Coolier - 新生・東方創想話

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2022/08/16 22:10:43
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***1***


 楓の葉が一枚、そよ風に乗って縁側を通っていく。
 赤と黄の斑とりどりに装われたそれを拾うと、霧雨魔理沙は小さくため息をついた。
「なぁ、文」
「なんです?」
 魔理沙が声をかけると、文机で何かをさらさら書いていた部屋の主――射命丸文が、淡々と返す。花押を記し終えた筆を矢立に戻すと、慣れた所作で和紙を畳みだした。
「たまにはここ以外にも案内してくれよ。せっかく山まで来たのに見れるのがここからの景色だけなんて、つまらないぜ」
「駄目です。本当だったら殺されても文句を言えない、そんな危険な場所なんですよ?」
 整えた書状を鴉の肢に括りながら、魔理沙の希望をぴしゃりと一蹴。自分の立場上、そう言われたら何も返すことが出来ず、晴天を飛んでいく鴉を羨ましそうに見つめるしかなかった。

 ――妖怪の山、射命丸文の自宅。

 本来、妖怪の山は天狗社会の排他的な性格もあって、人間が入ることは許されない。が、霧雨魔理沙はそれを無視するように何度も山に入っては天狗たちに追われ、要注意人物としてマークされていた。
 何だかんだ客人として遇してくれる紅い館などとは訳が違い、ここでは捕まったら袋叩きにされるのが当たり前。けれど、魔理沙は一度も天狗たちに捕まったことがない。それは、いつも駆けつけては戦うふりして家に匿ってくれる文の存在が大きかった。眉一つひそめながら注意するだけで済ませる彼女に、さすがの魔理沙も頭を上げることが出来ないのである。
「…」
 目の前には、文のお手製、山菜の握り飯となめこの赤出汁。聞けば、妖怪の山(ここ)で取れたものだけで作っているらしく、握り飯の具材は時季に合わせ多彩に変わる。赤出汁をすすれば、秋の空気にさらされた体が、優しく温まり出して。魔理沙と出会ったばかりのころ『箒でそんな速く飛んでいたら、人間の貴女は寒くないんですか?』なんて、文が聞いてきたことを思い出した。
「ごちそうさま。今日もおいしかったぜ」
「お粗末様でした。…あぁ、お茶はそこの急須に淹れてありますので。ご自由にどうぞ」
 文の指さす方向を見ると、急須と茶碗が盆に載せられて、ちゃぶ台の傍に置かれている。いつの間に淹れたんだと文を見ると、彼女は万年筆で何やら原稿を書いている様子だった。濡れ羽色のくせっ毛を後ろでひとまとめ、横髪をかき上げて尖った耳を露にする所作に、魔理沙は刹那胸を高鳴らせ、目を逸らした。

 ――かり、かり。がりがり。

 万年筆が紙をこする音だけが、部屋に響く。
 紅葉が彫られた急須からお茶を注ぎながら、お揃いとなった景色を見つめる。
 コイツといる時は、会話が出ることは少ない。他の友人たちといる時のように、何か騒いだりすることもないし、干渉しあうこともない。ただ、何を目的にするでもなく、ぼーっとするだけ。
 「別に何もしたくないけど、一人でいるのはあれ」な時に、文の家はとにかく適しているのだ。

 ――かり、がりがり……ぱらり。

 せっかくだし、何か読むかと、本棚へと向かう。文の家の本棚は、人形使いの家で見るのとも、赤い館の図書館で見るのとも蔵書が全く異なっており面白い。前二つが魔法あるいは博物に特化しているとすれば、文の家で見るのは人文。とかく、人間が書いた作品や、人間が語り継ぐ説話・神話などの本・研究が多い。「人間」というものに関心を持っているらしい、こいつを体現した本棚だ。
 …けど、こんなにも本が増えたのは、比較的直近だった気がする。ちょうど貸本屋に新聞を置き出した時期からだったかな。ちらり、原稿を書く文の方を見る―――あれと言い、コイツ、何かきっかけでもあったのかな。

