「それにしても、文々。新聞の天気予報じゃ晴れって言ってたのに、全然当たらなかったなぁ」
「そうですねぇ」
空を見上げると、瑞々しく濡れた木々の向こう側にグレーの雲が覗いている。相変わらずの、ぐずついた空模様だった。
魔理沙さんの言う通り、昨日の文々。新聞では、今日は梅雨の中休みで久し振りの快晴がみられるとの予報だった。しかし蓋を開けてみれば、朝から静やかな雨が降り注ぐ、非常に梅雨らしい日なのだった。今でこそ雨は止んでいるけれど、この天気を晴れなどと言ってのける者はいないだろう。
もっとも、科学の発達した向こうの世界であっても、天気予報の的中率はせいぜい8割程度だったはず。気象観測システムなどあろうはずのない幻想郷において、精度の高い予報を期待するのはどだい無理な話だった。
それでも、久々の晴れ間を期待していた私たちにとって、今日の天気が残念であることに変わりはない。
私は溜息を吐き出しながら、あらためて空を仰ぎ見た。
と、その時、間の悪いことに、葉先から一滴の雫が狙いすましたようにしたたり落ちてくる。
私の顔を濡らしたそれは、思いのほか冷たかった。
「このへんの天気、早苗の奇跡で何とかならないのか?」
「私のはどちらかと言えば、雨を降らせる方の奇跡ですから」
「残念、逆か」
「残念ながら逆なんです」
性格的に、他人に頼ることを是としない彼女が、私の奇跡を当てにしようとするのは珍しい。
軽い冗談のような会話を交わしながらも、魔理沙さんの中ではきっと、本当に残念に思う気持ちが強いのだろう。
そんな彼女の気持ちが、私にもよく分かるのだった。
魔理沙さんからの誘いを受けたのは、昨日のことだった。珍しく、彼女がわざわざ守矢神社までやって来たのである。
雨降りの中も厭わずに山の上まで飛んで来たらしく、いつもの白黒の衣装はしっとりと濡れそぼっていた。
その時の彼女の表情はよく覚えている。雨に濡れたことなど気にもせず、梅雨という時期には不釣合いなほどに生き生きと輝いていたのだから。
正直最初は、また良からぬことでも企んでいるのかと訝ったのだけれども、それは全くの見当違いだった。
魔理沙さんは、たまには星見でもしないか、と私を誘ってくれたのだ。
さらに彼女は、わざわざ文々。新聞のお天気欄を私に示し、「明日は久々に晴れるんだぜ」と付け加えていた。
星好きの魔理沙さんからすれば、天候に恵まれない梅雨の季節はなかなか綺麗な星空を拝めなくて、不満が募ってしまうことだろう。それが久々に晴れるとなれば、それこそ瞳を星みたいに輝かせるのも無理はない。
私も星が好きではあるけれど、彼女には到底敵わないと思う。
さすがにこの時は、魔理沙さんに対して少しでも疑惑の念を抱いてしまったことを反省した。
私としても彼女の誘いを断る理由などはなく、その場で了解の返事をしたのだった。
そして今日の日を迎えると――朝から見事なまでの雨模様だった。
予報が外れたことを残念に思うと共に、そう言えば雨だった時はどうするかを聞いていなかったことに私は思い当たった。まさか雨天決行はないだろうけれど、わざわざ山の上まで来て誘ってくれた魔理沙さんのことを思うと、せっかくの約束をふいにしてしまうのは躊躇われた。
そこで、夕方近くの時間を見計らって、私の方から彼女を訪ねることにしたのだった。
そんな経緯があって、今私は魔理沙さんと一緒に魔法の森の中を歩いている。
「それで、一体何があるんですか?」
「まあ、見てのお楽しみに、ってやつだ。とりあえず、星つながりではあるけどな」
今日の星見は取りやめになったのだけれども、せっかく来てくれたから、ということで、魔理沙さんがちょっと面白いものを見せてくれることになった。
でも、星に係わるものだと言うだけで、それが具体的に何なのかは教えてくれない。私に期待させるように、ただ楽しげに笑うだけだった。
