「外の世界では女子会というものが流行っているらしいわ」
「はあ」
何を頓狂なことを言い始めるのだろう、この鴉天狗は。そのバカでっかい羽根をむしるぞ。などとは考えながら、同じく天狗、その中でも狼の変じたものとされる、髪が白く、頭から犬のような耳が突き出た、白狼天狗たる「犬走椛」は胡乱なものを見る目をする。目は赤く、色素も薄いが、身長は小さい割にうすく筋肉が肌の下に透けて見え、よく鍛えられていることがわかる。
しかし、一つ間違えば子供に見える位目が大きく、おまけに垂れていて、顔のつくりが幼いために迫力不足といえばそうだった。
対して、目の前の鴉天狗という名にふさわしく、黒い髪をし、三角の耳が頭の横から突き出た、どこか人間のうら若い少女を思わせる作りの顔に、白いシャツに金糸や銀糸を使った装飾をした口元をヤツデで隠した射命丸文をあまり、というよりも嫌いに近い位に好いていないだけに、今にも追い払ってやりたいのだ。
おまけに、背まで椛の頭一つぶん高いと来ている。切れ長の目と、ふふん、と今は隠れていて見えないが、不敵に笑う口元が特徴である。椛にとっては、なますにしてやりたいくらいに不敵であった。
「そこでね、はたてとかいう駆け出しの記者を誘って里の飲み屋で」
「つまり飲み会ですか?」
ちちち、と文は指を振る、チッ、と椛は舌打ちをしたいのをこらえ、腰に吊った太刀をびいん、と刀を鳴らしながら鯉口をきり、この鴉をぶった切れば気分がはれるかなあ、などと考えていた。
「女子会よ」
「飲み会じゃないですか」
口元を隠していたヤツデをぴっ、と椛の鼻面にむけた。
「甘いわ。ええっとその、マカロンくらに」
「知らないお菓子ですね。たぶん。お菓子でいいんですか」
「舌も教養も身長も貧しいわねえ」
チッ、と今度は椛も舌打ちをした。まあいい、言わないでおいたことを、言ってやろう、と心を決めた。
「胸が貧しい方はおっしゃることが違いますね」
ふん、と笑った椛の顔を見て、射命丸の口元がひきつる。そう、射命丸は流線型のボディと言えば聞こえはいいが、要は起伏が少ないのだ。対して、椛は身長の割に、というか身長が低く、さらにさらしを巻いているのに自己主張の激しい胸をしているのだ。
「ふ、ふふふ。胸の大きい女はそっちに栄養を取られて頭が悪いってのは本当なんですね」
「ああ、胸が育たないのは単に睡眠時間が足りないのが原因だそうですよ。よかったですね、鴉らしくゴミあさりのための脳味噌が育って」
「あらあら、言うわねえ。犬みたいに何匹も子供を生まないのよ、鴉は」
「卵は産みまくってるじゃないですか。犬。そう言いましたね」
「あなたは鴉と言った」
椛は鯉口を切り、刀を抜き放つ。足を切りとばすつもりであったが、切れたのはスカートの裾のみである。チッ、ともう一度舌打ちをして、椛は背中に吊っていた盾を構え、そして刀を握り直し、目の前の怨敵を睨み据える。
「毟って枕にするぞクソガラス!」
「帽子にしてやるわ! この駄犬!」
ああ、世にもばからしい弾幕勝負が始まる。もっとも、そうした勝負はこの二人の常で、実は仲がよいのではないか、と言われる由縁でもあった。
「女子力の足りない女子会」
かあ、かあ、と頬の上をてん、てん、と鴉が歩き、心配そうにこちらを見つめてくる。椛は、見事に射命丸に返り討ちにされたのだ。スカートがざっくりと破れ、太股が見えるかと思いきや、尾てい骨のあたりから生えている白く、長い尻尾が太股を覆い隠していた。恥ずかしいものは恥ずかしいのである。
「主人と違ってやさしいんですね」
かあ、と言ってその鴉は主人、射命丸の元に向かう。甘えるな、ということらしい。
「さて。はたてにも女子会をやる、ということを伝えておいてくださいね」
「自分で……言えば良いじゃないですか」
「イヤよ。喧嘩になるもの」
そういって、射命丸は何かを書き付けた紙を椛の体のどこかに結わえ付け、、笑って飛び去っていった。わざわざ喧嘩をしてばかりの相手を誘っている辺り、友達居ないのかな、などと失礼な想像を椛はしていた。
「はあ。またスカート破れちゃった」
そういいながら立ち上がり、うわー、わかんないように繕えるかなあ、などと椛は呟きながら、裂けたスカートをさわり、ため息をついた。かろうじてショーツが見えない辺りまでざっくりと裂けている。膝が見えないスカートをここまで派手にやられると、なにか乱暴されたように見えるのがいやだ、とぼやいた。
そこに、風がまきおこった。椛はその風圧をああ、またか、などと考えながら顔に受け、口に入った砂をぺっ、と吐き捨てる。そこでまた同じ言葉を、聞いた。
「椛! 女子会よ!女子会!」
「また女子会ですか」
そう呟き、椛は口に入った砂をもう一度吐く。
「うわ、ご挨拶ね。……え、ちょっと、大丈夫なの?」
ふわり、と市松模様の紫と黒のスカートと、髪の横で結んだ髪を揺らしながら先ほど喧嘩する、と射命丸が言っていた当人、姫海棠はたては駆け寄ってくる。胸が揺れている辺り、なるほど先ほど罵った射命丸にはないものを持っているようだった。
「大丈夫です」
目に砂が入ったため、椛は目元をこする。うう、とうめく。涙が、でてきた。それを見て、はたては一瞬立ち止まり、息をのみ、ゆっくりと歩いてきて、口を開いた。
「……誰がこんなことをしたの?」
「えっ」
そういうと、椛は顔を上げた、目の色と剣幕がおかしい。椛の露出した肩をつかみ、ガクガクとはたては前後にゆする。
「誰がやったの?! あああ……そうじゃなかった。だ、だ、大丈夫、ああ、だ、大丈夫じゃなかったわよね。ごめんなさい。その、病院に」
「ううう」
脳が揺れる、と椛はうめいた。どうやらとんでもない勘違いをされているらしい。
「大丈夫よ、アフターピルって薬もあるからデキないわ!」
「本当に何と勘違いしてるのよはたて!」
肩をつかみかえし、今度ははたてを椛が前後に揺する。射命丸と同じく、白い髪の椛より頭一つ分背が高いが、ツインテールの髪の色は茶色に近い。
はー、はー、とお互いに荒い息をついているが、おずおず、という様子ではたてが口を開いた。小首を傾げながら。
「……違うの?」
「違います!」
「……え、射命丸も誘いにきたの?」
