Coolier - 新生・東方創想話

憧れたH?/その瞳が映すもの

2010/06/06 18:34:53
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 ──ひとり三冊まで!

 くたびれた木製の本棚の端、そう書かれた張り紙を彼女が見つけたのは、その手に二十二冊目の本が詰まれた時だった。絵本、小説、辞書などなど多種雑多な本で埋め尽くされた視界の隅にシミの出来た和紙が見えたのだった。
「……ねえ、あれ」
 貸本屋である。旧都の中央を貫く大通りをわき道に逸れて細道を数分。そうして見つかる、寂れた一軒屋で細々と経営している。随分年期が入っているのは分かるのだがそこに人足が向けられることは稀である。なにしろ旧都の住人はそのほとんどが鬼の一族だ。読書を嗜む、又は学を積もうとする者は少ない。そういった経緯もあって、この貸本屋は年中廃業寸前である。あの張り紙も形式的なものでしかない。
「ねえって」
 しかしながらその蔵書は結構なものだ。娯楽作品の類は少ないのだが辞書や辞典の数ばかりは多い。びっしりと詰め込まれたそれらはこの店舗の設立を提案した閻魔の趣味によるもので、実に彼女らしい。
 ともあれ、現在閑古鳥の鳴くこの場に居るのは彼女と私、それと埃の積もった本をそのまま墓石にでもしそうな、年老いたおばあちゃんの鬼だけ。
 店内にあるのはおばあちゃんが本をめくる音と私が本を手に落す音、それと、
「あれが読めないのー? あんたはー」
 ぶつくさ五月蝿い橋姫様の声だけである。



 ~憧れたH?/その瞳が映すもの~



 水橋パルスィ。
 嫉妬にその身を焼き、鬼となった元人間。
 地上と地下とを繋ぐ縦穴の番人、ということになっているが封印されたこの地に訪れる者などいるはずも無く、彼女は実質年中退屈そうにどこかを眺めているだけである。名目だけで給料を貰えるのだから楽なものだ。そんなわけで、閻魔様には彼女の給料削減を提案中である。
 糸のような金色の髪の毛に宝石のような緑目。古くからの私の──適正な言葉が見つからないから、とりあえずは荷物持ち。以前読んだ地底でも数少ない娯楽漫画によると、こうして買い物の荷物持ちをするのは恋人の──男の役割ということらしいが、彼女はこれで立派な女性であり、よって恋人と区別する事はできなくて、かといってただの友人というようなものでもない。私達の間柄を表現する言葉を私は見つけられないでいる。
 二十三冊の本をその手にする彼女の表情は私には見ることは出来ない。そもそも人一人がやっと通れるほどの本棚の隙間で無理に覗こうとすれば、さぞ華麗なドミノが見れることだろう。だからなんとなくで、密かに心を覗きつつ、不満そうな表情をしているのだろうと推測する。
「いきなり連れ出されたと思ったら本持たされてる私の心は泣いているわよー」
 声は平坦。確定した。彼女は今の状況が不満だ。どうせひとりで感傷に浸るくらいしかやることが無いくせに、贅沢な人だ。
 
 規則違反じゃないのよー、こっち向けー、アホー、ちんちくりーん。
 おばあちゃんに聞こえてないことをいいことに、彼女の心の声は私に対する罵詈雑言を繰り返す。私の楽しい本の選択タイムの邪魔をする声。いい加減に五月蝿いので私は懐からカードを取り出した。スペルカードではない。所詮厚紙で作られた、貸し出しカードというやつである。しかしこれは特別なカードでもある。本棚に目を向けたまま横目で彼女を見つつゆっくりと、本の影から見せる。
「読めますか? これ」
「なにこれ」
「貸し出しカード」
「ふぅん……どれどれ」
 おばあちゃんが震える手で記してくれた、私だけが持つカード。それをパルスィはまじまじと見た。
 特別仕様『さとりちゃんへ 何冊でも借りてっていいよ』券である。
 しかし、

