Coolier - 新生・東方創想話

おかえりなさいませ、霊夢お嬢様

2026/01/14 22:33:11
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***1***


 妖怪の山に夕陽がすっかり呑み込まれた、幻想郷の錦秋。逢魔が時を告げる宵闇の世界で、人ならざる者たちが活動を始めようとしている。
 霧の湖の畔に立つ洋館、紅魔館の住人達も、その一員。名前の通り、濃紅に浮かび上がるように耀(かがよ)う館のテラスでは、当主の吸血鬼――レミリア・スカーレットが優雅に紅茶を嗜んでいる。まるで指輪とするようにうっとりと手を掲げながら、霧の絶間にほのめく三日月を愛でて――やがて感嘆の息を吐くと、彼女は一度、両手を叩いた。
「咲夜」
「此処に」
 ぱちり、一秒の間も置かず、人間のメイド――十六夜咲夜が傍に現れる。レミリアは満足げに頷くと、封蝋の押された手紙を一通、咲夜へと差し出した。
「例の店について、紅魔館(ここ)と同じ茶葉を使用出来るよう、販路を整えた。手配を進めなさい」
「かしこまりました」
 咲夜が手紙を預かるのを確認すると、レミリアは一口、紅茶を味わう。上品な渋みが熱と共に全身へ広がっていく感覚をじっくりと楽しみながら、彼女はにまり、口端を歪めた。

(いよいよ、ね)

 この秋、紅魔館の援助を受けた洋食店「紅葉館」が、人間の里の外れに開店する。

 外の世界との「貿易」や一部の土地の「保護」などを通し資金を蓄えている紅魔館は、近年、才能ある人間の文化人や芸術家の支援を始めるようになった。即ち、レミリアが「後見人(パトロン)」となって、必要な資金、内容によっては場所や技術なども提供することで、彼らの活動を保護しようというのである。元より、相手の才能や素質、熱意を見出すのにレミリアが誰よりも長けていたのもあって、彼女の魔眼に叶った者は必ず成功する、という評判が囁かれるほどになっていた。
 今回の「紅葉館」の開店も、その一環――レミリアが、外の世界から迷い込んだ料理人の後ろ盾となった結果、実現したものであった。
 しかも、今回の計画は、今までの支援と比べても、重要な分岐点となる。
「これは我々が人里へ手を伸ばす、またとないチャンスよ。何としても成功させなければならないわ」
「無論。心得ております」
 言うまでもなく、料理店とは一般の客に食事を振る舞う場所――即ち、芸術にあまり親しみのない人間たちにも紅魔館の活動を知らしめる、絶好の機会となる。もし今回の「紅葉館」が成功を収めれば、人間の里を巡る妖怪たちの支配争いに、いよいよレミリア達も参戦出来るところまで持っていけるだろう。
 これは、ちっぽけな一歩に過ぎない。しかし、我々の覇道を指し示す偉大なる飛躍だ。だからこそ、今回の「紅葉館」開店に当たっては、店内の設営から食材の販路に至るまで、あらゆる準備でレミリアが自ら責任を負っていた。
「時に、お嬢様」
 蝙蝠の翼を期待にはためかせるレミリアに、咲夜が声をかける。
「プレオープンに当たり行う『お祭り』の件ですが……いかがいたしましょう」
「んー…そうねー…」
 秋風に温くなった渋みにレミリアは眉を顰める。次の瞬間、ぱちり、カップの中身が熱々の湯気を立てた早変わりするのを見て、思わず苦笑してしまう。
「そろそろ内容を決めないと、間に合わないわよねぇ」
 カップをまた一口傾けながら、レミリアは独り言ちる。
 「お祭り」とは、「紅葉館」のプレオープン――正式な開店の前に試験的に開く日のことだ――に当たって催す企画のことだ。
 せっかく紅魔館による店が初めて開かれるのだ!何もしないのは味気ない!ということで、プレオープンに合わせ何か開くというのは決めたものの、肝心の企画がなかなか決まらぬまま今に至っている。
「咲夜の方では、その後どう?何か妙案は浮かんだかしら」
「申し訳ありません。私の方でも考えてはいるのですが」
「ふーむ…」
 開くことに拘泥しすぎて、他のやることを疎かにするのも本意ではない。いっそきっぱり諦めるのも手か――その考えもレミリアが念頭に入れ始めたその時、ばたん、転げ落ちるような勢いで、部屋の扉が開かれるのが聞こえた。
「あ、あのっ、お嬢様っ」
 見れば、一人のメイド妖精が、ぱぱぱっと膝を払いながら大焦りで立ち上がっている様子。あぁ…大方、ドアを開ける時に勢い余って転んでしまったのね。本当、此処の妖精はそそっかしい子ばかりなんだから、とレミリアは口端を緩める。
「大事はないか?」
「いえっ、大丈夫です!その、射命丸様が、お見えになりましたっ」
「…あぁ、そうだった」
 ちょうど「紅葉館」の一件で、鴉天狗の射命丸文から取材の依頼を受けていたのを思い出す。
 ちらり、外の夕闇に視線を移せば、水面で揺らめく霧に三日月が沈もうとしている様子。そうか、もうそんな時間か。
「ありがとう。貴方、あの天狗を応接間まで案内なさい」
「はいっ」
 メイド妖精は一礼すると、文を迎えるため、足早にその場を駆け出していく。あんなに慌てて、また廊下で転ばなければ良いけど――レミリアは仕方ないとばかりに眉尻を下げると、自らも応接間に向かおうと、雅やかに立ち上がる。
「そういう訳だから咲夜。紅茶を淹れ直してきてちょうだい。『お祭り』の話はまた後で」
「お嬢様」
 てきぱきと命令して部屋から出ようと歩き出したその時、咲夜が勢い良くレミリアの言葉を遮る。
 何ごとかとレミリアが振り返ってみると、瑠璃色の瞳を無邪気に輝かせた咲夜が、悪だくみを思いついた子供のように、レミリアを見つめていたのだった。

「たった今、良き案が浮かびましたわ」


 紅魔館には(正規の手段ではない者も含めて)多くの客人がやって来るのだが、射命丸文という鴉天狗は、頻度としては上位に入る。彼女は『文々。新聞』という新聞を人間の里中心に配布しており、取材のためにと、紅魔館(ここ)にも良く立ち寄ってくれる。
 そして、正規に取材の申し込みがあった場合、メイド妖精のうち誰かが、彼女を門前まで迎えに行くことになっているのだが――誰が文を迎えに行くのか、いつも喧嘩になってしまうのだ。
 …だって、

(顔が、良いッ…!)

 見てください、凛々しい切れ長の眼!お嬢様の艶美な深紅ともまた違う、夕陽のように優しい色の瞳!大人のお姉さんって感じの、整った顔ッ!!!
 こんなの、傍近くで見たいと思うに決まっているじゃあないですかッ!!!!!!
 おまけに運が良ければ、案内が終わるまでの間、天狗さんとお話だって出来るんだもの……ふへへへ、本当、役得だわ……
「どうかなさいましたか?」
 透き通ったアルトが間近で聞こえ、メイド妖精は思わず肩を跳ね上げる。
 挙動不審なこちらを気遣ってくれたのか、文の顔面が視界いっぱいに映し出されて、羽が興奮でぐるぐるに回り出す。
「そ、その」
 うわー、文さんから話しかけてくれた!という狂喜と、文さんに引かれたくない!という意地が、メイド妖精の中で凄絶に葛藤する。えーと、話題!何か、適当な話題を…
「きょ、今日の服装、いつもと違うんですね」
「あぁ、これですか…そういえば紅魔館(こちら)では、あまりお見せしたことがありませんでしたね」
 納得したように一歩下がったのを文に、メイド妖精はほっと胸を撫でおろす。
「人里に取材へ出る時には、いつもこの服装で向かうようにしているんですよ」
 今日の文は、人間に紛れ込んで取材する時に着ていく――いわゆる「社会派ルポライターあや」としての格好。紅葉色のネクタイをきっちり結んだワイシャツの上に枯葉色のジャケットを羽織り、同色のズボンとキャスケット帽を身に着けている。手帖やカメラが入っているのであろう鞄には、よく見ると「文々。」の文字がオシャレに縫いつけられていた。
「今日は、例のお店で取材させていただいてから、直接こちらにお伺いしたもので…ご無礼をお許しください」
「な…いえいえそんなっ」
 申し訳なさそうに眉尻を下げる文に、メイド妖精は思わず身を乗り出す。
 冗談じゃない。何が無礼なものか。細身でスタイルが良くて、中性的な魅力にも溢れた文にスーツだなんて、土下座して手を合わせたいくらい神々しいコーディネートだ。今の文を貶す者が居るのなら、たとえお嬢様であろうと全霊の弾幕をもって抗議してやる。
「わ、私はむしろ、その服もとっても良いというか…」
 喉がカラカラに乾いて、声が詰まる。頬は真っ赤に上気して、背中の羽が緊張のあまり小刻みに震える。
 ――言え。言うんだ。刹那、眼を閉じて熱い息を吐きだすと、意を決して口を大きく開けて。
「か、か、かっこいっ!?」
 爪先に何かがぶつかったような違和感と共に、メイド妖精の身体が宙に浮く。突然のことで羽を動かすという発想にも至れぬまま、深紅のカーペットに覆われた床を視界に入れる。
 あぁ、私ってば、また転んじゃうんだ――一歩遅れて、メイド妖精はようやく自分に起こっていることを把握する。達観した頭で、せめてもの防衛としてぎゅっと目を瞑りながら、ただ全身を打ち付けるその時を待って。
「おっと」
 刹那。強く支えられる感触と共に、妖精の落下が止まる。前のめりにつんのめりながらも、足が確かに床に立ったことを悟り、彼女は目を丸くさせる。耳元に聞こえるのは、落ち着きはらった大人の吐息。恐る恐る、振り返ってみれば、夕陽色をした綺麗な瞳に、自分の顔が大きく映りこんでいるのが見て取れて。
「間に合って良かった…お怪我はありませんか?」
 心から安堵したように目を細めた文が、メイド妖精に優しく声をかける。最高を超越した格好良さと推しに助けてもらった羞恥で心の残機が連鎖的に爆散していたメイド妖精は、蕩けきった顔で「ひゃい…」と返事をすることしか出来なかった。