「そうですよ。喧嘩になって弾幕勝負で私が負けたんです。……あ、そうそう、あなたも誘われてますよ」
「ふーん。そっか。大変ねえ、スカート破られちゃって。……え? 私も?」
そういうと、急にはたてはそわそわとし始める。ああ、そういえばこの子引きこもりだった、と椛はいろいろと思い浮かべる。締め切り直前だからといって外の世界の「ジャージ」を着たままげっそりとした顔で食料を買いに来ているのを何度か見て、話したことがある。
「ええ。日程の紙をみたいな物を……あのゴミあさりめ」
うめいて、尻尾から紙を取り外した。やけにかわいらしい丸文字で書かれた招待状は、里の飲み屋を予約しているから来てね、という要旨のものである。ちょうど、一週間の後である。
季節は秋で、里は収穫の後だというから、さぞうまい物がいけるだろう、と椛とはたてに思わせた。
「そっかー、女子会かぁ。何着ていこう」
「普段通りで良いんじゃないでしょうかね」
ちら、と横目ではたてを見ると、完全に舞い上がって居て、何も聞いていない。
やっぱり鴉天狗は友達が居ないのだろうか、などと椛は考えた。いや、記者なのだからつきあいも広いはずだ、と思ったが、逆に友人になれるほど親しい間柄の妖怪も居ないのだろうか。などと考えたが、これは射命丸限定であろう。そもそも、はたては引きこもって取材もしていなかったのだから、それ以前の問題である。
「楽しみね! 椛」
「ああ、はい、そうですね……」
そういえば、この日はちょうど非番だったな、と考えていたが、後々になって判明したのは、上司の大天狗が休みをねじ込んだということだった。射命丸の「貸し」をこういう形で消費してもらったのである。
「……なんだか見られてる気がしますね」
ぴょこ、ぴょこ、と椛は耳を動かし、日が傾いて赤くなっている周囲をきょろきょろと辺りを見る。今日の服は、いつものお気に入りの紅葉の柄が入った黒のスカートに、脇の見える白い天狗の装束である。頭にかぶっているのが頭襟ではなく、赤いベレー帽なのは、せめてまあ頭だけでも仕事をわすれたかった、というだけの話である。単にほかにまともな帽子を持っていなかっただけであるが。
「そお? まあでも、白狼天狗は珍しいかもねー」
そう言ってみせるはたての方は、普段と大差がない。強いて言うなら、カメラを取り出していないぐらいであった。
「まあ、鴉天狗と違って山からは滅多に下りませんし」
そういって、あ、失言だったかな、と思い、横をちらとみるが、特に気にした風もない。引きこもりはやめたのだったし、何より別段悪意があるつもりもないからだ。
「そうよねえ。天狗っていろいろ取材してて思ったけど、山以外じゃ見ないしね。射命丸のおかげで私も何とも思われてないみたいだけど」
「で、その射命丸はどこに行った、とか聞いてますか?」
「うーん、確かに予約の時間はそろそろだけど」
そういって、外の世界から流れてきた、すこしくすんだ銀の懐中時計をはたては取り出すと、開いて時間を確認する。少し前に流れてきた品で、恩賜の銀時計とか言うらしい。なお、はたてはどういうわけか「恩師の銀時計」と勘違いしていて、先生から時計をもらうなんてよっぽど気に入られていたのね、などと空とぼけていた。まあ、確かに人格も評価の対象だったというし、完全に間違っているとはいわないけれど、と椛は考えていた。
「あと5分くらいはあるわね。早く来すぎたのかしら」
そりゃあなたはそうでしょう。という言葉を椛は飲み込んだ。30分前にはたてがすでに立っているのを見て、呆れたものだ。いくら何でも早すぎる。
加えて、飲むのだから、腹をすこしばかりふさぎにでも、と考えてせいろに乗った、好きでもないそばを竹の筒にはいったつゆに浸してずう、とすすってから10分前に来たのだ。
なぜ好きでもないのにそばにしたかというと、うどんの方が好みだが、そばの方が腹に入れるのに早いからだし、たまたま見つけたのが蕎麦切りを出す店だったというのも大きい。
新蕎麦の季節ということもあり、味もなかなか悪くなかった。まあ、蕎麦などというものはちゃんと保管していれば香りが極端に飛ぶようなものでもないので、もののわかったところから仕入れて、もののわかった人物が目利きをしていたのだろう。
「ところで」
「何?」
そういって、はたては懐中時計をしまい、首をこちらに回す。その瞳を見ながら、椛は言った。
「女子会って何なんです?」
「飲み会で良いんじゃないかしら。女の子だけの」
「……自分で言うのもなんですけど、女の子ってトシですかね、私たち」
「見た目の方なら十分それっぽい気もするわ。少なくとも中年だとか、えーと、おばあさんって見た目じゃないし」
「年は?」
「知ってて言わないでよ。私も椛も似たようなもんじゃない」
ですよねえ、とはたてに返す。そりゃあ大婆と言われて気分がいいはずはないが、といって女の子と言われればそれはそれでどうも違う、と思うのだ。
会話がなくなり、上をつ、と見上げる。青くて高い空に見えた黒い染みが大きくるのをみて、ああ、待ち人が来たか、と考えた。実際、椛にはその待ち人の鼻の毛穴さえ見えている。鼻毛がでてたら笑ってやるのに、などと役体もないことを考えながら、はたてのシャツのすそをつ、と引いた。
「来ましたよ」
「え? あー、上から来たのかしら」
「また風を巻き起こされると迷惑ですねえ。結構な勢いで……あ、減速した」
「べんりねー、その目。取材について来てくれない?」
「やです。私も仕事があるんですよ?」
つれないわねえ、とはたては返す。そう言っている間に、射命丸が風一つ巻き起こさず降りてきた。
「どうも、清く正しい射命丸です」
「白いパンツの射命丸です」
ぼそっ、と椛が混ぜっ返すと、隣のはたてが吹き出し、ヤツデを向けていた射命丸の肩が落ちた。何しろ、目が良いのが身上の椛を相手に上から降りてくる、というのは「隠しようもない」ということだ。
「……白いパンツってあなたね……ちょっと、はたてもいつまで笑ってるの!」
「くまさんぱんつはさすがに恥ずかしくないんですか?」
表情を動かさずに椛が言うと、今度こそはたては耐えられなかった。くまさんは無いでしょ、クマは、と文の顔を見ては吹き出し、そのたびに顔をそらす。
