Coolier - 新生・東方創想話

咲夜さんのお泊まり会

2009/02/08 07:05:57
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※作品集66「博麗神社防衛24時」からの流れを受け継いでおりますが、
 あちらは長い作品の為、始めと終わりの部分だけでも見て頂ければ大方の流れが分かるかと思います。
 大筋には関係致しませんので、面倒でしたらそのままお読み下さい。


























……頭が重い。



  視界が、霞む。




「あ、もう起きても大丈夫なんですか」

「……ええ、心配かけたわね。 ごめんなさい」


目を開けると、美鈴が笑顔を浮かべながらこちらを見ている。
どうやら私が病に臥せっている間、一晩中付きっきりで看病してくれていたのだろう。
疲れ切った彼女の表情は、どことなく達成感のある清々しさを纏っていた。


「うわ、咲夜さんが謝るなんて、明日の天気は血の雨かしら」

「いえ、きっとナイフね。 明日は頭上に注意よ」


美鈴と会話をする内に、意識が徐々にはっきりとしてくる。
体の節々に訪れる痛みも殆ど引いているようだ。
まだ倦怠感が抜け切らないが、これ以上仕事を休んでもいられない。
メイド達がまた何かをやらかしていないか確認をする為に、私は時を止めてメイド服へと着替える。


「はは、お嬢様に日傘をお借りしないと……って、駄目ですよまだ寝ていないと!」


部屋から出ようとすると、美鈴に出口を塞がれた。
彼女には分かっているのだろう。 私の体調がまだ本調子では無いという事が。
だけど、それでは私は止められない。 私は再び時を止める為に意識を集中する。

しかし、それは適わなかった。

視界がぐらりと回転したと思った次の瞬間には、私は天井を仰いでいた。
どうやら倒れてしまったらしい。 情けないと思いつつ、背中に固い衝撃が訪れない事を不審に思った私は美鈴へと目を向けると、彼女は大層慌てた様子で私の顔を覗き込んでいた。
どうやら地面にぶつかる前に抱きかかえてくれたようだ。


「ああもう、だから言ったじゃないですか。
 ゆっくり寝ていて下さいって」

「そういう訳にもいかないのよ。
 私にだって仕事があるの」

「え? そんなのありませんよ?」

「……は?」


思わず聞き返してしまう。
『質より量』を地でいく紅魔館に於いて、過去一度たりとも量が質を上回った事例は存在しない。
よって殆どの業務を私が片づけていると言っても差し支えないだろう。
その私に仕事が無いという事は、つまり……


「飼い猫はクビというかしら?」

「いえ、どちらかと言えば飼い犬です」

「五月蝿いわよこのチャウチャウ。 鍋に入れるわよ。
 で、どういうことなの?
 メイド長である私に仕事が無いという事は、つまり私は用済みって事じゃないの?」

「……ああ、咲夜さんやっぱり熱で頭が回らないんですね」

「首が回らなくしてやろうか?」

「おおっとそれは勘弁。 って、ああそうか。 咲夜さんは寝ていたからご存じないんですね」

「何を?」

「うーん……まあ、見れば分かります。 よいしょっと」

「あら力持ち。 惚れちゃいそう」

「同性愛はいけませんよ? 非生産的です」


その辺りの小石でも拾うかの様に私を背負い上げた美鈴は、そのまま扉を開ける。





……そこには目を疑う様な光景が広がっていた。





染み一つ無い絨毯。


輝く調度品。


人差し指を滑らせても埃の付かない窓の桟。





呆然とする私の横を一人のメイドが通りすがった。
今の自分の姿などすっかり忘却の彼方へと消し飛ばし、トレイを片手に持つ紫色の髪をしたメイドを呼び止める。



「も、申し訳ございませんメイド長。 お嬢様にお茶をお運びしている最中ですので……」



……此処は一体何処?

ポカンと口を開けた私の顔を横目で見たらしく、美鈴は急いで顔を正面へと戻す。 だが、声を殺しながら笑っているのが不規則な肩の揺れで確認できた。
なんだか無性に恥ずかしくなった私は、彼女の首に回していた手を片方だけ解き、スリットから覗く健康的な足へと這わすとそのまま彼女の太ももを強くつねる。


「痛っ!?」

「あら、蝙蝠にでも噛まれたかしら?」

「咲夜さん……」


ふん、良い気味よ。
恨めしそうな視線を向ける彼女に幾分か心が晴れた私は、そういえば肝心な事を聞き忘れていた事に気が付く。


「で、聞きたかったんだけど、何があったの?」

「あら、見ても分かりませんでしたか。 やっぱり熱で……」

「同じ事を二度言うのは嫌いよ?」

「私は好きですよ? だからもう一度言いますね。
 ”今日は”仕事はありませんよ、咲夜さん」

「”今日は”?」

「ええ、”今日は”」

「全く要領を得ないわね。 お嬢様の所へ連れて行って頂戴」



「その必要は無いわ」



私達の会話が、舌足らずな幼い声に遮られる。
先程声のした方向へと美鈴が振り返ってくれると、そこにはお嬢様がティーカップを片手に優雅な佇まいで宙に浮いていた。


「あら、はしたないですわお嬢様」

「飛んでることが? 飲みながら歩いていることが?」

「紅茶の時間はもう少し後ですよ」

「ふん、人間は細かい事を気にするわね」

「だから寿命も短いのですわきっと」

「なら少しでも延ばす努力をしなさい。 とりあえず、貴方には休暇を与えるわ。
 ちゃんと治るまでベッドでガチガチ震えてなさい」

「そうは言われましても、私はこの通り――「美鈴」「はい」

 っ!?」


お嬢様の言葉に美鈴が返事をしたと思った次の瞬間、私は空中へと放り投げられていた。
慌てて体制を整えようとするも失敗し、無様に尻餅をつく。
非難を込めた視線で美鈴を睨み付けるも、彼女はいつもの様に狼狽える素振りなど微塵もみせず、それどころか至極冷静な、冷たさすら感じさせる視線で私を見下ろしていた。
それに耐えられず、咄嗟にお嬢様の方へと視線を逃がすも、こちらも美鈴と全く同じ視線を私に向けている。
私が何をしたと言うのだろう。 堪らず、抗議の為に口を開こうとするがそれは適わなかった。
お嬢様が伸ばした人差し指に反論の言を遮られると、射抜く様な紅い眼光に反抗の意思まで削ぎ取られる。


