Coolier - 新生・東方創想話

騒霊ミュージカル

2026/04/17 01:28:42
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 少女の母が亡くなったのは、物心がつく頃だった。だから、母との思い出をあまり多くは覚えていない。
 だが、とてもあたたかな記憶が胸に刻まれている。

 アンティーク調の木材と、真っ白な漆喰の壁に大きな窓がはまっている。外の並木道にはモダンなガス燈が並び、闇夜に浮かぶ桜をオレンジ色に染め上げていた。
 暖炉がパチパチと爆ぜ、部屋に明かりと暖かさを届ける。それよりも自分を抱き締める母の腕があたたかかった。

「さあ! プリズムリバー樂団の演奏といこうじゃないか」

 紳士然とした父がスプーンを指揮棒に見立てると、母がうふふと笑い、大好きな姉たちがそれぞれの楽器を持ちよった。
 ルナサが真剣な面持ちでヴァイオリンを構え、メルランがのんびりとラッパに口をつける。リリカが得意げな顔でピアノに手を添える。父がワンツーとスプーンを振ると、たどたどしくも穏やかな曲が流れた。
 メインメロディを母が綺麗なソプラノで歌う。

「ハッピーバースデー・トゥ・ユー
 ハッピーバースデー・トゥ・ユー
 ハッピーバースデー・ディア・レ~イラ~
 ハッピーバースデー・トゥ・ユー」

 母に抱きしめられながら子守唄よりも穏やかな声に身を委ね、姉たちの一生懸命な演奏をキラキラとした目で見つめた。
 最後に高音で和音を奏でる。メルランが一度大きく音を外してしまうが、父は穏やかにスプーンを振り、母が「だいじょうぶよ~♪」と歌いながら音を合わせると再び綺麗な和音が響いた。演奏が終わり、父と三姉妹が優雅にお辞儀をすると、レイラは立ち上がり手をはちきれんほど叩いてはしゃいだ。

「すごい! おねえちゃんたち、みんなすごい!」
「プリズムリバー樂団のデビューはスタンディングオベーションだ!」
「「「レイラ! 誕生日、おめでとう!」」」

 三人がわっとレイラの元に寄り、頭を撫でたり、頬をつついたりつまんだりする。

「さあ、プレゼントはなにかな?」

 父がリボンのついた箱を手に近づくが、レイラが手を伸ばすとイジワルするように高く上げてしまう。

「もう~! いじわるぅ」
「ルナサ、メルラン、リリカ? レイラのために悪いお父さんを捕まえなさい!」

 母が命じると三人はキャッキャッとはしゃぎながら父に襲い掛かる。レイラは拳を突き上げてそれを応援した。父が「ぐわぁやられ~た~」と床に沈み、プレゼントの箱をルナサが冷静に奪い取る。
 母がレイラをそっと抱き締めて、頭に頬をのせた。

「お誕生日おめでとう。生まれてきてくれてありがとうレイラ、お母さん幸せだわ」
「えへへ、お母さん大すき!」

 満面の笑みを浮かべるレイラを、母は細い腕でぎゅっと抱きしめた。





 大正某年 横浜 外国人居住区 山手町

 汽船や汽車が黒い煙を吐き、港や街を縦横無尽に駆ける。だが、海は青く穏やかで美しい。赤レンガの倉庫や石畳の大通り、西洋建築の商店が立ち並ぶ。
 十二歳となったレイラは「御機嫌よう」と学友に挨拶を交わして教会のミッションスクールから逃げるように立ち去った。キョロキョロと辺りを探るとメルランとリリカが手を振って待ってくれている。

「メルねえ、リリねえ! おまたせ!」

 元気よく手を返してとてとてと近づくと風が吹き抜けた。桜の花びらが空を舞う。それに見とれていると二人が近寄ってくれた。

「もう、レイラはすぐ桜に見とれるんだから」
「いいじゃないの~ 桜の絨毯も綺麗だし~」

 メルランがピンク色に染まった石畳をのんびりと眺める。

「そうだよねえ、リリねえったら風情がないんだから」
「そうよお、桜は散り際が美しいんだから」
「別に……この時期はあんま好きじゃないのよ……」

 拗ねたように顔をそむけるリリカの肩を、メルランがポンポンと叩く。振り向いたリリカの頬に「えい!」と人差し指を突き刺すと、姉二人がじゃれ合いのような喧嘩を始める。
 クスクスと笑いながら、レイラは散る桜に想いを馳せた。レイラが生まれたのは、桜が満開の時。そして、母が最期の時を過ごしたのも、桜の季節。桜が散った日に、母もまた亡くなったのだ。
 母は元々病弱だったらしいが子どもが好きで四人姉妹をもうけ、本国から遠いこの地で一生懸命に子を育てた。だが、流行り病にかかりこの世を去った。物心がつく前だったレイラよりも、リリカが一番そのことを引きずっている。

 三人に向かって、小さい簡素な車がトコトコと近づいてくる。T型フォード、1908年に販売された最新の車だ。日本では都会でもほとんど目にかかれない。メイド服の女性が運転している。ただし日本人らしい黒髪黒目だ。

「お嬢様方、お迎えにあがりました」
「ヒューッメイド服と自動車、何度見たって新鮮ね」

 リリカの言葉にメイドが表情を変えずペコリと頭を下げる。美空みゆきと言う、プリズムリバー家の使用人だ。

「ねえねえみゆき? 今日は伊勢佐木町の方まで向かってちょうだい?」
「メルラン様、また活動写真ですか?」
「ご~ご~ 學園じゃあチャップリンの話題で持ち切りなのよ? なんでも今度は笑えるだけじゃなくて、泣けるんですって~」
「な、なんだってー!? みゆき! オデヲン座にアクセル全開よ!」

 リリカが囃し立てるがみゆきの安全運転は変わらない。「うおお! もっと早く!」とリリカが車をぺしぺし叩くのをレイラは笑ってなだめた。馬と違って速度は変わらない。馬車より少しだけ早い速度でトコトコと街を進んでいった。




「うおぉぉぉぉぉん……お父さんとお母さんと出会えてよかったよぉぉ……」

 モダンな喫茶の一角、リリカが人目も気にせず、ずびずびと鼻水を垂らして泣いている。

「ちょ、ちょっとリリねえ、恥ずかしいってば……」

 レイラもたしなめつつ、つられて涙声になる。いつも無表情のみゆきも目尻をハンカチで拭う。
『チャップリンのキッド』は貧困街の男がたまたま捨てられた赤子を見つけてしまい、最初はそれを周りに押し付けようとするが、引き取って大切に育て、幸せな日常を築く。だが訳あって引き裂かれ……と言うお話だ。

「あの可愛らしくも生意気なクソガキっぷりがリリカみたいで面白かったわ~」
「ちょっとメルラン! そんな感想しか出ないの!? 信じられない! あのガキっぷりはメルランそっくりだったわよ!」

 リリカがアイスティーを飲み干して啖呵を返す。レイラがまあまあとなだめようとするが軽口と皮肉を言い合い収まりそうになかった。

「レイラ様、こうなったらあの手しかございません……」
「え、ええ? こんな往来で?」
「英国淑女が取っ組み合いの喧嘩をするより恥ずべき事がありましょうか、さあ!」

 お互いのほっぺたをつねり合う姉たちを見て、仕方がなしにレイラは口を大きく開けた。

「さ、さくらの花びらほっぺの色♪
 ぷんぷん怒ったほっぺの色
 でもでも恥ずかし赤い色
 ほんとは仲直りがしたいのに
 照れてごめんね言えないよ
 それからとっても恥ずかしいなあ!
 お願いだから喧嘩をやめてー!」

 レイラが耳まで真っ赤に染め、両手の指で頬を指しながら歌うと、メルランとリリカがすん、と喧嘩を止めた。

「お見事です。レイラ様」パチパチと拍手をするみゆきだが。
「やめてよね。私たちの喧嘩より恥ずかしいんだから……」
「リ、リリカ……もうやめたほうが~……」

 メルランがたしなめるがみゆきが「おや」と見つめ返す。

「レイラ様の想いが分からないのであれば、私も一曲披露することになります。んっんん、それでは僭越ながら……」
「だあああぁっ! やめろおおおぉっ!」
「ツバァメェよぉ! たかぁい空かぁら おぉしぃえてぇよぉ 姉妹の愛ぃをぉ ひとぉはぁなぁぜぇっ あぁらぁそうぅの 素直ぉにぃっなれなぁいぃのぉ!」

 みゆきが少し低い声で、コブシを抜群に効かせて歌う。美空みゆき、演歌歌手志望。または活動写真女優。将来の夢は語学も活かして全米に演歌を流行らせることだ。曰く、これから歌って踊るミュージカルが覇権を握る時代が来るらしい。





 姉妹の絆を確かめた一行は、丘沿いの街をT型フォードでトコトコと登る。洋風の住宅が並ぶ和洋折衷の街が夕焼けとガス燈に照らされる。赤く染まった空と海が綺麗に一望できる。
 貿易商でありながら伯爵位を持つプリズムリバー家は、中でも大きな敷地を持つ。玄関で降ろされ、みゆきを見送ったレイラ達だが、内側から扉がバンッと開け放たれた。
 そこには息を切らしたルナサと、褐色のボーイがいた。

「た、大変デース、お嬢様がた……」

 インドなまりの英語で、使用人のムトゥ・マハラジャがうろたえる。リリカが遊ぶように「ん? どれくらい大変だって?」と聞き返すと、ムトゥは主人であるルナサの肩にフランクに手をかけた。

「驚天動地デース、ナートゥを踊ってしまうくらいに」
「ナートゥ?」

 メルランが聞き返すとムトゥとルナサはスッと位置を入れ替えヒンドゥー語で力強く歌い出した。ムトゥの夢は故郷インドの歌と踊りを活動写真に組み込み、世界を席巻することだ。

「土煙を巻き上げ猛進する鋼鉄のフォード!
 母に捧げる渾身の踊り!」

 肩を細かく回し、全身をくいっくいっと小刻みに揺すり、機敏過ぎる程に踊る。走るように足と腕をばたつかせる。

「まあ聴け この曲を!
 まあ聴け この歌を!
 ナートゥ・ナトゥ・ナトゥ・それは驚愕の歌
 ナートゥ・ナトゥ・ナトゥ・それは懐かしのダンス
 ナートゥ・ナトゥ・ナトゥ・刺激強すぎの唐辛子
 ナートゥ・ナトゥ・ナトゥ・雨上がり虹か青天の霹靂!」

 レイラ達三人は口をあんぐりと広げた。ムトゥの踊りに付き合うのはメルランかみさきだけで、クールなルナサは絶対に付き合わない。どころか冷たい目線を向け、ムトゥの手をバシッとはじくのがお約束なのだ。その姉がナートゥを踊るほどの自体が起きている。メルランはごくりと唾を飲み、レイラはぶるりと体を震わせる。リリカは腰を抜かして床にコテンと転んでしまった。

「ど、どしたルナサ? また社交界で失敗した? ネガティブ過ぎて男に引かれまくってついに頭いかれたの? メルランみたいに頭のネジ抜いたってモテないのは変わらないって……」
「バ、バカ、それどころじゃない……か、母さんが……母さんが……」

 ルナサがわなわなと震え、崩れ落ちて膝を地につけた。もうすぐ母の命日だ。その頃になると姉たちはみな挙動不審になるのだが。

「ルナサ~? みんな帰ってきたの~?」

 その声を聞いて皆がびくりと震える。レイラにも聞き覚えがある落ち着いた声色だ。だが、ありえるはずがない。全身から冷や汗が出る。母の記憶が薄いレイラが一番冷静でいられた。
 母が穏やかな笑顔にエプロン姿で、何でもないかのようにひょこっと姿を現すと、リリカは「あ……あ……え……?」と声にならない声を上げ、メルランも「うそ……」と目を見開いて力が切れたようにストンと倒れた。

「も、もう? びっくりし過ぎよ? さ、お夕飯にしましょ! お母さん張り切ってみんなの好きなもの作ったんだから」

 パチンと手を合わせ、可愛らしく小首をかしげる母がそこにいた。
 みなしばし現実を理解できず、畏怖すら感じていた。学校でイエス様の復活について教えられてはいたが。
 母が一番近くにいたルナサにそっと腕を回した。

「驚かせてごめんね? 会いたかったわ……ルナサ……」
「か、母さん……母さん……!」

 ルナサが掻き抱くように母に手を回し、体に顔を埋めると、メルランとリリカも我先にと母に飛びついた。

「うあぁぁぁぁぁ……会いたかったよぉ……母さぁん……」
「母さん……あ、会いたかった、ずっと……ずっとよ……」

 リリカだけでなく、メルランすら目に涙を浮かべて母に抱きつく。母が「ほら、レイラも」と手招きをする。レイラは「う、うん」とおずおず母に抱きついた。それで幻じゃないのだと実感した。匂いも、柔らかさも、あたたかさも、あの時に感じた母のぬくもりそのものだった。じわりと涙があふれ姉妹四人で母を抱いておいおいと泣いた。





 穏やかなまどろみの中、おぼろげに意識を覚醒させていく。カーテン越しの太陽の光が眩しい。小鳥たちがチュンチュンと目覚ましの音を奏でてくれる。そしてそれよりも優しい声が。

「おきて、おきて、私の可愛いレイラ?」
「ふわぁあぁ……おはよう……おかあさん」
「ふふ、お寝坊さんね。みんな待ってるわよ?」

 くしくしと目をこするレイラの髪を、細い指でとかしながら母が微笑む。首筋を撫でる指がくすぐったい。うとうとしていると母が手を握ってくれてリビングまで連れられた。
 ドアを開けると焼きたてのパンやバター、紅茶の香りが届く。野菜スープの湯気、ベーコンと卵の匂いも食欲をそそる。

「もう、レイラおそーい!」

 リリカが待ちきれないとテーブルの上でそわそわとしている。ルナサは行儀よく澄まし、メルランはスプーンとフォークで軽快にリズムを刻んでいた。
 父が新聞を横に置いて、家族で食前のお祈りを捧げる。

「主よ、恵に感謝してこの食事をいただきます。どうか祝福してください。アーメン」

 皆がアーメンと祈りを捧げるが、それが終わると一瞬で静寂は過ぎ去った。

「母さん、あ~ん」
「あらあらメルランは甘えん坊さんになっちゃったの? はい、あ~ん」
「ちょっとメルラン! なぁに母さんに甘えてんのよ!」
「あらリリカ? お口が汚れてるわよ?」
「わひゃぁっ!? あ、い、いい……じ、自分でできるって母さん……あぅ……」