彼女を訪ねた時は本当に憂鬱そうに窓から空を眺めていたのだけれど、今はいつもの活発さを取り戻している。
ちなみに、私が訪ねて来なかったらそのまま不貞寝するつもりだったようである。それを考えれば、こうして元気になってくれただけでも、私が来た意味はあったと思う。
と言うか不貞寝されたら私が放置プレイされることになっていたのだけれど、そこには目をつぶってあげることにした。
「やっと見えて来たな」
しばらく歩くと、森がひらけてくるのと同時に一軒の建物が現れる。
前にも来たことはあるのだけれど、建物の周りには相変わらず乱雑に物が置かれていて、傍からすれば打ち捨てられた廃屋に見えなくもない。少なくとも、その外観から人の気配を感じることは出来なかった。
けれど今は、その廃屋のような建物が目的地なのである。
魔理沙さんは、まるでそこが自分の家であるかのように慣れた様子でその扉を開ける。
「よう香霖、生きてるかー」
その建物は、魔法の森の隅っこに位置する道具屋、香霖堂だった。
「相変わらず、のっけから酷い物言いだね」
奥から姿を現した店の主、森近さんは、のっけから顔をしかめていた。まあ、生きてるかなどと問うたのに快く迎え入れられてもそれはそれで不気味ではある。
魔理沙さんは挨拶もそこそこにして中に上がり込むと、我が物顔で店内の品物を物色し始める。確かにこの店には、幻想郷ではあまり見ないようなものがそこここに並べられている。この中に、私に見せたいものがあるのだろうか。
「それで、何か用があって来たのかい? ひかやしならお断りだよ」
「ああ、そうだ香霖、今日はちょっと早苗に見せたいものがあって来たんだ」
魔理沙さんが私を見てそう言うと、森近さんは目を丸くし、オーバーリアクション気味にのけぞって見せた。
「ほう……、君が他人のために何かすることがあるなんてね。せっかく止んだ雨がまた降り出しそうだ」
「失礼なやつだな。こう見えても私は世話焼きなんだぜ」
「ああそうだね、確かに君は昔から世話が焼ける子だった」
「意味が逆だぜ」
考えてみれば確かに、魔理沙さんは世話が焼けるのと同時に、世話焼きな一面もある気がする。まあ正確には、世話焼きと言うよりかは単に他人のやっていることに首を突っ込みたがる性分なだけなのだろうけど。
ともあれ今のやり取りは、魔理沙さんに対する森近さんの認識がよく分かる一幕だった。
「とにかく、香霖に久し振りに出して欲しいものがあって来たんだよ」
「構わないが、何だい?」
「名前は忘れたんだが、部屋に星空を映し出す装置があっただろ」
「プラネタリウムのことかな?」
「そうそう、そんな名前だったな」
「なるほどね。ここ最近は晴れないから、せめてプラネタリウムで楽しもうということか」
「まあ、そんなところだ」
森近さんは頷くと、そのまま奥の部屋へと消えていく。どうやら、プラネタリウムを出してくれるらしい。何だかんだ、魔理沙さんの希望は聞いてくれるみたいだった。
「魔理沙さんの見せたいものって、プラネタリウムだったんですね」
「何だ早苗、プラネタリウムを知ってるのか?」
魔理沙さんは驚くと共に、ちょっと残念そうな表情を見せる。彼女にとって、プラネタリウムはとっておきのネタだったのかも知れない。
「知ってはいますけど、実際に見たことはありません」
「なら良かった」
プラネタリウムは、名前だけなら有名でも、実際にそれを見たことがある人は余り多くはないと思う。
2人の口ぶりから、そのプラネタリウムは部屋で観賞するための小型のタイプだろう。外の世界でそういうキットが売られているのは知ってはいたが、買ったことはない。
「でも魔理沙さん、プラネタリウムを見たいのでしたら森近さんから買うか、譲って貰えばいいんじゃないですか?」
