Coolier - 新生・東方創想話

人形のつくり方

2009/07/25 20:23:36
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 窓ガラスの向こう側、部屋の中には、棚に並べられた幾つもの人形と、椅子に座っている魔理沙がいた。
 しばらくそれを眺めていたアリスは、何となく落ち着かなかった気分が解消されると同時に、ある種の心配事が自分の心の中に生まれた気がした。彼女は窓を通り過ぎて玄関の前まで来ると、扉の前で立ち止まった。ドアノブに手を掛ける様子もなく、ただ、緊張した顔つきをして、いつもなら簡単に開けられるはずの扉を睨んだまま、その先にはなかなか進もうとはしなかった。しつこく髪を触ったり、胞子が付着した服を執拗に何度も叩いたり、手をドアノブに近づけたかと思うと、すぐに引っ込めたりして、扉の前をウロウロと行ったり来たりしている。アリスは自分の家の扉を、開ける事ができなかった。
 午後の太陽が青い空の最も高い位置に昇っている。ゆったりとした風が、森に群生するキノコから発せられる胞子を運んで、空気が光っているようだった。
 どうしようもなくなったアリスは玄関の前から離れた。再びその足を窓の方へ進めはじめる。昨日まで降っていた雨のせいで、若干、踏みつけた草が湿っていて、水の切れるような音がした。彼女が窓を覗き込むと、やはり魔理沙が椅子に座っているのが見えた。魔理沙は目の前のテーブルに本を広げて、何種類かの布切れを手に取って、悩んでいるようだった。まだ何もしていないのかと、アリスは多少呆れ顔になりながらも、そっと窓から離れて、我が家の外壁に背をあずける格好で空を見上げた。青々とした昼過ぎの空の中を、真っ白な雲がのんびりと通り過ぎる。今日は朝から良い天気に恵まれていた。



 今朝、アリスが朝食を済ませてから、丁度、自立人形に関する本を開いた時だった。魔理沙は、突然、アリスの家に現れたのだ。
「なあ、人形の作り方を教えてくれよ」
と藪から棒に言うと、魔理沙はテーブルに広げられていた幾つかの布切れを手に取って、なんとも興味深げにそれらを見つめた。
珍しい客人にアリスは一瞬、唖然としながらも、何とか言い返した。
「急にどうしたのよ。おかしなキノコにでも当たったの?」
アリスは魔理沙の手から布切れを取り戻すと丁寧に畳み始めた。手際の良い動きで布切れをまとめると、それを見ていた魔理沙から驚嘆の声が上がった。アリスは、間違いなくキノコにやられてしまった目の前の不憫な少女を、どうお引取り願うか考えた。が、早朝のせいなのか寝ぼけた頭の中からは、良さそうなアイデアが浮かんでこなかった。読みかけの本を閉じると、アリスは仕方のないといった様子で、話を進めることにした。
「どうして作りたくなったのよ」
魔理沙は即答した。
「何となくだ。だけど、この気持ちに偽りはないぜ」
根拠のない自信が、魔理沙の周りで湯気のように立ち昇っている。アリスは半ば呆れつつも、溜息混じりに言った。
「あんた裁縫とかできるの?」
「服を縫ったりするのは多少ならできるけど―――人形は作ったことがなかったから、やっぱりプロの意見がほしいと思ってな」
「それでここに来た、という訳ね。朝から元気ね」
アリスは椅子から立つと、大きな棚の方へ向かった。引出を幾つか開けると、布切れをどんどん取り出して、山のようにテーブルの上に積み重ねた。魔理沙は何枚か手に取ると、それらを窓から入り込む朝日に当ててみたりと、奇妙な事をした。
 アリスはそれを無視して言った。
「まずは色選びからしてみたらどうかしら。少しはどんな人形を作りたいのか頭にあるんでしょ?」
魔理沙は布切れをテーブルの上に戻すと、うーんと考え込むように目を瞑った。そのまま眠ってしまうのではないか、というぐらい微動だにしないものだから、アリスは慌てた様子で早口に言った。
「別にそんなに具体的に想像しなくてもいいのよ。ほら、どんな色にしようかとか、まずはそういうのからで良いのよ。……ねえ、ちょっと聞いてるの?」
アリスに肩を揺さぶられて、魔理沙は目をパチっと開くと、布切れの山を探りはじめた。
 朝日に照らされて、真剣な顔をして布切れを選ぶ魔理沙は、意外ともいえる彼女の一面をアリスに見せつけているようだった。その顔は幼く見えて、まるで別人のようだった。森の方で鳥が朝の歌を奏で始めると、いよいよ魔理沙はどこかのご令嬢だとか、良家の箱入り娘のように見えるのだった。
 目の前のあどけない顔を繁々と眺めていると、アリスはふと、今日は里で人形劇をする約束があった事を思い出した。突然の訪問者のせいで、すっかり忘れていたのだ。彼女は急いで準備を始める。
 「里で人形劇やるんだけど、魔理沙も来る?」
とアリスが幾つもの人形を従えながら聞くと、魔理沙は首を横に振った。
「じゃあ、留守番よろしく。帰ってくるまでに色ぐらい決めておいてよ」
帰ってきた時に、まだ魔理沙がいたのなら人形のつくり方を教えようと、アリスはそんなことを考えながら里へ向かったのだった。



