気付けば、一つが欠けていた。
七つあるはずの反応が、六つしかない。
「――ちょっと、魔理沙?」
自分の家の一室にて。
アリス・マーガトロイドは椅子から身を乗り出し、机の上に鎮座する一体の人形に声をかけた。
『おう、どうした?』
間をおかずに、人形から馴染みの声が、魔術を介した通信により多少変質した形で返ってくる。
通信相手である人間――霧雨魔理沙は今、アリスの目の前にあるのと同じ人形を連れ、地底の空を突き進んでいるはずであった。
「どうしたじゃないわよ。あんた、人形は傍にちゃんと八体いる? 七体しかいないんじゃないの?」
『……あ、本当だ。よく判ったなアリス』
これだ。
これだから野良魔法使いは。
アリスは深々と溜め息をつき、装備に対する気配りのなっていないパートナーを心の中で呪った。
『どこかで落としたのかな? まあいいじゃないか、一体くらい』
「よくないわよ。その人形たち、作るのにどれだけ手がかかったと思ってるの? 戻って回収してよ」
『回収って……無茶言うなよ。こうも暗くてだだっ広い洞窟じゃ、探すにしたってなあ』
通信の向こうで魔理沙が渋る。
自業自得でしょうが。アリスはそう言いかけたが、魔理沙の言い分も正しいことは正しい。なにぶん不案内な洞窟の中での事、下手に探し回ったところで時間と労力を空費するのは目に見えている。
「だけど、欠けちゃった人形の分は戦力ダウンになるわけでしょ。この先が辛くなるわよ?」
『なに、七体いれば充分戦えるぜ。なんせ優秀な人形たちだからな』
「そう思うならもっと丁重に扱いなさいよね、もう……」
マスターが一体。
スレーブが七体。
合わせて八体の人形を、アリスは地底探索のため魔理沙に貸し与えた。
マスターは人形の中の司令塔であり、アリスから直接の命令を受けて、それを他のスレーブへと中継する役割を担っている。アリスの手元にある人形はそのマスターと同型のもので、アリスはこの人形を通して数々の命令を発し、魔理沙の周囲の状況を把握し、また他の七体のスレーブを制御していた。
そして、そのアリスに送られてくる制御情報によれば、目下のところ魔理沙側のマスターの傍には、六体の人形しかいないのだった。
「どこではぐれたか、心当たりは無いの?」
『何度か、妖怪相手に派手に飛び回ったからな。その時かもしれんが、それにしたって動いた範囲が広すぎるぜ』
「むぅ」
魔理沙が地底に潜入してからこれまで、しばしば好戦的な妖怪にも遭遇した。
地下という不慣れな戦闘環境の中、支援にあたるアリスもそれなりに忙しく立ち回っていた事もあって、どさくさ紛れに人形の一つを見失ってしまったというのも無理からぬ話ではある。
そう考えてみればアリスにも責任の一端があるわけで、魔理沙ばかりを責めるのも酷かもしれない。
とはいえ、アリスが格別の技術を凝らして作り上げた特別製の人形、このまま失くしておくには惜しい代物であった。
『ところで、人形はお前が遠隔操作できるんじゃなかったのか? それで私の所まで呼び戻すとかさ……』
「直接操れるのはマスターだけなのよ。他の子はマスターを中継して制御してるから、はぐれちゃったら手が出せないわ」
『そりゃ不便なことで。勝手に帰宅する機能でも付けときゃ良かったのに』
「無理ね。戦闘用の人形にそこまで詰め込む余裕ないもの」
淡々と応えながら、アリスは人形に搭載してある種々のギミックについて考えを巡らせた。
実のところ、人形と離れ離れになってしまった時のことを想定した仕掛けが、まったく無いわけではない。ただ、失くした場所が場所だけに、あまり期待ができないのも確かだった。
「まあ、いいわ。あの子を見つける方法は考えておくから、今は先に進んで頂戴。帰りにはちゃんと回収してもらうわよ」
『了解。やれやれだぜ』
投げやりに答えた魔理沙が箒に推力を吹き込み、アリスは七体の人形で陣形を組みなおす。
欠けた一体をどこかへ置き去りにしたまま、人と人形の一団は闇のさらに奥深くへと潜り込んでゆく。
◇ ◇ ◇
『待って魔理沙! 止まって!』
