思えば、ですね。
思えば、それは貴方なりの気遣いだったと思うのです。つまり、男の子が良いところを見せようとした一世一代の舞台だってことを、貴方は分かっている訳です。
そんじょそこらの男の子よりも、貴方と来たらまぁなまじっか運動神経が良かった。変な話、家の近くの神社で貴方は、よく境内を庭のようにして遊んでいたではないですか。子供の頃からの慣習だったそうですが、虫取りと言わず川遊びと言わず手足を汚して、時に森の中に入り込んでは見知らぬ花を摘んできたりとか古い注連縄の死骸をずるずる引き摺りだしてきたり。
とかく私が思うに神社の中で遊んでいますとね、神様のご加護を受けて育つのですよ、子供というものは。女の子が男の子よりも足が速い、なんていう下克上をね、貴方が享受していたのはつまり神様のお陰だったんじゃないかって私は結構真剣に信じてるのですよ。子供は七つまで、神様の物なのだという考え方もありましてね、貴方のその瞳を見るにつけ、そういうちょっとした神秘性も信じてみたくなったのですよ。
さておき。
貴方が調子に乗って跳んでみせるから、そりゃあまだ十一歳の男の子ですよ、退くに退けぬ訳です。男の名折れってのに年齢は関係なくてね。男ってのはねえ、見栄張る生き物なんですよ。子供だろうが大人だろうが一緒です。
目の前で同い年の女の子が軽々と跳び越えた小川を、男である自分が跳び越えられない――そんな現実を易々と現実にする訳がないじゃないですか。女のコイツが自慢げに跳んで見せて、それで自分が黙ってる訳にはいかん、と。
要は格好つけですよ。
ですからあれは――嗚呼、悲劇。まぁ或いは喜劇ですけども、迂遠には貴方の所為とも取れるのですよ。
おだてたから木に登っちゃったっていう考えも出来るじゃないですか。いえ男の子は豚じゃないんですけどね、豚じゃ。
貴方が。
そういえば初めて、私を汚した日のことを覚えていますか。
――あらあら、ここでちょっと大人の危険な香りがしますわね。淫猥。うふふ。
大丈夫大丈夫、ここでそんな野卑な話をする訳がないじゃないですか。うふふ。今頃貴方が、例えば尾籠な単語を臆面も無く口にするような蓮っ葉っ子になってしまっていたとしても、私は私なりにデリカシーというものを堅持しておりますし、私はいつまでも清廉なまま。アダルトなお話はちょっとねぇ、うふふ。
おほん。
そういう年齢に、貴方が元気なら、今頃育っている筈ですからね。要はそういう話でした。
私は歳を取りませんが、貴方は歳を取ってゆく。
そうでしょ?
私は傘で貴方は人間ですからね、これはもう仕方ない仕方ない。
初めて私のことを、汚した日の話でしたね。
つまり私を振り回した貴方が、要するに足許など見ている訳が無かったという話です。頭から泥に放り込まれた私がまさか忘れる訳もない事件――当時八歳でしたかね、貴方は。
私を学校に持って出てまだ、三回目かそこらの話ですよ。
利発な子――そう言ってる内は大人達の目も細かったですけど、子供の頃から無鉄砲でいればやっぱ損ばかりするのですよ。そうやって先人の知恵というものがですね……まぁ、今更良いです。文人墨客の名著に教養を親しむってのとは、多分対極と言って良いような距離にいましたからね貴方。暇あれば山野を駈け巡って、健康なことでした。でも、本は投げる為のものじゃありませんってば。況んや傘もですって。投げたくて投げた訳じゃないでしょうけども。
八歳の子供に大人みたいな注意力は求めませんでしたけど、青々とした新田が太陽の光をきらきら反射させて眩しき煌めき六月の最中に、畦道で自分もくるくる回りながら私みたいな細長い棒を振り回してたら、真っ直ぐ歩ける訳ないじゃないですか。何が嬉しかったのかしれませんけど、ウキウキとはしゃいじゃって。私あの時、散々貴方を馬鹿にしましたわね。
ちょっと言い過ぎたと思っている。
今は反省していない。
どこの間抜けかって話ですよ、一応女の子ですよ? 男の子がはしゃいでってんならともかく、女の子が腕白こいて水張った田んぼに落ちて泥だらけなんて普通考えられないでしょ。私日本に生まれて日本に育ちました、一本だけども日本傘。
あはん面白い諧謔。
それにしても大和撫子って、おしとやかなのが売りじゃなかったんですか?
