「アリス。私だ。結婚してくれー!」
扉の向こう側から蚊の鳴くような小さな声が聞こえてくる。
何を言っているのか、よく聞き取れない。
アリスうんたらかんたらと言っているようなのだが、あまりにもか細い声なので、よくわからなかった。
タイミングも悪い。
ちょうどアリスはホイップクリームを泡立てていたから手が離せず、近場にいた上海人形に命じて扉を開けさせることにした。
上海は小さくても力持ち、扉を器用に開けて周りを見渡す。
いない。
首を回してみても人影はなかった。
「シャンハーイ?」
不思議そうな表情を浮かべて、小首をかしげる上海。
けれどいないものはいないのだ。
上海はアリスのもとへと戻った。
「ダレモイナイヨー」
「そんなわけないでしょ」
しかし、アリスが開け放たれたドアのほうを見ても、誰もいないようだった。
まさかピンポンダッシュ。
あの伝説のいたずら、ピンポンダッシュをされたのだろうか。
――まさかね。
そもそもピンポンと鳴るような高度な装置はさすがにつけていない。
アリスの家にやってくる者といえば、ほとんどの場合、霧雨魔理沙であるが、魔理沙はいたずら好きとはいえ、家の中にはズケズケと入ってくるタイプだ。
まあ、いないものはしょうがない。
アリスはとりあえず上海に扉を閉めるよう命じようとした。
そのときだった。
「アリスー、ここだー。私はここにいるぞー!」
足元から、甲高い声が聞こえてきた。
「え。なに。上海なにか言った?」
「イッテナイヨー」
「おかしいわね。なにか聞こえた気がしたんだけど」
「ここだー!」
アリスが聞き耳を立てて、音のした方向へと視線をやる。
下?
そっとかがみこむと、いたいた。
魔理沙である。
とてもミニサイズな魔理沙。手のひらサイズにまで縮んだ、小さな魔理沙だった。
アリスはハァと小さく溜息をついて、魔理沙の身体をそっと両の手でつつんだ。それからテーブルの上に優しく魔理沙のからだをおろした。
「なにしてるの、魔理沙」
「キノコの調合をしてたらちぢんじまった」
「ありがちな話ね」
「いやー困ったぜ。解毒薬作ってくれ」
「本当に世話がかかる子」
「しょうがないじゃないか。魔法に失敗はつきものだぜ」
「いっとくけど、これは貸しだからね」
「ああ、死ぬまで借りとくぜ」
「まったく」
アリスは指先で、ちょんと魔理沙をつついた。
それだけなのに魔理沙はよろけてしりもちをついた。
「おおう。やめろよな。今の私は妖精よりも脆いぜ」
「じゃあ、上海にお守りでもされてなさい。上海。魔理沙をどこかに行かないように見張っててね」
上海は敬礼の態度をとった。
それから上海は魔理沙の後ろにまわりこんで、両の手でぎゅっと包み込んだ。
上海の方がサイズ的に大きく、魔理沙は上海の二分の一程度の大きさしかない。
もっとも上海の場合は手触りはもふもふ感があるから、魔理沙が縮尺はちぢんだものの、そのままの姿態であることを考え合わせると、ちょうど遊園地のぬいぐるみと戯れる少女の図といった感じがある。
「おいおい。これじゃあまるで私が手のかかる子どもみたいじゃないか」
「あなたみたいな手のかかる子どもはいないわよ」
「アリスは私の保護者かよ」
「そ、そんなわけあるわけないじゃない!」
アリスが顔を真っ赤にして叫んだ。その叫び声だけで、魔理沙の軽い体は飛ばされそうになる。フワリとからだがちょっとだけ浮いたのも事実。上海が後ろから支えてくれなかったら、テーブルの下まで落下していたかもしれない。
「お、サンキューな。助かったぜ」
「オマモリー」
「愛いやつめ。このサイズだといつもより抱きごこち最高だな。上海は」
魔理沙はくるりとまわって上海を抱き返した。もふんもふん。綿がつめられているのか、肌はなめらかなのに弾力は人肌よりも一段と柔らかい。
「ナニスルダァ」
「ああ、これはクセになるな。上海がこんなにプニプニしているなんて始めて知ったぜ」
「タスケテー。セクハラー」
「上海。しばらく魔理沙の相手お願いね」
「シカタナイナー」
上海はちょっとだけ暑苦しそうだったが、アリスのお願いには弱いようだった。
「ところで、解毒剤だがいつごろまでにできそうなんだ」
「そうね。夜ぐらいまでにはできると思うわ。まずはつくりかけのお菓子の方を完成させてからでいいわよね」
「なにつくってるんだ」
「ん。シュークリームよ」
