Coolier - 新生・東方創想話

人形遣いの恋物語

2009/12/21 00:25:50
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「――以上で、本日の人形劇は終わりです。皆様のご高覧を賜りましたことを感謝いたします」

 人形ともどもぺこりと一礼をすると、お客さんたちから盛大な拍手が沸く。頭を上げてもそれは鳴り止まない。
 いつものことだけれども、こうして多くの人からの称賛を一身に受けるのは、少々照れくさいものがあるのだった。

 私はこうして、里でしばしば人形劇を披露している。お祭りに合わせて出向く時もあれば、今日みたいに不定期で行なうこともある。
 今日のような不定期の時でも、集まるお客さんは数十人にのぼる。里での人形劇を始めた頃は十数人がまばらに寄って来る程度だったのが、今では常連さんも含めて沢山の人が集まってくれるまでになった。
 客層としては親子連れが多いけど、私の人形劇に興味を持ってくれる人は老若男女を問わない。また、人形と言えば女の子だけれども、男の子も結構見に来てくれている。

 さて、本日の演目は全て終了した訳だけれども、これで私の仕事が終わる訳ではない。劇を終えた後は、子供たちが私に群がって来るからだ。私に劇のストーリーの質問をしたり、実際に人形を触ってみたりと、私はもちろん子供たちも忙しい。ちなみに本日の劇で主役を務めた上海人形は、既にいいように遊ばれている。
 初めの頃は、こうして纏わり付いて来るのをちょっと煩わしいとも思ったけれど、最近はむしろ嬉しいと感じるようになった。それだけ、皆が私の人形劇に感動してくれたということなのだから。
 瞳を輝かせ、尊敬のまなざしで話し掛けられるのは、拍手を貰う時同様に照れくさかった。
 でも――それ以上に嬉しいのだった。

 西の空が紅に染まろうとする頃になって、子供たちはようやく帰っていく。
 やっとのことで解放された上海人形は、劇を演じたのに続いて皆にいじくり回され、すっかりお疲れのご様子だった。今日は、別の人形に夕餉の支度をして貰うとしようか。
 人形たちを一体一体、お疲れ様を言いながら丁寧に鞄に仕舞っていく。
 全ての人形を片付けて鞄を閉め、帰ろうとしている時だった。

「あの……」

 背後から、おずおずとした様子の声が聞こえた。
 くるりと振り返ると、そこに立っていたのは1人の男の子。見覚えのある顔で、よく私の人形劇を見に来てくれる子だった。
 年のころは……12,3歳と言ったところだろうか。魔理沙よりは少し年下に見える。男の子とは言え、私からすればまだまだ可愛く見える年頃だった。

「何かしら?」

 目を合わせてそう訊ねると、男の子は視線をそらせてしまう。どうやら恥ずかしがり屋さんであるらしい。

「次は……、いつ来てくれますか?」
「次?」
「はい」

 次……か。
 私は、祭りの時以外は不定期で人形劇を開いており、日程を決めて来ている訳ではなかった。そのため次の予定を聞かれても、ちょっと困ってしまう。だからこそ、こうして訊ねて来ているのだろうけど。
 この人形劇は人形を操る練習も兼ねている。だから今よりもっと頻繁に来てもいいのだろうけれど、それでは劇のネタがすぐに尽きてしまう。それに、毎日のように人形劇を見ていたら皆もすぐに飽きが来てしまうだろう。楽しみは、時々くらいが丁度良いのだから。
 ただ、わざわざ次の予定を聞いて来るくらいだから、この男の子は私の人形劇をいつも楽しみにしてくれているのだろう。
 その気持ちが、嬉しかった。

「そうねぇ、次は1ヶ月後くらいかしら」

 それを聞いて、男の子の表情がぱっと明るくなる。それはそうだろう。お祭りでもなければ、私は2ヶ月以上間を空けることも珍しくないのだ。
 でもこうして喜んでくれるのならば、今よりもう少し頻繁に来てみてもいいかなと思う。

「今日はありがとうございました。次の劇も楽しみにしています」

 男の子はそう言ってきちんと頭を下げ、帰っていく。照れ屋さんであっても、性格はしっかりとしているようだった。
 気が付くと、太陽はもう遠い山の向こうに隠れるところだった。東の空は紺色に染まりつつあり、ちらちらと星が瞬き始めている。そんな時間になってしまっているのか。魔法の森が真っ暗になってしまう前に帰ろう。
 私は疲れを解きほぐすように首を回し、伸びをする。
 午後の時間はずっと人形劇と子供たちの相手に費やされて、かなり疲れる一日だった。けれどこんな風に充実感を味わえるのならば、この疲れも悪くはないと思った。




 *




「ん……。ありがと、上海」

 上海人形が淹れてくれた紅茶を口にする。うん、美味しい。紅茶の淹れ方が徐々に上達している気がするのだけれど、これは親の欲目のようなものだろうか。
 カップをソーサーに戻し、テーブルに積まれた本を一冊手元に引き寄せる。
 童話集である。

「ねぇ上海、何か演じたい劇とかある?」

 私は、手に取った童話集のページをパラパラとめくりながら上海人形に問うてみる。しかし彼女は何も答えられず、何のことだろうと言った風に首をかしげるばかりだった。
 それはそうだろう。人形たちには、Aに対してBの反応を返すといった、単純な行動パターンしか組み込んでいない。だからこうした、自身の考えを必要とする判断を下すことは出来ない。「分からない」という仕草を返すように作られているのみだ。
 ある一定の性格を持った思考パターンをあらかじめ組み込むことも出来るけれど、それでは結局、製作者である私の思考が反映されてしまう。
 外部からインプットされた情報を蓄積・整理し、総合して自らアウトプットすることが出来れば、私が目標とする自立人形作りに一歩近付けるのだけれども、中々上手くいかないのだった。
 まあ、自律人形の作成はあくまで遠くに据えた目標の1つだから、達成を急ぐこともないだろう。容易に成し遂げられるような目標では張り合いがない。
 差し当たり今は、次の人形劇の題材を考えなければならなかった。
 私はあらためて、童話集のページを繰る。
 私が人形劇をする際は、やはり子供向けの童話や昔話を題材に用いることが多い。そういう物の方が話として分かり易く、人形劇の題材に向いているのがその理由だ。また、ちょっと対象年齢を上げて、冒険譚なんてものを取り入れてみることもある。
 そして時には趣向を変えて、劇以外のことをしてみたりもする。人形たちに武器を持たせて演武をしたり、皆に民族衣装を着せて民族舞踊を踊らせたり、上海人形に楽器を演奏させてみたり、はたまた人形たちによる大道芸を披露してみたりと――、我ながら、結構色んなことをしているものだと思う。
 ちなみに一番評判が良かったのが、お祭りの時に一度だけやった、人形たちにジャグリングをさせる芸である。
 しばしば、「またやって欲しい」などとお願いされるのだけれども、あれはお祭り時だけの特別公演ということにして断っている。
 ジャグリングをさせる際には、投げたボールをキャッチするという受け身の動作が必要になり、これが神経を遣う。ただ人形を操るだけなら目をつぶっていても余裕でこなせるけれど、こればかりはそうもいかない。

「何か、決まらないわね……」

 もちろん人形劇のネタのストックはあるし、劇以外にもまだ披露していない芸だってある。けれどせっかく人前でやるのだから、何かしらコンセプトというか、目的になるようなものが欲しいところだった。

 ――そこまで考えてから思う。私も、変わったかな、と。

 里での人形劇はもともと、人形を操る練習の一環として始めたに過ぎなかった。ところが今は、皆にどんな芸を披露しようかと、こんな風にあれこれ頭を悩ませている私がここにいる。子供たちとの交流をちょっと面倒だとか思っていた頃が、嘘のようだった。加えて、次回の予定を聞かれて嬉しくなって、ついいつもより早い日程を口走ってしまうほどになっている。私ってこんなに現金だったっけ、とか思ってしまう。
 次の公演も期待されている――そのことが、素直に嬉しいのだった。
 そんな風に浸っていると、