 ――かりかり。くるり。

 三色菫が描かれた表紙の本を棚に戻していると、ふと、端にある一冊の本に目が行く。
 その本は、他の本からは離れた場所に、いつも愛用しているカメラと共にぽつりと置かれていた。几帳面な文のこと、わざわざ離しておくということは、彼女にとって特別なものなのだろう。臙脂色一色に塗られていた表紙や、一回り大きい紙のサイズも、そのことを物語っている。
 ごくり、と喉を鳴らす。蒐集家としての性がふつふつと燃え上がるのが分かる。一体どんな本なんだろう。衝動にかられるまま、魔理沙は、ゆっくり、ゆっくりと、その臙脂の冊子に手を伸ばし――

 ――ぱちり、と手をはたかれた。

「叩き出しますよ」

 すぐ傍で聞こえる、陰の入った声。
 恐る恐る横を見ると、そこには、紅葉色の妖眼を逢魔ヶ時の夕日の如く光らせる、文の姿が。
「…あー…気になっただけ、だぜ?」
「……」
 半笑いで弁明するも、文は変わらずこちらを睨みつける。背中を伝う汗に体が冷えていくのを感じながら、魔理沙は指だけを冊子に向けた。
「な、なぁ、これ何なのかだけでも、教えてくれないか?」
 流れる沈黙。能面を保つ文の表情に、魔理沙は目だけをしっかり合わせる。
 どれだけ経っただろうか、やっと文は呆れたようにため息ひとつついた。
「…アルバム、ですよ」
「あ、あるばむ?」
「自分が撮った写真とかをまとめる冊子のことです」
「それは聞いたことあるけど」
 やっと呼吸出来るようになった魔理沙を他所に、文は本棚まで歩み寄ると、臙脂の冊子の隣に置かれたカメラを手に取り、小さく微笑む。
「この相棒をいただいてから、たくさんの方々と出会いましたからね。私なりの幻想郷(ここ)の日記、と考えてくだされば結構です」
「へぇ…」

 ――文の「日記」か。

 こいつの写真の腕は、魔理沙も良く知っている。それが文の新聞で相当な強みになっていることも。けれど、今まで魔理沙は、文はただ他人のためだけに写真を撮っているのだと思っていた。
 アルバムという「日記」。それは、彼女が自分自身のために写真を集め、往時を愛でているということ。

 …こいつは、今まで、何を思いながら生きて来たんだろう。

「せっかくです。お見せしましょう」
「…良いのか?」
「はい。どうにも今日は原稿の調子が上がらないみたいでして。たまにはのんびり息抜きでも」
 目を丸くさせながら聞き返す魔理沙に、文はぐっと伸びをしてから、アルバムを本棚から取り出す。そして、魔理沙からも中身が見やすくなるように、肩を小さく寄せて来て。ふわりとくすぐる黒髪からは、微かに金木犀の香りがした。
「さんきゅーな」
「…言っておきますが、一枚でも写真を抜き取ったら叩き出しますからね」
「だから、しないっつーの」
 なおも威嚇するように睨みつける文に、魔理沙は明るく笑みを返す。

 こういうところがあるから、魔理沙は文に甘えてしまうのだ。


***2***


 ――ぱらり、ぱらり。

 緩やかな文の語りに乗って、写真が魔理沙の前に披露される。一枚、また一枚、幻想郷で生きた命を魔理沙は知っていく。そして、ページがめくられるごとに、ある者は成長して、ある者は老いて。そしてある者は、今とまったく変わらない見た目のまま、ページを旅し続けて。
 分かってはいたけれど、こうして見ると「自分」と「彼ら」が持つ「時間」の隔たりに、ちくりと胸に刺さる痛みがあった。そしてこいつは――ちら、と語り続ける文を見る――きっと魔理沙が考えられないくらいにそれを抱え、なおもシャッターを押し続けてきたのだろう。
「…あぁ、ほらこれ」
 そんなことを考えていると、文が一枚の写真に目を輝かせる。視線を辿ってみると、白い布団の上ですやすやと眠る、玉のような赤子が映っていた。
「お、すげぇ可愛い赤ちゃんだな」
「ふふ。産まれたばかりの霊夢さんです」
 聞けば、文は先代以前からも博麗の巫女とは関係を持っており、霊夢が産まれてからは次代巫女に関する取材を担当していたらしい。同じページの写真を見てみれば、シャッターと近い距離にある赤子の写真が何枚もあった。
「本当、この時は可愛かったですねぇ」
「お、何だよ、まるで今が可愛くないみたいな言い方だな」
「だって今や暴力巫女ですよ。あんな子に育ってしまって、私は悲しいです」
 そんな会話を交わしながらも、文は写真の赤子を人差し指で撫でる。まるで本当に向こうで寝息を立てているかのように、ゆっくり、慈しむように。ちら、と文の顔を見ると、やはりその妖眼は暖かい赤をたたえていた。
「そうは言いつつ嬉しいんだろ」
「…あら、そう見えます?」

