「小指の下にある、この短い線、結婚線と言います。二本ありますね。『新婚気分を二回味わえる』相とされています」
「えー!」
「ねえねえ、それって一回離婚するってこと?」
若い女性二人組が黄色い声を上げる。
「そういう可能性もないわけではないのですけど、」
向き合って再び声を上げる二名。
落ち着くのを待ってから言葉を継ぐ。
「付き合っている人とリフレッシュした気持ちでやり直せるという意味もあります。マンネリがなくなるわけですね」
「やったじゃん、倦怠期回避!」
「あははー、でも一回冷めちゃうんじゃないのぉ」
「冷めるかどうかはわかりませんけど、当初の熱い想いがよみがえるということでは、良い意味にとらえても宜しいのではないでしょうか」
「そっかー。ねえ、じゃあ結婚できるのっていつ?」
「やだァ、やめてよー、超遅かったらどうするのよー」
「それはですね、結婚線の位置が関係しているとされてます」
卓上の行燈に掌をかざし、指差す。浴衣姿の二名が顔を近づけてきた。
「小指の付け根と感情線のちょうど真ん中にあれば、日本女性の平均結婚年齢29か30ほどで結婚すると言われています。この場合、二本ある結婚線のうち、長い方を本命と考えれば……一ミリほど小指寄りですね」
「つまり? つまり?」
「31か32歳くらいでの結婚と。そういうことになりますか」
再び沸きたつ黄色い歓声。
祭りの熱に浮かされているのもあるんだろうが、いやはや元気だ。そこまで精力的にいられるのなら、相手を早々と捕まえて結婚に踏み切れるだろう。
「ただ、手相というのは変わるものですし、解釈の仕方も様々です。あくまで参考程度ということで御承知おきください」
「なるほどー」
以上、手短ですが、と頭を下げる。
「面白かったぁ」
「ありがとうございましたー」
「はい、また機会がございましたら」
ニコリと笑みを作って見送る。
二人は祭りが行われている場所とは反対の方へ去っていった。早めの帰宅をするのだろう。
紅白の提灯は幾分離れたここにも光を届け、囃し声や喧騒も勢いを感じさせる。まだまだ祭りは続く。
とはいえ深夜も深夜だし、女同士では長居もできまい。村の中心付近であっても当然の用心だ。
ボクもまたその辺を予測して、この時間帯に店を出している。祭りを一通り楽しんだ後、帰路に就く女性たちを相手に手相を見るのだ。
「店」といったが、実際はその体を為しているとは言えない。祭りの日限定で、占いは本職ではない。副業とも呼べない。鑑識眼は何冊かの本に頼っただけの素人レベルだ。
ただそれでも、机に黒布を被せて行燈を置いただけの所に、寄ってきてくれる客は意外と多い。そのほとんどが女性だ。
それだけ自分の性格や今後の人生について興味を持っている人がいるということだろう。女性の割合が多いのは、内面を見たり、神秘的なものに惹かれる傾向が男性より強いからか。
まあ、ちょっとくらいは自分の腕にうぬぼれてもいいかもしれないけど。
一応、年に数回ある祭りの度に店を出して場数は踏んでいる。ある程度複雑な線の走り方にも説明を付けられるし、訪れる人が欲するものを察し、取捨選択した情報を適切な話術で飾って提供することもできるようになった。
それでだかどうだかはわからないが、
「そういえば、占いのお店やってる人がいるんだって、こういうときに」
そうそう、そんな感じで「祭りの夜に手相を見てる男がいる」というのがよもやま話に登場するくらいには有名になったようだ。
「ふーん、売らないなら店出さなきゃいいのに」
「そういう意味じゃないよ、チルノちゃん……。あっ、もしかして、あれ!」
目が合ったので、笑みを浮かべて会釈する。
向こうも慌てて頭を下げてきた。そしておずおずと近づいてくる。
たまたま通りがかったときに、たまたま話題に上らせた手相占い師と、たまたま出会う。ここまでたまたまが続くと運命的なたまたまを感じるね。
少女の背中には薄い羽が生えていた。連れ立ってやってくる相方にも羽らしきものがある。妖精か。
人外が人里に姿を現すのは珍しくなくなっていた。例外なく人を食うとされる妖怪については未だ警戒されている向きはあるものの、それ以外の存在については普通に人間たちの生活に溶け込んでいる。
歩いてきた方向からすると、祭りを楽しんできた帰りだろう。それにどちらも綿菓子を手にしている。
青いワンピースに緑髪の少女が聞いてくる。
「えーと、あの、占いやってる人ですか?」
「はい、手相やっています。見ましょうか?」
「大ちゃん止めようよ、こいつウサンくさい」
「ちょ、チルノちゃん! す、すみません」
「いえいえ」
まあ、薄暗い所で祭りにも参加せず、地味な着物着てじっと座っている男がいたら、変に見られても不思議ないよなあ。周りには他の屋台の影もないし。
趣味が高じて家族や知人たちでは飽き足らず、もっとたくさんの人の手相を見てみたいという欲求が無かったら、ボクだってこんな酔狂はしていない。
チルノと呼ばれた青いワンピースに青髪の少女は、ずいっと目の前に仁王立ちする。指を突きつけられた。
「あんたが何を売らないか知らないけどさ、最強のあたいに敵うと思わないことね!」
……クレーマーにしては変わっているな。言っていることが何一つ理解できない。
「チルノちゃん、この人はね、手相占いしてるの。手を見て、性格とか将来を当ててくれるんだよ」
「手を見るだけでっ? へぇー! へぇえー?」
青の妖精は何か文字でも書いてあるのかと、顔をあちこち動かしながら自分の手を凝視し始める。
「あはは、ずいぶんユニークな方ですね」
「おおっ?! 大ちゃん、すげーよ、こいつ! 手も見ずに当てた! 最強じゃん! あたいほどじゃないけど!」
大ちゃんと呼ばれた妖精と顔を見合わせる。彼女は何とも言えない表情を浮かべていた。ボクも同じだろう。
ああ、苦労しているんだなあ、と思った。
背も高く、しっかりしているのでお姉さん役のように感じる一方、気が弱そうに見えるのはいつも振り回されているからか。
「じゃあ、ちゃんと占ってもらおうよ。ね?」
「おー、どっちが最強か、勝負だ!」
方向性のつかめない勘違いはともかく、緑の妖精が一人分の料金を渡してきた。椅子を勧めて座らせ、虫眼鏡を手に取る。じゃあ見させていただきましょうか。
「では、お手を拝借」
「おし、見ろ!」
青い妖精の手が目の前に突き付けられる。うん、近いね。まだ老眼を心配される年じゃないから。
手を行燈の傍に下ろして、いつものように説明する。
「御存知かもしれませんが、手相においては三本の基本的な線があります。上から感情線、知能線、生命線ですね。一番はっきりと見える線でもあります。えぇと、お客様の場合は……」
…………あれ?
「知能線が、ない?」
驚きがつぶやきとなって漏れてしまう。
緑の妖精が口に手を当てた。
「そんな、チルノちゃん、まさかそこまで……」
「あ、いや、まさか」
言葉に詰まる。前代未聞の手相に脳回路が混線しまくった。
いくらなんでも知能ゼロってことはないだろう。しかし、人間はともかく妖精ならば? いや、そんなはずは。
「え、あたいの手、そんなにすごいの? 最強?」
「うん、そうだね、チルノちゃん。強く生きようね……」
いかん、慰めモードに入っている。
頭の可哀想な子で確定してしまっては良くない。
かといって、「手相は変わる」と慰めても、ハゲの方に「ウブ毛が生えますよ」と言うようなもので、かえって惨めになるのは必定だ。じゃあ手詰まりか? いや早々に結論づけるな。
良い手相も悪い手相も一通り見た。知能線がないなんてのは、確かどの本にも載ってなかったはずだ。
思い出せ。類似の手相、関連する手相、読み取るための項目。
そして天啓がひらめいた。
「思い出しました!」
「えっ」
「それは感情線と知能線が一体化している相です。強烈な個性を持ち、幸運にも恵まれています。女性の場合、竹を割ったようなサッパリとした性格で、面倒事もテキパキ片づけられる人が多いですね」
色気がなく、結婚運にも恵まれないというのは敢えて黙っておく。
感情線の項目で暗記しており、また初めて実例を見たので失念していた。
一度言葉が出てしまえば、あとはスラスラ説明できた。
「すごいよ、チルノちゃん。強烈な個性と幸運だって」
「さすが、あたい! 強烈なオットセイのウンコ!」
なるほど、こりゃ結婚できないな。
(ともかくも良かった良かった)
心の中で胸を撫でおろす。
手相鑑定で不幸になるなんてことはあっちゃならない。二、三の懸念を示すことがあったとしても、全体として肯定的に評さなければ、やる意味がない。
ボクの個人的な信条だ、手相についての。
背かない形で示せてよかった。緑の妖精の笑顔を取り戻せた。
「やっぱりあたいは最強だからね!」
そちらは終始一貫そればっかですね。
「あの、他にはどんなことがわかるんですか?」
「あたいのもっとすごいとこ、言ってよ!」
よし、この調子で元気づけてあげちゃおう。自分を知ることの楽しさと未来への希望を伝えよう!