「ぐだぐだ抜かすんじゃないわよ人間。
 主人が、休めと、言っているの。 分かるわね?」

「……かしこまりました」

「うむ、よろしい」


私の諦観混じりの返事を聞いたお嬢様は一転して満面の笑みを浮かべると、羽をパタつかせながら後ろを振り向いた。
やれやれ、まあ見たところ館内の事はどうにかなっているのだろう。
どうにも腑に落ちないが、主人がゆっくり休めと言っているのだ。わざわざ無碍にする事も無い。
今日一日ゆっくり休んで、また明日からいつも通りの生活に戻ろう。
そう決心した私を嘲笑うかの様に、お嬢様は今思い出したと言わんばかりの仕草で「ああそうだ」と振り向き、私にとんでもない命令を下す。


「あ、そうそう。
 その病気、こじらせると厄介らしいから、ちゃんと永遠亭で見て貰いなさい」

「はい?」

「美鈴、帰ってきて早々悪いけど、咲夜のこと頼んだわよ。」

「あの、ちょっとお嬢様」

「かしこまりました、お嬢様」

「美鈴も待ちなさい。 待って。 待てってば!」


……こうなったらもはや何を言っても無駄なのだろう。 もういい、なるようになれだ。
お嬢様の命令に従い、再び私を担いだ美鈴が永遠亭に辿り着くまでの間、私は口を噤みされるがままにされていた。







「――行ったわね」


咲夜が永遠亭へと連れて行かれた事を確認したレミリアは、ふうと一つの溜息を吐き、自分がここに来るまで咲夜が視線を送っていた廊下へと目を向ける。



「カモフラージュご苦労」



その言葉を皮切りに、あちらこちらから妖精メイド達が飛び出す。


窓の傍からは一枚”だけ”の窓を徹底的に奇麗に拭いたメイドが雑巾を持って。
調度品の裏からは、接着用のノリを持ったメイドが壺のひび割れた裏面を見せながら苦笑いして。
絨毯の不自然な膨らみからは、紅いペンキを持ったメイドが額を拭いながらやり遂げた顔をして。


三者三様の笑みを浮かべながらレミリアの前に降り立ったメイド達は、しかし咲夜の為と頑張ったのだろう誇らしげな顔を浮かべている。
こうなってはどうにも咎める気が失せてしまったレミリアは、とりあえず目の前のメイド達の頭を撫でてやった。
褒められたのが嬉しかったのか、妖精メイド達は子供の様な笑みを浮かべながら、再び館内の掃除へと戻って行く。

騒がしい妖精メイド達が居なくなると途端、シンと静まり返り、レミリア以外の者の気配が廊下から無くなる。
そのタイミングを見計らったのか、暗い廊下の奥から、先程咲夜の横を通り過ぎて行ったメイドがゆっくりとした足取りで戻ってくる。
顔に赤みが差し込み、若干の怒気を孕んだそのメイドに、レミリアは嫌らしい笑みを浮かべながら労いの言葉を掛ける。


「あー危なかった。
 パチェもご苦労様」

「……もう二度とやんないからね」

「分かってるって。
 全く、せめてパチェに気付いてくれれば病院送りになんてしなかったのに」

「全くだわ。 彼女の犬度は0点よ」

「咲夜が聞いたら喜びそうね、それ。
 最近犬扱いがお気に召さないみたいだから」

「あっそ。 全く、次に看病する時には凄く苦い薬を使ってやるんだから」

「ふふ、パチェは可愛いな」

「おだまりなさい」


悪態をつくレミリアの頭を、パチュリーは御自慢の魔導書の角で小突く。
ふざけ合いながらも、二人が一人の人間の従者を想う心は同じなのであろう。
彼女が無事に紅魔館へと戻ってきて、再び美味しい紅茶を入れてくれる事を願い、二人はお互いの居場所へと戻って行った――







「ほら、着きましたよ咲夜さん。
 いい加減に機嫌を直して下さいよ」

「…………」

「はあ、全く……」


永遠亭に到着するまでの間、私は大層不機嫌な表情を浮かべていたに違いない。
その証拠に、横から垣間見える美鈴の顔がどうにも呆れ果てた様なへの字口を結んでいる。

兎に角このままじゃ埒が明かないという事で、美鈴は私を背負いながら永遠亭の門を潜った。
一人で歩けるといっても、どうやら臍を曲げてしまったらしいこの頑固な門番は聞く耳を持ってくれないだろう。
しょうがないので彼女に背負われたまま妖怪兎の出迎えを受けた私達は兎達に案内され、永琳の診察室へ通される事になった。





「どうぞ……あら、貴女は」

「先日はありがとうございました」

「月の異変以来ね」



診察室の中に入るように促される。
薬品の臭いが仄かに漂う診察室に入ると、目の前の椅子に座る医師、八意永琳は眉を上げた。

丸い目をジッとこちらに向ける永琳の表情は、果たして私がおんぶされている姿に驚いたものなのだろうか。
どうにも居心地の悪さを抑えきれなくなった私は、美鈴に椅子へと下ろす様に伝えた。
美鈴が後ろに控える中、永琳の診療が開始される。



「……ふむ。 見る限りインフルエンザらしいけど、もう殆ど治っているみたいね。
 だけどまだ感染力や毒素は残っているから、今日一日安静にする事。
 そのまんま里に出られたら私の仕事が増えるし。分かったわね?」

「分からない」

「……この子、相当な頑固者ね」

「ええ、私もそう思います」

「聞こえる話は決して内緒話には成り得ないのよ?」



わざと聞こえる様にひそひそと話をする二人にナイフを投げつけるが、二人とも器用に柄の部分を掴み取り、そのまま懐にしまい込む。
それ中々手に入らないんだから返して欲しいんだけどなぁ。
とりあえず、今の状態でこの二人に逆らってもどうしようも無い事を理解した私は溜め息を一つ吐き、永琳に返答を返した。