 そんな彼女たちのやり取りを、曲がり角の先から見つめていた者が、二人。
「いかがでしょう。お嬢様」
「…ふむ」
 にんまり牙を剥きながら、レミリアは頷いてみせる。
 先程咲夜から「案」を聞いた時は、なんと突拍子もない考えと目を丸くさせたものだが…なるほど、こうして観察してみると、確かに納得だ。
 彼女であれば、「紅葉館」の開幕を祝した祭典を、華々しく彩ってくれることだろう。
「咲夜」
「はい」
「確保なさい」
「御意」
 ぱちり。冷たい空気の張り詰めた廊下に、時間を跪かせる音が響いていく。
 直後、虚無から壱が生まれる瞬間のように零距離へと踊り出た咲夜に、射命丸文の視界はぐるり、反転させられるのだった。


***2***


 りん、りりん。鈴の髪飾りを揺らし、一人の少女が軽やかに跳ねる。深紅の封蝋が施された手紙と薔薇の花束をしっかりと懐に抱え直し、彼女は秋の小路を歩き始める。
 黄金色いっぱいに葉身を広げたユリノキは、大空へ羽ばたこうとする小鳥たちが止まっているよう。臙脂色に葉を俯かせたハナミズキは、葡萄酒を樽ごと飲み干してしまったみたい。ふわっと吹き立つ木枯らしに合わせ、お祭りさながらに氾濫する落葉の群れに、少女はなおも胸を湧き立たせる。
 さく、さく、落葉を踏みしめた先に見えたのは、紅葉と調和するように築かれた、舶来の館。御伽噺の挿絵でしか見たことなかった光景を目の当たりにして、茜色の瞳を緩ませる。しばし恍惚に見とれてしまった後、やっとのことで我に返った少女は、木製の扉をゆっくりとこじ開けた。

「おかえりなさいませ、小鈴お嬢様」

 少女――本居小鈴を出迎えたのは、一人の「執事」だった。
 艶やかな金色の長髪を後ろでひと結びにさせた容姿は、今にも神様に攫われてしまいそうなくらい美しい。黒色の燕尾服にきっちりと身を固め、左目に銀縁の片眼鏡をかけて――あぁ、やはり舶来の童話で見て来た、そのままの姿。
「た、ただいま帰りましたっ」
 えぇと、こういう時、物語のお姫様はどう挨拶していたっけ…ガチガチの声で小鈴が頭を下げると、その「執事」はゆっくりと微笑みを返す。余裕のある反応に小鈴が却って羞恥を覚えていると、コツ、コツと、鋭いヒールが近付くのが聞こえて来た。

「ようこそ、小鈴。我が執事喫茶『紅葉館』へ」

 「執事」の後ろから現れた「当主」の姿に、小鈴はハッと目を見開く。未だ幼いソプラノを残しながらも、確かな威厳を響かせる声に、しかしどこか安心感を覚える。
 白を基調としたドレスの裾をつまみ、優雅に挨拶(カーテシー)を見せる少女の姿は、小鈴にも馴染みのあるものだった。
「レミリアさん!」
 愛らしく顔を輝かせた小鈴に、「当主」――レミリア・スカーレットはにこやかに顔を上げる。
「この度はお招きくださり、本当にありがとうございます」
「こちらこそ、今日は来てくれてありがとう。貴方とお話出来る時が来るのを、とても楽しみにしていたわ」
 堂々とした面持ちでレミリアが手を差し出すと、小鈴も手を握り返す。氷のように冷たく滑らかな手の感触にドギマギしている小鈴に、レミリアは愉快そうに頬を緩ませる。

 今日は、紅魔館の後援を得た洋食店「紅葉館」プレオープンの日。
 かねてより小鈴と文通を交わす仲であり、彼女が店番をつとめている貸本屋「鈴奈庵」の得意先にもなっていたレミリアは、記念すべき最初の客として、彼女を招いたのだった。
 そして、レミリアが「紅葉館」のプレオープンに際して企画した「お祭り」。それこそが「執事喫茶」という訳である。

「それと『紅葉館』の開店、おめでとうございます。これ、よろしければ…」
 持参した花束をレミリアに手渡すと、レミリアは大仰に目を見開いてみせる。
「へぇ…今にも血が滴りそうな、素敵な薔薇ですこと。さすが、良く分かっているわね?」
 真っ赤に瞳を光らせるレミリアに、小鈴は肩を跳ね上げる。にたり、覗かせた八重歯が自分の喉元に狙いを定められているように見えて、思わず顔を強張らせてしまう。そんな小鈴の反応に満足したようにくすくすと笑いながら、レミリアは先程の「執事」へと視線を向けた。
「貴方。この薔薇、花瓶に活けてもらえるかしら?」
 レミリアに視線を合わせる「執事」の横顔に、あれ、と小鈴は首を傾げる。さっきは、空気に飲まれてそれどころじゃなかったけど…この小柄な容姿に、波打った金色の髪…良く考えたら、どこかで見たことのあるような――
「どの席からも見えるような、最も目立つ場所に飾ってちょうだい」
「かしこまりました」
 はきはきと良く通る声を改めて耳にして、ようやく小鈴の中で散らばっていたパズルが、カチリ、一人の友人の姿を形づくった。
「魔理沙さんっ!?」
 驚きのあまり大声をあげた小鈴に「執事」――霧雨魔理沙は振り返る。落ち着いた笑みのまま人差し指を口に当ててみせる魔理沙を見て、小鈴は慌てて手で口を抑える。いつもの活発な彼女からは想像も出来ないもの静かで、大人びた所作を前に、小鈴はただ見とれるばかりだった。
「お待たせいたしました、お嬢様方。お席までご案内させていただきます」
 薔薇を飾り終えた魔理沙は再度一礼すると、二人を真っ直ぐに先導する。未だ夢見心地のまま魔理沙の後をついて行く小鈴の耳に、レミリアはそっと囁きかける。
「驚いたかしら?決まっているでしょう」
「は、はぃ…ぇ、かっこいい…」
 ぽぉっと頬を染める小鈴に、レミリアは得意げに鼻を鳴らす。
「私が招いた以上、つまらない顔で帰すなんて、絶対に許さないんだから。今日はいっぱい、楽しんでちょうだいね?」
 自信をみなぎらせた令嬢の我儘を聞かされて、小鈴はさらに期待に胸を高鳴らせた。
 程なく、純白のテーブルクロスが敷かれた二人用の机に案内された小鈴は、レミリアに勧められるまま、メニューを開く。これまた洋書の挿絵でしか見たことのない、彩り豊かな料理がたくさん。どれにしようかな――あ、この「秋野菜のポトフ」とかとっても美味しそう。ほら、秋神様の甘藷がごろごろと入っていて、琥珀色のスープにすごく映えてるの。けれど、せっかくの機会だから、肉料理をしっかり食べたい気もするし…うーん…
「レミリアお嬢様」
 また「執事」だろうか。中性的で大人びたアルトに、どきり、胸が高鳴るのを感じる。魔理沙とは違う――けれどやはり、自分にとって聞きなじみのある相手。まさか、という戸惑いと、それ以上に膨らんだ期待に突き動かされるように、小鈴はメニューから顔を覗かせる。
「食前のハーブティーの準備が、整いましてございます」
「ありがとう。では早速、小鈴に淹れてあげてちょうだい」
「かしこまりました」
 「執事」はレミリアに一礼すると、改めて、小鈴へと視線を合わせる。
 白手袋を纏うほっそりとした指が、硝子のティーポットを優雅に傾け始める。萌黄色のハーブティーがカップの底から満たされると共に、ふわっと温かな湯気が、小鈴の肌を潤していく。林檎、なのだろうか?ほんのりとこちらを癒してくれるような、落ち着いた香り。
 硝子のポットの中でくるくると翻弄され続ける花々のように、「執事」の顔に魅了されてしまう。鴉の濡羽色という表現が相応しい、癖がありつつも綺麗な黒髪。片眼鏡の向こうに見える切れ長の眼には、夕陽色をした優しい瞳がたたえられていて。あぁ、やっぱりこの人は――
「こちら、カモミールティーでございます。淹れたてでございますので、気を付けてお飲みください」
 小鈴は、ゆっくりとカップを持ち上げると、一息、また一息と冷ましてから、ハーブティーを口に含む。すっきりとした甘みが喉を通って染みこんでいくのを感じ、茜色の瞳をとろんと揺蕩わせる。
 とっても、あったかい。冬近くの道を歩いていた身体が、みるみるうちにほぐれていくのを感じる。まるで、大きな翼でいっぱいに、全身を包まれているみたい。
「とってもおいしいです………あや、さん?」
「ふふ。それは良うございました。小鈴お嬢様」 
 安堵したように口許を緩めた小鈴の問いかけに「執事」――射命丸文は、朗らかに微笑みを返す。

