「まだ?」
「まだです」
部屋を去るペットのしょぼくれた背中を見ながら、さとりはため息をついた。
いつになったら妹は帰ってくるのか。すぐ帰ると言っていたのに、もう三か月もその姿を見ていない。
机の上の鉛筆には噛み跡だらけだった。もう最後の鉛筆だというのに、これで何本目だろうか。
中途半端な長さで使いものにならなくなった鉛筆達は、皆机の引き出しの中。もうすぐ貴方も仲間入りですね、と鉛筆を指先ではじくと、歪な形の鉛筆は曲線を描いてころりころりと転がる。そして、水の入っていない、薄汚れたガラスの花瓶にぶつかった。
水はなくとも花は活けてある。前に帰って来たこいしが置いて行った、小さな小さな、生気のない薔薇の花が一輪。
色はくすみ、少し触れただけで崩れてしまいそうな様相を呈する。
「ああ、まだ帰ってこないんですか」
さとりのため息に応じるように、薔薇が僅かに揺れた。
「折角作ったのに」
さとりはこの薔薇を、こいしに見せたかったのだ。
俗に言うドライフラワーだった。
置き土産を滅多にしないこいしがくれた折角の花。枯らすには、惜しかった。
まだ数分とたっていないのに、気がつけば薔薇を見ながらまた鉛筆をかじっていた。
口の中に残る木くずと黒鉛をペッと吐きだして、つい衝動的に鉛筆を机の中へ放る。
折れてはいなかったのに。慌てて覗きこみ、しばらく中をあさっていたが、どこに行ってしまったのかはまったく分からなかった。似たようなゴミが、多過ぎる。
もはや長くなかったし、仕方ないですね――顔を上げたさとりは、どこか見覚えのある誰かと目が合った。
その相手は不思議な顔立ちをしていた。大きな鼻、細長い目とその下の大きなくま。輪郭は丸く、その髪はくすんだ紫色をしている。死人のような酷い顔だ。
さとりはそれが誰だかすぐに気付いた。凸面鏡のように膨らんだ花瓶に映った自分自身だ。
先程まで汚れていたはずの花瓶は、今ではすまして笑っているかのように光沢を放っていた。
一輪の小さなドライフラワーも、二輪の真っ赤なバラに代わっていた。
「こいしですか?」
「こいしですよ?」
さとりの背後から、おどけた声が聞こえた。
安堵の息をつくさとりの頬に頬を寄せ、花瓶を見てからからと笑う。
「お姉ちゃん、酷い顔」
「貴方も変な顔ですね」
「ぷふっ。そうだねそうだねっ!」
くすりと小さく笑って、さとりはこいしの肩に手を回した。
このぬくもりを忘れないように、そっと、それでいて強く。
「そんな酷い顔をしたお姉ちゃんには、髪飾りをプレゼント!」
こいしの手に無造作に握られていたのは、あのドライフラワーだった。
さとりが何か言うよりも早く、その花は髪に押し込まれる。
「どうですか?」
「似合ってるーっ」
「そうじゃなくて、ですね。このドライフラワーですよ。どんな感じに見えますか?」
「え? うーん、私みたい!」
「――」
「だから、お姉ちゃんに似合うんだよね!」
曲面の花瓶に映ったさとりの顔は依然としてぐにゃりと曲がっていたが、不思議と精気が満ちている。
抱き寄せた腕の力を強くして、さとりはそっと呟いた。
「また行っちゃうんですか?」
「行ってほしくない?」
「居てほしいです」
「それじゃあ、此処にいろ、って言って!」
こいしはさとりに抱きついて、そっと体を摺り寄せる。
目を泳がせながら、さとりはぽつぽつと言った。
「貴方が……貴方が、好きなように、してください」
「もーっ、お姉ちゃんの馬鹿! 丁寧馬鹿! レッセフェール! 私は妹だよ!」
さとりの顔を掴んでこいしはその目をじっと覗き込んだ。
炭の様に淀んだ瞳と、ガラスの様に光る瞳。
しばらく向かい合って、二人して押し黙っていた。
口を開いたのは、さとりの方だった。
「――ここにいなさい、こいし。勝手に出て行っちゃダメよ」
「ふふーっ、それが聞きたかった!」
こいしは満足げに微笑んで、するりとさとりの腕の間から抜け出る。
そのままドアまで駆けて行き、振り向いてさとりを見つめる。
「みんなにただいま言ってくる!」
「ええ、行ってらっしゃい」
「んじゃ、遅くなったけどただいまお姉ちゃん!」
「おかえり、こいし」
花瓶の中の薔薇は、向き合って咲いていた。
そっと引き出しを開けると、先程の鉛筆がまっすぐ手元まで転がって来る。
貴方も一緒ね。クスクスと笑って、さとりはその鉛筆を優しくつまみあげた。
「まだです」
部屋を去るペットのしょぼくれた背中を見ながら、さとりはため息をついた。
いつになったら妹は帰ってくるのか。すぐ帰ると言っていたのに、もう三か月もその姿を見ていない。
