どうか私を放っておいてほしい。
伝えたいのはたったのそれだけ。放っておいてくれればいいの。なのに、そんな『たったのそれだけ』が分かってもらえなくて、私は困ってしまう、泣きたくなってしまう。
「なあアリス、今年こそは行こうぜ」
「……イヤッ」
「去年もその前も行かなかったじゃないか。どうしてお前はそんなに頑ななんだ?とりあえずドアくらい開けて話そうぜ?」
「………イヤッイヤッイヤッ」
魔理沙。私はあなたのそういうところが心底嫌い。放っておいて欲しい、と言っているんだから、放っておいて欲しいの。
「水飴水飴水飴、綿菓子綿菓子、蛸焼蛸焼、烏賊焼烏賊焼、水飴水飴、」
「……そういう呪文じゃ絶対にこのドアは開かないの。お願いだから引き下がって、魔理沙」
魔理沙。私には分かっている。あなたも人間相応の弱さを持ち合わせていることを。怠けたり、迷ったり、足踏みしたり、泣いちゃったり、ちょっと歯車が狂えば樹海まで足を運んじゃったり。でも、あなたは弱いだけじゃない。とっておきの強さを持っていることも私は知っているの。魔法?マスタースパーク?あなたの強さは、そんなんじゃなくて、もっと大切なもの。それをあなたは持ち合わせている。私はそれがうらやましくてたまらない。あなたにとっての長所は、私にとっては決定的な短所なのだから。
「なんだよー、今年こそは行こうぜ、守矢神社のお祭り」
「……イヤッ」
「宗教上の理由か?」
「…そんなんじゃない!」
魔理沙。あなたはコミュニケーション能力に秀でている。私はそれを見ていつも驚くの。
「いつの間にそんなに親密になったの?」と思うくらいあなたは人好きされる性格をしている。私はその裏返し。コミュニケーション能力っていうステータスがとうとう伸びずにここまで育ってしまった。育つ見込みもないようだ。それに加えて、守矢神社の緑巫女には個人的な因縁があることを、あなたはきっと覚えてすらいない。
「それとも私と一緒に行って何か困ることでもあるのか?」
「……ヒヤッ」
ああ、想像するだにおそろしい。
もし一緒に歩けば、あなたはたくさんのお友達から声をかけられるでしょうね。でも、あなたにとっては「私」も「その子」も、同じ「友達」かもしれないけれど、私にとって「友達の友達」は友達ではないの。その辺りの微妙な空気をあなたは察することができずに、私だけがひたすら困惑し、「何を話せばいいのかしら」「どういう顔をすればいいのかしら」とグルグル考え続けるの。グルグル考え続けるうちにアウアウしちゃうの。アウアウするともう何もできなくなっちゃうの。
重要だからもう一度言うわ。友達の友達は友達じゃないの。
そして、次第にあなたの周りには私の知らない「友達」の輪が広がっていて、私は輪からはじきだされてしまうの。そのときとってもみじめな気持ちになるの。あなたは「何か困ることでもあるのか?」だなんて平気でサラッと言ったけれど、私はあなたの首をきゅうっと絞めながら言いたい。「どうしてあなたには私の気持ちが分からないの!?」と言いたい。床にあなたの身体を押し付けて体重をいっぱいかけて頸動脈よりも気管を狙って親指の腹を使って押しつぶす勢いでそう言いたい。
だって私は本当のほんとうに他人と接することが苦手なんだから。
その言葉を思考にするだけで我ながらみじめになってくる。お願い魔理沙。私にそんな恥ずかしいことを言わせる前に立ち去って。
「……ひっく…ひっ…」
「おいおいアリス、別にこれは泣くことじゃないじゃないか」
「……魔理沙…お願いだからもう帰って……それじゃないと私…あなたのこと……呪う…」
「そ、そうか、呪いは困るな、呪いは、」
泣き真似をしてでも追い払いたかった。
そんな私の過剰なまでの防御反応に驚きそそくさと立ち去ってゆくのがドア越しに聞こえた。そして「気が向いたら来いよー」という声も聞こえた。きっと魔理沙は優しいんだ。優しいのに分かってくれないのだ。誰を責めるわけにもいかない。責めるべきは私の、弱さだ。演技のはずの涙は零れ続けてしまい、自分の意思で止めることができなかった。
ああ、人と接することに怖さを覚えなければ、この世はどんなに生き易いだろうと思った。
「はぁー……」
ベッドにぽすんと横になると、先程までの被害者意識的なものが転じて、恨み節でもつぶやきたくなるような心持になった。どうしてか、私は人と人との間に上手いこと入っていくことができない。でも、だからといってなんだというんだろう。コミュニケーション能力って、そんなに大切なの?
「なーによバカバカ嫌い嫌い。何が祭りよ。何が縁日よ。そんな憂鬱なものなくなってしまえばいいのに」
都会派の私には、幻想郷の古臭い地域社会で生きることは向いていない。
つまり「できない」から「きらい」なのではなく「きらい」だから「できない」と、自分に言い聞かせなくては、まるで不具者のような心持になってしまう。そうやって自分を納得させてきたけれど、はたしてそれが本音なのかというとちょっと違う。
「……行きたかったなぁお祭り」
これが本音。でも、本音を吐くと自分がみじめに思えて泣きたくなってしまう。
日の当たる世界を避けてモグラじみた生活を送ることに満足できるなら、それはそれで幸せなのだろう。けれど、私はモグラにもなりきれていない。完全な世捨て人ライフを満喫できるほどタフでもない。だから、横目でチラッチラッと明るい世界を覗き見して、まぶしさに目が痛めばそそくさと穴の中に潜り込む、そんな種類の悲しいモグラ。
「みんなの輪の中に入れたらどれだけ安心できるのかしら。いいえ、そうじゃない、そんな甘いものじゃない」
輪の中に入ることは誰にだってできる。でも、群れの中できちんとその一員になることは私にとって難儀なの。群れの中にいることは安心。孤独でいることは不安。だけれども、群れから追放されゆくのは不安なばかりでなく痛みも伴うじゃない。ひとたび輪の中に入ったときのあの不安感と緊張感と恐怖感!それがどうにもたまらない。だから、私は、やっぱり孤独でいるほうがよほどマシなの。この自慢のサラサラな金髪が誰の目にも触れないだなんてもったいないかもしれないけれど、私は人目につかない生き方をしたい。
「……ねぇ上海?ひとりぼっちってそんなに悪いことなの?」
「ベツニ、悪イコトジャ、ナイヨ」
「そうよね。ひとりぼっちに耐え得る人っていうのはある意味、他者を必要としないで自立できてるってことよね」
「ムツカシイコトハ、分カラナイケド、キット、アリスハ、間違ッテ、ナイヨ」
「そうよそうよ。間違ってないの。なのに、みんなはひとりぼっちを認めてくれないの。『友達が大事』ってみんな言ってるの」
「……ミンナッテ、ダレ?」
「…みんなは、みんなよ」
「ウーン」
「うーん」
「ダレダロウ?」
「妖怪ウォッチとか?」
外の世界では妖怪ウォッチなるものが流行っているらしい。私なんてそれを見て「あら可愛らしい」と無邪気にも思ってしまった。ところが、なんだろう、あの妖怪体操とは。たしかに商業用らしく子供に目線を下げながらもいちいちインパクトが残る奇矯なフレーズを的確に脳内にねじ込む効果的な歌詞作りをしていた。それだけに「友達大事!」などというつまらないワンフレーズがどこか浮いているように思えてならなかった。あれは何かのノルマなのだろうか?上の者から「そうだそうだ友達の大切さについても入れてくれ」と言われて現場が「アイサー」と叩き込んでみたかのように違和感がある。何が「とっもだっちだいじっ!」だろうか。あたかも取って付けたかのように「とっもだっち」などと入れよってからに。私はその言葉を聞いた途端に妖怪ウォッチなど四散爆裂すべしと思ってしまった。やかましいわ、の一言。こんなものを日夜、聞かされ続ける子供はどうなってしまうのか。友達が大事、友達が大事、などとそこかしこで宣伝してどうなるのだろうか。きっと何かのパラノイアになってしまうだろう。そしてなにより、そのフレーズが私のような孤立者にチクチクと刺さるわけだけど、そのあたりのデリカシーは無いのだろうか。友達の少ない子供はどう思うだろうか。だいたい、友達の多い者なんて足立区あたりで「トモダチイエアー」とか言って充分楽しそうにしているのだから、わざわざ友達がどうのなど言わなくたっていいじゃないか。誰に向けての「とっもだっちだいじ!」なのだろうか。誰に向けての、何のためのメッセージなのだろうか。一度でいいからそのフレーズを入れた人間と面談してみたい。
「違う違う違う違う」
「ナニガ、チガウノ」
「……東風谷早苗よ。ひとりぼっちを認めてくれないのは」
近頃、幻想郷を大きな顔をしながら飛び回っているあの緑巫女。私はその女に深い深い因縁がある。
それは博麗神社での花見の宴会のとき。
私は心底行きたくなかったけれど魔理沙に引っ張られて観念し、参加させられた。ああいう社交的な場というのは前述のとおり苦手で苦手でたまらなかった。でも、そういうとき私は輪から少し外れたところで「興味ないけど」みたいな顔をしながらやり過ごすと決めている。もちろん「じゃあ来ないでよ」という言葉が飛んでくることくらい予測している。だからそうなったら私は親指でちょいちょいと魔理沙を指して「連れて来られたのよ」と言い捨て「邪魔したわね」と去っていこうと決めていた。それがクールな都会派アリスマーガトロイド像を保つための最善手であると、当時の私は確信していた。
だけど東風谷早苗!