「ああ、それはだな……」
魔理沙さんが言葉を濁すのは、結構珍しい。
「……私の家、見ただろ? あんなところに置いておいてもすぐに壊れるか無くなるかするのが目に見えてるんだよ」
ああ、なるほど。
魔理沙さんの家の中は正直、女の子が住んでいるとは思えないほど散らかっている。マジックアイテムをはじめとして、色んなところで蒐集したものがろくに整理もされずにあちこちに放置されているためらしい。確かに、そんなところに置いておきたくはない。逆に言えば、それだけそのプラネタリウムを大事にしたいということだろう。
でも、それなら少しは片付けをすればいいのにと、私は苦笑せずにはいられなかった。
「よし、準備出来たぜ香霖」
「じゃあ、明かりを消すよ」
魔理沙さんが部屋の真ん中に置かれた機械にスタンバイすると、森近さんが明かりを落とす。
部屋に暗闇が舞い降りると同時に、魔理沙さんが機械のスイッチを入れる。プラネタリウムに光が点された。
そして、空を仰ぐようにして見上げてみれば、
「わぁ……」
そこに広がっているのはまぎれもなく、星空だった。
闇の中を右に左に見渡しても、見事に星たちに囲まれている。幾千にも幾万にもなる光の粒が視界の中に溢れかえっているのだ。
それは魔理沙さんだけでなく、私にとっても久し振りに目にする星空だった。私でも知っている有名な星座も、いくつか見つけることが出来る。星の配置も、実際の星空をきちんと再現してあるようだった。
もちろん、本物の星空には見劣りするかも知れない。それでも、こうして私たちの目を楽しませてくれるには十分過ぎる景色だった。
何より、こうやって星を身近に感じさせてくれる点こそが、プラネタリウムならではの魅力だと思う。
遠く、空の向こうの星たちが、今は触れられそうな位置にある。それだけで、何だか嬉しくなってくるのだった。
「何だか懐かしいぜ」
「これを出したのも久し振りだからね」
何だかんだ、森近さんもまんざらではない様子だった。やはり道具屋として、こういった良いものを眠らせたままにしておくのは忍びないのだろう。
「それじゃあ、始めるか」
「始めるって、何をですか?」
「まあ、座って見てな」
魔理沙さんがそう言うのと同時に、ぽん、と暗闇の中に小さな光の粒が現れた。それは蛍火のようにとても淡い光だけれども、星の形をしているのが見て取れる。どうやら、彼女が魔法で作り出したものらしい。
その星は可愛らしくぴこぴこと動くと、今度は天井を目指して上昇してゆく。それは流れ星のように、星の間をくるくると駆け巡っていた。彼女はその星でもって、星空のガイドをしてくれるみたいだった。
「じゃあ、ご案内するぜ――星空の旅に」
それは、必要以上に芝居がかった口調だった。
暗くて見えないけれど、今の彼女の表情はきっと、いつも通りの自信と楽しさに満ち溢れたものなのだろう。
――星空案内人、霧雨魔理沙。
何となく、そんなフレーズが頭の中に思い浮かんだ。
魔理沙さんは確かに、星に関して幅広い知識を持っていた。
今の季節に合わせたのだろう、まずは夏の大三角の説明から始まった。次に、それに付随する星座の紹介が続く。
そういった星そのものの話に加えて、七夕伝説をはじめとする様々な伝承も交えながら、彼女は星空のガイドを進めてゆく。全く知らなかったエピソードも豊富にあり、私は話を楽しく聞くことが出来た。
そんな彼女のガイドには淀むところがなく、わざわざ星空の案内を買って出るだけのことはあると思った。
時折、私への問い掛けも交えながら、私たちは星空の旅を続ける。
「早苗は、北極星の見つけ方は知ってるか?」
「北極星、ですか?」
「そう。いくつか探し方があると思うんだが」
北極星は北の空に見られる明るい星で、見かけ上ほとんど動かない星とされる。よく、方向の目安として用いられる星だった。
