「はぁ、私も憧れちゃうなぁ」
本居小鈴は今日も客のいない鈴奈庵の店内で、ぽつりと溜息交じりに呟いた。
最近、人里の周囲では何やら異変が起きているらしく、霊夢や魔理沙をはじめとする者たちがせわしなく駆け回っているのが見えた。そんな彼女たちの姿を目にするたび、小鈴は密かに胸を躍らせ、強い憧れを抱いていたのだ。
「あの本があればなぁ……どこまでも行けるのに……そしたら阿求とも……」
独り言をこぼしながらも、彼女は精巧に隠された秘密の棚から新たな本を取り出していく。
そうして怪しげな妖魔本に目を通していると、カランコロンと店の扉が開く軽やかな音が響いた。
「いらっしゃいま……あっ!」
「ふぉっふぉっふぉ、店の中でそんな大声を出すものではないぞ?」
見間違うはずもない。人間の姿に化けてはいるが、独特の存在感を放つ妖怪、二ッ岩マミゾウだった。
「今はほかに客がいないからいいんです! それより何の用ですか?」
「本屋に来るのは本を借りに来るときだけに決まっておろう。儂も色々と忙しくてな、ようやく落ち着いたから借りに来たというわけだ。やっておるんじゃろ、妖魔本の貸し出しを」
「確かに貸し出しはしてますけど、それは私の目で見定めた人にしか貸さないって決めてるんです! マミゾウさんには貸しません!」
憤りを込めた声とともに、小鈴はぷいっとそっぽを向いてしまった。
「儂とおぬしの仲ではないか。少し固いことを言わんでもよかろう?」
「だってマミゾウさん、私の『私家版百鬼夜行絵巻最終章補遺』を持って行ったっきりじゃないですか! 返してくださいよ!」
「おぬし、あれで一回痛い目を見ておるじゃろ……。それに返したとして、何に使うつもりなんじゃ?」
「私だって、霊夢さんたちみたいに弾幕ごっこをしてみたいんですよ! それに……それ以上に、親友と一緒にこの幻想郷を自由に見て回りたいんです!」
その言葉には明確な意思が込められていた。
かつて妖怪化しかけたあの禁忌のことなど、すっかり頭から抜け落ちているかのようだ。
「あのなぁ……。人間が妖怪になるのは、この幻想郷でも一番の禁忌と言ってもいいのじゃ。そんな真似をしてみろ、今度こそ本気で博麗の巫女に退治されるぞ」
いつもの飄々とした雰囲気は影を潜め、マミゾウの言葉には真剣に小鈴の身を案じる重みが宿っていた。
だが、そんな助言を受けながらも、小鈴は無邪気に言葉を続ける。
「それは研究して何とかする予定だったんです! 魔理沙さんだって人間だけど魔法使いですし、私もそんな感じになれたらなーって」
その言葉を受け、マミゾウは呆れ交じりに思考を巡らせる。
(なるほどな……確かに研究を続ければ、いつかは力を引き出し妖魔本を駆使して戦うことができるようになるやもしれん。じゃがそれより先に、妖怪化してしまう可能性のほうが遥かに高いじゃろう……)
それはマミゾウにとっても都合が悪いことだった。鈴奈庵という便利な店を失いたくはなかったし、何よりここで放っておいて「お前のせいだ」などと巫女に怒られても面倒だったからだ。
「それならば、今夜ここに来るといいじゃろう」
マミゾウはそう言うと、小鈴の手元にすっと何かを差し出した。
「夜? それに『ここ』って……?」
手渡されたものに視線を落とし、再び顔を上げたときには、すでにマミゾウの姿は消えていた。
残されたのは一枚のチラシと、一枚の木の葉だけだった。
「これって……鯢呑亭のチラシよね? まぁ、人里の中だし大丈夫かな……」
小鈴はそわそわと胸を躍らせながら、夜が来るのを待つのだった。
◇
子の刻。
人里はすっかり静まり返り、美しい紅葉も見えないほど暗い夜道を、小鈴は少し腰を引けさせながら進んでいた。月明かりのほかに灯りもない静寂が漂う。
「うぅ……暗い。親にも黙って来ちゃったけど、こんな時間にやってるのかな?」
不安になりながらも足を進めていくと、やがて前方にあたたかな明かりが見えてきた。
「あれ? こんな時間でも明かりがついてる……明日の仕込みかな?」
そのとき、鯢呑亭の中へ誰かが入っていく姿が視界に入る。
「あれは……マミゾウさん!?」
見間違えるはずがない。あの大きな尻尾と特徴的な姿は間違いなくマミゾウだった。小鈴は思わず駆け出していく。
その頃、鯢呑亭の中では――
「ふぅ、夜は冷えるのう。それにしても悪いのう、美宵ちゃん」
「構いませんよ。それに萃香さんも来ましたからね!」
美宵の視線の先では、伊吹萃香がすでにお酒を酌み交わし、ご機嫌で盛り上がっていた。
「今日は臨時で開いてもらったというのに、よくおるのう」
「私にかかればこんな酒の匂い、すぐ気づくさ。しかしお前、急に美宵に頼んで店を開いてもらうなんて何を企んでるんだ?」
(まずいのう……こやつに知られれば確実に面倒なことになるじゃろう……)
マミゾウが冷や汗をかいていると、萃香はニヤリと笑って店の奥を指さした。
「どうした、そんな考え込んだ顔をして。……この嬢ちゃんが関係あるのかな?」
萃香の指さす先には、ミニ萃香に連れてこられ、力なくぐったりとしている小鈴の姿があった。
「おや? そちらの方は鈴奈庵のお嬢さんでは?」
「だな。店の外で何やらコソコソしてたから、ちょっと手荒だが連れ込ませてもらったよ。さて、これはどういうことかな?」
「はぁ……正直に話すから、まずは離してやってくれんかの。気絶してしまっておるではないか」
見れば、小鈴はあまりの恐怖に驚いたのか、完全に目を回して気絶していた。
マミゾウはため息をつきながら小鈴を奥の席で寝かせ、本題に入った。
「っで? どういうことなんだ?」
「そこの嬢ちゃんが自分も弾幕ごっことかをしたいとのことでな。前も妖怪になりかけたし、また変なことになっても嫌での。嬢ちゃんのためを思って、美宵ちゃんに記憶を消してもらおうと思ったのじゃ」
「……なるほど、こいつの為ね。だがお前は人間の憧れってものをわかってないな」
「なんじゃと?」
「この嬢ちゃんの憧れは、積もりに積もったものだ。記憶を多少消したところで、また同じことを繰り返すだけだぞ」
「私もそう思います」と美宵も頷いた。「憧れという感情は突発的に芽生えることもありますが、本人の中で積み重なった強い思いと共に生まれてくるものです。記憶を少し消したところで、また同じように芽生えてしまうと思いますよ」
そんなやり取りの中、話題の本人がうっすらと目を覚ましていく。
「うーん……私は何を……確か鯢呑亭に向かってて……って、鬼ぃーー!?」
「こらこら、落ち着くんじゃ。また気絶するつもりか? 博麗神社の宴会で見かけたことがあるじゃろ」
マミゾウになだめられ、小鈴は呼吸を整えて冷静に周りを見渡した。
「た、確かに宴会で見かけたことがあります。えーと……萃香さん!」
「覚えていてくれてありがとな。それで? 弾幕ごっこに憧れてるんだって?」
「そうなんです! それで今夜ここに来るといいとマミゾウさんが言ってくれて」
その言葉とともに、全員の視線がマミゾウへと向けられる。
当の本人は、なんとも気まずそうな顔をして煙管をくわえていた。
「ふーん、狸の親玉にしては優しいねぇ。まっ、ここで会ったのも何かの縁だ。手伝ってやるよ」
「ほんとですか!? ありがとうございます!」
パッと顔を輝かせる小鈴の横で、マミゾウはダラダラと冷や汗を流していた。
(あやつが手伝うじゃと!? 鬼のことだから嘘は言ってないじゃろうが……面倒なのに恩を売られてしまったというわけか……)
マミゾウが嫌な予感を抱く中、ほかの3人は酒も手伝って盛り上がっていく。
「それで小鈴ちゃん、どうやって弾幕を出すとか考えてるの?」
「これを使おうと思っています!」
そう言って、小鈴は懐から巻物や本を取り出した。
「なるほど、妖魔本か。確かにこれなら力のない人間でも戦うことができるようになるが……こんな力の弱い本じゃ無理だろうな。もっと強力なのがあれば話は別だが、無いの?」
「前はあったんですけどね……マミゾウさんに持っていかれちゃいました……」
「それはひどいですね。返してあげたらいいんじゃないですか、マミゾウさん?」
美宵にジト目で見られ、マミゾウは言葉を濁す。
「そうは言ってもでのう……あれは危険すぎて、返すと小鈴が危ないんじゃ」
「だったら、お前のところの親玉から『魔人経巻』でも借りてくればいいじゃないか。あれだって似たようなもんだろうし、安全なんじゃないか?」
「いや、あれは呪われておって本人以外には扱えんのじゃ」
「ふーん。それならあんたがその懐にしまってる巻物でも出せばいいじゃないか」
「なっ……」
鋭く突かれ、マミゾウは隠し通すのは無理と悟り、渋々懐から巻物を取り出した。
「あっ! それは私の『私家版百鬼夜行絵巻最終章補遺』!」
「なるほど、こいつが噂の妖魔本か。返してあげればいいじゃないか」
「馬鹿を言うな。これを返してまた妖怪にでもなられたら儂の責任じゃし、そうなったら博麗の巫女に怒られてしまうわ」
言いながら、マミゾウはすぐさま巻物を懐へとしまい込む。
「ま、怒られるだけじゃ済まないだろうけどな。ただ、確かにあの巻物を使うのが手っ取り早いのは確かだ。……そうだ! お前も出入りしてるんだし、命蓮寺で修行でもさせりゃあ、うまくコントロールできるようになるんじゃないか?」
その言葉に、小鈴は目を輝かせた。
「命蓮寺! 修行! 楽しみです!」
「まて、儂はまだ連れていくとは言ってないぞ」
「まぁいいじゃないですか。ほら、お酒もサービスしますから」
美宵の援護射撃もあり、マミゾウは観念したように頭を掻いた。
「美宵ちゃんにそこまで言われて断っては、儂の器が狭いと思われるな……いいじゃろう。明日の昼にでも行くが、大丈夫かの?」
「大丈夫です! お店は親に任せますので! 修行楽しみだなー! それじゃあ今日は帰ります!」
「そうじゃな、念のため儂が送っていくとしようかの」
「ありがとうございます! 美宵さんと萃香さんも、ありがとうございました!」
「お構いなく! 今度また飲みに来てくださいね」
「お礼にお酒でも持ってきてくれたら嬉しいさ」
そうして二人は鯢呑亭を出ていった。
「しっかし、萃香さんが素直に手伝うなんて珍しいですね」
「遠慮がないな……まぁ、面白そうだったからさ。それに宴会の匂いを感じたんでね」
「結局飲みたいだけじゃないですか」
「結局そういうことさ! さぁ夜はまだまだこれからだ、飲むぞ〜!」
小鈴たちが去った後も、鯢呑亭の明かりはいつまでも消えることはなかった。
◇
翌日の昼、小鈴はマミゾウに連れられて命蓮寺へと来ていた。
「さて、これから聖……ここの住職に会わせるからな。根はいいやつだから、そんなに気張らず正直に話をするといい」
「はい、よろしくお願いします!」
案内され、二人は聖のいる部屋へと足を踏み入れた。
「入るぞい」
「マミゾウが客を連れてくるとは珍しいですね。……あら、あなたは確か鈴奈庵のお嬢さん」
「本居小鈴です! よろしくお願いいたします!」
「今日はどのようなご用件でしょう?」
聖が柔らかく尋ねると、マミゾウがため息混じりに前へ出た。
「いやなに、この嬢ちゃんがな、どうしても弾幕ごっこをしてみたいと言うてな。ここで修行させてもらえんかと思ってな」
「なるほど。しかしどのように戦うつもりですか?」
「これを使おうと思っています」
小鈴は持ってきた妖魔本を取り出す。
「妖魔本……ですか」
聖の表情から柔らかさが消え、少しだけ真剣な眼差しに変わる。小鈴は慌てて補足するように身を乗り出した。
「た、確かに妖魔本ですけど、私、ちゃんと勉強してコントロールしたいんです! 聖さんだって元は人間で、魔法を修得して強い力を手に入れたんですよね? だから私にも何か安全に力を使う方法がないか教わりたくて……!」
キラキラとした憧れの眼差しを向けられ、聖は一瞬困ったように眉を下げたが、すぐに優しく微笑んだ。
「憧れてくださるのは光栄ですが……小鈴さん、少し勘違いをされているようですね」
「えっ……? 勘違い、ですか?」
「はい。私が魔法を学んだのは、力を得て戦うためでも、誰かを倒すためでもありません。老いや死への恐怖……ただそれだけの理由でした。そもそも私は人間をやめています。それに、動機が『力への欲望』や『戦いへの好奇心』であるとき、妖魔本のような危険な器物は、持ち主の心をあっという間に呑み込んでしまいます」
聖は小鈴と目線を合わせるようにそっと腰を落とした。
「魔法や弾幕は、自分を誇示したり危険な遊びをするための道具ではありませんよ。……それに、以前あなた様は異変を起こしかけたとお聞きしています。それでも戦いたいのですか?」
静かだが芯のある聖の言葉に、小鈴はゴクリと唾を飲み込んだ。
「う……それは……。でも、霊夢さんや魔理沙さんみたいに、自分の力で幻想郷を駆け回ってみたくて……! 私だって、親友と一緒にもっと凄い景色を見てみたいんです」
小鈴の本音を聞いた聖は、怒るどころか愛おしそうに目を細めた。
「ふふ、なるほど。その『親友ともっと遠くへ行ってみたい』という純粋で強い気持ち……決して悪くはありませんね」
小鈴は息をするのも忘れるような緊張した面持ちで、聖の反応を待つ。
「……いいでしょう。妖魔本の力に頼るのではなく、まずは自分自身の心と体を整える修行としてなら、私たち命蓮寺でお預かりします。幸いにもあなたは妖魔本に囲まれていた影響か、普通の人より魔力を帯びているようですしね。安全な魔法の基礎くらいはお教えできるかもしれません」
「本当ですか!? ありがとうございます!」
パッと表情を輝かせる小鈴を見て、マミゾウは呆れたように肩をすくめた。
「やれやれ、相変わらず甘いのう、聖は……」
「ふふ、魔法や強い力に憧れる気持ち……私にも少し覚えがありますからね。それでは小鈴さん、まずはこの命蓮寺の中を見てきてください。私は少し用がありますので、その後に修行を開始しましょう」
「それなら儂が案内しようかのう」
「いえ、マミゾウは私の用を手伝ってください。案内は近くの者に頼みますので」
そうして聖は寺の者に小鈴の案内を頼み、マミゾウと二人きりになった。
二人だけになると、聖の雰囲気がガラリと変わった。
「さて、マミゾウ。単刀直入に聞きます。彼女は望みをかなえられると思いますか?」
「どうじゃろうな。確かに普通の人間よりは素質を持っておるし、妖魔本をコントロールできるようになればいつかは……かもしれんのう。ただ、それには多大な時間を要するじゃろうな」
「私もそう思います。ですが、彼女の目標を考えるとそこまでの年月をかけている暇はないでしょう。私たちがいくら諭しても焦りが生まれ、また妖怪化してしまう危険すらあります」
「確かにのう。しかし、それを解決する手段はあるのか?」
「ええ。そのためには、かつて彼女が引き寄せた原因の妖魔本……あなたがお持ちなのでしょう? 今ここに出していただけますか」
聖の視線は、まっすぐにマミゾウの懐へと向けられていた。
マミゾウはやれやれと仕草をしながらも、話題の妖魔本を取り出した。
「これがその妖魔本ですか……確かにとてつもない歪んだ力を感じますね」
「これを見てどうするつもりじゃ? まさか……こいつをまた使わせる気か!?」
「いえ、そんな危険なことはしません。ですが、見てわかりました。この妖魔本から溢れ出ているのは、強い執着や怨念の力です。いくら彼女が知識をつけても、飲み込まれてしまうでしょう」
「それならば、どうする」
「どれほど強い力を持つ本であっても、使用者と波長が合わなければ真の力は引き出せません。ですがかつて彼女はこの本を引き寄せ、強大な力を発揮してあなたや博麗の巫女をも巻き込んだ……つまり、本と彼女の波長自体は酷く適合していたということです。であれば――この波長をベースに、私が『新しく安全な妖魔本』を創り出します」
「……本気か、おぬし!?」
「ええ。ここでどれだけ修行をしても、既存の妖魔本を使う以上、いつかは蝕まれ人の道を外すリスクが残ります。ならば私が、彼女の情熱を正しく導くための安全な本を誂えるべきでしょう」
「まぁ、儂は鈴奈庵が今まで通り利用できれば文句はないんじゃがな……じゃが、なぜそこまで手伝うのじゃ? 別に修行させて無理ならそれでいいじゃろ」
「確かに一理あります。ですが人間が妖怪になるのではなく、人間のまま命を輝かせ、絆のために大空を飛ぶ……それもまた、私の目指す理に通じるのです。それに、救える手を差し伸べないのは命蓮寺の住職として違いますでしょう」
「なるほどのう。じゃが、力を手に入れることによる危険もあるのではないか?」
「それも確かです。ですがそのために修行を行い、心と体を鍛えるのです」
小鈴のあずかり知らぬところで、密かにとんでもない計画が進められていた。
「――ところでマミゾウ」
聖はにっこりと満面の笑みを浮かべたが、その声は凍りつくほど冷たかった。
「この妖魔本、どのようにして手に入れたのですか? 彼女のお店は貸本屋のはずですが……まさか『盗んだ』とは言いませんよね?」
「あ、あぁ……どうだったかのう……?」
「これは、じっくりお話を聞く必要がありますね」
「か、堪忍してくれい……」
そうして、小鈴が一通り境内の案内を終えて戻ってきたときには、笑顔の聖と、なぜか魂が抜けたような顔をしたマミゾウが立っていたのだった。
「小鈴さん。命蓮寺は見て回れましたか?」
「はい! しっかり見て回れました!」
「それはよかった。ではこれから修行を始めましょう。ですが事前に伝えておきます。もし派手な修行などを想像していたらそれは間違いです。地味で地道な修行が待っています。それでもよろしいですか?」
聖は小鈴の目を見てしっかりと問いかける。
「大丈夫です! よろしくお願いします!」
「元気があってよろしい。では一緒にマミゾウの性根も叩き直しましょう」
マミゾウも青い顔をしながら、渋々修行に励んでいくのだった。
それから、小鈴の地道な修行の日々が始まった。
「それではまずは座禅からです。心を落ち着かせ、平静を保ってください。徐々にレベルを上げていきますよ」
「次は掃除です。私や他の者たちと一緒に寺の掃除をします」
雑念を払い、無心で身体を動かしているうちに、あっという間に日は沈んでいく。
「うー、疲れた……」
「お疲れ様です。どうでした?」
「ずっと落ち着いて集中するのって大変ですね。それに、掃除がここまで大変だとは……」
「誰しも最初はそういうものです。ですがしっかりと基礎を行うことで、見違えるほど成長するものですよ」
「そうなのかな……まだまだ頑張りたいけど、さすがに帰らないと。お店の仕事もあるし、毎日は来れないかな……」
小鈴はどこか名残惜しそうにつぶやく。
「構いませんよ。しっかりと日常を大事にしてください。心のバランスを保つためには日々の生活も重要なのです。それでも何かしたいのであれば、毎日心を落ち着かせる時間を作ってみなさい」
「ありがとうございます! また来た際はよろしくお願いします!」
「えぇ、私たち命蓮寺一同で歓迎しますよ」
◇
それからの小鈴は、鈴奈庵の仕事をしっかりとこなしつつ、合間を縫っては命蓮寺へ足を運んで修行を深めていった。
季節は巡り、人里にも薄っすらと雪が舞い始める頃――
「いらっしゃいま……なんだ阿求かい」
「……はい、これ新作ね」
そう言って阿求は、アガサクリスQとして書いている原稿を手渡す。
「毎度ありがとね。正直これが一番売れるから助かるよ」
小鈴は楽し気に微笑んだ。
「そういえばあんた、最近少し変わった?」
「ん? そうかな?」
「なんだろうね。前より雰囲気が落ち着いてる気がするし、立ち姿もしっかりしたっていうか……それに、命蓮寺で見かけたってうちの従者から聞いたよ」
(さすがに噂は広まっちゃうか……とはいえまだ阿求には内緒にしときたいしな……)
「あ、あぁ命蓮寺ね。お得意様ができてね……」
阿求にはまだ秘密にしておきたかったため、小鈴はとっさにごまかす。