ああ、あの女の顔を思い浮かべるだけで心がザワついてしまう。夜の闇のあたりで一人呑んでいた私を見付けた魔理沙は「なーんだ、こんなとこにいたのかー」とか、そんなことを言ったと思う。私も私でお酒が入っていてちょっと気がゆるんでいたから「苦手なのよね、こういうところ」と返した。「お前もみんなのところへ行けばいいじゃないか」と言われたので「……いいわね魔理沙はああいう輪に入れて。私は無理なの」と、自嘲気味の笑みを浮かべて本音を吐いてしまった。私は後悔する。不覚であったと。人前で本音など吐いてはいけないと。本音なんてゲロみたいなものなんだから吐くならトイレで吐けばいいと私は誓った。その本音を、あの東風谷早苗が耳ざとくキャッチしてしまったのだ。
「そしたらなんて言ったと思う上海!?」
東風谷早苗は輪の中から振り返って私に言った。「それはあなたの努力不足じゃないですかあ~?」と。
私は声を失った。努力不足。言葉を補えば(輪の中に入りたければ多少なりとも無理をすればどうですか?少なくとも私や魔理沙さんは努力してますよ?)ということだろう。たしかにそれは正論だと思う。自我と自我がぶつかり合えば互いに少しずつ譲る努力も時として必要かもしれない。でも、どうしてあの女はそのセリフを、あれだけ居丈高に、人を責めるような口調で言えたのだろう!?私がウジウジしてるように見えたのだろうか。でもウジウジしているだけでどうして責められるのか。そんなにウジウジが嫌いだろうか。わざわざ人前に出張ってウジウジしているウジ虫とは違うのだから、どうして放っておくことができないのだろうか?私が何か悪いことでもしたのだろうか?
「アリス、ワスレテ」
「上海…私…ああいうのダメ…本当のほんとうにダメなの……」
私はうろたえ赤面しながらも、体面を保つため毅然とした態度を装い、踵を返して去っていったけれど、それが敗走に見えたことは言うまでもない。その上、聞こえた。「あーあ誘った魔理沙さんのメンツが潰れちゃいますよ」と。
ああ!なんて嫌な奴なんだろう!敗者に追い打ちかけよってからに!
そもそも何がメンツだ。そんなものを持ち込むからコミュニケーションの場の複雑性は解読困難に増してゆき、私のような者が苦しむんじゃないか。ああ、何がメンツだ。わざわざ地雷を埋め込むようなことをしてスリリングな会話でも楽しめというのか。どうしてそんないらん概念を持ち込むのか。お前はヤクザか。物事をズバズバ言うサディスト系の巫女として絶賛売り出し中でそのキャラが認められつつある幻想郷に私は苦言を呈したい。あれは、ただの悪い奴だと。
私は帰り道で悔し涙をポロポロ流した。どうしてあんなにも優しくない人がいるのだろう。あなたにとっては一晩で忘れるそれを、私はずっと傷として抱え続けるのに。おかげでそれ以来、コミュ障に拍車がかかった。外に出るのが怖くなった。知らない人と話すのが怖くなった。誰かと目を合わせるのが怖くなった。だから、私はあの緑巫女に十重二十重の呪いをかけた。ある日に突拍子も無く吐き気に襲われて口から五臓六腑をゲロゲロと放出する呪いをコッテリとかけた。成就するかは分からないけれど、私の心情を表現した呪い。
「ウフフ、私、やっぱり人間ってキライ」
「シャンハイハ、アリスノコト、スキ」
「そうよね上海。良い子よ、あなたは良い子。カワイイ子、カワイイ子。みんながあなたみたいな子だったら世界は平和になるのに」
ソイヤッサッサ、ソイヤッサッサ。
ソイヤッサッサ、ソイヤッサッサ。
ソイヤッサッサ、ソイヤッサッサ。
遠くのほうから神輿の掛け声が聞こえてきた。
守矢神社を出発した神輿は山を下って私の棲む魔法の森付近を通る。
ソイヤッサッサ、ソイヤッサッサ。
ソイヤッサッサ、ソイヤッサッサ。
ソイヤッサッサ、ソイヤッサッサ。
「上海、隠れよう」
「カクレルシャンハイ」
神輿!あれほど気詰まりな行事などそうはない。
集団が一つのものを力を合わせて支えるという、団結力を基礎とした地域社会を体現した、象徴的な行事。だからこそ神輿は重くできている。それは、より多くの人間を集めるため。だって、軽量化などして一人で支えるようになりました、では意味が無いでしょ。もっと単純なことを言ってしまえば「みんなで汗水流して酒飲もうぜ」の行事。つまりはコミュニケーションの祭典。ソイヤッサッサ、ソイヤッサッサ。なんという一体感。素晴らしいわね。私は同調とか協調とかがひどく苦手だから、神輿が来るたびに憂鬱になってしまうけれど。
「ねえ上海。どうして世の中はこんなにも怖いものばかりなのかしら?」
ソイヤッサッサ……ソイヤッサッサ……。
ソイヤッサッサ……ソイヤッサッサ……。
ソイヤッサッサ……ソイヤッサッサ……。
やがて神輿の声は遠のいてゆき、私はテーブルの下から這い出た。
東風谷早苗には因縁がある。となれば守矢神社にも因縁がある。当然あの緑巫女が奉る例の排気筒ババアたちにも因縁がある。よってそんな神を祭るための神輿を担ぐ理由なんて一つも無し。つまり、しょせん私には初めから縁のない祭りだったということになる。
「行かなくて正解だったね、上海」
「オウチデ、ゴロゴロシヨウ、アリス」
「そうよねー。あーあ、一人ってほんと最高だわー」
この窓枠に切り取られた高い空。私はそれを見るだけで充分満足できる。
ひとりぼっちを否定する人たちに言ってやりたい。私はこれでいいの、と。コツコツ集めたアンティーク。趣味の紅茶が香る部屋。ライフワークの人形作り。私の好む書物たち。上海人形。蓬莱人形。西蔵人形。露西亜人形。それさえあれば私は生を実感できるの。そんな毎日が延々と続いてゆくだけで構わないの。私は何も不足なんてしないの。だって悠々自適じゃない。
外の世界の人間があれだけ精神を病んでいるのは、きっとコミュニケーションを強いられるから。みんな、社交性、社交性、コミュ力、コミュ力、って、そればっかり。友達がそんなに大切かしら?人間関係ってそんなに大事かしら?件の緑巫女みたいに「努力しろ」って言うけれど、努力して築き上げる関係なんてくだらない。自然と出来上がるのが関係じゃないのかしら?じゃないと歪になってしまう。でも社会の都合上、彼らは歪であってもコミュニケーションを成立させなくっちゃいけない。それがどれだけの苦しみを産んでいるかも自覚できないなら頭がイッている。学校、家庭、会社、地域、所属せよ所属せよと迫られている社会のどこに自由があるのだろう。そういうのが苦手な人間、私みたいな人間は、きっと病まずにはいられない。私から言わせてもらえばそんなのとんだディストピア。さぞかし心療内科や精神科のお仕事が捗るでしょうね。
「ここは私とあなたのユートピアだもんねー上海♪」
「ソウダヨ、アリス」
だってベッドの上を転がることがこんなにも気持ち良いんだもの。一人って、ほんとに最高。
正直言えば家庭っていうのも私は苦手。あれも本当に気を遣うの。ママは言ってたわ。「私が恥をかくからやめなさい」って。私はあなたのメンツなどには心底興味が無いのだけれど、どうやら子供の恥は親の恥っていうことらしい。だから家族行事のときなんて緊張しちゃう。恥をかいちゃダメだなんて、そんなの身内同士にまでメンツを持ち出し合ってどうするのかしら?幼心に私はナンセンスだと思っていた。どこもかしこも牢獄監獄のように狭苦しく、結局、開放的な自由なんて、ひとりぼっちのときにしか味わえないってことがよーく分かった。
「あー自由ってステキ…!」
「シャンハーイ」
きっと外の世界でも苦労が絶えないに違いない。
親から「恥」と見做されたならば、その子供は胸いっぱいの劣等感を抱えて成長してゆくのだろう。「お客さんはウチに呼べないわ。だってあの子がいるから……」だなんて言葉をうっかり立ち聞きした日には、気が狂ってしまうでしょう。私は言ってあげたい。家庭が居場所じゃないならどうにかして逃げ出してと。見栄っ張りは罪しか生まないの。そういうふうにできているの。
だから私は魔法の森で一人で住んでいる。これもすべて人と接することが苦痛でしかたないから。
私は神輿なんて絶対に担がないんだから。
「…………え?」
ソイヤッサッサ……ソイヤッサッサ……。
ソイヤッサッサ……ソイヤッサッサ……。
ソイヤッサッサ……ソイヤッサッサ……。
「そんな、なんで、どうして、」
とっくに遠くまで行ったはずの神輿が帰ってきた。こんなことって一度たりともなかった。
私はなぜだか胸騒ぎがした。
「待って待って、どうして神輿が戻ってくるの、しかも、こっちへ近付いてくる!?」
ソイヤッサッサ、ソイヤッサッサ。
ソイヤッサッサ、ソイヤッサッサ。
ソイヤッサッサ、ソイヤッサッサ。
そんなばかな。いや、どう考えても、私の家を、私の孤城を、私のユートピアを、目指すかのように神輿が近付いてくる。私にそっぽ向かれた地域社会が怒って乗り込んでくるのだろうか。襲撃しに来るのだろうか。復讐しに来るのだろうか。
ソイヤッサッサ、ソイヤッサッサ。
ソイヤッサッサ、ソイヤッサッサ。
ソイヤッサッサ、ソイヤッサッサ。
「隠れてー!上海ー!」
テーブルの下へ隠れてもなおも声は大きくなり続け、私の喉から「おおうっ」と声が漏れた。
やっぱり、社会を冒涜してはいけなかったのか。人間関係を否定してはいけなかったのか。家族を大切にしなくてはいけなかったのか。友達って大事だったのか。これは、ありとあらゆるコミュニケーションを茶化してはいけない、という圧力なのだろうか。ひとりぼっちを肯定してはダメだったのだろうか。その掛け声はまるで大剣を振りかざした仁王像のような権威がある。私は罰せられるのだろうか。
「あわわわわわわ」
ソイヤッサッサ!ソイヤッサッサ!
