ある日のこと。
妖夢が廊下を歩いていると、向こうから主である幽々子が現れた為、軽くお辞儀をして通り過ぎた。
すると背後で、突如笑い声が上がる。
「あは、あはははははは!」
「どうしました? 幽々子様」
振り返ってみると、幽々子は妖夢の方に向き直った状態で楽しそうに笑っていた。
腹まで抱えて笑っているのだから、何ぞ面白いものでもあったのかと探してみるが、生憎なにも見当たらない。
「何か、おかしなものでも……はっ、神経毒では!」
「あははははは!」
突如として笑い出したこと。それを考えれば、その危険性はないでもなかった。
心配して、妖夢は幽々子に近づく。
「大丈夫ですか!?」
「あははは、だ、大丈夫よ。ちょっとね。えっと、思い出し笑い」
「毒とかじゃないですね!」
「えぇ。えぇ。大丈夫よ」
その言葉に、妖夢はホッとする。
ただ、何に笑ったのかは訊きたいと思った。何を思い出すとああも笑えるのかと少し興味はあったし、もしかしたら自分のことを何かお笑いになったのかも知れないという不安もあったからだ。
けれどそれは抑え、何も訊かず、改めてお辞儀をすると、妖忌の待つ鍛錬場へと脚を急がせた。
その背後で、笑い疲れた顔をしながら控えめにケラケラ笑い続ける幽々子。
それが幼く思えて、妖夢は思わず噴いてしまいそうになった。
鍛錬場に着いて、お互いに木刀を構えた状態になってから、ふと妖夢は妖忌に今朝のことを問い掛けてみた。
「師匠」
「どうした?」
「あの。何か今朝、幽々子様に会ったら、幽々子様が突然笑い出されたのですけど、私、寝癖とか酷いですか?」
「なんじゃ、鏡も見ておらんのか」
「あ、いえ、ちゃんと見ましたし顔も洗ったんですけど」
「ふむ。それなら気にすることもなかろう。変なところはないぞ」
「そうですか」
師である妖忌の言葉に、妖夢は余り凹凸のない胸を撫で下ろす。
そんな妖夢がおかしいのか、妖忌は楽しげに笑い出した。
「え? 師匠? どうしたんですか?」
師の思わぬ笑いに戸惑う弟子。
師もまた主の様に笑い出しては、さすがに何事かと思ってしまう。
「なに。ちょっと昔のことをな。ほれ」
と、妖忌の木刀が妖夢の頭を軽く叩く。
「ひゃ!? 話し中に叩くことないじゃないですか!」
「かっかっかっ。修行中はいかなることも修行と思え。油断は終わってからするものじゃ」
「ぐぐっ……」
歯を見せて妖忌を威嚇する妖夢。歯を見せて快活に笑う妖忌。
妖夢は、どうにか妖忌に仕返ししてやろうと、木刀をより強く握り締めると、妖忌を強く睨み付けた。
「師匠」
「なんじゃ」
床を踏みしめる。そして、駆け出す。
「お覚悟ぉ!」
「たわけ。叫びながら攻める奴があるか」
暢気な雰囲気を背負いながら、妖忌もまた駆ける。
だが、妖忌は刀を構えていない。かなり油断している。
それと判ると、妖夢は更に腹を立て、妖忌が間合いに入る直前に素早く刀を上段に持って行く。
「はぁっ!」
妖夢の渾身の袈裟斬り。だが、その軌道に妖忌はいなかった。
振り終えた妖夢のすぐ眼前に、妖忌は悠々と立っている。駆けて向かってきていながら、間合いに入る寸前に後に跳んだのである。
「……は?」
「振り下ろしながら相手から目を離すでない」
言いながら、妖夢の頭をコツンと叩く。
「ひゃん!」
またも頭を叩かれて、妖夢はこてんと座り込んでしまった。
「痛い……」
「かっかっかっ」
「少しは心配しましょう!」
「嫌じゃ」
「師匠!」
「なんじゃ未熟者」
「がー!」
師はにたりと笑う。妖夢の腹の虫は暴れる一方であった。
しばらくして稽古が一通り終わると、妖夢は不満の色を顔中に塗りたくりながら、頬を膨らませつつ、縁側で師匠の隣に腰を下ろし、ぬるめのお茶を啜っていた。
仏頂面の妖夢を見ては、度々妖忌は楽しげに笑う。
「のう妖夢」
「……なんですか?」
「ふと思ったのじゃが、修行は楽しいか?」
「修行に楽しいも何も……」