 ――ぱらり、ぱらり。

 眠るだけだった赤子は畳の上で元気に這い、前に置かれた大幣が気になっている様子。
「まさか自覚なしってことはないよな?」
「それこそまさか」

 ――ぱらり、ぱらり。

 そうして、歩けるようになった少女は、雀の子を追いかけて、こけて、痛さに泣いて。こんな顔、今の彼女からは、想像することも出来なくて。
「そりゃ嬉しいですよ。私だって成長を慈しむ心くらいあります」
「なんだ、案外素直に認めるんだな」

 ――ぱらり、ぱらり。

 巫女服に手を通した少女は、身の丈よりも長い箒を持ち、枯葉を相手に苦闘している。これは今でも目にするかもしれない。特にこれからの時期は。
「それに、暴れる彼女を観察するのは楽しいですし」
「…ありゃどちらかといえば、お前が暴れさせてるんだろ?」
「まぁまぁ細かいことは良いじゃないですか」

 ――ぱらり、ぱらり。

 何かいたずらでもされたのか、少女は妖精を大幣で追いかけていて。怒った表情からはもう現在のあいつが見えていて、思わず笑ってしまう。
「ま、あいつがお前の挑発に乗せられるの、見てる分には楽しいし、良いんだけどな……ただ」
「ただ?」
 アルバムめくる指を止め、こちらを文が見つめるのが分かる。唇を三日月に曲げ、愉快そうな光を目に宿らせて。
 何だか乗せられているみたいでムッとするけれど、はっきり、魔理沙は燻ぶる想いを声に出す。

「ちょっと、妬けちまうぜ」
「……おやおや」

 つい下を向いてみれば、一枚、写真の霊夢と目が合う。その彼女は、こちらに向けて指をさして、何か怒っているみたいに見える。
 ちく、と再び痛みが胸を刺す。今とまったく変わらない、栗色の瞳から目を離すことが出来ない。けれど、本当はここで霊夢が誰に対して怒っているかなんて、言うまでもないだろう。
 文本人からだったか、それとも霊夢を通したか、以前、文が『誰よりも霊夢のことを良く知っている』という話を聞いたことがある。その時は『自分の方がコイツのことを良く知っているぜ』とかなんとか張り合った気がするけれど。あれは決して誇張ではなかったのだ。
「では不法侵入者の泥棒さんには私の方から…」
「私も挑発してどうすんだよ」
「ふふ。冗談ですよ、内容は事実ですが」
 小さく睨む魔理沙をなだめるように、文は緩やかな笑みを浮かべる。
「とはいえ、貴女が妬くことじゃないと思いますがね」
「そうかなあ」
「そうですよ。堂々と忍び込む図太い貴女なんですから」
「それ褒めてるのかねぇ…」
 未だに唇を尖らせる魔理沙を一瞥しながら、文はアルバム撫でる指を再び動かし始める。
「…そうですね。せっかく魔理沙さんがいるなら、これをお見せしましょう」
「?ふぅん、どれどれ」

 ――ぱらり、ぱらり。

 めくられていく時間。歩みを進めるたびに、紅白の少女は明らかに成長を続け。そして、目的地となるページで指が止まった刹那、魔理沙は目を大きく見開いた。
「――っておい!これ!」
 魔理沙の反応を見通すように、文は紅葉色の瞳を妖しく揺らす。
 その写真には、二人の少女が映っている。一人は、見慣れた巫女装束を身に付けた霊夢。そしてもう一人は、葡萄茶の袴に、矢羽根文様の表着を身に付けた、彼女と同い年くらいの少女。整った身なりからは良家の子女を伝え、けれど霊夢を指さして何かを言い放つ仕草は、わんぱくな子どもを思わせるもので。
 何より、金髪のくせっ毛。見覚えがないなんてものではない。あれは…