「アリスー、邪魔するぜー」

 いつもの無遠慮な野魔法使いの声で、私は静謐な自分の世界から現実へと引き摺り出されてしまう。もうちょっとタイミングというものを考えて欲しい。いや考えた結果がこのタイミングなのかも知れないけれど。

「ほんと邪魔ね」
「ひどいぜ」

 一応冗談で言ったつもりだけれども、何割かは本音かも知れない。
 魔理沙はいつものように勝手に家の中に上がりこみ、いつものように私の向かいのソファにどっかと座り込む。そこは既に、魔理沙の指定席となってしまっていた。
 そもそも私は、魔理沙をきちんとした形で部屋の中に招き入れたことがどれだけあっただろうか。彼女の蛮行については、もはや諦めの境地に達している。
 ただしそんな相手であっても、こうして入室を許してしまった以上は紅茶でもてなすことを忘れてはいけない。それは、都会派を自負する者としてのたしなみだった。
 もちろん、そういう甘さこそが魔理沙を増長させていることに他ならないのだろうけど。

「で、何の用?」
「いやまあ、何か新しい魔導書でも入ってたら拝借しようかと思ってな」

 まあ、そんなところだろう。それもいつものことだった。つまりは大した用などないのだ。
 ついでに言えば、“拝借”は謙譲語である。少しはそれらしく、へりくだってみたらどうだろうかと思う。思うだけだけど。

「何もないわね」
「つれないなー」
「だいたい、あったとしても貸す訳ないじゃない」
「冷たいなー」

 子供のように足をぶらぶらさせながら、ぶーぶーと文句をたれる。けれどこんなやり取りでも面白いのか、その表情は楽しげだった。

「……お、それらしい本があるじゃないか」

 魔理沙が、テーブルに積まれた本に目を付ける。
 それらも全て童話集だけれども、こういった本は意外と凝った装丁をしているので、外見は魔導書に見えなくもなかった。

「ああ、ダメよ。それは門外不出の禁断の書なんだから」
「そうか、それじゃあさっくり貰っていくぜ」
「はいはいアーティフルサクリファイス」
「どかーんぎゃー」

 私のたわいない冗談にも上手く乗ってくれる。そういう、ノリが良いところは嫌いではない。
 何だかんだ私は、こういう下らないやり取りを楽しいと思っているのかも知れない。変化球ばかりを投げ合う言葉のキャッチボールというのも、頭の体操にはいいだろう。

「んで、これは何の本なんだ?」
「見てもいいわよ」
「そうか、じゃあ遠慮なく」

 わくわくしながら本を開いてるけれど、残念ながらそれは貴方の望むようなものじゃないのよねぇ。私が魔導書以外の本を読むとは思っていないのかしら。
 ページを繰るにつれて、期待に満ちた魔理沙の表情が真顔になってゆく。その移り変わる様子が面白かった。魔理沙は喜怒哀楽が豊かな子なので、見ていて飽きることがない。私の人形も、いつか魔理沙のように豊かな感情を表現出来るようになればと思う。
 ただし性格面は反面教師で。

「……なんだこれ、魔導書でもなんでもないじゃないか」
「魔導書だなんて一言も言ってないでしょ。それは全部、ごく一般的な童話集よ」
「ふぅん。何でまたそんなものを読んでるんだ?」
「里で開いてる人形劇のネタ探しのためよ」

 私がそう言うと、魔理沙はちょっと驚いたように目を見開く。

「へぇ……、話には聞いてたけど、本当にやってたんだな」
「魔理沙も今度見に来たらどう?」
「遠慮しとくよ。お前が人形操ってるところなんて飽きるほど見てるしな。……こんな風に」

 ちょうど上海が、芳しい香りとともに淹れたての紅茶を持って来るところだった。
 カップに注がれた紅茶を見やる。うん、魔理沙のもちゃんと美味しそうだ。やはり、都会派魔法使いの優雅な昼下がりには美味しい紅茶が欠かせない。

「サンキュー、上海」

 魔理沙が片目をつむって礼をすると、上海はそれに笑顔で応じた。残念ながらこれは、感謝に対する反応として私が組み込んだパターンである。
 私のそばに戻って来た上海の頭を撫でてやると、やはり嬉しそうに笑顔をほころばせる。そんな表情が、私の命令系統から離れて彼女自身から創り出される日を、私は夢見ているのだった。

「残念ねぇ。人形劇だと、こうやって人形を操るのとはまた違った面白さがあるのに。
 それに、けっこう人気もあるのよ。毎回、何十人も集まってくれるし」

 魔理沙だって女の子なんだから、人形劇を楽しむことも出来ると思うのだけど。

「そうだな、お前が里の人間にちやほやされてるところなんかは一見の価値はあるかもな」
「素直に『アリスの素敵な人形劇が見てみたいぜ』って言いなさいよ」
「見たことないんだから、素敵かどうかなんて分からないじゃないか」
「本人が言うんだから間違いはないわ」
「よく言うぜ。それに私もそんなに暇じゃないし、遠慮しておくよ」

 さしたる用もなく私を訪ねて来るのだから、むしろ暇を持て余している方だと思うのだけど。
 まあ詳しい事情は知らないが、魔理沙はあまり里には寄らないことにしているらしいから、無理に勧めることもない。
 とりあえず今は、魔理沙よりも里の人たちに見せる演目を考えなければならなかった。

「ねぇ魔理沙。ものは相談なんだけど、何か人形劇に使えそうなネタはないかしら?」
「ネタって、人形劇に出来そうな物語ってことか?」
「そうそう」

 別に魔理沙に聞かなくてもネタは探せるだろうけど、私1人で考えるだけではどうしてもマンネリ化してしまう気がする。奇をてらう必要はなくとも、斬新さは欲しいところだった。ならばここで、別の風を取り入れてみるのもありだろう。
 私は、魔理沙のアイデアに期待することにした。
 魔理沙は紅茶を口にしながら、しばし考えをめぐらせていた。やがてニヤリと笑うと、身体を前に寄せて緩慢な動作でカップを置く。もったいぶって内緒話をするようなその姿勢のまま、おもむろに口を開いた。

「……そうだな。美少女魔法使い霧雨魔理沙が、未知の敵から幻想郷を救い出す英雄譚なんてどうだ?」

 ……確かに過度の期待はしていなかったけれど、まさか自分を主人公にしてくるとはね。何かと目立ちたがりの魔理沙らしくはある。
 自分で自分のことを美少女とか言ってしまうあたりも魔理沙らしい。ただ私が思うに、魔理沙は美少女と言うよりはかわいい系と言った方が似合う。
 もちろん、性格面は除いてだが。
 いやまあ、突っ込みどころはそこよりも、

「誰が英雄よ誰が」
「この物語の優れている点は、フィクションじゃないってところだ。例の春雪異変を題材にすれば、お前もサブキャラで出られるぜ。やられ役だがな」
「そんなのをするくらいなら、盗っ人魔法使い霧雨魔理沙が正義の魔法使いアリス・マーガトロイドに成敗される勧善懲悪ものをやるわよ」
「盗っ人とは人聞きが悪い」
「それこそ真実じゃない」

 今のところ私は大した被害に遭っていないので、魔理沙を成敗したことはないけれど。
 気が遠くなるほどの蔵書を誇るどこぞの大図書館ならともかく、ここにはさほど多様な本がある訳ではないから、魔理沙も加減をしているのかも知れない。

「……で、もう少しまともなアイデアはないの?」
「残念、不採用か」

 当たり前です。

「じゃあ、恋愛ものとかはどうだ?」
「恋愛もの?」
「ああ。大きな困難を乗り越えてやがて結ばれる、男女の恋の物語とかな」

 さすがは恋符なんてものを持っているだけのことはある。多分、第三者から見たら結構恥ずかしいことを言っていると思うのだけど、魔理沙にそれを気にする様子はなかった。
 そう言えば私は今まで、恋愛の絡んだ題材で人形劇を演じたことはなかった。それはただ単に、そのテーマに興味が湧かなかっただけに過ぎない。
 けれど、恋愛というものが多くの人の興味を引くネタであることは知識として知っている。ならば、一度それをやってみるのも悪くはない。