「ふーん、お得意様ね……私はまた、あんたが妖怪にでもならないか心配だよ……」
阿求はそう言って、どこか寂し気に遠い目をした。
「大丈夫だよ! 妖魔本に変に頼ったりもしないって」
「そう……なら良いんだけど。私ね、昔からたくさんの人間や妖怪が移り変わっていくのを見てきたでしょう? 私自身の命も、他の人よりずっと短い……。だから、身近な人が急にいなくなったり、人間じゃなくなっちゃったりするのが、本当はすごく怖いの」
ぽつりと零された阿求の本音に、小鈴はハッとして息を飲んだ。
「阿求……」
「小鈴は好奇心が強くて元気だから……いつか私の手の届かない遠くへ行っちゃうんじゃないかって、時々不安になるんだよ」
小鈴は阿求の手をキュッと握りしめ、真っ直ぐ目を見つめた。
「行かないよ! どこにも行かないし、人間もやめない! 阿求が不安にならないように、私がずっと隣にいるからさ」
「……ごめんねいきなり辛気臭くさせちゃってさ」
「大丈夫だよ!」
「ありがとう……それよりあんまり命蓮寺に行ってると、霊夢さんがうるさそうだね」
辛気臭くなってしまった雰囲気を変えるかのように阿求は話題を切り出す。
「だね、『なにライバルのところに行ってんのよ!』って言われそう」
その後は二人で談笑しながら、穏やかな時間を過ごしていった。
◇
そんな日常を送りつつ修行を重ねていたある日。
「だいぶ心を落ち着かせ、精神を統一することができてきましたね。それでは次のステップへ行ってみましょう」
聖が唐突に切り出した。
「ぜひ! お願いします!」
「それでは私が魔力を送ります。それを感じて体にとどめるようにしてください。最終的にそれをコントロールできるようになれば完璧です。行きますよ!」
聖がそっと手をかざすと、小鈴に向かって純粋な魔力が注ぎ込まれる。
それは澱みなく流れ、小鈴の身体へと馴染むように満ちていった。
「驚きました。いきなりここまで魔力を受け入れ、馴染ませることができるとは……」
聖が驚嘆している中、小鈴は突如立ち上がり、気合を入れてポーズを取った。
「はぁー! ……って、出ないか。今なら何か出せると思ったんだけどなー」
意表を突いたその動きに、聖は思わずあっけにとられる。
そんなさなか、部屋のふすまが勢いよく開け放たれた。
「聖! 何かありましたか!? 突然大きな音が……!」
「あ、あぁ村紗。問題ありませんよ。しかしちょうどよかった。私が用意していた『あれ』を持ってきてもらえますか?」
聖が伝えると、村紗は深く頷いてどこかへ去っていった。
「あ、えっと……聖さんごめんなさい! なんか力がみなぎってきちゃって……」
「いえ、大丈夫です。むしろ私が驚いてしまったくらいです。いきなりここまで魔力を扱えるとは思っていませんでしたから」
「えーと、ありがとうございます!」
小鈴はいまいち飲み込めていないようだったが、褒められたことを理解すると照れくさそうに笑った。
「もっと胸を張ってもいいのですよ、小鈴さん。そうですね……少し外に出ましょうか」
そう言って、聖と小鈴は外へと足を進める。
「小鈴さん。ここまでの修行はどうでした?」
「? 大変でしたけど、楽しかったですよ!」
「楽しい、ですか……いいですね。今後もその気持ちを忘れないようにしてください」
話しながら境内を歩いていると、先ほど何かを頼まれていた村紗が戻ってきた。
「聖、こちらを」
村紗は恭しく、古い小さな箱のようなものを聖に手渡す。
「ありがとう」
それを受け取った聖は、歩みを止めずに広い中庭へと出た。
「さて、小鈴。今一度問います。あなたは何のために力を欲しがるのですか?」
聖の声は優しかったが、その表情は真剣そのものだった。
「それは……霊夢さんや魔理沙さんみたいな人たちに憧れて、私もああして自由に戦ってみたい。そして広い世界を見てみたい! 親友とどこまでも行きたいからです!」
小鈴の真摯な答えを聖は受け止め、周囲にわずかな静寂が流れる。
「わかりました。その思いを今後も見失うことのないように。……そして、そんなあなたに私からこれをプレゼントします」
聖の手から、小鈴の手へと一本の美しい鈴の柄が刻まれた巻物が手渡された。
「これは……?」
「それは聖がおぬしの為に創った妖魔本じゃ」
聖が答えるより早く、庭の木陰からマミゾウがひょっこりと姿を現した。
「マミゾウさん! って、妖魔本!?」
「そうです。私が『私家版百鬼夜行絵巻最終章補遺』を参考にして作り上げたものです」
「こ、こんなものもらっていいんですか? それに、そんな怪しい本を参考にして危険じゃないんですか!?」
「入念に調和と安全の加護を施しましたから大丈夫です。これは修行を頑張ったあなたへのご褒美だと思ってください。ただ、ひとつ約束してください。今後は怪しい本を読む際には、必ず誰かの許可を得ること」
「や、約束します!」
小鈴の声は真剣そのもので、強く決意を固めているのが伝わってきた。
だがそれはそれとして、今すぐにでももらった妖魔本を開いてみたいという好奇心が全身から溢れ出ていた。
「ふぉっふぉっふぉ、よほどその妖魔本が気になるようじゃな。使ってみるといい」
「いいんですか!?」
「ええ、大丈夫です。先ほど練習したような魔力のイメージを通してみてください。きっと答えてくれますよ」
聖に促され、小鈴は深呼吸をしてそっと目を閉じた。
胸の奥で芽生えた温かな魔力の感覚を、ゆっくりと手元の巻物へと注ぎ込んでいく。
――次の瞬間、ひやりとした澄んだ風が境内に吹き抜けた。
手から離れた巻物がふわりと宙に浮き上がり、静かに紐が解けて開いていく。まるで本自体が何かを紡いでいるかのように、神聖で柔らかな光を放ち始めた。
境内に漂う清らかな空気が集まり、小鈴自身にも劇的な変化が訪れる。
束ねていた髪がさらりと解けて伸び、着物の朱色が深みのある艶やかな赤色へと染まっていく。
その姿はまるで――かつて自我を失い、妖怪化しかけた時の姿と酷似していた。
その光景を目にしたマミゾウは、青ざめた顔で臨戦態勢をとる。
「なにが安全じゃ聖! あれはかつての妖怪になりかけた時の姿とそっくりじゃ! まずいぞい!」
しかし、焦るマミゾウの隣で、聖はどこまでも冷静だった。
「落ち着いてください、マミゾウ。彼女の髪元を見るのです」
聖が静かに指さす先――伸びた朱色の髪の中には、小鈴のチャームポイントである鈴付きの髪留めがしっかりと留められていた。
「鈴がついとるだけじゃろ! それがどうしたというのだ!?」
「いいですか。鈴というのはかねてより神聖な器なのです。その清らかな音色は目に見えない穢れや邪気を払い、場を清め、聖なるものを呼び覚ます力があります。そのような神聖な加護を身につけたまま、妖怪に成り果てることなどあり得ません」
二人がそんな問答を交わしている間にも、当の小鈴は自分の変化に目を丸くしていた。
「こ、これが私……!?」
「だ、大丈夫かの……?」
身体をプルプルと震わせている小鈴に、マミゾウがおそるおそる駆け寄る。
「す、すごいー! これが私!? 今なら何でもできちゃいそう!」
「こらこら、調子に乗ってはいけませんよ」
喜びのあまり今すぐにでも飛び出そうとする小鈴の頭へ、ぽこんと聖の拳が落ちた。
「いてっ。す、すいません……」
「ふふ、とりあえずうまく波長が合わさったようでよかったです。それではこれから、この力を正しい心で使いこなせるようにしていきましょうね」
「はい! よろしくお願いします!」
小鈴は今までで一番弾けた笑顔で、元気に返事をした。
「今すぐに修行したいですけど、さすがに日が沈んできたし帰らないと……どうすれば姿が戻るんですか?」
「その妖魔本を閉じれば戻りますよ」
小鈴は言われたとおりに妖魔本を閉じると、あっという間にいつもの姿に戻った。
「聖さん! マミゾウさん! 村紗さん! 修行だけでなくこんなすごいものまでありがとうございます!」
「構いませんよ、あなたが間違った道に行かないようにしたまでです。まだあなたは力を使いこなせていないので、ここ以外ではその妖魔本は使わないように。それでは気を付けて帰ってくださいね」
聖たちは元気に帰っていく小鈴の背中を、温かく見守るのだった。
◇
それから数日後、再度小鈴が命蓮寺へとやってきた。
「今日から妖魔本を使った修行ですね! よろしくお願いします!」
「しっかりと約束は守ったようですね。その妖魔本を見ればわかります。それでは始めていきましょう。それと今回からは特別講師にも来てもらいました」
聖がそう言うと、小鈴にとっても見知った人物が姿を現した。
「よ、小鈴。久しぶりだな」
「ま、魔理沙さん!?」
「私が依頼したんです」
「聖から突然頼まれたときはびっくりしたぜ。『あなたと同じように人間でありながら戦う人がいます。私が教えるより力になると思うので手伝ってもらえませんか?』って急に来てな。まさか小鈴だとは思わなかったぜ」
魔理沙はオーバーなリアクションで説明してみせる。だが小鈴にとっては、非常に頼もしい助っ人だった。
「そんじゃまずは、小鈴の力を見せてくれ」
「わかりました! 行きますよ!」
そう言うと、小鈴は妖魔本に魔力を込めていく。そしてあっという間に姿が変わっていった。
「すごいなこりゃ。あの妖魔本が鍵か……私が欲しいくらいだぜ」
「もしあなたが奪うようなことがあれば、その際は私がどこまでも追いかけますからね」
「笑顔が怖いぜ聖……」
そんなやり取りをしている間にも、小鈴の準備が終わったようだ。
「そういや魔理沙さんは『小鈴が妖怪になったー!』って騒がないんですね」
「事前に聖からそこらへんは聞いてたからな。そんじゃ早速やっていくか!」
「魔理沙さん、お願いしますね。私は仕事があるので外します。小鈴さんも頑張ってください」
「おう、任せとけ。命蓮寺からは出ないようにはするぜ」
「頑張ります!」
聖が去った後、いよいよ二人の特訓が始まった。
「そんじゃやってくか。そういやその妖魔本には名前があるのか?」
「そういえばないですね。聖さんも妖魔本としか言ってなかったですし……」
「それなら名前を付けちまえ。私のミニ八卦炉みたいに愛着がわくぜ」
「うーん……すぐには思いつかないですね。それより修行しましょう!」
小鈴はいかにもやる気満々といった様子だ。
「よし! まずは飛ぶ修行からだ。自由に思い通りに飛べるようにならないと、弾幕ごっこなんて夢のまた夢だぜ! まずはやってみな」
魔理沙の言葉に、小鈴も気合を入れる。
「行きますよー! それ!」
その瞬間、どこからともなく巨大な巻物のようなものが現れ、小鈴はその上に飛び乗った。
「わっ……飛んだ! 飛べました魔理沙さん!」
「へえ、魔法の絨毯ならぬ魔法の巻物ってわけか! なかなかサマになって――って、おい!」
小鈴の歓声も束の間、巻物はぐらりと大きく傾き、猛スピードで暴走を始めた。
「きゃああああっ!? 止まらない! 右! 左! うわあああっ!」
「落ち着け小鈴! 重心を後ろだ! 自分の足じゃなくて、巻物の『端』に意識を乗せるんだよ!」
上空で右へ左へ振り回され、悲鳴を上げる小鈴。魔理沙は箒で並走しながら、的確に指示を飛ばす。
「呼吸を整えろ! 自分の体の一部みたいにイメージするんだ!」
「う、うん……! 巻物は私……私が風を切る……!」
必死に目を閉じ、魔理沙の言葉通りに魔力の流れを整えると、暴れていた巻物がすっと水平を取り戻し、滑るように静止した。
風を切る感覚と、眼下に広がる境内。小鈴は息を呑んだ。
「ふぅ、やっと落ち着いてきたか。しっかし普通に飛ぶんじゃダメなのか? 私の箒も人のことを言えないが、自分以外のものを動かして飛ぶのは難しいんだぜ」
「これでいいんです! これなら私以外も一緒に飛べますから」
その言葉からは、今ここにはいない親友の顔を思い浮かべているのが伝わってきた。
「それなら、もっと安全に思い通りに飛べるようにならないとな。今のままじゃ到底乗りたいとは思わないんだぜ」
「よろしくお願いします! 魔理沙先生!」
「よせやい、照れるぜ」
こうして魔理沙と小鈴の特訓が始まった。
時折、命蓮寺の妖怪たちも手伝ってくれ、小鈴は数日で飛行をマスターしたのだった。
「呑み込みが早いな。飛行に関してはもう問題なさそうだぜ」
「ありがとうございます! 魔理沙さんの教え方がうまいからですよ!」
「ほめても何も出ないんだぜ! それじゃ今日から弾幕ごっこに向けた修行をして行こう」
その言葉に、小鈴は待ってましたと言わんばかりに目を輝かせる。
「それじゃ回避を重点的に練習していくぞ」
「えー、もっと派手な弾幕とかじゃないんですか?」
あからさまにガッカリする小鈴を見て、魔理沙は苦笑しながら説明を添える。
「安全の為ってのもあるが、弾幕ごっこにおいて派手で美しい弾幕は確かに誰もが憧れるものだ。だがそれは回避技術があってこそだ。考えてもみろ、相手が自分の出した弾幕にガンガン当たっちゃ派手な展開になる前に終わっちまう。相手の弾幕をしっかり回避して、こっちの弾幕も見せる。お互いがあってこそなんだぜ。それに回避がうまくなると格段に楽しくなるんだぜ」
「そんなものなのかな?」
「まぁ小鈴もやっていけばそのうちわかるようになるさ。ってことで、私が打つからしっかりよけてくれよな!」
その瞬間、魔理沙はいきなりレーザーや星形の弾幕を展開した。
「わわわ! いきなりすぎます!」
そうして回避の修行が始まる。
(実際にやってみると考えることが多すぎて難しい……みんな簡単によけてるように見えるけどすごいんだな)
そんなことを考えながら懸命によけるが、背後から迫ってくる弾に気づかず当たってしまう。
今日の修行が終わるころには、小鈴はボロボロの姿になっていた。
「うぅ、魔理沙さんスパルタすぎます……」
「そうか? まぁこれくらい簡単によけられるようにならないと弾幕ごっこなんてできないんだから頑張るんだぜ」
「頑張ります! そしていつか魔理沙さんをぎゃふんといわせるんです!」
ボロボロになりながらも威勢のいい小鈴と、そんな様子を見て笑う魔理沙だった。
そんな修行を続けていくと、初めはなんてことのない弾幕にすら当たりまくっていた小鈴だったが、命蓮寺の面々にも手伝ってもらいながら、日に日によける技術を飛躍的に向上させていった。
◇
そうして、いよいよ桜が咲き始めそうな季節になった頃。
「おう、ここまでよけられるようになればもう大丈夫だろう。そんじゃ、最後の修行に行くぜ」
そう言うと、魔理沙は命蓮寺の妖怪たちを連れて戻ってきた。
「えっと……また皆さんに手伝ってもらってなんかやる感じですか?」
「いや、これからこいつらと本気で戦ってもらう。スペルカードは禁止、3回当たるか私が危険だと判断したら終了だ」
小鈴がその真意を理解する暇もなく、最初の相手と対峙する。
「私の合図でスタートな。それと小鈴」
「なんです魔理沙さん?」
「死ぬ気で抗え! そんじゃはじめ!」
小鈴が聞き返す前に勝負が始まる。
だが、それは「勝負」と呼べるような生易しいものではなかった。
本気になった妖怪たちの攻撃は、これまでの修行とは比べものにならないほど鋭く重い。村紗の放つ大錨の重厚な弾幕にかすり、着物の袖が破れ、多々良小傘の仕掛ける不意打ちに吹き飛ばされる。
一輪の巨大な拳、ぬえの放つ正体不明の光弾、さらにはマミゾウの化かし弾幕や聖の圧倒的な身体能力。
一歩間違えれば命を落とすかもしれないほどの圧力と威圧感。小鈴は恐怖に震えながらも何とか食い下がろうと必死に巻物を操り、反撃を試みた。
しかし――圧倒的な戦力差の前に、小鈴の攻撃はただの一度も届くことなく、全敗という結果で幕を閉じたのだった。
息を切らし、全身傷だらけで地面に膝をつく小鈴。その対極で、妖怪たちはまだ余裕の表情を浮かべている。
「お疲れ小鈴。どうだ、戦ってみて?」
魔理沙が優しく声をかける。
「全く……相手にならなかったです……」
「弾幕からは何を感じた?」
「なんていうか……妖怪の恐ろしさ、です。本気でこっちを殺しに来るかのようなプレッシャーを感じました……」
小鈴は思い出して身体をブルリと震わせる。
そんな小鈴を見て、魔理沙はフッと満足そうに笑った。
「うん、そいつがわかってくれればいいさ。小鈴がいくら修行をしたとはいえ、私達から見たらまだまだお子様だからな。ここで勘違いして調子に乗って、異変解決に首なんか突っ込んで何かあったら嫌だからな。ここで一回痛い目にあってもらう必要があったんだぜ」
「ひどい……でも、ありがとうございます。多分、魔理沙さんの言う通り調子に乗ってたかもしれないです」
「分かりゃいいんだよ」
魔理沙は手を差し出し、ボロボロの小鈴を立ち上がらせる。
「異変の主犯たちは容赦ないからな、スペルカードルールがあるとはいえ殺し合いみたいになることも珍しくはない。だからこそここで知ってもらいたかったのさ」
「こんなのをやってたなんてすごいです……」
「まぁただ、これで弾幕ごっこまでは嫌いにならないでくれよな。あっちはこんな殺し合いじゃなくてもっと気楽で楽しいもんだからさ!」
魔理沙はどこか爽やかにそう言う。
「ありがとうございます! 私もまだまだ頑張るぞ!」
ボロボロになりながらも、小鈴の顔には笑顔があふれていた。
「小鈴さん大丈夫ですか?」
気づけば命蓮寺の面々も集まってきて心配してくれていた。
「大丈夫です! 皆さんありがとうございます!」
「とりあえず傷の治療をしましょう。さぁ行きますよ」
そうして聖に引きずられるように小鈴は連れていかれるのだった。
一人残された魔理沙は、誰もいない木陰に向かって話しかける。
「ここまで来てもらったのに悪いな」
「はぁ、いきなり連れてきてウサギ使い荒すぎ……でも大したけががなくてよかったよ」
木陰から返事が返ってきたかと思えば、永遠亭のウサギ、鈴仙が姿を現した。
「しっかし魔理沙もスパルタだね。ほんとに死んでたらどうするつもりだったのよ?」
「ほんとにそうなりそうだったら私や聖が止めたさ。それでも鈴仙が来てくれたおかげで多少は無茶できたから助かったぜ」
「見てるこっちはひやひやしたけどね。とりあえず傷は多いけど大したけがじゃないし私は帰るね。この薬を使ってあげればすぐ治るよ」
そういって鈴仙は魔理沙に薬を手渡す。
「ありがとな、今度なんか礼でもするぜ」
そうして鈴仙は帰り、魔理沙は小鈴の元へ急いで向かった。
治療も終わり、魔理沙が小鈴を鈴奈庵まで送っていくことになった。
「皆さんありがとうございました! このお礼はいつかします!」
「ここまで来れたのはあなたの努力あってこそです。胸を張って頑張ってください! それにまた何かあればいつでも頼っていいですからね」
聖の温かい言葉を背に受け、小鈴は命蓮寺を後にするのだった。
そしてその帰り道。
「それよりこの後はどうするんだぜ?」
「そうですね、阿求と一緒にこの幻想郷をめぐってみたいです!」
「いつ頃行くとかは決めてるのか?」
「そろそろ桜も咲いてくるころなので、満開になったら行きたいですね!」
小鈴は楽しそうに魔理沙の箒の後ろでしゃべる。
「そうだな、あと2週間もしないうちに満開になるだろうな。だったらついでに博麗神社でやる宴会にも阿求と一緒に来るか?」
「いいんですか!?」
「構わないぜ。それに人数が多い方が楽しいしな!」
魔理沙も楽しそうだ。
「そういえば霊夢さんは私が修行してたことは知らないんですか?」
「知らないと思うんだぜ。別に異変でもなんでもないからな。なんだ、霊夢と戦いたいのか?」
「そりゃせっかくなら本気の霊夢さんと戦ってみたいですけど、手加減されちゃいそうだな……」
その言葉に魔理沙は一瞬考え込む仕草を見せるが、すぐさま悪だくみをするような笑顔を見せる。
「それだったらとっておきのいい手段があるぜ」
「ほんとですか!?」
「あぁ、宴会の日、準備しておくんだぜ。夕方くらいに来てくれれば完璧だぜ!」
「どんなことを考えてるんですか!?」