こちらも何か嬉しい気持ちになって、簡単なうんちくを披露する。
「知能線と生命線の起点は通常くっついています。これは常識的な相ですね。起点が離れている場合もありますが、1ミリ単位で離れれば離れるほど感覚的・積極的になります」
これついては「1・2ミリ」「3・4ミリ」「7ミリ程度」という分類を自分は記憶している。
「あの、するとチルノちゃんのこれは……」
「え?」
説明を聞きながら自分たちで見ていた手を出してくる。
顔を近づけて確認すると、
「…………はい?」
「2センチ以上離れているんですけど……」
マジですか。
唖然とする。だが、何度見返しても事実は変わらない。今度こそ前代未聞だった。
「くっついているのが常識的なら、こんなに離れているのはとっても常識知らずの……っ!」
「い、いや、いやいやいや、断定はできませんよ。たとえば、確かに7ミリ以上離れているなら、思い込みが強いとかものを深く考えないとかありますけど、」
「倍以上離れているチルノちゃんは、思い込みが誇大妄想狂レベルで、ものを深くどころか表面的にも考えられないということに!!」
そこまで言ってないよ?!
勝手に取り乱しまくる緑の妖精に対し、青の妖精は「つまり最強? あたい最強?」と何も考えていないキャラクターを見事に表現しきっている。
「いや、あの、」
「大丈夫です。チルノちゃんがどんなに不幸な星の下に生まれたのだとしても! 私が最後まで責任をもって……!」
緑の妖精は青の妖精をギュッと抱きしめると、そのまま引きずるように連れて、去っていった。一言も声をかけるスキを与えずに。
生あったかい夜風が通り過ぎる。
「責任って、何……?」
ボクは引き留めるために上げた手を、力なく落とした。
座り込む。
ドッと疲れが出て、何だか体が重さを増したかのようだ。
──いやぁー……こういうことってあるんだなぁ……
突風に押し倒された気分だ。予測などできない。それとも風の息遣いを感じていれば事前に気配があったのだろうか?
大きく息を吸い込み、吐いた。
背筋を伸ばし、両手を広げると、パン!と頬を叩く。
気を入れなおそう。
また新しくお客さんが来る。
その際こちらの精神的ダメージは関係ない。気持ちよく訪れてもらい、気持ちよく帰ってもらう。それは貫かないとならないのだ。一度や二度の失敗を引きずってちゃしょうがない。
「おっと」
そう思っている間に、向かってくる二人組が目に入った。
営業スマイルを作って待ち受ける。
仲睦まじく腕を組んで歩いてくる。おそろいの浴衣。女性同士のカップルか。
どちらも金髪だが、一方はカチューシャを付けており、もう一方は片方を緩い三つ編みにしている。
「ほら、魔理沙、あれが前に話してた、」
「ああ、手相占いな。じゃあ、やってみるか、アリス」
頭を下げて、「では、お座りください」と着席させる。
二人分の料金を受け取った。となると、相性を観てもらうとかかな。
「あの、二人の相性とかわかりますか」
「ええ、大丈夫です」
案の定、ね。
互いの手を出してもらい、説明を始める。
「一見いたしますと、違う手相になってますね。良い傾向です」
「そうなんですか?」
「同じだと性格がカチ合うことでいさかいが起きますので。手相が違うものであれば、お互いに補う形で関係が上手くいくとされてます」
「へえ、そうなのか」
「嬉しいわね、魔理沙」
「だな。ラブラブカップルだ」
「また恥ずかしいこと言って!」
拳で叩くジェスチャー。目の前でのろけられる。
いい出だしだ。手相を仲立ちにして愛情を深めてくれれば言うことはない。この調子で喜びの気分のまま帰ってもらおう。
三つ編みさん(仮)の手を取る。男勝りの口調もあいまってハツラツとした感じを受ける。手自体の印象もそれに合致していた。
「厚みを感じる手ですね。魅力を持つ手です」
「見るのは掌の線だけじゃないんだな」
「ええ、色や爪の形なども手相に入ります。お客様は中指と薬指が広く開いてますね。自由奔放で気ままな相です、これは」
「当たってるかもな」
「かもじゃないでしょ?」
「あはは、程度の程はわかりかねますがね。では次はそちらの方を」
突っ込みを入れたカチューシャさん(仮)の手を取る。
「手そのものの幅が狭い……というのは芸術家タイプですね」
「あら」
「おお、合ってるじゃないか」
「同時に恋愛感情に敏感で、やや神経質という相でもあります」
「うーん、当たってるかもね」
「かもじゃないだろ。特に神経質ってところ」
「あはは、まあ例によって、程度の程はお二人の判断にお任せしますが。でも、手の甲が白いですよね、これも芸術家タイプで勘が鋭いという相なんですよ。裏付ける形になります」
手を離す。
パッと両手を広げて双方の手の横にかざす。「2つで1セット」というジェスチャー。
「ともかく二人の相性は良いことになりますね。ここまで対照的なものはそうそうお目にかかったことはありませんから」
その言葉に二人は恥ずかしそうに笑いあう。いい流れになっているな、よしよし。
「では、次は基本的な線を見ていきましょうか。失礼しますね」と、カチューシャさんの手を取る。「感情線が端から端まで一直線ですか、これは、ですね」
言葉に詰まる。が、無理に言葉を喉から押し出す。
「強い愛情を持っていますね。独占欲、というか、えぇと、相手のことを誰よりも大事に想っている相ですかね」
「へぇ……?」
「そんなに想われると照れるぜ」
三つ編みさんにはともかく、本人には焦りを見透かされたか、やや不審そうに向けてくる視線が痛い。そこはやっぱり「勘が鋭い」ということか。しかし、正直に言うには躊躇せざるをえなかった事情がある。
愛情が強いどころじゃない。相手を独占しなければ気が済まない相なのだ。
小さなことで恋人を疑い、勝手な想像でジェラシーを覚える。失恋したら最悪で、自暴自棄になって激情的な復讐心を燃やして、最終的には……その、何だ、極端な行動に走ることもありうるとされてる。
言えるわけがなかった。
「後はそうですね、感情線から支線が下向きに出てますね。……あぁ、本気の恋愛をする人に現れる線ですよ」
「あっはっは、想われてるなぁ、私」
「そう、ね」
「打算的であったり、軽い気持ちであったりという恋ではない、良い相ですね」
うぅ、不審がる目がまだ解けない。上手く誤魔化せたと思ったのだが、内心の動揺をさとられでもしたか。言葉を足して取りつくろったものの、あまり意味を為してないようだ。
動揺するのはしょうがないだろう。なにせ──失恋の相だ。しかも支線が太くて長い。それだけ心の傷が大きくなることを表す。さっきの手相と合わせると、脳内で恐ろしいサスペンスドラマが展開されてしまう。
軌道修正しよう。
そもそもは二人の相性を見ていたのだ。感情線の相違を強調すればいい。
「では、こちらのお手を拝借します」と、三つ編みさんの手を取る。
「ああ、下向きに支線が出ているのは同じですね。長くはありますが、細いという点で違います。で、星が、出てますね」
「星ってなんだ? 星の魔法はよく使うんだが、希望とか可能性とかいい意味なんだろ?」
「あ、うん、ええと、いろんな解釈がありますので。……あ! 起点に細かな支線がいくつかありますね。人気者の相ですよ、これ」
「おおっ」
「人当たりがよく、社交性豊かで、明るくユーモラス! 豊富な話題で人を引き付ける! いいですねえ!」
「やったぜ、いい相だってさ、アリス!」
「そうね、魔理沙はもてるものね」
「いやー、来て良かったぜ」
何で一人で来てくれなかったんだ、と思わざるをえない。
とてつもなくもどかしい。本当に言いたいアドバイスを封じ込めなくてはいけないのが。胸にものすごい煩悶が渦巻いている。
星というのは手相に生じたアスタリスク(「*」のこと。そもそもアスタリスクが「星」という意味だ)の呼び方なのだが、一部の例外を除いて大抵悪い意味だ。
三つ編みさんの場合、感情線と生命線の両方に星が現れており、さらに双方が線で繋がっている。
最悪だ。
恋愛のトラブルから恨みを買う相だ。さらには命に関わる終末も待ち受けている。
ものの本にはこうあった。「身に覚えがあるなら即座に縁を切り、行方をくらますくらいのことをすべき」。
こんなもん、本人を目の前にして言えるわけがない。
それでもそれとなく伝えるべきだろうか。いや、カチューシャさんは勘が鋭い。伝えるべき相手に伝わらなく、事態を悪化させかねない。手詰まり。どうにもならない。
(……待てよ)
少し光明を見出す。
身に覚えがなければいいんだ。現在進行形の浮気とか、そういう相が出てなければバッドエンドは逃れられる。そして、「一人の方を一途に愛することが大事ですよ」とアドバイスすることで一応の片はつく。
「ええと、他の線は……」
三つ編みさんの手相をざっと見る。そういったことに関わりがあるかないか、一枚の盤面を見つめる。
結婚線は細かいものがたくさん。これは異性の友達が多い相なので多情に見られがちだが、グレーゾーンだろう。浮気とかではない。深入りするとトラブルを起こす暗示があるが、注意すれば回避可能だ。
他には……
「………………ぅ」
小さくうめく。
見つけてしまった。見なけりゃよかったと思ってしまうほど、決定的なもの。
これは、まずいだろ。
目をそらして別の相の話題を出そうとしても、駄目だった。気を取られてしまう。芋づる式に最悪の結論を裏付けるような相しか目に入ってこなかった。
「あら、どうしたんですか、占い師さん」
ひ、ひぃいいいい? 怖い! カチューシャさんの笑顔が怖い! 笑顔というか目が笑ってない! 何かしら勘づいてらっしゃる! あることないこと想像して暗い恋心を燃やしてらっしゃる!