 青い空に流れる白雲が細くなってきた頃、壁を背にしてアリスはまだ空を見ていた。人形劇から帰ってきた彼女の家に、魔理沙はいた。何度窓を覗いても、彼女が椅子に座っている姿が映る。しかし、どうにもおかしな気分だった。魔理沙が家にいたことがアリスには素直に嬉しかった。あるいは安堵したと言った方が良かったかもしれない。家の物が盗まれていないという事が分かったし、魔理沙が本気で人形をつくろうと思っていることも分かった。それなのにアリスは家に入る気がしなかった。
 アリスはもう一度窓を覗き込むと、やはり魔理沙がじっと何かを考えるように椅子に腰掛けているのを確認した。その姿はまるで、人形のように可愛らしい。
「貴女、壁にへばり付いて何をしているの?」
突然、後ろからほっそりした声が聞こえて、アリスは振り向いた。紫色の髪がやけに長くて、どうにも不健康そうな女が、何か面白い動物がいるといった一種の好奇心的な目つきで、アリスを見ていた。
「え、パチュリーじゃない。なんでここにいるの?」
パチュリーと呼ばれた女は表情こそ顔には出さなかったが、苛立たしく言い返した。
「今日、私とお茶会する予定だったんじゃないの? 確か、あなたに誘われたと記憶しているのだけど」
「―――あ、ええっと、そうだったわね―――今、思い出したわ」
「……」
 パチュリーはアリスの後ろにある窓の奥に、魔理沙がいるのをハッキリと見た。彼女は湿った草を音も立てずに歩くと、窓をそっと覗いた。
「あそこにいるの、魔理沙なの?」
と、どうにも窓の向こうの世界を信じたくないような口調でパチュリーは尋ねた。
「あれが人形に見える?」
「見えなくもないわね。でも、あ、今動いたわ」
魔理沙は左手で頬杖をついて、右手の人差し指でとんとんとテーブルに叩きつけはじめた。そのせいでテーブルに広げられた布地うちの一つが震えている。
「今朝から、ずっとあの調子なのよ」
「ふーん…… それで自分の家を覗き見する事態になっているわけね」
アリスは「そんな訳ないでしょ」とふんと鼻を鳴らして窓から離れると、再び玄関の方へと向かい始めた。パチュリーもそれに付いて行く。
「アリスって強がりというか、臆病なのよね」
「どういう意味よ」
「あら、言ってほしいのかしら?」
「遠慮なんてせずに、どうぞ」
アリスは玄関の前で立ち止まると、振り向いた。するとパチュリーと目が合った。パチュリーはほっそりとしていて、早口で話す魔女だった。それにつられてアリスも早口になっていたのだ。
 日光を遮る玄関のひさしが、二人の立っているところに影を落として、あたかも洞窟の入り口のように暗くなっている。暗い影の中でパチュリーはにやりと笑みを浮かべると、やはり早口で言った。
「魔理沙にどう対応したらいいのか分からないんでしょう。窓から見た様子から察するに、何か重大な相談でも持ちかけられたのかしら? で、それをどう答えたらいいのか分からなくて、立ち往生ってところかしらね」
パチュリーは尚も続けて口を開いたが、アリスがそれを遮るように、口を挟んだ。
「まあ、パチュリーったら小説家でも目指してるの? なんだかロマンチックなお話ね。でも、実際は私が里から帰りがしらに窓に魔理沙が見えたから、少し覗いて見ただけよ。で、そこにあなたが来た、というわけ。それに重大な相談なんて初耳だわ」
「そう…… なら、さっさと入りましょう」
パチュリーはドアノブに手を掛けた。少し廻したところで、アリスがパチュリーの腕を押さえる。パチュリーはじろりとアリスを睨んだ。
「私がやるわ。私の家だし」
アリスはパチュリーの細い手をドアノブから離させると、自分の手で握った。木のすらっとした感触が、いつもの心地よさを失って、冷たく感じた。アリスはドアノブをゆっくりと廻し始めた。慎重に。全く音を立てずに扉を開くのは至難だったが、彼女はそれをやり遂げると、ほっとして大きく息を吸い込んだ。途中、パチュリーが何か呟いていたようだったが、集中しすぎて聞き取れなかった。
 二人は廊下を進んでいく。アリスは足に伝わる床の乾いた音が、自分を落ち着かせるのを感じた。家の中に流れるいつもの匂いや、雰囲気のようなものが、彼女の気分を楽にした。何よりも、パチュリーが一緒にいるというのが心強かったかのかもしれない。