「それはだな……」
魔理沙の伝えた作戦に、小鈴は目を丸くして驚愕する。
「確かにその作戦なら本気で戦ってくれそうですね! せっかくなら勝ってみたいなー!」
小鈴は霊夢と戦う姿を想像して目を輝かせた。
「それなら私がまた鍛えてやるぜ。残りの時間は短いが、私は霊夢のことはよく知ってる。対策もできるはずだぜ」
「よろしくお願いします!」
そうして家に帰った小鈴は、この先の楽しみを想像しながら期待を胸に眠りにつくのだった。
◇
小鈴が魔理沙と霊夢対策を練ったり、独自のスペルカード案を捏ねたりしているうちに、あっという間に桜が満開の季節を迎えた。
小鈴は阿求邸の前に来ていた。
「阿求様、小鈴さんがお見えになられました」
「ありがとう、すぐに向かいます」
屋敷から阿求が出てくる。
「おはよー! 阿求!」
「おはよう、小鈴。急に今日1日予定を空けててほしいってどういうこと?」
「とりあえずついてきて!」
言うなり、小鈴は駆け出していく。
「ちょ、ちょっと待って……」
阿求も必死についていく。
そうしてたどり着いたのは、人里から少し離れた、人の気配が全く感じられない場所だった。
「ちょっと、こんなとこ来てなにするつもり? いつ妖怪が出てもおかしくない雰囲気だし、早く安全なところへ行きたいんだけど?」
阿求は不安を口にするが、小鈴はそれを気に留める様子もなく問いかける。
「阿求はさ、この幻想郷のことなんでも知ってるじゃん」
「急にどうしたの? 確かに記憶にあるものはわかるけど……」
「でもそれは記憶の中だけの場合だってあるわけじゃん。阿求自身が実際にそこに行ったことがない場所も多いでしょ?」
「確かに、私が行ったことなくて記憶にだけあったり、人に話を聞いただけの場所もたくさんあるよ。でもそれは危険だったり、私だけでは行けなかったからで……」
阿求は小鈴の意図が分からないまま、若干寂しそうな声で答える。
「それだったらさ! 私と一緒に見に行こうよ!」
小鈴はそう言うと妖魔本を広げ、一瞬で姿を変えていく。
阿求は目の前で起こった出来事に理解が追いつかず、完全にフリーズしてしまった。姿の変わった親友を爪先から頭まで凝視し、何とか言葉を振り絞る。
「……こ、小鈴なの?」
「行こっか! 阿求!」
阿求は差し伸ばされた小鈴の手をつかみ、ふわりと浮き上がる巨大な巻物の上に乗せられる。
次の瞬間、二人は一気に空へと舞い上がった。
「うーん、やっぱり飛ぶって気持ちいいね! それで阿求、どこに行きたい?」
完全にあっけにとられている阿求を余所に、小鈴は気楽に話しかける。その様子を見て、阿求も徐々に状況を飲み込み始めた。
「ちょ、ちょっと小鈴!? なんで私達飛んでるの!?」
「それは私が修行したからだよ! それよりどこ行きたい?」
「修行!? どういうこと!? 人間やめたの!? 一から説明して!?」
「あ、そっか、阿求にはまだ説明してなかったね」
狼狽する阿求をよそに、小鈴はこれまでにあった出来事をかみ砕いて話していった。
霊夢や魔理沙に憧れていたこと。
マミゾウに相談したら鯢呑亭に行くことになり、そこでアドバイスをもらったこと。
アドバイスをもとに命蓮寺で修行したこと。
その時に聖に安全な妖魔本を作ってもらったこと。
修行で楽しかったこと、つらかったこと。
――何より、阿求と一緒に幻想郷を見て回りたかったこと。
阿求はその話を静かに聞いていた。
「とりあえず小鈴が人間のままでよかったよ。前々から命蓮寺に行ってたのはそんな理由があったのね。それにしても、私の記憶の中でもそんなことをした人間はいなかったよ」
「ってことは私が初めて!? 私も阿求の本に載れる!?」
「こんなの載せられるわけないでしょ!」
事情を把握し小鈴が人間であることを確認できた阿求は、ようやくいつもの調子を取り戻した。
「本には載りたかったな……」
一瞬悲しそうな顔を見せた小鈴だったが、すぐさま気持ちを切り替える。
「まぁそういうわけで、今はこんな力を手に入れたのです!」
「相変わらず気楽だね、こっちの気も知れずに……でも、私の為にここまでしてくれたのはありがとう!」
「いいのいいの! 私がやりたかったことだし! それじゃどこいこっか!?」
「どこでもいいんだよね? それじゃ、妖怪の山にまずはいかない?」
「わかった! 飛ばすよー!」
そうしてあっという間に妖怪の山へと到着する。
まだ桜は完全な満開ではなかったが、それでも見下ろす山肌は息をのむほど美しい光景だった。
「すごい……こんなにきれいなんだ……」
「この光景は記憶になかった?」
「簡単に来れる場所じゃなかったからね」
そんな会話を交わしていると、風を切って近づいてくる影があった。
「おや? お二人さん、デートですか?」
「違います」
「お久しぶりです! 文さん! てか私の姿に驚かないんですね!?」
「天狗の情報網を侮ってはいけませんよ。まぁ実際の姿を見たのは初めてですがね。そういえばなぜここに?」
「この景色を見に来たんです! きれいですね!」
「なるほど。ですがあんまり長居すると天狗の警備が来ちゃいますので、早めに去ることをお勧めしますよ。……そういえば、魔理沙さんから聞きましたけど例の件は今夜決行するのですか?」
「もちろん! 文さんも来るんですか?」
「行きますよ! 頑張ってくださいね! それじゃまた!」
文は風のように去っていったが、阿求はいまいち会話についていけていない様子だった。
「今夜? 何かあるの?」
「博麗神社で宴会があるんです。阿求も一緒に参加するからね!」
「勝手に決めないでよ……まぁでも、今日は一日空けてたし、もうとことん付き合いますよ」
そう言って微笑む阿求を乗せ、小鈴は満足そうに桜舞う空へと再び舞い上がった。
「次はどこへ行きたい、阿求?」
「どこでもいいと言われても困るけれど……そうね、記憶の中だけでしか見たことがない、霧の湖なんてどうかしら?」
「よし、霧の湖ね! 出発ー!」
小鈴が妖魔本に意識を傾けると、巨大な巻物はふわりと進路を変え、一気に高度を上げて滑るように空を駆け出した。
眼下には、ピンク色に染まった人里や山々の桜並木が広がる。あまりの絶景に、さっきまで怯えていた阿求も思わず息を呑み、巻物の端をぎゅっと握り締めながら景色に見入っていた。
「すごい……。本や資料の写真でしか見たことがなかったけれど、空から見るとこんなに広いんだね」
「でしょ? 阿求にこの景色を見せたかったんだよ!」
誇らしげに胸を張る小鈴。そうして風を切って飛ぶことしばらく、周囲の空気が急速に冷気を帯び始めてきた。
「なんだか、急に寒くなってきたね……」
「うん、霧の湖が近づいてきた証拠だよ!」
前方の視界が白い靄に包まれたかと思うと、一気に視界が開けた。
眼下に広がるのは、太陽の光を浴びてキラキラと銀色に輝く巨大な湖――霧の湖だ。湖面からはうっすらと幻想的な霧が立ち上り、まるで鏡のように青空と桜のピンク色を映し出していた。
「わあ……綺麗……!」
「すごいよね! あ、見て阿求、あんなところに妖精たちがいる!」
湖の上を飛んでいると、寒気の中から元気に飛び回る氷の妖精――チルノと、その友達の大妖精の姿が見えた。
「あ! 鈴奈庵の人間じゃないか! なんで空を飛んでるんだ? ていうか、その姿カッコいいな!」
「ふふん、修行して飛べるようになったんだよ! チルノちゃんたちも遊んでるの?」
「あたいは最強だからな! 湖の氷で遊んでたんだ! 一緒に勝負するか!?」
「ごめんねチルノちゃん、今日は阿求と予定があるからまた今度ね!」
無邪気に手を振るチルノたちをあとにし、小鈴と阿求は湖の奥へと進んでいく。
霧の向こう側に、重厚で巨大な洋館のシルエットが浮かび上がってきた。
「あれが紅魔館……話にはよく聞くけど実際見てみると大きいわね……」
「だね。私も来るのは初めてだけどお互い面識がある人がいるし何とかなるでしょ」
門の前で着地し周囲を見回すと、緑色の帽子をかぶった中華風の衣装の女性――紅美鈴が、心地よさそうに船をこいで眠っていた。
「……すやすや眠ってるわね。話に聞く妖怪の門番かしら?」
「たしか美鈴さんだったかな? 美鈴さーん!」
小鈴が声をかけると、美鈴は「はっ!」と跳び起き、慌てて帽子を正した。
「ハッ! 居眠りなんてしていません! ……って、あれ? 稗田のお嬢様と……鈴奈庵のところのお嬢さん?」
「こんにちは、美鈴さん! この姿だとわかりづらいですよね!」
そう言うと小鈴は妖魔本を閉じ、元の姿に戻っていく。
「なるほど、それが話に聞く姿ですか。ちなみに今日はどういったご用件ですか?」
「色んな場所に観光に行っている途中で寄ってみた感じです。一緒に色んな所を見て回ろうと思ってます!」
「そういえばだれに話を聞いたんですか?」
「魔理沙さんが言ってましたよ。『今日の宴会で小鈴がやりたいことがあるから協力してくれ』って。我々紅魔館のメンバーは協力しますんで頑張ってください!」
「ありがとうございます! それじゃ私たちはまたほかのところに行きます! 何かおすすめってありますか?」
「そうですね……妖精たちの話だと今の魔法の森は瘴気がほとんどなく過ごしやすいって言ってましたね。それではお気を付けて!」
美鈴にお礼を言い、小鈴は再度妖魔本を開き、阿求とともに次なる場所を目指していった。
「そういえば、その妖魔本に名前はあるの?」
「うーん……内緒!」
「内緒って何よ! 教えてくれてもいいじゃない!」
「内緒ったら内緒なの! それより次どこ行きたい?」
「それじゃさっき美鈴さんも言ってたし魔法の森に行ってみる?」
「瘴気が少ないって言ってたしね!きつかったらすぐに出るから教えてね!」
そうして二人は魔法の森へ向かい、内部へと進んでいく。
「どう? 大丈夫?」
「大丈夫。それに魔法の森に来る機会なんて今までなかったし、しっかり見ていかないとね」
「了解! それじゃ行こう!」
上空を飛んでいるおかげか、瘴気が薄いおかげか、阿求でも難なく過ごすことができていた。
それからの時間は、阿求にとって夢のような冒険の連続だった。
魔法の森で怪しげなキノコに目を丸くし、香霖堂では珍品を眺めながら店主とひとしきり談笑する。
そこから足を伸ばし、玄武の沢の清流、無縁塚の静廉な空気、太陽の畑一面に咲き誇るひまわり
――そして果てには、雲を突き抜けた先に突如として姿を現した、空に浮かぶ輝針城まで。
書物や記憶の中にしかなかった幻想郷の姿が、鮮やかな色彩と心地よい風の匂い伴って、阿求の目の前に広がり更新されていく。
あまりの驚きと感動の連続に、二人とも興奮が常に収まらなかった。
「いやー、まさか空に浮かぶ城があるなんて思わなかったよ! ね、阿求」
「そうだね。小鈴のおかげだよ!」
「ほんとはもっといろんな場所に行ってみたかったんだけどね……まだまだ行けてないところも多いし異界にも行ってみたかったなー」
「その時は今日みたいに私も連れてってね」
「もちろん!」
お互い確かな満足感を抱いていると、いつしか日が沈み始め、きれいな夕暮れが広がっていた。
「きれいだね」
「だね」
「すごいな……。こんな世界が、人里の外には広がっていたんだね」
風を切りながら広がる景色を見つめ、阿求がポツリと呟いた。その声はどこか遠く、少し寂しげだった。
「阿求……?」
「ねぇ、小鈴。稗田の阿求としての私の記憶はね、幻想郷の歴史を残すためのものなの。でも……私の命は、他の人間よりもずっと短い。九代目の私という存在が消えて、次の生まれ変わりを迎えるまでの間、私はどれだけのものを残せるのかなって……時々、すごく不安になるの」
阿求は自分の小さく華奢な手をぎゅっと握り締める。
「私がいなくなっても歴史は続く。でも、こうやって小鈴と一緒に笑って空を飛んだこの時間の感覚や気持ちは、次の私にちゃんと引き継がれるのかな……って」
宿命を背負う親友の思いに、小鈴は一瞬言葉を詰まらせた。だがすぐに、妖魔本を握り直して前を向き、力強く笑ってみせた。
「大丈夫だよ、阿求!」
「え……?」
「阿求が歴史を記憶して残してくれるなら、私は阿求のその想いを新しい『物語』にして残すよ! 記憶が消えちゃいそうになっても、私が何度でも思い出させてあげる! だから、いなくなる未来の心配なんてしないで、今は私と一緒に今の幻想郷を思いっきり楽しもうよ!」
小鈴のどこまでも真っ直ぐで温かい言葉に、阿求は目を見開き――やがて、肩の力を抜いてふっと柔らかく微笑んだ。
「……ふふ、小鈴には敵わないね。そうだね……今は、この景色をしっかり胸に焼き付けることにするよ」
そんな美しい光景を眺めながら、宴会に参加するため博麗神社へと向かっていく。
「そういえば行く先々で言われてたけど、今日の宴会で何企んでるの?」
「あ、あぁそれね……私もびっくりしたよ。最初は魔理沙さんとだけの作戦のつもりだったんだけど気づけば話が大きくなっててさ」
阿求の問いに、小鈴は言葉を濁した。
「作戦? それって何なのさ?」
「うーん……さっきの答え、かな」
「え? さっきの……?」
小鈴は照れくさそうにえへへと笑いながら、神社の方を指さした。
「阿求が『私たちがここに生きて、一緒に笑った時間』を忘れないための……とびきりの大仕掛け! 阿求への答えは、今日の宴会で直接見せてあげるよ!」
「もう、もったいぶっちゃって。……でも、楽しみにしてるね」
そんな問答をしているうちに、博麗神社が見えてきた。
「見えてきたね!」
「だね。満開の桜がきれいだ」
美しい景色に見とれながらも、境内の中央に着地する。
そしてすぐさま異変に気づいた。
「ねぇ博麗神社ってこんな荒れてる感じだっけ?」
阿求が周囲を確認すると、何人もの人や妖怪が倒れているのに気づく。
「め、美鈴さん!? 文さん!?それ以外にもなんでみんな倒れてるの!?」
阿求はその惨状に驚愕した。
「ね、ねぇ小鈴!? これどう言うこと? って、いつまでその姿でいるの?」
阿求に詰め寄られる小鈴だったが、妖魔本を開いたまま鳥居のほうを見つめていた。
(ちょうど霊夢さんと魔理沙さんも戻ってきた! 阿求には悪いけど……霊夢さんを本気にさせるためだ! さぁ頑張るぞ!)
「ねぇ阿求」
「な、なに……小鈴?」
小鈴は困惑している阿求をいきなり突き放す。
「お願い。死んで!」
神々の宿る境内で、阿求に向かって弾幕を放った。
「えっ……」
突如起こった事態に阿求は理解が追いつかず、迫りくる弾幕を茫然と見つめることしかできなかった。
しかし、それが阿求の元に届くことはなかった。
「大丈夫か! 阿求!?」
「ま、魔理沙さん! ありがとうございます!」
「これどういうこと? なんで小鈴ちゃんまたあの姿になってるの? なんで宴会に来たみんなが倒れてるの?」
「霊夢さん! わからないです……いきなり暴走し始めて……」
状況が掴めない霊夢たちの前で、小鈴は芝居がかった声で語り始める。
「私、思ったんです。この幻想郷のパワーバランスはやっぱりおかしい。それを正さないといけないって。ここにいる邪魔者は全員倒しました。あとは霊夢さんと魔理沙さんだけです!」
小鈴はそう叫ぶと激しい弾幕を繰り出してきた。霊夢と魔理沙はそれを難なくかわしていく。
「小鈴ちゃん! 正気に戻って!」
霊夢の必死の呼びかけにも耳を貸さないフリをして、小鈴は弾幕を放ち続ける。
「クッソ……やるしかないのか」
「霊夢! 小鈴は任せた! 私は阿求や倒れてる奴らを安全な場所まで避難させる!」
「ま、魔理沙さん、小鈴の発言におかしいところが……」
阿求は混乱する頭の中で、小鈴の発言に気になる点があったことを魔理沙に伝えようとする。
「安心しな、阿求。あとで話すからちょっと我慢してくれ」
「それってどういう?」
魔理沙は小鈴にこっそりウインクして飛び去っていった。
小鈴はそれを見送り、内心ニヤリとしながら上空へと飛んでいく。
月明かり照らす博麗神社の上空で、小鈴と霊夢は対峙する。
「さぁ、霊夢さん! あなたを倒せばこの幻想郷を統べるのもあとわずか!」
「そんなこと私がさせないわ! また正気に戻して見せる!」
そうして、白熱した勝負が始まろうとしていた。
そんな上空の様子を、地上から呑気に眺める面々がいた。
「ふぅ、目的達成だな。さてあとは頑張ってくれよ」
「ちょっと魔理沙さん!? これってどういうことなんですか?」
「まぁそんな慌てるな阿求。一杯飲むか?」
「……これって魔理沙さんが仕組んだ状況でいいってことですか?さっきの小鈴の発言とかは私を巻き込んで信憑性を上げるための行動だったと?」
「さすがに鋭いな。あぁこれは私や小鈴、それに周りの奴らに協力してもらって仕組んだ大仕掛けだ。小鈴は正常だから安心してもらっていいぜ。おーい! 目的は達成できた! みんなありがとな!」
魔理沙の声とともに、倒れていた面々はむくっと元気に起き上がり、何事もなかったかのように騒ぎ始めた。
「そういうことでしたか。さっきの小鈴の発言も『ここにいるのは全員倒した』ってありもしないこと言ってて変でしたし、状況が確認できて安心しました」
「まぁそういうこった。さあここからは霊夢と小鈴による最高の見世物が始まるぜ! 宴会と行こう!」
どこからか料理やお酒がどんどん出され、盛り上がる宴会が始まっていく。
「あら魔理沙。この私を利用してお礼は無いのかしら?」
「あぁレミリアか。助かったよ。お礼は上空で行われてる最高の弾幕ごっこだ」
「……まぁいいでしょう。きれいな桜に愉快な宴会、そして面白そうな見世物。楽しい夜になりそうね」
その後も魔理沙の元には、協力した面々があいさつに訪れていた。
阿求もそんな状況を微笑ましく見守りながら、夜空を自由に舞う親友の姿をその目に焼き付け、心の中で深く応援するのだった。
◇
月明かりと満開の桜に照らされた博麗神社の上空。
澄み渡る夜気の中、小鈴と霊夢は一定の距離を保って対峙していた。
「容赦はしないわよ小鈴ちゃん! その妖魔本を奪って正気に戻す!」
霊夢は懐からお札を取り出し、鋭い眼光で小鈴を睨みつける。
鋭い眼光から感じるプレッシャーを受け止めながらも、小鈴は内心で微笑む。
(凄い! 魔理沙さんが想定した通りになってる)
そう思いながら魔理沙との会話や特訓を思い出す。
『つまり私がまた妖魔本に乗っ取られたように動いて戦うってことですか?』
『そういうことだ。ほかにも協力者を募ってそれらしい状況にするからうまくいくだろう』
『ありがとうございます! あとは私が霊夢さんとうまく戦えるかですね』
『そこは私との特訓でどこまで行けるかだな。後、霊夢は多分、妖魔本を奪うように動く。そこにつけ入る隙があるはずだぜ』
『ってことは妖魔本を奪わせないように立ち回ればいいんですね! 頑張ります!』
そんなやり取りを思い出しながら、霊夢から放たれるお札や針をかわしていく。
魔理沙との特訓を経た今、これくらいは容易に対処できるようになっていた。
「そんな攻撃じゃ私は倒せませんよ! スペルカードを使わないなら私から行きますよ! 妖符『百鬼夜行の残り香』」
巻物から溢れ出した魔力が、無数の妖怪の影絵のような弾幕へと姿を変え、霊夢を包み込むように広がっていく。
「へぇ、面白い弾幕じゃない! でもね――」
霊夢は優雅に舞うように空を駆け、小鈴の弾幕を最小限の動きで避け、時には針で迎撃していく。
そして小鈴へ距離を詰め、妖魔本を奪おうと立ち回る。
しかし小鈴も魔理沙との対策を活かし、華麗に捌いて距離を縮めさせない。
「やけに手慣れた動きね」
「もっと本気で攻撃しないと私は止められませんよ! 来ないならどんどん行きますよ! 読符『九字切の解読文』」
今度は小鈴の周りに九つの文字が浮かび上がり、格子状のレーザーを発する。
「今度はレーザーね! ただ、まだまだ甘いわね!」
霊夢にはそんなレーザーも当たらず、華麗によけられ、撃ち落とされていく。
(すごいなぁ霊夢さんは……でもまだまだこれからだ!)
