僕――森近霖之助は書庫の本棚を整理していた。最近は外の世界から流れてくる本が異常に多く、回収しているうちに書庫の本棚に入りきらなくなってきた。
八雲紫の話によれば「近頃は電子書籍が主流になり始めたせいで紙の本が徐々に廃れ始めてきたのよね」とのこと。
電子書籍。電子とは雷――すなわち電気のことだが、それが書籍になるとはどういうことなのだろう? 電気信号によって言葉を表現するならばそれはもうすでに書籍ではないだろうし、外の世界には電気で文字を表現する技術でもあるのだろうか?
何はともあれ、それによって紙の本が廃れるのは悲しいことだ。本は紙でできているからこそ本なのだ。それが別のものになるなんて、僕には到底考えられない。
しかし、そのおかげで幻想郷に本が流れ、うちの本棚は肥える(尤も、今は肥えすぎて困っているが)。……なんだか複雑な気持ちだ。
っと、今は考え事をしている場合じゃない。手を動かさなければ。
整理、と言っているが別にいらない本を売りに出したり捨てたりするわけではない。また読みたい本、まだ読んでいない本をいつでも手軽に読めるように店のカウンターのそばに本棚を用意して非売品として置いておくのだ。もちろん、勝手に持って行かれないようになるべく傍に置いておく。お手軽にして盗られていては話にならない。
僕は本棚から本を選び取り出してゆく。
ふと、本棚の中に一冊だけ他の本とは雰囲気の違う本を見つけた。幻想郷で作られた本だ。薄汚れていてタイトルは判らない。この本棚には外の世界の本しか仕舞われていないはずなのだが、紛れて仕舞われたのだろうか?
しかしこの本、なぜか懐かしい感じがする。読んだだけではこんな感情は芽生えないと思うのだが、なんだろう?
僕はその本を取出し、埃を払って表紙を確認する。
「って、僕の書いた本じゃないか」
その本は僕が昔書いた随筆――のようなものだった。
もう十年も昔の本じゃないだろうか? とても客とは呼べない香霖堂の来客者たちと僕との出来事をまとめた本だ。いずれは歴史書になれば良いと思って書いたが、博麗の巫女などの知られざる顔が見れると言う理由でそこそこ売れ、歴史書になど到底なれるようなものではなかったことを今でも覚えている。確かその後博麗霊夢たちから苦情が殺到したような気がする。
仕舞おうかと思ったが、当時の自分がどのような文章を書き留めていたか気になったので移動する本とは別に置いておく。
とりあえず、後で読んでみようか。
「で、お前は懐かしいこの本をほっておけなかったってか」
霧雨魔理沙は商品の壺の上に座って僕の書いた本を読みながら笑った。そういえば魔理沙は昔から今までずっとこんな感じだった。
僕が本の整頓を終えて戻ってきたときにはすでに魔理沙はいた。僕が本棚に持ってきた本を入れようと傍らに置いたや否や本の山を物色し、「懐かしいな」と僕の書いた本を奪い取ったのだ。
「若かったな、私」
「君は何にも変わってないじゃないか」
そう、魔理沙は言動どころか容姿までその本のままだ。まるで変っちゃいない。
「そうか? 大人になってると思うんだけどな」
「まさか。まだまだ子供だよ」
「それはお前が歳食ったからからだろ?」
「失礼な」
「だってこの本が出てからもう十年も経ってるんだぜ?」
魔理沙は読んでいた本を閉じて言う。
十年。そういえばこの本が出てそれくらいの年月が過ぎた。どうやら長く生きてきたせいで僕の時間の感覚はおかしくなってしまったらしい。
「十年か……」
「そうだ、十年だ」魔理沙は少し懐かしそうに言う。「この十年の間、結構いろいろあったじゃないか」
「ああ、そうだったね」
例えば魔理沙。
魔理沙は本が出て数年後、捨虫の魔法を使い、人間から魔法使いになった。魔理沙が自ら覚悟して選んだ道なので僕は特にそれを止めようとはしなかった。
しかし、これは僕やこの店にとって変化と言えるものにはならないんじゃないだろうか。むしろ、魔理沙が歳を取らなくなり始めてしまったので当然であるはずの変化がなくなったと言える。