「本日は、我々がお嬢様方のお世話をさせていただきます。どうぞ何なりとお申しつけください」


***3***


 ……何故、射命丸文が「紅葉館」の執事をすることになったのか。
 それを説明するためには、文が紅魔館を訪れた日まで、再び遡る必要がある。

「へぇ…」
 文を捕らえるよう指示したレミリアの瞳が、楽しそうに歪む。
 確かに咲夜は、時間を止めた。停止した時間の中では、咲夜の捕縛を避けることは、いかなる神妖であろうと容易ではない。
 まして、韋駄天をも凌駕する天狗の一羽とはいえ、所詮は文民に過ぎぬ相手だ。だから、咲夜が再び時を動かした瞬間、荒縄に縛りつけられた記者の姿が、レミリアの前に転がされていたはずだった。
 それなのに。

「どういうおつもりですか?これは」

 紅い絨毯の上に押さえつけられていたのは、咲夜の方であった。時間を解除した直後の一瞬で咲夜の手首を押さえつけた文が、全て見通しているとばかりに、レミリアの方向を睨みつけていたのだ。
 館中の空気を震わせる唸り声に、あわれ案内をつとめていたメイド妖精が、へなへなとへたりこんでしまう。結ばれることのなかった荒縄がぱさりと床に落ちて、咲夜でさえも絶句している。
 ぎらり。輝く赤眼が、溶岩のような重みをもってレミリアに襲い来る。いつぶりか分からない――もしかしたら紅い霧以来かもしれない震えが背中を走るのを感じ、瞳孔はぎゅるり、獣の形に切り立つ。
 どうやら我々は、この天狗について、とんでもない思い違いをしていたようだ。
 道化の「仮面」の下に、このような本性を隠し通していたとは…
「このままお前と槍を交えるも面白そうだけど…今は『まだ』、その時期ではないわね」
 紅玉(ピジョンブラッド)の瞳を宥めるように幾度か蕩けさせると、レミリアは自ら文の前まで歩み出て、深々と頭を下げる。
「客人への無礼、謹んでお詫び申し上げる。どうか咲夜を放してはいただけないだろうか」
「…」
 禍々しい妖眼(あやめ)から、剣呑な光が薄らいでいく。押さえつけられていた咲夜の手首が緩やかに解放されるのを見て、レミリアはにっこりと笑う。
「改めて、咲夜。文を応接間まで案内差し上げて」
「かしこまりました」
 解放された咲夜は、何ごともなかったようにレミリアに一礼すると、文の前を歩き続ける。ため息一つ吐いた文がついて行こうと足を踏み出すと、刹那、ジャケットの裾が弱々しくつかまれるのを感じる。振り返ってみれば、先程の出来事で落としたらしいキャスケット帽を、がくがくと膝を震わせながらメイド妖精が差し出しているのが見えた。
「…あぁ、」
 文は緩やかに眉尻を下げながら帽子を受け取ると、小柄な妖精に一度大きく頭を下げて。
「ありがとうございます」
 朗らかに微笑みかけて来た文は、メイド妖精の良く知る「格好良い憧れのお姉さん」に戻っていた。


「……それで。私に何をお願いなさろうとしていたのですか?」

 程なく、応接間に通された文は、挨拶もそこそこに、早速レミリアに疑問を切り出す。
 未だ警戒の視線を緩めようとしない文に、レミリアは感心したように口端を吊り上げる。
「あら。何のことかしら?」
「仮にも『客人』をいきなり捕縛されようと試みたのです。戯れでも度が過ぎている。余程の無理難題を、私に押しつけようとなさっていたのでしょう?」
 冷えきった声を喉元に突き付けられ、再びレミリアの背筋を本能の震えが走る。
「本当に戯れのつもりだったのだけど…お前から聞いてくれるなら、話が早いわね」
 温かい紅茶で口を潤わせつつ、レミリアは文の方へと向き直る。
「『紅葉館』のプレオープンが半月後に迫っているのは、文も知っているわね?」
「はい。そもそも本日伺いましたのは、その取材が目的ですから」
「えぇ、そうだったわね。実は、プレオープンに際して『お祭り』を開きたくて――『執事喫茶』が出来ないか、考えているの」
「『執事喫茶』…?」
 文花帖に書きつけていた文の手がぴたり、怪訝に止まる。
「簡単に言うと、まるで貴族の館の主になったような時間を、お客様に経験させてあげる喫茶店よ。従業員は主に忠実な『執事』になりきって、客の細かな世話まで担当してもらうの。楽しそうでしょ?」
「はぁ…?」
 意図を図りかねる、と文が眉を寄せていると、にぃ、とレミリアは悪戯っぽく八重歯を覗かせた。

「貴方、『紅葉館』の執事になりなさい」

「……はい?」
 刹那。今度こそ、射命丸文は呆然と目を見開いていた。
「あら、説明が必要かしら。文も『執事』として『執事喫茶』に参加してもらいたいのよ」
 レミリアは、文の戸惑いなど構うことなく、また一口、紅茶を楽しんでいる。
「…念のため、お聞きしますが。何故、私にそのようなお願いを?」
「聞いたところ、貴方、人里の人間たちから大層評判が良いそうじゃない。相手を見極める能力を持ち、作法の心得もあり、器量だって悪くない。そして何より見目が良いわ――そんな貴方からもてなされるなんて、人間たちにとっては最高の祭典だと思わない?」
「お断りいたします」
 きっぱり、断ち切るように拒絶する文に、レミリアは大袈裟にため息をつく。
「つれないわねぇ。報酬は弾ませてもらうわよ?」
「そのような問題ではありません」
 お金のせいにされてはたまらない、と文は語気を強める。
「確かに『紅葉館』はレミリアさんの後援するお店です。どのような催しをするも貴方がたの自由ですし、取材とあらば私も喜んで協力させていただきます。しかしながら、不当に私も巻き込むと言うのならば、話は別です」
「ふぅん?」
「そもそも、ホールスタッフは既に確保されている認識ですが」
「もちろん。私が直々に面接をして、見込みのある者たちを既に手配しているわ。文だって、それくらいのことは取材済みでしょう」
「はい。私も取材の限り、人手も含めて準備は整っているように見受けられました。ならば、その『執事』も、ホールスタッフの方々に演じてもらうので良いはず。私には参加する必要も義理も見出せません」
「ふぅん。まぁ、それはその通りねぇ」
 そもそも、文にだって天狗としての立場があるのだ。戯れとはいえ、吸血鬼に従属すると見られる申し出を、聞き入れる訳にはいかない。
「けれど、本当にお前はそれで良いのかしら?」
「…何が言いたいのですか」
「せっかく、最も近いところから『紅葉館』を独占取材させてやる――そう提案しているのに」
 ぴくり。文花帖に書きつける万年筆が固まるのを、レミリアは見逃さない。