てゆうかあの時私、まだ一度も雨に打たれてなくてピカピカだったのですよ。サラッピンのおろしたて。言わばヴァージン。
ところで今頃まだ貴方ヴァージンですか?
いやいや。
……まぁ、それもまた想い出なんですけどね。いつまでもそんな、変な女の子で居てくれる限り貴方は貴方だ、なんて、ちょっと愛着めいた気持ちも湧くわけで。
だからそんなやんちゃな貴方にね、男の影がちらついたなんてとんだ昼ドラですよ。どこの泥棒ネコだそいつは――とまぁ怒りましたとも。
貴方は絶対、私だけのものだった筈なんですからねっ。
……失礼、取り乱しました。
それを薹が立つっつったら大人の階段登るシンデレラだったかもしれませんけど、一風変わった私の布の色を「可愛い」と言ってくれた純粋な稚さ、稚さ余りに私を田んぼに放り込んで泥だらけにした、とかく普通じゃない女の子だった貴方がね――いきなり女の子らしい悩みでぼーっと遠くを眺め始めたのに気付いた。泥の匂いをさせてた筈の貴方が、急にちょっとしおらしくなって、それが実は同級生の男の子に秋波を送ってるんだなんて気付いたらそりゃ平静じゃいられませんって。
きーっ。
良いですよ、良いですよこの私の感情を嫉妬と称してもね。嫉狂いしてやりますよ、八歳からの貴方を誰より見守ってきたのは貴方の傘、この私なんですからねっ。
きーっ!
なんつってると、ずーっと、思い出してゆけますね。
八歳でした。
要するに田んぼ転落、そして私ぶん投げ泥水ルパンダイブ事件から一週間くらい前のことですから、つまり貴方はまだ八歳。
私と貴方との、出逢いでした。
水田があった、つまり梅雨の季節でしたね。これからしばらく雨が多くなるぞ、って時期に貴方ったらどっかで傘を無くしたっておかーさんに泣き付いて言って、それで出してもらったのがこの私。変な色をした、趣味が悪いと市井のおばちゃん達には逆に評判になっちゃいそうなこの私。
そんなものが――私が、そもそも何で貴方の家の傘立てで眠ってたのか? 何でまた、誰も使わない私が家の中に暫く突っ立ってたのか?
って話なんですが、この話は長くなるんですよ。小半時を超えて三千里も越える、涙無くして語れない遠大なる哀惜の秘話。滔々と語り出しちゃいますよ? これは滂沱の涙を無くしては語れませんからね。
ですから語りません。
嘘です嘘です。すみませんそんなに長くないのでちょっとだけ語ります。
誰の持ち物でもない傘だったから、貴方に逢えた。言わば理由は、それだけですね。
貴方が急に傘を無くしたものだから、その時に家の中の傘で、私しか空いてなかったっていうのが唯一無二の真相。究明。そして、それにしても八歳の女の子にはでかすぎるんじゃないかっていう明らかに大人向けの傘だった私を貴方は「おおきいことは良いことだ」って、まぁ子供ながらにしてアグレッシヴでしたね全くもう。性欲を持て余す感じで。これは器のでかい大人になるなって祈りましたよもう。
そして、
貴方は私を観て、こう言ってくれたんですよね。
――きれいだね、って。
そう、電車の中の忘れ物を売り捌くってんで、その売り上げが誰の懐に入るのかも分からないスーパーマーケットの片隅でやってたセール――ほら、よくやってるじゃないですか電車の忘れ物市みたいな、アレですよアレ。ワゴンに投げ込みで並べられた中でもいっとう悪い意味で一際の異彩を放ちすぎて流石に誰にも相手にされなかったところを
『家族の誰かが使うべさ』
ってだけで、調達してくださった貴方の母親。
