※このSSは、作品集86にある拙作『恋の糸』の後日談となっております。
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1 来訪者
フランちゃんをお姫様にたとえるならば、さしずめ自分は騎士(ナイト)であるな、とこいしは思った。
自分の言葉を頭の中で反芻し、腕組みをしてうむうむとうなずく。
梅雨時である。どんよりと重たい灰色の雲からひっきりなしに雨が降り注ぎ、紅い館のお屋根をじとじとと濡らしていた。門前に立つ紅髪の番人が傘もささず直立不動の姿勢を保っているのは、なるほどまことに感心ではあるのだが、眠っているのではまるで意味がない。雨の中でも立ちながら睡眠という、見方によっては非常に高度なテクニックを披露している彼女を見て、むむ、私の無意識もまだまだ未熟である、修行しなければとこいしは決意を固めたが、その決意を天から降る雨がたちまち軟弱にした。
雨降って地固まることを願う。
こいし、紅魔館地下への二度目の訪問である。前回来た時はフランドールと話す時間があまりなかったため、今回は夜になる前から乗り込んで、百合色のきゃっきゃうふふに備えたいというこの意気込みよう。あわよくばまだ知らぬ紅魔館の他の住人たちにも挨拶を済ませたい。そしたらここを地霊殿に次ぐ第二の「埴生の宿」にしよう、などとまでは思っていないものの、いつもの朗らかな精神で、ちょっとは友達増えればいいなと思いつつ、でもやっぱり初対面の人と話すのは怖いかも、とらしくもない躊躇をして小一時間、門の前に佇んでいた。
さて、お姫様と騎士である。
お姫様といえば、辞書を見れば「悪者にさらわれて地下かどっかの牢屋に閉じ込められる」という説明が書かれているとこいしは信じてやまないが、なぜそう信じるようになったかは彼女にとっても不明である。幼小の頃、まだ心を閉ざしていなかった時分に、お姉ちゃんから夢枕にきいたお伽噺が、今も彼女の深層に根付いているのかもしれない。
ともあれお姫様というものは、ドラゴンみたいな怪物にさらわれて地下に幽閉され、来るべき勇者の決死の救出までの余暇を、ダンベルをこれ見よがしに持ち上げて上腕二頭筋を鍛えあげ、魔王の使い魔を足でこき使い、白いテーブルの前で優雅に紅茶を啜る簡単なお仕事を毎夜するものであると、お姉ちゃんが言っていたような気がする。
そのお姫様のイメージが、こいしの中ではフランドールのイメージにぴったりだったのだ。まだ一回しか逢瀬を経験していないというのに、こいしの妄想はフランドール本人の予期せぬうちに大分失礼な方向に傾いていたようだ。フランドールの上腕二頭筋をなめるように眺めてみたわけではないが、吸血鬼というその種族の特性上、単純な力ではこいしよりも上のはず。イマドキのお姫様は屈強でありぶっちゃけ勇者よりも強くないと務まらない、人はそういうのにこそときめくのですと、竹林にあるお屋敷の薬師さんが力説していた。
そのお姫様をドラゴンの魔手から助け出すのはもちろん勇者なのだが、本文の冒頭において、こいしはその名称を使わず、あえて「騎士(ナイト)」を選択した。
なぜかッ!?