「そ、そんなものはいてないわよ! ふつうの白い」
「単なる冗談ですよ。なんでそんなにあわててるんですか?」
「あれ? クマじゃなかったの?」
「白いだけですね」
とりあえず、これで意趣返しはできたわけだ、と椛は表情を崩して笑う。意外にもからかうと反応のおもしろいことがわかって、意外な一面を見るような感があった。口調も普段のなにかまじめな、椛が「気に入らない」と思ったそれではなく、砕けたものになっている。
「こ、この性悪……」
「まーまー、ほら、格好付けてたって仕方ないんだから入りましょうよ」
そういって、はたては時計を文と椛に見せて、とことこと店の中に姿を消す。それを文が追いかけ、椛がひょい、と敷居をまたいで、店の中を見回す。
店の作りは商屋を改装したもので、天井が高く、明かり取りのための硝子の窓から、光が落ちてきている。また、うねった形の色とりどりの硝子の燭台にろうそくが置かれ、白い漆喰の壁を硝子越しにぼう、と照らしている。その美術品ひとつとっても趣味の良さを感じさせた。
ぼう、としていた椛がそうだ、あの二人は、と思ってはたてと射命丸の背を探すと、予約していた旨を告げていた。
店員とはなしていた射命丸は椛の方をひょい、と見て、手招きをしている。
「ほら、なにやってるの、こっちこっち」
「……良いところを予約しましたね、ずいぶん」
「悪いところなんて予約してどうするの?」
そういって、射命丸は履き物を脱ぐと、店員の案内についていく。はたても同じようにし、椛もそれに倣った。ふすまで仕切られた小さな座敷に通される。酒肴も用意されており、漆塗りの膳に乗っていたのは、まず、とばかりに置かれた杯と、ちょっとした肴である。気温も落ちつつあるから、と計られたように体を温める熱燗も用意されていた。
いろいろと出てくるから、そのつもりで居て、という射命丸の声を聞きながら、お互いに酒をみたし、ちびり、と口の中を潤し、腹を暖める。ふうっ、と息を吐くと、甘い香りがし、体がぼう、と暖かくなる。肴は、と手をつけると、淡い黄色のカラスミを薄く切ったもので、ちび、ちび、とやる熱燗には実によくあった。
椛は、これは決して女子会じゃあないですねえ、というのは思わなくは無かったが、しかしカラスミと酒は旨かったので、特に何を言うわけでもない。
「女子会って絶対こんな感じじゃないよねえ?」
「はたて、はたて、お願い、黙って」
ひそ、と椛にはたては耳打ちしてくる。確かにその通りなのだが、射命丸の店の選択がここまで「渋い」とは想定外である。もうちょっとこう、どちらかというと猥雑な感じのところを選びそうなものであった。
とはいえ、後に射命丸に聞いてみたところによると、はたてとあなたをそういうところに連れていくと、わりと本気で嫌そうにするじゃない、貴方達、というところをくみ取った判断であったらしい。残念ながら、確かにそういう反応をしただろう、という部分はあった。ちゃんと人を見てやっているのだろう。
はたてはぐいぐいと酒を飲んで、ふう、と息をつくと、口を開いた。
「んー、そういえば私たち、絡んでるようで絡むこと無かったよね」
「記者二人に山の自警団だものねえ。椛は河童とかと飲むこと、多いんでしたっけ」
「ああいや、あんまり一緒に飲んだりはしないですね」
あれ、そうなの?と烏天狗の二人が意外そうな顔を作る。椛は、カラスミをはもはもとかじりながら、言った。
「おつまみがキュウリばっかりで酒がはいる前に水だらけになるんですよねえ」
「あー、本当にそんな感じなの?」
と、射命丸が一瞬それを思い浮かべて、うええ、という顔を作った。
「ホントですよ。別にまずいってわけでも無いんですが、キュウリの塩もみ、キュウリの和え物、キュウリサンドイッチ……なんでサンドイッチ出してきてるのか知らないですけど」
「うへえ、ホントにキュウリだらけだ」
そういって、次に運ばれてきた、柔らかく煮た里芋に葛あんをかけたものと、鴨を炙り血がしたたるかどうか、といった頃合いにまで火を通したところに、上に木の芽をのせたものが出てくる。射命丸とはたての場合は、牛肉だった。
「んー、じゃあ自分で作っていくとか」
と、はたてはそういって、一瞬鴨の肉と牛肉を見比べて、片眉を上げたが、牛のたたきを口に運び、幸せそうな顔を作った。あっちがよかったなあ、と思いながら、椛は鴨を口に運ぶ。とはいえ、滴る血のうまさと、ほどよく落とされ、香ばしい脂の香りが実に熱い酒にあう。
「持っていくんですけどねえ、煮染めとか、唐揚げとか。キュウリの波に押されちゃうんです」
何の唐揚げか、は言わない約束である。さしもの椛もこの店の中で刀を抜いての喧嘩をする気はなかった。
「あれ、意外、料理作るんだ」
「意外って……そういう文さんは作るんですか?」
「そりゃあ作りますよ。色々と」
「でもさあ、洗い物めんどくさいじゃない?」
「えー、洗いながら作れば良いじゃない。そんなもの」
当然、とばかりに射命丸は酒を飲み干すと、里芋の葛餡をかけたものを口に入れ、もう一度酒を入れて流し込んだ。椛とはたては顔を見合わせ、思わず言った。
「えっ」
「えっ」
「えっ?」
何かおかしなこと言った?という顔を、里芋を口に入れたままの射命丸は作る。
「えー、洗剤入りそうじゃない?」
「入らないわよ、はたてじゃあるまいし。そういう貴方はどーなのよ」
「食べた後に洗うわよ。全部」
「あ、わりと豆なのね」
意外、と射命丸は言う。確かに、椛にしても、はたてがそういう「生活能力にあふれる」というイメージはない。どっちかというと、原稿とにらめっこしながら、レトルトパックのカレーに同じくレトルトのご飯を放り込んで、スプーンでもしゃもしゃやっていそうなイメージがある。
「しっつれいねー。一人暮らしで汚部屋をつくる趣味はないわよー」
「あー、でも二人ともちゃんとしてるんですねえ。ため込んじゃって後で一気に洗う、とかものぐさだからやっちゃいますよ」
「椛の気持ちは分かるかなー、だんだんとつもってきて……あ、まあいっかー、ってなっちゃう感じ」
「それが嫌だから作りながら洗うのよ」
鴨を口に運びながら、ふ、と椛は口を開いた。
