※この作品にはマリアリ、百合が含まれています。また、旧作アリス=アリス・マーガトロイド等をはじめとした二次設定、オリジナル設定を用いています。合意できた人だけ下へ。
◆ Alice in Wonderland
彼女に惹かれたのはいつからだったろう。最初からだったかもしれない。それ以来私は、彼女を追いかけ続けていた気がする。
◇◇◇◇
頭痛。
ぼやける視界。
体中に感じる熱気と立ちこめる火薬の匂い。
視界には半壊して燃え続ける人形が一つ。
これは……夢?
そう、昔はよく見ていた夢だ。
周囲は凄惨な状況で醜く不快であるはずなのに、何処か懐かしく甘美。
この光景はいつのものだったか。
ああ、そうだ。これは紛れも無いあの時の──
◆◆◆◆
最初の出会いは突然だった。
彼女らは唐突に攻め込んできたのだ。親しかった者達の散華の知らせ。命まで奪われたものは居ないとの事だったが、それは同時に相手の実力をも示していた。
取るものもとりあえず、しかし手持ちの中で可能な限りの装備を整えて、私は侵入者の前に立ちはだかった。
そして、私は屈辱と口惜しさを憶えた。
「大した魔法も使えないくせに」
そう言ったのは私のほうだった。確かに、彼女は大した魔法は使えなかった。だが地に伏したのは私のほうだった。
別に舐めてかかったわけではない。手も私のほうが多かった。しかし彼女はその大した事の無い魔法だけで、パワーで押し切ったのだ。
私のあらゆる力が、彼女の力で上から塗りつぶされていく。こんなにも私は弱く、策は脆かったのか。
頭痛と熱気の中、地に塗れて動けない私の目に映るのは、半壊して焼ける人形と砕けて何も写さない魔法の鏡。
いずれもずっと私の傍に在った物だった。そして自分の最高傑作でもあった。
それらを失い、知らず涙が流れていた。
喪失の悲しみよりも、自分の力が及ばなかったことが、彼らを壊してしまった自分の無力が堪らなかった。
◇◇◇◇
「ん……」
「お? 起きたかアリスー」
目を開けると見慣れない光景が広がっていた。
ここは何処だろう? いつものベッドの上ではない。背中の感触も布団ではなく硬い床だ。
そういや名も無いダンジョンに探索に入って野営したんだっけか。寝起きの頭ではろくに思い出せないし、思い出すのも面倒だ。
傍らでしゃがんでいるのは、黒い帽子に黒い服、白いリボンと白いエプロン。帽子の影からのぞく金色の目は私を見て笑い、すぐに上を向いてしまった。
ぼんやりとする意識の中、私は上体を起こして彼女の名を呼ぶ。
「魔理沙……」
「なかなか起きないから先に行こうかと思ったぜ?」
「あんたの事だからとっくに先に行ってるかと思ったわ」
未だはっきりとしない意識でも、こういったやり取りは即座に口から出る事に心の中で苦笑する。
「あー? 酷いな。私はそんなに薄情だった覚えは無いぜ」
「そうかしら?」
「おうとも。いつ私が置いてけぼりにした」
「いつもよ、いつも。一緒に飛んでる時だってたーって飛んでっちゃうし、里に買い物に行った時だって気がついたら居ないし」
思い返せば枚挙に暇が無い。
まあ別にいつも一緒に居る必要も無いし馴れ合うつもりも無いので、大抵は放っておいて一人で帰るのだが。
「む……それとこれとは話が別……まあいいや、脳も起きたんならとっとと行くか」
「そうね。無駄に時間を過ごすもんじゃないわ」
立ち上がって服をパンパンと掃って、枕代わりにしていた本を拾う。ごつごつした床に直接敷いていたから傷が付いてしまった。
「その本いつも持ち歩いている割には酷い扱いだなあ。何の本なんだ?」
「中身は同じ本じゃないわよ? これは『3分で出来る宇宙創生』」
「凄いんだか凄くないんだか分からんな」
「大したしろもんじゃないわ……ってあれ?」
「どうした?」
「本、間違えて持って来ちゃったかな」
その手に持っていたのは下らない爆発の構成式の本なんかではなく、あの時の究極の魔法を記した本だった。
◆◆◆◆
再会は必然だった。
私は彼女らに再戦を挑んだのだ。
もっとも、一介の娘に過ぎなかった私は魔界を護る者として前線に赴いてはいたものの、彼女が何処から来たのか知らなかった。「幻想郷ツアー」なるものが問題視された直後侵攻があった事や、周囲を飛び交う噂などから、彼女が幻想郷か其処に近しい世界から来たとは当たりをつけていたものの、会えるかどうかは分からなかった。
それでも再会を信じ、毎日の様に修練所に篭って自らを鍛えた。あらゆる戦略を考え、分析し、頭と体に叩き込んだ。
そしてあの日、最強と謳われる魔道書を持ち出し、全てを賭して赴いたのだ。
そして、私は絶望を憶えた。
「やっと来たわね」
驚く彼女の顔。なんに驚いたのかは分からないが、気分は良かった。
「人には扱えない究極の魔法、嫌でも味あわせてあげるわ!」
私は本気だった。
封印まで施されていた禁断の書は己の魂までをも喰らう。だが、それにも構わずに魔法を唱え肉体を駆使した。
しかし彼女のほうが強かった。いくら膨大な弾を放っても彼女には当たらない。単純な力の前に敵わない。
「なんで、なんで殺せないっ!? あんたなんかに負けない力なのに……究極の魔法なのに! なんでよぉ!」
激情に身を任せて魔法を放つ……訳にはいかない。それでは魔法は散漫となり勝利はおぼつかない。あくまで冷静に、糸を紡ぐように。
自らの容量を超えた魔法が肉を溶かし、血を沸騰させ、骨を軋ませてもなお戦った。死線を地に描かれた白線程にも意に介さず越え、悲鳴を上げた身体が喉を嗄らして沈黙し、全ての力を絞り尽くして灰になって崩れ落ちる限界までも。
それでも覚悟が痛みを無視し、決意が精神を湖面の様に鎮める。
死の少女が己の死を賭して戦うなんて笑えもしなかったが、負けるわけにはいかなかった。
刺し違えてでも死を刻む。朽ちてでも私を深く植えつける。そんな覚悟だった。
それでも、文字通り全力を尽くした私の攻撃は彼女に届くことは無く。恨みとも羨みともつかぬ私の想いは彼女に触れることも無く。
落下による浮遊感と灼けた身体が風に溶ける感覚。薄れゆく意識の中、私は死を確信した。
だが私は死ななかった。彼女が助けたからだ。今の今まで、目の前で戦っていた敵が。
その事実は私に絶望を与えるには十分だった。
それはすなわち、私が死力を尽くしても彼女はそれを凌ぎ、私が倒れた後も残る魔力を弾き、制御を失って荒れ狂う禁書を打ち据え、あまつさえ私を助ける余力さえあったということなのだから。
それは絶対的な差で、目が覚めたとき私は命が助かったという感動よりも、無力感が先に立ったのだ。
しかし、それでも私は諦めなかった。
自分を駆り立てたのは憎しみか悔しさか。
彼女に敵わないのがどうしようもなく堪らなくて。
◇◇◇◇
「本ばっか眺めてないで早く準備しろよー?」
「はいはい、ちょっと待って」
ずいぶん久々に手に取ったものだからしばし見入ってしまった。まあ戦闘に使用したので、枕にして少々傷が付いたところで今更どうということも無い。いっそ傷だらけにしてしまえば、あの時の傷もわからなくなるだろうか。
シェラフをたたみ、魔法で小型化して仕舞う。手荷物の確認、人形の調子を再確認。メンテ自体は寝る前に済ませる事にしているが、何事も確認は大切だ。
全ての準備を済ませて振り返ると、魔理沙はもう大分先を歩いていた。
「やっぱり置いてくじゃない……」
嘆息して追いかける。
思えばいつも彼女を追いかけていた気がする。記憶の中の彼女はほとんど後姿だ。
何度か対峙した時もある。だが思い出されるのは、撃ち落され、地面から空を見上げて映る、リボンとスカートをたなびかせて飛び去っていく彼女の姿ばかり。
(全力で追いかけても、魔理沙のほうが速いんだから仕方ないけど)
それでも。それでも、だ。
一度くらいは振り返ってくれたっていいじゃないか。
別に一緒に居たいわけじゃない。ただ忘れて欲しくないだけだ。
「ちょっとー、待ってってばー」
「あー? お前の準備が遅いんだ。ちょっくら走れば追いつくだろ」
少し歩を早めながら再び嘆息。
結局のところ、彼女は待つ気は毛頭無い様子で。
振り返らないのならば、自分が前に出ればいい。
そう思って彼女に追いつくために努力した。少しでも軽くなるように、色々な物を棄ててきた。
それでも彼女はなお速くて、未だ追いつけない。
◆◆◆◆
あれから私は「死の少女」の名と共に本気を出す事を棄てた。
相手を死に至らしめないのならばこんな名前は要らない。そして、相手を殺す必要が無いのなら全力を出す必要も無い。
今までは相手を殺す使命感から見敵必殺、姿を見れば手加減無しに全力で潰してきたが、殺す必要が無いのならより柔軟に対応できる。
否、それは建前だ。名前を棄てたのは、その名を聞くたびにあの時の事が思い出されてならなかったから。全力を棄てたのは「全力ではない」と自分に言い聞かせて、あの絶望から目を逸らしたかったから。そう言う者もいるに違いない。
確かにそれも本音の一つだ。でも私には考えもあった。
実際は殺すよりも殺さずに負かす方が困難だ。
殺せば、決着は明白、相手はその結果に何を思っていようがどれだけ認めたくなかろうが、お構い無しに負けを刻み付けることができる。
だが殺さないとなれば様相は全く異なってくる。それはすなわち、相手の精神に依存するからだ。
相手を敗北せしめるということは相手に負けを認めさせることである。それは完全な心理戦だ。
肉体は精神と密接に結びついている。だから肉体を痛めつければ精神も同時に弱り、より有利に心理戦を進めることができるだろう。
だがいくら弱らせたところで、こちらが相手以上の強さを持っていなければ勝つことは出来ない。
勝っている筈の強者が心理戦で負けを喫する話は山ほどある。魔王は勇者に敗れるのではない。己の心に敗れるのだ。
その点、「死の少女」の名前は相応しくないと考えた。
死の恐怖は与えるのではなく、相手の内側から湧き上がるものでなければならない。そうでなければ屈しない。
死をこちらから言い聞かせても、鈍感な奴、無視する奴、立ち向かう奴、いろんな反応があるが恐れる者は意外と少ない。それは死と向き合い、その恐ろしさと暗さを真剣に捉えた事がない者たちだ。
だがそれが普通である。二度は味わえぬ死はあまりに非日常で、自ら体感することなどできず、結果その内容について臨場感を覚えることは無理に等しいのだから。
だから、死は告げず、己の内側から沸きあがる奈落の昏さにうち震える方が良い。
その上で、私は「全力ではない」事にした。
そういう空気を誇示することで自分の余力を滲ませ、相手に実際の自分以上の力を印象付けることが出来る。底の知れない敵の力に、相手は不安と恐怖を覚えるだろう。それが心を蝕み、ともすれば体をも蝕む。そうすれば私の勝ちははっきりするだろうし、負けを認めさせるのも容易なはずだ。
もちろん相手は恐怖している時こそ必死で戦うだろう。
相手を殺さぬ戦いは、手加減して行えるほど甘くは無い。
全力を出さない。
にもかかわらず、内実はそれまで以上に全力で。
だからこそ強くなれると信じた。
◇◇◇◇
「はぁ……はぁ……」
「こんぐらいで息荒げるなんて運動不足じゃないか?」
「……っ、何で逃げんのよ!」
あれから走って追いつこうとしたのだが、どういう訳か近づくと魔理沙は走り出したのだ。それから先は徒競走のようだった。
それから走り続けること数分。結局、私が疲れ果ててしまうまで走り通すことになってしまった。睡眠でとったせっかくの休息が台無しだ。寝起きで運動したせいかわき腹も痛い。
「別に逃げてなんか無いぜ。走りたくなっただけだ」
「唐突に走り出すなんて狂人のすることよ。やっぱり満月光線で狂ったかしら」
「じゃあその狂人に付いてくるアリスは変人だな」
「普通の人間以外よ」
実際変人かもしれない。自分でもそう思う。
魔法使いなんて狂人ばかりなのだからいたしかたあるまい。狂人でない、と主張する魔法使いが居ればそいつは気が付いていないだけなのだ。自分が少数派であることに。
狂っているのは自分か、自分以外か。だったら、自分が狂っているほうが楽ではないか。さらに、魔法使いは自分以外が狂っていると思っている。だから狂人なのだ。
そして私は自分が狂っていると思っているから、狂人ではなく変人だ。
「そのセリフは前にも聞いたぜ」
「何度も言ったわ」
「まあいいじゃないか。『異常な人間』なんて魔法使いにゃ褒め言葉だろ?」
「じゃあ狂人も褒め言葉かしら」
「言われて悪い気はしないな」
「そうね」
狂っていなければ、こんな所にいやしない。
狂っていなければ、幻想郷には来やしない。
だとすれば幻想郷は壺毒か魔女の大釜か……。
◆◆◆◆
三度目の出会いは、偶然だった。
その頃私は、住み慣れた自分の場所を捨て、新たな場所に住む決心をした。
敗北して以来の周囲の圧力が辛かったからか、それとも今までの場所での自分の限界を感じたからか、あるいは新しい場所で自分の力を試したかったからか。単に刺激が欲しかっただけかもしれない。とにかく私は引っ越した。
幻想郷は冬のようで、しかもそれでいて桜の花が舞い散る幻惑的な場所だった。その幻想的な光景は、まさに此処が幻想郷だと誇示している様で。もっとも、それはその一冬の間だけの現象だったと後になって知るのだが。
その光景を暗く照らす三日月と、降り注ぐ桜と雪の結晶に魅入って、心地よい身を切る寒さに浸っていた時、彼女に出会った。
彼女と会うことは予想していなかった。いや、確かに可能性は有ったのだ。だが、この今の光景は以前見た幻想郷とはあまりにかけ離れていて。
(そういえば、此処は幻想郷だったわね)
そんなことも失念していたのだ。まるであの時とは別の幻想郷居るようで、同じ世界とは思えなかった。
だから彼女と会うのは完全に不意打ちで、心の準備も気負いも何も無かった。無意識に湧き上がる自分の感情。いや、「感情」と認識する以前の「感覚」。
これが一体何の感情なのか、冬の冷たい風で冷やされた頭が他人事のように冷静に分析する。そして一寸の後、これが喜びである事を理解した。
喜び!