 居間では魔理沙が先刻と相変わらない様子で椅子に座っていた。アリスは後ろからゆっくりと近づくと、魔理沙の手元を覗き込んだ。その手には一枚の赤い布切れが握られている。
「ただいま」
とアリスがぎこちなく声を掛けると、ビックリした様子もなく、魔理沙は淡々と答えた。
「遅かったな。とっくの昔に布は決まったぜ」
魔理沙は赤い布切れを少し持ち上げた。
「こんにちは」
アリスの後ろにいたパチュリーがテーブルの前に進み出た。魔理沙は少し驚いた表情をしつつ、上擦った声を出した。
「あれ、パチュリーを図書館以外で見るなんて珍しいな」
「今日はお茶会の予定だったのよ」
へえっと魔理沙が声を漏らすと、アリスの方に向いて言った。
「魔女同盟ってことだな。私も混ぜてくれよ」
「構わないけど、人形づくりはどうするのよ」
「もちろん続けるさ。お茶を飲んだ後でな」
 程なくして、アリスは人形たちに紅茶を持ってこさせた。続いてお菓子を持った人形がテーブルの真ん中にそれを慎重に置いた。
「ずっと気になってたんだけど、あれ本当に全部アリスが動かしてるのか?」
人形が飛び去っていくのを目で追いながら、魔理沙が納得いかないといった様子で聞いた。
「そうよ」
アリスは簡潔に答えた。テーブルに置かれた三つの紅茶の湯気が、交じり合って天井に昇ると溶けて消える。お茶会がはじまったのだ。
 それからは、あっという間に時間が進んだ。パチュリーの持ってきた人形の歴史に関する本などは、アリスに大変好評で、彼女はそれを読むのに夢中になってしまった。その間に魔理沙とパチュリーは、アリスの作った人形を幾つかテーブルに並べると、どんな人形を作ったら良いのか話合っていたようだった。
 お茶と一緒に出したお手製の菓子もほとんどなくなった頃、夕日が森の奥に沈みはじめて、部屋が暗くなってきた。

