「あ、いたいた! おーい」
巫女、博麗霊夢の頭上からそんな声が響いたのは、彼女が縁側でお茶を啜っている時であった。
湯呑みから口を離し、燦々と輝く日の光の中を下りてくるその人影に目を向ける。太陽を背負っているせいで影になり、顔などはほとんど見えないが、それでもあまりにも特徴的な風体から、その人物のおおよその見当はついた。
「あらあんたは……えぇと……」
問題は、見当のついたその人物の事自体がよく思い出せないという事だった。霊夢は眉間に皺を寄せうーんと唸りながら考える。
「あぁ」
そしてその、昼間だというのに大きな紫色の傘と、左右で違う色の瞳を持つその人影が目の前に降り立った時、ようやく思い出したとぽんと手を打ち、それを指差しながら言った。
「茄子妖怪の」
「唐傘お化けだよ?!」
多々良小傘はショックを受けたように、その愛嬌のある顔を(傘に描かれている方も)歪めて叫んだ。
「あぁはいはい覚えてるわよちゃんと。で、その唐揚げお化けが私に何の用?」
「なんか間違ってる気がするけどまぁいいや」
決して目を合わさずに言う霊夢に、小傘は懐疑的な視線を向けながらも妥協をして本題に入った。
「聞いて驚きなさい!」
「やだ」
即答し、霊夢はずずっと茶を啜る。
まさかそう返されるとは思わなかった小傘は、腑に落ちないような表情で、二、三度ほどつぶらな目をぱちくりさせ、それからやや困ったような顔で、
「せめて聞いてから断ってよぅ……」
と請いながら、弱弱しく霊夢の袖をくいくいと引っ張った。霊夢はいかにも面倒くさそうな顔をする。
「仕方ないわねぇ。じゃあちゃっちゃと言いなさいな」
仕方ないわねぇ、の部分は苦笑を含んだ微笑ましい表情ではなく、心底仕方なさを全面に出した本当に嫌そうな顔であった。
しかしそれを察する事のできない小傘は、一転してぱあっと表情を明るくする。そしてその場で胸を張って、誇らしげな顔で口を開いた。
「私はついに、人間の驚かし方の極意を身に着けたから、人間代表のあんたを驚かしに来たのよ!」
「へぇ、驚いた。極意なんて凄いじゃない」
霊夢は、珍しく素直に感心した様子を見せる。
「あ、あー! どうしてまだ驚かしてないのに驚いちゃうのよー?! うわーん馬鹿ー!」
が、しかし特に何をするでもなく容易く驚かれてしまったのが気に障ったらしく。小傘は小さい子供のように泣きながら両手をぐるぐると回し、霊夢の肩のあたりをぽこすかと叩いた。
「あぁもうこいつ面倒臭いわねぇ。驚いたのは嘘よ。だからその極意とやらを試したら賽銭入れてさっさと帰りなさい」
「なんだ嘘か。良かった」
こめかみの近くをひくひくと痙攣させる霊夢の前で、小傘はほっと息をつく。
いい加減、刺したり御札貼ったり前歯折ったりして追い払っちゃおうかな、と霊夢が考え始めている中で、小傘はおもむろに、いつも差している茄子色の傘を畳んだ。
「ん!」
「え?」
そして、畳んだそれをずいっと霊夢に差し出した。霊夢は思わずそれを両手で受け取る。その傘は見た目よりちょっと重く、思っていたよりちょっと軽い。しかし、別にこれといって驚くほどのものではない。
小傘の意図がわからず首を捻っていると、小傘がごそごそとポケットから何かを取り出し、頭上に翳した。自然とそれを追って霊夢の視線も上へ向かう。
霊夢の目に映ったのは、日の光を受けて鈍い輝きを放つ金槌であった。
「うらめしやー!」
め゛ぎっ。
小傘の陽気な声響くと同時に、振り下ろされた金槌はその元気いっぱいなその声とは対照的な鈍く生々しい音を経て、霊夢は一言も発する事無く地面に倒れた。
「これが師匠から伝授された驚かし術の極! ただ単純な純然たる暴力こそ一番恐ろしい! その名も『恐怖とはパワーだZE!』よ!」