「はいはい、分かりました。
 紅魔館に戻ってずっと家の中でダンゴムシやってます。
 これで良いんでしょ?」

「いえ、駄目よ」
「いや、駄目です」

「口を揃えて否定しないで頂戴」


彼女達の口から飛び出した否定の言葉。
ならば私にどうしろというのだろうか? 仕事をしてはいけない。 しかし寝ていてもいけない。
矛盾するこの内容に、私の不満は溜まる一方である。
しかし、私の疑問を抱いていた部分は、酷く的外れである事が永琳の言葉で明らかになった。


「貴女、永遠亭に泊まっていきなさい。
 そのままあの館に戻ったら、貴女は仕事をしてしまうでしょう?
 だから、今日一日ここに入院するの。 分かった?」

「分からな「分かりました」――ちょっと美鈴……っ!?」


私の代わりに返事をした美鈴を見ると、先程紅魔館で投げ飛ばされた時と同じ、冷たく、しかし悲しそうな眼光を私に向けていた。
気が殺がれた私に対し、美鈴はゆっくりと、宥める様に言葉を投げかけてくる。



「いいですか?

 貴女は人間です。
 貴女は病気で死にます。
 貴女は寿命で死にます。
 貴女はお嬢様が右手をゆっくりと振るうだけで死にます。
 貴女は私が軽く殴れば、やっぱり死にます。
 貴女は妖怪じゃありません。
 体の何処かを失っても決して生えてこないし、首だけになっても生きられません。

 そんな弱い人間が、無茶をして寿命を縮めようなんて思わないで下さい。
 いいですね? 次は本気で怒りますよ」


「……わ、分かったわよ」


「うむ、よろしい」


私が返事をすると、彼女は一転笑顔になり、頷いた。
彼女なりに思う事があるのだろう。 有無を言わさぬ美鈴の言葉に、私はただ頷く事しか出来なかった。
その一部始終を見ていた永琳が、やれやれといった表情でこちらを見ている。


「で、入院してく? それとも泊まってく?」

「どっちも同じじゃない。
 しょうがないわね、今日一日ゆっくりしてくわ」

「ええ、ゆっくりしていってね」


永琳が目を細めながら、そう告げた。
それと同時に、後ろの扉が閉まる音が耳に入る。
振り返ると、そこには先程まで後ろに居た筈の美鈴の姿が何処にも無かった。


はあ、やれやれ……
ともかくこうして私の永遠亭へのお泊まり会が幕を開けることになった――








「というわけで、お客さんが泊まっていく事になったわ。
 貴女達、今日一日粗相の無い様にね」

「十六夜咲夜です。 よろしくお願いします」


永琳に案内され通された間は、どうやら兎達の集会場のようだ。
妖怪兎に普通の兎、永遠亭に居る全ての兎が集められたのであろう、みっちりと兎の詰め込まれた部屋の舞台上で兎達全員の視線を一身に受けた私は、挨拶と共に兎達へとお辞儀をする。

それと同時に、室内はワーワーキャーキャーと楽しそうな歓声に包まれた。
どうやらこんな立地条件だと滅多に客が訪れないからだろう。
久々の泊まりがけでの訪問客に、兎達はみんな嬉しそうにピョンピョン飛び跳ねていた。










――五秒後、床が抜けた。















「――ごめんなさいね。 騒がしくして。
   頭痛くない?」

「別の意味で痛いわ……」


あの喧噪から抜け出した私は、外に控えていた鈴仙に寝所へと案内された。
彼女曰く「こうなると思っていたから外で待ってた」らしい。 なるほど、良く出来た兎だ。
鈴仙が用意してくれた服に着替えると、彼女は脱ぎ散らかしたメイド服をきちんと畳んでくれていた。
彼女に礼を言うと、礼を言われる事に慣れていないのだろうか赤らめた笑顔で手を振った鈴仙は「あ、そういえばさっき抜けた床を直しに行かなくっちゃ」と言いながら、慌てて部屋から退出していく。
可愛いわねえ。 うちでも一匹飼おうかしら?


「……はぁ……暇ねえ」


物音一つしない室内で私は横になりながら時間を持て余す。
毎日慌ただしく働いていた私にとって、こういう時間を送る事には全くと言っていいほど慣れていない。
指をクルクルと玩んだり、髪の毛を触って枝毛を見つけたりしていたが、とうとう我慢の限界が訪れた。

鈴仙から渡された和風の服を脱ぐと、いつものメイド服へと着替える為にタンスを空ける。
だが、そこには確かに鈴仙が仕舞った筈のメイド服が、どこにも見当たらなかった。
そこでふと思い当たる。 恐らくこうなる事を予測した永琳の差し金だろう、鈴仙が波長でも弄って私の目の届かない所に置いたに違いない。

私は室内を文字通り手当り次第に探ってみるが、手応え一つ感じる事は無かった。
意地になった私は、なんとしてでもメイド服の居場所を掴もうとし、文字通りに部屋中の引き出しを引っくり返した。


「……あんた何やってんの?」


半裸のまま散々探しまわり、疲れ果て仰向けに息を荒いでいた所に声が掛かる。
後ろを振り向くと、そこには鈴仙とは違う、黒い髪をした妖怪兎、因幡てゐが白い眼で私を見下ろしていた。


「あら、詐欺師さんじゃない」

「何? ここに泥棒に来たの奇術師さん」

「休みに来たのよ。 あんたさっき聞いてたんでしょう?」

「さあね。 私は鳥頭だから」

「鳥なのは数え方だけでしょう。
 丁度良いわ、あんたも服を探すの手伝って頂戴」

「探してもしょうがないと思うけどなぁ~。
 だってさっき鈴仙が外に持って行っちゃってたし」

「……あ」


てゐの言葉を聞き、私は自分の間抜け具合に気が付いた。
それはそうだ。 永琳からの命令を確実に遂行するのならば、わざわざ室内に隠さずとも鈴仙が持って行ってしまえばいいのだ。
病以外の所から来る頭痛に頭を悩ませた私は、それではしょうがないかと先程の服を着直し、部屋から退出した。





「……噂通り、ちょっと抜けてるわね。
   仮にも奇術師を自称するんだったら、もうちょっと人を疑う事を覚えないと。
   まあ、私は兎だけど」




一人残された室内でてゐがそう呟くと、先程咲夜が開け放った障子の表面に軽く触れる。
するとパサリと言う、地面に何かが落ちる音がする。
てゐは何も無い空間からメイド服を拾い上げると、先程咲夜が歩いて行った廊下の果てに向け、ぽつりと言葉を発する。



