文明とは、水と共にある。
巨大な文明は大河と共にある。
人は、水を確保できる土地に生きるのである。
故に、迷いの竹林にも水はある。川がある。湖がある。
そもそも年中深い霧が漂っているのだから湿気も相当のものである。
すなわち、永遠亭も水場の近くにあって然りなのである。
竹林の水が涸れちゃった。どうしよう?
◆◇◆◇◆
「とりあえず節水を心がけましょうか」
「私が『こんな事もあろうかと』の決め台詞のために用意しておいた貴重な飲み水で満たされた水瓶に、
涸れてしまった庭の池から錦鯉を勝手に移した挙句餌まで放り込んで台無しにした人の言うセリフがそれですか」
永遠亭にて。
上座で偉そうに座っている輝夜に対し、永琳は氷のような視線を向けたが特に効果は無かった。
輝夜が今回の件に気づいたのは、朝目覚めた時、竹林を陽射しがあたたかく照らすという奇怪な光景からだった。
霧が晴れている? 何故?
庭に出てみたら池が干上がっていた。鯉が苦しそうにしていたので水瓶に移した。
そこに、永琳がやって来て迷いの竹林の水という水が涸れ果ててしまったのだと説明したのである。
別に水が無くても死にはしない蓬莱コンビだが、
水が無ければ喉が渇くし料理にも不都合が生じお風呂にも入れない。
飲み水代わりになっただろうお酒は、当然幻想郷の一員として常備していたのだが、
先日大きな宴会を開いて一滴残らず飲み干してしまった。
霊夢が「飲み比べをしましょう!」なんて萃香がいるのに言っちゃうからだ。
故に、今回の水不足は永遠亭に住まう通常の兎達にとって死活問題で、
管理する側の輝夜達は早急に手を打たねばならなかった。
「とりあえず水が涸れるという恐ろしい異変を解決させるためにイナバを派遣しなさい」
「とっくに調査にやりました」
「まあ、さすが永琳頼りになるわ」
「それほどでもありません」
「じゃあ、妹紅と殺し合ってくるからお風呂の準備お願いね」
「節水って言葉の意味……ご存知ですか?」
永琳の眼光は氷の矢となって輝夜を射殺す勢いにまで増したが、構わず輝夜は部屋を飛び出し竹林へと姿を消す。
後ろから矢を射ってやろうかなんて考えてから、永琳は兎達にお風呂の準備を命じた。
◆◇◆◇◆
歪む。歪む。景色が歪む。
陽炎を作り出す熱気をまとい、藤原妹紅が飛翔する。
「喰らえ、新たに開発した取って置きのスペルカード!」
「こ、これは!?」
太陽のように光り輝く妹紅から放たれる極大閃熱弾幕! その名も!!
「桜鉄『荒野の砂漠 水一滴も無し』!!」
「グアァアアアアッ!!!」
干からびて死ぬ輝夜。
何だかんだで水不足のため水分不足気味だったのだ。
ああ、鯉を水瓶に入れる前に、中の水を飲んでおくんだった!
「ざまあみろ輝夜! ……輝夜?」
干からびて死んでいる輝夜。
蘇生しようともがいている気配も感じるが、どうやらうまく行かないらしい。
「まあ、いずれ生き返るだろ。いやー、それにしてもいい汗かいた」
生き返る前提とはいえちょいと人殺しをした後の妹紅は、爽やかな汗を袖で拭い、竹筒を取り出した。
蓋を抜いて、中に満たされた水をゴクゴクとうまそうに飲む。と。
「ん?」
干からびて死んだままの輝夜が、爪を食い込ませるほどの力で妹紅の足を掴んでいた。
「……み、水」
「干からびたまま喋るなよ、気持ち悪い」
呆れた調子で言いながらも、水を分けてやる妹紅。
おかげで輝夜の肉体は水分を取り戻し復活を果たす。
よろめきながらも立ち上がった輝夜は、何と妹紅の手を握って頭を垂れた。
「ふう、助かったわありがとう」
「お前から礼を言われるとか、あまりのおぞましさに背筋が凍るわ」
心底嫌そうな顔をする妹紅だが、突如手に走った痛みに表情を歪める。
見れば、手は爪が食い込むほどに強く握られ、輝夜の双眸が刃のように鋭く輝く。
「でも死になさい」
「むおお、これは!?」
優美な輝夜には似つかわしくない、荒々しい極大爆裂弾幕が妹紅を襲う。
「新難題『時の学帽』!!」
「コブラァァァァァァッッ!!」
あまりの威力に水平にふっ飛ばされ、竹に強く背中を打ち付けて崩れ落ちる妹紅に、
輝夜は追い討ちをかけるようにして頭を踏んづける。
「お前か! 迷いの竹林の水が涸れた原因はお前の新スペカか!! 迷いの竹林、水一滴も無しかー!?」
「ゲフッ。そういえば特訓中に湖が干上がったりしてた気がしないでもない」
「やっぱりそうなのね! あまりにも露骨なスペカ名にピンと来たわ」
「ぬうう、足をどけろぉ!」
両手で地面を突き飛ばすようにして立ち上がり、輝夜の足を退ける妹紅。
後ずさりしながら、輝夜は深々とため息をつく。
「鈴仙を異変調査に出したのだけど、私が先に真相究明してしまうとは……」
ついて、にんまりと笑う。
「流石は私、あふれ出るカリスマに答えの方が飛び込んで来たわ。
嗚呼、幸運を掴もうとせずとも掴んでしまう我が身が素敵」
「何だ、ちょっと水が涸れた程度でお前等異変だとか騒いでるのか。軟弱な奴等だなー」
「うちは兎達がいっぱいいるから仕方ないのよ。大所帯なの。
どこぞの一人寂しく孤独に根暗に暮らしてる誰かさんとは違うのよ」
「フンッ。兎如きにかしずかれて何をいい気になってるんだか。まだ猿山の大将の方がマシだよ」
「まあ、猿山だなんて野蛮な。品性のカケラも無いあなたにはお似合いね。
もっとも猿山にすら入れない野猿程度がお似合いでしょうけど」
「誰が野猿だこのタケノコ野郎! 細切れにして竹の中に詰め直してやろうか」
「私が入れば金色の竹、あなたが入ればたけやぶやけた。ほほほ、品格の差はこんなところにまで現れる」
「ぶち殺す!」
「叩き潰す!」
二人の殺意が渦巻き竹の葉を散らす中、鮮烈な弾幕合戦が再開される。
「喰らえ新スペカ! 戦鬼『アニヒレーションの草焼き』!!」
「同じく新スペカ! 新難題『炎剣ヴォルテール』!!」
二人の勝負の過程や結果はどうでもいいので割愛する。
◆◇◆◇◆
渇いていた。酷く渇いていた。鈴仙は酷く渇いていた。
一滴でいい。水が、水が、水が欲しい。
竹の葉に露があれば、迷わずそれを舐めるだろう程に渇きながらも鈴仙は永遠亭に帰還した。
「し、師匠……ただいま、戻りまし、た……」
「ご苦労様、ウドンゲ。何か解った?」
「み、水……いいですか?」
わざわざ永遠亭の入口にまで出向いてくれた我が師よりも、水を優先してしまうほどの渇き。
朝から水を一滴も飲んでいないとはいえ、竹林の探索で疲れているとはいえ、この渇き方は異常だった。
「水……ね」
永琳は視線をそらす。
クエスチョンマークを頭に浮かべながら、鈴仙は部下の兎達を率いて台所に行く。
緊急用の飲み水を水瓶に確保してある事は、出立前に永琳から聞いているのだ。
この飲み水を生命線としながら、何とか異変解決に挑もうという話だった。
しばらくして、台所から声にならない悲鳴が聞こえなかった。
そう、聞こえないほどか細い悲鳴だった。
鈴仙は水瓶にすがりながら、ただでさえ少ない水分を両目からこぼしている。
錦鯉の糞が浮いた水を見た悲しみは半端ではなかった。
しかし部下の兎達は構わず飲んだ。
兎は自分の糞を食べる生物なのだ。ちょっとくらい汚い水でも平気! 兎は強い子!