ちょっとばかり赤黒く染まった金槌を天に翳しながら、小傘が得意げな顔で叫んだ。境内で赤黒い水溜りを広げ続ける霊夢は、その間もぴくりとも動かない。
「ねぇねぇ驚いた? 驚いた? ねぇねぇ」
小傘は初めて試した極意の感想を聞くため、動かない霊夢をゆっさゆっさと揺する。興奮から薄っすら朱が刺すその顔は、わくわくしているのが用意に見て取れるほど明るい。
と、その時。
されるがままだった霊夢が突如、ゆらりと体を起こした。同時に、小傘は背筋が冷たく鋭利なものが何十、何百も突き刺さるような悪寒に襲われる。
ぎぢ、ぎぢぃ、と異様な音が響き、小傘の頬を冷たい物が流れ落ちた。それが冷や汗だったのか涙だったのか、小傘には判別できなかった。
奥歯が砕けんばかりの力で、周囲の空気を噛み殺しているかのような壮絶な歯軋りをしながら、霊夢が座り込んでいる小傘を血走った両眼で見下ろし、そして口を開いた。
「小娘、憤怒の恐怖を教えてやる」
じゃらりと音がして、霊夢の両手の中に大量の針、札、護符、そして陰陽玉が現れる。
この日、小傘は薄れ行く意識の中で、真の恐怖というものがどういうものなのか悟ったという。
一方、その少し後の魔法の森の一軒家。
「アーリースー。ごーはーんー」
「はいはい、もうできたから暴れるのはやめなさい」
若干疲れた顔をした(せいなのだろうか、やや)大人びた印象の少女がそう言いながら、椅子に座りながら手足をばたばたとせわしなく動かしているとんがり帽子の少女の前のテーブルに、トーストと半熟の目玉焼き、それと野菜サラダとほどよく具が煮崩れたシチューの皿を置いた。そしてエプロンを外して、そのへんに浮いて待機していた人形に手渡すと、その場で腕を組んで説教を始める。
「あのね、私も餓えた人間を目の前にして放っておけるほど人間は辞めてるわけじゃないわ。でもね、食事作るのが面倒くさいなんて理由で毎日毎日人の家に押しかけてくるのは、迷惑だからできればやめてもらえないかしら。ねぇ魔理沙」
「アリスの作るご飯はおいしいなぁ上海」
「聞きなさいよ少しは人の話を。あと物食べて汚れた手で上海触るな」
「あ、目玉焼きにはしょう油がいいって言ったろ。どうして塩がかけてあるんだよ」
「食わせて貰っておきながらよくもそんな文句をあんたって奴はあぁもう畜生ー、どうでもいいわよ」
少女……アリスは、やり場のない鬱屈した感情を、ほんの僅かでも外に出したいという切実な願いの感じられる大きな溜息をつく。その横で魔理沙はこんがり焼けたトーストを齧った。
と、そこで唐突に扉がぎぃと音を立てた。反射的にアリスと魔理沙両方がそちらに目を向ける。
魔理沙は口にトーストを含んだまま言う。
「あぁ霊……どうして包帯でぐるぐる巻きなんだぜ?」
そこにいたのは霊夢だった。
魔理沙の口からトーストのカスが零れ落ちるのを見ながら、アリスは直感的に立ち上がり、二歩……いや、たっぷり五歩ほど身を退いた。そしてこっそりと、しかし迅速に魔法の準備を始める。
「魔理沙」
つかつかと、顔中包帯塗れの霊夢が腋に右手を隠しながら、暢気にトーストを食べ続ける魔理沙に歩み寄る間に魔法を完成させる。
アリスの使った魔法。それは、家の中の床や家具……特に、大切な魔法書や人形……に、血がこびり付かないよう反発させる魔法だった。
霊夢が腋から右手を抜くと、そこには、乾き、鉄の臭いを放つ赤黒い染みのついた金槌が握られていた。霊夢はそれを振り上げながら、極めて平坦な声色で告げた。
「細かい事はいいから、一発殴らせなさい」
巫女、博麗霊夢の頭上からそんな声が響いたのは、彼女が縁側でお茶を啜っている時であった。
