熊のぬいぐるみが壊れちゃった。
つい5日前にめーりんに直してもらったばかりなのに。
ごめんなさい、めーりん。
1か月、このぬいぐるみを壊さずに過ごせたら、私はお外に遊びに行ってもいいらしい。
全然だめだよ。今まで一番長くても2週間だもん。
お姉さまはきっと私を外に出す気なんてないんだ。
床に転がっている壊れたぬいぐるみ。
中の綿がお腹から飛び出ている。耳も片方取れてしまっている。でも辛うじて原型は留めているかもしれない。
めーりんにぬいぐるみが壊れたことを報告しなきゃいけない。
そうするとめーりんは、門番のお仕事をしながら直してくれる。
唐突に地下室のドアが開いた。その向こうにはお姉さまがいた。
「フラン。私は出かけてくるから、お留守番頼むわね」
「どこに行くの?」
「博麗神社よ」
「お姉さまは、博麗の巫女が好きなの?」
「そうね、お気に入りよ」
「私より?」
そう聞くと、お姉さまはすぐに背を向けた。数秒の沈黙の後、すました声でお姉さまは言った。
「血を分けた姉妹より大事なものなんてこの世にはないのよ」
嘘だ。嘘つき。
またそんなわけのわからない言葉を並べて、私の前から去っていくんだ。
「待ってお姉さま。一つだけお願いがあるの」
「なあにフラン」
「ぎゅってして」
お姉さまは目を丸くして私を見つめた。それから口元に笑みを浮かべながら言った。
「フラン、あなたもそろそろそういう子どもみたいなことを言うのをやめなさいな」
「子どもとか、そういうのじゃないの」
「ぬいぐるみが壊れて寂しいの? また美鈴に直してもらいなさい」
お姉さまはドアを閉めて去っていった。地下室は元の暗闇に戻った。
私は飛び出た中綿をかき集め、取れた耳を拾い、ボロボロのぬいぐるみを持って地下室を出た。
玄関にお姉さまの日傘はなかった。もう行ってしまったのだろう。
私は自分の傘を手にし、玄関からお庭に出る。外は曇りがちで日光は少なかった。
大きな鉄の門の向こう側にめーりんはいた。手を後ろに組んで直立している。
「めーりん」
「おや、これは妹様」
「ぬいぐるみ、壊れちゃった」
「わかりました。すぐに裁縫セットを取ってきます」
めーりんはジャンプで軽く門を飛び越えると、走って館の中に入っていき、すぐに帰ってきた。
「お待たせしました。では妹様、ぬいぐるみを」
私はぬいぐるみと中綿と耳をめーりんに渡す。めーりんはそれらを大事そうに両手で受け取った。
めーりんは門の前に座り込み、裁縫セットの箱を開ける。針と糸を取り出し、さっそく修理にかかる。
「どれくらいで終わるの?」
「そうですね、だいたい30分くらいでしょうか」
「じゃあ、終わるまでここにいていい?」
「妹様のご自由になさってください」
めーりんの正面に座り込み、その指先を見つめる。お腹がはじけ、耳が取れた熊が少しずつ修復されていく。
「めーりん」
「何ですか、妹様」
「どうしてめーりんは私のことを名前で呼んでくれないの?」
めーりんは修理の手を止め、優しそうな微笑みを私に向ける。
「お名前でお呼びしましょうか?」
「うん」
「では、フラン様」
「うん。それがいい」
ニコっとめーりんが笑った。私もつられて笑った。それからまた指先の作業に戻った。
熊に再び耳が付けられた。
「ねえめーりん。お願いがあるの」
「何でしょう、フラン様」
「ぎゅってして」
首を傾げてめーりんは手を止める。エメラルドブルーのきれいな瞳がキョロキョロと動いている。
「ええと、ぎゅっていうのは、抱きしめてということでしょうか」
「うん。そう」
「今ここでですか?」
「うん」
「……わかりました」
針とぬいぐるみを地面に置く。私は両手を広げて一歩めーりんに近づいた。
「フラン様、日傘が……」
「曇ってるからちょっとくらい大丈夫。ねえ、はやくぎゅってして」
私が急かすとめーりんは両腕を私の背中に回して身体を密着させた。
「もっと強く抱きしめて」
「こうですか」
ぎゅうう、っとめーりんの身体に引き寄せられる。あったかい。やわらかい。きもちいい。
私の身体は今めーりんの腕の中にある。確かにここにある。
胸の奥が軽くなっていくのが分かる。ずっと乗せていたおもりをどけたような軽さと爽快感がある。
「めーりん、わたしのこと好き?」
「はい。フラン様は小さくて可愛らしくて好きですよ」
「愛してる?」
「……愛してますよ」