「かっかっかっ、そうかそうか」
師は一層楽しげに笑う。
妖忌が何に対して笑っているのか判らず、妖夢の頬は七輪の上で焼かれ食べ頃になった餅のように膨れ上がった。
「なんですか、それ」
「何、いや、気にするな」
「むぅ」
幼く膨れる妖夢を見て、妖忌は更にくすくす笑う。
それと同時に、ずっと昔の、妖夢が生まれる以前の頃のことを思い出す。
『なぁ、妖忌』
『はい? なんですか?』
『お前、この修行は楽しいか?』
『修行は修行です』
『はっはっはっ、そうか、つまらないか』
『……それがなんですか』
『いやぁ、らしいと思ってな。くく、はっはっはっはっ』
妖忌の耳に、幾歳月昔のものか判らないが、とても懐かしい笑い声が響いた。
それは遙か昔の若かりし頃。
剣術をコンガラに師事して学んでいた頃のこと。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
「妖忌、飯」
「はい、ただいま!」
髪は少しボサけているが黒く、髭は丁寧に剃り落とし、ピシリと衣服を整えた青年が、大きくはない屋敷の中を駆け回っていた。
そんな青年の駆ける様を見て、楽しげに笑う角の生えた女性。着物を雑に崩し、肘を突いて寝転びながら、手をひらりひらりと振り回し青年に命令をする。
青年こそ、若かりし日の妖忌である。そしてこのだらしのない女性が、妖忌の師であるコンガラであった。
これは弟子入りしたばかりの妖忌が、師であるコンガラの要求に応え、ずっと家事ばかりをしていた頃である。
「まだかい。私はそろそろお腹が空き過ぎて死にそうさ。弟子っていうのは師を殺すのかい。不実だよ」
「少々お待ちを!」
妖忌は走っていく。
「……頑張るねぇ」
炊事洗濯と、妖忌は忙しく駆け回る。寝転び命令するだけの師の為に。
何故こんなにまでやる気のない人を師としているのかと言えば、こう見えてこの女性、剣の腕では並ぶ者なしと称されるほど剣に長けているのである。
そんな強い剣士に憧れて、妖忌はコンガラをやっとの思いで捜し出して、土下座までして頼み込んだのである。
最初は弟子を取るなんて柄じゃないと断っていたコンガラだったが、根負けし、仕方なく妖忌を弟子にしてやったのだった。
それでも最初はさっさと止めさせようと、ろくに修行も付けずに放っておいたのだが、すると妖忌、コツコツコツコツと家事をこなしていった。
そんな妖忌を見ながら、いずれは飽きて出て行くだろうと、コンガラはその熱心な世話を受けつつ暮らしていた。
しかし妖忌は諦めなかった。これも修行の一つと誤解していたのである。となればやめる理由もなく、妖忌は延々家事を続けた。
それから丁度一年が経った頃、遂にコンガラが折れた。
「はっはっはっはっ。参った。大したもんだ。これじゃ、お前がいなくなったら後が不便で仕方ない」
妖忌を呼びつけて、盛大に笑う。
「良かろう。明日から稽古を付けてやる。心しろ。良いな」
その言葉に、妖忌は唖然としてしまい、返事が返せなかった。
「良いな」
「……は、はい!」
改めて問われると、ビクリと背を振るわせて妖忌は頷き返す。
「よし」
コンガラは満足そうに笑った。
こうして、ようやく本当の意味で弟子となった妖忌は、コンガラから剣の指導を受け、着実にその資質を伸ばしていった。
それから時は流れ、妖忌は逞しく成長していった。
そしてまた、師との距離も随分と近づいていった。
「妖忌。お前はな、真面目すぎる」
「それは悪いことじゃないと思います」
「いいや、悪いね。悪童だね」
「なんでですか」
「見ててつまらん」
「……し、師匠……」
「石部金吉もいい加減にしておけ。ほどほどが一番だぞ」
「なっ、師匠がいい加減過ぎるから私がこうなったのでしょうが!」
ここにきて、ようやく言い返すことができるようになったのであった。
しかし、相変わらず家事担当であることに一切の変化がないのは、妖忌の性分的な問題なのだろう。