かっこいいからである。字面が。
それ以上でも以下でもない。
「王子様」とか、「勇者」とかよりも、「騎士」のほうがずっと強くてかっこいい気がする。
役得だけを考えれば名称なんて実にどうでもいいのだが、こいしの美意識(それはお姉ちゃんがジャージ姿のまま地霊殿の中をうろつく事を許さないのと同様の美意識である)が、どうせならかっこいい役職名を冠したいなぁという欲求を自身に与えたのである。
ちなみにその役得というのが、宿屋の親父に「さくやは おたのしみでしたね?」などと言われてセクハラされるタイプの事柄ではないのは、羊のように素朴なこいしの精神を考慮すれば明白であろう。
「さてと……いつまでも悩んでてもしょうがないし、そろそろ行こうかな」
ようやく決意して、こいしはそれまで腰かけていた門番の肩から飛び降りた。
アメニモマケズに門番しているのだから、ひょっとしたら肩車しても気付かないんじゃないかな、と試してみた結果がこれである。この頑健な無意識はこいしにも崩せない。
「ありがと。気持ちよかったよ!」
おもに袋はぎのあたりが。
ぽよんぽよんであった。満足。
「さて、お燐お待たせー。行こっか」
と、ここでネタばらし。実はこいし、独りで紅魔館を訪れるのは不安だったので、嫌がるお燐を拝み倒して一緒についてきてもらったのだ。
このお燐、人間の姿をしている時はなかなかに気さくで話しやすいのだけれど、黒猫の姿になった途端気まぐれでタカビーな難解猫に変貌する。お姉ちゃんの膝の上で瀟洒な時を満喫することをその人生(猫生? 妖生?)の旨とし、なでなでや毛づくろいもお姉ちゃん以外にしてもらうのを許さない。そんなであるから、猫状態のお燐を説得するのには物凄い苦労した。結局、お燐は「紅魔館では人間の姿にならない」ということを条件にこいしの願いを聞きうけた。これですら、お姉ちゃんのなでなでと口添えがなければ叶うかどうか怪しかったのである。
ならば、お燐が人間状態の時を狙って説得すればよかったじゃないか、と懸命なる読者の方々は思われるかもしれない。
その通りである。
件のお燐は近くの草むらでうだうだしていたが、呼ばれるとしぶしぶ起き上がって、こいしの肩にひょいと登った。
さて、装備も完璧に揃ったことだし、これから再びお姫様を救い出すためにダンジョンへと侵入する。自分は誇り高きナイトである。
「よぅし、行っくぞー!」
おー! と拳を突き上げたこいしを横目に、夜のように艶々と黒いお燐は、「付き合ってられんわ」といったように大きな欠伸をした。
2 Flandre Solitaire
さて、まぁ地下に監禁されたお姫様といいつつも、事実上は幽閉されているようなわけでもなく、かといって完全に自由が許されているわけでもないはずだ。フランドール嬢のそこらへんの事情をこいしはまだ詳しく知らないが、彼女は勝手に一人で盛り上がっていた。背後から妖精メイドに忍び寄ってこちょこちょしたりもみもみしたり、「手を上げろ」とホールドアップしては厨房からくすねてきたお菓子をその小さなお口に詰め込んであげたり、簡単に言えば彼女はこの紅魔館の訪問を満喫していた。
そういう行動の逐一を観察しているお燐の視線が、だんだんと冷たくなっているのにこいしは気付いていたが、無意識の能力でごまかした。
「ええと……ああ、あった、あそこだ」
さんざん遊び倒したこいしがようやくフランの元にたどり着いたのは、日が暮れてからしばらく経ったときのことであった。
こいしは山吹色の上着のポケットから小型の写真機を取り出して、レンズに汚れがないかどうか点検した。このカメラは、山の神社で知り合った天狗のブン屋からお古を貰い受けたものである。このカメラと無意識の能力を駆使して、以前永遠亭に遊びに行った時、そこの悪戯兎と共謀し月兎のへそやお姫様の入浴シーンや悩める薬師の無防備な寝顔などを激写してブン屋に高く売りつけたのだが、それはまた別の話である。
ちなみに最初の一枚は新聞に載ったのだが、あとの二枚に関しては「極めてデリケートな個人的案件に使用するため、新聞への掲載は行いませんふふふふふ」とのことであった。