私は頭の中で、学校で習った理科の知識を掘り返してみる。おぼろげながら、確かにそんな話があったことは覚えていた。
「ええっと、カシオペヤ座から探すのと、北斗七星のひしゃくの先っぽの星を5倍に伸ばす方法がありましたよね」
「正解」
「でも、これって……」
「そう。どちらも今の季節――夏には見えない」
今、プラネタリウムは夏の夜空を映しており、カシオペヤ座も北斗七星も見つからない。どちらも確か、冬前後に見られるものだったと思う。
「だから夏は、北極星を探すのに別の方法が必要になる」
「それ以外の方法は、知らないですね……」
「まあ、これはマイナーだからな」
そう言うと魔理沙さんはまた星を操り、解説を始める。彼女が星をくるくると回して示したのは、
「……夏の大三角ですか?」
「そう。これを使う。
夏の大三角のうち、ベガとデネブを結ぶ線を軸にして、アルタイルを折り返す。
そうすると、大体その場所に北極星があるんだ」
解説を聞きながら、魔理沙さんのガイドする星を目で追ってゆく。すると確かに、彼女の言った通りの場所に北極星を見つけることが出来た。
「へぇ、こんな方法もあるんですね」
「この3つの方法さえ知っていれば、いつでも簡単に北極星を見つけられるぜ。夏でも――」
くるりとプラネタリウムを回し、
「そして冬でも」
ぴたりと止めたその空は、大きなオリオン座が輝く典型的な冬の星空で。
私は魔理沙さんの思惑通り、まずカシオペヤ座を見つけ、そこから北極星を探してしまうのだった。
そんな風に、見つけた北極星をぼんやりと眺めていた時だった。
星空が突然ぐるりと高速で回転を始め、私はその不意打ちに思わず驚いてしまった。
「そうそう、これ、こうやってくるくる回すと何だか目が回ってくるんだよな」
どうやら魔理沙さんが悪戯で、プラネタリウムを好き勝手に回転させているようだった。
天地がひっくり返されたような浮遊感と違和感。確かにこれは目が回る、と言うか気持ちが悪くなる。
「やめて下さい本当に酔いそうです」
「こらこら魔理沙、店の商品で遊ぶんじゃない」
さすがにこれには、森近さんの注意が入った。
「商品って、売る気あるのかこれ?」
「もちろん買い手がいれば売るさ。それが大事に使ってくれそうな相手なら、一点物であってもためらう理由はどこにもない」
大事に、の部分がことさらに強調されている。魔理沙さんのことを意識しているのは明らかだった。
「……悪かったよ」
彼女は声を落とし、大人しくプラネタリウムを回す手を止めた。何と言うか、森近さんは魔理沙さんの扱い方をよく分かっているなと思う。
店頭に出さずに仕舞ってあるあたりからして、つとめて売るつもりはないと思うのだけれど、魔理沙さんの悪ふざけを止めさせるにはとても効果のある言葉だった。
ふと、私はちょっとした悪戯を思いつく。
「もし、私が買う、って言ったら売って下さいますか?」
「お買い上げありがとうございます」
「おいちょっと待て」
思った通り、魔理沙さんの止めが入った。
「あら、魔理沙さんが買うのであればお譲りいたしますよ」
「……お前、結構嫌なやつだな」
魔理沙さんはきっと、暗闇の向こうで顔をしかめている。そんな彼女を想像し、私はくすくすと笑った。
でも本当のところでは、これは魔理沙さんの手元にあるのがふさわしいと、私は思っている。
森近さんもきっと、同じような思いでこのプラネタリウムをずっと仕舞っているのだろう。
「私は割と年中星を見てるつもりだが、このへんの星空は見たことがないんだよな……」
魔理沙さんが回転を止めた時の星空は、見覚えのない星の配置をしていた。すぐにそれと分かる星座がどこにもない。
「確かに、見ないですね」
「いつか、本当の星空でこれを見てみたいものだな」