 「最初はそんなもんよ」
一応出来上がった人形を見て、アリスが労いの言葉を魔理沙にかけた。もう、夜空に月が浮かんでから、かなりの時が経っている。パチュリーは日が沈む前に帰ったために、今、部屋にはアリスと魔理沙の二人しかいなかった。その周りにいるたくさんの人形たちが、二人の様子をたくさんの瞳で見守っている。
「思った以上に難しいな。ちょっと幾つか布切れを貰っていいか?」
「好きなだけ盗んで行きなさいな」
魔理沙は珍しくお礼を言うと、大量の布切れを袋に入れた。

 アリスは夕食にシチューとパンを出した。魔理沙は食べながら良く喋って、案外、色々な事を知っているかのように、様々な知識を披露した。アリスはそれに何度も頷いたりして、時には驚嘆の声を漏らした。まるでアリスの知らない世界に住む住人のように、不思議な物語を話す魔理沙が見てきたこの幻想郷は、どんな風に彼女の瞳には映っているのだろうか。アリスが魔理沙の瞳を見つめると、吸い込まれそうになった。その世界に、連れて行かれるような気がした。
 「自立人形ってつまりは、独りでに動いている人形って事だよな」
魔理沙がパンをむしりながら、唐突な質問をアリスに投げかけた。アリスははっとして現実に戻されて、どう答えるべきかしばらく沈黙した。月の光が部屋を銀色に染めていて、蝋燭の淡い炎が届かない隅では暗闇が広がっている。それはアリスの知っている幻想郷の世界だった。その暗がりを見つめながらアリスは言った。
「自分の意思を持って、自分の力で動く人形の事かしらね。ただ、妖怪化した人形がそれに該当するのかは良く分からないわ。それに、人形に物の怪がついて、それの意思で動いている場合もあるし…… 純粋に人形が自立している場合というのは稀だし、私も数えるほどしか見たことないわ」
アリスは自立人形の研究に生涯を捧げている。彼女は人間ではなく魔女だ。寿命は人間よりもはるかに長く、寝る事も必要ではない。それでも、この研究は終わるのかさえ分からなかった。たとえ一生が無駄になったとしても、アリスは自立人形を作りたいのだ。魔理沙はそのことを知っているはずだった。それなのになぜ、今更こんな事を聞いてくるのか、アリスには分からなかった。
「動く人形に興味を持ったのかしら?」
魔理沙はニヤリと笑ったが、何も答えなかった。
 遅い夕食を食べ終わると、魔理沙はアリスの家を後にした。箒に跨った魔理沙の、頭に被った大きな帽子が月光で銀色に照らされると、如何にも魔女といった風体で、颯爽と夜陰に飛び込んで行った。



 朝の日差しが居間に一つだけあるテーブルの上を白く照らしている。人形は紅茶をテーブルに置き終わると、再びキッチンの方へ向かって飛んでいった。しばらくすると、思い出したかのようにさっきの人形が戻ってきて、居間の窓を開けた。どこからともなく飛んできた葉っぱが、窓から入り込んで、部屋にくるくると回りながら落ちていく。それを踏みつけて、アリスは椅子に座った。紅茶を口に含むと、丁度良い温度だった。
 アリスは自然と笑顔になる。それは三ヶ月前の出来事、つまりは、魔理沙が人形に興味を持ったという奇妙な事実のせいなのかもしれないし、もしくは朝のふんわりとした朗らかな気候のせいなのかもしれなかったし、ただ単に紅茶が美味しかっただけなのかもしれない。それでもやはり、彼女は紅茶を飲みながら笑みを絶やす事がなかった。
 研究に没頭し続けて、人形たちと一緒に暮らす家族ごっこは、アリスにはとても有意義で心が満ちてくるような楽しいものだったが、今となっては灰色の思い出にしかならなかった。

