「魂魄妖夢には何が足りないのか?」
※本作品はフィクションです。実在するゲーマー、学生、おまいらとは何ら関係ございません。
「霊夢、面白い話があるんだけど」
「やだ」
「まだ何も言ってないじゃない!」
「嫌な予感がする」
ある冬の昼下がり、スキマから笑顔をのぞかせた紫に対し、霊夢はにべもなく答えた。
紫はスキマから全身を出すと、霊夢の後ろに回り込んで、耳元にフッと息を吹きかけた。
「きゃうんっ!?」
霊夢は思わず声を上げ、それが自分でも予想した以上に艶っぽかったことに焦り、顔を茹でダコのようにした。
紫は妖艶な笑みを浮かべて、霊夢のへその辺りをさすりながら抱きしめる。
「ねえ、霊夢ぅ……私の話、聞いてくれない?」
「近い近い、顔近い! わかった、話聞くから絡みついてくるな!」
紫が耳元で囁きかける。霊夢は両手でその顔を押しのけた。
すると紫は手をどけて、冗談よ冗談、と笑ってみせた。
自分がおちょくられていたのだと認識して、霊夢は再び赤くなる。
この年齢差から来る、どうにも埋めがたい余裕の差が悔しい。
ひとしきり霊夢の顔色の変化を楽しむと、紫はコホンと咳払いをした。
「霊夢、神降ろしの儀式ってあるでしょう?」
「うん」
「あれを人間や妖怪相手に使ってみない?」
「……はいぃ?」
「外の世界には修羅や伝承者と呼ばれる、強者たちがひしめいている。
彼らの魂の力を借りて、私たちの弾幕力をアップさせるの。極端な話、スペルカードを常時発動なんてことも可能よ」
「待て待て待て、ちょっと待て!」
霊夢は露骨に顔を引き攣らせた。
古今東西、どんなに良かれと思ってなされたものでも、この手の提案が上手くいった試しはない。
しかし紫は意に介さず、懐から古めかしい巻き物を取り出した。
「詳しい方法は、ここに書いてあるわ。さあ、やって」
「やらないって言ったでしょう!?」
「あら。じゃあ弾幕力が上がらなくてもいいの?」
紫は扇子で口元を隠しながら、意味ありげに笑った。
「もし――仮にだけれど、この儀式に風祝の巫女が気付いてしまったら?
外の世界のことは彼女たちのほうが圧倒的に詳しいわ。あっという間に弾幕力が上がるでしょうね」
「ぐっ!」
「ただでさえ最近、守矢神社に信仰心を奪われてるんでしょう? いいの?」
霊夢は痛いところを突かれ、眉根を寄せて視線を逸らした。
先日の大みそか。神社の境内で開いた縁日のことを思い出したからである。
集まった屋台の主は皆、妖怪。訪れる客も皆、妖怪。
付近の村人から「博麗神社は妖怪に乗っ取られたらしい」と噂され、否定するのに随分と時間をくった。
紫は、さらに追い打ちをかける。
「信仰が集まればお布施も入る。どう? 悪い話じゃないと思うけど」
「あのー、すみませ~ん……」
「ん?」
話の腰を折る形で、石段の下から少女の声が響いてきた。
よいしょ、と上がってきたのはセミロングの銀髪に、黒い大きなリボンを巻いた少女。
半人半霊の庭師、魂魄妖夢であった。
「ああ、紫様、こちらにおいででしたか。幽々子様がご一緒に食事を、と仰っています」
「霊夢。ちょうどいいところに実験台が来たわ」
「ええ、そうね」
紫は扇子をパチンと閉じて、大輪の華のような笑顔を作った。
霊夢ものんびりした普段の顔から、獲物を狩るライオンの目つきへと変化する。
「……え?」
二匹の猛獣に睨まれて、哀れな子羊はすくみあがった。
「――数多の神々に勧請したてまつる……」
「なっ、なんですかコレは!? 今すぐこの縄をほどいてください!」
それからしばし。二人は妖夢を縛り付け、神降ろしの儀式を始めていた。
準備に手間取ったので、時間は既に夜になっている。
これで妖夢が強化されればそれで良し、仮に失敗しても困るのは白玉楼サイドという、完璧な計画である。
「計画である、じゃないですよ! 夕飯のお誘いに来ただけで、どうしてこんなことに……
あーん、幽々子さまー! 助けてくださーい!」
妖夢はかろうじて自由が効く足をジタバタさせて抵抗する。
しかし、それで己を縛る縄がほどけるわけでもない。
祈祷は続き、やがて霊夢の術が完成した。
「はァッ!!」
「きゃあっ!!」
霊夢の気合のこもった掛け声に、ビクンと首をすくめる妖夢。
……
…………
……………………
1分が経ち、2分が経ち、3分が経ったが変化は無い。
どこか遠くで、流れ星がキラリと刹那の輝きを放って消えた。
「妖夢。アンタ何か変わった?」
「……? え? えーと?」
「紫、これどう思う?」
霊夢が渋い顔をして振り返ると、既に紫の姿は無かった。
よく見ると小さなメモ用紙に『ごめんなさいね』と、申し訳程度の書き置きがなされていた。
「あいつ! 失敗したからって逃げたわね!」
「……あの、私なんで縛られてるんですか? ほどいてほしいんですけど」
歯ぎしりする霊夢の後ろで、妖夢が所在なさげに呟いた。
※ ※ ※
紫が再び霊夢の元を訪れたのは、二か月ほど経ってからだった。
「霊夢、神降ろしをやるわよ」
「ええー、またぁ?」
紫は優雅な彼女にしては珍しく、きびきびと動いた。
スキマから巻き物、魔術書、水晶に頭蓋骨といったアイテムを取り出しては、並べていく。
「今度は魔理沙にも保佐させるわ。魔術的な支援も入れて、完璧な神降ろしを行うの」
「なんでそんなこと……」
「その必要があるからよ」
最後にスキマから引っ張り出されたのは、白黒の服を着たブロンドの少女、霧雨魔理沙だった。
弾幕勝負に敗れて連れてこられたのか、あちこち服がボロボロである。
彼女は霊夢と目が合うと、恨みがましい視線を向けてきた。
「霊夢、これは何なんだぜ?」
「私のほうが知りたいわよ」
「さあさ、二人とも準備して。今日中に神降ろしを行うわよ」
「何をそんなにカリカリしてるのよ?」
「いいから、急いで。お願いだから力を貸して」
霊夢と魔理沙は、思わず顔を見合わせた。
「紫、アンタ今……」
「お願いって言ったよな? どうしちまったんだ、らしくないぜ」
「私を何だと思ってるの。お願いくらいすることもあるわよ」
さ、早く。そう告げて紫は巻き物と魔道書を二人に手渡した。
「大体の手順は分かった?」
「ああ。まず魅了の魔術をかけた上で、気合いを入れて神降ろしを行うんだな」
「気合いかぁ……いきなりで入るかしら?」
霊夢は肩をコキッと鳴らして、気合い気合い、と呟いた。
「さ、依り代にこれを使って」
「ん゛ーっ! ん゛っ、んん゛ーっ!!」
スキマから取り出されたのは、縛りあげられ、猿ぐつわを咬まされたチルノであった。
「あら、依り代が妖精なんかでいいの?」
「いいのよ。上手く行きすぎて強化されすぎても、失敗しすぎて命に関わっても、妖精ならノーリスクで済むもの」
「それもそうね」
「ん゛ーっ!?」
霊夢と魔理沙は、迷うことなくチルノを使った神降ろしの儀式を始めた。
「――数多の神々に勧請したてまつる……」
霊夢の祈祷が続く。既に魔理沙は役目を終え、魅了の魔法をチルノにかけてある。
その効果か、チルノはぐったりと目を閉じ、反抗するそぶりも見せない。
「あのぅ、紫様……」
「ん、来たわね」
「おっ?」
後ろから、おそるおそると言った感じでかけられた声に、魔理沙は振り向いた。
そこには魂魄妖夢がいた。なんだか緊張した面持ちで、下を向いてモゴモゴ言っている。
「幽々子様の命で参りました。あの、私に御用とは……?」
「今から頼むわ。もう少し待って」
はい、と答えて妖夢はそのまま立っている。
その間に、霊夢の祈祷はクライマックスを迎えていた。
「はァッ!!」
霊夢の気合いの入った掛け声と共に、チルノがびくん、と体を震わせる。
紫はチルノに近づくと、猿ぐつわを外してやった。
「ほら、起きなさい」
「ん……」
チルノは何度か瞬きをすると、まだ眠たそうなまぶたを開けた。
その耳元で、紫が囁く。
「さあ、皆。入ってきていいわよ」
「皆……?」
次の瞬間。いくつもの流れ星が幻想郷に降り注いだ!
その明るさたるや、昼間だというのに見えるほどである。
泡を食った霊夢が、くってかかった。
「ちょっと紫! アンタ何したのよ!」
「妖精は自然の象徴。それに神を降ろしたならば、軽く境界をいじるだけで、自然を介して大量の神を招くことができる。
少し考えればわかることだから、貴女たちも気づいててやってると思ったんだけど」
「わかるか、そんなこと!」
「……ん? なんだこれ?」
ギャイギャイと言い合う霊夢たちをよそに、チルノは自分の体を不思議そうに見下ろした。
その声は、普段の威勢の良い子供のような声ではなく、落ちついた青年のような声だった。
「なんだこれ? 俺の体が縮んでるぞ?」
※ ※ ※
目を開けた俺はパニックを起こした。
大学から帰ってきて、部屋で寝たはずだった。
それが、いつの間にか自分の体が縮んでいる。それだけではない、手は小さく丸くなって、桜貝のような綺麗な爪が生えそろっている。
洋服も普段来ているユニクロではない、青と白のワンピースだ。
大きく開いた裾からは、白くて細い足がにょっきり生えている。
まるで、これじゃ少女の体じゃないか……!
と、頭の上で声がした。
「あら、気が付いたわね。ようこそ幻想郷へ、外の世界の神様」
「神様……? 幻想郷!? 一体何を言ってるんだ?」
顔を上げた俺は、いよいよ自分の正気を疑った。
そこにはゲームの中で見知った顔が並んでいたからだ。
「八雲紫……霊夢に魔理沙、妖夢まで……!」
「初めまして、神様。貴方は幻想郷に召喚されたの。ただし、名前の無い状態でね」
その言葉に、俺の頭は沸騰した。
だってそうだろう、誰だって異世界に召喚される夢を見る。
だが、それが現実になるなど、まして少女の体に召喚されるなど想像できようはずがない。
と、霊夢が横から口を挟んだ。
「名前が無い状態ってどういうこと?」
「意識がチルノと一体化しちゃってるのよ。少なくとも外の世界に帰るまで、自分の名前を思い出すことは無いわね」
俺は再び絶句した。
「チルノ……? え、俺チルノになっちゃったの?」
「ええ」
「なんでアリスさんじゃないんだよー! どうせならアリスさんの体に入りたかったー!」
「入って何をする気だったのよ……」
「不潔です……」
霊夢と妖夢が、軽蔑した視線を送ってくる。
しまった、今のは失言だった。俺は現実だけでなく、幻想郷でも女の子にバカにされるのか?
そう思うと、ひどく悲しくなってきた。切ないのは現実だけで十分だ。
「それより紫、大量の神が招かれたって言ったわね」
「ええ、言ったわ」
「それってまさか、チルノの他にも神に憑依された連中がいるってこと?」
「おっぱい!」
その問いに応えたのは、紫ではなかった。遥か頭上で、誰かが何かを叫んでいる。
俺たちは頭上を見上げた。
そこには、美しき緋色の衣が風になびいて浮かんでいた。
「あれは、永江衣玖!?」
「衣玖ね。でも今、変なこと言わなかった?」
「おっぱい!」
衣玖はスイーと降りてくると、フィーバーのポーズでこう叫んだ。
「誰か対戦しましょう!」
「対戦って……」
「なんだか様子が変だぜ」
すると衣玖はスイーと飛び上がり、
「不人気……」
と言い残して、どこかへ飛んで行った。
「諦めるの早っ!」
「ちょっと紫、今のって……」
「ええ、予定通り、幻想郷の主だった住人に神様の意識が根付いたようね」
「ふざけんなあああああ!!!」
霊夢は紫の襟首を掴んで、ゆっさゆっさと揺さぶり始めた。
「まさかとは思うけど『これ異変だから解決してねー』とか言うんじゃないでしょうね!?」
「あら、当たりよ霊夢。おかしくなった連中を力づくで集めてきて、映姫の所へ連れて行って頂戴」
「はあ!? なんでそんなことを!?」
「映姫の白黒はっきりさせる程度の能力で、憑依を解除させるのよ。
本来なら私が行くべきなんだろうけど、あいつとは相性が悪いから行きたくないの。だから霊夢が代わりに、ね☆」
「そうだなー、霊夢は行くべきだろうなー」
ニヤけながら魔理沙が言う。
「何しろ、この異変を起こしたのは霊夢本人だからな。
巫女が異変を解決しないなんて、人として恥ずかしいぜ」
「アンタも同罪だろうがああああああ!!」
霊夢は魔理沙を怒鳴りつけると、空中へと飛び上がった。
「ああもう、わかったわよ! 私がやればいいんでしょう、行ってくるわ!」
「おおい、待てよ。私も行くぜ、面白そうだし」
霊夢と魔理沙、紅白と白黒の影はあっという間に見えなくなった。
後には俺と紫、そしてさっきから黙ったままの妖夢が残された。
「ええと、俺はどうすればいいんだ?」
「とりあえず先に映姫の所へ行ってて頂戴。妖夢!」
「は、はいっ!」
「チルノだけじゃ不安だから、貴女が護衛をしてあげて。幽々子には話を通してあるわ」
「え、私なんかで大丈夫でしょうか……?」
「大丈夫よ。信頼してるって幽々子が言ってたわ」
「幽々子様が!?」
その途端、妖夢は瞳を輝かせた。
「チルノさん、聞いてください」
「えっ、何?」
「私、幽々子様に半人前だとしか思われてないんです。本当は半人と半霊で一人前のはずなんですけど、未だに私の腕を信頼しておられない御様子で……
今朝も私の顔を見るなり仰るんです。『妖夢、貴女って何か欠けてるのよね』って。
私はそれが悲しくて悲しくて、剣の腕が足りませんか、料理の腕が足りませんかって聞いたんです。そうしたら幽々子様、
『そんなことじゃないの。でも何か――そう、魂のようなものが欠けているのよね』と仰るんです。
だからもう幽々子様は私に失望してしまわれたんじゃないかと思って、不安で不安で仕方なかったんです。
でもこれで大丈夫ですよね、だって私は幽々子様に護衛の腕を買われるぐらい信頼されたのですから!」
「えっ、はあ、うん……」
顔にツバがかかる。一気にまくしたてられたので、半分以上は聞きとれなかった。
とりあえず、俺は妖夢が怖くなって、ちょっと後ずさった。
芝居小屋の舞台裏を覗いて、スッピンの役者さんを見てしまったようなガッカリ感だった。
ゲームの中にも現実があって、皆それぞれに大変らしい。
※ ※ ※
俺と妖夢、二人の道中はすぐ三人に増えた。
どこかへ飛んで行ったはずの衣玖が、空から戻ってきたからである。
「絶望した……」
そう呟く衣玖の顔には精気が無かった。
「絶望って何だよ」
俺はおそるおそる衣玖に声をかけた。
すっかり自己紹介が遅くなったが、現実の俺はどこにでもいる大学生。
ゲームの腕前は人並みと言ったところで、愛用するスペルカードも無く、空気としか言えないような存在だ。
趣味は東方全般と、ポップンミュージック。しかし最近では、どんどん腕が落ちているような気さえする。
そんな俺が、チルノごときに憑依したところで、衣玖の遊泳弾に勝てるとは思わなかった。
相手を刺激してはいけない。
すると衣玖は、
「美鈴のおっぱいがCカップしか無かった……」
と呟いて、そのまま地面に座り込んだ。
「幻想郷の女の子は平均でGカップ、最低でもDカップだと思ってたのに……
紫は美少女で貧乳だし、色々とガッカリだ……」
おいおい、のの字を書き始めてるよコイツ。
つか、どんな幻想郷を思い描いてたんだ気持ち悪い。
――と、ここで俺の頭に何かが閃いた。
「衣玖さん、キモいです」
「ちょ、ちょっと待てよ。な?」
妖夢が一言で切り捨てようとするのを、俺は押し留めた。
上手く説得できれば、衣玖を貴重な戦力として確保できるかも知れないと思ったからだ。
「衣玖さんよ、俺たちと一緒に映姫様の所へ行かないか?」
「映姫……?」
「そう、映姫様だよ! 実は映姫様は童顔にも関わらず、すごい巨乳でな!
