空気を含んだ長袖のシャツが、魔理沙の腕をぱたぱたと叩いた。
帽子で頭が蒸れることもなくなり、すっかりと季節は秋である。
空から見下ろせば、眩しいほどの緑だった木々の色が、黄色や赤の暖色系に乗っ取られつつある様子を伺うことが出来た。
――けほ。
軽い咳が出て、魔理沙は乾燥した喉に気付く。
その後喉を潤わせるために、もう二、三回意図的に咳き込んだ。
しかしそれはその場しのぎの対処に過ぎない。
水分補給をしなければならないなと、魔理沙は秋の森にぽっかりと浮かぶ白い洋館を目指すことにした。
――コツコツコツ。
背後の窓ガラスが叩かれる音を聞いて、アリスは手を休めた。
そして一度瞼を閉じて、視界を馴染ませる。
幾度となく聞いたこの音に確信を持ち、アリスは窓の方へ歩いていった。
「よう。遊びに来たぜ! 」
いつも通りの屈託のない笑顔に、アリスは溜息をつく。
「ちゃんと玄関から入ってくることは出来ないの? 」
「アリスが出迎える手間を省いてやってるんだぜ? 感謝して欲しいくらいだけどなぁ」
――よっ。
魔理沙は窓枠に足を掛け、部屋に下りる際に軽く飛んで見せる。
そして着地後には体操選手さながらの両手を挙げた決めポーズを見せ、アリスの苦笑いを誘うのだった。
「玄関から訪れない者を客人と呼んでいいのかしら」
「まぁ硬いこと言うなって。私とアリスの仲じゃないか」
「それって侵入者と被害者の関係のこと? 」
いつもはぶつくさ言いながらもお出迎えの準備をしてくれるアリスが、今日は中々素直に迎え入れてくれないことに魔理沙は少しだけ頬を膨らませる。
「何だよ、今日は冷たいなぁ」
――くす。
分かり易い魔理沙の表情に、思わず笑みがこぼれた。
「ちょっとは玄関から入ることも考えてくれた? 冷たかったら部屋にすら入れないわよ」
そこに掛けてて、とアリスのお許しが出た後で魔理沙はソファーに腰を下ろした。
***
タンタンタン、と階段を下りていく足音が聞こえてくる。
私は脇にあったクッションを抱えて、横に体を倒した。
ふぅ、とリラックスした息を吐いた後で、下の階へ行ったアリスの行動を想像してみる。
これから二つ分のティーカップを用意して、白く優しい湯気の立つ、暖かい紅茶をいれてくれるのだろう。
今日は一悶着あったが、結局はこうして迎え入れてくれるマーガトロイド邸は中々居心地が良くて気に入っていた。
でももし氷が入った冷え冷えのアイスティーなんて出された場合には、流石に玄関から入ることも考えなくてはならない、かもしれない。
ちょっとした紅茶のアンサーの待ち時間に、魔理沙はぴっと姿勢を正してみた。
しかし、それも長くは続かず、まただらりとソファーに寄り掛った。
(紅茶、まだかなぁ)
待つことに飽き始めた魔理沙はアリスの部屋を眺める。
先程足を掛けた大きな窓の前には、アリスの座っていた背もたれつきの椅子が見えた。
その前にある机の上には何やら細かいものがばらばらと置いてあった。
(何が置いてあるんだ? )
魔理沙は細々した物体が気になり、歩みを進める。
するとそこには、小さな小さな毛糸の手袋と、毛糸玉、編み棒と繋がった人形用のマフラーが置いてあった。
更に机の上には、毛糸の作品たちとは異質なものがもう一つ。
魔理沙はもう一つの方に興味を持ち、こっそりとポケットに忍ばせた。
***
「お待たせ」
二人分の紅茶を持ってアリスは現れた。
「おーサンキュ! 」
待ちに待った紅茶の登場に、魔理沙はすぐにソファーに戻った。
テーブルの上に置かれた紅茶からは白く柔らかな湯気が立っていたが、待ち時間に過ぎった心配事などとうに彼女は忘れていた。
そして暖かな紅茶が喉を下りていった瞬間、ほわりと幸せな気分に包み込まれる。
「やーっぱり、アリスのいれる紅茶はうまいな」
「誉めても何も出ないわよ」
「いや、紅茶が出てるじゃないか! 」
はぁ、と魔理沙は湯気を含ませた至福の吐息を漏らす。
アリスはそれを横目に、今日の紅茶の味を確認した。
うん。渋みも出てないわね。