ソイヤッサッサ!ソイヤッサッサ!
ソイヤッサッサ!ソイヤッサッサ!
疑いようがない。神輿は明らかに私の家へ向かってきている。しかも気付けばもうすぐそこまで。
「どうしてこっちへ来るのよ!?ねえ上海!こういうときどうすればいいの!?」
「シャンハイニ、キイテモ、ワカラナイ」
「なんでよ!答えてよ上海!」
「ダッテ、シャンハイハ、アリスダカラ」
ソイヤッサッサ!ソイヤッサッサ!ソイヤッサッサ!ソイヤッサッサ!
ソイヤッサッサ!ソイヤッサッサ!ソイヤッサッサ!ソイヤッサッサ!
ソイヤッサッサ!ソイヤッサッサ!ソイヤッサッサ!ソイヤッサッサ!
ソイヤッサッサ!ソイヤッサッサ!ソイヤッサッサ!ソイヤッサッサ!
ソイヤッサッサ!ソイヤッサッサ!ソイヤッサッサ!ソイヤッサッサ!
ソイヤッサッサ!ソイヤッサッサ!ソイヤッサッサ!ソイヤッサッサ!
「ぴいっ!」
とうとう家の前までやってきた。恐慌のあまり私の声門から破裂的な奇声が飛んだ。そして、私が魔理沙の、霧雨魔理沙のことを、本気で呪おうと思ったのはその直後だった。
「来たぞー!アーリスー!お前もこっち来て一緒に担ごうぜー!」
魔理沙!わたしはあなたのことが心底嫌い!
わざわざ神輿を引き返させて私の家の前まで来たのだ。あのクソ重い神輿を支える数十の男たちを引き連れて。有難迷惑という言葉をあなたは知っているのだろうか。教えてあげるけれどその対価として命をよこして欲しい。
「アーリスー!早く出てこーい!」
放っておいて欲しい。私の願いはそれだけなのに、ひひひ、狂人的な笑いが零れてしまった。魔理沙は、いや、強い人は、人の心がこうも察せないのかと思うと絶望的な気分になり、ひひひ、という笑いが止まらなかった。
「くひひひひ、魔理沙、私、あなたのことだけは来世になっても絶対に許さないんだから、くひひひ、ひひひ、」
「おーい!でーてこーい!アリース!」
馬鹿野郎がいらんコミュニケーション能力を発揮して私を困らせに来た。どんな顔をして出て行けばいいのか私にはもはや皆目見当もつかない。たった一人のためにわざわざ進路を変更してもらって、それで私は「アリガトー」とでも言えばいいのだろうか?
でも、きっと心の中では進路変更に舌打ちしている者もいるんじゃない?そう考えるとニコニコしているわけにもいかないんじゃない?かといって恐縮そうにヘコヘコ出て行けばそれはそれで舌打ちする者が出てくるんじゃない?ああ、人間関係が苦手な人間はこういう過剰な施しに出会ったときが一番つらいの。どういう顔をしていいか分からないの。
「も、もうイヤ、私もう消えたい、全部ぜんぶ無かったことにしたい、」
などと悠長に現実逃避している間にも時間は経ってゆく。外には重い重い荷物を担いだ人間たちがいるのだ。これでゴメン・ムリは通用しない。もし断れば「さんざん待たせてそれか」などという怒号が烈火のごとく飛んできて、家に神輿が突撃するに違いない。
あれ?そうしたら、もう担ぐほかにないじゃない?
だって他の選択肢が無いんだもの。もはや私は神輿を担ぐしかないのだろう。そういう状況なんだから。この「空気読め地獄」を作り出した残酷酷薄な魔理沙。私はあなたを絶対呪うんだから。絶対のぜったいに呪うんだから。私は「死にたい」だなんて絶対に言わないんだから。「呪い殺してやりたい」とだけ呟いて死んでゆくって決めてるんだから。日陰者を日なたへ引っ張り出し、土中のモグラさんを日光で照らし、コミュ障を輪の中へ放り投げ、私に神輿を担がせる、あんたを必ず呪い殺してやる!
ソイヤッサッサ!ソイヤッサッサ!ソイヤッサッサ!ソイヤッサッサ!ソイヤッサッサ!ソイヤッサッサ!ソイヤッサッサ!ソイヤッサッサ!
「アーリス!こっちゃ来い!アーリス!こっちゃ来い!アーリス!こっちゃ来い!アーリス!こっちゃ来い!」
ソイヤッサッサ!ソイヤッサッサ!ソイヤッサッサ!ソイヤッサッサ!ソイヤッサッサ!ソイヤッサッサ!ソイヤッサッサ!ソイヤッサッサ!
