ふっ、と赤く染まった紅葉が、月の光のもとに落ちてきた。それを合図にしたのか、二つの杯が、同じく二つの手によって持ち上げられ、干される。そして、どう、という音がした。紅葉がふっと舞い上がり、そして干された杯の中に入る。
人間と妖怪の飲み比べ、というものは、基本的に人間には勝ち得ないようになっている。そして、霊夢はいかに強力な肝臓を持っていようところで、射命丸文とまともに飲み比べをして、勝ちようがあるはずもない。
しかし、ぐでん、と赤い顔をさせて机に寝そべっているのは、霊夢ではない。カラスの塗れ羽黒そのままの深い黒の髪をもち、そこから少しばかりとがった耳が飛び出し、そして頭巾をかぶっている鴉天狗、射命丸文が、である。シャツは暑いのかすこしばかりはだけ、色の白い肌と、柔らかな曲線を見せる鎖骨のあたりがふ、と見えている。これで霊夢が男であったのならば、間違いを起こす気を惹起させたろうが、そういった趣味はあいにくなかった。霊夢はというと、顔を真っ赤にさせながらも目はしゃん、としており、にたり、と笑って見せた。彼女は、頭に着けた大きなリボンよりも、下手をすれば赤い肩をのぞかせ、そのまま袖口と胴のあたりが離れている、要は脇のでた巫女服をまとっていた。
「……ふふ」
してやった。そう思った霊夢は、不思議と笑いがこみ上げてくる。ペテンは、人間の特権だ。鬼は嘘を嫌うが、嘘を言ったところでへいぜん、としている天狗をペテンにかけたところで、何らの呵責もない。いや、さすがに無駄にした酒と、強烈な焼酎は、もったいないのだが。
「勝ったわ……!」
ときの声を上げたいのだろうが、しかしそれはかなわなかった。当然の帰結として、少女はぶっ倒れた。所詮は人間であった。あと寝ゲロした。
「胃痛持ちの白い巫女さん」
「……で、こう……なんで私の目の前に居るのは黒い髪じゃなくて、白いのかしら」
「そうですね。黒い方に聞きたいところです。主に体に」
「同感ね。……シメる?」
「……これが終わったら。一応、あの黒いのじゃなくて、上司の指示ですし。……今回ばかりは気持ちよく斬れると思います」
宮仕えは大変ね。と目の前の同じ位の背丈の、白い髪ににょきん、と犬のような耳の生えた少女に言うと、胃のあたりをさすりながら、いや、全くです。とうめくように答えた。どうも胃をやっているらしい。霊夢は妖怪なのに大変だなあ、と他人事のように考えると。目の前の少女の名も知らぬ事にはた、と思い当たると、自分の名前を名乗ってから、赤い瞳で自分を見つめ返す少女に名を尋ねた。
「……犬走椛です。ああ、たぶんそっちは覚えてないと思いますが、一度会ったこともありますよ」
「そう。まあ、今回はどうでもいいわ。同じくらいの体格だし、ちょうど良さそうね」
「……あの?」
「聞いてない? うちの祭りの手伝いをするって約束、例の鴉天狗としてたのよ。うちの巫女として」
それを聞いて、さらに胃が痛くなったのか、椛は腹をなでさすり、うめいた。どうやら、不幸にもなにも知らなかったようなのだ。しかし、天狗も使役する神社ともなると、いくらか箔がつこうものだ。それに、頭に鴉やら、白狼とつこうが、賽銭箱に投げ入れられる貨幣の音は、同じである。
「……はぁ」
ため息をつき、スカートをつまんで、はなす。衣装のかわいらしさはともかく、境内の掃除という雑用をやっているのであれば、椛もため息をつきたくなろう、というものだ。おまけに少し胸のあたりもきついし、と考えて、黄色いネクタイか、スカーフのようなものをちょっとひき、胸元のあたりを緩くしてやる。
袴かと思っていたのだが、どうも西洋風のスカートで、レースのフリルのたぐいがふんだんに装飾に用いられている。脇が出ている、というあたりまでは普段椛がきているものと同じだが、そこが最大の相違点だろう。リボンは、耳が引っ張られているような感覚があるため、断固拒否した。かわいいのに、と言われても、それで不快感が帳消しになるかというと別である。
落ち葉を集め、首をこきこきと鳴らしながら成果を見ると、自分の背丈並である。やりすぎたか、と思うが、どうにも一度始めると止まらないのだ。
「こんなものでいいかな……」