魔理沙が紅茶一つでここまで喜んでくれるなら、と私はいつも自然にキッチンへと向かってしまうのだ。
暖かな湯気は、私の頬も緩ませた。
「ところでアリス」
「何? 」
そう言うと、魔理沙はポケットをまさぐり始めた。
また何かおかしなキノコでも出すんじゃないかと、私は少し身構える。
「これ」
しかしそんな心配をよそに魔理沙の手から差し出されたのは、私の眼鏡だった。
「眼鏡がどうかした? 」
「ちょっとかけてみてくれよ」
「別にいいけど……」
魔理沙から眼鏡を受け取り、ひょいと私はかけて見せた。
途端にくっきりとした世界で見えたのは、魔理沙のにやついた顔だった。
「魔理沙や~……よく来てくれたのぅ~……って感じだな! 」
「なっ……! 」
アリスは少しむっとした。
一方魔理沙はからからと楽しそうに笑っている。
「ロッキンチェアーで編み物でもし出したら、もう完璧なばーちゃんだな……! 」
魔理沙は相変わらず楽しそうに笑っている。
でもわざわざ私に眼鏡をかけさせてまでして、からかわれるのはあまり気分のいいものではい。
「おばあさんだなんて、失礼しちゃうわ」
カチャリ、と眼鏡が机の上に置かれる音が鳴ったので、魔理沙は笑うのをぴたりと止めた。
「悪かったって。冗談だよ、冗談。アリスはそーゆーとこ硬いよなぁ」
ひょいっと、眼鏡を拾い上げながら魔理沙は言い、それをかけて見せた。
「私だったら、ばーちゃんの演技の一つや二つでもしてみせるぜ? のう?かわいいかわいいアリスや~……」
腰を曲げ、杖に手を置く真似をする魔理沙がちょっぴりおかしくて、私は笑ってしまった。
「これで緑茶と梅干でもあれば、完璧なんじゃがのう~……」
「ウメボシ? ウメボシって何? 」
「梅干はのう……」
そう言い始めようかとしたところで、魔理沙は眼鏡を外し、姿勢を戻す。
あぁ、おばあさんの真似が面倒くさくなったんだな、とその様子から察し、私は魔理沙の説明を聞くことにした。
「梅干はなぁ。梅の実の漬物を干したものだぜ。口の奥がきゅーっとする、世界一酸っぱい食べ物なんだ」
「世界一、ってまたすごいわね。そんなに酸っぱくておいしく思えるものなの? 」
「うーん。初めはどうだったかな。でも家で何度も出されて食べていく内に、おいしく感じるようになったんだと思う。きっと梅干はうまいもんなんだって価値観に染められていったんだろうな。ある種の洗脳だぜ」
そう言って、緑茶の代わりに魔理沙は紅茶をすすった。
洗脳してまで食べさせるなんて、穏やかじゃない食べ物があるのね、とアリスは考えながら紅茶のお供に持ってきたチョコレートをひとかけ口に入れた。
魔理沙の分のチョコレートをちらりと見ると、それは既に紙だけになっていた。
「でもばーちゃんなんて思ったよりファンキーな生き物だと思わないか? 」
「えっ? 」
魔理沙の言う意味が分からず、口の中でチョコレートを溶かす作業が一旦止まってしまった。
「だって、ロッキンチェアーだぜ? ばーちゃんらしく編み物をするのは人前だけで、実際は思う存分ロックに揺らしてるんだと思う」
「あはは! そんなこと思うの魔理沙だけよきっと」
ユニークな発想で笑わせてくれる、魔理沙とのティータイムは私の大好きな時間だ。
ついでにもの凄い勢いでロッキンチェアーを揺らす魔理沙が想像できて、また笑いそうになってしまった。
***
「まぁ魔理沙は実際にファンキーなおばあちゃんになりそうよね」
「まぁな。とりあえず還暦になったら真っ赤な弾幕で幻想郷の空を飾るぜ! 」
「ん? カンレキって? 」
「60歳になったら、ってことだな。日本だと還暦になると長寿のお祝いで、赤いちゃんちゃんこを着せられるんだぜ」
――60年。
突如として具体的に告げられたこの短い年数に、私の心臓がちくりと痛んだ。
「そうだ! 私の赤いちゃんちゃんこはアリスが作ってくれよ。頼んだぜ、アリス」
「うん。いいわよ」
「じゃ、覚えてたらよろしくな。しっかしばーちゃん同士の弾幕勝負ってどんななんだろう。目に優しい弾幕にしろ、とか、スペルカード宣言が聞こえない、とかありそうだよなー」