「アーリス!こっちゃ来い!アーリス!こっちゃ来い!アーリス!こっちゃ来い!アーリス!こっちゃ来い!」
手をかけたドアノブがとんでもなく重かった。行きたくない、でも行かなくちゃ。そういうとき人は、生を後悔し、絶望を味わう。いまにも、もう、ポロポロと涙を流したくなるこの感じ、魔理沙、あなたには分かってほしかった。
…………
自暴自棄。粉骨砕身。時折、自問自答。そして満身創痍。
あの後、ドアを開けた私は筋肉の激流に流されていった。
ハッピを着させられ、肩の下には手ぬぐいを入れられ、神輿の担ぎ棒の下へ追いやられ、周囲からは歓声と拍手。それは流れと呼ぶ他ない。自暴自棄のまま神輿を担がされた私は、肩をガツンガツンと抉られる痛みに耐えながら粉骨砕身の思いで支えた。遠くから見ていると分からないけれど、なるほど、神輿って痛いんだと初めて実感した。そして信じられないくらい重い。私の華奢な身体がどこまで役に立ったのだろう。威勢の良い男性が担ぐとあれだけ重量のある神輿が肩からフワッと浮いた。途中、テンションの中だるみで支える者が減ってくれば私の負担も増えた。でも「ここで逃げ出したらすべて崩壊するのかな?」と思うと逃げ出せなかった。そして「私はここで何をやっているの?」そんな自問自答の言葉が浮かんだけれど何も考えなくてもいいような気もした。細かい感傷は抜きとして、みんなでこの大荷物を支えて行ければ、それだけで構わないのだと思った。
地域社会で生きるということの縮図が神輿にはいっぱい詰まっていたのだ。
私は、最後まで担ぎ棒の下に居た。
私のために進路を変えてこれほどの荷物を運んで来てくれたのだから、という思いだ。もちろんそれは脅迫的な感情でもある。そんなことを考えても考えていなくても、支えることには何ら変わりがないのだから、折角だから支えようと思った。肩がズキズキと痛み汗がダラダラと流れ身体がギシギシ軋んだ。気付けば私はソイヤッサッサの一部になっていたのだった。
そして今、私は満身創痍だった。
こんなか細い少女には少し無理がある。肩が真っ赤に腫れ上がり、手ぬぐいがいつの間にかズレたのか、傷だらけになっていた。足腰は立たず、宴会が繰り広げられる中、私はやっぱり夜の闇の切株に腰かけて一人ぽつんと魂を口から吐き出していた。
「お疲れーアリス!」
「呪い…殺す…魔理沙…」
「悪かったよ引っ張り出しちゃって。でも楽しかったろ?」
「…………今はもう何も考えたくない…何も…何も…」
「まあ私も痛いよ、肩。あーいててて、アリス、そろそろお前もみんなの輪へ入ろうぜ?」
痛みや苦しみを共有して絆を深めるのは、刺青文化や、もっと言ってしまえばバンジージャンプと同じような土人的な文化。私が憎む体育会系でもそうしたこともきっと行われていて、意味不明なしごきを通過儀礼として行うことで、ようやく共同体の一員になる資格を得る。「そんなのやめてよ!普通に仲間に入れてよ!」と言いたくて仕方がないけれど、当事者じゃないから黙っていた。ついっと、向こうのほうへ目をやると、肩に同じような痣を残した少年がおり、ああ、否定しがたい仲間意識が沸き上がってくる。
「それでも私は輪に入らない。影のほうへいるわ」
「ひねくれものだなあ」
「魔理沙、明るい世界で生きているあなたには見えないでしょうけれど、暗がりで生きる私には見えるの。あっちにも、こっちにも、暗がりの中に点々としているじゃない。ひとりぼっちの人間が。きっと私の目が慣れているから見えるのかしらね」
「…きっとそうなんだろうな」
「魔理沙、『自分だけじゃなかった』と思える安心感って、分かる?そして、自分と同じような仲間がだんだん減っていく心細さって、分かる?うれしくって、かなしくって、どうしようもなくたまらない気持ちを私は共有していたいの。私はそういうふうにできているの」
「……ま、いろいろ重い荷物をみんな背負っているんだろうな。神輿ばかりじゃなくて、な」
あの東風谷早苗はやっぱり賑やかな一団の中にいた。
たいそう明るくて、たいそう楽しそうにしていた。早苗の周りはみんな笑っていた。あれほどの笑顔を作り出せるあの子は、くやしいけど、やっぱりすごい。もちろん私は知っている。幻想郷へ来た当時の彼女は失敗続きで、上手いこと歯車が噛み合わず、空転の日々を送っていたことを。きっと苦悩と苦悶の日々だ。彼女は「努力が足りない」と言ったのは彼女が「努力をしてきた」から。そうして身に付けた彼女の「強さ」っていうのはトゲが抜け切れていない。むしろそのトゲを伸ばしてゆくことを選んでいるように見えるけれど、いつか変わってくれるのかな。分かってくれるのかな。
「さーて、私はそろそろ戻るぜ。酒をついできたり喋ってきたり色々とすることがあるしな」
「うん。頑張ってね」
「人気者はつらいぜって言いたいけれど、たまに本当につらくなる。いつかひとりぼっちになったらどうしようって、思う」
「……うん」
「なんだか怖いことばっかりだ」
明かりに向かって歩く逆光の魔理沙の背には影が背負われているように見えた。それと入れ替わるようにして、なぜだか、見知らぬ河童がこちらへやってきた。あの山の河童だった。
「あのう、アリスさんですよね」
「そう…だけど…」
「これっ、早苗さんからの差し入れです」
紙皿の上に乗った5本ばかりの串焼き。使いを寄越したとうの早苗はこちらを知らんぷりして笑っているのが見えた。やっぱり先程の会話が、耳ざとい彼女には聞こえていたということかもしれない。
「ありがとう。串焼きいただいておくわ。そして彼女に伝えておいてほしいの『お肉は受け取っても気持ちは受け取れない』って」
「は、はあ」
「私、そんなに心広くないのよねぇ」
くるっと背を向けて私なりのクールを装い去ってゆくつもりが、神輿のダメージが足腰に深刻に残っており、ロボットみたいな動きで去ることになってしまった。そもそも串焼きを手に後にするだなんて、その時点でクールも何も無いもんだ。そして指をパチンと鳴らして早苗にかけた呪いを解除した。5本の串焼きのおかげで『ある日突拍子もなく内臓ゲロゲロの刑』を免れたことを、彼女は知らない。
帰路の冷たい夜風が汗ばんだ身体に心地よかった。
「……やっぱり慣れてないことはするもんじゃないわね、上海」
「アリス、熱出シタ、カワイソウ」
あのあと、帰路の冷たい夜風は汗ばんだ身体を急激に冷やしてしまい、私は翌日熱を出した。
おまけに全身筋肉痛と、肩が真っ赤に腫れる炎症と、尾を引く精神的疲労までついてきた。何もしたくなかったし動けなかった。寝返りすら困難なほど全身がひどく痛む。やっぱり神輿っていうのはロクなものではない。
「おおふっ…」
でも体調不良は嫌いじゃない。体調不良、それはひきこもっていられる最高の免罪符のようなもの。「このままじゃダメなのかな」という思いに常に苛まれるひとりぼっち生活の中であっても、「今日は休んでいよう」と開き直れる。
「でもね上海。私は昨日、大冒険をしたの。他の人にとっては何でもないことかもしれないけど私にとっては膝が震えるほどの大冒険だったの」
「ドンナ、冒険シテキタノ?」
「よくぞ聞いてくれました上海。それでは発表いたします、ドキドキ」
「ドキドキ」
「私は御神輿を担いできましたー!みんなと一緒にー!すごーい!」
「スゴーイ!」
「うふふ、私は神輿を担ぐことができるの。私はそれができるの」
「アリスハ、ヤレバ、デキル子!」
「そうなのよー、今日になってふつふつと実感が沸いてきたわ。あれほど濃密な地域社会の中で一員として振る舞うことができたの。これって本当は私にとってすごいことなの。この世から怖いものが一つ消えたわ。これからは遠くから聞こえる祭囃子をみんなと同じ権利で心乱さず聞くことができると思う」
「アリスハ、イイ子!ヤレバ、デキル子!」
「ありがとっ♪上海♪」
階段を一歩だけ上ったような気がした。いや、上も下も本当は無い。
いいじゃない、神輿なんて担がなくたって。その考えは昨日と変わらず今日も抱いているし、事実、来年は担がない確信がある。「人と交わりなさい」という命令的で抑圧的な言葉が、やっぱり私はキライなの。気が向いたらまた担ぐかもしれないけれど、気が向くまではそっぽ向いてる。
「はあー、これほど充実した気持ちになれたんもの。あと一年は誰とも会わなくても構わないわね、きっと」
「ソレデ、イインダヨ、アリス」
「私は、上海♪」
「シャンハイハ、アリス♪」
「あはは!堂々とひとりぼっちになっちゃおうね!上海!」
開けっ放しの窓から秋の風が吹いてきた。ベッドから横たわって眺める空は高かった。季節が一巡しても、年がどれだけ巡ろうとも、私の性質はこのまま変わらないのかもしれない。
昼寝をしたら夢を見た。
神輿の掛け声が遠くに響いている。私はそれにどうしても参加しなくてはいけないと焦っている。いいわけできる余地も余裕も無くって、とうとうこの時が来たのかと、観念している。放っておいてほしいなんてとてもじゃないが言えやしない。でも「こっちへこい」なんて誘ってくれる人はそこにはいなくて、困った私は焦っているのに立ち尽くしてしまう。『なんだか怖いことばかりだ』という魔理沙の声が脳裏にひたすら響いている……。
目が覚めたら金木犀の香りがした。じき寒い冬が来る。寒さと不安で手が震えそうになった。少し泣いていた。たまには私から魔理沙に連絡を取ってみようかなと思った。「会いたいの」って言おうと思った。でも、そんなときどういう顔をして振る舞って、どんな言葉を弄して伝えればいいのか考え込んでしまうあたり、私はとことん難儀にできている。
