〜〜〜〜〜〜
--プラネタリウムというものを、存在だけは知っていた。
それは、なんでも星空を擬似的にドームに投影させる装置のことで。
そして、準備されたシナリオに合わせて、わざと星空の動きを速めたり遅らせたりすることが出来るそうだ。
実際に行ったことがないから、本当のところはどうか分からないけど、今広がってる景色は、多分そのプラネタリウムのものなんだろうな、とぼんやり考えた。
本来すぐに走り去ってしまうはずの光の筋が、のんびりと散歩して、私に光を見せ続けている、そんな星空が今私の前で広がっていた。
………当たり前の景色のはずだった。
………出来れば見たくない景色のはずだった。
こんな景色が……こんな景色を作り出した能力が、私を孤独にしてしまったのだから。
けれど、今だけは、なぜかそうは考えられなかった。
このプラネタリウムの星空が、綺麗だ、と……本当は孤独なんかではない、と、星空がそう語りかけてるように見えてしまったのだ。
お星さま、お星さま。
歩き続ける光のうちの1つに、手を合わせる。
そして、その光をしっかり見つめて、逃さないようにしながら………その願いを、声に出した。
〜〜〜〜〜〜
なんで、今、夜空を見ようと考えたかは、はっきりしない。多分、いつもの気まぐれなのだろう。
さっきまでちょっとした読書をしていた私--レミリア・スカーレットは、気が付けば紅魔館のテラスから、外を見つめていた。
月の暦で考えると、朔日。つまり、この夜に月は出ない。その代わりに、大小の眩い星々が、溢れんばかりに夜空に散りばめられていて、霧の湖を幻想的に照らしていた。
月夜みたいに明るい星の夜を「星月夜」と表現することがあるらしいが、これは、まさにそう表現するのにふさわしい。
夜の世界にいながら、どちらかといえば月ばかりを見ていた私は、星がここまで夜を照らすことが出来るのか、と、今さらながらに驚いた。何でずっと気付けなかったのかなぁ、と、面白くも、おかしくも感じていた。
「……月をこそ ながめなれしか 星の夜の 深きあはれを こよひ知りぬる……か」
何となく、前に本で読んだ歌を呟いてみる。うん。たしかに。この気持ちを表現するには、ぴったりの歌だ。
そうして、手すりに顔をのせてぼーっと星を見続けていると、突如、パチン、という音が横から聞こえてきた。
横を見れば、さっきまで何もなかった空間に、ティーセット一式とお茶菓子が載せられた白いテーブルと、私の背丈に合わせられた白い椅子が置かれている。
「お茶の準備が出来ました」
そして、その白い椅子の向こう側には、ここが誇る完全で瀟洒な従者……この10年で一番私の傍にいただろう人間のメイド長、十六夜咲夜が微笑みながら立っていた。
「ありがとう、咲夜」
全く、まだお願いした訳でもないし、何なら今日は気まぐれでここに来たんだけどなぁ。この従者の手回しの良さには本当に驚かされる。
……けれど、ちょうど良かった。このままぼんやりしてるのも、味気ないと思ってたところだ。
「それにしても、今夜は月も出ていませんのに、珍しいですね」
「何。夜の王たるもの、月ばかりひいきする訳にはいかないだろう?こうして星とかに想いを馳せるのも、私のつとめというものさ」
「ふふ。それでこそ、夜の王たる器の持ち主です」
冗談めいた掛け合いをしながら、白い椅子に座ると、咲夜は、ティーカップにお茶会の飲み物を注いでいく。
「どうぞ」
「ありがとう…へぇ、バタフライピー、か」
私の目の前に出されたのは、夜空に溶け込むような、濃い青色のハーブティー。
おそらくブレンドされているのか、レモングラスやカモミールの香りが鼻をくすぐり、気持ちを穏やかにしてくれた。
……最初見た時は、あまりにびっくりして、咲夜にまた何か変なもの入れたかと詰めよったこともあったっけ。今は私にとってお気に入りのハーブティーの1つだ。
「はい。花色の紙によく似たこの夜空にふさわしいものを、と」
…どうやら、さっきの歌もしっかり聞かれてたらしい。まぁ、良いのだけれど。そう呆れながら、ティーカップをのぞく。
バタフライピーの青い水面には、星々がかすかに反射して、小さな宇宙を作り上げていた。
「……そうね。金銀の箔を散らしたこの星月夜には、ぴったりだと思う」
…そう満足げに呟いて、私はその小さな宇宙を喉に流し込む。………おいしい。何も入れなくてもすっきり飲める。……今日はレモンは良いかしらね。