「ま、ゆっくり休んで頂戴な。 あの調子じゃあ多分無理だろうけど」



そう言うと、てゐは鼻歌混じりのスキップをしながら、長い長い廊下の彼方へと消えて行った――








「――さっき私が言った事、もう忘れたのかしら?」


早速やってしまった。

廊下を歩き回っていると兎達の楽しそうな笑い声が聞こえてきたので、ちょっと興味が湧いた私は顔を覗かせてみたのだ。
すると兎達は嬉しそうに私の手をひっぱり、一緒に遊ぼうと誘ってきた。
どうしたものかと悩んでいた私の顔を見て、私の手を引く子供の妖怪兎が「だめ?」と涙目で聞いてくるのだ。 断れる筈が無いだろう。
結局、私は兎達と共に遊びに興じていた時、その姿を偶然通りがかった永琳に見つかってしまったのだ。


そして今、私は兎達が居る前で永琳に正座させられている。


「貴女はまだ病人なの。 そしてそれを誰かに移してしまう危険性がある。 これはさっきも言ったわね?
 迷惑が掛かるのは貴女だけじゃないの。 それが分からないようなら、今度は部屋ごと空間を隔離するわよ?」

「……ごめんなさい」


しゅんとしながら謝る私の姿を見届けた永琳は、次に兎達へと目を向ける。
瞬間、兎達はビクッと肩を跳ねさせて泣きそうな顔を浮かべ始める。


「貴女達もよ。
 さっき説明した通り、彼女は病人なの。
 無理をさせないで頂戴。 いいわね?」


怒られた兎達は涙目で返事をすると、部屋の端で団子になってしょげてしまう。
ちょっと可愛いなと思い笑顔を浮かべていると、それに気付いた永琳は大げさな溜め息を浮かべて呆れ顔を浮かべる。


「……はぁ。 まあ、たぶん言っても無駄でしょうね。
   しょうがないから、無理しない範囲に歩き回っていてもいいわ」

「あら、本当?」

「ただし、幾つか条件があるわ。
 ひとつ、時を操る能力は一切使わずに過ごすこと。 うちには姫様が居るから、使ったらすぐ分かるわよ?
 ふたつ、外には出ない事。 今の貴女が竹林に出るのは危険すぎるわ。
 そしてみっつめ……


 無理はしないこと。

 これを守れるんだったら、何をしててもいいわ
 さっきはあんな事言ったけど、うちの兎達には感染症のワクチン打ってあるし、気にしないで良いわよ。

 もう一度言うけど、無理はしないこと!」


永琳の話が終わると同時に、兎達は一斉に私の元へと走り寄ってくる。
受け止め損ねて後ろに私が倒れると、永琳は呆れ返りながら兎達の頭にタンコブを残し、部屋を去って行ってしまった。

何はともあれ、これで退屈しのぎができそうだ
涙を流す兎達の頭を撫でてやりながら、さてこれから何をしようかと私は今後の予定を頭に思い浮かべていた。





「――こんにちは」

「あ、こんにちは~!」


自由を貰った私がまず顔を出した所は、永遠亭の調理場だった。
ここでは兎達のご飯を用意しているのだろう。 人参が所狭しと籠に詰められ、割烹着を着た兎達が調理に励んでいた。
辺りを見回し、ここを仕切っているのだろう妖怪兎の元へと足を運ぶ。


「今暇なのよ。 手伝っていっても良いかしら?」

「ええ喜んで~! 今昼食を作ってる最中だったんだけど、丁度兎手が足りなかったのよ。
 猫の手でも借りたいっていうか」

「あら、そう言って貰えると嬉しいですにゃ」

「にゃ~♪」


どうやら気さくな性格の兎のようだ。
猫扱いされ存外悪い気分ではない私は割烹着を借りると、炎と刃の音が支配する戦場へと旅立って行った。







――あれから一時間位だろうか。 もしかしたら二時間は経過したかもしれない。

同じメニューとはいえ大量の料理を作った私の腕は、疲労のせいか小刻みに震えている。
三角巾を手に項垂れる私の肩を、妖怪兎がポンと叩いた。


「お疲れ様~! いや~助かったよ。
 やっぱり人数が多いと大変でさ~」

「そう、毎日こんな感じなの?」

「うん? そりゃあそうよ。
 人間にでも食べられるとたまに減るけど」

「ご馳走様ですわ」

「お粗末様……って、仲間達に失礼ね。
 出来るだけ控えてくれると助かるわ。」

「ええ、これからは善処するわ」

「ありがとう。 はいこれ賄い」

「ありがとう。 じゃ、いただきます」


元気に笑う妖怪兎と食事をしながらの軽い会話を終えると、私は調理場を後にした。
さて、次は何処に行こうか。



考えながら廊下を歩いていると、前方から真っ白な塊がこちらに向かってくるのが目に入る。
目を凝らしてみると、どうやらあれは布団の塊のようだ。
だが、明らかに一匹の兎が持てる限界量を超えている。
私は覚束無い足取りの妖怪兎の元へと走り寄ると、布団を共に支えた。


「大丈夫?」

「あ、ありがとう!
 これ重くて大変だったの!」

「でしょうね。 でも横着しちゃ駄目よ?
 少なくてもいいから、ちゃんと確実に持って行かないと」

「は~い」


布団の半分程を持ってあげ、隣を歩く妖怪兎と話をしながら外へと向かう。
どうやらこれから布団を干すようだ。

……それにしても、時間が遅すぎない?


