夏蝉のやかましい昼下がり。蝉の声に全く負けない、鈴を転がすような歌声が人里に響く。もっとも少々喉を酷使しすぎたようで、鈴は鈴でも風鈴ではなく土鈴のような濁った声になっていたのだが。
「♪あーかるい えがーぁおー……ちがーう!」
夜雀は歌うのをやめ、書きかけの紙を丸めて後ろに投げ捨てた。ちょうどその軌道上にいた魔法使いは、黒い三角帽子を脱ぎ、書いてある字が読めそうなほどゆっくりと飛んできた紙くずを額で受けた。
「いてっ」
紙くずが床に落ちる音の代わりに、おどけた少女の声がした。
「おっと、これは弾幕だな! よしっ。勝負だ勝負!」
魔法使いは三角帽子をかぶり直すとうれしそうに言う。そのままずかずかと夜雀の前に回り込むと、散らばったメモやら五線譜やらを勝手に拾って読み出した。
「んー? なんだこりゃ」
「今忙しいから邪魔しないで! 魔理沙!」
歌と屋台を生業にする夜雀のミスティア・ローレライが長い爪をぶんぶんと振れば、邪魔と借り物に定評のある魔法使いの霧雨魔理沙は、危ない危ない、と笑いながらかわす。爪はまつげにかするかかすらないか、まさに紙一重の攻防だった。とはいえ、それでもなお二人とも本気ではないのだ。もし爪先がかすりでもすればその肌は簡単に裂けてしまうのだが、そんな危険な遊びができてしまうのが幻想郷の少女たちなのだ。
ミスティアはよほど今の作業が大事らしく、持ち場を一歩も動こうとはしない。魔理沙が近寄るとミスティアが爪を振り、魔理沙が離れるとミスティアが何かを書くのを幾度か繰り返したところで、魔理沙から間合いを外した。
「だってなぁ? 寺子屋の向こう三軒両隣に筒抜けなんだぞ? お前の歌が。聞きに来てみたら声もなんだかしゃがれてるし、これは見に来るなって言う方が無理な相談だな」
魔理沙は腕組みをすると、自分の言葉にうん、とうなずいた。寺子屋に夜雀が居座って歌い続けている。そんな噂を聞いて無視できるような魔理沙ではない。里人が遠巻きに寺子屋を見守るなか、堂々と人垣を分けて教室までやってきたのだった。
「だって歌わなきゃ作れないでしょ。校歌なんだから!」
ミスティアは教壇の後ろの掛け軸をびっと指さす。『学業一直線』と微妙に怪しい文句だが、字は隆々とした楷書なので解釈に困る。書いたのは無論寺子屋の主、上白沢慧音である。
「ああ。慧音に頼まれたのか。生徒が減りっぱなしって悩んでたもんな。やっとわかったぜ」
魔理沙はようやく合点がいったようで、今度は二回うなずいた。
さて、魔理沙とミスティアが漫才をしているこの一室が、寺子屋の教室だ。教師は慧音ただ一人だが、謝礼も無しに子供にいろはや九九から処世術までを教えてくれる。さらに教え方も懇切丁寧とあっては、たとえ慧音が半人半獣でも里人から慕われるのは当然のことである。家の離れた子供が四里も五里も歩いて通うと、慧音は偉いぞと飴玉をくれてやるのだった。そこには美しい学舎と理想の師弟関係があった。
しかし、今や状況は一変していた。つい十日ほど前、誰も読まない新聞ばかりを発行していた天狗でブン屋の射命丸文が、一発逆転を期して『文々。教育新聞』を創刊したのだ。子供たちはみな配達される教材を使って自宅で勉強するようになり、寺子屋に来る生徒はめっきり減った。
今のような暑い盛りに居ながらにして勉強できるのは一見便利になったようだが、慧音の心中は穏やかではなかった。新聞に取られた生徒を寺子屋に呼び戻すべく秘策を練っていたのである。
「でねー? 生徒を集めるには校歌しかないって言うのよ。慧音が。私も、何で生徒集めで校歌なのかなーって、ツッコみたくなったけど、まあ流しておいたのよ。私は歌が作れればなんでもいいし。私の歌を毎日生徒が歌うのも悪くないしねー。あ、振り付けも考えなきゃ。えへへ」
ミスティアはおとなしく座って話すことが出来ない。魔理沙への説明の間じゅう、ほとんど踊りのようにばたばたと手足と羽根を動かしていた。歌って踊れれば理由はどうでもいいというのは、いかにも彼女らしい物言いだった。
魔理沙は話の途中からやれやれと肩をすくめていた。
「真面目一本槍な奴が急にウケを狙おうとすると、たいてい外すんだけどな。真面目な奴が大真面目に馬鹿を言っているのがいちばん面白いんだが……」