そんなことを考えていると、ふと「あ」という咲夜の声が聞こえる。それは咲夜にしては珍しく、呆けたような、けれどどこか弾んでいる声だった。
「何かあったの、咲夜?」
「申し訳ありませんーー流れ星が、見えましたもので」
私が咲夜の方を見ると、咲夜はいつもの瀟洒なほほえみを見せながら、そう返した。何だ、間の抜けた咲夜の顔も見ることが出来ると思ったのにな。
そうちょっぴり残念がりながらまた夜空を見ると、視点の先に、1つの光が走っていくのが見えた。
「そうか…そういえば、そろそろ流星群が来る時期だったかしらね」
月のない夜空だ。流れ星を見るにも良い条件だろう……あ、ほら、そうこうしてる間に、また1つ、見っけ。
「流れ星といえば、1つ気になっていることがあるのだけど---」
ふと、私は咲夜に、前から気になっていたことを聞いてみることにした。
咲夜は、例えばここの大図書館にいるパチェと比べて、豊富な知識を持っている訳でも、論説を柱立てて整理することに優れている訳でもない。
けれど--時には詩的ともいえる発想を使って--特徴的な考えを膨らませて、かつ他人の説も柔軟に取り入れ、楽しませることが出来る。
そんな咲夜との会話が、私は好きで。時々、こうして疑問を投げかけてみては、時間を咲夜に任せてしまうのだ。
「流れ星が流れている間に3回願いごとを声にすれば願いが叶う、というものがあるでしょう」
何でも、「神様が流れ星を通してこちらを覗いている」だったか、そんな言説が流れ星には伝えられているという、そんな話を聞いたことがある。
「実際、あの刹那に3回声にするなんて、無理も良いところなのに……どうして皆、それでも願いごとをしようと考えるのかしら?」
そう。そんなことは出来ない。流れ星は、見えてもすぐ消えてしまうのだから、1回願いごとを話すことすら本来難しいはずだ。
けれど、みんながみんな、流れ星に願いを伝えたい、と待つ。
無理だとわかっていても、流れ星の出現を待つ。それが何故なのか、ずっと気になっていた。
「…惹かれてしまうから、ではないでしょうか?」
しばらく「そうですね…」と考えていた咲夜は、おもむろに、流れ星が活発に行き来する夜空を見上げ、語り始める。
「流れ星は、刹那の間に見えては消えてしまう、夢のような儚い存在。原理も分からず、分かったとしても、いつ見えるかも分からない、そんな神秘的な存在」
こうしている間にも、1つ、また1つと、流れ星が見えては消えていく。そして、気が付けば誰もが、その刹那の時間に…既に過ぎ去った時間の方へと、視点を向けてしまう。
「そんな存在は……みんな、気になって仕方がないんです。注目せずには、惹かれずにはいられないんです。だから、何とかして願いを伝えたい、と考えるのではないでしょうか…………それはつまり、刹那の間でも、流れ星が自分を見てくれたと…『乞ひ』が成就したということに、つながるのですから」
どうやら、咲夜には流れ星に対して、並々ならぬ思い入れがあるらしい。
何だろう、説明する口調に、どこか、熱がこもってるような気がする。
そんなところに、何となく咲夜の人間らしさを感じながら、私は聞いていた。
「なるほど…けれど、そう聞くと、何だか歴史を感じずにはいられないわね」
ふぅ、とため息をつきながら、ハーブティーを一口飲む。
「かつて、流れ星は、悪しきことが起こる前ぶれとして、皆から嫌われていたというのに。今はこうして、ほとんどがそのことを忘れ、ただ夜のロマンとしてもてはやしているのだもの」
「そうですね………もしかすると、だからこそ、流れ星は3回願いごとを声に出せ、なんて条件を出したのかもしれません」
「ささやかな仕返し、とばかりに弄んでいる、ということかしら?」
「はい。みんなの注目を集めてることくらいなら、流れ星だって分かってるでしょうから。けれど、一方でそれは、みんなに惹かれる存在であり続けたいがための、流れ星なりの表現、とも、考えることが出来る気がします」
「複雑なものね……けど、そう考えてみると、なかなか面白い存在ね、流れ星」
面白かった。流れ星の気持ちなんかにも話が発展した辺り、どちらかといえばファンタジー作品の構想を語り合うのに近かったかもしれないけど。まぁ、それでこその咲夜との会話だ。
……けれど。
なぜだろう?