 ほどなくして、朝の静寂は打ち消された。家の扉が叩かれる音がしたかと思えば、間髪いれずにずかずかと足音が部屋に響く。魔理沙が来たのだ。
 アリスは慣れたもので、慌てる様子もなく、この無礼な客人に出すための新しい紅茶を人形に持ってこさせた。
「最近はいい天気だな」
紅茶を啜りながら、魔理沙が人形を取り出した。近頃は毎日のようにやってきては、作った人形をアリスに見せにくるのだった。
「今回のはなかなか良い出来じゃない」
アリスは掌で人形を撫でながら、縫い目などを鋭く観察した。魔理沙は上達するのが早く、並々ならぬ努力が彼女の作った人形の細部から見え隠れしていた。
 魔理沙が人形を作りたいと言った日から、アリスには心配事が一つあった。それは魔理沙がすぐに人形づくりに飽きてしまうのではないかということだった。もしそうなると、ひどく心が傷つく気がしたし、悲しくなるのは間違いなかったからだった。しかし、今ではその心配が馬鹿らしいものだとアリスには思えた。魔理沙は至ってまじめに、人形を作っているのだ。
「フリルの皺が上手くいかないんだ。ほら、なんか下品だろ」
魔理沙は人形のスカートを指差して言った。
「折り方が悪いんじゃないかしら。均等にしようとしてるのは分かるんだけど、無理しすぎなのよ。不均等にした方がかえってキチンとするものよ」
「へえ、次はそうしてみる」
人形が紅茶のお代わりを持ってきた。近頃は人形に話しかけることもなくなったと、アリスはふと、思った。
 翌日には、魔理沙はフリルの上達した人形を持って、またもや朝っぱらから遠慮なしにずかずかと家に入り込んできた。その次の日も、また次の日も、さらに次の日も魔理沙はこの人形師の家に訪ねてくるのだった。

 それからは、こんな日々が毎日続いたらというアリスの願望通りに、時は進んでいった。いつの間にか魔理沙は人形を持ってこなくなっていたが、アリスの家にはよく来た。師匠とその弟子。この言葉が以前の二人の関係を表すのには適していた。しかし、少なくともアリス自身は今も昔もそうは思っていなかった。魔理沙は友人だった。気が合うというよりも、お互いに必要とすることがあっただけだったのかもしれない。が、彼女にとって魔理沙と一緒にいるということは、ただただ楽しかったのだ。そこでは他愛のない話しや、近頃のキノコの生態、異変解決の際にいかに活躍したのかを熱心に喋る魔理沙がいて、聞いてるアリスはまるで違う世界に来てしまったのではないかと、しばしば錯覚させられた。
 時にはパチュリーも加わって、魔女三人がこの家で議論するということもあった。家にたくさん並べられた人形たちは、近頃、主人が構ってくれなくて、寂しそうにその光景を眺めていることが自然と多くなった。

 そんな或る日のこと。よく晴れた青空に浮かぶ昼の太陽が、森の緑色に強く反射していた頃、魔女たちがアリスの家でお茶会をしていた。
 「ところでアリス、研究の方は進んでいるの?」
パチュリーが読んでいた本を閉じて言った。外では夏風に吹かれた木々がざわざわと揺れている。
「最近はほとんど何もしてないわ。なんだか、なかなか手につかなくて……」
本当のところ、アリスは全くといって良いほど、自立人形に関する研究をしていなかった。周りの交友が、アリスを変えてしまったのかもしれない。
「アリス、研究を怠ったらそれは魔女じゃないぜ。ただの魔法が使えるだけが取り得の怠け者だ」
魔理沙が語気を強めて言った。彼女はクッキーを手に取ると口に放り込んで、音を立てて噛み砕いた。
「魔理沙の言うと通りよ。それにあなた、あんなに自立人形に対して熱を上げてたじゃない」
パチュリーの声がクッキーの砕ける音と混じると、それは不協和音になって部屋に響き、午後の紅茶に波紋をつくる。時間が急にゆっくりと進み始めたかのように、窓の向こう側では、空を飛ぶカラスが伸びた鳴き声を上げた。
「それに、お前が最近作ったっていうこの人形、私のより下手じゃないか。もしかして手を抜いてるのか」
魔理沙が二つの人形を見比べた後、それをパチュリーに渡した。一つはアリスが最近作った人形で、もう一つは今日、魔理沙が久しぶりに持ってきた人形だった。
「本当だわ…… 魔理沙の作った人形の方が出来がいいじゃない」
パチュリーが真っ白な手で人形を触ると、アリスの手もとに二つを並べる。アリスは二つの人形を手に取ると、見比べた。彼女の作った人形はひどい出来だった。所々、糸がほつれていたり、スカートの刺繍が雑であったり、何よりも顔に生気がない、というのは可笑しな言い方だが、つまりは表情が無い。およそ人形師と呼ばれる者が作った人形だとは考えられない一品だった。
 二人の言う事はもっともだった。しかし、アリスは顔をしかめたまま、何も言わなかった。いつもは和やかに進むお茶会が急に裁判のようになってしまって、彼女はなんだかこの会話が鬱陶しくなってきたのだ。それに三人の異なった特徴的な香水の匂いが混じって、ひどく不快になってきた。カラスの鳴き声も、何度も、何度もやけに甲高く伸びて聞こえて、耳がどうにかなりそうだった。