机の上の鉛筆には噛み跡だらけだった。もう最後の鉛筆だというのに、これで何本目だろうか。
中途半端な長さで使いものにならなくなった鉛筆達は、皆机の引き出しの中。もうすぐ貴方も仲間入りですね、と鉛筆を指先ではじくと、歪な形の鉛筆は曲線を描いてころりころりと転がる。そして、水の入っていない、薄汚れたガラスの花瓶にぶつかった。
水はなくとも花は活けてある。前に帰って来たこいしが置いて行った、小さな小さな、生気のない薔薇の花が一輪。
色はくすみ、少し触れただけで崩れてしまいそうな様相を呈する。
「ああ、まだ帰ってこないんですか」
さとりのため息に応じるように、薔薇が僅かに揺れた。
「折角作ったのに」
さとりはこの薔薇を、こいしに見せたかったのだ。
俗に言うドライフラワーだった。
置き土産を滅多にしないこいしがくれた折角の花。枯らすには、惜しかった。
まだ数分とたっていないのに、気がつけば薔薇を見ながらまた鉛筆をかじっていた。
口の中に残る木くずと黒鉛をペッと吐きだして、つい衝動的に鉛筆を机の中へ放る。
折れてはいなかったのに。慌てて覗きこみ、しばらく中をあさっていたが、どこに行ってしまったのかはまったく分からなかった。似たようなゴミが、多過ぎる。
もはや長くなかったし、仕方ないですね――顔を上げたさとりは、どこか見覚えのある誰かと目が合った。
その相手は不思議な顔立ちをしていた。大きな鼻、細長い目とその下の大きなくま。輪郭は丸く、その髪はくすんだ紫色をしている。死人のような酷い顔だ。
さとりはそれが誰だかすぐに気付いた。凸面鏡のように膨らんだ花瓶に映った自分自身だ。
先程まで汚れていたはずの花瓶は、今ではすまして笑っているかのように光沢を放っていた。
一輪の小さなドライフラワーも、二輪の真っ赤なバラに代わっていた。
「こいしですか?」
「こいしですよ?」
さとりの背後から、おどけた声が聞こえた。
安堵の息をつくさとりの頬に頬を寄せ、花瓶を見てからからと笑う。
「お姉ちゃん、酷い顔」
「貴方も変な顔ですね」
「ぷふっ。そうだねそうだねっ!」
くすりと小さく笑って、さとりはこいしの肩に手を回した。
このぬくもりを忘れないように、そっと、それでいて強く。
「そんな酷い顔をしたお姉ちゃんには、髪飾りをプレゼント!」
こいしの手に無造作に握られていたのは、あのドライフラワーだった。
さとりが何か言うよりも早く、その花は髪に押し込まれる。
「どうですか?」
「似合ってるーっ」
「そうじゃなくて、ですね。このドライフラワーですよ。どんな感じに見えますか?」
「え? うーん、私みたい!」
「――」
「だから、お姉ちゃんに似合うんだよね!」
曲面の花瓶に映ったさとりの顔は依然としてぐにゃりと曲がっていたが、不思議と精気が満ちている。
抱き寄せた腕の力を強くして、さとりはそっと呟いた。
「また行っちゃうんですか?」
「行ってほしくない?」
「居てほしいです」
「それじゃあ、此処にいろ、って言って!」
こいしはさとりに抱きついて、そっと体を摺り寄せる。
目を泳がせながら、さとりはぽつぽつと言った。
「貴方が……貴方が、好きなように、してください」
「もーっ、お姉ちゃんの馬鹿! 丁寧馬鹿! レッセフェール! 私は妹だよ!」
さとりの顔を掴んでこいしはその目をじっと覗き込んだ。
炭の様に淀んだ瞳と、ガラスの様に光る瞳。
しばらく向かい合って、二人して押し黙っていた。
口を開いたのは、さとりの方だった。
「――ここにいなさい、こいし。勝手に出て行っちゃダメよ」
「ふふーっ、それが聞きたかった!」
こいしは満足げに微笑んで、するりとさとりの腕の間から抜け出る。
そのままドアまで駆けて行き、振り向いてさとりを見つめる。
「みんなにただいま言ってくる!」
「ええ、行ってらっしゃい」
「んじゃ、遅くなったけどただいまお姉ちゃん!」
「おかえり、こいし」
花瓶の中の薔薇は、向き合って咲いていた。
そっと引き出しを開けると、先程の鉛筆がまっすぐ手元まで転がって来る。
貴方も一緒ね。クスクスと笑って、さとりはその鉛筆を優しくつまみあげた。
勝手に出て言っちゃ→勝手に出て行っちゃ
短いなりに読みやすかったです。
鉛筆がかじられていた辺りにこいしへの思いの生々しさを感じたりして、そこも面白いなと。
一つ気になったのは、冒頭出てきたペットがお燐なのかお空なのか、はたまた別の動物なのかの説明がなかったことです。
ストーリーに差し障りはありませんが、最低限誰がそこに居るのかは読んで判るようにした方が、読み手としても深入りしやすく感じますね。
全体的には良かったです。好みの話でした。