流れ星に「惹かれる」……どうしても、自分にとってとても重要な、身近なことだ、と。
そんな、気がする。
私にとって流れ星は、どうしても歴史的なイメージがどこかにあって。今まで流れ星に願いごとなんて、したことなかったのにな。
私はぼんやり考えながら、ブルーベリーのタルトを手に取る。星を表現してるのか、敷き詰められたブルーベリーの上にはアラザンや金粉が散りばめられていた。
「だけど、咲夜。あなたなら、出来るのではないかしら?」
「あら。それは、どういうことでしょうか」
ちょこんと首をかしげる咲夜を見ながら、手に取ったブルーベリーのタルトをかじってみる。
ブルーベリーの甘酸っぱい瑞々しさを、チーズが緩やかに受け止める。これもおいしい。
「咲夜なら、時間の流れを遅くさせて、流れ星を長く見せられるでしょう?そうすれば、『流れている間に3回願いごとを声に出す』なんて芸当も出来るのではないかしら?」
流れ星が刹那の間に消えてしまうのなら、「その刹那の時間を長く見せれば良いだけの話」だ。咲夜は、時間を操る能力を持っているから、その芸当をこなすことが出来る。
それなら「流れている間に3回願いごとを声に出している」のだから、流れ星だって文句はないはずだ。
…けれど。それに対して咲夜は、ふふふ、とおかしげに笑うだけで。予想していなかった反応に私が呆気に取られていると、「駄目ですよ」と、咲夜は唇の前に人差し指を当てた。
「そんな方法を乱用してしまっては、それこそ流れ星にそっぽを向かれてしまいますから」
その時の咲夜は、まるでいたずらがバレたような子供の顔みたい………多分それが、最もふさわしい表現だった。
「…咲夜」
「はい?」
「さてはあなた、もう試したことがあるのね?」
だから。
きっと、この方法を使い、何か重要なことを流れ星に願ったことがあったから。
咲夜は、流れ星に対して特別な思い入れを抱いていたのだろう。
だから、今私が話したこの方法も、易々と使うのを、許される訳がないのだ。
「ふふ。さて、どうでしょう?」
「それで?どんな願いごとをしたの?」
「……さぁ。申し訳ありませんが、中身はトップシークレット、ということで」
…まったく。
そんな返し方したら「試しました」と言ってるようなものじゃないか。分かってるんだか、抜けてるんだか。
「そう。まぁ、そう言うなら今は聞かないでおこうかしら」
呆れながらも、私はハーブティーに口を付ける。
…あの子供のような表情を見るに。
きっと、それは、咲夜が私たちと出会う前の、ことだったのだろう。
私たちと出会う前、咲夜は、その生まれ持った能力のために、誰もから嫌われたり、良いように使われたりしていた。そのために、ずっと誰も自分のことを見てくれない、と自棄になっていた時もあった、と話していた。
……だから、そんな時期に、咲夜がこうして明るい表情で話すことが出来る「秘密」があって、良かった。そう思っていた。私たちが出会って「十六夜咲夜」という名前を与える前も、咲夜は咲夜として、きちんとそこに生きていたはずなのだから。
…そう考えると、願いごとの中身も……たぶん、そういうことだ。ならば、こちらから聞き出すなんてことはしたくない。その「秘密」は、咲夜から話してくれるその時まで、「秘密」のままにしておこう。
………………
……けれど。これだけ。
「…もう1つだけ、良い?」
「どうぞ」
なぜか喉がからからになっていた。そこから先の声が、うまく出せない。ティーカップを傾けるも、カップの中身はもう空っぽだった。
その時、咲夜はティーポットを私の方に近付けて、ティーカップに青いハーブティーを注いでいく。にっこりと笑う咲夜に敵わないな、と呆れ顔で笑うと、私は注がれたハーブティーを口にした。淹れてからそれなりに時間が経っていたからか、穏やかな程よい暖かさが、私の背中を押してくれたような気がした。
「ーーその時の願いごとは……叶ったの?」
……私は、咲夜の願いを、叶えられたの?