「やっぱりおまえ、甘いもの好きだな」
「糖分は頭を働かせるのにいいのよ。魔法の実験のときも甘いものを食べてたほうがいいかもしれないわ」
「おまえがよく言っている。弾幕はブレインとかいうのといっしょか」
「そうね。ブレインは糖類のみを吸収するから、当然、必要なのは甘いものなのよ」
「私はてっきり――」
魔理沙が言葉を止めて、ニヤっとした顔を見せている。アリスは怪訝そうに顔をしかめた。
「なによ」
「てっきり甘いもの好きなおこちゃまだと思ったぜ」
「甘いものが好きだからってお子さまだとは限らないじゃない」
「アリスってもとから結構、女の子してたからな」
「いつの頃の話をしているのよ」
「もちろん馴れ初めのころに決まってるじゃないか。アリスはあのころからかわいい女の子だったぜ」
アリスはボンっと音をたてた。
ちょうど頭のあたりだ。山だったら噴火していたに違いない。怒りではなく、恥ずかしさが主成分だと思われる。
アリスはフラフラとした歩調で流し台に向かって、またホイップクリームを混ぜ始めた。
そのまま「かわいいってなによ、かわいいってなによ……」と呪文のように唱えながら、二十分ほど混ぜ続けた。
「おいおい、どれくらい混ぜたら気がすむんだ」
「もう、ちょっとよ」
あまりにも高速回転しすぎたせいか、クリームが飛び散ってアリスの指先についた。
「あーあ、なにしてんだよ。アリス。いつものおまえらしくないな」
「近くに小さな誰かさんがいるせいで調子が狂ってるだけよ」
「その程度のノイズで、余裕のあるアリスさんの精神にほころびがでるなんて信じられないな」
「もうお薬作ってあげないわよ」
「おいおい。悪かったって。ちょっとこっち来いよ。指先のクリームがもったいないから舐めてやる」
「しゃ、シャンハーイ」
「なに上海の真似してるんだ」
「ほ、ホラーイ」
「さすがに天丼するほどのネタではないぜ。言っとくが他意はないからな。このサイズだとちょっとした量でもカサがあってお得だと思っただけだぜ。誤解されると困る困る。それとも何かエロい想像でもしちまったのか」
「バカなこと言ってないの」
そう言いながらもテーブルに着席するアリス。
そっと手のひらを差し出してみたり。
「おお、こりゃすごい量だぜ」
魔理沙は手始めに右手をつかって、適度な量をすくいとってみた。
「食料問題は一気に解決だな。これで」
「お味はいかがかしら」
「おお、甘くておいしいぜ。脳に染みる」
「そうよかったわ。あとでシュークリームも食べる?」
「当然だろ。アリスのお菓子は甘すぎるのが難点だが、おいしいのは確かだからな」
「いちおうは褒めてくれるのね」
「私は嘘はつかないぜ。あんまりな。それにしても――このサイズだといろいろと発見できることもあるんだな」
「なにがよ」
「うん。これだけ小さな目になると、どうやらいつもより細かいものが見えるらしい。アリスの指もつぶさに見えるぜ」
魔理沙がじっと見つめてきた。
アリスは自分の指をかばうように胸のあたりに寄せた。
「なんだよ。減るもんじゃないだろ。見せろよー。なぁ。見せろよー」
「うるさいわね。変態魔理沙」
「おいおい。私はちょっとアリスさんの綺麗な指が羨ましいだけだぜ」
「ロ、ロンドーン」
「まだそのネタ引っ張るのかよ……。さすがに若手芸人でも許されないすべりっぷりだ。なんか他のネタはないのか」
「べつに芸人じゃないし」
「てっきり人形劇とかやってるから、ほら、なんだ、覆面かぶって、慧音ちゃん諏訪子ちゃん、とかやるもんだとばかり」
「どんなネタよ……」
幻想入りにはまだまだ早すぎるわ。
まあそれはともかく――。
指を見せるのも悪くはない。指先のお手入れには気を使っているほうである。いまの上海のように半自動コントロールの場合はともかくとして、細いピアノ線のような糸をつかって精密動作させるときは、指の感覚を研ぎ澄まさなければならない。
そのため、アリスは指の爪も伸ばしていないし、マニキュアの類も塗っていない。
それでも傷ひとつないなめらかなエナメルのような爪である。
指ぐらい見られたって減るもんじゃないけど――。
でもなんだか恥ずかしいものね。
いや、じっと見られると、誰だって緊張するものだわ。
ぼーっとしていたら魔理沙が机の端まで近づいていた。
なにをするのかと思っていたら、アリスが座っているあたりにダイビング。