「ぷぷっ、可哀想〜」
そんな鈴仙を見て、てゐは馬鹿にするように笑ったが、鈴仙は水瓶を掴んだまま動かない。動けない。
これはさすがに危険なのではと、てゐは動かぬ鈴仙を引きずって行く。
「うぅ……」
もはやうめき声しか出ない鈴仙に、てゐは恩を着せるような口調で言う。
「私専用に、秘密で確保しといた食料や水があるんだ」
「ぇ……?」
「その水を飲んでいいよ」
さすがは健康マニア。汚い水なんか飲みたくないし、食糧難に遭った時に不健康な食生活なんて送りたくない。
そのため災害に備えて健康食品やら何やらを確保しており、万が一の際はもちろん独り占めするつもりだったのだ。
自分が保存しておいたものなのだから自分が独り占めして何が悪い!
だのに、てゐはそんな大切な物を鈴仙に分けてくれるというのだ。
何という美談! 何という慈愛! 何という友情!
やったね! これで当分何しても怒られないし鈴仙に大きな貸しを作れるぞケーッケッケッケッ!
そんな思惑など露知らず、鈴仙はくぐもった声を漏らす。
「……ぁり……と……」
「お礼は倍返しでいいよ〜」
ただでさえ少ない水分を、再び涙として流す鈴仙。
さて、廊下を引きずられた先はてゐの部屋。畳を引っくり返すと地下への階段が!
「さあご覧あれ! この隠し地下貯蔵庫に私が保管しておいたミネラルウォーターが無いッ!?」
地下室には様々な健康食品が並んでいたが、その一角に不自然な空白があった。
どうやらそこに水があったはずなのだが、てゐは大慌てで右往左往。
てゐの悪戯ではなく、本当にてゐの水さえ無くなってしまったのかと、鈴仙は絶望し意識を手放した。
ついでに口から魂がヒョロヒョロと出てきた。
――バイバイ、てゐ。色んな悪戯をされたけど、あなたの事……嫌いじゃなかった……よ……。
「ちょ、鈴仙? 息が……して……!? れ、鈴仙! レイセェェェェェェンッ!?」
さらば鈴仙・優曇華院・イナバ! さらば! 永遠亭の良心!
さらば……さらば……安らかに眠れ……鈴仙・優曇華院・イナバ……。
「水が無いなら薬を飲めばいいじゃない」
と、医務室に運び込まれた鈴仙に液状の薬を飲ませる永琳。
「あのー、ちなみにそれって何の薬? 栄養ドリンクとか?」
不安げにてゐが訊ねると、永琳はとても爽やかな笑顔で答えました。
「眼からビームが出るようになる薬」
「うわぁ……狂気の瞳がさらに愉快な事に……」
あまりにも悲惨な扱いに、さすがのてゐも同情を禁じえない。
鈴仙はコップ一杯分飲まされてから、思いっ切り咳き込みながら目覚める。
どうやら相当酷い味だったらしく、涙目になっていた。
「助かってよかったわ、ウドンゲ」
「うぅ……し、師匠……迷惑をおかけして、申し訳ありません」
「で、竹林の水が涸れてしまった原因は掴めたかしら?」
「それが、手がかりが何もなくて……湖のあった場所も干上がってて、
さらになぜか荒野の砂漠みたいに暑くて死ぬかと思いました……」
「そう、手がかりは無し……か。残念ね」
「ところで師匠。なぜ水瓶に鯉が入っていたんですか」
「姫様が入れたのよ。池が干上がって鯉が死にかけてたから」
「……ところで、てゐが独自に保管しておいた水が何者かに盗まれたようなのですが」
「妹紅と殺し合いに行った姫様がお風呂の準備をしておくようにと仰ったので、浴槽を満たすのに使ったわ」
「……プツン」
切れた。
鈴仙の心の中で何かが切れた……。
決定的な"何か"が……。
「ただいまー。みんな、医務室で何を――」
と、丁度そこに血で汚れた輝夜が入ってきた。
一同の視線が向けられる。
鈴仙の視線も。
故に、この流れは必然であった。
「空裂眼刺驚(スペースリパー・スティンギーアイズ)!!」
「グボァッ!?」
鈴仙の眼から発射されたビームは輝夜の肉体を見事に貫通した。蓬莱人じゃなかったら死んでいただろう。
主君にビームを放つとは何事かと永琳にバックドロップされたが、鈴仙は悪くないはずだ。きっと。
◆◇◆◇◆
節水。
水を節約する事。
「ああ、生き返るわぁ」
ミネラルウォーターを使った湯船に浸かり、輝夜は夢心地。
埃も汗も、そして血も、綺麗さっぱり洗い落としてお肌スベスベでプリンプリンのプリンセス。
「今日のお湯は、何だかいつもより気持ちいいわね」
てゐ秘蔵のミネラルウォーターである。
「これもきっと私の命じた節水の効果ね」
てゐ秘蔵のミネラルウォーターを勝手に使っちゃうきっかけを作ったのは確かに輝夜である。
「水が貴重だからこそ、いつもと同じはずの水でも素晴らしく感じる……空腹は最大の調味料と同じ理屈ね」
てゐ秘蔵のミネラルウォーターだからいつもと違う上等な水である。
こうして自覚の無い贅沢な入浴を終えた輝夜は、自室に戻るとさっそく永琳と鈴仙とてゐを呼びつけ、
異変の元凶はすでに突き止め数日もすれば元通りになる旨を伝えた。
「流石は姫様。藤原妹紅と殺し合いのついでに異変解明までなさるとは。
片手間でウドンゲ以上の成果! ウドンゲ、あなたも姫様を見習って精進しなさい」
輝夜の活躍に感激している永琳だが、鈴仙としては腑に落ちない。
節水を命じておきながら水瓶に鯉を入れ、堂々とお風呂に入って、