Hカップは固いって、紫が言ってた!」
「マジで!?」
「嘘ばっか……」
衣玖が、ぱあっと顔を輝かせた。
背後の妖夢からは冷たい視線を感じるが、この際気にしてはいけない。
俺は衣玖の背中に手を回して、沈みゆく夕陽を指差した。
「さあ行こう、理想のロリ巨乳を求めて!」
「ジークおっぱい!」
すっかり復活した衣玖は、フィーバーポーズで賛同してくれた。
良かった、これで戦力が増えた。実力は未知数だが、俺よりは強いだろう。
と、どこからか鳥の声が聞こえてきた。
キーキーうるさいけど、鳥の声にしちゃおかしいような……?
妖夢も気付いたらしく、キョロキョロと辺りを見回している。
「何か声がしませんか?」
「うん、俺も聞こえる。なんだろう、この声……?」
やがて声は大きく、はっきりしてきた。
「イヤァァァァァ、助けてぇぇぇぇ!!」
「女の声!?」
俺と妖夢が臨戦態勢に入る。衣玖はフィーバーポーズで固まったままだ。
そして道の向こうから、未知の存在が姿を現した。
それは『レミリア・スカーレット』と呼ばれるべき存在だった。
だがしかし、その姿は俺の知るイメージとは遠くかけ離れていた。
「オラ、歩け雌豚!」
「誰か助けて! 助けてください!」
「……雲居、一輪?」
レミリアの右手には日傘、左手には紐が握られていた。紐の逆端は、一輪の鼻輪に繋がっている。
そう、一輪はなぜか鼻輪を付けられていた。
あまりにもシュールな光景に、俺は心底戦慄した。
「チルノさん」
「どうした妖夢」
「私、鼻が痛い……鼻からスパゲッティを啜らされているような、そんな気分です」
おいおい。
レミリアといい妖夢といい、鼻にトラウマでもあるのか?
幼児期のトイレトレーニングに失敗すると性癖に歪みが出るというが、これもその類なのか?
レミリアは俺たちに向かってこう言った。
「お前らも外の世界から来た口か?」
「ああ、そうだ」
「良かった、やっと話が通じる相手が出来たぜ。この辺にパチスロ無いか?
紅魔館の財産全部ぶちこんで、パチスロやりたいんだ」
「いや、現実に戻らないと無いと思うぞ……」
「そうか。じゃあ暇だから、妖夢の鼻にスパゲッティでも突っ込もう」
「話が繋がってねーよ! いや繋がってたけど、そうじゃなくて、ああもうやだこんな会話!」
俺は思わず突っ込んだ。
だが、心のどこかで安心もしていた。レミリアが正気でなくて良かった……
カリスマと呼ばれる存在が、素でこんなだったら失望するにも程がある。
レミリアが一輪の鼻輪につないだ紐から手を離した。一歩、こちらに歩み寄る。
「さあ、妖夢を寄越せ。さもなくばスカーレットデビルを叩きこむ」
「対戦!?」
急に衣玖が割り込んできた。目が爛々と輝いている。
「やんのか」
「なんだ貴様、そんなヘナチョコドリルで俺様と戦う気か?」
「衣玖さん頑張ってください!
私、幽々子様以外の人に鼻の穴処女を奪われるなんて嫌です!」
よく分からないことを言って応援する妖夢。
好きな人だからこそ鼻の穴処女とか捧げたくないだろ常識的に考えて。
まあ、そんなツッコミはさておき、かくして戦いの火蓋は切って落とされた――
――正直言って、すごい戦いだった。
衣玖が空中から、ぎりぎりの間合いで風をまとった袖をふるい、レミリアにダメージを与えようとする。
レミリアはそれを防ぎ、一瞬の隙をついて飛びかかると、後頭部へとナイフのような爪を振り下ろす。
だがしかし、それを衣玖は見切って、間合いをとって袖を打ち、レミリアを後方へと押し込んでいく。
それを防ぎながら、レミリアは反撃に移るタイミングを計っている。
と、衣玖が雷撃を放った隙に、目にもとまらぬ速さでレミリアが突進を繰り出した。
衣玖の体が跳ね飛ばされて宙を舞う。
だが空中で体勢を立て直し、素早い電撃の連打で反撃していく。
まさしく修羅の戦いだった。
俺のような一般人には、遠く及ばない世界の戦い。
衣玖を味方にしておいて良かった、とつくづく思う。
「あの……チルノさん」
「ん?」
振り返ると妖夢は虚ろな視線で何かブツブツと呟いていた。
「さっき幽々子様以外の人に処女をあげたくないって言いましたよね? 私、幽々子様が大好きなんです。
もちろん幽々子様は白玉楼の主ですから、お仕えするときからお慕いしておりましたが、最近どうも自分の気持ちが違うなって思うようになったんです。
はっきり言って愛してます。もう恋愛対象としてのめり込んでしまっているんです。
先日、その気持ちを打ち明けてみたら、幽々子様はお笑いになって『ありがとう、でも私たちは女同士だから結婚できないのよ?』と仰るんです。
『妖夢はまだ若いんだから、男の人と出会って、ちゃんと結婚するの。そうして子供が生まれたら、私はすごく嬉しいわ』って。
でもねチルノさん、私は男なんてまっぴらごめんなんです。幽々子様じゃなきゃダメなんです。
この気持ちを貫くためなら、一生独身で負け犬呼ばわりされようとも一向に構わないんです」
「いや、いいから逃げろよお前! 鼻にスパゲッティ詰められるぞ!?」
俺の方が焦って叫んだ。妖夢め、どこまでもズレていやがる。
「妖夢!」
衣玖が叫んだ。
「幽々子って、おっぱい?」
「はい、それは素敵なおっぱいをお持ちです」
「おっぱい!」
「ありがとうございます!」
衣玖は晴れやかな笑顔でサムズアップしてみせた。
妖夢も元気いっぱいのサムズアップで返す。
「お前、戦闘に集中しろよ!」
「隙あり!」
レミリアは地上を滑るように移動すると、大きなモーションで衣玖に足払いをかけた。
衣玖はそれをガードして、反撃に移る。
その瞬間だった。
「紅魔『スカーレットデビル』!」
「ぐあああああっ!」
「クロコダイーン!!」
衣玖は紅い十字架型のエネルギーに焼かれ、吹き飛ばされてしまった。
「まずは一人」
レミリアがにやりと笑う。そして、俺の方に向かって歩いてきた。
まずい。こんな化け物を相手にして、勝てる道理が無い。
どうする、こいつの狙いは妖夢だ。
なら、妖夢を置いて逃げてもいいんじゃないか?
そうしてしまえ、と俺の中の悪魔が囁く。
――お前と関係の無い女など、見捨てて逃げてしまえ。
――むしろ現実に戻る必要なんかないじゃないか。どうしてこんな旅を始めちゃったんだ?
悪魔の声はどんどん大きくなる。
違う、と俺の中で誰かが囁いた。
――幻想郷に来てまで、かっこ悪いところを晒すのか?
――現実に帰らなかったら、両親や友達が心配するんじゃないのか?
――お前は、男としてやるべきことをやったのか?
それは天使の声だった。
俺はその声の強さに、少しだけ戸惑った。自分の中に、こんな正義感が残っているとは思わなかったからだ。
でも迷ったのは「少し」だけだ。
ただの大学生にだって、強敵に立ち向かう勇気はある。俺はレミリアの前に立ちはだかった。
「やめろよ」
「あん?」
「お前も幻想郷が好きなら、この世界を荒らすんじゃない。俺と一緒に現実に帰ろうぜ」
するとレミリアはつまらなそうな顔をして、こう言った。
「お前こそ幻想郷が好きなら、やりたい放題やればいいだろう。
もっとも俺様は貴様のような乳臭い小娘になど興味は無いがな」
「妖夢だって十分乳臭いだろうがよ」
「貴様には俺の崇高なる趣味は分かるまい」
「一生わかんねーよ!!」
精一杯の虚勢を張る。
小さな握り拳を振り上げて、突っかかって行こうとしたときだった。
何かが俺の髪をかすめて、地面に激突した。一瞬遅れて、爆音と衝撃波が襲ってくる。
俺の目の前に、特大の火の玉が落下したのだ、と気付くのには更に数瞬を要した。
……うわ、前髪ちょっと溶けてるよ。
「…………」
空中から姿を現したのは紅魔館のメンバー、動かない大図書館パチュリーだった。
後から遅れて咲夜も姿を現わす。レミリアが、おおっと声を上げた。
俺の背中を冷や汗が滝のように流れ落ちた。
絶体絶命だった。紅魔館の主要メンバーがそろった今、俺たちに勝ち目は無くなった。
そんな気持ちを知ってか知らずか、レミリアがうきうきとした声を上げる。
「フッフッフ、お前ら丁度いい所に来た。おいメイド、この小娘を抑えておけ」
レミリアが、ニタァと笑いながら妖夢を指差した。ひっと声をあげて妖夢が俺の後ろに隠れる。
咲夜がギロリ、とこちらを見た。その視線の冷たさに、周囲の温度が二~三度下がったような錯覚を受けた。
まるで俺たちに関心が無い、そんな目だった。
無関心ほど怖いものはない、と俺はよく知っている。小学生の頃、いじめられた経験があるからだ。
いや、そんなことはどうでもいい。咲夜は、フンと鼻を鳴らすと――
「オラァ!」
「うー!?」
レミリアの向こう脛を、嫌というほど蹴り飛ばした。完全な不意打ちに、レミリアは直撃を受けてしまう。
そのまま足を抱えてしゃがみこんでしまったレミリアをよそに、咲夜はパチュリーの方を向いて宣言した。
「パチュリーちゃんちゅっちゅ! ああ夢のようだよ、パチェさんのお嫁さんになれる日が来るなんて!
いやパチェさんがお嫁さんなのかな? どっちでもいいや、これからは一緒に暮らそうね、パチェさん!」
「うるさい、こっちくんな! 俺は秋姉妹を参拝して帰るんだ!」
「えー? 今、春じゃん。秋なんて当分こないよ」
「信仰の力で降臨させるんだよ!」
二人は俺たちの見守る前で、ギャイギャイと夫婦喧嘩(?)を始めた。
隣では完全に無視されたレミリアが、目に涙を浮かべて体育座りしていた。
……あー、この気持ち分かるわ。小学生の頃いじめられてた俺の気分そのまんまだと思う。
レミリアは、おもむろに立ちあがると両手を上げて絶叫した。
「お前らまとめてスカデビすっぞ!」
「パチュリーちゃんちゅっちゅ!」
「埋まれ」
プチッと何かの切れる音。
いつの間にかパチュリーの手にはスペルカードが握られていた。
速い、一体いつの間に……!?
「火金符『セントエルモピラー』」
ちゅどーん!!
派手な効果音と共にパチュリーの足元から火柱が上がり、レミリアと咲夜をまとめて吹き飛ばした。
ふう、とやり遂げた顔で溜息をつくパチュリー。
「あの、ありがとうございます……」
「礼には及ばん、汚物を消毒したまでだ」
妖夢が一歩前に出て、深々とおじぎをした。慌てて俺もそれにならう。
俺はこの異変の概要を説明しようとしたが、パチュリーはそれを拒否した。
なんでも、さっき霊夢が飛んできて、自分の失敗談と現実世界への戻り方を話していったそうだ。
やはり彼女も現実世界から幻想郷に召喚されたのだった。
「じゃあ、俺もう行くから。秋姉妹に会ったら現実に帰るよ」
「秋姉妹、見つかるといいですね」
「おっぱい!」
俺たちは手を振ってわかれた。
いつの間にか、衣玖は復活していた。キュピンキュピン言いながら、軽やかにステップを踏んでいる。
咲夜とレミリアはダウンしたままなので、放っておくことにした。
だいぶ色々なことがどうでも良くなってきた。これが大人になる、ということなのだろうか。
※ ※ ※
映姫様の元へ行くには、三途の川を渡らなければならないという。
俺たちは妖怪の山を流れる川沿いに移動していった。日はすっかり暮れている。
道中、何回か妖怪の姿を見かけた。やり過ごせる者はやり過ごし、襲ってくる者には衣玖が落雷を落として退治した。
そうして歩いていくうち、ドォドォという重低音が聞こえてきた。
「……滝、だな」
「そうですね」
「おっぱい!」
俺たちの前には崖が広がっていた。川はそれにそって瀑布となり落下している。
その水音に負けないぐらいの大きさで、ぎゃーてーぎゃーてーとお経を読む声が聞こえてきた。
星明かりに目をこらすと、誰かが正座しており、その横でもう一人が舞い踊っている。
「妖怪か?」
「でしょうね。こんな意味不明な行動をしているところを見ると、外の神様に憑依されている可能性が高そうです」
「……すみません、外の世界こんな奴らばかりで」
「おっぱい!」
「うるさい黙れ」
俺たちは足音を忍ばせて、慎重に近づいていった。
読経の声はどんどん大きくなる。やがて彼らの姿がくっきりと宵闇の中に浮かび上がった。
「ぎゃーてーぎゃーて、ぜーむーとーどーしゅー、梅酒おいしいよ梅酒ー」
「体が軽い……こんな気持ちで踊るの、初めて!」
座っているのは幽谷響子だった。一心不乱に読経をしている。
そして意味不明なのが、声に合わせて踊っている射命丸文の思考回路だった。
顔見知りらしい妖夢が、おそるおそる声をかけた。
「えーと、文さん? こんなところで何してるんですか?」
すると文は、中指と薬指だけを握りこんで「キラッ☆」のポーズを取った。
「幻想郷の清純派アイドル文ちゃんでーっす♪ 男の人とは手をつないだだけで赤くなるよ!」
「はあ?」
俺は思わず聞き返した。アイドル……? 文ってそんなキャラだっけ?
間違いない。この文、誰かに憑依されている。
と、唐突に衣玖が口を挟んできた。
「清純派ぁ?」
俺の目には衣玖が語尾につけた(笑)の文字が見えた。
挑発的な態度が鼻についたのか、文が踊りを止める。
「なんだよ、文ちゃんは貧乳清純派で皆の人気者なんだよ!
俺は文ちゃんをプロデュースして、この幻想郷一のアイドルにするんだよ」
「そんなミニスカで清純派とか、ありえないシー。むしろ、なんでHカップビッチじゃないんだよ、股開けオラァ!」
「死ね」
文は、いきなり懐からスペルカードを取り出すと、それを宣言した。
溜めも演出もあったもんじゃない。いきなりの必殺技発動。
「竜巻『天孫降臨の道しるべ』!」
「ひぃぃーっ!?」
俺は頭を抱えてしゃがみこんだ。
そういえば紫が言っていたな、俺たちが憑依することでスペルカードを常時発動したままに出来るって……
「死ねよやー!」
文は竜巻をまとったまま、こちらに突っ込んでくる。
もう駄目だと思ったその刹那、衣玖がおもむろに前に出た!
「羽衣『羽衣は空の如く』」
「え?」
衣玖は全身に風をまとうと、スイーと竜巻の中に突っ込んでいった。
風が周囲の気流を受け流しているのか、ダメージを受けている様子は無い。
「これがお前の常時発動スペカなのか……?」
「Yes, I am!」
「てめえ、汚いぞ!」
衣玖は小刻みに上昇と下降を繰り返す。
目の前をチラチラされて、文はブチ切れ寸前になっている。
俺は呆気に取られて、その様子を眺めていた。
そこで、はたと気付いた。さっきまで後ろに居た妖夢の姿が無い。
周囲を見渡すと、妖夢は響子の対面に正座して、何やらくどくど語っていた。
「響子さん」
「はい、なんでしょう」
妖夢は虚ろな視線で何やらブツブツと呟きだした。
「私、幽々子様のことが心配でたまらないんです。
幽々子様は八雲紫様と仲良しで、よく一緒にお酒を飲まれるんです。いえ、それは構わないんですけど……
幽々子様が紫様のことを好きなんじゃないかって、そんな気がして仕方ないんです。
幽々子様は謙虚な方ですから態度にこそ出しませんし、誰に対しても柔らかな物腰を崩しません。
けれど、紫様に対してだけは何か違うような気がするんです。
私、遠回しに聞いたことがあるんです。幽々子様は、気になる殿方はおられないんですかって。
そうしたら『いやねえ妖夢、私のことはいいのよ。私は紫とお酒でも飲んでいられれば、それでいいの』
確かにそう仰ったんです。これで私は完璧に理解したんです、幽々子様は紫様のことを好きなんだって。
いえ、決して紫様が幽々子様と不釣り合いだと申しているわけではないんですよ?