「世論への話題性というのは全て方便。お前が『紅葉館』を取材していた本当の目的は、紅魔館(われわれ)……だろう?」

 吸血鬼の魔眼にも引けを取らない溶岩の瞳で、文はレミリアを睨み返す――やはり、その程度は織り込み済みか。
 幻想郷では、人間たちが主に暮らす「人間の里」の支配を巡って、多くの妖怪たちが競い合い、あの手この手で近付こうとしている状況にある。それこそ、狐狸や天狗が「情報」を駆使して人間の世論を操っている、という具合に。
 今回の「紅葉館」の開店は、その人間の里の支配に、とうとう紅魔館が本格的に乗り出したことを意味する。それは天狗を初めとする既存の妖怪たちにとって、決して無視は出来ない事態だ。
 そうであれば、射命丸文としては、調べなければならない。「紅葉館」の開店に合わせ、レミリア達が一体何を考えているのかを。
 今回の出来事が、今後の妖怪たちの権力争いのみならず――幻想郷の秩序にいかなる影響を及ぼすことになるのかを。
「スパイ、大いに結構よ。どうぞ、お前の気が済むまで取材していきなさいな」
 両手を大きく広げ、堂々たる笑顔を見せるレミリアに、文は戦慄する。
 彼女は、文の目論見を全て読み取った上で、敢えて自分たちの全てを曝け出してやろう、そう告げているのだ。
 文を「執事」として「紅葉館」で働かせる、その「報酬」として。
「あぁ、それと。天狗の立場がどうとか考えているのなら、気にしなくても大丈夫そうよ」
「…?それはどういう、」
 意図を図りかねた文が怪訝に眉を顰めると、ぱちり、示し合わせたように咲夜が現れる。
 一通の手紙を取り出してレミリアに差し出す彼女の格好に、文の胸中を嫌な予感が渦巻きだす。
 今、咲夜が身に着けているのは、藍色のレインウェアに、動きやすさを重視したベージュのズボン。
 荷物がたっぷり入るだろうバックパックに、帽子には紅葉の葉っぱが一枚くっついている。喩えるならそう――まるで「山登り」を楽しんで来た、といった格好。
 ……まさか。まさか、そんなはずはない。しかし、ならば――震える文の目が、ぴたり、手紙を読み終えたレミリアと合う。

 自分が応接間に案内されてから、未だ紅茶も冷めぬ間。十六夜咲夜は一体、どこへ行っていたのか?

「たった今、貴方のところの大天狗から許可を貰って来たのよ。プレオープンまでの間、貴方を『借りても』良いって」
「はぁっ!?」
 思わず素っ頓狂な声をあげ、文はレミリアから手紙をひったくる。手触りに覚えのある和紙に記されていたのは確かに、文をしばらく紅魔館の調査に専念させることを許可する文言――末尾には、流れ星を模した花押と共に「飯綱丸龍」の署名がはっきりと記されていた。
「あんっ、のぉ……っ!!!」
 激昂のあまり、文は手紙をぐしゃりと握ってしまう。
 鬼灯色の瞳を揺らめかせ、興味深そうに咲夜の話を聞いている大天狗の姿が、それはもうはっきりと映し出される。
 それも、ただ面白がっているのではない。むしろ、彼女であれば「文の役目を全うさせる」のを誰よりも考えた上で、許可を出してくれるだろう。
 その意図が伝わってしまう故に、ぶつけようのない憤りが文の中で積もり続けるのだった。
「さて。改めてお願いさせてもらいましょう」
 激情をこらえようとする文の反応に満足したレミリアは、ぎらり、紅玉(ピジョンブラッド)の瞳を煌めかせる。

「『紅葉館』の『執事』、どうか引き受けてはもらえないかしら?」

 既に綺麗に敷かれてしまった道筋に、射命丸文にはもう頭を垂れる選択肢しか残されていなかった。


***4***


 そして現在、プレオープン当日。咲夜から「執事」としての教育を経た文たちは、晴れて(?)「紅葉館」で働くことなった訳である。

「はぇ~…それで文さんが『執事』をされることになったんですね」

 一連の経緯を聞かされ(妖怪たちの勢力争いなど繊細な話題に関してはぼかしているが)目をキラキラに輝かせていた本居小鈴を、レミリア・スカーレットは好ましげな眼差しで見つめる。
「失礼いたします、お嬢様」
 小鈴がさらに聞いてみようと口を開きかけると、傍から透き通ったメゾソプラノが聞こえてくる。耳の痺れを感じながら振り返ると、同じく「執事」として働いている霧雨魔理沙が、にっこり、レミリアに微笑みかけている。
「こちら、食後の茶菓子『アップルパイ』でございます」
「ありがとう。小鈴にも分けてあげてちょうだい」
「かしこまりました」
 魔理沙は恭しく一礼すると、優雅な所作でアップルパイを配膳する。艶々の狐色に焼かれた生地が張り巡らされた下で、甘く煮詰められた林檎が黄金色に輝いている。芳醇で香ばしい匂いにくすぐられた小鈴が魅入られるように西欧の菓子を見つめていると、魔理沙がすっかり慣れた手つきでパイを切り分け始めるのだった。
「そういえば、魔理沙さんはどうして今日『執事』をされているんですか?」
 この機会にと、小鈴は気になっていたことを聞いてみることにする。
「それは勿論、人手に悩まれている様子のお嬢様を見て、放っておけなくなったからでございます」
「おんやぁ?お前、仮にも『お嬢様』にそのような嘘をつくなんて、許されると思っているのかしら?」
「うぐ……」
 紅玉(ピジョンブラッド)の瞳にぎらりと見据えられて、魔理沙は頬を引きつらせる。
 …うん。まぁ、魔理沙さんのことだから、そんな殊勝なきっかけじゃないんだろうなぁ、とは思ってた。失礼だけど。
「この子と来たら、また紅魔館(うち)の図書館から本を持っていこうとしていたのよ。パチェからもいい加減何とかして欲しいって言われていたところだし、ケジメは付けさせなきゃと考えてねぇ」
「もうっ!それは駄目ですって言ったじゃないですか、魔理沙さんっ」
「う…」
 茜色の瞳に愛らしく睨まれ、魔理沙も居心地悪そうにたじろぐ。書物の貸出自体が生計に直結する小鈴に言われると、さすがの魔理沙も強くは出られないらしい。これは良いことを聞いたわね、パチェにも教えてあげましょう。
「けど、文さんと魔理沙さんの『執事』姿、本当に似合ってますねぇ…あの人にも見て欲しいです」
「おや。誰にかしら?」
「決まってるじゃないですか。霊夢さんですよ、霊夢さん!」
 ざくり、パイを切っていた魔理沙の手が硬直する。その様子を見逃さなかったレミリアはにんまりと口端を歪める。
「特に!文さん!!文さんのカッコいい執事姿は、何としても霊夢さんに見せないと!」
 語気にいっぱいの熱をこめ、小鈴は小さな拳を握りしめる。
 彼女たちの友人である博麗神社の巫女――博麗霊夢が、射命丸文と想い合っていることは、既に皆の共通認識となっていた(本人たちはまだ隠し通せているつもりでいるみたいだけど)。
「やっぱり霊夢にも招待状を出しておけば良かったかしら。文から最後まであぁだこうだと反対されたから、結局出せなかったのよね」
「駄目ですよっ!文さんはこういう時、ほんっっとに霊夢さんから逃げてばかりなんですから!進展させるためには、こっちから意地で会わせないといけないんですっ」
「そうよねぇ……はぁ、本当、もったいないことをしてしまったわ――貴方もそう思うでしょう、魔理沙?」
「は、はい…仰る通りでございます」
 頬に冷や汗を伝わせぎこちなく頷く魔理沙に、小鈴は首を傾げる。どうしたのか小鈴が疑問を挟もうとするも、魔理沙は切り分けたアップルパイを置いて、足早に二人の前から逃げ去っていく。
 まさかこの忙しさで体調を崩したのだろうか、と心配する小鈴の横で、レミリアはニヤニヤ、愉快そうに口を歪ませる。
「けどね、小鈴。一つ、良いことを教えてあげるわ」
 さくり、レミリアがアップルパイを一口運ぶ。落ち着いた果実の甘味がカスタードと絡んでいく感覚を楽しみながら、彼女は深紅の瞳をゆっくりと蕩けさせる。