 窓ガラスが外の風に当てられて、カタカタと震えるような音を出した。扉の閉まる音が居間に届くと、テーブルに伏せていたアリスは、はっとして部屋を見渡した。薄暗くなった部屋に斜陽が差し込んで、辺りは薄い赤色に染まっている。誰もいない―――がらんとした部屋の広すぎる空間が、虚しく彼女を包み込んでいた。綺麗に並んだ人形たちはずっと座っている。主人が再びうつむいて、悲しそうな独り言を言うのを、静かに聴いている。
 この日を最後に、二人の魔女はアリスの家には来なくなった。
 


 魔理沙の作った人形がテーブルの上で踊っている。くるくると廻った後にお辞儀をすると、優雅に崩れ落ちた。
 アリスの生活は再び人形たちとの家族ごっこに戻った。彼女は以前と変わらずに毎朝、紅茶を飲みながら外を眺めている。すると急に魔理沙がやってきて、扉を叩く音とともに、あの懐かしい遠慮のない足音を響かせながらこの部屋に入ってくる。そこでアリスは言うのだ。
「今日は何しに来たのよ」
きつい口調とは裏腹に、アリスは笑顔になると、どうにも落ち着きがなくなって、紅茶やお菓子をすぐさま人形たちに用意させる。すると人形たちは嫉妬の眼差しを魔理沙に送りはじめる。
―――そんな空想をアリスは何度も窓ガラスに映した。
 時間は止まる事を知らずに、益々速度を上げて、アリスの前を通り過ぎていく。それに比例して、人形屋敷の人形たちも、寂しさを埋めるように着々と人数が増えていった。アリスは魔理沙の家にも、パチュリーの所へも行くことはなかった。たくさんの人形に囲まれたアリスは、夢から覚めたかのように、人形たちを自立させるための研究に日夜明け暮れていたのだった。彼女は意地になっていた。
 しかし、その間にも、アリスは里へは何度も人形劇をするために行った。近頃は、劇を楽しみにする大人や子供たちも、その顔ぶれはどんどん変わり、彼女が最初に劇を見せた時の子供たちの孫や、ひ孫が、今、彼女の劇を楽しみにしている。里の人々は移り変わる季節のように本質を変えないまま、見知らぬ人ばかりになっていった。
 アリスは家に帰ってくると、「ただいま」と言って、人形たちを持ち上げた。それも段々と虚しくなってくる。依然進まない自立人形に関する研究のせいで、彼女は落ち込んでいたのだった。次第に、人形をつくる理由もわからなくなってきた。どれだけたくさんの人形を作っても、彼女たちは喋ることはなかったのだ。アリスは以前にも増して孤独だった。