紫様は素晴らしい知恵と力の持ち主だと私も思っています。
ただ幽々子様を独り占めにしてしまわれては私が困るんです。
おそばに居られるだけでいいんです。私の居場所が欲しいんです。これってワガママですか?
私ったら聞かずに我慢しているのが苦しくて苦しくて、いっそ紫様を闇討ちしてしまおうかと思いました。
けど、さすがにそれはマズいと思って、幽々子様に率直にお聞きしたら
『妖夢、貴女最近おかしいわよ? 少し休んだら?』
って仰るんです。これってもう確定ですよね、私の殺気を察して紫様をかばおうとしてらっしゃるんです。
そんなことするはずないのに……私は幽々子様の悲しむお顔なんて見たくありません。
でも幽々子様と紫様が結婚してしまうのは困るんです。
この気持ち、どうしたら晴れるんでしょうか?」
ふむふむ、と響子は頷いた後、
「がんばれ、ぎゃーてー!」
と無難な言葉を発して、その場を締めくくった。
「のんびり語ってる場合じゃ……うわっ!?」
俺は目の前に飛んできた電撃の塊を、飛びのいて回避した。
いや、一発だけではない。大量の電撃弾が周囲を飛び交っている。これは……!
「遊泳弾! フハハハーッ、この素早い弾幕がかわせるかーっ!?」
「ぐわあああーっ!」
「クロコダイーン!」
断末魔の悲鳴を上げて、文がダウンした。いつの間にか、衣玖が大ダメージを与えていたようだ。
しかし遊泳弾は終わらない。周囲をゆっくりと、真綿で首を絞めるように、飛び交ってはダメージを与えていく!
「ぎゃーてー!?」
「クロコダイ……じゃなかった、響子ーッ!」
遊泳弾にやられて、響子が倒れた。俺は彼女を抱き起した。
「大丈夫か、しっかりしろ!」
「な、なぜ殺した……」
それだけ言うと、響子の首からガクッと力が抜けた。
いつの間にか、俺の隣にやってきた衣玖が叫んだ。
「……おっぱい!」
「反省しろよ……」
「まったくだ!」
「アンタだよ!」
はあ、と妖夢が溜息をついたのが聞こえた。
溜息つきたいのはこっちだよ、まったくもう。
※ ※ ※
協議の末、明らかに何かに憑依されている文は、映姫様の所へ連れて行くことにした。
問題は誰が連れていくかだったが、俺と妖夢では背丈の問題で背負えないので、衣玖が背負って行くことになった。
「おっぱいぃ……」
「どうした衣玖?」
「背中におっぱいの感触がしない……」
「あっそ」
そんなこんなで俺たちは、ようやく三途の川に到着したのだった。
長く苦しい戦いだった……
「まだエンディングには早いですよ」
「そうだな」
俺たちは気を引き締めた。なぜなら、三途の川には先客が居たからだ。
そこに夢にまで描いた存在が居た。
流れるようなブロンド、腕に抱いた魔道書と人形たち、白磁のような艶めかしい肌。
俺の持ちキャラ、アリスさんだった。とうとう彼女と会えたことに、俺はちょっと涙ぐんだ。
「ア、アリス・マーガトロイドさん……?」
「うむ、半分はな」
その言葉に、俺は気を引き締めた。
アリスさんは俺の問いかけに『半分は』という表現で答えてきた。
ということは、どうやら彼女も現実世界の魂に憑依されているらしい。
俺よりもアリスさんへの愛が強かったそいつに、ほんの少しだけ嫉妬した。
「アリスさん、どうして川を渡らないんですか?」
「あれを見てくれ」
妖夢の発したもっともな疑問に、アリスさんは川の方を指してみせた。
そこで、俺たちは信じられないものを見た。
「うんしょ、うんしょ……はい、次の方ー! 列を崩さずに乗船してくださいねー!」
小町の掛け声に合わせて、行列を作った幽霊たちがゾロゾロと船に乗る。
満員になるや、小町はせっせと船を漕いで向こう岸へ行ってしまった。
「あれは、小町? 嘘だろう、あんな一生懸命働いてるぞ」
「誰かの魂に憑依されているんでしょうか」
「おそらくね。確認するかい?」
「する」
すっと衣玖が前に出た。
ああ、またこのパターンだよ。嫌な予感しかしねぇ。
「小町はーげ」
「ははは、はげてねーし!」
小町は船の上から真っ赤になって反論してきた。
どうやら、小町に憑依した魂は、現実世界で何らかのトラウマを背負っているようだ。
俺は同じく現実世界に生きる者として、そっと同情の涙を流した。
なおも衣玖がからかおうとした矢先、アリスさんが冷静な発言をした。
「漫才してないで、さっさと僕を向こう岸に送ってくれ」
「ああ、送るよ。この幽霊たちを送り終わったらな」
小町いわく、さぼっていた分の仕事をこなしているので時間がかかるとのこと。
それが終わったら、俺たちをまとめて向こう岸に送ってくれると約束してくれた。
――物分かりのいいヤツが憑依していて助かった。
俺はそっと胸をなで下ろした。
小町が船を漕いでいる間、俺たちは暇になってしまった。
そこで、何となく疑問に思っていたことを聞いてみることにした。
「アリスさんも映姫様の所に向かっているんですか?」
「そうだ。アリスさんの体に僕なんかが憑依していいはずがない。一刻も早く現実に戻らねばならん」
「自分から憑依を解きにいくってことですか? 変わった人ですね」
「アリスさんは僕などが触れて良い存在ではない」
……なるほど、これが真のアリスさんに対する愛というものか。
俺は敗北感を胸に刻んだ。だが、それは思っていたより心地よいものだった。
「うっ!?」
「……えっ!?」
いきなり、アリスさんは右手を抑えて苦しみ始めた。
妖夢がおろおろと声をかけた。
「アリスさん、どうしたんですか?」
「くうっ、手が勝手にブーツを! ブーツを脱ごうとする!」
見れば、アリスさんのミロのヴィーナス像より美しい手が、すらりと伸びたおみ足に履かれたブーツの紐をほどきだしていた。
「こ、これは……!」
「知っているのか、雷電……もとい衣玖!」
「アリスの体に、沢山のブーツご飯勢の魂が宿っている! こいつらブーツでご飯を炊くつもりだ!」
「なんで、そんなピンポイントに解説できるんですか……」
俺たちがそんな会話をしている間に、アリスさんはすっかりブーツを脱ぎ終わっていた。
そして三途の川で水を汲み――
『うおおーっ、米、米、米ェェェー! その種籾をよこせぇーッ!』
狂ったように叫び始めた。
「ご飯がなくて、ブーツご飯を炊けないようだな」
……そういう問題なのか。
俺は、自分がアリスさんの体に憑依できなかった、本当の原因に気付いた。
愛が足りなかったのではない。憑依希望者が多すぎたのだ。
ああ、でも、あんな状態の中に放り込まれなくて良かったなあ。
「あの、チルノさん……」
「はい?」
ふと見ると、妖夢は深刻な顔をして何かブツブツと呟きだしていた。
「ご飯で思い出しました。私、幽々子様に謝らなきゃいけないことがあるんです。
幽々子様に『休みなさい』って言われた後、私ショックで白玉楼を飛び出してしまったんです。
もちろん私には行くあてなんかありませんから、冥界をふらふら彷徨っていました。
そうしたら、帰ってきたとき幽々子様はオロオロしていらして、こう仰ってくださったんです。
『ああ妖夢、貴女の姿が見えないから、一体どこに行ったのかと思っていたわ。顔色が悪いけれど大丈夫なの?』
私は、とても申し訳ない気持ちになりました。こんなに幽々子様が心配してくださるなんて思ってもみなかったんですから。
でも、ちょっとだけ嬉しかったのも事実なんです。ええ、これは私が背負って生まれた、恋という名の原罪です。
そうしたら案の定、罰が当ってしまったんです。幽々子様のお腹が、ぐ~とすごい音を立てたんです。
びっくりして幽々子様のお顔を見たら、それは真っ赤になってうつむいておられて、
『妖夢が居ない間、料理を食べていなかったからお腹がすいたの。恥ずかしいところを見せてしまったわね、ごめんなさい』
と仰るんです。
それを聞いたとき、私は心底後悔しました。どうして幽々子様が困っておられるときに、おそばに居て差し上げられなかったのかと。
きっと幽々子様は死ぬほど――まあ幽霊なんですけど――お腹がすいていたに違いありません。
ですから私は、もう二度と幽々子様がお腹をすかせることが無いようにしようと心に誓ったんです」
「はあ……」
そんな話をされても、どう答えたもんだか分からない。
困って衣玖のほうを見ると、ふむふむと頷いている。
そして悲しげに眉をひそめ、妖夢の薄い胸元に視線を落とした。
「妖夢……おっぱいぃ?」
「そうですよね、私だって成長すれば幽々子様にふさわしい立派なレディになれますよね。ありがとうございます!」
「おっぱい!」
衣玖は妖夢の肩を抱き、慰めるようにサムズアップした。
背後で、アリスさんがマジ切れ2秒前といった声をあげた。
「そんな話はいいから、助けてくれーッ! アリスさんにブーツご飯を食べさせるなど絶対に許さない!」
「ふむ。たしかに、これは面白い……もとい、可哀そうな状況だな」
そう呟いて、衣玖はつかつかとアリスに近寄った。
そして右の拳を振り上げると、思い切りアリスさんの顔面めがけて振り下ろした。
ミシィッと音を立てて、アリスさんの顔が陥没する。
俺は怒りと恐怖に震えながら、衣玖に問いかけた。
「な、何をするだァーッ!?」
「アリスは殴るもの」
またしても、俺には衣玖の語尾に(キリッ)という文字が見えた。
そのとき、全アリス使いの魂が一つとなった。
『貴様ァ……アリスさんを殴るなーッ!!』
「ぐあああああーっ!!」
「クロコダイーン!! ぐああーっ!!」
それは全東方スレにおける、アリス好きたちの切なる願い。
ありったけの力をこめた和蘭人形が、俺を含めたその場の全員を吹き飛ばしていった。
※ ※ ※
「ふぅ、仕事が終わったぜぃ~。ありゃ?」
幽霊の運搬作業に追われていた小町は、ようやく岸辺に意識を戻した。
そこには衣玖、チルノ、妖夢、文がバラバラに倒れていた。
それはまるで、台風になぎ倒された街路樹のようだった。
アリスだけ、姿が見えない。
「んー、どうしようかなコレ……全部運ぶか」
働き者の小町は、うんしょと問題児どもを持ちあげると、一人ずつ船の中へ運びこんでいった。
賽の河原で石を積む子供の霊を背に、船は三途の川を渡ってゆく。
見渡す限りの白い川原に、ポツンポツンと生えた年代物の松を、いつの間にか昇ってきた蒼月が照らし出している。
空には無数の星々が輝き、天の川や北斗七星がはっきりと見える。まさしく浄土の浜と呼ぶにふさわしい光景だ。
それは今の日本から失われた、自然の美しさであった。
やがて船は彼岸に到着した。
※ ※ ※
「うーん……?」
目が覚めると、木で出来た床の上に寝ていた。
はて、俺は賽の河原で和蘭人形に吹き飛ばされて、それからどうしたっけ……?
「気が付きましたか」
頭上から聞こえる声に、俺はまだクラクラする頭を振って視線を上げた。
そこはこのフロアの中で一段高い席になっていて、小さな女の子が俺を見下ろしているのが分かった。
彼女は値踏みするように俺たちをジロジロ見ると、隣に立つ女性に声をかけた。
「小町、この子たちを連れてきてくれてありがとう。なるほど、これがあのスキマの施した術ですか」
「運搬業は外の世界で慣れてますから。それより映姫様、俺そろそろ現実に帰りたいんですけど……」
「いいでしょう、今まで小町がサボっていた分まで、よく働いてくれました。貴女の魂に白黒つけてあげます」
「やったー! 仕事の呼び出しとか入ってたらどうしようと思ってたんだ」
小町は、かなり悲しい喜び方をした。
オイオイ、せっかく小町に憑依できたんだろ?
それなりに実力あるんだし、もっと幻想郷を観光していけばいいのに……
「この人かわいそう」
いきなり起きあがってきた衣玖が、小町の中の人を煽った。
「あ゛!? なんすか!?」
「あ! やんのか!?」
「ああん!? やんねーよ!!」
「こら」
二人は額をくっつけて因縁をつけあっている。
その間に悔悟棒が割って入った。
「貴女たちはもう少し素直になるということを学んだほうがいい。
貴女たちはとても良い人だというのに、その物言いで損をしている。
ふざけあっていてはお互いの真剣な気持ちは伝わらないのです。
仲良くなりたいという気持ちを表現することを覚えなさい、それが今の貴女たちにできる最大の善行です」
「……あ」
衣玖は愕然とした表情で、映姫の胸を見下ろして言った。
「どうかしましたか?」
「あの……Hカップは……?」
「えっち……? 何のことですか? いやらしいことなら許しませんよ」
くわっ! と衣玖が俺を睨んだ。
「嘘つき! 映姫様はHカップって言ったじゃない!」
「え? 何の話?」
「俺が仲間になった時の話!」
えー? あ、そう言えば……
――そう、映姫様だよ! 実は映姫様は童顔にも関わらず、すごい巨乳でな!
――Hカップは固いって、紫が言ってた!
「何か私について、よくない噂を流したのですか?」
「う゛っ」
映姫様が、にこやかな笑顔で俺の前に立った。
怖い。笑顔が怖い。すんげー優しそうな笑顔してるのが、ものすごい怖さを演出してる。
「すみませんでした」
「まったく、一体何を考えているのですか。大体――」
「映姫様、映姫様。俺、早く帰りたいんですけど」
横から小町が割って入った。
ナイスフォロー、小町! こいつは本当にいいやつだと思う。
映姫様はコホンと咳払いをして、そうですね、と呟いた。
「これ以上、貴女たちを幻想郷に留めておくことのほうが問題かも知れませんね。
不本意ではありますが、外の世界への帰還を始めましょう。
ただし、外の世界に帰った後も、くれぐれも人としての道を外れてはなりませんよ」
「あーあ、これでお別れかー。せっかく文ちゃんを幻想郷中のアイドルとしてプロデュースするチャンスだったのにな。
むしろ俺、一生幻想郷に居たいんだけど」
「それ、本気で言ってる?」
「……わりかし、そうでもない」
ふてくされたように文が呟く。
幻想郷で生きてゆける。それは一見、楽しそうである。
だが、よく考えて欲しい。貴方は日夜、手ごわい妖怪の襲来に備えながら戦時下のような生活を送れるだろうか?
インターネットもない、電気もない、トイレも水洗じゃない、昔ながらの生活に今さら戻れるだろうか?
俺の答えはノーだった。幻想郷に来て間もないのに、ネットの世界が恋しくてたまらない。
早く現実に帰って、すき屋の白髪ネギ牛丼を食べて、熱いシャワーを浴びて、暖かい布団で眠りたい。
それは科学文明という、俺たちが先祖代々発達させてきた、偉大な力の恩恵なのだ。
まだ幻想郷に残っている、現実世界からやってきた連中も、いずれ同じ気持ちになるだろうと容易に察しがついた。
なんとなく重苦しくなってしまった空気をとりなすかのように、妖夢が「まあまあ」と微笑みかけた。
「これで永久の別れってわけじゃないんですから。幻想郷と現実はいつでも繋がっているんでしょう?
それより向こうではご家族が心配なさっているんじゃありませんか?」
「あー、家族ね……兄貴あたりがうるさいかなー」
文は面倒くさそうに顔をしかめた。
家族……俺は一人暮らしだし、授業も出席取りが甘いヤツを選んで受けているから、まだ問題になっていないだろう。
だが、幻想郷滞在が長期化すれば、問題になるかも知れない。母さんが泣いたりするのは、ちょっと嫌な感じがした。
「俺も帰ろうっと。衣玖さんは? まだ幻想郷に居ます?」
「ううん、こんな貧乳幻想郷、俺の理想じゃない……帰ってパソコンからロリ巨乳画像を漁ることにする……」
「ぶん殴りたくなる単語がいくつか聞こえましたけど、帰還することに異議なしですね?」
俺と文、衣玖、小町は並んで立った。
妖夢だけが離れたところに立ち、バイバイと手を振っている。
「それじゃ、みなさんお疲れ様でした。短い間でしたけど楽しかったですよ」
「うん、今までありがとうな」
「ええ。私も短い間だけれど楽しかったわ」
突如として響いた声に、妖夢はビクンと体を震わせた。
皆、声のした方――この部屋の入り口――を振り返った。
そこにはいつから居たのか、一人の少女が立って、悲しそうにこちらを見ていた。
青い衣に帽子をかぶり、三角のひたいえぼしを着けた少女。
あれは確か、冥界の管理人……
「幽々子様!?」
「妖夢……いえ、外の世界の神様。そろそろ私の妖夢を返してくださいませんか?」
その言葉に、妖夢の顔から血の気が引いた。
「映姫様、これはどういうことです?」
妖夢は血相を変えて映姫に詰め寄った。
映姫は目をつむったまま、答えない。代わりに幽々子が、静かな声で語り始めた。
「二カ月前、あなたは流れ星に乗ってやってきたのよね?