刹那の沈黙。青い水面には、動かない星たちの光が映りこむ。なぜか、その時の咲夜の顔を、私は見ることが出来なくて。私は、小さな星空だけを見つめ続けていた。
……と、その時。動きのなかった青い水面に、1つの流れ星が、差し込んできて。
「--はい」
流れ星と共鳴するかのように、咲夜の返事が聞こえた。短くて、けれど迷いのない高揚した声に、私はゆっくり、咲夜の方に顔を向ける。
その時の咲夜の顔は、さっきの子供のままだった。星明かりが銀の髪に反射して……とても明るく、輝いて見えた。
……あぁ、そうか。
だから、咲夜の説明を聞いた時、すぐに共感出来たのか。
既に私も「流れ星」に惹かれ続けていたのだから。
「…そう。良かった」
良かった。本当に。
願いごとが何か、まだ分かっていないのに。
なぜだか私は、ほっとしていた。
報われたような、気がした。
こうして星空を見つめている今の時間が、咲夜が望んでいた時間なのだ、と。
そう考えることが出来たから。
……………けれど。
ちらり、と咲夜を見る。
「流れ星」を認識してしまったからだろうか。
ついつい、あの月夜のことを、思い出してしまう。
--私は一生死ぬ人間ですよ。
--大丈夫、生きている間はずっと一緒にいますから。
…その時間も、束の間のこと。
きっと、私からすれば刹那の間に、この時間は終わりを告げてしまうのだろう。
気が付けば、流れ星が走り去っていくかのように、どこかへ見えなくなってしまうのだろう。
…だから、もし。
もし、私が今流れ星に願うのなら。
「それでは。私はそろそろ」
「待って、咲夜」
さがろうとする咲夜に、私は声をかける。一礼しかけて、また首をかしげた咲夜に、私は表情を崩さないようにつとめ、続けた。
「--ごめんなさい。もうちょっとだけ……ここにいて」
……ほんの短い間でも良い。どうか。この「流れ星」を、出来るだけ長く私に見せてちょうだい。
「……こんな夜に、1人だけのお茶会なんて。もったいないもの」
あーあ。これじゃあ、夜の王も形無しだなぁ、と心の中でため息をつく。
月をこそ ながめなれしか 星の夜の 深きあはれを こよひ知りぬる………か。
何であの時、この歌を呟いたりなんかしたんだろ。あの歌さえなければ、まだちょっとは気が楽になってたかもしれない。
あの歌は。星月夜を賞したとされる、あの歌は………………
本当は、別離と、悲しみと、密接につながっていた歌だというのに。
流れ星が行き交う夜空を見る。
今から、流れ星が見えなくなった後の静寂の星空を見るのは……ちょっと、考えたくない。さっきまでも、見てたというのに。見たく、ない。
絶対、流れ星が行き交う「過去」とどこかで重ねてしまうから。この歌を呟けなくなって。往時を思い出してしまうから。
それ程までに、流れ星は……もう私にとって、特別な存在になっていた。
ついつい、視界の端に捉えてしまって。願わずには……そして、惹かれずにはいられない存在に。
だから、しばらく傍にいて………また止まった星月夜に向き合うことが出来る、その時まで。あの歌を泣かずに歌える、その時まで。
咲夜はというと、きょとんとした表情を浮かべていた。まぁ、そうかもしれない。こんな縋るようなお願い、声にしたこともないのだから。けれど、すぐにいつもの柔らかい笑顔を浮かべて、
「そういうことでしたら。この夜が明けるまで、咲夜は傍にいますよ」
と、ゆっくり一礼しながら、ティーポットを手に取った。
私は、耐えられなくなって、星が流れ続ける夜空に目を逸らしながら、ティーカップを咲夜に差し出す…………本当、卑怯だ。何も分かってないくせして、こうして、今一番欲しい形で返事を返してくれるんだから。
--この流れ星に、3回も声に出す必要なんてない。1回だけで、それだけで十分だ。
「……ありがとう」
咲夜は、何も返さず、ゆっくり微笑みかけながら、空になっていたはずのティーポットから、バタフライピーのハーブティーを注ぎ始める。湯気を立てながら波立つ青い水面には、また、1つの流れ星が、溶け込むように迷い込んだ。
--プラネタリウムというものを、存在だけは知っていた。
それは、なんでも星空を擬似的にドームに投影させる装置のことで。