「私、今この瞬間、愛されてる気がする。めーりんに抱きしめられてるこの間だけ」
「だけ、ですか」
肩越しにめーりんの戸惑いの声が聞こえる。
「地下室にいると、私は誰にも愛されてないように思えるの。不安になって、不安定になって、それでぬいぐるみを壊しちゃうの」
「そんなことありませんよ。お嬢様も、パチュリー様も、咲夜さんも、みんなフラン様を愛してますよ」
「嘘だ。だってお姉さまは、私のこと愛していないもの」
「どうしてそう思うのですか」
「お姉さまは、私にぎゅってしてくれないの」
めーりんの腕の力が一瞬緩んだような気がした。でもすぐにまた強く引き寄せられる。
「私は言葉なんていらないの。ただぎゅってしてほしいだけなの。抱きしめてほしいだけなの。たったそれだけ。それだけで私は愛されてるって思えるの。なのに、たったそれだけのことを、お姉さまは私にしてくれないの。だからやっぱり、お姉さまは私のことを愛してないの」
背中に回されていた腕が一つ外れた。めーりんはその手で私の頭を優しく撫でてくれた。
撫でられると嬉しい。ずっと昔に、お姉さまに頭を撫でられたことを思い出す。
「愛情の表現は人それぞれですよ、フラン様。例えばこのように、頭を撫でることも愛情表現になりうるのです」
「これが?」
「はい。勿論他にも様々な愛情表現があります。例えば、毎日必ず挨拶をするとか」
「そんなのも?」
「はい」
「じゃあ、抱きしめてくれない人でも、毎日挨拶をしてくれる人は、私のことを愛してくれているの?」
「そうかもしれません」
私は正直めーりんの言葉は半信半疑だった。
もういいよ、と言って私はめーりんから解放される。めーりんはぬいぐるみの修理を再開した。
ぬいぐるみには新しい綿が少し入れられた。穴が開いたところは別の布でふさいだ。
ずっと前からこんなことを繰り返しているから、もうぬいぐるみは継ぎはぎだらけだ。
でも、同じものを使い続けていると思うと、やっぱり愛着が湧いてくる。
新しいものを買ってもらえると言われても、私は断って修理してもらうかもしれない。
修理を終えたぬいぐるみの頭を撫でる。耳もちゃんと復活している。
「ありがとう、めーりん」
「いえいえ。この程度お安い御用です」
「私頑張って壊さないようにするから」
「はい。1か月壊さなければ、お外で遊べますよ」
「うん」
ぬいぐるみを持って館に戻ろうとすると、ちょうどお姉さまと咲夜が帰ってきた。
お姉さまが残念そうな表情をしているところを見ると、博麗の巫女と会えなかったのかもしれない。
「フラン、ぬいぐるみを直してもらったのね」
「うん」
「今度は1か月壊さないようにしなさいよ」
「うん。それよりお姉さま、お願いが一つあるの」
「また? 今度は何?」
お姉さまは面倒そうに聞いてくる。
めーりんの言ったことが本当なら……。
「頭撫でてほしいの」
お姉さまはまた目を丸くした。さっきと同じ反応だった。
その瞬間私は悟った。
やっぱりだめなんだ。
やっぱりお姉さまは私のことを愛してないんだ。
嘘つき。めーりんもお姉さまも。
「そんなこと? いきなりねえ」
「え?」
お姉さまは渋々といった表情で私に近づき、私の頭をそっと撫でてくれた。
「フランは小さい頃から頭を撫でられるのが好きだったわね。こうやって撫でたらすぐにご機嫌になって。ほら、これでいい?」
撫でてくれた。わしゃわしゃと、私の髪が動く。
ずっと昔に撫でてくれた手つきと全く同じだった。
気持ちいい。懐かしい。
胸のあたりがじんじんと熱くなる。ポカポカしてくる。顔が熱い。
めーりんの手よりも何倍も幸せを感じた。
「……うん。ありがとう、お姉さま」
「私が頭を撫でるのは、親友か従者か血縁者だけよ」
そう言ってお姉さまは傘を閉じ、館の中へ入っていった。咲夜が私に一礼してお姉さまに続いた。
私はまだお姉さまの手の感触をしっかりと覚えていた。
ううん。もう一生忘れられないかもしれない。
門のほうを振り返ると、めーりんが嬉しそうにこちらを見ていた。
顔を合わせて二人で笑った。
百点置いておきますね。
とても良かったです。
美鈴が愛のきっかけを教えてあげる、それもまた最高にいい。
美鈴とフランドールの組み合わせが好きです。とても優しいお話でよかったです。
レミリアというか相手はそんなに深くというか他意はないんだろうなあ