「あんたこれ……名前、さとしちゃんになってるわよ?」
「え、嘘」
 ゆっくりとカードを引き戻し、じっと、書かれている文字を見た。
「……ほんと」
 極細筆で書かれたそれは『り』が個性的な形をしすぎてしまっていて、『さとしちゃん』と読めるものであった。なんということだ、私はいつから古明地さとしになってしまったというのだろうか。もしも男の子だったなら周囲が女性ばかりの私にとってはまさしくハーレム。ときどきぼっち……ではなく、私は本の山に向かって声をかけた。
「おばーちゃーん! 私さとり! さとりですよー?」
「なんだって~? さとりちゃんなんか言ったかーい?」
 帰ってきたしゃがれた声が確かに『さとり』と言っていたことに少し安心する。よかった、故意に書いたものではないらしい。

 器用に詰まれた本を避けながら、そろりそろりとおばあちゃんの元へ向かう。そしていつも柔和に笑って本を読み続ける彼女にカードを見せた。
「見てくださいよこれ、『り』が『し』に見えるって彼女が言うんですけど」
「ん~? そうかい? 昔は皆こんな風に書いてたもんだけど……さとりちゃん達くらい若い子には変に見えるもんかねぇ」
 若いって羨ましいよ、と皺だらけの顔が緩む。数本しか抜けていない真っ白な歯が見えた。彼女はあと数百年は生きているだろう。
「どれどれ、書き直してあげようかね……えっと、筆と硯は……」
「ああ、いいんですよ別に。どうせおばあちゃんと私しか使わないものですもの。わざわざ手間を掛けさせるのも悪いですし」
「いいんだよ遠慮しなくても……お、あったあった。ごめんねぇ、いつも贔屓にしてもらってるのに」
「そんな、無理しなくても」
 目を細めながらカードを修正する姿はなんとも申し訳ない気分になる。しかしおばあちゃんも例外なく鬼の一族らしい。変なところで自分を曲げない人である。

「どーでもいいけどさ、この本どうするのよ。いい加減重いんだけど」
 と、すっかり置いてけぼりになっていた二十五冊の本から呆れた声がした。これまた不機嫌そうである。彼女が嬉々としている場面など数少ないのだが。
 ちょうどおばあちゃんもカードの書き換えを終えたらしく、墨の乾ききらないカードに息を吹きかけていた。
「そうですね。……おばあちゃん、早速で申し訳ないのですが」
「あいよ、おや、今日は随分と少ないんだね」
「はい、今日は荷物持ちが非力なもので」
 この店に通うときはいつも燐の車を利用させてもらっているが、今日は旧都の宴会の準備に呼ばれているらしい。そんなわけで今日の荷物持ちは彼女である。
 しかし、これまた彼女にはそれが気にくわないらしい。
「非力とは言ってくれるじゃない。これでも鬼の身体よ? これくらい余裕よ、余裕」
「手が震えてますが」
「気のせい」
「そーですか」
 


 らくしょーとの事なので、もう十冊追加してから支払いを済ませて店を出た。

「落さないでくださいよ。本が汚れます」
「そう思ってるなら半分くらい持ちなさいよ……」 
「あら、きついんですか?」
「ぜぇんぜん」
「じゃあ頑張って」
 両手に本の詰まった紙袋を携えてフラフラなパルスィと共に大通りを歩く。周りでは年中灯されている提灯の下、宴会の準備が着々と進められている。「楽しみだな」「準備が無ければ楽なのに……」「めんどー」聞こえてくる声は心の声であり、実際の声でもある。思ったことを素直に口にする鬼という種族は、私にとっても幾らか馴染みやすかった。この地にやってきたばかりの頃は色々と大変だったが、今では私達はこの街に受け入れられている。
 薄暗くて、ほのかに明るくて、いろんなものを背負っていても、誰もが前を向いている。
 白夜の街。
 この街が、私は好きだ。

