Coolier - 新生・東方創想話

このまま夜が明けませんように

2026/08/06 00:17:32
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◆◆◆

 七夕の宵。濃紫の帳を翻した空に、砂子をまき散らしたように星が輝き出す。
 浮雲の波がさざめく天の川では、黄金色に施された月の舟が、波止場につながれたように山の端に止まっている。
 山の頂では、よくよく見ると稜線をなぞるように、柑子色の明かりが揺らめいている。そこは、天狗たちの住まう集落。いつもは厳格な社会を支えるため働き続けている天狗たちが、今宵は星祭に賑っていた。
 もしかすると、夜空の旅人たちも、この喧騒に惹かれて月を止めてしまったのだろうか、なんて。
「ん……」
 祭りに沸き立つ天狗の集落から、しばらく飛んだ先の場所。人間の里などを一望出来る崖に、小さな屋敷が孤高に建てられている。
 住人である鴉天狗――射命丸文は、彼方から轟く太鼓の音に、瞼を動かしていた。
「…寝てしまっていましたか」
 気怠さを身体に感じながら、文はのっそりと身体を起こす。寝汗に湿った頬を涼風にさらしつつ、太鼓の音に耳を傾ける。いつもだったら自分も飛び込みたいと翼を広げるところだが、今はどうにも気分が乗らない。
 星々がせせらぐ天の川の両岸では、今宵の主役たる恋人たちが、逢瀬の喜びに輝いていた。
「…良いなぁ」
 ぽつり、羨望の言霊がこぼれ出る。
 文机に置かれていた手帖をぱらり、めくってみると、一枚の写真が視界に入る。深紅のリボンを蝶々のように結んだ少女が、可愛らしく膨れている姿に、文はくすり、頬を緩ませる。
 これは、前会った時に撮ったものかしら――じぃっと見つめているうちに、何かが胸を焦がし始めるのが伝わって来る。静かに、けれど確かな熱を持って。
「れいむ……」
 本当は今夜、文は写真の少女――博麗霊夢と逢っているはずだった。
 別に、事前に約束をしていた訳ではないけれど。せっかくの七夕くらい、愛しい彼女に顔を出してあげたいと考えていたのだ。
 神社の縁側で隣り合うように腰掛けながら、煌びやかな星空を鑑賞して。自分たちもあの二星みたいに、一晩の逢瀬を楽しめればな、なんて。