全然節水の自覚が無い輝夜がどうしてそんな異変解明なんて活躍をできちゃうのか。
多分、偶然の産物だろう。そうに違いない。そうでなくては自分が報われない。
「残る問題は、水が戻るまでどうしのぐか……でしょうか」
そのしのぐための水を台無しにした輝夜に、不審そうな目線を向ける鈴仙。
眼の奥がピクピクして、ちょっと気を抜けばまたビームが出てしまいそうで、堪えるのに難儀した。
「井戸を掘ればいいわ」
輝夜はあっけらかんと答える。
「涸れたのは地上に出ている水だけ。地下水までは涸れてないから、井戸水は被害を免れているの」
「流石です姫様。自ら異変を解決するだけでなく、水不足の解決策まで万全とは」
これは妹紅から得た情報だ。
竹林の地上の水が涸れ果てたのに困った様子を見せず、普通に水筒なんかを持ってきていた妹紅に質問してみたら、
「変だな。うちの井戸水は涸れてないけど……水不足ったってそんなに深刻にならなくてもいいんじゃないか?」
と返ってきたので、じゃあ永遠亭でも井戸を掘れば万事解決すると短絡的に考えて帰宅しただけである。
「ではウドンゲ、早速井戸を掘って来なさい」
「え」
永琳に無茶振りをされて眼を丸くする鈴仙。思わずビームが出てしまった。
とはいえ流石は師匠、軽やかにビームを避けて、ビームはそのまま輝夜の部屋の壁に向かうかと思われた。
しかし、壁の前にはある物が置かれていた。
果たしてそれは何か? 何か? 何か!?
鏡だった。
ビームが反射した。
角度の関係で輝夜に直撃した。
直後、鈴仙は永琳にスープレックスを決められ畳に頭を埋める事となった。
――私は悪くない。
鈴仙は思う。そう、これは偶然の事故であり、悪いと言えば悪いけど、
そもそも眼からビームが出る薬なんて飲ませた師永琳にも責任はあるはずなのだ。
「わー!? 鈴仙の口から魂が〜!」
てゐの慌てふためく声だけが、鈴仙を慰めてくれた。鎮魂をありがとう。
まあ医務室に逆戻りしただけで別に死にはしなかったのだが、
おかげで井戸を掘れる人材がてゐだけになってしまって永琳は困り果てた。
すると輝夜は言いました。
「私が掘るわ!」
土木作業なんぞを姫様にやらせる訳にはいかないと永琳は止めたのだが、
輝夜は押入れの中からツルハシなんか取り出して乗り気だった。
「なぜそんな所にツルハシをしまってあるんですか」
呆れながら永琳が問うと、輝夜は満面の笑みを浮かべて言ってのける。
「こんな事もあろうかと! 穴掘り用ツルハシをしまっておいたのよ!」
こんな、事も、あろう、かと。
それを言いたくて永琳は飲み水を確保したりしてたのに、まさかセリフを取られてしまうとは。
「ま……負けた……」
天才の敗北。天才の挫折。されどそれを糧にさらに高く飛翔せよ八意永琳!
◆◇◆◇◆
「永琳の計算によると、この下に地下水脈が流れているらしいわ!」
と、兎達を引き連れて永遠亭の裏庭に工事現場のおっさんルックでツルハシを担いでいる輝夜。
小さめのシャベルを持ったてゐは、まだ作業を開始していないというのに飽きたような面持ちだ。
「こういう重労働は私のキャラクターじゃ……」
「あら、いつもイナバのために落とし穴を掘ってるじゃない。永遠亭一の穴掘り名人はあなたよ」
「むううっ……井戸水なんか飲みたくないなぁ……」
ミネラルウォーターをお風呂なんぞに使われた身の上としては、井戸掘りなんぞ手伝いたくないのだ。
しかし永遠亭の主は蓬莱山輝夜なのである。
「さあ! みんなで掘るわよ!」
「おー……」
やる気の無い返事のてゐ。他の兎達も、小さなスコップを持って覇気の無い表情。
こんなちょっと穴を掘る程度の道具で、本気で井戸を掘るつもりなのだろうか。
垂直に深々と掘るにはそれなりの道具が必要なのではなかろうか。
ともかく輝夜達の井戸掘りが始まった。
「無理!」
こうして輝夜達の井戸掘りは終わった。
井戸の中心で無理を叫んだ姫様。
それは井戸と呼ぶにはあまりにも浅すぎ、そして広すぎた。
深く掘るためには、その周囲の土が邪魔で、その土を掘れば中心部をより深く掘れるけど、
さらに深く掘るためにはその周囲の土が邪魔で、その土を掘れば中心部をより深く、繰り返し。
結果、出来の悪いクレーターのような井戸もどきが永遠亭の裏庭の景観をぶち壊していた。
「井戸掘りって意外と難しいのね」
「難しいって言うか、もっと根本的な問題があると思うんだけどなぁ」
すでに体力の限界なのか、てゐは掘り返した土の上に座り込んでいた。
全身は汗でびっしょり。呼吸は荒く、明らかに肉体が水分を欲している。
「うぅ……私のミネラルウォーター……」
「あら、ここの地下水脈はミネラルウォーターなの?」
「だったらいいね」
てゐはクレーターの内外で死屍累々としている兎達を見た。
この重労働ですっかり疲労困憊している。永遠亭は近いうちに潰れるのではないかと思える惨状だ。
「それにしても喉が渇いたわね。てゐ、ちょっと麦茶を入れてきて」
同様に汗まみれになりながらも、蓬莱人の肉体ゆえか輝夜はまだ元気で、能天気な命令を下してきた。
「麦茶って言われても……」
困り顔のてゐを見て、輝夜は不審そうに眉根を寄せる。
「労働の後は麦茶でしょ? それともビールがいいの?