「そうね」
突然、反応の薄くなったアリスに魔理沙は違和感を覚えた。
アリスはカップの紅茶をじっと見つめている。
しかし、その違和感は気のせいかもしれないと思って、魔理沙は確かめることにした。
「アリスもばーちゃんになったら上海、なんて発音出来なくなるんじゃないか? そしたら上海に無視されちまうな! 」
「そしたら代わりに魔理沙に上海を呼んでもらおうかしら」
「え? 」
「私は魔理沙に赤いちゃんちゃんこを作ってあげるわ。だから魔理沙は、私がおばあさんになって口が回らなくなったら、上海を私の代わりに呼んで欲しいの。ね。絶対よ? 」
アリスの青く魅入ってしまいそうな目が魔理沙をじぃっと、見つめる。
アリスの表情は強張り、口も硬く閉じられていた。
人形の操作について疑えば、すぐ必死になって否定してきたアリスが今はそうではない。
その意味を魔理沙は感じ取った。
「……軽々しく絶対なんて言う奴を信用しちゃいけないんだぜ? 」
魔理沙の目がその言葉を確固たるものにさせる。
私の心臓には重苦しい負荷がかかっていた。
私は絶対に、魔理沙に赤いちゃんちゃんこを作ってあげるけれども、魔理沙は私の為に生きてはくれない。
彼女は人間である彼女のまま生きるのだろう、このままでは。
***
二人はまた紅茶を飲み始める。
少し温くなってしまった紅茶は中々喉を通ってはくれなかった。
そして先程のやり取りもあって、そろそろ帰ろうかな、と魔理沙が思った矢先のことである。
「そうだ! 魔理沙、今日はチョコレートしかなくてごめんね」
「えっ……いやぁそんなことは全然気にしてないぜ? 」
突然明るい口調で話し始めたアリスに拍子抜けしたものの、気まずい空気が途切れたことで魔理沙はほっとした。
「明日はスコーンを焼くわ。ほんのり苦味のある皮が入ったあまーいマーマレードジャムもあるの」
甘美なる単語に、魔理沙の唾液腺が素早く反応する。
「本当か……!? 」
「明後日はチョコレートシフォンケーキね。ふわっとしたケーキに甘さ控えめの少し緩めの生クリームと一緒に食べるの」
「おぉ……! 」
「明々後日はワッフルを作るわ。熱々のワッフルに、ブルーベリーソースをかけた冷たいバニラアイスもつけてあげる」
「アリス……! 」
魅惑のデザートのラインナップを聞いて、魔理沙の目は子供の様にきらきらと輝きだした。
アリスの作るデザートは、見た目も味も素晴らしい、天下一品のデザートなのである。
そして紅茶を飲み終えた魔理沙は、明日への期待に胸を膨らませながらすっくと立ち上がった。
「アリス! 今日はありがとな! 明日もまた楽しみにしてるぜ! 」
「うん。明日も待ってるわ」
「じゃ、また明日! 」
帰りも同じように魔理沙は窓から飛び去って入った。
橙色の森と夕焼け色の空の間で、すーっと音もなく小さくなっていく彼女の姿を、私は窓からそのまま見つめていた。
カーテンは外からの風で大きくなったり小さくなったりしながら、ゆらりゆらりと窓の横、揺れている。
――魔理沙の答えは、決まっていた。
彼女は、人間であることも含めて彼女であり、それを曲げるようなことなどしない。
彼女の真っ直ぐな目は、私の好きな彼女らしさでもあった。
それでも、好きな人と長く共にいたいと思ってしまうのは、どうにも変えることが出来ない。
そんな私は魔理沙の言葉にすがりつく。
――価値観に染められていったんだろうな
ねぇだから、毎日1ミリだけでも少しずつ、少しずつ。
アリスはズルイよ、なんてあなたが笑ってくれる日まで一緒にいてもいいかしら。
今はまだどうしていいか分からないけれど、願いだけでは終わらせたくないの。
だから、明日会いましょう。明後日も、ね、明々後日も。
あなたが喜ぶ甘いものを用意しておくから。
END
帽子で頭が蒸れることもなくなり、すっかりと季節は秋である。
空から見下ろせば、眩しいほどの緑だった木々の色が、黄色や赤の暖色系に乗っ取られつつある様子を伺うことが出来た。
――けほ。
軽い咳が出て、魔理沙は乾燥した喉に気付く。