魔理沙さんはさして思い悩むこともなく、そんな希望を口にした。いずれは見られると、軽く考えているのだと思う。
けれど恐らくこれは、南半球で見られる星空なのだろう。緯度の都合上、日本からは見えない星も沢山ある。だから少なくとも、幻想郷というある種の箱庭の中に生きている限り、見ることが出来ない星空のはずだった。
科学の――天文学の発達に乏しいであろう幻想郷では、それを知ることも出来ないのだろう。
どのみち、どれほど恋焦がれようと彼女の希望が叶うことは決してない。言わば、永遠の片想いも同然だった。
でも、そんなことは口に出せるはずもなくて。
「いつか、見られるといいですね」
だから私はそうやって、お茶を濁すことしか出来なかった。
ただ単に彼女の持つ希望に同意するだけなら、嘘をつくことにはならないから。
だというのに、
「おいおい、見るなら一緒に見ようじゃないか」
彼女は屈託なくそう言うのだ。
まるで友達と遊びの約束をするみたいに、私を気軽に誘ってくれている。
「そうですね。一緒に……見ましょうよ」
「そうこなくちゃな」
それは、決して叶うことのない約束。そう理解しながらもそんな返事をしてしまったのは、きっと彼女の純粋さにあてられてしまったからだろう。
でも、と思う。
たとえ、実際に見ることはほぼ不可能なのだとしても。
そうして、彼女と一緒に南天の星空を見てみたい。――それが嘘偽りのない私の気持ちであることに間違いはないのだった。
「そう言えば、魔理沙」
森近さんがふと思い出したように、ぽつりと言葉を発した。
魔理沙さんの星空案内もひと区切りがつき、3人とも静かに星の光に浴していた時だった。
「何だ? 香霖」
「君に、初めてこのプラネタリウムを見せた時だったかな。不意に泣き出したことがあったね」
「…………」
沈黙が降りる。
問いかけられた魔理沙さんからの反応はなく、ちょっとだけ、場に緊張感が張り詰めた気がした。
「……そんな昔のこと、どうでもいいじゃないか」
彼女の返事は、たっぷりと間が開いた後に発せられた。その出来事自体を認めるべきか迷っていたのかも知れない。投げやりな口調からしても、彼女にとってはあまり良い思い出ではなさそうだった。
よく笑ったりして表情豊かな彼女だけれども、今のところ、泣いているところは見たことがない。
もちろん、泣き顔なんてそうそう人前にさらすものではないけれど、普段の魔理沙さんを見ていると、そういう姿は少々想像しがたいものがある。
何より、彼女に涙は似合わないと思うのだ。
「まあ他意はないさ。ちょっと昔を懐かしんでいただけでね」
「だいたい、何年前のことだと思ってるんだ」
「10年近く前、かな」
となると、魔理沙さんが本当に小さかった頃の話か。彼女は幼少期から星に憧れを持っていたらしい。
そんな、幼い頃の魔理沙さんの話は私の興味を引いた。
「私もそのお話を聞きたいですね」
「……お前も大概悪趣味だな」
不快感の込められた返事だった。
言われてみれば、確かに図々しいことをしている。興味が先走って内面を詮索してしまうのは、たいそう失礼な行為だろう。
少なくとも星に関する話では、彼女に対してあまり冗談めかしたことを言うべきではないと思った。
「まあ、話してやってもいいか。今日はこれに付き合ってくれた訳だしな」
けれど、私が発言を取り下げる前に彼女の方が折れてしまった。付き合ってくれたと言うが、どちらかと言えば私の方がお礼を言う立場なのだけれど。
でもそうやって、嫌々ながらも話してくれると言うのなら、私はその話に真剣に耳を傾けるべきだと思った。
私は、暗闇の向こうの魔理沙さんを見つめる。と同時に、その方向に投影された星が不自然に揺らぐのが見えた。彼女が片手を顔の高さに上げたためらしい。
「こうやって、手をかざすと、プラネタリウムからの光が手のひらに映されるよな」