落ちそうになって慌てるアリスだが、ちょうどふとももあたりにひっかかった。着ているものもフリルつきのエプロンだったので、衝撃を吸収したのだろう。
ただ、いきなり距離を詰められると焦るものである。
「な、なにするの」
アリスは身をよじって逃げたいところだが、すんでのところで我慢した。
「アリスを登山したいだけだぜ」
魔理沙がアリスのからだをよじ登っていく。飛べばいいものを、体力もなかなかのものがあるらしく、手と足の力だけで軽々と重力に逆らっていた。
アリスは魔理沙がいつ落下してもいいように、指を器のようにして股のあたりで待機させている。
「ふぅ。小休止……」
「どこで休んでいるのよ」
「たぶん霊夢だったら休めないところだぜ。でも足場としてはあまりよくないほうかもしれないな」
「なにがしたいのよ」
「ふ。ちょうどいい機会だから、アリスの顔もじっくり見てやろうと思ってな」
「そんなもんいつも見てるでしょ」
「だからさ。いつもより細かいところが見えるんだって、髪の生え際とか、毛穴があるのかとか、産毛はどうなのかとか……」
「デリカシーがないわね。もういいでしょ」
アリスはクレーンゲームのように魔理沙のからだをつまんだ。
ただし、残像だった。
魔理沙はアリスにつかまれる寸前に動きを加速させた。もぞもぞと動きまわるので気持ち悪さ満点だ。
「あ、こら動き回らないの。危ないでしょ」
「アリスの顔をきちんと拝むまでは、つかまらないぜ」
「こら。変なところ触らないの。あっ」
あくまで事故であるが、敏感なところに触れたりもして、アリスは妙に黄色い声をだしてしまった。
「おいおいゴールデンタイムに下ネタは厳禁だぜ」
恥ずかしさに硬直してしまう。その隙に魔理沙は登頂を再開する。
このままでは、何かを失うと思ったアリスは最終手段にでることにした。
精神を集中し、人形棚から最終兵器を発進させる。時間は二秒もかからない。
人形棚の奥まったところにしまってある禁忌の人形はニヤリと頬をつりあげた。
蓬莱でも良かったのだが、ある意味最強の戦闘力を持っているのは、こちらの人形だった。
圧倒的なのは、そのシュールすぎる格好。
ぼろ切れのような服をまとい、腐った魚のような目をしている。臭いはドリアンが悪い意味で発酵したような感じ。目に染みる臭いである。
その人形は――ものの数秒で、アリスのもとへと到着した。
普段何重にも拘束をかけているのに、ひとたびその拘束が解かれれば、最強の力を有する。速度もおそらく人形のなかでトップスピードに近い。
ただ――できれば使いたくない。
単純に言ってアリスの矜持がそれを許さない。できる限り平等に人形には接しているつもりであるが、人形の価値を高めるのは、強さ、柔軟さ、そしてかわいさである。
その人形には圧倒的にかわいさが欠けていた。
勝つためにはなんでもするというのが許せなかったし、はっきり言えば汚物を投げつけて勝ったような気分になってしまう。
今は緊急事態だったので、やむを得なかったが、断腸の思いだった。
「オキャクサン。チョイト、オイタガスギマスゼ」
魔理沙は襟首をつかまれて蒼白になった。
「げぇ。グランギニョル。くっせぇ。どんだけ汚れてるんだよ。どんだけ髪の毛ぼっさぼさなんだよ。洗え。洗えよ」
「フヒヒ、サーセン」
「この子だけは洗っても洗っても、いつのまにかドブ……もとい、どこかにいって、勝手に汚れてくるのよ……。残念だけど矯正は不可能だったわ」
「ヨゴレテイルホウガ、オチツクコトッテ、アルデショ」
「黙れてめぇ。うわぁ。臭いをすりつけるな。アリス、私が悪かった。諦めるからこいつをどうにかしてくれぇ」
「ヨゴレテイク、カイカンッテ、アルヨネ」
「ねーよ。そんな倒錯した快感なんてねーよ」
「ジブンノニオイデ、ソメテイク、カイカンモ、アルモノダ」
「ああ、服に素敵スメルが! てめ、髪さわんな。髪もしゃもしゃするな。うぎゃぁぁ」
二十分後。
瀕死の魔理沙がテーブルのうえに横たわっていた。
虹彩からは輝きが失われ、冥界の風景を見ているかのようだった。
「コノヘヤ、ニオウヨー」
上海は鼻をつまむ動作をした。
しかし、鼻はなかった。
「上海、窓開けて……」
アリスは勝利者のむなしさを感じていた。
こんなことになるぐらいなら上海にまかせていたほうがよかったかもしれない。