紫と霊夢が試した神降ろしの儀式は成功していた。
でも貴女は、ずっと妖夢のふりをして、白玉楼の家事をしてくれたのよね」
「気付いておられたんですか……」
呆然と呟く妖夢に、幽々子は「気付くわよ」と苦笑いしてみせた。
「だって私が出かけるのを嫌がったり、ずっと一緒に居ようとしたり、紫と会うのに嫉妬したりするようになったんですもの。
すぐに変だと思って、紫に相談したのよ」
「しかし幽々子さんは、すぐに貴女を帰らせようとはしなかった。
貴女が自分で帰ると言いだすまで待つと仰ったのです。ですから、貴女がここに来たとき、てっきり帰るつもりになったのかと思ったのですが……」
「そうではない、みたいね?」
映姫と幽々子、二人に挟まれて、妖夢はじりじりと後ずさった。唇がワナワナと震えている。
俺は突然の展開にとまどった。
「えーと、ちょっと待ってくれ。よく分からないんだが……
妖夢も俺たちと同じように、外の世界の神に憑依されてるってことか?」
「よく分かってるじゃないの。でも貴女たちと違って、この神様はよっぽど外の世界が嫌だったんでしょうね。
この二カ月、幻想郷に溶け込もうと必死だったもの」
「…………」
俺たちは言葉を失った。
現実から幻想郷に来るということは、文明も、家族も、友人も、何もかも無くしてしまうということである。
それらを全て捨てて、なお幻想の中に生きて行こうという考えを持つに至るとは、妖夢に宿った者はどんな生活を送ってきたのだろう。
妖夢は必死の形相で叫び始めた。
「私は、幽々子様さえ居てくだされば、それでいい。他には何もいらない。
お願いします、私をここに置いてください! 現実になんか帰りたくないんです!」
「貴女はそれでいいでしょう。でもね、妖夢。貴女と二人きりで生きてゆくのは私が嫌なの。
紫も居て、霊夢も居て、魔理沙も居て、いつも通り素直な妖夢が居て……そんな幻想郷を私は望んでいるの」
「素直……?」
「ええ、妖夢は素直で正直よ。騙しても、からかっても、まるで意に介さずに私の言うことを聞いてくれるの。
人によっては、それを『物足りない』と表現するでしょう。
でもそれは、紅魔館のメイドにも、紫の式にも、守矢の巫女にもない美徳だと思うわ。
たまに物足りなくなって、それでまたからかってしまうのだけれど、それでも言うことを聞いてくれるんだから……
あの子ったら、底なしのお人よしよねぇ」
幽々子は、どこか遠くを見る目で告げた。
それは、ひねくれた愛情の告白であると共に、今の妖夢に対するキッパリとした決別宣言でもあった。
「もう嫌!」
妖夢は壁際に逃げると、楼観剣を抜き放って、自分の喉に突きつけた。
誰も止めることが出来ない、一瞬の出来事だった。
さすがの幽々子が顔色を変えた。
「妖夢!?」
「幽々子様……やっぱりこの娘のことが心配なんですね。
私は幽々子様と居たかった、けれど幽々子様が私を拒むと仰るのなら、ここで死んで白玉楼にお仕えします!」
「正気なのですか!?」
映姫様の叱咤が飛ぶ。
「妖夢、そんなに妄執を抱えたままでは、死んでも怨霊にしかなれません。現世を彷徨い、やがて地底に封印されてしまいます。
幽々子さんの住む白玉楼には二度と戻れませんよ!?」
「そんなこと言われても、私、分からない……自分でも正気なのか狂気なのか分かりません。
でも、幽々子様を好きで好きで仕方ない気持ちは、嘘じゃないんです!」
「あらあら。私の何がそんなに好きだって言うの?」
「私を必要としてくれたから!」
妖夢は泣きながら、自分の腕に力を込めた。
剣が喉の皮膚を薄く傷つけ、すうっと一筋の鮮血が肩甲骨の方へ伝い落ちていった。
「私を必要としてくれる人は、現実世界には居なかった。
この世界に来て、初めて生きていていいよって、貴女が必要なんだよって、そう言ってくれた!
だから私は、幽々子様と一緒に居たいんです!」
俺には妖夢にかけるべき言葉が見当たらなかった。
そんなにも報われない人生とは、どんな人生だったのか、想像もつかない。
能天気にモラトリアム真っ最中の俺は、呆然と事の成り行きを見ているしか出来なかった。
「誰か、何とか出来ませんか?」
映姫様が、こっそり囁いてきた。
「外の世界の神々は、スペルカードの発動を得意とすると聞きます。
今の妖夢から、無理に剣を取り上げようとすれば、必殺の反撃が襲ってくるでしょう。
互角に渡り合えるのは、貴女たちだけ――何か解決策はありませんか?」
あ、と俺たちは気付いた。
なぜ紫が俺たちをこの世界に招いたのか。
妖夢が自暴自棄になり、スペルカードを連発した挙句に自殺する。
そうした状況を恐れ、抑止力として俺たちを呼んだのではないか。
(面倒事だけ人に押し付けるとは……汚いな、さすがスキマ汚い!)
(しかし、誰がやる? この状況で有利に働くスペルカードって何だ?)
俺たちは互いにアイコンタクトで意思疎通を計った。
セリエAの選手もびっくりの連携能力だ。
(俺は竜巻ぶっぱなしちゃうから、お前らにまで被害が行くぜ)
(俺、脱魂の儀が使えるから、何か使えないか?)
(じゃあ転移させて、すぐ俺が凍らせて動きを封じるってのは……)
(待て)
作戦が固まりかけた、その瞬間だった。
(ここは俺に任せろ)
そう目だけで語って、ヤツは一歩前へ出た。
「衣玖!? お前、何をする気だ!?」
「妖夢……いや、名もなき外の世界の神よ。よく聞きなさい」
「こないで!」
妖夢は剣を振りかぶった。
しかし衣玖は臆することなく、両手を広げて前進する。
(そうか!)
俺は気付いた。「羽衣は空の如く」――風の鎧を作り、相手の攻撃を全て受け流すあの技なら!
自分も妖夢も傷つけずに、剣だけを取り上げることができる!
しかし衣玖が次にとった行動は、思いもよらぬものだった。
懐からスペルカードを取り出すと、ポイと投げ捨ててしまったのだ。
衣玖、お前どうする気だ!?
「自分は、争う気はありません。話をしましょう」
「話すことなんて……」
「おっぱいは、なぜ美しいと思いますか?」
俺たちは唖然とした。
衣玖が何をやっているのか、サッパリ理解できない。むしろ理解できるヤツがいたら教えてくれ。
そんな俺の気持ちをよそに、衣玖は話し続ける。
「答えなさい。おっぱいは、なぜ美しいと思いますか?」
「なぜって……丸くて柔らかいから?」
妖夢がおずおずと答えると、衣玖は首を振った。
「いいえ、違います。どんなおっぱいも歳月を経て、いつかしなびます。
おっぱいが美しい時間には限りがある。ゆえに、おっぱいは美しいのです」
「それとこれとに何の関係が!?」
全方向からのツッコミを無視して、衣玖は一歩、妖夢に近づいた。
「しかし幽々子は死なない。なぜなら彼女は幽霊だから、永遠に美しいおっぱいを保ち続ける。
では、なぜ貴女は、幽々子のおっぱいを素晴らしいと感じたのでしょうか?」
「そんなこと言われても……」
妖夢は心底困り果てた顔で呟いた。
安心しろ妖夢、俺にもわからん。
「答えは、あなたの魂が永遠ではないからです。
あなた自身がうつろいゆき、いつか幽々子のおっぱいを観測できなくなる。
ゆえに幽々子のおっぱいも美しいのです」
そう! と叫んで指をつきつける衣玖。
「つまり、おっぱいを愛するということは、あなた自身がおっぱいの一部であるということ。
あなたは既におっぱいの愛を受けているのです!」
「何を言ってるのかサッパリわかんねーよ! そんな説得で納得するはずがないだろう!
いい加減にしろ!!」
我慢できなくなった俺は、衣玖を指差して絶叫した。
ああもう、こんなヤツに任せたのが間違いだったんだ。
見ろ、妖夢だって楼観剣を取り落として……え?
「そうだったのか……」
カラン、という金属音が床の上に響いた。
「納得してんじゃねーよ!!」
もはや俺のツッコミも届く範囲には無い。
妖夢はがっくりと地面に膝をつき、滂沱の涙を流していた。
その肩に、そっと衣玖が手を乗せる。
「わかってくれたならいいのです。では、私と一緒に『おっぱい』と唱えましょう」
「は、はいっ!」
二人はまるで旧知の友のように、しっかりと手を握り合った。
「せーの、おっぱい! ……と見せかけて電流バチィ!」
「うっ!?」
衣玖の指から妖夢の首筋めがけて、一条の電撃が迸った。
それはスタンガンが放つような細い見た目とは裏腹に、強烈な威力を持っていたらしく、一撃で妖夢を昏倒させる。
彼女がぐったりしたのを見て、衣玖は「ふぅ」とやり遂げた顔で汗をぬぐった。
「はいはい、撤収するよー。ささ映姫の旦那、このゴミとっとと外の世界に送り返してください」
「さっきまでのは何だったんだ!?」
その場に居た全員がツッコんだ。
「じゃあ一番の危険人物から帰しますかね」
そう言うと、映姫は衣玖に向けて悔悟棒を振りかざした。
「い゛っ!? なんで俺!?」
「そりゃそうだろう」
「混沌たる魂よ、外の世界へ戻りなさい!」
「見ていろよ、俺を倒しても第二・第三の俺が……ぐわああああーっ!!」
衣玖は悪役のようなセリフを吐くと、ばたっとその場に倒れ込んだ。
どうやら、これで衣玖は憑き物が落ちたらしい。
次に妖夢の額に悔悟棒をかざして――何を思ったか、映姫様はコホンと咳払いした。
「魂魄妖夢。あなたの魂を白黒はっきりさせる前に、言っておきたいことがあります」
「……気絶してないって、気付いてたんですか」
妖夢はパチッと目を開けると、上半身を起こした。
「妖夢、いいえ、外の世界の神よ。貴方は人を信用しなさすぎる。なぜ幽々子一人にこだわり、外界に目を向けようとしないのですか?」
「…………」
「ゆっくりでいいのよ」
幽々子が、そっと妖夢の肩に手を置いた。
「貴女の話を聞きたいの。お願いだから話してくれるかしら?」
「幽々子様! 私……私は……」
妖夢は口をパクパクさせた後、堰を切ったように話し始めた。
「私、両親が離婚して! 二人とも喧嘩ばっかりで私のこと見てくれなくて!
母さんと暮らし始めたら、今度は男の人が家に来て!
家に居られなくて、夜遊びして補導されて、そしたら学校でいじめられるようになって……!
私、最近もう引きこもりになっちゃって、どうしていいか分からないんです!」
外の世界からきた俺たちには、よく分かる話だった。
よくある、けれど冗談では済まされない部類の話。
ただし幻想郷の幽々子には、理解できない話のはずだった。
――けれど。
「そう、そうなの。今まで辛かったわね」
そう言って、彼女は聖母のように、妖夢の体を抱きしめた。
妖夢は火がついたように泣き始めた。
「私、現実に戻っても友達なんか居ないんです。この先、どうすればいいのか分からなくて……」
「そんなことないぜ」
俺は勇気を出して声をかけた。
えっ、と声を出して妖夢が俺を見る。
「思いだしてみろよ、今日だけで何人の幻想郷好きと出会った? 友達なんていくらでも作れるじゃないか」
「でも、私は不器用だから、そんなことできない……」
「できるさ。お前、どの辺に住んでる?」
「高田馬場」
「お。俺、池袋のゲーセンによく居るんだわ。寂しくなったらゲーセンに来いよ。ポップンミュージックやってるやつがそうだから」
「ゲーセン……」
ぐすっと洟をすすって妖夢が答える。
「ゲーセンに行けば、友達できますか?」
「家に居てもいいんだぜ。俺、運送会社で働いてるから、縁があれば会えるかもな」
小町が、ぐっと力こぶを作ってみせる。
「妖夢、なかなか見どころがありそうだ……『幽々子より文ちゃんの方が百倍かわいいです』って言えたら友達になってあげてもいいんだよ?」
「あらあら、それは困るわねぇ」
「痛いっ!?」
文は、某漫画の丸パクリ発言をして、幽々子に頭をはたかれていた。
妖夢はそんな俺たちをじっと見て、大きな声で笑い始めた。
「うふっ、あはっ、あははははははは!!」
「それだけ笑えれば、もう大丈夫ですね」
改めて映姫様が悔悟棒をかざす。妖夢は、もう抵抗しなかった。
「ありがとう、皆さん。今度は現実で会いましょう」
「ありがとうは私のセリフよ。妖夢、今までありがとうね」
「幽々子様……」
泣きだしそうになる妖夢を、ぎゅっと幽々子が抱きしめた。それは慈愛に満ちた笑顔だった。
まるで親子が交わすような、愛のこもった抱擁。
「外の世界に帰るまで、こうしていてあげるから。怖くないから、ね?」
「うっ……ひっく……はい、幽々子様!」
「魂魄妖夢に宿りし混沌たる魂よ、外の世界へお戻りなさい」
映姫様の声と共に、妖夢が意識を失う。
次は貴女ね、と映姫様が俺の方を向いた。
「お願いね」
「はい?」
急に幽々子が俺のそばに来て言った。
「あの子と外の世界で会ったら、お友達になってあげて。それが私と紫からのお願いなの」
「もしかして、そのために俺たちを召喚したんですか?」
「ええ。外の世界に戻って、何の思い出も残らなかったら、あの子が悲しむと思って。
あの子が大丈夫になるまで、そばに居てあげて」
俺は「けど」と言おうとした。
俺は冴えない大学生だ。友達は少ないし、根暗だし、ゲームの腕も半端で、何一つ自慢できることは無い。
だから「そんなの無理です」と答えるつもりだった。
――けど。
それでも人を救えるとしたら。人のために何かが出来るとしたら。
「やってみます。俺に何が出来るか分からないけど」
「大丈夫よ」
幽々子が笑う。
「あなたなら出来るわ」
「理由は何です?」
「勘、よ」
「勘って……霊夢じゃないんですから」
そろそろ行きますよ、と映姫様が言った。
俺の上に悔悟棒が掲げられる。
さようなら、幻想郷。これからもよろしくな。
俺は、そっと目を閉じた。
唇に柔らかい感触がした。
驚いて目を開けると、幽々子が俺の唇にキスをしていた。
俺はパニックを起こして、何をしていいんだか分からなくなって――
「――夢?」
そこで目が覚めた。
もちろん幻想郷などではない、下宿の安アパートの一室で、だ。
頭の横には、大学から帰ってブン投げた鞄が無造作に転がっている。
辺りはすっかり暗くなっていた。随分と長い夢を見ていたらしい。
だが、あれは本当に夢だったのだろうか?
