「こーりん、今日は本を返しに来たぜ!」
「ん? 今のは僕の聞き違いかい? 『魔理沙が絶対やらなそうなことランキング』第一位の行為が耳に入ったんだが」
霧雨魔理沙はニコニコ顔で帽子をくいと直して、小脇に抱えたバッグを森近霖之助に差し出した。それはずしりと大きくて重くて、何冊入っているかもハッキリとしない。
「ウソだと思うなら、これを見ろよ? 全部お前から借りた本だぜ」
「どれどれ……確かにそうだな? まだ半分といったところだが、これだけあればひとまず大丈夫だな。ありがとう、魔理沙」
テーブルにばさばさと空けたそれを改めてもらい、彼は力強く頷いてくれた。パッと帽子を取られると、わしわしと頭を撫でてくる。
「一度に持ってこれる量にも限界があるだろうし、女の子なんだから無理はしなくてもいいぞ」
「え、えへへ……ありがとうだぜ」
はにかみながら、心がトクントクンと高鳴っていくのを感じる。霖之助になでなでしてもらえるのは、他の人にしてもらうのとは一味も二味も違う。
窓際の椅子に座って、一休みする。顔を左右に振ってようやく、霊夢も香霖堂に来ていることに気付いた。
「何しに来たんだよ?」
「魔理沙……あんた、入り浸りすぎて感覚がマヒしてるんだと思うけど、ここは道具屋よ? 昨日服を釘に引っ掛けちゃったから、霖之助さんに直してもらいに来たの」
はて、と首を傾げる。今月は何回来ただろうかと指折り数えてみる。小さな異変で霊夢と少し出かけていた以外は、三日にあげず通い詰めていた。
何しに来たのか。そんなの一つしかない。
それにしても──と、あまりにも自宅のように押しかけまくっていることに今更気付いて、顔を赤くする。
顔をぶんぶん振る。幸いなことに、霖之助は奥に引っ込んで何か作業をしているようだ。この顔、見られたらちょっと困る。
「ははぁ、あんたはほとんど毎日来てるのね? 顔に書いてあるわよ」
「よ、用事があるからなんだぜ。霊夢と違ってヒマじゃないんだ」
ぷいっと顔をそむける。そこには衣装ダンスがあって、木目のキレイな扉がぱたりと閉じている。
「で、今日は霖之助さんに何を作ってあげるの? この私が気付いてないとでも思ったの?」
「ば、バカっ! キノコ採りで夢中になって余っちまうだけだ! 半妖ってことは半分人間なんだぜ、長いこと食わないと倒れるんだよ!」
霊夢がニヤニヤしながら見つめてくる。その顔へまくしたてるように手振りしながら答えると、霊夢はぼそりと一言零した。
「私は別に料理なんて一言も言ってないわよ? この通い妻め」
「そっそそそ、そんなんじゃねーよ!」
どっくん! 心臓が跳ね上がる。この世の鏡を全部叩き割りたい衝動に駆られて、でもそんなことはできなくて、霊夢に向けて弾幕を張ろうとした。
それを止めてくれたのは、他ならぬ霖之助だった。
「できたよ、霊夢」
彼の顔を見ると、この香霖堂を破壊してしまうかもしれないと思い返して、上げた手をゆっくりと下ろした。
「ありがとう、霖之助さん! いくらか分からないけど取り敢えずツケにしといて!」
「三十文。払ってくれると僕も今後の仕入れが楽なんだけどなぁ」
霊夢はぶつくさ言いながらがま口をパチリと開け、ぴったり三十文払って赤いいつもの服を受け取った。
そうして彼女は帰ろうとして──何故かこっちに来て耳打ちしに来た。
「もうちゅーくらいしたの?」
「す、す、するかバカーっ! バカ霊夢! 帰れ帰れ!」
彼女はニヤけ顔を隠そうともせず、小さく肩をすくめて香霖堂を出ていった。キィィ……バタンと扉の軋む音。その後は一瞬、無音の世界。
陽光が窓から差し込んでいて、光のハシゴを作っている。魔理沙は心を落ち着かせるため、指を絡ませてヒザの上に載せた。
客が来ては、棚を眺めてみたり注文した品を受け取ったりしているのを眺める。霖之助は忙しそうにあっちへ行ったりこっちで塗ったりそっちで叩いたりしていた。
しばらく椅子に座っていると客足も途絶えて、霖之助は返した本の一冊を取り出して読み始めた。
「まだいたのかい? もう用事はないだろう?」
「何だよ、用事がないならいちゃいけないってのか?」
霖之助は顔を上げた。周囲を見ているが、誰もいない。彼は小さくため息を吐いて、本に戻った。
「まぁ、他の人の邪魔にならないなら、好きにすると良い」
「ん。分かった」
魔理沙は立ち上がって、とことこ霖之助の座る椅子まで歩いていった。その膝にぽすっと収まって、帽子を脱ぐ。
そうして、彼の胸に背中を預けた。
「『他の人』に僕は入っていない、と?」
「だって店主だろ? あたしに構うのも仕事の内だぜ」
ニカッと笑って、返した本の内一冊を拾って広げた。二人で紙をぺらぺらめくる以外は、心地の良い静寂が訪れる──胸の高鳴りを除いて。
まだドキドキはちゃんと収まっていない。そして、収まりきってしまうのも少し寂しい。
霊夢に言われたことがまだ頭の中でぐるぐるしている。
通い妻、通い妻、通い妻……
確かにこのところずっと来ている。何ならご飯も作っている。風呂だってたまには沸かしてきた。
でも洗濯まではしていない。泊まった時でさえ、布団を自分で敷いたことは一回もない。
うん、こんなの妻じゃない。
自分で思って悲しくなってきた。
もじもじしながらヒザをすり合わせていると、霖之助が姿勢を直した。ビクッと身体が跳ねる。
客足は今、ない。普段はどうだったか思い出そうとしたが、何故か記憶にモヤがかかっている。
試しにこの一ヶ月を思い出してみた。
「こーりん! 今日はいい酒を見つけてきたぜ!」
「こーりんこーりん、ヒマなんだよーちょっと付き合えよー」
「こーりん! このキノコめっちゃ美味かったんだぜ! お裾分けだ!」
「ってあれ、もう夜中か。こーりん、今日は泊まっていってもいいか? んじゃ風呂借りるぜー」
──霖之助しか見ていなかった!