 リリカが耳を真っ赤にして、幼子のようになす術もなく口を拭われている。メルランがむーっと拗ねたように見つめる。ルナサが妹達をたしなめる。

「まったくリリカもメルランも。もうすぐスクールを卒業だろ? そんなんじゃあ」
「あら、ルナサは頼りになるのねえ?」
「きゃあっ!?」

 母が脇腹をツンとつつくと、ルナサは可愛らしい悲鳴を上げてびくんと震えた。ミルクがこぼれて手についてしまう。

「あらルナサもこぼしちゃった。お母さんが拭いてあげますからね~」
「か、母さんの自作自演じゃないか! い、いい! 自分でできる! って、あ……」

 ルナサは母に手を取られると棘が消え、恥ずかしそうにもじもじしながら下を見つめた。
 母が作る空間に、個性派の姉たちも形無しである。

 食事の後のひと時、ついにレイラも捕まり母の膝の上で、抱きかかえられていた。メルランとリリカが「母さんは休んでて」と洗い物を申し出ると、ルナサは天地がひっくり返ったかのように驚いていた。

「メルランとリリカが仲良く洗い物してる……」
「家族の仲良き事こそ、素晴らしき哉」

 父がクラシックギターをポロンと鳴らす。幸せそうな笑みを浮かべると弾き語りを始めた。

「エーデルワイス エーデルワイス
 朝 君はあいさつをしてくれる
 小さく白い 清らかで明るい
 僕に会えて 嬉しそうだ」

 母も嬉しそうに、少し照れたようにはにかんだ。白い頬が微かに色づく。
 洗い物をしていたメルランがスプーンとフォークでまな板を叩いて穏やかなリズムを刻む。
 リリカがコップに水を入れ、ドレミの音階を作って伴奏を始めた。
 ルナサが少し低い声で、父の声とハーモニーを奏でる。
 初めての記憶を思い出した。父と姉と母が誕生日に演奏会を開いてくれたことを。その時は夢中になって拍手するしかなかったが。
 レイラの口から自然と歌がこぼれ、それが母の声と重なる。

「雪の花が 咲き育ちますように
 永遠に 咲き育ちますように
 エーデルワイス エーデルワイス
 家族を永遠に祝福したまえ」

 家族の歌が一つになった。





 歌が終わった後、リリカが母の腕に抱きつきながら「そうだ母さん海に行こうよ!」と誘ったが反応は芳しくなかった。

「ごめんね、お母さんお外に出ると魔法がとけちゃうの、だから家にしかいられないの……」
「そ、そっか……でも、母さんとずっと一緒にいられればそれだけで幸せだよ」

 母は悲しそうに、しかし慈しむようにリリカの頭を撫でてしばし黙した。そして意を決して口を開いた。

「お母さんがみんなともう一度会えたのは、神様がくれたひと時の魔法なの」
「魔法? ひ、ひと時って、ねえ……」
「ごめんねリリカ、お母さん、桜が咲いている間しかここにいられないの」
「や、やだよそんなの! 桜が散るまでって、もう何日もない!」
「……正直に話すとね。今日だけしかいられないの」
「い、いやだ……そんなの……絶対……」

 リリカは目尻に涙をためると、母の手を振り払って自室へと逃げ込んでしまった。


 それから閉じこもったリリカを外に出そうと、レイラ、ルナサ、メルランが扉の前に並んでいる。

「リリカいい加減に出てきたらどうだ?」
「もう〜いつまで拗ねてるの~?」

 メルランの穏やかな声に、激しい声が返ってくる。

「拗ねてるとか、そんなのじゃない! なんで皆平気でいられるの!? か、母さんが……また、すぐに居なくなっちゃうんだよ!?」

 涙をにじませた声色にルナサとメルランが気まずそうに目を合わせる。レイラはハラハラと見守るしかなかった。

「私たちだって悲しいよ……でも、母さんとの最後の時間、一緒に過ごさなかったら悔やんでも悔みきれないぞ?」
「母さん、寂しそうにしてたわよ~?」

 リリカはそれでも動くことが出来なかった。布団の中で体を守るように丸まっている。光を遮り、音も遮りたくて耳を塞いだ。
 母と会いたい。だが、もう二度と見送りたくなどない。会いたい、だけど怖い。どうしても会いたい。会わなかったら、一生後悔する。なのに、会う勇気がなくて、リリカは一人、声を押し殺して涙を流した。
 かすかに、歌声が聞こえた。レイラの声だ。

「神様にお願いして戻って来たよ
 もう一度だけ会いたかった
 笑いたかった 触れたかった
 お話ししたかった
 愛してるよ 愛おしいよ
 ごめんねあなたを悲しませるのに
 それでも会いにきたかった」

 悲しく、しかし寄り添うように。耳をふさぐ手の力がゆるんだ。
 母とは本当は合うことなど出来ないはずだった。二度と話すことも。それが、もう一度だけ、出会える奇跡が訪れたのだ。

「こんなにこんなに広い世界で
 私のところに来てくれてありがとう
 もう一度だけささやかせて
 あなたを愛しているよって
 手を握らせて
 抱き締めさせて」

 ガチャリと扉が開く。目を赤くはらしたリリカが出てきた。一言「……会う……」とだけ言って、手を差し出した。レイラはその手を握りしめた。

 居間に戻るとリリカは母に飛びついてわんわんと泣き続けた。母は申し訳なさそうに、愛おしそうに、いつまでもリリカの頭を撫でていた。

 それから一日中、姉妹は母と過ごした。一緒に演奏をして、ダンスをして、窓から街を眺めながらお話をした。どんなに喋っても話し足りなかった。
 三時のおやつにみんなで豪華なケーキを作った。
 だが、夕方になって晩御飯を作るころには、母の指先が透明になって、物を握れなくなった。だから、姉妹の成長を見せようと、母の指揮で豪華な食事を作ることにした。
 リリカとメルランが母にあ~んをし返すと、母は恥ずかしそうに小さな口を開けてそれを受け入れるしかなかった。レイラとルナサと父はそれを穏やかに見守っていた。
 それから暖炉の火を囲んで、家族みんなでお喋りを続けた。だが、母の体が段々と薄くなっていく。母が力強く口を開いた。

「もう一度、あなたたちを愛してるって、伝えにきたの。レイラも、リリカも、メルランも、ルナサも、お父さんも、みんな」

 母の体が淡く光る。もう、その体に触れることはできないけれど、レイラとルナサ、リリカとメルランで母の両手に手を添えた。きっと、最後の別れになるだろうと思った。

「お母さんは、何があっても、みんなを見守ってる。触れることも、話すこともできないけれど、ずっとずっと。もう一度だけ、みんなと会えてよかった。お話しできて、一緒に過ごせて、笑い合って、抱きしめて。みんな、愛してる。あなた、結婚式で誓ったでしょう?」
「ああ。病める時も健やかなる時も、死が二人を分かつまで……愛し、慈しみ、守ると……」
「ふふふ、死んでもみんなの事を愛していたの。ずっと、ずっと……どうか、それを忘れないでいて……」
「わ、忘れない……忘れないよ、絶対……」

 母がリリカの頭を優しく撫でる。もう感触はないけれど、不思議とあたたかい気がした。

「それからみんな、姉妹仲良くね? お互いを思い合うのよ? 遠く、離れ離れになってしまったとしても、みんなの無事や幸福をお祈りするの」

 母が姉妹四人の顔を一人一人見つめながら語りかける。四人は顔を見合わせて力強く頷いた。

「どんなに辛く、苦しい時があったとしても、母さんは見守っているわ。何もできないけれど、傍にいる……みんな、愛してる。それから、愛してくれて、ありがとう……」

 その言葉を最後に、母は桜のように散って、去っていった。





 数か月後。
 セミの合唱がそこかしこで奏でられ、風鈴がチリンと揺れる。人々は薄着になり、街に活気があふれるが、四姉妹は暗いトンネルの中で、なんとか光を探そうともがいていた。
 レイラは母の言葉を強く思い出す。愛している、見守っている。どんなに辛く、苦しい時も。姉妹を思い合う。遠く、離れ離れになってしまうとしても、みなの無事や幸福を祈る。
 もしかしたら、姉妹を襲う不幸を知っていて、案じていたのかもしれない。母が居なくなってすぐ、父まで病に伏してしまったのだ。日本中から、本国イングランドから医者を呼び寄せても、原因も病名すらも分からず、衰弱していった。そうして夏を待たずして、母の元へ旅立ってしまった。

 遺産を相続し、生活費には困らない。だが、子どもが保護者なしに過ごすことは許されなかった。姉妹は縁戚に一人一人、引き取られていくことになった。
 一番取り乱したのはレイラだった。レイラは母の記憶が薄く、幼い頃の死別もよく覚えてはいなかった。つまり、別れを認識しきれていなかっただけなのだ。父の死で泣きはらし、姉妹が離れ離れになると知らされて泣きはらした。そんなことはしない、この家に姉妹四人でずっと暮らすんだと言い続けた。

 ルナサとリリカが、メルランの荷造りを手伝っている。レイラは膝を抱えながらそれをじっと見つめていた。邪魔をして、荷物をぶちまけてしまおうと妄想するが、姉たちに嫌われたくないので、そんな事はできなかった。

「ぷっぷくぷ~」
「きゃあっ!」

 メルランが後ろからレイラのほっぺたをつまんだ。だがレイラはむすっと不機嫌そうに見返す。

「もう~リリカの次はレイラが拗ねちゃったわ~ しばらく会えないんだから、お姉ちゃんに笑顔を見せて~?」
「……そんなの、できないよ……」

 膝に顔を隠してぐすぐすと泣いてしまう。ルナサとリリカも寄って来て、困ったように顔を見合わせる。メルランが頬に手を当て、う~んと考える。

「お姉ちゃん、なんとかレイラを励ます方法がないかなって考えたの。それでね、大人になったらこの家で、四人でまた会うってのはどうかな~って」

 メルランがレイラを後ろから抱きしめて、頭をよしよしと撫でる。両手にルナサとリリカが手を添えてくれる。それでようやくレイラは涙で濡れた顔を上げた。メルランが乱暴にハンカチでごしごしとこすると「メ、メルねえやめてよ……」と少しだけ笑顔を取り戻した。

「だから、思い出のものは、全部ここに残していくわ~。母さんとの思い出も、父さんとの思い出も、みんなとの思い出も持っていかない。だってそれは私だけの思い出じゃなくて、みんなの思い出だもの。ね?」
「……うん」

 それは素敵な未来の約束だった。思い出は全部、この家というアルバムに残して、大人になったらまたここで再会する。そうして姉妹で仲良くまた暮らしたい。
 メルランが明るく笑いかけると、レイラはぎこちなく頷いて見せた。

「どんなに遠く離れても、レイラとみんなの幸せをお祈りするわ~ レイラもよね~?」
「……うん」
「最後にお姉ちゃんに笑顔を見せて? レイラの笑っている顔が見たいの。それとも、ナートゥを踊らないとダメかしら?」

 メルランの提案に、荷造りをしていたムトゥが歯をキランと光らせて親指を立てて見せた。メルランは英領インドに行く。ムトゥもそれに付き従う事になっているが。

「い、いや、それはいいかな……」

 さすがに別れの場には相応しくなさ過ぎる。
 メルランはクスクス笑いながら、金色に光り輝くトランペットを手に取った。

「この子ともしばらくお別れね……」

 名残惜しそうに撫で、しかし一瞬で元気さを取り戻して高らかに宣言した。

「さあ、メルラン・プリズムリバーの新しい門出よ! 派手な曲で行きましょう!」

 軽快なリズムで明るく愉快過ぎる曲を奏でる。

 パンパラランラ パンパララ!
 パンパラランラ パンパララ!

 パンパラッタ パンパラッタ
 パ~ラ~パ~ラ~パ~ラ~ラ

 タンタンタンタン タラララララ ラッタッタッタ
 タンタンタンタン タラララ ラッタッタン

 運動会の定番曲『トランペット吹きの休日』だ。
 メルランが踊るように体を揺らせてメロディーを奏でると、ムトゥが口に手を添え、フルートの代わりに口笛を優雅に響かせてみせた。ルナサとリリカが足をスキップさせてドラムの代わりにリズムを刻む。
 リリカが笑って、ルナサがいつも通りの無表情に少しだけ頬を緩ませて、レイラに手を伸ばす。レイラはその手を取って、笑いながらスキップを刻んだ。





 蒸し暑い夜だった。
 みゆきが運転するT型フォードがガス燈に照らされた街をトコトコと走る。隣に座るのはルナサだけで、ずいぶんと寂しくなってしまった。

 ルナサはため息をつき頭に手を添える。遠くに旅立った二人から手紙が届いのだ。引き取ってくれた人たちは悪い人ではないようで、上手く行っているようだ。現地で友達もできたらしい。
 しかしインドに行ったメルランは、インド人への差別、植民地の搾取や貧困を目の当たりにして悲しんでいた。ただ、持ち前の明るさで、それらが少しでも良くなるように頑張っていくつもりらしい。
 リリカはロンドンに迎えられていた。横浜以上の大都会だよと姉妹で励ましたものの、石炭と工場の煙で空が見えなく、視界に自然はほとんど映らないそうだ。それからご飯がめちゃくちゃマズい上に、週に四回フィッシュ&チップスが出てきて飽き飽きするらしい。リリカの方は落ち込んでいて、うまく励ませるといいのだけどルナサは悩んでいた。

「ルナサ様、お悩みですか?」
「ええ……リリカのことでね」
「大丈夫、奥様の子ですから。今日買ったお土産の品も喜んでくれるはずですよ。心配し過ぎず信頼して、幸福をお祈りしましょう。それが奥様の最後の願いでしたから」

 ルナサは目をつむって、遠い地のリリカとメルラン、それから家にこもりがちなレイラの安寧と幸福を祈った。それから父さん母さん、見守っていてくださいと。
 最後まで家に縋っているレイラが一番心配だ。ルナサもあと数日で香港へ引き取られることになっている。レイラはカナダだ。本当に世界中バラバラに分かたれてしまう。太陽の沈まぬ帝国ゆえに。大人になるまで、まず会えないだろう。

「みゆき、レイラのこと、頼むわね」
「任せてください。日本にいらっしゃる間までではありますが……」
「それはしょうがないわ。そう言えばみゆきはプリーストの血筋だと言っていたわね? 母さんのことも自然に受け入れているし」
「神職です。もちろん、霊的な奇跡だったと思いますよ」
「ムトゥはヤマの、つまり閻魔様の粋なはからいだと言っていたわね」

 坂を登り家が見えてくる。ルナサははたと異常に気がついた。二階の父の書斎に明かりがついているのだ。
 その部屋は、鍵を入れても何故か開かなかった部屋だ。建てつけが悪い訳でもない。無理やり開けて扉を壊すのも気が引けてそのままにしていた。そこが光っているとなると、泥棒が無理やり侵入したのだろうか。

「みゆき!」
「ええ、急ぎましょう」

 みゆきがアクセルを踏んで車が加速する。
 二人はドタタタタと走って階段を登り、バンと書斎の扉を押し開いた。

「プリズムリバー邸に侵入するとはここが年貢の納め時、袋のネズミ、観念するより他にあるまいいいぃ!」

 みゆきが歌舞伎のように大仰に口上を述べる。しかしそこにいたのはレイラだった。
 本を夢中になって読みふけり、机には既に十数冊が積みあがっている。顔を上げるが興奮したように頬が上気している。