魔理沙が意識を取り戻したのは、一時間後のことである。
ホイップクリームは上海に命じて避難させておいたので、なんとか臭くならずにすんだようだ。部屋の換気も済み、ようやく一息ついた。それにしてもグランギニョル。味方にも被害を出す最終兵器である。使いどころをまちがえたら環境汚染が激しい。
「ひどいぜ。アリス。乙女のからだを汚染するとはな」
「あなたがいけないのよ。争いはいつだって殲滅戦へと発展する可能性があるわ。愚かなことにね」
「ああ、髪の毛からなんか変な臭いが漂ってくる……」
「お風呂にでも入る? 洗ってあげてもいいわよ。ちょっとは責任も感じてるし」
「アリスと風呂か。ふ……いいぜ。入ろうぜ。まだ私にもチャンスが残されているわけだ」
「まだ諦めてないのね。言っとくけど、変なことしたらグランギニョルに添い寝させるからね」
「そそそそそそそれだけは勘弁だぜ」
「なら、先にお風呂入ってさっぱりしましょう。上海。オーブンの様子はみといてね」
「マカセテー」
「ん。オーブン?」
「そうよ。シュークリームの皮。火加減がけっこう難しいけど、上海ならちゃんとできるわ」
「へえ。すごいもんだな」
「まあ、最初のころは焦がしてばっかりだったけどね」
魔理沙はその場で服を脱ぎだした。
お風呂に入るために裸になるのは当然という意識があるから、魔理沙は服を脱ぐときに羞恥心を感じたりはしないようだった。
むしろ見ているアリスのほうが顔を紅くしている。
ミニサイズでも魔理沙の縮尺は変わらない。
人形嗜好的なところも当然あるから、今の魔理沙はアリスのよくわからないツボを突いていた。
その微妙な反応が魔理沙には面白いらしい。
アリスには人間の心境がよくわからない。というより、魔理沙はそもそも規格外なのかもしれない。いずれにしろ目の前の魔理沙の心境がいまいち図りかねるのだ。
逆に言えば、魔理沙から見れば、アリスは少し変なところがあるかもしれない。
アリスは後ろを向きながら、ささっと服を脱いだ。タオルを装着して、胸のあたりで留める。
魔理沙はなんとなく不満そうだ。
それでも、こうしていっしょにお風呂に入れる程度には仲が良かった。それで、とりあえずの事は足りた。
「にしても魔理沙の服って不思議よね。キノコで縮んだというのはわかるけど、どうして服まで縮んでるのかしら」
アリスが魔理沙の服を見ている。ちぢんだだけの服ではあったが、繊維の細さは人形の服のそれを軽く凌駕している。魔理沙の縮尺のちぢむ薬も使いようによっては、人形の服のステータスをアップさせるかもしれない。
しかし、どうしてからだでもない洋服にまで効力が及んでいるのか謎である。
「それはお約束というやつだぜ」
「ここ幻想郷では幻想郷的な常識に囚われているわけね」
「メタ発言っぽいなぁ。そうじゃなくてだな。いわゆる魔法なんじゃないかと思うんだ」
「魔理沙ったら魔法って言えば、なんでも許されると思っている年頃なのね。ダメよそんな曖昧な表現じゃ」
「だってしかたないだろ。説明がついたら科学じゃないか」
「魔法も科学もそれほど離れた概念じゃないわよ。少なくとも人間と妖怪程度には近しい概念だわ」
「そんなもんかねぇ」
魔理沙はたいして深く考えていないようだった。
いつものやりとりだったので、アリスは気にせずに魔理沙のからだを手の平に乗せた。
「落とさないように気をつけてくれよ」
「そんなに不器用じゃないわよ」
「そういやお風呂わいてんのか」
「あなたが気を失ってる間に、すでに人形たちに命じていたわ」
「さすがアリスさま、ぬかりがないこって」
「減らず口たたいてるんじゃないの。ほら、ひとまず魔理沙はここで洗いなさい」
アリスが用意したのは小さなタライである。いまの魔理沙のサイズであれば、これでも巨大なお風呂並の大きさはあるといえた。
「アリスが洗ってくれるんじゃないのかよー」
「自分でできることぐらい自分でする。人形たちだってやってること」
「まあいいけどな。私はてっきり上海人形と同じようにまるあらいされるのかと思ったぜ」
それはさすがにネタの使いまわしすぎるだろう。
ただシャンプーのたぐいは自分でどうにかできそうになかったので、アリスは魔理沙の真上に落としてあげた。
いまの魔理沙にはけっこうな量だったようで、顔全体がとろみを帯びたシャンプーによって覆われてしまった。