「『運命』はね、そんな小細工ごときで動じたりしないのよ」


***5***


 時はまた、数日前。紅色に映える博麗神社。

 のんびり参道でくつろいでいた一羽のカラスに、紅葉が一枚、羽根飾りのようにくっついている。
 掃いても掃いてもキリがない落葉に、掃除をしていた狛犬――高麗野あうんも流石に飽きてしまった様子。こんもりと築き上げた枯葉の山に熾火を入れると、古新聞に包んだ甘藷を焼き始めていた。
 まだかなまだかな、と時折芋をひっくり返す狛犬に、気になったのかカラスたちもぴょん、ぴょんと軽やかに近付いて来る。そんな微笑ましい様子に頬を緩めながら、霊夢は『文々。新聞』を広げていた。
 すっかり慣れた紙の手触りを感じると、ほっと安堵の心に包まれるのが分かる。あぁ、アイツは今もどこかを飛び回っているんだな、頑張っているんだな――なんて、まるで母親みたいな喜びが先立ってしまう。
 本当は、天狗の新聞を見たらまず警戒しないといけないはずなのに、ね――焼き芋が出来上がるのをカラス達とあうんを見つめながら、霊夢は切なげに眉尻を下げる。
 ……そういえば、アイツが最後に此処に来てくれたの、そういえばいつだったかしら。
「おぉ~ぃ、れいむぅ~…」
 転がる枯葉に負けそうなくらいヘロヘロな声に、寛いでいたリボンがぴたりと反応する。ゆっくりと顔を上げてみれば、すっかりくたびれた様子の魔理沙が、ふらふら箒を揺らしながらこちらに降り立つのが分かった。
「えっ…」
 元気という字が空を飛んでいるようだった親友の変化に、霊夢はぎょっと目を見開く。
「ちょ、ちょっと魔理沙!?一体どうしたのよ」
「あー……大丈夫だ。ちょっと疲れてるだけだぜ」
 肩を落とした魔理沙に駆け寄ると、素早くおでこに手を当ててみる――どうやら、熱はないようだ。
「アンタ、もしかしてまた徹夜で魔法の研究を続けていた訳?」
「まぁ……そんなところ、かな?」
「もう。根を詰めるのも、ほどほどにしておきなさいって言ったでしょ」
 体調が悪い訳ではないと分かり、霊夢は安堵の息を吐く。
 ――実を言うとこの時、魔理沙はちょうど紅魔館の大図書館で捕まって、みっちりと「執事」の教育を咲夜から叩きこまれた直後なのだった、が…そんなこと、霊夢には言えるはずがなかった。
「ほら。せめて此処で休んでいきなさい」
「あぁ、悪いな」
 魔理沙が縁側に腰掛けたのを確認した霊夢は、焼き芋の番をしているあうんに「あうん~。出来上がったら魔理沙にも分けてあげて」と声をかける。元気の良い返事を聞きつつ厨(くりや)へ歩を進め、慣れた手つきでお茶を淹れ直す。三つの湯呑を手に縁側まで戻って来ると、ちょうどほくほくの芋を抱えた狛犬がこちらにやって来るところだった。
「どうぞ、魔理沙さん」
「おぉ、ありがとな、あうん」
 焼き芋を受け取った魔理沙があうんの喉を撫でてやると、あうんは自らの顎を甘えるように擦りつける。蕩けるように頬を緩めながら狛犬とじゃれる魔理沙に笑みを浮かべながら、霊夢は焼き芋を一口――ん。とろっとろ。噛めば噛むほど、蜜の滴る甘味が舌を熱で包みこんで来る。おいし…
「あっ」
 お茶も一口、と湯呑に手を伸ばしたところで、何かに気付いたような魔理沙の声が聞こえる。視線を辿ってみると、先程まで自分が広げていた新聞を見ていることに気付く。
「うん?この記事が気になるの」
「え――あぁ、いや、」
 新聞を取り上げながら霊夢が問いかけると、魔理沙は慌てたように手を振る。
「お前が天狗の新聞を自分から買うの、珍しいなぁって、さ」
「な…べ、別に良いでしょ。私には天狗がヘンなことを企んでいないか、監視する義務があるのよ」
 妙に忙しない魔理沙に違和感を抱きながらも、霊夢はフンッと胸を張る。今日の一面に掲げられた写真は、紅葉舞い散る奥に建つ、美麗な洋館。「幻想郷に舶来の料理店、現る」という題名と共に、人間の里の外れに洋食店「紅葉館」が開店する旨が記されていた。
 里の人間たちに馴染みの薄いだろう料理の魅力が伝えられるよう、記事の下部には、肉料理のスケッチが丁寧に描かれている。熱と旨味がじっくり閉じ込められているのだろう重厚な肉のイメージに、霊夢の心は高鳴るばかりであった。
「つまり、咲夜やアリスが作ってくれるような料理を、いつでも食べられるようになるってことでしょ。さいっこうじゃない!」
「……ソ…ソウ、ダナ?」
 高揚を隠しきれぬように声を弾ませる霊夢から、魔理沙はじっと目を逸らす。だらだらと頬に冷や汗を伝わせる魔理沙の表情に、あうんが訝しげに首を傾げる。
「…ん?」
 と、霊夢が鳶色の瞳を丸くさせる。スケッチからさらに外れた枠――一面の端っこ辺りに、何か控えめに文章が補われている。

「へぇ。正式な開店前に、一日お試しで開く日を設けるんですって」

 びくぅっ!!!!!と魔理沙の肩が勢い良く跳ねる。衝撃のあまり、熱々の焼き芋が彼女の手から離れ、曲芸のように小さな掌を跳ね回る。
「『紅葉館』の後援者であるレミリア・スカーレット嬢によると、プレオープンに当たっては特別な『お祭り』も準備しているとのこと――ふぅん。何を企んでいるのやら」
 とにかく騒がしいことが大好きな吸血鬼を思い浮かべれば、嫌な勘がびりびりと霊夢の頭を駆け抜ける。
 「お祭り」の中身については記事で触れられておらず、一体何をするのか、ここだけでは分からない。これはレミリアが意図的に秘密にしているのか、あるいは文が既に聞いている上で、敢えて隠しているのか…いずれにしても、何をするつもりなのか確かめる必要がありそうね。
「よし。その『お祭り』とやら、行ってみましょ」
「へぇっ!?」
 ようやく焼き芋を持ち直した魔理沙が素っ頓狂な声をあげる。やはり先程からどうにも様子がおかしいと、霊夢は怪訝に眉を顰める。
「別に驚くことでもないでしょ。レミリア達(あいつら)が何か変なこと考えてないか、見張りに行くだけよ」
「い、いやー…」
「何よ。煮え切らないわね」
「そこまで気にしなくても、良いんじゃ、ないカナー……なんて…」
「…」
 冷ややかな沈黙。呑気に鳴き交わされる鴉たちの鳴き声が、気まずさを一層際立たせている。
「…なんで、そう止めようとするの?もしかして魔理沙、この『お祭り』について、何か知ってるの?」
「っな、ないないない。そんなこと、決してないんだぜぇっ」
 あっ。ウソだ。壊れた人形のように首を横に振る魔理沙に、霊夢は確信を抱く。
「ほぉんとう…?隠していることがあるなら、今のうちに話した方が身のためよ?」
「な、な、な、」
 にんまり、口を三日月に歪ませ、霊夢はちらり、あうんに目配せする。じり、じり、いつでも取り押さえられるように狛犬が身構えているのを悟り、魔理沙は大慌てで箒を握る。
「あー!!アリスに本を返さないといけないんだったぁー!!また今度なー!!!」
 びゅうん!一陣の風が吹き荒れ、驚いた鴉たちが我先にと翼を暴れさせる。から、から、転がる枯葉が落ち着くのを待って霊夢が髪を整えると、やはりというか、魔理沙は流れ星のように飛び去った後だった。
「くぅん…」
「良いのよ、あうん。ほら、焼き芋、冷めないうちに食べましょ?」
 期待に応えられなかったことに落ち込むあうんの頭を、霊夢は撫でてあげる。温かい掌の心地良さにあうんはみるみるうちに顔を輝かせると、また勢い良く、焼き芋を頬張り始める。
 愛らしい狛犬を見つめる霊夢の瞳には、慈しみの光があふれている。その裏では、魔理沙たちの企みを曝こうとする意地悪な好奇心をむくむく膨らませ続けていた。