 或る日差しの強い朝、扉を叩く音が微かに聞こえた。アリスが扉を開けると、パチュリーが玄関の前で、不健康そうな華奢な体つきで立っていた。アリスが紅茶を出すと、パチュリーはそれを飲みながら、何か言いにくいことを切り出す口実を考え込んでいるといった様子で、重苦しい空気を漂わせた。アリスはそれを察して、紅茶には口を付けずに、パチュリーが何を言うのかじっと待っていた。
 何十年と見なかった顔は、以前会った時と全く変わっていなかった。アリスは喋りたいことがたくさんあったのをじっと堪えるように、パチュリーを見つめる。テーブルの上に一枚の葉っぱが飛んでくると、流れるように床に滑り落ちた。
「魔理沙は死んだわ」
と唐突に言うと、パチュリーは再び紅茶に口をつけた。
 今では口癖のように溜息を吐くのが癖になっていたアリスは、ぐっと息を止めると、窓から見える風景に目をやった。空想はもう久しく忘れていたが、急にあの頃の日常が蘇ったように、ありありと情景が彼女の目に浮かんだ。はじめて魔理沙が人形を作りたいと言ったときの日のことや、飛び去っていくときの見事な魔女っぷりや、くだらない話で夜を明かした日のことが昨日のように思い出せる。とうに忘れたと思っていたほど古い記憶のはずなのに、意外なほど鮮明に覚えていて、アリスは泣きそうになった。あの日々の出来事は、灰色の思い出になるばかりか、より強く、そしてより美しくなって、彼女の記憶の片隅に残されていたのだった。

 パチュリーとしばらく懐かしい話をした後で、アリスはある考えが自分の心の深い部分に燻っているのを感じた。それが何なのかぼんやりと分かると、アリスは引き出しから布切れをたくさん取り出して、テーブルの上に山積みにした。未だに確信は持てなかったが、それでもやろうと、彼女は日々、一体の人形を作るために家に篭った。彼女は日夜ずっと、ほとんどの時間をこの人形づくりにのために費やした。そう、いつまでも続く時間なども忘れて、あの幸福な日々を思い描いて、彼女はまるで夢の中にいるように、疲れを知らずに人形を作り続けた。思い出に針を通して、楽しかった日々で形を作り、ずっと溜めていた後悔と臆病な自分の心を、中に詰めて。アリスは一体の人形のために、はらはらと涙を流しながら作り続けた。



 窓から見えたのは、棚に溢れんばかりに並べられた人形たちと、椅子にもたれて座る魔理沙だった。
 人形劇を終えて里から家に帰ってきたアリスは、窓の前で佇むと、あいかわらず部屋の中をじっと覗いている。黒い帽子を魔女だと云わんばかりに被った人形が、あの時の、人形を作りたいとここへやって来た時の魔理沙と、見間違えるほどそっくりに椅子に座っている。ひっそりと椅子に座った魔理沙の人形は、動く気配さえなく、静かに部屋の一部になっているようだった。
 未だにアリスの作りたいと願う自立人形は完成する兆しさえもなかった。それでも、時は進んでいく。そんな無常な存在に焦ることもなく、彼女は毎日を過ごしていた。意地を張る相手はもういない。あの人形も、結局は魔理沙ではないのだ。
 アリスは壁に背を預けると、青い空を見上げる。あの日と同じように、真っ白な雲がのんびりと上空を通り過ぎていった。
感想、批評くださると嬉しいです。
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コメント



0.1220簡易評価
3.90風鈴削除
なんとも言えない雰囲気です。
最後の締まりが悪い気もしますが、これはこれでいいかも。
8.30名前が無い程度の能力削除
ただの孤独で駄目な女が勝手に死んだ相手そっくりの人形作って終わる
とちょっと何か気持ち悪くて見所がよくわかりませんでした。
11.90どどど削除
厳しい現実? でもそれがいい^^
15.70名前が無い程度の能力削除
この物語で何を伝えたかったのかがちょっとよくわかりませんでした。
地の文はしっかりと書かれているけど
シーンごとの繋がりがわかりにくい上に、唐突に展開が変わってしまい、ちぐはぐな印象を受けました。
16.80名前が無い程度の能力削除
おま、前半は皆仲良く良い感じだったじゃねーか!
何で後半急に鬱展開になっちまったんだょアリスぅ
17.40名前が無い程度の能力削除
魔理沙が人形を作りたいと思った動機が描かれてない。
アリスが研究できなかったのは魔理沙が毎日来るようになって時間が取れなくなったから(これもちょっと変な感じがする後述)なのにその魔理沙が糾弾する構図はおかしい。
毎日魔理沙が来ていたとして、その魔理沙が家で人形を作れるくらいには時間が余ってるのに、その時間アリスが何をしていたのか描かれていない。