自分がこの再開を喜んでいるのが、自分でも驚きだった。
でもそれも不思議では無かったのかもしれない。あの日以来常に思い出していたのは彼女の事ばかりだったのだから。
魔法を使うたびに記憶の中のの彼女の魔法と比較し、弾幕を考えるたび彼女の動きを念頭に置き、誰かと戦うたびに相手の向こう側に彼女を見据え。全ては彼女を仮想敵とした行動だった。
あの時の戦いを思い出すたびに体は震え、残った傷跡が疼き、吐き気が体の奥底から湧き上がった。体が、魂が憶えているのだ。あの時の雪辱を晴らせるように。
そして今、目の前にその仇敵が居る。これを喜ばずしてなんとする。体の震えも傷の疼きも止まらない吐き気もいまや全てが快感だ。
だが目を輝かせたそんな私の感情とは対照的に、彼女は首を傾げるばかりだった。私の事が分からないといった風に、「お前は誰だ」と目が告げている。
彼女は私を覚えていないのだ。あれだけ全力で、それこそ死を覚悟して戦ったのに、それは彼女にとって思い出の一つにもなっていないのだ。
それを悟った時、沸きあがる「感覚」がもう一つ。だがその感覚はいくら分析しても理解できなかった。悲しみとも悔しさともつかぬこの感覚は何だろう? この時の私には、それが寂しさだと気がつくことは出来なかった。
(まあ、あの時とは姿形も違うし、魔法のスタイルも違うし。禁書を使ってた時は魔力の質も変わってたし。)
だから忘れていても仕方が無い。分からなくても仕方が無い。どちらにせよこれからする事は変わらない。
これほどまでに自分には彼女が刻み付けられているのだから、彼女にも自分を刻み付けてやらなければ不公平だ。忘れたのなら再び刻み付ければよい。
今度は勝利を以って刻み付けてやる。
「こんな殺伐とした夜がいいのかしら──」
◇◇◇◇
「こんな殺伐としたところにも、妖精はいるのね」
「妖精はどこにでもいるらしいからなぁ」
妖精は自然現象そのものだという。ということは、細胞や細菌のようなより原始的な生体に近いということなのだろうか。されば、彼らは自律しているのだろうか?
細胞や細菌を自律していると考えるのは難しい。彼らは周囲の環境に応じて動作しているだけなのだから。家に来た妖精は自律して活動していた様子だったが、彼女らも周囲の環境に動かされているだけなのではないか?
「どうあれ、邪魔なことはどこに行っても同じね」
「軽くぶっ飛ばしておくか」
妖精は死ぬことはないという。それは蟻をいくら潰しても減らないといった数的なものではなく、妖精の死が、私たちが熱が出たから解熱剤を飲んだと同じように対症的な現象であり、根源が死んだわけではないからだ。
つまりは妖精達は顕在化した自然の症状であり、言葉である。
「死なないからやり過ぎる心配はないな」
魔理沙が八卦炉を構える。まさかココで魔砲をぶっ放しはしないだろうが……。
「遠慮は要らないって事だけははっきりしてるのよねー」
私も人形を取り出す。お帰り願うだけだから、できるだけ労力の少ない奴を。
「露西亜人形──」
◆◆◆◆
「露西亜人形──」
私の体から放たれた人形は、次々と内部から弾をばら撒きつつ、内部からさらに人形を展開する。
マトリョーシカ。人形の中により小型の同形な人形が入れ子になって入っている人形だ。それが五層にも六層にもなっている。この人形をイメージしたかのような弾幕は左右から彼女を包囲し、さらに後ろに回りこむ。
決して包囲の速度は速くないが、左右から挟みこむ攻撃は対処しにくいものだ。普通の相手ならば、眼前の上下左右から展開される弾幕に気圧されて後退し、結果背後からの弾幕でチェックメイト。
だが、彼女はさすがに戦い慣れている。すぐ近くから人形が弾をばら撒くのに臆することなく前進し、挟まれる前に懐に入り込む。これで後ろにまわった人形からの弾は多くが虚空に向けて放たれ、彼女に向かう弾はただのぬるい弾幕に成り下がった。
私は自分の弾幕の弱点を認めるとともに、彼女を賞賛した。たった一度で弱点を見抜くなんて! 今までの相手が弱すぎたのか。いや、彼女が強いのだ。それは前から分かっている。
「なんだなんだ? その程度か?」
「まだほんの小手調べよ」
余裕は崩さない。この程度で動揺するようでは魔法使い失格だ。どこかの大魔法使い曰く、常にクールであれ。
「こんなんじゃ暖機運転にもなりゃしないぜ」
「汗かいて凍死じゃ味気ないじゃない」
軽口にも付き合う。余裕余裕。同時に懐からさらに人形を取り出す。
「ああ、このままじゃ眠って凍死しちまうな」
「居眠り運転は危険よ? 飲酒も」
それにしても彼女はよく表情を変える。彼女なりのポーカーフェイスなのだろうが。
取り出した人形に少々手を加えて放り投げる。
「それに」
さあ、その不敵な笑顔の引きつる顔を見てみようか。
「お喋り運転もね」
既に眼前に迫っていた彼女を見て、なるたけ不敵に告げる。彼女もこちらの言葉に反応して顔を上げた。瞬間、目が合う。きれいな瞳だと思った。
直後、人形が腹から開き、多量の弾幕が結んだ視線を遮る。その弾の量、先ほどまでの倍以上。
私はマトリョーシカの中に入っているはずの人形を抜き、代わりに弾を詰めたのだ。濃密になった弾幕は、この距離では人一人分の隙間も無い。彼女はすぐに後退した。
この人形には展開すべき人形が入っていないため、当然包囲は緩くなる。だが、先ほども言ったとおり、この弾幕の包囲速度は遅い。彼女が前進していたため、今、後ろを塞いでいる弾幕は、さらに前に展開した人形のものだ。ついでに、それらの人形は奥に配置するものに、より弾のウェイトを割いた。これにより、一時的に弾幕を濃くしている。
(次弾はスカスカになっちゃうけどね……)
だがこれで決めてしまえば問題ない。退いた彼女が周囲を見回し、完全に詰んだ事を確認する。その顔には諦めと恐怖の色が……。
(え?)
否、彼女はその不敵な笑みをより大きく歪ませた。弾幕の隙間から僅かに覗いた彼女の目はこちらをしっかりと見据え──私の視界は白に染まった。
◇◇◇◇
目の前でまばゆく光を放っている砲撃を見ながら思う。彼女の魔法はこんなに綺麗だったろうか。最初撃たれたときはもっとシンプルだった気がする。
結局、行動の遅い露西亜人形に気の早い魔理沙が痺れを切らし、魔砲を放ったのだった。
「あんたはもっと手加減しなさいよ。天井崩れたらどうすんの」
「そしたら天井も吹き飛ばせばいいんだ」
それが出来たら……いや、魔理沙の魔法はそれが出来るだけの威力を持っている。だからこそそんな発想が出来る。こんなバカらしい事ですら私には思いつかないのだ。
魔砲を撃った彼女の背中を見て思う。
私はいったい魔理沙のどこに惹かれたのだろうか?
強烈な初印象か? その強力な魔力か? それとも人懐っこいその性格か? 同じ魔法使いとしての連帯感か? 単純な付き合いの多さか?
確かに、最初の出会いでボロボロにされた。リベンジを誓ってひたすら彼女のことを考えた。その強力な魔力に憧れた。性格は付き合ってて心地よい。同業だから話題も共通項が多い。近所だからか付き合いも多いし、今だって一緒にいる。
しかし、どれも当たっているように思えるが、どれもピンと来ない。
「私の人形も出番ないわね」
「何言ってんだ。トラップ探索とか危険地帯での活動とか色々あるじゃないか。特攻隊長としてな」
「地味ねー」
「縁の下の力持ちって奴だ。私は遠慮するが」
「人形だからって押し付けないでよ」
「人形は文句言わないからな」
「どっかの毒人形みたいに文句言う奴だっているわよ」
この子も、自律して意思があったとしたら文句を言うのだろうか?
隣に連れた人形と魔理沙を見ながら考える。
もしも自律が、自分から考えて行動し、表現することであれば、まさに魔理沙はその典型であるだろう。
だとすれば、私は「霧雨魔理沙」という「自律人形」に惹かれているのではないか?