「お、お帰りルナねえ! ね、ねえ凄いんだよ!」
「レイラ? ここの扉、開かないはずだったけれど……」
「え? 自然に開いたよ?」

 あっけらかんとレイラが言い放つ。
 それにしても異様な部屋だった。魔法陣や文様を書いた紙の束が積まれている。様々な種類の薬草や木の実が吊るされ、実験室のようにフラスコや薬品、他にも使い方のわからないような道具が並んでいる。
 壁中に本棚がそびえ立ち、古今東西の書物が並んでいる。医療、人体、薬学、生物に最新の遺伝学。オカルトじみた本もだ。錬金術、賢者の石、ホムンクルス、人体錬成、死者蘇生……。
 扉の内側に複雑な魔法陣と文様が書かれているのに目がついた。不思議な力で施錠していたのだろうか。それを自然に開けたとなると。
 ごくりと唾を飲むルナサに、レイラが楽しそうに声をかけた。

「その辺の本は全部まがい物だよ! 大事なのはここにあるのと……」

 レイラが机に積んだ本を指し示す。ジャンルはポルターガイスト、霊の実体化、死後の世界、臨死体験、冥界との交信、霊的転移、結界術などだ。それから幻想入りという文字が一際異彩を放って目線を吸い寄せた。

「死者蘇生は全て三流以下の偽物……だけど、死後の世界は確かに存在するみたい。それから……」

 レイラがトンと机に置いた道具を見て、ルナサはびくりと震えた。あまりに美し過ぎたのだ。見る物を引き付けてやまない魔性の魅力があるかのうように。
 それは一件、砂時計のように見えた。だが、中に入っているのは砂ではなく、綺麗な綺麗な水だった。それは虹のように七つの色を持つ。しかし石油のようにテカテカと光を反射することもない。透明に透き通って、しかし薄く、淡く七色に変化するのだ。間違いなく、この世のものではないと直感した。

「父さんはこれを手に入れるのにずいぶん苦労したみたい。幻想郷の魔道具……七色の雫……この子のお陰で、お母さんが帰ってこれたんだよ」

 震えるルナサの体をみゆきがそっと支えた。

「ご安心ください。邪悪な気は感じません」
「そ、そうなのか? みゆき、何かわかるの?」
「霊能力がある訳ではないので、ほとんど直感のようなものですが……レイラ様は……」
「ほら、こんなこともできるのよ?」

 レイラが指で指揮をすると、七色の雫が宙に浮かんでくるくると踊って見せた。七色の水が見事に色を変えて見る者を魅了した。





 数日後、ルナサとも別れる日が来た。
 横浜の港は日本人や外国人、あらゆる人々でごった返していた。二本の煙突を生やした巨大な客船が佇んでいる。
 レイラは姉の体を抱き締めて離そうとしなかった。

「ルナねえ、いつもありがとうね」
「いや、大したことをしてやれず済まない……」

 家に残りたいと言うレイラのわがままを、なるべく聞こうとしてくれたのもルナサだ。幼いレイラから引き取られていくはずだったのを、最後になるよう調整してくれた。
 魔法についても最初こそ驚いていたものの、否定することはなかった。実際に母の復活という奇跡を目の当たりにしている。魔法の研究をするというレイラの意思を尊重してくれた。もちろん、心配がないわけではないが、やりたい事くらいはやらせて上げたかった。

「ねえ? 姉妹で家に戻ったとき、父さんと母さんの声くらいは聞けるようにできるかな?」
「ふふふ、もしそうなったらリリカもメルランも腰をぬかすぞ。だけどレイラ……どうしても家に残るつもりなんだな?」
「うん。どうしても」
「だけどそれは……」

 制度上、不可能な話だ。だが、レイラの意思はそれ以上に固かった。

「エーデルワイスだよ」
「エーデルワイス?」
「お父さんは家族の歌にしたけど、本当は故郷の歌でしょ?」
「あ、ああ、そうだったな、そうだ」

 そうして姉妹は自然と声を合わせて歌を歌った。

「雪の花が 咲き育ちますように
 永遠に 咲き育ちますように
 エーデルワイス エーデルワイス
 故郷を永遠に祝福したまえ」

 その歌声に、港中の人がハッとして姉妹を見つめた。イギリス人であったとしても、横浜のあの家で生まれ育った。姉妹にとって、あの家こそが故郷であった。

「ルナねえ、もしかしたら、お姉ちゃんたちに心配かけることになるかもしれない。でも、万が一があっても、私は元気に生きていくから……」
「ああ、レイラの人生だ。好きなように生きろ。ふふ、レイラがこんなに頑固だったなんてな……それに」

 ルナサが目元をそっと抑える。

「ル、ルナねえ……泣いてるの?」

 レイラは目を丸くして驚いた。ルナサは長女として、いつも妹たちに頼りにされて、弱みを見せることなど無かった。

「わ、わたしもっ! ほ、本当はっ あの家で、姉妹四人で暮らして、いたかったんだ……! レイラだけじゃない……みんな……! ご、ごめん……! 頼りにならない姉で……! わ、わたしには、どうしようも、できなかった……!」

 それは両親を亡くす悲劇の中で、長女という重責に耐え、役目を果たそうとした姉の、心の吐露だった。
 レイラは姉の体を強く強く抱きしめた。それまでの感謝を伝えるように。

「そんなことない。頼りにしてる。ルナねえは、私たちの一番のお姉ちゃんだよ。いつもありがとう」

 ポンポンと背中を叩き、頭を優しく撫でると、少しずつルナサは落ち着きを取り戻していった。それから照れるように笑った。

「ふふふ、レイラは末っ子なのに……母さんに一番良く似てる……たまに、私より長女みたいだって思うよ」
「そ、そうなの? お母さんのことはあんまり覚えてないんだけど……」

 ボーッと大きな汽笛が鳴る。それで名残惜しそうに、二人は体を離した。

「きっと、いいお母さんになるよ。もう一度言うけど、レイラは好きに生きて欲しい。何があっても応援するよ。それがお姉ちゃんの務めだ」
「う、うんありがとう。心強いよ」

 ルナサが、何か一つ吹っ切れたように、大きく手を振って去っていく。レイラも大きく手を振り続けた。
 船が動き始めても、二人はいつまでもいつまでも手を振り続けた。地平線の彼方に見えなくなるまで。



 それから一週間後。
 研究室でレイラが変わらず魔導書を読み漁っている。傍らにはみゆきが控え、ハーブティーを給仕する。レイラはその匂いを楽しんでから一口つけ、窓から朝日に照らされた横浜の街と海を見つめた。
 館に残るのはみゆきだけになってしまった。

「レイラ様、今日はリード夫妻がお見えになります」
「うん、話を聞いてくれるといいけど……」

 せめてこの日までに、冥界との交信くらいは身につけたかった。母の実体化に比べればずいぶん簡単だろうと思っていたが、これが難しい。そもそも、書斎の本はほとんどがまがい物で、本物と呼べるものはほとんどなかった。その為、内容が偏っている。
 理解が進んだのは、霊の実体化の他に、ポルターガイストと幻想入りだけだが難易度が高そうだ。そもそもにして魔力や、その使い方というものが分からない。

「お母さんとお話しでもできれば、みんなに手紙で報告できたのに……お母さんしか知ってないことを教えてもらえば、嘘じゃないって証明もできるし」
「みなさん、奥様の復活を見ておられます。疑ったりしませんよ」
「そっか」

 みゆきが懐中時計を取り出し、時刻を確認してから軽くお辞儀する。

「それでは、夫妻を迎えに行ってまいります。レイラ様、私はあまりお力にはなれませんが」
「ううん、色々とありがとうね。家を綺麗にしてくれて、美味しいご飯を作ってくれて」
「いえ、それでは」

 みゆきが静かに部屋から去っていく。少しして、思い出の車が可愛らしいエンジン音を響かせながら、街へ繰り出していった。



 若い男と女が家を練り歩く。調度品やアンティークな家具、銀製の食器などを指さして、値踏みをする。物の価値を思い出ではなく、金額で測ろうとする。

「ねえ、やめて! やめてよ! それは私たち姉妹のもの! あなたたちの物じゃないのよ!」

 上品な服を着込んだ夫人がなだめるように穏やかな顔を返す。

「あら、盗ろうだなんて考えてないわ。思い出の品なら、いくつかはカナダに持っていかないと? 何も全部商品にして売ろうって訳じゃないわよ? あなたの大切なものは全部、持っていっていいからね?」
「大切なのは家の全てよ! 大切じゃないものなんてない! それに、一つも持って行ったりなんてしないわ! お姉ちゃんたちと約束したの。思い出のものはみんなのものだから、全部家に置いて行こうって!」

 レイラの指摘に、夫妻は気まずそうに見つめ合い、困ったように笑った。男が諭すように話す。

「それは素敵な約束かもしれないけど、それまで、この家の管理はどうするんだい?」
「私がこの家に住むの!」
「そんな無茶な! ここが大事なのはわかるけど、保護者なしに暮らすことはできないんだよ? 私たちもニホンに移住する気はないし……」
「それにこの家はねえ? 売りに出すことが決まっているのよ」
「は、はあ!? ど、泥棒! や、やっぱり泥棒よ! わ、私たち姉妹の家よ! あなたたちの物じゃない!」

 男がどうどうとレイラをなだめようとする。

「財産は君達のものだから、盗んだりなんてしない。だけど、管理の仕方は私たち保護者に一任されてるんだ。縁戚同士で意見を交換してね。ニホンに豪邸があっても維持費や税金がかさんで君たちの為にならないから、この家は売りに出すことになったんだ。大丈夫、お金は君達の物になるよ」
「ふ、ふざけないでよ! 何が一任よ! お、お金なんかより、お姉ちゃんたちと、お父さんとお母さんとの思い出の方がずっと大事に決まってるじゃない! そんなの私たちは誰も認めない!」
「そうは言っても、法律で決まってるんだ……縁戚とも話し合ったことだし……」
「う、うううぅぅ……な、なにが……」

 爆発しそうなレイラの頭をみゆきが優しく撫で、夫妻にお辞儀をした。

「今日はお二方とも長旅でお疲れでしょう。また明日にしましょう」
「ああそうだね。レイラちゃんも興奮しちゃったみたいだし……」
「アジア人なのに、気が利くのねえ」
「お車、お出しします」
「いや、せっかくだし街を歩いてみるよ。もうニホンに来ることもないだろうし」

 みゆきはレイラの為に深くお辞儀をしたまま夫妻を見送った。
 レイラは今は居ないルナサの部屋に走った。ベッドに逃げるように飛び込み、布団で頭を覆った。姉の匂いを確かめるように、枕に顔を埋めて息を大きく吸い込む。そうしてから恐る恐る顔を上げた。その部屋は、いつもと何一つ変わらない、ルナねえの部屋だった。姉妹の約束通り、思い出のものは全部ここに置いてある。大切な宝物だった。この部屋だけではない。この家の全てが。

「会いたい……会いたいよぉ、ルナねえ……メルねえ……リリねえ……」

 カタカタと、何かが震える音がした。

「…………」

 微かに呼びかける声があったが、眠りに落ちるレイラの耳には届かなかった。





 翌朝、どんよりとした雲が街を覆う。海も光が差さないせいで暗い色をしている。変わらず研究室に籠っていたレイラだが、騒々しい音に集中を乱された。
 窓からのぞくと、腕をまくった日本人と、紳士服をまとった西洋人の男達が大挙して家に押し寄せている。レイラは慌てて階下に降りた。そこには昨日の夫妻もいる。

「ちょ、ちょっと! これはどういうことなの!?」
「明後日には船で出ないといけないだろ? 今日明日中に、家を整理して売りに出さないといけない」
「だ、だからそんなの許されないって――」
「いいや、心を鬼にすることにしたよ。君達の為なんだ。ほら、我がまま言わないで大切なものを選んで。そうしないと何もかも売りに出すことになるよ」
「だ……だから、選ぶことなんてできないんだって……」

 西洋人の商人たちが興味深そうに家の品々を検品していく。一人が興味深そうに、トランペット、ヴァイオリン、そしてピアノを指さした。

「ダメ! それは姉さんたちのなの!」
「そうは言っても、トランペットとヴァイオリンはともかく、ピアノを持ってくことはできないよ。オイ、君」

 夫妻が近くの日本人に指示を飛ばしピアノを運び出そうとする。もはや一刻の猶予もなかった。レイラは研究室に走り出す。

「あぁ、行っちゃった」
「ねえ、どうするの?」
「僕達で決めるしかなくなった。残すのは、宝石や銀食器なんかかな。彼女たちが大人になった時に使うだろ。家具や楽器は売り払おう」

 レイラはバンと扉を開け放ち、机に飾られていた七色の雫を手に取る。そして強く、強く祈った。だが、何も起こらない。泣きそうな顔で必死に祈る。姉たちの顔を思い浮かべて。姉たちとの約束を強く願って、この館で四人また会える日に想いを馳せて。

「お願い……ルナねえ……メルねえ……リリねえ……」
「…………」

 微かに自分に呼びかける声が聞こえた。ハッとして辺りを見回すが誰もいない。

「ルナねえ? どこ? どこにいるの?」
「私はここにいるよ? メルランもリリカも。まだ見えないのね?」
「ル、ルナねえ……わ、わたし一体、どうしたら……」
「落ち着いて。あなたはもう、魔法を扱えるはずなの。耳を澄まして、ほら……故郷を祝福する歌が聞こえるでしょう?」

 父のギターがひとりでにポロンと音を奏でる。レイラは頭に浮かんだ呪文をとっさに唱えた。あわてず、ゆっくりと、ギターに合わせて歌うように。

「雪の花が 咲き育ちますように
 永遠に 咲き育ちますように
 エーデルワイス エーデルワイス
 故郷を永遠に祝福したまえ」

 七色の雫が強く光った。外は雨が降り始めていた。にも関わらず、部屋の中に虹が顕現する。その光の全てがレイラの体に入ると、雫は輝きを失った。
 父のギターを奏でているルナサの姿が見える。レイラは超常の力を手にしたと直感した。今なら術を何でも実行できる。ポルターガイスト、霊の実体化、そしてもう一つ。
 もう指一本、触れさせない。レイラは飛ぶように階下に降りた。
 息も絶え絶えに夫妻と男達を睨みつける。

「よかった、戻ってきてくれたんだね? さあ、思い出の品を選んで?」
「レイラちゃん、私たち、なにも意地悪言ってる訳じゃあないのよ?」
「……最後の警告よ……今すぐここから立ち去ってちょうだい……そのピアノを下ろしなさい。トランペットもヴァイオリンも……」
「レイラちゃん、だからピアノは無理だって……」