「どうした? もう終わり?」
霊夢はさらに飛ぶ速度を上げ、強引に距離を詰めようとしてくる。
「いえ、まだまだこれからです! 本符『アガサの夜煙』」
新たなスペルカードを使った瞬間、霊夢の周りが濃い霧で包まれ、全方位から光弾が迫る。だが、よく観察すれば一箇所だけ抜け道が存在していた。
「アガサ? 抜ける方向を探す謎解きってわけ? それにしても、やけに動きが手慣れてるのよね……これは無傷で奪うのは無理か……」
霊夢は霧の中で弾幕を回避しながら腹を括る。
推進力を増した光弾を幾度もしのぎ切ると、やがて霧が晴れていった。
「耐久系ってわけ?」
「これも難なくよけるなんてやっぱりすごいですね! でも攻めてこないと私は倒せませんよ!」
「えぇ、だから決めた! もう容赦はしない! 夢符『封魔陣』!」
その瞬間、小鈴の周りをお札の結界が包み込んでいく。
(囲まれた! でもこれも魔理沙さんと特訓したから行ける!)
小鈴は身体に染みついた回避行動で絶妙にかわしていく。
(凄い! 全部見えるみたいによけられる! 命蓮寺での特訓や魔理沙さんとの対策が生きてる! 楽しい!)
今の小鈴は完全にこの弾幕ごっこを楽しんでいた。
思わず笑みがこぼれる表情を隠そうともせず、完璧に回避し切る。
「まだまだ! そんなんじゃ当たりませんよ! 今度はこっちの番です! 思符『幻想郷縁起・私家編』」
今度は空一面が色鮮やかな文字と物語の光で埋め尽され、美しく幻想郷の夜空を彩る大弾幕が放たれる。
その光景に思わず霊夢も一瞬見とれる。
油断があったわけではないが、霊夢の中に『実は小鈴は乗っ取られていないのでは』という直感が働き始めていた。
(でもそれならこの力とあの姿は何? ってか魔理沙は今どうしてるんだ?)
霊夢は魔理沙の行動を確認しようと地上を見下ろし、驚愕の声を上げた。
「って、何してんだー!?」
視線の先では、飲めや歌えの大宴会が行われており、魔理沙も楽しそうにこちらを見上げながら酒を煽っていた。
そんな光景に一瞬意識を持っていかれたのが災いした。
眼前に迫る弾幕への反応が遅れ、直撃を受けた霊夢が光に包まれていく。
「やったー!」
小鈴は油断なく視線を送りつつも、思わずガッツポーズを決める。
だが、その光が強引に払われるように晴れると、そこには傷を負いつつも陰陽玉を展開した霊夢の姿があった。
「それが陰陽玉……本気ってわけですね」
小鈴はなんとか平静を装い、演技を続けようとする。
「あー……小鈴ちゃん、本当は正気でしょ?」
「そ、そんなことないんだぜ! 私はこの幻想郷のパワーバランスを正すために支配するのじゃ!」
「……いや、口調おかしくなってるよ……それに下を見てみな」
言われて小鈴は思わず素直に下を向く。
その先では、倒れていたはずの面々が楽しそうに杯を交わしていた。
もはや取り繕うのも無駄だった。
「……まぁ、もう演技する必要もないですね! えぇ、私は最初から正気でしたよ!」
「はぁ、鈴がついている時点で気づけなかった私が悪いか……とりあえず色々聞きたいことはあるんだけど、教えてって言ったら素直に教えてくれるわけ?」
「ふふん! そんなの、こう言うに決まってるじゃないですか! 知りたかったら私に勝ってから聞いてください! さぁ手加減は無用です! 本気で来てください!」
「もちろんそのつもりよ! ケガしても文句言わないでよね! 夢符『二重結界』!」
その言葉とともに、小鈴は二重の結界に囲まれていく。
まるで弾がワープするかのように襲いかかるが、小鈴はそれすらも回避していく。
(確かこれは弾がワープしたように見えるけど実際はまっすぐ飛んでいて、視界だけに頼らずによけろって魔理沙さんが言ってた。特訓の成果が出てる!)
二重結界に囲まれているのを感じさせないその動きは、霊夢から見ても実に見事なものだった。
「初見でそんな簡単によけられるものじゃないんだけどね! それならこれはどう! 神技『八方龍殺陣』!」
今度はお札で動きを制限し、退路を塞いだところへ正確に狙いを定めた弾幕が撃ち込まれる。
(これも魔理沙さんと特訓した! お札は絶対によけつつ、ほかの弾幕にも気を配って無理なら打ち落とす!)
今の小鈴はテンションも集中力も最高潮に達しており、特訓以上の動きを見せていた。
当たりそうで当たらない絶妙な回避を繰り返し、どうしても回避不能なものは即座に身代わりを作り出して切り抜ける。
(凄い! 特訓の時でもこんなによけられなかったのに、今は全部が見えるみたい! 私の全力をぶつけたい!)
そうして僅かな隙を見つけ、一気にさらに上空へと逃れる。
「マジか……ここまでよけられるの?」
「いっぱい特訓しましたから! 私も全力で行きます! 霊夢さん! 受け止めてください! 鈴符『九十九の記憶と百の物語』」
小鈴が新たなスペルカードを唱えた瞬間、手元の妖魔本が強く光り輝く。
その眩しさに霊夢は一瞬目を細めた。
そして目を開けた先に見えた光景に、息を呑む。
「な……これは!?」
無数の本が舞い散り、空中にまるで幻想的な書庫のような空間を作り出していた。
その中心で、小鈴は物語を紡ぐように言葉を紡ぐ。
「序章、紡がれる記憶と憧れる思い」
その瞬間、小鈴と阿求の姿を模した影絵が出現し、弾幕を放ってくる。
しかし放たれる弾幕はどこか拙く乱雑で、回避も容易なものだった。霊夢はお札を放つが、宙を舞う本に阻まれて小鈴まで届かない。
「中章、新たな出会いと広がる世界」
小鈴の言葉とともに、宙を舞う本が一斉にページをめくる音を奏でた。
先ほどまでの拙い弾幕から一変し、文字が墨のラインを描いて広がり、格子状の陣を空中に作り出していく。
「くっ……! さっきとは打って変わって、しっかりした弾幕じゃないの!」
霊夢は飛来する本や文字の弾幕を回避しながら、小鈴へ向かって距離を詰める。
小鈴の背後には、鈴奈庵での日常、阿求との日々、数々の事件を経て成長していく彼女自身の記憶が、影絵となって活き活きと躍動していた。阿求から授かった知識、仲間たちと交わした言葉が、鮮やかな朱色や緑色の光弾となって霊夢の退路を塞いでいく。
霊夢は御札を構え、強引に弾幕を打ち払う。
「成長したのは認めてあげるわ! でも、本の知識だけじゃ私には勝てないわよ!」
霊夢の放った陰陽玉が、小鈴の防壁となっていた本を撃ち砕き、一気にその懐へと飛び込む。
そんな迫りくる霊夢を眺めながら、小鈴は手に握りしめた本を強く抱きしめ、脳裏に浮かぶ阿求の静かな笑顔を思い起こす。
――『小鈴。私の記憶は、過去を記録するためのものです。ですが……貴方と過ごす時間は、私にとって初めて“未来が楽しみになる記憶”なのです』――
阿求が長きにわたる宿命の中で抱えてきた重い記憶。それをただの歴史で終わらせない。
新しい言葉を吹き込み、未来へ繋ぐ物語にする。それが、本を愛する小鈴の『思い』だった。
「憧れてるだけじゃない……! 阿求が残してくれた記憶と一緒に、私は新しい物語を紡ぐんだから……ッ!」
小鈴の言葉に呼応するように、手元の妖魔本と懐に秘めた文が、これまでにない眩い閃光を放った。
空中を満たしていた無数の本が弾け飛び、夜空全体が巨大な「和綴じの縁起」と「妖魔本」の幻影へと変貌する。
「終章、築かれる物語!」
その叫びとともに、世界が一瞬で塗り替えられた。
阿求の記憶を象徴する漆黒の墨、小鈴の情熱を象徴する金文字、そして爛漫たる桜の花弁に乗せられた弾幕が、鈴の清らかな音色と共に押し寄せる。
「なっ……何なのこの密度は……!?」
あまりの圧巻の光景に、あの霊夢すらも思わず息を呑む。
美しい文字と金の光粒子が、果てしない螺旋を描いて空を埋め尽くしていく。
墨のラインが幾重にも交差して美しい絵巻物のような陣を描き出し、そこへ無数の桜の花弁が嵐のように降り注ぐ。
それは単なる攻撃ではない。
積み重ねられた歴史と、今を全力で生きる少女の憧れが織りなす、圧巻の物語そのものだった。
幾重にも重ねられた圧倒的な光の渦が、霊夢を包み込んでいく。
「これが……小鈴の全力……! ならば私も全力で受ける! 霊符『夢想封印』!」
霊夢もまた、その情熱と絆の重みを受け止めるように、全霊でスペルカードを展開する。
両者の光が激しく交差し、夜空を眩しく染め上げた。
そして光が弾け、静寂が訪れる。
激しい弾幕はすべて空へと溶けて消え、二人は月明かりに照らされる。
「これも受けきるなんて……流石霊夢さんですね!」
「さすがにひやりとしたけどね……物語はこれで終わり?」
「いえ! まだです! 物語は終わらない! 私たちの未来へ、ページはまだ紡がれていくんです!」
小鈴の力強い叫びと共に、手元の妖魔本が太陽の如きまばゆい光を放ち始めた。
「新章――芽吹く未来と、巡るページ!」
その瞬間、空中に浮かび上がった小鈴と阿求の影絵が、ふわりと微笑み合いながら未来へと歩み出す姿に変化する。それは来るべき年月を重ねた、二人の確かな成長の予感そのものだった。
「いいわ! ならその未来、私にとことん見せてみなさい! 霊符……!」
霊夢はその眩い光景に目を細めつつも、最高峰の弾幕を繰り出そうと構えた――その時。
小鈴の妖魔本がパタリと音を立て、激しく明滅したかと思うと、急激にすべての光を失っていった。膨大な魔力を支えていた糸がプツリと切れるように、小鈴の変身した朱色の着物がほどけ、いつもの見慣れた姿へと戻っていく。
チリン……と、今や静まり返った夜空に、鈴の清らかな余韻だけが小さく響いた。
「あっ……れ……?」
ピタリと止まった魔力の浮遊感。限界を迎えた身体から力が抜け、小鈴は重力に引かれるように、満開の桜へと向かってまっさかさまに落下し始めた。
「っとに、無茶ばっかり……!」
霊夢は舌打ち混じりに苦笑を浮かべ、弾幕を消し去ると、風を切って急降下する。そして地面に激突する寸前、落ちてくる小鈴をふわりと優しくお姫様抱するように受け止めた。
夜風に揺れる桜吹雪の中、霊夢の腕の中でぐったりと目を閉じる小鈴。その顔には、全力を出し切った満足感からか、どこか穏やかな笑みさえ浮かんでいた。
霊夢はその寝顔をひと目見てから、小さく息をつく。
「……まったく。本当に、大した本屋の看板娘ね」
呆れと、隠しきれない温かい慈しみを込めてそう呟くと、霊夢は静かに地上へと舞い降りるのだった。
「小鈴は大丈夫ですか!?」
舞い降りた霊夢のもとへ、阿求がすぐさま駆け寄ってくる。
「えぇ、大丈夫よ。多分力を使いすぎて気絶してるだけだから、そのうち目を覚ますわ」
「それなら……よかった……」
安堵の息を漏らす阿求の横で、境内の宴はますます賑わいを増していった。
◇
その後は波乱だった。
「いい加減にしなさいよあんたたちーーッ! 人里の人間を巻き込んで、挙げ句の果てに私を謀るなんて良い度胸じゃないの!」
神社の境内に、霊夢の怒声が木霊した。
額に青筋を浮かべ、お札手に拳を震わせる霊夢に対し、魔理沙は冷や汗をダラダラと流しながら手を開いてなだめている。
「ま、待て待て霊夢! 落ち着けって! 確かにちょっとした悪ノリはあったが、小鈴の修行の成果を見せるにはこれが一番手っ取り早かったんだって! ほら、怪我人も出てないし、結果オーライだろ?」
「どこが結果オーライよ! ここにいる全員倒れたフリして演技に協力してたなんて……どんだけ大掛かりな茶番演じてんのよ! 神社が荒れるじゃないの!」
「まあそう怒るな霊夢殿。小鈴の嬢ちゃんの真剣な熱意に免じて許してやっておくれ。お陰で今夜の酒は一段と美味いぞ」
呑気に瓢箪から酒を煽る萃香や、クスクスと笑うレミリアたち、そのほかにも皆興奮して愉快に宴会をしている姿に、霊夢は大きな溜息を吐き、ガシガシと頭を掻きむしった。
「はあ……どいつもこいつも勝手なんだから。……でもまあ、あの子のあの動き、本気で特訓してきたのは伝わったわよ。無茶ばっかりして、本当に誰に似たんだか……」
霊夢はちらりと、阿求の隣で静かに息を整え始めた小鈴へと視線を向けた。その瞳には呆れ半分、そしてどこか誇らしげな温かさが宿っていた。
そんな中、小鈴がゆっくりと目を覚ます。
「うーん……確か霊夢さんと戦ってて、すごく楽しくて……えっと……最後どうなったんだっけ?」
頭がもうろうとする中、周りを見渡してみると、すぐそばで阿求が心配そうにこちらを見ていた。
「力を使いすぎて最後は気絶してたのよ。もう心配させないでよね!」
「そうだったんだ。心配かけてごめん! つい、楽しくなっちゃって」
「はぁ、次は気を付けてね。でも……綺麗でしたよ、小鈴」
「でしょ! 昼間に阿求が言ってたでしょ? 記憶が消えちゃいそうになっても何度でも思い出させてあげるって。あれを形にした、私と阿求の物語なんだから!」
「……ふふ、本当に有言実行しちゃうんだから」
阿求は少し呆れたように、でも心底嬉しそうに目元を緩ませる。けれど、ふと夜空に舞う桜に視線を落とし、ぽつりと呟いた。
「物語か……私の短い命の中で、あとどれだけ作れるかな……」
「もう! そんなしんみりするようなこと言わないの! 私たちの物語は、ここで終わりじゃないんだから!」
そんなどこまでもまっすぐな小鈴の言葉に、阿求も笑みをこぼす。
「……そうだね。小鈴がそうやって新しい物語にして残してくれるなら、私も残り精一杯あがいて、たくさんの思い出を記憶しなくちゃね」
そうして二人は肩を並べて寄り添っていった。
「そういえばさ、昼間には教えてくれなかったけど、その妖魔本の名前はなんなの?」
「これはね『鈴奈庵異聞録』! 私と阿求の物語を紡いでいく本だよ!」
そう言うと小鈴は阿求に向かって弾けるような笑顔を向け、妖魔本をポンと叩いた。
「次の章も、その先も、ずっと一緒に作っていこうね! 阿求!」
「もちろん!」
二人は笑顔に包まれ、月明かりも夜桜もそれを祝福しているかのようだった。
二人の温かなやり取りを、少し離れた場所で見守っていた霊夢が、腕を組みながら歩み寄ってくる。
「ふん、良い雰囲気を邪魔するようで悪いけど……小鈴ちゃん、ちょっといいかしら?」
「ひっ……! れ、霊夢さん……!」
鬼の形相をしている霊夢に詰め寄られ、小鈴は思わず阿求の背中に隠れるように身を縮めた。
「今回の件、怪我がないから良かったものの、一歩間違えれば大騒動よ。魔理沙に乗せられたとはいえ、博麗の巫女を担ぎ上げた罪は重いわね?」
「ご、ごめんなさい……! だって、普通に頼んでも霊夢さん本気で戦ってくれなさそうだったから……」
縮こまる小鈴に対し、霊夢はふっと表情を緩め、頭へポンと優しく手を置いた。
「……でも、見事な弾幕だったわ。あんな綺麗な本模様の弾幕、あんたにしか描けないわね。あんな面白い勝負ができたんだから、今回のところは特大の賽銭……じゃなくて、免じて許してあげる」
「本当ですか!? ありがとうございます、霊夢さん!」
パッと顔を輝かせる小鈴に、魔理沙が「ほらな、言っただろ?」とニシシと笑いながら肩を組む。
「さあさあ! お説教も終わったことだし、宴会の仕切り直しだぜ! 今夜は小鈴のデビューを祝って、朝まで飲むぞー!」
「おー!」と歓声を上げる妖怪や人間たち。
盃が交わされ、賑やかな笑い声と桜吹雪が博麗神社の夜をどこまでも満たしていくのだった。
◇
季節は巡り、満開だった桜は青々とした葉桜へと姿を変え、初夏の爽やかな風が人里を吹き抜ける頃。
鈴奈庵の店内には、今日も平和で穏やかな時間が流れていた。
「いらっしゃいませー」
カランコロンと店の鈴が鳴り、入ってきたのはいつもの羽織姿の少女――阿求だった。
「小鈴、借りていた本を返しに来たよ。……それと、これ」
阿求が手渡したのは、丁寧に和紙で製本された一冊の新しい冊子だった。表紙には、綺麗な筆文字で題名が記されている。
「これって……『鈴奈庵異聞録・外伝』……?」
小鈴が目を丸くして表紙を撫でると、阿求は少し照れくさそうに微笑んだ。
「はい。稗田の歴史には載せられないけれど……私と小鈴が空を飛んで見に行ってきた、あの日の幻想郷の景色と、最高の弾幕ごっこの記録。私個人の『日記』として書き残しておいたの」
ページをめくると、繊細な文章とともに、上空から見下ろした妖怪の山や霧の湖、そして夜空に広がった美しい本と桜の弾幕の情景が鮮やかに描かれていた。
「阿求……! 嬉しい……! これ、宝物にするね!」
小鈴が嬉しさのあまり本を抱きしめると、阿求は店内から見える青空を見上げながら、柔らかく語りかけた。
「次はどこへ行きましょうか。今度は輝針城の近くまで行ってみたいわ。それとも、もっと遠くへ……」
「うん! どこへでも一緒に行こう! 私の『鈴奈庵異聞録』に、もっともっとたくさんの物語を書き込んでいこうね!」
小鈴は嬉しそうに胸を張り、大事そうに懐の妖魔本に手を当てた。
人里の小さな貸本屋から広がる世界は、どこまでも青く、どこまでも続いていく。
二人の紡ぐ新しい物語のページは、まだ始まったばかりなのだから。
本居小鈴は今日も客のいない鈴奈庵の店内で、ぽつりと溜息交じりに呟いた。
最近、人里の周囲では何やら異変が起きているらしく、霊夢や魔理沙をはじめとする者たちがせわしなく駆け回っているのが見えた。そんな彼女たちの姿を目にするたび、小鈴は密かに胸を躍らせ、強い憧れを抱いていたのだ。
「あの本があればなぁ……どこまでも行けるのに……そしたら阿求とも……」
独り言をこぼしながらも、彼女は精巧に隠された秘密の棚から新たな本を取り出していく。
そうして怪しげな妖魔本に目を通していると、カランコロンと店の扉が開く軽やかな音が響いた。
「いらっしゃいま……あっ!」
「ふぉっふぉっふぉ、店の中でそんな大声を出すものではないぞ?」
見間違うはずもない。人間の姿に化けてはいるが、独特の存在感を放つ妖怪、二ッ岩マミゾウだった。
「今はほかに客がいないからいいんです! それより何の用ですか?」
「本屋に来るのは本を借りに来るときだけに決まっておろう。儂も色々と忙しくてな、ようやく落ち着いたから借りに来たというわけだ。やっておるんじゃろ、妖魔本の貸し出しを」
「確かに貸し出しはしてますけど、それは私の目で見定めた人にしか貸さないって決めてるんです! マミゾウさんには貸しません!」
憤りを込めた声とともに、小鈴はぷいっとそっぽを向いてしまった。
「儂とおぬしの仲ではないか。少し固いことを言わんでもよかろう?」
「だってマミゾウさん、私の『私家版百鬼夜行絵巻最終章補遺』を持って行ったっきりじゃないですか! 返してくださいよ!」
「おぬし、あれで一回痛い目を見ておるじゃろ……。それに返したとして、何に使うつもりなんじゃ?」
「私だって、霊夢さんたちみたいに弾幕ごっこをしてみたいんですよ! それに……それ以上に、親友と一緒にこの幻想郷を自由に見て回りたいんです!」
その言葉には明確な意思が込められていた。
かつて妖怪化しかけたあの禁忌のことなど、すっかり頭から抜け落ちているかのようだ。
「あのなぁ……。人間が妖怪になるのは、この幻想郷でも一番の禁忌と言ってもいいのじゃ。そんな真似をしてみろ、今度こそ本気で博麗の巫女に退治されるぞ」
いつもの飄々とした雰囲気は影を潜め、マミゾウの言葉には真剣に小鈴の身を案じる重みが宿っていた。