口の中が乾いてくる。ぽすりと霖之助の胸に収まっているから、顔は見られないものの、どんどん頭に血が上ってきた。
それもこれも、妻だのちゅーだの言いたい放題な霊夢のせいだ!
魔理沙は緊張まぎれに口を開いた。
「なぁ、道具屋って忙しいのか?」
「もちろん忙しいとも。霊夢の相手、魔理沙の相手、仕入れ、魔理沙の相手、道具の修理、魔理沙の相手、配達、魔理沙の相手、それから──」
答えを聞いて、ぷくっとふくれっ面になった。ずるずると脱力して体重を後ろにかけていく。
「もういい。悪かったな、手間のかかるお子様で」
「そんなことは言ってないぞ。魔理沙がいてくれるから刺激的な毎日が送れるんだ」
霖之助は質問には答えてくれなかった。代りに腰を軽く叩かれて、すっと立ち上がる。振り向くと、彼は自分のヒザを指差した。
「それに、ここは誰でも座っていい訳じゃない。霊夢でもお断りだ」
「え、それって……?」
彼は質問に答えない。それどころか仏頂面だ。騒ぎを起こしてツッコミを入れてくれる時は慌てたり怒ったりと表情豊かなのに、こんな時ばっかりそんな顔をして。
「ずるいぜ、こーりん……」
「ん? 今のは僕の聞き違いかい? 『魔理沙が絶対やらなそうなことランキング』第一位の行為が耳に入ったんだが」
霧雨魔理沙はニコニコ顔で帽子をくいと直して、小脇に抱えたバッグを森近霖之助に差し出した。それはずしりと大きくて重くて、何冊入っているかもハッキリとしない。
「ウソだと思うなら、これを見ろよ? 全部お前から借りた本だぜ」
「どれどれ……確かにそうだな? まだ半分といったところだが、これだけあればひとまず大丈夫だな。ありがとう、魔理沙」
テーブルにばさばさと空けたそれを改めてもらい、彼は力強く頷いてくれた。パッと帽子を取られると、わしわしと頭を撫でてくる。
「一度に持ってこれる量にも限界があるだろうし、女の子なんだから無理はしなくてもいいぞ」
「え、えへへ……ありがとうだぜ」
はにかみながら、心がトクントクンと高鳴っていくのを感じる。霖之助になでなでしてもらえるのは、他の人にしてもらうのとは一味も二味も違う。
窓際の椅子に座って、一休みする。顔を左右に振ってようやく、霊夢も香霖堂に来ていることに気付いた。
「何しに来たんだよ?」
「魔理沙……あんた、入り浸りすぎて感覚がマヒしてるんだと思うけど、ここは道具屋よ? 昨日服を釘に引っ掛けちゃったから、霖之助さんに直してもらいに来たの」
はて、と首を傾げる。今月は何回来ただろうかと指折り数えてみる。小さな異変で霊夢と少し出かけていた以外は、三日にあげず通い詰めていた。
何しに来たのか。そんなの一つしかない。
それにしても──と、あまりにも自宅のように押しかけまくっていることに今更気付いて、顔を赤くする。
顔をぶんぶん振る。幸いなことに、霖之助は奥に引っ込んで何か作業をしているようだ。この顔、見られたらちょっと困る。
「ははぁ、あんたはほとんど毎日来てるのね? 顔に書いてあるわよ」
「よ、用事があるからなんだぜ。霊夢と違ってヒマじゃないんだ」
ぷいっと顔をそむける。そこには衣装ダンスがあって、木目のキレイな扉がぱたりと閉じている。
「で、今日は霖之助さんに何を作ってあげるの? この私が気付いてないとでも思ったの?」
「ば、バカっ! キノコ採りで夢中になって余っちまうだけだ! 半妖ってことは半分人間なんだぜ、長いこと食わないと倒れるんだよ!」
霊夢がニヤニヤしながら見つめてくる。その顔へまくしたてるように手振りしながら答えると、霊夢はぼそりと一言零した。
「私は別に料理なんて一言も言ってないわよ? この通い妻め」
「そっそそそ、そんなんじゃねーよ!」
どっくん! 心臓が跳ね上がる。この世の鏡を全部叩き割りたい衝動に駆られて、でもそんなことはできなくて、霊夢に向けて弾幕を張ろうとした。
それを止めてくれたのは、他ならぬ霖之助だった。
「できたよ、霊夢」
彼の顔を見ると、この香霖堂を破壊してしまうかもしれないと思い返して、上げた手をゆっくりと下ろした。