俺は口元をそっとなぞった。幽々子の唇の感触が残っていたからだ。
「決めた!」
俺は鞄から財布と定期を取り出すと、池袋のゲーセンに行くことにした。
あれが夢であっても、なくても。
まだ見ぬ、東方好きの友と会うために、俺は自室の扉を開いた。
※ ※ ※
「幽々子から、映姫が全ての神様を外の世界に送り返したと連絡が来たわ」
「じゃあ、この異変は無事解決したのね?」
霊夢は、ほっと胸をなで下ろした。
紫にハメられたとはいえ、自らが原因となったこの異変に、少なからぬ責任を感じていたからだ。
あれから、外の世界の神に憑依された者たちを、倒して倒して倒しまくった。
どいつもこいつも変態ぞろいで……ああ、思い出したくもない。
と、外から「おーい」という声が聞こえてきた。
「おーい、霊夢。新しい異変が起きたぞ」
「む、めんどくさいわねぇ。どんな異変よ?」
「三途の川で、新しい妖怪が出るらしい。はだしで四つん這いになりながら『米おいてけー、米おいてけー』と走り寄ってくるとか」
「知らないわよ、そんなの。アンタが行って解決してくれば?」
魔理沙は、それじゃあと飛び去っていく。
霊夢は、ああ疲れたと呟いて、畳の上に横になった。
(了)
※本作品はフィクションです。実在するゲーマー、学生、おまいらとは何ら関係ございません。
「霊夢、面白い話があるんだけど」
「やだ」
「まだ何も言ってないじゃない!」
「嫌な予感がする」
ある冬の昼下がり、スキマから笑顔をのぞかせた紫に対し、霊夢はにべもなく答えた。
紫はスキマから全身を出すと、霊夢の後ろに回り込んで、耳元にフッと息を吹きかけた。
「きゃうんっ!?」
霊夢は思わず声を上げ、それが自分でも予想した以上に艶っぽかったことに焦り、顔を茹でダコのようにした。
紫は妖艶な笑みを浮かべて、霊夢のへその辺りをさすりながら抱きしめる。
「ねえ、霊夢ぅ……私の話、聞いてくれない?」
「近い近い、顔近い! わかった、話聞くから絡みついてくるな!」
紫が耳元で囁きかける。霊夢は両手でその顔を押しのけた。
すると紫は手をどけて、冗談よ冗談、と笑ってみせた。
自分がおちょくられていたのだと認識して、霊夢は再び赤くなる。
この年齢差から来る、どうにも埋めがたい余裕の差が悔しい。
ひとしきり霊夢の顔色の変化を楽しむと、紫はコホンと咳払いをした。
「霊夢、神降ろしの儀式ってあるでしょう?」
「うん」
「あれを人間や妖怪相手に使ってみない?」
「……はいぃ?」
「外の世界には修羅や伝承者と呼ばれる、強者たちがひしめいている。
彼らの魂の力を借りて、私たちの弾幕力をアップさせるの。極端な話、スペルカードを常時発動なんてことも可能よ」
「待て待て待て、ちょっと待て!」
霊夢は露骨に顔を引き攣らせた。
古今東西、どんなに良かれと思ってなされたものでも、この手の提案が上手くいった試しはない。
しかし紫は意に介さず、懐から古めかしい巻き物を取り出した。
「詳しい方法は、ここに書いてあるわ。さあ、やって」
「やらないって言ったでしょう!?」
「あら。じゃあ弾幕力が上がらなくてもいいの?」
紫は扇子で口元を隠しながら、意味ありげに笑った。
「もし――仮にだけれど、この儀式に風祝の巫女が気付いてしまったら?
外の世界のことは彼女たちのほうが圧倒的に詳しいわ。あっという間に弾幕力が上がるでしょうね」
「ぐっ!」
「ただでさえ最近、守矢神社に信仰心を奪われてるんでしょう? いいの?」
霊夢は痛いところを突かれ、眉根を寄せて視線を逸らした。
先日の大みそか。神社の境内で開いた縁日のことを思い出したからである。
集まった屋台の主は皆、妖怪。訪れる客も皆、妖怪。
付近の村人から「博麗神社は妖怪に乗っ取られたらしい」と噂され、否定するのに随分と時間をくった。
紫は、さらに追い打ちをかける。
「信仰が集まればお布施も入る。どう? 悪い話じゃないと思うけど」
「あのー、すみませ~ん……」
「ん?」
話の腰を折る形で、石段の下から少女の声が響いてきた。
よいしょ、と上がってきたのはセミロングの銀髪に、黒い大きなリボンを巻いた少女。
半人半霊の庭師、魂魄妖夢であった。
「ああ、紫様、こちらにおいででしたか。幽々子様がご一緒に食事を、と仰っています」
「霊夢。ちょうどいいところに実験台が来たわ」
「ええ、そうね」
紫は扇子をパチンと閉じて、大輪の華のような笑顔を作った。
霊夢ものんびりした普段の顔から、獲物を狩るライオンの目つきへと変化する。
「……え?」
二匹の猛獣に睨まれて、哀れな子羊はすくみあがった。
「――数多の神々に勧請したてまつる……」
「なっ、なんですかコレは!? 今すぐこの縄をほどいてください!」
それからしばし。二人は妖夢を縛り付け、神降ろしの儀式を始めていた。
準備に手間取ったので、時間は既に夜になっている。
これで妖夢が強化されればそれで良し、仮に失敗しても困るのは白玉楼サイドという、完璧な計画である。
「計画である、じゃないですよ! 夕飯のお誘いに来ただけで、どうしてこんなことに……
あーん、幽々子さまー! 助けてくださーい!」
妖夢はかろうじて自由が効く足をジタバタさせて抵抗する。
しかし、それで己を縛る縄がほどけるわけでもない。
祈祷は続き、やがて霊夢の術が完成した。
「はァッ!!」
「きゃあっ!!」
霊夢の気合のこもった掛け声に、ビクンと首をすくめる妖夢。
……
…………
……………………
1分が経ち、2分が経ち、3分が経ったが変化は無い。
どこか遠くで、流れ星がキラリと刹那の輝きを放って消えた。
「妖夢。アンタ何か変わった?」
「……? え? えーと?」
「紫、これどう思う?」
霊夢が渋い顔をして振り返ると、既に紫の姿は無かった。
よく見ると小さなメモ用紙に『ごめんなさいね』と、申し訳程度の書き置きがなされていた。
「あいつ! 失敗したからって逃げたわね!」
「……あの、私なんで縛られてるんですか? ほどいてほしいんですけど」
歯ぎしりする霊夢の後ろで、妖夢が所在なさげに呟いた。
※ ※ ※
紫が再び霊夢の元を訪れたのは、二か月ほど経ってからだった。
「霊夢、神降ろしをやるわよ」
「ええー、またぁ?」
紫は優雅な彼女にしては珍しく、きびきびと動いた。
スキマから巻き物、魔術書、水晶に頭蓋骨といったアイテムを取り出しては、並べていく。
「今度は魔理沙にも保佐させるわ。魔術的な支援も入れて、完璧な神降ろしを行うの」
「なんでそんなこと……」
「その必要があるからよ」
最後にスキマから引っ張り出されたのは、白黒の服を着たブロンドの少女、霧雨魔理沙だった。
弾幕勝負に敗れて連れてこられたのか、あちこち服がボロボロである。
彼女は霊夢と目が合うと、恨みがましい視線を向けてきた。
「霊夢、これは何なんだぜ?」
「私のほうが知りたいわよ」
「さあさ、二人とも準備して。今日中に神降ろしを行うわよ」
「何をそんなにカリカリしてるのよ?」
「いいから、急いで。お願いだから力を貸して」
霊夢と魔理沙は、思わず顔を見合わせた。
「紫、アンタ今……」
「お願いって言ったよな? どうしちまったんだ、らしくないぜ」
「私を何だと思ってるの。お願いくらいすることもあるわよ」
さ、早く。そう告げて紫は巻き物と魔道書を二人に手渡した。
「大体の手順は分かった?」
「ああ。まず魅了の魔術をかけた上で、気合いを入れて神降ろしを行うんだな」
「気合いかぁ……いきなりで入るかしら?」
霊夢は肩をコキッと鳴らして、気合い気合い、と呟いた。
「さ、依り代にこれを使って」
「ん゛ーっ! ん゛っ、んん゛ーっ!!」
スキマから取り出されたのは、縛りあげられ、猿ぐつわを咬まされたチルノであった。
「あら、依り代が妖精なんかでいいの?」
「いいのよ。上手く行きすぎて強化されすぎても、失敗しすぎて命に関わっても、妖精ならノーリスクで済むもの」
「それもそうね」
「ん゛ーっ!?」
霊夢と魔理沙は、迷うことなくチルノを使った神降ろしの儀式を始めた。
「――数多の神々に勧請したてまつる……」
霊夢の祈祷が続く。既に魔理沙は役目を終え、魅了の魔法をチルノにかけてある。
その効果か、チルノはぐったりと目を閉じ、反抗するそぶりも見せない。
「あのぅ、紫様……」
「ん、来たわね」
「おっ?」
後ろから、おそるおそると言った感じでかけられた声に、魔理沙は振り向いた。
そこには魂魄妖夢がいた。なんだか緊張した面持ちで、下を向いてモゴモゴ言っている。
「幽々子様の命で参りました。あの、私に御用とは……?」
「今から頼むわ。もう少し待って」
はい、と答えて妖夢はそのまま立っている。
その間に、霊夢の祈祷はクライマックスを迎えていた。
「はァッ!!」
霊夢の気合いの入った掛け声と共に、チルノがびくん、と体を震わせる。
紫はチルノに近づくと、猿ぐつわを外してやった。
「ほら、起きなさい」
「ん……」
チルノは何度か瞬きをすると、まだ眠たそうなまぶたを開けた。
その耳元で、紫が囁く。
「さあ、皆。入ってきていいわよ」
「皆……?」
次の瞬間。いくつもの流れ星が幻想郷に降り注いだ!
その明るさたるや、昼間だというのに見えるほどである。
泡を食った霊夢が、くってかかった。
「ちょっと紫! アンタ何したのよ!」
「妖精は自然の象徴。それに神を降ろしたならば、軽く境界をいじるだけで、自然を介して大量の神を招くことができる。
少し考えればわかることだから、貴女たちも気づいててやってると思ったんだけど」
「わかるか、そんなこと!」
「……ん? なんだこれ?」
ギャイギャイと言い合う霊夢たちをよそに、チルノは自分の体を不思議そうに見下ろした。
その声は、普段の威勢の良い子供のような声ではなく、落ちついた青年のような声だった。
「なんだこれ? 俺の体が縮んでるぞ?」
※ ※ ※
目を開けた俺はパニックを起こした。
大学から帰ってきて、部屋で寝たはずだった。
それが、いつの間にか自分の体が縮んでいる。それだけではない、手は小さく丸くなって、桜貝のような綺麗な爪が生えそろっている。
洋服も普段来ているユニクロではない、青と白のワンピースだ。
大きく開いた裾からは、白くて細い足がにょっきり生えている。
まるで、これじゃ少女の体じゃないか……!
と、頭の上で声がした。
「あら、気が付いたわね。ようこそ幻想郷へ、外の世界の神様」
「神様……? 幻想郷!? 一体何を言ってるんだ?」
顔を上げた俺は、いよいよ自分の正気を疑った。
そこにはゲームの中で見知った顔が並んでいたからだ。
「八雲紫……霊夢に魔理沙、妖夢まで……!」
「初めまして、神様。貴方は幻想郷に召喚されたの。ただし、名前の無い状態でね」
その言葉に、俺の頭は沸騰した。
だってそうだろう、誰だって異世界に召喚される夢を見る。
だが、それが現実になるなど、まして少女の体に召喚されるなど想像できようはずがない。
と、霊夢が横から口を挟んだ。
「名前が無い状態ってどういうこと?」
「意識がチルノと一体化しちゃってるのよ。少なくとも外の世界に帰るまで、自分の名前を思い出すことは無いわね」
俺は再び絶句した。
「チルノ……? え、俺チルノになっちゃったの?」
「ええ」
「なんでアリスさんじゃないんだよー! どうせならアリスさんの体に入りたかったー!」
「入って何をする気だったのよ……」
「不潔です……」
霊夢と妖夢が、軽蔑した視線を送ってくる。
しまった、今のは失言だった。俺は現実だけでなく、幻想郷でも女の子にバカにされるのか?
そう思うと、ひどく悲しくなってきた。切ないのは現実だけで十分だ。
「それより紫、大量の神が招かれたって言ったわね」
「ええ、言ったわ」
「それってまさか、チルノの他にも神に憑依された連中がいるってこと?」
「おっぱい!」
その問いに応えたのは、紫ではなかった。遥か頭上で、誰かが何かを叫んでいる。
俺たちは頭上を見上げた。
そこには、美しき緋色の衣が風になびいて浮かんでいた。
「あれは、永江衣玖!?」
「衣玖ね。でも今、変なこと言わなかった?」
「おっぱい!」
衣玖はスイーと降りてくると、フィーバーのポーズでこう叫んだ。
「誰か対戦しましょう!」
「対戦って……」
「なんだか様子が変だぜ」
すると衣玖はスイーと飛び上がり、
「不人気……」
と言い残して、どこかへ飛んで行った。
「諦めるの早っ!」
「ちょっと紫、今のって……」
「ええ、予定通り、幻想郷の主だった住人に神様の意識が根付いたようね」
「ふざけんなあああああ!!!」
霊夢は紫の襟首を掴んで、ゆっさゆっさと揺さぶり始めた。
「まさかとは思うけど『これ異変だから解決してねー』とか言うんじゃないでしょうね!?」
「あら、当たりよ霊夢。おかしくなった連中を力づくで集めてきて、映姫の所へ連れて行って頂戴」
「はあ!? なんでそんなことを!?」
「映姫の白黒はっきりさせる程度の能力で、憑依を解除させるのよ。
本来なら私が行くべきなんだろうけど、あいつとは相性が悪いから行きたくないの。だから霊夢が代わりに、ね☆」
「そうだなー、霊夢は行くべきだろうなー」
ニヤけながら魔理沙が言う。
「何しろ、この異変を起こしたのは霊夢本人だからな。
巫女が異変を解決しないなんて、人として恥ずかしいぜ」
「アンタも同罪だろうがああああああ!!」
霊夢は魔理沙を怒鳴りつけると、空中へと飛び上がった。
「ああもう、わかったわよ! 私がやればいいんでしょう、行ってくるわ!」
「おおい、待てよ。私も行くぜ、面白そうだし」
霊夢と魔理沙、紅白と白黒の影はあっという間に見えなくなった。
後には俺と紫、そしてさっきから黙ったままの妖夢が残された。
「ええと、俺はどうすればいいんだ?」
「とりあえず先に映姫の所へ行ってて頂戴。妖夢!」
「は、はいっ!」
「チルノだけじゃ不安だから、貴女が護衛をしてあげて。幽々子には話を通してあるわ」
「え、私なんかで大丈夫でしょうか……?」
「大丈夫よ。信頼してるって幽々子が言ってたわ」
「幽々子様が!?」
その途端、妖夢は瞳を輝かせた。
「チルノさん、聞いてください」
「えっ、何?」
「私、幽々子様に半人前だとしか思われてないんです。本当は半人と半霊で一人前のはずなんですけど、未だに私の腕を信頼しておられない御様子で……
今朝も私の顔を見るなり仰るんです。『妖夢、貴女って何か欠けてるのよね』って。
私はそれが悲しくて悲しくて、剣の腕が足りませんか、料理の腕が足りませんかって聞いたんです。そうしたら幽々子様、
『そんなことじゃないの。でも何か――そう、魂のようなものが欠けているのよね』と仰るんです。
だからもう幽々子様は私に失望してしまわれたんじゃないかと思って、不安で不安で仕方なかったんです。
でもこれで大丈夫ですよね、だって私は幽々子様に護衛の腕を買われるぐらい信頼されたのですから!」
「えっ、はあ、うん……」
顔にツバがかかる。一気にまくしたてられたので、半分以上は聞きとれなかった。
とりあえず、俺は妖夢が怖くなって、ちょっと後ずさった。
芝居小屋の舞台裏を覗いて、スッピンの役者さんを見てしまったようなガッカリ感だった。
ゲームの中にも現実があって、皆それぞれに大変らしい。
※ ※ ※
俺と妖夢、二人の道中はすぐ三人に増えた。
どこかへ飛んで行ったはずの衣玖が、空から戻ってきたからである。
「絶望した……」
そう呟く衣玖の顔には精気が無かった。
「絶望って何だよ」
俺はおそるおそる衣玖に声をかけた。
すっかり自己紹介が遅くなったが、現実の俺はどこにでもいる大学生。
ゲームの腕前は人並みと言ったところで、愛用するスペルカードも無く、空気としか言えないような存在だ。
趣味は東方全般と、ポップンミュージック。しかし最近では、どんどん腕が落ちているような気さえする。
そんな俺が、チルノごときに憑依したところで、衣玖の遊泳弾に勝てるとは思わなかった。
相手を刺激してはいけない。
すると衣玖は、
「美鈴のおっぱいがCカップしか無かった……」
と呟いて、そのまま地面に座り込んだ。
「幻想郷の女の子は平均でGカップ、最低でもDカップだと思ってたのに……
紫は美少女で貧乳だし、色々とガッカリだ……」
おいおい、のの字を書き始めてるよコイツ。
つか、どんな幻想郷を思い描いてたんだ気持ち悪い。
――と、ここで俺の頭に何かが閃いた。
「衣玖さん、キモいです」
「ちょ、ちょっと待てよ。な?」
妖夢が一言で切り捨てようとするのを、俺は押し留めた。
上手く説得できれば、衣玖を貴重な戦力として確保できるかも知れないと思ったからだ。
「衣玖さんよ、俺たちと一緒に映姫様の所へ行かないか?」
「映姫……?」
「そう、映姫様だよ! 実は映姫様は童顔にも関わらず、すごい巨乳でな!