「うわっぷ」
「あらごめんなさい。それだけあれば十分ね」
「ひどいぜ。アリス」
「まあ少なくとも臭いはとれるんじゃない」
「なにごともつけすぎはからだに毒だぜ」
「あなたもキノコの食べすぎでそうなったんでしょう」
「にゅるにゅるだぜ。アリスにローションプレイを強要されちまった」
「からだのほうはスポンジにボディシャンプーつけとくから、勝手に洗ってちょうだい」
「なんだか冷たいな。もしかして、恥ずかしいのか。いまさらだが」
「いまさらな話よ」
「なぁ、風呂入ってるときくらいタオルとれよ」
「今日はやけに絡むわね。もしかしてキノコの二次的な効果かしら」
「まあこのサイズだとできることは限られているからな。だからこそ言葉の力を実感しているところだ。――愛してるぜアリス」
「ば……」
アリスは魔理沙の入っているタライを掴んで、そのまま浴槽の上のあたりで傾けた。
魔理沙は重力にしたがって、ずるずると落ち始める。
「なにするんだ。この鬼畜。うわぁぁぁぁ」
ザプン。
風呂のなかに落下。
いまの魔理沙にとっては小さな湖程度の大きさには感じられるだろう。
「溺れる。溺れちまう。助けてくれアリスー」
「しかたないわね。もう変なこと言わないのよ」
「わかったわかった」
アリスは魔理沙を救出した。魔理沙は肩で息をしている。てっきり非難の目でも向けてくるかと思ったが、存外に楽しそうな表情だった。
「ふぅ。ひやりとしたぜ」
「もう洗い終わったの?」
「ああ、こっちはもういいぜ。アリスのほうはどうなんだよ。タオルつけたままじゃ洗えないだろ」
髪のほうはすでに洗い終えていたが、確かにからだのほうはタオルをつけたままではどうにもならない。魔理沙は浴槽の縁のところに座っている。アリスのことをまるで何か巨大な映画スクリーンのように鑑賞しているかのようだった。
こうしていると見られていることを意識してしまい、羞恥心が湧いてくる。
アリスは魔理沙のからだをつかみ、タライを蓋のようにかぶせた。
「わ。なにするんだ。暗い。狭い。アリスの鬼」
「しばらくそうしてなさいな」
なにかわめくような声が聞こえたが、これでゆっくりとからだを洗えるというものだ。
五分間ぐらいは暗闇のなかに放置されたせいか、魔理沙はブスっとした顔になっていた。
「さすがにあの仕打ちはないぜ」
「鑑賞されるのは趣味じゃないの」
「でもべつにいいんだぜ。浴槽であったまるのはさすがにアリスも全裸にならざるをえないはずだしな」
「またタライに封印してしまおうかしら」
「封印されるのは妖怪のほうだろ」
「あら人間だって悪いことをしたら牢屋に入れられるものだわ」
「私は悪いことをしたことは一度もないぜ」
「うそおっしゃい」
むにーっとほっぺたを伸ばしてみた。
今なら抵抗もむなしいはずだ。
「なにするんだよぉ。元に戻らなくなったらどうすんだ」
「悪い魔法使いにはおしおきが必要だわ」
「おまえって結構世話焼きだよな。ママになったら子どもに過干渉するタイプじゃないか」
「さあどうかしらね。私自身はけっこう放っておいてもらいたいタイプだけど」
「おまえ自身はそうでも、たまに寂しくなってかまいたくなるだろ。ほら、かまってもいいんだぜ」
「うぬぼれないの」
アリスはタライを水面に浮かべて、そのなかに魔理沙を入れてあげた。そして思いっきりタライを回転させる。
まるで遊園地のコーヒーカップが最高速で回転するようなものだったらしく、魔理沙は「わわわ」と言って、目をまわした。
いい気味である。
それから、タオルを取り去って、自分も湯船につかった。
「これはこれで絶景かな――」
タライの回転がおさまったところで、魔理沙がしょうこりもなく見上げてきた。
アリスは不満そうな表情だが、いまさら湯船から出るのも忍びない。
「からだはちゃんと洗ったんでしょうね」
「洗った洗った」
「魔理沙って、鴉の行水してるイメージだから」
「核融合バカみたいに言わないでくれよ。こう見えても綺麗にしてるんだぜ」
「まあ、魔理沙だって女の子だもんね」
アリスはクスっと笑った。
人形のような魔理沙を見ていると、いつもより素直に気持ちを言葉に表せるようだ。
不思議な感覚。
「ねえ。魔理沙」アリスは湯船から天井の木目を見ながら言った。「聞いてもいい?」
「なんだ?」