「はい。魔理沙さんが霊夢さんと初めてお会いしてた時のものです」

 楽しそうに正解を告げる文に、魔理沙は眉を歪める。
「おま…あの時いたのかよ」
「ふふふ。大層可愛らしかったですよ、魔理沙さん?」
 文の笑顔を避けるように、再び魔理沙は写真を見る。けれど、何もかもが幼かった自分を見るのは、やはり恥ずかしくて、すぐにまた文を睨みつける。
「お前ほんとどこにでも湧くのな」
「虫みたいに言わないでください。でもこういうのも良いでしょう?」
「確かに懐かしくはあるけどさ」
 感情をどう表現すれば良いのか分からない様子の魔理沙に、文は写真を撫でながら語りかける。

「この一枚の主役は紛れもなく、貴女と霊夢ですよ」

 その言に、魔理沙は燻ぶる想いをふつふつ立たせて、ため息をつく。だってあの思い出は、自分にとって「主役」だなんて誇れるようなものではない。
「…主役って、お前なぁ。見てたなら知ってただろ。あの時空っぽな自信だけであいつに挑んでさ」
「案の定こてんぱんに叩きのめされた。もちろん知ってます」
「だったら」

「ですが、この一枚があったからこそ、貴女は膨大な鍛錬と出会を重ねて、彼女の隣にいるのではないですか」

 穏やかな文の語りに、今度こそ魔理沙は金色の瞳を丸くさせた。すっかり口を半開きにさせたままの彼女を導くように、文はアルバムのページをめくり続ける。

 ――ぱらり、ぱらり。

 すっかり神社になじんだ魔理沙は、お茶の最中、霊夢とせんべいの取り合いをしている。表面上はぎゃあぎゃあ言っているけど、とても楽しそうなことが、表情から伝わって来る。

 ――ぱらり、ぱらり。

 白黒の衣装に身なりを変え本格的に生き方を決めた彼女は、霊夢の前で習得した魔法を披露して。いつもならつっけんどんな霊夢も、この時は手に汗握る様子で魔理沙を見つめる。もしかしたら、境内が壊れないかとか、考えてたかもしれないけど。

 ――ぱらり、ぱらり。

 すっかり箒を乗りこなした魔理沙が、霊夢の横で、後の友人たちと対峙している。その様子は、まるで自らが前に行くと競っているようで。けれどだからこそ、息が合っていることが、たった一コマだけでも伝わって来る。
 紙の向こうでもう一人の自分が生きているかのように、豊かな想い出が冊子の中で紡がれていた。
「……お前って霊夢ばっかり見てるんじゃないんだな」
「あなたが大抵横にいるんですから、必然的に観察の機会も増えますよ」
すっかり胸の燻りが消えた魔理沙が聞いてみると、文はおかしそうに微笑みながらページをめくり続ける。
「私は、そのうえで観察者として述べているまでです。霊夢のことも貴女のこともね」
「――はははっ!霊夢ばっか見てることは否定しないんだな!」

 ――ぱらり、ぱらり。

 ある一ページで、文の指が止まる。ちょうど今の背丈程の霊夢が中心になった写真。何かの祭の最中だっただろうか、たくさんの人妖たちに囲まれてるのを、気だるげにあしらっていて。けれど表情を良く見れば、まんざらでもない様子がありありと伝わって来て――