カメラを手に入れてからというもの、綺麗な風景や行きずりの旅人をフィルムに収めることができるので、旅の楽しみが増加した。今日は記念に紅魔館の人々を思い出に刻み、あわよくば自分も一緒に写ろうと計画していたのである。まず手はじめに、以前友達になったばかりのフランちゃんの驚き顔を激写しよう。そう思ってにやにやしながら、こいしは扉を開いた。
「こんばんはー」
「わっ」
「へっ? ……きゃぁっ」
「あうっ」
扉を開けた瞬間、誰かのおでことゴッチン。こいしは涙目になって尻もちをつき、額をおさえて痛みに耐えた。
「いたた……もう。いきなり扉開かないでよう。ねぇ、明かりつけてー」
パッと明かりがともり、部屋が明るくなった。こいしにぶつかったのは、その声からすればフランドールのはずだ。
「ごめん……」こいしは額をおさえたまま謝った。
「あれ、こいし?」
フランドールの驚く声。
それに続いて、
「ねぇ、大丈夫?」
「久しぶりー」
「ずっと来てくれなかったじゃない、ぶー」
とさらに三人分の声が聞こえた。
他にも誰か友達が来ていたのか、それにしても明かりを消して何をやっていたのだろうと、こいしは目を開けて部屋を見まわした。
「あれ………」
「「「「どうしたの?」」」」
「あれれれれれ」
気のせいか、フランドールが四人に見える。
こいしは涙の滲んだ目をこすり、もう一度見てみたが、少し強くこすりすぎたのか今度はぼんやりした人影が五人分見えた。
ああ、お姉ちゃん。こいしの頭はもう駄目みたいです。幻覚が見えるようになってしまいました。これもきっと、お姉ちゃんの心配をよそに勝手にほっつき歩いている罰なのでしょう。だからこれからはもう旅をやめます。ごめんなさい、ごめんなさい。
このあとのひと騒動は割愛。
「フォーオブアカインド」の説明を受け、納得したこいしは、今フランドールと小さなテーブルを挟んで座っている。フランドールは一人に戻り、こまごまと可愛らしい小物が置かれた部屋には二人だけの状況。これぞ、自分の望んだ百合色の情景ではないか。こいしがぽやぽやと頭の中で妄想を繰り広げていると、膝の上に乗ったお燐に手を引っかかれた。痛い。
「お外、雨降ってるの? 髪濡れてるよ」
「ああ、うん。弱いけどね、しとしと降ってた」
こいしは何事もなかったかのように紅茶を口に含み、答えた。
「私が来るまで、部屋で何をしてたの? なんだか走ってたみたいだけど。明かりもついてなかったし」
「あれね。ちょっとした遊びだよ」
フランドールはテーブルの上にあったクレヨンと画用紙を手に取り、なにやら図を書き始めた。
「パチュリーに教わったの。四人でやる遊びなんだけどね。まず部屋を暗くして、一人ずつ四隅に立つ。そしたら、それぞれの角の人が部屋の壁に沿ってリレーしながら、途切れずにぐるぐると部屋の中を走り回るの。それだけ」
「ふぅん……面白いの?」
「うん、結構ね」
フランドールはにっこりしたが、彼女の描いた図を見て、こいしは妙なことに気がついた。
「あれ……でも、おかしいよ。四人でやるんだよね? それって、最後の人は次の角には誰もいなくなっちゃうじゃない。ならそこでリレーはおしまいでしょ」
「うん。普通はそうなんだよね。今日も最初のうちはそうだった」
「…………さ、最初のうちは?」
「そ。でも、パチュリーに言わせればこれが普通らしいんだけど、毎回いつの間にか一人増えてるの。暗いから顔はわかんないんだけどね。もうこの遊び、何百回もやってるけど、こうすると一人友達が増えたみたいで嬉しいんだ。誰なんだろうね、いったい」
ニコニコと笑うフランドールを見て、こいしはあることを思い出した。
さっき目をこすった時、人影が五人分見えたような――
「……ね、ねぇフランちゃん」
「なぁに?」
「私、紅魔館の他の人にも挨拶したいなぁ。前の時は会えなかったじゃない。だ、だから、ね、今すぐこの部屋から出よう」
「……? いいけど。紅茶もなくなっちゃったし、咲夜に言っておやつもらおっか」
「そうしようそうしよう!」
「どうしたの。こいし、顔青いよ」
「私の肌がきめこまかくて白くて美しいのは生まれつきなの」
「誰もそこまで言ってないよ」
「あ、そうだ」
「なに?」