「面白そうね、やってみようかしら」
「おお、冗談半分で言ったのに採用されるとはな」
「なかなかいい冗談だったわよ」
「そ、そうか」

 私がその提案に対してあまりに乗り気なものだから、魔理沙の方が却って面食らっている。
 けれど実際、魔理沙の案は悪いものではない。私1人でアイデア探しをしていたら、何となく流してしまうような題材だったのだ。
 それはまさに、私の求めていた“別の風”だった。
 童話集か書庫の本を漁れば、恋愛ものの話もいくつか見つかるだろう。その中から、人形劇向きの物語を決めれば良い。
 物事というものは、見通しが立ってしまえば後はとんとん拍子に進む。
 何となく聞いてみただけだったけれど、思わぬ収穫が得られて、私は満足だった。

「いいアイデアをありがとね、魔理沙」
「ま、お礼はとっておきの魔導書1冊でいいぜ」
「高過ぎるわ。特製の紅茶とクッキーで我慢しなさい」
「そんなの、いつも貰ってるものじゃないか」
「いつものは、言わば私の慈悲の基づく施し物よ。今日はちゃんとしたお礼。意味合いが違うわよ」

 いつもご馳走しているからって、それを既得権益にさせてはいけない。
 まあ、魔理沙は紅茶もクッキーも美味しく味わっているみたいだから、それ以上変な要求をしたりはしないだろう。
 さっきは良い気分に浸っていたところを邪魔されたのだけど、魔理沙のアイデアによってそれも見事に帳消しにされた。
 思わず鼻歌さえもこぼれ出てしまいそうなほど、私は上機嫌になっていた。

「……それにしても、何だか不思議と言うか、意外だな」

 魔理沙は紅茶を飲み干すと、真顔になって私のことを見つめる。それは、何かしらの感情が表に出やすい彼女にしては珍しい表情だった。

「何が意外なのかしら?」
「人前で人形劇をすることに喜びを見出してるあたりがな。
 お前はもっとこう、自分本位と言うか、他人には興味ありません、みたいな奴だと思ってたぜ」

 それでも、言いたいことを好き放題に言ってはけらけらと笑っているあたり、いつもの魔理沙だった。

「喜びって言うか、里で人形劇を始めたのは技術の向上のためよ。
 大勢の人の前で人形劇を演じるのは、1人で人形を操ってるよりもよっぽどいい練習になるし」
「ふぅん……」

 魔理沙は、半信半疑といった表情で私の話を聞いていた。
 一応、私は嘘は言っていない。
 あえて衆人環視の中に身を投じることで適度な緊張感が生まれ、それが技術の向上に繋がる。何らおかしいところはない。
 もっとも、本当のことを全て口にしたかと言えば、それは嘘になるのだが。
 魔理沙に嘘をつく必要はないが、さりとて私の内面を一から十まで明らかにする道理もない。

「紅茶、まだ飲む?」
「おう、頂くぜ」

 私は少しばかり居心地の悪さを感じ、わざと言い訳を作って魔理沙の前を離れた。
 紅茶のおかわりを淹れる程度のことなら、いつもは上海人形にやらせている。だから何も、私がキッチンに立つ必要はない。そのことに魔理沙が気付いているのかは、分からなかった。
 私は、紅茶を淹れながら考える。

 ――人前での人形劇に喜びを見出している、か。

 魔理沙はおちゃらけているようで、見るところはちゃんと見ている。それゆえ、要所を突く言葉を放ってくることも少なくない。そんな鋭さが、今は煩わしくさえあった。
 つまりは、魔理沙の言葉はまさに図星であって。
 こうして他者から指摘されてしまうと、あらためてその問題と向き合わざるを得なくなる。自分でそう思うだけなら、顔を背けてさえいれば良かったのに。
 結局のところ私は、この感情を上手く消化出来ずに、胸の中で持て余しているのだった。




 *




 若い男女の人形が熱いまなざしで見つめ合い、歌うように愛の言葉を囁き合う。
 彼らはそれぞれ敵対している名家の出身でありながら、両思いの恋に落ちてしまったのだ。
 2人は自らに課された境遇を乗り越え、やがて結ばれることが出来るのか――
 それは、最後まで見てのお楽しみである。

 魔理沙が提案した通り、私は今日の人形劇に恋愛物の話を選んだ。時は中世。西欧のとある都市を舞台にして繰り広げられる恋の物語である。
 いくつかの話に目を通した中でこの物語を選んだのは、外国の話なので誰も知らないであろうことと、恋の障害が家同士の対立という分かり易い形で描かれていたことからだった。
 加えて、原典が戯曲形式で書かれていたので、そのまま人形劇にも応用出来ると私は判断した。
 とは言え、使用する人形の作成から公演までを1人でこなす私にとっては、数週間で劇の形にまで作り上げるのは容易ではない。次回の公演を早めに設定してしまったことを、少し後悔もした。
 けれど最終的に、普段の研究を後回しにすることで必要な時間を確保し、どうにか今日の公演にこぎつけることが出来たのだった。

 私は台詞やナレーションを挟みつつ、登場する人形全てを巧みに操る。それらを同時並行的にこなすのは常人には不可能だろうが、人形遣いたる私にとってはそう難しい技術ではなかった。ストーリーと各登場人物の役割さえ把握してしまえば、後は流れるように手と口が動いてくれる。
 ただ、今回の話は今まで公演して来た劇よりも長く大掛かりである。さすがの私も指先に疲労が蓄積し、声がかすれて来てしまう。
 それでも、山場を迎えるたびに上がる歓声や、劇に見入る皆のまなざしを一身に受けていれば、途中で手を抜くなどということは考えられなかった。

 そして、いよいよ物語は佳境を迎える。
 主人公の青年は墓の中で、息絶えた恋人と対面する。
 しかしこれは、2人が結ばれるために恋人が行なった一種の賭けだった。薬を飲んで一時的に仮死状態になり、死を偽装することで難を逃れようとしたのだ。そして埋葬された後に、青年に助け出される――そういう算段になっていた。
 問題は、その計画自体が未だ青年の耳に届けられていないということだった。
 真実を知らない青年は恋人の死に絶望し、自らも後を追おうと考える。
 持っていた短剣を抜き、己の身体を刺し抜こうとする――その前に、最後の別れとして、彼は恋人の唇にキスをした。
 と、その時だった。死んでいたはずの恋人が、目の前で瞳を開いたのだ。
 そう、あたかも青年の口付けによって、恋人が息を吹き返したかのように。
 青年は奇跡の復活を喜び、恋人は作戦が成就したことに安堵した。
 数々の危険を冒してまで一緒になろうとした彼らの姿に胸を打たれ、両家はようやく和解し、2人は結婚を認められた。
 そうして、物語は大団円を迎えたのだった。

 最後は登場した人形全員を勢揃いさせ、皆で一礼をする。
 主役となった2人を中心に、その友人や家族、そして2人の手引きをした修道士等々、登場した人物は10を超える。いつも通りの幕引きだけれども、これだけの数の人形をずらりと横に並べたのはこれが初めてだった。
 そして礼を終えると、私は心からの喝采を浴びることになる。

 ――と、思っていたのに。

 私が顔を上げても、手を叩く音はもとより、ざわめきも、物音ひとつさえも聞こえてこなかった。
 そこには、ただ呆然と立ち尽くす人々の姿があるのみで。
 誰も彼も、時を止められたかのように動かない。
 そんな想像もしていなかった反応に、私の方も動けなくなってしまう。

 辺りは、水を打ったように静まり返っていた。

 しかしある時、どこからともなく拍手が鳴り始めると。
 それで目が覚めたように、歓声と拍手の渦が沸き起こる。
 それは瞬く間に広がり、私は波のように押し寄せる賞賛の声を一身に受け止めた。
 何のことはない。ただ単に、皆して私の人形劇の虜になってしまい、物語の世界から戻って来るのが一拍遅れただけなのだ。
 いつも通りの――いや、いつも以上の好評さに私は嬉しくなると共に、長丁場の人形劇を無事演じ切れたことに安堵したのだった。