「ほんと、毎日毎日飽きないものだわ……」
 もう疲れたのか、紙袋を肩にかけながら、ぶつぶつとパルスィは呟いた。私よりも少しだけ高い目線に何が写っているのか、少しだけ気になった。
「宴会のことですか? 確かにこれで三日連続ですけれど、そんなこと珍しくもないでしょう? 過去最高記録は……七日でしたか?」
「八日よ。もっとも、最終日なんて姐さん以外殆ど全滅だったけどね。でもそうじゃなくて」
 アレ、と口だけを動かして茶屋の店先を指差した。決して大きくはない店先には人だかりが出来ている。なるほど、ヤマメが何かしているらしい。その姿を見ることは出来ないがそこにいる人たちの心なら見えるし、ガヤガヤと賑わっている様子を見ればその人たちがどんな心境であるか想像するのは容易い。
「あぁやっていつも皆に何かを配ってるのは別にいいんだけどさ。あいつも物好きだなってね……ところで、今日はなに?」
「……餅、糸細工、甘酒、それと笑顔、ですか。相変わらず統一感がありませんね……というかそんなことに人の能力利用するの止めてくれませんか?」
「気にしないの」
 パルスィは観衆と、それに囲まれているヤマメをじっと見ていた。そうしてどんなことを感じるのか、私にはそれを知ることが出来る。

「……妬ましい」
 しかし、それをわざわざ口にするのは彼女の癖である。嫉妬心なんて感情は普通、心の奥底に潜めておくものだ。向かい合いたくはないだろうその感情を即座に口にして発散するのは、嫉妬心ゆえに心を壊した過去を持つ彼女なりの工夫なのだろうか。
「ヤマメに対抗して、アイドルでもやってみたらどうです?」
「冗談」
 パルスィは一度鼻で笑い飛ばすと、私とヤマメ達に背を向けて歩き出した。

「旧都を照らすのはあいつに任せるわよ。私はそれを妬ませてもらうだけ。誰かを笑顔にするなんてこと、橋姫の私には似合わないわ」
 提灯の柔らかな明りが彼女を横から照らして、その足元に影を伸ばしている。
 黄昏時に似ている。背中で語ることを格好いいと思っているらしい。 
「アハハハハ」
 無表情で私は笑った。
「これでアイドルですね。嬉しいですか?」
「……馬鹿やってないで、ほら、行くわよ」
 そう言って向かうのは地霊殿とは反対方向。世界を繋ぐ橋の傍に建っているパルスィの家である。こう付き合いが長いとなんとなく私の考えていることも分かってしまうものらしい。

「私の家に行くんでしょ?」
 
 心を見透かしたような、質問の皮を被った確認の言葉。
 宴会の次の日、燐たちは地霊殿に帰ってくることなく旧都に倒れていることが多い。こいしも帰ってくるときはパルスィの家を通っていく。地霊殿は野生同然のペット達しか残らない。そういう時のいつものパターンだ。たしかに予測は可能なのだろうけれど。
 
「そうですね」
 
 旧都を照らす提灯の明りが、パルスィの横顔に影を落していた。赤みの混じった光が彼女の髪に反射して、燃えているようだった。

「待って、くださいよ」

 私はひとりで先を行く彼女に駆け寄って、その影を踏んだ。





 2


 なんと水橋さんのお宅は新築二階建てである。
 水橋パルスィなんて名が示す通り、一人暮らしには広すぎるほどの面積を備えた家屋は和洋混合の半分こ仕様。一階は質素な純和風、二階はシックな洋風となっており、二階のくるくる回転する椅子が彼女のお気に入りである。
「あ~重かっ……軽かったぁ」
 勾配のきつい階段を登りきってドアを開けた瞬間、パルスィは両手の本をどっかりと下ろした。口では無駄に強気だが肩と首を気だるげに回す様子は疲労困憊である。
「ご苦労様」
 それでも労いの言葉をかけてやると彼女は無言のまま手を振り、橋をあしらった模様の入った上着を椅子に投げた。服は椅子を通り越して床に落ちた。
「……これっきりにしてよね」
 咳払いをしつつ掛け直すとそのまま椅子に座り込んで一回転。これが日課らしく、すぐに立ち上がって窓を空け、お湯を沸かし始めた。
「どうする?」
「砂糖ミルク増し増しで」
「お子様」
「お黙り……さて、と」