「でも、お風呂入りながら包丁洗うのってなかなかスリルありますよね」
空気が、凍った。椛は射命丸の杯があいているのを見て、とくとくと酒を注いだが、じっと烏天狗ふたりは椛の顔を見つめている。椛は手酌で日本酒をそそぐと、ぐっと干した、胃がかあっと熱くなる感覚が実にたまらない。と思った瞬間、二人から大きな声が出た。
「えっ」
「えっ」
「えっ?」
あれ、なにかおかしなことでもいったかな、と椛はいぶかるが、二人の目がすべてを語っていた。
「ごめん、風呂で包丁洗うってそれ、いったい何?」
「えー、ため込んじゃったからお風呂に入るついでに食器を全部持ち込んで洗うんですよ。裸で包丁洗うのってなかなか怖いんですよね。何が違うって訳でもないですけど」
「いやいやいやいやいや、ふつうのことみたいに言ってるけど、ふつうやらないからね? やらないよ? 私。ねえ、射命丸」
「はたてに同意するのもしゃくだけど、私もやらないわよ、そんなこと。何しれっと「裸で包丁洗うのってなかなかこわいんですよね」とかとんでもないこと言ってるの。普通は、食器を、風呂場に、持ち込まない」
「でも洗うの面倒ですよ?」
「はははついでに自分の体も洗うって寸法か! ……えっ、ごめん、ちょっと椛そういうことやるの? まさか食器用洗剤で体を洗うとかっていう外の世界の伝説の存在「大学生」みたいなことをやるの?」
書物の大学生に曰く、そのもの、台所のシンクに体を沈め、湯を張り、食器用スポンジで体を体を洗い、清め、そして「アアサッパリシタ」などと言った後に「ラーメン」をおもむろに作り始めるのである。さすがに、それと同類扱いは椛もむっとして。
「普通の洗剤使いますよ。自分の体は石鹸ですよ。普通じゃないですか」
「ああ、なんだ、そこは普通……普通?」
「まって、はたてまって、根本的に何かおかしいのよ、これ。食器を持ち込むって時点で普通じゃないの」
「えっ、あれっ?! やらないんですか?!」
「やるわけ無いでしょ!」
「引くわ!」
うわあ、と射命丸とはたてが体を引くが、椛はやらないのかぁ、とぼそり、とつぶやいている。
「えー、えー、やらないんですか……えっ……」
「そりゃあ……わざわざ食器を風呂場に持ち込んで洗う人もいないでしょ。どんだけため込むのよ、椛」
「一週間分くらいですが」
しれっと答えた椛に、さらに烏天狗二人はうわあ、という顔を作る。
「えっ、これはまさかの椛さんは汚部屋住まいなんですか? はたてさん」
「いやいや、射命丸さん、ものすごく小ぎれいでしたよ。刀の手入れ道具とかは出てましたけど」
「……台所限定のものぐさ?」
「……否定できないわね」
「料理、できるっていってたけど本当なの?はたて」
「……美味しかった」
「そうなんだ……」
そんな話をひそひそとしているうちに、幻想郷では珍しい鮪や平目のお造りと、からり、と揚がった天麩羅がならぶ。どちらかというと白っぽい衣ではなく、黄に近い。卵黄を入れるとこのような色に近くなる、とは椛も聞いたことはある。
「何が出てきたの?」
「煮染めに鰆の粕漬けを焼いた奴」
「あ、わりと旨そう」
「……あのう、そんなに私が料理できちゃまずいんですか?」
「まずくはないけど、こう」
「さすがに風呂場で食器洗うのは」
「なんですか! もう!]
椛はむすっとしながら、鮪を口に入れ、ひょい、と酒を飲む。徳利はいくつも空になっており、だんだんと回ってき始めていた。
「だいたい、そんなこといったらはたてなんてスフレオムレツ作るよ! とか言いながらできたのはスパニッシュオムレツだったじゃないですか! 残骸みたいな!」
「あ、あ、あ! それ言わない約束でしょ!」
「え、あれ、はたてって普通に卵食べるんだ」
「違うわよ! 食べるのは椛!」
射命丸がしゃくしゃくと大場の天麩羅を口に運んでいるのをみて、顔を真っ赤にしているはたてから、椛は矛先を変えた。
「そーいう文はどーなんですか?」
「え?」
「そーいえば、お弁当とか作ってきたのみたことないなあ」
「実はできないんじゃないですか?」
「で、できるわよ」
「何をです?」
椛に詰め寄られ、射命丸は目をそらして言った。
「角煮とか……おいしいよね。圧力鍋って便利だわ……」
「……おいしいですよね……」
何ともいえない空気になった。まさかの射命丸が角煮である。
微妙な空気にも一瞬なったが、しかしそれでも、全体として妙な盛り上がりを見せた「女子会」ではあった。料理も旨かったし、と思って、椛は二次会でビールをぐいぐいと飲みながら考えていたが、ふ、と前々から思っていたことを口にした。はたては早々に酔いつぶれ、寝ている。
「ところで……」
「ん? 何、椛」
「なんで私を誘ったんです?」
「そりゃあー、えーとー、そのー」
射命丸の目が泳いでいる。ははあ、と酒の勢いで、椛は言ってはならないことを口にした。
「友達、いないんですか?」
あ、まずい。と口が滑ったことを自覚し、ビールをぐい、と飲み干す。逃げだそう、と腰を浮かそうとするが何もリアクションのないことをいぶかったが、射命丸は涙を目にためていた。
「私とねー、飲むとねー、誘いを断られるのよー。何でだと思うー?」
抱えている酒瓶が、まずかった。バーボンの60度はあろうかというきつい酒である。
ぐすぐすと射命丸は泣き始めた。
「あーんーたーもー、なんでそんなこと言うのよぉ……」
「あああ、ごめんなさい」
うわあ、やっちゃった、と何とか射命丸をなだめれば、ぶつぶつと何事かを言いつつ今度は寝入ってしまう。ふう、と椛はひといきついた。
「……おもしろかったけど、でもねえ」
これ、間違っても女子会じゃないよね、とつぶやいた。
「はあ」
何を頓狂なことを言い始めるのだろう、この鴉天狗は。そのバカでっかい羽根をむしるぞ。などとは考えながら、同じく天狗、その中でも狼の変じたものとされる、髪が白く、頭から犬のような耳が突き出た、白狼天狗たる「犬走椛」は胡乱なものを見る目をする。目は赤く、色素も薄いが、身長は小さい割にうすく筋肉が肌の下に透けて見え、よく鍛えられていることがわかる。
しかし、一つ間違えば子供に見える位目が大きく、おまけに垂れていて、顔のつくりが幼いために迫力不足といえばそうだった。