その後喉を潤わせるために、もう二、三回意図的に咳き込んだ。
しかしそれはその場しのぎの対処に過ぎない。
水分補給をしなければならないなと、魔理沙は秋の森にぽっかりと浮かぶ白い洋館を目指すことにした。
――コツコツコツ。
背後の窓ガラスが叩かれる音を聞いて、アリスは手を休めた。
そして一度瞼を閉じて、視界を馴染ませる。
幾度となく聞いたこの音に確信を持ち、アリスは窓の方へ歩いていった。
「よう。遊びに来たぜ! 」
いつも通りの屈託のない笑顔に、アリスは溜息をつく。
「ちゃんと玄関から入ってくることは出来ないの? 」
「アリスが出迎える手間を省いてやってるんだぜ? 感謝して欲しいくらいだけどなぁ」
――よっ。
魔理沙は窓枠に足を掛け、部屋に下りる際に軽く飛んで見せる。
そして着地後には体操選手さながらの両手を挙げた決めポーズを見せ、アリスの苦笑いを誘うのだった。
「玄関から訪れない者を客人と呼んでいいのかしら」
「まぁ硬いこと言うなって。私とアリスの仲じゃないか」
「それって侵入者と被害者の関係のこと? 」
いつもはぶつくさ言いながらもお出迎えの準備をしてくれるアリスが、今日は中々素直に迎え入れてくれないことに魔理沙は少しだけ頬を膨らませる。
「何だよ、今日は冷たいなぁ」
――くす。
分かり易い魔理沙の表情に、思わず笑みがこぼれた。
「ちょっとは玄関から入ることも考えてくれた? 冷たかったら部屋にすら入れないわよ」
そこに掛けてて、とアリスのお許しが出た後で魔理沙はソファーに腰を下ろした。
***
タンタンタン、と階段を下りていく足音が聞こえてくる。
私は脇にあったクッションを抱えて、横に体を倒した。
ふぅ、とリラックスした息を吐いた後で、下の階へ行ったアリスの行動を想像してみる。
これから二つ分のティーカップを用意して、白く優しい湯気の立つ、暖かい紅茶をいれてくれるのだろう。
今日は一悶着あったが、結局はこうして迎え入れてくれるマーガトロイド邸は中々居心地が良くて気に入っていた。
でももし氷が入った冷え冷えのアイスティーなんて出された場合には、流石に玄関から入ることも考えなくてはならない、かもしれない。
ちょっとした紅茶のアンサーの待ち時間に、魔理沙はぴっと姿勢を正してみた。
しかし、それも長くは続かず、まただらりとソファーに寄り掛った。
(紅茶、まだかなぁ)
待つことに飽き始めた魔理沙はアリスの部屋を眺める。
先程足を掛けた大きな窓の前には、アリスの座っていた背もたれつきの椅子が見えた。
その前にある机の上には何やら細かいものがばらばらと置いてあった。
(何が置いてあるんだ? )
魔理沙は細々した物体が気になり、歩みを進める。
するとそこには、小さな小さな毛糸の手袋と、毛糸玉、編み棒と繋がった人形用のマフラーが置いてあった。
更に机の上には、毛糸の作品たちとは異質なものがもう一つ。
魔理沙はもう一つの方に興味を持ち、こっそりとポケットに忍ばせた。
***
「お待たせ」
二人分の紅茶を持ってアリスは現れた。
「おーサンキュ! 」
待ちに待った紅茶の登場に、魔理沙はすぐにソファーに戻った。
テーブルの上に置かれた紅茶からは白く柔らかな湯気が立っていたが、待ち時間に過ぎった心配事などとうに彼女は忘れていた。
そして暖かな紅茶が喉を下りていった瞬間、ほわりと幸せな気分に包み込まれる。
「やーっぱり、アリスのいれる紅茶はうまいな」
「誉めても何も出ないわよ」
「いや、紅茶が出てるじゃないか! 」
はぁ、と魔理沙は湯気を含ませた至福の吐息を漏らす。
アリスはそれを横目に、今日の紅茶の味を確認した。
うん。渋みも出てないわね。
魔理沙が紅茶一つでここまで喜んでくれるなら、と私はいつも自然にキッチンへと向かってしまうのだ。
暖かな湯気は、私の頬も緩ませた。
「ところでアリス」
「何? 」
そう言うと、魔理沙はポケットをまさぐり始めた。
また何かおかしなキノコでも出すんじゃないかと、私は少し身構える。
「これ」