 もはや、一辺の迷いもなかった。
 ピアノがドロンと不協和音を奏でる。運び手の男がそれに驚いて手を放してしまったが、ピアノは落ちずにゆっくりと地に足をつけた。ヴァイオリンがギイと不協和音を続けると、近くにいた者が怯え始める。
 男達にあっかんべーをするリリカと、冷たく見下ろすルナサの姿がレイラにだけはっきりと見えた。

「お、おいおい大の大人がイタズラはよしてくれ。鳴らすにしたって、せめて綺麗な和音を……」

 男の声を、トランペットが大音響でふさいだ。メルランが足を踏み鳴らすのに合わせて、大型の家具たちが大きく体を揺らして太鼓のような音を鳴らす。
 パパパパパァウワ~! ドドン!
 開戦の合図だ。
 舞台の曲が一変する。ピアノが美しくも不気味な旋律を奏でる。『シューベルトの魔王』だ。レイラがその歌を歌う。

「招かれざる客よ
 どうしてそんな不安そうな顔をしているの?」

 夫妻が優雅に持っていたティーカップが勝手に動いて紅茶を体にぶちまける。
 ドアと窓がバタンバタンと威嚇するように開け閉めされ、椅子とテーブルがガタガタと動き出す。それで商人や運び手の男達は蜘蛛の子をちらすように家から逃げていった。

「レ、レイラちゃん、これは一体……」
「見て お姉さん 魔王が見えないの?
 お兄さん お兄さん 聞こえないの?
 魔王が私に優しく約束していることが?」

 レイラを守るようにフォークとナイフが高速で旋回する。

「あ、悪魔憑きだ……い、家に悪魔が憑りついてる……こ、こんな場所にいちゃあいけない……だ、だからレイラちゃんもおかしく……」
「家族の家を……! 侮辱するな……!」

 レイラが腕を伸ばすと、フォークの一群が男に襲い掛かる。突き刺しはしなかったが、肌に掠め威嚇をした。男は怯えて転び、その際にカップを割って手から血をこぼした。

「ぎゃあああああぁっ!?」
「あ、あなた! で、出ましょう、早く! 私たちじゃあどうしようもないわ!」

 夫妻が息も絶え絶えに逃げ去っていくと館は静寂を取り戻した。レイラは再び研究室に籠って三つ目の術の理解を深める。恐らく、これしか手段はない。



 夜、ランプの明かりに照らされた部屋に、サンドイッチのバスケットを抱えたみゆきが現れた。

「レイラ様、お腹、すいているでしょう?」
「うん……ありがと……」
「領事館に伺って来ました」

 みゆきがその後の経過を報告してくれる。
 夫妻は呪いや悪魔として家の出来事を報告した。他にも目撃者はいたが、領事館側はもちろん迷信など信じない。だが、男が怪我をしたことは認識した。夫妻にレイラの保護は難しいと考え、レイラは英国領事館、および大英帝国預かりとなる。もちろん身寄りのない英国人を日本に置いておく理由など無い。英国への強制送還が決定された。保護者はなく、施設で暮らすことになるのだと言う。
 力を盾に立てこもり続けることもできない。朝の騒動で大分魔力を消耗したらしい。体力と同じように、少しずつ力が戻ってきているが、全身が疲れてしようがない。とても毎日は使えそうになかった。

「どうなさいますか……?」
「みゆき、時間を稼いでくれない? 頭を冷やして、感情を落ち着かせたら、自分から領事館に向かうって……」
「そんなには稼げませんが、何とか。しかし……」
「幻想郷に行くわ……」
「で、ですが! お嬢様方と再会する約束は!?」
「約束は再会だけじゃない。家も守らないといけないの。幻想郷へ行く事ができるなら、戻ることもできるはずだよ。大人になったら戻って来るから」
「そ、そんなことができるのでしょうか……」
「分からない。でも家を守るには、それしか道はないの。もう決めたわ」
「……そうですか。どうか覚えておいてください。私も、遠いこの地からレイラ様のご無事と幸福を、お祈りさせて頂きますこと」
「うん、ありがとう、みゆき」

 それから数日後、レイラは英国国籍から姿を消した。行方不明者として。





 その館は数十年。ポルターガイストの起こる幽霊屋敷として地元で恐れられ続けた。館には人が居ないにも関わらず、楽器の演奏が響いていたという。
 だが、寂れることなく綺麗に保たれ続けた。とある日本人メイドが庭も家も綺麗に管理し続けていた。彼女の指示で、庭の剪定や作業をする時は、怪異は一切なかったのだと言う。
 それから、美しい三人の姉妹が度々館に訪れた。その時は、四人の少女たちの賑やかな声が外にまで響いたのだという。
 姉妹の来訪は彼女らが老夫人になっても続いていたが、三姉妹が亡くなった際に、館が街に寄贈される事になった。その頃にはポルターガイストの噂もすっかり忘れられていた。大正時代の生活や文化が色濃く残る館は、大変貴重な文化財として、今でも当時のものを残したまま管理されている。今から百年以上も前の話だ。きっと、家も物も、そろって付喪神になっている事だろう。
 秘封俱楽部 横浜の騒霊屋敷調査メモより。



 時は、事件の数年後に戻る。
 満開の桜が並木道を彩る。少し時代遅れになったT型フォードが、トコトコと丘を登っていく。運転するのは中性的な服装のルナサだ。助手席のみゆきが注意深く周りを観察する。後ろではメルランとリリカが相も変わらず喧嘩をしている。
 丘の上の屋敷は、別れた時と何一つ変わらない。白い壁とガラスが太陽を鮮やかに反射して眩しい。庭には色とりどりのチューリップにネモフィラ、スイートピーとたんぽぽが咲き誇っている。

「やっと帰ってこれたわー!」

 リリカが手を空に掲げ、伸びをしながら叫ぶ。三姉妹が車から降りると、みゆきは深くお辞儀をしてから運転席に移った。

「あれ、みゆきも寄ってけばいいのに」
「いえ、家族水入らずですから……それに、お三方とのドライブデートで満足でございます」
「え~? もっと一緒にいましょうよ~?」
「それはまた後程。横浜の街も案内させて頂きます。それにしてもお嬢様方、お綺麗になられましたね」
「んえ!? そ、そそそ、そんなことないけどなあ?」

 リリカが頬を赤くして顔を逸らすが、その先にはメルランの指がセットされており、ぷにと頬をつつく。そうしていつも通り喧嘩を始めてしまった。
 これは存外変わってないなと、ルナサとみゆきが笑う。時間が止まったようなこの館の前では、姉妹もまた変わらない色が濃くなるのだろう。移り変わるものもあれば、永遠に変わらないものもある。
 みゆきを見送って、三人は館の扉を開けた。それだけで、懐かしい匂いが全身を包む。
 思い出のリビングも何も変わっていない。みゆきが用意してくれたのか、暖炉がパチパチとあたたかい火を灯している。棚にはみんなの楽器が飾られている。ここで何度も演奏会を開いた。みんなの誕生日はここで祝った。母が一度だけ現世に来てくれた時、父がエーデルワイスを披露した。
 思い出が全部残っていた。一つも売られることなく。だが、一番大きなパズルが欠けていた。
 リリカとメルランが悲しそうに顔を見合わせるが、ルナサは表情を変えずに宣言した。

「祈ろう。姉妹仲良く、お互いを思い合う。遠く、離れ離れになってしまったとしても。レイラの無事と幸福を祈ろう」
「う、うん」

 三人は目を閉じ、手を合わせて祈りをささげた。どれだけそうしていただろうか。ルナサが「アーメン」と呟き、ゆっくりと目を開けた。

「まったく、どこにいっちゃったんだか……レイラのバカ……」

 リリカが紅茶の用意をしながらごちる。それにルナサの力強い答えが返った。

「幻想郷だ」
「幻想郷って……」
「よく夢で見るあの~?」
「え!? メルランも見てるの!?」
「もちろん私もね。新世界よ」

 ルナサが答えると、どこからともなく優雅で荘厳なクラシックが流れ始める。
 ターッ ターター タータター ター タータタター
 大いなるアメリカ新大陸を思わせるような。しかし、自由と希望を胸に降り立った新天地は、楽しさや喜びだけでなく、苦労や試練を予感させる様でもある。
『ドヴォルザーク 交響曲第9番 新世界より』だ。

「ん? ルナサ、レコードでもかけた?」
「ん~! テンションあがるわ~!」
「いや私じゃない。それにレコードというか、まるで生演奏みたいじゃないか……?」
「新世界どころか旧世界よ。まさか黙示録を体験するなんてね」

 その声に三人がバッと顔を見合わせる。気がつくとリビングの椅子に、大人になったレイラが座っていた。ゆっくりと香りを楽しんでからそっとカップに口をつけた。

「「レ、レイラ!?」」
「か、帰ってこれたのか!?」
「ううん。幻想郷から帰る方法は見つかってないの。これは、霊の実体化……お母さんの奇跡と同じよ」
「ま、また一日だけの魔法なんて言わないよねぇ……?」

 リリカがおどおどと手を震わせて尋ねる。ルナサもその可能性にびくりと怯える。

「安心して。この家の中なら、いつだって帰ってこれるわ」
「よ、よかったぁ……」

 ルナサが涙ぐんで胸に手を置き息をつく。

「な、なんだかレイラってばたくましくなってない? オーラやカリスマがあるっていうか……」
「リリねえ、たくましくならざるを得なかったの。聞いてよね、あう、幻想郷について、あん……ちょ、ちょっとメルねえ」

 体をつついていたメルランに、レイラが顔を赤くして苦言を呈す。

「え~? 会えて嬉しかったんだもん~」
「も、もう、相変わらずなんだから……」
「え~い!」
「わひゃあっ!?」

 メルランがレイラに抱きついてくすぐり攻撃を開始する。レイラは「アハハハハ! や、やめてメルねえっ!?」と笑いすぎて目に涙を浮かべるが、メルランがぐすりと湿っぽく泣いてしまった。

「ううぅ、レ、レイラが、レイラがやっと笑ってくれた~」

 ぐすぐすと泣くメルランの頭を優しく撫でる。

「メルランばっかりずるいぞ!」
「ってルナサまで!? わ、私もー!」

 ルナサとリリカもレイラに飛びつき、四人でもみくちゃになって笑い合った。
 とある洋館にまつわる怪談はこれにて終幕となるが。

「ねえねえ、誰からお話しする~?」
「そりゃあねえ?」
「聞かせておくれ? 不思議な世界で、大冒険をしたんだろう?」
「ふふふ、もう一つ、ビックリ箱があるのよ」
「なんだかちょっと胡散臭くなったわね~」
「幻想郷少女はそうなるのよ」
「ぷぷ~っ しょ、少女って年じゃないでしょぉ、もう?」
「う、うるさいわねぇ、こっちじゃ百歳だろうと千歳だろうと少女を名乗るもんなのよ……それよりほら」

 レイラがパチンと指を鳴らすと、クラッカーが二つ大きな音を立てた。

「みんな忘れたのか? 今日はレイラの誕生日だろ?」
「張り切って料理の下ごしらえしてあるのよ?」

 父と母の姿に、三姉妹は腰を抜かして驚いた。サプライズだ。何故か主役でなく、ゲストが驚かされているが。
 館に再びハッピーバースデーの歌が響き渡った。





 話は再び、幻想入り当日まで遡る。
 青天の空は旅立ち日和だ。だが、レイラは困ったように家の玄関扉に手をつけた。

「これでいいはずなんだけど……」

 呆然と呟く。家の四隅、地上と屋根の八か所に小さい魔法陣を描いて魔力を込めたのだが何も起こらない。

「ねえお姉ちゃんたち、何か知らない~?」
「え~? 私むずかしいこと良く分かんないわ~」
「ごめんレイラ、あまり力になれそうにない」
「いいの、謝らないで。う~ん、術式も途中までしか書いてないし、何が起こるかも分からないのよねえ」
「ヤ、ヤバいよ! 見て!」

 リリカが大慌てで山を指さすと、巨大な竜巻が木々を巻き上げながらゆっくりと降りてきた。まっすぐと家に向かって。

「レ、レイラ! は、早く家に入って! うひゃあどうしよう!」
「そうか、オズだったのね……」
「オ、オズ!?」
「この魔法は、オズの魔法使いをモチーフにしているの」
「バ、バカ言わないでよ! な、何を証拠にそんな!?」
「証拠はないわ。勘よ。ほらみんな着替えて」
「そ~なのね~」
「あああ終わりだ! メルランだけじゃなくてレイラまでバカになっちゃった!」

 メルランがピンと手を広げ、十字架のポーズで直立する。レイラが指で指揮をするとカカシの姿になった。ルナサはブリキの鎧姿に、リリカはライオンのかぶり物姿だ。臆病そうな表情が良く似合う。だが、リリカは物干し竿を槍に見立てると家を守るように立ちはだかった。

「くそ~! こうなったらやけだ! かかってこ~い!」
「それじゃドン・キホーテじゃないか。ほら、家に入れ」

 ルナサがリリカの首根っこを掴んで家に押し込む。メルランが十字架のポーズのままぴょんぴょんと移動をする。

「ひいいいいいい!?」

 竜巻が直撃する。家は二、三度ぐるぐる回るとゆっくりと空に昇っていった。窓の外から見える景色はめちゃくちゃに移り変わり、暴風と土埃からわずかに横浜の街と海が見えたがすぐにそれも見えなくなる。

「あわわわわ、目が回る~」
「逆回転すれば問題ないわ~」

 メルランがカカシのポーズのまま、バレエのようにくるくる逆方向に回転する。

「レイラ、見ろ誰かいるぞ」

 ルナサが窓を指さす。そこにはどこかから吹き飛ばされたのか、ニワトリがコケコッコーと叫び、農家が牛に必死にしがみ付いている。烏天狗がものともせずに風を裂いて飛び、背中に不思議な羽を生やした小さな子どもがわーきゃーはしゃぎ回っている。
 悲愴な思いで幻想入りを決意したと言うのに、とたんにワクワクしてきた。『不思議の国のアリス』のようなおとぎ話の世界へ本当に来てしまったのだ。
 メルランが三回転半トリプルアクセルを決めると共に、家がふわりとどこかに着陸した。

「み、みんな! 外に出よう!」

 レイラが子どものようにはしゃいで声をかける。ふわりと自然に宙を舞うことが出来た。ずいぶんと魔力を扱うのが楽だ。
 だが、外に出て呆然とする。横浜と同じく辺りを一望できる丘の上に着地したのは良い。海の代わりに穏やかな湖も眼下に広がる。だが、何もないのだ。見えるのは雄大な山々ばかり。人工物らしきものは見当たらない。
 メルランがどこからか電波を受信し、バラエティ感あふれる愉快で軽妙なメロディを吹く。人里離れた山奥にポツンと建つ一軒家。