買い出しから炊事洗濯、コンガラの身の回りの世話と、時には憎まれ口などを叩きながら、それでも甲斐甲斐しく妖忌は師の為に働いていた。
そんな妖忌を快く思い、師はある日、茶を飲みながら妖忌に言った。
「なぁ妖忌」
「はい」
「お前、いつかは結婚するのか?」
「ぶはっ!? 何を突然!?」
「いやぁ。その内さ、お前もここからいなくなるんだろうなぁって」
「師匠……」
「そしたら誰が炊事洗濯してくれんのかなぁって……」
「私の感動を返せ!」
「わはははははは」
笑い話である。
だが、実際にコンガラが妖忌を手元に置いておきたいと思っていた。
コンガラと妖忌の関係は、どこか家族の様な位置に落ち着きつつあった。
そんなある日のこと、妖忌が家の掃除などしていると、コンガラは小さな少女の襟首を摘みながら帰ってきた。
「ただいま」
「おかえりなさ……なんですか、その子」
「食うか?」
「食いません」
それは幼く、けれど怯えた様子もなく、ぽかんとした顔のままぶら下がっていた。
見れば、どうにもそれは酷く弱っている様子である。
「どうしたんです? まさか食用に浚ってきたわけじゃないですよね」
「見損なうな。私は餓鬼は食わん」
「……どういう意味で見損なうことになるんだろう」
「正々堂々戦って勝って、それで食らう」
「誇られてもなんと言って良いものか……話を戻します。その子供はどうしたんですか?」
妖忌が訊ねると、コンガラは頭を掻いて答える。
「拾った」
「……返してきてください」
弟子の即答っぷりに、思わずコンガラは笑ってしまう。
「待て待て、拾ってきただけの理由がある。この子供、孤児でな。盗賊に親を殺されてしまったようだ」
「なっ」
「ほんでな、弱って倒れてたんだが、放っておくのも目覚めが悪いだろ? だから連れてきた」
「そ、そんな気楽に……」
「一応訊いたぞ、この娘に。なぁ」
と、二人は少女を見る。
見られた少女は、突然自分に二人の意識が向いたと判り、ビクリと身を震わせた。
「怯えてませんか?」
「あれ? おかしいなぁ」
「目を閉じてますが」
「……ありゃ。もしかしてこの子供、死ぬつもりで着いてきたのかな」
「着いてきたといいますか、その吊り上げ状態で」
弟子の言葉に、珍しく困った顔のコンガラ。
そんな表情を久しぶりに見た妖忌は、はぁと大きめの溜め息を吐いた。
「どうするんですか。その子、身寄りないんですよね?」
「そうなんだよねぇ」
師は悩む。
はたしてこの娘をどうするのか。
「仕方ない。飼うか」
「もう少し言葉を選んでください!」
というわけで、身寄りのない少女は、コンガラと妖忌との世話になることとなった。
最初こそなにも言わず、ただビクビクとしているだけであったが、やがて少しずつ挨拶をするようになると、少女は言葉を取り戻していった。
それからしばらくして名を問うと、少女は明羅と答えた。
時は流れ、明羅もまた、この二人と家族の様に接するようになっていった。
てんでバラバラな家族ではあったが、それはそれで、存外上手く付き合えていた。
そんな生活の中、日々修行を続けるコンガラと妖忌を、いつも明羅はジッと見ていた。
いつも修行をする二人を見ていると、自分だけが仲間外れに思ってしまったのである
その目がとても寂しそうだということにコンガラが気付くと、どうしたものかと頭を掻いた。
そこでパッと案が浮かぶ。
そっか。一緒に修行させればいいのか。
限りなく安易な案が浮かび上がった。
そんなわけで、コンガラは妖忌を呼ぶ。
「なんですか、師匠」
「お前、弟子取れ」
「……は?」
あまりに寝耳に水な言葉に、思わず面食らう妖忌。
その妖忌の驚きが想定通りだったのか、満足そうにコンガラは笑う。
「なに、弟子をどこかから拾ってこいって言ってるんじゃない。要するに簡単な剣術を教える先生をやればいいってことさ」
「えっと、それってまさか」