だが、そんな助言を受けながらも、小鈴は無邪気に言葉を続ける。
「それは研究して何とかする予定だったんです! 魔理沙さんだって人間だけど魔法使いですし、私もそんな感じになれたらなーって」
その言葉を受け、マミゾウは呆れ交じりに思考を巡らせる。
(なるほどな……確かに研究を続ければ、いつかは力を引き出し妖魔本を駆使して戦うことができるようになるやもしれん。じゃがそれより先に、妖怪化してしまう可能性のほうが遥かに高いじゃろう……)
それはマミゾウにとっても都合が悪いことだった。鈴奈庵という便利な店を失いたくはなかったし、何よりここで放っておいて「お前のせいだ」などと巫女に怒られても面倒だったからだ。
「それならば、今夜ここに来るといいじゃろう」
マミゾウはそう言うと、小鈴の手元にすっと何かを差し出した。
「夜? それに『ここ』って……?」
手渡されたものに視線を落とし、再び顔を上げたときには、すでにマミゾウの姿は消えていた。
残されたのは一枚のチラシと、一枚の木の葉だけだった。
「これって……鯢呑亭のチラシよね? まぁ、人里の中だし大丈夫かな……」
小鈴はそわそわと胸を躍らせながら、夜が来るのを待つのだった。
◇
子の刻。
人里はすっかり静まり返り、美しい紅葉も見えないほど暗い夜道を、小鈴は少し腰を引けさせながら進んでいた。月明かりのほかに灯りもない静寂が漂う。
「うぅ……暗い。親にも黙って来ちゃったけど、こんな時間にやってるのかな?」
不安になりながらも足を進めていくと、やがて前方にあたたかな明かりが見えてきた。
「あれ? こんな時間でも明かりがついてる……明日の仕込みかな?」
そのとき、鯢呑亭の中へ誰かが入っていく姿が視界に入る。
「あれは……マミゾウさん!?」
見間違えるはずがない。あの大きな尻尾と特徴的な姿は間違いなくマミゾウだった。小鈴は思わず駆け出していく。
その頃、鯢呑亭の中では――
「ふぅ、夜は冷えるのう。それにしても悪いのう、美宵ちゃん」
「構いませんよ。それに萃香さんも来ましたからね!」
美宵の視線の先では、伊吹萃香がすでにお酒を酌み交わし、ご機嫌で盛り上がっていた。
「今日は臨時で開いてもらったというのに、よくおるのう」
「私にかかればこんな酒の匂い、すぐ気づくさ。しかしお前、急に美宵に頼んで店を開いてもらうなんて何を企んでるんだ?」
(まずいのう……こやつに知られれば確実に面倒なことになるじゃろう……)
マミゾウが冷や汗をかいていると、萃香はニヤリと笑って店の奥を指さした。
「どうした、そんな考え込んだ顔をして。……この嬢ちゃんが関係あるのかな?」
萃香の指さす先には、ミニ萃香に連れてこられ、力なくぐったりとしている小鈴の姿があった。
「おや? そちらの方は鈴奈庵のお嬢さんでは?」
「だな。店の外で何やらコソコソしてたから、ちょっと手荒だが連れ込ませてもらったよ。さて、これはどういうことかな?」
「はぁ……正直に話すから、まずは離してやってくれんかの。気絶してしまっておるではないか」
見れば、小鈴はあまりの恐怖に驚いたのか、完全に目を回して気絶していた。
マミゾウはため息をつきながら小鈴を奥の席で寝かせ、本題に入った。
「っで? どういうことなんだ?」
「そこの嬢ちゃんが自分も弾幕ごっことかをしたいとのことでな。前も妖怪になりかけたし、また変なことになっても嫌での。嬢ちゃんのためを思って、美宵ちゃんに記憶を消してもらおうと思ったのじゃ」
「……なるほど、こいつの為ね。だがお前は人間の憧れってものをわかってないな」
「なんじゃと?」
「この嬢ちゃんの憧れは、積もりに積もったものだ。記憶を多少消したところで、また同じことを繰り返すだけだぞ」
「私もそう思います」と美宵も頷いた。「憧れという感情は突発的に芽生えることもありますが、本人の中で積み重なった強い思いと共に生まれてくるものです。記憶を少し消したところで、また同じように芽生えてしまうと思いますよ」
そんなやり取りの中、話題の本人がうっすらと目を覚ましていく。
「うーん……私は何を……確か鯢呑亭に向かってて……って、鬼ぃーー!?」
「こらこら、落ち着くんじゃ。また気絶するつもりか? 博麗神社の宴会で見かけたことがあるじゃろ」
マミゾウになだめられ、小鈴は呼吸を整えて冷静に周りを見渡した。
「た、確かに宴会で見かけたことがあります。えーと……萃香さん!」
「覚えていてくれてありがとな。それで? 弾幕ごっこに憧れてるんだって?」
「そうなんです! それで今夜ここに来るといいとマミゾウさんが言ってくれて」
その言葉とともに、全員の視線がマミゾウへと向けられる。
当の本人は、なんとも気まずそうな顔をして煙管をくわえていた。
「ふーん、狸の親玉にしては優しいねぇ。まっ、ここで会ったのも何かの縁だ。手伝ってやるよ」
「ほんとですか!? ありがとうございます!」
パッと顔を輝かせる小鈴の横で、マミゾウはダラダラと冷や汗を流していた。
(あやつが手伝うじゃと!? 鬼のことだから嘘は言ってないじゃろうが……面倒なのに恩を売られてしまったというわけか……)
マミゾウが嫌な予感を抱く中、ほかの3人は酒も手伝って盛り上がっていく。
「それで小鈴ちゃん、どうやって弾幕を出すとか考えてるの?」
「これを使おうと思っています!」
そう言って、小鈴は懐から巻物や本を取り出した。
「なるほど、妖魔本か。確かにこれなら力のない人間でも戦うことができるようになるが……こんな力の弱い本じゃ無理だろうな。もっと強力なのがあれば話は別だが、無いの?」
「前はあったんですけどね……マミゾウさんに持っていかれちゃいました……」
「それはひどいですね。返してあげたらいいんじゃないですか、マミゾウさん?」
美宵にジト目で見られ、マミゾウは言葉を濁す。
「そうは言ってもでのう……あれは危険すぎて、返すと小鈴が危ないんじゃ」
「だったら、お前のところの親玉から『魔人経巻』でも借りてくればいいじゃないか。あれだって似たようなもんだろうし、安全なんじゃないか?」
「いや、あれは呪われておって本人以外には扱えんのじゃ」
「ふーん。それならあんたがその懐にしまってる巻物でも出せばいいじゃないか」
「なっ……」
鋭く突かれ、マミゾウは隠し通すのは無理と悟り、渋々懐から巻物を取り出した。
「あっ! それは私の『私家版百鬼夜行絵巻最終章補遺』!」
「なるほど、こいつが噂の妖魔本か。返してあげればいいじゃないか」
「馬鹿を言うな。これを返してまた妖怪にでもなられたら儂の責任じゃし、そうなったら博麗の巫女に怒られてしまうわ」
言いながら、マミゾウはすぐさま巻物を懐へとしまい込む。
「ま、怒られるだけじゃ済まないだろうけどな。ただ、確かにあの巻物を使うのが手っ取り早いのは確かだ。……そうだ! お前も出入りしてるんだし、命蓮寺で修行でもさせりゃあ、うまくコントロールできるようになるんじゃないか?」
その言葉に、小鈴は目を輝かせた。
「命蓮寺! 修行! 楽しみです!」
「まて、儂はまだ連れていくとは言ってないぞ」
「まぁいいじゃないですか。ほら、お酒もサービスしますから」
美宵の援護射撃もあり、マミゾウは観念したように頭を掻いた。
「美宵ちゃんにそこまで言われて断っては、儂の器が狭いと思われるな……いいじゃろう。明日の昼にでも行くが、大丈夫かの?」
「大丈夫です! お店は親に任せますので! 修行楽しみだなー! それじゃあ今日は帰ります!」
「そうじゃな、念のため儂が送っていくとしようかの」
「ありがとうございます! 美宵さんと萃香さんも、ありがとうございました!」
「お構いなく! 今度また飲みに来てくださいね」
「お礼にお酒でも持ってきてくれたら嬉しいさ」
そうして二人は鯢呑亭を出ていった。
「しっかし、萃香さんが素直に手伝うなんて珍しいですね」
「遠慮がないな……まぁ、面白そうだったからさ。それに宴会の匂いを感じたんでね」
「結局飲みたいだけじゃないですか」
「結局そういうことさ! さぁ夜はまだまだこれからだ、飲むぞ〜!」
小鈴たちが去った後も、鯢呑亭の明かりはいつまでも消えることはなかった。
◇
翌日の昼、小鈴はマミゾウに連れられて命蓮寺へと来ていた。
「さて、これから聖……ここの住職に会わせるからな。根はいいやつだから、そんなに気張らず正直に話をするといい」
「はい、よろしくお願いします!」
案内され、二人は聖のいる部屋へと足を踏み入れた。
「入るぞい」
「マミゾウが客を連れてくるとは珍しいですね。……あら、あなたは確か鈴奈庵のお嬢さん」
「本居小鈴です! よろしくお願いいたします!」
「今日はどのようなご用件でしょう?」
聖が柔らかく尋ねると、マミゾウがため息混じりに前へ出た。
「いやなに、この嬢ちゃんがな、どうしても弾幕ごっこをしてみたいと言うてな。ここで修行させてもらえんかと思ってな」
「なるほど。しかしどのように戦うつもりですか?」
「これを使おうと思っています」
小鈴は持ってきた妖魔本を取り出す。
「妖魔本……ですか」
聖の表情から柔らかさが消え、少しだけ真剣な眼差しに変わる。小鈴は慌てて補足するように身を乗り出した。
「た、確かに妖魔本ですけど、私、ちゃんと勉強してコントロールしたいんです! 聖さんだって元は人間で、魔法を修得して強い力を手に入れたんですよね? だから私にも何か安全に力を使う方法がないか教わりたくて……!」
キラキラとした憧れの眼差しを向けられ、聖は一瞬困ったように眉を下げたが、すぐに優しく微笑んだ。
「憧れてくださるのは光栄ですが……小鈴さん、少し勘違いをされているようですね」
「えっ……? 勘違い、ですか?」
「はい。私が魔法を学んだのは、力を得て戦うためでも、誰かを倒すためでもありません。老いや死への恐怖……ただそれだけの理由でした。そもそも私は人間をやめています。それに、動機が『力への欲望』や『戦いへの好奇心』であるとき、妖魔本のような危険な器物は、持ち主の心をあっという間に呑み込んでしまいます」
聖は小鈴と目線を合わせるようにそっと腰を落とした。
「魔法や弾幕は、自分を誇示したり危険な遊びをするための道具ではありませんよ。……それに、以前あなた様は異変を起こしかけたとお聞きしています。それでも戦いたいのですか?」
静かだが芯のある聖の言葉に、小鈴はゴクリと唾を飲み込んだ。
「う……それは……。でも、霊夢さんや魔理沙さんみたいに、自分の力で幻想郷を駆け回ってみたくて……! 私だって、親友と一緒にもっと凄い景色を見てみたいんです」
小鈴の本音を聞いた聖は、怒るどころか愛おしそうに目を細めた。
「ふふ、なるほど。その『親友ともっと遠くへ行ってみたい』という純粋で強い気持ち……決して悪くはありませんね」
小鈴は息をするのも忘れるような緊張した面持ちで、聖の反応を待つ。
「……いいでしょう。妖魔本の力に頼るのではなく、まずは自分自身の心と体を整える修行としてなら、私たち命蓮寺でお預かりします。幸いにもあなたは妖魔本に囲まれていた影響か、普通の人より魔力を帯びているようですしね。安全な魔法の基礎くらいはお教えできるかもしれません」
「本当ですか!? ありがとうございます!」
パッと表情を輝かせる小鈴を見て、マミゾウは呆れたように肩をすくめた。
「やれやれ、相変わらず甘いのう、聖は……」
「ふふ、魔法や強い力に憧れる気持ち……私にも少し覚えがありますからね。それでは小鈴さん、まずはこの命蓮寺の中を見てきてください。私は少し用がありますので、その後に修行を開始しましょう」
「それなら儂が案内しようかのう」
「いえ、マミゾウは私の用を手伝ってください。案内は近くの者に頼みますので」
そうして聖は寺の者に小鈴の案内を頼み、マミゾウと二人きりになった。
二人だけになると、聖の雰囲気がガラリと変わった。
「さて、マミゾウ。単刀直入に聞きます。彼女は望みをかなえられると思いますか?」
「どうじゃろうな。確かに普通の人間よりは素質を持っておるし、妖魔本をコントロールできるようになればいつかは……かもしれんのう。ただ、それには多大な時間を要するじゃろうな」
「私もそう思います。ですが、彼女の目標を考えるとそこまでの年月をかけている暇はないでしょう。私たちがいくら諭しても焦りが生まれ、また妖怪化してしまう危険すらあります」
「確かにのう。しかし、それを解決する手段はあるのか?」
「ええ。そのためには、かつて彼女が引き寄せた原因の妖魔本……あなたがお持ちなのでしょう? 今ここに出していただけますか」
聖の視線は、まっすぐにマミゾウの懐へと向けられていた。
マミゾウはやれやれと仕草をしながらも、話題の妖魔本を取り出した。
「これがその妖魔本ですか……確かにとてつもない歪んだ力を感じますね」
「これを見てどうするつもりじゃ? まさか……こいつをまた使わせる気か!?」
「いえ、そんな危険なことはしません。ですが、見てわかりました。この妖魔本から溢れ出ているのは、強い執着や怨念の力です。いくら彼女が知識をつけても、飲み込まれてしまうでしょう」
「それならば、どうする」
「どれほど強い力を持つ本であっても、使用者と波長が合わなければ真の力は引き出せません。ですがかつて彼女はこの本を引き寄せ、強大な力を発揮してあなたや博麗の巫女をも巻き込んだ……つまり、本と彼女の波長自体は酷く適合していたということです。であれば――この波長をベースに、私が『新しく安全な妖魔本』を創り出します」
「……本気か、おぬし!?」
「ええ。ここでどれだけ修行をしても、既存の妖魔本を使う以上、いつかは蝕まれ人の道を外すリスクが残ります。ならば私が、彼女の情熱を正しく導くための安全な本を誂えるべきでしょう」
「まぁ、儂は鈴奈庵が今まで通り利用できれば文句はないんじゃがな……じゃが、なぜそこまで手伝うのじゃ? 別に修行させて無理ならそれでいいじゃろ」
「確かに一理あります。ですが人間が妖怪になるのではなく、人間のまま命を輝かせ、絆のために大空を飛ぶ……それもまた、私の目指す理に通じるのです。それに、救える手を差し伸べないのは命蓮寺の住職として違いますでしょう」
「なるほどのう。じゃが、力を手に入れることによる危険もあるのではないか?」
「それも確かです。ですがそのために修行を行い、心と体を鍛えるのです」
小鈴のあずかり知らぬところで、密かにとんでもない計画が進められていた。
「――ところでマミゾウ」
聖はにっこりと満面の笑みを浮かべたが、その声は凍りつくほど冷たかった。
「この妖魔本、どのようにして手に入れたのですか? 彼女のお店は貸本屋のはずですが……まさか『盗んだ』とは言いませんよね?」
「あ、あぁ……どうだったかのう……?」
「これは、じっくりお話を聞く必要がありますね」
「か、堪忍してくれい……」
そうして、小鈴が一通り境内の案内を終えて戻ってきたときには、笑顔の聖と、なぜか魂が抜けたような顔をしたマミゾウが立っていたのだった。
「小鈴さん。命蓮寺は見て回れましたか?」
「はい! しっかり見て回れました!」
「それはよかった。ではこれから修行を始めましょう。ですが事前に伝えておきます。もし派手な修行などを想像していたらそれは間違いです。地味で地道な修行が待っています。それでもよろしいですか?」
聖は小鈴の目を見てしっかりと問いかける。
「大丈夫です! よろしくお願いします!」
「元気があってよろしい。では一緒にマミゾウの性根も叩き直しましょう」
マミゾウも青い顔をしながら、渋々修行に励んでいくのだった。
それから、小鈴の地道な修行の日々が始まった。
「それではまずは座禅からです。心を落ち着かせ、平静を保ってください。徐々にレベルを上げていきますよ」
「次は掃除です。私や他の者たちと一緒に寺の掃除をします」
雑念を払い、無心で身体を動かしているうちに、あっという間に日は沈んでいく。
「うー、疲れた……」
「お疲れ様です。どうでした?」
「ずっと落ち着いて集中するのって大変ですね。それに、掃除がここまで大変だとは……」
「誰しも最初はそういうものです。ですがしっかりと基礎を行うことで、見違えるほど成長するものですよ」
「そうなのかな……まだまだ頑張りたいけど、さすがに帰らないと。お店の仕事もあるし、毎日は来れないかな……」
小鈴はどこか名残惜しそうにつぶやく。
「構いませんよ。しっかりと日常を大事にしてください。心のバランスを保つためには日々の生活も重要なのです。それでも何かしたいのであれば、毎日心を落ち着かせる時間を作ってみなさい」
「ありがとうございます! また来た際はよろしくお願いします!」
「えぇ、私たち命蓮寺一同で歓迎しますよ」
◇
それからの小鈴は、鈴奈庵の仕事をしっかりとこなしつつ、合間を縫っては命蓮寺へ足を運んで修行を深めていった。
季節は巡り、人里にも薄っすらと雪が舞い始める頃――
「いらっしゃいま……なんだ阿求かい」
「……はい、これ新作ね」
そう言って阿求は、アガサクリスQとして書いている原稿を手渡す。
「毎度ありがとね。正直これが一番売れるから助かるよ」
小鈴は楽し気に微笑んだ。
「そういえばあんた、最近少し変わった?」
「ん? そうかな?」
「なんだろうね。前より雰囲気が落ち着いてる気がするし、立ち姿もしっかりしたっていうか……それに、命蓮寺で見かけたってうちの従者から聞いたよ」
(さすがに噂は広まっちゃうか……とはいえまだ阿求には内緒にしときたいしな……)
「あ、あぁ命蓮寺ね。お得意様ができてね……」
阿求にはまだ秘密にしておきたかったため、小鈴はとっさにごまかす。
「ふーん、お得意様ね……私はまた、あんたが妖怪にでもならないか心配だよ……」
阿求はそう言って、どこか寂し気に遠い目をした。
「大丈夫だよ! 妖魔本に変に頼ったりもしないって」
「そう……なら良いんだけど。私ね、昔からたくさんの人間や妖怪が移り変わっていくのを見てきたでしょう? 私自身の命も、他の人よりずっと短い……。だから、身近な人が急にいなくなったり、人間じゃなくなっちゃったりするのが、本当はすごく怖いの」
ぽつりと零された阿求の本音に、小鈴はハッとして息を飲んだ。
「阿求……」
「小鈴は好奇心が強くて元気だから……いつか私の手の届かない遠くへ行っちゃうんじゃないかって、時々不安になるんだよ」
小鈴は阿求の手をキュッと握りしめ、真っ直ぐ目を見つめた。
「行かないよ! どこにも行かないし、人間もやめない! 阿求が不安にならないように、私がずっと隣にいるからさ」
「……ごめんねいきなり辛気臭くさせちゃってさ」
「大丈夫だよ!」
「ありがとう……それよりあんまり命蓮寺に行ってると、霊夢さんがうるさそうだね」
辛気臭くなってしまった雰囲気を変えるかのように阿求は話題を切り出す。
「だね、『なにライバルのところに行ってんのよ!』って言われそう」
その後は二人で談笑しながら、穏やかな時間を過ごしていった。
◇
そんな日常を送りつつ修行を重ねていたある日。
「だいぶ心を落ち着かせ、精神を統一することができてきましたね。それでは次のステップへ行ってみましょう」
聖が唐突に切り出した。