「あら、今日も来てくれたのね」

 人形いじりを終えて帰ってゆく女の子たちに手を振る。それと入れ替わりに寄って来たのはこの間の男の子だった。

「はい、今日の劇も面白かったです」
「そう? ありがとう」

 にっこりと微笑んで言うと、男の子はちょっと俯いてしまう。そう言えばこの子は照れ屋さんだったっけ。
 考えてみれば、彼が私の人形劇を最前列で見ていたことは1度もなかった気がする。こうやって話し掛けることが出来るのなら、別に前に出ることを恥ずかしがる必要はないと思うのだけど。

「今日のお話、どうだったかしら」
「こう、2人はどうなるんだろうって感じでドキドキしながら見てました」
「結構危ない橋を渡ったりもしたものね」
「はい。でも、最後は結ばれて良かったです」

 やはり恋愛ものの話は、今までとは違った意味での緊張感と楽しみを皆にもたらしていたみたいだった。成果は上々である。
 これだけ好評だったのならば、いずれまたこの題材を使って人形劇を開いてみようと思う。

「じゃあ、そのうちまたこういう話をしてみようかしらね」
「そう言えば、こういう恋愛の話って今回が初めてですよね」
「確かにそうよ。でも、よくそれが分かったわね」
「……アリスさんの人形劇は、最初の時からずっと見てましたから」

 と、何故かそこで目を背けてしまう。
 やはり、男の子という立場で人形劇なんてものを毎回見続けていたことが恥ずかしかったのだろうか。
 ましてや、今日の物語のテーマは恋愛である。なおさら女の子向けの題材だった。

「男の子でも、こういう恋の話はいいと思う?」
「いいと思います」
「そうなんだ……」

 意外なことに即答だった。

「もしかして、あなたはこういうお話が好きだったりする?」

 私は興味本位でそう聞いてみた。すると男の子は、困ったように苦笑する。
 沈黙すること数秒。たっぷりと間を空けた後に、男の子は秘密を打ち明けるようにして口を開いた。

「やっぱり、あこがれますよね。……こう、お互いのことが好きで結ばれるのって、いいなぁって思いました」

 はにかみながら話すその様子から、物語の中で結ばれた2人を羨んでいることがはっきりと窺えた。
 それで、何となく分かった気がする。つまりこの子は、今まさに誰かを好いている――恋をしているのだろう、と。
 そのことが微笑ましく思えたので、私はちょっとからかってみることにした。

「あなた、好きな子がいるんでしょ」
「っ!」

 軽く茶化すつもりで言っただけだったけれど、男の子の反応は芳しくなかった。虚を突かれたように身体をぴくりと震わせてしまう。
 先ほどよりも長い沈黙。弱点を指摘されたみたいに言葉を詰まらせている。
 ちょっと失敗だったかも知れない。

「あ、ごめんね。気にしないで――」
「アリスさん」

 私の言葉を遮って、男の子は私の名を呼ぶ。
 その声は、それまでの幼さの残る様子とは一線を画していて、子供らしからぬ真剣味を帯びていた。
 口元をきゅっと結び、頬をかすかに引きつらせ、さらには、どこか決意を秘めたようなまなざしで私を見つめる。
 それは、どちらかと言えば大人しめだと思っていた彼の意外な一面だった。
 そして、覚悟を決めたように、男の子は口を開く。
 その顔が紅潮して見えたのは、決して夕日のせいだけではなかった。

「僕は、アリスさんが……好きです」




 *




 気が付くと、雨が降っていた。
 窓外に目をやると、降りしきる霧雨で魔法の森が白く煙っている。緑がぼんやりと霞んでは揺らぐその様子は、どこか神秘的な雰囲気さえ漂わせていた。
 今日は出掛ける予定はないけれど、雨が降ると余計に湿度が高くなってしまう。湿気は人形の大敵である。後でまた、人形たちに保存の魔法を掛けておかねばならないだろう。
 湿気を除けば、私は雨降りは嫌いではない。
 霧雨となって魔法の森に降り注ぐそれは、さらさらと鳴り、葉擦れの音のような静謐な音色を奏でている。その音が、心を落ち着かせてくれるのだった。
 私はいつもの椅子に腰を落ち着け、紅茶を口にしつつ魔導書に目を通す。
 上海が淹れる紅茶は、いつものように美味しかった。
 そう。いつもと何ら変わることのない、静かな昼下がり。
 この時間にいつもそうしているように、私は1人読書に没頭する。没頭しようとする。
 けれど私の視線は、魔導書の文字をただただ上滑りするばかりだった。
 ふぅ、とため息をつくと、私はちょっとでも気分を変えようと立ち上がる。けれど、それだけで気が晴れるなんてことがあるはずもない。結局私は、椅子から離れた自分自身を持て余すはめになるのだった。
 やはり、どうしても気にしてしまう。先日の、あの言葉を。

 ――好きです。

 彼は確かに、私に向けてそう言った。
 あの時の会話から、男の子が誰かに恋をしているだろうことは推測が付いた。けれど、その相手が私だったとは全くの想定外だった。
 私の耳に入り込んだ“好き”という言葉。
 それは本来ならば、相手の胸に甘美な響きを与えるようなロマンチックな言葉なのかも知れない。
 けれどその言葉は、収まる場所を見つけられないまま今も私の心の中を彷徨っているのだった。
 気分転換に出掛けようと思っても、外はあいにくの天気。今日はこの物憂い気分のまま1人で部屋に篭るしかなさそうだった。
 そうして、諦めにも似た思いを抱えて腰を下ろそうとした時、

「おーい、アリスー」

 静寂を破るように、私を呼ぶ声が聞こえた。続いて、ドアを叩く音がやかましく響き渡る。
 こんな無遠慮なことをするのは1人しかいない。確認の必要などなかった。空から降り注ぐ霧雨は静やかで心地良いけれど、こっちの“霧雨”は騒がしいことこのうえない。
 やれやれと思いながら扉を開けると、そこにはやはり、いつもの白黒魔法使いが立っていた。雨宿りにと慌てて駆け込んで来たのだろう。せっかくのエプロンドレスに泥が跳ねている。

「キノコ狩りしてたら降られてしまってな。私の家よりここのが近かったから来たんだ」

 そう言うと魔理沙は、私の返事も待たず家の中に入ろうとする。

「まだ、入っていいって言ってないんだけど」
「けちなこと言うなよ」
「ま、だめって言っても入るんでしょうけど」
「まあな」

 お決まりのやり取りを経て、私は魔理沙を家に入れる。言わばこれは、儀式のようなものだった。歓迎しているのではなく、仕方なく入れてやってるということにするための。

「なあ、タオルくれないか」

 部屋に入って最初の言葉がそれだった。お邪魔しますの一言くらい欲しいものだと思う。
 もちろん、タオルは出してやるつもりだった。でも、もっとしおらしくさえしていれば、私は慈愛に満ちた母親のようにその濡れた身体を優しく拭いてやったというのに。

「はいどうぞ」
「はいどうぞって、どこにあるンぶっ!」

 タオルが見事に、魔理沙の顔にヒットする。あらかじめ上海に用意させていたものを、横合いから投げさせたのだ。魔理沙も脇が甘い。常に真一直線正面突破なのもいいけれど、視野はいつでも広く持たねばならないだろう。

「お前、死角から渡すやつがあるか!」
「あら、弾幕はいつ何処から飛来するか分からないものよ。油断なさらずに」

 しれっとそう言ってやると、魔理沙は不満そうに唇を尖らせるが、とりあえずはタオルで身体を拭くことを優先したようだった。

「そんなに濡れてるなら、シャワー浴びる?」
「いや、大丈夫だ」

 髪をわしゃわしゃと拭きながら魔理沙が答える。寒そうだが、本人が大丈夫と言うのなら別に構わない。
 その間に、私はあたたかい紅茶でも用意することにする。どうせ魔理沙はしばらく私の家に居座るのだろう。1人きりの平穏な午後は、もはや望むべくもなかった。
 私が紅茶を淹れて部屋に戻って来ると、思った通り、魔理沙はいつものように定位置のソファに身をうずめていた。