そして、準備されたシナリオに合わせて、わざと星空の動きを速めたり遅らせたりすることが出来るそうだ。
実際に行ったことがないから、本当のところはどうか分からないけど、今広がってる景色は、多分そのプラネタリウムのものなんだろうな、とぼんやり考えた。
本来すぐに走り去ってしまうはずの光の筋が、のんびりと散歩して、私に光を見せ続けている、そんな星空が今私の前で広がっていた。
………当たり前の景色のはずだった。
………出来れば見たくない景色のはずだった。
こんな景色が……こんな景色を作り出した能力が、私を孤独にしてしまったのだから。
けれど、今だけは、なぜかそうは考えられなかった。
このプラネタリウムの星空が、綺麗だ、と……本当は孤独なんかではない、と、星空がそう語りかけてるように見えてしまったのだ。
お星さま、お星さま。
歩き続ける光のうちの1つに、手を合わせる。
そして、その光をしっかり見つめて、逃さないようにしながら………その願いを、声に出した。
〜〜〜〜〜〜
なんで、今、夜空を見ようと考えたかは、はっきりしない。多分、いつもの気まぐれなのだろう。
さっきまでちょっとした読書をしていた私--レミリア・スカーレットは、気が付けば紅魔館のテラスから、外を見つめていた。
月の暦で考えると、朔日。つまり、この夜に月は出ない。その代わりに、大小の眩い星々が、溢れんばかりに夜空に散りばめられていて、霧の湖を幻想的に照らしていた。
月夜みたいに明るい星の夜を「星月夜」と表現することがあるらしいが、これは、まさにそう表現するのにふさわしい。
夜の世界にいながら、どちらかといえば月ばかりを見ていた私は、星がここまで夜を照らすことが出来るのか、と、今さらながらに驚いた。何でずっと気付けなかったのかなぁ、と、面白くも、おかしくも感じていた。
「……月をこそ ながめなれしか 星の夜の 深きあはれを こよひ知りぬる……か」
何となく、前に本で読んだ歌を呟いてみる。うん。たしかに。この気持ちを表現するには、ぴったりの歌だ。
そうして、手すりに顔をのせてぼーっと星を見続けていると、突如、パチン、という音が横から聞こえてきた。
横を見れば、さっきまで何もなかった空間に、ティーセット一式とお茶菓子が載せられた白いテーブルと、私の背丈に合わせられた白い椅子が置かれている。
「お茶の準備が出来ました」
そして、その白い椅子の向こう側には、ここが誇る完全で瀟洒な従者……この10年で一番私の傍にいただろう人間のメイド長、十六夜咲夜が微笑みながら立っていた。
「ありがとう、咲夜」
全く、まだお願いした訳でもないし、何なら今日は気まぐれでここに来たんだけどなぁ。この従者の手回しの良さには本当に驚かされる。
……けれど、ちょうど良かった。このままぼんやりしてるのも、味気ないと思ってたところだ。
「それにしても、今夜は月も出ていませんのに、珍しいですね」
「何。夜の王たるもの、月ばかりひいきする訳にはいかないだろう?こうして星とかに想いを馳せるのも、私のつとめというものさ」
「ふふ。それでこそ、夜の王たる器の持ち主です」
冗談めいた掛け合いをしながら、白い椅子に座ると、咲夜は、ティーカップにお茶会の飲み物を注いでいく。
「どうぞ」
「ありがとう…へぇ、バタフライピー、か」
私の目の前に出されたのは、夜空に溶け込むような、濃い青色のハーブティー。
おそらくブレンドされているのか、レモングラスやカモミールの香りが鼻をくすぐり、気持ちを穏やかにしてくれた。
……最初見た時は、あまりにびっくりして、咲夜にまた何か変なもの入れたかと詰めよったこともあったっけ。今は私にとってお気に入りのハーブティーの1つだ。
「はい。花色の紙によく似たこの夜空にふさわしいものを、と」
…どうやら、さっきの歌もしっかり聞かれてたらしい。まぁ、良いのだけれど。そう呆れながら、ティーカップをのぞく。
バタフライピーの青い水面には、星々がかすかに反射して、小さな宇宙を作り上げていた。
「……そうね。金銀の箔を散らしたこの星月夜には、ぴったりだと思う」
…そう満足げに呟いて、私はその小さな宇宙を喉に流し込む。………おいしい。何も入れなくてもすっきり飲める。……今日はレモンは良いかしらね。