 私は紙袋から本を取り出して、部屋の隅の灰色のシングルベットに並べた。今回の貸し出し数は三十六。図鑑や絵本なども混ざっているので一週間もあれば読み終わるだろう。
「うわぁ、これまたジャンルバラバラね」
 さてどれから手をつけようかと唇を指先でなぞっていた私の横に、彼女の顔があった。上着を脱いだ姿は黒のシャツ一枚で、髪の色とのコントラストが綺麗に見えた。今になって気付いたが、いつもと違う香りがする。香水でも使っているのだろうか。
「よくもまぁこれだけの量を読みきれるもんね。飽きないの?」
「飽きる? そんなことありえませんよ」
 私は小説を一冊、手に取る。黄色いハードカバーが手に心地いい重みを与えてくれた。

「知識を得るというのは食事と同じです。基本的な欲求であり、一定時間摂取しなければ飢えてしまうもの。人によってはそれは必要ないのかもしれませんが……旧都の皆だってそうでしょう? お酒を飲む必要は本来無いのにああして連日宴会騒ぎ。そうしてなければきっと、満足できない」
 私はその本を彼女に差し出した。
「まぁ、百聞は一見にしかず。試しに貴方も読んでみますか? きっと面白いと思いますが」
 そもそもこの本はその為に借りてきた物だったりする。偶には同じものを見て、話題を共通させてみたかったのだ。
 
 しかしパルスィは「悪いわね」と振り返って、やれやれと自分を笑いながら、また背中を向けて言った。
「私にそんな分厚い本無理ね。五分で寝る自信があるわ」
「そう言わずに。ほら、きっと貴方も気に入ると思いますよ?」
「だから無理だって」
「そう言わずに」
「むーりーよー」
「むぅ、強情です……ねっ!」
「危なっ! なにすんのよ!」
 突き出した本を、こちらも見ずに紙一重で避けられる。動きを読まれている? いつから私はさとられになってしまったのだろうか。いや、そんな馬鹿な。
「当たったら痛いじゃないの……ったく」
 パルスィはそのままカップをふたつ並べて、何事も無かったかのように珈琲を入れ始めた。
 こうして思うように進まないと、どうにも面白くない。
 どうするか。と思案していると、本の散乱するベットが目に入った。
 よし、これだ。

「……ところで、今日の宴会には参加するんですか?」
「さぁね、どうせ姐さんあたりが無理矢理連れ出しに来るんだろうけど。まぁ、そうしたら行ってやらないこともないわ」
 喜んで行く、の間違いである。
 パルスィの手元で大量の砂糖が投入されていた。あれは私のもの。ちなみに彼女は何も入れないブラックの珈琲を無理して飲む。鬼となった身に甘味は似合わない、なんて馬鹿馬鹿しい理由であって、本当の好物は小豆たっぷりの宇治金時である。
 本を退かしてベットに腰を下ろすと、ギィと木の軋む音がした。体重を乗せるたびにギシギシいう安物のベットが珍しくて、ついつい遊んでしまう。
「そうしたらあんたも行くんでしょ?」
「そうですね。そうしたらまた夜通し騒ぎっぱなしになりますね……」
 なんとか会話の流れを差し向ける。わざとらしく目を細めて彼女を見ると、何か気付いてくれたようだった。
「なに? なにか言いたげだけど」
「ええ、だから今のうちに……」
 計算通り。これで彼女は断れまい。
 私はベットを叩きながら、言った。