◆◆◆◆
「それにしても、よくこんだけ騒げるわね」
魔理沙を目で追いながら一人ごちる。宴会とはこれほどうるさいものだったか。まあ魔理沙がうるさいのはいつもの事だ。
驚くのは妖怪がことごとく騒がしいということか。どうみても人間のほうがしっかりしている。妖怪はこういうときに騒がしくなければならないという規定でもあるのだろうか。
どこかの妖怪は私を「妖怪らしくない」と言った。それはそうだ、私は妖怪ではなく魔法使いだ。恐らくは「人間と異なる存在である自覚が足りない」ということなのだろう。確かにその点では人間に寄り過ぎている。
だが私は魔界人だ。魔界の出と言っても説明が面倒なので元人間と名乗ってはいるが、人間と魔界人は違う。
魔界人は外見や器官、思考体系や概念、精神構造といった所までほぼ人間と相違ない。だから魔法だって人間と同じものが使える。
ただ一つ異なるのは、「創られた」という点だ。その点で、私を含めたすべての魔界人は魔界神の人形であるといえる。
「神は酒好きっていうけど、神に似せて創られたっていう下々は酒に強くないのかしら。下戸の神とか……それとも折り込み済み?」
私はオートマトンの一つである。たとえば細胞の一つを見る。その細胞自体はなんら思考をするわけではなく、至極単純な反応である筈だ。だが、その動作の組み合わせによって私はこうして考え、行動している。
では我が神は一体どこまでを「創った」のだろうか?
細胞の単純な動作か。細胞の組み合わせで脳や体組織が機能するところまでか。それともこうやって私がこんな考えを巡らせるところまでか。
言わずもがなだが、細胞一個ではすぐ死んでしまう。心臓だけでも生きてはいられまい。すべて、適切な配置を行わなければ人形は完成しないのだ。
ではこの思考はどこから湧き出るものなのか? 私の意志からか、はたまた魔界神の考えか。
「無意味ね……。私も酔ったかしら」
そう呟いてかぶりを振る。
どちらにせよその問題は私にとって複雑すぎる。
例えばそこの本に『この文は間違っている』と書かれていたとしよう。その文は正しいのか誤っているのか。
答えから言えば、「判断不可能」である。なぜなら、その文の正誤を判断する概念は、その文の記述された概念の外側にしか存在しないから。
同じように、その問題は私の外の概念で、私には複雑すぎて判断できない。
このエピメニデス(嘘つき)のパラドックスはただの言葉遊び。
けれど全知全能の神は居ない事を証明してしまう。居るとすれば、せいぜい私たちが知りうる事を全て知っている程度だろう。
(人間の方だって、神が創ってるのかもしれないし……)
ただ、人間の創造神は姿を見せない。そのせいで苦悩する奇特な人間もいるだろうが、少なくとも魔理沙は神などくそくらえで行動しているだろう。
だから私は思うのだ。もしかすると人間の方が私よりもより「自律」しているのではないかと。
人間ならば、この自分が自分でないような喪失感は持たずに済むのかもしれないと。
「ちょっと魔理沙。潰れても知らないわよ」
どこかの鬼は私を「人間に憧れている」と言った。確かに憧れている。
彼女は、私にないものを持ちすぎている。だから、彼女と居れば私に足らないものを教えてくれる。
光に近いほど、影は大きく、濃くなるのだ。
◇◇◇◇
「暗いなあ、ここ」
「そんな時のための光源魔法でしょ」
「暗いより明るいほうがいいじゃないか」
「我慢してよ。この光源だってタダじゃないんだから」
それほど魔力は消費しないとはいえ、消費がゼロな訳ではない。なるべく消費は抑えたいから、こういった光源の光量は低く抑えるのが普通だ。
「ランプ持ち歩くよりゃ疲れなくていいだろ」
「ランプより暗いけどね」
「鳥目じゃなけりゃ問題ないさ」
いくら夜目が利くといっても完全に光がなければ見ることは出来ない。周囲からの入力が無ければ周囲を感知することは出来ない。
だからいくら暗かろうが明かりは必須だ。
コウモリは光が無くても大丈夫だが、代わりにこの光源の様に音を発しているのだ。音が周りを照らし、壁や物を照らし出す。
そんなふうに光以外のものを使ってもいいのだが、あいにく受け皿の方を持ってない。音で照らしても高性能な耳が無ければ意味が無いから、元々ある目を有効利用するのが手っ取り早い。それに。
「目しか使えない人間が居るからねぇ」
「じゃあお前は目隠しでもして歩いてろよ」
「それは困る」
結局、どんな生物だろうと入力が無いと感知できないのだ。感知できないというのはその人にとって周りが無いのと同然。暗闇の中では自分自身すら何処まで存在しているのか分からない。内側のマトリョーシカは沢山の仲間を知りえず、暗闇に震える。
ということは暗闇を恐れるのは孤独を恐れるからか?
◆◆◆◆
『本当の孤独に気が付いたんでしょう?』
そう鬼が言った。ただの酔いどれの言葉だ。無視してもよかった。しかしなぜか耳についた。
確かに、私は付き合いも悪く一人で居ることが多かった。それを孤独というなら確かに私は孤独だろう。だが特に孤独に苛まれる事はなかったはずだ。何週間も家に篭って研究を続け、一切の人妖動物に会わなかった時も、平穏は感じこそすれ不安を感じることはなかった。
ただ、彼女が忘れていないかだけが気になった。なぜだかはよくわからない。それだけ私の基幹に彼女が深く根差したということなのだろう。魔砲を食らったときに何か精神野に傷でも付いたか。
「明日も宴会か……」
不自然な宴会ではあるが、そのお陰で彼女が頻繁に来るようになった。うっとおしくもあり研究の邪魔でもあったが、別に拒もうとは思わなかった。
自分が彼女に焦がれているのか殺したいのかはよくわらかなかったが、惹かれているのは事実であったからだ。
「宴会続きで疲れるわね。血まで酒になっちゃいそう」
滴る血を見ながら考える。血を使った研究は多いので血を採っているのだが、これも自傷行為と言えるのだろうか。苦笑する。
「ただの傷は何も意味を持たないのに」
一筋、傷を付ける。と、そこから血が湧き出て零れる。
これは何処から来るかといえば、はっきりと私の体の中からだ。流れた血の中の、一つ一つの細胞たちはまだ忠実に機能はしているが、すでに私の歯車の一つではない。
「血は流れることで意味がある、という事かしら」
二筋、傷を付ける。痛みを感じる。
痛みは体が忌避するものだ。それは私の意志とは関係がない、反射と呼ばれるものだ。されば、私の歯車は一体何処まで在り、何処までとみなせばよいのだろうか。
「痛覚……。傷ではなくこちらが重要ともとれるか」
三筋、傷を付ける。痛覚が、感覚を呼び起こす。
今は跡すらない彼女の傷痕が喚起されて喜びの疼きを叫び、記憶の痛みが私の神経を蕩けさせる。性感にも似たこの感覚も反射というものだろうか。
ならば魔砲が精神を灼いたのだろう。私の神経に入り込んだ彼女も歯車の一つだろうか。先の歯車たちに比べるとしっくり来る。
「ん、もうこんな時間……」
時間を忘れて傷を見つめていた。傷を付けるのは癖になるから気をつけなければならない。十分以上に取れたから凍らせて保存しておこう。当分事足りる。
私はマゾヒストではない。痛みは嫌いだ。なのにその本能と理性に逆らって体が欲するのは、たぶん古傷が孤独を恐れて叫ぶから。忘れられまいと足掻くから。
寝よう。寝れば傷は塞がり、そんな叫びも届くまい。
ベッドで寝ている先客を乱雑に押しのけて潜り込む。一応、その金髪を踏まないように気をつけながら。起きる気配もない。そんなに無用心でいいものなのだろうか? 危険な森とは名ばかりだな。
結局……本当の孤独とは忘却なのだろうか? 私もあの古傷たちと同じなのだろうか?
その日見た夢は、血液になって流れる私を黄色い目が見つめる夢だった。
◇◇◇◆
私から滴る血を、黄色い目が見つめている。
「血を使った魔法か?」
「まあね。呪いに近いけど」
「貧血で倒れるなよ」
「そんなに抜かないわよ」
血を捧げるのは魔法には珍しいことではない。分析すればタダの水分やタンパク質、細胞などの集合に過ぎないソレが魔術的に有用性があるのは、世界の理を自らの物とするのが本質の魔法にとって、自分の歯車である血が大きな意味を持つということなのだろう。
「それにしても、ここに来て血の封印ねぇ」
「珍しいのか?」
「封印自体はそう珍しくないけど……」
血の封印は所有者を明らかにする目的で用いられることが多い。封印が錠となり、基本的に術者の血が鍵となっている。つまり、自分が鍵だと主張しているのだ。
自らの身体の一部を供するので、魂をかけた封印などには及ぶべくも無いもののそれなりに強力である。解呪には血というのが一般的だ。
そして、自身の歯車としての血が錠の役目を果たしているため、術者が死ぬと徐々に弱体化する。
「つまり、誰かがココを時々訪れるために封印したか、死んでから開放されるのを狙ったかどっちかね」
「でも封印が生きてるって事は術者は生きてるんだろ?」
「そうねぇ……」
にしては弱い。術者でもない限りこんな簡単に解呪は出来なかったはずだが。
そもそもこんな封印は入り口に仕掛けるものではないだろうか。
「それは別に不思議じゃないだろ」
「そうかなあ」
「おまえ大概は無頓着のくせに妙なところで細かいよな」
「あんたに言われたくない。少しは部屋を片付けなさいよ」
魔理沙の部屋は狭い。床面積は決して小さくはないのだが、片付けられていないせいで有効な空間が少ないのだ。無頓着とは彼女のためにある言葉ではないだろうか。
「家の壁だってツタが蔓延ってるし」
「いや、あれには薬の素材として役に立つものもだな……」
「壁とか屋根にヒビが入ってもそんなこと言ってられる?」
「むぐぅ……」
ようは魔法使いなんてものは、自分の興味あるものだけに熱中してそれ以外はほったらかしのろくでなしなのだ。
それでも自分の考えで自分の空間をいじくっているのは素敵なことだろう。魔法も同じように自分の自由に空間をいじくるという考えに基づいているから、そう考えれば自由の最たる者が魔法使いか。もしも自律人形が一人暮らしをしたならばどんな部屋になるのだろう。
だから混沌とした魔理沙の部屋も魔理沙なりの考えがあるのだろう、採光を考えたのか窓の前だけは広い。魔理沙は星空とかが見えるようにそこを重視したのかもしれない。
私としては、あれでは夏は空が広くてかなわないと思うのだけれど。
◆◆◆◆
夏の空は高すぎて、その開放的な空気に私の気分は塞ぐ。冬の静寂、寒さ、暗さの中でなら動く気分にもなるのだが。
露西亜人形を開け閉めしては空を見上げる。雲ひとつない空は、空虚に見えた。
自律人形もあの空と同じなのだろう。空は名の通り実体が存在しない概念だけの存在だから、それが空であるためには私の認識がいる。自律人形も私がそれと認識しなければただの人形だ。もしもこの人形が自律したとして、私たちと同じ概念、精神構造で自律しているとは限らないのだから……。
「はぁ……。結局は私もこの子もガワだけって事よね」
机に肘をつきながら、私はもう何度目になるか分からないため息をついた。
ため息をつくと幸せが逃げるという。だがそれでいいのだ。幸せは毒なのだから。吐き出さなければならない。きっと、心を溶かす甘美な毒に体が警告を発して吐き出すのだ。心は、強靭でなければならない。毒が回ってしまった時、命を落とすことになる。
「なんだ? 殻だけに中身はカラっぽなんてシャレか? はははは」
「そんなつまらないシャレ考えるのなんてあんただけよ」
なんか爆笑している魔理沙を見る。まあ確かに、中が空洞のこの人形では言いえて妙かもしれない。乾いた笑いが零れる。
何度目の出会いかは忘れた。数えるのも無駄というものだろう。
ちなみにここは魔理沙の家。空虚な空に歪な月が陣取ったから、前夜に夜を止めて戻しに行った帰りだ。月は狂気の証。歪めば多くの狂気が正常でいられまい。
結果は月を取り戻せなくて夜が明けてしまったので引き下がることになった。一時撤退。今夜再突入するのに自分の家まで帰る必要もなかったので魔理沙の家に泊まったのだ。