 ――けれど、そんな文の願いが叶うことはなかった。

 遠雷が轟いているような太鼓の音に、文は目を閉じる。この旋律は……ちょうど集落の大路を、神輿が巡り始めたところだろう。
 『文よ。今年の七夕は、天狗(われわれ)も星を祝いたいと考えている』
 今宵の七夕祭りは、星を司る大天狗――飯綱丸龍の一声により、決行されたものだ。
 その時点で、どんな用事があろうと参加が義務づけられてしまうのが、天狗社会の宿命だった。
 しかも、他ならぬ飯綱丸からの指名で、先程まで文は星祭の実行責任者を任されていたのだった。
 直属の部下ではないはず、という文句も聞き入れられぬまま、設営を指導する立場に立たされて。ろくに羽を休める暇を与えられぬまま、細々とした折衝のため方々へ羽ばたき続けて。
 結果、当日まで働き詰め。準備の出来栄えに満足した飯綱丸の『残念だが、その様子では祭も満足に楽しめぬだろう。今宵はゆっくり休むと良い』という労いで、祭りの欠席を許されたのである。
 そういう訳で、今の文は、何処に居ようと別に咎められることはない。
 けれど、こんなへとへとの姿を霊夢に見せる訳にはいかない。それに、今さら神社に飛んで行ったところで、霊夢はもう眠りについているだろう。
 どん、どん、太鼓が響く。今ごろ童心に返って神輿を担いでいるだろう飯綱丸を想像する。
 本当、彼女が何を考えているのか、文にはさっぱり判らない。気が乗らない祭りに出なくて良くなったと言えば聞こえが良いが、結局のところ発端はあの方の横暴にある訳だから、やはり腹が立った。
「はぁ……」
 げんなりとため息を吐く。喉の辺りで微かな熱がくすぐってくることに、今更ながら気付く……そういえば、今日は結局まだ何も食べていなかった。
 特別食欲があるかと言われると、そうでもない。けれど、出来ることなら、明日こそ霊夢に逢えるようにしたいと考えると、何かしら口には入れるべきだろう。
 ……確か、さっき褒美としていただいた、初物の梨があったはずだ。氷室から取って来よう――そう決意を固めた刹那、ちらり、一筋の流星が、天の川を横ぎるように駆け抜けていった。
「おーい、文ー」
 星空に背を向けた文を呼び止めるように、のびやかな声が近づいて来る。
「文ー?聞こえてるでしょー?」
 誰が来たかなど、考えるまでもない。この家に来る者の中で、ここまで上機嫌な態度が取れる存在など、一人しか居ない。
「良かった良かった。ちゃんと起きていたわね」
 小さくため息を吐きながら文が振り返ると、案の定、姫海棠はたてが黒翼を広げたまま満足げに頷いていた。
 祭事での正装となる天狗装束を身に着けた彼女は、栗色に流れる長髪に朝顔の髪飾りを挿している。いつも活発でツインテールの彼女を見慣れていた文にとっては、今宵の落ち着いた装いが一層美麗に映し出される。どうやら彼女は、今宵の祭りに相当気合を入れているらしい。
「申し訳ありませんが、お祭りの件でしたら他を当たっていただけますか。今は気分ではないのです」
 けれどそれは、文には関係ない。自分は明日のために回復したいのだ。
 不機嫌を顔に出してあらかじめ拒絶を告げると、はたてはおかしそうに手を振る。
「あぁ、それなら大丈夫。お祭りなら、椛と回っているところだったからさ」
「……?そうだったのですか」
「うん。何なら今、此処の門の前で待ってもらってるよ」
「……判りません。ならば何故、貴方は此処に来たのですか」
 集落から飛ばないと辿り着けない此処まで、椛を待たせてまで。もしや、緊急の言伝でもあるのだろうか?
 けれど、それにしては、はたての様子はいつも通りだ。喫緊の事件が起きたようにはとても見えない。
「実は、飯綱丸様から使いをお願いされたの。祭の褒美を文に届けて欲しいってさ」
「褒美?その件なら、先程直接いただいていた筈だけど」
「あぁ、あれはおまけ。私が持って来たのが本命なんだって」
「はぁ……?」
 またあのお方は訳の判らないことを……と文は眉を顰める。
 本命の褒美があるならその場で一緒に渡せば良かっただろうに、他人を使ってまで別々に贈る必要などないではないか。
「それは申し訳ないことをしましたね。お楽しみのところ、飯綱丸様の命令に巻き込まれてしまうとは」
「んー?そんなことないよ?」
 けれど、はたては全く気にしていないとばかりに首を振ると、むしろ、悪戯を仕掛ける子供のように、にかっと八重歯を覗かせる。
「だって、文にとって間違いなく嬉しい贈り物を託されたんだもん」
 ――なんだ?
 ざわり、背中が俄かに騒ぎ出す。今すぐここから離れなければいけないと訴えているように、翼が飛び出そうと暴れている。
 翼……翼、といえば。
 今のはたては、いつもと比べて翼を膨らませているように見える。此処まで羽ばたいて来たと考慮に入れても度が過ぎる程度に、広く。
 喩えるならば、翼の後ろに、誰かを隠しているみたいな……
「七夕のお話じゃあ、カササギが天の川に橋を掛けて恋人たちを引き合わせるって言うけどさ。カササギは人間からは私たち(カラス)の仲間に見做されているみたいだね」
「ちょっと」
「だから私も、一度やってみたかったんだよねー……愛し合う二人を逢わせる『カササギ』ってのをさ?」
「はたて」
 まさか。そんな筈がない。
 「彼女」が、此処に居る筈がない。
「貴方、いったい誰を攫って来たのですか」
 からからに干上がった文の喉から、掠れた声がこぼれ出る。
 動揺と緊張に満たされた問いかけに、無意識に「期待」がこぼれ出ていることを感じ取って、はたては口角を歪ませる。
「さぁて。文も待ちきれないみたいだしぃ――そろそろ答え合わせ、しちゃいますか!」
 はたてはマジシャンのように左側の翼に手を掛けて、素早く身を翻す。金銀星を張り巡らされた夜空に黒羽が舞い、奥に隠されていた人影を明らかにする。
「………」
 軽く化粧をして来たのだろうか。玉のような白い肌が星明りに照らされて、思わず文は唾を呑む。
 揚羽蝶が止まったかのような、深紅のリボン。艶やかな濡羽色の髪に、紅白の装束。見とれるあまり呆然と立ち尽くす文を、潤んだ鳶色の瞳が覗きこんでいて。