魔理沙はぱんと手を叩くと、机に手をついて身を乗り出した。
「ああそうだ。宴会用に新開発した芸で『上白沢慧音、通信教育ブームを斬る!』ってのがあるんだが、見るか?」
「見る! やってやって!」
歌も踊りも演奏も、芸事なら見るのもやるのもなんでも好きなミスティアが、見たくないと言うはずもない。魔理沙は二歩下がって立つと、頭に両手の人差し指を立て、角を作って声を荒げた。
「新聞で知識を詰め込むだけの血の通わない通信教育で、子供の心が育つわけがない! 見ろ! 『あやややや』とか『手加減してあげるから本気でかかってきなさい』とか、子供たちの言葉遣いが乱れている! 言葉の乱れは心の乱れ、心の乱れは行いの乱れだ! いま子供たちは何をほしがっているか! やれ高下駄が欲しいだのカメラが欲しいだの、役に立たないモノばかりねだっているじゃないか! 新聞は子供を教育すると見せかけて、実は物欲を煽っているだけなのだ! やはり子供たちは私の寺子屋に通い、真っ当な教育で健全に育まれなければいけないのだ!」
──と、魔理沙は熱くなりすぎた滑稽な慧音を見事にマネた。ミスティアは笑い転げて机をだんだんと叩いた。
「にーてーるー! にーてーるー! あはは……」
五割増しで誇張が入っていたが、慧音の主張は実際に魔理沙のモノマネ通りだった。『文々。教育新聞』は、教育新聞と銘打ちながら、その内容は二分の一が幻想郷の少女たちのゴシップ。三分の一が天狗や河童が売っている商品の宣伝で、教育的内容は残り六分の一だった。
いろいろな意味で目立っていたのは連載小説の『最強伝説あやや』だ。文が幻想郷の妖怪や神様を次々と倒しては手下にしていくという荒唐無稽なストーリーだったが、娯楽に飢えた子供たちは競い合って読み、感想を語り合った。結果として、子供の間では射命丸ブームが巻き起こっていたのである。射命丸ごっこと称して高下駄で走り回り、転んで骨折する子供。おもちゃのカメラで取材という名の盗撮を繰り返す子供。『文々。教育新聞』の影響は社会問題となっていた。
「まあ、子供の流行りなんてすぐ飽きられるもんだけどな。文のやつはうまくやったもんだぜ……っと」
ミスティアが大笑いしていたそのスキに、魔理沙が机上のメモを奪い取った。
「あ! それ書きかけだから……。まあいいか、客観的な意見も聞いてみたいしー」
魔理沙はミスティアの歌詞を目で追っている。ミスティアは怒りもせずにその表情を見つめていた。
◆寺子屋にいこう!◆
作詞:ミスティア・ローレライ
朝だ 起きたら 顔を洗って
そうだ 今日から 寺子屋だ
いろはにほへと ちりぬるを
名前を漢字で かけるかな
九九八十一 足りないよ
友達百人 できるかな
明るい笑顔と 楽しい授業
慧音先生が 待っている
だから ぼくもわたしも みんなそろって 寺子屋に行こう
魔理沙はため息をつくと、ぶんぶんと首を振った。
「あー。駄目だ。全然面白くないな」
ミスティアは一瞬目を伏せ、それから両手で頬杖を作ってぷうとふくれてみせた。
「やっぱりー? 校歌らしくって考えちゃうと、ノリが悪くなるんだよねー。でも曲を先に作っちゃったから、今から大きく雰囲気は変えられないし、どうしよっかなー」
「まー、魔理沙はこういうときに正直だからたすか……ほわぁ」
徹夜明けの疲れもあってか、ミスティアが小さくあくびをした。
「よしわかった。私に全部任せるんだぜ」
魔理沙は室内なのも構わず、ほうきをぶんと振って見栄を切った。西日の中にちりちりとホコリが舞うのが見える。
「校歌ってのはこうか! じゃなくてこうだぜ!ってのを見せてやる。心配するな。私はあらゆるものの専門家だからな」
魔理沙はミスティアからペンをひったくると、ミスティアの歌詞の裏に自作の歌詞をものの数分で書き殴った。そして、何かをツッコみたくて仕方ないという顔のミスティアに突きつけた。
◆知識は力だぜ!◆
作詞:霧雨魔理沙
学びは頭脳の格闘技
さあお遊びはこれまでだ
生きるか死ぬか 二つに一つ
力と技と弾幕と 少しの勇気で立ち向かえ
知識は力 力はパワー