Hカップは固いって、紫が言ってた!」
「マジで!?」
「嘘ばっか……」
衣玖が、ぱあっと顔を輝かせた。
背後の妖夢からは冷たい視線を感じるが、この際気にしてはいけない。
俺は衣玖の背中に手を回して、沈みゆく夕陽を指差した。
「さあ行こう、理想のロリ巨乳を求めて!」
「ジークおっぱい!」
すっかり復活した衣玖は、フィーバーポーズで賛同してくれた。
良かった、これで戦力が増えた。実力は未知数だが、俺よりは強いだろう。
と、どこからか鳥の声が聞こえてきた。
キーキーうるさいけど、鳥の声にしちゃおかしいような……?
妖夢も気付いたらしく、キョロキョロと辺りを見回している。
「何か声がしませんか?」
「うん、俺も聞こえる。なんだろう、この声……?」
やがて声は大きく、はっきりしてきた。
「イヤァァァァァ、助けてぇぇぇぇ!!」
「女の声!?」
俺と妖夢が臨戦態勢に入る。衣玖はフィーバーポーズで固まったままだ。
そして道の向こうから、未知の存在が姿を現した。
それは『レミリア・スカーレット』と呼ばれるべき存在だった。
だがしかし、その姿は俺の知るイメージとは遠くかけ離れていた。
「オラ、歩け雌豚!」
「誰か助けて! 助けてください!」
「……雲居、一輪?」
レミリアの右手には日傘、左手には紐が握られていた。紐の逆端は、一輪の鼻輪に繋がっている。
そう、一輪はなぜか鼻輪を付けられていた。
あまりにもシュールな光景に、俺は心底戦慄した。
「チルノさん」
「どうした妖夢」
「私、鼻が痛い……鼻からスパゲッティを啜らされているような、そんな気分です」
おいおい。
レミリアといい妖夢といい、鼻にトラウマでもあるのか?
幼児期のトイレトレーニングに失敗すると性癖に歪みが出るというが、これもその類なのか?
レミリアは俺たちに向かってこう言った。
「お前らも外の世界から来た口か?」
「ああ、そうだ」
「良かった、やっと話が通じる相手が出来たぜ。この辺にパチスロ無いか?
紅魔館の財産全部ぶちこんで、パチスロやりたいんだ」
「いや、現実に戻らないと無いと思うぞ……」
「そうか。じゃあ暇だから、妖夢の鼻にスパゲッティでも突っ込もう」
「話が繋がってねーよ! いや繋がってたけど、そうじゃなくて、ああもうやだこんな会話!」
俺は思わず突っ込んだ。
だが、心のどこかで安心もしていた。レミリアが正気でなくて良かった……
カリスマと呼ばれる存在が、素でこんなだったら失望するにも程がある。
レミリアが一輪の鼻輪につないだ紐から手を離した。一歩、こちらに歩み寄る。
「さあ、妖夢を寄越せ。さもなくばスカーレットデビルを叩きこむ」
「対戦!?」
急に衣玖が割り込んできた。目が爛々と輝いている。
「やんのか」
「なんだ貴様、そんなヘナチョコドリルで俺様と戦う気か?」
「衣玖さん頑張ってください!
私、幽々子様以外の人に鼻の穴処女を奪われるなんて嫌です!」
よく分からないことを言って応援する妖夢。
好きな人だからこそ鼻の穴処女とか捧げたくないだろ常識的に考えて。
まあ、そんなツッコミはさておき、かくして戦いの火蓋は切って落とされた――
――正直言って、すごい戦いだった。
衣玖が空中から、ぎりぎりの間合いで風をまとった袖をふるい、レミリアにダメージを与えようとする。
レミリアはそれを防ぎ、一瞬の隙をついて飛びかかると、後頭部へとナイフのような爪を振り下ろす。
だがしかし、それを衣玖は見切って、間合いをとって袖を打ち、レミリアを後方へと押し込んでいく。
それを防ぎながら、レミリアは反撃に移るタイミングを計っている。
と、衣玖が雷撃を放った隙に、目にもとまらぬ速さでレミリアが突進を繰り出した。
衣玖の体が跳ね飛ばされて宙を舞う。
だが空中で体勢を立て直し、素早い電撃の連打で反撃していく。
まさしく修羅の戦いだった。
俺のような一般人には、遠く及ばない世界の戦い。
衣玖を味方にしておいて良かった、とつくづく思う。
「あの……チルノさん」
「ん?」
振り返ると妖夢は虚ろな視線で何かブツブツと呟いていた。
「さっき幽々子様以外の人に処女をあげたくないって言いましたよね? 私、幽々子様が大好きなんです。
もちろん幽々子様は白玉楼の主ですから、お仕えするときからお慕いしておりましたが、最近どうも自分の気持ちが違うなって思うようになったんです。
はっきり言って愛してます。もう恋愛対象としてのめり込んでしまっているんです。
先日、その気持ちを打ち明けてみたら、幽々子様はお笑いになって『ありがとう、でも私たちは女同士だから結婚できないのよ?』と仰るんです。
『妖夢はまだ若いんだから、男の人と出会って、ちゃんと結婚するの。そうして子供が生まれたら、私はすごく嬉しいわ』って。
でもねチルノさん、私は男なんてまっぴらごめんなんです。幽々子様じゃなきゃダメなんです。
この気持ちを貫くためなら、一生独身で負け犬呼ばわりされようとも一向に構わないんです」
「いや、いいから逃げろよお前! 鼻にスパゲッティ詰められるぞ!?」
俺の方が焦って叫んだ。妖夢め、どこまでもズレていやがる。
「妖夢!」
衣玖が叫んだ。
「幽々子って、おっぱい?」
「はい、それは素敵なおっぱいをお持ちです」
「おっぱい!」
「ありがとうございます!」
衣玖は晴れやかな笑顔でサムズアップしてみせた。
妖夢も元気いっぱいのサムズアップで返す。
「お前、戦闘に集中しろよ!」
「隙あり!」
レミリアは地上を滑るように移動すると、大きなモーションで衣玖に足払いをかけた。
衣玖はそれをガードして、反撃に移る。
その瞬間だった。
「紅魔『スカーレットデビル』!」
「ぐあああああっ!」
「クロコダイーン!!」
衣玖は紅い十字架型のエネルギーに焼かれ、吹き飛ばされてしまった。
「まずは一人」
レミリアがにやりと笑う。そして、俺の方に向かって歩いてきた。
まずい。こんな化け物を相手にして、勝てる道理が無い。
どうする、こいつの狙いは妖夢だ。
なら、妖夢を置いて逃げてもいいんじゃないか?
そうしてしまえ、と俺の中の悪魔が囁く。
――お前と関係の無い女など、見捨てて逃げてしまえ。
――むしろ現実に戻る必要なんかないじゃないか。どうしてこんな旅を始めちゃったんだ?
悪魔の声はどんどん大きくなる。
違う、と俺の中で誰かが囁いた。
――幻想郷に来てまで、かっこ悪いところを晒すのか?
――現実に帰らなかったら、両親や友達が心配するんじゃないのか?
――お前は、男としてやるべきことをやったのか?
それは天使の声だった。
俺はその声の強さに、少しだけ戸惑った。自分の中に、こんな正義感が残っているとは思わなかったからだ。
でも迷ったのは「少し」だけだ。
ただの大学生にだって、強敵に立ち向かう勇気はある。俺はレミリアの前に立ちはだかった。
「やめろよ」
「あん?」
「お前も幻想郷が好きなら、この世界を荒らすんじゃない。俺と一緒に現実に帰ろうぜ」
するとレミリアはつまらなそうな顔をして、こう言った。
「お前こそ幻想郷が好きなら、やりたい放題やればいいだろう。
もっとも俺様は貴様のような乳臭い小娘になど興味は無いがな」
「妖夢だって十分乳臭いだろうがよ」
「貴様には俺の崇高なる趣味は分かるまい」
「一生わかんねーよ!!」
精一杯の虚勢を張る。
小さな握り拳を振り上げて、突っかかって行こうとしたときだった。
何かが俺の髪をかすめて、地面に激突した。一瞬遅れて、爆音と衝撃波が襲ってくる。
俺の目の前に、特大の火の玉が落下したのだ、と気付くのには更に数瞬を要した。
……うわ、前髪ちょっと溶けてるよ。
「…………」
空中から姿を現したのは紅魔館のメンバー、動かない大図書館パチュリーだった。
後から遅れて咲夜も姿を現わす。レミリアが、おおっと声を上げた。
俺の背中を冷や汗が滝のように流れ落ちた。
絶体絶命だった。紅魔館の主要メンバーがそろった今、俺たちに勝ち目は無くなった。
そんな気持ちを知ってか知らずか、レミリアがうきうきとした声を上げる。
「フッフッフ、お前ら丁度いい所に来た。おいメイド、この小娘を抑えておけ」
レミリアが、ニタァと笑いながら妖夢を指差した。ひっと声をあげて妖夢が俺の後ろに隠れる。
咲夜がギロリ、とこちらを見た。その視線の冷たさに、周囲の温度が二~三度下がったような錯覚を受けた。
まるで俺たちに関心が無い、そんな目だった。
無関心ほど怖いものはない、と俺はよく知っている。小学生の頃、いじめられた経験があるからだ。
いや、そんなことはどうでもいい。咲夜は、フンと鼻を鳴らすと――
「オラァ!」
「うー!?」
レミリアの向こう脛を、嫌というほど蹴り飛ばした。完全な不意打ちに、レミリアは直撃を受けてしまう。
そのまま足を抱えてしゃがみこんでしまったレミリアをよそに、咲夜はパチュリーの方を向いて宣言した。
「パチュリーちゃんちゅっちゅ! ああ夢のようだよ、パチェさんのお嫁さんになれる日が来るなんて!
いやパチェさんがお嫁さんなのかな? どっちでもいいや、これからは一緒に暮らそうね、パチェさん!」
「うるさい、こっちくんな! 俺は秋姉妹を参拝して帰るんだ!」
「えー? 今、春じゃん。秋なんて当分こないよ」
「信仰の力で降臨させるんだよ!」
二人は俺たちの見守る前で、ギャイギャイと夫婦喧嘩(?)を始めた。
隣では完全に無視されたレミリアが、目に涙を浮かべて体育座りしていた。
……あー、この気持ち分かるわ。小学生の頃いじめられてた俺の気分そのまんまだと思う。
レミリアは、おもむろに立ちあがると両手を上げて絶叫した。
「お前らまとめてスカデビすっぞ!」
「パチュリーちゃんちゅっちゅ!」
「埋まれ」
プチッと何かの切れる音。
いつの間にかパチュリーの手にはスペルカードが握られていた。
速い、一体いつの間に……!?
「火金符『セントエルモピラー』」
ちゅどーん!!
派手な効果音と共にパチュリーの足元から火柱が上がり、レミリアと咲夜をまとめて吹き飛ばした。
ふう、とやり遂げた顔で溜息をつくパチュリー。
「あの、ありがとうございます……」
「礼には及ばん、汚物を消毒したまでだ」
妖夢が一歩前に出て、深々とおじぎをした。慌てて俺もそれにならう。
俺はこの異変の概要を説明しようとしたが、パチュリーはそれを拒否した。
なんでも、さっき霊夢が飛んできて、自分の失敗談と現実世界への戻り方を話していったそうだ。
やはり彼女も現実世界から幻想郷に召喚されたのだった。
「じゃあ、俺もう行くから。秋姉妹に会ったら現実に帰るよ」
「秋姉妹、見つかるといいですね」
「おっぱい!」
俺たちは手を振ってわかれた。
いつの間にか、衣玖は復活していた。キュピンキュピン言いながら、軽やかにステップを踏んでいる。
咲夜とレミリアはダウンしたままなので、放っておくことにした。
だいぶ色々なことがどうでも良くなってきた。これが大人になる、ということなのだろうか。
※ ※ ※
映姫様の元へ行くには、三途の川を渡らなければならないという。
俺たちは妖怪の山を流れる川沿いに移動していった。日はすっかり暮れている。
道中、何回か妖怪の姿を見かけた。やり過ごせる者はやり過ごし、襲ってくる者には衣玖が落雷を落として退治した。
そうして歩いていくうち、ドォドォという重低音が聞こえてきた。
「……滝、だな」
「そうですね」
「おっぱい!」
俺たちの前には崖が広がっていた。川はそれにそって瀑布となり落下している。
その水音に負けないぐらいの大きさで、ぎゃーてーぎゃーてーとお経を読む声が聞こえてきた。
星明かりに目をこらすと、誰かが正座しており、その横でもう一人が舞い踊っている。
「妖怪か?」
「でしょうね。こんな意味不明な行動をしているところを見ると、外の神様に憑依されている可能性が高そうです」
「……すみません、外の世界こんな奴らばかりで」
「おっぱい!」
「うるさい黙れ」
俺たちは足音を忍ばせて、慎重に近づいていった。
読経の声はどんどん大きくなる。やがて彼らの姿がくっきりと宵闇の中に浮かび上がった。
「ぎゃーてーぎゃーて、ぜーむーとーどーしゅー、梅酒おいしいよ梅酒ー」
「体が軽い……こんな気持ちで踊るの、初めて!」
座っているのは幽谷響子だった。一心不乱に読経をしている。
そして意味不明なのが、声に合わせて踊っている射命丸文の思考回路だった。
顔見知りらしい妖夢が、おそるおそる声をかけた。
「えーと、文さん? こんなところで何してるんですか?」
すると文は、中指と薬指だけを握りこんで「キラッ☆」のポーズを取った。
「幻想郷の清純派アイドル文ちゃんでーっす♪ 男の人とは手をつないだだけで赤くなるよ!」
「はあ?」
俺は思わず聞き返した。アイドル……? 文ってそんなキャラだっけ?
間違いない。この文、誰かに憑依されている。
と、唐突に衣玖が口を挟んできた。
「清純派ぁ?」
俺の目には衣玖が語尾につけた(笑)の文字が見えた。
挑発的な態度が鼻についたのか、文が踊りを止める。
「なんだよ、文ちゃんは貧乳清純派で皆の人気者なんだよ!
俺は文ちゃんをプロデュースして、この幻想郷一のアイドルにするんだよ」
「そんなミニスカで清純派とか、ありえないシー。むしろ、なんでHカップビッチじゃないんだよ、股開けオラァ!」
「死ね」
文は、いきなり懐からスペルカードを取り出すと、それを宣言した。
溜めも演出もあったもんじゃない。いきなりの必殺技発動。
「竜巻『天孫降臨の道しるべ』!」
「ひぃぃーっ!?」
俺は頭を抱えてしゃがみこんだ。
そういえば紫が言っていたな、俺たちが憑依することでスペルカードを常時発動したままに出来るって……
「死ねよやー!」
文は竜巻をまとったまま、こちらに突っ込んでくる。
もう駄目だと思ったその刹那、衣玖がおもむろに前に出た!
「羽衣『羽衣は空の如く』」
「え?」
衣玖は全身に風をまとうと、スイーと竜巻の中に突っ込んでいった。
風が周囲の気流を受け流しているのか、ダメージを受けている様子は無い。
「これがお前の常時発動スペカなのか……?」
「Yes, I am!」
「てめえ、汚いぞ!」
衣玖は小刻みに上昇と下降を繰り返す。
目の前をチラチラされて、文はブチ切れ寸前になっている。
俺は呆気に取られて、その様子を眺めていた。
そこで、はたと気付いた。さっきまで後ろに居た妖夢の姿が無い。
周囲を見渡すと、妖夢は響子の対面に正座して、何やらくどくど語っていた。
「響子さん」
「はい、なんでしょう」
妖夢は虚ろな視線で何やらブツブツと呟きだした。
「私、幽々子様のことが心配でたまらないんです。
幽々子様は八雲紫様と仲良しで、よく一緒にお酒を飲まれるんです。いえ、それは構わないんですけど……
幽々子様が紫様のことを好きなんじゃないかって、そんな気がして仕方ないんです。
幽々子様は謙虚な方ですから態度にこそ出しませんし、誰に対しても柔らかな物腰を崩しません。
けれど、紫様に対してだけは何か違うような気がするんです。
私、遠回しに聞いたことがあるんです。幽々子様は、気になる殿方はおられないんですかって。
そうしたら『いやねえ妖夢、私のことはいいのよ。私は紫とお酒でも飲んでいられれば、それでいいの』
確かにそう仰ったんです。これで私は完璧に理解したんです、幽々子様は紫様のことを好きなんだって。
いえ、決して紫様が幽々子様と不釣り合いだと申しているわけではないんですよ?
紫様は素晴らしい知恵と力の持ち主だと私も思っています。
ただ幽々子様を独り占めにしてしまわれては私が困るんです。
おそばに居られるだけでいいんです。私の居場所が欲しいんです。これってワガママですか?
