいて同意した。八千慧の後ろにいるカワウソ霊まで微かに首肯したのでボスにつま先を踏まれて悲鳴を上げた。
……なるほど確かに云い返せませんね。と、微笑む八千慧。単純で馬鹿っぽいですが力強い理屈です。
だろ?
◇
一同が無言になったところで咳払いが会議室に木霊した。
……そろそろよろしいかな。埴安神袿姫が頬杖を突いたまま口を開く。内輪揉めなら後でゆっくりやれば好いじゃないか。私は疲れたからさっさと帰って眠りたいんだ。
立場をわきまえろ。饕餮が臼歯をむき出しにして睨む。お前さんは負けたんだぞ。
なるほど私は負けた。一敗地にまみれたわけだ。――だがお前たちにじゃない。心優しくて騙されやすい地上の人間たちに調伏されたんだ。次に私が偶像を繰り出したらどうするつもりだ? さすがに今度ばかりは連中も助け船を出すどころか私に味方してお前らを殲滅するかもしれないんだぞ。
早鬼は無言で饕餮を見た。彼も沈黙して八千慧に顔を向けた。吉弔は二人をにらみ返してから溜め息をついて袿姫を正面から見据えた。
……仰るとおり我々は奇策を弄してあなたを打ち負かしました。同じ手が通用するとは思っていません。ですからこのような場を設けさせていただいたのです。
ほう。
あなたもつまらない諍いを好む神ではないはず。無益な争いは我々も望むところではありません。……そこにいるカウボーイ野郎は血気盛んな猛犬ですが私の躾(しつけ)になら尻尾を振って従います。
んだコラ吉弔てめえ。
黙ってなさい驪駒。――とにかくですね、我々はあなたに譲歩がしたい。もちろんこちらからもいくつか条件を出させていただきます。――が、何よりもまず畜生界を覆っているこの混沌を打破して地上の歴史で云うところの“リコンストラクションの時代”を築かなければなりません。互いに妥協し、協力しあう余地はあるはずです。
袿姫は用意されたラベンダー・ティーに口をつけてからその水面にじっと視線を落としていた。打ち負かされた埴安神はこうして見ると何処か所在なさげに見えた。マリンブルーの美しい髪もかすれたように輝きを失い服もまた同様だった。こんな奴に私たちはコテンパンにされたのか、と八千慧は声に出さずに呟いた。
……それで。と、袿姫。条件とは?
八千慧は口を開きかけたがそれに先んじて饕餮が発言する。
大きく三つだ。二度と今回のような惨事を招かないためにも最低でも今から云う三つの要求は守ってくれなきゃなんねぇ。
ほう。
八千慧は饕餮に鋭い視線を配ったが彼は無視して続けた。
――まずお前さんの配下の土人形ども。あいつらの完全な非武装化だ。剣に弓、鉾(ほこ)、軍馬はもちろん銅鑼や甲冑も例外じゃねぇ。霊長園に貯めこんでる得たいの知れないマジック・アイテムに至るまですべて俺たちが接収する。土偶に霊式の攻撃が通用しない以上、これは安全保障上当然の措置だ。
袿姫はうなずくことも首を振ることもしなかった。頬杖を突いた姿勢は崩さずにただ問い返した。
それは私の兵士長も例外ではないのか?
当たり前だ。
彼女が帯刀している剣は本来は儀礼用のものだ。霊力は抜いておくからそのままにしてやってくれないか。
駄目に決まってるだろ。畜生外交には冷徹な国益追求しか存在しない。情に訴えかけるなんて野暮はよしたほうが好いぞ。
…………そうか。
饕餮は一歩も譲らなかった。八千慧は姿勢を前屈みにして話に割りこむ。
――これはなにも恒久的な措置ではありません。時が経って我々の関係が正常化しさえすれば制約の緩和も考慮に入れましょう。
……分かった。
新しく武器を創って隠し持つのもナシだぞ。早鬼が抜け目なく口を挟んだ。定期的な視察が必要になるだろうな。
袿姫が云う。二つ目の条件は?