「まあ気が向いた時に干してる感じだから大丈夫!」


そういう彼女の屈託の無い笑みに、反論をしようと言う気は全く湧いてこない。
これが自分の所のメイドだったら、直ぐさまナイフの錆になっていた事だろう。
庭に辿り着いた私達は、物干竿に布団を干し始める。


「布団を干しましょ縁側に~♪
 叩いて落とそうダニの群れ~♪」

「五人囃子は皆布団叩きでリズムを作っていたのかしら?」


嗚呼、時間を止めながらやれば早く終わるのに……と思いながらもグッと我慢し、歌を唄いながら布団を干す妖怪兎にツッコミを入れつつ、私も布団を干す事に専念していた。
暫くすると他の妖怪兎達もわらわらと布団を持って集まってきて、一斉に布団干しを開始する。
うんしょ、うんしょと背伸びをして布団を掛けていく光景がなんだか微笑ましくて、思わず頬が緩んでしまう。


「どうしたの?」


隣に居た妖怪兎に声を掛けられ、思わずビクリとしてしまう。
なんでもないわよと言葉を繕うと、彼女はふうんと言葉を残して再び布団干しに専念し始める。

危ない危ない、可愛い生き物って怖いわ……
もう兎肉は食べられないなと思いながら自分の分の布団を干し終えた私は、まだそれなりに残っている他の兎達の布団干しを手伝いに向かった。








結局、布団を干し終えたのは日が暮れるか暮れないかと言う時間帯だった。
兎達は布団を干す間にも遊びを始める為、一向に終わる気配が無かった。
実質私一人で干した様なものだ。 これではとてもじゃないが、24時間程度では足りる筈が無い。

結局全ての布団を干す事は出来ず、残った布団を適当な部屋へと集めると、兎達は解散して何処かへ行ってしまった。


なんて大雑把なんだろう、呆れながら兎達の後ろ姿を見届けると、夕日で背が高くなった影が二つに増えている事に気が付く。


「お疲れ様」

「ええ、本当に疲れたわ。 気疲れ。
 全く、いつもこんな感じなの」

「ええ、毎日適当よ。
 じゃないと回らないわよこんな大所帯」

「うちは回してるわ」

「貴女一人で、でしょう?」


隣に並んだ鈴仙にそう言われ、私は言葉に詰まってしまう。
確かに、私は今までの仕事を一人で片づけていたと言っても過言ではない。
そして厳しい規律とお嬢様の持つ圧倒的な力の下、統制を執っていた筈だ。 ……まあ、それも殆ど名前だけだが。


「まあ、あんまり思い詰める必要はないわ。
 寿命の代わりに皺が増えるわよ」

「ああそうね。 今夜は冷えそうだし、共食い鍋でも作ろうかしら」

「ひゃあ~」


声とは裏腹に、鈴仙は楽しそうな笑顔で体を守る素振りを見せる。
その姿に、気が付いたら私も一緒になって笑っていた。





――彼女と談笑していて、ふと気が付いた。

ここは時間の流れがとても穏やかな場所だ。
時間が止まったかの様な、永遠にここに居たいと思わせる不思議な居心地を持つこの屋敷は、ノンビリとした平和主義の兎達にとっては楽園の様な所だろう。
これもこの屋敷の姫の能力なのだろうか?


「きゃあー!?」



そんな事を想像していた私の思考が、竹林より響いた悲鳴に掻き消される。
鈴仙が反応するより早く、私は声の聞こえた方角へと駆け出していた。


「ちょっと待ちなさい! 今のアンタじゃ無理だって!」


後方から追いついた鈴仙の言葉を無視し、竹林へと入り込むとそのまま空へと飛び上がる。
それからものの一分もしない内に、声のした場所へと辿り着いた。


「わ、わたし、たべても、おいしくないよう……」


そこには昼頃に一緒に遊んだ子供兎の姿があった。
岩に背を向けた彼女の視線の先には、イノシシの様な姿をした妖怪が息を荒げていた。
恐らく彼女を捕食するつもりなのだろう。 タイミングを見計らう様な動作を見せている。


「っ! 逃げなさい!」


私が叫ぶと同時に、妖怪は子供兎目掛けて突進を開始する。
まずい、このままでは……!

そう思った時には、既に行動に移っていた。
意識を目一杯まで集中し、時を止める。





――時を操る能力は一切使わずに過ごすこと





永琳が言っていた言葉が脳裏を過る。 だが、構うものか。
今の体調では長い時間を止めることは出来ない。
直ぐさま、彼女を抱え走り出す。
そして時が動き出す頃には、後方から破砕音が聞こえてきた。
恐らく岩が砕けた音だろう。 もし後少しでも遅れていたら……

だが、まだ安心は出来ないようだ。
岩に激突し怒り狂う妖怪は、こちらへと目を向けると再び突進してくる。

先程と同じ様に時を止めようと集中を始めるが、強い目眩に苛まれ、その場に蹲ってしまう。


「大丈夫!?」

「いいから、とっとと逃げなさい!」


子供兎を突き飛ばす。 これで彼女は助かる事だろう。
徐々に大きくなる地響きの音に、私は急激に時間の流れが遅くなる錯覚に陥る。
永遠の姫がどこかでその力を行使しているのだろうか。
コマ送りの様に近づいてくる妖怪を眺めつつ、私の脳裏は回顧を始める。


正直、悔いが無いとは言い切れない。
昔はいつ死んでも良いとは思っていたが、今では守るべきものが沢山できたのだ。

何処か抜けているが、それでもいざという時は頼りになる美鈴。
度々厄介事を引き起こすトラブルメーカーだが、その知識で館を支えるパチュリー様。
勿論、図書館に住む小悪魔や、大勢居る妖精メイド達も、である。

それになにより、お嬢様は私が死ぬ事をお許しにならないだろう。





……やっぱり死にたくない。





意識が現に戻ると同時に私は全神経を集中し、時を止める準備を開始する。
だが、妖怪のスピードは思ったよりも早い。 このままでは到底間に合わないだろう。
そう思い唇を噛み締める。




……不意に、視界がぐにゃりと揺らいだ。




また目眩に襲われたのかと思ったが、次の瞬間にはその考えを改めるに至った。
急に体が揺らぎ始め明後日の方向へと向きを変えた妖怪は、そのまま竹薮に突っ込んで行ってしまう。





それから暫く竹の擦れる音が聞こえる。


そして一発の銃声音。





その後、竹林には笹のざわめき以外、何も聞こえなくなる。
状況を理解した私は、近寄ってくると泣き喚きながら胸に顔を埋める子供兎を宥めつつ、英雄の登場を待ち続けた。



「……ふう。 まあ今夜のおかずは決定ね」



竹林から姿を現したのはやはり鈴仙だった。
恐らく彼女が可視光の波長を捩じ曲げてくれたのだろう。
久々に心からの感謝を告げる為に、こちらへと近づいてくる彼女に声を掛ける。