「あー、徹夜のテンションだからなぁ」
「そんな乱れた精神状態じゃマトモに戦えないじゃない。夜までに寝なさい」
「眠たくなればな」
「居眠り運転は危険よ?」
「あんな弾幕眠ってても避けられるぜ」
大した虚言だ。言葉もガワだけとは……いや、言葉こそか。
「まあ、魔理沙魔理沙うるさいから眠れないだろうけどな」
「そんなに言ってないわよ」
「そうか? アリスは私が居ないとダメだからなぁ。大半の敵は私が手を貸して倒したようなもんじゃないか」
「……そうね。ごめんなさい」
「そうそう……ってへぁ?」
その時私はヘコんでいたのだろう。力不足で逃げ帰ってきたのだから。夏のせいで気分が沈んでいたせいもあるかもしれない。
普段なら言い返すのだが、言い返す気力が沸かなかった。
なぜかうろたえる魔理沙。そんなに私が謝るのが珍しいだろうか? それとも自分の予想に反した対応に弱いのか。
「い、いや、あれはアリスのせいじゃなくて私がでしゃばったというかだな……。それにアリスが本気を出せば私なんか……」
「本気よ」
「え?」
なぜかフォローまでし始める魔理沙。その姿はかなり滑稽だ。徹夜のせいもあるのかもしれないが、やはり彼女の考えていることはよく分からない。
だが、魔理沙のらしからぬ対応に自分も少なからず動揺していたらしい。本気でないというブラフを自らさらすとは。
「あれで私の全力。いえ、全力以上ね。魔具の人形を使って増幅してもあの細いレーザー一本が関の山。私の射撃は蚊が刺す程度だし、自慢のスペルも威力不足で妖精一匹倒せやしない」
「そんなはず……」
「あれでもあんたの魔砲を目指したんだけど」
そう、あの魔砲だ。なんと単純でかつ美しく魅力的なことか。私だって色々な策を講じ、修練を積んではいるのだ。だが、そんな私の千の手数も全て、あの魔砲の一撃の前には霞んで見える。
「見たほうが早いわ。はい、投げて」
人形とアーティフルサクリファイスのカードを渡す。
魔理沙が怪訝な顔をしてこちらを見てくる。ああ、注意を忘れていたな。
「わたしのほうに投げないでよ? どっか適当に庭にでも投げて」
机に寝そべりながら言う。机は少し冷えてて気持ちがいい。
まだ訝しげな顔をする魔理沙だが、そのままぼーっと見ていると腑に落ちない顔のまま庭に向き直った。振りかぶって投げる。『ぽいっ』っという擬音がとてもよく似合う風に人形が宙を舞った。
次の瞬間、閃光と轟音が周囲を支配する。
「うわ!」
魔理沙が素っ頓狂な声をあげて目を見開く。残ったのは小さなクレーターと爆風で傾いだ木、夏の暑さになお熱い熱波。ちなみに家には保護魔法がかかっているのか被害はないが、積んであった本の斜塔が一つ崩れた。
「使う人が使えばそれぐらいの威力はあるのよー」
机に伸びながら、微笑が零れた。やはり彼我の力の違いを目の当たりに見ると嬉しくもあり悔しくもある。魔理沙には自嘲的な笑いに見えたかも知れないが。
彼女はしばらく黙っていたがやがて口を開き……。
◇◇◇◇
「結局魔理沙は寝たんだっけ」
「さあな。アリスが本気出してくれなかった事しか憶えてないぜ」
「本気だって言ってるのに……」
あれが実際に本気だったというのに、魔理沙は屁理屈をこねる。私はテクニックと戦略戦術で補っているだけなのに。
これもブラフが先行した結果だろうか。空洞化した言葉は自分を見失ったようだ。過大評価も不当な様で面白くない。
追憶は続く。
そして最後の出会いは……。
「最後?」
ということは、私は彼女と別れたのだろうか?
「ねぇ、あんたと私って別れたっけ?」
「あー? 何言ってんだ?」
言ってからその質問がいかに奇妙だったか気が付く。
「自分でもよく分からないわ」
「おいおい」
呆れたように魔理沙が肩をすくめる。
「さて、これで解呪は終わりね」
扉の前で二人並んで立っている。装飾と封印からみて、恐らくここが最深部だろう。
「ダンジョンが短いのはいいことだな」
「それで、ココに何があるんだっけ?」
「ココか? ココにゃあ何もないぜ」
「……言い方が悪かったわ。この先に何があるの?」
「だから何もないぜ」
「は?」
彼女は何を言っているのだろう。何もないのにこんな所に来たというのか。それなら私は怒ってもいいよね。うん。
「ココは出口だからな」
さらに分からないことを言う。それでは今まで私たちは外へ向かっていたというのだろうか。それとも外でもあり内でもあるクラインの壷のとんちとでも言うのか。
「どういうことよ?」
「田舎……じゃなく幻想郷にようこそだぜ」
「さっぱり分からないんだけど」
「だからー」
そして彼女は振り返って言った。珍しく真正面から、目を見て。
「そろそろ目を開けろよ。おまえと私はこれから別れるんだ」
◆◆◆◇
瞬間、目が覚めた。
頭痛。
ぼやける視界。
体中に感じる熱気と立ちこめる火薬の匂い。
視界には半壊して燃え続ける人形が一つ。
これが現実か追憶の一つか妄想か、朦朧とする頭ではよく分からなかったが、私を見つめる黄色い目に意識が覚醒する。珍しく真正面から、目を見て。
涙で歪む彼女の顔は、記憶には無かった。
「は……げほ……なんて顔してんのよ……」
笑おうと思ったが咳き込んでしまった。彼女に手を伸ばそうとして、自分の半身が無いことに気が付く。
ここは魔法の森か? どうやら戦闘が有ったらしい。いや、戦っていたのは私だったか。
ということはさっきまでのダンジョンは夢? 今までの追憶は走馬灯? それは貴重な体験だが、それをじっくり考察する時間は残念ながら無さそうだ。
先にやっておきたいことをやっておこう。無くなった右手の代わりに左手で彼女の顔に触れた。
「何で! 何で私なんかのためにこんな……」
「何でって、あんたじゃ倒せないし、同じ事やったら即死でしょうが……妖怪の私じゃないと。効率よ……効率」
その言葉は、彼女に向けて言ったのか、それとも自分自身に言い聞かせたのか。
確かにあの敵には魔法が通じなかったし、結界か擬似空間かに囲われて逃げられそうにも無かった。だから私がやった。合理的も何もそれしか手が無かったのだから。
でもこうして彼女が私を抱いているということは、アレはちゃんと葬れたということだろう。私の犠牲が無駄でなくて良かった。
「でもアリスだって致命傷じゃないか!」
確かに。流れ出る血液の量は、人外の身といえども限界を超えていた。厳密には妖怪でもない私には間違いなく致死量だ。
別に自分だって死ぬつもりではなかった。作戦もほぼ完璧だった。ただ一つ残念だったのは、人形が僅かに足りなかった事か。
物理的な爆発というのは簡単だ。物体を変化させて気体にし、体積を一瞬にして増大させれば良いのだ。人形が足りなかったから自分の身体の一部を消費して爆発させ、アーティフルサクリファイスのように一瞬の後に再構成する。
アレを倒せるだけの爆発を起こすには犠牲が膨大で、再構成が机上の空論だということになっても、他に手は思いつかなかった。
「うっ……くっ。せめて血を止めて……」
魔理沙が止血を試みる。間違いなく無駄というのは分かっているだろうに、何もしないというのが耐えられないのだろう。
それにしても……彼女はよく泣く。死を悼むのは何故だろうか。かけがえの無いモノを失った、もったいないという感覚か。
考えかけてやめる。いつから私はこんなに理屈っぽくなってしまったのだろう。私だってあの人形と鏡を失ったとき悲しかったではないか。目の前の彼女を失っても哀しむだろう。理屈がどうあれ、感情とはそういうものだ。
「無駄よ。そんな瑣末なことは……どうでもいいの」
「どうでも良く──」
「いいの」
「…………」
「そんなことよりも……私の本気、認めた……かしら?」
「今更そんな当たり前のこと……」
「良かった」
本当に良かった。これで一つ安心できた。たったこれだけの言葉で安心感が得られるのは本当に驚きだ。
嘘の多い彼女のことだから、これも空虚な言葉かもしれないけれど、それでもまあ私には十分だ。
だから私も少し素直に言うことにする。
「ずっと追いかけてたの。私には……いつも背中しか見えなかった。それが今やっと追いつけて」
身体に力が入らない。もはや魔力の糸で自らを操る状況だ。これが人形遣いの最期とは実に滑稽ではないか。あるいは人形としてふさわしい最期か。
だが今はそんなことは置いておこう。彼女が私を見ているのだから。そう、あの黄色い双眸に私が映っているのだ。
「……少しだけ、追い抜いたのかな」
きっと、私が前に出たから、彼女の目に入ったんだ。
魔理沙が何か叫んでいる。
落ちる意識の中流した涙は、自分でも何を意味するものか分からなかった。
◇
◆◆
◇◆◇◆
◆ Through the Looking-Glass
ことの起こりは何だっただろう。最初の出会いだっただろうか。それ以来私は、彼女の側にふさわしくあろうと思った。
◇◇◇◇
「……少しだけ、追い抜いたのかな」
最期と思われる彼女の言葉を聞いて、たまらなくなった。言葉が口を衝いて出る。混乱した頭では自分がまともな内容の事を喋っているのかすら分からなかったが、とにかく言い返したかった。
「追い抜くだって? それが先に逝く事か! そんなのは追い抜いたなんて言わない!」
人のことは言えないがずいぶん自分勝手だ。そんな事を言われて、私はどうすればいいというのか。アリスの影を踏んで生きろというのか。今までの様に。
「アリスはいつだって私の前を行ってたじゃないか……」
私が走って追いかけても、追いついたときには別の方向に歩いていて。隣を歩こうと思っても気が付いたら何処にも居ない。
「それを永遠に追いつけなくするつもりかよ」
その腕に抱く身体からは既に命が零れ落ちているのは感じていたが、言わずにはいられなかった。彼女を抱きしめ、徐々に失われていく熱を感じ取る。その熱が彼女自身の様に思えて、少しでも逃がしたくなくてずっと抱きしめていた。
どれほどそうしていたのか分からない。彼女の熱かった血が私の体温と同じになる程度だろう。燃えていた人形は既に火が消え、焦げた半身を晒している。
少し冷静さを取り戻した頭で考える。私は魔法使いだ。自分の望むものは自分で手に入れるのが信条。弾幕はパワーなのだ。
いつかアリスは私のことを「盗賊(シーフ)」と呼んだ。
だったら、アリスの命。死神からだって奪ってみせる。
血も乾いた筈なのに、なぜか未だ乾きもしない彼女の涙を舐め取って、私は箒に跨った。
◆◆◆◆
その日私は浮かれていたのだろう。結局一睡も出来ずに徹夜明けのテンションだった。だから彼女の言葉にも咄嗟に本音が出てしまったのだろう。
露西亜人形をいじくりまわしているアリスがため息をつく。空が広すぎて気持ち悪いというのはインドア派なアリスらしい感想だが、同意は出来そうになかった。確かに空はカラだが、それを鬱々と感じるのは境界があいまいな奴だろう。
「殻だけに中身はカラっぽなんてシャレか? はははは」
「そんなつまらないシャレ考えるのなんてあんただけよ」
まあ徹夜の頭で考えたネタなどろくなものではないのは、世の理と言ってもいいだろう。さっきまで自称宇宙人と戦っていた余韻もあるからテンションがやばい。他にも寝ながら弾幕避けるとか何とか言った気もする。
当然冗談で、私はよく嘘や妄言の類を吐くからアリスには相手にされなかった。前にアリスは言霊を信じないのかと訊いたら、言葉自体には実がなく媒体としての殻しか持たないと言われた。確かにそうかもしれない。
そんな感じで脊髄反射でやり取りしてたものだから、唐突に謝られて混乱したのだ。
「……そうね。ごめんなさい」
「へぁ?」
「あれで私の全力。いえ、全力以上ね。魔具の人形を使って増幅してもあの細いレーザー一本が関の山。私の射撃は蚊が刺す程度だし、自慢のスペルも威力不足で妖精一匹倒せやしない」
「そんなはず……」
「あれでもあんたの魔砲を目指したんだけど」
そしてその後なし崩し的にやらされたパワー比べ。その結果は確かに私の方がパワーが上という事を示していたが、それが何の意味があるだろう?
