私――多々良小傘は、夢を見ていた。
遠い遠い昔。まだ私が、付喪神になる前の夢。
その頃は、意識がハッキリとしていなかったから覚えていることは少ない。けど、使ってくれた人は少し覚えている。
赤い派手な着物を着た少女で、花が大好きな人だった気がする。顔までは思い出せない。
雨が降る日。
少女は私を差して外へと出る。
しばらく歩くと、赤紫色や青紫色をした花の元へと向かった。――花の名前は紫陽花だったかな。少女がそう言っていたと思う。
紫陽花を眺める少女は、とても楽しそうだった。
雨が降る間、飽きることもなく紫陽花を観察をする少女。
どれぐらい時間が経っただろう。
ふと気が付くと、雨が上がっていた。私は畳まれ木に寄り添うように置かれている。
……少し不安な気持ちになった。けど、すぐに取りに来てくれると思い、私は再び意識を沈めた。
次に目が覚めた時、私は草木の上に置かれた。
傘は、まるで暴風に吹き飛ばされたような感じになっている。
この頃から、私は確固たる自我を持つようになっていた気がする。
私がいる場所は、たまに人は通るけど拾ってくれる事はなかった。どうやら傘の配色が気に入らないらしい。また雨や風でボロボロ。
このまま私は、朽ち果てていくかと思うと、恐怖を感じた。じわじわと迫りくる、避けられない『死』に対して。
生きたい。このまま死にたくない。消えたくない。
そう思いながら、私の意識は再び沈んだ。
……。
…………。
………………。
「ふ~ん。で」
「で……と、言われても。次に気が付いた時には妖怪になってたから」
人間の里で、たまたま小傘に出会ったぬえは久しぶりに話し合っていた。
この妖怪二体は、人を驚かすという一点においては同じなのでたまに一緒に行動してる。
今日も小傘が、人間の里で人を驚かせようと頑張っていたが、驚いた人間は皆無に等しかった。様々な妖怪が行き来する人間の里において、今さら「からかさお化け」に驚くような人間はまずいない。
そのため小傘は、ずっと空腹である。
「あ、でもこの姿は、私を最後に使ってくれた人に似せてるんだ」
「へぇ、そうなんだ」
「うん。……捨てられたとはいえ、あの人は私を大事にしてくれたから。その名残かな」
少し寂しそうに小傘は言った。
すると表通りが、俄かに騒がしくなる。2人は顔を見合わせて路地裏から顔を出して、騒がしいなった原因を見た。
そこには日傘を差しながらユックリ歩く風見幽香の姿があった。明るい色の服装を着ているため、見た目は人間と変わらない姿をしているが、実際は幻想郷でも上位に入る実力を持つとされる妖怪である。
「そこに居るだけで、人に畏れられる妖怪……ね。小傘も、あれぐらい畏れられたらお腹いっぱいになるだろうけどねぇ。あれ? あんたは驚いて貰わないとダメなんだっけ? …………小傘?」
ぬえは小傘に話しかけるが、返事が返ってこなかった。振り返るとそこには、居たはずの小傘がいない。
路地裏から顔を覗かせ小傘を探すと、あの幽香の正面に臆することなく正面を見据えて立っていた。
「あ、あの!」
「……なにか用? 傘の妖怪さん」
「…………。い、いえ。なんでもないです」
「そう」
小傘が道を開けると、幽香は再びユックリと歩き出した。その後ろ姿を何処となく寂しそうに小傘は見つめた。
しかし幽香は、少し歩くと立ち止まり振り返らずに小傘に話しかけてきた。
「そうそう。1つ聞いてもいいかしら」
「は、はい」
「――貴女、今は倖せ?」
ただ、それだけを幽香は小傘に聞いた。
その問いに、小傘は持っている傘を握りしめて答える。