こいしはカメラを取り出して、フランドールに向けた。
「ねぇねぇ、撮っていい?」
「それ、カメラ?」
「そう」
「わぁ、撮られるの久々だなぁ。写真できたら一枚ちょうだい」
「いいよー。じゃあ、撮るね」
「うん」
ちなみにこの時撮った写真には、フランドールの背後で見知らぬ少女のピースしている姿が写っていたとかいないとか。
3 銀猫
お姫様を地下から連れ出すことには成功した。だからどうというわけでもないが、これで紅魔館の他の面々ともお目通りが叶うわけである。
「……ねぇ、こいし」
「どうしたの、フランちゃん」
「なんだかメイドたちが大変なことになってるんだけど」
「ほんとだね、凄いね」
「何があったんだろ」
「不思議だね!」
「…………魔理沙でも来てたのかな」
フランドールが言っているのは、ボウルでといた生玉子を頭からひっかけられたり、顔中に生クリームがひっついていたり、とりもちにひっかかって動けなくなっていながらも、こういうハプニングをきゃっきゃと楽しんでいる妖精メイドたちのことである。
誰がやったかは言うまでもない。
「きっと悪戯兎の仕業だよ」
だそうだ。ちなみに彼女にこういう楽しみ方を教えた元凶は永遠亭の嘘つき兎であるので、あながち間違っているとも言い切れない。
肩でお燐がふんと鼻を鳴らした。
「まぁいいや。咲夜どこかな」
「その咲夜さんって人にも会いたいけど、貴女のお姉ちゃんにも会いたいなー」
「お姉様? うん、たぶんいいと思うよ」
「やった!」
「でもなんで?」
「うふふ。貴女のお姉ちゃんがどんな感じにいじれるのか、凄い興味があるの」
「いじるの?」
「うん」
「イジっちゃうの?」
「なんでカタカナになるの?」
「うん……お姉様はなかなかにいじりやすいけど……でもあんまりやりすぎないでね。スネちゃうから」
「ふむ」
「まぁスネたお姉様もそれはそれで……」
「可愛いよね! 私のお姉ちゃんもね、スネても可愛いよ。部屋の隅っこでお燐抱えてうじうじしたり、あのたまんないジト目で睨んできたりとか……」
「へぇ、こいしのお姉様にもいつか……いや、それは無理かな」
「え、どうして?」
「あ、ほら、咲夜がいた」
ぺちゃくちゃと話しながら歩いていると、いつの間にか大広間に来ていた。そこでは銀髪のメイド長が、床に仕掛けられた「くれゐもあ」の撤去作業の監督を行っていた。
「さくやー、おやつー」
フランドールが声をかけると、咲夜が振り向いた。
「ああ、少々お待ち下さい。あと一つで撤去が全て完了しますので」
「いったい何が仕掛けられてるの?」
「意図はよくわかりませんが、踏むと色々な液体が噴出する装置のようです。ジュースとか生クリームとか。なんとなく、竹林に仕掛けてあったブービートラップを連想しますわ」
「へぇ、誰がやったんだろうね」
「不思議だね!」
「あら」
咲夜がこいしに気付いて目を止めた。冷徹な瞳が、こいしをつかんで離さない。
「あの…………」
こいしは言うことが見つからなくてもじもじしたが、なんとなくこのメイド長からは、視線をそらすことが出来なかった。
肩でお燐が「フゥゥ……!」と毛を逆立てて威嚇している。
それで、こいしの咲夜に対する第一印象が固まった。
完璧で隙の無い、銀色の猫。
「ええと、その、初めまして、こいしです」
視線の圧力に耐え切れず、ぴょこんと頭を下げたこいしは、ふと思いついてポケットからカメラを取り出した。
「あの、写真を……あれ?」
ファインダーを覗きこんだ先には、既に咲夜の姿はなかった。
きょろきょろと見回して探すと、いつの間にか彼女は背後に移動していた。
こいしはきょとんとしながらも、そちらに向けてカメラを構える。
「あれれ」
また姿を消した。と思ったら、こいしの頭の上に手がポスンと置かれた。今度は横に立っている。
「誰かれかまわずレンズを向けていいものじゃないわ」
そのまま、こいしの頭を彼女の手が撫でる。
「…………写真撮られるの、嫌いなんですか?」
「魂が吸い取られます」
フランドールがクスクスと笑った。
「なんにせよ、こういうのを嫌がる者もいるってことを知っておいたほうがいいわ。レンズの光が、敵がい心を表わしてしまうこともある。ファインダーを覗く者の意思にかかわらずね」