ただならぬ気配を感じ取ったのか、三つ編みさんも焦った様子で尋ねてくる。
「お、おい、どうしたんだよ。どんな結果が出たんだ?」
「い、いえ、不勉強なもので手相をド忘れしちゃいまして。ちょっと待っててくださいね」
そう言って、机の下から本を取り出す。幾つか持っている手相学の本の一つだ。
適合する良い相だけを紹介してお茶を濁そう、と開く間もなく、取り上げられた。
「え、あの、」
「ちょっと貸してくださいな」
カチューシャさんがパラパラとめくっていく。
口元だけの笑みを浮かべて、自分の手と見比べている。
「あら、私の生命線、起点に横線が入ってるから、ヒステリックってことね」
「あ、でも、それは手先の器用さとも関わってまして」
「あらあら、結婚線から延びた線が生命線の内側まで入っているわね。『三角関係のもつれから重大な問題にまで発展する』か、心当たりある?」
突然矛先を向けられた三つ編みさんは慌てて首と両手を振る。
焦り過ぎだ。勘が鋭くなくても十分心当たりがあることがわかってしまう。
「あの、手相は、その、変わる可能性もありまして」
「あらあらあら、運命線を横切っている線があるわ。これって『恋人に裏切られる』相なのね。ふーん、へぇえー」
取り繕うにも押し寄せる分析に、何も言えなくなる。
三つ編みさんが助け船を求める必死の目線を送ってくるが、すみません、泥船しか用意できません。というか、豪華客船でもタイタニックと化すレベルです、これは。
「じゃあ、魔理沙の手相はどうなのかしらね? あらあらあらあら」
表面上穏やかでありながら内実は荒々しい「あらあら」が続く。
「運命線と感情線が合流して中指に向かっているのは……『恋多き人』の相なのね。ほれっぽくて色んな相手に恋をする。ああ、それと生命線の終わりに三角があるわね。『三角関係で恨みを買う』相だって。私のと被るわね。月丘から出た線が運命線と合流するというのも該当するわ。『人に言えない恋に落ちやすい』」
相方の手も見ずにページをめくっているので、「いや、あのですね、ちゃんと本人の手相と比較した方が、細かい点とか、」と言葉を差すと、すぐに返された。
「魔理沙の身体はシワの一本も残さず頭に入っているわ!」
何それ怖い。
「あらぁ、大変よ魔理沙」
「あら」は五進法で「あらぁ」に変わるのだろうか。カチューシャさんが大仰に目を見開く。
「生命線の傍に×印。これは『命にかかわるトラブル』ね。運命線に目の形が現れているのは『突然の不運』ですって。何があるのかしらね」
何があるか、というか、何をするつもりなのかを聞きたい、あなたが。
三つ編みさんと一緒になって固まっていると、カチューシャさんが三つ編みさんの腕をつかむ。
「ひっ」と息をのむ三つ編みさんに、カチューシャさんは底冷えのする声で言う。
「大丈夫よ、安心して。どんなことがあっても私が守るわ。私だけが守るわ。そう、運命は変えられるの。いざとなったら線をナイフで刻んでも……!」
何それも怖い。
カチューシャさんは席から立ち上がると、三つ編みさんを引っ張って立たせ、「帰りましょう」とその場から離れていった。
腕を組んでいるのは来た時と同様なのだが、存在していたはずのカップルの微笑ましさが欠片として無くなっている。ガッチリ拘束して連行しているようにしか見えない。
三つ編みさんは「ゴメン」とか「悪かった」とか言っているようだったが、カチューシャさんは聞く耳持たず、「ふふふふふふふふふふふ」と笑声を漏らす自動人形のように遠ざかっていく。
傍目には仲睦まじいカップルで、伴うBGMはラブソングな感じなのかもしれないが、ボクの脳内にはドナドナが流れていた。
前の妖精もそうだったが、同伴者を力づくで連れ去るってのが最近のトレンドなんだろうか。
そんな現実逃避な思考を巡らせていると、カチューシャさんから何かが落ちたのに気がついて、反射的に取りに向かう。
「あの、これ、」
と拾い上げようとして固まった。
ワラ人形だった。
取りに向かったモーションを逆回しにして席に戻る。見なかったことにしよう。
心の中で一度だけ、三つ編みさんに対して合掌する。
そして肩を落としてため息をついた。
だが、今度は状況に対して嘆いたわけではない。対象はボク自身だ。
ハプニングに対して適切な対応を取れなかった。不幸な結末に至るのを為すすべもなく看過してしまった。
何かできるはずだったのに、その能力が自分に備わっていなかった。理由──その大きなものにうぬぼれがあったことは否定できない。一応場数は踏んでいたと自負していたが、今までが幸運だっただけなのだ。
曲がりなりにも一つの職を営む者としてこの場にいるのであれば、思いもかけないトラブルに出くわすのは必定。想定と覚悟を繰り返してこなかったツケがここに来たわけだ。
本当に、思い知らされた。
本業についても同じことが言えるのではないだろうか。どこかに甘さがあるのではないか。いや、そもそも自分の人生そのものが……。芯の通った生き方をしていれば、何事にも動じずに対処できる自分であったはずだ。
ボクは変わらなくてはいけない。根本的に。
「……ふふっ」
何とも言えない笑いが漏れる。
こういうのも、占いを通して自分と人生を見つめることになるのだろうか?
こづかい稼ぎにもなったし、好奇心も満足させられた。でも、今回、一番の報酬を得たような気がする。
うん、いろいろ学ばないといけないな、ボクは。
よし、今日は早々に店じまいだ。帰って今までの反省、これからの生き方を考えよう。
顔を上げ、道具を片づけようとして、止まる。
目の前に腕が一本。空中からこちらに向けて突き出されていた。
白い長手袋に覆われたしなやかなそれは、女性のものだ。しかし、持ち主は見えない。腕の一本しかない。
恐る恐る声を掛ける。
「あの、妖怪の方ですか? 手相、見ますか?」
面食らいはしたものの、以前にも変わり種を相手にしたことは幾度かある。首だけの妖怪が『ゆっくり手相を見ていってね!』と来たときはどうにも難渋したが、今は幸いにも手が存在している。
しかし、口が無いのではしゃべれるかどうか心配だ。そもそも客として来たのかどうか?
手話でやられたらどうしよう。筆談をお願いしようか、などと悩んでいたら、
「お、お願いします。手相……」
かすれた声が耳に届いた。
暗がりに目を凝らせば、腕の根元をくわえているような裂け目が見える。両端を赤いリボンでくくっているが、あれが口に当たるのだろう、多分。
腕の印象と同じく、品のある女性のものだ。年齢の程はわからない。少女と言えるくらいに若いのか、あるいは……。声の質からはどのようにも受け取れる。
ふと、既に一人分の代金が机上に置かれているのに気づく。
(いつの間に──)
無音で移動、出現、行動できるのか。もしかして妖怪ではなく幽霊の一形態なのかもしれない。
ともかく客は客だ。見させていただこう。
「お手を拝借」と手を添えると、ビクッと震えたので、ちょっと驚く。
「指を広げずにくっつけて出す方は『繊細』、別の見方をすれば『消極的』とされてますが、いかがでしょうか」
「合ってると……思います」
消え入るような声はやっぱり幽霊を連想させる。けれど、布越しに伝わってくる体温は、生きている存在のそれだ。
相手の正体はつかみかねるが、敵意や殺意は感じない。危険視する必要はないだろう。
「えぇと、では手袋を外してよろしいでしょうか」
「えっ」
「えっ」
びっくりされたことにびっくりする。何か変なこと言っただろうか?