「違う、私じゃない」魔理沙を見ていたせいか、魔理沙が首を振る。「一番変わっちまった奴がいるじゃないか」
「……霊夢か」
そう、霊夢。彼女が一番いろいろあった――いや、この香霖堂の唯一の変化だ。
今から三年ほど前、霊夢は博麗の巫女を引退した。本人曰く、「次期の巫女が一応巫女としてやっていけそうになったから、私はそろそろ退いてもいいんじゃないかしら?」とのことらしい。
それから霊夢は里のはずれに家を構え、一人で暮らしている。里の人間たちとの交流は一応あるらしいのだが、なじみの妖怪たちとはほとんど顔を合わせることがなくなったらしい。それはうちの店も例外ではなく、引退の挨拶以来、霊夢が香霖堂に訪れることはなくなった。
よく考えてみれば霊夢はうちにとって割と大きな存在だった。ほとんど代金を払うことはなかったが、一応うちの大切なお得意様だった。
霊夢が、と言うか博麗神社がうちのお得意になったのはまだ霊夢の前の世代の巫女の時代で、その時霊夢はまだ物心ついたばかりだった。『変な物を扱う道具屋がいる』という噂が流れ、霊夢の前の代の巫女がうちに調査に来たのが始まりだったが、その時の話は今はよしておこう。僕自身もあまり良い思い出がないし。まあとにかく、そのあたりから僕は博麗の巫女のために巫女服やお祓い棒を作り始めた。
霊夢がうちに初めて来たのは霊夢の前の巫女が引退する少し前のことだ。
前の代の巫女に連れられて、霊夢は香霖堂にやってきた。初めてうちに来た霊夢はまだ幼く、前の代の巫女の後ろから僕をもの珍しそうに覗き見ていた。その眼には妖怪に対する恐れなど全くなく、どちらかと言うと初めて出会う人に対しての恥ずかしさが表れていた。
「来年からこの娘が博麗の巫女になるからこの娘のために巫女服とお祓い棒を作ってほしい」
前の代の巫女は僕にそう言うと、挨拶しなさいと霊夢を前に出した。
「……こんにちは」
霊夢ははにかんだように挨拶すると再び前の代の巫女の後ろに隠れてしまった。
「こんにちは、僕はこの香霖堂の店主の森近霖之助。博麗神社にはいつもよろしくしてもらってるよ」
僕はほんの少し嘘を混ぜつつ営業スマイルで霊夢に挨拶を返した。
僕はこの時、霊夢のことをおとなしい娘だと思った。しかしその認識は間違いだったと後に痛感することになる。
それから一年後、霊夢はうちの店でくつろぐようになった。専用の湯飲みまで持ち込んだ。
そしてさらに一年後、お祓い棒や巫女服の代金を払わず、ツケにするようになった。
おそらくここまで香霖堂におんぶにだっこになった巫女は未来永劫現れることはないだろう。
しかし、その霊夢はもううちには訪れない。なんだか少し寂しい気もする。
「今の代の巫女にたまに会いに行くんだけどさ、どうも妖怪に対して当たりが悪いっていうかなんていうか、妖怪を少し怖がってる感じがするんだよな。だから妖怪と人間のハーフであるお前がやってるこの店に来ないってのも仕方ない気がするんだよな」
「まあ確かに仕方ないと言えば仕方ないが……」
いや、仕方なくない。博麗の巫女は人間の味方である以前に幻想郷を愛する者の味方だ。人妖を選り好みしてはいけない。霊夢は妖怪に対してあまり容赦なかったが、一応常に中立だった。
博麗の巫女が妖怪を恐れるなんてことは、あってはいけないのだ。
「……いや、ただ純粋にうちの店を知らないだけかもしれないな。知ってたとしても、ただ興味が湧かないだけかもしれないし」
僕はさっきまで考えていたことを撤回するように呟いた。
「妖怪を恐れてる感じがするのも魔理沙の気のせいかもしれないよ」
「じゃあ、なんだっていうんだ?」
「案外、ただの人見知りかもしれない」
「人見知りぃ?」
「ああ。その娘もまだ幼いだろう? 人見知りがあったっておかしくはないさ」
思春期ならなおさらだ。
「んー、確かにあいつも十代半ばで今気難しい年頃だからな。それも考えられないことも……」
と、魔理沙が腕を組んで唸っていると、
――ドンドン!