まだ昼間で作業中なのに飲酒するのはさすがにどうかと思うわ。
それに、お酒は先日の宴会で切れちゃったじゃない」
「何だろう。物凄く常識的な発言のはずなのにとてつもなく非常識に感じる。
だいたい麦茶を入れるための水はどこにあるのさー。それを掘ってたんじゃないの?」
「それもそうね。じゃあ人里までひとっ走りして冷えたビールを買ってきて頂戴」
「まだ昼間で作業中なのに飲酒するのはさすがにどうかと思うわー」
「あら、さっき井戸掘りはもう無理だって言ったじゃない。終了よ終了。作業終了」
「とてもじゃないけど、人里まで買い物に行く体力なんて残ってないよー……」
「困ったわね、どうしましょう」
輝夜は自分が無理難題を出している自覚が有るのか無いのか、物凄く軽い態度である。
これはもう本格的に永遠亭が滅びるかもしれないとてゐは覚悟した。
そんな絶望の荒野に救世主は降臨する!
「姫様、差し入れをお持ちしました」
裏庭にやって来たのは飲料水を人数分持ってきた永琳だった!
くたびれていた兎達も大喜びで復活し、永琳に群がっていく。
輝夜もほがらかな表情で永琳に向かって行く。
だがしかし、てゐだけは違った。
そりゃ、鈴仙に眼からビームが出る薬を飲ませるような奴を信用しろって方が無理さ。
しばらくして、阿鼻叫喚が始まった。
喉から手が出る兎。――物理的な意味で。
体毛が金色に輝く兎。――穏やかなる心を持ちながら(中略)伝説の超兎。
尻から弾幕が出る兎。――決して糞ではない。
俺は手に入れたぞ。人間の身体を手に入れたぞ! 俺は! 俺は! 兎人間だ!――デービール!
やっぱりね。
てゐは呆れ果てながら、さて姫様はどんな薬を飲んだやらと意地の悪い笑みを浮かべる。
「プハー。やっぱり労働の後の麦茶は格別ね!」
「麦茶ァァァン!?」
驚きのあまり、掘り返した土の山から転げ落ちるてゐ。
馬鹿な、なぜだ、永遠亭にもう水は無いはずだ! 麦茶を入れられようはずがない!
「いったいどうやって麦茶なんて用意したの!?」
「姫様のためにミネラルウォーターを一本残しておいたのよ」
「――プツン」
切れた。
てゐの心の中で何かが切れた……。
決定的な"何か"が……。
「それは、私のだぁぁぁッ!」
堪忍袋が限界突破で弾け飛び、てゐは輝夜に襲いかかり麦茶を奪った。
「てゐ! 姫様の麦茶を奪うとは何事!?」
「私のミネラルウォーターを奪った張本人のセリフがそれかー! キシャーッ!」
何かもう兎ではない鳴き声まで発しながら、てゐは麦茶を一気飲みしようとした。
「させるものですか!」
直後、永琳の爪先が跳ねてゐの手首を蹴り上げた。
「ちょっと永琳、節水だって言ってるのに麦茶を蹴っ飛ばしてどうするの」
麦茶の入ったコップはクルクル回りながら飛んでいく。
面食らった状態から立ち直った輝夜も、麦茶争奪戦に参加しようと。
うまく遠心力がかかってこぼれなかったのは僥倖だろう。てゐの幸運の能力のおかげかもしれない。
その僥倖の結晶は、よろめきながらその場にやって来た人物の手元に落っこちた。
何とか意識を取り戻したので様子を見にやって来た彼女は、突如手元に降ってきたコップをキャッチする。
「鈴仙!?」
「イナバ!?」
「ウドンゲ!?」
すると、同時に別々の名前を呼ばれる。
輝夜と永琳と、てゐが、凄い形相で睨みつけてきた。
(あれ? 私、また何かしたっけ?)
鈴仙は嫌な予感につい後ずさりをしてしまった。
それを留めるように永琳が叫ぶ。
「それを姫様に――」
「飲めッ!!」
叫びをかき消す、より強き叫び。
てゐ、魂の咆哮であった。
途中でかき消された永琳の指示よりも、簡潔で力強いてゐの言葉に、
心身ともに衰弱していた鈴仙は無意識に従ってしまう。
すると。
嗚呼――これはいったい何だろう。
唇を、舌を、喉を潤すこの冷たさは。
五臓六腑に染み渡り、肉体と精神のもっとも深い部分へと流れ込んでいく。
そう、それは生命。
鈴仙が飲んだものは生命なのだ。生きる力なのだ。
故に、鈴仙はビームを発射した。
あふれ出る生命エネルギーを制御できずつい発射してしまったのだ
ビームは、苦渋の表情の永琳の横を通り抜け、会心の笑みを浮かべるてゐの横を通り抜け、
あら麦茶を飲まれちゃったわという程度の反応をしている輝夜の横をも通り抜け、
井戸もどきのクレーター中心部に突き刺さっていたツルハシの表面に命中し、
角度の関係でほぼ真下に向けて反射して地面を鋭く深くえぐった。
粉塵が巻き上がり、霧の代わりに竹林を包み込む。
そして、その粉塵を晴らそうとするかのように、ビームで空いた穴から、冷たい水が噴出した。
「あら、井戸が掘れたじゃない」
楽しそうに笑う輝夜のかたわらで、永琳とてゐは呆然と井戸の噴水を傍観していた。
「え? 何? これはどういう展開?」
事態が掴めず混乱している鈴仙は、この後、永遠亭の救世主として褒め称えられる事となる。
これにて水不足問題は無事解決ッ!
節水も大成功のうちに終了したと輝夜は大喜びだ。
めでたし、めでたし。
◆◇◆◇◆
後日、迷いの竹林にて。
「究極難題『博麗神社の賽銭』!!」
「うおお! こ、この新しいスペルカードは、な、何て威力! 何てプレッシャー!
ぬううっ、輝夜め。ここまで恐ろしいスペルカードを考案するとは、悪魔の如き所業。
ならば受けてみろ! この藤原妹紅が新たに開発したスペルカード!
砂漠『移動湖 水を飲むとLP1』!!」
LPとはライフポイントの略である。
某ゲームでは戦闘不能になったりすると減っていき、無くなると死ぬ。
妹紅の新スペルカードがどんな結果をもたらすかは、もうどうでもいいや。
FIN
巨大な文明は大河と共にある。
人は、水を確保できる土地に生きるのである。
故に、迷いの竹林にも水はある。川がある。湖がある。
そもそも年中深い霧が漂っているのだから湿気も相当のものである。
すなわち、永遠亭も水場の近くにあって然りなのである。
竹林の水が涸れちゃった。どうしよう?