案の定やっぱり誰も使わなくて私に埃を被らせていたけど、それから何週間、貴方は私を手にしました。学校かどこかで無くしてしまった傘を、これ無くしたら次はもう無いからねってんで母親に脅されながら手渡してもらった貴方。渡された私。
母親に感謝しなさいって話ですよ? 準備の良い、転ばぬ先の杖をきちんと用意してくれている良い親をお持ちになりましたねっと。
そして――私も感謝ですよっと。
だって、貴方の母が引き取ってくれなければ、私が貴方と出会うこともなかったじゃないですか。誰にも引き取って貰えなくなった忘れ物傘の行く先は知ってますか? 鉄道会社の場合、行き着く先は土の下だったんですよ土の下。うめたてち……いやまぁ、詮無い無機質な話はどうでも良いですけどね。要するに墓場ですよ。
奇天烈なデザインで誰も見向きしなかった私をね、手に取ってくれたからこそ実現した。
合縁奇縁と言えば美辞麗句ですけど、四字熟語ならせめてここは一期一会と言いたいですね。
正直日頃からのファッションセンスも微妙な貴方のお母様に私は命を救われて、
――あの日から、貴方の「傘」に、
なれたんですから。
*
思えば、あの親にしてこの子ありだと思うんですよ。貴方の不思議さを傍から眺め続けていたらそう想いますよ。貴方達の具体的に何が変わり者だったかって一々ここで論じることはしませんけど、畢竟、貴方が変わり者だったのは間違いなくあの親の所為ですね。これらは相当因果関係が認められますぞ裁判長。
さもなくば、泥田事件は起きなかったでしょうからね。子供らを加害者にも被害者にもしたあの痛ましい事件。私? 私は全面的な被害者ですよ。しつこいですか。昔の心の傷ですかそうですか。それは貴方にとっても私にとっても、お互い様なんですけどね。
黙っていれば本当に可愛らしい、お人形さんみたいな貴方が、あんなに泥まみれになってたら普通の親は頭を抱えますのにね。
あの日貴方を馬鹿笑いで迎えた母親。泥だらけでも割と平然としてた貴方。
変な人でした。
……。
人達、でした。
そうやって、貴方は自分を守ってきたんだろうな、と、今更ですが私は思うんですよ。
あぁほら――こんな話をしているから、貴方の綺麗だった瞳を思い出すじゃないですか。
私、大好きだったんですよ。神秘的で、惹起的で。
どうあれ貴方を目にした人がまず不思議そうに貴方を眺めますから、でも貴方はそれ以上に不思議なことを、ずっと用意したがっていたのかなと思います。瞳のことを一々言われるよりも先に、貴方は子供で居ようとした。
人目につかないよう、目立たぬよう振舞っても目的は達せられた筈。けれど貴方は、逆に本来以上に目立とうとして、ついでに自分が望む自分自身を、きちんと創り上げようとしたんじゃないかなと。
前向きで良いじゃないですか。
健気で愛らしいじゃないですか。
あくまで私の妄想ですけどね妄想。日夜大暴れの貴方を「ガサツ」の一言で片付けないのは――まぁ、さっきのお詫びの代わりということにでもしておきましょうか。私の優しさですよ優しさ。ありがたくうけとんなっ。
人よりもはしゃいでみたり、女の子離れしたところを見せてみたり――
人の驚くような虫やら気色悪い某かやらを手に取り他人へ放り投げてみたり――
年がら年中生傷の絶えない膝っ小僧にしても。
貴方の目立ちすぎる外観上の「要素」を、貴方はより目立つものを拵えることで隠そうとした。森に隠れるために木の葉へ身を窶すよりも、貴方は自分が隠れる為の森を作る、とても能動的で幼いながらに聡明な木の葉だったのです。健気、なるほど健気といえば健気でした。
生まれつきのその瞳のことをみんなから言われて、たまにいじめられて。
きれい、だよ。
え?気持ち悪い?