「あぁ、明羅のな」
膝の力が抜け、がくりと妖忌は地に伏せる形となった。
「どした? 不服か?」
「いや、あのですね。私はまだ師匠から剣術を学んでいる身でして」
「だって私が教えるのは面倒じゃないか」
「そういうことは素直に言うものじゃありません!」
「それにお前、明羅に慕われてるだろ」
「え、それはどうでしょう」
二人が明羅を見る。
見られた明羅がビクリと震えた。
「ほらな?」
「いえ、さっぱり判りませんでしたが」
震えた明羅の反応に、親しみを少しも感じなかった妖忌である。
「はっはっはっ。まぁ何にしても、良かったな妖忌。初の弟子だぞ」
「え、本気なんですか?」
「おうさ」
「……はぁ」
溜め息しか出なかった。
そんなこんなありまして、明羅に剣術を教えることと相成りまして、妖忌はコンガラに剣術を教わりながら、明羅に剣術の基礎を教えるということになったのでありました。
「はぁ。さぁ、明羅。この木刀なら振れるかい?」
「うんっ……ちょっと重いです」
「少し重いくらいの方が鍛錬になるから」
「判りました」
あくまで無理しない程度の、小さな木刀。
とりあえず妖忌は、まだ戦うことなど考えたこともない少女に、今は少しずつ体力と筋力、そして柔軟性を持たせることに決めた。
「持ち方はこう。振り方はこう」
「はい」
「よし。じゃあまず、これで素振りをしてご覧なさい」
「はい!」
振って、すっぽ抜ける。
「あっ」
「あっ」
木刀は真っ直ぐ飛ぶと、正面の壁に跳ね返り、二人のすぐ足下に落ちた。
怒られるのかと思ったのか、明羅の顔が少し青ざめる。
一方、妖忌は特に表情を変えず、足下の木刀を拾い上げて明羅に渡した。
「ほら。しっかり握ることから始めましょうか」
「え、あ、えっと……はい」
怒られなかったことで逆に恐縮してしまい、初訓練は、始終ガチガチのままで終わったのであった。
その日の夕食。
魚の開きを突きながら、コンガラはケラケラ笑っていた。
「あはははは。半人半霊だから、あんたは半人前なのかねぇ」
「何ですか急に。私が半人前なのではなく、師匠が強すぎるんです」
呆れ顔で返す妖忌。
だが、それを聞いたコンガラはちっちっと指を振る。
「腕っ節じゃないさ。心がまだまだ幼い」
「そりゃ、師匠に比べれば」
「誰がいつ私と比べたのかい。自分の未熟さを他人と比較して逃げるから、心が未熟だと言ってるんだよ」
コンガラの口の端がにんまりと持ち上がり、対する妖忌は苦い顔を作る。
コンガラは軽く酔っていた。絡み酒である。
「くっ……なら、人の御飯横取りする師匠は一人前なんですか?」
「あぁ、そうさ。一人前だから、お前と違って色々必要なんだ。もっと寄越すといい」
剣士らしく素早く動いた箸は、まだ半分も残っている魚の開きを的確に強奪した。
「わぁ、私の分!」
「わはははは! 甘い甘い。修行中とはいえ、いつだって油断していいわけじゃないんだよ」
「もっともらしいこと言って弟子をいじめないでください!」
仕方なく御飯だけを箸で摘みながら文句を垂れる。
だが、いくら言ったところで聞くわけでもないと思っているので、あくまで言い捨てであった。
コンガラは奪った開きを、豪快に口に放り込み、あっと言う間に食らってしまう。
そしてそれを飲み込むと、ふぅと一息吐いて茶を啜った。
「それならお前も弟子から魚の一つでも取り上げてみたらどうだい?」
「なっ!?」
「!?」
思わぬ言葉に、妖忌の頬が引き攣る、
と同時に、食べていた明羅もビクリと震える。
妖忌がハッとしてコンガラから明羅へ視線を移すと、明羅は魚と妖忌とコンガラを順に見回していた。
それから改めて妖忌を見ると、しばらくしてからおずおずと魚の乗った皿を差し出してきた。
「……いや、いらないから」
「はははははは! 慕われてるねぇ! いやまったく、わはははははは!」
「師匠笑いすぎです!」