◆◇◆◇◆
「とりあえず節水を心がけましょうか」
「私が『こんな事もあろうかと』の決め台詞のために用意しておいた貴重な飲み水で満たされた水瓶に、
涸れてしまった庭の池から錦鯉を勝手に移した挙句餌まで放り込んで台無しにした人の言うセリフがそれですか」
永遠亭にて。
上座で偉そうに座っている輝夜に対し、永琳は氷のような視線を向けたが特に効果は無かった。
輝夜が今回の件に気づいたのは、朝目覚めた時、竹林を陽射しがあたたかく照らすという奇怪な光景からだった。
霧が晴れている? 何故?
庭に出てみたら池が干上がっていた。鯉が苦しそうにしていたので水瓶に移した。
そこに、永琳がやって来て迷いの竹林の水という水が涸れ果ててしまったのだと説明したのである。
別に水が無くても死にはしない蓬莱コンビだが、
水が無ければ喉が渇くし料理にも不都合が生じお風呂にも入れない。
飲み水代わりになっただろうお酒は、当然幻想郷の一員として常備していたのだが、
先日大きな宴会を開いて一滴残らず飲み干してしまった。
霊夢が「飲み比べをしましょう!」なんて萃香がいるのに言っちゃうからだ。
故に、今回の水不足は永遠亭に住まう通常の兎達にとって死活問題で、
管理する側の輝夜達は早急に手を打たねばならなかった。
「とりあえず水が涸れるという恐ろしい異変を解決させるためにイナバを派遣しなさい」
「とっくに調査にやりました」
「まあ、さすが永琳頼りになるわ」
「それほどでもありません」
「じゃあ、妹紅と殺し合ってくるからお風呂の準備お願いね」
「節水って言葉の意味……ご存知ですか?」
永琳の眼光は氷の矢となって輝夜を射殺す勢いにまで増したが、構わず輝夜は部屋を飛び出し竹林へと姿を消す。
後ろから矢を射ってやろうかなんて考えてから、永琳は兎達にお風呂の準備を命じた。
◆◇◆◇◆
歪む。歪む。景色が歪む。
陽炎を作り出す熱気をまとい、藤原妹紅が飛翔する。
「喰らえ、新たに開発した取って置きのスペルカード!」
「こ、これは!?」
太陽のように光り輝く妹紅から放たれる極大閃熱弾幕! その名も!!
「桜鉄『荒野の砂漠 水一滴も無し』!!」
「グアァアアアアッ!!!」
干からびて死ぬ輝夜。
何だかんだで水不足のため水分不足気味だったのだ。
ああ、鯉を水瓶に入れる前に、中の水を飲んでおくんだった!
「ざまあみろ輝夜! ……輝夜?」
干からびて死んでいる輝夜。
蘇生しようともがいている気配も感じるが、どうやらうまく行かないらしい。
「まあ、いずれ生き返るだろ。いやー、それにしてもいい汗かいた」
生き返る前提とはいえちょいと人殺しをした後の妹紅は、爽やかな汗を袖で拭い、竹筒を取り出した。
蓋を抜いて、中に満たされた水をゴクゴクとうまそうに飲む。と。
「ん?」
干からびて死んだままの輝夜が、爪を食い込ませるほどの力で妹紅の足を掴んでいた。
「……み、水」
「干からびたまま喋るなよ、気持ち悪い」
呆れた調子で言いながらも、水を分けてやる妹紅。
おかげで輝夜の肉体は水分を取り戻し復活を果たす。
よろめきながらも立ち上がった輝夜は、何と妹紅の手を握って頭を垂れた。
「ふう、助かったわありがとう」
「お前から礼を言われるとか、あまりのおぞましさに背筋が凍るわ」
心底嫌そうな顔をする妹紅だが、突如手に走った痛みに表情を歪める。
見れば、手は爪が食い込むほどに強く握られ、輝夜の双眸が刃のように鋭く輝く。
「でも死になさい」
「むおお、これは!?」
優美な輝夜には似つかわしくない、荒々しい極大爆裂弾幕が妹紅を襲う。
「新難題『時の学帽』!!」
「コブラァァァァァァッッ!!」
あまりの威力に水平にふっ飛ばされ、竹に強く背中を打ち付けて崩れ落ちる妹紅に、
輝夜は追い討ちをかけるようにして頭を踏んづける。
「お前か! 迷いの竹林の水が涸れた原因はお前の新スペカか!! 迷いの竹林、水一滴も無しかー!?」
「ゲフッ。そういえば特訓中に湖が干上がったりしてた気がしないでもない」
「やっぱりそうなのね! あまりにも露骨なスペカ名にピンと来たわ」
「ぬうう、足をどけろぉ!」
両手で地面を突き飛ばすようにして立ち上がり、輝夜の足を退ける妹紅。
後ずさりしながら、輝夜は深々とため息をつく。
「鈴仙を異変調査に出したのだけど、私が先に真相究明してしまうとは……」
ついて、にんまりと笑う。
「流石は私、あふれ出るカリスマに答えの方が飛び込んで来たわ。
嗚呼、幸運を掴もうとせずとも掴んでしまう我が身が素敵」
「何だ、ちょっと水が涸れた程度でお前等異変だとか騒いでるのか。軟弱な奴等だなー」
「うちは兎達がいっぱいいるから仕方ないのよ。大所帯なの。
どこぞの一人寂しく孤独に根暗に暮らしてる誰かさんとは違うのよ」
「フンッ。兎如きにかしずかれて何をいい気になってるんだか。まだ猿山の大将の方がマシだよ」
「まあ、猿山だなんて野蛮な。品性のカケラも無いあなたにはお似合いね。
もっとも猿山にすら入れない野猿程度がお似合いでしょうけど」
「誰が野猿だこのタケノコ野郎! 細切れにして竹の中に詰め直してやろうか」
「私が入れば金色の竹、あなたが入ればたけやぶやけた。ほほほ、品格の差はこんなところにまで現れる」
「ぶち殺す!」
「叩き潰す!」
二人の殺意が渦巻き竹の葉を散らす中、鮮烈な弾幕合戦が再開される。
「喰らえ新スペカ! 戦鬼『アニヒレーションの草焼き』!!」
「同じく新スペカ! 新難題『炎剣ヴォルテール』!!」
二人の勝負の過程や結果はどうでもいいので割愛する。
◆◇◆◇◆
渇いていた。酷く渇いていた。鈴仙は酷く渇いていた。
一滴でいい。水が、水が、水が欲しい。
竹の葉に露があれば、迷わずそれを舐めるだろう程に渇きながらも鈴仙は永遠亭に帰還した。
「し、師匠……ただいま、戻りまし、た……」
「ご苦労様、ウドンゲ。何か解った?」
「み、水……いいですか?」
わざわざ永遠亭の入口にまで出向いてくれた我が師よりも、水を優先してしまうほどの渇き。
朝から水を一滴も飲んでいないとはいえ、竹林の探索で疲れているとはいえ、この渇き方は異常だった。
「水……ね」
永琳は視線をそらす。
クエスチョンマークを頭に浮かべながら、鈴仙は部下の兎達を率いて台所に行く。
緊急用の飲み水を水瓶に確保してある事は、出立前に永琳から聞いているのだ。
この飲み水を生命線としながら、何とか異変解決に挑もうという話だった。
しばらくして、台所から声にならない悲鳴が聞こえなかった。
そう、聞こえないほどか細い悲鳴だった。
鈴仙は水瓶にすがりながら、ただでさえ少ない水分を両目からこぼしている。
錦鯉の糞が浮いた水を見た悲しみは半端ではなかった。
しかし部下の兎達は構わず飲んだ。
兎は自分の糞を食べる生物なのだ。ちょっとくらい汚い水でも平気! 兎は強い子!