「どうして魔理沙は私のところに来たの? キノコの毒消しなら、永遠亭のところでもいいし、香霖堂でもいいかもしれない。あるいは霊夢のところにいけばなんとかしてくれるでしょ」
特に意味のある言葉ではなかった。
愚問とさえ言えた。
それでもなぜか聞きたい言葉でもあった。
そんな自分がちょっとバカみたいに感じるアリスだったが、湯船につかってのぼせているせいだろうと思うことにした。
魔理沙は悩みを見せない。
「近いからに決まってるじゃないか」
と、あっさり答える。
「あ、そう。やっぱりそうなのね」
別に落胆はしていない。
魔理沙は努力型で、効率と合理を重視する。アリスもその点は評価しているし、魔理沙と似通ってる部分でもあった。
感情よりも理性を重視するというのは、心のバランスをとるうえでは非常に有用だ。
「でもな。私はアリスのことを一番信頼してるんだぜ」
「ふうん。そう」
顔が赤くなっていないだろうか。心配だ。
しかし、お風呂につかっているから大丈夫だろう。
「こーりんは所詮道具屋だしな。永琳はなんか実験されそうだし、霊夢は妖怪ボコるしか能がない」
「ずいぶんなお話」
「魔法使いとして、おまえを信頼しているって話なんだぜ?」
「消去法で表現されても、まったくありがたみがないわね」
「選択肢に入ってるだけでもありがたいだろ」
「はいはい。ありがとう」
ずいぶんな長風呂になってしまった。アリスは汗ひとつかいていないが、魔理沙はちょっとのぼせ気味のようだ。
ザバっと音をたてて一気にあがる。タオルでさっさと水気をふいたあとは、人形たちに命じて、魔理沙のからだをふかせた。
これなら魔理沙が卑猥にもアリスのからだを鑑賞してくることも無いだろう。
お風呂からあがると、上海が笑顔で出迎えてくれた。
どうやら、シュークリームの皮ができあがったらしい。こんがりきつね色に焼けている。こうばしい匂いが部屋のなかに充満する。
「ん。うまくできたみたいね」
「さっそく食べようぜ」
「まだ早いわ。クリームもあったかいし、皮もあったかいから、冷やして馴染むまで待ったほうがおいしくなるのよ」
「おなかすいたんだぜー?」
「少しは我慢しなさいよ。はしたないわよ」
「じゃあ解毒剤のほうを作ってくれよ」
「そうね。そろそろ始めましょうか」
アリスは本だなから解毒の本を取り出してテーブルの上に置いた。
からだの項目でちぢんだときにどうすればよいのかを調べる。
「あったわ。えっと――そうね、材料もたいしたことないみたい」
「さすがアリスだぜ」
「でも――これって」
「んー、なんだ?」
「ちょっと、ひとつだけ問題がありそうよ」
アリスの瞳に動揺が広がった。魔理沙はトトトと歩いて本に近づいて、該当ページを見た。
「なにか問題でもあるのか?」
「問題っていうほどのことでもないのだけど――キノコの毒も魔法なら、それを解くのもやっぱり魔法ということになるのかしら」
「字がでかすぎてよくわからないぜ。説明してくれよ」
「これによると――解毒剤の作成者は材料をすべて壷のなかに放り込んだあと、参照の呪文を詠唱しますと書かれてあるの」
「そうだな。それがどうしたんだ?」
「えっとこれによると――縮んだ人物の名前を大声で叫び、○○大好きと唱えますとあるわね。心の底から、もう好きにして、どうにでもしちゃって、好き好き大好き超愛しているというふうな感じで唱えるのが好ましいらしいわ」
「あ、そう……」
しばし、沈黙がおりる。
アリスが横を見ると、人形たちが工場制手工業のような流れ作業で、シュークリームの皮のなかにクリームを詰めこんでいた。
上海が皮を剃刀のようなものでくりぬく。和蘭が皮をもちあげてカムヒア状態にする。蓬莱とオルレアンがスプーンですくったクリームを皮のなかに詰めこむといった具合だ。
完成品のシュークリームは倫敦人形が魔法で冷やしているようである。見ているだけで楽しい風景だ。
現実の時間はそれほど経ってなかったのかもしれない。
やがて魔理沙が口を開いた。
「まあ考えてみれば、よくあるスペルバウンドだな。いまさら恥ずかしがることもないだろ。魔法のためなんだから」
「そうね。私も魔法の詠唱程度なら恥ずかしいとも思わないわ」
「それが問題なのか?」
「そのあと、当該人物に対して、熱いベーゼをおこなうとあるわね」
熱烈なキス。
魔理沙が頭をかきむしった。
「どういう原理なんだよ。魔法なんて不合理すぎるものを考え出したやつは誰だ」