湯呑みから口を離し、燦々と輝く日の光の中を下りてくるその人影に目を向ける。太陽を背負っているせいで影になり、顔などはほとんど見えないが、それでもあまりにも特徴的な風体から、その人物のおおよその見当はついた。
「あらあんたは……えぇと……」
問題は、見当のついたその人物の事自体がよく思い出せないという事だった。霊夢は眉間に皺を寄せうーんと唸りながら考える。
「あぁ」
そしてその、昼間だというのに大きな紫色の傘と、左右で違う色の瞳を持つその人影が目の前に降り立った時、ようやく思い出したとぽんと手を打ち、それを指差しながら言った。
「茄子妖怪の」
「唐傘お化けだよ?!」
多々良小傘はショックを受けたように、その愛嬌のある顔を(傘に描かれている方も)歪めて叫んだ。
「あぁはいはい覚えてるわよちゃんと。で、その唐揚げお化けが私に何の用?」
「なんか間違ってる気がするけどまぁいいや」
決して目を合わさずに言う霊夢に、小傘は懐疑的な視線を向けながらも妥協をして本題に入った。
「聞いて驚きなさい!」
「やだ」
即答し、霊夢はずずっと茶を啜る。
まさかそう返されるとは思わなかった小傘は、腑に落ちないような表情で、二、三度ほどつぶらな目をぱちくりさせ、それからやや困ったような顔で、
「せめて聞いてから断ってよぅ……」
と請いながら、弱弱しく霊夢の袖をくいくいと引っ張った。霊夢はいかにも面倒くさそうな顔をする。
「仕方ないわねぇ。じゃあちゃっちゃと言いなさいな」
仕方ないわねぇ、の部分は苦笑を含んだ微笑ましい表情ではなく、心底仕方なさを全面に出した本当に嫌そうな顔であった。
しかしそれを察する事のできない小傘は、一転してぱあっと表情を明るくする。そしてその場で胸を張って、誇らしげな顔で口を開いた。
「私はついに、人間の驚かし方の極意を身に着けたから、人間代表のあんたを驚かしに来たのよ!」
「へぇ、驚いた。極意なんて凄いじゃない」
霊夢は、珍しく素直に感心した様子を見せる。
「あ、あー! どうしてまだ驚かしてないのに驚いちゃうのよー?! うわーん馬鹿ー!」
が、しかし特に何をするでもなく容易く驚かれてしまったのが気に障ったらしく。小傘は小さい子供のように泣きながら両手をぐるぐると回し、霊夢の肩のあたりをぽこすかと叩いた。
「あぁもうこいつ面倒臭いわねぇ。驚いたのは嘘よ。だからその極意とやらを試したら賽銭入れてさっさと帰りなさい」
「なんだ嘘か。良かった」
こめかみの近くをひくひくと痙攣させる霊夢の前で、小傘はほっと息をつく。
いい加減、刺したり御札貼ったり前歯折ったりして追い払っちゃおうかな、と霊夢が考え始めている中で、小傘はおもむろに、いつも差している茄子色の傘を畳んだ。
「ん!」
「え?」
そして、畳んだそれをずいっと霊夢に差し出した。霊夢は思わずそれを両手で受け取る。その傘は見た目よりちょっと重く、思っていたよりちょっと軽い。しかし、別にこれといって驚くほどのものではない。
小傘の意図がわからず首を捻っていると、小傘がごそごそとポケットから何かを取り出し、頭上に翳した。自然とそれを追って霊夢の視線も上へ向かう。
霊夢の目に映ったのは、日の光を受けて鈍い輝きを放つ金槌であった。
「うらめしやー!」
め゛ぎっ。
小傘の陽気な声響くと同時に、振り下ろされた金槌はその元気いっぱいなその声とは対照的な鈍く生々しい音を経て、霊夢は一言も発する事無く地面に倒れた。
「これが師匠から伝授された驚かし術の極! ただ単純な純然たる暴力こそ一番恐ろしい! その名も『恐怖とはパワーだZE!』よ!」