いやいやいや、そんなことない。
――きれい、だよ。ほんとに。
知ってる。知ってますよ。
あの男の子が、放課後貴方に、いつか言ってくれた言葉。
帰り際、校門のロマンス。いやいや、ねぇー。私も小学校時代に戻りたいわ!
いや傘に小学校時代があるのかって訊かれたら分かりませんけどね。小学校の傘置き場とか我々蝙蝠傘の死骸が累々ですからね。小学校は割と敵。敵性認定。
例えば年齢から「つ」が取れたばかりの男の子、ガキ風情が織り成した、稚い、無邪気で何の他意もない一言だったとしてもね。例えば傘を振り回して毎月壊すような、性の辛い男の子が顔に似合わず言った言葉だったにしてもね。
……嬉しい訳です。
……嬉しかったんですよね? 貴方。
女の子だからね。女の子はああ言われたら、嬉しい訳でしたよね。その辺の気持ちは分かるんですよ私も女ですからね。
あ? 傘に男も女も無いって?
馬鹿おっしゃい。
コウモリにはちゃんとオスメスがあるじゃないですか。つまり傘にも、オスメスがあるって単純な理屈。
まっ私は傘です。道徳や保健体育の先生でもなければ恋愛の相談師でも無いし、スピリチュアル某かでもありませんし、午後は○○な思いッきりの良いキャスターでもありません。他人の恋愛相談や、ましてたかが十一歳の少年の心の機微を論じることなんてしやしません出来やしません作れやしません勝つまでは。
そんな野暮なことはしないですけどね、十一歳に育ってた「女の子」だった貴方が、少しだけ、ほんの少しだけ違う場所への階段に足を掛けたとしたらあの時だったと私は思うんですよ。
泥の匂いのする、夏の河原で。
ぴょおんと、青空に向かうように跳躍した貴方が苦もなく小川を跳び越えて、
その小川に、少年が、ね。
やっぱり――あの時だと思うんですよ。
*
ね。
貴方は今でも、私のことを綺麗って言ってくれるんですかね。
変わり者で育った貴方は、要するに私みたいな傘を選んだところからして変わり者。変な色の私を選んだのは、私が貴方の瞳よりも、他人の目を惹いてくれると思ったから? 自分が変な子ですよって、殊更に示すため?
それとも、本当に綺麗だって思ってくれた?
よせやい、照れる。傘だろうが照れる。照ったら傘は日傘になっちゃうけどそれは割とどうでも良いね。
結局は、
――色々、なんですよね。
貴方の瞳の色にしても、
私の、傘というには奇天烈な色にしても、
照ることもある天気にしても。
そして淡い初恋という名前と、それに纏われた確かな「色」香にしても。
誰かの目を惹き続けて、誰かの手に握られることが大変嬉しいということをですね、貴方は理解してたんですって多分。
子供の頃から。
そう、
貴方は孤独で、
大人がああやって、貴方の瞳の色についてはやいのやいの言いましたからね。
そんなにも綺麗な、緑色と赤色に塗り分けられた、左右の瞳をね。
私を放り出して、泥水の中で泥だらけになった男の子。惨めでしたねー、女の子が軽々跳び越えたからって自分も余裕綽々の風情で跳ぼうとしたんですかね? ダメですよね物事全力で当たらなきゃ。
ランドセルの中の教科書とか泥水塗れですよね、絶対あれ。
貴方の目のことを初めて「きれいだ」と言ってくれた大切な男の子の手を、
泥だらけになったあの手を、
貴方が握って引っ張り上げたその時に、
少しずつ、西の稜線へ太陽が傾いてゆく時間に。
きっと、貴方は、自分の本当の嬉しさに、気付いたんだろうなって思ったんですよ。
羨ましいかって?