「寝ましょうか」
「ぶッ……ッ!」

 入れたての真っ黒な液体が、霧となって宙を舞った。
 もったいない。

「…っ…っな…ななっななな! なに言ってんのよ、アアア、アンタは!」

 手に持ったカップを激しく振動させながら、パルスィは顔を真っ赤にした。
 はて、私はなにかおかしなことを言っただろうかと思い返すが別に変な箇所はどこにも無い。ただ睡眠をとっておくのは大切だと言っただけである。ところで彼女の脳裏に一瞬だけ浮かんだ光景は何だったのだろうか。

「どうしました? 今のうちに眠っておくのは何か都合が悪いですか?」
「いいいやいや、だって!……って、あれ?」
 首をかしげる私を見て、パルスィは拍子抜けしたような声を出した。

 そうして何かを追い出すように十回ほど咳き込んから、
「そ、そうね! 昼寝しておくのも悪くないかもね! ほ、ほら、それ読んでとっとと昼寝、しましょうか!」
 一足飛びに私から本を奪い取ると、飛び込むように椅子に座ってまた一回転する。 
「まぁ、そうですけど……ところでパルスィ、さっき何を考えて……」
「あーッ! なに、えっと、なんかよくわかんないけど面白そうな題名だわー!」 

 椅子は勢いを失うことなく、五回転。思考は回転に飲まれてゴチャゴチャになってしまった。
 必死である。それほどまでに隠そうとするものがなんであるか興味はあったが、それによって彼女の手から本が離れてしまっては本末転倒だ。
 止む終えない。この場は渋々諦めることにする。
「私は……と」
 一冊適当に選んでから他をベットの隅に積んで、寝転ぶ。 
 ギシギシとベットが音を立てる度に、彼女は落ち着き無く足元を叩いた。





 3


 パルスィが表紙を開いてから、早数時間。
 こうなるだろうと予測はしていたが、想像以上の集中力だった。組まれた足は数度その形を変えただけで一度も立ち上がってはいない。ページをめくる手は一度たりとも止まることなく、余所見することも無い。一時間前に私が淹れ直した珈琲は、殆ど手がつけられることなく冷めてしまっていた。
 熱中。
 ただ本を読んでいるだけだというのに、厳かな空気を纏っている。鬼気迫るといってもいい。貪るように読み耽る姿に私は出来るだけ物音を立てないように移動し、声一つ掛けられないでいた。
 旧都の方では早まった鬼達が早速飲み始めているらしかった。ときおり聞こえる笑い声にも、パルスィは眉一つ動かさなかった。時計の音ですら耳障りに感じるほどの静寂。ページをめくると彼女はまた、喉を鳴らした。
 

「おーい。パルスィ、居るかーい?」
 その時、表から聞きなれた声が聞こえた。鐘を叩いたようなこの声は星熊勇儀のものである。パルスィの予想通り、宴会の誘いに来たらしい。
「……パルスィ、勇儀さん来ましたよ」
「うん」
「出なくていいんですか?」
「うん」
「聞いてます?」
「うん」
「…………仕方無いですね」
 パルスィの手の中の残りページは少なくなっていた。

 もう彼女はてこでも動かないだろう。私はベットから起き上がると階段を降りた。待っていたのはやはり一升瓶を三本小脇に抱えた勇儀さんだった。
「おや、さとりも一緒だったか。宴会の誘いに来たんだけど、パルスィ居るかい?」
「ええ、居るには居ますが……」

 私はお静かに、と指先を口にあててから、勇儀さんと一緒に階段を上がり、ドアの隙間から読書に勤しむパルスィを覗いた。彼女は全く気付いていなかった。
「……あらぁ、これまた豪く集中してるねぇ」
「でしょう? 貴方の訪問にも全く反応しない始末で……」
「うぅん……ならしょうがないか。さとり、パルスィが身体壊さない程度に見ててやっておくれよ」
「はい……すみませんね、せっかく来て頂いたのに」
「いいって。気にするんじゃないよ」
 玄関まで下りると勇儀さんは私の髪をワシャワシャと撫でてから、旧都の明りに向かって去っていった。密かに気にしているこの固い髪質がお気に入りらしい。私の身長が低いのはきっと彼女のおかげだ。