 そして、プレオープン当日。

「――はぁ。すっかり、遅くなっちゃったわね」

 枯草色のキャスケット帽に丸眼鏡、襟を立てた外套に「変装」した霊夢が、速足で駆けていく。黄金や臙脂色に、まるでこちらを歓迎するように散り敷かれた絨毯を潜り抜けると、写真の通りのオシャレな洋館が視界に入る。
「うっわぁ…」
 これでも、お昼前に間に合うように来たつもりなんだけど。既に館を取り囲むように並んでいる列を見て、霊夢は目をまん丸にさせる。見たところ、客層にはどちらかというと女性――しかも、霊夢と同じくらいか、少し年上くらいの娘が多いみたいだ。
 待ち遠しくてたまらないとばかりに皆そわそわ顔を赤らめているのを観察し、またちょっぴり期待が高まる。ここまで皆が楽しみに並んでいるなんて、一体中はどうなっているのだろう…一先ず、列に並ぶため歩き出そうとすると、鈴の音と共に、二人の少女が店から出て来るのが見えた。
「ねぇ!今、私たちを見送ってくれたヒト…すごくカッコよかったね!」
「ねー!綺麗な笑顔で『行ってらっしゃいませ』って……!はぁぁ、お腹も心も、もう満足だわ…」
 すっかり上機嫌な様子で声での会話に、霊夢は反射的に耳を傾ける。…ふぅん。そんなにカッコいい従業員が、中で迎えてくれるのね。どんな人なんだろ。
 私も出来れば、その人にもてなされてみたいなー…なんて。
「けど…んー」
「うん?どったの?」
「いやー…あのヒト、前どこかで見たことある気がするんだよねー」
「あ、私も私も。あんなカッコいい声、ぜっったいに聞いたことある!って思ったの」
「だよね!きっと知っているヒトのはずだよねー…………――あっ!!!」
 へぇ。存外、幻想郷は狭いものなのね。ひょっとしたらそのヒト、私も知っている相手だったりして…なぁんて。
 まさか、前に魔理沙が青い顔していたのって、そういうことなのかしら?……うん、あの慌てぶり、そうに違いないわ。
 そういうことなら、出くわしたら思いっきり揶揄ってあげるんだから…

「あのヒトだよっ!ほら…いつも取材に来てくれる、ルポライターのお姉さんっ!!!」

 ――刹那、荒々しく吹きあがった木枯らしが、少女たちの身体を震わせる。日向に照らされていた洋館に雲の影が目まぐるしく行き来を始め、これから起こる波乱を待ち人たちに告げるのだった。

 『お待たせいたしました。こちら、本日のランチ『秋野菜のポトフ』でございます』

 窓の向こう側。料理を待っていた客の前に、男装の麗人が姿を見せる。
 漆黒を基調としたスタイリッシュなスーツは、良く手入れされた鴉の翼のよう。短い髪を後ろでひと結びにした姿は、元々の中性的な顔立ちをより凛々しく際立たせている。
 金縁の片眼鏡の向こうでは、夕陽色の瞳をたたえた切れ長の眼。遠くからでもはっきりと見えるくらい、長い睫毛がきりっと整えられていて。
 あぁ、本当だ――窓越しに覗きこんでいた霊夢の耳が真っ赤に染まる。
「あ、や…」
 何気なく名前を呟いた瞬間、改めて心臓が早鐘を打って鳴り出していく。間違いない。アイツは文だ。
 ぴたり。冷たい硝子に指を当てる。熱い吐息がかかるごとに、窓が白く曇っていく。
 『この寒い中並ばれて、お疲れのことでしょう。どうぞごゆっくり、おくつろぎください』
 文は上品な所作で料理を並べ終えると、にこり、優しい笑顔を、その客へと向ける。
 猛禽に捕まれてしまった獲物のように、霊夢の心が空高くまで攫われる。
 息をすることも忘れ、文の微笑みを、けたたましい連写のように脳に焼きつけていく。
「…カッコいい」
 アイツ、こんなに良い顔、出来たんだ――その事実を認識すると共に、火照った身体に怒りのような感情が滾り始める。
 文と出会ってから、もう長いこと経つのに。文のことなら、誰よりも分かっていると、確信していたのに。
 どうして私は、こんなアイツを、見たことがなかったんだろ。
 『あ、あのっ』
 『いかがいたしましたか、お嬢様?』
 そんな霊夢の姿に気付かぬまま、客の女性が文を呼び止める。顔を赤らめていた彼女は刹那、逡巡を見せるも、すぐに意を決したように文へと顔を上げて。
 『どこかでお見かけしたことがあると、ずっと考えてて……もしかして、記者さん、ですかっ!?』
 勇気を出したのが伝わって来る質問に、文は微笑ましそうに目尻を緩める。
 『――さて。どうでしょう?』
 謎めいたアルトでささやかに躱しながら、唇の前にぴたり、人差し指を立てる。

 『確かなことは一つ。本日、私はこうしてお嬢様にお仕えするために『紅葉館』に居るのでございます』

 甘い蜜を垂らすように艶っぽく囁かれ、女性はぴくり、肩を跳ねさせる。満足したようにもう一度にっこり微笑みかけると、文は一歩下がって、恭しく頭を下げて。
 『何かございましたら、いつでもお声がけください』
 『はい…』
 すっかり蕩けてしまった顔を林檎のように赤らめながら、女性は呆然と文を見送る――そして、その一部始終を文字通り「見せつけられた」霊夢の背中からは、獰猛な獅子が鬣(たてがみ)を逆立てる姿を幻視させる。
「…ズルい」
 淡い吐息に混ざって、本音がぽろっとこぼれ出る。
 憤怒。嫉妬。羨望。嫉妬。羨望。羨望。羨望――混沌と澱んでいた熱がだんだんと形となって、霊夢の胸に膨らんでいく。
 狡い。狡いずるいズルい。私だって、文からあんな顔、見せてもらったことがないのに。

 私も、文からもてなされたい。
 その完璧で気品ある眼差しを、私だけに向けて欲しい。

 一途に文だけを見つめ続ける霊夢は、魔理沙を揶揄おうという当初の目的など、すっかり忘れてしまっていた。

 そして、その霊夢をいち早く見つけた者が、館に一人。
「――咲夜、咲夜」
「此処に」
 ぱちり、銀髪をオールバックに整えた「執事」が、レミリアの前に出現する。突然見せられた「手品」に仰天する小鈴へ悪戯っ子の笑みを浮かべると、レミリアは紅玉(ピジョンブラッド)の瞳をぎらりと眩めかせる。
「あの『お嬢様』の望み通りに、手配なさい?」
「御意」
 ぱちり、瀟洒な一礼と共に、咲夜は忽然と姿を消す。角砂糖の崩れた紅茶の甘味を舌でゆっくりと転がしながら、レミリアは喜劇の幕開けを待ち望んでいた。


***6***

 
「文」
 ホールをあちこち奔走していた文を、呼び止める声。振り返ると、同じく料理を運び終えたばかりなのだろう咲夜の姿があった。
「そこの注文は私が取っておくわ。文には次のお客様の案内、お願いしても良いかしら?」
「?…分かりました」
 ちょうど角にあるテーブル――「紅葉」の卓が空いているのを確認した文は、訝しみつつも素直に頷く。白手袋を引き、一度しっかりと姿勢を整えてから、扉の前まで、真っ直ぐに歩みを進める。
 さて。次にここを訪れるのは、どのような客なのだろう…否、関係ない。「執事」として働いている以上、誰が来ようとも、動じずにもてなしてみせるのが、射命丸文としての責務だ。
「おかえりなさいませ――」
 りりりん、扉の鈴が鳴ると共に、文はハッと息を呑む。
 初めに感じたのは、香りだった。ふわり、空気に乗ってほんのりと迷いこんだ、清潔で柔らかい花の香り。
 人間では決して気に留まらない些細な事実も、鴉天狗は鋭く感じ取ってしまう。そして、かちり――パズルが頭の中ではまるような感覚と共に、翼を生み出す背中が、俄かにさざめき出す。
 ……「知っている」。私はこの香りを「知っている」。
 ことり、ブーツの音に促されるように、文はゆっくりと顔を上げる。そこに立っていたのは、一人の少女だった。薄茶色のキャスケット帽に襟元まですっぽりと隠すような外套で、はっきりと顔は見えない。しかし、丸眼鏡の奥に見える瞳が――獲物を見据えた獅子のように文を射抜く視線が、彼女の「仮説」が正しいことを、雄弁に物語っていた。
 熱のこみ上げた頬に、冷や汗が伝う。夕陽色の瞳を動揺に震わせながら、文はなんとか一度呼吸をする。
 …そうだ。しっかりしろ、射命丸文。
 さっき、お前自身が決意したばかりだろう?