ソイヤッサッサ……ソイヤッサッサ……。
ソイヤッサッサ……ソイヤッサッサ……。
ソイヤッサッサ……ソイヤッサッサ……。
伝えたいのはたったのそれだけ。放っておいてくれればいいの。なのに、そんな『たったのそれだけ』が分かってもらえなくて、私は困ってしまう、泣きたくなってしまう。
「なあアリス、今年こそは行こうぜ」
「……イヤッ」
「去年もその前も行かなかったじゃないか。どうしてお前はそんなに頑ななんだ?とりあえずドアくらい開けて話そうぜ?」
「………イヤッイヤッイヤッ」
魔理沙。私はあなたのそういうところが心底嫌い。放っておいて欲しい、と言っているんだから、放っておいて欲しいの。
「水飴水飴水飴、綿菓子綿菓子、蛸焼蛸焼、烏賊焼烏賊焼、水飴水飴、」
「……そういう呪文じゃ絶対にこのドアは開かないの。お願いだから引き下がって、魔理沙」
魔理沙。私には分かっている。あなたも人間相応の弱さを持ち合わせていることを。怠けたり、迷ったり、足踏みしたり、泣いちゃったり、ちょっと歯車が狂えば樹海まで足を運んじゃったり。でも、あなたは弱いだけじゃない。とっておきの強さを持っていることも私は知っているの。魔法?マスタースパーク?あなたの強さは、そんなんじゃなくて、もっと大切なもの。それをあなたは持ち合わせている。私はそれがうらやましくてたまらない。あなたにとっての長所は、私にとっては決定的な短所なのだから。
「なんだよー、今年こそは行こうぜ、守矢神社のお祭り」
「……イヤッ」
「宗教上の理由か?」
「…そんなんじゃない!」
魔理沙。あなたはコミュニケーション能力に秀でている。私はそれを見ていつも驚くの。
「いつの間にそんなに親密になったの?」と思うくらいあなたは人好きされる性格をしている。私はその裏返し。コミュニケーション能力っていうステータスがとうとう伸びずにここまで育ってしまった。育つ見込みもないようだ。それに加えて、守矢神社の緑巫女には個人的な因縁があることを、あなたはきっと覚えてすらいない。
「それとも私と一緒に行って何か困ることでもあるのか?」
「……ヒヤッ」
ああ、想像するだにおそろしい。
もし一緒に歩けば、あなたはたくさんのお友達から声をかけられるでしょうね。でも、あなたにとっては「私」も「その子」も、同じ「友達」かもしれないけれど、私にとって「友達の友達」は友達ではないの。その辺りの微妙な空気をあなたは察することができずに、私だけがひたすら困惑し、「何を話せばいいのかしら」「どういう顔をすればいいのかしら」とグルグル考え続けるの。グルグル考え続けるうちにアウアウしちゃうの。アウアウするともう何もできなくなっちゃうの。
重要だからもう一度言うわ。友達の友達は友達じゃないの。
そして、次第にあなたの周りには私の知らない「友達」の輪が広がっていて、私は輪からはじきだされてしまうの。そのときとってもみじめな気持ちになるの。あなたは「何か困ることでもあるのか?」だなんて平気でサラッと言ったけれど、私はあなたの首をきゅうっと絞めながら言いたい。「どうしてあなたには私の気持ちが分からないの!?」と言いたい。床にあなたの身体を押し付けて体重をいっぱいかけて頸動脈よりも気管を狙って親指の腹を使って押しつぶす勢いでそう言いたい。
だって私は本当のほんとうに他人と接することが苦手なんだから。
その言葉を思考にするだけで我ながらみじめになってくる。お願い魔理沙。私にそんな恥ずかしいことを言わせる前に立ち去って。
「……ひっく…ひっ…」
「おいおいアリス、別にこれは泣くことじゃないじゃないか」
「……魔理沙…お願いだからもう帰って……それじゃないと私…あなたのこと……呪う…」
「そ、そうか、呪いは困るな、呪いは、」
泣き真似をしてでも追い払いたかった。
そんな私の過剰なまでの防御反応に驚きそそくさと立ち去ってゆくのがドア越しに聞こえた。そして「気が向いたら来いよー」という声も聞こえた。きっと魔理沙は優しいんだ。優しいのに分かってくれないのだ。誰を責めるわけにもいかない。責めるべきは私の、弱さだ。演技のはずの涙は零れ続けてしまい、自分の意思で止めることができなかった。
ああ、人と接することに怖さを覚えなければ、この世はどんなに生き易いだろうと思った。
「はぁー……」
ベッドにぽすんと横になると、先程までの被害者意識的なものが転じて、恨み節でもつぶやきたくなるような心持になった。どうしてか、私は人と人との間に上手いこと入っていくことができない。でも、だからといってなんだというんだろう。コミュニケーション能力って、そんなに大切なの?
「なーによバカバカ嫌い嫌い。何が祭りよ。何が縁日よ。そんな憂鬱なものなくなってしまえばいいのに」
都会派の私には、幻想郷の古臭い地域社会で生きることは向いていない。
つまり「できない」から「きらい」なのではなく「きらい」だから「できない」と、自分に言い聞かせなくては、まるで不具者のような心持になってしまう。そうやって自分を納得させてきたけれど、はたしてそれが本音なのかというとちょっと違う。
「……行きたかったなぁお祭り」
これが本音。でも、本音を吐くと自分がみじめに思えて泣きたくなってしまう。
日の当たる世界を避けてモグラじみた生活を送ることに満足できるなら、それはそれで幸せなのだろう。けれど、私はモグラにもなりきれていない。完全な世捨て人ライフを満喫できるほどタフでもない。だから、横目でチラッチラッと明るい世界を覗き見して、まぶしさに目が痛めばそそくさと穴の中に潜り込む、そんな種類の悲しいモグラ。
「みんなの輪の中に入れたらどれだけ安心できるのかしら。いいえ、そうじゃない、そんな甘いものじゃない」
輪の中に入ることは誰にだってできる。でも、群れの中できちんとその一員になることは私にとって難儀なの。群れの中にいることは安心。孤独でいることは不安。だけれども、群れから追放されゆくのは不安なばかりでなく痛みも伴うじゃない。ひとたび輪の中に入ったときのあの不安感と緊張感と恐怖感!それがどうにもたまらない。だから、私は、やっぱり孤独でいるほうがよほどマシなの。この自慢のサラサラな金髪が誰の目にも触れないだなんてもったいないかもしれないけれど、私は人目につかない生き方をしたい。
「……ねぇ上海?ひとりぼっちってそんなに悪いことなの?」
「ベツニ、悪イコトジャ、ナイヨ」
「そうよね。ひとりぼっちに耐え得る人っていうのはある意味、他者を必要としないで自立できてるってことよね」
「ムツカシイコトハ、分カラナイケド、キット、アリスハ、間違ッテ、ナイヨ」
「そうよそうよ。間違ってないの。なのに、みんなはひとりぼっちを認めてくれないの。『友達が大事』ってみんな言ってるの」
「……ミンナッテ、ダレ?」
「…みんなは、みんなよ」
「ウーン」
「うーん」
「ダレダロウ?」
「妖怪ウォッチとか?」
外の世界では妖怪ウォッチなるものが流行っているらしい。私なんてそれを見て「あら可愛らしい」と無邪気にも思ってしまった。ところが、なんだろう、あの妖怪体操とは。たしかに商業用らしく子供に目線を下げながらもいちいちインパクトが残る奇矯なフレーズを的確に脳内にねじ込む効果的な歌詞作りをしていた。それだけに「友達大事!」などというつまらないワンフレーズがどこか浮いているように思えてならなかった。あれは何かのノルマなのだろうか?上の者から「そうだそうだ友達の大切さについても入れてくれ」と言われて現場が「アイサー」と叩き込んでみたかのように違和感がある。何が「とっもだっちだいじっ!」だろうか。あたかも取って付けたかのように「とっもだっち」などと入れよってからに。私はその言葉を聞いた途端に妖怪ウォッチなど四散爆裂すべしと思ってしまった。やかましいわ、の一言。こんなものを日夜、聞かされ続ける子供はどうなってしまうのか。友達が大事、友達が大事、などとそこかしこで宣伝してどうなるのだろうか。きっと何かのパラノイアになってしまうだろう。そしてなにより、そのフレーズが私のような孤立者にチクチクと刺さるわけだけど、そのあたりのデリカシーは無いのだろうか。友達の少ない子供はどう思うだろうか。だいたい、友達の多い者なんて足立区あたりで「トモダチイエアー」とか言って充分楽しそうにしているのだから、わざわざ友達がどうのなど言わなくたっていいじゃないか。誰に向けての「とっもだっちだいじ!」なのだろうか。誰に向けての、何のためのメッセージなのだろうか。一度でいいからそのフレーズを入れた人間と面談してみたい。
「違う違う違う違う」
「ナニガ、チガウノ」
「……東風谷早苗よ。ひとりぼっちを認めてくれないのは」
近頃、幻想郷を大きな顔をしながら飛び回っているあの緑巫女。私はその女に深い深い因縁がある。
それは博麗神社での花見の宴会のとき。
私は心底行きたくなかったけれど魔理沙に引っ張られて観念し、参加させられた。ああいう社交的な場というのは前述のとおり苦手で苦手でたまらなかった。でも、そういうとき私は輪から少し外れたところで「興味ないけど」みたいな顔をしながらやり過ごすと決めている。もちろん「じゃあ来ないでよ」という言葉が飛んでくることくらい予測している。だからそうなったら私は親指でちょいちょいと魔理沙を指して「連れて来られたのよ」と言い捨て「邪魔したわね」と去っていこうと決めていた。それがクールな都会派アリスマーガトロイド像を保つための最善手であると、当時の私は確信していた。
だけど東風谷早苗!
