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冬になると、貴女は毎日のように私の家へとやってくる。
どうしてこんなに頻繁に来るのかしら?
その問いに対する答えは毎年同じ。
暖かい家で読書をするためだぜ、って。
その返事を聞く度に、私は冬の訪れを感じるのだ。
***
暖炉の薪が落ちる音が響く。少しだけ部屋が暗くなったような気がして、アリスは数体の人形に薪を持たせて暖炉へと向かわせた。横たわって読書にふける魔理沙を飛び越えて、彼女たちは無事に任務を遂行してからアリスの下へと戻ってくる。魔力の糸が切られ、人形たちは魔理沙と同じように仰向けになって本を読んでいたアリスの腹の上にすとんと落ちた。
すぐに炎は勢いを取り戻した。壁で揺れる家具の影が一層はっきりして、それがこの部屋が暖かいということをたった二人の住民に教える。魔理沙は本に熱中しているのか寝ているのか、身動き一つしていない。ページをめくる音もしないのは、実際に寝ているからか、あるいは遠目に見ても今開かれているページには複雑な魔方陣が描かれているからか。
冬だった。
本を脇に置いて、アリスは寝転がったまま身体を捻った。腹の上にいた人形がころりと転がって絨毯の上に倒れる。自分のその作品に、可愛いな、という稚拙な感想を抱きながらアリスは窓の外を見た。
魔法の森は、白い。
雪が降っているからだ。
毎年、今年は例年より寒いな、と感じてしまう。実際はそうでもないことが多いのに、夏を越えてきた身体は寒さに弱い。年中騒いでいるような魔理沙だって、こう見えて寒がりだ。だから、あんなことを言うのだろう。
「ねぇ魔理沙、起きてる?」
「寝てないぜ」
「……何で、」
―――何で貴女は冬になると、毎日のように私の家に来るのかしら?
これで、何年目だろうか?
アリスは心の中で年を数えた。魔法の森に住むようになって、魔理沙と家を行き来するようになって、良い意味でのライバル関係のような形になって……これで何年たったのだろう?
考えても、答えは出そうになかった。
一年だった気もするし、十年も経ってしまったような気もする。そも、互いにそんなことを数えるのはまったく意味のないことだと知っているから、考えることに意味はなかった。あれから今までの間に、二人が年を数える必要のある出来事と出会っていないからだ。
二人の知り合いは皆健康で、死にそうな様子などこれっぽっちもない。冬をのんびりと越している間にぽっくりと死んでしまうような人と知り合いになったつもりもない。
無意味に生きる時間が、過ぎているだけ。
しかし、それが無駄だと思うか、綺麗だと思うかは、人それぞれだった。
冬だった。
雪の降る、寒い寒い冬だった。
「それ、何の魔導書? 随分複雑な魔方陣ね」
「紅魔館に隠されてたんだ」
「また盗んできたの?」
「借りてるだけだって。それに返しに行くのは難しいぜ。なんせ禁書書庫に収められてたもんだからな」
「大丈夫なのかしら……」
「こういうものこそ、大魔法使い魔理沙様が持つのに相応しいものだぜ」
上から覗きこんだアリスに、魔理沙はおどけたような表情を見せて笑った。笑い事ではないが、どんなことも魔理沙にとっては笑い事なのだろう。
「ちなみに内容についてだが」
「うん。危ない話じゃないわよね」
「いや、残念なことにさっぱり分からないんだ。そもそも、文字が読めない」
「貴女以上の大魔法使いの本なんだわ」
「認めたくないが、そういうことなんだろうなぁ」
ぱたん、と本を閉じて、魔理沙はそれをアリスの布団の上へと放った。いつでも眠れるようにと今朝伸ばした真っ白なシーツが、重力を受けて皺を作りながら沈んでいく。
「なぁ、今何時だ?」魔理沙が天井を見ながら訊いてきた。
「時計、そろそろこの部屋にも置くべきかしらね」
「寝室にないのはちゃんちゃらおかしいぜ。ここは一応寝る場所なんだろ? 時計が無かったら多分困る。私なら困る。常に時間に追われて生きているからな」
「人間だからねぇ。私は今のまま、リビングにあれば十分だと思うけど」
「リビングにこそ必要ないな。あそこは時間を忘れて読書をし、時間を気にせず寝る場所だからだ」
「ただの価値観の違いじゃない」
時間、ね。
魔理沙は、あとどれくらい生きているのだろう?