「ぜひ! お願いします!」
「それでは私が魔力を送ります。それを感じて体にとどめるようにしてください。最終的にそれをコントロールできるようになれば完璧です。行きますよ!」
聖がそっと手をかざすと、小鈴に向かって純粋な魔力が注ぎ込まれる。
それは澱みなく流れ、小鈴の身体へと馴染むように満ちていった。
「驚きました。いきなりここまで魔力を受け入れ、馴染ませることができるとは……」
聖が驚嘆している中、小鈴は突如立ち上がり、気合を入れてポーズを取った。
「はぁー! ……って、出ないか。今なら何か出せると思ったんだけどなー」
意表を突いたその動きに、聖は思わずあっけにとられる。
そんなさなか、部屋のふすまが勢いよく開け放たれた。
「聖! 何かありましたか!? 突然大きな音が……!」
「あ、あぁ村紗。問題ありませんよ。しかしちょうどよかった。私が用意していた『あれ』を持ってきてもらえますか?」
聖が伝えると、村紗は深く頷いてどこかへ去っていった。
「あ、えっと……聖さんごめんなさい! なんか力がみなぎってきちゃって……」
「いえ、大丈夫です。むしろ私が驚いてしまったくらいです。いきなりここまで魔力を扱えるとは思っていませんでしたから」
「えーと、ありがとうございます!」
小鈴はいまいち飲み込めていないようだったが、褒められたことを理解すると照れくさそうに笑った。
「もっと胸を張ってもいいのですよ、小鈴さん。そうですね……少し外に出ましょうか」
そう言って、聖と小鈴は外へと足を進める。
「小鈴さん。ここまでの修行はどうでした?」
「? 大変でしたけど、楽しかったですよ!」
「楽しい、ですか……いいですね。今後もその気持ちを忘れないようにしてください」
話しながら境内を歩いていると、先ほど何かを頼まれていた村紗が戻ってきた。
「聖、こちらを」
村紗は恭しく、古い小さな箱のようなものを聖に手渡す。
「ありがとう」
それを受け取った聖は、歩みを止めずに広い中庭へと出た。
「さて、小鈴。今一度問います。あなたは何のために力を欲しがるのですか?」
聖の声は優しかったが、その表情は真剣そのものだった。
「それは……霊夢さんや魔理沙さんみたいな人たちに憧れて、私もああして自由に戦ってみたい。そして広い世界を見てみたい! 親友とどこまでも行きたいからです!」
小鈴の真摯な答えを聖は受け止め、周囲にわずかな静寂が流れる。
「わかりました。その思いを今後も見失うことのないように。……そして、そんなあなたに私からこれをプレゼントします」
聖の手から、小鈴の手へと一本の美しい鈴の柄が刻まれた巻物が手渡された。
「これは……?」
「それは聖がおぬしの為に創った妖魔本じゃ」
聖が答えるより早く、庭の木陰からマミゾウがひょっこりと姿を現した。
「マミゾウさん! って、妖魔本!?」
「そうです。私が『私家版百鬼夜行絵巻最終章補遺』を参考にして作り上げたものです」
「こ、こんなものもらっていいんですか? それに、そんな怪しい本を参考にして危険じゃないんですか!?」
「入念に調和と安全の加護を施しましたから大丈夫です。これは修行を頑張ったあなたへのご褒美だと思ってください。ただ、ひとつ約束してください。今後は怪しい本を読む際には、必ず誰かの許可を得ること」
「や、約束します!」
小鈴の声は真剣そのもので、強く決意を固めているのが伝わってきた。
だがそれはそれとして、今すぐにでももらった妖魔本を開いてみたいという好奇心が全身から溢れ出ていた。
「ふぉっふぉっふぉ、よほどその妖魔本が気になるようじゃな。使ってみるといい」
「いいんですか!?」
「ええ、大丈夫です。先ほど練習したような魔力のイメージを通してみてください。きっと答えてくれますよ」
聖に促され、小鈴は深呼吸をしてそっと目を閉じた。
胸の奥で芽生えた温かな魔力の感覚を、ゆっくりと手元の巻物へと注ぎ込んでいく。
――次の瞬間、ひやりとした澄んだ風が境内に吹き抜けた。
手から離れた巻物がふわりと宙に浮き上がり、静かに紐が解けて開いていく。まるで本自体が何かを紡いでいるかのように、神聖で柔らかな光を放ち始めた。
境内に漂う清らかな空気が集まり、小鈴自身にも劇的な変化が訪れる。
束ねていた髪がさらりと解けて伸び、着物の朱色が深みのある艶やかな赤色へと染まっていく。
その姿はまるで――かつて自我を失い、妖怪化しかけた時の姿と酷似していた。
その光景を目にしたマミゾウは、青ざめた顔で臨戦態勢をとる。
「なにが安全じゃ聖! あれはかつての妖怪になりかけた時の姿とそっくりじゃ! まずいぞい!」
しかし、焦るマミゾウの隣で、聖はどこまでも冷静だった。
「落ち着いてください、マミゾウ。彼女の髪元を見るのです」
聖が静かに指さす先――伸びた朱色の髪の中には、小鈴のチャームポイントである鈴付きの髪留めがしっかりと留められていた。
「鈴がついとるだけじゃろ! それがどうしたというのだ!?」
「いいですか。鈴というのはかねてより神聖な器なのです。その清らかな音色は目に見えない穢れや邪気を払い、場を清め、聖なるものを呼び覚ます力があります。そのような神聖な加護を身につけたまま、妖怪に成り果てることなどあり得ません」
二人がそんな問答を交わしている間にも、当の小鈴は自分の変化に目を丸くしていた。
「こ、これが私……!?」
「だ、大丈夫かの……?」
身体をプルプルと震わせている小鈴に、マミゾウがおそるおそる駆け寄る。
「す、すごいー! これが私!? 今なら何でもできちゃいそう!」
「こらこら、調子に乗ってはいけませんよ」
喜びのあまり今すぐにでも飛び出そうとする小鈴の頭へ、ぽこんと聖の拳が落ちた。
「いてっ。す、すいません……」
「ふふ、とりあえずうまく波長が合わさったようでよかったです。それではこれから、この力を正しい心で使いこなせるようにしていきましょうね」
「はい! よろしくお願いします!」
小鈴は今までで一番弾けた笑顔で、元気に返事をした。
「今すぐに修行したいですけど、さすがに日が沈んできたし帰らないと……どうすれば姿が戻るんですか?」
「その妖魔本を閉じれば戻りますよ」
小鈴は言われたとおりに妖魔本を閉じると、あっという間にいつもの姿に戻った。
「聖さん! マミゾウさん! 村紗さん! 修行だけでなくこんなすごいものまでありがとうございます!」
「構いませんよ、あなたが間違った道に行かないようにしたまでです。まだあなたは力を使いこなせていないので、ここ以外ではその妖魔本は使わないように。それでは気を付けて帰ってくださいね」
聖たちは元気に帰っていく小鈴の背中を、温かく見守るのだった。
◇
それから数日後、再度小鈴が命蓮寺へとやってきた。
「今日から妖魔本を使った修行ですね! よろしくお願いします!」
「しっかりと約束は守ったようですね。その妖魔本を見ればわかります。それでは始めていきましょう。それと今回からは特別講師にも来てもらいました」
聖がそう言うと、小鈴にとっても見知った人物が姿を現した。
「よ、小鈴。久しぶりだな」
「ま、魔理沙さん!?」
「私が依頼したんです」
「聖から突然頼まれたときはびっくりしたぜ。『あなたと同じように人間でありながら戦う人がいます。私が教えるより力になると思うので手伝ってもらえませんか?』って急に来てな。まさか小鈴だとは思わなかったぜ」
魔理沙はオーバーなリアクションで説明してみせる。だが小鈴にとっては、非常に頼もしい助っ人だった。
「そんじゃまずは、小鈴の力を見せてくれ」
「わかりました! 行きますよ!」
そう言うと、小鈴は妖魔本に魔力を込めていく。そしてあっという間に姿が変わっていった。
「すごいなこりゃ。あの妖魔本が鍵か……私が欲しいくらいだぜ」
「もしあなたが奪うようなことがあれば、その際は私がどこまでも追いかけますからね」
「笑顔が怖いぜ聖……」
そんなやり取りをしている間にも、小鈴の準備が終わったようだ。
「そういや魔理沙さんは『小鈴が妖怪になったー!』って騒がないんですね」
「事前に聖からそこらへんは聞いてたからな。そんじゃ早速やっていくか!」
「魔理沙さん、お願いしますね。私は仕事があるので外します。小鈴さんも頑張ってください」
「おう、任せとけ。命蓮寺からは出ないようにはするぜ」
「頑張ります!」
聖が去った後、いよいよ二人の特訓が始まった。
「そんじゃやってくか。そういやその妖魔本には名前があるのか?」
「そういえばないですね。聖さんも妖魔本としか言ってなかったですし……」
「それなら名前を付けちまえ。私のミニ八卦炉みたいに愛着がわくぜ」
「うーん……すぐには思いつかないですね。それより修行しましょう!」
小鈴はいかにもやる気満々といった様子だ。
「よし! まずは飛ぶ修行からだ。自由に思い通りに飛べるようにならないと、弾幕ごっこなんて夢のまた夢だぜ! まずはやってみな」
魔理沙の言葉に、小鈴も気合を入れる。
「行きますよー! それ!」
その瞬間、どこからともなく巨大な巻物のようなものが現れ、小鈴はその上に飛び乗った。
「わっ……飛んだ! 飛べました魔理沙さん!」
「へえ、魔法の絨毯ならぬ魔法の巻物ってわけか! なかなかサマになって――って、おい!」
小鈴の歓声も束の間、巻物はぐらりと大きく傾き、猛スピードで暴走を始めた。
「きゃああああっ!? 止まらない! 右! 左! うわあああっ!」
「落ち着け小鈴! 重心を後ろだ! 自分の足じゃなくて、巻物の『端』に意識を乗せるんだよ!」
上空で右へ左へ振り回され、悲鳴を上げる小鈴。魔理沙は箒で並走しながら、的確に指示を飛ばす。
「呼吸を整えろ! 自分の体の一部みたいにイメージするんだ!」
「う、うん……! 巻物は私……私が風を切る……!」
必死に目を閉じ、魔理沙の言葉通りに魔力の流れを整えると、暴れていた巻物がすっと水平を取り戻し、滑るように静止した。
風を切る感覚と、眼下に広がる境内。小鈴は息を呑んだ。
「ふぅ、やっと落ち着いてきたか。しっかし普通に飛ぶんじゃダメなのか? 私の箒も人のことを言えないが、自分以外のものを動かして飛ぶのは難しいんだぜ」
「これでいいんです! これなら私以外も一緒に飛べますから」
その言葉からは、今ここにはいない親友の顔を思い浮かべているのが伝わってきた。
「それなら、もっと安全に思い通りに飛べるようにならないとな。今のままじゃ到底乗りたいとは思わないんだぜ」
「よろしくお願いします! 魔理沙先生!」
「よせやい、照れるぜ」
こうして魔理沙と小鈴の特訓が始まった。
時折、命蓮寺の妖怪たちも手伝ってくれ、小鈴は数日で飛行をマスターしたのだった。
「呑み込みが早いな。飛行に関してはもう問題なさそうだぜ」
「ありがとうございます! 魔理沙さんの教え方がうまいからですよ!」
「ほめても何も出ないんだぜ! それじゃ今日から弾幕ごっこに向けた修行をして行こう」
その言葉に、小鈴は待ってましたと言わんばかりに目を輝かせる。
「それじゃ回避を重点的に練習していくぞ」
「えー、もっと派手な弾幕とかじゃないんですか?」
あからさまにガッカリする小鈴を見て、魔理沙は苦笑しながら説明を添える。
「安全の為ってのもあるが、弾幕ごっこにおいて派手で美しい弾幕は確かに誰もが憧れるものだ。だがそれは回避技術があってこそだ。考えてもみろ、相手が自分の出した弾幕にガンガン当たっちゃ派手な展開になる前に終わっちまう。相手の弾幕をしっかり回避して、こっちの弾幕も見せる。お互いがあってこそなんだぜ。それに回避がうまくなると格段に楽しくなるんだぜ」
「そんなものなのかな?」
「まぁ小鈴もやっていけばそのうちわかるようになるさ。ってことで、私が打つからしっかりよけてくれよな!」
その瞬間、魔理沙はいきなりレーザーや星形の弾幕を展開した。
「わわわ! いきなりすぎます!」
そうして回避の修行が始まる。
(実際にやってみると考えることが多すぎて難しい……みんな簡単によけてるように見えるけどすごいんだな)
そんなことを考えながら懸命によけるが、背後から迫ってくる弾に気づかず当たってしまう。
今日の修行が終わるころには、小鈴はボロボロの姿になっていた。
「うぅ、魔理沙さんスパルタすぎます……」
「そうか? まぁこれくらい簡単によけられるようにならないと弾幕ごっこなんてできないんだから頑張るんだぜ」
「頑張ります! そしていつか魔理沙さんをぎゃふんといわせるんです!」
ボロボロになりながらも威勢のいい小鈴と、そんな様子を見て笑う魔理沙だった。
そんな修行を続けていくと、初めはなんてことのない弾幕にすら当たりまくっていた小鈴だったが、命蓮寺の面々にも手伝ってもらいながら、日に日によける技術を飛躍的に向上させていった。
◇
そうして、いよいよ桜が咲き始めそうな季節になった頃。
「おう、ここまでよけられるようになればもう大丈夫だろう。そんじゃ、最後の修行に行くぜ」
そう言うと、魔理沙は命蓮寺の妖怪たちを連れて戻ってきた。
「えっと……また皆さんに手伝ってもらってなんかやる感じですか?」
「いや、これからこいつらと本気で戦ってもらう。スペルカードは禁止、3回当たるか私が危険だと判断したら終了だ」
小鈴がその真意を理解する暇もなく、最初の相手と対峙する。
「私の合図でスタートな。それと小鈴」
「なんです魔理沙さん?」
「死ぬ気で抗え! そんじゃはじめ!」
小鈴が聞き返す前に勝負が始まる。
だが、それは「勝負」と呼べるような生易しいものではなかった。
本気になった妖怪たちの攻撃は、これまでの修行とは比べものにならないほど鋭く重い。村紗の放つ大錨の重厚な弾幕にかすり、着物の袖が破れ、多々良小傘の仕掛ける不意打ちに吹き飛ばされる。
一輪の巨大な拳、ぬえの放つ正体不明の光弾、さらにはマミゾウの化かし弾幕や聖の圧倒的な身体能力。
一歩間違えれば命を落とすかもしれないほどの圧力と威圧感。小鈴は恐怖に震えながらも何とか食い下がろうと必死に巻物を操り、反撃を試みた。
しかし――圧倒的な戦力差の前に、小鈴の攻撃はただの一度も届くことなく、全敗という結果で幕を閉じたのだった。
息を切らし、全身傷だらけで地面に膝をつく小鈴。その対極で、妖怪たちはまだ余裕の表情を浮かべている。
「お疲れ小鈴。どうだ、戦ってみて?」
魔理沙が優しく声をかける。
「全く……相手にならなかったです……」
「弾幕からは何を感じた?」
「なんていうか……妖怪の恐ろしさ、です。本気でこっちを殺しに来るかのようなプレッシャーを感じました……」
小鈴は思い出して身体をブルリと震わせる。
そんな小鈴を見て、魔理沙はフッと満足そうに笑った。
「うん、そいつがわかってくれればいいさ。小鈴がいくら修行をしたとはいえ、私達から見たらまだまだお子様だからな。ここで勘違いして調子に乗って、異変解決に首なんか突っ込んで何かあったら嫌だからな。ここで一回痛い目にあってもらう必要があったんだぜ」
「ひどい……でも、ありがとうございます。多分、魔理沙さんの言う通り調子に乗ってたかもしれないです」
「分かりゃいいんだよ」
魔理沙は手を差し出し、ボロボロの小鈴を立ち上がらせる。
「異変の主犯たちは容赦ないからな、スペルカードルールがあるとはいえ殺し合いみたいになることも珍しくはない。だからこそここで知ってもらいたかったのさ」
「こんなのをやってたなんてすごいです……」
「まぁただ、これで弾幕ごっこまでは嫌いにならないでくれよな。あっちはこんな殺し合いじゃなくてもっと気楽で楽しいもんだからさ!」
魔理沙はどこか爽やかにそう言う。
「ありがとうございます! 私もまだまだ頑張るぞ!」
ボロボロになりながらも、小鈴の顔には笑顔があふれていた。
「小鈴さん大丈夫ですか?」
気づけば命蓮寺の面々も集まってきて心配してくれていた。
「大丈夫です! 皆さんありがとうございます!」
「とりあえず傷の治療をしましょう。さぁ行きますよ」
そうして聖に引きずられるように小鈴は連れていかれるのだった。
一人残された魔理沙は、誰もいない木陰に向かって話しかける。
「ここまで来てもらったのに悪いな」
「はぁ、いきなり連れてきてウサギ使い荒すぎ……でも大したけががなくてよかったよ」
木陰から返事が返ってきたかと思えば、永遠亭のウサギ、鈴仙が姿を現した。
「しっかし魔理沙もスパルタだね。ほんとに死んでたらどうするつもりだったのよ?」
「ほんとにそうなりそうだったら私や聖が止めたさ。それでも鈴仙が来てくれたおかげで多少は無茶できたから助かったぜ」
「見てるこっちはひやひやしたけどね。とりあえず傷は多いけど大したけがじゃないし私は帰るね。この薬を使ってあげればすぐ治るよ」
そういって鈴仙は魔理沙に薬を手渡す。
「ありがとな、今度なんか礼でもするぜ」
そうして鈴仙は帰り、魔理沙は小鈴の元へ急いで向かった。
治療も終わり、魔理沙が小鈴を鈴奈庵まで送っていくことになった。
「皆さんありがとうございました! このお礼はいつかします!」
「ここまで来れたのはあなたの努力あってこそです。胸を張って頑張ってください! それにまた何かあればいつでも頼っていいですからね」
聖の温かい言葉を背に受け、小鈴は命蓮寺を後にするのだった。
そしてその帰り道。
「それよりこの後はどうするんだぜ?」
「そうですね、阿求と一緒にこの幻想郷をめぐってみたいです!」
「いつ頃行くとかは決めてるのか?」
「そろそろ桜も咲いてくるころなので、満開になったら行きたいですね!」
小鈴は楽しそうに魔理沙の箒の後ろでしゃべる。
「そうだな、あと2週間もしないうちに満開になるだろうな。だったらついでに博麗神社でやる宴会にも阿求と一緒に来るか?」
「いいんですか!?」
「構わないぜ。それに人数が多い方が楽しいしな!」
魔理沙も楽しそうだ。
「そういえば霊夢さんは私が修行してたことは知らないんですか?」
「知らないと思うんだぜ。別に異変でもなんでもないからな。なんだ、霊夢と戦いたいのか?」
「そりゃせっかくなら本気の霊夢さんと戦ってみたいですけど、手加減されちゃいそうだな……」
その言葉に魔理沙は一瞬考え込む仕草を見せるが、すぐさま悪だくみをするような笑顔を見せる。
「それだったらとっておきのいい手段があるぜ」
「ほんとですか!?」
「あぁ、宴会の日、準備しておくんだぜ。夕方くらいに来てくれれば完璧だぜ!」
「どんなことを考えてるんですか!?」
「それはだな……」
魔理沙の伝えた作戦に、小鈴は目を丸くして驚愕する。
「確かにその作戦なら本気で戦ってくれそうですね! せっかくなら勝ってみたいなー!」
小鈴は霊夢と戦う姿を想像して目を輝かせた。
「それなら私がまた鍛えてやるぜ。残りの時間は短いが、私は霊夢のことはよく知ってる。対策もできるはずだぜ」
「よろしくお願いします!」
そうして家に帰った小鈴は、この先の楽しみを想像しながら期待を胸に眠りにつくのだった。
◇
小鈴が魔理沙と霊夢対策を練ったり、独自のスペルカード案を捏ねたりしているうちに、あっという間に桜が満開の季節を迎えた。
小鈴は阿求邸の前に来ていた。
「阿求様、小鈴さんがお見えになられました」