しかしそんな心配をよそに魔理沙の手から差し出されたのは、私の眼鏡だった。
「眼鏡がどうかした? 」
「ちょっとかけてみてくれよ」
「別にいいけど……」
魔理沙から眼鏡を受け取り、ひょいと私はかけて見せた。
途端にくっきりとした世界で見えたのは、魔理沙のにやついた顔だった。
「魔理沙や~……よく来てくれたのぅ~……って感じだな! 」
「なっ……! 」
アリスは少しむっとした。
一方魔理沙はからからと楽しそうに笑っている。
「ロッキンチェアーで編み物でもし出したら、もう完璧なばーちゃんだな……! 」
魔理沙は相変わらず楽しそうに笑っている。
でもわざわざ私に眼鏡をかけさせてまでして、からかわれるのはあまり気分のいいものではい。
「おばあさんだなんて、失礼しちゃうわ」
カチャリ、と眼鏡が机の上に置かれる音が鳴ったので、魔理沙は笑うのをぴたりと止めた。
「悪かったって。冗談だよ、冗談。アリスはそーゆーとこ硬いよなぁ」
ひょいっと、眼鏡を拾い上げながら魔理沙は言い、それをかけて見せた。
「私だったら、ばーちゃんの演技の一つや二つでもしてみせるぜ? のう?かわいいかわいいアリスや~……」
腰を曲げ、杖に手を置く真似をする魔理沙がちょっぴりおかしくて、私は笑ってしまった。
「これで緑茶と梅干でもあれば、完璧なんじゃがのう~……」
「ウメボシ? ウメボシって何? 」
「梅干はのう……」
そう言い始めようかとしたところで、魔理沙は眼鏡を外し、姿勢を戻す。
あぁ、おばあさんの真似が面倒くさくなったんだな、とその様子から察し、私は魔理沙の説明を聞くことにした。
「梅干はなぁ。梅の実の漬物を干したものだぜ。口の奥がきゅーっとする、世界一酸っぱい食べ物なんだ」
「世界一、ってまたすごいわね。そんなに酸っぱくておいしく思えるものなの? 」
「うーん。初めはどうだったかな。でも家で何度も出されて食べていく内に、おいしく感じるようになったんだと思う。きっと梅干はうまいもんなんだって価値観に染められていったんだろうな。ある種の洗脳だぜ」
そう言って、緑茶の代わりに魔理沙は紅茶をすすった。
洗脳してまで食べさせるなんて、穏やかじゃない食べ物があるのね、とアリスは考えながら紅茶のお供に持ってきたチョコレートをひとかけ口に入れた。
魔理沙の分のチョコレートをちらりと見ると、それは既に紙だけになっていた。
「でもばーちゃんなんて思ったよりファンキーな生き物だと思わないか? 」
「えっ? 」
魔理沙の言う意味が分からず、口の中でチョコレートを溶かす作業が一旦止まってしまった。
「だって、ロッキンチェアーだぜ? ばーちゃんらしく編み物をするのは人前だけで、実際は思う存分ロックに揺らしてるんだと思う」
「あはは! そんなこと思うの魔理沙だけよきっと」
ユニークな発想で笑わせてくれる、魔理沙とのティータイムは私の大好きな時間だ。
ついでにもの凄い勢いでロッキンチェアーを揺らす魔理沙が想像できて、また笑いそうになってしまった。
***
「まぁ魔理沙は実際にファンキーなおばあちゃんになりそうよね」
「まぁな。とりあえず還暦になったら真っ赤な弾幕で幻想郷の空を飾るぜ! 」
「ん? カンレキって? 」
「60歳になったら、ってことだな。日本だと還暦になると長寿のお祝いで、赤いちゃんちゃんこを着せられるんだぜ」
――60年。
突如として具体的に告げられたこの短い年数に、私の心臓がちくりと痛んだ。
「そうだ! 私の赤いちゃんちゃんこはアリスが作ってくれよ。頼んだぜ、アリス」
「うん。いいわよ」
「じゃ、覚えてたらよろしくな。しっかしばーちゃん同士の弾幕勝負ってどんななんだろう。目に優しい弾幕にしろ、とか、スペルカード宣言が聞こえない、とかありそうだよなー」
「そうね」
突然、反応の薄くなったアリスに魔理沙は違和感を覚えた。
アリスはカップの紅茶をじっと見つめている。
しかし、その違和感は気のせいかもしれないと思って、魔理沙は確かめることにした。
「アリスもばーちゃんになったら上海、なんて発音出来なくなるんじゃないか? そしたら上海に無視されちまうな! 」