そっと、思い出を静かに辿るように、彼女はぽつぽつと語り始めた。
私も彼女の真似をして、手をかざしてみる。すると確かに、いくつかの星を手のひらにとらえることが出来た。
「その時もこんなことをやって、私はちょっと嬉しくなったんだよ。お星さまをつかまえたんだ、って。
なんでもないことなんだけど、それだけで胸が高まったのを覚えてる」
小さい頃の魔理沙さんが、もっと小さな手のひらを、めいっぱいに開いている。その手に光るのは、宝石のようにきらめく星のかけらたち。
憧れの星を手にして、嬉しそうにはしゃぐ幼き日の魔理沙さん。想像してみれば、それはとても微笑ましい光景だと思った。
「……でも、その手を握ったところで手のひらの中に星を掴めるわけでもない。ましてや、どんなに腕を伸ばしたって、本物の星には手が届かないんだよな。
そう思ってたら、何か急に哀しくなってな。……気が付いたら泣いてたんだ。それこそ、なんでもないこと、当たり前のことのはずだったんだけどな」
そこまで言い終えると、彼女は自嘲気味に小さく笑う。これが、プラネタリウムを見ながらにして泣き出したことの真相らしかった。
星の光を手にして喜んだのはほんの一瞬のことで、それが本物ではないと気付いてしまったが故の、哀しい出来事――。
私はさっき、星を身近に感じられることが、プラネタリウムの魅力の1つだと考えた。
けれど幼き日の魔理沙さんは、その距離の近さによって、却って本物の星の遠さを思い知らされることになってしまったのだ。それを当たり前のことと受け入れるには、当時の彼女は純粋過ぎたのだろう。かつてはそんなに純粋だった彼女を、決して笑うことは出来ない。その純粋さはきっと、元々は誰しもが心に秘めていたものなのだろうから。
でも気が付けば、頬を緩ませて微笑む自分がいる。
そんな、ただただ真っ直ぐに星を好いていたちっちゃな魔理沙さんが、まるで自分の子供であるかのように愛おしく思えてくるのだった。
「でもまあ、昔の話だからな。なんてことはないよな」
そう言って誤魔化すけれど、そんな頃から星を想い続けていたからこそ、今の魔理沙さんがある訳で。
そんな微笑ましい過去を持つ彼女をまたからかいたくなってしまうが、ここはぐっとこらえる。
代わりに、森近さんが彼女にコメントを入れてくれた。
「なるほどね、あの時の魔理沙はそんなことを考えていた訳か」
「何だよ、文句あるのか」
「いや、ないさ。でもそれからしばらくの間、魔理沙がプラネタリウムを見たがらなくなった理由が分かったよ」
「…………」
魔理沙さんから返す言葉がない。どうやら当時の彼女は、とことん純粋だったようである。
私は、声に出さないように小さく笑う。もちろん、馬鹿にする意図なんてこれっぽっちもない。ただただ、昔の彼女が愛らしいあまりに笑みがこぼれてしまうのだった。
「――さて、思い出話も切りが付いたし、そろそろプラネタリウムを終わりにするかな」
森近さんが立ち上がる気配がする。考えてみれば随分と長いこと、プラネタリウムを観賞していたものだと思う。魔理沙さんの星空案内から始まり、気が付けば2人の思い出話にまで話題が及んでいた。
私にとっては、その最初から最後までが楽しい時間で、こうして終わりを迎えてしまうのが寂しくさえあった。
「あっ、ちょっ……」
不意に、魔理沙さんが声を上げる。しかしその声は小さい。
何だろうと思ったが、森近さんはその声には気付かなかったようで、そのまま部屋の明かりが灯された。
あまり物の置かれていない殺風景な部屋に、居るのは森近さんと魔理沙さんと私の3人。部屋の真ん中には、プラネタリウムの機械が置かれている。
それは、星空観賞を始める前と何ら変わらない光景。
けれど、ただ1つ違うのは、
「あ……」