突然だった。
さらにいくつかの戦闘を重ね、調子よく洞窟の攻略を進めていた魔理沙の傍らで、通信用の人形が鋭い声を発した。
「んあ?」
魔理沙は空中で急ブレーキをかけ、今度はなんだよ、と訝る台詞と表情を人形に向ける。
その声も映像も、原理はよく知らないが、アリスの元に届いているはずだった。
『あのね、人形が……』
「人形がどうした? ちゃんと七体あるぜ」
『そうじゃないの。ちょっと待って……えっと…………』
アリスの声が途切れ、なにか込み入った情報を確認しているような気配が通信越しに続く。
魔理沙は腕を組み、周囲に浮かぶ人形たちをひいふうみいと見回して、間違いなく七体いることを確かめた。
そのまましばらく待っていると、ほどなくして人形から『あっ』という小さな呟きが漏れる。
『やっぱり。間違いない』
「だから、なにが?」
『たった今感知したわ。八体目の人形……スレーブの四番が、マスターに近づいてきてる』
「……なんだって?」
腕組みを解き、魔理沙は身を乗り出した。
「あー……なんだ、スレーブの四番ってのは、さっきはぐれた人形のことだな?」
『ええ』
「それがマスターの人形に……つまりはここに接近中だ、と」
『ええ』
「良かったじゃないか。人形の方からこっちを見つけてくれてさ」
『それは、そうなんだけど……』
通信越しのアリスの声には、どこか戸惑いがあった。
「なんか問題でもあるのか?」
『さっきも言ったけど、あの人形には私や仲間の所まで帰投するような能力は無い。それどころか、単独では飛ぶことすらままならないはずよ』
「……ということは、あれか。誰かがその、四番の人形を拾って……」
『そう。魔理沙を追いかけてると考えるのが妥当ね』
なるほど。
状況は理解した。
お嬢さんお待ちなさい、ちょっと――というわけだ。
「だけどまあ、ありがたい事には違いないじゃないか。誰だか知らんが、落とし物をわざわざ届けてくれるんだからな」
『油断しないで。人形を拾ったのは間違いなく地底の妖怪なのよ? 連中が素直にものを返してくれるかどうかは判らないし、魔理沙に危害を加えるつもりで追ってきたのかもしれない』
「ふん。その時はその時、懲らしめて奪い返すだけの話だ。泥棒にはきついお仕置きをくれてやらんとな」
『あんたがそれを言うか』
人形の向こうで、呆れた溜め息。
『……とにかく、気をつけてよ!』
「へいへい」
魔理沙は気楽に応答する。
とにかく人形が無事戻りそうな事に、というか後で人形捜しをやらされずに済みそうな事に、肩の荷が降りた気分だった。
人形を持ってきてくれた親切な誰かさんには、丁重な礼をしなければなるまい。それがどんな形の礼になるかは相手の出方次第だが……。
「それで、相手はどれくらい近くにいるんだ?」
『えっと……相対距離は五十メートルと少し。今もゆっくり近づいてるわ……あっ、五十切った』
もう、姿が見えてもおかしくない距離だった。
魔理沙は照明の魔法を強化し、きょろきょろと辺りを見回す。その間にも、四十八……四十五……と、距離を読み上げるアリスの声が続く。
距離が四十メートルを切ったところで、魔理沙は眉をひそめた。
「……なあアリス、相手の方角は判らないのか?」
『そこまでは、ちょっと。いったんマスターの制御を外れちゃったから、回収して繋ぎなおさないと』
「距離に関しては、間違いないんだろうな?」
『正確なはずよ。ただ、あくまでもマスターとスレーブの相対距離だから、魔理沙から見た距離とは多少の誤差が生じるわけだけど』
「まあ、そんな細かい事は問題じゃないんだが……」
煮え切らない魔理沙の言葉に、アリスの声音が変わる。
『なに? まだ相手を捕捉できないの?』
「ああ。それにな、」
魔理沙は疑念を口にした。
◇ ◇ ◇
「なんですって――?」
予想外の報告に、アリスは思わず椅子から立ち上がりかけた。
魔理沙の言によれば、彼女がいま浮かんでいるのは巨大な風穴の中心であり、最も近い障害物――それもただの岩壁――まで五十メートルはあるというのである。
なのに。