「ありがとう、助かったわ鈴――」



頬に鈍い痛みが走る。
鈴仙の平手が飛んできたのだと理解したのは、彼女が右手を振り抜いた後を横目で確認してからだった。
頬を抑えながら彼女を仰ぎ見ると、美鈴やお嬢様と同じ眼をこちらに向けている。
彼女は暫く私を睨み付け、口を開く。


「貴女ふざけてんの?」

「……」

「もしも貴女が死んだと分かったら、吸血鬼は怒り狂うでしょうね。
 ここは戦場になるわ。 それが如何なる原因だったとしても。
 いくら師匠や姫様がお強いとは言っても、力の無い兎達はきっと大勢死ぬわ。 
 下手をしたら、貴女の大切に思う紅魔館の人達も。

 貴女、責任取れるの? あの世で皆に謝れる? 罪を償える?
 一体どうやって? 地獄でそれらしい懲罰を受けて?
 死んでから後悔しても遅いのよ。 分かってる?
 答えなさいよ」


激昂する鈴仙の言葉に、子供兎は怯えて後ずさってしまう。
こちらを睨み続ける彼女に対し、私は眼を逸らす事しか出来なかった。


嗚呼、結局自分本位なのは変わっていないじゃないか。
こうやって誰かに優しくしたつもりでも、結局は自分が動く事で周りに与える影響を考えていなかったのだ。

やっと、お嬢様や美鈴の視線の意味が分かった。 私に向けられた言葉の温かさに気が付く事が出来た。
皆、私の独りよがりが原因だったのだ。

私が死んだら、きっとお嬢様は悲しむだろう。 勿論、美鈴もだ。 そしてパチュリー様も、きっと。
何が守るべき者だ。 笑わせる。
実際には、守られていたのはずっと私の方だったのだ。

今だけを見てここまで進んできた私と、私にもしもの事があった場合も見据えた鈴仙。
どちらが皆を大切にしているかは一目瞭然だった。
私を咎める彼女の姿が以前出会った閻魔に被って見えると同時に、その時に告げられた閻魔からの忠告を思い出す。
その言葉の真意を、今になりようやく理解することが出来た。

そして、改めて思ったことがある。








私は、死ぬのが怖い。








「あの……大丈夫?」


怖ず怖ずと近づいてきた子供兎に告げられ、ハッと意識が戻る。
どうやら気付かぬ内に涙を流していたらしい。 頬を何かが伝う感触と、温い滑りが残っている。


「……ええ、大丈夫よ。 ごめんなさいね、怖い思いさせちゃって」

「ううん、お姉ちゃんこそ、ありがとう!」


ペコリと丁寧にお辞儀をした子供兎を優しく撫でてやった。
ついさっきまで泣いていたとは思えない彼女の姿を見て安心すると、ふとある事に気が付く。


「そういえば、鈴仙は?」

「鈴仙様なら、さっきフワっとどっかに消えちゃったよ~」

「……そう」


どうやら気を使ってくれたのだろう。 私は完全で瀟酒の二つ名を彼女に継承しようかなどと考えつつ、スカートに付いた土埃を払いながら立ち上がった。
すると、竹林の囁きに混ざるようなか細い声が何処からとも無く耳に届く。

私はそれにジッと耳を傾ける。





――あの子を助けてくれて、ありがとう





「……どういたしまして。 猪鍋、期待してるからね」


瀟酒な彼女に対し返事をすると、早く早くー、と元気な声をあげる子供兎に手を引かれるまま、私は永遠亭への帰路に着いた――








「ご馳走様でした!」


一斉に揃った兎達の声で、今宵の夕食の時間は終わりを告げる。
結局あの後帰宅した私達に待っていたものは、永琳からのきついお灸であった。

特に私は、本当に此処の姫様には分かるのだろう、無茶をして能力を使った事に関して、そして無謀にも竹林へ飛び込んだ事に関して、再び泣きたくなる位散々に絞られてしまった。


「……罰として、今日はこの部屋で寝る事。
   いいわね?」


そう言って一枚の紙切れを渡された。
どうやらここで一晩を明かせという事なのだろう。

食器を下げた私は、地図で示された部屋の前まで来ると、二の足を踏んだ。
ここってもしかして……


「いらっしゃい。 入ってきて良いわよ」


中から聞こえてきた声に、思わず後ずさりしてしまう。
暫しの躊躇の後、閉じられた襖に手を掛けると、臆せず一気に開け放った。


「今日はお疲れ様。 それじゃあ寝ましょうか。
 さ、寝間着に着替えて着替えて」


私を出迎えたのは、兎柄の刺繍が縫われた紺色のパジャマを着た八意永琳だった。
どうやら彼女は兎が好きなのだろう。 兎の形をあしらった様々なインテリアに、一瞬目を奪われる。


「はい、どうぞ」


そう言って嬉しそうに手渡された寝間着は例に漏れず、やっぱり兎柄の刺繍が縫われたパジャマだった。 しかもピンク色の。


「ちょ、ちょっと恥ずかしいんだけど」

「大丈夫よ。 寝る際に視覚的情報は全て遮断されるから、気にする方がおかしいわ」


そう言うものなのだろうか?
なんだか納得がいかない私は、しかし今日一日の疲れもあるのだろう。
反論する気も起きず、素直にパジャマに袖を通す事にした。




「――で、どうしてこうなるのかしら?」

「ふふ、良いじゃない。 たまにはこういうのも」

「う~ん、良いのかなあ?」



――結局、私は一枚だけ敷かれた布団に永琳と眠る事になってしまった。

恐らくわざとなのだろう。 何故ならこの部屋には布団をもう一枚分引くだけのスペースは十分にある。
なんでこんな事をするのか疑問に思った私は、明かりが消された部屋の中、真横に寝転がる永琳に聞いてみる事にした。


「ねえ、永琳。 なんでこんな――」

「ねえ咲夜。」


だが、結局永琳の声に遮られてしまう。
今日の私の発言権は剥奪されてしまったのだろうか。 そう思い不満そうな顔を浮かべる私に対し、永琳は幼さを感じさせる笑顔で私に話しかけてきた。


「ちょっとこれ、付けて貰っても良い?」

「……は?」


永琳が布団の中から取り出したものは、お饅頭を彷彿とさせるウサ耳と尻尾の2点セットだった。
ていうか、それまさか本物の兎から取ったんじゃないでしょうね?