アリスの力の本質はパワーなどではなく、その制御力と集中力、多彩なアイデアと思考力から織り成す頭脳的な魔力の扱いにある。
「……アリスの本気はこんなものじゃないだろ?」
机に突っ伏して自嘲的な笑いを浮かべるアリスに向かって言う。きょとんとした様子のアリスは本当に分かっていないのだろうか。パワーのアリスなんて八卦炉を捨てた私のようなもんだ。
「こんな爆発一つが力だって? 何十もの人形を操って、工夫を凝らした弾幕を張って。弾幕はブレインなんじゃなかったのか?」
パワーだけでは倒せない相手だっている。昨夜も鳥目にされて視界を失った中、敵の位置を察知できたのはアリスが居たからこそだ。
大体この人形にしたって、普段は普通の人形でありがながら念じて投げるだけで爆発し、周囲に甚大な被害を与えつつも人形自体は無傷なんて事がどれほど困難か分かっているのだろうか。
「じゃああんたはそんな事が力だって言うの? どれもその魔砲で消し飛ぶのに」
正面から撃てばそうなるだろう。だけど総合力はアリスの方が格段と上に違いないのだ。準備と環境さえ万全ならアリスの魔法は山だって吹き飛ばすはずだ。
「そんな事」で纏められてしまった技術やアイデアだって私には出せない物なのだから。色んな弾幕を拝借してバリエーションの足しにはしているが、アリスの弾幕を見るたびに自分の発想力の無さに悔しい思いをする。
私の魔砲の一撃も、あの千の手数の前には霞んで見えるのだ。
「結局は適材適所よ。今回の戦いじゃあ私はこれ位しか力になれないわ。だから魔理沙には寝て体調整えてくれないと……」
徹夜で作戦考えたのは何のためだったか。結局アリスの考えた作戦は「寝ろ」ということだった。
しかも私の体がその作戦が正しいのを立証しようとしているのが気に入らなかった。
◇◇◇◇
泣き腫らした目は多少の疲れを訴える。だが寝てゆっくりと体調を整えている時間は無い。そこは臨機応変に。まずは三途を渡る前にアリスを確保しなければ。
かっ飛ばして来たから彼岸にはすぐに到着した。
「さて、どうするかな」
何か具体的な方策があったわけではないのでしばし考える。とはいえ私は彼岸に明るいわけではないからたいした選択肢は無い。こういう時は詳しい奴に訊くのが常套手段だろう。
「まずはあいつを探すか」
そう呟いて、目的の人を探すことにした。あいつ……サボタージュの泰斗こと小野塚小町である。三途の渡しの死神だ。
アリスが小町のところに来ているとは限らないが、他にアテもない。やみくもに探すよりは良いだろう。
小町は比較的すぐに見つかった。その特徴的な大鎌は結構遠くからでもキラリと光っていて、少し暗い彼岸では良く目立つ。私は木陰で休んでいる死神に声をかけた。
「よう」
「あん? なんだいこんな所に。自殺は勘弁だって言ったじゃないか」
「いや、少し手を貸してもらおうと思ってな」
「ほーう……」
小町が目を細めて私が背負っているものを見つめる。小町は上から下まで眺めた後、大体の事は察したというふうに口を開いた。
「その娘かい。まーあたいのとこにゃ来てないかもねぇ。それにこれからも来ないかもだ」
「みんなお前が運んでるんじゃないのか」
「何言ってんだい? 三途ってのは三つ途があるから三途なんだ。松竹梅ってね。松は橋で、こいつは短いし楽だ。歩きはするけど、超特急さ。竹は渡しで、あたいの仕事さね。距離はそいつ次第、早いも遅いもあたい次第ってね。んで梅は泳ぎさ。距離は長いし泳ぎも辛い。ご苦労なこった」
「それで、なんでアリスが来ないんだ」
「あんた魔法使いが善人だって思うのかい? その娘は人脈も乏しそうだし、どっかその辺泳いでてもおかしくな……まあ、そんなに睨まないでおくれよ」
なんだかアリスを貶められたようで、何故か腹が立った。まあいい、一応情報は得られた。
「そうか、じゃあアリスを見かけたら頼むぜ」
「ちょいと待ちなよ」
その場を離れようとしたら呼び止められた。というか距離をいじられて呼び戻された。嫌な予感しかしない。
「ここはあたいの管轄だよ。とりあえず何をしようとしてるのか聞かなきゃならんね」
「悪いが急いでるんでね」
「もしあたいの予想通りなら行かせられないよ。蛇の道は蛇なんて言うがあたしゃそこまでお人よしじゃない」
「ふむ──」
小町はよくサボってはいるが仕事には忠実だ。あの上司の下に仕えているからだろうか、人当たりは良くても理を曲げたりはしない。
もっとも、それは私にも分かっていたから早々に切り上げようとしたのだが。こうなったら少々の嘘を吐いても意味が無いし、弁の立つ小町に対抗できるほど口が回るわけでもない。だから宣戦布告の意味も込めて正直に言うことにした。
「アリスの魂を攫いに来た。力ずくでな」
血で濡れたように怪しく光る水面とそれを映す鎌は、あの夜の様にとても蠱惑的に見えた。
◆◆◆◆
血に惹かれるのは、血に魅了(チャーム)の魔法でもかかっているからに違いない。そんな馬鹿なことを考えるとろけた頭を別の私が嘲笑う。あれは魔法なんかじゃない、呪いだと。そして今度は三人目の私が笑い出す。酒を飲むとこんなのばかりで困る。
「何してるんだ?」
何か喋らないと少々脳内がうるさかったから、なんとなく訊いてみる。これは明日は二日酔いかもしれないな。
「血を採ってるの」
予想通りのそっけない返事。まあ他に理由があるとすれば悪魔に魅入られた奴だ。いや、悪魔が血に魅入られているのだろう。ともすれば吸血鬼は血に魅入られたから堕ちたのか、堕ちたから血に魅入られたのか。一度レミリアに訊いてみるのも良いかもしれない。
「明日も宴会か……」
誰とはなしに呟くアリスの声。私はそれに答えない。それよりも白い肌に流れて映える液体を見つめていた。その光景は私を惹きつけて放さない。
液体は肉体という詰め袋を離れて我が意を得たりと言わんばかりに流れ落ちる。固体では硬くて動けない、気体ではわが身があいまいだ。液体はその点実に人間的ではないか。人を惹きつけるのもそのあたりに原因があるのかもしれない。
「宴会続きで疲れるわね。血まで酒になっちゃいそう」
溜まるその赤い液体は今日飲んだワインを思い起こさせた。聖人の血をワインに、という逸話は良く聞く。ならば人々は血を飲みたがったのだろう。他人の一部を取り入れる、自己同一化の欲望は根深く罪深い。
ごくり、と喉が鳴る。
(は、私は何を考えているんだ?)
それにしても、アリスの声は私の頭に良く澄み渡る。あの声を聞くだけで脳内の私どもは沈黙してくれた。
目を閉じる。世界は暗闇に覆われるが、恐れは無い。暗闇を恐れるのは未知だからだ。これで無音ならば恐れたかもしれないが、耳に響くアリスの声が私を照らしてくれている。
美しい声で鳴く青い鳥は、いつか食卓に並んだのだろうか?
その日見た夢は風呂上りの牛乳よろしく、紅色の液体を飲むものだった。
◇◇◇◇
「さてと」
擦り傷から流れる血を舐めながら考える。弾幕で出来た小さな傷など舐めておけば治る。
「出来れば即終わってもらいたいものだがな」
「そう簡単にやられてあげられはしないさ」
あんまり時間をかけると本当にアリスが向こう岸に行ってしまうかもしれない。
だが、ただ魔砲を撃っても仕方が無い。
『マスタースパーク!』
『残念だけど、でっかいレーザーは映姫様だって撃ってくるんでねぇ!』
そんな先程のやり取りを繰り返すだけでは馬鹿だ。ちなみに、このやり取りのあと小町に横に回られて被弾した。いかに弾幕はパワーなんて言っても猪突猛進ではしょうもない。
(となるとやっぱりコレだな)
懐から人形を取り出す。露西亜人形。それを密かに投げてスペルを発動する。
「アースライトレイ──」
魔方陣が小町の背後に現れ、そこから光が放たれる。だが、背後から迫るレーザーは小町にいとも簡単に避けられてしまった。
「なんだいこれ? 当てる気無いのかい」
「まだまだ飛ばすぜ」
そう、当てる気など元々無い。だが私はブラフのためにさらにレーザーを増やした。幾条もの光はカーテンの様に連なり、眩しいほどの光は周囲の暗さも相まって相手の視界を奪う。元々相手の移動を制限して自分が撃ち抜くためのスペルだ。しかし今回は自分は射撃をせず、人形を操っていた。
「いくら出したところで、こんな直線的なもの当たるもんかね」
「おまえが当たるのはソレじゃないからな」
私の技量では操れる人形はせいぜい四体だが配置さえしっかり行えば十分な弾幕を張れる。
レーザーの壁が消失した瞬間、配置の終わった人形が一斉に射撃を始める! だが……
「ふーん。なんかこそこそしてたのはこいつかい」
「!?」
小町は動揺した様子も無く周りを見渡す。読まれていた。そして隙間を見つけると私に接近する。接近に弱いのは露西亜人形の弱点だ。
「ちぃ……」
私は展開しようとしていた露西亜人形をそのまま小町に投げつけた。だがタダの人形では当たるはずも無い。僅かな動きだけで避けられてしまう。
「ぬるいねぇ。パワー派のあんたがにわかブレインってのもダメさ。さて、少々眠って森へ帰ってもらおうか」
「目的を達するまでは帰れないな。それに」
まだ策は終わっていない。小町を睨み、不適な笑みを見せた。
「弾幕はパワーだぜ」
小町の背後で爆発が起こる。先程投げたマトリョーシカの中にはアーティフルサクリファイス……それが爆発したのだ。
「っと! 残念だけど爆発は見当違いみたい──」
「いやこれで良いんだ」
爆風に押された弾幕が小町の背後で壁を作る。そして私は懐から八卦炉を取り出した。そう、アースライトレイをわざわざ撃ち止めたのはこの一撃のため。
既に十分な魔力が蓄積された八卦炉を前にかざし、全力を込めて叫ぶ!