いやいやとんでもない。私は傘ですからね。傘は恋愛とかしませんから。発情期もないですって。本当ですよ? 何なら今この場で目一杯発情してみても良いですが、たぶん色々と困ると思いますよ。傘が腰振ってきたら結構ファンキーな絵ですよ。ヤッホウ雨の日は私自身も雨だぜ! なんて、なかなか卑猥な匂いしかしませんからね。
これ以上は小学生には刺激が強すぎてとてもとても……
こほんこほん。
ね?
何年、とかいう時間単位が、傘には無いんですよ。
私にとって貴方は、まだ小学生のままで、ね。
せめて貴方の今を、確認できる術がどこかにあれば良かったのですけども。
残念ながら傘には携帯電話も使えませんからメールも打てません。打てたらすげえですよね。どうやるんですかね、傘の先っぽか柄の方でダイヤルプッシュするか。それとも意表を突いて蝙蝠傘の羽根の先、骨に布を掛けてる先っぽの部分でちょんちょん押すとか。うわすごい器用ですよそれ。
出来るかっつの。
――いつ、って?
貴方が背を向ける前に……うん、割と予感がしましてね。
直感、でした。
だって当然じゃないですか、男の子が泣きそうなところ、女の子の手前だからってんで必死に堪えてる訳です。そしてそれは、貴方の意中の人。
女の前で泣く男は情けない?
流石にそこまで言う程、貴方もまだ大人じゃなかった。
泣かせちゃった、なんて子供らしくて純粋で、キャーッ私まで赤面しちゃう!
そりゃ貴方も赤面しますよね。動転しますよ、何も考えられない何も手に付かない。
慌てたように男の子の手を引いて、つまり無心に手を握って、傍の夏草の上へと放り出した、この私のことをね、
……忘れてしまうなら、嗚呼、今みたいな時かなって。
そう思ったんですよ。
直感です。
でも、とても信頼できる直感でした。
さーっと、蘇って来ちゃいましたね。
本当に、泣くかと思いました。。
傘は泣きませんけど、人間みたいに私のどっかに涙腺っつうものが仮にあって、それで感情の動作を示してくれる機構があるならね、私は絶対泣いたんじゃないかなって思いますよ。それくらいには情があるんですよ。傘ですけどね。傘ってのは気骨があるんです。傘ですから骨はありますよねそりゃ。
そして、水を流すことが当然ありまして。
八歳だった貴方が、男の子をちょっとだけ好きになった時、気付いたら十一歳になってました。
三年。
つまりは貴方の転変が、私の気付かぬ内に流れていた――三年という、長く短い月日だったんだなって思うんですね。
前の傘を紛失して、私をもらってくれて、その三日後に泥田に突き刺して流石にその時は貴方も悄気て。おかーさんに一頻り笑われて、
『これ失くしたら、もう新しい傘は用意しないからね』
……貴方の稚い小さな、紅葉みたいな手に泥だらけの私は洗ってもらって、
傘相手に『ごめんね』なんて呟いて、
よく分からないネコか何かの印刷があるポケットティッシュを何枚も何枚も使って、何度も何度も拭いてくれてね。
一回失くしたから、もう傘だけは失くしちゃいけないからって、
大切にしてくれた貴方。生傷の膝小僧、今でも想い出しますね。まぁそれこそ泥田事件のことだって別に私はね、許しても良いんですよ。ヴァージンを汚されましたけどね。いやぁんまた言っちゃった、きゃあっ。
そうですね。
私だけが知ってた。
本当は優しくて、けれど臆病で、そして左右違う綺麗な二色の瞳を持つ貴方の手で、大切に大切に、周りからガサツだの何だのと言われてるのと裏腹に本当に本当に、失くさぬよう大切に使ってもらって三年間。
その想いが、もっと強い想いによって途切れた瞬間。
上塗りされた、瞬間。
所詮はモノである私よりも、もっと大切な「何か」が出来たのが、あの時あの瞬間だったろうなって思いますね。
男の子を救い上げるため、代わりに草の上へと放り出した私のことを――そのまま忘れて、もう思い出してくれなくなるんだなって直感。ばちっと直感。
そりゃあね、相手は正真正銘のラヴですからねラヴ。気になる男の子の手を握っちゃったんですからね、心臓とか爆発ですよ爆発。どかーん、私には心臓が無いから分かりませんけどねっ。
骨はありますけど心臓は無いな流石に。でも心臓って爆発するんでしょ? 緊張しすぎた時とか特に。
爆発寸前の胸の高鳴りの中でね、傘一本のことなんてもう覚えてなくてもしょうがなかった。
だって、私以外に、
貴方の手の中へ馴染んでくれる、無くしちゃいけない大切なものを見つけたんでしょ?