ちょっとばかり赤黒く染まった金槌を天に翳しながら、小傘が得意げな顔で叫んだ。境内で赤黒い水溜りを広げ続ける霊夢は、その間もぴくりとも動かない。
「ねぇねぇ驚いた? 驚いた? ねぇねぇ」
小傘は初めて試した極意の感想を聞くため、動かない霊夢をゆっさゆっさと揺する。興奮から薄っすら朱が刺すその顔は、わくわくしているのが用意に見て取れるほど明るい。
と、その時。
されるがままだった霊夢が突如、ゆらりと体を起こした。同時に、小傘は背筋が冷たく鋭利なものが何十、何百も突き刺さるような悪寒に襲われる。
ぎぢ、ぎぢぃ、と異様な音が響き、小傘の頬を冷たい物が流れ落ちた。それが冷や汗だったのか涙だったのか、小傘には判別できなかった。
奥歯が砕けんばかりの力で、周囲の空気を噛み殺しているかのような壮絶な歯軋りをしながら、霊夢が座り込んでいる小傘を血走った両眼で見下ろし、そして口を開いた。
「小娘、憤怒の恐怖を教えてやる」
じゃらりと音がして、霊夢の両手の中に大量の針、札、護符、そして陰陽玉が現れる。
この日、小傘は薄れ行く意識の中で、真の恐怖というものがどういうものなのか悟ったという。
一方、その少し後の魔法の森の一軒家。
「アーリースー。ごーはーんー」
「はいはい、もうできたから暴れるのはやめなさい」
若干疲れた顔をした(せいなのだろうか、やや)大人びた印象の少女がそう言いながら、椅子に座りながら手足をばたばたとせわしなく動かしているとんがり帽子の少女の前のテーブルに、トーストと半熟の目玉焼き、それと野菜サラダとほどよく具が煮崩れたシチューの皿を置いた。そしてエプロンを外して、そのへんに浮いて待機していた人形に手渡すと、その場で腕を組んで説教を始める。
「あのね、私も餓えた人間を目の前にして放っておけるほど人間は辞めてるわけじゃないわ。でもね、食事作るのが面倒くさいなんて理由で毎日毎日人の家に押しかけてくるのは、迷惑だからできればやめてもらえないかしら。ねぇ魔理沙」
「アリスの作るご飯はおいしいなぁ上海」
「聞きなさいよ少しは人の話を。あと物食べて汚れた手で上海触るな」
「あ、目玉焼きにはしょう油がいいって言ったろ。どうして塩がかけてあるんだよ」
「食わせて貰っておきながらよくもそんな文句をあんたって奴はあぁもう畜生ー、どうでもいいわよ」
少女……アリスは、やり場のない鬱屈した感情を、ほんの僅かでも外に出したいという切実な願いの感じられる大きな溜息をつく。その横で魔理沙はこんがり焼けたトーストを齧った。
と、そこで唐突に扉がぎぃと音を立てた。反射的にアリスと魔理沙両方がそちらに目を向ける。
魔理沙は口にトーストを含んだまま言う。
「あぁ霊……どうして包帯でぐるぐる巻きなんだぜ?」
そこにいたのは霊夢だった。
魔理沙の口からトーストのカスが零れ落ちるのを見ながら、アリスは直感的に立ち上がり、二歩……いや、たっぷり五歩ほど身を退いた。そしてこっそりと、しかし迅速に魔法の準備を始める。
「魔理沙」
つかつかと、顔中包帯塗れの霊夢が腋に右手を隠しながら、暢気にトーストを食べ続ける魔理沙に歩み寄る間に魔法を完成させる。
アリスの使った魔法。それは、家の中の床や家具……特に、大切な魔法書や人形……に、血がこびり付かないよう反発させる魔法だった。
霊夢が腋から右手を抜くと、そこには、乾き、鉄の臭いを放つ赤黒い染みのついた金槌が握られていた。霊夢はそれを振り上げながら、極めて平坦な声色で告げた。
「細かい事はいいから、一発殴らせなさい」
>ちょっとばかり赤黒く染まった金槌
>「小娘、憤怒の恐怖を教えてやる」
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