「おお、気が利くな」
「まさか私だけ飲んでる訳にもいかないでしょ。どうせあんたは雨がやむまでいるんでしょうし」
「いて欲しければ夜までいるぜ」
「お帰りは窓からどうぞ。冷たいシャワーが貴方を迎えてくれるわ」
「いや、もう沢山だ」

 本当に勘弁と言った風に、顔の前でひらひらと手を振っていた。それなら、傘を持つなりなんなりすれば良いのに。
 魔理沙は私の淹れた紅茶を口にすると、ほぅ、と一息。それでようやく人心地がついたようで、その表情はすっかり緩んでいる。人の家だということを忘れていそうなほどの、くつろぎようなのだった。
 まあ、ご自由に。
 魔理沙がいようがいまいが、私はいつも通り魔導書に読みふけるだけなのだから。

「そうそう。そう言えばあれから里で人形劇はやったのか?」

 しかし魔理沙は、私が自己の世界に没頭するのを許してくれそうにはなかった。

「やったわよ。貴方が薦めてくれた恋愛ものを」
「ほうほう、それは光栄だな。で、どんなのをやったんだ?」
「ロミオとジュリエット、って知ってる?」
「知ってるぜ。しかしまた凄いのを選んだな」
「まあね。ただ最後が悲劇だったから、ハッピーエンドに変えちゃったんだけど」

 私がそう言うと、魔理沙は神妙な顔つきを返してくる。

「……あれは悲恋だからいいと思うんだがなぁ」
「そういうものなの?」
「そういうものだぜ」

 そういうものであるらしい。今後の参考にさせて頂こう。

「でもこの間は、困難の後に結ばれる恋の物語がどうのとか言ってなかった?」
「それはそれ、これはこれだぜ」

 知った風なことを言う。さらに問い詰めようとしても、したり顔ではぐらかされるばかり。つまるところ何がどうなれば良いのか、よく分からなかった。
 気が付けば、結局はいつものように魔理沙の話し相手をしている自分がいる。おかげで、手元の魔導書は1ページも進んでいなかった。
 でも考えてみれば、魔理沙が来る前からそれは変わっていない。どのみち読書が進まないのなら、気の抜けたまま無為に過ごすよりは、何でもいいから会話でもしている方がよっぽどましだと思った。

「まあ、あれだ。ハッピーエンドにしろ悲恋にしろ、恋愛ものは過程が重要だな。その過程が納得のいくものだったら、結ばれるのも別れるのも物語としてはアリだよな」

 魔理沙による恋愛ものの講釈はまだ続いていた。自身の得意分野だからか、いつになく饒舌である。恋愛ごとは魔理沙におまかせ、といった感じだろうか。
 ならば、と思う。
 相談とまではいかなくとも、先日のことを魔理沙に話してみるのもひとつの手だった。きっと、喜んで食い付いてくれるだろう。もしかしたら、人形劇のアイデアを出してくれた時みたいに意外な収穫があるかも知れない。少なくとも、1人モヤモヤとしたものを抱えたままでいるよりは良いだろう。
 そう考え、私は先日の出来事をありのままに話すことにした。
 人形劇を終えた後、客の男の子に告白をされたこと、その男の子は私の人形劇を以前からずっと見ていたこと、魔理沙よりもちょっと年下くらいのごく普通の子であることまで、私は余すところなく話した。

「……お前が客の男の子に、ねぇ。そりゃあ傑作だな」

 私が話を終えても、魔理沙はにやにや笑いを止められないでいた。
 思った通りだけれども、やっぱり魔理沙は私の話を面白がっていた。魔理沙に限ったことではなく、人間というものは、他人の色恋沙汰――私のはそれ未満だけれども――にいつだって興味津々になる。

「で、そいつに告白されて、お前自身はどう思ってるんだ?」

 文字通り食い付くようにして、魔理沙が身を乗り出す。楽しそうなのが少々癪であるが、エサをやったのは他でもない私自身なので文句も言えなかった。

「私は別に、恋愛に興味はないわ」
「冷たいもんだな」
「……確かにそうね」

 きっと、魔理沙の言う通りなのだろう。俗な言い方をすれば、私には全く“その気”がないと表明したに他ならないのだから。

「でも恋愛に興味がないのなら、そうやって思い悩むまでもないんじゃないか?」

 思い悩んでなどいない、と言い掛けたが、やめた。傍からすればそう見えてしまうのだろう。実際、読書に身が入らなくなるくらいに気にしているのだから、否定など出来なかった。
 ともあれ、魔理沙の指摘は正しい。恋愛そのものに興味がないのなら、そもそも話題に出す必要さえもないのだから。
 にもかかわらず、こうして気分が落ち着かないままでいるのは、

「……ただ、あの男の子がどうして私を好きになったのかなぁ、って思ってね」

 純粋な疑問として、私はそう思っていた。
 今まで私は、あまり他人と関わらないようにして生きて来た。魔法の研究に没頭するには、1人でいる方が都合が良いと考えたからだ。
 最近始めた人形劇だって、元々は人形操作の練習のために過ぎない。だから公演のたびに皆から好意的な目を向けられることにさえも、最初の頃は戸惑ったものだった。もちろん今では、それだけ人形劇が楽しかったからだということで、それを受け入れている。
 でも、そこから先の――好き、という感情に辿り着く理由が私には分からなかった。納得のいく論理的説明が私には考え付かないのだ。
 だから正直、困惑しているというのが本音なのだった。
 けれど魔理沙は、私の言葉を受けて目をぱちくりとさせていた。

「どうしてってお前、それ本気で言ってるのか?」
「本気って言うか、思ったままよ」
「そりゃあ簡単だぜアリス。要するに、そいつにとってお前がそれだけ魅力的だったってことだろう」

 今度は、私が目をしばたかせる番だった。

「お前、里だとかなり愛想良くしてるだろ」
「愛想良く、って言うか、お客さん相手な訳だから」

 たとえ1人で生きていくつもりではあっても、外で他人とどう付き合っていくべきかは処世術として知っている。私はそれを実行しているに過ぎない。愛想良くしていることに、特別な感情はなかった。
 最初のうちは、だけれども。

「なら、お前に惚れてしまうやつが1人や2人くらいいてもおかしくはない。何せ、こんな綺麗なお姉さんが楽しい人形劇を見せてくれるんだからな」

 綺麗なお姉さん――魔理沙からそんなことを言われるとは思ってもみなかった。

「そういうものなの?」
「そういうものだぜ、人間ってやつは」

 そういうものであるらしい。

「お前、恋をしたことってないだろ」
「ないわね」
「あっさり言うなぁ……」

 今まで私は、恋をしたこともなければ、その感情を必要と思ったこともない。あくまで、辞書的な意味を知っているだけだった。

「恋をして、誰かを好きになるってのは、人にとっては当たり前の感情なんだぜ」
「人にとっては、ね」
「……まあ、人間をやめたお前には分からないかも知れないがな」

 皮肉屋の魔理沙らしい物言いだった。
 もっとも私の場合、人間をやめたことでものの考え方が変わった訳ではないけれど。

「でも恋に限らず、誰かから好かれるっていうのも悪いものじゃないと思うぜ」

 恋に限らず、か。
 魔理沙の言葉を受けて私は、人形劇を見に来てくれる子たちの顔を思い浮かべていた。
 彼女たちは、心から私の人形劇を楽しんでくれている。それは、私や人形に向けてくれる無邪気な笑顔からよく分かることだった。
 あの男の子だって、恋愛感情を抜きにしても、私や私の演じる人形劇を好いてくれているだろう。
 そうやって好意を持って見てくれることを、今の私は――間違いなく嬉しく思っている。この感情は確かに、人形劇を始める前には意識したことのないものだった。
 けれど私は既に、人であることをやめている。
 私の内面に宿る人間的な感情。その存在に今更のように気付いたことは、それはそれで皮肉に満ちたことなのかも知れなかった。