「あなたがそれを言っちゃおしまいでしょ」
「……とりあえずこのままでもいられないし、やってくれるか?」
傲岸不遜な魔理沙も少々臆病風に吹かれたらしい。注射器を怖がる子どものような声色だった。
「じゃ、さっそく作るわ」
半ばやけくそである。
あるいは、しょんぼりとしてしまっている魔理沙をみるとどうにもやるせないと思ったのだ。魔理沙は元気なのが自然体で、そうでない魔理沙はいつもの彼女らしくなかった。
アリスはそっけない態度で、小さな壷のなかに解毒剤の原料を入れていく。
解毒剤が完成に近づくたびに、どくんどくんと心臓が高鳴るのを感じた。
キスぐらいどうってことないし、呪文も魔法の完成のためだ。
キスぐらい――何度も繰り返すが、逆にそうやって繰り返すことでハズカしい気持ちが増幅していくようにも感じる。
無心のほうがいいのかもしれない。
アリスは自分の生体的情報をコントロールすることができる。魔女ならそれぐらいできて当然。
だから、今は表面的な反応を抑えることにした。
「できたわ」
「できたのか」
「ええ、あとは呪文を唱えて、儀式を完了させれば完成よ」
「呪文と儀式な。じゃあ、ちゃっちゃとやってくれ。魔法のためなんだからしかたない」
「そうね。魔法のためだからしかたないわね」
機械的に答えるアリス。
もはや脳内は沸騰寸前であるが、あくまで外面上は人形のように揺らぎが無い。
いつもどおりのゆったりとした微笑。
満面の笑みへコントロールする。
脳内では悩乱。
「べつに不都合はないわ」
一瞬の間をおいて、アリスは言った。
「でもいいのかよ。大好きを連呼するんだぞ。そのあと、『ちゅ』しちゃうんだぞ」
「べ、べつに問題はないと言ってるのよ」
いま、危なかった。
もう少しで、恥ずかしくて死にそうだったのだ。
でも、言わなくては――
魔理沙を元のサイズに戻すという一念があり、アリスは恥ずかしさを抑えて、壷の前に立った。
「壷の向かい側に当事者を配置する、魔理沙はそっち側ね」
「ああ、わかったぜ」
「じゃあ言うわよ」
「うん。言ってくれ」
「……ま……」
「………」
「ま、まりあり」
「……」
「マリッと、アリっと」
「なんだそりゃ?」
「冗談よ。ちょっとした気分の問題、魔理沙のことを好きかもしれないと自己暗示をかけてるの」
「あー、なるほどな。魔法には気分の高揚が必要だったりもするしな。邪魔して悪かった。続けてくれ」
「魔理沙が……好き」
「……ん? ちょっと違うな」
「魔理沙が大好き。魔理沙が大好き。魔理沙が大好きー!」
「うはー、殺人的かわいさだな。魔法だという前提条件がなかったら、アリスのことを抱きしめて押し倒してるところだぜ」
「魔法よ。魔法なのよ」
「そうだな。魔法だったな……。魔法だもんな。アリス愛してるぜ」
「うぐっ。魔理沙愛してる」
「ぐふ……、さすがに甘さで死にそうだ。窓開けて空気いれかえようぜ」
「ダメよ。誰かに聞かれたら困るわ」
特に鴉天狗の文には絶対に聞かれたくない会話である。あるいは見られたくないシーンが控えている。
キス。
いまから、しなくてはならない。
魔法のためという言い訳では絶対的に何かが不足していた。
言い訳度数が足りない。
息をするたびに、肺のあたりがひきつっているのを感じる。照れてなんかいない。照れてなんかいない。心の中で繰り返す。
アリスは胸に手をあてて、深く呼吸した。
それから、ややあってから口を開いた。
「キスしてもいいかしら。魔法よ?」
「やらなきゃダメなのか。というか――おまえはいいのかよ」
「べつにかまわないわ。だって――。今日の、魔理沙は人形みたいだし」
まったく方向違いな言い訳をとっさに口にだす。
口にだした言い訳とはべつに、心のなかでも言い訳を探し始める。
幼い頃に読んだ本に、キスで呪いを解く話があった。
そんなロマンティックな話をアリスは幼い頃から信じていたわけではないし、内心バカにしていた時期もあったのだが、物語には現実を模写しているところもあると感じるようになっていた。
魔法とは物語から生まれる。
だとすれば、キスをして呪いを解くというのも、ひとつの理由にはできるかもしれない。
そう――呪いを解くだけ。
友愛の精神なのだ。これは。
「人形遣いの本性ってやつか」
魔理沙が謎めいた言葉をだした。人形遣いの本性?