疑問と羞恥心、永琳に対し二つの感情を抱いた私を気にする事無く、彼女は楽しそうに私の顔を見詰め続けてくる。


「駄目?」

「いや」

「駄目かしら……」

「いやだって」

「……どうしても?」

「うっ」


私が何度も彼女の要求を拒むと、永琳は徐々に顔色を暗くし、遂にはしゅんと捨てられた子犬の様な表情を浮かべてしまった。
その顔で何分もジッと見詰めてくるものだから、ついに私も折れてしまう。


「……ちょ、ちょっとだけ、なら」

「え!? 本当!?」

「嘘」

「…………」

「本当よ本当! だからそんな顔しないでってば」

「うふっ、ありがとう」


全く、何が楽しいんだか……
布団から這い出てウサギなりきりセットを付けた私の事を、永琳は喜色満面の笑みで眺め続ける。


「も、もういいでしょ?
 流石に恥ずかしいわ」

「ええ、ありがとうね」


はあ、やっぱり月人って言うのはよく分からないわ。
耳と尻尾を外した私が再び布団に潜り込むと、永琳は私の頭に手を伸ばし、優しく撫で始めた。


「ふふっ、やっぱり貴女も兎が似合うわね~」

「あら、何点ぐらい?」

「100点くらいよ」

「……そう」


彼女から帰ってきた答案に対し、私は素っ気ない返事を返した。

全く、今日は色んな動物に化ける日だ。
溜め息を一つ吐くと、永琳のニコニコ顔を回避するべく反対側へと体を向き直した。
残念そうな彼女の声が聞こえてきて幾分か気が清々した私は、不意に訪れる沈黙に身を委ねる。


――その沈黙を破ったのは、やはり八意永琳の方からだった。


「……ねえ、咲夜」

「今度は何よ?」

「”お母さん”って呼んでみて?」

「――!?」


心臓が、ドクリと跳ね上がる。
勿論、羞恥という感情が真っ先に沸き上がった。
しかしそれよりも私の心を支配したのは、郷愁の念とでも言うべきものだろうか。

お嬢様にお仕えした時点で過去の出来事は全て忘れ去ると心に決めたが、実際問題、今となっては昔の事など殆ど思い出す事ができない。
そう、実の母親の顔ですら。


そんな所に、急に告げられる永琳からの不思議なお願い。
背中からは、彼女の温もりが伝わってくる。
気が付いたら、私は震える声でその言葉を口にしていた。



「――お母、さん」

「うん。 なあに、咲夜?」

「……お母さん」

「はいはい、なんですか、咲夜?」

「お母さん」

「ここに居ますよ、咲夜」

「――っ! お母さん……!」

「あらあら……
 ふふっ。 泣かないの、咲夜。
 ほら、こっちおいで」


私の中の何かが決壊したのだろう。 溢れ出る感情を抑える事が出来ず、私は永琳の……お母さんの胸の中へと顔を埋めていた。

その後ずっと、お母さんは私の事を抱きしめていてくれた。
今日一日の疲れや、久しぶりに思いきり泣いた所為もあるのだろう。
気が付いた時には、私は暖かい温もりに包まれる中、意識を手放していた――





「……眠っちゃったわね」


目尻に涙を浮かべたまま眠りに入った咲夜を、永琳はぎゅっと抱きしめ続ける。
小さな声で「お母さん……」と呟く咲夜の姿を見て、永琳は彼女の頭を撫でながら母性を感じさせる笑みを浮かべ、彼女を起こさないよう小さな声で呟いた。


「ふふっ、か~わいい♪」








「――昨日はお世話になりました。 それにご迷惑をお掛けして……」

「いいのよ、もう気にしなくて。
 それに、助けて貰ったのはこっちだわ。 こちらこそ、永遠亭を代表して礼を言うわ」

「あら、貴女はいつからそんなに偉くなったのかしら? 鈴仙」

「げげっ、師匠!」


私は永遠亭の門前にて、妖怪兎達の見送りを受けていた。
特に昨日色んな事を話し合った兎達は、号泣しながら私との別れを惜しんでくれている。
もう少し此処に居たいとも思ったが、永遠亭は私の居るべき場所ではない。

私の居るべき場所は紅魔館。 この想いは、永久に変わる事は無い。


「じゃあ、名残惜しいけどこれで。 ありがとうね、皆」


「ばいば~い!」

「また来てね!」

「お姉ちゃん、ありがとー!」


空中へと飛び上がる私に向けて掛けられた声に手を振り、前方を向き直る。
……だけど、まだ昨夜の出来事が私の頭には残っていた。


「咲夜!」


そこに声が放たれる。 体ごと振り向くと、永琳が私に向けて大きく手を振っていた。


「またいらっしゃい! いつでも待ってるわ!」

「ええ、ありがとう、”お母さん”!」


結局永琳は、私の姿が見えなくなるまで手を振り続けていた。

……多分、今回の事は永琳の気紛れなのだろう。
  恐らく次に彼女に会った時には、何食わぬ顔で私に接してくるに違いない。



だけど、少しでも。

ほんの少しでも彼女が本気だった時には、次こそ目一杯甘えてみようと思う。
今度は本当の親子のように。



こうして、私の永遠亭での名前の通り、永遠にも感じられた永い一日は、私の帰宅によって幕を閉じようとしていた。
紅魔館の門前では、紅い髪をした女性がこちらに向けて手を振っている。