「そしたら代わりに魔理沙に上海を呼んでもらおうかしら」
「え? 」
「私は魔理沙に赤いちゃんちゃんこを作ってあげるわ。だから魔理沙は、私がおばあさんになって口が回らなくなったら、上海を私の代わりに呼んで欲しいの。ね。絶対よ? 」
アリスの青く魅入ってしまいそうな目が魔理沙をじぃっと、見つめる。
アリスの表情は強張り、口も硬く閉じられていた。
人形の操作について疑えば、すぐ必死になって否定してきたアリスが今はそうではない。
その意味を魔理沙は感じ取った。
「……軽々しく絶対なんて言う奴を信用しちゃいけないんだぜ? 」
魔理沙の目がその言葉を確固たるものにさせる。
私の心臓には重苦しい負荷がかかっていた。
私は絶対に、魔理沙に赤いちゃんちゃんこを作ってあげるけれども、魔理沙は私の為に生きてはくれない。
彼女は人間である彼女のまま生きるのだろう、このままでは。
***
二人はまた紅茶を飲み始める。
少し温くなってしまった紅茶は中々喉を通ってはくれなかった。
そして先程のやり取りもあって、そろそろ帰ろうかな、と魔理沙が思った矢先のことである。
「そうだ! 魔理沙、今日はチョコレートしかなくてごめんね」
「えっ……いやぁそんなことは全然気にしてないぜ? 」
突然明るい口調で話し始めたアリスに拍子抜けしたものの、気まずい空気が途切れたことで魔理沙はほっとした。
「明日はスコーンを焼くわ。ほんのり苦味のある皮が入ったあまーいマーマレードジャムもあるの」
甘美なる単語に、魔理沙の唾液腺が素早く反応する。
「本当か……!? 」
「明後日はチョコレートシフォンケーキね。ふわっとしたケーキに甘さ控えめの少し緩めの生クリームと一緒に食べるの」
「おぉ……! 」
「明々後日はワッフルを作るわ。熱々のワッフルに、ブルーベリーソースをかけた冷たいバニラアイスもつけてあげる」
「アリス……! 」
魅惑のデザートのラインナップを聞いて、魔理沙の目は子供の様にきらきらと輝きだした。
アリスの作るデザートは、見た目も味も素晴らしい、天下一品のデザートなのである。
そして紅茶を飲み終えた魔理沙は、明日への期待に胸を膨らませながらすっくと立ち上がった。
「アリス! 今日はありがとな! 明日もまた楽しみにしてるぜ! 」
「うん。明日も待ってるわ」
「じゃ、また明日! 」
帰りも同じように魔理沙は窓から飛び去って入った。
橙色の森と夕焼け色の空の間で、すーっと音もなく小さくなっていく彼女の姿を、私は窓からそのまま見つめていた。
カーテンは外からの風で大きくなったり小さくなったりしながら、ゆらりゆらりと窓の横、揺れている。
――魔理沙の答えは、決まっていた。
彼女は、人間であることも含めて彼女であり、それを曲げるようなことなどしない。
彼女の真っ直ぐな目は、私の好きな彼女らしさでもあった。
それでも、好きな人と長く共にいたいと思ってしまうのは、どうにも変えることが出来ない。
そんな私は魔理沙の言葉にすがりつく。
――価値観に染められていったんだろうな
ねぇだから、毎日1ミリだけでも少しずつ、少しずつ。
アリスはズルイよ、なんてあなたが笑ってくれる日まで一緒にいてもいいかしら。
今はまだどうしていいか分からないけれど、願いだけでは終わらせたくないの。
だから、明日会いましょう。明後日も、ね、明々後日も。
あなたが喜ぶ甘いものを用意しておくから。
END
アリスの葛藤とか、魔理沙への想いとかをもっと見たかった
正直、前半までは非百合のほのぼの話だと思って読んでたので
形式面では、一人称と三人称がかなり混濁していたのが気になりました
そこらへんを統一するとずっと読みやすくなると思います
このお話はここで終わりなのかもしれませんが、続きがあるなら是非読みたいです
静かな決意が感じられますね。
アドバイスは文章を書く上でご参考にさせて頂きます。ご指摘ありがとうございました。
アリスには是非頑張って頂きたいものです!
コメントありがとうございました!