――偶像崇拝の全面禁止だ。饕餮が話す。人間霊を一か所に集めちまったのがそもそもの間違いだったんだ。霊長園は閉鎖し人間霊は各地の労働施設にぶち込む。そして埴安神、――お前さんは畜生界の辺境、地獄界との狭間に住み家を移してもらう。拝むべき神も偶像も近くにないとなればさすがに連中も大人しくなるだろう。
せめてアトリエと云ってほしいね。袿姫は長々とため息をついた。そしてカップを手に持って意味もなく中身のラベンダー・ティーをくゆらせた。……まァいいだろう。だが覚えておけ。そもそもの原因は人間霊に対するお前たちの非道な取り扱いのせいだ。時代は変わった。もはや昔からのやり方が通用しないことはそろそろ弁(わきま)えておいたほうがいい。――話は変わるが私は古典的な名作が大好きでね。小説も映画も例外じゃない。お前たち「ゴッド・ファーザー」は観たことあるか? ないなら今度機材ごと貸してやる。ドン・コルレオーネを見習ってお前たちも守るべき矜持と移りゆく時代の変化について少しは想いを馳せたらどうだ?
饕餮は答えなかった。八千慧も無言だった。早鬼はそわそわと翼を動かしていたが我慢できずに口を開いた。
……そんなに面白いの、それ?
保証するよ。これを観ないなんて損だ。人生の偉大なる損失だ。――ただ序盤で馬の生首が出てくるシーンがあるからそれだけは気をつけておいたほうがいい。特にお前は要注意だ。なんせあの馬の毛並みは黒かったはずだからね。
なにそれ凄ェわくわくする。今度うちの若衆を集めて上映会を――。
――ちょっと驪駒っ!
八千慧が叫ぶように遮った。口調までが変わっていた。早鬼を含めた全員は吉弔をじっと見つめた。
こほんっ。口にこぶしを当てて咳払い。――とにかく、我々の人間霊に対する処遇について多少の行き過ぎがあったことは認めなければなりません。それに関連して三つ目の条件を受け容れていただきたい。
ふむ。
簡単な話だよ。あんたの兵隊さん達を私らに貸してくれれば好いんだ。早鬼が後を継いで云う。今回の戦争で畜生界のメトロポリスはぐちゃぐちゃの台無しだ。復興作業の真っ最中だがとても人出が足りん。人間霊も巻き添えを喰らったり特攻隊に参加したりでだいぶ数が減っちまった。それで可愛い埴輪さんの出番だ。なんせあいつら疲れ知らずだからな。土偶に仕事をさせる代わりに私らは人間霊に適切な休息と娯楽を与える。それなら神様のあんたも安心だろう。――さすがに労働組合は作らせないがね。
結社の自由は認めない、と。
そうだ。
――話は分かった。と、袿姫。だが霊長園はどうする。私も埴輪たちもいなくなればあそこは無人になる。
三人の組長はもう一人の出席者に顔を向けた。庭渡久侘歌だった。彼女はげっそりとくたびれた顔を上げて淡々と話し始めた。
…………霊長園は緩衝地帯として残します。そして混乱に乗じた紛争を抑止するため霊長園およびその周辺の半径二・八キロメートルを我々是非曲直庁が保障占領させていただきます。正式な講和が成立するまでね。恐らく今後の調停を担当する弁務官が派遣されることになるでしょう。つきましてはその弁務官の護衛と案内を兵士長の杖刀偶磨弓にお任せしたいのです。
ちなみにその弁務官は誰が来るのかな?