パワー全開 数学テスト
語呂が悪けりゃ 数字を変えろ
ルート3なら 1.341398(いざよいさくや)
知識は力 力はパワー
パワー全開 漢字のテスト
うろ覚えなら はんこを彫って
篆書体だと 押し通すのだ
多少の無理なら力で通す
押してダメなら突き破れ
燃えろ 叫べ 戦え 寺子屋戦士
ミスティアは引きつった笑いを浮かべながら、歌詞を一行一行小声で読み上げていた。しかし最後の一行でとうとう堪忍袋の緒が切れた。
「た、戦ってどうすんのよ! 校歌じゃないわよこんなの! このアホ魔法使い!」
夜雀の叫び声はコウモリに近い。キィキィと金属がこすれるような音がして、魔理沙は思わず耳を押さえた。
「ま、まあ、景気が良くないといけないだろ。歌ってて気持ちが燃えないとな。校歌なんだし」
魔理沙はなんとか出任せを言って誤魔化そうとしたが、火に油を注ぐ結果になった。
「だいたい譜割りがどうなってんのよ、これ! 韻も全然踏まえてないし歌詞も全然意味不明じゃないの! これを校歌と呼ぶのはあんただけよ! 魔理沙国・魔理沙市立・魔理沙学園の校歌として毎日歌ってたらいいじゃないの!」
いいじゃないの、とミスティアは左手を腰にあて、右手の人差し指で魔理沙をぴっと指さす。激怒絶叫しながらもなぜか即興で振り付けがついてしまうミスティア。耳をふさいで聞き流している魔理沙には、滑稽この上ない一人芝居だった。
「あーもー疲れた。アイディアが枯渇ー。喉も渇いたー」
叫び疲れたミスティアは、ぐったりと机に伏せた。
「そういうときは飲むに限るぜ。今から行くと丁度だぞ? 神社の宴会が」
魔理沙がくいっと杯を傾ける仕草をすると、ミスティアがぱたぱたと羽根をはばたかせた。どうやら二人はこれから連れだって宴会に──という空気を読まずに、教室の引き戸ががらりと開いた。
「出来た! 出来たぞ! 素晴らしい校歌が!」
突然の乱入者に、ミスティアは机に伏せたまま、魔理沙は杯を傾けるポーズのままで固まっている。寺子屋の主はそれがどうしたとばかりにミスティアの隣までのしのしと歩き、語り始めた。
「あれから私も一晩考えたんだが、やっと結論が出た。私の寺子屋なのだから、やはり私が作詞しなくては意味がないな。ミスティアは先に曲が出来てしまっているようで大変申し訳ないが、この歌詞に合わせてもういちど作り直してくれないだろうか」
申し訳ない、と謝りながらも、慧音は満面の笑顔で巻物を広げてみせる。まだ生乾きなのではないかと思うほど黒々とした楷書で漢字とカナがびっしりと並んでいた。
一晩考えた、という言葉からすると、おそらく慧音はこれを書くために徹夜していたのであろう。目には赤く筋が浮かび、深々と隈ができ、真っ直ぐ前を見ているようにもどこか異次元の事象を見ているようにも見える。慧音は明らかに自分の世界に入り込んでいた。
──これは、逃げないと面倒になる。
ミスティアと魔理沙、二人の直感がこの瞬間に一致した。文字通りに魑魅魍魎が跳梁跋扈する幻想郷。そこで生き抜くために最も大切なのは勘である。言い換えれば危険回避の本能である。
「じゃ、私はそういうことで。邪魔したな」
慧音と目を合わせないように帽子を目深にかぶって退散しようとした魔理沙だが、くるりと後ろを向いたところで慧音に肩をつかまれた。
「まあまあ。たいして時間は取らせない。魔理沙も一緒に聞いていったらいいだろう」
「じゃ、私もしっつれーしまーす……ね?」
「なあミスティア?」
慧音の意識が魔理沙に向いている間に脱出しようとしたミスティアだが、慧音のもう一方の手が背中の羽根をむんずとつかんでいた。慧音の両手は二人にぎりりと食い込み、ちょっと暴れたぐらいでは外せそうにない。
──逃げたら、もっと面倒になる。
二人の思考は本日二度目の一致を果たした。
「ま、まあ聞くだけだしな。何分もかからないだろ。いいぜ」
「た、たのしみだな~♪ 校歌がどうかこうなのか~♪ あははっ」
魔理沙とミスティアはとうとう観念して、横に並んで正座した。どうやら宴会には強制的に遅刻させられるようだ。二人は目を合わせて苦笑いするほかなかった。慧音は法螺貝でも吹くのかと思うほどに肺いっぱいに空気を吸い込み、朗々と歌い始めた。