「――はい」
「そう」
幽香は返事を聴くと、再びユックリと歩き始めた。後ろ姿が見えなくなるまで、小傘は見送った。
そして振り返ると、そこにはぬえがいた。なにやら不思議そうな顔をしている。
「……アンタ、あの風見幽香と知り合いだったの?」
「ん。違うよ。――たぶん、会うのは今日が初めて」
「その割には、親しそうに感じたけど」
「そう? ……うん、そうかもね」
小傘は空を見ながら呟いた。
「……私が私である前の知り合いだから、かも」
「え。ちょっと、それってまさか」
笑みを浮かべながら小傘は、宙へ浮くとフラフラと飛んでいく。
それを追いかけるようにぬえが飛ぶ。
「うらめしや~」
……。
…………。
………………。
「珍しい事もあったものね。アンタから誘いが来るんなんて」
「――私だって、誰かと飲みたいって日もあるのよ」
妖怪獣道にある夜雀のミスティア・ローレライが出している「焼き八目鰻屋」に、博麗霊夢と風見幽香はやってきていた。
「ミスティ。やきとり2本をお願い。ついでに本醸造酒を瓶で」
「は~い」
「やきとりって。……ここ、焼き八目鰻以外にメニューを増やしたのね。――あれ? 確か文の新聞に焼き鳥を撲滅するとか言ってたのに、方針転換したのかしら」
「あのね、霊夢。「やきとり」と「焼き鳥」は全く別のものよ。やきとりは「豚肉」で、焼き鳥は「鶏肉」なの」
「う。うるさいわね。知らなくても仕方ないでしょ!! 外食するお金なんてないんだからっ」
「それって威張って言うことじゃないわよね……」
「うぅぅ――。米焼酎の一番高いヤツ。ウーロン割でっ。あと八目鰻の肝焼き3つ、お願い」
「は、はい。あのー、失礼ですけど霊夢さん。お金はだいじょ」
「今日は幽香のおごりだから心配しなくてもいいわよ。だから、じゃんじゃん持ってきて」
「は、はいッッ」
この場に、博麗の巫女が妖怪に奢って貰ってもいいのか、と聞く常識を持った人はいません。
まあ、普通に神社の敷地内で妖怪たちが宴会をしている時点で今更の事かもしれないが。
「やきとり2本と本醸造酒、米焼酎のウーロン割と八目鰻の肝焼き3つ。お待たせしましたー」
ミティアは、注文された物を霊夢と幽香の目の前に置いた。
米焼酎のウーロン割には、ちゃんと氷が入っている。これはチルノから格安で買った氷だ。未だに幻想郷では人工的に氷を作れないため、手に入れるためには洞窟の中にある天然の氷か、チルノや他の氷を作れる妖怪や妖精に頼むしかなかった。
もしチルノの頭さえ良ければ、夏になると一財産を築くことができるかもしれないが、ありえないことだろう。
霊夢は、注文していた八目鰻の肝焼きを食べる。因みに肝焼きとは、八目鰻の肝は栄養分が多いため、それと軟骨と共にミンチにしたものである。
「んで、何かあったの? あんたからの誘いで、しかも奢りなんて。不自然すぎてせっかくの料理が喉を通らないんだけど。あ、蒲焼3本とご飯をお願い」
「は~い」
「……喉を通らない割には、よく食べるわね」
「奢りで食べないのは、奢ってくれる人に悪いでしょ。あ、私は遠慮しないから」
「――」
幽香は、聞き手になる人選を間違えた気がした。とは言え、幽香の交友関係は限られており、話の聞き手になれる知り合いは霊夢を除けばアリスと魔理沙ぐらいしかいない。
「……傘よ」
「傘? アンタが弾幕防いだりしている妙に耐久性の高い傘のこと?」
「何か棘のある言い方ね。今使っている傘じゃないわ。もう百年ぐらい前――まだ博麗大結界が張られるより前に紛失したお気に入りだった傘を、久しぶりに見ることが出来たの」