対して、目の前の鴉天狗という名にふさわしく、黒い髪をし、三角の耳が頭の横から突き出た、どこか人間のうら若い少女を思わせる作りの顔に、白いシャツに金糸や銀糸を使った装飾をした口元をヤツデで隠した射命丸文をあまり、というよりも嫌いに近い位に好いていないだけに、今にも追い払ってやりたいのだ。
おまけに、背まで椛の頭一つぶん高いと来ている。切れ長の目と、ふふん、と今は隠れていて見えないが、不敵に笑う口元が特徴である。椛にとっては、なますにしてやりたいくらいに不敵であった。
「そこでね、はたてとかいう駆け出しの記者を誘って里の飲み屋で」
「つまり飲み会ですか?」
ちちち、と文は指を振る、チッ、と椛は舌打ちをしたいのをこらえ、腰に吊った太刀をびいん、と刀を鳴らしながら鯉口をきり、この鴉をぶった切れば気分がはれるかなあ、などと考えていた。
「女子会よ」
「飲み会じゃないですか」
口元を隠していたヤツデをぴっ、と椛の鼻面にむけた。
「甘いわ。ええっとその、マカロンくらに」
「知らないお菓子ですね。たぶん。お菓子でいいんですか」
「舌も教養も身長も貧しいわねえ」
チッ、と今度は椛も舌打ちをした。まあいい、言わないでおいたことを、言ってやろう、と心を決めた。
「胸が貧しい方はおっしゃることが違いますね」
ふん、と笑った椛の顔を見て、射命丸の口元がひきつる。そう、射命丸は流線型のボディと言えば聞こえはいいが、要は起伏が少ないのだ。対して、椛は身長の割に、というか身長が低く、さらにさらしを巻いているのに自己主張の激しい胸をしているのだ。
「ふ、ふふふ。胸の大きい女はそっちに栄養を取られて頭が悪いってのは本当なんですね」
「ああ、胸が育たないのは単に睡眠時間が足りないのが原因だそうですよ。よかったですね、鴉らしくゴミあさりのための脳味噌が育って」
「あらあら、言うわねえ。犬みたいに何匹も子供を生まないのよ、鴉は」
「卵は産みまくってるじゃないですか。犬。そう言いましたね」
「あなたは鴉と言った」
椛は鯉口を切り、刀を抜き放つ。足を切りとばすつもりであったが、切れたのはスカートの裾のみである。チッ、ともう一度舌打ちをして、椛は背中に吊っていた盾を構え、そして刀を握り直し、目の前の怨敵を睨み据える。
「毟って枕にするぞクソガラス!」
「帽子にしてやるわ! この駄犬!」
ああ、世にもばからしい弾幕勝負が始まる。もっとも、そうした勝負はこの二人の常で、実は仲がよいのではないか、と言われる由縁でもあった。
「女子力の足りない女子会」
かあ、かあ、と頬の上をてん、てん、と鴉が歩き、心配そうにこちらを見つめてくる。椛は、見事に射命丸に返り討ちにされたのだ。スカートがざっくりと破れ、太股が見えるかと思いきや、尾てい骨のあたりから生えている白く、長い尻尾が太股を覆い隠していた。恥ずかしいものは恥ずかしいのである。
「主人と違ってやさしいんですね」
かあ、と言ってその鴉は主人、射命丸の元に向かう。甘えるな、ということらしい。
「さて。はたてにも女子会をやる、ということを伝えておいてくださいね」
「自分で……言えば良いじゃないですか」
「イヤよ。喧嘩になるもの」
そういって、射命丸は何かを書き付けた紙を椛の体のどこかに結わえ付け、、笑って飛び去っていった。わざわざ喧嘩をしてばかりの相手を誘っている辺り、友達居ないのかな、などと失礼な想像を椛はしていた。
「はあ。またスカート破れちゃった」
そういいながら立ち上がり、うわー、わかんないように繕えるかなあ、などと椛は呟きながら、裂けたスカートをさわり、ため息をついた。かろうじてショーツが見えない辺りまでざっくりと裂けている。膝が見えないスカートをここまで派手にやられると、なにか乱暴されたように見えるのがいやだ、とぼやいた。
そこに、風がまきおこった。椛はその風圧をああ、またか、などと考えながら顔に受け、口に入った砂をぺっ、と吐き捨てる。そこでまた同じ言葉を、聞いた。
「椛! 女子会よ!女子会!」
「また女子会ですか」
そう呟き、椛は口に入った砂をもう一度吐く。
「うわ、ご挨拶ね。……え、ちょっと、大丈夫なの?」
ふわり、と市松模様の紫と黒のスカートと、髪の横で結んだ髪を揺らしながら先ほど喧嘩する、と射命丸が言っていた当人、姫海棠はたては駆け寄ってくる。胸が揺れている辺り、なるほど先ほど罵った射命丸にはないものを持っているようだった。
「大丈夫です」
目に砂が入ったため、椛は目元をこする。うう、とうめく。涙が、でてきた。それを見て、はたては一瞬立ち止まり、息をのみ、ゆっくりと歩いてきて、口を開いた。
「……誰がこんなことをしたの?」
「えっ」
そういうと、椛は顔を上げた、目の色と剣幕がおかしい。椛の露出した肩をつかみ、ガクガクとはたては前後にゆする。
「誰がやったの?! あああ……そうじゃなかった。だ、だ、大丈夫、ああ、だ、大丈夫じゃなかったわよね。ごめんなさい。その、病院に」
「ううう」
脳が揺れる、と椛はうめいた。どうやらとんでもない勘違いをされているらしい。
「大丈夫よ、アフターピルって薬もあるからデキないわ!」
「本当に何と勘違いしてるのよはたて!」
肩をつかみかえし、今度ははたてを椛が前後に揺する。射命丸と同じく、白い髪の椛より頭一つ分背が高いが、ツインテールの髪の色は茶色に近い。
はー、はー、とお互いに荒い息をついているが、おずおず、という様子ではたてが口を開いた。小首を傾げながら。
「……違うの?」
「違います!」
「……え、射命丸も誘いにきたの?」
「そうですよ。喧嘩になって弾幕勝負で私が負けたんです。……あ、そうそう、あなたも誘われてますよ」
「ふーん。そっか。大変ねえ、スカート破られちゃって。……え? 私も?」
そういうと、急にはたてはそわそわとし始める。ああ、そういえばこの子引きこもりだった、と椛はいろいろと思い浮かべる。締め切り直前だからといって外の世界の「ジャージ」を着たままげっそりとした顔で食料を買いに来ているのを何度か見て、話したことがある。
「ええ。日程の紙をみたいな物を……あのゴミあさりめ」