「…あまり、じろじろ見ないでよ」

 ほんのりと顔を赤らめながら、その少女――博麗霊夢は、可愛らしく顔を逸らすのだった。
「じゃ、私は椛を待たせてるから!」
「あっ。ちょっとっ」
 高らかな声が上空から聞こえて、文はやっと我に返る。見上げた先では「カササギ」の役を全うしたはたてが、玄翼を悠々と羽ばたかせている。
「せめて何が起こっているのか説明なさいっ」
「だーめ。私だって祭回りたいんだからさ。後は二人でごゆっくり~♪」
 慌てて制止する文の声に構わず、はたては手を振って飛び去ってしまう。一陣の天狗風が身体を攫おうとするように吹き立って、文は反射的に霊夢を引き寄せる。
 いつもよりも、ちょっとだけ高い体温。手入れされた黒髪から伝わる、花の香り。程なくして風が通り過ぎた後も、文はしばらく、霊夢に回した手を離すことが出来なかった。
「ありがと」
 恥ずかしそうに声をすぼませながら、肩を握っていた手の力を、霊夢はぎゅっと強める。
 あぁ、これは幻想などではない。今、確かに博麗霊夢は、射命丸文(わたし)の家に来ている。その「事実」を、文も受け入れざるを得なかった。
「どういうことですか、これは」
 溢れ出そうな喜びに懸命に蓋をしつつ、文は眉を逆立てる。
 天狗は排他的で、外部の者が集落に入り込むことを殊更に嫌う。それに、過去の娯楽文化や嗜虐的な思想から、人間に邪な感情を抱いている者だって今も少なくないのだ。だから文は、異変などの用件なしに此処まで来ることが無いよう、口を酸っぱくして言い聞かせてきたのに。
「……私にだって、判らないわよ」
 文の反応が判っていたのだろう、霊夢も拗ねたように口を尖らせる。
「せっかくの七夕だからって神社で短冊を書いてたら、急にはたてが来たのよ。大天狗の許可が出たから、今日だけ特別にアンタの家まで案内してあげるって」
 豪快に笑う飯綱丸の顔を思い出しながら、文は眉を歪ませる。
「それで山まで来たら、今度はいつもの白狼天狗が迎えに来てさ。今日は天狗の集落で祭りが開かれているから、人目につかないように連れていくって。それで、言われるままついて行ったら……本当にアンタが居たの」
 …なるほど。椛もグルだった訳か。生意気な白狼天狗を思い浮かべつつ、文は眉を顰める。
 大体判った。おそらく、今日、天狗たちの星祭を開こうと言い出したのも。
 その準備の責任者として文を指名し、ひたすら働かせたのも。
 それでいて、今宵、一羽だけ祭の欠席を許してくれたのも。全部、博麗霊夢を文の家に招くための「計らい」だった訳だ。
「いくらはたてや椛の案内だからって、警戒はするべきだったでしょう。何かあってからでは遅いのですよ?」
「だって。別に悪事を企んでいる訳じゃないって、勘が言っていたし…それに……」
 諦めまじりに文が苦言を絞り出すと、霊夢は巫女服の懐をぎゅっと握りしめる。文は知る由もなかったが、そこには神社で試みにと書いてみた短冊がしまわれていたのだった。

 ――文の家まで、遊びに行けますように、なんて。

 まさか、こんなに早く願い事が叶うなんて。今でも夢なんじゃないかって、ふわふわしているけど。
 博麗霊夢(わたし)、本当に射命丸文(こいつ)の家まで、辿り着いたんだ。
「……はぁ。まったく、仕方ありませんね」
 何かを噛みしめるように微笑む霊夢を見つめるうちに、文はだんだんと落ち着きを取り戻していく。
 そうだった。文が今するべきことは、決して説教ではない。
「とりあえず、先ずは家に上がりなさい」
「……良いの?」
「良いも悪いも、此処まで来てしまった以上、このまま放り出せる訳がないでしょう」
 呆けた様子の霊夢を見つめながら、文はそっと手を差し伸べる。