「お待ち申し上げておりました。霊夢お嬢様」

 たとえ霊夢が来たとしても…いや。霊夢が来たからこそ、動じずにもてなさければいけないのだ。
「上着と帽子、お預かりいたします」
「ん」
 促されるまま霊夢が外套を脱ぐと、この日のために考えて来たのだろう、臙脂色の軽やかなワンピースが姿を現す。チョコレートコスモスを連想させる甘やかな色合いは、乙女の華奢な身体を強調させているように見えて、背中が騒がしく粟立ち出す。
 帽子を脱いでみれば、白いフリルで上品に飾られた小さなリボンが、少女の艶やかな髪を一つにまとめている。鳶色の瞳を包みこむ地味な丸眼鏡が、却って可憐で物静かな雰囲気を綺麗に整えているように、文には感じられる。
 刹那、瞳孔が獣の形に切り立つ。今すぐに攫ってしまいたいと暴れ出す背筋を叱咤して、ただ目の前のことに集中するよう自分に言い聞かせる。
「お待たせいたしました。お席までご案内させていただきます」
 外套と帽子を掛け終えた文は、つとめて霊夢を視界に入れないように気を付けながら、前を歩き始める――大丈夫、大丈夫…さっきまでと同じことを、すれば良いだけだ。
「こちらの席へどうぞ」
「…ありがと」
 「紅葉」卓の席に霊夢が座ったのを確認すると、既に準備されていたティーポットから、食前のハーブティーを注ぎ始める。じぃっと霊夢からの視線を意識しないよう葛藤しつつ、文はカップに視線を集中させる。決してこぼしたりしないように、丁寧に、丁寧に……良し。
「霊夢お嬢様。改めまして、本日は『紅葉館』にお帰りくださり、ありがとうございます」
 カモミールティーに満たされたカップを霊夢の前に置き、次はメニューを手に取って、霊夢へと渡す。
「こちらが、本日のランチとして用意させていただいているメニューでございます。ご注文はお決まりでしょうか?」
 事前に決めていたのだろうか、霊夢は手渡されたメニューを迷いなくめくると、ある一つの料理を指し示す。
「これ。この『オムライス』って料理、お願い」
「かしこまりました。他に何かご希望などは、」
「良い」
 ぴしゃり、撥ねつけるような反応に、文は「ぇ」と掠れ声をこぼす。メニューを文に押しつけた霊夢は、拗ねた子供のように眉を顰めてしまっていて――今の今まで、自分が霊夢の顔をはっきりと見ようとしていなかった「過ち」に、文はようやく気付かされた。

「……もう、良いわ」

 投げやりに放られた声が、文の胸に深々と突き刺さる。こんな表情を見られたくないとばかりに霊夢は顔を逸らして、ただ淡々と「命令」だけを伝える。
「料理が出来たら、持ってきてちょうだい」
 頭が真っ白になって、その場に立ち尽くしてしまう。すぐ傍に控えているはずなのに、霊夢との距離が、途方もなく隔たられてしまったように感じられる。
「…かしこまりました、お嬢様」
 それが「お嬢様」の望みとあらば。文には、その場からさがる選択肢しか、残されていなかった。


「はぁぁぁぁぁぁぁ………」
 こつん、こつんと壁におでこをぶつけ、文は嘆息する。今までほぼ完璧に客をエスコートしていた文の落ち込みぶりに、さすがの魔理沙も声をかけようか迷っている様子。
「お、おーい、文。大丈夫か…?」
「…だいじょうぶ、よ」
「良いのか…?別に、私がしばらくお前の分まで手伝っても」
「ありがと。本当に、大丈夫だから」
 けれど、落胆している場合ではない。客や料理は決して待ってくれないのだ。すぐにでも切り替えなければ――一息を置いてから何とか重い頭をあげると、かつり、誰かが前に進み出るのが見えた。
「まったく。『お嬢様』にあのような顔をさせてしまうなんて、執事としてまだまだね」
 厳しく、けれどどこか面白がっているような声音で、十六夜咲夜が首を傾げている。茶化していると分かっている言葉にさえも、呻くような声が文からこぼれ出る。
 咲夜に言われるまでもない。先程、霊夢にあんな顔をさせてしまったのは、私だ。
 ただ「執事」として完璧にもてなすことに、頭がいっぱいになってしまって、霊夢が何を望んでいるのか、まともに考えようとしていなかったのだ。
 霊夢の心を満たすことを、先ずは何よりも考えるべきだったのに。
(……これは、重症みたいね)
 あらゆる意味で丈夫と思っていた文の繊細な一面に、さすがの咲夜も目を丸くさせる。
 どういう形であれ、今日彼女を巻き込んでしまったのは、間違いなく自分たちだ。ここはひとつ、背中を押してあげることにしよう。
「『紅葉館』に来た客は全員笑顔で帰せと、お嬢様から厳命されておりますのに。このままでは、主の願いを叶えられなくなってしまいますわ」
 敢えて大袈裟に嘆息してみせると、文はぴくり、肩を動かす。夕陽色の瞳に鋭い光が走るのを見て、熱が消えていないことを、咲夜は確信する。
「貴方だって、霊夢に傷ついたまま、帰って欲しくはないでしょう?」
 咲夜の質問に、文は愚問とばかりに頷いてみせる。
「そう……それなら一つ、私に良い考えがありますの」
 意志のこもった眼差しを確かに感じ取った咲夜は、瑠璃色の瞳をきらりと輝かせる。
 過去にレミリアの気分が落ち込んでいた時、自分が実行していた膨大な経験を、光をも凌駕する速さで検索しきって――その中で今回、実行することが出来る作戦を一つ、正確に選び取る。
 うむ、これは良い。この作戦さえ成功すれば、霊夢の怒り顔だってコロッと好転すること、間違いなしだ。

「お嬢様の機嫌を直すための『とっておき』、教えて差し上げますわ」



***7***


「はぁぁぁぁぁぁぁ……」
 注文を終えた霊夢の前から、文が去った後。
 こつん、こつんとおでこをぶつけながら、霊夢はテーブルに突っ伏している。文が傍に居ない、たったそれだけの事実が霊夢の胸を切なく疼かせる。
「なんで、あんな態度取っちゃったんだろ…」
 先程の、どこか途方に暮れた文の声を思い出して、赤らんだ鼻をすする。
 文の接する態度が、他の子と比べてよそよそしく感じられた、ただそれだけのことで、腹を立てて。
 あんな堅く緊張しきった顔じゃなくて、声だけで陶酔させるような完璧な笑顔を、私にも見せて欲しかった――その我儘だけで、あんな拒絶するようなことを言ってしまって。
(分かっていた、はずなのに)
 文は、文なりに頑張ってくれただけなのだ。アイツは真面目だから、霊夢を前にしても、気を抜くなんてあり得ない。むしろ一層「執事」としての役割を全うしようと、集中してしまうだろう――こっちがどんな顔しているかなんて、見えなくなっちゃうくらい。
 射命丸文とは、そういう鴉天狗なのだ。
 ヘンに不器用だけど、意外と親しみがあって、それがとっても安心出来るヤツ。
 ちらり、先程文が淹れてくれたカモミールティーが目に入る。のろのろと起き上がって口にすると、林檎を連想させる優しい香りが身体いっぱいに広がって、思わず目を蕩けさせる。熱い滴がじわり、胸いっぱいに滲んで、荒んでいた気持ちを落ち着かせてくれる。
「後で、ちゃんとあやまろ」
 決意をしっかりと声に出して、霊夢は一度頷く。
 緊張に凝り固まった自分を励ましてもらうように、緩やかにハーブティーを飲み続ける。ようやく落ち着いた息を吐いたところで、こちらに靴音が近づいて来るのが聞こえて来た。
「お待たせいたしました、お嬢様」
 誰よりも聞き覚えのある、耳心地の良いアルトに、霊夢は背筋をしっかりと正す。
 あんなひどいこと言っちゃった後で、ちゃんと文が来てくれた。その歓喜と呵責が、霊夢の胸をチクリと刺す。
「こちら、本日のランチ『オムライス』でございます」
 白手袋に包まれた手が、霊夢の前に料理を置く…今だ。アイツはきっとすぐに立ち去ろうとするから、その前にちゃんと謝るんだ。
 一度呼吸をして、文を呼び止めようと、口を開きかけて――けれど、すぐに鳶色の瞳を丸くさせた。
「ねぇ」
 ちょっと戸惑いのこもった声音で、霊夢は出された「オムライス」を、まじまじと見つめる。
 米飯をふわふわに包みこんだ薄焼き卵からは、柔らかい湯気が顔へ迷いこんで、具材が豊かに調和した匂いが空腹を刺激する。
 けれどこのオムライスには、霊夢がメニューで見た記憶とは、決定的に異なっている点があった。
「確か、メニューの画にはケチャップがかかっていたと思うのだけど…」
 霊夢のオムライスには、黄色と共にこの料理を彩るべき赤色――ケチャップがかかっていなかったのだ。
「左様でございます、お嬢様。実を申しますと、こちらのオムライス、正確にはまだ『完成』していないのです」
「…どういうこと?」
 意味を計りかねた霊夢が怪訝に眉を顰めると、文は恭しく一礼する。