「ファイナルスパーク!」
◆◆◆◆
目の前を走る光の奔流に拍手が起こる。宴会の席で魔法をぶっ放すなんてよくある話だ。周囲の「おー」だの「綺麗」だの「その程度か」だの「境内壊すな」だのといった十人十色な反応にテンションも上がる。
鬼は『一人の時は賑やかでない』なんていっていたが、一人で賑やかなほうがどうかと思う。
「はは、どうよ!」
今度は星をばら撒く。星は蛍の様にあたりを漂い、花火の様に弾けて消えた。
魔法は見せてこそ面白いのだ。特にこんな装飾系の魔法は魅せるぐらいしか使い道が無い。
もちろん、マスタースパークの様に単純な攻撃魔法もある。タダの力の解放。まあこれも制御環を取り付けたり魔力の効率化を行ったりと改良はしている。ただ、改良を加えるたびに装飾は増えていった。
最近とみに思う、私は魔法で何を成すのだろうと。
昔はただ力を揮っただけだった。空を飛んだだけだった。だが、それでは通用しない相手もいた。だからさらに力を求めた。
強さを求めるほど、そこにはより効率の良い魔力の使い方や理論に基づいた魔法の構成など装飾が増えていく。昔の純粋な力の面影は既に無く、かといって昔の様に魔法を撃っても物足りない。結局魔法は、自由な力などではなかった。
「魔法は何のためにあるんだか」
アリスの方を見る。彼女ほど理論に明るく、制御力があればまた違った世界が見えるのだろうか。彼女は一体何を目指しているのか。
魔法を力として揮い、権力や武力として扱うものもいる。錬金術の様に自らの望みの物を創造することに使うものもいる。魔法はツールに過ぎないから自分の希望を叶えれば良い。
彼女は……知ろうとしているように見える。世界は何処にあるのか、神はどの程度の存在なのか、自身が歯車だとしてどれくらいの位置を占めているのか。恐らくはそのために自律人形を求めているのだろう。
「箱庭でも作るつもりかね」
魔界人は魔界神に創られた存在だと聞く。だからこそ自己の思考と神の思考の境界に興味があるのかもしれない。
そこで思うのは一つの疑問、神が居るのならば問うてみればよいのではないか? 分からなければ人に聞く。そう、魔界神に聞けばいいのだ。『私の考えはあなたの考えでしょうか?』
だが、聞くまでもなく答えは決まっている。「No」だ。
なぜなら、もしも神が私たちの考えを決定しているならば、その質問自体が自問自答に過ぎない。それは何も生み出さない。
神だって悩んでいるのだ。神の考えは何処から来るのか。もしもそれが決定的なものであれば、それは超神を生み出し、超超神を生み出し、思考は無限に入れ子構造だ。マトリョーシカの様に。
なればこそ、神は十分に複雑な私たちを創り、何かの解答を求めたに違いない。私たちの考えは、神にとっても及びも付かないモノである。
つまり、創造神も私たちと同じランクでしかありえない。とすれば。
「私は眼中にないのかなぁ」
アリスは私の側によく居るが、それは自律人形のサンプルとして観察しているのかもしれない。私が並んでアリスと同じ視点に立つには、何もかもが足りてない。
「あー! 飲むか!」
とにかく気に食わない。魔法は自分の望みを叶えるためにあるけど、自分の望みを教えてはくれない。自分は何がしたいのか? 結局は近視的な目の前の物事の解決にばかり捉われている。だからせめて、彼女と並んで見たかった。
◇◇◇◇
「な……」
「惜しかったねぇ」
気が付いたら小町が背後に居た。脱魂の儀。相手と自分の位置を入れ替える大技だ。隙が大きなこの技をファイナルスパークに間に合わせたというなら、おそらくアーティフルサクリファイスが発動した時点で既に展開を読んで技を発動していたということだろう。
「はは……反則だろ、ちくしょう……」
大技をはずした反動でこちらは体勢を立て直せない。加えて、魔法の連発による疲労もあって動けなかった。涙でにじむ視界をぎゅっと閉じる。が、次に来ると予想した被弾の瞬間はいつまでたっても来なかった。
「?」
不思議に思って目を開けると、小町は木陰で寝転んでいた。
「あたいは疲れたから休むことにするよ。全身焦げちまったし、慣れないことはするもんじゃないね」
そう言ってひらひらと手を振る。見れば確かに服のあちこちが焦げている。直撃ではなかったにしろ、魔砲は当たっていたのか。
「いいのか?」
「そんだけ想ってる人がいりゃあ、きっと賽の河原で未練に縛られて立ち往生さ。ホントは良くない事だが……。三途を渡らない奴は管轄外さね」
「悪いな」
「謝る必要は無いさ。あたいのあずかり知らぬことだからね。賽の河原はあっちだよ」
私は軽く礼をしてその場を後にした。賽の河原はすぐ近くだ。
だがたどり着いてしばし固まる。
「……何もないぞ?」
「当たり前だろ?」
「どっから沸いたんだ」
「いやなに、見物さ」
距離を操ったのだろう。寝そべったまま木陰ごと後ろに居た。
「で、霊は何処に居るんだ?」
「あん? 霊ってのは形を失ったから此処に来るんだよ? だから見えなくて当然、気配とか視線とかと同等の存在さ」
「むぅ」
「で、どうするね?」
小町がニヤニヤと笑いながら私を見ている。
私はしばらく何もない……が、気配だけはある河原を見つめていたが、やがて口を開いた。
「いや、大丈夫だ。こいつを連れて帰るぜ」
「ほぅ……」
ニッと笑って振り返り、目の前の空間を指す。先程までのちょうど背中の位置。
小町は驚いた顔を少し見せ、その後笑顔に変わった。
「大したもんだ。して、根拠は?」
「私の魔力の残滓とアリスの糸。そして何より、アリスの視線を感じたからな」
忘れもしないあの視線。あれはきっと魔眼なのだろう。あの青い目は今でも私を痺れさせる。
◆◆◆◆
「お喋り運転もね」
彼女の声に顔を上げる。冬の澄んだ空気に良く通る声だ。彼女は実に冬が似合う。
外見が大幅に変わっていたから驚いたが、声や目はあのときのままだ。
弾幕を避けるためかなり接近していたから、顔を上げて見た彼女の目は予想外に大きかった。吸い込まれそうな目だ。
次の瞬間、弾幕が視線を遮り、はっとして我に返る。
「くそっ……」
既に危険な距離にまで迫っていた弾幕を咄嗟に後退してかわす。
それにしてもそんなに喋っていただろうか。きっと美しい音楽のような声に知らず応えていたのだろう。
仮にもスピードスターを名乗る私に、この弾幕の遅い弾は追いつけない。すぐに距離を取ることが出来た。が、周囲を見回して己の失策を悟る。
「やっちまったか」
やはりさっきの隙は致命的だった。僅か一秒前までは有ったはずの隙間は既に塞がれ、いまや人一人通り抜ける隙間も無い。
だが手はある。ゆっくりとした詰みは時間の余裕をもたらす。私は八卦炉を握り締め、視線を固定した。
ゆっくりと迫り煌めく弾幕は、周囲を舞う雪の結晶と桜の花びらに混じり殺風景な風景を鮮やかに彩る。舞台を照らすのは三日月の照明。たったこれだけのセットだが、その中の彼女は花吹雪に舞う歌姫のようで。
「観客が私一人とはもったいないな」
花吹雪の間を縫って再び視線が交錯する。やはり吸い込まれそうな目だ。私はこの青い鳥に呪いをかけようと思った。
恋の魔砲という呪い。
きっとこの青い鳥は私の持たないものを沢山持っている。黒い烏は鳴き真似を続ければいつか青くなれると思っていた。その時は器だけでも、青くなりたかったのだ。
◇◇◇◇
結局鳴き真似も出来ずに私は黒いままだ。元々中身が違うのだから。私は青い鳥には出せない力強い啼き声が出せる。
そうオンリーワンと思って諦めることも一つの逃避だろうか。
「さて、今度は容れ物を探さないとな」
人間とは厄介なものだ。外見だ中身だと言いながら、それらは切り離せない。器が内実であり、中身が外殻である。だから形を失った魂は気体のようなもので、あまり長期間は留まれない。
「その辺の適当な物って訳にはいかないし、遺体はもうもたない。ホムンクルスは……80日も待っていられない。はは、いっそのこと人形にでも入れるか?」
器も存在の一環だからなるべくアリスに近いものが良かった。人形の様な容姿だったアリスなら意外と似合うかもしれない。背中から非難の視線を浴びた気がした。
とりあえずアリスの家に行ってみることにする。人形を見るのもあるが、何か遺した物があるかもしれないと思ったからだ。
「邪魔するぜ」
いつも返事を待たず入っていた家。だからいつも遅れて文句交じりの返事を聞いていた。だが、今度は返事が帰ってくることは無い。暗い家は実に寂しく物悲しかった。
主を失って長くは経っていない筈なのに、飾られた数多の人形も、棚に入った食器や調度品も、書架に並んだ書物も、全てが沈黙して世界に取り残された様だ。
「悪いな……アリスは連れて帰るから……」
アリスがよく連れていた人形に謝る。操り手が居ない今、これもタダの人形であるはずだが、そんなに割り切っては考えられない。それでも、アリスの魂をつれているせいか少しだけ喜んだように見えた。
「うーん……何もないか? 人形もどれもピンと来ないし……ん?」
その時小さな箱が視界に入った。ただの調度品かと思ったが違う。魔力を感じた。
「鍵穴は無いのに開かないな。壊したら意味ないし……」
力ずくで壊して中のものまで壊れては仕方が無い。箱だけ壊すなんて器用なことは私には出来ない。
物理的な錠がないのなら魔力的なものだろう。とすれば何かかかっている魔法を示す印があるはずだ。内側に印されている場合もあるが、開ける気があるのならどこかに魔力の鍵穴がある。
「解析は苦手なんだが……これは血の封印か?」
どこかで見た記憶のある刻印が目に留まった。いつだったかアリスが説明してくれた気がする。記憶を掘り起こしてどうにか思い出した。
特徴は術者の血があれば誰にでも開けられること、術者が死ねば弱体化すること。
「とはいえ、まだそんなに弱体化してないか。さて、アリスの血は……」
罪悪感を憶えつつ、遺体に傷を入れる。魂には謝ったが、アリスの事だ。全く気にしていないかもしれない。あまり残っていないのか血は僅かしか採れなかった。
それを封印に垂らし、手をかける。
「く……開かない?」
足りないのか? いや、それほど量は要らないはずだ。でなければ開けるたびに貧血になる。アリスの封印ではない? いや、感じる魔力はアリスのものだ。となると。
「血が古いのか」
まだそれほど日数が経っていないとはいえ、血の劣化は早い。術者も絶命しているから込められた魔力が弱いのだろう。
「いっそ無理やり解呪するか? いや、荒い解呪で中の物が壊れたらコトだし、せめて生前の血があれば……」
ふと、手を止める。そういえば、アリスは血を保存していたはずだ。血液は一定期間で生成されるから定期的に採って、研究に使用していた。
家の中をがさごそと探し回る。程なくしてソレは発見できた。
「血液の外周部だけ凍らせて卵の様に保存か。やっぱり器用だな」
解呪して箱を開ける。中に入っていたのは何かの破片だ。
「ガラス? いや、鏡か?」
ガラスは古来から冥府の象徴とされる。鏡に映る世界は死の国だ。鏡の国に行ったアリスは死を見るか。
そういえば、かつてはアリスは死の少女を名乗っていた覚えがある。ともすればこの鏡はアリスの世界ということか。
◆◆◆◆
あれは二度目の出会いだったろうか。幻想郷に現れた異空間。それがアリスの作った世界だと分かるのは最奥までたどり着いて、彼女の姿を見てからだった。
「やっと来たわね」
「!?」
驚いた。彼女はこれほどの力を持っていたのだろうか。いや、これだけの力を身につけたのだ。この短期間にそれだけの修練を積んだということか。
「今度こそ負けないわ」
彼女の目は強い光を湛えている。その手には身の丈に不釣合いな大きな本。彼女は究極の魔法だと言った。そして何か決意を込めた声だった。
「人には扱えない究極の魔法、嫌でも味あわせてあげるわ!」
彼女が魔法を放つ。開いた本から魔力があふれ出し、数多の弾となって私に襲い掛かった。
その魔法を見たとき、実に多彩だと思った。