「だって、私は霊夢が大好きですから」

 直接の告白に、魔理沙は黄金の瞳を丸くさせる。
「…良いのかよ、はっきり言って」
「貴女にとっては今さらではないですか」
 写真の中で眉をひそめている少女を、文の指が小さく撫でる。赤子の写真を見た時と全く変わらず、柔らかくなぞるように。
「それに、貴女はこういうことを考えなしに言いふらす方ではないでしょう?」
「けっ。霊夢の『ついで』として本当によく見てらっしゃる」
 …まぁ、けど。こいつの霊夢に対する気持ちは、おかげではっきりと見えた。
 そりゃ、こいつ霊夢のこと好き過ぎるだろ、なんて呆れることはたくさんあったけど、そういうことではない。こうして写真で彼女の生を紡いでいく文の指からは、どうしようもなく綺麗な想いが溢れ出していて…
 だからこそ、魔理沙は疑問に思う。
「……で?お前、そのこと霊夢に伝える気あるのかよ?」
 ぴたり。写真を撫でていた文の指が止まる。
「…その必要あります?」
「こっちはイエスノーの二択で聞いてるんだ」
 はぐらかそうとしても無駄だからな、とばかりに黄金の瞳で貫く。
「んー、ないですね」
「ほーう?」
 刹那の後、ページをめくろうと文の指が動きだす。
「伝えたせいで取材できなくなるリスクの方が私には恐ろしいので」
「なるほどな。バレた時のリスクを懸念して、と…」
 うんうん、と魔理沙が大げさに頷いて見せると、文は眉を小さくひそめてこちらを見る。
「なんです?そんな顔して」
「……いや、まぁ、一つ助言しておくけどさ」

「お前、滅茶苦茶分かりやすいぞ?」

 ぴたり。紙に手をかけていた文の指が、再び固まった。
「…」
「言っとくが、私は『霊夢の隣にいたから気付いた』訳ではない。どういうことか分かるな?」
 唇をひくつかせ、瞳を小さく迷わせる表情は、まるで写真というものを初めて撮られる子供みたいに見えた。
「…そんなの、あの子さえ気付かなければ」
「ま、あいつはその辺まだおこちゃまだからな」
 何とか取り繕おうと紙をめくろうとする文を見ながら、魔理沙は「けどな」と続ける。

「けど人間、来年、いや、明日が来たら急に大人びることだってある…それは、お前が一番よく分かってるだろ?」

 ぴくり。文の指が反射的に紙から離れた。
 どうにかページをめくろうと紙に指をかけようとして、出来なくて。ただ空気を切ったり紙面を撫でたりといった動きを繰り返す。
「…イヤな言い回しをしてくれる。分かってますよそんなことは」
 気のせいか、いつもより文の声も少し低い。けれどどうして、その声の方が魔理沙には文にぴったり来るように聞こえる。
 多分、これがこいつの地声なのだろう――だったら、こっちももう一押しだ。
「なら言っちまっても良いんじゃないか?アイツなら、誰にも言わず、お前の想いをちゃんと受け止めてくれるだろ」
 野分吹き迷う紅葉色の妖眼を真っ直ぐに見つめながら、魔理沙は言い切る。
 本来、こいつがどう動こうが、魔理沙にとってはどうでも良いことだ。世話になっているからと言って、ここまで文に言う義理なんてない。

 けど。文(こいつ)の言う通り、魔理沙はずっと「霊夢の隣」で歩いて来た存在だったから。

 紙にかかっていた指は、関節を曲げ、どうにか次のページへ歩みを進めようとして。けれどやっぱりめくれずに空へと浮いて、また紙に着地して。そんな葛藤の末、大きなため息と共に、文は臙脂色のアルバムをぱたりと閉じた。
「先に貴女を麓に返しましょう」
「…おい」
 話題を打ち切る言に、魔理沙は責めるように眉をしかめる。
 けれど、次に見えたのは、紅葉を雨に濡らしたように色を濃くさせた文の瞳。
「私だって考える時間が欲しいのです」
 そんな目で静かに懇願されたら、さすがの魔理沙も口を閉ざすしかなかった。
「……ちっ、わーったよ」