優しい洗練されたたしなめ方で、決して語気を強めずとも、自然に相手を従わせてしまうような、そんな緩やかな力があった。
いつの間にか、咲夜はタオルを持っていて、それでこいしの雨に濡れた髪をごしごし拭いていた。
「ごめんなさい……」
こいしはしゅんとして肩を落とし、カメラをポケットにしまった。お姉ちゃん以外に怒られたのは初めてかもしれない(咲夜は「怒って」いるわけではなさそうだったが)。少し胸が痛いけれど、不思議と咲夜に対する反発は沸いてこなかった。
咲夜はこいしの頭の上にタオルを残し、フランドールに向かって言った。
「撤去も終わったようですし、そろそろ準備しましょう。どちらで召し上がるのですか?」
「うーんとねえ、お姉様はどこ?」
「お嬢様は夕方から霊夢のところへ行っています」
「えー、じゃあ今はいないんだ………ごめんね、こいし」
「ううん。気にしないで」
「あ、じゃあ代わりに図書館に行こうよ。そしたら、パチュリーとか小悪魔にも挨拶できるし。ね、おやつもそこで食べよ」
「わかった」
「咲夜、図書館ね」
「かしこまりました」
咲夜はそう答えると、二人に向かって少し微笑み、またさっきのように一瞬で姿を消した。
「…………」
「…………」
「こいし、顔赤いよ?」
「な、なんでもない」
こいしはぽけっとして、咲夜の消えたあたりを眺め、ぽつりと呟いた。頭の上のタオルを取り、胸元できゅっと握りしめる。
「………猫みたいな人だったなぁ」
「え、そうかな? どっちかというと、犬に近いと思うよ」
「うん………綺麗で、不思議な人だね」
図書館へ行く道すがら、こいしの頭の中には、紅い月をひしと見据え、背筋を優雅に伸ばして佇んでいる、誇り高い銀色の猫のイメージが浮かび続けていた。お燐は肩でじっとしていたけれど、緊張をまだ解いてはいないようだった。
4 Home,Sweet Home
むきゅっとした紫色の瞳がこいしをひたと見据えて――失礼。
むすっとした不機嫌そうなアメジストの瞳が、こいしを疑わしそうに見つめていた。
「あのぅ……」
こいしはちょっともじもじした。さっきとは別種の居心地の悪さ。助けを求めてフランドールを見たが、彼女はにやにやとこいしを眺めているだけだった。どうやらこうなることを予想していたらしい。
フランちゃんSだ。
「ええと、本日はお日柄もよく――」
「余計なことは言わなくていいわ」
せっかく場をなごまそうとしたのに、相手から間髪入れずに駄目ダシを食らってしまった。しにたい。
隣でフランドールがお腹を抱えてむせ込んでいた。こいしはちょっと泣きたくなった。
「それで」
数分後、ようやくこいしに対する脳内での評価を下したのか、パチュリーが何事もなかったかのように手もとの本に視線を落とし、気だるげに口を開いた。
「貴女はいったい誰なの」
路傍に落ちている一介の小石ですどうか無視してください。そんなことを言おうと考える程度にはこいしはイジけていたわけだが、代わりにフランドールがテキパキと紹介をしてくれた。
「地霊殿のね。話は聞いているわ」
「え、誰から聞いたんですか?」
「白黒の泥棒とか、七色の人形師とか」
「ああ、なるほど」
あの二人(正確にはその片方だけ)とは山の上の神社で戦ったことがある。結構強かったなぁ。
「それで、貴女はどうしてここにいるわけ」
それにしてもこのパチュリー、疑問文の時も語尾を上げない話し方なので、独り言なのか質問なのか容易には判別がつかない。
なんとなく誰かに似ている気がする。
「ええと、そのう………」
こいしは再びもじもじした。フランドールが小声で「頑張って」と口走ったのに勇気をもらい、どうにも人と話す気のなさそうな魔法使いに向かって、今日の目的を果たせるか否かの是非が問われる質問を放った。
「お友達になってくださ――」
「お茶をお持ちしました」
絶妙なタイミングで咲夜が現れた。こいしは目の前のテーブルに、期末試験開始チャイム直前まで必死こいて教科書を読んでいた学生が友達に「範囲勘違いしてるよ」と教えられた時のような気分で突っ伏した。
フランちゃん爆笑である。
