幻想郷の夜は、非常に暗い。
付近の住宅に篝火を焚かせ、夜間の治安を守るという概念が無いこの世界。
この時間帯に外出する者達は、命知らずか、夜行性の妖怪か、それとも様々な魑魅魍魎か。
もう日付が変更されたというのにもかかわらず、明かりの点いている家があった。
魔法の森にひっそりと建っている、西洋建築の住居だった。
そこにいるのは魔法使い二人。
ひとりは家主で、もうひとりは客人である。
客人の方は、夜な夜なそこに出没するわけではなかった。
特にやる事が無く、非常に暇だったからそこに来たまでだった。
「だったらここに住めばいいのに」
話を切り出したのは、家主の方であった。
暖かいミルクティーを口に運び、笑みを浮かべながら客人にそう語る。
「そういうわけにもいかないさ」
客人は相変わらずの態度で伝えた。
「ここはお前の家であって、私のもんじゃない」
その言葉に、家主は思わず吹き出した。
「他人の物は自分の物って考えている貴女が?」
「基本的にはそうだがな」
客人ははぐらかす。
痛い所を突かれた客人は、何とか打開策を考えた。
「ただ、お前の物はぞんざいに扱いたくないんだ」
そう言うと、客人は空になったカップをずいと差し出した。
家主は黙っておかわりを注ぐ。それは彼女にとって、いつもの作業だった。
馥郁たる香りが漂う紅茶は、あの館から独自に仕入れた物だった。
「何よそれ」
家主はまた笑い出した。
客人は紅茶を一口含み、カップを皿に置く。
「ああ、確かに――」
家主はふと思い出す。
「――あの魔女の本はとにかく盗んでいるけど、私の家に盗みに入った事は無いわね」
「特に目ぼしい物が無いんでな」
「嘘よ」
穏やかな笑みを浮かべて家主は言った。
「ここは私の家。言ってしまえばプライベートな物もたくさんある。
つまり、私の弱点を探るなら、盗みに入るはず」
家主は独自の推理を展開した。
「しかし、私は一度も盗難には遭っていない。
半信半疑で入口の前に常時仕掛けてある魔法の罠を解除しても、貴女は来なかった。
それは本当に私の私物をぞんざいに扱いたくないからかしら?」
「ああ、本当だよ」
客人は言った。カップを持ち上げる。
「それに、私とお前じゃ研究分野が違う。
私は魔法、お前も魔法だが、その多くは人形に関する物だろ?
私はお前と違って、もっと高みに昇りたいんだ」
そう言って、客人はまた一口飲み、カップをテーブルに置く。
彼女は歩き出し、風通しをよくするために開けてある窓へと向かった。
「あの時、私は月面まで行った」
彼女は口を開いた。
ついこないだ、そういう事件があった。
家主は行っていないのでよくわからないが、激突があり、和解があったと聞かされていた。
「だけど、あれは宇宙往還機という手段を使ったのに過ぎない。
私は、私の実力だけで昇ってみたいんだ」
窓の外に広がる景色には、満天の星空が輝いていた。
大気汚染とは縁が全く無いこの世界は、豊かな自然と同時に、
<向こう側>では味わう事の出来ない光景が溢れていた。
「死ぬわよ」
いつの間にか客人の隣に歩み寄っていた家主が言った。
それは誰でも考える事の出来る事実であった。
「ああ、死ぬだろうな。間違いなく」
客人は淡々と呟いた。
「どうせなら、死んだあとに行けってか?」
「そんな下らないことを言っているんじゃないわよ」
客人は、いつしか家主が自分の服をしっかりと握っているのに気付いた。
「母さんが言ってたな……。
人は天に召されたら星になるって。
私はロマンがあって、割といいと思っていたけどな」
彼女の母親は、今はいない。
新たな魔法の駆動実験中の事故により、この世から存在を失せたのであった。
「出来れば、どんな距離からでも見える星になりたいな、私は」
「そんなのあるわけ?」
「数十億光年以上も遠くにあるのに、とても明るく輝く天体ってのがある。
ま、どれがどれだか全くわからんが」
客人は言った。
「だがな、私は結構本気だぜ。
いつか自力で宇宙にまで行ってやる」
「貴女らしいわね。
何事に向こう見ずで、怯える事も無ければ、果敢に挑戦して、失敗してもへらへら笑える。
私はちょっと憧れるわ」
家主はリビングに戻りながらそう言った。
「それは、褒め言葉か?」
家主の後に続いた客人は言った。
「それじゃなかったら罵倒しているって言うの?
でもね、そういう所を含めて、私、貴女の事が好きよ」
「言うねぇ。それはlikeかloveかどっちだ?」
「さあ、どっちでしょうね」
家主は、非常に曖昧な答えを残した。
その間にも、遥か彼方に離れた場所で、準星と呼ばれるそれは、輝きを失う事無く光り続けていた。
話していたときの二人の雰囲気なども良いものでした。
お話については少しだけ肩透かしというか、勿体ないように思いました。このテーマならもっと客人の彼女の心情を深く掘り下げることもできると思います。
しかし、このようにあっさりと終わってしまうからこそある読後感が素晴らしいです。素敵なお話をありがとうございました。