そう考えると、竹ボウキを逆さに持ち、剣のように両手で青眼に構え、振りかぶる。ふむ、とつぶやいたあと、視線を感じ、ぎぎ、とそちらの方を向くと、同じく脇のあたりに袖のない少女が立っている。緑色の髪をして、白と青の衣装をまとっている少女は、びくん、と肩をふるわせて、口のあたりを抑え、顔を背けていた。
「……何か」
「……何も」
ぶふっという吹き出す音がした。椛は、胃のあたりがまたしくしくと痛んでくるのが感じられ、さらにうめいた。
「いやあ、でも似合ってますね。かわいいです」
「……そ、そうですか」
ひとしきり笑った後、風祝である少女は、上から下まで椛の格好を見た後、笑顔でこういった。それを聞いて、椛もむろん悪い気はしない。霊夢に似合う、だとかかわいい、とか言われても、胃痛のネタが一つ増えた気にしかならなかったのだが、そのときとはこころもちが違ったのだ。
「着る人が違うと印象も結構違いますね。ちょっと霊夢さんより背が小さいから……なんだか、ちょっとほうっておけない感じでしょうか。そういうのも似合うんですね」
「その……やめてくださいよ」
苦笑いをしながら椛は手をぱたぱたと振る。知らないうちに尻尾がゆらゆらと揺れているのには、当人は気づかない。むろん、早苗には丸見えなのだが。
「ところで、霊夢さんは?」
「ああ、なんだかお祭りをするとかで、香具師に話をつけに行ったみたいです。お祭りには出店がないと、とか言ってましたけど」
「ふむ……」
あ、何か悪いことを考えてる顔だ、と早苗の顔を見て椛は考えるが、それは気にしないことにする。しかし、何をしに来たのだろうか、と考えると、それが顔に出ていたらしい。ああ、そうだそうだ。と言って茶色い紙袋を手渡す。なにか、と思って見てみると、そこには甘藷(サツマイモ)が詰まっていた。どこからきたのか、というと言うまでもないだろう。おそらく、秋の神様のお裾分け、というやつだ。椛のところにも上機嫌で来ていたので、間違いあるまい。椛が目で問うと、早苗はええ、と苦笑いをしている。
「秋の神様ですか」
「そうなんですよ。さすがに三人じゃあ食べきれないし、ちょっとこれでお酒に合うもの、というと考えつかないし、私、お酒が苦手で……」
「……ああ」
この巫女、あるいは風祝は下戸なのだ。どうにも酒に関してはルーズな傾向にある幻想郷では、いかにも珍しい。酒席で同じ場所にいた場合は、捕まえる振りをして、飲まなくてもすむようにしている。外の世界ではアルコール・ハラスメントという概念があるらしい。椛の場合、それがどうこうというより、無理矢理に飲ませてぶっ倒れられて、自分が介抱するのがいやなだけなのだが、何とも便利な概念である。幻想入りしてほしいところだ。
「……じゃあ、焼き芋にしましょう。ちょうどため込んでる新聞紙を片づけたい、とここの巫女が言っていましたし、あの落ち葉の山もありますし」
「え、でも新聞紙ってことはあの人の号外……」
それを聞いて、耳と尻尾がびくん、と動く。ぎぎぎ、という音がしそうな動作で、首を早苗の方に椛は向けて、言った。
「焼き芋にしましょう。何が何でも焼き芋にしましょう」
さわやかな笑顔で、椛は言い切った。迷いが、まるでなかった。
椛は軍手をぐっとはめて、がさがさと火がくすぶっている焼けた落ち葉の中から、少し黒くなった包みを取り出し、横に置いていく。尻尾がちぎれんばかりに振られているのは、彼女が上機嫌だからだろう。
「良いんですかねえ……」
「良いんです。どうせ見てないし」
そういって、手渡された包みを開けて、わあ、という言葉を聞くと、椛もまたふっと顔をほころばせる。と言いたいところだが、満面の笑みだ。
「はい。多分あの秋の神様が配ってたから、大丈夫だと思うんですけど」
「そういえば、まだ芋には手を付けて無かったですね」
はて、どのくらいもらったのだろうか、と思って、自分の包みを持った後に後ろを見てみると、多少苦い顔をしている。旨い、たしかに旨いが限度を考えてくれ、という表情だ。どうも、あの神様は秋の味覚を配り歩きたいだけなんじゃないだろうか、と思うことがある。得だからいい、と言えばそうなのだが、腐らせるのはもったいない、という貧乏性が、どうにも邪魔をしてしまうのであった。