そんなことを考えていると、ふと「あ」という咲夜の声が聞こえる。それは咲夜にしては珍しく、呆けたような、けれどどこか弾んでいる声だった。
「何かあったの、咲夜?」
「申し訳ありませんーー流れ星が、見えましたもので」
私が咲夜の方を見ると、咲夜はいつもの瀟洒なほほえみを見せながら、そう返した。何だ、間の抜けた咲夜の顔も見ることが出来ると思ったのにな。
そうちょっぴり残念がりながらまた夜空を見ると、視点の先に、1つの光が走っていくのが見えた。
「そうか…そういえば、そろそろ流星群が来る時期だったかしらね」
月のない夜空だ。流れ星を見るにも良い条件だろう……あ、ほら、そうこうしてる間に、また1つ、見っけ。
「流れ星といえば、1つ気になっていることがあるのだけど---」
ふと、私は咲夜に、前から気になっていたことを聞いてみることにした。
咲夜は、例えばここの大図書館にいるパチェと比べて、豊富な知識を持っている訳でも、論説を柱立てて整理することに優れている訳でもない。
けれど--時には詩的ともいえる発想を使って--特徴的な考えを膨らませて、かつ他人の説も柔軟に取り入れ、楽しませることが出来る。
そんな咲夜との会話が、私は好きで。時々、こうして疑問を投げかけてみては、時間を咲夜に任せてしまうのだ。
「流れ星が流れている間に3回願いごとを声にすれば願いが叶う、というものがあるでしょう」
何でも、「神様が流れ星を通してこちらを覗いている」だったか、そんな言説が流れ星には伝えられているという、そんな話を聞いたことがある。
「実際、あの刹那に3回声にするなんて、無理も良いところなのに……どうして皆、それでも願いごとをしようと考えるのかしら?」
そう。そんなことは出来ない。流れ星は、見えてもすぐ消えてしまうのだから、1回願いごとを話すことすら本来難しいはずだ。
けれど、みんながみんな、流れ星に願いを伝えたい、と待つ。
無理だとわかっていても、流れ星の出現を待つ。それが何故なのか、ずっと気になっていた。
「…惹かれてしまうから、ではないでしょうか?」
しばらく「そうですね…」と考えていた咲夜は、おもむろに、流れ星が活発に行き来する夜空を見上げ、語り始める。
「流れ星は、刹那の間に見えては消えてしまう、夢のような儚い存在。原理も分からず、分かったとしても、いつ見えるかも分からない、そんな神秘的な存在」
こうしている間にも、1つ、また1つと、流れ星が見えては消えていく。そして、気が付けば誰もが、その刹那の時間に…既に過ぎ去った時間の方へと、視点を向けてしまう。
「そんな存在は……みんな、気になって仕方がないんです。注目せずには、惹かれずにはいられないんです。だから、何とかして願いを伝えたい、と考えるのではないでしょうか…………それはつまり、刹那の間でも、流れ星が自分を見てくれたと…『乞ひ』が成就したということに、つながるのですから」
どうやら、咲夜には流れ星に対して、並々ならぬ思い入れがあるらしい。
何だろう、説明する口調に、どこか、熱がこもってるような気がする。
そんなところに、何となく咲夜の人間らしさを感じながら、私は聞いていた。
「なるほど…けれど、そう聞くと、何だか歴史を感じずにはいられないわね」
ふぅ、とため息をつきながら、ハーブティーを一口飲む。
「かつて、流れ星は、悪しきことが起こる前ぶれとして、皆から嫌われていたというのに。今はこうして、ほとんどがそのことを忘れ、ただ夜のロマンとしてもてはやしているのだもの」
「そうですね………もしかすると、だからこそ、流れ星は3回願いごとを声に出せ、なんて条件を出したのかもしれません」
「ささやかな仕返し、とばかりに弄んでいる、ということかしら?」
「はい。みんなの注目を集めてることくらいなら、流れ星だって分かってるでしょうから。けれど、一方でそれは、みんなに惹かれる存在であり続けたいがための、流れ星なりの表現、とも、考えることが出来る気がします」
「複雑なものね……けど、そう考えてみると、なかなか面白い存在ね、流れ星」
面白かった。流れ星の気持ちなんかにも話が発展した辺り、どちらかといえばファンタジー作品の構想を語り合うのに近かったかもしれないけど。まぁ、それでこその咲夜との会話だ。
……けれど。
なぜだろう?