「ありがとう、すぐに向かいます」
屋敷から阿求が出てくる。
「おはよー! 阿求!」
「おはよう、小鈴。急に今日1日予定を空けててほしいってどういうこと?」
「とりあえずついてきて!」
言うなり、小鈴は駆け出していく。
「ちょ、ちょっと待って……」
阿求も必死についていく。
そうしてたどり着いたのは、人里から少し離れた、人の気配が全く感じられない場所だった。
「ちょっと、こんなとこ来てなにするつもり? いつ妖怪が出てもおかしくない雰囲気だし、早く安全なところへ行きたいんだけど?」
阿求は不安を口にするが、小鈴はそれを気に留める様子もなく問いかける。
「阿求はさ、この幻想郷のことなんでも知ってるじゃん」
「急にどうしたの? 確かに記憶にあるものはわかるけど……」
「でもそれは記憶の中だけの場合だってあるわけじゃん。阿求自身が実際にそこに行ったことがない場所も多いでしょ?」
「確かに、私が行ったことなくて記憶にだけあったり、人に話を聞いただけの場所もたくさんあるよ。でもそれは危険だったり、私だけでは行けなかったからで……」
阿求は小鈴の意図が分からないまま、若干寂しそうな声で答える。
「それだったらさ! 私と一緒に見に行こうよ!」
小鈴はそう言うと妖魔本を広げ、一瞬で姿を変えていく。
阿求は目の前で起こった出来事に理解が追いつかず、完全にフリーズしてしまった。姿の変わった親友を爪先から頭まで凝視し、何とか言葉を振り絞る。
「……こ、小鈴なの?」
「行こっか! 阿求!」
阿求は差し伸ばされた小鈴の手をつかみ、ふわりと浮き上がる巨大な巻物の上に乗せられる。
次の瞬間、二人は一気に空へと舞い上がった。
「うーん、やっぱり飛ぶって気持ちいいね! それで阿求、どこに行きたい?」
完全にあっけにとられている阿求を余所に、小鈴は気楽に話しかける。その様子を見て、阿求も徐々に状況を飲み込み始めた。
「ちょ、ちょっと小鈴!? なんで私達飛んでるの!?」
「それは私が修行したからだよ! それよりどこ行きたい?」
「修行!? どういうこと!? 人間やめたの!? 一から説明して!?」
「あ、そっか、阿求にはまだ説明してなかったね」
狼狽する阿求をよそに、小鈴はこれまでにあった出来事をかみ砕いて話していった。
霊夢や魔理沙に憧れていたこと。
マミゾウに相談したら鯢呑亭に行くことになり、そこでアドバイスをもらったこと。
アドバイスをもとに命蓮寺で修行したこと。
その時に聖に安全な妖魔本を作ってもらったこと。
修行で楽しかったこと、つらかったこと。
――何より、阿求と一緒に幻想郷を見て回りたかったこと。
阿求はその話を静かに聞いていた。
「とりあえず小鈴が人間のままでよかったよ。前々から命蓮寺に行ってたのはそんな理由があったのね。それにしても、私の記憶の中でもそんなことをした人間はいなかったよ」
「ってことは私が初めて!? 私も阿求の本に載れる!?」
「こんなの載せられるわけないでしょ!」
事情を把握し小鈴が人間であることを確認できた阿求は、ようやくいつもの調子を取り戻した。
「本には載りたかったな……」
一瞬悲しそうな顔を見せた小鈴だったが、すぐさま気持ちを切り替える。
「まぁそういうわけで、今はこんな力を手に入れたのです!」
「相変わらず気楽だね、こっちの気も知れずに……でも、私の為にここまでしてくれたのはありがとう!」
「いいのいいの! 私がやりたかったことだし! それじゃどこいこっか!?」
「どこでもいいんだよね? それじゃ、妖怪の山にまずはいかない?」
「わかった! 飛ばすよー!」
そうしてあっという間に妖怪の山へと到着する。
まだ桜は完全な満開ではなかったが、それでも見下ろす山肌は息をのむほど美しい光景だった。
「すごい……こんなにきれいなんだ……」
「この光景は記憶になかった?」
「簡単に来れる場所じゃなかったからね」
そんな会話を交わしていると、風を切って近づいてくる影があった。
「おや? お二人さん、デートですか?」
「違います」
「お久しぶりです! 文さん! てか私の姿に驚かないんですね!?」
「天狗の情報網を侮ってはいけませんよ。まぁ実際の姿を見たのは初めてですがね。そういえばなぜここに?」
「この景色を見に来たんです! きれいですね!」
「なるほど。ですがあんまり長居すると天狗の警備が来ちゃいますので、早めに去ることをお勧めしますよ。……そういえば、魔理沙さんから聞きましたけど例の件は今夜決行するのですか?」
「もちろん! 文さんも来るんですか?」
「行きますよ! 頑張ってくださいね! それじゃまた!」
文は風のように去っていったが、阿求はいまいち会話についていけていない様子だった。
「今夜? 何かあるの?」
「博麗神社で宴会があるんです。阿求も一緒に参加するからね!」
「勝手に決めないでよ……まぁでも、今日は一日空けてたし、もうとことん付き合いますよ」
そう言って微笑む阿求を乗せ、小鈴は満足そうに桜舞う空へと再び舞い上がった。
「次はどこへ行きたい、阿求?」
「どこでもいいと言われても困るけれど……そうね、記憶の中だけでしか見たことがない、霧の湖なんてどうかしら?」
「よし、霧の湖ね! 出発ー!」
小鈴が妖魔本に意識を傾けると、巨大な巻物はふわりと進路を変え、一気に高度を上げて滑るように空を駆け出した。
眼下には、ピンク色に染まった人里や山々の桜並木が広がる。あまりの絶景に、さっきまで怯えていた阿求も思わず息を呑み、巻物の端をぎゅっと握り締めながら景色に見入っていた。
「すごい……。本や資料の写真でしか見たことがなかったけれど、空から見るとこんなに広いんだね」
「でしょ? 阿求にこの景色を見せたかったんだよ!」
誇らしげに胸を張る小鈴。そうして風を切って飛ぶことしばらく、周囲の空気が急速に冷気を帯び始めてきた。
「なんだか、急に寒くなってきたね……」
「うん、霧の湖が近づいてきた証拠だよ!」
前方の視界が白い靄に包まれたかと思うと、一気に視界が開けた。
眼下に広がるのは、太陽の光を浴びてキラキラと銀色に輝く巨大な湖――霧の湖だ。湖面からはうっすらと幻想的な霧が立ち上り、まるで鏡のように青空と桜のピンク色を映し出していた。
「わあ……綺麗……!」
「すごいよね! あ、見て阿求、あんなところに妖精たちがいる!」
湖の上を飛んでいると、寒気の中から元気に飛び回る氷の妖精――チルノと、その友達の大妖精の姿が見えた。
「あ! 鈴奈庵の人間じゃないか! なんで空を飛んでるんだ? ていうか、その姿カッコいいな!」
「ふふん、修行して飛べるようになったんだよ! チルノちゃんたちも遊んでるの?」
「あたいは最強だからな! 湖の氷で遊んでたんだ! 一緒に勝負するか!?」
「ごめんねチルノちゃん、今日は阿求と予定があるからまた今度ね!」
無邪気に手を振るチルノたちをあとにし、小鈴と阿求は湖の奥へと進んでいく。
霧の向こう側に、重厚で巨大な洋館のシルエットが浮かび上がってきた。
「あれが紅魔館……話にはよく聞くけど実際見てみると大きいわね……」
「だね。私も来るのは初めてだけどお互い面識がある人がいるし何とかなるでしょ」
門の前で着地し周囲を見回すと、緑色の帽子をかぶった中華風の衣装の女性――紅美鈴が、心地よさそうに船をこいで眠っていた。
「……すやすや眠ってるわね。話に聞く妖怪の門番かしら?」
「たしか美鈴さんだったかな? 美鈴さーん!」
小鈴が声をかけると、美鈴は「はっ!」と跳び起き、慌てて帽子を正した。
「ハッ! 居眠りなんてしていません! ……って、あれ? 稗田のお嬢様と……鈴奈庵のところのお嬢さん?」
「こんにちは、美鈴さん! この姿だとわかりづらいですよね!」
そう言うと小鈴は妖魔本を閉じ、元の姿に戻っていく。
「なるほど、それが話に聞く姿ですか。ちなみに今日はどういったご用件ですか?」
「色んな場所に観光に行っている途中で寄ってみた感じです。一緒に色んな所を見て回ろうと思ってます!」
「そういえばだれに話を聞いたんですか?」
「魔理沙さんが言ってましたよ。『今日の宴会で小鈴がやりたいことがあるから協力してくれ』って。我々紅魔館のメンバーは協力しますんで頑張ってください!」
「ありがとうございます! それじゃ私たちはまたほかのところに行きます! 何かおすすめってありますか?」
「そうですね……妖精たちの話だと今の魔法の森は瘴気がほとんどなく過ごしやすいって言ってましたね。それではお気を付けて!」
美鈴にお礼を言い、小鈴は再度妖魔本を開き、阿求とともに次なる場所を目指していった。
「そういえば、その妖魔本に名前はあるの?」
「うーん……内緒!」
「内緒って何よ! 教えてくれてもいいじゃない!」
「内緒ったら内緒なの! それより次どこ行きたい?」
「それじゃさっき美鈴さんも言ってたし魔法の森に行ってみる?」
「瘴気が少ないって言ってたしね!きつかったらすぐに出るから教えてね!」
そうして二人は魔法の森へ向かい、内部へと進んでいく。
「どう? 大丈夫?」
「大丈夫。それに魔法の森に来る機会なんて今までなかったし、しっかり見ていかないとね」
「了解! それじゃ行こう!」
上空を飛んでいるおかげか、瘴気が薄いおかげか、阿求でも難なく過ごすことができていた。
それからの時間は、阿求にとって夢のような冒険の連続だった。
魔法の森で怪しげなキノコに目を丸くし、香霖堂では珍品を眺めながら店主とひとしきり談笑する。
そこから足を伸ばし、玄武の沢の清流、無縁塚の静廉な空気、太陽の畑一面に咲き誇るひまわり
――そして果てには、雲を突き抜けた先に突如として姿を現した、空に浮かぶ輝針城まで。
書物や記憶の中にしかなかった幻想郷の姿が、鮮やかな色彩と心地よい風の匂い伴って、阿求の目の前に広がり更新されていく。
あまりの驚きと感動の連続に、二人とも興奮が常に収まらなかった。
「いやー、まさか空に浮かぶ城があるなんて思わなかったよ! ね、阿求」
「そうだね。小鈴のおかげだよ!」
「ほんとはもっといろんな場所に行ってみたかったんだけどね……まだまだ行けてないところも多いし異界にも行ってみたかったなー」
「その時は今日みたいに私も連れてってね」
「もちろん!」
お互い確かな満足感を抱いていると、いつしか日が沈み始め、きれいな夕暮れが広がっていた。
「きれいだね」
「だね」
「すごいな……。こんな世界が、人里の外には広がっていたんだね」
風を切りながら広がる景色を見つめ、阿求がポツリと呟いた。その声はどこか遠く、少し寂しげだった。
「阿求……?」
「ねぇ、小鈴。稗田の阿求としての私の記憶はね、幻想郷の歴史を残すためのものなの。でも……私の命は、他の人間よりもずっと短い。九代目の私という存在が消えて、次の生まれ変わりを迎えるまでの間、私はどれだけのものを残せるのかなって……時々、すごく不安になるの」
阿求は自分の小さく華奢な手をぎゅっと握り締める。
「私がいなくなっても歴史は続く。でも、こうやって小鈴と一緒に笑って空を飛んだこの時間の感覚や気持ちは、次の私にちゃんと引き継がれるのかな……って」
宿命を背負う親友の思いに、小鈴は一瞬言葉を詰まらせた。だがすぐに、妖魔本を握り直して前を向き、力強く笑ってみせた。
「大丈夫だよ、阿求!」
「え……?」
「阿求が歴史を記憶して残してくれるなら、私は阿求のその想いを新しい『物語』にして残すよ! 記憶が消えちゃいそうになっても、私が何度でも思い出させてあげる! だから、いなくなる未来の心配なんてしないで、今は私と一緒に今の幻想郷を思いっきり楽しもうよ!」
小鈴のどこまでも真っ直ぐで温かい言葉に、阿求は目を見開き――やがて、肩の力を抜いてふっと柔らかく微笑んだ。
「……ふふ、小鈴には敵わないね。そうだね……今は、この景色をしっかり胸に焼き付けることにするよ」
そんな美しい光景を眺めながら、宴会に参加するため博麗神社へと向かっていく。
「そういえば行く先々で言われてたけど、今日の宴会で何企んでるの?」
「あ、あぁそれね……私もびっくりしたよ。最初は魔理沙さんとだけの作戦のつもりだったんだけど気づけば話が大きくなっててさ」
阿求の問いに、小鈴は言葉を濁した。
「作戦? それって何なのさ?」
「うーん……さっきの答え、かな」
「え? さっきの……?」
小鈴は照れくさそうにえへへと笑いながら、神社の方を指さした。
「阿求が『私たちがここに生きて、一緒に笑った時間』を忘れないための……とびきりの大仕掛け! 阿求への答えは、今日の宴会で直接見せてあげるよ!」
「もう、もったいぶっちゃって。……でも、楽しみにしてるね」
そんな問答をしているうちに、博麗神社が見えてきた。
「見えてきたね!」
「だね。満開の桜がきれいだ」
美しい景色に見とれながらも、境内の中央に着地する。
そしてすぐさま異変に気づいた。
「ねぇ博麗神社ってこんな荒れてる感じだっけ?」
阿求が周囲を確認すると、何人もの人や妖怪が倒れているのに気づく。
「め、美鈴さん!? 文さん!?それ以外にもなんでみんな倒れてるの!?」
阿求はその惨状に驚愕した。
「ね、ねぇ小鈴!? これどう言うこと? って、いつまでその姿でいるの?」
阿求に詰め寄られる小鈴だったが、妖魔本を開いたまま鳥居のほうを見つめていた。
(ちょうど霊夢さんと魔理沙さんも戻ってきた! 阿求には悪いけど……霊夢さんを本気にさせるためだ! さぁ頑張るぞ!)
「ねぇ阿求」
「な、なに……小鈴?」
小鈴は困惑している阿求をいきなり突き放す。
「お願い。死んで!」
神々の宿る境内で、阿求に向かって弾幕を放った。
「えっ……」
突如起こった事態に阿求は理解が追いつかず、迫りくる弾幕を茫然と見つめることしかできなかった。
しかし、それが阿求の元に届くことはなかった。
「大丈夫か! 阿求!?」
「ま、魔理沙さん! ありがとうございます!」
「これどういうこと? なんで小鈴ちゃんまたあの姿になってるの? なんで宴会に来たみんなが倒れてるの?」
「霊夢さん! わからないです……いきなり暴走し始めて……」
状況が掴めない霊夢たちの前で、小鈴は芝居がかった声で語り始める。
「私、思ったんです。この幻想郷のパワーバランスはやっぱりおかしい。それを正さないといけないって。ここにいる邪魔者は全員倒しました。あとは霊夢さんと魔理沙さんだけです!」
小鈴はそう叫ぶと激しい弾幕を繰り出してきた。霊夢と魔理沙はそれを難なくかわしていく。
「小鈴ちゃん! 正気に戻って!」
霊夢の必死の呼びかけにも耳を貸さないフリをして、小鈴は弾幕を放ち続ける。
「クッソ……やるしかないのか」
「霊夢! 小鈴は任せた! 私は阿求や倒れてる奴らを安全な場所まで避難させる!」
「ま、魔理沙さん、小鈴の発言におかしいところが……」
阿求は混乱する頭の中で、小鈴の発言に気になる点があったことを魔理沙に伝えようとする。
「安心しな、阿求。あとで話すからちょっと我慢してくれ」
「それってどういう?」
魔理沙は小鈴にこっそりウインクして飛び去っていった。
小鈴はそれを見送り、内心ニヤリとしながら上空へと飛んでいく。
月明かり照らす博麗神社の上空で、小鈴と霊夢は対峙する。
「さぁ、霊夢さん! あなたを倒せばこの幻想郷を統べるのもあとわずか!」
「そんなこと私がさせないわ! また正気に戻して見せる!」
そうして、白熱した勝負が始まろうとしていた。
そんな上空の様子を、地上から呑気に眺める面々がいた。
「ふぅ、目的達成だな。さてあとは頑張ってくれよ」
「ちょっと魔理沙さん!? これってどういうことなんですか?」
「まぁそんな慌てるな阿求。一杯飲むか?」
「……これって魔理沙さんが仕組んだ状況でいいってことですか?さっきの小鈴の発言とかは私を巻き込んで信憑性を上げるための行動だったと?」
「さすがに鋭いな。あぁこれは私や小鈴、それに周りの奴らに協力してもらって仕組んだ大仕掛けだ。小鈴は正常だから安心してもらっていいぜ。おーい! 目的は達成できた! みんなありがとな!」
魔理沙の声とともに、倒れていた面々はむくっと元気に起き上がり、何事もなかったかのように騒ぎ始めた。
「そういうことでしたか。さっきの小鈴の発言も『ここにいるのは全員倒した』ってありもしないこと言ってて変でしたし、状況が確認できて安心しました」
「まぁそういうこった。さあここからは霊夢と小鈴による最高の見世物が始まるぜ! 宴会と行こう!」
どこからか料理やお酒がどんどん出され、盛り上がる宴会が始まっていく。
「あら魔理沙。この私を利用してお礼は無いのかしら?」
「あぁレミリアか。助かったよ。お礼は上空で行われてる最高の弾幕ごっこだ」
「……まぁいいでしょう。きれいな桜に愉快な宴会、そして面白そうな見世物。楽しい夜になりそうね」
その後も魔理沙の元には、協力した面々があいさつに訪れていた。
阿求もそんな状況を微笑ましく見守りながら、夜空を自由に舞う親友の姿をその目に焼き付け、心の中で深く応援するのだった。
◇
月明かりと満開の桜に照らされた博麗神社の上空。
澄み渡る夜気の中、小鈴と霊夢は一定の距離を保って対峙していた。
「容赦はしないわよ小鈴ちゃん! その妖魔本を奪って正気に戻す!」
霊夢は懐からお札を取り出し、鋭い眼光で小鈴を睨みつける。
鋭い眼光から感じるプレッシャーを受け止めながらも、小鈴は内心で微笑む。
(凄い! 魔理沙さんが想定した通りになってる)
そう思いながら魔理沙との会話や特訓を思い出す。
『つまり私がまた妖魔本に乗っ取られたように動いて戦うってことですか?』
『そういうことだ。ほかにも協力者を募ってそれらしい状況にするからうまくいくだろう』
『ありがとうございます! あとは私が霊夢さんとうまく戦えるかですね』
『そこは私との特訓でどこまで行けるかだな。後、霊夢は多分、妖魔本を奪うように動く。そこにつけ入る隙があるはずだぜ』
『ってことは妖魔本を奪わせないように立ち回ればいいんですね! 頑張ります!』
そんなやり取りを思い出しながら、霊夢から放たれるお札や針をかわしていく。
魔理沙との特訓を経た今、これくらいは容易に対処できるようになっていた。
「そんな攻撃じゃ私は倒せませんよ! スペルカードを使わないなら私から行きますよ! 妖符『百鬼夜行の残り香』」
巻物から溢れ出した魔力が、無数の妖怪の影絵のような弾幕へと姿を変え、霊夢を包み込むように広がっていく。
「へぇ、面白い弾幕じゃない! でもね――」
霊夢は優雅に舞うように空を駆け、小鈴の弾幕を最小限の動きで避け、時には針で迎撃していく。
そして小鈴へ距離を詰め、妖魔本を奪おうと立ち回る。
しかし小鈴も魔理沙との対策を活かし、華麗に捌いて距離を縮めさせない。
「やけに手慣れた動きね」
「もっと本気で攻撃しないと私は止められませんよ! 来ないならどんどん行きますよ! 読符『九字切の解読文』」
今度は小鈴の周りに九つの文字が浮かび上がり、格子状のレーザーを発する。
「今度はレーザーね! ただ、まだまだ甘いわね!」
霊夢にはそんなレーザーも当たらず、華麗によけられ、撃ち落とされていく。
(すごいなぁ霊夢さんは……でもまだまだこれからだ!)