「今夜は私が責任を持って匿わせていただきますから。安心なさい」

 優しく、けれど力強い言葉をかけてあげると、霊夢は嬉しそうに笑みを咲かせて。
「うん……お世話になります」
 そっと霊夢が手を取ったのを確認して、文は霊夢を案内するのだった。
「ほら。これで汗を拭きなさい」
「ありがと」
「此処まで疲れたでしょう。お望みなら薬湯を焚いて来ますが、どうしますか?」
「んー……んーん。後で大丈夫」
「そう。果物ならすぐ出せるけど、食べますか?」
「良いわね。お願い」
「判りました。今剥いてあげるから、そこで待っていなさい」
「ありがと」
 手渡されたタオルの柔らかさをじっと堪能しながら、霊夢は文を見つめる。まるで旅館で働いていたかのように動き回る文を見つめているうちに、霊夢は以前、魔法使いの友人が自慢げに話していたことを思い出す。
「……ふふっ」
「何か」
 確か、天狗の集落の近くまで忍び込んでは白狼天狗に見つかって、その度に文の家に匿ってもらっていたとかなんとか。
 まるで揶揄うような調子で話をされた時は、ちょっと腹立つとか、羨ましいとか感じていたものだったけど。
「んーん。すごく手馴れているなぁって。アンタ、魔理沙が来た時も、いつもそうやって慌ただしくもてなしてたんでしょ」
「あぁー……はい、本当、おかげさまで」
 げんなりとため息を吐く文に、霊夢は眉尻を下げる。
「転がり込んで来た立場のくせに、あれが欲しいこれを出せとねだって来ますからね。図々しいことこの上ありませんよ」
 梨の皮を器用に剥きつつ、口をへの字に曲げる文は、さながら母親のよう。
「そういえば、何時だったかアイツ、話していたわね。アンタが林檎でウサギを作ってくれたって」
「あぁ。そういえば、お願いされたことがありましたね」
「すっごく可愛かったそうじゃない。私にも作ってよ」
「しません」
「むー」
「そんな顔しても駄目です」
 梨から視線を外さぬまま、文は淡々と返す。せめてどんな顔してるか見てから言いなさいよ、と霊夢は拗ねてみせる。
「別にそんな特別なものではないですよ?」
「けち」
「そもそも、あれは梨で作るようなものではないでしょう」
「ずるい。魔理沙には作るのに、私には作ってくれないんだ……」
「……っ。あぁーもうっ」
 声をだんだんと萎ませてみせれば、文は我慢出来ずにこちらを見てしまう。この時点で、霊夢は自分の「勝ち」を確信した。
「判りました。今度、林檎が手に入ったら、神社まで持って行きますから」
「……」
「その時に、ウサギさんを作ってあげます。それで良いですか」
 半ば投げやりの提案をする文に、霊夢は俯かせていた顔を上げる。
「ったく、しょうがないわねぇ!それで手を打ってあげるわ!」
「……」
 星を吹き飛ばさんとばかりの笑みを輝かせてみせれば、文は呆れかえったように眉を歪ませる。
「約束よ」
「……はぁ……はいはい」
「林檎が手に入らなかったとか、そういうのはナシだからね!」
「判ってますってば」
 刹那、何か言いたげに文は口を開くも、ここぞとばかりに畳みかける霊夢に、叱る気力さえかき消されてしまう。
「ほんと、人間ってのは我儘なんだから……」
 文句を呟きながら皮むきに戻る文の背中を、霊夢はじっと見つめる。神社とは異なる畳の感触だけで気分が高揚するのが判って、繰り返し指でなぞってみる。
 ――そうよ、文。
 人間てのは、とーっても我儘なの。
 一つの願いを叶えても、もっと、もっとと求めてしまう生きものなの。
 もしかしたら、此処に招かれるなんて、二度とないかもしれないから。
 私はきっと、魔理沙みたいに図々しくはなれないから。