二人の笑い声に、修行中はガチガチであった明羅は、改めて少し身を固くした後に、次第に頬を緩めていったのであった。
穏やかにゆっくりと、それでもやや駆け足に時間は流れていく。
明羅は少しずつ、剣の腕も、また見た目も着実に成長していった。
明羅に妖忌が指導をしていると、そこにコンガラが現れた。。
妖忌は明羅にしばらく型の稽古をするように告げると、コンガラの元に寄った。
「おうおう。少しは様になってきてるじゃないか。半人前の師匠の癖に」
「未熟は承知の上です。それに、師匠だって教えてくださいますから」
そんな堅めの態度に、コンガラはいつも通りに笑う。
「あんたも真面目だねぇ。もう少し気を楽にしないと、刀なんて振るえなくなるよ」
コンガラの言葉に、ビクリと妖忌は震えた。
「ど、どうしてですか」
「刀を振る場面。それって、どういう時だい?」
「どういう時って」
「なんでもいいさ。ただ、そう言う場面であんたが生き残ったとしたら、あんたは何を奪って生き残ってることになるのか判るだろ」
コンガラの言葉に、少し妖忌は言葉が詰まった。
「それって……」
「だから、深く考えちゃいけない時だってある。あんたは少し真面目すぎるからね。そんなんじゃいつか刀を使う日が来た時、刀より先に心が折れちまう」
「師匠……」
妖忌。未だ、人も妖も斬ったことがなかった。
師の言葉を聞いて、まだ実感は湧かない。でも、そうなのかもしれないと思えた。
「それに、あんたの名前は妖忌って名前だ。陽気と同じ音じゃないか」
「へ?」
顔を上げてみれば、ニッといつも通りにコンガラが笑う。
「陽気な妖忌」
「……やめてください」
「あはははは。石部金吉にはそのくらいの方が丁度良い。名前に引っ張られて、いくらか柔らかくなるかもしれないぞ」
「勘弁してください」
苦笑いを浮かべ、快活に笑う師匠に答える妖忌であった。
と、コンガラの視線が明羅に移る。それを追って、妖忌の視線も明羅に向いた。
「しっかし、あの子。美形だねぇ。男の子みたいだ」
コンガラはしみじみと、それは自身がよく言われる言葉と知らずに言う。
その言葉に妖忌はツッコミを入れずに、それどころか毒を飲んだと告げられでもしたかの様に固まってしまった。
「はっ? ……え、明羅って少年じゃなかったんですか!?」
素で驚いていた。
その驚きに、コンガラはきょとんとしてから、すぐににたぁっと嫌な笑いを作る。
「おぉ。さすが節穴、朴念仁」
「茶化さないでくださいよ……」
今の今まで気付かなかったのもある意味では才能だと、コンガラは感心してしまった。
そこで、コンガラは明羅を呼ぶ。
「おーい、明羅ぁ」
「えっ……まさか」
その行動に、嫌な予感が走った。
そんな妖忌の思いは知らず、木刀を握り、トトトと駆け寄ってきた。
「なんですか?」
「あんたのお師匠、あんたのことずっと少年だって思ってたってさ」
「なっ、師匠!?」
想定通りにバラされた。
「え……」
明羅が驚きに真顔になった。
「何言ってるんですか師匠!」
慌ててコンガラに文句を言うが、ゆっくりと自分に振り向いた明羅の視線に、妖忌はビクンと激しく震えた。
「師匠、本当なんですか?」
「え、いや、えっと、その……」
明羅のそれがあまりに感情のない真顔の驚きだったので、妖忌は何も言葉が出てこなくなってしまった。
「あはははっ、あんたが悪い」
「そうですが! 何も面白半分で!」
「師匠……」
「うっ!?」
少し悲しそうに微笑んだ明羅の顔が恐ろしく痛かった。
土下座をするしかないかと考えた直後に、にたにた笑うコンガラがビッと妖忌を指差した。
「失礼な。半分じゃなくて全部だ」
「なお悪いです!」
この日の修行はそこで終わった。
明羅が機嫌を直すのに、この後実に三日という時間が掛かったのであった。
日々を飽くことなく、三人は生活を続けていた。
淡々と時間は過ぎていく。
この三人でいることが自然である様に、穏やかなまま時は流れていく。