八歳から十一歳へ巡る三年間の間に、ずっと大きくなった貴方の手で、
傘よりも大切にすべきものを、
見つけたんですからね。
その瞬間に。
哀しくなんてないですよ。
哀しくなんてないですよ。
哀しくなんてない。
だって私は、
傘だから。
恋も出来ない、
傘だから。
でもまあ――いつの日か。
もう一度くらいは、貴方に逢えるのかなって思ってたり、思わなかったりなんかして。
まぁ子供の頃の恋愛なんてハシカみたいなもんでしょうけどねえ。くくくっ、伝染性があるけどすぐに快癒して何事も無かったかのようにね。くくくっ。青春良いですねえ。
私は、これは私が傘だからこその甘い願いってものですけどね――せめて。
せめてせめて、耐えて耐えて。っていやん。また卑猥。
――願わくば、せめてあの少年とですね、たとえ泥臭くても長々と幸せであれば良いなーって思うんですよ。いやいやそりゃガキ同士ですからねガキ同士、大人みたいな酸いも甘いも知り尽くした駆け引き尽くの恋愛めいて、手と手繋いでも相手を裏の裏まで忖度し回したり、海も山も乗り越えるなんて神様に誓えそうな力強い絆があるとは思えないんですけども、
ほら。
貴方って、なんか変わり者だったじゃないですか。
なんか期待してみたくもありまして。
変わり者はやっぱり、好いてくれる人も少なかった。
貴方がそうだったように。
そして私がそうだったように。
だからこそ、だからこそですね。
誰かの手にひとたび握ってもらえたなら、その人に、ずっと離さず握っていて欲しいなって、結構思うんですよ。
だってひょっとしたらもう、握ってくれる人が現れないかもしれないじゃないですか。
今の私みたいに、ね。
結局私は二度捨てられたんですよね。列車の中で忘れられて、三年経ってまた、貴方に忘れられた。
何でなんでしょうね?
私は傘でしかないんですが――でも、傘でしかないが故に、人を恋しく思ってしまう。
傘の下には、常に傘で雨を凌いでくれる人間が居てくれるものなんですから。
誰にも負けない変わり者だった貴方がね、強く逞しく育って、やがて或る一人の男の子の手を握るまでをつぶさに、真横で見てきたが故に、こんなことを思うのかもしれません。
発情期ですねこれ。貴方も発情期、私も発情期。目下傘ってのは、年がら年中発情期なのかもしれませんね。ゆえに前言撤回です。
変わり者であるこの私が――また誰かの手に、握ってもらえますようにと。
そう祈りながら、私はあれから暫く、雨風に打たれてた。
あ、今ですか?
今は……
今は、寂しくはありませんね。私が住み暮らす場所には色々おりまして、まぁ色々です。貴方に言っても到底信じて貰えないような妖怪変化の類に囲まれて日々を送っております――つっても、絶対信じてもらえないでしょ。人間さえ魑魅魍魎なんですよ。信じらんないです。
誰かを驚かしてみては、ちょっと満足する毎日です。最近ハマっているのは、ごく単純に傘を広げるんですよ。ボンっと。
ジャンプ傘っていう名前も、今更廃れましたね!