ああ、あの女の顔を思い浮かべるだけで心がザワついてしまう。夜の闇のあたりで一人呑んでいた私を見付けた魔理沙は「なーんだ、こんなとこにいたのかー」とか、そんなことを言ったと思う。私も私でお酒が入っていてちょっと気がゆるんでいたから「苦手なのよね、こういうところ」と返した。「お前もみんなのところへ行けばいいじゃないか」と言われたので「……いいわね魔理沙はああいう輪に入れて。私は無理なの」と、自嘲気味の笑みを浮かべて本音を吐いてしまった。私は後悔する。不覚であったと。人前で本音など吐いてはいけないと。本音なんてゲロみたいなものなんだから吐くならトイレで吐けばいいと私は誓った。その本音を、あの東風谷早苗が耳ざとくキャッチしてしまったのだ。
「そしたらなんて言ったと思う上海!?」
東風谷早苗は輪の中から振り返って私に言った。「それはあなたの努力不足じゃないですかあ~?」と。
私は声を失った。努力不足。言葉を補えば(輪の中に入りたければ多少なりとも無理をすればどうですか?少なくとも私や魔理沙さんは努力してますよ?)ということだろう。たしかにそれは正論だと思う。自我と自我がぶつかり合えば互いに少しずつ譲る努力も時として必要かもしれない。でも、どうしてあの女はそのセリフを、あれだけ居丈高に、人を責めるような口調で言えたのだろう!?私がウジウジしてるように見えたのだろうか。でもウジウジしているだけでどうして責められるのか。そんなにウジウジが嫌いだろうか。わざわざ人前に出張ってウジウジしているウジ虫とは違うのだから、どうして放っておくことができないのだろうか?私が何か悪いことでもしたのだろうか?
「アリス、ワスレテ」
「上海…私…ああいうのダメ…本当のほんとうにダメなの……」
私はうろたえ赤面しながらも、体面を保つため毅然とした態度を装い、踵を返して去っていったけれど、それが敗走に見えたことは言うまでもない。その上、聞こえた。「あーあ誘った魔理沙さんのメンツが潰れちゃいますよ」と。
ああ!なんて嫌な奴なんだろう!敗者に追い打ちかけよってからに!
そもそも何がメンツだ。そんなものを持ち込むからコミュニケーションの場の複雑性は解読困難に増してゆき、私のような者が苦しむんじゃないか。ああ、何がメンツだ。わざわざ地雷を埋め込むようなことをしてスリリングな会話でも楽しめというのか。どうしてそんないらん概念を持ち込むのか。お前はヤクザか。物事をズバズバ言うサディスト系の巫女として絶賛売り出し中でそのキャラが認められつつある幻想郷に私は苦言を呈したい。あれは、ただの悪い奴だと。
私は帰り道で悔し涙をポロポロ流した。どうしてあんなにも優しくない人がいるのだろう。あなたにとっては一晩で忘れるそれを、私はずっと傷として抱え続けるのに。おかげでそれ以来、コミュ障に拍車がかかった。外に出るのが怖くなった。知らない人と話すのが怖くなった。誰かと目を合わせるのが怖くなった。だから、私はあの緑巫女に十重二十重の呪いをかけた。ある日に突拍子も無く吐き気に襲われて口から五臓六腑をゲロゲロと放出する呪いをコッテリとかけた。成就するかは分からないけれど、私の心情を表現した呪い。
「ウフフ、私、やっぱり人間ってキライ」
「シャンハイハ、アリスノコト、スキ」
「そうよね上海。良い子よ、あなたは良い子。カワイイ子、カワイイ子。みんながあなたみたいな子だったら世界は平和になるのに」
ソイヤッサッサ、ソイヤッサッサ。
ソイヤッサッサ、ソイヤッサッサ。
ソイヤッサッサ、ソイヤッサッサ。
遠くのほうから神輿の掛け声が聞こえてきた。
守矢神社を出発した神輿は山を下って私の棲む魔法の森付近を通る。
ソイヤッサッサ、ソイヤッサッサ。
ソイヤッサッサ、ソイヤッサッサ。
ソイヤッサッサ、ソイヤッサッサ。
「上海、隠れよう」
「カクレルシャンハイ」
神輿!あれほど気詰まりな行事などそうはない。
集団が一つのものを力を合わせて支えるという、団結力を基礎とした地域社会を体現した、象徴的な行事。だからこそ神輿は重くできている。それは、より多くの人間を集めるため。だって、軽量化などして一人で支えるようになりました、では意味が無いでしょ。もっと単純なことを言ってしまえば「みんなで汗水流して酒飲もうぜ」の行事。つまりはコミュニケーションの祭典。ソイヤッサッサ、ソイヤッサッサ。なんという一体感。素晴らしいわね。私は同調とか協調とかがひどく苦手だから、神輿が来るたびに憂鬱になってしまうけれど。
「ねえ上海。どうして世の中はこんなにも怖いものばかりなのかしら?」
ソイヤッサッサ……ソイヤッサッサ……。
ソイヤッサッサ……ソイヤッサッサ……。
ソイヤッサッサ……ソイヤッサッサ……。
やがて神輿の声は遠のいてゆき、私はテーブルの下から這い出た。
東風谷早苗には因縁がある。となれば守矢神社にも因縁がある。当然あの緑巫女が奉る例の排気筒ババアたちにも因縁がある。よってそんな神を祭るための神輿を担ぐ理由なんて一つも無し。つまり、しょせん私には初めから縁のない祭りだったということになる。
「行かなくて正解だったね、上海」
「オウチデ、ゴロゴロシヨウ、アリス」
「そうよねー。あーあ、一人ってほんと最高だわー」
この窓枠に切り取られた高い空。私はそれを見るだけで充分満足できる。
ひとりぼっちを否定する人たちに言ってやりたい。私はこれでいいの、と。コツコツ集めたアンティーク。趣味の紅茶が香る部屋。ライフワークの人形作り。私の好む書物たち。上海人形。蓬莱人形。西蔵人形。露西亜人形。それさえあれば私は生を実感できるの。そんな毎日が延々と続いてゆくだけで構わないの。私は何も不足なんてしないの。だって悠々自適じゃない。
外の世界の人間があれだけ精神を病んでいるのは、きっとコミュニケーションを強いられるから。みんな、社交性、社交性、コミュ力、コミュ力、って、そればっかり。友達がそんなに大切かしら?人間関係ってそんなに大事かしら?件の緑巫女みたいに「努力しろ」って言うけれど、努力して築き上げる関係なんてくだらない。自然と出来上がるのが関係じゃないのかしら?じゃないと歪になってしまう。でも社会の都合上、彼らは歪であってもコミュニケーションを成立させなくっちゃいけない。それがどれだけの苦しみを産んでいるかも自覚できないなら頭がイッている。学校、家庭、会社、地域、所属せよ所属せよと迫られている社会のどこに自由があるのだろう。そういうのが苦手な人間、私みたいな人間は、きっと病まずにはいられない。私から言わせてもらえばそんなのとんだディストピア。さぞかし心療内科や精神科のお仕事が捗るでしょうね。
「ここは私とあなたのユートピアだもんねー上海♪」
「ソウダヨ、アリス」
だってベッドの上を転がることがこんなにも気持ち良いんだもの。一人って、ほんとに最高。
正直言えば家庭っていうのも私は苦手。あれも本当に気を遣うの。ママは言ってたわ。「私が恥をかくからやめなさい」って。私はあなたのメンツなどには心底興味が無いのだけれど、どうやら子供の恥は親の恥っていうことらしい。だから家族行事のときなんて緊張しちゃう。恥をかいちゃダメだなんて、そんなの身内同士にまでメンツを持ち出し合ってどうするのかしら?幼心に私はナンセンスだと思っていた。どこもかしこも牢獄監獄のように狭苦しく、結局、開放的な自由なんて、ひとりぼっちのときにしか味わえないってことがよーく分かった。
「あー自由ってステキ…!」
「シャンハーイ」
きっと外の世界でも苦労が絶えないに違いない。
親から「恥」と見做されたならば、その子供は胸いっぱいの劣等感を抱えて成長してゆくのだろう。「お客さんはウチに呼べないわ。だってあの子がいるから……」だなんて言葉をうっかり立ち聞きした日には、気が狂ってしまうでしょう。私は言ってあげたい。家庭が居場所じゃないならどうにかして逃げ出してと。見栄っ張りは罪しか生まないの。そういうふうにできているの。
だから私は魔法の森で一人で住んでいる。これもすべて人と接することが苦痛でしかたないから。
私は神輿なんて絶対に担がないんだから。
「…………え?」
ソイヤッサッサ……ソイヤッサッサ……。
ソイヤッサッサ……ソイヤッサッサ……。
ソイヤッサッサ……ソイヤッサッサ……。
「そんな、なんで、どうして、」
とっくに遠くまで行ったはずの神輿が帰ってきた。こんなことって一度たりともなかった。
私はなぜだか胸騒ぎがした。
「待って待って、どうして神輿が戻ってくるの、しかも、こっちへ近付いてくる!?」
ソイヤッサッサ、ソイヤッサッサ。
ソイヤッサッサ、ソイヤッサッサ。
ソイヤッサッサ、ソイヤッサッサ。
そんなばかな。いや、どう考えても、私の家を、私の孤城を、私のユートピアを、目指すかのように神輿が近付いてくる。私にそっぽ向かれた地域社会が怒って乗り込んでくるのだろうか。襲撃しに来るのだろうか。復讐しに来るのだろうか。
ソイヤッサッサ、ソイヤッサッサ。
ソイヤッサッサ、ソイヤッサッサ。
ソイヤッサッサ、ソイヤッサッサ。
「隠れてー!上海ー!」
テーブルの下へ隠れてもなおも声は大きくなり続け、私の喉から「おおうっ」と声が漏れた。
やっぱり、社会を冒涜してはいけなかったのか。人間関係を否定してはいけなかったのか。家族を大切にしなくてはいけなかったのか。友達って大事だったのか。これは、ありとあらゆるコミュニケーションを茶化してはいけない、という圧力なのだろうか。ひとりぼっちを肯定してはダメだったのだろうか。その掛け声はまるで大剣を振りかざした仁王像のような権威がある。私は罰せられるのだろうか。
「あわわわわわわ」
ソイヤッサッサ!ソイヤッサッサ!