「ぷぷっ、可哀想〜」
そんな鈴仙を見て、てゐは馬鹿にするように笑ったが、鈴仙は水瓶を掴んだまま動かない。動けない。
これはさすがに危険なのではと、てゐは動かぬ鈴仙を引きずって行く。
「うぅ……」
もはやうめき声しか出ない鈴仙に、てゐは恩を着せるような口調で言う。
「私専用に、秘密で確保しといた食料や水があるんだ」
「ぇ……?」
「その水を飲んでいいよ」
さすがは健康マニア。汚い水なんか飲みたくないし、食糧難に遭った時に不健康な食生活なんて送りたくない。
そのため災害に備えて健康食品やら何やらを確保しており、万が一の際はもちろん独り占めするつもりだったのだ。
自分が保存しておいたものなのだから自分が独り占めして何が悪い!
だのに、てゐはそんな大切な物を鈴仙に分けてくれるというのだ。
何という美談! 何という慈愛! 何という友情!
やったね! これで当分何しても怒られないし鈴仙に大きな貸しを作れるぞケーッケッケッケッ!
そんな思惑など露知らず、鈴仙はくぐもった声を漏らす。
「……ぁり……と……」
「お礼は倍返しでいいよ〜」
ただでさえ少ない水分を、再び涙として流す鈴仙。
さて、廊下を引きずられた先はてゐの部屋。畳を引っくり返すと地下への階段が!
「さあご覧あれ! この隠し地下貯蔵庫に私が保管しておいたミネラルウォーターが無いッ!?」
地下室には様々な健康食品が並んでいたが、その一角に不自然な空白があった。
どうやらそこに水があったはずなのだが、てゐは大慌てで右往左往。
てゐの悪戯ではなく、本当にてゐの水さえ無くなってしまったのかと、鈴仙は絶望し意識を手放した。
ついでに口から魂がヒョロヒョロと出てきた。
――バイバイ、てゐ。色んな悪戯をされたけど、あなたの事……嫌いじゃなかった……よ……。
「ちょ、鈴仙? 息が……して……!? れ、鈴仙! レイセェェェェェェンッ!?」
さらば鈴仙・優曇華院・イナバ! さらば! 永遠亭の良心!
さらば……さらば……安らかに眠れ……鈴仙・優曇華院・イナバ……。
「水が無いなら薬を飲めばいいじゃない」
と、医務室に運び込まれた鈴仙に液状の薬を飲ませる永琳。
「あのー、ちなみにそれって何の薬? 栄養ドリンクとか?」
不安げにてゐが訊ねると、永琳はとても爽やかな笑顔で答えました。
「眼からビームが出るようになる薬」
「うわぁ……狂気の瞳がさらに愉快な事に……」
あまりにも悲惨な扱いに、さすがのてゐも同情を禁じえない。
鈴仙はコップ一杯分飲まされてから、思いっ切り咳き込みながら目覚める。
どうやら相当酷い味だったらしく、涙目になっていた。
「助かってよかったわ、ウドンゲ」
「うぅ……し、師匠……迷惑をおかけして、申し訳ありません」
「で、竹林の水が涸れてしまった原因は掴めたかしら?」
「それが、手がかりが何もなくて……湖のあった場所も干上がってて、
さらになぜか荒野の砂漠みたいに暑くて死ぬかと思いました……」
「そう、手がかりは無し……か。残念ね」
「ところで師匠。なぜ水瓶に鯉が入っていたんですか」
「姫様が入れたのよ。池が干上がって鯉が死にかけてたから」
「……ところで、てゐが独自に保管しておいた水が何者かに盗まれたようなのですが」
「妹紅と殺し合いに行った姫様がお風呂の準備をしておくようにと仰ったので、浴槽を満たすのに使ったわ」
「……プツン」
切れた。
鈴仙の心の中で何かが切れた……。
決定的な"何か"が……。
「ただいまー。みんな、医務室で何を――」
と、丁度そこに血で汚れた輝夜が入ってきた。
一同の視線が向けられる。
鈴仙の視線も。
故に、この流れは必然であった。
「空裂眼刺驚(スペースリパー・スティンギーアイズ)!!」
「グボァッ!?」
鈴仙の眼から発射されたビームは輝夜の肉体を見事に貫通した。蓬莱人じゃなかったら死んでいただろう。
主君にビームを放つとは何事かと永琳にバックドロップされたが、鈴仙は悪くないはずだ。きっと。
◆◇◆◇◆
節水。
水を節約する事。
「ああ、生き返るわぁ」
ミネラルウォーターを使った湯船に浸かり、輝夜は夢心地。
埃も汗も、そして血も、綺麗さっぱり洗い落としてお肌スベスベでプリンプリンのプリンセス。
「今日のお湯は、何だかいつもより気持ちいいわね」
てゐ秘蔵のミネラルウォーターである。
「これもきっと私の命じた節水の効果ね」
てゐ秘蔵のミネラルウォーターを勝手に使っちゃうきっかけを作ったのは確かに輝夜である。
「水が貴重だからこそ、いつもと同じはずの水でも素晴らしく感じる……空腹は最大の調味料と同じ理屈ね」
てゐ秘蔵のミネラルウォーターだからいつもと違う上等な水である。
こうして自覚の無い贅沢な入浴を終えた輝夜は、自室に戻るとさっそく永琳と鈴仙とてゐを呼びつけ、
異変の元凶はすでに突き止め数日もすれば元通りになる旨を伝えた。
「流石は姫様。藤原妹紅と殺し合いのついでに異変解明までなさるとは。
片手間でウドンゲ以上の成果! ウドンゲ、あなたも姫様を見習って精進しなさい」
輝夜の活躍に感激している永琳だが、鈴仙としては腑に落ちない。
節水を命じておきながら水瓶に鯉を入れ、堂々とお風呂に入って、
全然節水の自覚が無い輝夜がどうしてそんな異変解明なんて活躍をできちゃうのか。
多分、偶然の産物だろう。そうに違いない。そうでなくては自分が報われない。
「残る問題は、水が戻るまでどうしのぐか……でしょうか」
そのしのぐための水を台無しにした輝夜に、不審そうな目線を向ける鈴仙。
眼の奥がピクピクして、ちょっと気を抜けばまたビームが出てしまいそうで、堪えるのに難儀した。
「井戸を掘ればいいわ」
輝夜はあっけらかんと答える。
「涸れたのは地上に出ている水だけ。地下水までは涸れてないから、井戸水は被害を免れているの」
「流石です姫様。自ら異変を解決するだけでなく、水不足の解決策まで万全とは」
これは妹紅から得た情報だ。
竹林の地上の水が涸れ果てたのに困った様子を見せず、普通に水筒なんかを持ってきていた妹紅に質問してみたら、
「変だな。うちの井戸水は涸れてないけど……水不足ったってそんなに深刻にならなくてもいいんじゃないか?」
と返ってきたので、じゃあ永遠亭でも井戸を掘れば万事解決すると短絡的に考えて帰宅しただけである。
「ではウドンゲ、早速井戸を掘って来なさい」
「え」
永琳に無茶振りをされて眼を丸くする鈴仙。思わずビームが出てしまった。
とはいえ流石は師匠、軽やかにビームを避けて、ビームはそのまま輝夜の部屋の壁に向かうかと思われた。
しかし、壁の前にはある物が置かれていた。
果たしてそれは何か? 何か? 何か!?