「ど、どこよここおおおっ!?」

 レイラの叫びが山にこだまして反響した。森の中から鳥の声だけが返事をする。

 ルナサが気を取り直して美しいヴァイオリンの音を奏でると、景色を楽しむ余裕ができた。
 切り立った岩肌の峻厳な山々、穏やかな湖面に鏡のようにそれらが逆さに写る。森からは鳥や虫の声、風や木々の調べが聞こえくる。四人は一緒になって歌い出した。

「自然は生きている 音にあふれて
 昔からの変わらぬ 歌にあふれて
 自然は満たす 音楽の調べで

 心は歌う 自然に合わせて
 心は羽ばたく 空飛ぶ鳥の翼のように」

 四人で腕をパタパタとさせながらくるくると回る。

「心は震える 風に乗る教会の鐘のように
 心は弾む 小石に踊る水面のように」

 レイラが鐘に見立ててブリキのルナサを叩くと、おどけて震えて見せてくれる。
 リリカが水面に石を投げる仕草をすると、メルランが水きりのようにぴょんぴょんと跳ね回る。

「いつでもそこにある 懐かしい調べ
 心を慰める その音楽の調べ
 私はまた 歌をうたう」

 そうして着地したにも関わらず、もう一度四人でくるくると丘の上を駆けまわった。





 幻想郷への移住から数日。レイラは鍬を肩に乗せ、キャノチエという浅い麦わら帽子をかぶっていた。花をかたどった白いリボンが可愛らしい。
 幸い、飛んで一時間の場所に人里を見つけた。だが、家の物は全て思い出の品なので売れない。それにそうして身銭を切っていっても、結局行き倒れてしまう。
 移住する前、食糧庫に小麦粉やお米、日持ちする野菜や干し肉などを買いだめしておいたがいつまでも持ちはしない。意気揚々と宣言する。

「畑を作るわよお!」
「「「えいえいおー!」」」



 道具や種も事前に買ってあった。しかし、作業は難航していた。畑仕事など一度もしたことがないお嬢様なのだ。二畳にも満たない小さな畑を耕すこともできなかった。
 一件、平らで何もないように思えた草原も、草が生い茂り、根を張って簡単に掘ることは出来ない。何とか草を抜いて鍬を振るっても、土の中の石にはじき返されてしまう事もあった。その度に腕がジーンとしびれて使い物にならなくなる。
 家中の物をポルターガイストとして操る能力を手にしたが、買ったばかりの農具は思い入れがないせいか、スンとも動かなかった。
 レイラは炎天下の草原に大の字になって寝転がる。風が心地よいのが唯一の救いだ。

「レイラ、交代しよう」
「うう……ありがとうルナねえ……」

 ルナサがすっとレイラの鍬を取り上げて、作業を続けてくれる。

「リリねえ、そっちの調子はどう?」
「全然使い方分かんないよこれー。重すぎて持ち上がんないし」
「ええ? てこの原理とかで動かせるんじゃないの? 金具のところで」
「ううん、角度調整できるだけで全然」
「騙された! 畑を耕すならこれって言われたのに!」

 レイラが膝をついて崩れ落ちる。ドンッと地面を叩くが草の絨毯は寝る分には最高の柔らかさだった。

「それで、メルねえはどこ?」
「ただのカカシだよ」

 リリカが地面を指さす。メルランはカカシのポーズが気に入ったのか、手を広げ、足をぴちりと閉じて十字になってお昼寝していた。スピースピーと幸せそうに寝息を上げている。鳥を追い払うどころか、小鳥がお腹で休憩している。カカシ以下だ。

「もう、しょうがないなぁ、ルナねえ~! 畑はこれくらいにして、森を見に行こう!」



 レイラは三人を引き連れて森を散策していた。木陰に入り、風を受けるとずいぶんと涼しい。木の実や果物、山菜やキノコがたくさんあれば、畑を作る作業も減らせる。ただ、草花の知識はあまりないのだが……。こんな何もないド辺境に移住するとは予想していなかったのだ。
 傍らには父のギターが飛んでいる。人里の外には妖怪がうようよしていると聞いていたのだ。万が一には父の威厳にかけて戦ってもらうつもりだ。それに、遠い未来ではギターは鈍器になっているかもしれない。

「ね~? キノコを見つけたわよ~?」
「すごいよメルねえ! でも、食べれるのかな? 何だか色も……」
「食べてみればわかるわよ、あ~ん」
「わああっまだダメェ!」

 三人で必死になってメルランを止める。そもそも、レイラの思念の具現化である三姉妹は食事をせずともお腹がすくことはなかった。食を味わうこともできるが、生きるためではなく娯楽としてになる。

「ぎやぴいいいい!? だ、だれかおたすけえええっ! たすけてけろおおおっ!」

 突如として悲鳴が上がった。レイラ達は顔を見合わせ、声の元へ全速力で飛んでいく。

「ひ、ひえええぇ……お、オラ、おいしくねえでやんす……見逃してけろ……」
「確かにあんま美味くなさそうだけど……ってなんだぁお前ら?」

 木々が開けた森の空き地に、麦わら帽子にもんぺ姿の男と、可愛らしい女の子がいた。だが、鋭い爪と、サメのようにギザギザの歯を見て、妖怪なのだと警戒する。ルナサがさっと正面に周り、左右をメルランとリリカが守る。

「なんだ? めちゃくちゃ旨そうなガキが四人も……ありえねえほど幸運じゃねえか!」
「お、おめら……ぐっ……」

 男が苦悶の表情を浮かべて迷う。頭に自分が助かる方法が浮かんだのだ。少女たちを囮に、犠牲にすればと。そんな自分の顔を拳で殴りつけた。

「お、おめら逃げえ! こ、こいつはオラが引き受けるだぁ!」

 男が女妖怪に飛びかかるがひらりと躱され背中を蹴り飛ばされる。「ひでぶっ!?」と悲鳴を上げて木に激突した。
 レイラがさらりと髪をかき上げる。能力は得たものの、自分の実力のほどは分からない。戦うにしろ、逃げるにしろハッタリはかまさねばいけない。

「なまりがキツくて、なに言ってるか分からないわ。お嬢さんもね」
「んだと? お嬢さんはてめえじゃねえか。世間知らずな顔してやがる」
「物を知らないのはどっち? 東洋のド辺境だから、一つ目の巨人、サイクロプスの棍棒もわからないかしら」

 レイラはギターを持ち上げて見せた。それを見て妖怪の顔に警戒が浮かぶ。

「な、なんだお前、その珍妙で巨大な鎚(つち)は!?」

 鎚? ハンマーのことだっけと納得する。ギターをぶうんと軽々振り回すと妖怪は大袈裟に驚いた。中は空洞だが、それを知らなければ巨大な鈍器にしか見えないだろう。

「ただの鎚じゃないわよ。こいつは妖怪、人喰いギター。もちろん、人だけじゃなくて妖怪だって食べちゃうのよ。この真っ暗な口でね」
「ひ、ひえ……そ、それは目じゃなくて口だったのか!?」
「そうよ。お腹が空いたか、この子の声を聞いてみる?」

 レイラがギイイイイと不協和音を奏でると、それを声だと思った妖怪は転びながら逃げていった。

「やい! 今日からこの森はプリズムリバー一家の縄張りだ! 覚えとけ!」

 意気揚々と啖呵を切るリリカの頭にルナサのチョップが入る。さっきの人間は、と当たりを探ると。
 茂みにブルブルと震える尻が生えていた。それが恩人に見せる姿かと、レイラはえいやと軽く蹴り飛ばす。

「ひ、ひええええええっ!? お、オラはおいしくねえでやんす〜! お、お願いだぁ、見逃してけろ!」

 メルランがギターをひったくってわざと不協和音を鳴らすと、男はすくみ上って地面に膝をつかせた。ぶるぶると震えて立てそうにない。可愛らしい少女が四人、それを見下ろす。

「ふふふ、妖怪ギターは味より量が好きなのよ。おじさん、少し太ってるわねえ?」
「もうやめまじょうよ! 命がも゙ったいだいっ」なんだか麦わら帽子が少し鼻につく。
「もうメルねえはイタズラ好きなんだから」
「生ぎたいっ!」

 レイラがギターを取り戻し、ポロロンと綺麗な和音を響かせると男の震えが収まった。

「私は人間。あなたを食べたりしないわ。この子の本当の声を聞かせてあげる。とんでもないド田舎だけど、知ってるかしら?」

 レイラが「ワン、ツー」とギターを叩いてからコードを弾くと、姉たち三人が合唱を始める。

「かえるのうたが きこえてくるよ
 にんげんなのに かえるみたい
 クワ クワ クワ クワ
 ケロケロケロケロ クワックワックワッ」



 プリズムリバー邸のオシャレなリビングに紅茶の香りが漂う。そこに似つかわしくないモンペ姿の男が頭を床にこすりつけていた。名を良(よし)育三(いくぞう)と言う。

「みんなさんは命の恩人でずぅ!」

 人差し指を構えて育三の頭をつつこうとするメルランをルナサが制止する。

「いいのよ、それよりお紅茶の味はどうかしら?」
「うんめえでずぅ、お茶とはまた違っだ渋さでずなあ」

 意外と紅茶の味が分かる男であった。さて、どうしたものか。里まで送っていった方が良いかと悩んでいると。

「とごろで、お強いからこんな遠ぐに住んでるでしょが、外のあれはなんだっぺ?」
「外のあれ?」
「土いじぐったあれでやんす」

 四姉妹で顔を見合わせる。

「畑よ~見てわからないの~」
「は だ げ~? あ、あれが~でやんすかぁ?」

 育三が心底驚いたと口をあんぐりと開け、目を点にする。なんだか無性にむかっ腹の立つ顔であった。メルランが笑顔のまま額に血管を浮かばせる。育三が様子を見ると言うので、そろって畑に向かった。

「こぉんなちっこいはだげ、見たことなか! おめら、な~にを育てるつもりでやんすか?」
「まだ決まってない。それに、畑は広げるつもりよ。あれでね」

 ルナサが立てかけてあった鍬を指すと、これまた育三は諸手をひっくり返して驚いた。

「おめら女子供で畑作ろどしてるだかっ!? 牛に引かせねぇどダメらぁ!」
「ええ? 牛ぃ?」
「動物園でしか見たことないよ、そんなの」
「こうしちゃおれねえ! オラの牛ぃ貸してやるだ! 命の恩人さまだ、それぐらいさせてけろ!」
「え、ええ……それじゃあ、お願いしようかしら……」



 また襲われてはいけないと、メルランにトランペットとギターを持たせて送り迎えをさせることになった。出かけてから二時間以上が経過している。
 レイラ達は畑作りを諦め、大きな樫の木にテーブルや椅子を運んでテラスを作り、紅茶を楽しんでいた。
 ちなみに麦わら帽子は外してある。育三が得意げに「これは麦わら帽子いって、ハイカラな一品なんだべ? お揃いだべな?」とヨレヨレの麦わら帽子を指して「人呼んで麦わらの育三、よろしくなあ?」とドヤ顔をさらしたからである。

「それにしても、横浜と比べるとトンデモナイど田舎だよね」
「スクールを出たら、東京に行ってみようと思ってたのに、まさかこんな所に来るなんて……」
「家を守るためだ、立派だよレイラ」

 ルナサがレイラの頭を撫でて笑いかけた。遠くからトランペットとギターの軽妙な音が聞こえる。
 皆で遠くを見やると育三が綱を持ち、牛が簡素な木の車を引いている。その上でメルランが陽気に踊っていた。どこからか電波を受信しヘンテコな音を奏でた。
 テ~ンテレ テ~ンテレ テンテンテレレレ~ テ~ンテ テンテンテレレレ~
 ピロリロリ~ ピロリ~ ピロリ~ ピロリロ ピロリロ ピロリロ ピロリロリ~
 メルランがやけくそで歌い始める。

「はぁ! カフェもねえ! ホテルもねえ! 車は全く走ってねえ!
 劇もねえ! バーもねえ! お巡り毎日ぐーるぐる!」

 その勢いに、テラスの三人も腕をぐ~るぐるとかきまぜた。

「テニスもねえ! プールもねえ! あるのは狸と猫に小判!
 朝起きて! 牛連れて! 二時間ちょっとの散歩道!
 電話もねえ! ガスもねえ! 汽車は一日一度来ない!
 おらこんな村いやだ~ おらこんな村いやだ~
 東京へ出る~だ~ 東京へ出だ~なら~ 銭こあ貯めで~
 東京で牛(べこ)~飼う~だ~ が~っ!」

 陽気、というかやけくそなラッパの音が響く。クマよけの鈴ならぬ、妖怪よけのラッパだ。
 畑の前に到着し、育三がにっと笑った。歯がきらりと光る。

「車なら、あるど?」
「牛車じゃない!?」メルランが穏やかさを捨ててつっこんだ。

 三人も合流し、リリカが使い方に悩んでいた巨大な鍬を牛に引かせると、みるみる土地が耕されていく。
 おお~とレイラはお淑やかに拍手をし、メルランとリリカは目をキラキラさせて牛の後を追いかける。ルナサは畑の管理について、あれこれ質問していた。育三が思い出したように手を打ち付けた。

「そだ、とうきょぅおってなんだべ?」

 メルランが呆れたように肩をすくませて戻って来る。

「東京よ~ いくら田舎でも知ってるでしょ~? 私たちは横浜から来たの~」
「よごはま? どこだぁ、そこ?」
「もう~東京は知ってるわよね? 日本の首都よ~ 首都じゃわかんない? みやこよ?」
「みやこ? みやこは京だべ」
「確かにそうなんだけど~ 幻想郷っていつからあるのかしら? 皇居が遷都したのはずいぶん昔よね~?」

 それを聞いて育三が手で口を抑え、ぷくくと笑いをこらえた。メルランの額に血管が浮かぶ。

「さ〜てはオメら、娘っ子だから、物を知らねんだべなあ」育三が両手の人差し指でこめかみをツンツンとつつき。
「そこはとうきょぅおじゃなぐで」その指をクルクルと回し。
「江・戸 言うんだど?」パァと開いて見せた。満面のドヤ顔で。メルランが代表して顔にグーパンをめり込ませた。前が見えねえほどに。





 八年後。
 丘の畑は春の野菜を実らせている。
 育三は姉妹が独り立ちできるまで、何度か畑の手伝いに来てくれた。森で採れる野草やキノコ、木の実や果物も食べられるものを教えてくれた。それから薬草の類も。
 育三が危険を冒して森に来たのは貴重な薬草を、妻の為に採取するためだったと聞いて、四姉妹は腰を抜かして驚いた。もちろん、育三に妻がいることにだ。それからたまに、人里へ薬草や森の幸を届けてちょっとした贅沢をしたり甘味を味わうことも増えた。
 自分達の力がとても高いことにも気がついた。野良妖怪では相手にならなず、一人で戦っても圧勝しかしない。ただ、極力敵を作ることもせず、穏やかに丘の上で暮らしていた。