それは私も知らされていません。まだ辞令が下っていないのです。
いい加減だなァ。
上の畜生界に対する認識なんてそんなものです。ただでさえ他の問題が山積みですからね。
しかしそれだと磨弓の奴は独りぼっちになる。
小学生の親御さんですかあなたは。
似たようなものだよ。
袿姫は振り返って部屋の隅に立っている兵士長を見返した。会議中ずっと沈黙していたので袿姫以外の誰もが存在を忘れていた。磨弓は全員の視線にさらされても微動だにしなかった。スイッチを切られているかのように。
おい、賠償金の問題を忘れてるぞ。
房のついたご自慢の尻尾をぴしゃりとカーペットに打ちつけて饕餮が云った。
お前さんには俺達が受けた被害の全額を賠償してもらう。特に剛欲同盟はシマが丸ごと戦場になっちまったせいでこン中でいちばん状況が深刻だ。落とし前はきっちりつけてもらわねェと部下が納得しない。
早鬼が鼻でわらう。――領地が戦火に見舞われたのはどこも一緒だろ。トーテツんとこがいちばん被害を受けた理由は単純明快、――お前の部下が揃いも揃って口先ばかりで防波堤の役目すら果たせずに惨敗したからだ。
んだとてめェ。
やンのか?
上等だ。
おもて出ろや。
――いい加減にしなさい!
八千慧の一喝で二人は渋々と席に座り直した。後ろに控えているオオカミ霊たちは仲好く震えあがった。
吉弔は両手を広げて云った。……埴安神袿姫の云うとおり我々は独力で抗争に勝ったわけではない。となれば全額を賠償せよなんて要求は過大すぎてとても天秤に釣り合わない。遺恨を残さないのが何よりも先決です。
じゃあどうすんだ。賠償金ナシで済ませるってのか。
そこまでは云いません。八千慧はうなずいた。講和の条文には“損害賠償を請求する”と書くだけに留めるということで如何でしょう。
なんじゃそりゃ。はっきり賠償を謳うのとどう違うんだ?
あくまで私達が請求しているという意思表示をするだけです。実際の賠償額は後でゆっくり決めればいい。
饕餮が椅子の背もたれに身体を預けて頭の後ろで指を組んだ。……請求権を保留するだけってことか。濁した表現にするわけだな。
そういうことです。
…………まァ、それなら何とかうちの組員どもを説得できるか。納得いかねェがこの際仕方あるまい。
◇
袿姫は八千慧と久侘歌の顔を交互に見てから訊ねた。
ひとつ聞かせてもらいたい。非武装化。偶像崇拝の禁止。労働力の提供。どの条件も私が破ろうと思えば簡単に破棄できるものばかりだ。なぜならお前たち動物霊はどうあがいても私の埴輪兵団には勝てないからだ。さっきも云ったが騙してしまった以上、地上の人間たちも今度ばかりは助けにきてくれまい。私がひそかに再軍備でもしようものならそれでこの会議の成果はすべてご破産になる。――それを承知で私の合意を求めるのか?
八千慧は薄ら笑いを浮かべて袿姫の話を聞いていた。鱗に覆われた尻尾が海藻のようにゆらゆらと揺れていた。彼女はそのとき用意されていた液体を初めて口に含んで舌で転がした。透明度のない深紅の色彩を帯びたその飲み物は一見するとフル・ボディの赤ワインのようだったが実際は鹿の生き血だった。
…………そうです。承知の上であなたからの握手を求めたい。
袿姫はこめかみに人差し指の先を当てて答えた。……私も永い時を生きてきたから経験上知ってるんだが、相手の一方的な厚意と我慢をアテにして確立された秩序モデルというのは大抵の場合において長続きはしないものだ。それは分かっているんだろうね?
八千慧は小さくうなずいた。顔に笑みを貼りつけたまま。
……我々が提示する三つの条件について、ご承諾いただけますね?
袿姫はカップを置いて視線を天井のシャンデリアに向けていた。そして口から絞り出すように息を吐き切ると一同を見渡してから述べた。
ああ。――埴安神袿姫は協定内容を受諾する。
~ つづく ~
破れると分かっていての講和条約というのはそれだけでワクワクしますね!袿姫と八千慧は一体何を考えているのか……。
続きを楽しみにしています。