 旧都からは賑やかで楽しそうな、皆の声が聞こえる。燐達も来ているようだった。でも、
後ろに気を向ければそれとは正反対。そこに誰か住んでいるのかすら怪しまれるほどの静寂があった。
 でも、いる。確かに彼女はそこにいる。
「……手がかかりますね、ほんと」
 私は一度深呼吸してから振り返った。空気が冷たい。もう冬が近いようだ。

「行かなかったの?」
 ドアを開けるなり、顔を上げずに彼女は言った。
「行けばよかったのに」
「貴方を頼むって、勇儀さんに頼まれましたから。だからここにいます」
「そ、……まったく、姐さんったら」
 妬ましいわ。そうは彼女は言うが、彼女自身にも具体的な嫉妬ポイントは見えていない。語尾みたいなものである。
 微動だにしないパルスィを傍に、私はまたベットに腰掛けた。開きっぱなしになっている動物図鑑を手に取る。私の手の中で見たことの無い生き物達が描かれている。普段それはとても興味深いもののはずだった。
 だけど、さっきからそのページは一向に進んでいない。
 私がずっと見ていたのはパルスィの心。物語に夢中になる彼女の方が興味深かった。
 
 彼女の隣に寄り添って、同じ一冊の本を読んでいるような感覚がある。本の内容とパルスィの心を同時に読みながら、その変化を楽しんでいる。一喜一憂する彼女の横顔を、ただじっと見ている。

 規則正しい時計の音と紙ずれの音だけが、世界が動き続けているのを教えていた。
 いっそ、世界から音がなくなればいいのにとさえ思ってしまう。
 
 ──でも。
 
 そんな時間は彼女が目を閉じた瞬間、唐突に終わりを告げた。

 銃声がひとつ、私達の間を引き裂いていく。
 同時に部屋の扉が蹴破られ、7フィートはあろうかという大男が四人、なだれ込んできた。
「誰ですか、貴方たちは」私は聞くが、進入してきた者たちは答えない。
「古明地さとり、だな。悪いが一緒に来てもらおうか」そう言って私を取り囲んだ男達の手にはそれぞれ口径の違う銃が握られていて、私とパルスィの両方を向いていた。
 動いたら撃つ。言葉より先に心がそう言っていた。
 褐色の肌の男が私の肩を掴んだ。「さあ、来るんだ」言葉と一緒に一ヶ月放置した卵の様な、不快な匂いが鼻についた。
「貴方たちは……」私はもう一度言った。しかし、反射的な心の変化も彼らには無く、その正体を知ることは出来ない。
 救いを乞うようにパルスィを見た。彼女はまるで眠っているかのように、動いていなかった。腕を組んで椅子に腰掛けたまま、銃口を睨みつけていた。
「さぁ」汗臭い腕に引かれ、無理矢理立ち上がらせられる。
「嫌です」私が必死に抵抗しても大男の身体は動じず、機械のように私の身体を担ぎ上げた。私に抵抗する術は無かった。
 私を確保したことで銃口は全てパルスィを向いていた。
「余計な抵抗をしなければ、余計な手間を掛けずに済む」サングラスを掛けた、スキンヘッドの男が言った。
「パルスィ!」私は手を伸ばして、助けてと叫ぶことしか出来なかった。私を担いだ男は蹴り飛ばされたドアを跨いで、外へ出ようとしていた。三人の男に遮られて、パルスィの姿を見ることは出来なかった。
「待ちなさい」椅子を蹴る音が聞こえた。続けて銃声が三つ響いた。私は反射的に目と耳を塞いで、一番悲劇的な光景を想像した。
 火薬の匂いが部屋に充満していた。私は恐る恐る目を開けた。
 男達の壁は無くなっていた。
「あと十人は足りなかったわね」倒れた大男達を、パルスィが踏み越えていた。
「何だというんだ、お前は!」私を担いだままで男が言った。私に触れる岩のような手は怯えていた。空いた手で握られた銃はいつの間にか発砲したらしく、白煙が上がっていた。
「私?」パルスィは唇をなめた。足元に転がっている銃を足で跳ね上げると、そのまま男に向けた。
「そいつの──」
 続く言葉は銃声にかき消されて、誰の耳にも届かなかった。