「ど、どうしよう、藍。手袋外すって」
『当り前でしょう、手相見るんですよ。服着たまま風呂に浸かる阿呆はおりません』
おや? 違う声質の言葉が同じ口から流れてきた。そちらも女性のものだが、落ち着いた口調でややハスキーだ。
声はこちらを無視した形で続く。
「で、でも、それだと殿方の肌が、直に、直に」
『「窓に、窓に」みたいな言い方止めてください。そんな大事じゃあるまいし。まあ、処女をこじらせた結果ならわからなくもないですが』
「しょっ……! そ、そんなわけないじゃない! やーね、私を誰だと思ってるの? 伊達に長生きしてあちこちの世界を渡り歩いてないわ。人生経験は豊富、恋愛経験だってね!」
『へえ、そうですか。お見それしました。それでは祭りという祭りに顔を出し、しかして声の一度も掛けることなく二年以上経過したのは、単なるヘタレではないということですね?』
「ぐぅ……あ、当り前でしょ、私にふさわしい男かどうか見定めてただけよ」
会話をしているように思えるが、どういうことだろう。二つの人格が同居しているタイプの妖怪? それが自問自答しているとか? うーん、初めてお目にかかるなぁ。
腕一本の妖怪はこちらを無視する形で話を続ける。
『なるほど、なるほど。ようやく接触したかと思ったら、直接顔を合わせるのさえできない恥ずかしガリア戦記か、とっととルビコン川を渡りやがれ、そんなふうに考えていた時期が私にもありました。だが、実は違ったのですね、消極的という診断結果は当たってはいなかったのですね』
「ふふん、気易く私の尊顔を拝謁できると勘違いされたら困るもの」
『では、とっとと手相を見てもらいましょう。あ、占い師さーん! 一つ恋愛運など診断願います! それと手をしっかり握ってくださいな!』
「ちょっ」
ようやく自分の仕事に移れるようだ。軽く引いただけで手袋はスルリと滑らかに脱げた。女性らしく白く細い手が現れる。
「ええと、先ほどからやや震えを感じますね。指を広げたときにこの状態になると、運勢がダウンしていることになるのですが──広げる以前にこうなってますから、そういうことはないでしょう。……冷えるんですか?」
「藍~、手が、手が触れてるぅううう」
『何を泣いてるんです。まさか感涙? どこまで純情ロマンチカですか』
こちらの言葉が届いてないようだが、大丈夫だろうか。意思の疎通が図れるかとても心配だ。
「それで恋愛運でしたか、悪くないと思いますよ。結婚線ははっきりと横に刻まれていますからね。位置は真ん中だから、29、30歳で結婚できるかと」
沈黙。
あれ、何かまずかったか。
「………………そ、そんなの千年以上も前にっ……」
『ミレニアムの処女ですね。世界樹ですね』
しまった、相手は妖怪だった。人間よりも長命であることを失念してた。
「すみません、あくまで平均年齢です。人間なら人間の、妖怪なら妖怪の」
『よかったですね、紫様。結婚してなくても不思議ないそうですよ、この先さらに千年以上』
「おだまり!」
どうもフォローにならなかったみたいだ。妖怪は多種多様な特徴を備えていて、こちらの想定の及ばないところがある。年齢については触れないでおこう。
「失礼いたしました。まあ、まだ結論を出すのは早いですから。恋愛運・結婚運は結婚線だけでなく、全体を見て鑑定するのが定石となってます」
『生命線とかどうなってますか? この先、永遠に生きて、結婚適齢期も永遠に来ないとか』
「藍ッ、いい加減にしなさいよ!」
「確かに健康そのものですね。切れ目がなく、深く刻まれて、ややピンク色。理想的です。終点に細かい線があって房状になっているのが、ちょっと気になりますが」
『それ何です? 気にしないのでズバッと言っちゃってください」
「あんた人ごとだと思って!」
「二、三本の枝分かれならば自然なのですが、こうなると……」
『どうなるんです?』
「晩年、急激な老化現象が」
『ぶわははははっははは!!』
笑い声が爆発したかと思うと、鈍い音と『痛ァ!』という悲鳴がほぼ同時に聞こえた。
もしかして、さっきからボケとツッコミを一人でやっているのか。斬新な一人芝居だな。
「知能線は先が二股になってますね。優柔不断か発想力に富んでいるかどちらかです。知能線に勢いがなければ前者、あれば後者ですが──うーん、どちらにも思えますね」
「私はどっちなのかしら……」
『垂れてる方じゃないですか。乳と同じように』
再び起こる鈍い音と悲鳴。
持ちネタなのだろうか。繰り返すことで笑いを誘っているのなら、礼儀として笑ってあげた方がいいのかな?
あるいは、悪い要素をネタとして扱う、不安の裏返しの行動かもしれない。
良い要素は普通にあるから挙げてみようか。
「支線は上向きのものもありますね、ここに数本短いのが。新境地が開きつつある吉兆で、恋も仕事も上手くいく暗示とされてます。積極的になれる、なっていくべき相ですね」
「や、やったわ、藍。上手くいくって! 積極的だって!」
『はいはい。確かに見てるだけだったときよりは大きな前進ですね。ゴールインするまでに世紀が変わっちまいますよ』
「感情線にも同様に上向きの支線がありますね。新しい恋の芽生えの相です。最近成就した恋があったか、それとも誰かに想いを寄せているとか?」
「えっ、あっ、そ、そんなこと、も、なく、ないかしら……?」
『そこは素直に認めて急接近するチャンスでしょうが! ほんと、イタリア軍並みのヘタレだな!』
心なしか相手の手が汗ばんで、紅潮してきたような気がするが、鑑定を続行する。
「ともかく運は上昇傾向ですよ。中指に向かって立ち上がるこの線を運命線というのですが、真っすぐ伸びていて、邪魔する線はない。停滞も不安定も障害もないということです」
『ほら、今がチャンスなんですよ。踏み込まないと』
「わかってるわよ!」
「薬指に向けて立つ線は太陽線です。感情線の上部にくっきり出てますから、これも上昇中の運勢を表しています。ああ、でもちょっと心配が」
「え、何っ」
「生命線から人差し指に向けて刻まれる線──希望線──何本も立ってますね。色々なことに手を出している相です。全部が中途半端に終わりかねない懸念が……。やることは一つに絞って、そこに全力を傾けるべきでしょう」
『ほほぉ』
何やら得心したような声が漏れる。良かった、好感触だ。
希望ある未来を提示し、より輝かせるための方策も提供する。手相占い師としては最良のことができた。
『紫様、今のを聞きましたか』
「どういうこと?」
『彼は紫様を誘っておられます』
「ええええっ?!」
『よろしいですか、「運が開けており、今が攻め時」、そこに「一つのことに集中しろ」というのは──まさに彼自らの「自分だけを見つめ、アタックしてほしい」というアピールに他ならないのですよ!』
「な、なんですってー!!」
世界滅亡を予言されたような叫声が上がる。
詳細はわからないが、ボクのあずかり知らぬところで妙な解釈が為されているようだ。
まあ、手相には様々な解釈が存在しうるし、悪い受け取り方はされてないようだから、口は挟まないでおこう。
「ど、どーする? どーするの私!!」
『落ち着いてください。切るべきライフカードは決まっています』
「どんなの?! どんな?!」
『据え膳食わぬは男の恥と申します。ここで何事も為さないのはむしろ失礼となるでしょう』
「そ、そうなの?」
『常識です。まさかその程度のことも御存知ない程、処女をこじらせていらっしゃるのですか?』
「そんなわけないじゃないっ! もちろん知ってたわ!」
何だろう。相手にとって不都合なことは起きてないという推測に間違いはないはずなのだが、何やら嫌な予感がヒシヒシと迫ってくる。
『寝床の用意はしておきます。布団一つに枕は二つ。後は紫様がどう出るかです』
「い、いきなりそこまで?! ホップもステップも省いてジャンプしてない?!」
『最近の恋愛観からすれば普通のことです。この期に及んで手をこまねくとは、やはり処女をこじらせ……』
「冗談よ、冗談! やるわ! ロケットで突き抜けるわ!」
『その意気です。では、スタートしましょう、「デキ婚クエストⅤ~テンコーの花嫁~」』
「既成事実をさらに進めて?! っていうか、何であんたのものになってんのよ!」
『いえ、もちろん基本紫様の彼氏ですよ。私はときどきつまみ食いさせていただければ』
「させるかっ! このインラン狐!」
『すみませんねぇ、九尾なのに淫靡で』
やっぱりここでお開きにした方がいいような気がしてきた。
手相の解釈について、相手は煮詰まっているようであるし、ボクのできることはもう無いだろう。
何より、どうも嫌な予感というのが、ボク自身の危機に関するもののように思えてきているのだった。
「あの、ではこの辺りで、手短ではありますが……」
『ああ、ほら、あまりに行動が遅いから、相手は愛想を尽かし始めています』
「わ、わかったわ! それじゃあ……!」
ふと、彼女の掌、その生命線に平行して走る薄い線が目に入る。影響線だ。そこに四角が現れている。
これは────