 だが、この一年、レイラは研究室にこもり気味である。英国法では二十一歳から成人として親の保護から外れる。もうすぐ二十歳になる。
 きっと姉たちは、レイラの成人を待って横浜の家に集まるはずである。それまでに、外の世界へ戻る方法を見つけたかった。それから、霊の完全な実体化についても。母の時の不完全な形を克服して。
 だが、そのどちらも全く手がかりはなかった。人里は基本的な魔術書すら珍しく、特殊な本は全く見つからなかった。魔法に長けた知人も居ない。
 残された時間は少ない。二十一歳までに帰らねば、姉たちを悲しませる。レイラはゴホゴホと咳をこぼした。

「レイラ、根を詰め過ぎないでね?」

 ルナサがハーブティを入れ、背中を優しく撫でる。レイラは爽やかな香りと味を楽しみ、ホッと一息ついた。

「ありがとう。でも、頑張らなくちゃ。お姉ちゃんたちの為にも、ルナサたちの為にも」

 レイラがにこりと笑う。ルナねえ、メルねえ、リリねえと言う呼び名は変わっていた。
 見た目の変化がない三姉妹に対し、レイラだけは大人の淑女として成長していた。背も伸び、手足も細長い。顔立ちも可愛さは残っているものの、美しく綺麗になっている。
 その笑顔にルナサはどきりとした。長女として頼られる存在であらねばとブンブン顔を振る。レイラが母に似てきたのだ。

 ルナサがティーセットを手に階下に降りる。メルランとリリカがボードゲームで遊んでいた。

「ルナサどうだった? かあ……レイラの様子は?」
「や~い、ま~た母さんって言った~」
「い、いいい言ってない!」

 耳まで真っ赤に染め上げたリリカが、指を指してぷくくと笑うメルランを突き飛ばした。

「しょうがないさ。最近ますます母さんに似てきてる。そっくりだ」
「ふふ~ん ルナサもいつ言い間違えるかしら~?」
「わ、私はそんな間違いはしない! ちょ、長女だぞ!」

 ルナサがムキになって否定する。もしそんな事になったら姉の威厳がなくなってしまう。
 ふと外を見ると、湖を囲む山にぽつぽつと桜が咲いていた。山桜はソメイヨシノと違ってまばらに咲く。この地で桜を見るのもこれで八度目になる。

「レイラは今日も研究~?」
「ああ。中々難しいみたいだが」
「身近に魔法使いがいればいいんだけどね」
「おっきな大図書館の主とか~ 人形に命を宿す研究をする魔女とか~ 同じ人間の魔法使いとか~」

 大図書館があれば研究も進むだろう。物に命を宿す研究は、霊の実体化と似通う所があるかもしれない。人間の少女の魔法使いが居たらきっとお互いにインスピレーションが湧くはずだ。

「湖のほとりに大きな洋館が建ってたら様になるよねえ」
「霧が濃い湖だから~ おどろおどろしい吸血鬼の館とか~」

 妹達の雑談にルナサは笑った。そんな世界があればと。



 翌日。リリカが手でレイラの目を隠してリビングに誘導する。

「わあ~いい匂い……一体なにかしら?」

 レイラがわざととぼけて尋ねるがリリカは「なんだろね~」とはぐらかす。ドアを開けて手を外すと、ルナサとメルランがクラッカーを鳴らした。パンと景気の良い音がなり、カラフルなヒモが飛び出る。
 レイラがはしゃいで手を叩きながらテーブルに近づくとルナサがすっと椅子を引いてくれた。そらから三人も着席する。

「二十歳の誕生日おめでとうレイラ、今日はコース料理を用意したよ」
「まあ! ルナサはどんどん料理が上手になるわねえ?」
「今日はメルランとリリカも手伝ってくれたんだ。な?」

 二人が満足げなドヤ顔を披露する。ルナサが人差し指をくるりと回すと、キッチンからお皿やビンが浮いて飛んできた。
 まずは自家製ワインを注いで皆で乾杯をする。それから湯気を立てた季節野菜のクリームスープがサーブされ、白身魚のムニエル、ローストビーフ、付け合わせのポテトと続く。
 楽しくおしゃべりをしながら味わい、お腹も膨れてきた頃、メルランとリリカがキッチンへと消えた。それから二人仲良くイチゴのケーキを持ってきてくれた。レイラがはち切れんばかりに手を打ち鳴らす。ルナサがすかさず切り分けてくれた。
 ふわふわの食感で、クリームの甘さにイチゴの爽やかさが引き立つ。

「ん~おいしい! これも三人で作ってくれたの?」
「そうだとも。三人で仲良く、な?」
「へへへ~ でもメルランは味見役だったよ?」
「なによ~買い出しは私がしたでしょ~」

 メルランが不服そうに呟き「えいっ」とクリームの乗ったフォークをリリカの頬に押し付けた。

「わっ なにすんのよ!」
「全く二人とも……リリカもメルランを責めるからだ」

 ルナサがハンカチを取り出しリリカの口を拭う。リリカは「ん」とされるがままだ。だが。

「えいっ」
「わっ なんで私まで!」

 メルランがルナサの口も汚してしまった。ハンカチはもう汚れていて使えそうにない。ルナサはどうしようかとアタフタしてしまう。レイラがハンカチを取り出して口を拭いてあげようとそっと手を伸ばした。

「あ、いいよ母さん、ハンカチだけもらえれば」
「そう? ルナサはしっかりしてるものね?」

 だが、メルランとリリカが嬉しそうに人差し指をルナサに向けて大騒ぎした。

「あーっ! ついにルナサが!」
「母さんって、言ったわね~ ぷぷ~」

 ルナサはそれに気がつくと、目を丸くして顔を真っ赤に染め上げる。レイラからハンカチをひったくると、ごまかすように汚れを拭きとった。だが、動揺していて拭き残しがある。

「ほら、ルナサ?」
「あ……あう……」

 レイラが人差し指でクリームをぬぐいとると耳まで真っ赤になってしまう。それから周りをあわただしく見回し、しどろもどろに言葉を発することもできなくなって、逃げ出してしまった。

「もう~二人がからかうから~」
「は~い」

 レイラが二人を叱る。それからルナサを追いかけることにした。
 コンコンと部屋のドアをノックする。「入るわよ~」と声をかけてゆっくりと扉を開けた。ベッドの布団をかぶって隠れたルナサがびくりと震えた。

「だっ……だめ……!」

 その声を聞いて驚いた。ルナサは涙ぐんでいたのだ。心配してベッドに駆け寄り手を添えるが、ルナサは顔をプイッと逸らして窓の外を見つめた。レイラは理由を問いただすことなく、穏やかに背中を撫で続けた。ルナサが一度だけ目元をぬぐってゆっくりと話し始める。

「わ、私はお姉ちゃんなのに……本当は、レイラを守らないといけないのに……か、母さんだなんて……」

 レイラはそれで思いを察した。ルナサは四人の長女でいようとし続けてくれているのだ。ただ、見た目の変化がない三人は、レイラにとっていつしか姉と呼ぶには微妙な関係になっていた。精神的な変化も体に合わせてゆっくりだった。むしろ……そう、むしろ娘のような存在だ。レイラは大人のレディとなり、三人は少女のままだ。メルランとリリカのじゃれ合いも変わらない。何より三人を生み出したのはレイラだった。

「大丈夫。一番頼りにしてるよ。ルナサのこと」

 レイラが抱き締めると、ルナサの体の震えが収まった。

「いつも頑張ってくれてるもんね? 料理だけじゃない。家事も率先してやってくれるし、メルランとリリカの喧嘩も止めてくれるし……お姉ちゃんだ」

 ルナサはあたたかく柔らかい体に抱きしめられて、落ち着きを取り戻しながら、残った理性で考えた。やはり少し変だ。姉と言っても三姉妹の長女で、レイラは妹ではないみたいだ。そして悟った。レイラは妹のようで、それは最初だけだった。成長して姉のようでもあり、創造主で母のような存在でもあるのだと。

「レイラ、リビングに戻ろう」
「うん、もう大丈夫?」
「ああ、それより最後のイベントが残ってる」

 ルナサはレイラをリビングに連れて行くと、妹二人と一緒にハッピーバースデー・トゥ・ユーを歌った。





 プリズムリバー邸の庭に立派な桜の木が一本あるが、今は小さな新緑の芽を出して、最後の花びらを風に散らした。

「こほこほ」

 楽しい朝食の場にレイラの咳が響いて一瞬沈黙が広がる。リリカは嫌な記憶を思い出して泣きそうな顔をした。

「レ、レイラ? 体が弱いのまで母さんに似たりなんてしないよね?」
「大丈夫、ただの風邪よ。熱もほとんどないし、咳だけ続いてるのよね」
「そ、それにしたって長すぎじゃない? だいぶ前からごほごほしてるよ?」
「うーん、一応里のお医者さんに診てもらおっか」
「ああ、その方がいい。それに最近は研究室にこもり過ぎだ。たまにはメルランでも見習ったらい」
「もっとお散歩とひなたぼっこをしないとダメよ~?」
「はあい」

 久方ぶりにレイラが妹らしく返事をした。



 薬草や漢方が並ぶ和室に正座をしながら、レイラが真剣な面持ちをしている。

「原因が分からない、ですか……?」
「風邪ではないと思います。ですが、長い間続いているとなると、あまり軽視もできません」
「どうしたら良いのでしょうか?」
「病と言うよりは免疫の乱れや体力の低下にも思えます。精神的・肉体的に疲れがたまったり、心を病んだりと言ったような」
「う~ん、魔法の研究に集中してはいますけど、娘……じゃない家族もいて、体も無茶はさせてないはずですけど……」
「であればやはり不明です。咳に効く薬と体を温める漢方を出しておきますね。それで良くなるといいのですが」

 お礼をして薬を受け取り空に飛び立つレイラだったが漠然とした不安がよぎる。最初は本当に何でもない、風邪がちょっと長引いているだけだと思っていた。だが、いつまで経っても治らず、体力も少しずつ無くなって来ていた。おまけに原因不明ときたら、まるで父と同じではないか。その考えに至った時、春の陽気にも関わらずぶるりと体が震えた。
 ふと虹色の光がこぼれた。懐から七色の雫がひとりでに宙を舞い、飛び立ってしまった。それからいつもお供にしているギターもそれに付いて行く。

「ちょ、ちょっとどこ行くの?」

 慌ててそれを追いかける。七色の雫はタンポポに囲まれた黄色い丘を見つけると、そこで踊って見せた。ギターと一緒にクルクルと仲睦まじそうだ。

「そう言えばメルランがひなたぼっこって言ってたっけ」

 タンポポを潰さないように腰かけて大きく伸びをすると、日差しを受けて体がポカポカとあたたかくなった。そのままフカフカの芝生を背に寝転がる。

「ふわあ……」

 すると眠気がやってきて、いけないと思いつつ抗うことが出来なかった。



 気がつくと、季節外れの赤い彼岸花に囲まれていた。
 眼前には巨大な川が横たわっているが、本当に川なのかは疑わしい。何しろ対岸が見えず、広がる水平線はまるで海の様だ。しかし、寄せては返す波は無く、水面は静かに川下へと流れていく。

「どこに来ちゃったのかしら?」

 仕方がなしに辺りを探ると一人の女性がいた。緑の髪に冠をかぶり、手には『罪』とかかれた棒を握っている。

「こんにちは、あの~」
「こんにちは。おや、ここは生者が来るところではありませんよ? ふむ……部下がサボっていないか見に来たのですが……」

 女性がじっとレイラを見つめる。何だか色々と見透かしそうな澄んだ目で、レイラは居住まいを正した。

「初めまして、私は四季映姫。幻想郷の閻魔をやっています」
「え!? 閻魔様ですか!?」
「ええ。それよりあなた……魂が大分疲れていますよ」

 レイラの体がぎくりと固まる。しかしそれは無意識の物で、レイラ自身は疲れていると自覚などしていなかった。

「ずいぶんと魔力を垂れ流している。あなた自身の魔力が大きいから気づかなかったのでしょう」

 その指摘で、ようやく不調の原因を悟った。幻想入りの魔法にも大分力を使った。だが、ずっと魔力は回復しきっていなかった。今まで若さでごまかせていたが、ついにガタが来たのだろう。
 原因は一つしかない。片時も休めず、常に実体化させ続けている愛しい三人の姉妹だ。動揺が全身に広がる。

「体を愛し、休ませなさい。それがあなたが積める善行よ、と言いたい所だけれど……」
「お、教えてください四季様っ! も、もしあの子たちを一度でも消してしまったら……! あ、あの子たちは大丈夫なのですか!? また、元通りに戻れるのですか!?」

 必死の形相で映姫の肩を掴むレイラを、まずはなだめなければいけなかった。それから映姫はレイラの生い立ち、家族との別れ、そして三姉妹の実体化を少しずつ聞き出していった。

「あ、あの……そもそも今の三人は、本当のお姉ちゃんたちとは違う存在なのですよね?」
「少し見てみましょうか」

 映姫が懐から浄玻璃の鏡を取り出す。それを見れば全てを知ることもできたが、話すことで落ち着くこともあると、これまでゆっくりとレイラの吐露を聞いてくれていた。

「そうですね……あなたのお姉さんたちとは、全く違う魂です。お姉さん方の記憶を共有していて、少し大人びていますが生まれて八年目の幼子です。最初に成熟してしまったせいか、精神的な成長がずいぶんゆっくりとしています」
「た、魂が、あるのですか、やっぱり!?」
「あります」

 姉たちとは違う存在であるとは分かっていた。だが、魂があると断言されてホッと安心する。もちろん、育三や幻想郷の住人と交流ができている時点で、間違いなく何らかの形で存在していたとは思っていたが。
 そして同時に恐怖が押し寄せる。

「それで……その、私が魔力を途切れさせると、あの子たちはどうなってしまうのですか……」

 映姫は静かに黙し、ただただレイラを見つめていた。その沈黙が恐ろしい。無表情だが、なぜか少し優しい顔に見えた。

「数奇な運命を背負っているようですね…… あなたが魔力を途切れさせれば、彼女たちは死ぬことになる。そして、冥界で次の輪廻を待つことになります。もう一度、あなたの元に呼び寄せることはできない。しかし、あなたが魔力を注ぎ続ければ、あなたが死ぬ。そうすれば、彼女たちも魔力が断たれ死ぬことになる」
「そ、そんな……なんでそんな……す、救いは、救いはないのですか……」
「決断を迫られるでしょう。望まないとしても。必死に生きなさい。死があなたたちを別つときまで。あなたはただ在るだけで善となるでしょう。どんな選択をしたとしても。仏の御心だけでなく、主の導きと加護があなたにありますように」

 そうして視界が虹色に染まって、あたたかな心地が恐怖を少しだけ癒すように、再び眠りに落ちるように気を失った。



 気がつくと、タンポポの丘にいた。不思議と寝覚めは悪くない。虹の光のお陰だろうか。だが、夢の内容を思い出すと、とたんに全身を恐怖が支配した。七色の雫がレイラを慰めるように寄り添い、ギターが落ちつくような穏やかな曲を奏でた。