「なんだったんでしょう、この人たちは」
 事の済んだ、火薬の匂いの充満した部屋の中、動かなくなった男の腕を何とかどけて、私は言った。
「さあね」パルスィは窓から外の様子を窺っている。出来るだけ身体を表に見せないようにしているのは新手の刺客を警戒しているのだろう。彼らが何者だったのか、物言わなくなった彼らから知ることの出来る情報は何も無かった。
「確かなことは、何故かあんたが狙われてるってことだけよ」パルスィは肩をすくめて私を見た。「何したのよ」
「分かりません」私は正直に言った。「こんな人たち、知りません」
 パルスィは男達の衣服を漁った。出てきたのは収納式のナイフと萎びた葉巻だけだった。「やれやれ」ほぅっと息を吐いた。
「まぁ、やるべき事は決まってるんだけどさ」パルスィは男から奪ったナイフをくるりと回して、私に向けた。「あんたを守るわ」
 刃をしまうと、それをポケットに入れてから私の頬を撫でた。硫黄の匂いとパルスィの匂いが混ざって、不思議な感じだった。
「ありがとう、パルスィ」私は彼女の背に手を回して、力を込めた。
「止めときなさい」パルスィは私を引き剥がして、耳元で囁いた。「珈琲を飲んで、一服してからよ」

 ────

 さて、

「一服してからよ……ふふ……」

「…………」

 ……どうしましょうか、これ。

 だらしなく口元を綻ばせるパルスィとその心の中で渦巻く妄想を見せ付けられて、私は乾いた笑いを漏らすことしかできなかった。
 そう、妄想である。
 屈強な男たちも存在し得ない拳銃も喧騒の跡も、全部水橋パルスィの脳内での出来事。すなわち、私の覚りの目が映した幻想だった。
 その様は恋する乙女? 否、気色の悪いナルシストである。
 静かに熱中していると思えばこれだ。彼女の脳内で展開される世界は全て彼女の思うように進み、そんなものを見せられてはたまったものじゃない。
「いい加減に……!」
 とりあえず私は、履いていたものを脱いだ。

「──あんたが黒幕だったとわね……って、痛ァ!」
 脳を貫くような音が部屋中に反響した。スリッパを片手に隣に立つ私を、パルスィは睨みつけた。
「なにすんのよ、痛いじゃない!」
「それはこっちの台詞でしょう? なんですかあの奇妙な妄想は!?」
「なにって、その、これがあんまり格好よかったから……ねぇ?」
「そこで同意を求められても困ります。まったく貴方は……」
「──そもそもっ!」
 自分の世界に浸りすぎる、と閻魔のように続けようとした私の言葉を遮って、パルスィは開いていた本を閉じて、私に差し向けた。

「なんであんたが私の妄想見てんのよ、自分の本読んでたんじゃないの?」
 パルスィはなぜか、どうよ言えないでしょう、と考えていた。
「貴方が気になって、貴方の事ばかり見ていたから、ではいけませんか?」
「ばッ……!」 
 だから、私は素直に答えた。

「馬鹿言ってんじゃないの! そういうこと、平然と言うもんじゃないでしょう!?」
「それでもです。言わないと貴方には伝わりませんから。……だから、もうひとつ聞かせてください」
「ちょ、ちょっと……」
 