散弾、狙い弾は当然として、空間を灼いて壁を作ったり反射弾を撃ったり、かとおもえばレーザーに誘導弾。
究極の魔法とはつまるところブレインであったか。
だが残念かな、今はその究極の魔法書に振り回されている。前に戦った時の様な人形や鏡はどうしたのだろう。
これだけ広大な空間を作り、強力な魔法を操る技量と集中力。魔力こそ魔道書のものだが、それだけの力を彼女が自分の領域で揮えば、あんな魔道書に頼らずとも十分強力なはずなのに。
「なんで、なんで殺せないっ!? あんたなんかに負けない力なのに……究極の魔法なのに! なんでよぉ!」
彼女が叫ぶ。その叫びさえも矢となり服を切り裂く。魔力の奔流に空間が歪み、伸ばした彼女の手から血が吹き出る。その身体は既に限界を超え、一部は灰になっていた。
彼女は死ぬつもりだろうか? 刺し違えるつもりなのか? ここに来て彼女の決意を悟る。
魔法は精神のロジックだ。魔法使いがクールでなければならないのは、魔法が精神に影響するからだ。彼女は激情に身を任せながらも、冷静に緻密に魔法を使っている。
「さすがにその魔法は使いこなせないかもね」
一人呟く。
私にはこの究極の魔法を操るだけの精神も技量も無い。そして覚悟も。
高々魔法を扱うだけの私には、魔法に命を賭し、全てを捧げる事は未だできそうになかった。
◇◇◇◇
鏡の破片に映る自分の目を見て思う。アリスの目は今も昔も変わらない。昔は力強くこっちを見つめていた。幻想郷に来てからのアリスは静かな湖のような目だった。だけど奥底にある青い炎のような視線はずっと変わらずに私を魅了する。
その時、突然目の前に夜が現れた。
「何しに来たんだ?」
「ご挨拶ね。そんなに冷たくされる事をした覚えは無いけど」
言わずと知れた大妖、八雲紫だ。妖怪の賢者と言われ、幻想郷の秩序を守っていると聞く。ついでに神出鬼没。
「で、一体何の用だ? まさかこのタイミングで宴会の誘いなんてこともあるまい」
「せっかちは嫌われるわよ? まぁ、忠告をね。いかに人妖跋扈してとんでもない能力があちこちで見られる幻想郷でも、死者を蘇らせるのはご法度」
「そんなの……」
「もし強行したら私だけじゃなく、閻魔や冥界、自然の理を乱したとして天狗や鬼までもを敵に回すでしょう。そうなればあなたもその子も殺されるわよ?」
「…………」
滔々と説く紫。その内容は恐らく正しいのだろう。冗談は言っても嘘を吐くような妖怪ではない。
「一つ聞きたい」
「何?」
「アリスを殺したのはお前か?」
「違うわ。あの子がアレに殺されてしまったのは不幸な事故だけれど、私は決してアレを故意に呼び込んだわけじゃない」
「……そうか」
「まぁ色々入ってくるのはそういう仕様だから仕方ないわ。そうね、幻想郷はちょうどこれみたいな物よ」
そう言って目の前にいくつもの光を灯す。その光は明滅を繰り返し、蠢き、まるで微生物の脈動のようだった。
「なんだこれ?」
「ライフゲームって言うの。一つ一つの光はたった3つの規則で明滅してるわ。隣に光がいくつ有るかだけの、微生物以下の実に単純な規則。過密や過疎なら消えて、適量なら灯る。でもまとめて見ると、まるで生きてるみたいでしょう?」
「ただのノイズじゃないか」
「あら、侮っちゃいけないわ。この明滅だけで計算だって出来る。組み合わせ次第じゃ弾幕も張れるし、月までロケットをナビゲートできる。ライフゲーム自身をシミュレートだってできるのよ」
紫が手を振ると光が並びを代え、再び明滅を始める。光は寄り集まり、かと思えば霧散し、大きく見れば確かに光の塊が一つの光に見えるライフゲーム自身だ。
システム自体が、マトリョーシカのような入れ子構造。
「この光達は、自律してるのかしらね?」
「さあな。でも私にはしてないように見えるぜ」
「なぜ?」
「最初の配置次第で、決められた結果しか出さないからな」
「でも、人間だって似たようなものじゃない。要素一つ一つの動作は至極単純。それが人というシステムを作り、人が社会というシステムを作る」
光の明滅は、人間の里の夜景に見えた。では私たちは露西亜人形の殻の一員ということか? なら一番外の殻は幻想郷? それとも……。
「じゃあおまえは人間も、幻想郷も、最初の配置次第で決まった行動しか取らないっていうのか? 神はサイコロを振らないって? 知らないのか、神はサイコロを振るんだぜ」
「ノンノン、神はサイコロを振るかどうか『わからない』のよ。それに、マクスウェルのデモンはとっくに幻想入りよ?」
「…………」
「問題は、神がどんな配置で始めたのか。でもそれも些細な問題ね」
紫が再度手を振ると、光がさらに集まりあたりを煌々と照らす。そして次の瞬間に全ての光が消えた。
「話が逸れたわ。過密だと光は消えてしまう。幻想郷は少々過密なの。だから死ぬものも現れる。あの子みたいにね。それは自然の摂理」
「それなら……私はどうすればいいんだ? 黙って見ていろと?」
「だからせっかちは嫌われるわよ。私は幻想郷では許さないと言っただけ」
そう言って紫は近寄ってきて私の手を取る。そしてそのまま手を私の目線の高さまで持ってきた。
「行ってらっしゃい」
目の前には鏡の破片。そこに映るのは自分の瞳。瞳に映るさらに小さな自分と見つめ合って。
「わかった、行ってくるぜ」
◆◆◆◆
彼女を助けるのに余裕があったわけじゃない。霊夢に協力を仰いだくらいだ。
それでもこんな所で死なせるには惜しかった。こんな自分のために殺すのは忍びなかった。いや、そんな理由など関係なく何より彼女を死なせたくなかった。
「は……なんで、こうなっちゃったかなぁ」
地に寝転がって一人ごちる。
自分の胸には青い服の少女が気を失って眠っていた。服はボロボロに破れ、体中を傷や火傷の痕が痛々しく染め上げている。
なんでこんなことになってしまったのだろうか。別に自分は彼女をこれほど追い詰めるつもりはなかった。単に行く手を阻む者として撃っただけだ。
『たいした魔法も使えないくせに』
確かに私は未熟だったし、それを自覚してもいた。しかし鏡に映った私が私を嘲笑っているようで、撃たずにはいられなかった。
今思えば、鏡を壊してしまったのは悪かったと思う。人形も鏡も大事なものだったはずだ。鏡は女の命だったか。鏡に映ったのは私。ならその命はアリスのものか私のものか。
だが私を睨む彼女の目は、壊した鏡よりも鮮やかに私を映す。私はそれも壊したくて魔砲で抉った。
『精進しなさい』
私のその言葉どおり彼女は精進し、私は精進しなかった。対峙した彼女は、あの時と同じ目で彼女は私を見つめていた。
だが、あれほど壊したかったその鏡のような目も、離れれば愛しく手放しがたい。目を閉じれば思い出されるその瞳。ここで閉じさせたくはなかった。
「うう……」
腕の中の彼女が呻く。気がつく前に立ち去りたい。今の私を、あの目で見られるのは嫌だった。彼女の涙を舐め取って飛び去る。
あの鏡は魔法を跳ね返した。あの時、私が撃った恋の魔砲にかかったのは彼女か……それとも私か。
◇◇◇◆
彼女の目が私を見つめるたび、私はずっと胸を抉られる様な感情に捉われた。私は未だ未熟だ。
だから正面からは見られずに、いつも背中を向けていた。その視線は背中で感じるくらいがちょうどいい。
「ずいぶんと寂しくなったな」
鏡を抜けた先はまさに廃墟と言っていい空間だった。
元・魔界。だが栄華を誇った魔界の面影も今はない。魔界人は一人もおらず、空は昏く、荒れた地と崩れた家屋が侘しさを強調している。しかしどこか美しくもあった。
滅びは忌避されるべきものなのに、なぜ人は滅びに美を感じるのだろう。自殺願望の一つか? 滅びを見ることで自分の生を再確認するためか?
いや、とかぶりを振る。きっとそれこそが安定だからだ。高エントロピーだからだ。最後に行き着く形であり、理想の形だからだ。
「本当に?」
「久しぶりだな」
神綺はその荒廃の中に居た。何をするでもなく、自然に。ここがもし人間の里だったら彼女が魔界神であるとは誰も気がつかなかっただろう。今はかつての威圧感も無く、本当にただの少女に見えた。
「熱量死が最後なんて、所詮は停止した世界の話」
「ここは、荒廃してるみたいだが?」
「でも、あなたたちが来たでしょう?」
そう言って神綺が微笑む。
「たち? アリスが見えてるのか?」
「こんななりでも元創造神よ。今や見る影も無いけれど」
「いや、お前は今でも創造神だろう?」
「今はもう何も創ってないもの」
だからこそのこの荒廃なのだろう。しかし神が何も創らなくても、社会が作るはずだ。神の手を離れたオートマトンが。彼らはどこへ行ったのか。
「魔界人たちは?」
「みんな朽ちるか、外へ行ったわ。帰ってきたのは今その子だけ」
神綺の顔は嬉しいでもなく、寂しいでもない、特に感情を映していなかった。その顔はどこかアリスを髣髴とさせる。
「ところで、こんな寂れた場所に何をしに?」
「あ、ああ。アリスの体を……器を創ってもらおうと思ってな」
すると神綺は眉をひそめた。それだけで答えが芳しくないことが分かる。だがここで引き下がるわけにはいかない。
「さっきも言ったけれど、私はもう何も創ってはいないわ」
「それを承知で言ってるんだ。創れないわけじゃないんだろ?」
「んー……」
「頼むよ。このとおりだ。そのために死ぬ気で魂までさらってきたんだ。何なら私の命だって渡しても良い」
必死で頭を下げる。力ずくでどうにかなる問題じゃない。たとえ力を以って討ち倒しても、今回は得られるものは何も無いのだから。
「あなたの想いは分かったけど、そっちの子はどうかしら?」
「う……」
確かに、これは全部自分の意思だ。前みたいにアリスを振り回して迷惑をかけているだけかもしれない。それでも。
「それでも、たとえそれが自分勝手な望みでも、頼みたいんだ。このままアリスが消えるなんて悲しすぎる。二度とアリスに会えないなんて寂しすぎる」
パワーの私は回りくどく説くことなんてしない。言葉だって正面突破。頭だってなんだって下げてやる。だけど、涙がこぼれてきた。
「アリスがいたから、ここまで来れたんだ。アリスの心に私が居なくても、私にはアリスが居ないとだめなんだ。アリスの方が聡いし寿命だって長かったはず。無鉄砲で人間の私のほうが先に死ぬと思ってたのに、急に居なくなるなんて……そんな話無いじゃないか!」
少しの間、沈黙が支配する。やがて神綺が口を開いた。
「……ふふ、冗談よ。大丈夫、ちゃんとあなたとその子は赤い糸で繋がってるから」
「あ、赤い糸?」
「赤い糸の赤は血の色の赤。絆は血で購うもの。それにしても、ずいぶんと呪いがかって……縁が深いようね」
「そうか……」
繋がっている。その言葉だけでどこか安堵した。
「いいわ。その絆に免じて創ってあげる。創ったものに神が干渉するのは少々反則だけどね」
「本当か!」
「ええ、嘘は言わないわ」
「ありがとう……そ、そうだ、身体! 遺体は……だいぶ欠けてるけど」
「必要ないわ。魂は身体の分身。魂に合う形を創ればそれがそのまま身体よ」
そして神綺が詠唱をはじめ、周囲が光に包まれた。それは息を呑むような美しさで、さっき紫が見せた光を思い出させる。
ふと気になって神綺に話しかけた。
「一つ聞いてもいいか」
「なに?」
「答えは出たのか?」
そう訊ねると神綺は困ったような顔をした。それを見て自分の過ちを知る。こんなこと訊かずとも分かるのに。
「いや、愚問だったな。悪い」
「気にしないで」
神綺がさらに力を込めるのが分かった。神綺は表情こそ特に変化を見せないが、少し汗をかき、皮膚も僅かながら崩れている。やはり弱ってはいるのだろう。
「結局私にできるのはこの程度ね」
「でも、こうして本物の魔法を見せてくれるじゃないか」
これは力も智も美しさも全て兼ね備えた魔法だ。そして、望みを叶えられる本物の魔法。
光はますます強くなり、やがて視界全てを覆った。
◆
◇◇
◆◇◆◇
◆ Which Dreamed It?