ソイヤッサッサ!ソイヤッサッサ!
ソイヤッサッサ!ソイヤッサッサ!
疑いようがない。神輿は明らかに私の家へ向かってきている。しかも気付けばもうすぐそこまで。
「どうしてこっちへ来るのよ!?ねえ上海!こういうときどうすればいいの!?」
「シャンハイニ、キイテモ、ワカラナイ」
「なんでよ!答えてよ上海!」
「ダッテ、シャンハイハ、アリスダカラ」
ソイヤッサッサ!ソイヤッサッサ!ソイヤッサッサ!ソイヤッサッサ!
ソイヤッサッサ!ソイヤッサッサ!ソイヤッサッサ!ソイヤッサッサ!
ソイヤッサッサ!ソイヤッサッサ!ソイヤッサッサ!ソイヤッサッサ!
ソイヤッサッサ!ソイヤッサッサ!ソイヤッサッサ!ソイヤッサッサ!
ソイヤッサッサ!ソイヤッサッサ!ソイヤッサッサ!ソイヤッサッサ!
ソイヤッサッサ!ソイヤッサッサ!ソイヤッサッサ!ソイヤッサッサ!
「ぴいっ!」
とうとう家の前までやってきた。恐慌のあまり私の声門から破裂的な奇声が飛んだ。そして、私が魔理沙の、霧雨魔理沙のことを、本気で呪おうと思ったのはその直後だった。
「来たぞー!アーリスー!お前もこっち来て一緒に担ごうぜー!」
魔理沙!わたしはあなたのことが心底嫌い!
わざわざ神輿を引き返させて私の家の前まで来たのだ。あのクソ重い神輿を支える数十の男たちを引き連れて。有難迷惑という言葉をあなたは知っているのだろうか。教えてあげるけれどその対価として命をよこして欲しい。
「アーリスー!早く出てこーい!」
放っておいて欲しい。私の願いはそれだけなのに、ひひひ、狂人的な笑いが零れてしまった。魔理沙は、いや、強い人は、人の心がこうも察せないのかと思うと絶望的な気分になり、ひひひ、という笑いが止まらなかった。
「くひひひひ、魔理沙、私、あなたのことだけは来世になっても絶対に許さないんだから、くひひひ、ひひひ、」
「おーい!でーてこーい!アリース!」
馬鹿野郎がいらんコミュニケーション能力を発揮して私を困らせに来た。どんな顔をして出て行けばいいのか私にはもはや皆目見当もつかない。たった一人のためにわざわざ進路を変更してもらって、それで私は「アリガトー」とでも言えばいいのだろうか?
でも、きっと心の中では進路変更に舌打ちしている者もいるんじゃない?そう考えるとニコニコしているわけにもいかないんじゃない?かといって恐縮そうにヘコヘコ出て行けばそれはそれで舌打ちする者が出てくるんじゃない?ああ、人間関係が苦手な人間はこういう過剰な施しに出会ったときが一番つらいの。どういう顔をしていいか分からないの。
「も、もうイヤ、私もう消えたい、全部ぜんぶ無かったことにしたい、」
などと悠長に現実逃避している間にも時間は経ってゆく。外には重い重い荷物を担いだ人間たちがいるのだ。これでゴメン・ムリは通用しない。もし断れば「さんざん待たせてそれか」などという怒号が烈火のごとく飛んできて、家に神輿が突撃するに違いない。
あれ?そうしたら、もう担ぐほかにないじゃない?
だって他の選択肢が無いんだもの。もはや私は神輿を担ぐしかないのだろう。そういう状況なんだから。この「空気読め地獄」を作り出した残酷酷薄な魔理沙。私はあなたを絶対呪うんだから。絶対のぜったいに呪うんだから。私は「死にたい」だなんて絶対に言わないんだから。「呪い殺してやりたい」とだけ呟いて死んでゆくって決めてるんだから。日陰者を日なたへ引っ張り出し、土中のモグラさんを日光で照らし、コミュ障を輪の中へ放り投げ、私に神輿を担がせる、あんたを必ず呪い殺してやる!
ソイヤッサッサ!ソイヤッサッサ!ソイヤッサッサ!ソイヤッサッサ!ソイヤッサッサ!ソイヤッサッサ!ソイヤッサッサ!ソイヤッサッサ!
「アーリス!こっちゃ来い!アーリス!こっちゃ来い!アーリス!こっちゃ来い!アーリス!こっちゃ来い!」
ソイヤッサッサ!ソイヤッサッサ!ソイヤッサッサ!ソイヤッサッサ!ソイヤッサッサ!ソイヤッサッサ!ソイヤッサッサ!ソイヤッサッサ!
「アーリス!こっちゃ来い!アーリス!こっちゃ来い!アーリス!こっちゃ来い!アーリス!こっちゃ来い!」
手をかけたドアノブがとんでもなく重かった。行きたくない、でも行かなくちゃ。そういうとき人は、生を後悔し、絶望を味わう。いまにも、もう、ポロポロと涙を流したくなるこの感じ、魔理沙、あなたには分かってほしかった。
…………
自暴自棄。粉骨砕身。時折、自問自答。そして満身創痍。
あの後、ドアを開けた私は筋肉の激流に流されていった。
ハッピを着させられ、肩の下には手ぬぐいを入れられ、神輿の担ぎ棒の下へ追いやられ、周囲からは歓声と拍手。それは流れと呼ぶ他ない。自暴自棄のまま神輿を担がされた私は、肩をガツンガツンと抉られる痛みに耐えながら粉骨砕身の思いで支えた。遠くから見ていると分からないけれど、なるほど、神輿って痛いんだと初めて実感した。そして信じられないくらい重い。私の華奢な身体がどこまで役に立ったのだろう。威勢の良い男性が担ぐとあれだけ重量のある神輿が肩からフワッと浮いた。途中、テンションの中だるみで支える者が減ってくれば私の負担も増えた。でも「ここで逃げ出したらすべて崩壊するのかな?」と思うと逃げ出せなかった。そして「私はここで何をやっているの?」そんな自問自答の言葉が浮かんだけれど何も考えなくてもいいような気もした。細かい感傷は抜きとして、みんなでこの大荷物を支えて行ければ、それだけで構わないのだと思った。
地域社会で生きるということの縮図が神輿にはいっぱい詰まっていたのだ。
私は、最後まで担ぎ棒の下に居た。
私のために進路を変えてこれほどの荷物を運んで来てくれたのだから、という思いだ。もちろんそれは脅迫的な感情でもある。そんなことを考えても考えていなくても、支えることには何ら変わりがないのだから、折角だから支えようと思った。肩がズキズキと痛み汗がダラダラと流れ身体がギシギシ軋んだ。気付けば私はソイヤッサッサの一部になっていたのだった。
そして今、私は満身創痍だった。
こんなか細い少女には少し無理がある。肩が真っ赤に腫れ上がり、手ぬぐいがいつの間にかズレたのか、傷だらけになっていた。足腰は立たず、宴会が繰り広げられる中、私はやっぱり夜の闇の切株に腰かけて一人ぽつんと魂を口から吐き出していた。
「お疲れーアリス!」
「呪い…殺す…魔理沙…」
「悪かったよ引っ張り出しちゃって。でも楽しかったろ?」
「…………今はもう何も考えたくない…何も…何も…」
「まあ私も痛いよ、肩。あーいててて、アリス、そろそろお前もみんなの輪へ入ろうぜ?」
痛みや苦しみを共有して絆を深めるのは、刺青文化や、もっと言ってしまえばバンジージャンプと同じような土人的な文化。私が憎む体育会系でもそうしたこともきっと行われていて、意味不明なしごきを通過儀礼として行うことで、ようやく共同体の一員になる資格を得る。「そんなのやめてよ!普通に仲間に入れてよ!」と言いたくて仕方がないけれど、当事者じゃないから黙っていた。ついっと、向こうのほうへ目をやると、肩に同じような痣を残した少年がおり、ああ、否定しがたい仲間意識が沸き上がってくる。
「それでも私は輪に入らない。影のほうへいるわ」
「ひねくれものだなあ」
「魔理沙、明るい世界で生きているあなたには見えないでしょうけれど、暗がりで生きる私には見えるの。あっちにも、こっちにも、暗がりの中に点々としているじゃない。ひとりぼっちの人間が。きっと私の目が慣れているから見えるのかしらね」
「…きっとそうなんだろうな」
「魔理沙、『自分だけじゃなかった』と思える安心感って、分かる?そして、自分と同じような仲間がだんだん減っていく心細さって、分かる?うれしくって、かなしくって、どうしようもなくたまらない気持ちを私は共有していたいの。私はそういうふうにできているの」