と、乱暴に扉をたたく音がしたかと思うと間を入れず扉が開かれ、店の中に少女が這入ってきた。
少女はまだ少し幼く、紅白の巫女服を身に付けている。博麗の巫女だということがすぐに理解できた。
「って、おい、何しに来たんだ?」
巫女は魔理沙の問いかけに答えない。これは反抗期かもしれない。
「……貴方が香霖堂の霖之助さん?」
魔理沙の問いかけを無視した巫女は僕に訊ねる。
「いかにも。で、何か用かい?」
「霊夢から巫女服やお祓い棒を作ってくれる道具屋がいるって聞いてきたんだけど」
どうやら霊夢の紹介でやってきたようだ。僕と博麗の関係は切れてはいなかったらしい。
「ああ。ちゃんとお金を払ってくれたらね」
霊夢は結局最後までツケを払ってくれなかったが。
「霊夢はツケで良いって言ってたわ」
「払うあてがあるなら構わないと思ってたけど、経験上払ってくれないんだろう?」
霊夢め、なんてことを教えたんだ。
「私は霊夢みたいにツケを払わない巫女じゃないわよ」
「でもツケるんだな」
無視されていた魔理沙が笑うと、巫女は眉間にしわを寄せて魔理沙の方を見た。
「まあとにかく、用件は聞こう。何か用かい?」
僕は接客スタイルで巫女に訊ねた。すると巫女は、
「棒」
と答えた。
「棒?」
「そうよ、棒。お祓い棒。お祓い棒を作って欲しいのよ。今まで使ってた霊夢のお古のお祓い棒がついに折れちゃってね。それで、どうしようかと思って霊夢に訊いたらここで作ってもらえって」
「なるほど。お祓い棒の作成の依頼ね。それはお安い御用だ。ところで、その巫女服も霊夢のお古なんじゃないかい?」
「そうだけど、どうしてわかったの?」
巫女は目を丸くして僕に訊ねる。
「それは簡単なことさ。霊夢はうち以外で服を作ったことがないからね。僕の店で作った覚えがないってことは、つまりお古ってことだろう? あのケチな霊夢のことだ、着れなくなった巫女服を保存してたって不思議じゃない」
「なるほど」
巫女は笑った。
「どうだい、せっかくだし新しい巫女服を作るかい? 採寸さえすれば一週間で出来上がるけど?」
僕はここぞとばかりに巫女に言い寄った。この子はもしかするとツケをちゃんと払ってくれる巫女かもしれない。今商売しなければいつ商売するというんだ。
「なんだ、やけにそいつに優しいじゃないか」
にやにやと魔理沙は笑うが無視する。
巫女は少し考えると、
「そうね、頼もうかしら」
首を縦に振った。
博麗の巫女は巫女服の採寸を終えると「また来るわね」と言い残し帰って行った。これはもしかすると霊夢のようにうちに暇を持て余しに来るかもしれない。
「よかったな、香霖。これで霊夢が抜けた穴が塞がったぜ」
魔理沙はお茶を飲みながら笑う。
「確かにこれは僕も素直にうれしい。博麗神社は今後もお得意様であってくれそうだし、あの子はちゃんとツケを払ってくれそうだしね」
だけど、と、僕は続ける。
「あの子が霊夢の代わりって考え方は、僕はどうかな? って思う」
確かに霊夢の代わりにあの子が現れた。しかし穴を塞いだのはあの子であって霊夢ではない。霊夢がいなくなったという事実は変わらないのだ。
「なあ、考えてみろよ香霖」
魔理沙が湯飲みを置き、僕に語りかける。
「いくらここが幻想郷の中心だからって、いや、幻想郷だからって、変わらないにも限度はある。それはお前だってわかってるだろう?」
ああ、わかってる。あの子がここに訪れる前に霊夢がいたように、霊夢が訪れる前にもここには巫女がいた。霊夢ほど入り浸っていなかったが確かに時々やってきた。
「人間っていうのは花のようなものなんだよ。花を咲かせて季節が過ぎれば枯れ、また季節が廻れば同じ風景を見せてくれる。人間は幻想郷の風景なんだよ」
まあ受け売りの言葉だけどな、と、魔理沙はお茶を飲んで笑った。
僕は魔理沙の言葉が誰からの受け売りかすぐに分かった。
……なるほど、博麗の巫女はうちの店に咲く一輪の花か。いずれは枯れてしまうがまたここに種を落とし、再び返り咲く。そういう考え方もあるのかもしれない。
後日談だが、一年経っても二年経っても新しい博麗の巫女はツケを払ってくれない。
もしかするとこの子も霊夢同様にツケを払うつもりがないのかもしれない。
僕は少し頭が痛くなった。
ただなんとなくそう思う。