二人は互いに想っていた。互いを欲しいと望み、互いを目指した。だけど、二人とも互いのことを夢だと思っていた。
◆◆◇◇
「行かないのか?」
魔理沙がアリスの顔を覗き込んで訊く。その顔の後ろには開いた扉。
だがアリスの足は動こうとしなかった。
「行かないわ。こんな所であんたと別れるのは嫌だもの」
「はは、おまえの口からそんな言葉が聞けるなんてな」
「だって……」
そこでアリスは口ごもる。続ける言葉が見つからなかったのだろう。考えるより先に、別れたくなかったのだ。今別れてはいけない、そう感じたに違いない。
「仕方ないな。一緒に行ってやるよ」
魔理沙はそう言うと、アリスの手を取った。
突然の行動にアリスは戸惑う。
「え? でも……」
「私だって別れたくないからな。それにアリスと一緒なら地獄だって行ける」
それだけ言うと魔理沙はプイと後ろを向いてしまった。だからアリスからは魔理沙の表情はうかがい知れなかったが、手はしっかりと繋いだままで……。
その手に引かれ、アリスは扉の向こう側へ行った。
◇◇◆◆
「ア……リス……アリス!」
誰かが呼んでいる。
そう、泥の中にいるような緩慢な思考でアリスは思った。
いや、誰かではない。これは紛れも無い魔理沙の声だ。
そんな緩慢で鈍い思考でも、そのことに対してだけは俊敏に反応する。
その声に呼応するかのように、なぜだかむやみと重たい瞼をアリスはこじ開けた。
「なんて顔……してんのよ」
「アリス……? よかった……!」
アリスの視界いっぱいに広がるのは、涙があふれている大きな黄色い目。その目がさらに近づいたかと思うと、アリスは魔理沙に抱きしめられていた。
アリスの耳元で魔理沙が囁く。
「アリス……もう先に行ったりなんかしないでくれ。私は側に居るから。いや、側に居させてくれ」
「魔理沙……?」
アリスはその状況に戸惑いを隠しきれなかった。まだ記憶があいまいでなぜこうなっているのか分からない。だがそれでも魔理沙を抱き返す。
やがてジグソーパズルのピースを嵌めるように、死ぬ直前の記憶や霊体の間の記憶が思い出される。もっとも、霊体時の記憶は肉体が無かったせいか、本当におぼろげな物でしかなかった。
しばらくお互いを確かめ合ってから、アリスが口を開く。
「これからどうする?」
「当然、そこまで考えてないぜ」
「まあそうよね」
「幻想郷は殺されるって紫が言ってたし、ココは……」
魔理沙が周囲を見渡す。それに答えたのは神綺だった。
「人間が住めるようなとこじゃないわよ?」
「うーん、アダムとイブみたいで良いかと思ったんだが……」
「どこが良いのよ?」
ぽりぽりと頭をかく魔理沙。相変わらずよく分からないところに魅力を感じるやつだ、とアリスは思う。
「私だけこっちに残るとか。魔理沙だけなら戻っても……」
「そんなすぐに言ったセリフを反故にできるか!」
「側に居るって? 本気だったのね」
「当たり前だ」
魔理沙は機嫌を損ねたように頬を膨らませるが、アリスはどこか嬉しそうだった。
だが悩みは依然解決しない。
そこに現れたのはやはり夜だった。昏い空よりさらに暗い夜。虚空を切り取ったように現れたその夜から姿を見せる金の髪。八雲紫が割って入り、口を開く。
「なら、二人で幻想郷に戻ってきたら?」
「んな!?」
「何か問題でも?」
「だってお前が……」
「二人幻想郷から消えて、新しい二人が幻想郷に入るだけよ。つまりこういうことね。『初めまして』霧雨魔理沙、アリス・マーガトロイド」
わざとらしく口に出しつつ、スカートの裾をつまんで軽くお辞儀をする紫。
「ねぇ、それでいいの?」
「幻想郷は拒んだりしませんわ」
相変わらず飄々として掴み所が無い妖怪である。だが本来ならば放っておいてもいいはずの二人をわざわざ引き取りに来たのだ。魔理沙を魔界に送った責任か、それともアリスが死んでしまったことを気に病んでいたのか。真意のほどは分からないが、特に悪意は感じられず、善意の申し出のようだった。
だが不安要素はまだある。それに気付いた魔理沙が指摘した。
「だけど……その、幻想郷は過密なんだろ? 戻っても同じ目に遭うのはごめんだぜ」
「確かに少々過密気味ではあるけれど、限界なわけではないわ。最近は月などに分散させる試みもやっている。次に消えるのはあなたかもしれないし、私かもしれない。誰も消えないかもしれない。だけど、いずれにしろもうしばらくは保つわね」
そこまで言ってから、紫は神綺に向き直る。紫は神綺に頭を下げると、申し訳なさそうに口を開いた。
「せっかく戻ってきたのに、また連れ出しちゃってごめんなさいね」
「いいわ。そういう運命でしょう。この身体が戻ってきただけでも十分」
神綺は、すでに半壊し、あの壊れたアリスの人形を思わせるアリスの遺体の側に寄る。その崩れた身体を見る神綺は誰かに思いを馳せている様子で、それ以上何も語らなかった。
周囲は静寂に包まれる。その静寂の中でアリスは魔理沙に少しだけ寄り、横から顔を見る。
アリスは魔理沙の目に溜まった涙を指で拭い、口に運んだ。その光景に、魔理沙が驚きの表情を見せる。
「!?」
「乙女の涙には魔力が宿る。これで魔理沙の魔力は私と共にあるわね」
魔理沙が口をぱくぱくとさせる。その様子は水槽の金魚か、呼吸困難にでもなったか、といわんばかりだ。
「そういえば、まださっきのプロポーズの返事をしてなかったわ」
「プ、プロ? ……っ!」
その単語を聞いて初めて、魔理沙は自分のセリフの意味に気がついたらしい。自分で言った言葉のはずなのに自分で赤面している。
「な、無しだ! さっきのセリフ無し!」
「あら、もう反故にするの? さっき反故にしないって言ったばかりなのに」
「むぐ……!」
それを見て、アリスは微笑みながら魔理沙に何事かを囁く。
その言葉に、魔理沙はしばし固まっていたが、やがて泣き出してしまった。アリスの胸で。
アリスはその涙をもう一すくいだけ、舐め取った。
「さてお二方。そろそろお暇するわよ」
「わかった」「ええ」
紫の言葉に、魔理沙とアリスの二人が同時に返事を返す。その二人の様子に、紫は妖艶ともいえる笑みを浮かべて言い放った。
「では改めて」
『幻想郷にようこそ』
そして、まず紫が姿を消す。
残された二人は、一度神綺の方を振り返り、その後しばし互いを見つめて微笑み。
最後に二人は手を取り合って握り、星の瞬く闇の中へと進んで……やがて紛れて見えなくなった。
◇ ◆
神綺は一人、残された隙間の宇宙を見つめる。
この魔界も、幻想郷も、あの星々の瞬きの一つに過ぎないのだろう。あの妖怪がどこまで把握しているのかは分からないが、きっと幻想郷も一つではないはずだ。
闇の間隙が徐々に細くなり、やがて一本の線となって完全に消えた。
後には沈黙する少女と語らない身体。
神綺はその遺体の手を握り、一人考える。
彼女たちはこれからどうなるだろう? また幻想郷からあぶれるかもしれない。
しかしあの二人なら再び何処かで生き延びるに違いない。何処へ行こうとも、魔理沙が引っ張っていくだろう。遺体を見て過去を想う。
アリスは自律人形を作るだろう。そしてやがては神と呼ばれるかもしれない。私のように。
マトリョーシカは中の人形を創り、やがて中の人形は外に出て新たな人形を創る。彼らは自分の分身を求めてやまない。何のために? それを知るために。
────人形の夢は終わらない。
◆◆◆ ◆◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◇ Next Dream...
先が気になってすらすら読めましたが少し設定に懲りすぎて途中であれ?ってなる部分が多々あったかもしれません
読み返せばOkなんですがね
旧作はWikiなどでしか知りませんが、そんな私でも楽しめました。
魔理沙とアリスの想いや、互いの在り方に追いつきたいという考えなど
読み応えも十分あったと思います。
誤字・脱字の報告
>それ以来私は、彼女追いかけ続けていた気がする。
これは冒頭の部分ですけど、正しくは『彼女を追いかけ続け』ですよ。
>あの上司の下に使えているからだろうか、
『使える』ではなく、『仕える』です。
早い→速い
「アリスと魔理沙はお互いに憧れとコンプレックスを持っている」という作者氏が設定した
『前提条件』が影響しすぎているように見えます。
例えば、アリスに言われて魔理沙がアーティフルサクリファイスを使う場面がありますけど、
種族魔法使いのアリスが使うよりも高い威力を発揮するとか、流石に無いんじゃないかと。
あちこちにそういう違和感を覚えて、話に入り込めないものがありました。
また、死んだアリスを甦らせる為に魔理沙が奔走する箇所ですが、「自分の望むものは自分で
手に入れるのが信条」と言いつつ、実際にやっていることは他人頼みばかりというのが……。
別に、魔理沙に自力で死者を復活させろというのではなく、誰かの力を借りるにしても小町の
時のように「試練を乗り越えた見返りに」という形であれば、まだ納得できたと思うのですが。
次回作が楽しみだ!!
次はもっと甘いのを期待してるw
実在する神は実在する限り神足りえる事はないんだろう。
悩みは尽きないね
もうこれしか言えません!!!
次回作も期待します!!
そして、貴方はマリアリを書く才能を持っている。
それを是非これからも活かして欲しい。