「……そうかもね」

 私は、魔理沙の言葉を静かに受け入れる。
 元々は、単なる人形操作の練習目的に過ぎなかった人形劇の上演。それがいつしか、どうやって皆を楽しませるかを目指すようになっていた。
 そう、本当はとっくに分かっていたのだ。技術の向上だけではなく、皆を喜ばせることも大きな目的となっていたことを。子供たちの期待のまなざしに応えたくて、私はより楽しい人形劇を模索し続けていたことを。
 何故だろう。そうして口に出して認めてしまったら、気分が少し軽くなった気がする。
 皆の好意に精一杯応えたい。その気持ちに正直になるだけで、良いのだろう。
 もちろん、恋というものについてまで理解が行き届いた訳ではない。けれど、男の子が私へ投げ掛けたそのストレートな感情に、正面から向かい合ってみる気にはなれたのだった。

「お、もう雨やんでるな」

 窓外を見やると、確かに雨は既に上がっていた。話をしているうちに、いつの間にかかなり時間が経っていたのだろう。

「じゃあ、私は帰るぜ」
「そう」
「でも、いて欲しければ夜までいてやるぜ」
「結構」

 どちらかと言えば、1人でいたいところだった。
 考えるためのきっかけはもう貰った。男の子の告白を受け止め、どういう返事をするかは私自身で答えを導き出すべきだろう。
 私は、魔理沙を玄関まで見送る。いつもは勝手に帰って貰っているが、今日もそうしてしまうのはさすがに気が引けた。

「私の話は参考になったか?」
「まあ、それなりにね」
「それなり、か」

 どこか不満そうだったが、それ以上の言葉が紡がれることはなかった。感謝の言葉でも期待していたのだろうか。
 確かに参考にはなったのだけれども、話の内容が内容だけに、素直に感謝する気にはなれなかった。
 魔理沙は私に背を向けて、ドアノブを握る。扉を開き、そのまま出てゆく。――と思ったところで、不意にこちらを振り向いた。

「ま、何だ。そうやって、さっきみたいにあれこれと悩んだりするアリスも、私は結構好きだぜ」

 思ってもみなかったその言葉に、私はつい返事に窮する。
 魔理沙はいつも通りの得意気な笑みを見せると、そのまま私の返事も待たずに出て行ってしまう。思わず呆気に取られてしまったが、もはや後の祭りだった。
 騒がしかった魔理沙が帰ると、家の中はいつも通りの静けさを取り戻す。
 私は部屋に戻ると、いつもの椅子に腰を下ろす。そして別室にいた上海を呼び、魔理沙のカップの片付けを命じた。

「……うん?」

 部屋に入って来た上海はしかし、カップには向かわず、何故か私に寄り添って来る。そして、憂いを含んだ表情で私の顔を見つめて来るのだった。
 これは――やはり私が組み込んだ行動パターンだった。私の元気がない時は、最優先で心配したり慰めたりしてくれるようにプログラムされているはずだから。
 けれど私は数瞬の間、上海が自発的にそうしたのかと思ってしまった。何せ、その行動パターンが現れたのが初めてだったのだ。
 私は上海の頭をそっと撫でてやる。すると彼女はいつものように、可愛らしい笑顔を返してくれた。
 ただ、いかに可愛い表情だろうと、それは私が作り出したものであることに変わりはないのだった。

「私は大丈夫よ。仕事に戻りなさい」

 そう命じると彼女は楚々としてそれに従い、片付けを始めた。
 そんな上海を見つめながら、思う。
 例えば、上海人形が自分でものを考え、行動する力――自律の能力を身に付けた時、そこに“心”はあるのだろうかと。
 もしそれが、人と同じ“心”だと言えるものだったならば。
 彼女は、誰かに恋をしたりするのだろうか。




 *




 男の子は、里を少し離れたところで私を待っていた。
 今日は、人形劇の公演を行う日。いつものように数日前に里へ告知を出しておいたから、私の来訪は皆が知っている。だから、2人だけで話をするにはそうするしかなかったのだろう。
 遠目に見ても、彼は落ち着かない様子でそわそわとしているのが分かる。やがて私に気付くと、やはりと言うべきか視線をそらしてしまった。その様子が面白くて、私は思わず笑ってしまう。そして、すっと肩の力が抜けてゆくのを感じた。

「危ないわよ、里から出てると」

 正直、会ったらどう話し掛けようかと考えあぐねていたのだけれど、男の子の方が話のきっかけを与えてくれた。
 しかし彼は俯いたままで、私の顔を見ようとしない。憂鬱そうなその表情から察するに、この間みたいに照れているという訳でもなさそうだった。
 やがてゆっくりと顔を上げると、そこにはどこか怯えたような表情が張り付いていた。

「この間は、変なことを言ってごめんなさい……」

 謝られてしまった。
 その消え入りそうな声からは、先日目の当たりにしたような確固たる意思を感じ取ることが出来なかった。

「変なことって、この間の……告白のことかしら」

 男の子がこくりと頷く。告白、という言葉を聞いただけで、その頬が少しずつ赤く染まってゆくのが見て取れた。可愛いものだと思う。
 とは言え、せっかくの告白を自ら引っ込めてしまうというのは少々残念である。
 きっと、不安だったのだとは思う。先日の告白以来、私たちは長いこと顔を合わせていない。その間、彼はずっと悩んでいたのだろう。
 告白がどう受け止められたのか、告白なんてして良かったのか、嫌われてしまってはいないだろうか――そんな色んな思いがない交ぜになって、謝罪という形でこぼれ出たのだろう。
 それは分かる。分かるけれど、これでは話を進めることが出来ない。
 ならば。

「じゃあ、この間私のこと好きって言ったの、あれは嘘だったのね?」
「そんなことないです!」

 挑発ぎみの私の言葉に、男の子はとっさに首を横に振って否定した。

「嘘じゃないなら、私のことが好きなのね」

 しれっとそう言うと、男の子はぽかんと口を開けて私を見る。
 ちょっとずるかったかも知れないが、これでこの子の本音を浮き彫りにすることが出来た。
 私がふふ、と笑うと、それで私の意図を理解したのか、男の子ははにかみ笑いを見せる。
 控えめだけれども、ようやく笑顔を見せてくれた。耳まで真っ赤になってしまっているのは、まあご愛嬌だろう。

「一度口に出してしまった言葉は、もう取り戻すことは出来ないものね」

 そう、前回披露した人形劇にはそんな場面があった。
 ヒロインの少女は、想い人への気持ちを抑え切れず、それを夜空に向かって告白してしまうのだ。当の相手が聞いてしまうなどとは思いもせずに。
 ましてやこの子は、面と向かって私に言ったのだ。もとより否定のしようなどなかった。

「確かに、そうですよね……」

 男の子の表情が、次第に生気を取り戻してゆく。照れているのは変わらないが、それでもそのまなざしは私の姿をしっかりと捉えていた。
 私のことが好きだという想い。その気持ちは確かに受け取った。次は、私がそれに対して返事をする番だった。
 私は、それを口にしなければならない。
 たとえ、彼にとっては望まざる答えなのだとしても。

「申し訳ないけれど、私は、貴方の気持ちに応えることは出来ないわ」

 穏やかに、そして諭すように言った。
 私は決して、この子のことが嫌いな訳ではない。むしろ好きな方だった。けれどそれは異性を恋い慕うような意味ではなく、私の人形劇を見に来てくれる皆へ向ける気持ちと同じものだった。
 つまりこの子を恋愛の対象として見ることは、私には出来ないのだった。

「……はい」

 男の子が小さく返事をする。
 その答えは予想出来ていたのか、目に見えて落胆するようなそぶりは見せなかった。
 けれど、俯き加減で唇をかむその様子から、弱さは見せまいとしていることがよく分かる。
 微かに、胸が痛んだ。

「……でも、ありがとう」
「えっ」

 何か、言葉を掛けてやりたい。そう思ってとっさに口から出たのが、ありがとうの言葉だった。
 何に対しての感謝なのか、私自身もよく分かっていない。ただ、この子から告白をされたことは、色んなことを考えるひとつのきっかけになったと思う。

「ちょっと、思うところがあってね」

 困惑気味の男の子に、私はそう言って誤魔化す。
 その、思うところというやつをを口で説明しようと思っても、上手く言葉を紡ぐことが出来ない。
 だからこそ今は、ありきたりな感謝の言葉こそがふさわしいのかも知れなかった。