突然浮遊感が身体を覆った。視界は真っ黒に染まり、自己と世界の認識が塗りつぶされる。
意識を手放す寸前、脳裏にさっきの影響線が浮かんだ。
暗示するものは、確か、「恋人やパートナーの自由が束縛される」──……‥‥・
「えー!」
「ねえねえ、それって一回離婚するってこと?」
若い女性二人組が黄色い声を上げる。
「そういう可能性もないわけではないのですけど、」
向き合って再び声を上げる二名。
落ち着くのを待ってから言葉を継ぐ。
「付き合っている人とリフレッシュした気持ちでやり直せるという意味もあります。マンネリがなくなるわけですね」
「やったじゃん、倦怠期回避!」
「あははー、でも一回冷めちゃうんじゃないのぉ」
「冷めるかどうかはわかりませんけど、当初の熱い想いがよみがえるということでは、良い意味にとらえても宜しいのではないでしょうか」
「そっかー。ねえ、じゃあ結婚できるのっていつ?」
「やだァ、やめてよー、超遅かったらどうするのよー」
「それはですね、結婚線の位置が関係しているとされてます」
卓上の行燈に掌をかざし、指差す。浴衣姿の二名が顔を近づけてきた。
「小指の付け根と感情線のちょうど真ん中にあれば、日本女性の平均結婚年齢29か30ほどで結婚すると言われています。この場合、二本ある結婚線のうち、長い方を本命と考えれば……一ミリほど小指寄りですね」
「つまり? つまり?」
「31か32歳くらいでの結婚と。そういうことになりますか」
再び沸きたつ黄色い歓声。
祭りの熱に浮かされているのもあるんだろうが、いやはや元気だ。そこまで精力的にいられるのなら、相手を早々と捕まえて結婚に踏み切れるだろう。
「ただ、手相というのは変わるものですし、解釈の仕方も様々です。あくまで参考程度ということで御承知おきください」
「なるほどー」
以上、手短ですが、と頭を下げる。
「面白かったぁ」
「ありがとうございましたー」
「はい、また機会がございましたら」
ニコリと笑みを作って見送る。
二人は祭りが行われている場所とは反対の方へ去っていった。早めの帰宅をするのだろう。
紅白の提灯は幾分離れたここにも光を届け、囃し声や喧騒も勢いを感じさせる。まだまだ祭りは続く。
とはいえ深夜も深夜だし、女同士では長居もできまい。村の中心付近であっても当然の用心だ。
ボクもまたその辺を予測して、この時間帯に店を出している。祭りを一通り楽しんだ後、帰路に就く女性たちを相手に手相を見るのだ。
「店」といったが、実際はその体を為しているとは言えない。祭りの日限定で、占いは本職ではない。副業とも呼べない。鑑識眼は何冊かの本に頼っただけの素人レベルだ。
ただそれでも、机に黒布を被せて行燈を置いただけの所に、寄ってきてくれる客は意外と多い。そのほとんどが女性だ。
それだけ自分の性格や今後の人生について興味を持っている人がいるということだろう。女性の割合が多いのは、内面を見たり、神秘的なものに惹かれる傾向が男性より強いからか。
まあ、ちょっとくらいは自分の腕にうぬぼれてもいいかもしれないけど。
一応、年に数回ある祭りの度に店を出して場数は踏んでいる。ある程度複雑な線の走り方にも説明を付けられるし、訪れる人が欲するものを察し、取捨選択した情報を適切な話術で飾って提供することもできるようになった。
それでだかどうだかはわからないが、
「そういえば、占いのお店やってる人がいるんだって、こういうときに」
そうそう、そんな感じで「祭りの夜に手相を見てる男がいる」というのがよもやま話に登場するくらいには有名になったようだ。
「ふーん、売らないなら店出さなきゃいいのに」
「そういう意味じゃないよ、チルノちゃん……。あっ、もしかして、あれ!」
目が合ったので、笑みを浮かべて会釈する。
向こうも慌てて頭を下げてきた。そしておずおずと近づいてくる。
たまたま通りがかったときに、たまたま話題に上らせた手相占い師と、たまたま出会う。ここまでたまたまが続くと運命的なたまたまを感じるね。
少女の背中には薄い羽が生えていた。連れ立ってやってくる相方にも羽らしきものがある。妖精か。
人外が人里に姿を現すのは珍しくなくなっていた。例外なく人を食うとされる妖怪については未だ警戒されている向きはあるものの、それ以外の存在については普通に人間たちの生活に溶け込んでいる。
歩いてきた方向からすると、祭りを楽しんできた帰りだろう。それにどちらも綿菓子を手にしている。
青いワンピースに緑髪の少女が聞いてくる。
「えーと、あの、占いやってる人ですか?」
「はい、手相やっています。見ましょうか?」
「大ちゃん止めようよ、こいつウサンくさい」
「ちょ、チルノちゃん! す、すみません」
「いえいえ」
まあ、薄暗い所で祭りにも参加せず、地味な着物着てじっと座っている男がいたら、変に見られても不思議ないよなあ。周りには他の屋台の影もないし。
趣味が高じて家族や知人たちでは飽き足らず、もっとたくさんの人の手相を見てみたいという欲求が無かったら、ボクだってこんな酔狂はしていない。
チルノと呼ばれた青いワンピースに青髪の少女は、ずいっと目の前に仁王立ちする。指を突きつけられた。
「あんたが何を売らないか知らないけどさ、最強のあたいに敵うと思わないことね!」
……クレーマーにしては変わっているな。言っていることが何一つ理解できない。
「チルノちゃん、この人はね、手相占いしてるの。手を見て、性格とか将来を当ててくれるんだよ」
「手を見るだけでっ? へぇー! へぇえー?」
青の妖精は何か文字でも書いてあるのかと、顔をあちこち動かしながら自分の手を凝視し始める。
「あはは、ずいぶんユニークな方ですね」
「おおっ?! 大ちゃん、すげーよ、こいつ! 手も見ずに当てた! 最強じゃん! あたいほどじゃないけど!」
大ちゃんと呼ばれた妖精と顔を見合わせる。彼女は何とも言えない表情を浮かべていた。ボクも同じだろう。
ああ、苦労しているんだなあ、と思った。
背も高く、しっかりしているのでお姉さん役のように感じる一方、気が弱そうに見えるのはいつも振り回されているからか。
「じゃあ、ちゃんと占ってもらおうよ。ね?」
「おー、どっちが最強か、勝負だ!」
方向性のつかめない勘違いはともかく、緑の妖精が一人分の料金を渡してきた。椅子を勧めて座らせ、虫眼鏡を手に取る。じゃあ見させていただきましょうか。
「では、お手を拝借」
「おし、見ろ!」
青い妖精の手が目の前に突き付けられる。うん、近いね。まだ老眼を心配される年じゃないから。
手を行燈の傍に下ろして、いつものように説明する。
「御存知かもしれませんが、手相においては三本の基本的な線があります。上から感情線、知能線、生命線ですね。一番はっきりと見える線でもあります。えぇと、お客様の場合は……」
…………あれ?
「知能線が、ない?」
驚きがつぶやきとなって漏れてしまう。
緑の妖精が口に手を当てた。
「そんな、チルノちゃん、まさかそこまで……」
「あ、いや、まさか」
言葉に詰まる。前代未聞の手相に脳回路が混線しまくった。
いくらなんでも知能ゼロってことはないだろう。しかし、人間はともかく妖精ならば? いや、そんなはずは。
「え、あたいの手、そんなにすごいの? 最強?」
「うん、そうだね、チルノちゃん。強く生きようね……」
いかん、慰めモードに入っている。
頭の可哀想な子で確定してしまっては良くない。
かといって、「手相は変わる」と慰めても、ハゲの方に「ウブ毛が生えますよ」と言うようなもので、かえって惨めになるのは必定だ。じゃあ手詰まりか? いや早々に結論づけるな。
良い手相も悪い手相も一通り見た。知能線がないなんてのは、確かどの本にも載ってなかったはずだ。
思い出せ。類似の手相、関連する手相、読み取るための項目。
そして天啓がひらめいた。
「思い出しました!」
「えっ」
「それは感情線と知能線が一体化している相です。強烈な個性を持ち、幸運にも恵まれています。女性の場合、竹を割ったようなサッパリとした性格で、面倒事もテキパキ片づけられる人が多いですね」
色気がなく、結婚運にも恵まれないというのは敢えて黙っておく。
感情線の項目で暗記しており、また初めて実例を見たので失念していた。
一度言葉が出てしまえば、あとはスラスラ説明できた。
「すごいよ、チルノちゃん。強烈な個性と幸運だって」
「さすが、あたい! 強烈なオットセイのウンコ!」
なるほど、こりゃ結婚できないな。
(ともかくも良かった良かった)
心の中で胸を撫でおろす。
手相鑑定で不幸になるなんてことはあっちゃならない。二、三の懸念を示すことがあったとしても、全体として肯定的に評さなければ、やる意味がない。
ボクの個人的な信条だ、手相についての。
背かない形で示せてよかった。緑の妖精の笑顔を取り戻せた。
「やっぱりあたいは最強だからね!」
そちらは終始一貫そればっかですね。
「あの、他にはどんなことがわかるんですか?」
「あたいのもっとすごいとこ、言ってよ!」
よし、この調子で元気づけてあげちゃおう。自分を知ることの楽しさと未来への希望を伝えよう!