「ふふ、励ましてくれるの?」

 レイラが七色の雫とギターをそっと撫でる。

「ふむ、いい曲であるな」

 びっくりして全身が跳ねる。振り返ると、木に背中を預け、腕を組む老人がいた。白髪と白い髭を結わえている。腰には二振りの刀、そして幽霊のような白い靄がふわふわと浮いていた。

「あ、あの……あなたは?」
「む、申し遅れた。己は魂魄妖忌と言う者。なに、魍魎跋扈する地で、のんきに昼寝をする少女がいたものだから、少し気になってしまってのう」

 どうやら無防備に眠る自分を守っていてくれたらしい。ひげに手をやり、風にたなびき、自然に溶け込むように佇んでいた。

「いい曲だ。悲しみにそっと寄り添うような……春の陽気にはちと似合わぬが」
「はあ……」
「そなたを思ってのことであろう。何やら大きな悩みを抱えておるようだからの」

 心の内を当てられレイラが再び驚く。

「すまぬ、老婆心と言うやつだ。出過ぎたことを言った」

 妖忌がすっと身を引く。レイラはこれも何かの縁と思い「いえ……」と先程の事情を話し始めた。妖忌は静かに、だが親身にその悩みを聞いてくれた。寺院の静寂のように、不思議とそれだけで落ち着いてくる。それに話をするだけで、聞いてもらえるだけで心が少し楽になった。

「そうであったか。ふむ、己から言える事があるとすればただ一つ。視野を広くもたれよ、だ。長く生きている割にそれだけで申し訳ないが……」
「いえそんな。視野、ですか」
「うむ。そなた、選択が二つしかないと思い込んではおらぬか」
「いえ……いや、確かに考えてみれば……」
「第三の道は、見えぬ所にあるものだ。それは往々にして、踏み固められておらぬ、道とは呼べぬような道だが。いや、一見選択は限られているようで、道は無限にあるとも言える」
「しかし四季様は」
「四季様は何もせずにいれば訪れるであろう道を示したに過ぎん。その二つしかないとはおっしゃらなかったのでは?」

 確かにそうだったかもしれないとレイラは納得して押し黙り、無限の道かと考え込む。パッと思いつきはしないが、諦めてはいけないと思った。
 それを見て妖忌は安心し、悲しそうに遠く空を見つめた。

「己はかつて無力でな……」
「……二択を選んでしまったのですか?」
「いや、選ぶことすら出来なんだ。そもそも己はそれを選べる立場になかった。我が主は思いも寄らぬ所から第三の道を選ばれた。自死と言う形で」

 自死と聞いて、レイラの身がすくみあがる。自ら死のうなどと本気で考えた事は無かった。横浜で姉たちと別れた時でさえも。

「お優しい方だったのだ。人を死に誘う自らの力を嫌い、自刃なされた。それも妖怪桜を封印すると言う大業を成して。四季様も、そんな主を思って、新たな道を用意して下さった。慈悲深いお方なのだ」
「四季様が…… しかし自死は大罪では?」
「西洋でも神道でも、自死は罪や穢れとされる。しかし仏門では、必ずしも罪とは見なされないのだ。そなたらの言葉で、ケーキ・バイ・ケーキだ」
「ふふ、ケース・バイ・ケースですね。ケーキはあま〜い乙女のスイーツですよ」

 クスクスと笑うと、妖忌はポリポリと頬を掻き「しまらんのう」と独り言ちた。

「おかげで希望がもてました。一曲聞いて下さい」

 レイラはギターをポロンと奏で高らかに歌った。

「すべての山に登りなさい
 山も谷も探して
 すべての横道を追いかけ
 すべての道を行ってごらんなさい

 すべての山に登りなさい
 すべての浅瀬を渡り
 すべての虹を追いかけて
 あなたの夢を見つけるまで

 あなたが与えうる
 すべての愛をふり注ぐ夢
 生きている限りの
 すべての日々を捧げられる夢を」

 スカートをちょこんとつまんでお辞儀をすると、穏やかな拍手が広がる。

「これは良い歌を披露してもらった。我が主は歌を愛する雅なお方。きっと気が合うことであろう」
「はい、お会いできれば、きっと」

 レイラは深くお礼をすると、山を背にして明るい気持ちで飛び立った。きっと、納得できる道があるのだと希望を抱いて。





 夏の日差しが寝室の窓からも眩しい。入道雲がゆっくりと姿を変え、一面から蝉の声が響く。
 うだるような暑さだが、レイラはぶるりと身震いをした。夏だと言うのに寒気がする。しかし熱を帯びた体と寝汗は不快だった。
 妖忌と出会った後、決意を新たにしたレイラだったが体はついて来てくれなかった。これでは第三の道を探すこともできない。
 二十一の成人までに、横浜に帰ることをずっと願い、追い求めて来た。だが、それまで生きながらえることも叶うまいと最近では思う。

「レイラ、おかゆを作ったよ。食べられる?」
「うん、ありがとう」

 ルナサが湯気の立つおかゆを持ってきてくれる。口にすると程良い塩見が心地よい。ゆずやショウガを薬味に食べきった。
 三姉妹はかいがいしく看病をしてくれているが、日に日に体力が落ちていて、今では出かけることもできない。
 重い病であること、もしかしたら死んでしまうことも、あれから程なくして話した。体調が悪く、ごまかせることでもない。その理由はもちろん話していないが。
 ルナサはレイラの額に置かれていたタオルを冷たい水に浸してしぼり直し、再び額に乗せた。それからしばらく話をする。ルナサは三姉妹の日常や外での出来事をレイラに聞いてもらった。

「それじゃあお大事に 何かあったらベルで呼んでね?」
「うん、ごめんね、世話ばっかりかけて……」
「なに言ってるの、家族じゃない?」

 ルナサはレイラの頭を撫で、そっと立ち上がると静かに去っていった。



 トントントンと階段を歩く音が響く。そんな音が響くくらい、館は静かになってしまった。リビングには顔を隠すように体育座りをするリリカと、微笑みながらもどこか困り顔のメルランがいた。最近はずっとこんな調子だ。特にここ数日、レイラが寝込んで起き上がれなくなってからは。
 ルナサはリリカの隣に座ると肩を触れさせて語りかけた。

「リリカ、気持ちは分かるがもう少し頑張ろう? この前里で幻想郷の賢者の話を聞いただろう? 賢者様ならきっとレイラの病気も良くできるはずだ。根気よく探し回ろう」

 三人は動けないレイラに変わって幻想郷中を飛び廻り、病や薬、薬草、医者や知識人の情報を探し回っていた。
 あれ? とルナサが首をかしげる。リリカの反応が全く返ってこないのだ。

「おいリリカ……」

 軽く肩をゆすって驚愕した。リリカはそのまま力なく倒れてしまったのだ。

「お、おいメルラン! い、急いでリリカを部屋に運ぼう!」

 そして今度は絶望する事になる。メルランがこちらに歩み寄ってくれている。だがその足取りはフラフラとして力が宿っていない。

「ル、ルナサ……ごめん……なんだか私も……」

 メルランがへたり込んで、そのまま動かなくなってしまう。そうして今度はルナサから力が抜けていく。「あ……が……」と声にならない声を上げてルナサも倒れ込んだ。眼前には妹達の体が横たわっている。どんな悪夢だと思った。早く目を覚ましてくれと。
 幼くして母が死に、父も死に、姉妹は離れ離れになった。気がつくとその記憶を共有してレイラの元に生まれた。新しい姉妹として、家族として、これまで暮らしてきてずっと幸せだった。
 だが、レイラが病で倒れ、かいがいしく看病を続け、必死に手がかりを探してきたと言うのに、この光景は一体なんなんだ。
 両の目からつーと涙がこぼれる。なぜこんなにも執拗に、家族を引き裂こうとするのだ。神様なんていないんだと思った。なんて意地悪なんだ。残酷なんだ。絶望して気を失いかけた時、希望を見た。

「みんなっ!」

 レイラの悲しくも、力を取り戻した声が聞こえた。何とか顔を動かすと、顔色を良くしたレイラが心配そうにこちらに走り寄ってくれる。
 嬉し涙があふれた。レイラ、ああ、やっと治ってくれたんだ、と。そして三人の危機に駆けつけてくれたのだ。

「ル、ルナサ! お話しできる!? なにがあったの!?」
「……あぁ……よかった……やっぱり、レイラは……」

 母だと思った。創造主だと思った。例え神が家族を守らなくとも、レイラなら守ってくれると。だが。

「無意識に力を抑えたのね……!」

 レイラが両手をリリカとメルランに掲げて魔力を込めると、二人の顔色が良くなっていった。同時に、レイラの顔色が再び、どんどんと悪くなる。ルナサは目を見開いて絶望した。病の仕組みを理解してしまった。だが、レイラは安心させようと穏やかに笑ってみせた。生気のない顔で。

「ごめんねルナサ 後回しにして。すぐにあなたも良くしてあげるからね。お姉ちゃんだもの、少しだけ待ってね?」

 ルナサは必死に頭を振って、それを止めさせようとした。だが力が入らず体はピクリとも動かない。レイラは、こんな辛いことに、ずっと耐えていたのだろうか。そんな状態に戻らせたくなどなかった。だが、体に力が注ぎ込まれていく。

「レイラッ!」

 力が戻って声を張り上げる。そうして気を失って倒れるレイラの体を何とか受け止めることが出来た。





 窓が開け放たれていて夜風を運ぶ。チリンと風鈴の音がして、レイラは目を覚ました。体の自由はほとんど利かないが、不思議と寝覚めは悪くない。静かな夜だった。満月の光が部屋に差し込む。
 思い出したのだ。昔、役に立たないと切って捨てた魔法を。

 耳をそばだてるとすーすーという寝息が聞こえる。ソファにメルランとリリカが眠っていて毛布を掛けられていた。きっと見守ってくれている途中で眠りに落ちてしまったのだろう。ルナサもまた、ベッドに顔と腕だけもたれかかるようにして寝息を立てていた。最後まで傍にいてくれたのだろう。

 レイラは、絶対にこの三人を死なせてはいけないと誓った。
 七色の雫も淡い光をたたえている。ポロンとギターが鳴った。

「雲の影が流れゆく 夜でも月がそれを照らす
 洋館に風鈴が鳴る 外の街には届かない
 だけれども 寝息は聞こえる程そばに

 神様 贅沢なんて言わない
 家族で一緒にいたいだけ

 神様 どうしてこんなにも
 辛い試練を与えたの

 神様 どうしてこんなにも
 酷く苦しいときにすら

 ふと 聞かせてくれるのです
 歌を 音を 声を……
 詞を 調べを 響きを

 そして教えてくれるのです
 夢を 愛を 道を
 音楽の調べにのせて

 届け あの街にまで
 届け 星の影にまで
 届く 届く どこまでも」

 夜空に澄んだ歌声が広がった。ギターの響きに乗って、どこまでもどこまでも続くように。
 レイラは七色の雫とギターに向かって微笑んだ。

 その歌に導かれて、三人は穏やかに目を覚ました。レイラが「おはよう」と優しく声をかけると、三人とも泣きそうな顔をして駆け寄り、レイラを囲むようにベッドに身を乗り出した。みんな目を赤くはらしている。ずいぶん泣かせてしまったのだと思った。

「レ、レイラぁぁぁぁぁ……」
「ごめんねリリカ、心配ばっかりかけて」
「も、もう、目を覚まさないかと思った……」

 メルランがリリカをそっと抱き寄せる。しかしレイラが笑顔を向けても、どこかぎこちなさがある。ルナサが真剣に話を切り出した。

「あの後、三人で話したんだ。レイラの病の原因について」
「……そっか」
「私たちに、ずっと魔力を注いでるんだろ? レイラの魔力は小さくなり続けてたんだ。元が大きくて、少しずつだから気づかなかった……でも!」
「バレちゃったんじゃあ、しょうがないわね」
「ど、どうして秘密にしてたんだ!」
「みんなの悲しむ顔が見えたから。今みたいな、ね? でも、話しても良かったかもしれない。家族なのだから、信じて」

 その言葉に、三人が顔を見合わせて決意を固める。そこに悲しみは無かった。

「あれからレイラを助ける方法を考えたんだよ」
「みんなで仲良くね~ 三人で決めたの~」

 リリカとメルランの言葉を受け、ルナサが続ける。

「レイラ。私たち三人を消してくれ。それで元に戻る」

 力強く宣言するルナサだったがレイラは目をつむってそれを否定した。

「無茶なことを、言っちゃダメよ」
「無茶なのはレイラだろ! そんな弱ってまで魔力を注ぐのは、私達が消えてしまうからだろう? それでもいい」
「どこの世界に、子を犠牲して生きながらえる母がいると言うの」
「なっ……は、母って、レ、レイラは母親なんかじゃない! それに! レイラが消えたら結局私たちも消えちゃうんだろう!」
「そこまでお見通しなのね」

 その肯定に、リリカがぐすぐすと泣き始めてしまった。

「や、やっぱり……わ、私たちのせいなんだ……レイラが病気になったのは……」
「リリカ、そんなことないのよ?」
「そうだもん! わ、私たち、生まれてこなければ良かったんだ! レイラに頼って、レイラを苦しめて! レイラの本当の姉妹じゃないのに!」
「そんなことない。そんなことないのよ」

 七色の雫がレイラの胸に降り立つと、かろうじて体を動かす気力が湧いた。震える手を、リリカの頭に乗せて髪をすいた。

「お姉ちゃんたちとは確かに違うけど、あなたたちもプリズムリバーの姉妹なの」
「……考えないの? 私たちを生み出さず、元の世界で幸せに暮らせてたって……」
「ふふふ、考えたこともなかったわ」

 ふと考えてみた。家を諦め、縁戚の夫妻について行く。日本から離れ見知らぬ地に、姉妹と離れ離れで一人連れられて。カナダの冬は幻想郷よりもずっと寒いだろう。あの夫妻も悪意のある人ではなかったことだし、穏やかに暮らせただろうか。仲の良い友達や、素敵な恋人ができて幸せに暮らせただろうか。

「そんな訳ない。姉妹がいたから、ルナサが、メルランが、リリカがいたからお姉ちゃんたちとの別れを乗り越えられたの。これまで楽しくやってこれたのよ」

 レイラが強く宣言すると、リリカはもう一度泣き始めてしまった。それをメルランがポムポムとあやす。
 この姉妹を、絶対に消さない。それは生み出した時からずっと思い続けた、半ば誓いのようなもので、その気持ちは年を重ねるごとに膨れ上がり、体が日に日に衰えた時ですら強くなり続けた。そして今、その気持ちはもっとも大きくなった。

「幻想郷から帰る魔法より、あなたたちを完全に実体化する魔法の方がずっと大事だった。それを探し続けてきたの。できるのよ、完全な実体化が。無茶な魔法だから、役に立たないって諦めて、捨てちゃってたの。でも、今なら出来るわ」