鏡だった。
ビームが反射した。
角度の関係で輝夜に直撃した。
直後、鈴仙は永琳にスープレックスを決められ畳に頭を埋める事となった。
――私は悪くない。
鈴仙は思う。そう、これは偶然の事故であり、悪いと言えば悪いけど、
そもそも眼からビームが出る薬なんて飲ませた師永琳にも責任はあるはずなのだ。
「わー!? 鈴仙の口から魂が〜!」
てゐの慌てふためく声だけが、鈴仙を慰めてくれた。鎮魂をありがとう。
まあ医務室に逆戻りしただけで別に死にはしなかったのだが、
おかげで井戸を掘れる人材がてゐだけになってしまって永琳は困り果てた。
すると輝夜は言いました。
「私が掘るわ!」
土木作業なんぞを姫様にやらせる訳にはいかないと永琳は止めたのだが、
輝夜は押入れの中からツルハシなんか取り出して乗り気だった。
「なぜそんな所にツルハシをしまってあるんですか」
呆れながら永琳が問うと、輝夜は満面の笑みを浮かべて言ってのける。
「こんな事もあろうかと! 穴掘り用ツルハシをしまっておいたのよ!」
こんな、事も、あろう、かと。
それを言いたくて永琳は飲み水を確保したりしてたのに、まさかセリフを取られてしまうとは。
「ま……負けた……」
天才の敗北。天才の挫折。されどそれを糧にさらに高く飛翔せよ八意永琳!
◆◇◆◇◆
「永琳の計算によると、この下に地下水脈が流れているらしいわ!」
と、兎達を引き連れて永遠亭の裏庭に工事現場のおっさんルックでツルハシを担いでいる輝夜。
小さめのシャベルを持ったてゐは、まだ作業を開始していないというのに飽きたような面持ちだ。
「こういう重労働は私のキャラクターじゃ……」
「あら、いつもイナバのために落とし穴を掘ってるじゃない。永遠亭一の穴掘り名人はあなたよ」
「むううっ……井戸水なんか飲みたくないなぁ……」
ミネラルウォーターをお風呂なんぞに使われた身の上としては、井戸掘りなんぞ手伝いたくないのだ。
しかし永遠亭の主は蓬莱山輝夜なのである。
「さあ! みんなで掘るわよ!」
「おー……」
やる気の無い返事のてゐ。他の兎達も、小さなスコップを持って覇気の無い表情。
こんなちょっと穴を掘る程度の道具で、本気で井戸を掘るつもりなのだろうか。
垂直に深々と掘るにはそれなりの道具が必要なのではなかろうか。
ともかく輝夜達の井戸掘りが始まった。
「無理!」
こうして輝夜達の井戸掘りは終わった。
井戸の中心で無理を叫んだ姫様。
それは井戸と呼ぶにはあまりにも浅すぎ、そして広すぎた。
深く掘るためには、その周囲の土が邪魔で、その土を掘れば中心部をより深く掘れるけど、
さらに深く掘るためにはその周囲の土が邪魔で、その土を掘れば中心部をより深く、繰り返し。
結果、出来の悪いクレーターのような井戸もどきが永遠亭の裏庭の景観をぶち壊していた。
「井戸掘りって意外と難しいのね」
「難しいって言うか、もっと根本的な問題があると思うんだけどなぁ」
すでに体力の限界なのか、てゐは掘り返した土の上に座り込んでいた。
全身は汗でびっしょり。呼吸は荒く、明らかに肉体が水分を欲している。
「うぅ……私のミネラルウォーター……」
「あら、ここの地下水脈はミネラルウォーターなの?」
「だったらいいね」
てゐはクレーターの内外で死屍累々としている兎達を見た。
この重労働ですっかり疲労困憊している。永遠亭は近いうちに潰れるのではないかと思える惨状だ。
「それにしても喉が渇いたわね。てゐ、ちょっと麦茶を入れてきて」
同様に汗まみれになりながらも、蓬莱人の肉体ゆえか輝夜はまだ元気で、能天気な命令を下してきた。
「麦茶って言われても……」
困り顔のてゐを見て、輝夜は不審そうに眉根を寄せる。
「労働の後は麦茶でしょ? それともビールがいいの?
まだ昼間で作業中なのに飲酒するのはさすがにどうかと思うわ。
それに、お酒は先日の宴会で切れちゃったじゃない」
「何だろう。物凄く常識的な発言のはずなのにとてつもなく非常識に感じる。
だいたい麦茶を入れるための水はどこにあるのさー。それを掘ってたんじゃないの?」
「それもそうね。じゃあ人里までひとっ走りして冷えたビールを買ってきて頂戴」
「まだ昼間で作業中なのに飲酒するのはさすがにどうかと思うわー」
「あら、さっき井戸掘りはもう無理だって言ったじゃない。終了よ終了。作業終了」
「とてもじゃないけど、人里まで買い物に行く体力なんて残ってないよー……」
「困ったわね、どうしましょう」
輝夜は自分が無理難題を出している自覚が有るのか無いのか、物凄く軽い態度である。
これはもう本格的に永遠亭が滅びるかもしれないとてゐは覚悟した。
そんな絶望の荒野に救世主は降臨する!