「僭越ながら、お嬢様。こちらのオムライスの仕上げ、私に任せてはいただけないでしょうか?」

「アンタに?」
 思わぬ申し出に霊夢がぱちぱち、瞬きさせると、文は穏やかに微笑んでみせる。
「はい。オムライスがより美味しくなる『願掛け』をさせていただきます」
「ふぅん…」
 夕陽色の瞳に真っ直ぐと見つめられ、霊夢の胸が俄かに高鳴る。文の提案はつまり、オムライスにケチャップをかける工程を、文自らやってくれる、ということ。それも、口ぶりからして、単にケチャップをかけるだけ、とは考えにくい。
 きっとこれは、他の誰にもやっていない――霊夢を元気づけるために文が考えてくれたものなのだろう。そう思うと、優越感と申し訳なさが胸いっぱいに膨らんで、彼女は頬を赤らめるのだった。
「良いわ。やってみせてご覧なさい」
「ありがとうございます、お嬢様」
 敢えて傲岸に返事をすると、文もまた、大仰に笑みを浮かべる。いつも居る時の空気が戻りつつあることに安堵の息を吐いた霊夢の横で、文は持っていた盆からケチャップを取り出した。
「それでは。始めさせていただきます」
「どっ…どうぞ?」
 集中するためか、瞳孔を獣の形に細めた文に、どきり、霊夢は心臓を鳴らす。文は刹那、イメージを描くようにじっとオムライスを凝視すると、やがて一度息を吐いて、ケチャップの蓋を開ける。
 賑やかな店内で、互いの呼吸音が聞こえてしまうんじゃないかと錯覚するくらい、緊張が張り詰めていて。
「…」
 オムライスの左側から狙いを定めると、文はゆっくりとケチャップを絞り始める。
 半円を作るようにくるり、カーブさせてから、斜め下に直線を描いて。反対側もまた同じように、半円を描いてから、直線を交わらせて。輪郭が出来たことを確認したら、今度は外側から内側に向けてケチャップを塗る。輪郭からはみ出すことのないように、塗りムラを作らないように、確実に、慎重に……
 最後に真ん中を塗って、出来上がったのを確認すると、やっと文は、瞳孔の形を和らげた。
「お待たせいたしました。これで改めて、オムライスの『完成』でございます」
 朗らかに破顔しながら、文はオムライスの完成を告げる。
 咲夜に教えてもらった通り。完璧に出来た――その達成感に満たされていた文は、小刻みに震えだした霊夢にやはり、気付いていなかった。
「どうぞごゆっくり、お楽しみくださ――」
「ちょ、ちょっとっ!!」
 切羽詰まった霊夢の声に、文は思わず身構える。こちらを見つめる霊夢の顔は熱に浮かされたように真っ赤に染まっていて、あうあうと唇をわななかせていて。
「いっ、いかがなさいましたかお嬢様!?」
「いかが、って……その…」
「…?」
「アンタ、これ描いた意味、分かって…」
「意味……?」
 舌をもつれさせつつ問いかける霊夢に、文は訝しげに首を傾げる。
 文が作った図形は、ケチャップのような真っ赤な色が似合う、左右対称のシンボル。
 相手への愛情や好意を伝えるために描かれるそのマークの名は、確か。
 「ハート」と、言った、ような……
「っ!も、申し訳ありませんっ、お嬢様っ!!!」
 悲鳴のような吐息と共に、文は大慌てで頭を下げる。
 あのメイドめ、とんでもない知恵を……!今ごろ達成感で汗を拭っているだろう咲夜に憤りを滾らせながら、文は急いで皿に手を伸ばそうとする。
「えぇと、どうすれば………その、今すぐ別のものに取り換えて参りますので、」
「待って!」
 けれど刹那、あたたかな掌が、文の手首を捉える。
「良い」
「ぇ」

「これが、良いの」

 耳朶の先までじんじん痺れるのを感じながら、霊夢は真っ直ぐに、文を見つめる。
 もう、文と来たら、虚を突かれたようにに口をぽかんとさせちゃって。本当、そういうところ鈍いんだから。
「これはオムライスが美味しくなる『願掛け』なんでしょ?だったら、本当に美味しくなっているか、ちゃんと見極めないといけないじゃない」
 ふん、と鼻で息を鳴らし、霊夢は強情な「お嬢様」として振る舞う。けれど、ちらり、文を見つめた鳶色の瞳には、活き活きとした光に溢れていた。
「だから、食べ終わるまで、私の傍に居て」
 慈愛に満ちた視線を向けられて、文はまた驚愕に目を見開く。愛らしい「お嬢様」のわがままに背中が騒がしくくすぐられて、立っているだけで精一杯だ。
 それでも、それが「お嬢様」の望みとあらば。抱き止めるのが「執事」のつとめ。
「……かしこまりました、霊夢お嬢様」
 文の返事を受けた霊夢は、ようやく安心したように破顔すると、ふかふかの湯気を放つオムライスへと視線を落とした。
「じゃあ――いただきます」
 霊夢の持ったスプーンが、オムライスの端をくぐる。ケチャップに味付けされた米飯が、金貨のように卵からこぼれ出て、美味しそうな匂いを放っている。
 天狗としての生涯で感じたことのないような緊張に文がごくり、固唾を呑む傍らで、霊夢はスプーンを口に運んだ。
「ん…ふふ…」
 蕩ける幸福感を取りこぼさないようにと、思わず頬を押さえる。
 豊かに混ぜ込まれた肉が、噛めば噛むほどに旨味をしみ出して、玉葱の甘味と調和している。卵の滑らかな舌触りが味のついた米飯を包みこんでくれるようで、口の中を楽しませてくれる。
 あぁ、すぐに食べちゃうなんてもったいない、ずっとずっと味わっていたい――そう思いながらも、スプーンを持つ手は止まらない。さて、そろそろ――ハート形を保っていたケチャップを卵に絡めて、もう一口。
「文」
「っ。はい」
 すっかり見とれてしまっていた文が慌てて返事をする。何とか威厳を保とうと頑張っている反応がとにかくおかしくて、霊夢はくすくすと笑う。
「とっても、美味しいわ」
「そ、それは。何よりでございます」
 片眼鏡を整えるふりをして、文は顔を逸らす。
「ほらっ。そう私を見ていないで、早く召し上がってください。せっかくの料理が冷めてしまいますよ」
「あーっ。そうやってもっともらしいお説教して、さっさと私を追い出そうとしてるんでしょ」
「なっ……い、いえ。決して、そのようなことは」
「ふふん、アンタの考えなんて、私にはお見通しなんだから。食後のお菓子も、ちゃーんと注文させてもらうからね」
 あぁもう。耳の先っぽまで林檎みたいに真っ赤にさせちゃって、本当可愛いんだから。

 アンタにはもうしばらく「お嬢様」のわがままに付き合ってもらうわね?

「まぁったく。ほんっと二人には、いつもハラハラさせられるわねぇ」
「けどけど!だからこそ、この瞬間がすっっごく尊いんですっ」
「ふむ。これからどのような『運命』が待ち受けているか、ますます楽しみね…――あぁ、魔理沙。申し訳ないけど、珈琲を淹れてもらえないかしら」
「かしこまりました。……念のための確認ですが、お砂糖などはいかがいたしましょう?」
「結構。ブラックで構わないわ」
「魔理沙さん、私も!ブラックでお願いします」
「かしこまりました――やれやれ。後で私も一杯、珈琲を貰うとするか」
射命丸文ガチ勢、そしてあやれいむガチ勢がそこかしこに居る自分の幻想郷。
UTABITO
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コメント



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1.90奇声を発する程度の能力削除
面白かったです