 三人が顔を上げてレイラを見るが表情は変わらない。そんなものよりレイラの健康の方がずっと大事だ。

「私の全魔力と、命と引き換えにしてね」
「バカ! バカレイラ!」
「レイラはバカよおっ!」
「バカ……!」

 リリカがののしり、メルランが大げさに嘆き、ルナサが額に手を当てて呟いた。

「もう! バカじゃありません。さっきあなたたちが倒れて気づいたのよ。ああ、やっぱり私、お母さんなんだって……。今は、心が澄んでるの。迷いがない。世のお母さんってやつは、子を産む時点で命をかけているのよ」
「ヤダ! レイラと一緒じゃないとイヤだ! レイラがいないんじゃ! 生きる意味なんてない!」

 リリカが駄々をこねるようにレイラの体に抱きつく。ぎゅっと離さないように。それをそっと抱きしめ返した。

「リリカ、そんなことない。私はお母さんとも、お父さんとも、お姉ちゃんたちとも離れ離れになったけれど、あなたたちと一緒にいられて幸せだった」

 ルナサとメルランは悟った。別れの時が来るのだと。それは避けられず、レイラが選んだ道だと。

「みんなと会えてよかった。お話しできて、一緒に過ごせて、笑い合って、抱きしめて、たくさん泣いてもらって」

 レイラが七色の雫とギターに向かって「ワンツー」と指を振ってみせた。ポロンと綺麗な曲が奏で始められる。夜の部屋が虹色に照らされる。
 ルナサとメルランとリリカは、今までにない力が注がれるのを感じた。それはあたたかく、柔らかく、優しく、穏やかだった。

「最後の曲よ。今日が何の日か覚えてる? 初めてあなたたちを生んだ日よ? 聞いて……
 ハッピーバースデー・ル~ナサ~
 ハッピーバースデー・メ~ルラ~ン
 ハッピーバースデー・リ~リカ~
 ハッピーバースデー・ディア・シスターズ
 ハッピーバースデー・トゥ・ユー」

 レイラの体が薄く光る。リリカに負けじと、ルナサとメルランもその体に抱きついた。レイラの心がいっぱいに満たされる。

「愛してるよ。リリカも、メルランも、ルナサも、みんな。それを忘れないでね?」
「わ、忘れない……忘れない……絶対……」

 レイラがリリカの頭を優しく撫でる。

「お誕生日おめでとう。生まれてきてくれてありがとうルナサ、メルラン、リリカ。私とっても、とおぉっても幸せだわ」

 そうしてレイラは穏やかに、眠るように、息を引き取った。





 厳かな法廷の証言台にレイラは立っていた。裁判席の映姫が表情を変えずに宣言する。

「レイラ・プリズムリバー、あなたの罪は」

 レイラが目をつむって、ごくりと唾を飲み込む。

「ありません。細かいものはありますが、どれも普通のことです。苦難にあって、よく家族を愛し続けました。それが何よりの善行です」

 映姫が励ますように微笑むと、レイラはほっと息をついた。映姫は席を外し、レイラを外に案内する。静謐な寺の庭園に、蓮の花が浮かぶ穏やかな池が広がる。

「転生ですが、時期はまちまちで、すぐに転生するか、冥界で休むかは当人が決めるものなのです」
「そうですか。それなら、姉たちを待とうと思います」
「それは、次も四人で?」
「ええ。こんどこそ、最後まで一緒に」
「それなら、彼女たちの魂が死後こちらにも来れるよう、すり合わせておきましょう。幻想郷だけでなく、国もまたぐので少し大変ですが」
「まあ お心遣い、痛みいります」
「いえいいのですよ、それより」

 映姫がそっと手を伸ばす。気がつくと、背中に手が回されていた。あ、と思ったときには抱きすくめられていた。背中を優しく撫でられる。

「頑張りましたね」
「い、いえ……」

 やわらかい手つきだった。遠い昔に、母に抱きしめられた時のような。姉たちと別れ、気丈に振舞い、新しい姉妹たちにもあまり甘えることはなくなっていた。無意識にたまっていた張りつめた気持ちがやわらかくとけていく。

「辛い試練をよく乗り越えました。あなたの魂は水のように澄み、鏡のように輝いています」

 冥界にも日は昇る。蓮の池がキラキラと夏の太陽を輝かせていた。

「お姉さん方を待つ間、冥界で休むと良いでしょう。なに、幻想郷はあの世まで自然豊かで、ゆるりとくつろげる所ですよ。冥界の姫ものんきなもので、きっと気が合うでしょう」
「まあ、楽しみですわ。それと四季様……ひとつお聞きしたいことが」
「ええ、なんでも」

 レイラはイタズラをするように茶目っ気たっぷり、人懐っこく笑ってみせた。

「四季様と、たまにお会いすることはできないものですか? 彼岸花の河原で出会ったように……私、四季様とも仲良くなりたいです」
「え? あ、ええ……まあ、仕事の時間でなければ…… まあ、構わない、かしら」

 予想外だったのか、映姫は頬を少し染め、それを隠すように手を添えながら、たどたどしく返事をした。



 白玉楼の庭に、青葉の桜がどこまでも並んでいた。白髪の小さな幼子が、それを熱心に剪定している。少女の周りを白い靄がふわふわ飛んでいる。まだ幼い妖夢だ。
 レイラは湯呑に口をつけ、白玉楼の姫、幽々子と穏やかにそれを眺める。

「それじゃあ家族に会うことができたのね?」
「はい、横浜……えっと外の世界の家を依代にすることが出来て。幻想郷の家はできないんですけど」
「それで、またみんなで転生するのね? 幻想郷に来なさいよ、とってもいい所でしょ?」
「うーん、人は良いんですけど」レイラがわざと悩むフリをする。
「あら、何か不満でも?」
「ド田舎過ぎて」
「ふふふ、お姉さん方が寿命を迎える頃には、大正モダンな暮らしが幻想入りしていると思うわよ」

 それはいいなと思った。妖怪や神々、はたまた霊が歩き、不思議が起こる幻想郷。そこに大正モダンな世界が混ざって、再び姉たちと過ごす。前以上に楽しそうな日々になるかもしれない。

「幽々子さま~ いかがでしょうか」

 妖夢が剪定を終えて主に声を掛ける。敬語を話すがどこかたどたどしさが残る。

「ええ上手よ~ 妖夢もこっちにいらっしゃい。小雨も降ってきたわ~」
「え、あ、はい……では……」

 しとしとと音も静かに雨が降り始める。
 妖夢が手を体の前で重ねて、もじもじとしながら二人の元へ来る。レイラが微笑んで急須を手に取った。

「妖夢ちゃんお茶にする? それともお砂糖たっぷり入れた紅茶がいいかしら?」
「あ、い、いえ! お砂糖なんてそんな、わ、わたしもお茶の味がわかるようになってきたのです」
「そうかしら?」

 ここ最近は、ずっと大人ぶろうと背伸びしている。妖忌が白玉楼を去ったからだ。元々、屋敷から離れ気味だったようだが、レイラが顛末を話すと、何を思ったか幼すぎる妖夢に後を継がせて消えてしまったのだ。家族との時間を大事にするレイラには理解できないことだったが、何かを考え抜いた末のことらしい。

 お茶を淹れて渡すと、妖夢はそれを口にして、苦そうに少し顔をしかめた。

「いいお茶ですね、レイラさん」

 そんな強がりと、正直すぎる顔にレイラはクスクスと笑った。

「妖夢ちゃん。レイラさんだなんて他人行儀で寂しいなあ。レイラちゃんって呼んで欲しいなあ」

 そのお願いに、妖夢は顔を赤くすると、照れ照れとして、誤魔化すように髪を手でいじった。

「い、いえ……レ、レイラさんはお客様でもありますから……」
「幽々子ちゃん、こんなこと言ってる……」
「妖夢? レイラはお友達になりたいのよ? それを断るなんて……ひどいっ!」
「ええ!? い、いいい、いえそんな、そういったつもりでは! その……」

 幽々子がわざとらしく責めたのに、本気で慌ててしまう様も可愛らしい。
 それから妖夢は下を向いて顔を隠し、上目づかいでたどたどしく「レ、レイラ、ちゃん……」と呟いた。レイラは目を見開き、和傘を手に雨の降る庭に飛び出した。ご機嫌で空を見つめながらリズムを口ずさむ。

 とぅるるっる~るる とぅるるっる~るる~る
 とぅるるっる~るる とぅるるっ る~る~る~る~……しゃ~ん

 おもむろに傘を外して雨に濡れながら手を掲げる。そのまま傘を閉じてしまうと歌い始めた。

「雨に唄えば そう雨に唄えば
 弾む心 よみがえる幸せ」

 桜の木に飛びついて、組体操のように体を広げる。

「黒い雲に笑いかければ
 心には太陽 愛が芽生える
 嵐の雲よ 人を追い払え」

 そして飛び降りると両手を広げて全身で雨を受ける。

「雨よ振れ 笑顔で受けよう」

 傘をくるくるとステッキのように回し、ついに日本庭園でタップダンスを踊り始めた。

「幸せをかみ締めて歩こう
 雨に唄いながら
 雨に踊ろう」

 らりら~ ら~りらりりゃら~
 タタタタッ タッ タッタタ タッタ

 妖夢は、この人やっぱり変な人だと確信した。レイラ曰く、幽々子が和歌を唄うのと同じらしいが、そんな訳はなかった。



 カーテン越しに太陽が光を届ける。すうすうと布団を上下させるメルランだったが、ルナサが寝坊助を起こしに声を張り上げる。

「メルラン! もう起きなさい! 朝食の時間でしょ」
「ふぁ、ふわああぁ はあ~い 今日の献立は~?」

 だがルナサは気まずそうに少しの間、沈黙した。

「その……もうレイラはいないし……」
「あ……そうだったわねえ う~んでも、ルナサのご飯食べたいなぁ! おいしくて元気が出るし」
「ん……そっか、じゃあ作ろっかな」

 ルナサはキッチンに向かいコンロに火を入れると、黙々と調理を始めた。自分たちは食事をする必要はない。元々、レイラのために腕を磨いたのだ。レイラが死んでしまって、頑張った意味がなくなったと思っていた。
 だけど、メルランがねだってくれた。これからも、妹二人の為においしい料理を作っていこうと決めた。

「ん~ いい匂い~」
「メルラン、机まで運んでくれ」
「それはいいけどルナサ、これ……」
「あ……」

 無意識に、四人分の食器に盛り付けてしまっていた。「いけないいけない」と片付けようとするルナサだったが手が止まってしまう。それをしたらレイラがもういない事を実感してしまうようで。
 メルランが明るく「じゃあ私大盛り、いただき~」とおどけて一つを自分の食器に移した。
 レイラが居なくなって、一番呆然としているのはルナサだった。糸が切れてしまったかのようだ。姉として、必死に平静を装おうとするがそれすらも痛々しかった。
 そこにバァンと扉を開ける音と、場違いなドタドタドタという足音が響く。

「うおおおおおお! 大変だ! 大変だよルナサ! メルラン!」
「ちょっと~うるさいわよ~ 朝から出かけてたの~?」
「そ、それどころじゃあないんだよ! 落ち着いて聞いてね!」
「う、うん……」

 リリカの勢いにメルランもたじたじだ。

「この幻想郷では! 意外と簡単に冥界に行けるみたいだったんだよ!」
「「なっなんだってェー!?」」
「こうしちゃいられない! 四十秒で支度しないと!」
「ヨヨヨヨ、よんじゅうっご秒で 何っがでっきっる~♪」

 メルランが電波を受信して口ずさむとルナサが歌を返した。

「レイラの事を~ かんが~えること~」

 二人は両手を時計の秒針に見立ててくるりと回しながら踊り始める。

「ヨヨヨヨ、よんじゅうっご秒で 何っがでっきっる~♪」
「レイラをえ~がおに♪ さ~せること♪」

 三人はトーストに目玉焼きをのせると、口にくわえて飛び立った。雨にも負けず。盆の日のことだった。



 白玉楼の雨は本降りになっていた。雨の中で踊り歌い切ったレイラに、幽々子が「おお~」と拍手をし、妖夢もそれに合わせた。
 どこからか、甲高いトランペットの音が鳴り響いた。皆が空を見上げると、雨に打たれながら三人の姉妹が楽器を浮かせて佇んでいる。

「ちょっと待ったあああああ! レイラ! 最後の曲はハッピーバースデー・トゥ・ユーじゃない! 最後の曲は、終わらねえ!」
「そう、レイラが転生するまでね~」
「いいや、転生しても響かせるよ! 幻想郷中、どこまでもね!」
「聞いてくれレイラ。私たちの誕生歌だ。幽霊楽団 〜 Phantom Ensemble」

 最初はピアノの伴奏から、悲しくも明るく強いメロディが奏でられる。そこにヴァイオリンの優雅な音に主旋律が移り変わる。そしてトランペットが高らかにメロディを変える。

 さらに転調して曲が明るくなる。
 そして三人の存在を天まで届けるかのように、ヴァイオリンが、トランペットが、ピアノが高音域を力ずくで奏で上げる。必死に、どこまでもどこまでも強く。

 レイラは、その音に圧倒された。それはレイラだけではなかった。幽々子も、妖夢も、そして空すらも。
 分厚い雲に穴が開き、雲の切れ間から光が放射状に降り立つ。まるで新しく産声を上げた楽団にスポットライトを当てるかのように。空が、世界が、プリズムリバー楽団のステージになった。レイラは娘たちの一生懸命な演奏を、祈るように手をぎゅっと握って、ハラハラと、ワクワクと、ドキドキが混ざりながら興奮して聞いていた。

 三人がサビを奏で切るとともに周りの雨も止む。そして放射状の光に大きな大きな虹が浮かんだ。息も絶え絶えにルナサが尋ねる。

「どうだったレイラ?」
「これが私たちの~」
「プリズムリバー楽団だああああ!」

 三人が自信満々に宣言をする。レイラは立ち上がったまま、それでも足りないと飛び跳ねて、手をはちきれんほど叩いてはしゃいだ。

「すごい! みんなすごいわ!」
「「「レイラ! 私たちを生んでくれて、ありがとう!」」」

 三人がわっと駆け寄り、レイラは雨の庭に押し倒されてもみくちゃにされた。その目には涙が浮かんでいる。
 どこからかギターの和音が響き、大きな虹が四人に笑いかけた気がした。
 ストーリーや家族・姉妹の絆だけでなく、可愛らしさ、ギャグ、ミュージカルなどから一つでも刺さるものがあれば良いなと思います。
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白岩 風都
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コメント



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1.90奇声を発する程度の能力削除
良かったです
2.90竹者削除
書きたいものを書き切った作品だと感じました。よかったです
3.100南条削除
面白かったです
ことあるごとに歌って踊る姉妹たちがよかったです
閻魔がここまで手放しでほめるのもうなずけるレイラの生きざまを見せてもらいました