「ありがとう、霖之助さん! いくらか分からないけど取り敢えずツケにしといて!」
「三十文。払ってくれると僕も今後の仕入れが楽なんだけどなぁ」
霊夢はぶつくさ言いながらがま口をパチリと開け、ぴったり三十文払って赤いいつもの服を受け取った。
そうして彼女は帰ろうとして──何故かこっちに来て耳打ちしに来た。
「もうちゅーくらいしたの?」
「す、す、するかバカーっ! バカ霊夢! 帰れ帰れ!」
彼女はニヤけ顔を隠そうともせず、小さく肩をすくめて香霖堂を出ていった。キィィ……バタンと扉の軋む音。その後は一瞬、無音の世界。
陽光が窓から差し込んでいて、光のハシゴを作っている。魔理沙は心を落ち着かせるため、指を絡ませてヒザの上に載せた。
客が来ては、棚を眺めてみたり注文した品を受け取ったりしているのを眺める。霖之助は忙しそうにあっちへ行ったりこっちで塗ったりそっちで叩いたりしていた。
しばらく椅子に座っていると客足も途絶えて、霖之助は返した本の一冊を取り出して読み始めた。
「まだいたのかい? もう用事はないだろう?」
「何だよ、用事がないならいちゃいけないってのか?」
霖之助は顔を上げた。周囲を見ているが、誰もいない。彼は小さくため息を吐いて、本に戻った。
「まぁ、他の人の邪魔にならないなら、好きにすると良い」
「ん。分かった」
魔理沙は立ち上がって、とことこ霖之助の座る椅子まで歩いていった。その膝にぽすっと収まって、帽子を脱ぐ。
そうして、彼の胸に背中を預けた。
「『他の人』に僕は入っていない、と?」
「だって店主だろ? あたしに構うのも仕事の内だぜ」
ニカッと笑って、返した本の内一冊を拾って広げた。二人で紙をぺらぺらめくる以外は、心地の良い静寂が訪れる──胸の高鳴りを除いて。
まだドキドキはちゃんと収まっていない。そして、収まりきってしまうのも少し寂しい。
霊夢に言われたことがまだ頭の中でぐるぐるしている。
通い妻、通い妻、通い妻……
確かにこのところずっと来ている。何ならご飯も作っている。風呂だってたまには沸かしてきた。
でも洗濯まではしていない。泊まった時でさえ、布団を自分で敷いたことは一回もない。
うん、こんなの妻じゃない。
自分で思って悲しくなってきた。
もじもじしながらヒザをすり合わせていると、霖之助が姿勢を直した。ビクッと身体が跳ねる。
客足は今、ない。普段はどうだったか思い出そうとしたが、何故か記憶にモヤがかかっている。
試しにこの一ヶ月を思い出してみた。
「こーりん! 今日はいい酒を見つけてきたぜ!」
「こーりんこーりん、ヒマなんだよーちょっと付き合えよー」
「こーりん! このキノコめっちゃ美味かったんだぜ! お裾分けだ!」
「ってあれ、もう夜中か。こーりん、今日は泊まっていってもいいか? んじゃ風呂借りるぜー」
──霖之助しか見ていなかった!
口の中が乾いてくる。ぽすりと霖之助の胸に収まっているから、顔は見られないものの、どんどん頭に血が上ってきた。
それもこれも、妻だのちゅーだの言いたい放題な霊夢のせいだ!
魔理沙は緊張まぎれに口を開いた。
「なぁ、道具屋って忙しいのか?」
「もちろん忙しいとも。霊夢の相手、魔理沙の相手、仕入れ、魔理沙の相手、道具の修理、魔理沙の相手、配達、魔理沙の相手、それから──」
答えを聞いて、ぷくっとふくれっ面になった。ずるずると脱力して体重を後ろにかけていく。
「もういい。悪かったな、手間のかかるお子様で」
「そんなことは言ってないぞ。魔理沙がいてくれるから刺激的な毎日が送れるんだ」
霖之助は質問には答えてくれなかった。代りに腰を軽く叩かれて、すっと立ち上がる。振り向くと、彼は自分のヒザを指差した。
「それに、ここは誰でも座っていい訳じゃない。霊夢でもお断りだ」
「え、それって……?」
彼は質問に答えない。それどころか仏頂面だ。騒ぎを起こしてツッコミを入れてくれる時は慌てたり怒ったりと表情豊かなのに、こんな時ばっかりそんな顔をして。
「ずるいぜ、こーりん……」