――嗚呼、なんでこんなにも懐かしいんだろうか。



私は美鈴に、そして館で私の紅茶を心待ちにしているであろうお嬢様達になんと言って謝ろうかと考えながら、紅魔館の門前へとゆっくりと降り立った――











紅魔館のメイドが帰宅した後、永遠亭にはいつも通りの日常が戻ってきた。
その日の夜、永琳は昨日一日姿を見せなかった蓬莱の姫と共に、縁側で酒を酌み交わしていた。



「……ふふっ、可愛かった♪」

「あっそ」

「あら、拗ねてるの?」

「いえ、別にー」



機嫌が良さそうに杯を傾ける永琳に、輝夜は不満げな返事を返す。
だが、恐らく本当に怒っている訳ではないのだろう。 その証拠に、口元には笑みを浮かべている。



「……子供、欲しいかもしれないわ」

「あら、だったら創る?」

「創るって、どうやって」

「貴女なら簡単でしょう? 適当な男から子種採取して、試験管でこう……」

「輝夜」



輝夜の冗談に対し、永琳は鋭い眼光を向ける。



「……冗談よ。 ごめんなさい」

「全く。 でも、本当。 可愛かったわ」

「あら、それどういう意味で?」

「それはね……こーいう意味でっ!」

「きゃっ!?」



言葉と共に、輝夜の事を思い切り抱きしめる永琳。
楽しそうに戯れる二人の頭上では、僅かに欠けた満月が煌煌と大地を照らし続けていた――





   ~終~
ふぅ、久々に普通の作品書いた気がします。
前作品集での二作は色々アクが強く特殊性が高いものだったので、久々に普通のSSを書くと凄い楽しかったです。

溜まっていたプロットの中でも一番書きたいものがこれでした。
昨日の夜からこつこつ書き続け、閻魔様のパートや咲夜が服を探すパートは余計なんじゃないかな~とか、鈴仙や美鈴熱すぎるかな~とかも思いつつ、色々詰め込んでいって気が付いたら132KBを超えてました。
っていうか、前作と合わせると300KB超……正気の沙汰程面白ければ幸いです。

元は咲夜さんと永琳を親子の様に一緒の布団に寝かせたいと言う願望から始まったお泊まり会でしたが、気が付いたら咲夜さんの生き方を振り返る話しに……

あと、どうも自分は美鈴と咲夜さんと永琳が好きらしい。 それにウサギも。
嗚呼、ウサギって可愛いなぁ。
あと、私の物語に登場する永遠亭がこんなに幸せなのは、きっとてゐの仕業に違いない。 今度見つけたらむぎゅっとしてやる。

では作者の独り言にまで付き合って頂き、誠にありがとうございました。
毛玉おにぎり
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コメント



0.3180簡易評価
2.100名前が無い程度の能力削除
咲夜さんは結局死ぬ人間なのが物悲しい

お母さんで泣いた
5.100煉獄削除
五秒後に床が抜けた、というのが「ニヤリ」と笑みを誘いました。
というか子兎たち可愛すぎですってば!
咲夜さんと戯れる様子も堪らないですよ……。
良いですね、ほのぼのとしてるけど真面目な展開も入っていて
とても面白い作品でした。
7.100名前が無い程度の能力削除
メイドパチュリー
ゆっくりえーりん
猫咲夜
うさくや
えーさく親子
浪漫てんこ盛りだ
10.80名前が無い程度の能力削除
あ、あざとすぎるw
11.80名前が無い程度の能力削除
「お母さん」と言う言葉の連続で、
どれだけの想いが込められてるのかと思うと泣けてくる。
14.100名前が無い程度の能力削除
お母さん永琳がかわいすぎる……!
犬→猫→ウサギの咲夜さんに惚れました
19.100名前が無い程度の能力削除
咲夜さんの生き方と読者の夢がいっぱい詰まったお話だー!
33.無評価毛玉おにぎり削除
>>2.名前が無い程度の能力さん
ですよね……
だからこそ、周りも結構気を使ってると思うんですよ。

>>5.煉獄さん
自分の妄想の丈を全てぶち込みました。
ただ、若干ウサギが出張り過ぎな気もします……
でも敢えて言います。 可愛いは正義だ、と。

>>7.名前が無い程度の能力さん
この作品は自分の好きな物だけ詰め込んだサラダボウルです。
それをこんなに美味しく頂いてくれて嬉しいです。

>>10.名前が無い程度の能力さん
ええ、そんな気がします……
王道展開に次ぐ王道展開。 「誰お前ら?」みたいな。
最初は原作風のサバサバした調子でいくつもりだったのに、キャラが勝手に歩き出して……
もうちょっと、独自性を磨きたいと思います。

>>11.名前が無い程度の能力さん
多分あれだけキツい事の連続だったらああなっちゃうと思うんです。
甘え下手そうですもん、咲夜さん。

>>14.名前が無い程度の能力さん
師匠可愛いよ師匠。
咲夜さんはきっと卯年。

>>19.名前が無い程度の能力さん
ええ、私の夢と妄想の器にてんこ盛りです。
38.100名前が無い程度の能力削除
暖かい気持ちになれました。ぽかぽかです
44.90名前が無い程度の能力削除
『布団を干しましょ縁側に~♪
 叩いて落とそうダニの群れ~♪』
最高です!
47.100名前が無い程度の能力削除
じつにいいeientei
50.90名前が無い程度の能力削除
なんという良いおかん…
51.無評価毛玉おにぎり削除
38.名前が無い程度の能力さん
あ、ありがとうございます。
そう言って頂けるのが一番嬉しいです。
ほのぼのと、とにかくほのぼのと……美鈴と昼寝したい。

44.名前が無い程度の能力さん
今年の雛祭りでは五人囃子に布団叩き持たせておきますね。

47.名前が無い程度の能力さん
ええ、素晴らしきフィ……永遠亭です。

50.名前が無い程度の能力さん
でも永琳は19歳だと思うんですよね。
え、実年齢ですよ?
53.100名前が無い程度の能力削除
一万と19才ですねわかりm(ぴちゅん

それにしても毛玉さんの姫様はかわいいなあ、もう。
55.無評価毛玉おにぎり削除
53.名前が無い程度の能力さん
あの……なんか、矢が刺さってますよ?
まぁ、だって姫様は輝夜姫だもの。 可愛くなきゃ嘘ですよ。
66.100名前が無い程度の能力削除
これは素晴らしい。いい永遠亭でした。
そして。
う……うどんげ……こんなに立派になって……ッ!
69.100名前が無い程度の能力削除
いいです。素晴らしいです。最高です。
なんて素敵なうどんげ、永琳、そして咲夜さん!!
71.100名前が無い程度の能力削除
あったけーなー、この永遠亭。
75.90名無し毛玉削除
永琳ママン! 僕ちんもママンの子だよ! 添い寝してくださ(トスッ