「へぇ、そんな昔の傘がまだ現存してたの。どんな傘なの、それ?」
「紫色の雨傘よ。色と妙に瘴気を醸し出してたから気にいって購入したの。……人間には不評だったようだけど」
「それはそうでしょうよ。あ、さっきの米焼酎のウーロン割、お代わりで」
瘴気とは簡単に言うと悪い空気のこと。一部の種族はこれを好むとされ、地獄や魔界なども瘴気の濃度が高く、また幻想郷では、特に魔法の森が高いとされる。
そんなモノを出している傘は、だれも購入はしないだろう。しかし下手にデザインが良ければ、瘴気を吸って病気になっていた可能性が高い。そういう意味では、紫色の雨傘で誰からも見向きもされなかったのは、人間にとっては運が良かったと言える。
「妖怪化して元気にしてたわ。元々、瘴気を出してたから妖怪化する可能性はあったんだけど」
「博麗の巫女の立場から言えば、妖怪が増えても喜べないわね。まっ、化け傘が一匹増えたところで何かが変わる訳でもないでしょうから、別にどうでもいいか」
ふと、霊夢の頭の中に一匹の妖怪が過る。
星蓮船異変の時に、顔を合わせた傘の妖怪を思い出す。紫色をした和傘で、傘を持っていた少女は、どことなく幽香に似てた気がする。たまにコンニャクを吊るして驚かそうとしているようだが、霊夢の場合は美味しく頂いていたりする。
「でも、アンタが物を失くすなんて珍しい事もあったものね」
「失くしたんじゃないわよ。盗まれたのよ」
「……盗まれた? アンタが? 傘を?」
「ええ。あの頃は、私もまだ幻想郷の新人で周りは私を見下されていてね。さすがの私も、ちょっとイラっと来て虐めてあげたら、仕返しにお気に入りの傘を盗まれたわけ」
「……その盗んだ妖怪は、どうしたのよ」
「ん。2度とバカな真似を起こそうと考えるのが現れないように、見せしめも兼ねて、徹底的に精神を追い込んでから肉体を殺して紫陽花の下に埋めたわ。ちょうど良い肥料になってよかったんじゃないかしらね」
「……アンタも色々と大変だったのね(棒読) あ、私も幽香が頼んだやきとりをちょうだい」
「ええ、大変だったのよ。あの頃は、私もまだ若くてね。少し加減が効かなくて、傘を何処に捨てたか聞こうとしたんだけど、その時にはもう上の空で笑うだけのモノに成り下がってたから……。ほんと、加減って大切よね」
昔を思い出しながら、遠い目をする幽香。
「1つ聞いてもいいかしら。もし、あんたのお気に入りだった傘の妖怪が、誰かに斃されたら……どうするつもり?」
「殺すわ。一切の弁明、命乞いを聞かずに、一瞬で殺す。――あの子に抱いてる感情は……そうね、強いて言えば『母親』みたいなものかしら。誰でも、子が殺されたら、親は殺したいほど憎むでしょう。それと一緒よ。どこぞのスキマ妖怪が、幻想郷に抱いている感情も、もしかしたら……」
幽香のつぶやく。
ただ霊夢は、傘の妖怪が滅せられるほど攻撃を受けることはないだろうと思う。人を驚かせるだけの妖怪なら、幻想郷に数いる妖怪の中でも無害の部類に入るといえる。
「……母親のような感情ね。私にはあまり分からないわ」
「霊夢も、子供が出来て、その子が成人したぐらいになると、私の今の気持ちが理解できるわよ」
「何十年後のことよ。それ」
「あら? 何年後の間違いじゃない?」
「――残念だけど、そんな相手はいないの」
「香霖堂の主は、どうかしら。一応、顔は良い方よ」
「ああ謂ったタイプは、いっても友人止まりよ。恋人までは無理ね。私の場合は」
笑いながら霊夢は言った。