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「冬過ぎて 枯れし生命に 春の風 季節もめぐり 生命もめぐり」
開け放った窓から春の匂いをまとった風が吹き抜けた、それは阿求の頬をかすめ優しく髪をなびかせる。
その風は窓の外を眺めていた阿求に歌を詠ませた。
春の風というものは自然と心を躍らせる、生きとし生けるものの本能というものだろうか。
かすかに花の香りもする、どこかで一足先に梅の花が開いたのだろう。
「たまには歌もいいものですね」
そう感慨深く独りごちりながら、冬の身を刺す様な寒さはなくどこかほんのりと温かい風を感じていた。
まだ窓からの景色に花は見えないものの、少し前に比べれば緑の割合が増えてきたような気がする。
四季の移り変わりをはっきりと感じられるようになってきた、冬の終わりも近いのだろう。
座布団から立ち上がりお茶の準備をする。お茶っ葉の缶を開けるといい香りが鼻をつく。
急須にお湯と共に入れて注ぐ、ちょぼぼぼ、と小気味いい音を立てて湯飲みが満たされていく。
お茶を啜りほっ、と一息つく。季節は変われどもお茶はいつだって美味しい。
「お茶の葉の 香り楽しみ お湯そそぎ 味わい共に 二度美味しけれ
あら、季語が入っていませんね、それともお茶の葉は季語でしたっけ」
阿求は歌でふと思い出した。
外の世界では俳人が各地を回り、歌を作る旅をしていたという。
その季節のもの、旅先で出会った自然や物事、人を主に題材にしていたという。
―――確か、以前いただい本が、どこかにしまってありましたね。
本棚をごそごそとあさると一冊の古ぼけた本を見つけた、それは本というより冊子のようなものだ。
題字も作者名も色褪せていて確認することはできない。
しかし幸いにも中身はわりときれいで歌は詠むことができる。
とても四季豊かな歌、情景を的確に表した歌、比喩により独特な雰囲気を持った歌。
阿求はしばらくこの本に見入っていた。
この俳人は旅の中で何を見、何を感じ、そしてどんな気持ちで歌を詠んでいたのだろう。
阿求はそう思うとそれが知りたくて、いてもたってもいられなくなった。
―――その旅をすれば私にもわかるのでしょうか。
自然と体が動き出す、持ち物などいらない、阿求は春の匂いに、そして旅の誘惑に誘われるようにふらりと外へと出た。
日陰はまだ少し肌寒いのにくらべ日向はポカポカとして暖かい。
この言いようのない興奮に体も、そして胸も温かくなってくる。
里を出て見聞を広めることはそう珍しいわけではない、幻想郷縁起を書くためには必要なこと。
しかしそれ以外の理由で外に出たことなど無いに等しかった。
「こんなこと、はじめてですね、なんだかワクワクしてきます」
◇
阿求が向かったのは以前、神様が社ごと引っ越してきた妖怪の山。
秋では山を外から眺めるだけでも息を呑むほどの紅葉が美しい、しかし今はすべて散ってしまって茶色一色となっている。
木々にまだ葉はついていない、しかし小さな初々しい蕾がついているものもある。
この木々がやがて花を咲かせ、葉をつけ、赤や黄色に染まり、散っていく。
自然と季節が一体化しているとはまさにこのことである。
「今はなき 赤や黄色を 待ち焦がれ 色づく秋へ 思いをはせて」
歌は考えずとも口をついた、阿求は内心とても驚いていた。
「今から楽しみですね、里の皆さんと紅葉狩りにでも来るとしましょう」
ひゅう、と風が吹いた、いくら春が近いとはいえ山の中では少し肌寒い。
手がかじかんでしまってはかなわないと着物の袖を合わせた。
それでも花の蕾や草木の芽は春の訪れを待ち望んでいるかのように息づいている。
―――それにしても本格的に冷え込んできましたね、いきなりどうしたんでしょう………
疑問に思いながらも構わず歩いていると前から人影らしきものが歩いてくる。
こんな山道でいったい誰なのだろうか、近づくにつれておのずとその正体がわかってくる。
どうやら阿求の知っている人のようだ、しかし会ったことがあるわけではない、ただ知識として知っているだけ。
―――あれは、たしか…レティさん?