こちらも何か嬉しい気持ちになって、簡単なうんちくを披露する。
「知能線と生命線の起点は通常くっついています。これは常識的な相ですね。起点が離れている場合もありますが、1ミリ単位で離れれば離れるほど感覚的・積極的になります」
これついては「1・2ミリ」「3・4ミリ」「7ミリ程度」という分類を自分は記憶している。
「あの、するとチルノちゃんのこれは……」
「え?」
説明を聞きながら自分たちで見ていた手を出してくる。
顔を近づけて確認すると、
「…………はい?」
「2センチ以上離れているんですけど……」
マジですか。
唖然とする。だが、何度見返しても事実は変わらない。今度こそ前代未聞だった。
「くっついているのが常識的なら、こんなに離れているのはとっても常識知らずの……っ!」
「い、いや、いやいやいや、断定はできませんよ。たとえば、確かに7ミリ以上離れているなら、思い込みが強いとかものを深く考えないとかありますけど、」
「倍以上離れているチルノちゃんは、思い込みが誇大妄想狂レベルで、ものを深くどころか表面的にも考えられないということに!!」
そこまで言ってないよ?!
勝手に取り乱しまくる緑の妖精に対し、青の妖精は「つまり最強? あたい最強?」と何も考えていないキャラクターを見事に表現しきっている。
「いや、あの、」
「大丈夫です。チルノちゃんがどんなに不幸な星の下に生まれたのだとしても! 私が最後まで責任をもって……!」
緑の妖精は青の妖精をギュッと抱きしめると、そのまま引きずるように連れて、去っていった。一言も声をかけるスキを与えずに。
生あったかい夜風が通り過ぎる。
「責任って、何……?」
ボクは引き留めるために上げた手を、力なく落とした。
座り込む。
ドッと疲れが出て、何だか体が重さを増したかのようだ。
──いやぁー……こういうことってあるんだなぁ……
突風に押し倒された気分だ。予測などできない。それとも風の息遣いを感じていれば事前に気配があったのだろうか?
大きく息を吸い込み、吐いた。
背筋を伸ばし、両手を広げると、パン!と頬を叩く。
気を入れなおそう。
また新しくお客さんが来る。
その際こちらの精神的ダメージは関係ない。気持ちよく訪れてもらい、気持ちよく帰ってもらう。それは貫かないとならないのだ。一度や二度の失敗を引きずってちゃしょうがない。
「おっと」
そう思っている間に、向かってくる二人組が目に入った。
営業スマイルを作って待ち受ける。
仲睦まじく腕を組んで歩いてくる。おそろいの浴衣。女性同士のカップルか。
どちらも金髪だが、一方はカチューシャを付けており、もう一方は片方を緩い三つ編みにしている。
「ほら、魔理沙、あれが前に話してた、」
「ああ、手相占いな。じゃあ、やってみるか、アリス」
頭を下げて、「では、お座りください」と着席させる。
二人分の料金を受け取った。となると、相性を観てもらうとかかな。
「あの、二人の相性とかわかりますか」
「ええ、大丈夫です」
案の定、ね。
互いの手を出してもらい、説明を始める。
「一見いたしますと、違う手相になってますね。良い傾向です」
「そうなんですか?」
「同じだと性格がカチ合うことでいさかいが起きますので。手相が違うものであれば、お互いに補う形で関係が上手くいくとされてます」
「へえ、そうなのか」
「嬉しいわね、魔理沙」
「だな。ラブラブカップルだ」
「また恥ずかしいこと言って!」
拳で叩くジェスチャー。目の前でのろけられる。
いい出だしだ。手相を仲立ちにして愛情を深めてくれれば言うことはない。この調子で喜びの気分のまま帰ってもらおう。
三つ編みさん(仮)の手を取る。男勝りの口調もあいまってハツラツとした感じを受ける。手自体の印象もそれに合致していた。
「厚みを感じる手ですね。魅力を持つ手です」
「見るのは掌の線だけじゃないんだな」
「ええ、色や爪の形なども手相に入ります。お客様は中指と薬指が広く開いてますね。自由奔放で気ままな相です、これは」
「当たってるかもな」
「かもじゃないでしょ?」
「あはは、程度の程はわかりかねますがね。では次はそちらの方を」
突っ込みを入れたカチューシャさん(仮)の手を取る。
「手そのものの幅が狭い……というのは芸術家タイプですね」
「あら」
「おお、合ってるじゃないか」
「同時に恋愛感情に敏感で、やや神経質という相でもあります」
「うーん、当たってるかもね」
「かもじゃないだろ。特に神経質ってところ」
「あはは、まあ例によって、程度の程はお二人の判断にお任せしますが。でも、手の甲が白いですよね、これも芸術家タイプで勘が鋭いという相なんですよ。裏付ける形になります」
手を離す。
パッと両手を広げて双方の手の横にかざす。「2つで1セット」というジェスチャー。
「ともかく二人の相性は良いことになりますね。ここまで対照的なものはそうそうお目にかかったことはありませんから」
その言葉に二人は恥ずかしそうに笑いあう。いい流れになっているな、よしよし。
「では、次は基本的な線を見ていきましょうか。失礼しますね」と、カチューシャさんの手を取る。「感情線が端から端まで一直線ですか、これは、ですね」
言葉に詰まる。が、無理に言葉を喉から押し出す。
「強い愛情を持っていますね。独占欲、というか、えぇと、相手のことを誰よりも大事に想っている相ですかね」
「へぇ……?」
「そんなに想われると照れるぜ」
三つ編みさんにはともかく、本人には焦りを見透かされたか、やや不審そうに向けてくる視線が痛い。そこはやっぱり「勘が鋭い」ということか。しかし、正直に言うには躊躇せざるをえなかった事情がある。
愛情が強いどころじゃない。相手を独占しなければ気が済まない相なのだ。
小さなことで恋人を疑い、勝手な想像でジェラシーを覚える。失恋したら最悪で、自暴自棄になって激情的な復讐心を燃やして、最終的には……その、何だ、極端な行動に走ることもありうるとされてる。
言えるわけがなかった。
「後はそうですね、感情線から支線が下向きに出てますね。……あぁ、本気の恋愛をする人に現れる線ですよ」
「あっはっは、想われてるなぁ、私」
「そう、ね」
「打算的であったり、軽い気持ちであったりという恋ではない、良い相ですね」
うぅ、不審がる目がまだ解けない。上手く誤魔化せたと思ったのだが、内心の動揺をさとられでもしたか。言葉を足して取りつくろったものの、あまり意味を為してないようだ。
動揺するのはしょうがないだろう。なにせ──失恋の相だ。しかも支線が太くて長い。それだけ心の傷が大きくなることを表す。さっきの手相と合わせると、脳内で恐ろしいサスペンスドラマが展開されてしまう。
軌道修正しよう。
そもそもは二人の相性を見ていたのだ。感情線の相違を強調すればいい。
「では、こちらのお手を拝借します」と、三つ編みさんの手を取る。
「ああ、下向きに支線が出ているのは同じですね。長くはありますが、細いという点で違います。で、星が、出てますね」
「星ってなんだ? 星の魔法はよく使うんだが、希望とか可能性とかいい意味なんだろ?」
「あ、うん、ええと、いろんな解釈がありますので。……あ! 起点に細かな支線がいくつかありますね。人気者の相ですよ、これ」
「おおっ」
「人当たりがよく、社交性豊かで、明るくユーモラス! 豊富な話題で人を引き付ける! いいですねえ!」
「やったぜ、いい相だってさ、アリス!」
「そうね、魔理沙はもてるものね」
「いやー、来て良かったぜ」
何で一人で来てくれなかったんだ、と思わざるをえない。
とてつもなくもどかしい。本当に言いたいアドバイスを封じ込めなくてはいけないのが。胸にものすごい煩悶が渦巻いている。
星というのは手相に生じたアスタリスク(「*」のこと。そもそもアスタリスクが「星」という意味だ)の呼び方なのだが、一部の例外を除いて大抵悪い意味だ。
三つ編みさんの場合、感情線と生命線の両方に星が現れており、さらに双方が線で繋がっている。
最悪だ。
恋愛のトラブルから恨みを買う相だ。さらには命に関わる終末も待ち受けている。
ものの本にはこうあった。「身に覚えがあるなら即座に縁を切り、行方をくらますくらいのことをすべき」。
こんなもん、本人を目の前にして言えるわけがない。
それでもそれとなく伝えるべきだろうか。いや、カチューシャさんは勘が鋭い。伝えるべき相手に伝わらなく、事態を悪化させかねない。手詰まり。どうにもならない。
(……待てよ)
少し光明を見出す。
身に覚えがなければいいんだ。現在進行形の浮気とか、そういう相が出てなければバッドエンドは逃れられる。そして、「一人の方を一途に愛することが大事ですよ」とアドバイスすることで一応の片はつく。
「ええと、他の線は……」
三つ編みさんの手相をざっと見る。そういったことに関わりがあるかないか、一枚の盤面を見つめる。
結婚線は細かいものがたくさん。これは異性の友達が多い相なので多情に見られがちだが、グレーゾーンだろう。浮気とかではない。深入りするとトラブルを起こす暗示があるが、注意すれば回避可能だ。
他には……
「………………ぅ」
小さくうめく。
見つけてしまった。見なけりゃよかったと思ってしまうほど、決定的なもの。
これは、まずいだろ。
目をそらして別の相の話題を出そうとしても、駄目だった。気を取られてしまう。芋づる式に最悪の結論を裏付けるような相しか目に入ってこなかった。
「あら、どうしたんですか、占い師さん」
ひ、ひぃいいいい? 怖い! カチューシャさんの笑顔が怖い! 笑顔というか目が笑ってない! 何かしら勘づいてらっしゃる! あることないこと想像して暗い恋心を燃やしてらっしゃる!