人間である魔理沙には、絶大な可能性がある。種族としての魔女であるアリスと違って、先へ進む分には彼女を拒むものは何もないのだ。
人間が魔女になれるように。
魔女が人間になれないように。
どこまでも突き抜けていく光のように。
アリスの知らないところまで、彼女は進んでいくのだろう。
「魔理沙、」
「うん?」
「貴女は死ぬ?」
「あぁ、死ぬぜ。人間だから、今死んでもおかしくないな。さすがに他人の家で死にたいとは思わないけど」
「そう」
「どうした? センチメンタルか?」
「感傷に浸るのは秋でしょう。違うわよ、冬だから。冬は死の季節」
「冬が来たら、必ず春が来るじゃないか」
だろ? と言う魔理沙の笑顔は、外に放りだしたら雪を全部融かしてしまうんじゃないかと思うくらいだった。暖かいなぁ、なんて苦笑しながらアリスは人形に時計を取って来させる。ふよふよと力なく人形はリビングまで飛んでいき、掛け時計を外してここに持ってきた。
「……六時半、ね」時計の針を見ながらアリスは言った。「そろそろ帰った方が良いんじゃない? 放っておくと帰れなくなるわよ」
アリスはそう言って窓の外を指さした。魔理沙はこっちを見てすらいないが、意味は通じただろう。……簡単な話、雪が積もってとても歩ける状態ではなくなってしまうのだ。もちろん彼女は箒を持っているけれど、寒がりな彼女は雪の中を飛びたがらない。地底に行ったときも散々ぼやいていたのを覚えている。
「そうだな、そろそろ帰るか……。あーあ、春、早く来ないかなぁ」起き上がって大きく伸びをしながら、魔理沙はさらに大きな欠伸をしてみせた。
「今年は寒いから、春告精もなかなか動かないでしょ、たぶん」
「だろうなぁ」
「青い春なら貴女、真っ只中をひた走ってるんじゃなくて?」
くすくす、とからかうと魔理沙はむ、と口を尖らせた。そんなクサい春、私は願い下げだ、と文句を言いながら床からマフラーを拾い上げる。壁にかけてあったコートを羽織り、魔理沙は玄関へと歩いていった。
アリスも立ち上がってそれを見送りについていく。寝室から出た途端冷たい空気が全身を包み込み、思わず鳥肌が立ってしまった。
「それじゃ、今日も助かったぜ。…………っと?」扉に手をかけた魔理沙は、何故かそのままの形で硬直してしまった。
「どうしたの?」アリスは訊ねる。
「いや、」魔理沙の苦笑がこちらを振り返った。「開かないぜ。雪……だろうな」
「あらら、手遅れ」
こういうのは力任せにやっても意味が無いということを知っているので、二人はすぐに諦めて寝室へと戻ってきた。コートを脱いで、魔理沙は床の上に放り投げた。力が一気に抜けてしまったかのようにアリスのベッドの上に倒れ込み、今日泊って良いか? と弱々しい声で訊いてくる。
「そりゃ、追い出せないなら泊まってもらうしかないわね。……ワインか何かあったかしら? 魔理沙、赤と白どっちが良い?」
「ロゼワインな気分だ」
「ロゼは夏じゃないの?」
「それもそうか。じゃあ真っ赤なので」
棚からボトルを一つ選び、グラスと共に寝室へとアリスは戻った。小さなテーブルにグラスを置き、それにワインを少しだけ注ぐ。ロゼが夏なのはフランスという国だけだったかしら、と今さらながらに思いながら。
「お、旨そうだな」注がれたグラスを見ながら、魔理沙は興味深そうにボトルを眺めた。
「Murfatlar……? むるふぁとらー、かしら。まぁ、外来物だし、産地なんかはよく分からないわ」
「外来物っていうと、香霖堂から取ってきたのか」
「買って来たの!」
つ、と魔理沙を睨みつけ、その状態のままにグラスに口をつける。香霖堂ではそこまで高くなかったが、これは相当美味しいものだ、とすぐに分かった。こんなときに開けてしまうのはもったいないと思ってしまう程に。
「旨い! 予想通りだ!」案の定、嬉しそうに魔理沙が叫んだ。
「あの店主は味が分からないのかしら? これをあんな安値で売るなんて」
「香霖だからな。あいつは日本酒派なんだ。こんど日本酒買いに行ってみろよ。一つも売ってないから」
「あ、そうなの……」
こんなに美味しいなら、一人で飲めば良かった。
こんなに美味しいから、二人で飲んで正解だった。
ボトルの中身は予想以上の早さで減っていく。
酒に余り強くないアリスが先に酔っ払い、つられて人形の動きもどこかおかしくなっていった。暖炉に薪をくべさせようとしたはずなのに、いつの間にか暖炉で燃え尽きていたり。燃料にもなる人形とは、なんて便利なのだろうか、と酔った頭でぼんやりと考える。
冬だった。
雪の降る、寒い寒い冬だった。
談笑する相手のいる、暖かい冬でもあった。
「ありす、なんかお勧めの本とかないか……?」顔を赤くした魔理沙が訊ねてきた。意味が分からない。
「んー? もう一杯頂戴?」アリスは一応返事をしてやった。
「おぅい、話を聞け」
「もう、駄目……。眠い」
「寝るなよ、死ぬぞー」
「寒い」
「冬だからしょうがないぜ」
「暖めて下さい」
「炭化した人形はそんなこと考えてなかっただろうなぁ」
「……考えてたわ!」
「ちょっと待ってろ、八卦炉用意するから。大火力で」
「うぅん……?」
会話が成立していない。魔理沙は相当酔っぱらってしまったに違いない。話も通じない程に酔っぱらってしまうとは、本当は彼女の方が酒に弱いんじゃないだろうか?