「あの、アリスさん」
「何かしら?」

 男の子が、ゆっくりと顔を上げる。その表情には未だに、緊張の色が残されていた。
 私の方は、自分自身の気持ちに1つの区切りを付けたつもりでいる。後は、この子が自身の気持ちをどう整理するかだった。
 恋する想いが叶わなかった時。人はどうやってそれに決着を付けるのだろうか。

「……これからも、アリスさんの人形劇、見に行ってもいいですか?」

 どこか、すがるようなまなざしで私を見つめる。その瞳には涙さえも浮かんでいた。
 私は言わば、この子を振ってしまった立場にいる。だからと言って、この子のことを嫌いになった訳では決してない。
 私に振られてしまってもなお、私の人形劇を見たいと言うのであれば、それを拒否する理由などどこにもなかった。

「当たり前じゃない。今までと同じように、大歓迎よ」

 元気付けるように、私はつとめて明るく言った。
 告白、そして失恋を経てしまい、彼の心は今までと同じではいられないかも知れない。
 たとえそうであっても、この子には私の人形劇を心から楽しんで欲しい。私は強くそう願うのだった。

「ありがとう、ございます……」

 男の子はほっとした表情を見せ、少しばかりの笑顔を取り戻した。ようやく緊張が解けたらしい。この子が私の人形劇を本当に好いてくれていることが、よく分かった。
 張り詰めていたものが緩んだからだろう。歯を食いしばって泣くまいとしていたのだが、両の瞳から涙が伝い落ちてしまうのを彼はとうとう抑えることが出来なかった。
 いったん零れてしまった涙は、止め処もなく溢れ続けてしまう。それでも彼は、笑顔だけは崩そうとしなかった。
 笑っているけど泣いている。泣いているけど笑っている。
 そんな表情を見て、思う。
 もしこれが物語なのだとしたら、この話は悲恋になるのだろうかと。
 たとえ、恋が実らずに終わってしまったとしても。涙を流すことになってしまっても。
 ひとかけらの笑顔でも残すことが出来たのならば、それは悲しい物語などではない――私はそう信じたかった。

「……もうすぐ、劇の時間ですね」

 男の子はひとしきり泣いて、ようやく落ち着きを取り戻した。確かに、そろそろ開演の時間が近付いているはずである。

「もう、いいの?」
「はい」

 男の子の返事は、少しだけ元気を取り戻していた。もう、大丈夫だろう。

「そう。じゃあ、行きましょうか」
「はいっ」

 私がにっこりと微笑みかけると、男の子はやはり照れてしまう。振られてしまった後でも、このあたりはそのままらしい。何だか微笑ましかった。きっと、私を好きでいる気持ちは変わらずに持ち続けているのだろう。
 さて、このままでは予定の時間になってしまう。彼ももちろんだが、私の人形劇を待ちわびている人は沢山いるのだ。遅れる訳にはいかない。
 私は今日の公演内容を頭の中で再生する。うん、今日も完璧だ。私は自分で納得するように頷きつつ、里の方を向いた。


 ――時間が止まった。


 同時に、思考も固まる。
 私の視線の先。里の入り口近くで木にもたれかかるその姿。何故――魔理沙がこんなところにいるのだろうか。
 全く気付かなかったが、一体いつからそこにいたのか。こんな、魔理沙には用のあるはずのない場所で。
 私と目が合うと、魔理沙はこちらへと歩み寄って来る。
 正直、あまり他人には見られたくない状況だった。私はいいにしても、この子はそうではないだろう。

「よう、アリス」

 唖然とする私をよそに、魔理沙はそ知らぬ顔で声を掛けてくる。

「アリスの人形劇は、今日でいいんだよな」
「え、ええ。そうよ」
「そうかい、じゃあ待ってるぜ」

 会話はそれだけだった。魔理沙はくるりと背を向けると、そのまま里へと歩き始めてしまう。
 男の子を前にして、いつから見ていたのだ、とは訊けなかった。
 しかし魔理沙は途中で立ち止まると、ちらりとこちらを振り向いて。

 ――ニヤリ、と口の端をつり上げて見せた。

 見てたぜ、とその笑みが言っている。
 しかしそれも一瞬のことで、魔理沙はさっさと里の中へと消えていってしまった。
 ……こいつめ。人形劇には誘っても見に来なかったくせに、色恋沙汰だと喜々として覗きに来るのか。
 盗み見が好きだとはたいそう悪趣味なことだ。罰でも当たった方が良い。
 と、そこでひとつ閃いたことがあった。成功するかは分からないが、これはやってみるだけの価値はある。時にはこんな試みがあってもいいだろう。
 上手くいったときのことを考えると、それだけで楽しくなってくる。
 よし、今日の演目は予定変更だ。

「じゃあ、行きましょうか。今日も楽しい人形劇が待ってるわよ」
「はいっ」

 男の子は笑顔で返事をする。
 その期待のまなざしに全力で応えるために、私は今日も里へと向かうのだった。




 *




「さあ、アリス・マーガトロイドの人形劇、間もなく始まるわ」

 歓声と共に拍手が沸く。私の目の前にはいつものように人だかりが作られていた。うん、今日も予想以上の大人気だ。
 けれどいつもと違うのは、その集団の隅っこに魔理沙の姿があることだった。
 どうせさっきの覗き見がメインで、人形劇の見学はついでだろう。よし、作戦開始だ。
 拍手が収まり、場に静寂が舞い降りる。
 劇が始まる瞬間に感じる、この緊張感。今日はそれが一際心地良く思えた。
 私は息を大きく吸い込み、ナレーションを開始する。

「日の光さえ届かぬ深い深い森の中、人が踏み入ることさえ敵わないその奥の奥に、とても悪い魔法使いが住んでおりました」

 私が操るのは、ゴシックロリータ風の白黒衣装を纏った1体の人形。

「――その名は霧雨魔理沙」

 この人形はもともとは魔理沙ではないが、今日は格好が最も似ているこの子に魔理沙役を演じてもらうこととした。
 私は人形を操作しながら、観客である方の魔理沙を横目で確認する。呆気に取られている様子がはっきりと見て取れた。
 よしよし、効いている。でも本番はまだまだ先だ。

「その魔法使いは泥棒を生業とし、魔法を悪用してはあちこちで強盗を繰り返しておりました」

 複数の人形を操り、魔理沙の強奪行為を描写する。時にはレーザーまで駆使して相手を脅す様子は正に極悪非道である。

「ほとほと困った被害者たちは、高名な魔法使いに魔理沙の退治を依頼しました」

 ここで、上海人形を登場させる。
 彼女が演じるのは――

「弱気を助ける正義の魔法使い、その名もアリス・マーガトロイド!」
「おいちょっと待て!」

 私の名が挙がったところで、業を煮やした魔理沙がついに横槍を入れた。

「それは納得がいかないぜ!」

 こちらへ迫りながら、魔理沙は抗議の声を上げる。だが、これに気圧されてはいけない。ここからが本番なのだ。
 私は瞬時に人形を退かせ、わざとらしく身構える演技をする。

「おおっと、何と、本物の泥棒が現れてしまいました!」
「は?」
「さあ、魔法使い同士の衝突だ!」
「人の話を聞け!」

 しょうがないわねぇ。
 私は他のお客さんたちに気取られないように、魔理沙にウィンクを飛ばす。
 魔理沙は一瞬顔をしかめるが、すぐに私の意図を理解してくれたようで、口元に笑みを浮かべていた。
 このまま乗ってくれれば成功だ。

「……まさかそう来るとはな」
「驚いたかしら?」
「ああ。お前が正義ってあたりが一番驚いたぜ」

 大勢の観客の前で、私たちは相対する。いつもとは明らかに毛色の違う演出に、観客の間ではどよめきが広がっていた。
 けれど、時にはこんなサプライズがあってもいいだろう。ほとんどアドリブでやっているのだけれども。

「のこのこ出て来たからには、覚悟は出来てるんでしょうね。泥棒さん」
「言ってくれるな。で、どうやって勝負を付けるんだ?」
「決まってるでしょう?」
「ああ、そうだな」

 互いに笑みを交換する。
 そう、答えはただ1つ。

 ――弾幕ごっこ!