流れ星に「惹かれる」……どうしても、自分にとってとても重要な、身近なことだ、と。
そんな、気がする。
私にとって流れ星は、どうしても歴史的なイメージがどこかにあって。今まで流れ星に願いごとなんて、したことなかったのにな。
私はぼんやり考えながら、ブルーベリーのタルトを手に取る。星を表現してるのか、敷き詰められたブルーベリーの上にはアラザンや金粉が散りばめられていた。
「だけど、咲夜。あなたなら、出来るのではないかしら?」
「あら。それは、どういうことでしょうか」
ちょこんと首をかしげる咲夜を見ながら、手に取ったブルーベリーのタルトをかじってみる。
ブルーベリーの甘酸っぱい瑞々しさを、チーズが緩やかに受け止める。これもおいしい。
「咲夜なら、時間の流れを遅くさせて、流れ星を長く見せられるでしょう?そうすれば、『流れている間に3回願いごとを声に出す』なんて芸当も出来るのではないかしら?」
流れ星が刹那の間に消えてしまうのなら、「その刹那の時間を長く見せれば良いだけの話」だ。咲夜は、時間を操る能力を持っているから、その芸当をこなすことが出来る。
それなら「流れている間に3回願いごとを声に出している」のだから、流れ星だって文句はないはずだ。
…けれど。それに対して咲夜は、ふふふ、とおかしげに笑うだけで。予想していなかった反応に私が呆気に取られていると、「駄目ですよ」と、咲夜は唇の前に人差し指を当てた。
「そんな方法を乱用してしまっては、それこそ流れ星にそっぽを向かれてしまいますから」
その時の咲夜は、まるでいたずらがバレたような子供の顔みたい………多分それが、最もふさわしい表現だった。
「…咲夜」
「はい?」
「さてはあなた、もう試したことがあるのね?」
だから。
きっと、この方法を使い、何か重要なことを流れ星に願ったことがあったから。
咲夜は、流れ星に対して特別な思い入れを抱いていたのだろう。
だから、今私が話したこの方法も、易々と使うのを、許される訳がないのだ。
「ふふ。さて、どうでしょう?」
「それで?どんな願いごとをしたの?」
「……さぁ。申し訳ありませんが、中身はトップシークレット、ということで」
…まったく。
そんな返し方したら「試しました」と言ってるようなものじゃないか。分かってるんだか、抜けてるんだか。
「そう。まぁ、そう言うなら今は聞かないでおこうかしら」
呆れながらも、私はハーブティーに口を付ける。
…あの子供のような表情を見るに。
きっと、それは、咲夜が私たちと出会う前の、ことだったのだろう。
私たちと出会う前、咲夜は、その生まれ持った能力のために、誰もから嫌われたり、良いように使われたりしていた。そのために、ずっと誰も自分のことを見てくれない、と自棄になっていた時もあった、と話していた。
……だから、そんな時期に、咲夜がこうして明るい表情で話すことが出来る「秘密」があって、良かった。そう思っていた。私たちが出会って「十六夜咲夜」という名前を与える前も、咲夜は咲夜として、きちんとそこに生きていたはずなのだから。
…そう考えると、願いごとの中身も……たぶん、そういうことだ。ならば、こちらから聞き出すなんてことはしたくない。その「秘密」は、咲夜から話してくれるその時まで、「秘密」のままにしておこう。
………………
……けれど。これだけ。
「…もう1つだけ、良い?」
「どうぞ」
なぜか喉がからからになっていた。そこから先の声が、うまく出せない。ティーカップを傾けるも、カップの中身はもう空っぽだった。
その時、咲夜はティーポットを私の方に近付けて、ティーカップに青いハーブティーを注いでいく。にっこりと笑う咲夜に敵わないな、と呆れ顔で笑うと、私は注がれたハーブティーを口にした。淹れてからそれなりに時間が経っていたからか、穏やかな程よい暖かさが、私の背中を押してくれたような気がした。
「ーーその時の願いごとは……叶ったの?」
……私は、咲夜の願いを、叶えられたの?