◆学府ニ集ヒテ◆
作詞:上白沢慧音
【壱番】
教育ノ二字 意味スルハ
単ニ学業 ノミナラズ
心タオヤカ 偽ラズ
体スコヤカ 弱ナラズ
眞ノ良民 育クムヤ
筆ヲ持チテハ 古キヲ温ミ
盤ヲハジキテ 新ヲ知リテ
感謝ト恩義 忘レマジ
朝夕集フ 級友ト
学ビヲ許ス 父母ヘ
【弐番】
人妖ノ二字 意味スルハ
単ニ出生 差アルノミ
礼ヲ学ベバ 道逸レズ
忠を学ベバ 裏切ラズ
眞ノ道ヲ 歩クノミ
職ヲ持チテハ 財ヲ為シ
弾ヲ撃チテハ 勝ヲ為シ
仁義ト孝悌 忘レマジ
肝胆照ラス 友達ト
仕官ヲ許ス 主君ヘノ
(中略)
慧音の歌はあまりにも単調なリズムで延々と続いた。魔理沙もミスティアも何度かうたた寝していたが、歌は一向に終わる気配がなかった。
(……なあ、今一体何番なんだ? この歌……というか、そもそも歌なのか? ただの説教だぜ。実際のところ)
(ていうか、そもそもいつから聞いていたのかさえわかんないよー。そしていつまで聞けばいいの~。なにこの歌、恐ろしぃ~)
(恐ろしい歌の本家本元が何言ってんだよ。まったく)
目の前の二人がひそひそと私語をしていても、慧音の視界には入っていないようだ。ただ巻物だけを見つめ、目にうっすらと涙さえ浮かべてただひたすらに歌の世界に入り込んでいる。それを見た魔理沙とミスティアはこそこそと寺子屋から逃げ出したが、慧音の歌が終わることはなかった。二人は30分遅れで宴会に出席できた。
慧音は、ひとり、歌い続けていた。いつまでも。
■ ■ ■ ■
二ヶ月後。
気の早い楓はもう色づき始め、朝夕の風にかすかに冷たさが混じる季節になった。流行病のように幻想郷を席巻した『文々。教育新聞』は、やはり流行病のように勝手に滅んでいった。
具体的な滅びの顛末は、かくのごとくである。連載小説『最強伝説あやや』は、文がレミリアとフランドールをまとめて負かし、使い走りにするという展開を見せたために紅魔館とそのシンパから総スカンを食らい、打ち切り最終回を余儀なくされた。
代わりに始まった『天人偉人伝ヒナナイ』も、同様に特定個人が傍若無人に暴れ回る物語で、今度は博麗神社を中心に大反発が起きてまた打ち切りとなった。
反省をふまえ、「この物語はフィクションでありますよ」と厳重な断り書きをつけて始まった探偵小説『スキマ妖怪の事件簿』は、当初こそ好評だったものの、山場で幻想郷最大のタブーに触れたことが災いし、今度は新聞ごとお取りつぶしと相成った。余談だが、この際の天狗新聞委員会による文への尋問は苛烈を極め、幻想郷の語り草となった。これを取材した稗田阿求は、『射命丸文の一番長い日』というノンフィクション小説を執筆している。
とにもかくにも、寺子屋は以前の活気を取り戻し、慧音はまた生徒に囲まれている。結局六十四番まで作られていた校歌は寺子屋の長押にぐるりと貼り付けられ、何かの呪文のように生徒たちを見つめている。曲は十日ほどしてミスティアからやっつけのものが届いた。
そして、校歌が生徒に歌われたことは、一度としてない。
っつーか魔理沙酷すぎる(笑)
何より全然事態の解決の役に立ってない慧音の校歌が素晴らしいです。
むしろ呪い的な効果でもあったのか!?
涙を流しながら歌詞を詠唱する慧音先生の姿が見えました。
魔理沙の寺子屋戦士も面白かったですが、慧音のあの校歌は凄かったです。
それぞれの歌詞とか後日談なども面白かったですよ。
>>幻想郷最大のタブー
容易に想像つくw…うわ誰だやめ
期待の新人ですね!
慧音の歌の二番、「手」が余計に入ってますよ
イマドキの幻想郷の少年少女には合わないだろうなあ。
校歌って一度作られるとポンポン変わる物ではないから、今もそういう硬派な歌詞の学校は多いと思いますが。
それにしても、ミスティアはちゃんとまともに頑張ってるのに、魔理沙ときたら……w
射命丸文の作詞作曲した校歌も見たかったなぁ。
>ルート3なら1.341398(いざよいさくや)
適当すぎるぞ魔理沙wwwww
魔理沙の詞は学び舎的には駄目だろw
所々の歌詞がツボ
知識は力、力はパワー
さあ、お遊びはここまでだキン肉マンぽくて記憶に残るフレーズだなあ