 突然のことに驚く『イス』に腰を下ろす。すっぽりが身体が収まって、大変いい心地だった。

「──貴方、妄想しましたよね」

 背中を預けると少し面白くない、でも確かな感覚。
 顔を後ろに向けると、視線を逸らす宝石の瞳。
 こうなってやっと、彼女と同じ目線になれる。
 やっぱり私より少しだけ大きな身体に包まれて、私は言った。

「本当にああなったら、私を、守ってくれるんですか?」

 彼女がどう答えるかなんて、簡単に分かる。
 パルスィの頭の中にあったのは妄想であり、幻想であり、理想だった筈だ。
 いつも星熊勇儀に抱いているような強さへの憧れ。
 何者をも寄せ付けない強さと、揺るがない意思。
 彼女の手の上で広がっていた世界に綴られていたもの。
 それは彼女が追い求めている物であり、同時に、どこかで諦めているものだったから。
 彼女はいつも、私には似合わない、妬ましい、そんな言葉を重ね続ける。

「むりよ」
「どうして? 橋姫は守り神なのでしょう?」
「それは私じゃない。知ってるでしょう? 私はそんな立派なものじゃないわ」
「ただの鬼、ですか」私は笑った。「貴方はそればっかりですね」
「そうよ、私は守り神なんかじゃない。待ち人を待つ健気な女でもない。もし守り神だったとしても縁切りの神よ? 加護なんてあったもんじゃないわ」

 だからと、パルスィはこちらを見て自嘲しながら、溜息を吐いた。
 そうして次に目を開けたとき、その瞳はどこか寂しさの混じったものになっている。でもそれは私の目を釘付けにする奇妙なもので、引き寄せられそうな深い緑色は、その奥に微かな光を含ませる。
 そして、その光が何なのか、私は知っている。
 
 それは、優しさって弱さ。

 彼女が鬼になってまで捨てようとしたものは、きっとそれだった。 
 捨てられなくて、捨てちゃいけなかったのは、きっとそれだった。

 だから、こう答えるしかないのだ。
 やっぱり全てを諦めたような声で。
 でも、真っ直ぐにこっちを見て。
 
「あんたなんか、守ってやれない」

 相変わらず、彼女の言葉と心は正反対だった。
ここまで読んでいただき、ありがとうございました。
これで三つ目になります、鳥丸です。

ミステリでもなんでもない文章にこのタイトルをつけるのはどうかと思いましたが、あえてこの形式で。
……もっとも。26文字分も続けられる自信は全くありませんが。色々と書いてみたいものはあるんですけどねぇー

そんなこんなですが、少しでも楽しんでいただける方がいてもらえれば幸いです。
鳥丸
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コメント



0.1240簡易評価
3.100名前が無い程度の能力削除
良いさとパルでした
妄想スゲェ
4.100けろっと削除
ふぅ・・・、相変わらずのいいさとパルでしたね。
ていうか、ほのぼのって書いてあったのに突然のシリアスバトルっぽいシーンに驚かされたと思ったら・・・、全部パルパルの妄想かよ!?
やれやれ、パルパルもどっかの探偵君よろしく、ハーフボイルドっすな~・・・。あと、ナイスツンデレwww
7.100コチドリ削除
このパルスィとさとりの間に流れる空気、本当に良いなぁ……
たとえこの先、物語が100KB続こうとも飽きない自信がありますよ。
結びの描写も、この二人にはぴったりだと思います。お見事!
12.100oblivion削除
早くこいつら結婚しないかなー!
13.100名前が無い程度の能力削除
まったり、のんびり
17.100名前が無い程度の能力削除
どっちもいい性格してるよ、面白いw
21.100名前が無い程度の能力削除
パルスィ言ってることはもっともなのに心の中は……
いつ自分に正直になるんでしょうかw
24.70即奏削除
なんて良い雰囲気のお話。
こういう日常の温かい空気、自分は大好きです。
28.100SAS削除
パルスィさんはなあ。かわいいなあ、本当に。苦しんで苦しんでいま、こうしていられるんだろうなあ