「どうした? もう終わり?」
霊夢はさらに飛ぶ速度を上げ、強引に距離を詰めようとしてくる。
「いえ、まだまだこれからです! 本符『アガサの夜煙』」
新たなスペルカードを使った瞬間、霊夢の周りが濃い霧で包まれ、全方位から光弾が迫る。だが、よく観察すれば一箇所だけ抜け道が存在していた。
「アガサ? 抜ける方向を探す謎解きってわけ? それにしても、やけに動きが手慣れてるのよね……これは無傷で奪うのは無理か……」
霊夢は霧の中で弾幕を回避しながら腹を括る。
推進力を増した光弾を幾度もしのぎ切ると、やがて霧が晴れていった。
「耐久系ってわけ?」
「これも難なくよけるなんてやっぱりすごいですね! でも攻めてこないと私は倒せませんよ!」
「えぇ、だから決めた! もう容赦はしない! 夢符『封魔陣』!」
その瞬間、小鈴の周りをお札の結界が包み込んでいく。
(囲まれた! でもこれも魔理沙さんと特訓したから行ける!)
小鈴は身体に染みついた回避行動で絶妙にかわしていく。
(凄い! 全部見えるみたいによけられる! 命蓮寺での特訓や魔理沙さんとの対策が生きてる! 楽しい!)
今の小鈴は完全にこの弾幕ごっこを楽しんでいた。
思わず笑みがこぼれる表情を隠そうともせず、完璧に回避し切る。
「まだまだ! そんなんじゃ当たりませんよ! 今度はこっちの番です! 思符『幻想郷縁起・私家編』」
今度は空一面が色鮮やかな文字と物語の光で埋め尽され、美しく幻想郷の夜空を彩る大弾幕が放たれる。
その光景に思わず霊夢も一瞬見とれる。
油断があったわけではないが、霊夢の中に『実は小鈴は乗っ取られていないのでは』という直感が働き始めていた。
(でもそれならこの力とあの姿は何? ってか魔理沙は今どうしてるんだ?)
霊夢は魔理沙の行動を確認しようと地上を見下ろし、驚愕の声を上げた。
「って、何してんだー!?」
視線の先では、飲めや歌えの大宴会が行われており、魔理沙も楽しそうにこちらを見上げながら酒を煽っていた。
そんな光景に一瞬意識を持っていかれたのが災いした。
眼前に迫る弾幕への反応が遅れ、直撃を受けた霊夢が光に包まれていく。
「やったー!」
小鈴は油断なく視線を送りつつも、思わずガッツポーズを決める。
だが、その光が強引に払われるように晴れると、そこには傷を負いつつも陰陽玉を展開した霊夢の姿があった。
「それが陰陽玉……本気ってわけですね」
小鈴はなんとか平静を装い、演技を続けようとする。
「あー……小鈴ちゃん、本当は正気でしょ?」
「そ、そんなことないんだぜ! 私はこの幻想郷のパワーバランスを正すために支配するのじゃ!」
「……いや、口調おかしくなってるよ……それに下を見てみな」
言われて小鈴は思わず素直に下を向く。
その先では、倒れていたはずの面々が楽しそうに杯を交わしていた。
もはや取り繕うのも無駄だった。
「……まぁ、もう演技する必要もないですね! えぇ、私は最初から正気でしたよ!」
「はぁ、鈴がついている時点で気づけなかった私が悪いか……とりあえず色々聞きたいことはあるんだけど、教えてって言ったら素直に教えてくれるわけ?」
「ふふん! そんなの、こう言うに決まってるじゃないですか! 知りたかったら私に勝ってから聞いてください! さぁ手加減は無用です! 本気で来てください!」
「もちろんそのつもりよ! ケガしても文句言わないでよね! 夢符『二重結界』!」
その言葉とともに、小鈴は二重の結界に囲まれていく。
まるで弾がワープするかのように襲いかかるが、小鈴はそれすらも回避していく。
(確かこれは弾がワープしたように見えるけど実際はまっすぐ飛んでいて、視界だけに頼らずによけろって魔理沙さんが言ってた。特訓の成果が出てる!)
二重結界に囲まれているのを感じさせないその動きは、霊夢から見ても実に見事なものだった。
「初見でそんな簡単によけられるものじゃないんだけどね! それならこれはどう! 神技『八方龍殺陣』!」
今度はお札で動きを制限し、退路を塞いだところへ正確に狙いを定めた弾幕が撃ち込まれる。
(これも魔理沙さんと特訓した! お札は絶対によけつつ、ほかの弾幕にも気を配って無理なら打ち落とす!)
今の小鈴はテンションも集中力も最高潮に達しており、特訓以上の動きを見せていた。
当たりそうで当たらない絶妙な回避を繰り返し、どうしても回避不能なものは即座に身代わりを作り出して切り抜ける。
(凄い! 特訓の時でもこんなによけられなかったのに、今は全部が見えるみたい! 私の全力をぶつけたい!)
そうして僅かな隙を見つけ、一気にさらに上空へと逃れる。
「マジか……ここまでよけられるの?」
「いっぱい特訓しましたから! 私も全力で行きます! 霊夢さん! 受け止めてください! 鈴符『九十九の記憶と百の物語』」
小鈴が新たなスペルカードを唱えた瞬間、手元の妖魔本が強く光り輝く。
その眩しさに霊夢は一瞬目を細めた。
そして目を開けた先に見えた光景に、息を呑む。
「な……これは!?」
無数の本が舞い散り、空中にまるで幻想的な書庫のような空間を作り出していた。
その中心で、小鈴は物語を紡ぐように言葉を紡ぐ。
「序章、紡がれる記憶と憧れる思い」
その瞬間、小鈴と阿求の姿を模した影絵が出現し、弾幕を放ってくる。
しかし放たれる弾幕はどこか拙く乱雑で、回避も容易なものだった。霊夢はお札を放つが、宙を舞う本に阻まれて小鈴まで届かない。
「中章、新たな出会いと広がる世界」
小鈴の言葉とともに、宙を舞う本が一斉にページをめくる音を奏でた。
先ほどまでの拙い弾幕から一変し、文字が墨のラインを描いて広がり、格子状の陣を空中に作り出していく。
「くっ……! さっきとは打って変わって、しっかりした弾幕じゃないの!」
霊夢は飛来する本や文字の弾幕を回避しながら、小鈴へ向かって距離を詰める。
小鈴の背後には、鈴奈庵での日常、阿求との日々、数々の事件を経て成長していく彼女自身の記憶が、影絵となって活き活きと躍動していた。阿求から授かった知識、仲間たちと交わした言葉が、鮮やかな朱色や緑色の光弾となって霊夢の退路を塞いでいく。
霊夢は御札を構え、強引に弾幕を打ち払う。
「成長したのは認めてあげるわ! でも、本の知識だけじゃ私には勝てないわよ!」
霊夢の放った陰陽玉が、小鈴の防壁となっていた本を撃ち砕き、一気にその懐へと飛び込む。
そんな迫りくる霊夢を眺めながら、小鈴は手に握りしめた本を強く抱きしめ、脳裏に浮かぶ阿求の静かな笑顔を思い起こす。
――『小鈴。私の記憶は、過去を記録するためのものです。ですが……貴方と過ごす時間は、私にとって初めて“未来が楽しみになる記憶”なのです』――
阿求が長きにわたる宿命の中で抱えてきた重い記憶。それをただの歴史で終わらせない。
新しい言葉を吹き込み、未来へ繋ぐ物語にする。それが、本を愛する小鈴の『思い』だった。
「憧れてるだけじゃない……! 阿求が残してくれた記憶と一緒に、私は新しい物語を紡ぐんだから……ッ!」
小鈴の言葉に呼応するように、手元の妖魔本と懐に秘めた文が、これまでにない眩い閃光を放った。
空中を満たしていた無数の本が弾け飛び、夜空全体が巨大な「和綴じの縁起」と「妖魔本」の幻影へと変貌する。
「終章、築かれる物語!」
その叫びとともに、世界が一瞬で塗り替えられた。
阿求の記憶を象徴する漆黒の墨、小鈴の情熱を象徴する金文字、そして爛漫たる桜の花弁に乗せられた弾幕が、鈴の清らかな音色と共に押し寄せる。
「なっ……何なのこの密度は……!?」
あまりの圧巻の光景に、あの霊夢すらも思わず息を呑む。
美しい文字と金の光粒子が、果てしない螺旋を描いて空を埋め尽くしていく。
墨のラインが幾重にも交差して美しい絵巻物のような陣を描き出し、そこへ無数の桜の花弁が嵐のように降り注ぐ。
それは単なる攻撃ではない。
積み重ねられた歴史と、今を全力で生きる少女の憧れが織りなす、圧巻の物語そのものだった。
幾重にも重ねられた圧倒的な光の渦が、霊夢を包み込んでいく。
「これが……小鈴の全力……! ならば私も全力で受ける! 霊符『夢想封印』!」
霊夢もまた、その情熱と絆の重みを受け止めるように、全霊でスペルカードを展開する。
両者の光が激しく交差し、夜空を眩しく染め上げた。
そして光が弾け、静寂が訪れる。
激しい弾幕はすべて空へと溶けて消え、二人は月明かりに照らされる。
「これも受けきるなんて……流石霊夢さんですね!」
「さすがにひやりとしたけどね……物語はこれで終わり?」
「いえ! まだです! 物語は終わらない! 私たちの未来へ、ページはまだ紡がれていくんです!」
小鈴の力強い叫びと共に、手元の妖魔本が太陽の如きまばゆい光を放ち始めた。
「新章――芽吹く未来と、巡るページ!」
その瞬間、空中に浮かび上がった小鈴と阿求の影絵が、ふわりと微笑み合いながら未来へと歩み出す姿に変化する。それは来るべき年月を重ねた、二人の確かな成長の予感そのものだった。
「いいわ! ならその未来、私にとことん見せてみなさい! 霊符……!」
霊夢はその眩い光景に目を細めつつも、最高峰の弾幕を繰り出そうと構えた――その時。
小鈴の妖魔本がパタリと音を立て、激しく明滅したかと思うと、急激にすべての光を失っていった。膨大な魔力を支えていた糸がプツリと切れるように、小鈴の変身した朱色の着物がほどけ、いつもの見慣れた姿へと戻っていく。
チリン……と、今や静まり返った夜空に、鈴の清らかな余韻だけが小さく響いた。
「あっ……れ……?」
ピタリと止まった魔力の浮遊感。限界を迎えた身体から力が抜け、小鈴は重力に引かれるように、満開の桜へと向かってまっさかさまに落下し始めた。
「っとに、無茶ばっかり……!」
霊夢は舌打ち混じりに苦笑を浮かべ、弾幕を消し去ると、風を切って急降下する。そして地面に激突する寸前、落ちてくる小鈴をふわりと優しくお姫様抱するように受け止めた。
夜風に揺れる桜吹雪の中、霊夢の腕の中でぐったりと目を閉じる小鈴。その顔には、全力を出し切った満足感からか、どこか穏やかな笑みさえ浮かんでいた。
霊夢はその寝顔をひと目見てから、小さく息をつく。
「……まったく。本当に、大した本屋の看板娘ね」
呆れと、隠しきれない温かい慈しみを込めてそう呟くと、霊夢は静かに地上へと舞い降りるのだった。
「小鈴は大丈夫ですか!?」
舞い降りた霊夢のもとへ、阿求がすぐさま駆け寄ってくる。
「えぇ、大丈夫よ。多分力を使いすぎて気絶してるだけだから、そのうち目を覚ますわ」
「それなら……よかった……」
安堵の息を漏らす阿求の横で、境内の宴はますます賑わいを増していった。
◇
その後は波乱だった。
「いい加減にしなさいよあんたたちーーッ! 人里の人間を巻き込んで、挙げ句の果てに私を謀るなんて良い度胸じゃないの!」
神社の境内に、霊夢の怒声が木霊した。
額に青筋を浮かべ、お札手に拳を震わせる霊夢に対し、魔理沙は冷や汗をダラダラと流しながら手を開いてなだめている。
「ま、待て待て霊夢! 落ち着けって! 確かにちょっとした悪ノリはあったが、小鈴の修行の成果を見せるにはこれが一番手っ取り早かったんだって! ほら、怪我人も出てないし、結果オーライだろ?」
「どこが結果オーライよ! ここにいる全員倒れたフリして演技に協力してたなんて……どんだけ大掛かりな茶番演じてんのよ! 神社が荒れるじゃないの!」
「まあそう怒るな霊夢殿。小鈴の嬢ちゃんの真剣な熱意に免じて許してやっておくれ。お陰で今夜の酒は一段と美味いぞ」
呑気に瓢箪から酒を煽る萃香や、クスクスと笑うレミリアたち、そのほかにも皆興奮して愉快に宴会をしている姿に、霊夢は大きな溜息を吐き、ガシガシと頭を掻きむしった。
「はあ……どいつもこいつも勝手なんだから。……でもまあ、あの子のあの動き、本気で特訓してきたのは伝わったわよ。無茶ばっかりして、本当に誰に似たんだか……」
霊夢はちらりと、阿求の隣で静かに息を整え始めた小鈴へと視線を向けた。その瞳には呆れ半分、そしてどこか誇らしげな温かさが宿っていた。
そんな中、小鈴がゆっくりと目を覚ます。
「うーん……確か霊夢さんと戦ってて、すごく楽しくて……えっと……最後どうなったんだっけ?」
頭がもうろうとする中、周りを見渡してみると、すぐそばで阿求が心配そうにこちらを見ていた。
「力を使いすぎて最後は気絶してたのよ。もう心配させないでよね!」
「そうだったんだ。心配かけてごめん! つい、楽しくなっちゃって」
「はぁ、次は気を付けてね。でも……綺麗でしたよ、小鈴」
「でしょ! 昼間に阿求が言ってたでしょ? 記憶が消えちゃいそうになっても何度でも思い出させてあげるって。あれを形にした、私と阿求の物語なんだから!」
「……ふふ、本当に有言実行しちゃうんだから」
阿求は少し呆れたように、でも心底嬉しそうに目元を緩ませる。けれど、ふと夜空に舞う桜に視線を落とし、ぽつりと呟いた。
「物語か……私の短い命の中で、あとどれだけ作れるかな……」
「もう! そんなしんみりするようなこと言わないの! 私たちの物語は、ここで終わりじゃないんだから!」
そんなどこまでもまっすぐな小鈴の言葉に、阿求も笑みをこぼす。
「……そうだね。小鈴がそうやって新しい物語にして残してくれるなら、私も残り精一杯あがいて、たくさんの思い出を記憶しなくちゃね」
そうして二人は肩を並べて寄り添っていった。
「そういえばさ、昼間には教えてくれなかったけど、その妖魔本の名前はなんなの?」
「これはね『鈴奈庵異聞録』! 私と阿求の物語を紡いでいく本だよ!」
そう言うと小鈴は阿求に向かって弾けるような笑顔を向け、妖魔本をポンと叩いた。
「次の章も、その先も、ずっと一緒に作っていこうね! 阿求!」
「もちろん!」
二人は笑顔に包まれ、月明かりも夜桜もそれを祝福しているかのようだった。
二人の温かなやり取りを、少し離れた場所で見守っていた霊夢が、腕を組みながら歩み寄ってくる。
「ふん、良い雰囲気を邪魔するようで悪いけど……小鈴ちゃん、ちょっといいかしら?」
「ひっ……! れ、霊夢さん……!」
鬼の形相をしている霊夢に詰め寄られ、小鈴は思わず阿求の背中に隠れるように身を縮めた。
「今回の件、怪我がないから良かったものの、一歩間違えれば大騒動よ。魔理沙に乗せられたとはいえ、博麗の巫女を担ぎ上げた罪は重いわね?」
「ご、ごめんなさい……! だって、普通に頼んでも霊夢さん本気で戦ってくれなさそうだったから……」
縮こまる小鈴に対し、霊夢はふっと表情を緩め、頭へポンと優しく手を置いた。
「……でも、見事な弾幕だったわ。あんな綺麗な本模様の弾幕、あんたにしか描けないわね。あんな面白い勝負ができたんだから、今回のところは特大の賽銭……じゃなくて、免じて許してあげる」
「本当ですか!? ありがとうございます、霊夢さん!」
パッと顔を輝かせる小鈴に、魔理沙が「ほらな、言っただろ?」とニシシと笑いながら肩を組む。
「さあさあ! お説教も終わったことだし、宴会の仕切り直しだぜ! 今夜は小鈴のデビューを祝って、朝まで飲むぞー!」
「おー!」と歓声を上げる妖怪や人間たち。
盃が交わされ、賑やかな笑い声と桜吹雪が博麗神社の夜をどこまでも満たしていくのだった。
◇
季節は巡り、満開だった桜は青々とした葉桜へと姿を変え、初夏の爽やかな風が人里を吹き抜ける頃。
鈴奈庵の店内には、今日も平和で穏やかな時間が流れていた。
「いらっしゃいませー」
カランコロンと店の鈴が鳴り、入ってきたのはいつもの羽織姿の少女――阿求だった。
「小鈴、借りていた本を返しに来たよ。……それと、これ」
阿求が手渡したのは、丁寧に和紙で製本された一冊の新しい冊子だった。表紙には、綺麗な筆文字で題名が記されている。
「これって……『鈴奈庵異聞録・外伝』……?」
小鈴が目を丸くして表紙を撫でると、阿求は少し照れくさそうに微笑んだ。
「はい。稗田の歴史には載せられないけれど……私と小鈴が空を飛んで見に行ってきた、あの日の幻想郷の景色と、最高の弾幕ごっこの記録。私個人の『日記』として書き残しておいたの」
ページをめくると、繊細な文章とともに、上空から見下ろした妖怪の山や霧の湖、そして夜空に広がった美しい本と桜の弾幕の情景が鮮やかに描かれていた。
「阿求……! 嬉しい……! これ、宝物にするね!」
小鈴が嬉しさのあまり本を抱きしめると、阿求は店内から見える青空を見上げながら、柔らかく語りかけた。
「次はどこへ行きましょうか。今度は輝針城の近くまで行ってみたいわ。それとも、もっと遠くへ……」
「うん! どこへでも一緒に行こう! 私の『鈴奈庵異聞録』に、もっともっとたくさんの物語を書き込んでいこうね!」
小鈴は嬉しそうに胸を張り、大事そうに懐の妖魔本に手を当てた。
人里の小さな貸本屋から広がる世界は、どこまでも青く、どこまでも続いていく。
二人の紡ぐ新しい物語のページは、まだ始まったばかりなのだから。