ともあれ、焼いた以上は食わねばなるまい。あまりはまあ博麗の巫女に渡す腹積もりではあったのだが。当人が香具師のところから帰ってこない間に火が燃え尽きてしまったのが悪いのだ。と屁理屈をこねたところで、むぞうさに包みを破って、赤紫の皮にそのままがぶり、とかぶりつく。行儀を気にするような食べ物でもないし、何より上司の目が無い。行儀悪でも、大食いでも、何も言われないのだ。
皮がするり、と剥がれ、中の黒っぽい黄色が姿を現す。むしゃり、むしゃりと皮とそこについていた実を咀嚼する。甘い。それもとんでもなく。
これは、期待できるな、と椛は一気にぐっと歯を立てた。
まるでクリームのよう、という表現がある。この甘藷はまさに、それである。舌の上ですう、ととろけ、そして芋の繊維めいた不快な舌触りを感じさせない。さすがは、というべきであろうか。そう椛は考えて、一つ目を平らげると、二つ目に取り掛かり、三つ目をぺろり、と平らげた。まだ入りそうかな、というところで、椛は切り上げるが、早苗は一つをようやく胃に収めたところである。
「……よく、食べますね」
「体が資本です」
えへん、と胸を張るが、ちょっときつい。あの巫女は食い物までケチってるから発育が悪いんだ、と椛は舌打ちめいた思いを抱いた。失礼極まる思考であるが。
「……帰ってきませんねえ」
「……そーですねえ」
二人で飯の準備をして、そして廊下を暇つぶしに雑巾がけして、気まぐれに狛犬を磨いたりしてみたが、ついにやることがなくなった。椛は暇つぶしに鳥居に立つと、ぐりん、と体を回して着地しては、また鳥居に立つ、という遊びまで初めている始末である。
「……日が傾きそうですし、そろそろ……」
「まあ、私もそろそろ……しかし本当に遅いですね、何かあったんでしょうか」
そういっているうちに、何かの気配を感じ、椛は振り返る。そこには、げっそりした顔の霊夢が飛んでいる姿が見えた。どうやら、本当に仕事をしていたらしい。
「……ただいま。……げ」
「人の顔を見るなりげ、は無いでしょうに」
「あんたが来るとろくなことがないのよ」
そういって無造作に早苗の顔に御札を投げつけると、椛の方をうっそりと見る。むろん、早苗はしっかりとその御札をつかんでいるのだが、それは置いておくとしよう。
「……交渉、終わった。頑張ろう」
「……お、おー」
面喰った椛は、やる気なさげにそれにこたえると、霊夢はため息をつきながら、ぐちぐちといろいろなものを吐き出す。
「だからああいうのと交渉するのは嫌いなのよ。女だからって甘く見られるんだもの」
「……はあ……」
「遠いだのなんだの、そりゃたしかに遠いけど」
「……はい……」
「でもねえ……もが」
椛はうっとうしくなったので、甘藷を霊夢の口に詰めた。しっかりとそれを食べた後に、椛と早苗が作った夕食を平らげ、塩気がキツイ、味噌を使い過ぎ、とケチをつけるのを忘れないあたり、肝が太いといえよう。むろん、椛は甘藷を口に詰めたことに対する報復で耳を動けなくなるまで弄られたのだが。
「やめてくださいよぅ……」
顔を真っ赤にし、露出させた肩が上気している。そんな椛を見て、さすがに罪悪感が沸いたのか、霊夢も動けなくなった段階で止めたのだが、そこはそれ、であった。
さて、時間はたち、祭りの当日である。詳しくは書かないが、まずまず、の成功であったとは言えよう。むろん、白い天狗の巫女が居ることにぎょっとした人が居たのは違いない。少なくとも、妖怪神社という印象を強めこそすれ、神威にひれ伏す、という類でなかったのは、間違いないのだが、すくなくとも男の集客にはなったようである。あとは、人に化けた天狗が、盛んにちょっかいを出しては、御幣で叩かれて正体をあらわにした、という事くらいであろうか。
もっとも、椛個人としては、胃痛の種が一つ増えただけ、ではあった。
文々。新聞に、椛の巫女装束の写真が載っていたからである。誰が得をしたのか、といえば、ネタを自分で作り出した射命丸文であろうか。損も無論していたのだが。
胃痛持ちの白い巫女さん ―了―
結構だ。続けたまえ。いや、続けて下さいお願いします。
紅葉といえば紅いものですから、椛には似合いそうですね。なんか変な文章になっちゃった。
>>惹起
「事件や問題を起こすこと」と言う意味らしいので、直前の文章と意味が重複してるみたいです。
「間違いを起こす気になった」とかのほうが良いんじゃないかな、と。
もふもふしたい。