私ったら聞かずに我慢しているのが苦しくて苦しくて、いっそ紫様を闇討ちしてしまおうかと思いました。
けど、さすがにそれはマズいと思って、幽々子様に率直にお聞きしたら
『妖夢、貴女最近おかしいわよ? 少し休んだら?』
って仰るんです。これってもう確定ですよね、私の殺気を察して紫様をかばおうとしてらっしゃるんです。
そんなことするはずないのに……私は幽々子様の悲しむお顔なんて見たくありません。
でも幽々子様と紫様が結婚してしまうのは困るんです。
この気持ち、どうしたら晴れるんでしょうか?」
ふむふむ、と響子は頷いた後、
「がんばれ、ぎゃーてー!」
と無難な言葉を発して、その場を締めくくった。
「のんびり語ってる場合じゃ……うわっ!?」
俺は目の前に飛んできた電撃の塊を、飛びのいて回避した。
いや、一発だけではない。大量の電撃弾が周囲を飛び交っている。これは……!
「遊泳弾! フハハハーッ、この素早い弾幕がかわせるかーっ!?」
「ぐわあああーっ!」
「クロコダイーン!」
断末魔の悲鳴を上げて、文がダウンした。いつの間にか、衣玖が大ダメージを与えていたようだ。
しかし遊泳弾は終わらない。周囲をゆっくりと、真綿で首を絞めるように、飛び交ってはダメージを与えていく!
「ぎゃーてー!?」
「クロコダイ……じゃなかった、響子ーッ!」
遊泳弾にやられて、響子が倒れた。俺は彼女を抱き起した。
「大丈夫か、しっかりしろ!」
「な、なぜ殺した……」
それだけ言うと、響子の首からガクッと力が抜けた。
いつの間にか、俺の隣にやってきた衣玖が叫んだ。
「……おっぱい!」
「反省しろよ……」
「まったくだ!」
「アンタだよ!」
はあ、と妖夢が溜息をついたのが聞こえた。
溜息つきたいのはこっちだよ、まったくもう。
※ ※ ※
協議の末、明らかに何かに憑依されている文は、映姫様の所へ連れて行くことにした。
問題は誰が連れていくかだったが、俺と妖夢では背丈の問題で背負えないので、衣玖が背負って行くことになった。
「おっぱいぃ……」
「どうした衣玖?」
「背中におっぱいの感触がしない……」
「あっそ」
そんなこんなで俺たちは、ようやく三途の川に到着したのだった。
長く苦しい戦いだった……
「まだエンディングには早いですよ」
「そうだな」
俺たちは気を引き締めた。なぜなら、三途の川には先客が居たからだ。
そこに夢にまで描いた存在が居た。
流れるようなブロンド、腕に抱いた魔道書と人形たち、白磁のような艶めかしい肌。
俺の持ちキャラ、アリスさんだった。とうとう彼女と会えたことに、俺はちょっと涙ぐんだ。
「ア、アリス・マーガトロイドさん……?」
「うむ、半分はな」
その言葉に、俺は気を引き締めた。
アリスさんは俺の問いかけに『半分は』という表現で答えてきた。
ということは、どうやら彼女も現実世界の魂に憑依されているらしい。
俺よりもアリスさんへの愛が強かったそいつに、ほんの少しだけ嫉妬した。
「アリスさん、どうして川を渡らないんですか?」
「あれを見てくれ」
妖夢の発したもっともな疑問に、アリスさんは川の方を指してみせた。
そこで、俺たちは信じられないものを見た。
「うんしょ、うんしょ……はい、次の方ー! 列を崩さずに乗船してくださいねー!」
小町の掛け声に合わせて、行列を作った幽霊たちがゾロゾロと船に乗る。
満員になるや、小町はせっせと船を漕いで向こう岸へ行ってしまった。
「あれは、小町? 嘘だろう、あんな一生懸命働いてるぞ」
「誰かの魂に憑依されているんでしょうか」
「おそらくね。確認するかい?」
「する」
すっと衣玖が前に出た。
ああ、またこのパターンだよ。嫌な予感しかしねぇ。
「小町はーげ」
「ははは、はげてねーし!」
小町は船の上から真っ赤になって反論してきた。
どうやら、小町に憑依した魂は、現実世界で何らかのトラウマを背負っているようだ。
俺は同じく現実世界に生きる者として、そっと同情の涙を流した。
なおも衣玖がからかおうとした矢先、アリスさんが冷静な発言をした。
「漫才してないで、さっさと僕を向こう岸に送ってくれ」
「ああ、送るよ。この幽霊たちを送り終わったらな」
小町いわく、さぼっていた分の仕事をこなしているので時間がかかるとのこと。
それが終わったら、俺たちをまとめて向こう岸に送ってくれると約束してくれた。
――物分かりのいいヤツが憑依していて助かった。
俺はそっと胸をなで下ろした。
小町が船を漕いでいる間、俺たちは暇になってしまった。
そこで、何となく疑問に思っていたことを聞いてみることにした。
「アリスさんも映姫様の所に向かっているんですか?」
「そうだ。アリスさんの体に僕なんかが憑依していいはずがない。一刻も早く現実に戻らねばならん」
「自分から憑依を解きにいくってことですか? 変わった人ですね」
「アリスさんは僕などが触れて良い存在ではない」
……なるほど、これが真のアリスさんに対する愛というものか。
俺は敗北感を胸に刻んだ。だが、それは思っていたより心地よいものだった。
「うっ!?」
「……えっ!?」
いきなり、アリスさんは右手を抑えて苦しみ始めた。
妖夢がおろおろと声をかけた。
「アリスさん、どうしたんですか?」
「くうっ、手が勝手にブーツを! ブーツを脱ごうとする!」
見れば、アリスさんのミロのヴィーナス像より美しい手が、すらりと伸びたおみ足に履かれたブーツの紐をほどきだしていた。
「こ、これは……!」
「知っているのか、雷電……もとい衣玖!」
「アリスの体に、沢山のブーツご飯勢の魂が宿っている! こいつらブーツでご飯を炊くつもりだ!」
「なんで、そんなピンポイントに解説できるんですか……」
俺たちがそんな会話をしている間に、アリスさんはすっかりブーツを脱ぎ終わっていた。
そして三途の川で水を汲み――
『うおおーっ、米、米、米ェェェー! その種籾をよこせぇーッ!』
狂ったように叫び始めた。
「ご飯がなくて、ブーツご飯を炊けないようだな」
……そういう問題なのか。
俺は、自分がアリスさんの体に憑依できなかった、本当の原因に気付いた。
愛が足りなかったのではない。憑依希望者が多すぎたのだ。
ああ、でも、あんな状態の中に放り込まれなくて良かったなあ。
「あの、チルノさん……」
「はい?」
ふと見ると、妖夢は深刻な顔をして何かブツブツと呟きだしていた。
「ご飯で思い出しました。私、幽々子様に謝らなきゃいけないことがあるんです。
幽々子様に『休みなさい』って言われた後、私ショックで白玉楼を飛び出してしまったんです。
もちろん私には行くあてなんかありませんから、冥界をふらふら彷徨っていました。
そうしたら、帰ってきたとき幽々子様はオロオロしていらして、こう仰ってくださったんです。
『ああ妖夢、貴女の姿が見えないから、一体どこに行ったのかと思っていたわ。顔色が悪いけれど大丈夫なの?』
私は、とても申し訳ない気持ちになりました。こんなに幽々子様が心配してくださるなんて思ってもみなかったんですから。
でも、ちょっとだけ嬉しかったのも事実なんです。ええ、これは私が背負って生まれた、恋という名の原罪です。
そうしたら案の定、罰が当ってしまったんです。幽々子様のお腹が、ぐ~とすごい音を立てたんです。
びっくりして幽々子様のお顔を見たら、それは真っ赤になってうつむいておられて、
『妖夢が居ない間、料理を食べていなかったからお腹がすいたの。恥ずかしいところを見せてしまったわね、ごめんなさい』
と仰るんです。
それを聞いたとき、私は心底後悔しました。どうして幽々子様が困っておられるときに、おそばに居て差し上げられなかったのかと。
きっと幽々子様は死ぬほど――まあ幽霊なんですけど――お腹がすいていたに違いありません。
ですから私は、もう二度と幽々子様がお腹をすかせることが無いようにしようと心に誓ったんです」
「はあ……」
そんな話をされても、どう答えたもんだか分からない。
困って衣玖のほうを見ると、ふむふむと頷いている。
そして悲しげに眉をひそめ、妖夢の薄い胸元に視線を落とした。
「妖夢……おっぱいぃ?」
「そうですよね、私だって成長すれば幽々子様にふさわしい立派なレディになれますよね。ありがとうございます!」
「おっぱい!」
衣玖は妖夢の肩を抱き、慰めるようにサムズアップした。
背後で、アリスさんがマジ切れ2秒前といった声をあげた。
「そんな話はいいから、助けてくれーッ! アリスさんにブーツご飯を食べさせるなど絶対に許さない!」
「ふむ。たしかに、これは面白い……もとい、可哀そうな状況だな」
そう呟いて、衣玖はつかつかとアリスに近寄った。
そして右の拳を振り上げると、思い切りアリスさんの顔面めがけて振り下ろした。
ミシィッと音を立てて、アリスさんの顔が陥没する。
俺は怒りと恐怖に震えながら、衣玖に問いかけた。
「な、何をするだァーッ!?」
「アリスは殴るもの」
またしても、俺には衣玖の語尾に(キリッ)という文字が見えた。
そのとき、全アリス使いの魂が一つとなった。
『貴様ァ……アリスさんを殴るなーッ!!』
「ぐあああああーっ!!」
「クロコダイーン!! ぐああーっ!!」
それは全東方スレにおける、アリス好きたちの切なる願い。
ありったけの力をこめた和蘭人形が、俺を含めたその場の全員を吹き飛ばしていった。
※ ※ ※
「ふぅ、仕事が終わったぜぃ~。ありゃ?」
幽霊の運搬作業に追われていた小町は、ようやく岸辺に意識を戻した。
そこには衣玖、チルノ、妖夢、文がバラバラに倒れていた。
それはまるで、台風になぎ倒された街路樹のようだった。
アリスだけ、姿が見えない。
「んー、どうしようかなコレ……全部運ぶか」
働き者の小町は、うんしょと問題児どもを持ちあげると、一人ずつ船の中へ運びこんでいった。
賽の河原で石を積む子供の霊を背に、船は三途の川を渡ってゆく。
見渡す限りの白い川原に、ポツンポツンと生えた年代物の松を、いつの間にか昇ってきた蒼月が照らし出している。
空には無数の星々が輝き、天の川や北斗七星がはっきりと見える。まさしく浄土の浜と呼ぶにふさわしい光景だ。
それは今の日本から失われた、自然の美しさであった。
やがて船は彼岸に到着した。
※ ※ ※
「うーん……?」
目が覚めると、木で出来た床の上に寝ていた。
はて、俺は賽の河原で和蘭人形に吹き飛ばされて、それからどうしたっけ……?
「気が付きましたか」
頭上から聞こえる声に、俺はまだクラクラする頭を振って視線を上げた。
そこはこのフロアの中で一段高い席になっていて、小さな女の子が俺を見下ろしているのが分かった。
彼女は値踏みするように俺たちをジロジロ見ると、隣に立つ女性に声をかけた。
「小町、この子たちを連れてきてくれてありがとう。なるほど、これがあのスキマの施した術ですか」
「運搬業は外の世界で慣れてますから。それより映姫様、俺そろそろ現実に帰りたいんですけど……」
「いいでしょう、今まで小町がサボっていた分まで、よく働いてくれました。貴女の魂に白黒つけてあげます」
「やったー! 仕事の呼び出しとか入ってたらどうしようと思ってたんだ」
小町は、かなり悲しい喜び方をした。
オイオイ、せっかく小町に憑依できたんだろ?
それなりに実力あるんだし、もっと幻想郷を観光していけばいいのに……
「この人かわいそう」
いきなり起きあがってきた衣玖が、小町の中の人を煽った。
「あ゛!? なんすか!?」
「あ! やんのか!?」
「ああん!? やんねーよ!!」
「こら」
二人は額をくっつけて因縁をつけあっている。
その間に悔悟棒が割って入った。
「貴女たちはもう少し素直になるということを学んだほうがいい。
貴女たちはとても良い人だというのに、その物言いで損をしている。
ふざけあっていてはお互いの真剣な気持ちは伝わらないのです。
仲良くなりたいという気持ちを表現することを覚えなさい、それが今の貴女たちにできる最大の善行です」
「……あ」
衣玖は愕然とした表情で、映姫の胸を見下ろして言った。
「どうかしましたか?」
「あの……Hカップは……?」
「えっち……? 何のことですか? いやらしいことなら許しませんよ」
くわっ! と衣玖が俺を睨んだ。
「嘘つき! 映姫様はHカップって言ったじゃない!」
「え? 何の話?」
「俺が仲間になった時の話!」
えー? あ、そう言えば……
――そう、映姫様だよ! 実は映姫様は童顔にも関わらず、すごい巨乳でな!
――Hカップは固いって、紫が言ってた!
「何か私について、よくない噂を流したのですか?」
「う゛っ」
映姫様が、にこやかな笑顔で俺の前に立った。
怖い。笑顔が怖い。すんげー優しそうな笑顔してるのが、ものすごい怖さを演出してる。
「すみませんでした」
「まったく、一体何を考えているのですか。大体――」
「映姫様、映姫様。俺、早く帰りたいんですけど」
横から小町が割って入った。
ナイスフォロー、小町! こいつは本当にいいやつだと思う。
映姫様はコホンと咳払いをして、そうですね、と呟いた。
「これ以上、貴女たちを幻想郷に留めておくことのほうが問題かも知れませんね。
不本意ではありますが、外の世界への帰還を始めましょう。
ただし、外の世界に帰った後も、くれぐれも人としての道を外れてはなりませんよ」
「あーあ、これでお別れかー。せっかく文ちゃんを幻想郷中のアイドルとしてプロデュースするチャンスだったのにな。
むしろ俺、一生幻想郷に居たいんだけど」
「それ、本気で言ってる?」
「……わりかし、そうでもない」
ふてくされたように文が呟く。
幻想郷で生きてゆける。それは一見、楽しそうである。
だが、よく考えて欲しい。貴方は日夜、手ごわい妖怪の襲来に備えながら戦時下のような生活を送れるだろうか?
インターネットもない、電気もない、トイレも水洗じゃない、昔ながらの生活に今さら戻れるだろうか?
俺の答えはノーだった。幻想郷に来て間もないのに、ネットの世界が恋しくてたまらない。
早く現実に帰って、すき屋の白髪ネギ牛丼を食べて、熱いシャワーを浴びて、暖かい布団で眠りたい。
それは科学文明という、俺たちが先祖代々発達させてきた、偉大な力の恩恵なのだ。
まだ幻想郷に残っている、現実世界からやってきた連中も、いずれ同じ気持ちになるだろうと容易に察しがついた。
なんとなく重苦しくなってしまった空気をとりなすかのように、妖夢が「まあまあ」と微笑みかけた。
「これで永久の別れってわけじゃないんですから。幻想郷と現実はいつでも繋がっているんでしょう?
それより向こうではご家族が心配なさっているんじゃありませんか?」
「あー、家族ね……兄貴あたりがうるさいかなー」
文は面倒くさそうに顔をしかめた。
家族……俺は一人暮らしだし、授業も出席取りが甘いヤツを選んで受けているから、まだ問題になっていないだろう。
だが、幻想郷滞在が長期化すれば、問題になるかも知れない。母さんが泣いたりするのは、ちょっと嫌な感じがした。
「俺も帰ろうっと。衣玖さんは? まだ幻想郷に居ます?」
「ううん、こんな貧乳幻想郷、俺の理想じゃない……帰ってパソコンからロリ巨乳画像を漁ることにする……」
「ぶん殴りたくなる単語がいくつか聞こえましたけど、帰還することに異議なしですね?」
俺と文、衣玖、小町は並んで立った。
妖夢だけが離れたところに立ち、バイバイと手を振っている。
「それじゃ、みなさんお疲れ様でした。短い間でしたけど楽しかったですよ」
「うん、今までありがとうな」
「ええ。私も短い間だけれど楽しかったわ」
突如として響いた声に、妖夢はビクンと体を震わせた。
皆、声のした方――この部屋の入り口――を振り返った。
そこにはいつから居たのか、一人の少女が立って、悲しそうにこちらを見ていた。
青い衣に帽子をかぶり、三角のひたいえぼしを着けた少女。
あれは確か、冥界の管理人……
「幽々子様!?」
「妖夢……いえ、外の世界の神様。そろそろ私の妖夢を返してくださいませんか?」
その言葉に、妖夢の顔から血の気が引いた。
「映姫様、これはどういうことです?」
妖夢は血相を変えて映姫に詰め寄った。
映姫は目をつむったまま、答えない。代わりに幽々子が、静かな声で語り始めた。
「二カ月前、あなたは流れ星に乗ってやってきたのよね?