「あら、これは何の因果かしらね、阿弥、あぁ、もうすでに転生したのでしたね、ごめんなさい」
「いえいえ、私は阿求と申します、私の代でははじめましてですね」
阿求は面識がないはずのレティに突然声をかけられて驚いていたが、先代で出会っていたということに納得がいった。
「つかぬ事をお聞きしますが、その、因果とは何でしょう?」
「私と阿弥が初めて出会ったのがちょうどこの場所だったんです、そして、ちょうどこの時期に
あまりにも懐かしいものだったからつい阿弥と呼んでしまったわ」
「そうだったんですか、すみません、先代の記憶はあまり残っていないもので」
「いいのよ、それにしても、なぜこんなところに?まぁ、多少分かるような気がするわ
幻想郷縁起ではなくて、ただ、世界を見たい、感じたいと思ったのでしょう?」
「あはは…、ほとんど正解ですね、では、レティさんはなぜここに?」
「私も似たようなものよ、恐らく、今日が限界だから」
「あ…」
「いいのよ、だからね、少しでもこの土地を、目に焼き付けておこうと思って
立ち話もなんだから、少し座ってお話に付き合っていただけませんか?」
「はい、私でよろしければ」
近くにあった木の根元に二人で腰掛ける。
「ごめんなさい、私が近くにいると寒いでしょう?」
「あぁ、いえ、大丈夫ですよ」
離れようとするレティの手をそっと握った。
彼女の手はとても冷たかったけれど、そこには確かな温もりがあった。
温度じゃない、何か別の暖かさ。
「本当に、同じことをするのね」
「え?あ…、あはは…」
照れている阿求を見てレティはくすくすと笑っていた。
それでも、その表情はどこか儚げで、どこか物哀しげで、阿求はやりきれない思いになった。
何度目かとはいえ、自らの終わりを自覚し、覚悟することはとてもつらいことなのだろう。
「あの、レティさん、今年の冬は何か楽しいこととかありましたか?」
レティを何とか元気付けたくて、気づけばこんなことを聞いていた。
「今年…、そうねぇ、里の子供たちと雪合戦をしたり、雪だるま作ったり、いろいろありました」
「子供たちとですか?楽しそうですねぇ」
「あと、かまくらとかも作りましたよ、その中にみんなで入ってお餅を食べたりもしました。
知ってます?かまくらの中って意外と暖かいんですよ?私にはちょっとつらい環境ですけど」
やっとレティの顔に笑顔が戻ってきた。
それから他愛もない話をずっとしていた、その間レティはとても楽しそうだった。
「阿求さんは、なにか冬はいいことがありましたか?」
「え?わ、私ですか?私は特に…、幻想郷縁起とか転生の準備でいそがしいものですから
あ、別にそのことには納得していますし、私自身そっちのほうが楽しいんですよ」
ふいに、レティが真剣な顔をして押し黙った。
「レティさん?」
「…あなたは、それでいいの?」
「それでいいもなにも、私にはそれしかすることがありません、その為に、生まれてきたのですから」
「そんなの、悲しすぎるわ」
「え?」
「それは自分が生まれてきた理由全てを否定していますよ」
「そんなことありませんよ、私には…、それしかないだけです」
パチン、と乾いた音が響いた。
それがレティがはたいた音だと分かったのは頬に焼けるような痛みを感じたときだった。
「そう、思い込もうとしているだけじゃないですか?
それしかないのではなくて、それしか知らない、それしか知らないふりをしているだけじゃないですか?」
「それは…」
「ついてきてください」
「え?」
「いいから、ついてきてください」
「は、はい」
レティにつれられどんどん山を登っていく、その間レティはずっと黙ったままだ。
冷える手を擦りながら阿求も無言でついていく。
ふいにレティが口を割った。
「阿弥も、同じようなことを言っていました」
「………」
「あなたは…、あなた達はただでさえ寿命が短いんだから、楽しまなければ何のために生まれてきたのか分からないじゃない」
「確かにそうですが、短いからこそやれることが限られているんです、だから…」
「それなら、なぜあなたは今ここでこんなことをしていたんですか?」
「それは…」
「本当は、あなただって楽しみたいのではないですか?