***3***


 文に先導されての帰路。黒翼を緩く羽ばたかせる彼女に、魔理沙はついて行く。
 ぴーよろろ、という鳴き声に上空を見てみれば、浮雲漂う青天に、鳶が輪を作るように飛んでいて。さっきまで羨ましいと思っていた景色なのに、いざこうして見ると、なんだか退屈だな、なんて魔理沙は考える。
 どちらも、声をかけることがない。ただ、山の音のみに耳を傾けながら降りていく。せせらぎの音に真下を覗いてみれば、滝に発する渓流に、散った秋葉が、錦の縦糸となり流れている。さっきの瞳を思い出し前に視線を向けるも、案内する文がどんな表情をしているのかは、やはり分からなかった。
「――ここまでで、大丈夫そうですね」
 しばらくして、文はそう言いながら翼を畳み着地する。乾燥した枯葉を踏みながら辺りを見回せば、ちょうど秋神様の祠があるところ。
「ここからは寄り道しないで帰ってくださいね」
「分かってるって。子供かっての」
「子供みたいなこと言わないといけないくらい、こちらは気が気ではないんですよ」
 いつもみたいな軽口でのやり取りに、空気が和らぐのが分かる。
 呆れたように半月になった瞳も、ずっと見て来た文のまま。小さく息をつきながら、再び魔理沙は文を見る。
「なぁ、さっきのことだけどさ」
「はい?」
「ちゃんとどうするか考えとけよ?次ここに来る時に返事聞くからな」
「堂々と再度の侵入予告、勘弁願いたいのですが…」
 やれやれと首を横に振る文を横目に、魔理沙は再び箒に跨る。さて、今日はさすがに真っ直ぐ帰らないとな。こっちだって、迷惑のかけ方くらい弁えている。そうして、竹で出来た柄をしっかりと握って――
「ねぇ、魔理沙さん」
「ん?」
 と、文が魔理沙に話しかけて来る。魔理沙は柄を握ったまま、振り返ることはしない。文が今どんな表情しているかは、ちょっと低くなった声で、何となく分かっていた。

「…私のような者が霊夢を愛してしまって、本当に良かったのでしょうか」

 鈍い風が魔理沙の肌を通る。どこに行けば良いか分からぬ風は、眼前の枯葉をただくるくる回すだけ。
 …まぁ、そうだろうな。こいつは、そういう奴だ。
 ずっとずっと、誰かの生き様を一歩離れた場所から見つめ、映し続けてきて。きっと、こいつが表現するところの「観察者」として「生きる」と決めていて。
 だから、いざ写真の中から自分に対して手を差しのべられた時に、手を取ることが出来ずにいる。

 …けど。その質問を私にして来た時点で、本当はどうすれば良いか、文の中でも決まってるんだろ?

「お前もだいぶ窮屈な生き方してるな」
「む」
「良いとか悪いとかじゃないぜ。想ったように想えば良いじゃん。やりたいようにやれよ」
 刹那の後、枯葉を弄んでいた風が穏やかになったかと思うと、また吹き始める。今度は、一点の方向に向けて、真っ直ぐ真っ直ぐ、散りゆく落葉を導いていく。
「…参考にするわ」
「おう。先人の助言はありがたーく聞き入れることだ。んじゃまたな文!」
 最後に一回だけ文の方へ明るく微笑みかけると、魔理沙は体を傾けて箒を発進させる。枯葉を巻き上げて去っていく魔法使いは、あっという間に見えなくなって。から、から、と地に落ちる落葉の音を耳にしながら、残された文は、小さく唇を綻ばせていた。

「…ふふ、山での再会は遠慮したいけどね」


***4***


 何日か経って。この日も天高く鳥たちが揚々と飛ぶ、気持ちの良い天気。
 ある者は歩く浮雲と競り合い、ある者は仲間たちとさえずり合いながら、自由気ままに空を舞い、旅を続けている。
「…」
 そんな中、幻想郷の東端にある神社からは、近付く者全て喰らわんとばかりの禍々しい覇気が立ち込めていた。あまりの重い空気に鳥たちが我先にと羽毛を逆立てて飛び去っていく傍らで、一人の魔法使いが気にも留めない様子で朱の鳥居をくぐっていく。
「よー、霊夢!」
「!」
 気の主である巫女――博麗霊夢は、来た気配に札と大幣を素早く握って。けれど、声の主が誰なのか気付くと、鷹の目をつまらなさそうに緩めた。
「…なんだ魔理沙か」
 そんな気だるげに言わなくたって良いじゃないか、と、霧雨魔理沙は口を尖らせながら箒を降りる。
「どしたんだ、お札構えて」
「これ!」
 これ――って言われてもなぁ。勢い良く差し出された紙はびりびりのぐしゃぐしゃで、もうなんて書いてあるかも全く分からない有様だ。けれど、なじみのある紙質と、上中央に大きく貼られていた霊夢らしき写真で、それが何かだけは、魔理沙にも気付くことが出来た。
「文のやつ、また私のあれこれ一面にしたのよ!」
 やっぱり。『文々。新聞』最新号らしい。あーそういえば、前に文の家行った時、何か原稿みたいなの書いていたっけ。あれ、そういうことだったのかな。
「いつものことじゃないか」
「それじゃ駄目なの!!!」
 魔理沙が呆れて見せると、霊夢は荒ぶる声音で噛みついてくる。顔は真っ赤っか。栗色の瞳には、めらめらと炎が燃え盛っていて。あまりの気迫に魔理沙も圧されていると、霊夢が札と大幣をぎゅっと握り直すのが目に入った。