刹那の沈黙。青い水面には、動かない星たちの光が映りこむ。なぜか、その時の咲夜の顔を、私は見ることが出来なくて。私は、小さな星空だけを見つめ続けていた。
……と、その時。動きのなかった青い水面に、1つの流れ星が、差し込んできて。
「--はい」
流れ星と共鳴するかのように、咲夜の返事が聞こえた。短くて、けれど迷いのない高揚した声に、私はゆっくり、咲夜の方に顔を向ける。
その時の咲夜の顔は、さっきの子供のままだった。星明かりが銀の髪に反射して……とても明るく、輝いて見えた。
……あぁ、そうか。
だから、咲夜の説明を聞いた時、すぐに共感出来たのか。
既に私も「流れ星」に惹かれ続けていたのだから。
「…そう。良かった」
良かった。本当に。
願いごとが何か、まだ分かっていないのに。
なぜだか私は、ほっとしていた。
報われたような、気がした。
こうして星空を見つめている今の時間が、咲夜が望んでいた時間なのだ、と。
そう考えることが出来たから。
……………けれど。
ちらり、と咲夜を見る。
「流れ星」を認識してしまったからだろうか。
ついつい、あの月夜のことを、思い出してしまう。
--私は一生死ぬ人間ですよ。
--大丈夫、生きている間はずっと一緒にいますから。
…その時間も、束の間のこと。
きっと、私からすれば刹那の間に、この時間は終わりを告げてしまうのだろう。
気が付けば、流れ星が走り去っていくかのように、どこかへ見えなくなってしまうのだろう。
…だから、もし。
もし、私が今流れ星に願うのなら。
「それでは。私はそろそろ」
「待って、咲夜」
さがろうとする咲夜に、私は声をかける。一礼しかけて、また首をかしげた咲夜に、私は表情を崩さないようにつとめ、続けた。
「--ごめんなさい。もうちょっとだけ……ここにいて」
……ほんの短い間でも良い。どうか。この「流れ星」を、出来るだけ長く私に見せてちょうだい。
「……こんな夜に、1人だけのお茶会なんて。もったいないもの」
あーあ。これじゃあ、夜の王も形無しだなぁ、と心の中でため息をつく。
月をこそ ながめなれしか 星の夜の 深きあはれを こよひ知りぬる………か。
何であの時、この歌を呟いたりなんかしたんだろ。あの歌さえなければ、まだちょっとは気が楽になってたかもしれない。
あの歌は。星月夜を賞したとされる、あの歌は………………
本当は、別離と、悲しみと、密接につながっていた歌だというのに。
流れ星が行き交う夜空を見る。
今から、流れ星が見えなくなった後の静寂の星空を見るのは……ちょっと、考えたくない。さっきまでも、見てたというのに。見たく、ない。
絶対、流れ星が行き交う「過去」とどこかで重ねてしまうから。この歌を呟けなくなって。往時を思い出してしまうから。
それ程までに、流れ星は……もう私にとって、特別な存在になっていた。
ついつい、視界の端に捉えてしまって。願わずには……そして、惹かれずにはいられない存在に。
だから、しばらく傍にいて………また止まった星月夜に向き合うことが出来る、その時まで。あの歌を泣かずに歌える、その時まで。
咲夜はというと、きょとんとした表情を浮かべていた。まぁ、そうかもしれない。こんな縋るようなお願い、声にしたこともないのだから。けれど、すぐにいつもの柔らかい笑顔を浮かべて、
「そういうことでしたら。この夜が明けるまで、咲夜は傍にいますよ」
と、ゆっくり一礼しながら、ティーポットを手に取った。
私は、耐えられなくなって、星が流れ続ける夜空に目を逸らしながら、ティーカップを咲夜に差し出す…………本当、卑怯だ。何も分かってないくせして、こうして、今一番欲しい形で返事を返してくれるんだから。
--この流れ星に、3回も声に出す必要なんてない。1回だけで、それだけで十分だ。
「……ありがとう」
咲夜は、何も返さず、ゆっくり微笑みかけながら、空になっていたはずのティーポットから、バタフライピーのハーブティーを注ぎ始める。湯気を立てながら波立つ青い水面には、また、1つの流れ星が、溶け込むように迷い込んだ。
最初のシーンは誰かと思ったのですが、後から見返して咲夜と分かりました。恋焦がれるおんなのこは可愛い。
美しさと儚さの同居する、優しくてどこか悲しい気分になる作品でした。良かったです。
綺麗なお話でした
なんて夜空の似合うコンビなんだと思いました
とても面白かったです。
長命のレミリアが人間である咲夜に向ける思いは、我々が儚い流れ星に対して抱く憧れや切なさのようなものを含んでいるんですね
一瞬の時間の中に大切なものを封じ込めたような作風がとても好きです
また、引用されている歌も本当にしみじみとした良さがあります。この歌をこんな素敵なSSとともに知ることができて良かったです