あと、個人的な意見だが、友人に物を教えるときってカッコつけたくて技量を下げないように必死になると思うから違和感がある。
22.無評価名前が無い程度の能力削除
おまいらただハッピーエンド見たいだけだろww
30.60名前が無い程度の能力削除
なんというか自分の中で噛み砕きすぎと言うか
雰囲気はいいんだけどいまいち言いたい事が伝わってこないかなぁ
36.70名前が無い程度の能力削除
あえて詳しく描写しない事によって、時間の無情な進み、要するに何気なく生きてたら時間なんてあっという間に過ぎちゃうんだよって事を表現したかったのかなーって思ってみたり。(違ってたら恥ずかしい orz)
38.無評価削除
読んでくださった方々、ありがとうございました。

最後の締めは幾つか考えていたのですが、青空で終わるのが一番明るい雰囲気かなと思いまして、あんな風になりました。一応、僕が一番気に入っていた終わり方は、最初の方でも書いているパターンを真似て、パチュリーの「あそこにいるの魔理沙なの?」という問いにアリスが「あれが人形に見える?」というところまで続けるものです。でも、それだとやけに長ったらしい気がしたので却下してしまいました。うーむ。こういうリズムとかを考えるのが僕は苦手なんだと、色々な方々から頂いたコメントでよく分かりました。
 リズムが悪いのもありますし、視点の切り替えと文章の流れ方が自己完結というか噛み砕いていて、自分の頭の中にあるものを相手に伝えるのが下手なんだと、再認識できたので、次はこのあたりを主に考えて、小説を書いてみようと思います。
 ちなみにテーマとかはあんまり考えてませんでした。人形つくりに生きている人間が、親友みたいな人ができて、そっからどうなるのかな程度のプロットです。

あと、17さんのコメントが大変参考になりました。僕はそういうのを考えることを怠っていたような気がします。ただ、魔理沙の動機を「ただ、作りたくなった」というだけで済ませているのはわざとです。なんでわざとなのかと聞かれても、うーむ。……ノリでそうなっただけかもしれません。一応、アリスと友達になるために、彼女の趣味について知りたかったとかそんな感じなのかな。
 でも、この魔理沙の動機を書けていないせいで、物語全体があやふやというか、不安定なものになっているような気がしました(今、読み返して)。なので、これ失敗だったなあと思ってます。
また、様々なご指摘本当にありがとうございます。人間の心理とかは勉強になるので、もっと物語を面白くするには心の動きを上手くかけように努力したほうが良いと感じました。そして、説明するところと、説明をはぶいているところのバランスなども、もっと勉強しないと駄目ですね。やることがたくさんできて、次の物語をどんな風にしようかと、なんとなく、わくわくしてきましたw

まとめると、文章とかのリズムや流れ、シーンごとのスムーズな視点変化とかをもっとわかりやすく読者の方々に伝えること。そして、動機などの物語の中にある設定などの説明文の有無のバランス。それは読者の方々がすんなり読める物語にするということでしょうか。あれ、ここの説明がなくてこの人物がなぜ、こんなことをしたのかわからない。といったようでは、駄目ですもんね。
と、こうやって書いてみると、難しい課題が残ってしまった気がしますねw 次がんばります。

時間の進み方はどうやって表現しようかなってので悩みました。文字数の少ない小説(この小説は1万字と300字ぐらい)でどれだけ時を流れさせることができるのか、少し試してみたかったんです。それが結果的に、36さんが思うような印象になってしまったのかもしれません。でも、読み手側の受け取り次第と思うので別に当たりも外れもないと思うので、恥ずかしがらないでw

では、何かと長くなってしまいましたので、文章おかしな所があるかもしれませんが、この小説を読んでくださった方々、コメントや評価をくださった方々、ありがとうございました。