本性といえば本性であろう。
人形っぽい小さな物体を愛でるのは誰だって、そうしたいと思ってる部分があるはずだ。
「そう! そうよ。人形っぽいものに対する愛情があるの。べつに魔理沙だからじゃないわ」
「なんだ。そのテンプレートなツンデレセリフ」
魔理沙は少々呆れているようだった。帽子をまぶかにかぶって表情を読み取らせない。
答えも返してくれないから、アリスは焦れた。
「アリスから、そんな積極的な言葉が聞けるとは思ってなかったが――。やっぱりダメだぜ」
「え……?」
アリスの顔から落胆の色が生じる。
もしかするとキスをするのがいやだったのだろうか。
魔理沙は自由な心を有しているが、その自由さゆえに誰かに羽を預けるのは厭われることなのかもしれない。
しかし、顔をあげると魔理沙はニヤリと笑っていた。
「姫様がキスをするなんて、物語としてまちがってるだろ」
「べつに姫じゃないし」
「まー、そのなんだ。盗賊魔理沙としては、こう思うわけだ。唇は奪うもんだぜ」
幻想郷でも一、ニを争う高速移動で、魔理沙はアリスの唇をきっかり三秒ほど奪った。
接触面積が小さかったせいか、あるいは驚きのせいか、まったくといいほど唇のあわさる感触はなかったが、それでもアリスは、心音がいつもより五倍は早くなっているのを感じた。
「ふぅ。甘い甘い。アリスは唇まで甘いな。やっぱり」
「ば、バカジャネーノ!」
最後までアリスは上海ネタしか言えなかった。
解毒が終わったのはちょうど夕食のころ。
魔理沙は遠慮なく夕食を食べていくと言ってきたので、しょうがなくいっしょに食べた。
夕食のデザートは時間のかかったシュークリームである。
やっぱり魔理沙は甘すぎると言っていたが、糖分多めのほうがブレインにはいいのだ。
砂糖菓子の弾丸で撃ち抜けることもあるだろう。
解毒剤の呪文など話の都合上で仕方ないとはいえ、どうにも無理やり感のある場面もありましたが、冒頭から続けられる二人の会話のおかげで違和感が薄れたと思いました。
ところでシュークリームのシューの、作りなれない頃の失敗といえば焦がすより、シューをしぼませてしまう方が多いのではないでしょうか。
ノリと勢いでGO!
あの雰囲気が好きだったなあ
好き好き大好(ry
うーむ、やはりマリアリは安定の甘さだ……。
ああ、そろそろ秋が恋しい。
ある意味バテバテなんだぜ。
最近携帯でまるきゅうさんの作品が読めなくて悲しい。
多分ワード?の中央並べで書いてるから、俺の携帯だとバグるようです。
他にも携帯だとバグる人がいるかもしれません、俺のはauのW62sなのですが。
自分の都合ばかりを話してしまって申し訳ありません、少しでも駄目な理由があるなら気にしないでください。
しかし機種ごとに微妙な機微があるかもしれないのでどうなるのかわかりません。
よろしければご報告ください。
ダメな場合は最悪、左右の余白を取り払えれば読めるようですが、できるなら余白があったほうが見やすいかなと思っております。
個人的な趣味ですね。
甘さが丁度いい。シュークリーム食べたくなった。
糖分も補給出来たし、夏を乗り越えられようです。
やっぱマリアリは甘くて良い。