しかしまさに、そういう速度感と重厚感のある音がボンっとしますんでね、傘を開くと、ボンっと。
暗闇、人気のない道でいきなりボンってやったら大抵の人は驚いてくれますよ。
……うん。
それで、私は満足する。
それで、私は私を慰めております。
やはり私も変わり者。
私は傘だからね、誰かの手に握ってもらえることを望み続けていつしか此処は幻想郷。
私は傘のくせに、誰かの手に握って貰えることを諦めて、だけど誰かの視線を求めて。
ずっと、
ずっと、
それでも、いつしか、
叶うことなら、また、
もう一度、誰かの雨を凌ぎたいなって思っていますけどね。
あらまぁ、私ったら諦めが悪いんですこと。
長くなりました。
最後になりましたが、貴方に無断でね、貴方の姿を借りております。無断借用です。もう堂々と無断の二文字を標榜致します。完全無欠の無断借用ですからね。肖像権というものがこの幻想の世界にはありませんので、私を手錠で桎梏することはこの郷において誰にも出来ないのです。うふふ、ご容赦くださいね。
片方が緑、片方が赤っていう、こんなに綺麗な瞳をね、
私が一番好きだった、可愛かった貴方の姿をね、
いつか誰かに「きれいだね」って、私も、言ってもらうのが夢です。
貴方と同じように、
みんな同じように、
変わり者だって言われた貴方と同じように、
変わり者の私が、
きれいだね、って言われて、
もう一度誰かの手に、握って貰えるようにね。
それまでちょっと、わちきは妖怪になって、どっかで暮らしております。
――おっと、わちきなんて品がない。どこの田舎っぺかって話ですね。都会的な柄ですねって誰かが苦労して私を褒めてくれたこともあったんですからね、もうちょっと都会的でおりましょうか。そう、私は変な色じゃなくて時代を先取りしすぎた前衛芸術的な傘だったのだという仮説がここに!
貴方がひょっとして、都会的で洒脱な子になってたら田舎っぺの私は顔向けすら出来ませんけども、
けれどそれは、八歳だった頃の貴方とも、確実に地続きな訳ですよ。
それだけは必ず忘れません。
今頃どこに居るんでしょうね。
本当に最後の最後、貴方が私にくれた物について――貴方に届かないけど、お礼を言いますね。
貴方が私にくれたのは、変な色、だけどきれいなこの瞳。
ほんとうに、ありがとね。
……さよなら。
物を失くすと、それがどんな適当なものでも探し回ってしまいます。
でも、探し回った挙句それが見つからないと、どんな適当なものでも心に穴が開いた気分になる。
願わくば、どこかで妖怪変化でもしてくれてればいいんですけどね。
あの失くしたタオル、どこ行ったのかなぁ……
……あの傘も幻想の卿に導かれ幻想の郷に辿り着いているのだろうか。
あと小傘可愛いよ
しみじみとした良いお話でした
あのとき無くした愛用のシャープペンシル、どこに行ったんだろうなぁ…
願わくば、幻想と成らんことを
・・・・もう一回、変な色の傘でも買ってみようかな
文章も独特で惹きつけられました。
これからは、物を無くさないよう、全力で、気をつけよう。
意外な方向に
・・・自分も今まで10本以上電車の中で傘を幻想郷送りにしてるもんですから、尚更響きます。
今は黄色い傘が欲しいと思ってる自分がいます。
間違えて他人の傘を持って帰ってしまったことを思い出したり。
こんなの見せられたら、どんな小さな物にも情がわいてしまいますね。
それは素晴らしい事であり、とても悲しい事です。
俺の傘、ハンカチ、片割れ靴下、…ごめんよ;
あー、何故だか切なくなる。
クサい台詞でも吐きたい気分だ……
こう、手を包み込んで
「君の手は僕が握るよ。だからその瞳を見せてくれないか?」
……死にたくなってきた……
俺はただでさえ物を捨てられないヒトなのに...
誰かの手に握ってもらいたいってところがうまく繋がってて、おお、と思いました。
・・・俺の初代PSP(1000)今どこに居るんだろ・・・
こういうのを見ると申し訳なく思います。
もっと大事にしなきゃなあ。
すげえや