紫と霊夢が試した神降ろしの儀式は成功していた。
でも貴女は、ずっと妖夢のふりをして、白玉楼の家事をしてくれたのよね」
「気付いておられたんですか……」
呆然と呟く妖夢に、幽々子は「気付くわよ」と苦笑いしてみせた。
「だって私が出かけるのを嫌がったり、ずっと一緒に居ようとしたり、紫と会うのに嫉妬したりするようになったんですもの。
すぐに変だと思って、紫に相談したのよ」
「しかし幽々子さんは、すぐに貴女を帰らせようとはしなかった。
貴女が自分で帰ると言いだすまで待つと仰ったのです。ですから、貴女がここに来たとき、てっきり帰るつもりになったのかと思ったのですが……」
「そうではない、みたいね?」
映姫と幽々子、二人に挟まれて、妖夢はじりじりと後ずさった。唇がワナワナと震えている。
俺は突然の展開にとまどった。
「えーと、ちょっと待ってくれ。よく分からないんだが……
妖夢も俺たちと同じように、外の世界の神に憑依されてるってことか?」
「よく分かってるじゃないの。でも貴女たちと違って、この神様はよっぽど外の世界が嫌だったんでしょうね。
この二カ月、幻想郷に溶け込もうと必死だったもの」
「…………」
俺たちは言葉を失った。
現実から幻想郷に来るということは、文明も、家族も、友人も、何もかも無くしてしまうということである。
それらを全て捨てて、なお幻想の中に生きて行こうという考えを持つに至るとは、妖夢に宿った者はどんな生活を送ってきたのだろう。
妖夢は必死の形相で叫び始めた。
「私は、幽々子様さえ居てくだされば、それでいい。他には何もいらない。
お願いします、私をここに置いてください! 現実になんか帰りたくないんです!」
「貴女はそれでいいでしょう。でもね、妖夢。貴女と二人きりで生きてゆくのは私が嫌なの。
紫も居て、霊夢も居て、魔理沙も居て、いつも通り素直な妖夢が居て……そんな幻想郷を私は望んでいるの」
「素直……?」
「ええ、妖夢は素直で正直よ。騙しても、からかっても、まるで意に介さずに私の言うことを聞いてくれるの。
人によっては、それを『物足りない』と表現するでしょう。
でもそれは、紅魔館のメイドにも、紫の式にも、守矢の巫女にもない美徳だと思うわ。
たまに物足りなくなって、それでまたからかってしまうのだけれど、それでも言うことを聞いてくれるんだから……
あの子ったら、底なしのお人よしよねぇ」
幽々子は、どこか遠くを見る目で告げた。
それは、ひねくれた愛情の告白であると共に、今の妖夢に対するキッパリとした決別宣言でもあった。
「もう嫌!」
妖夢は壁際に逃げると、楼観剣を抜き放って、自分の喉に突きつけた。
誰も止めることが出来ない、一瞬の出来事だった。
さすがの幽々子が顔色を変えた。
「妖夢!?」
「幽々子様……やっぱりこの娘のことが心配なんですね。
私は幽々子様と居たかった、けれど幽々子様が私を拒むと仰るのなら、ここで死んで白玉楼にお仕えします!」
「正気なのですか!?」
映姫様の叱咤が飛ぶ。
「妖夢、そんなに妄執を抱えたままでは、死んでも怨霊にしかなれません。現世を彷徨い、やがて地底に封印されてしまいます。
幽々子さんの住む白玉楼には二度と戻れませんよ!?」
「そんなこと言われても、私、分からない……自分でも正気なのか狂気なのか分かりません。
でも、幽々子様を好きで好きで仕方ない気持ちは、嘘じゃないんです!」
「あらあら。私の何がそんなに好きだって言うの?」
「私を必要としてくれたから!」
妖夢は泣きながら、自分の腕に力を込めた。
剣が喉の皮膚を薄く傷つけ、すうっと一筋の鮮血が肩甲骨の方へ伝い落ちていった。
「私を必要としてくれる人は、現実世界には居なかった。
この世界に来て、初めて生きていていいよって、貴女が必要なんだよって、そう言ってくれた!
だから私は、幽々子様と一緒に居たいんです!」
俺には妖夢にかけるべき言葉が見当たらなかった。
そんなにも報われない人生とは、どんな人生だったのか、想像もつかない。
能天気にモラトリアム真っ最中の俺は、呆然と事の成り行きを見ているしか出来なかった。
「誰か、何とか出来ませんか?」
映姫様が、こっそり囁いてきた。
「外の世界の神々は、スペルカードの発動を得意とすると聞きます。
今の妖夢から、無理に剣を取り上げようとすれば、必殺の反撃が襲ってくるでしょう。
互角に渡り合えるのは、貴女たちだけ――何か解決策はありませんか?」
あ、と俺たちは気付いた。
なぜ紫が俺たちをこの世界に招いたのか。
妖夢が自暴自棄になり、スペルカードを連発した挙句に自殺する。
そうした状況を恐れ、抑止力として俺たちを呼んだのではないか。
(面倒事だけ人に押し付けるとは……汚いな、さすがスキマ汚い!)
(しかし、誰がやる? この状況で有利に働くスペルカードって何だ?)
俺たちは互いにアイコンタクトで意思疎通を計った。
セリエAの選手もびっくりの連携能力だ。
(俺は竜巻ぶっぱなしちゃうから、お前らにまで被害が行くぜ)
(俺、脱魂の儀が使えるから、何か使えないか?)
(じゃあ転移させて、すぐ俺が凍らせて動きを封じるってのは……)
(待て)
作戦が固まりかけた、その瞬間だった。
(ここは俺に任せろ)
そう目だけで語って、ヤツは一歩前へ出た。
「衣玖!? お前、何をする気だ!?」
「妖夢……いや、名もなき外の世界の神よ。よく聞きなさい」
「こないで!」
妖夢は剣を振りかぶった。
しかし衣玖は臆することなく、両手を広げて前進する。
(そうか!)
俺は気付いた。「羽衣は空の如く」――風の鎧を作り、相手の攻撃を全て受け流すあの技なら!
自分も妖夢も傷つけずに、剣だけを取り上げることができる!
しかし衣玖が次にとった行動は、思いもよらぬものだった。
懐からスペルカードを取り出すと、ポイと投げ捨ててしまったのだ。
衣玖、お前どうする気だ!?
「自分は、争う気はありません。話をしましょう」
「話すことなんて……」
「おっぱいは、なぜ美しいと思いますか?」
俺たちは唖然とした。
衣玖が何をやっているのか、サッパリ理解できない。むしろ理解できるヤツがいたら教えてくれ。
そんな俺の気持ちをよそに、衣玖は話し続ける。
「答えなさい。おっぱいは、なぜ美しいと思いますか?」
「なぜって……丸くて柔らかいから?」
妖夢がおずおずと答えると、衣玖は首を振った。
「いいえ、違います。どんなおっぱいも歳月を経て、いつかしなびます。
おっぱいが美しい時間には限りがある。ゆえに、おっぱいは美しいのです」
「それとこれとに何の関係が!?」
全方向からのツッコミを無視して、衣玖は一歩、妖夢に近づいた。
「しかし幽々子は死なない。なぜなら彼女は幽霊だから、永遠に美しいおっぱいを保ち続ける。
では、なぜ貴女は、幽々子のおっぱいを素晴らしいと感じたのでしょうか?」
「そんなこと言われても……」
妖夢は心底困り果てた顔で呟いた。
安心しろ妖夢、俺にもわからん。
「答えは、あなたの魂が永遠ではないからです。
あなた自身がうつろいゆき、いつか幽々子のおっぱいを観測できなくなる。
ゆえに幽々子のおっぱいも美しいのです」
そう! と叫んで指をつきつける衣玖。
「つまり、おっぱいを愛するということは、あなた自身がおっぱいの一部であるということ。
あなたは既におっぱいの愛を受けているのです!」
「何を言ってるのかサッパリわかんねーよ! そんな説得で納得するはずがないだろう!
いい加減にしろ!!」
我慢できなくなった俺は、衣玖を指差して絶叫した。
ああもう、こんなヤツに任せたのが間違いだったんだ。
見ろ、妖夢だって楼観剣を取り落として……え?
「そうだったのか……」
カラン、という金属音が床の上に響いた。
「納得してんじゃねーよ!!」
もはや俺のツッコミも届く範囲には無い。
妖夢はがっくりと地面に膝をつき、滂沱の涙を流していた。
その肩に、そっと衣玖が手を乗せる。
「わかってくれたならいいのです。では、私と一緒に『おっぱい』と唱えましょう」
「は、はいっ!」
二人はまるで旧知の友のように、しっかりと手を握り合った。
「せーの、おっぱい! ……と見せかけて電流バチィ!」
「うっ!?」
衣玖の指から妖夢の首筋めがけて、一条の電撃が迸った。
それはスタンガンが放つような細い見た目とは裏腹に、強烈な威力を持っていたらしく、一撃で妖夢を昏倒させる。
彼女がぐったりしたのを見て、衣玖は「ふぅ」とやり遂げた顔で汗をぬぐった。
「はいはい、撤収するよー。ささ映姫の旦那、このゴミとっとと外の世界に送り返してください」
「さっきまでのは何だったんだ!?」
その場に居た全員がツッコんだ。
「じゃあ一番の危険人物から帰しますかね」
そう言うと、映姫は衣玖に向けて悔悟棒を振りかざした。
「い゛っ!? なんで俺!?」
「そりゃそうだろう」
「混沌たる魂よ、外の世界へ戻りなさい!」
「見ていろよ、俺を倒しても第二・第三の俺が……ぐわああああーっ!!」
衣玖は悪役のようなセリフを吐くと、ばたっとその場に倒れ込んだ。
どうやら、これで衣玖は憑き物が落ちたらしい。
次に妖夢の額に悔悟棒をかざして――何を思ったか、映姫様はコホンと咳払いした。
「魂魄妖夢。あなたの魂を白黒はっきりさせる前に、言っておきたいことがあります」
「……気絶してないって、気付いてたんですか」
妖夢はパチッと目を開けると、上半身を起こした。
「妖夢、いいえ、外の世界の神よ。貴方は人を信用しなさすぎる。なぜ幽々子一人にこだわり、外界に目を向けようとしないのですか?」
「…………」
「ゆっくりでいいのよ」
幽々子が、そっと妖夢の肩に手を置いた。
「貴女の話を聞きたいの。お願いだから話してくれるかしら?」
「幽々子様! 私……私は……」
妖夢は口をパクパクさせた後、堰を切ったように話し始めた。
「私、両親が離婚して! 二人とも喧嘩ばっかりで私のこと見てくれなくて!
母さんと暮らし始めたら、今度は男の人が家に来て!
家に居られなくて、夜遊びして補導されて、そしたら学校でいじめられるようになって……!
私、最近もう引きこもりになっちゃって、どうしていいか分からないんです!」
外の世界からきた俺たちには、よく分かる話だった。
よくある、けれど冗談では済まされない部類の話。
ただし幻想郷の幽々子には、理解できない話のはずだった。
――けれど。
「そう、そうなの。今まで辛かったわね」
そう言って、彼女は聖母のように、妖夢の体を抱きしめた。
妖夢は火がついたように泣き始めた。
「私、現実に戻っても友達なんか居ないんです。この先、どうすればいいのか分からなくて……」
「そんなことないぜ」
俺は勇気を出して声をかけた。
えっ、と声を出して妖夢が俺を見る。
「思いだしてみろよ、今日だけで何人の幻想郷好きと出会った? 友達なんていくらでも作れるじゃないか」
「でも、私は不器用だから、そんなことできない……」
「できるさ。お前、どの辺に住んでる?」
「高田馬場」
「お。俺、池袋のゲーセンによく居るんだわ。寂しくなったらゲーセンに来いよ。ポップンミュージックやってるやつがそうだから」
「ゲーセン……」
ぐすっと洟をすすって妖夢が答える。
「ゲーセンに行けば、友達できますか?」
「家に居てもいいんだぜ。俺、運送会社で働いてるから、縁があれば会えるかもな」
小町が、ぐっと力こぶを作ってみせる。
「妖夢、なかなか見どころがありそうだ……『幽々子より文ちゃんの方が百倍かわいいです』って言えたら友達になってあげてもいいんだよ?」
「あらあら、それは困るわねぇ」
「痛いっ!?」
文は、某漫画の丸パクリ発言をして、幽々子に頭をはたかれていた。
妖夢はそんな俺たちをじっと見て、大きな声で笑い始めた。
「うふっ、あはっ、あははははははは!!」
「それだけ笑えれば、もう大丈夫ですね」
改めて映姫様が悔悟棒をかざす。妖夢は、もう抵抗しなかった。
「ありがとう、皆さん。今度は現実で会いましょう」
「ありがとうは私のセリフよ。妖夢、今までありがとうね」
「幽々子様……」
泣きだしそうになる妖夢を、ぎゅっと幽々子が抱きしめた。それは慈愛に満ちた笑顔だった。
まるで親子が交わすような、愛のこもった抱擁。
「外の世界に帰るまで、こうしていてあげるから。怖くないから、ね?」
「うっ……ひっく……はい、幽々子様!」
「魂魄妖夢に宿りし混沌たる魂よ、外の世界へお戻りなさい」
映姫様の声と共に、妖夢が意識を失う。
次は貴女ね、と映姫様が俺の方を向いた。
「お願いね」
「はい?」
急に幽々子が俺のそばに来て言った。
「あの子と外の世界で会ったら、お友達になってあげて。それが私と紫からのお願いなの」
「もしかして、そのために俺たちを召喚したんですか?」
「ええ。外の世界に戻って、何の思い出も残らなかったら、あの子が悲しむと思って。
あの子が大丈夫になるまで、そばに居てあげて」
俺は「けど」と言おうとした。
俺は冴えない大学生だ。友達は少ないし、根暗だし、ゲームの腕も半端で、何一つ自慢できることは無い。
だから「そんなの無理です」と答えるつもりだった。
――けど。
それでも人を救えるとしたら。人のために何かが出来るとしたら。
「やってみます。俺に何が出来るか分からないけど」
「大丈夫よ」
幽々子が笑う。
「あなたなら出来るわ」
「理由は何です?」
「勘、よ」
「勘って……霊夢じゃないんですから」
そろそろ行きますよ、と映姫様が言った。
俺の上に悔悟棒が掲げられる。
さようなら、幻想郷。これからもよろしくな。
俺は、そっと目を閉じた。
唇に柔らかい感触がした。
驚いて目を開けると、幽々子が俺の唇にキスをしていた。
俺はパニックを起こして、何をしていいんだか分からなくなって――
「――夢?」
そこで目が覚めた。
もちろん幻想郷などではない、下宿の安アパートの一室で、だ。
頭の横には、大学から帰ってブン投げた鞄が無造作に転がっている。
辺りはすっかり暗くなっていた。随分と長い夢を見ていたらしい。
だが、あれは本当に夢だったのだろうか?
俺は口元をそっとなぞった。幽々子の唇の感触が残っていたからだ。
「決めた!」
俺は鞄から財布と定期を取り出すと、池袋のゲーセンに行くことにした。
あれが夢であっても、なくても。
まだ見ぬ、東方好きの友と会うために、俺は自室の扉を開いた。
※ ※ ※
「幽々子から、映姫が全ての神様を外の世界に送り返したと連絡が来たわ」
「じゃあ、この異変は無事解決したのね?」
霊夢は、ほっと胸をなで下ろした。
紫にハメられたとはいえ、自らが原因となったこの異変に、少なからぬ責任を感じていたからだ。
あれから、外の世界の神に憑依された者たちを、倒して倒して倒しまくった。
どいつもこいつも変態ぞろいで……ああ、思い出したくもない。
と、外から「おーい」という声が聞こえてきた。
「おーい、霊夢。新しい異変が起きたぞ」
「む、めんどくさいわねぇ。どんな異変よ?」
「三途の川で、新しい妖怪が出るらしい。はだしで四つん這いになりながら『米おいてけー、米おいてけー』と走り寄ってくるとか」
「知らないわよ、そんなの。アンタが行って解決してくれば?」
魔理沙は、それじゃあと飛び去っていく。
霊夢は、ああ疲れたと呟いて、畳の上に横になった。
(了)
アリスが通常二次とは別方向に不憫www
パルスィになりたい