うめいて、尻尾から紙を取り外した。やけにかわいらしい丸文字で書かれた招待状は、里の飲み屋を予約しているから来てね、という要旨のものである。ちょうど、一週間の後である。
季節は秋で、里は収穫の後だというから、さぞうまい物がいけるだろう、と椛とはたてに思わせた。
「そっかー、女子会かぁ。何着ていこう」
「普段通りで良いんじゃないでしょうかね」
ちら、と横目ではたてを見ると、完全に舞い上がって居て、何も聞いていない。
やっぱり鴉天狗は友達が居ないのだろうか、などと椛は考えた。いや、記者なのだからつきあいも広いはずだ、と思ったが、逆に友人になれるほど親しい間柄の妖怪も居ないのだろうか。などと考えたが、これは射命丸限定であろう。そもそも、はたては引きこもって取材もしていなかったのだから、それ以前の問題である。
「楽しみね! 椛」
「ああ、はい、そうですね……」
そういえば、この日はちょうど非番だったな、と考えていたが、後々になって判明したのは、上司の大天狗が休みをねじ込んだということだった。射命丸の「貸し」をこういう形で消費してもらったのである。
「……なんだか見られてる気がしますね」
ぴょこ、ぴょこ、と椛は耳を動かし、日が傾いて赤くなっている周囲をきょろきょろと辺りを見る。今日の服は、いつものお気に入りの紅葉の柄が入った黒のスカートに、脇の見える白い天狗の装束である。頭にかぶっているのが頭襟ではなく、赤いベレー帽なのは、せめてまあ頭だけでも仕事をわすれたかった、というだけの話である。単にほかにまともな帽子を持っていなかっただけであるが。
「そお? まあでも、白狼天狗は珍しいかもねー」
そう言ってみせるはたての方は、普段と大差がない。強いて言うなら、カメラを取り出していないぐらいであった。
「まあ、鴉天狗と違って山からは滅多に下りませんし」
そういって、あ、失言だったかな、と思い、横をちらとみるが、特に気にした風もない。引きこもりはやめたのだったし、何より別段悪意があるつもりもないからだ。
「そうよねえ。天狗っていろいろ取材してて思ったけど、山以外じゃ見ないしね。射命丸のおかげで私も何とも思われてないみたいだけど」
「で、その射命丸はどこに行った、とか聞いてますか?」
「うーん、確かに予約の時間はそろそろだけど」
そういって、外の世界から流れてきた、すこしくすんだ銀の懐中時計をはたては取り出すと、開いて時間を確認する。少し前に流れてきた品で、恩賜の銀時計とか言うらしい。なお、はたてはどういうわけか「恩師の銀時計」と勘違いしていて、先生から時計をもらうなんてよっぽど気に入られていたのね、などと空とぼけていた。まあ、確かに人格も評価の対象だったというし、完全に間違っているとはいわないけれど、と椛は考えていた。
「あと5分くらいはあるわね。早く来すぎたのかしら」
そりゃあなたはそうでしょう。という言葉を椛は飲み込んだ。30分前にはたてがすでに立っているのを見て、呆れたものだ。いくら何でも早すぎる。
加えて、飲むのだから、腹をすこしばかりふさぎにでも、と考えてせいろに乗った、好きでもないそばを竹の筒にはいったつゆに浸してずう、とすすってから10分前に来たのだ。
なぜ好きでもないのにそばにしたかというと、うどんの方が好みだが、そばの方が腹に入れるのに早いからだし、たまたま見つけたのが蕎麦切りを出す店だったというのも大きい。
新蕎麦の季節ということもあり、味もなかなか悪くなかった。まあ、蕎麦などというものはちゃんと保管していれば香りが極端に飛ぶようなものでもないので、もののわかったところから仕入れて、もののわかった人物が目利きをしていたのだろう。
「ところで」
「何?」
そういって、はたては懐中時計をしまい、首をこちらに回す。その瞳を見ながら、椛は言った。
「女子会って何なんです?」
「飲み会で良いんじゃないかしら。女の子だけの」
「……自分で言うのもなんですけど、女の子ってトシですかね、私たち」
「見た目の方なら十分それっぽい気もするわ。少なくとも中年だとか、えーと、おばあさんって見た目じゃないし」
「年は?」
「知ってて言わないでよ。私も椛も似たようなもんじゃない」
ですよねえ、とはたてに返す。そりゃあ大婆と言われて気分がいいはずはないが、といって女の子と言われればそれはそれでどうも違う、と思うのだ。
会話がなくなり、上をつ、と見上げる。青くて高い空に見えた黒い染みが大きくるのをみて、ああ、待ち人が来たか、と考えた。実際、椛にはその待ち人の鼻の毛穴さえ見えている。鼻毛がでてたら笑ってやるのに、などと役体もないことを考えながら、はたてのシャツのすそをつ、と引いた。
「来ましたよ」
「え? あー、上から来たのかしら」
「また風を巻き起こされると迷惑ですねえ。結構な勢いで……あ、減速した」
「べんりねー、その目。取材について来てくれない?」
「やです。私も仕事があるんですよ?」
つれないわねえ、とはたては返す。そう言っている間に、射命丸が風一つ巻き起こさず降りてきた。
「どうも、清く正しい射命丸です」
「白いパンツの射命丸です」
ぼそっ、と椛が混ぜっ返すと、隣のはたてが吹き出し、ヤツデを向けていた射命丸の肩が落ちた。何しろ、目が良いのが身上の椛を相手に上から降りてくる、というのは「隠しようもない」ということだ。
「……白いパンツってあなたね……ちょっと、はたてもいつまで笑ってるの!」
「くまさんぱんつはさすがに恥ずかしくないんですか?」
表情を動かさずに椛が言うと、今度こそはたては耐えられなかった。くまさんは無いでしょ、クマは、と文の顔を見ては吹き出し、そのたびに顔をそらす。
「そ、そんなものはいてないわよ! ふつうの白い」
「単なる冗談ですよ。なんでそんなにあわててるんですか?」
「あれ? クマじゃなかったの?」
「白いだけですね」
とりあえず、これで意趣返しはできたわけだ、と椛は表情を崩して笑う。意外にもからかうと反応のおもしろいことがわかって、意外な一面を見るような感があった。口調も普段のなにかまじめな、椛が「気に入らない」と思ったそれではなく、砕けたものになっている。
「こ、この性悪……」