もうすぐ春になろうとしていて、外だって暖かくなってきたから散歩をしたかったのではないですか?」
「………」
阿求は何もいえなくなってしまった、レティの言葉があまりにも的を射ていたから。
御阿礼の子はその寿命の短さゆえ、人としての生活を送る前に死んでしまうという。
彼女たちに時間の余裕などなく、幻想郷縁起を書き記し、寿命を迎える何年も前から転生の準備をしなくてはならない。
死んだ後も閻魔様の元で100年働き、そしてまたこの世に生を受ける。
そのどこに、知ること以外に彼女たちが楽しめる時があっただろうか。
「阿求さん、これをご覧になってください」
「これは…」
山を登った先に少し開けたところがある、山頂付近の一角である。
そこからは世界が一望できる、下に広がっている葉をつけ始めた木々はまるで緑の絨毯のよう。
遠くで咲いている梅はほんのりと桃色でとても華やかだ。
「これが、私たちの住んでいる世界です」
「すごい…」
「あなた達は、これを知らずに過ごしてはいませんか?
こんなにもすばらしい世界に住んでいるってことを、知らないのではないですか?
知識としてではなくて、実際に見たときの本当の感動を、知らないのではないですか?」
「………」
「どうですか?」
「…ええ、とても、すばらしい世界です」
「よかった、あなたにも知ってもらえて」
「…私、実を言うと散歩なんて時間を無駄に浪費するだけ、そんなふうに思ってました。
自然のことだって、知識として知っているからそれでいいと、ずっと思ってました。
でも、こんな、こんなにも…美しいなんて…」
目の前に広がる世界を見て感動している阿求を見ながらレティは微笑んだ。
「最後に、あなたに会えてよかった」
「え?」
「私、そろそろいきますね」
レティが振り返り歩き出す。
「ちょ、ちょっと待ってください!」
「なんですか?」
「ひとつ教えてください、私は、私たちは自分のしたいようにしていいんですか?
もっと、もっと楽しんでもいいんですか?」
「ええ、この世に生きている限り、楽しまなければ嘘ですから」
レティはこちらに振り向きはしなかったものの声はずいぶんと濡れていた、泣いているのだろう。
「レティさん、ありがとうございます、また、冬にあなたに出会えるのを待ってますから」
「ふふっ、本当に似ているわね、似ているといえば私たちも」
「似ている?私とレティさんが?」
「ええ、短い期間しかいられない私と、短い寿命のあなたたち。
けれど、巡ってまた戻ってくるところなんて、そっくりじゃない」
「そうですね、季節も年月も、廻っていますから」
「そう、だから私は、“さよなら”じゃなくて“またね”と言うわ」
「私もです、またお会いしましょう」
「さっき叩いてしまってごめんなさいね、それでは」
びゅう、っとひときわ強い風が吹いた、その風に目をあけていられずに思わずまぶたを閉じた。
風がやんで目を開けるとそこにレティの姿はなかった。
これが春一番というものだった、ここに冬は終わり、春が訪れた。
「冬も、終わりですか」
阿求の独り言はただ風の音の中に響くだけだった。
「冬過ぎて 訪れたのは 春なれど 私の心 寒さに凍え
やはり独りになるとどこか寂しいものですね」
もう一度、レティが教えてくれた世界を見る。
そして、彼女に伝えるかのように再び口を開いた。
「私は、こんなにすばらしい世界に住んでいたのですね。
今では、あの俳人がどのようなことを感じていたのか分かるような気がします。
きっと、自分の周りにありふれている自然が、世界が、愛おしかったのでしょう。
その旅の中で死んでしまっても、本望だったのでしょう」
そして一度間をおくと、自分に、今までの自分に、そしてこれからの自分に言い聞かせるように―――
「広く、美しき世界を、この身朽ち果てるまで、記録しよう、我が愛しき幻想郷を」
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良いですね、この二人の雰囲気とか好きです。
誤字の報告
>「幻想卿」じゃなく「幻想郷」です。
題名とこれが出てきた場所は全部間違えてるかと。