咲夜は何も言わずにテーブルにポットを置き、カップに紅茶を注いだ。ただし、こいしにだけは紅茶は振舞われなかった――突っ伏したこいしの頭の横に置かれたのはマグカップで、入っていたのはココアだったからだ。
「あれ?」
こいしはマグカップの中身を見て、どうして私だけココアなんだろうと不思議に思った。
「えっと、どうして」
「ココア好きでしょう?」
「はい。それはそうだけど、でもなんで――」
咲夜が緩やかな微笑みを浮かべた。
「そんな顔してるわ、貴女」
こいしはなんだかもう、
「ぅ……きゃぅ………」
ノックアウトだった。
「あー、それわかるかも。なんだかぽかぽかしてるもんねぇ、こいしの顔って。甘い物とか好きそうだし、まぬけそうだし」
最後の一言は余計ですフランちゃん。
「さぁ、冷めないうちに。おやつはスコーンです。クリームをつけてどうぞ」
フランドールが真っ先にスコーンに手を伸ばしたが、こいしはマグカップを(いつもそうするように)両手で包み込むようにして持ち、ふぅふぅと息を吹きかけながら、立ち上る湯気ごしにパチュリーをじっと見た。紫色の髪。紫色の瞳。大体の時において不機嫌そうなその表情――やっぱり、お姉ちゃんに似ている。
膝の上では、お燐が尻尾をゆらゆらさせながらまどろんでいる。
甘い甘いココアの匂い。
なんだかうちに居るみたいな気分だ。
また頭の中で妄想が広がる。
こいしは黙々とココアを口に運びながら、柔らかな光に包まれた部屋の中を見回している。
テーブルの向こうに座って本を読んでいるのはお姉ちゃん。こいしが帰ってきた時には、特に何も言わずにココアを淹れてくれる。苦いのがそんなに好きじゃないくせに、自分の紅茶にはいつも一欠片も角砂糖を落とさない。こいしが「お姉ちゃんもココア飲めばいいのに」と、いくら言っても頑なに聞かないのだ。こいしのお姉ちゃんはそんな人である。
黒い喪服みたいな衣装を身にまとったお燐は、暖炉の火で照らされたソファに座っている。いつも髪をおさげにしている彼女が、その時ばかりは長い髪を風に揺れるままにしている。その様に、こいしは少しドキッとしてしまう。
お燐が何をしているのかというと、目の前の床に座っている空の髪を櫛で梳いてあげているのだ。だいぶ大ざっぱな性格の空は、自分の髪形をそんなに気にしたりしない。彼女の髪はボリュームある上に柔らかめなので、お風呂から出て放っておくと様々な方向へはねて、最終的にかなりボンバーなことになってしまうのだ。お燐はしょうがないねぇとか苦笑しながらも空の髪のお世話をし、空は空で「ねぇねぇ、まだー?」とか言いながらお燐をせかす。
妄想というより、記憶に近いかもしれない。
あるいはそのどちらもが入り混じって、判別がつかなくなっているのかも。
とにかくそれが、こいしのココア色の幸福であった。
今度は膝の上のお燐も邪魔をせず、二本の尻尾を伸ばしてパタパタとこいしの肩を叩いた。
ココアに口をつけてみる。
うちで飲むよりも少し、甘さが足りない。
やっぱりここは地霊殿ではない。
それでも口から出たのは、心からの充足の吐息だった。
「……………」
「――――でね、なんでかわからないんだけど、こいしったら顔真っ青にしちゃって――あれ? どうしたの、こいし」
こいしは答えようとしたけれど、だんだん重くなってくる瞼はどうしようもなく、なんだか安心しきってしまって、
「きっと眠いんじゃないかしら」
パチュリーがテーブルの向こう側で言った。本しか見ていないはずなのに、どうしてこちらの様子に気付けたんだろう。
もしかしたら……そんなとこまでお姉ちゃんに似ているのかも……
駄目だ
ねむ い
―――寝ちゃった?
―――人前で眠りこむなんて、なかなかだらしない子ね。
―――咲夜、何か盛ったりしてない?
―――ええ、疲れているようでしたから、睡眠薬を。
―――疲れてるから睡眠薬? 普通、眠れないから睡眠薬を使うんじゃないかなぁ。
―――そういう説もありますわ。
―――説って。
―――毒を入れるよりマシだわ。咲夜には前科あるけど。
―――ああもう。どうしよう。なんだか……すっごい気持ち良さそうに眠ってるなぁ。
―――貴女が部屋まで運んであげれば。
―――部屋って、誰の?