「まーまー、ほら、格好付けてたって仕方ないんだから入りましょうよ」
そういって、はたては時計を文と椛に見せて、とことこと店の中に姿を消す。それを文が追いかけ、椛がひょい、と敷居をまたいで、店の中を見回す。
店の作りは商屋を改装したもので、天井が高く、明かり取りのための硝子の窓から、光が落ちてきている。また、うねった形の色とりどりの硝子の燭台にろうそくが置かれ、白い漆喰の壁を硝子越しにぼう、と照らしている。その美術品ひとつとっても趣味の良さを感じさせた。
ぼう、としていた椛がそうだ、あの二人は、と思ってはたてと射命丸の背を探すと、予約していた旨を告げていた。
店員とはなしていた射命丸は椛の方をひょい、と見て、手招きをしている。
「ほら、なにやってるの、こっちこっち」
「……良いところを予約しましたね、ずいぶん」
「悪いところなんて予約してどうするの?」
そういって、射命丸は履き物を脱ぐと、店員の案内についていく。はたても同じようにし、椛もそれに倣った。ふすまで仕切られた小さな座敷に通される。酒肴も用意されており、漆塗りの膳に乗っていたのは、まず、とばかりに置かれた杯と、ちょっとした肴である。気温も落ちつつあるから、と計られたように体を温める熱燗も用意されていた。
いろいろと出てくるから、そのつもりで居て、という射命丸の声を聞きながら、お互いに酒をみたし、ちびり、と口の中を潤し、腹を暖める。ふうっ、と息を吐くと、甘い香りがし、体がぼう、と暖かくなる。肴は、と手をつけると、淡い黄色のカラスミを薄く切ったもので、ちび、ちび、とやる熱燗には実によくあった。
椛は、これは決して女子会じゃあないですねえ、というのは思わなくは無かったが、しかしカラスミと酒は旨かったので、特に何を言うわけでもない。
「女子会って絶対こんな感じじゃないよねえ?」
「はたて、はたて、お願い、黙って」
ひそ、と椛にはたては耳打ちしてくる。確かにその通りなのだが、射命丸の店の選択がここまで「渋い」とは想定外である。もうちょっとこう、どちらかというと猥雑な感じのところを選びそうなものであった。
とはいえ、後に射命丸に聞いてみたところによると、はたてとあなたをそういうところに連れていくと、わりと本気で嫌そうにするじゃない、貴方達、というところをくみ取った判断であったらしい。残念ながら、確かにそういう反応をしただろう、という部分はあった。ちゃんと人を見てやっているのだろう。
はたてはぐいぐいと酒を飲んで、ふう、と息をつくと、口を開いた。
「んー、そういえば私たち、絡んでるようで絡むこと無かったよね」
「記者二人に山の自警団だものねえ。椛は河童とかと飲むこと、多いんでしたっけ」
「ああいや、あんまり一緒に飲んだりはしないですね」
あれ、そうなの?と烏天狗の二人が意外そうな顔を作る。椛は、カラスミをはもはもとかじりながら、言った。
「おつまみがキュウリばっかりで酒がはいる前に水だらけになるんですよねえ」
「あー、本当にそんな感じなの?」
と、射命丸が一瞬それを思い浮かべて、うええ、という顔を作った。
「ホントですよ。別にまずいってわけでも無いんですが、キュウリの塩もみ、キュウリの和え物、キュウリサンドイッチ……なんでサンドイッチ出してきてるのか知らないですけど」
「うへえ、ホントにキュウリだらけだ」
そういって、次に運ばれてきた、柔らかく煮た里芋に葛あんをかけたものと、鴨を炙り血がしたたるかどうか、といった頃合いにまで火を通したところに、上に木の芽をのせたものが出てくる。射命丸とはたての場合は、牛肉だった。
「んー、じゃあ自分で作っていくとか」
と、はたてはそういって、一瞬鴨の肉と牛肉を見比べて、片眉を上げたが、牛のたたきを口に運び、幸せそうな顔を作った。あっちがよかったなあ、と思いながら、椛は鴨を口に運ぶ。とはいえ、滴る血のうまさと、ほどよく落とされ、香ばしい脂の香りが実に熱い酒にあう。
「持っていくんですけどねえ、煮染めとか、唐揚げとか。キュウリの波に押されちゃうんです」
何の唐揚げか、は言わない約束である。さしもの椛もこの店の中で刀を抜いての喧嘩をする気はなかった。
「あれ、意外、料理作るんだ」
「意外って……そういう文さんは作るんですか?」
「そりゃあ作りますよ。色々と」
「でもさあ、洗い物めんどくさいじゃない?」
「えー、洗いながら作れば良いじゃない。そんなもの」
当然、とばかりに射命丸は酒を飲み干すと、里芋の葛餡をかけたものを口に入れ、もう一度酒を入れて流し込んだ。椛とはたては顔を見合わせ、思わず言った。
「えっ」
「えっ」
「えっ?」
何かおかしなこと言った?という顔を、里芋を口に入れたままの射命丸は作る。
「えー、洗剤入りそうじゃない?」
「入らないわよ、はたてじゃあるまいし。そういう貴方はどーなのよ」
「食べた後に洗うわよ。全部」
「あ、わりと豆なのね」
意外、と射命丸は言う。確かに、椛にしても、はたてがそういう「生活能力にあふれる」というイメージはない。どっちかというと、原稿とにらめっこしながら、レトルトパックのカレーに同じくレトルトのご飯を放り込んで、スプーンでもしゃもしゃやっていそうなイメージがある。
「しっつれいねー。一人暮らしで汚部屋をつくる趣味はないわよー」
「あー、でも二人ともちゃんとしてるんですねえ。ため込んじゃって後で一気に洗う、とかものぐさだからやっちゃいますよ」
「椛の気持ちは分かるかなー、だんだんとつもってきて……あ、まあいっかー、ってなっちゃう感じ」
「それが嫌だから作りながら洗うのよ」
鴨を口に運びながら、ふ、と椛は口を開いた。
「でも、お風呂入りながら包丁洗うのってなかなかスリルありますよね」
空気が、凍った。椛は射命丸の杯があいているのを見て、とくとくと酒を注いだが、じっと烏天狗ふたりは椛の顔を見つめている。椛は手酌で日本酒をそそぐと、ぐっと干した、胃がかあっと熱くなる感覚が実にたまらない。と思った瞬間、二人から大きな声が出た。
「えっ」
「えっ」
「えっ?」
あれ、なにかおかしなことでもいったかな、と椛はいぶかるが、二人の目がすべてを語っていた。