「姫様、差し入れをお持ちしました」
裏庭にやって来たのは飲料水を人数分持ってきた永琳だった!
くたびれていた兎達も大喜びで復活し、永琳に群がっていく。
輝夜もほがらかな表情で永琳に向かって行く。
だがしかし、てゐだけは違った。
そりゃ、鈴仙に眼からビームが出る薬を飲ませるような奴を信用しろって方が無理さ。
しばらくして、阿鼻叫喚が始まった。
喉から手が出る兎。――物理的な意味で。
体毛が金色に輝く兎。――穏やかなる心を持ちながら(中略)伝説の超兎。
尻から弾幕が出る兎。――決して糞ではない。
俺は手に入れたぞ。人間の身体を手に入れたぞ! 俺は! 俺は! 兎人間だ!――デービール!
やっぱりね。
てゐは呆れ果てながら、さて姫様はどんな薬を飲んだやらと意地の悪い笑みを浮かべる。
「プハー。やっぱり労働の後の麦茶は格別ね!」
「麦茶ァァァン!?」
驚きのあまり、掘り返した土の山から転げ落ちるてゐ。
馬鹿な、なぜだ、永遠亭にもう水は無いはずだ! 麦茶を入れられようはずがない!
「いったいどうやって麦茶なんて用意したの!?」
「姫様のためにミネラルウォーターを一本残しておいたのよ」
「――プツン」
切れた。
てゐの心の中で何かが切れた……。
決定的な"何か"が……。
「それは、私のだぁぁぁッ!」
堪忍袋が限界突破で弾け飛び、てゐは輝夜に襲いかかり麦茶を奪った。
「てゐ! 姫様の麦茶を奪うとは何事!?」
「私のミネラルウォーターを奪った張本人のセリフがそれかー! キシャーッ!」
何かもう兎ではない鳴き声まで発しながら、てゐは麦茶を一気飲みしようとした。
「させるものですか!」
直後、永琳の爪先が跳ねてゐの手首を蹴り上げた。
「ちょっと永琳、節水だって言ってるのに麦茶を蹴っ飛ばしてどうするの」
麦茶の入ったコップはクルクル回りながら飛んでいく。
面食らった状態から立ち直った輝夜も、麦茶争奪戦に参加しようと。
うまく遠心力がかかってこぼれなかったのは僥倖だろう。てゐの幸運の能力のおかげかもしれない。
その僥倖の結晶は、よろめきながらその場にやって来た人物の手元に落っこちた。
何とか意識を取り戻したので様子を見にやって来た彼女は、突如手元に降ってきたコップをキャッチする。
「鈴仙!?」
「イナバ!?」
「ウドンゲ!?」
すると、同時に別々の名前を呼ばれる。
輝夜と永琳と、てゐが、凄い形相で睨みつけてきた。
(あれ? 私、また何かしたっけ?)
鈴仙は嫌な予感につい後ずさりをしてしまった。
それを留めるように永琳が叫ぶ。
「それを姫様に――」
「飲めッ!!」
叫びをかき消す、より強き叫び。
てゐ、魂の咆哮であった。
途中でかき消された永琳の指示よりも、簡潔で力強いてゐの言葉に、
心身ともに衰弱していた鈴仙は無意識に従ってしまう。
すると。
嗚呼――これはいったい何だろう。
唇を、舌を、喉を潤すこの冷たさは。
五臓六腑に染み渡り、肉体と精神のもっとも深い部分へと流れ込んでいく。
そう、それは生命。
鈴仙が飲んだものは生命なのだ。生きる力なのだ。
故に、鈴仙はビームを発射した。
あふれ出る生命エネルギーを制御できずつい発射してしまったのだ
ビームは、苦渋の表情の永琳の横を通り抜け、会心の笑みを浮かべるてゐの横を通り抜け、
あら麦茶を飲まれちゃったわという程度の反応をしている輝夜の横をも通り抜け、
井戸もどきのクレーター中心部に突き刺さっていたツルハシの表面に命中し、
角度の関係でほぼ真下に向けて反射して地面を鋭く深くえぐった。
粉塵が巻き上がり、霧の代わりに竹林を包み込む。
そして、その粉塵を晴らそうとするかのように、ビームで空いた穴から、冷たい水が噴出した。
「あら、井戸が掘れたじゃない」
楽しそうに笑う輝夜のかたわらで、永琳とてゐは呆然と井戸の噴水を傍観していた。
「え? 何? これはどういう展開?」
事態が掴めず混乱している鈴仙は、この後、永遠亭の救世主として褒め称えられる事となる。
これにて水不足問題は無事解決ッ!
節水も大成功のうちに終了したと輝夜は大喜びだ。
めでたし、めでたし。
◆◇◆◇◆
後日、迷いの竹林にて。
「究極難題『博麗神社の賽銭』!!」
「うおお! こ、この新しいスペルカードは、な、何て威力! 何てプレッシャー!
ぬううっ、輝夜め。ここまで恐ろしいスペルカードを考案するとは、悪魔の如き所業。
ならば受けてみろ! この藤原妹紅が新たに開発したスペルカード!
砂漠『移動湖 水を飲むとLP1』!!」
LPとはライフポイントの略である。
某ゲームでは戦闘不能になったりすると減っていき、無くなると死ぬ。
妹紅の新スペルカードがどんな結果をもたらすかは、もうどうでもいいや。
FIN
あとジョジョネタの使い方が自然すぎるwww
移動湖とか懐かしい!
角度の関係で、の繰り返しが地味にツボった。
承知の上とは思うが、空裂眼刺驚(スペースリパー・スティンギーアイズ)は
ビームとかレーザーじゃなく、凄い勢いで絞り出された眼球内の水分だからねッ!
さすが天才ww
あと『メイド長の胸の秘密』とか『亡霊姫の胃袋の限界』、『鴉天狗の鉄壁スカート』etc……
っと、誰か来たようだ。
こんな、ことも、あろうかと。自分的には一生のうちに一回は使ってみたい言葉第一位ですよ!かぐやいいなあ!
どうしても「わいるどなアームズ」しか出てきません。
三作目にて最弱と化したあの方しか出てきません…………っ!
うどんが可哀想とか、えーりんの『天才とホニャララは紙一重』っぷりとか、色々言いたい事はあるのですが……。
とりあえずジョジョネタの仕込み方が完璧すぎて脱帽、とだけw
水瓶にすがりつくシーンで、何故かジョジョ三部のンドゥールを思い出しますた。
あれか、財団の人が『違う、水が怖い』って言ったからか……。
逆に考えるんだ、「自分で賽銭を入れればいいや」と考えるんだ