魔理沙さんの顔がほんのりと赤く染まっていることだった。ご丁寧にも、耳まで綺麗なピンクに色付いている。
口調だけは平静なふりをしていたけれど、やはりと言うべきか、恥ずかしい告白だったらしい。
恥じる必要は全くないけれど、彼女にとって恥ずかしい過去であることには間違いない。何せそれは、心の奥に秘めた、自身の本当に純粋な部分に当たるのだから。
考えてみれば、こんな話は相手に顔を見られながら出来るものではない。暗闇という特殊な状況にあったからこそ出来た告白なのだろうと思う。
――で。
とりあえずの問題は、私と魔理沙さんの目が思いっきり合ってしまったことだった。私の真正面に、頬を染めた魔理沙さんがいる。
彼女は私の視線から逃げるように、ふいと横を向く。しかし今度は、森近さんと視線がバッティング。
結局、彼女の視線は宙をさまよい、あさっての方向を向いて、
「お前、少しは気を遣ってくれてもいいだろ?」
唇を尖らせて森近さんに抗議した。
うーん、確かにそうかも知れないけれど、そこまで気付ける人は中々いないと思う。
ましてや彼女は、なんでもないということをひたすらにアピールしていたのだから。
「でも昔の話だから、なんてことはないんだろう?」
「……そこが、気遣いが足りないと言うんだ」
何かこう、いつまでも繰り返しになりそうなやり取りだった。
でも、照れる魔理沙さんというのも中々に新鮮だと思う。可愛さ倍増と言うか。
「それにしても、すっかり日も暮れてしまったね」
魔理沙さんの言葉をあっさりと流すと、森近さんは窓際に歩み寄ってカーテンを開ける。窓の外を見てみれば、もうすっかり暗くなっていた。
「誤魔化すなよ」
「そんなつもりはないさ。……うん?」
と、何かに気付いたような声を上げ、森近さんが窓から空のほうを見上げている。
それで思い出したが、今日はそもそも星空観賞をする約束をしていたんだっけ。天候の都合でプラネタリウム観賞に変更になったのだけれど、結果としてこんなに興味深い話を聞けたのだから、これはこれで良かったと思う。
「魔理沙」
「何だよ」
「どうやら晴れて来ているみたいだよ」
「ほんとか?」
つっけんどんな返事をしたと思ったら、晴れという単語を聞くと跳ねるように声を弾ませる魔理沙さん。そしてそのまま森近さんを退かさんばかりの勢いで窓にかじり付く。
あまりの変わり身の早さに思わず苦笑してしまうが、そんな彼女も可愛いので突っ込まないでおいた。
私もゆっくりと立ち上がり、彼女と並んで窓から空を見やる。
「確かに、ちょっと星が見えますね」
「そうだな。じゃあ行くか早苗」
「え?」
「え、って、元々はそういう約束だっただろ?」
確かに、当初は本来の意味での星見を約束していたのだ。ただ単に、集まるのがちょっと早まっていただけに過ぎない。
「プラネタリウムで十分勉強しただろ? これから実践といこうじゃないか」
先程までの、拗ねたような表情はどこへやら、すっかり元気を取り戻したように生き生きとしている。その頬は相変わらず朱に染まっているが、今はそれは、活発な彼女をより美しく彩るためのアクセサリへと変貌していた。
「じゃあ香霖、またなー」
私の返事など待たず、魔理沙さんはさっさと部屋を出て行ってしまう。取り残されるかたちとなった私と森近さんはもう、顔を見合わせて苦笑するしかなかった。
ああなってしまった彼女は、もはや誰にも止めることは出来ない。流れ星のように、ただただ一直線に駆け抜けるのみだ。
そうやって、真っ直ぐに星を想う魔理沙さんの心の中はきっと、幼い頃から何ら変わっていないのだろう。
変わったとすれば、その頃よりももっと強く、そしてもっと貪欲に星を求めるようになったことだろうか。
魔理沙さんは何かと性格の悪さが前面に出やすいけれど、こうやって真っ直ぐに星に恋焦がれる一面こそが、本当の姿だと思う。