ただならぬ気配を感じ取ったのか、三つ編みさんも焦った様子で尋ねてくる。
「お、おい、どうしたんだよ。どんな結果が出たんだ?」
「い、いえ、不勉強なもので手相をド忘れしちゃいまして。ちょっと待っててくださいね」
そう言って、机の下から本を取り出す。幾つか持っている手相学の本の一つだ。
適合する良い相だけを紹介してお茶を濁そう、と開く間もなく、取り上げられた。
「え、あの、」
「ちょっと貸してくださいな」
カチューシャさんがパラパラとめくっていく。
口元だけの笑みを浮かべて、自分の手と見比べている。
「あら、私の生命線、起点に横線が入ってるから、ヒステリックってことね」
「あ、でも、それは手先の器用さとも関わってまして」
「あらあら、結婚線から延びた線が生命線の内側まで入っているわね。『三角関係のもつれから重大な問題にまで発展する』か、心当たりある?」
突然矛先を向けられた三つ編みさんは慌てて首と両手を振る。
焦り過ぎだ。勘が鋭くなくても十分心当たりがあることがわかってしまう。
「あの、手相は、その、変わる可能性もありまして」
「あらあらあら、運命線を横切っている線があるわ。これって『恋人に裏切られる』相なのね。ふーん、へぇえー」
取り繕うにも押し寄せる分析に、何も言えなくなる。
三つ編みさんが助け船を求める必死の目線を送ってくるが、すみません、泥船しか用意できません。というか、豪華客船でもタイタニックと化すレベルです、これは。
「じゃあ、魔理沙の手相はどうなのかしらね? あらあらあらあら」
表面上穏やかでありながら内実は荒々しい「あらあら」が続く。
「運命線と感情線が合流して中指に向かっているのは……『恋多き人』の相なのね。ほれっぽくて色んな相手に恋をする。ああ、それと生命線の終わりに三角があるわね。『三角関係で恨みを買う』相だって。私のと被るわね。月丘から出た線が運命線と合流するというのも該当するわ。『人に言えない恋に落ちやすい』」
相方の手も見ずにページをめくっているので、「いや、あのですね、ちゃんと本人の手相と比較した方が、細かい点とか、」と言葉を差すと、すぐに返された。
「魔理沙の身体はシワの一本も残さず頭に入っているわ!」
何それ怖い。
「あらぁ、大変よ魔理沙」
「あら」は五進法で「あらぁ」に変わるのだろうか。カチューシャさんが大仰に目を見開く。
「生命線の傍に×印。これは『命にかかわるトラブル』ね。運命線に目の形が現れているのは『突然の不運』ですって。何があるのかしらね」
何があるか、というか、何をするつもりなのかを聞きたい、あなたが。
三つ編みさんと一緒になって固まっていると、カチューシャさんが三つ編みさんの腕をつかむ。
「ひっ」と息をのむ三つ編みさんに、カチューシャさんは底冷えのする声で言う。
「大丈夫よ、安心して。どんなことがあっても私が守るわ。私だけが守るわ。そう、運命は変えられるの。いざとなったら線をナイフで刻んでも……!」
何それも怖い。
カチューシャさんは席から立ち上がると、三つ編みさんを引っ張って立たせ、「帰りましょう」とその場から離れていった。
腕を組んでいるのは来た時と同様なのだが、存在していたはずのカップルの微笑ましさが欠片として無くなっている。ガッチリ拘束して連行しているようにしか見えない。
三つ編みさんは「ゴメン」とか「悪かった」とか言っているようだったが、カチューシャさんは聞く耳持たず、「ふふふふふふふふふふふ」と笑声を漏らす自動人形のように遠ざかっていく。
傍目には仲睦まじいカップルで、伴うBGMはラブソングな感じなのかもしれないが、ボクの脳内にはドナドナが流れていた。
前の妖精もそうだったが、同伴者を力づくで連れ去るってのが最近のトレンドなんだろうか。
そんな現実逃避な思考を巡らせていると、カチューシャさんから何かが落ちたのに気がついて、反射的に取りに向かう。
「あの、これ、」
と拾い上げようとして固まった。
ワラ人形だった。
取りに向かったモーションを逆回しにして席に戻る。見なかったことにしよう。
心の中で一度だけ、三つ編みさんに対して合掌する。
そして肩を落としてため息をついた。
だが、今度は状況に対して嘆いたわけではない。対象はボク自身だ。
ハプニングに対して適切な対応を取れなかった。不幸な結末に至るのを為すすべもなく看過してしまった。
何かできるはずだったのに、その能力が自分に備わっていなかった。理由──その大きなものにうぬぼれがあったことは否定できない。一応場数は踏んでいたと自負していたが、今までが幸運だっただけなのだ。
曲がりなりにも一つの職を営む者としてこの場にいるのであれば、思いもかけないトラブルに出くわすのは必定。想定と覚悟を繰り返してこなかったツケがここに来たわけだ。
本当に、思い知らされた。
本業についても同じことが言えるのではないだろうか。どこかに甘さがあるのではないか。いや、そもそも自分の人生そのものが……。芯の通った生き方をしていれば、何事にも動じずに対処できる自分であったはずだ。
ボクは変わらなくてはいけない。根本的に。
「……ふふっ」
何とも言えない笑いが漏れる。
こういうのも、占いを通して自分と人生を見つめることになるのだろうか?
こづかい稼ぎにもなったし、好奇心も満足させられた。でも、今回、一番の報酬を得たような気がする。
うん、いろいろ学ばないといけないな、ボクは。
よし、今日は早々に店じまいだ。帰って今までの反省、これからの生き方を考えよう。
顔を上げ、道具を片づけようとして、止まる。
目の前に腕が一本。空中からこちらに向けて突き出されていた。
白い長手袋に覆われたしなやかなそれは、女性のものだ。しかし、持ち主は見えない。腕の一本しかない。
恐る恐る声を掛ける。
「あの、妖怪の方ですか? 手相、見ますか?」
面食らいはしたものの、以前にも変わり種を相手にしたことは幾度かある。首だけの妖怪が『ゆっくり手相を見ていってね!』と来たときはどうにも難渋したが、今は幸いにも手が存在している。
しかし、口が無いのではしゃべれるかどうか心配だ。そもそも客として来たのかどうか?
手話でやられたらどうしよう。筆談をお願いしようか、などと悩んでいたら、
「お、お願いします。手相……」
かすれた声が耳に届いた。
暗がりに目を凝らせば、腕の根元をくわえているような裂け目が見える。両端を赤いリボンでくくっているが、あれが口に当たるのだろう、多分。
腕の印象と同じく、品のある女性のものだ。年齢の程はわからない。少女と言えるくらいに若いのか、あるいは……。声の質からはどのようにも受け取れる。
ふと、既に一人分の代金が机上に置かれているのに気づく。
(いつの間に──)
無音で移動、出現、行動できるのか。もしかして妖怪ではなく幽霊の一形態なのかもしれない。
ともかく客は客だ。見させていただこう。
「お手を拝借」と手を添えると、ビクッと震えたので、ちょっと驚く。
「指を広げずにくっつけて出す方は『繊細』、別の見方をすれば『消極的』とされてますが、いかがでしょうか」
「合ってると……思います」
消え入るような声はやっぱり幽霊を連想させる。けれど、布越しに伝わってくる体温は、生きている存在のそれだ。
相手の正体はつかみかねるが、敵意や殺意は感じない。危険視する必要はないだろう。
「えぇと、では手袋を外してよろしいでしょうか」
「えっ」
「えっ」
びっくりされたことにびっくりする。何か変なこと言っただろうか?