「……ま、いろいろ重い荷物をみんな背負っているんだろうな。神輿ばかりじゃなくて、な」
あの東風谷早苗はやっぱり賑やかな一団の中にいた。
たいそう明るくて、たいそう楽しそうにしていた。早苗の周りはみんな笑っていた。あれほどの笑顔を作り出せるあの子は、くやしいけど、やっぱりすごい。もちろん私は知っている。幻想郷へ来た当時の彼女は失敗続きで、上手いこと歯車が噛み合わず、空転の日々を送っていたことを。きっと苦悩と苦悶の日々だ。彼女は「努力が足りない」と言ったのは彼女が「努力をしてきた」から。そうして身に付けた彼女の「強さ」っていうのはトゲが抜け切れていない。むしろそのトゲを伸ばしてゆくことを選んでいるように見えるけれど、いつか変わってくれるのかな。分かってくれるのかな。
「さーて、私はそろそろ戻るぜ。酒をついできたり喋ってきたり色々とすることがあるしな」
「うん。頑張ってね」
「人気者はつらいぜって言いたいけれど、たまに本当につらくなる。いつかひとりぼっちになったらどうしようって、思う」
「……うん」
「なんだか怖いことばっかりだ」
明かりに向かって歩く逆光の魔理沙の背には影が背負われているように見えた。それと入れ替わるようにして、なぜだか、見知らぬ河童がこちらへやってきた。あの山の河童だった。
「あのう、アリスさんですよね」
「そう…だけど…」
「これっ、早苗さんからの差し入れです」
紙皿の上に乗った5本ばかりの串焼き。使いを寄越したとうの早苗はこちらを知らんぷりして笑っているのが見えた。やっぱり先程の会話が、耳ざとい彼女には聞こえていたということかもしれない。
「ありがとう。串焼きいただいておくわ。そして彼女に伝えておいてほしいの『お肉は受け取っても気持ちは受け取れない』って」
「は、はあ」
「私、そんなに心広くないのよねぇ」
くるっと背を向けて私なりのクールを装い去ってゆくつもりが、神輿のダメージが足腰に深刻に残っており、ロボットみたいな動きで去ることになってしまった。そもそも串焼きを手に後にするだなんて、その時点でクールも何も無いもんだ。そして指をパチンと鳴らして早苗にかけた呪いを解除した。5本の串焼きのおかげで『ある日突拍子もなく内臓ゲロゲロの刑』を免れたことを、彼女は知らない。
帰路の冷たい夜風が汗ばんだ身体に心地よかった。
「……やっぱり慣れてないことはするもんじゃないわね、上海」
「アリス、熱出シタ、カワイソウ」
あのあと、帰路の冷たい夜風は汗ばんだ身体を急激に冷やしてしまい、私は翌日熱を出した。
おまけに全身筋肉痛と、肩が真っ赤に腫れる炎症と、尾を引く精神的疲労までついてきた。何もしたくなかったし動けなかった。寝返りすら困難なほど全身がひどく痛む。やっぱり神輿っていうのはロクなものではない。
「おおふっ…」
でも体調不良は嫌いじゃない。体調不良、それはひきこもっていられる最高の免罪符のようなもの。「このままじゃダメなのかな」という思いに常に苛まれるひとりぼっち生活の中であっても、「今日は休んでいよう」と開き直れる。
「でもね上海。私は昨日、大冒険をしたの。他の人にとっては何でもないことかもしれないけど私にとっては膝が震えるほどの大冒険だったの」
「ドンナ、冒険シテキタノ?」
「よくぞ聞いてくれました上海。それでは発表いたします、ドキドキ」
「ドキドキ」
「私は御神輿を担いできましたー!みんなと一緒にー!すごーい!」
「スゴーイ!」
「うふふ、私は神輿を担ぐことができるの。私はそれができるの」
「アリスハ、ヤレバ、デキル子!」
「そうなのよー、今日になってふつふつと実感が沸いてきたわ。あれほど濃密な地域社会の中で一員として振る舞うことができたの。これって本当は私にとってすごいことなの。この世から怖いものが一つ消えたわ。これからは遠くから聞こえる祭囃子をみんなと同じ権利で心乱さず聞くことができると思う」
「アリスハ、イイ子!ヤレバ、デキル子!」
「ありがとっ♪上海♪」
階段を一歩だけ上ったような気がした。いや、上も下も本当は無い。
いいじゃない、神輿なんて担がなくたって。その考えは昨日と変わらず今日も抱いているし、事実、来年は担がない確信がある。「人と交わりなさい」という命令的で抑圧的な言葉が、やっぱり私はキライなの。気が向いたらまた担ぐかもしれないけれど、気が向くまではそっぽ向いてる。
「はあー、これほど充実した気持ちになれたんもの。あと一年は誰とも会わなくても構わないわね、きっと」
「ソレデ、イインダヨ、アリス」
「私は、上海♪」
「シャンハイハ、アリス♪」
「あはは!堂々とひとりぼっちになっちゃおうね!上海!」
開けっ放しの窓から秋の風が吹いてきた。ベッドから横たわって眺める空は高かった。季節が一巡しても、年がどれだけ巡ろうとも、私の性質はこのまま変わらないのかもしれない。
昼寝をしたら夢を見た。
神輿の掛け声が遠くに響いている。私はそれにどうしても参加しなくてはいけないと焦っている。いいわけできる余地も余裕も無くって、とうとうこの時が来たのかと、観念している。放っておいてほしいなんてとてもじゃないが言えやしない。でも「こっちへこい」なんて誘ってくれる人はそこにはいなくて、困った私は焦っているのに立ち尽くしてしまう。『なんだか怖いことばかりだ』という魔理沙の声が脳裏にひたすら響いている……。
目が覚めたら金木犀の香りがした。じき寒い冬が来る。寒さと不安で手が震えそうになった。少し泣いていた。たまには私から魔理沙に連絡を取ってみようかなと思った。「会いたいの」って言おうと思った。でも、そんなときどういう顔をして振る舞って、どんな言葉を弄して伝えればいいのか考え込んでしまうあたり、私はとことん難儀にできている。
ソイヤッサッサ……ソイヤッサッサ……。
ソイヤッサッサ……ソイヤッサッサ……。
ソイヤッサッサ……ソイヤッサッサ……。
もうちょっと言い方ってものがあるんじゃないですか。V型6気筒ゴッドとか。
匂いのする文面って感じで良いですな。
なんかすげぇ共感した、、
友達を想いやる魔理沙の気遣いはきっと尊いものだけど、そんなもの必要ない、放っておいてくれというアリスのぼっち気質も分かるだけに単純に良い話だなで終わらせないところが良かったと思います
素晴らしく端的な引きこもりマインドの説明
妖怪ウォッチよりアンパンマンの歌詞を心に留めるべき
覚えがあるだけに、引っ張りだしにわざわざ来てくれた魔理沙の気遣いが身に染みる
魔理沙みたいな存在はほんとありがたい(精神状態によっては居留守か言い訳して外出をことわるが)
逸勢さんの書くキャラは紫と文が可愛くて好きなんですが、上海も可愛いですね
すばらしい
負の感情がいやでもひしひし感じられた面白い作品でした
タイトルで落とすタイプだと思いきや中身は結構シリアス系
壊れギャグの出汁に使われるようなぼっちアリスは見るのも嫌ですが、
「ぼっち」ということに正面から向き合っているこのSSは好感を持てます。
あなたにとっては一晩で忘れるそれを、私はずっと傷として抱え続けるというのがたまらなく胸にきた
>魔理沙は口に出さずにおいた。それでもやらなきゃいけない場面はいずれやってくることを知っているからだ。
と今作の最後の方の
>神輿の掛け声が遠くに響いている。私はそれにどうしても参加しなくてはいけないと焦っている。いいわけできる余地も余裕も無くって、とうとうこの時が来たのかと、観念している。放っておいてほしいなんてとてもじゃないが言えやしない。
に共通のものを感じました
面白かったです
しかもそれを表現するためのアイテムが神輿って。アイデアもすごいし、筆力もすごい
心臓が抉られる