「疲れました……」
「よし、今日はここまでにしよう」
「はい」
「じゃあ、木刀を渡して」
「いえ! 自分で片付けます!」
そう言うと、明羅は妖忌の木刀を受け取るとそのまま鍛錬場の刀置き場に運んでいった。
明羅が離れたと見ると、コンガラが妖忌に絡む。
「妖忌。あんたさぁ、もうちょっと気楽になれないもんかねぇ?」
「えっと、どういうことです?」
「決まった鍛錬を決まった時間に毎日。そんなんじゃ、つまらないだろ」
「ですが、鍛錬というのは」
「鍛錬というのは、心を鍛えるもの」
「はい」
コンガラの言葉に妖忌は深く頷く。
だが、その頷きにコンガラは呆れた顔を見せた。
「そうさ。心は変化の中で成長する。だからこそ、あんたが色々学んで、その上で教えなくちゃならない。判るかい?」
「いろいろ、ですか?」
判っていない様で、妖忌はきょとんとして見せた。
するとそこに明羅が戻ってきたので、明羅にコンガラは問い掛けた。
「明羅。修行は楽しいか?」
「え? えっと」
明羅は返答に困った。
その様子に、素直に楽しいと答えるのには躊躇があったのだと気付く。
「そう、楽しいはずはない。そうさ、未熟な内は、修行が楽しいはずはないんだ」
コンガラは楽しそうに笑う。
「だけどさ、同じことばかりっていうのは、成熟してたとしても私は勘弁だねぇ。毎日風や天気、雲の形は変わる。食べるものも変わる。それで昨日と同じ服を同じように着ろって言っても無理なもんさ」
そこまで言うと、びしりと指を差した。
「師匠として、弟子として、あんたはもっと学ぶんだ。そして、もっともっと強くなりな。明羅、あんたもだよ」
「「は、はい!」」
二人は揃ってびくりと震え、慌てて背筋を正す。
そんな様子を笑い飛ばしながら、コンガラは鍛錬場を後にした。
コンガラが去ってから、妖忌は考えた。
足りなかったこと。それが、いっぱいある様に思えた。
「そうか。そうだよな」
「あ、でも、私」
妖忌が明羅に向き直る。
明羅はそこで妖忌が詫びるような気がしたので、すかさず明羅が止めようとするが、それよりも早く妖忌は頭を下げた。
「すまなかった。私はお前に教えながら、自分のことしか考えてなかったのかもしれない」
「そんなことないですよ!」
慌てながら言葉を遮ろうとする。
だが、明羅が何かを言う前に、朗らかな顔で妖忌は顔を上げた。
「これからはもっと、一緒に修行していこう」
「師匠……」
その言葉に、明羅は言葉を失ってしまう。
「これから、改めてよろしく。明羅」
「は、はい! 師匠!」
二人は笑い合い、今日よりも、明日の修行が楽しみに思えていた。
その翌日。コンガラは、姿を消した。
妖忌が起きて朝食を用意を終えても、コンガラが一向に、現れず、明羅と呼びに行ったところ、部屋はもぬけの殻となっていた。
家中を探してみても、コンガラの気配はどこにもない。
コンガラは何一つ残さずに、忽然と、まるで最初からいなかったかの様にいなくなってしまったのであった。
妖忌と明羅は、いつかコンガラが帰ってくるだろうと、その家に留まった。
しかし、そこにコンガラが戻ってくることはなかった。
数年の間、二人はそこで修行を続けた。
一年が過ぎた頃、もはやコンガラは帰ってこないと二人は思いながら、それでもそこに居続けた。
期待があったが、それ以上に、コンガラがいなくなった理由を知りたかったから。
修行を続けていた時、妖忌はふと明羅の修行を見ていて思うことがあった。
どうも明羅の刀が迷っている。そう感じ始めたのである。
その迷いを感じてから一ヶ月が過ぎた頃に、妖忌はようやく気付いた。
自分の進む道と明羅の進む道とが、別れたのだと。
そこで、妖忌はコンガラの去った理由を知った。
今の妖忌の様に感じたコンガラが、妖忌と明羅の二人が自分の道を歩める様に、二人から離れたのだと。
少しだけ、親に甘える子のように、妖忌は泣いてしまいたいと思った。