「だから、改良した『新聞拡張団調伏』で、今度こそアイツをぶちのめしてやるの」

 その宣言は、怒りは、どこまでも真っ直ぐあの鴉天狗に向かっていて。あいつをこらしめる、ただそれだけのために、昼も夜も時間を惜しまず専用のスペルカードを練り続けた姿が、はっきりとイメージ出来て。

 『とはいえ、あなたが妬くことじゃないと思いますがね』

 …あー。すまん、文。私もそう思ってたんだけどな。
 やっぱり私は、お前に妬かずにはいられないみたいだ。

「派手にやってやれ」
「もちろんよ!」
「そんで洗いざらい吐かせれば良いんだよ」
「吐かせる?」
 怪訝そうに首を傾げる霊夢に、魔理沙は「そう」と意地悪く目を歪める。
「いつも何を思ってこんな記事書いてんだーってな。再発防止になるかもしれんし」
 魔理沙の助言を聞いた霊夢はしばらく顎に指を置きながら「吐かせる…吐かせる、か。そうね。それもそうね」とうんうん頷いて。次の刹那、目に宿す神火を体全体にまで噴き上げさせていた。

「さぁ、早く姿を見せなさい!!目に物見せてやるわ!!!」

 外に向けての熱い咆哮に、小鳥たちがまた慌てたように境内を飛び去っていく。
 燃え盛る視線はずっと鳥居の外、ここからでも装いだけが見える山に向いていて。
 仁王立ちで構える霊夢の背中を見ながら、その先にいるだろう天狗を思い、魔理沙は唇を綻ばせる。
 …もしかしたら、あのアルバムの「次のページ」がめくられる時は、本当に近いのかもしれないな。
 
 ――ま、頑張れよ、文。いろんな意味で。
書くのとっても難しかったです(こなみ
読んでくださりありがとうございました。
UTABITO
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コメント



0.260簡易評価
1.90奇声を発する程度の能力削除
良かったです
2.100東ノ目削除
文は後方彼氏面に徹することに自分を律してしまっている状態から脱却できるのだろうか。面白かったです
5.100名前が無い程度の能力削除
みんなかわいい。良かったです
6.100南条削除
おもしろかったです
3人ともかわいらしかったです
文のアルバムというのはありそうでなかったと思います
7.100のくた削除
魔理沙がとてもイイ!
11.90大豆まめ削除
あやれいむもいいですし、文と魔理沙の距離感も良かったです。
握り飯と赤出汁、旨そう
13.無評価くすり屋削除
どこにコメントしたらいいか分からなかったのでここに。
小説読みましたありがとうございます!
文と魔理沙の霊夢トーク、という少し変わったシチュエーションだなと思いながらも、なんかこう言葉にできない緊張感みたいなのが漂っていて良かったです。自分の気持ちをさっぱりと語る文と、少し素直になれない様子の魔理沙。両者の想いが直接的では無い柔らかい表現で描かれていてほっこりします。でも最後に魔理沙の本音のようなものも少し聞けて良かったなと。感情を表情に表して表現するのは流石ですね。心境がとても分かりやすく伝わってきます。
今後の三人についても気になる展開ですねこれは。
お疲れ様でした!!