 2人同時にそう叫んだ次の瞬間には、私たちは揃って空へと飛び上がっていた。
 それにしても、乗ってくれたら面白いなとは思ったが、本当に乗ってくれるとは。
 乗ってくれなかったら時は、人形たちを使って擬似的な弾幕ごっこを演出するつもりでいた。でもここまで来たら後はもう、気の赴くままに本当の弾幕勝負に打ち込むだけだった。

「こっちから行かせてもらうぜ」

 魔理沙は掛け声と共に右手を掲げ上げ、魔法で大量の弾を発生させる。星々をちりばめたおなじみの弾幕だ。
 掲げた手をこちらへと振り下ろすと、星たちは流れ星のようにこちらへと降り注いで来る。これはこれで綺麗であるが、私だって負けてはいない。
 撒き散らされる星屑をかわしつつ、私も対抗して弾幕を張ろうとした、その時。
 星屑に紛れて、魔方陣のようなものが私の後方に飛んでゆくのが見えた。
 そして次の瞬間に、

「っ!」

 一条の光が天を貫く。私は間一髪でそれをかわした。背後からレーザーが駆け抜けたのだ。

 ――光符「アースライトレイ」

 いきなりスペルカードを使うとは、魔理沙もやってくれるものだ。
 危機一髪だった私を見て、地上からざわめきが起きる。私を心配する声や安堵のため息、そしてそれと同時に、魔理沙へ向けての大量のブーイングが巻き起こる。

「ってギャラリーはみんなそっちの味方かよ!」

 そりゃあもう、ここは私のホームグラウンドだもの。そして今この場において、貴方はヒールなのよ。
 魔理沙がいくら嘆いても、そちらへと返って来るのはやはり野次ばかりだった。
 悪いけれど、今日は魔理沙に悪役を演じて頂こう。

「貴方のような悪者に味方なんていないわ」
「ああそうかい。ならとことんやってやろうじゃないか」
「かかって来なさい、成敗してあげるわ」
「私のとっておきの魔法を見てからでも同じことが言えるかな?」
「そりゃもう。最後に勝利を収めるのは正義の味方たる私よ」
「へっ、正義が勝つとは限らないってことを身をもって教えてやるぜ!」

 それにしてもこの悪役、ノリノリである。
 それでいいのかと突っ込みたくもなるが、実際上手くハマっているので良しとする。
 さあて、後はこの悪役さんが場の空気を読んで、適当なところで負けてくれるかが問題かな。
 ――まあ、負けてくれないのなら負かせればいいのだけどね。

「さあ、今度は私の番よ」

 まずは私を取り囲むように、人形たちを等間隔に配置。そしてそれぞれの動きを完全に同期させ、次々に弾を射出させる。
 地上から見れば、弾幕がさながら魔法陣みたいな模様を描いているように見えるだろう。美しい模様を演出するためには、やはり対称性が欠かせない。
 更には、人形たちの自転・公転速度、私との距離、弾速等々、幾つもある変数を少しずつ弄ってやるだけで、その模様は時々刻々と変化する。
 そう、弾幕はブレインなのだ。
 しかし魔理沙は、余裕の表情で私の弾幕をかわしていく。さすがに日々鍛えているだけのことはある。

「どうした、この程度の弾幕じゃあ私は落とせないぜ!」

 言ってくれる。
 ならば、こちらもスペルカードを披露しようじゃないの。
 取り出だしたるは――『春の京人形』。弾幕の美しさを語る上で外せないスペルだ。
 私は謳い上げるようにスペルカードを宣言し、弾幕を切り替える。
 基本は先程と同じだが、今度は色彩の妙が加わる。次々と色を変えながら生み出される弾幕は、私のスペルカードの中でも指折りの美しさを誇るのだ。

「さあ、これでもそんな余裕言ってられるかしら?」
「へぇ、今日は一段と気合が入ってるじゃないかアリス!」

 その通り。ギャラリーがいるだけでこうも違うものかと我ながら思う。
 私は弾幕を展開しつつ、地上の様子を確認する。
 観客の誰もが、楽しそうに私たちの弾幕ごっこを観戦している。
 子供も、大人も、そしてもちろんあの男の子も。
 これで良いのだと思う。
 悩む必要なんてどこにもない。私は思うままに人形芸を展開し、皆の歓声を一身に受けるだけで良いのだから。
 ますます激しくなる弾幕の中、私は抑えようもなく胸が高鳴ってゆくのを感じる。
 その高鳴りを抑える必要もない。私はそれに押されるような勢いで、声高らかに宣言した。

「人形たちが織り成す美しく華麗な弾幕遊戯、とくとご覧あれ!」
 アリスがどういう思いで人形劇を披露しているのか実際のところはよく分かりませんが、アリス本人も楽しみながら演じてくれてればなと思います。
上泉 涼
[email protected]
http://d.hatena.ne.jp/hiatus/
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コメント



0.3290簡易評価
6.100名前が無い程度の能力削除
アリスと魔理沙の距離感が心地良かったです。
7.100名前が無い程度の能力削除
これは、惚れざるを得ないじゃないか。

アリスの人形劇が人を魅了する理由は、
技術のせいでも、魔法のせいでもない、
それらを含めたアリスのその姿勢です。
一途に人形を想い、人形劇を演じきる。
人形使いの名は、伊達じゃないですね。

その一方心について見ればまだ未熟で、
少女らしい面もちらほら見受けられて。
きっと、それを理解できたその時には、
自律人形が完成するのかもしれません。
11.100奇声を発する程度の能力削除
これは、今までずっと探してたタイプのお話だ!
かなり良かったです!!!
13.100名前が無い程度の能力削除
良い話だ…!
アリスの日常はこうであって欲しい!

アリスと魔理沙の距離感もむちゃくちゃ良かった!
17.100名前が無い程度の能力削除
アリスと魔理沙の関係が、すごく良かったです!
27.100ずわいがに削除
このアリスは愛されるわ。
34.100名前が無い程度の能力削除
迷うことなく100点を入れられる。
途中でまんねりとすることもなく会話もよかった。
アリスの人形劇に対する考えは物語上の設定が一番しっくりくると思います。
38.100名前が無い程度の能力削除
すらすら読めた。
アリスも素敵なんだが
魔理沙の立ち位置が絶品。
40.100名前が無い程度の能力削除
キャラの魅力が伝わってきました。
44.100名前が無い程度の能力削除
素晴らしい話。
続きがあったら嬉しいなぁ。
46.100名前が無い程度の能力削除
魔理沙がとてもらしくて印象的だった。
ここまで違和感を感じなかったのはひさしぶり。
男の子がんばれ!
58.100名前が無い程度の能力削除
これはオリキャラってだけで埋もれてしまうのにはもったいない作品。
埋もれているってほど低い点数でもないけど、もっとたくさんの人に読んで欲しいと思ってしまった。
良いお話をありがとう。
59.100名前が無い程度の能力削除
少しずつ自分の今の感情を受け入れていく、というのがしっかりと表現されていてよかったです。

アリスの人形劇、見てみたいなぁ・・・
62.100名前が無い程度の能力削除
なんて魅力的なアリス
73.100名前が無い程度の能力削除
しっとりとした雰囲気が良いなぁ。
75.100名前が無い程度の能力削除
上の人が言ってるいるように距離感がすごく心地よかったです
もちろん内容も最高です
77.100星束霊雨削除
なんといういいアリス
78.100名前が無い程度の能力削除
これはいいアリスの人形劇
魔理沙との弾幕戦の後の話が
もう少し続いてもいい気がするが
蛇足な気もする
86.100非現実世界に棲む者削除
魔理沙が人形劇に登場してからニヤニヤしぱなっしでした。
凄く面白かったです。
アリスと魔理沙、生き生きとしてて良いですね。
素晴らしい作品でした。
87.100絶望を司る程度の能力削除
すげぇ面白かったです。