その翌日から、妖忌は明羅に伝えたいことを必死に教え込んだ。それにどこか不自然なものを感じながらも、明羅はそれに従いぐんぐんと妖忌の術を学んでいった。
そして、十日後。伝えたい全てを伝え終わると、まだ日は高かったが、その時点で妖忌は修行を止め、明羅とのんびり半日を過ごした。
その修行の終わりに、明羅自身も知らないまま、何故か、深々と頭を下げたのであった。
その日の夜。妖忌は眠る明羅を残して、そっと一人旅路に就いた。
無意識に師を真似てか、妖忌もまた何も残さずに。
こうして、三人はばらばらになった。
それから、三人は一度も出会うことはなかった。他の二人が何をしているのか、誰も知らない。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
ふと、妖夢を見て明羅を思い出し、妖忌は面白いものだと思った。
妖忌には、二人の弟子が似ているように思えた。
自分は成長して変わったと思っていたが、中身はそうそう変わっていないのかも知れない。
そんな思いに、思わずくっくっと笑いが漏れる。
「憶えておけ妖夢。つまらないと思うのはな、お主が未熟という何よりの証だ」
「そうやってすぐ私をからかうんだから!」
「からかってはおらんさ。昔、私も師にそう教わったのじゃからのう」
カラカラと笑う妖忌。むぅと膨れっ面の妖夢。
ふと、妖忌を思った。
自分は師匠と似たことをしている。しかし、相変わらず真似ている気がする。
いつかあの背を、超えられるだろうか。
そう思うと、今度は少し落ち着いた笑いを浮かべた。
そこに、幽々子が話に加わろうと歩いてきた。
そして、また噴き出した。
「え、幽々子様?」
幽々子の笑い声に、妖夢が振り返る。
「どうされましたかな」
意地の悪い笑顔を妖忌が浮かべたが、ちょうど幽々子の方を向いていた妖夢はそれに気付かなかった。
「もう駄目……だって、妖夢、背中」
あはははと苦しげに笑う幽々子の言葉に反応して、自分の背中へと手を伸ばす。すると、紙切れに触れた。
嫌な予感に頬を引き攣らせながら背中に貼り付けてあった紙切れを引っぺがし、それを見る。
そこには達筆な字で紙一杯に、『未熟者』とだけ書かれていた。
「良い心がけじゃな。未熟を素直に告げるとは」
「あはは、苦しい……」
「師匠ぉぉぉぉ!!」
相も変わらず、ここは平和であった。
良い、とても良い。こういうお話は大好きです。
今回も楽しませていただきました!
陽気な妖忌を楽しまさせていただきました。
はたして妖夢が弟子を取ったとしたら、師匠達と同様に弟子をからかうのでしょうか。
想像できませんね。
誤字報告です。
>>弟子っていうのは死を殺すのかい。
一つ気になる言い回し。
「ボサけている」はどういう事を表してるのでしょうか?
「ボサボサしている」てことでしょうか?
100点でもよかったのですが、気になったのでこの点数で。
陽気な妖忌シリーズ、これからも楽しみにしています
ただ、地の文はともかくコンガラが娘、と言っているのに妖忌が明羅のことを少年と勘違いしているというのは、ちょっと首をかしげました。それともここは娘と書いて「こ」と読めばいいのかな?
面白い話でした、ありがとうございました。
この妖夢もいつかは変わるのか、と思うと感慨深いものがあります。
シリーズものということで早速最初から読ませてもらいます。
途中で明羅が妖夢の祖母とか考えたけどそんなことなかったぜ!
今回のすこししっとりした雰囲気もよかったです
キャラの描写も簡潔ながら、各々に「らしさ」が滲み出ていて秀逸。と言うかキャラのチョイス自体がある意味凄い。
陽気な妖忌シリーズは本当に大好きなので次回作も期待しております。
「うむ、自分は未熟者だなあ」と、読了してしみじみ思ったり。
キャラクターの描き方・テンポ・内容・展開共に素晴らしいお話でした。