―――貴女の。
―――私の? まぁ、いいけど。でもベッド一つしかないんだけどな。こいしに占領されてたら、私が眠れなくなっちゃうよ。
―――そういう時のための奥の手を教えてさしあげましょう。
―――えっ 咲夜どうしたの。なんだか俄然テンション上がったみたいだけど。
―――眠れるお嬢様がどうしても目覚めない時、私が時折行使する必殺の技ですわ。
―――お姉様と何やってるの……で、どんな技?
―――それはですね。
―――ふむ、ふむ。ふぅん。本当にそれで目覚めるの?
―――確実ですわ。特に、彼女にはきっと、効果テキ面でしょう。
―――凄い確信だね。じゃあ、運ぼっかな。よいしょっと。軽い軽い。あ、それと咲夜。
―――なんでしょう?
―――お姉様が帰ってきたら教えて。こいし、お姉様にも挨拶したいみたい。
―――わかりました。では、頑張ってください。
―――え、なにを?
―――最適の健闘を。
5 クレイドゥ・イン・ザ・ベッド
一瞬の風圧で、こいしは目を覚ました。
目の前にはフランドールの顔があった。彼女は少し驚いたみたいな表情をしている。
「わ、ほんとに起きた。咲夜の言うことも馬鹿にはできないなぁ」
こいしはぼんやりしていたが、やがてはっきりと意識を取り戻し、両手で目をこすって欠伸をした。
フランドールはこいしから離れ、テーブルの方へ向かった。
「あれ…………もしかして、寝てた?」
「うん。ぐっすりとね」
「どれくらい?」
「さぁ。三時間くらいかな」
「ふわぁ……そんなに……もったいないことしちゃったなぁ」
咲夜やパチュリーと、もっとお話したかったのに。
特にあのパチュリー。あそこまでお姉ちゃんに似ているなら――攻略の仕方は、もうわかっているようなものだ。くっくっく。
気を取り直してあたりを見回す。
幾らか見慣れたフランドールの部屋。そこのベッドに、こいしは横たわっていた。フランドールが、椅子の背を前にして足をぶらぶらさせながら、こいしのことをじっと観察している。
観察?
「…………どうしたの? フランちゃん」
「うん。こいしが全然目覚めないからね、咲夜が言った方法を試してみたの。そしたら」
フランドールは唇に人差し指を添わせた。
「見事成功。咲夜の考えることって色々とおかしいけど、なかなかどうして、うまくいく時もあるみたいだね」
「へぇ…………方法、ねぇ」
こいしもフランドールの真似をして、人差し指を唇に添わせる。
なんだか柔らかい感触が残っているような。
「…………」
「こいし?」
こいしはお姉ちゃんから聞いたことを思い出していた。
それは夢枕のあまたのお伽噺の一つだった。でも、なんだかちょっとだけ曖昧だ。毒りんごを食べてしまったお姫様は、馬に乗ってきた王子様に、なにかをされて目を覚ました。
それって確か――――
「…………」
「あれ、顔真っ赤だよ」
なんとなんと、こいしは最初に自分を騎士にたとえ、フランドールを囚われのお姫様にたとえたのに。
これじゃあまるで、立場が真逆じゃないか。
お姫様はこいしのほうだったのだ。
「わ……………わぁぁぁ…………」
こいしは布団に突っ伏した。きゃあきゃあと悲鳴をあげ、今はもう薄れてしまった感触を必死に思い出そうとした。
バタンと音がした。戸口には淡い水色の髪の、小柄な少女が立っていた。
このようにして、こいしの第二の宿への扉は開かれた。
そしてそれは、今も開かれたままになっている。
(Kissing under the Scarlet Haven)
咲夜さんたちとの会話や、顔を真っ赤にしている姿に頬が緩みますね。
そしてさらに続きに期待
また、こいしちゃんフランちゃんの仕草・表現がとても可愛らしくて良かった。
こいしたんがうざかわいい。
感想を上記の言葉で埋め尽くしたくなるほどになにこれ可愛すぎるという気持ちが頭を満たしました。ああ満足。
ごちそうさまでした!
こいしの反応が可愛すぎる!
それに、地の分もすごく読みやすかったです。
なんだか独特のテンポを感じました。
私も大好き。
それ以上に貴方の作風も大好き。紫娘の受難編を期待しても良いのでせうか。