「ごめん、風呂で包丁洗うってそれ、いったい何?」
「えー、ため込んじゃったからお風呂に入るついでに食器を全部持ち込んで洗うんですよ。裸で包丁洗うのってなかなか怖いんですよね。何が違うって訳でもないですけど」
「いやいやいやいやいや、ふつうのことみたいに言ってるけど、ふつうやらないからね? やらないよ? 私。ねえ、射命丸」
「はたてに同意するのもしゃくだけど、私もやらないわよ、そんなこと。何しれっと「裸で包丁洗うのってなかなかこわいんですよね」とかとんでもないこと言ってるの。普通は、食器を、風呂場に、持ち込まない」
「でも洗うの面倒ですよ?」
「はははついでに自分の体も洗うって寸法か! ……えっ、ごめん、ちょっと椛そういうことやるの? まさか食器用洗剤で体を洗うとかっていう外の世界の伝説の存在「大学生」みたいなことをやるの?」
書物の大学生に曰く、そのもの、台所のシンクに体を沈め、湯を張り、食器用スポンジで体を体を洗い、清め、そして「アアサッパリシタ」などと言った後に「ラーメン」をおもむろに作り始めるのである。さすがに、それと同類扱いは椛もむっとして。
「普通の洗剤使いますよ。自分の体は石鹸ですよ。普通じゃないですか」
「ああ、なんだ、そこは普通……普通?」
「まって、はたてまって、根本的に何かおかしいのよ、これ。食器を持ち込むって時点で普通じゃないの」
「えっ、あれっ?! やらないんですか?!」
「やるわけ無いでしょ!」
「引くわ!」
うわあ、と射命丸とはたてが体を引くが、椛はやらないのかぁ、とぼそり、とつぶやいている。
「えー、えー、やらないんですか……えっ……」
「そりゃあ……わざわざ食器を風呂場に持ち込んで洗う人もいないでしょ。どんだけため込むのよ、椛」
「一週間分くらいですが」
しれっと答えた椛に、さらに烏天狗二人はうわあ、という顔を作る。
「えっ、これはまさかの椛さんは汚部屋住まいなんですか? はたてさん」
「いやいや、射命丸さん、ものすごく小ぎれいでしたよ。刀の手入れ道具とかは出てましたけど」
「……台所限定のものぐさ?」
「……否定できないわね」
「料理、できるっていってたけど本当なの?はたて」
「……美味しかった」
「そうなんだ……」
そんな話をひそひそとしているうちに、幻想郷では珍しい鮪や平目のお造りと、からり、と揚がった天麩羅がならぶ。どちらかというと白っぽい衣ではなく、黄に近い。卵黄を入れるとこのような色に近くなる、とは椛も聞いたことはある。
「何が出てきたの?」
「煮染めに鰆の粕漬けを焼いた奴」
「あ、わりと旨そう」
「……あのう、そんなに私が料理できちゃまずいんですか?」
「まずくはないけど、こう」
「さすがに風呂場で食器洗うのは」
「なんですか! もう!]
椛はむすっとしながら、鮪を口に入れ、ひょい、と酒を飲む。徳利はいくつも空になっており、だんだんと回ってき始めていた。
「だいたい、そんなこといったらはたてなんてスフレオムレツ作るよ! とか言いながらできたのはスパニッシュオムレツだったじゃないですか! 残骸みたいな!」
「あ、あ、あ! それ言わない約束でしょ!」
「え、あれ、はたてって普通に卵食べるんだ」
「違うわよ! 食べるのは椛!」
射命丸がしゃくしゃくと大場の天麩羅を口に運んでいるのをみて、顔を真っ赤にしているはたてから、椛は矛先を変えた。
「そーいう文はどーなんですか?」
「え?」
「そーいえば、お弁当とか作ってきたのみたことないなあ」
「実はできないんじゃないですか?」
「で、できるわよ」
「何をです?」
椛に詰め寄られ、射命丸は目をそらして言った。
「角煮とか……おいしいよね。圧力鍋って便利だわ……」
「……おいしいですよね……」
何ともいえない空気になった。まさかの射命丸が角煮である。
微妙な空気にも一瞬なったが、しかしそれでも、全体として妙な盛り上がりを見せた「女子会」ではあった。料理も旨かったし、と思って、椛は二次会でビールをぐいぐいと飲みながら考えていたが、ふ、と前々から思っていたことを口にした。はたては早々に酔いつぶれ、寝ている。
「ところで……」
「ん? 何、椛」
「なんで私を誘ったんです?」
「そりゃあー、えーとー、そのー」
射命丸の目が泳いでいる。ははあ、と酒の勢いで、椛は言ってはならないことを口にした。
「友達、いないんですか?」
あ、まずい。と口が滑ったことを自覚し、ビールをぐい、と飲み干す。逃げだそう、と腰を浮かそうとするが何もリアクションのないことをいぶかったが、射命丸は涙を目にためていた。
「私とねー、飲むとねー、誘いを断られるのよー。何でだと思うー?」
抱えている酒瓶が、まずかった。バーボンの60度はあろうかというきつい酒である。
ぐすぐすと射命丸は泣き始めた。
「あーんーたーもー、なんでそんなこと言うのよぉ……」
「あああ、ごめんなさい」
うわあ、やっちゃった、と何とか射命丸をなだめれば、ぶつぶつと何事かを言いつつ今度は寝入ってしまう。ふう、と椛はひといきついた。
「……おもしろかったけど、でもねえ」
これ、間違っても女子会じゃないよね、とつぶやいた。
つなげ過ぎかと思います(特に最初)。区切るタイミングが惜しいと言いますか。
それぞれに味があって良いです。
幻想郷に女子力がある人妖っているのだろうか?w
なんとも言えない会話が面白かったです。
ありそうで無かった女子会ネタですが、面白く読めました。三人の関係性が面白く、飲み会のシーンをもっと見たいと思えるほど楽しめました。
少し違和感を感じたのは、冒頭から中盤辺りの文章で、少し詰め込み過ぎてる感じがして読みずらく思う所もありました。蕎麦の回想の辺りは無い方がむしろテンポ良く読めそうな気がします。
ただそれを含めてもとても魅力ある面白い作品だと思います。
次作を投稿されるなら是非また読ませていただきたいです。
>>「なんですか! もう!]
前後で括弧があってませんね。
その発送はなかった。だがそれがいいw
他愛もないゆるい飲み会風景が面白かったです
ダブスポめいてサツバツとした、なおかつ胸囲が豊満で、残念なアトモスフィアの椛とか俺得すぎて困る。
全員どこか抜けてて、いいなぁ。