そんな内面を窺い知ることが出来て、私は彼女のことをもっと好きになれそうだった。
「じゃあ、私も行きます。プラネタリウム、ありがとうございました」
そう挨拶し、私も魔理沙さんの後を追おうとする。しかし部屋を出ようとしたところで、森近さんに呼び止められた。
何だろうと思って振り向くと、森近さんはそれまでの苦笑いの表情とはうって変わって、神妙な顔つきをしている。
「魔理沙を、頼むよ」
「えっ?」
不意に真面目な口調でそう言われ、私はつい間抜けな返事をしてしまった。
「きっと、魔理沙も嬉しいんだと思う。今までも霊夢と流星祈願会なんてことをしてたけど、こうやって星のことを語り合える相手はいなかったからね。
あの通りの子だけども、仲良くやって欲しい」
あの通り、とは、何かと自分勝手だったり元気過ぎたりするところだろうか。
確かに彼女はそういう一面があり、実際、多くの人もそう見ているだろう。けれど、彼女の内面を構成する要素は決してそれだけではない。そのことは、他でもない私もよく分かっているのだ。
「大丈夫ですよ。ご心配なく」
「そうか。ありがとう」
「……でも、まるで保護者みたいですね」
私は魔理沙さんの家族関係などは良く知らないけれど、彼女を見つめる森近さんのまなざしは、親のそれに近いと思う。
「まあ、小さい頃から面倒を見ていたからね。……それに、世話の焼ける子ほど可愛いと言うし」
困ったような表情を浮かべて森近さんはそう言った。確かに、世話の焼ける子ほど可愛いというのには強く同意出来る。
きっと魔理沙さんは、昔から手のかかる子だったのだろう。
自分勝手で、わがままで、でも心根は真っ直ぐで。そして、誰よりも星が大好きで――
「おい早苗、まだか」
と、いきなり窓が開いたと思ったら、当の魔理沙さんが顔を出して来たのでちょっとびっくりした。先に行ったと思ったら、まだいたらしい。
「早くしろ、行くぞ」
「そう言えば、行くってどこへ行くんですか?」
「山の上のお前んち」
「わざわざ?」
「高い所の方が星が綺麗だろ?」
単純かつ明快な理由。真っ直ぐである。
「じゃ、先行ってるぞ」
そう言うと彼女は、今度こそ本当に飛んで行ってしまったようだった。
あらためて森近さんに挨拶をして外に出るが、魔理沙さんの姿は既に見えなくなっている。代わりに、雲が半分くらい取り払われた夜空が私を迎えてくれた。夜中になる頃には、文字通りの満天の星空を拝むことが出来そうだった。
魔理沙さんは恐らく、一直線に守矢神社を目指しているだろう。そうなると、私の飛行速度では到底彼女に追い付くことが出来ない。
けれど、と思う。
けれど、せめて気持ちの上では彼女に追い付いて行きたいと思う。
彼女は、まだ見ぬ南天の星空を「一緒に見よう」と言ってくれた。
もしそれが実現するのなら、彼女が待つのではなく、私が彼女に追い付くかたちで一緒に見たい。
どこまでも真っ直ぐ星に恋焦がれる彼女に、私が追い付けるかは正直分からない。でも彼女は、あんなに遠くにあるはずの星々に向かって、ずっと手を伸ばし続けていたのだ。その姿は、私にとっては一筋の流れ星のように気高く、そして美しかった。
そんな、彼女の純粋な姿に、私はただただ憧れるばかりで。
だから私は、それこそ流れ星に手を伸ばすような気持ちで、魔理沙さんの後を追い掛けるのだった。
南半球の星空…自分も見てみたいです。
ただ、幻想郷の星座はゆかりんが名前付けてるの知ってましたか?
いい雰囲気の作品をありがとうございました。
コメにレスはマナー違反ですが、紫は妖怪の星座の著者ではあるけれど、人間達が紫のつけた星座名を使っているとは限らないですよ。
星が好きすぎて、突っ走る魔理沙が可愛すぎです!
小さい頃に星に憧れる気持ちは凄いわかるだけに共感できました。