 せめて、魔理沙たちには決して作れないような「想い出」を。文に刻みたい。

「はい。どうぞ」
 程なくして、文は剥き終えた梨を霊夢に差し出す。雪と見紛う白色の果実は星明かりを瑞々しく反射して、少女の食欲を誘う。
「ねぇ。星を見ながら、食べても良い?」
「えぇ。そうしましょう」
 拳一つくらいの距離を取って、縁側に隣り合って座る。「いただきます」と梨を一切れ持ち上げる霊夢の横顔を、文は何げなく見つめる。
 しゃくり、梨を咀嚼する音。噛むうちに鼻からこぼれ出てしまう、満たされた声。白くて細い喉がこくんと呑み込んでいく瞬間に、気が付けばすっかり釘付けにされてしまう。
 涼風が崖を通り抜け、軒端の桔梗がゆらりと揺れる。さらり、さらり、草が擦れる音に天の川のせせらぎを聞くように、霊夢はそっと瞼を臥せる。かと思えば、今度は天上で会合した二星に想いを馳せるように、鳶色の瞳をきらきらと輝かせる。
「文」
 ぱちり、霊夢と目が合って、文はようやく我に返る。
「ありがと。とっても美味しい」
「…そう。それは良かった」
 静まっていた背中が再び騒ぎ出そうとするのを抑えつつ、文は返事をする。文の葛藤を見抜くように霊夢は僅かに口端を綻ばせると、しゃくり、二切れ目の梨を楊枝に刺して、今度は文へと差し出してきた。
「ほら。文も一緒に食べましょ?」
 文はしばらく逡巡するように身体を固まらせる。けれど、霊夢が決して手を引っこめないと確信すると、ようやく覚悟を決めて、そっと口を近付ける。ひんやりとした感触が唇に触れてから口内に吸い込まれるまでが、何故だか永遠のように感じられた。
 しゃり、と一噛みすれば、優しい甘味が口から溢れんばかりに弾け、乾いた喉を潤していく。恵みの雨を得たかのように身体が生き返っていくのが判って、思わず頬を綻ばせる。
 ……おいしい。
 天狗の和梨なんて、何百年も食べ慣れて来たはずなのに。
 今、食べさせてもらったこの一切れが、一番おいしい。
 何故そう感じるのだろう。霊夢と食べているからかしら?
「あーや」
「うん?」
「今度は、文から私に食べさせて」
「…まさか、このまま食べさせ合うの?」
「当たり前でしょ。はーやーくー」
「はぁ。まったく、しょうがない子ね」
 霊夢のおねだりに破顔した文は、三切れ目の梨に楊枝を刺して、霊夢に差し出す。雛鳥のように赤い口いっぱいに頬張る巫女の笑顔を、文は愛らしく見つめる。
「はいっ、文。あーん」
 そうしたらまた、霊夢が梨を差し出してきて、文に食べるよう求めて来る。すっかり緊張の解けた文が梨を口に入れると、また霊夢が食べさせて、とおねだりする。
 月の舟は山の反対側へ漕ぎ出して、星たちは一層輝きを増す。交互に食べさせ合うのを繰り返すうちに、遂に皿の上には、最後の一切れが残される。
「文」
 再度、霊夢の呼ぶ声が聞こえる。文に食べさせるのをうずうずと待っている様子の霊夢に、文は苦笑する。
「ほら。食べさせてあげる。目を閉じて」
「目を?今度は何するつもり?」
「良いから。さっさと閉じなさい」
「…はいはい」
 今日の霊夢は何時にも増して子供ね、なんて苦笑しながら、文は言われるままに目を閉じる。吐息が二、三度緊張したように頬をくすぐった後、何かがそっと唇へと触れる。
 それは、確かに瑞々しくて甘い、和梨の味をしていた。けれど、梨にしてはやけに温かくて、そして柔らかかった。
 身体を強張らせた文を逃がすまいと、ほっそりとした手が頬に添えられる。躊躇いがちに果汁が口内でかき混ぜられていく音が、文の頭をぴりぴり痺れさせる。
 溺れるような感覚に目を開けば、うっとりと顔を傾ける霊夢が、視界いっぱいに広がっていて。間近で感じる淑やかな香りも、温もりも、紛れもなく霊夢のもの。
 もしかして――動揺に震えていた文の瞳孔が、だんだんと獣の形に研ぎ澄まされていく。
 今、射命丸文(わたし)が「食べている」のって……
「……どう、文?」
 永久とも思える時間の後、霊夢が名残惜しそうに身体を離していく。熱のこもった呼吸を繰り返す二人の間には、一筋の銀の橋が架かっている。
 鳶色の瞳を不安げに潤ませた霊夢は、星明かりに照らされながらぼぅっと文を見つめる。「食欲」をこらえるように獰猛な息を吐く文を認めると、そのまま悪戯っぽく微笑みかけて。

「おいしかった?」

 ――ぶちり。
 何かが引きちぎれる音と共に、文の背中から翼が弾け飛んだ。星空を黒々と覆い尽くした紫翼は間髪入れずに霊夢を見定めると、息をする暇さえ与えずに彼女を包み込んだ。
 猛禽に捕らわれた小鳥のように強く抱きしめられた視界で、深紅の妖眼がぎらぎらと輝き出す。直後、再び口内へ雪崩れこんで来た甘露の快楽に、霊夢は喜んで意識を呑み込ませていく。
 ……天空で出会った恋人たちも、今、私たちと同じことを願っているのかしら。

 どうか、このまま夜が明けませんように――なんて。
あやれいむは七夕を「一年に一度、必ず会いに行く日」と決めていて欲しい。
UTABITO
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