「ど、どうしよう、藍。手袋外すって」
『当り前でしょう、手相見るんですよ。服着たまま風呂に浸かる阿呆はおりません』
おや? 違う声質の言葉が同じ口から流れてきた。そちらも女性のものだが、落ち着いた口調でややハスキーだ。
声はこちらを無視した形で続く。
「で、でも、それだと殿方の肌が、直に、直に」
『「窓に、窓に」みたいな言い方止めてください。そんな大事じゃあるまいし。まあ、処女をこじらせた結果ならわからなくもないですが』
「しょっ……! そ、そんなわけないじゃない! やーね、私を誰だと思ってるの? 伊達に長生きしてあちこちの世界を渡り歩いてないわ。人生経験は豊富、恋愛経験だってね!」
『へえ、そうですか。お見それしました。それでは祭りという祭りに顔を出し、しかして声の一度も掛けることなく二年以上経過したのは、単なるヘタレではないということですね?』
「ぐぅ……あ、当り前でしょ、私にふさわしい男かどうか見定めてただけよ」
会話をしているように思えるが、どういうことだろう。二つの人格が同居しているタイプの妖怪? それが自問自答しているとか? うーん、初めてお目にかかるなぁ。
腕一本の妖怪はこちらを無視する形で話を続ける。
『なるほど、なるほど。ようやく接触したかと思ったら、直接顔を合わせるのさえできない恥ずかしガリア戦記か、とっととルビコン川を渡りやがれ、そんなふうに考えていた時期が私にもありました。だが、実は違ったのですね、消極的という診断結果は当たってはいなかったのですね』
「ふふん、気易く私の尊顔を拝謁できると勘違いされたら困るもの」
『では、とっとと手相を見てもらいましょう。あ、占い師さーん! 一つ恋愛運など診断願います! それと手をしっかり握ってくださいな!』
「ちょっ」
ようやく自分の仕事に移れるようだ。軽く引いただけで手袋はスルリと滑らかに脱げた。女性らしく白く細い手が現れる。
「ええと、先ほどからやや震えを感じますね。指を広げたときにこの状態になると、運勢がダウンしていることになるのですが──広げる以前にこうなってますから、そういうことはないでしょう。……冷えるんですか?」
「藍~、手が、手が触れてるぅううう」
『何を泣いてるんです。まさか感涙? どこまで純情ロマンチカですか』
こちらの言葉が届いてないようだが、大丈夫だろうか。意思の疎通が図れるかとても心配だ。
「それで恋愛運でしたか、悪くないと思いますよ。結婚線ははっきりと横に刻まれていますからね。位置は真ん中だから、29、30歳で結婚できるかと」
沈黙。
あれ、何かまずかったか。
「………………そ、そんなの千年以上も前にっ……」
『ミレニアムの処女ですね。世界樹ですね』
しまった、相手は妖怪だった。人間よりも長命であることを失念してた。
「すみません、あくまで平均年齢です。人間なら人間の、妖怪なら妖怪の」
『よかったですね、紫様。結婚してなくても不思議ないそうですよ、この先さらに千年以上』
「おだまり!」
どうもフォローにならなかったみたいだ。妖怪は多種多様な特徴を備えていて、こちらの想定の及ばないところがある。年齢については触れないでおこう。
「失礼いたしました。まあ、まだ結論を出すのは早いですから。恋愛運・結婚運は結婚線だけでなく、全体を見て鑑定するのが定石となってます」
『生命線とかどうなってますか? この先、永遠に生きて、結婚適齢期も永遠に来ないとか』
「藍ッ、いい加減にしなさいよ!」
「確かに健康そのものですね。切れ目がなく、深く刻まれて、ややピンク色。理想的です。終点に細かい線があって房状になっているのが、ちょっと気になりますが」
『それ何です? 気にしないのでズバッと言っちゃってください」
「あんた人ごとだと思って!」
「二、三本の枝分かれならば自然なのですが、こうなると……」
『どうなるんです?』
「晩年、急激な老化現象が」
『ぶわははははっははは!!』
笑い声が爆発したかと思うと、鈍い音と『痛ァ!』という悲鳴がほぼ同時に聞こえた。
もしかして、さっきからボケとツッコミを一人でやっているのか。斬新な一人芝居だな。
「知能線は先が二股になってますね。優柔不断か発想力に富んでいるかどちらかです。知能線に勢いがなければ前者、あれば後者ですが──うーん、どちらにも思えますね」
「私はどっちなのかしら……」
『垂れてる方じゃないですか。乳と同じように』
再び起こる鈍い音と悲鳴。
持ちネタなのだろうか。繰り返すことで笑いを誘っているのなら、礼儀として笑ってあげた方がいいのかな?
あるいは、悪い要素をネタとして扱う、不安の裏返しの行動かもしれない。
良い要素は普通にあるから挙げてみようか。
「支線は上向きのものもありますね、ここに数本短いのが。新境地が開きつつある吉兆で、恋も仕事も上手くいく暗示とされてます。積極的になれる、なっていくべき相ですね」
「や、やったわ、藍。上手くいくって! 積極的だって!」
『はいはい。確かに見てるだけだったときよりは大きな前進ですね。ゴールインするまでに世紀が変わっちまいますよ』
「感情線にも同様に上向きの支線がありますね。新しい恋の芽生えの相です。最近成就した恋があったか、それとも誰かに想いを寄せているとか?」
「えっ、あっ、そ、そんなこと、も、なく、ないかしら……?」
『そこは素直に認めて急接近するチャンスでしょうが! ほんと、イタリア軍並みのヘタレだな!』
心なしか相手の手が汗ばんで、紅潮してきたような気がするが、鑑定を続行する。
「ともかく運は上昇傾向ですよ。中指に向かって立ち上がるこの線を運命線というのですが、真っすぐ伸びていて、邪魔する線はない。停滞も不安定も障害もないということです」
『ほら、今がチャンスなんですよ。踏み込まないと』
「わかってるわよ!」
「薬指に向けて立つ線は太陽線です。感情線の上部にくっきり出てますから、これも上昇中の運勢を表しています。ああ、でもちょっと心配が」
「え、何っ」
「生命線から人差し指に向けて刻まれる線──希望線──何本も立ってますね。色々なことに手を出している相です。全部が中途半端に終わりかねない懸念が……。やることは一つに絞って、そこに全力を傾けるべきでしょう」
『ほほぉ』
何やら得心したような声が漏れる。良かった、好感触だ。
希望ある未来を提示し、より輝かせるための方策も提供する。手相占い師としては最良のことができた。
『紫様、今のを聞きましたか』
「どういうこと?」
『彼は紫様を誘っておられます』
「ええええっ?!」
『よろしいですか、「運が開けており、今が攻め時」、そこに「一つのことに集中しろ」というのは──まさに彼自らの「自分だけを見つめ、アタックしてほしい」というアピールに他ならないのですよ!』
「な、なんですってー!!」
世界滅亡を予言されたような叫声が上がる。
詳細はわからないが、ボクのあずかり知らぬところで妙な解釈が為されているようだ。
まあ、手相には様々な解釈が存在しうるし、悪い受け取り方はされてないようだから、口は挟まないでおこう。
「ど、どーする? どーするの私!!」
『落ち着いてください。切るべきライフカードは決まっています』
「どんなの?! どんな?!」
『据え膳食わぬは男の恥と申します。ここで何事も為さないのはむしろ失礼となるでしょう』
「そ、そうなの?」
『常識です。まさかその程度のことも御存知ない程、処女をこじらせていらっしゃるのですか?』
「そんなわけないじゃないっ! もちろん知ってたわ!」
何だろう。相手にとって不都合なことは起きてないという推測に間違いはないはずなのだが、何やら嫌な予感がヒシヒシと迫ってくる。
『寝床の用意はしておきます。布団一つに枕は二つ。後は紫様がどう出るかです』
「い、いきなりそこまで?! ホップもステップも省いてジャンプしてない?!」
『最近の恋愛観からすれば普通のことです。この期に及んで手をこまねくとは、やはり処女をこじらせ……』
「冗談よ、冗談! やるわ! ロケットで突き抜けるわ!」
『その意気です。では、スタートしましょう、「デキ婚クエストⅤ~テンコーの花嫁~」』
「既成事実をさらに進めて?! っていうか、何であんたのものになってんのよ!」
『いえ、もちろん基本紫様の彼氏ですよ。私はときどきつまみ食いさせていただければ』
「させるかっ! このインラン狐!」
『すみませんねぇ、九尾なのに淫靡で』
やっぱりここでお開きにした方がいいような気がしてきた。
手相の解釈について、相手は煮詰まっているようであるし、ボクのできることはもう無いだろう。
何より、どうも嫌な予感というのが、ボク自身の危機に関するもののように思えてきているのだった。
「あの、ではこの辺りで、手短ではありますが……」
『ああ、ほら、あまりに行動が遅いから、相手は愛想を尽かし始めています』
「わ、わかったわ! それじゃあ……!」
ふと、彼女の掌、その生命線に平行して走る薄い線が目に入る。影響線だ。そこに四角が現れている。
これは────
突然浮遊感が身体を覆った。視界は真っ黒に染まり、自己と世界の認識が塗りつぶされる。
意識を手放す寸前、脳裏にさっきの影響線が浮かんだ。
暗示するものは、確か、「恋人やパートナーの自由が束縛される」──……‥‥・
占い師さんの気遣いし続ける描写が良かったです
そう考えると何だか親近感が湧く気がします。