くらくらと意識が混濁してくる。
眠ってしまったら、魔理沙が布団に寝かせてくれるくらいはしてくれるだろう。
こちらは、泊まらせてあげているのだ。偉いのだ。
ふふん。
明日の朝は、何をしようか? と、思考は一つにとどまらない。考えておきたいことすべてを巡回して、それを考えろ、と酩酊期の脳味噌を揺り起こしてくる。
明日は、ひとまず雪掻きだ。それをしなければ魔理沙は窓から帰ってしまうし、出掛ける時にも不便になる。誰かが森に迷い込んだときにも、雪に埋もれた家を当てにする人なんていないだろう。
魔理沙を、働かせよう。
こちらは、泊まらせてあげているのだ。偉いのだ。
えへへ。
あ―――、と。
ついに廻り始めた視界の中、す、とアリスは魔理沙の方へと手を伸ばした。
彼女が帰る、ということを考えて。
理由も分からず、前触れもなく、ただ、虚しくなった気がした。
……酔っているからかしら?
胸が苦しくなるような、感覚。
アルコールが原因か? そんなわけはないか。
寂しい、というのとも、また違う。
悲しい、わけでもない。
「まり―――、」
伸ばした手は、彼女に届く前にテーブルの上へと落ちてしまって、まだ少しだけワインの残っていたグラスを倒してしまった。零れた液体が流れて、絨毯に染みを作っていく。
「おい、ありす……」
本なら、たくさん読んできた。
でも、これを説明してくれるものなんて、一度も読んだことが無かった。
分からないことが、知りたいのに。
はぁ、と溜息をついてテーブルに突っ伏した。
グラスが転がり、床に落ちて割れる。
―――こういう感情こそ、本が教えてくれたって良いのにね。
意識は、真っ赤な液体への底へと沈んでいった。
***
暖かくなってきて家に来る頻度が少なくなると、貴女はふと思い出したように私にこう訊ねる。
なぁ、何で冬になると毎日鍵を開けっ放しにするんだ?
それに対する答えは、毎年同じ。
……貴女が来るのを、待ってるからに決まってるでしょ、って。
この台詞を言う度に、私は春の訪れを感じるのだ。
だから、ほら、春が来る。
了
終わらない冬はない。
今日もそうやって自分を励ましてみる。
・・・・・・本当は氷河期で万年雪なのに(泣)
冬のマリアリ第一号、ごちそうさまでした
「泊まって」では?
いいマリアリでした。ごちそうさまですw
ほんのり甘くて、どこか寂しくて。でもとても暖かくて。
そんなすてきなものがたりでした。
…早く私にも春が来てほしいorz
>8さん
ですよね!終わらない冬は無い!!絶対無いんだ!!!!
>>5さん
冬、マリアリ。どうもです
>>8さん
私の氷河期は永久に続きます多分。
あ、ほら、雪が降ってきましt
>>10さん
お粗末さまでした。
人肌って、どうなんでしょうね? 誰か教えてくだs
>>14さん
誤字報告ありがとうございます。直しました。
お粗末さまでした。
>>16さん
良い雰囲気でした。
>>アリサさん
はるですよー。 ところでゆたんぽって抱いてると眠くなりますね。
>>22さん
素敵な物語だったかもしれません。ありがとうございます。
ところでそのミルクって(自主規制
>>奇声を発する程度の能力さん
春は来ません(死刑宣告
冗談です。きっときますよ誰にも(遠い目
あと9年か…