『四方八方、どこを見渡しても妖精一匹いやしない』
「本当に? そっちこそ間違いは無いんでしょうね」
『まあ、距離は目測だから厳密にってわけにはいかないが、それでも四十以下ってことはないぜ』
多分そのとおりなんだろう、とアリスは思う。
弾幕を日常とする少女たちにとって、目視による索敵・測距というのは極めて重要なスキルである。その点において魔理沙の能力に不足のあろうはずがない。
「……」
スレーブの四番が接近中、距離三十五――。
アリスの目の前にある人形は、変わらず反応し続けている。つまり、この人形とシンクロ状態にある魔理沙側のマスターが、今も四番の接近を感知しているということだ。
魔理沙の目が節穴でないのと同様、人形の信頼性についてもアリスは絶対の自信を持っている。両者の情報がともに正しいのだとすれば、答はひとつ。
「……姿の見えない相手?」
『そういうことになるかな。厄介な話だが』
まったくだ。
そこにあるはずの人形までもが姿を消していることを考えると、相手は『生まれつき透明な妖怪』とかそういう類の存在ではなく、明確な意思のもとに姿を消す能力を用い、魔理沙への接近を試みている可能性が高い。
つまりは、敵である可能性がだ。
「少し、人形たちが騒がしくなるわよ――」
『おう』
アリスはマスターに命令、四番との間に結ばれている敵味方識別用の信号を破棄した。接近中の四番を『正体不明の敵』と見なしたマスターが一段上の警戒体制に入り、六体のスレーブが魔理沙の前後左右と上下を固める。
魔理沙もまた、攻撃のための魔力を手元に集中させながら、周囲の闇へと声を張り上げた。
『見えない奴に告ぐ! 動くと撃つ! 今すぐ撃つ! こっちには便利なレーダー係がいるんだ、おとなしく人質を解放して姿を――』
「距離、三十切った!」
魔理沙が撃った。
威嚇射撃のつもりなのだろう、威力は無いが派手に煌めく星型の弾を、全方位へ向けて盲滅法にばらまく。
三十メートル圏内を弾幕で完全に制圧するのはさすがに無理な話だが、隠密を旨とする連中というのはともすれば回避が拙くなりがちなものだ。直撃とまではいかなくとも、至近弾が防御結界に触れて散る火花とか、急激な回避運動に伴って生じる僅かな気配とか、なんらかのリアクションが得られることは十分に期待できた。
色とりどりの星たちが乱舞する中、アリスは魔理沙と背中合わせの位置にマスターを移動させ、感覚器を総動員して異状を探る。
しかし――。
「……距離二十七。魔理沙の射撃に対する反応は感知できなかったわ。そっちは?」
『右に同じだ。くそっ、可愛いげのない相手だな』
「魔理沙、いったんその場を離れた方がいいわ。相手の正体を掴むまでは、一方的に近寄らせるべきじゃない」
『……解ったよ』
心底面白くなさそうに、魔理沙が応える。
彼女の能力も性格も、このような戦い方を得意とするものではないのだろう。
むろんアリスとて、今のこの状況が愉快だなどとはこれっぽっちも思っていない。緊張感を途切れさせない程度に小さく溜め息をつくと、四番との相対距離に注目しながら魔理沙の動きを待つ。敵がどの方角にいるか判らない以上、魔理沙がうっかり相手に近寄ってしまった場合や、逆に離れすぎて四番を見失ってしまいそうな場合、即座にストップをかける必要があった。
一秒。
二秒。
待つが、数値に目立った変化はない。
「……魔理沙、どうしたの? 早く動いてよ」
『あ? とっくに動いてるぜ。天狗も真っ青のスピードでな』
「えっ」
アリスは耳を疑った。
「……もしかして、人形を置き去りにして飛んでる?」
『そんなわけあるか。しっかりみんな一緒にいるさ。またはぐれて文句言われちゃかなわんからな』
馬鹿な――。
しかし、距離以外の情報に目を向けてみれば、確かに七体の人形は皆、魔理沙とともに高速で移動中だった。
にもかかわらず、四番との距離がまるで開かない、ということは、
「魔理沙! 敵はあんたを追ってきてる! 相対距離は変わってな――いや、また縮まった!」
『なんだと――』
初めて、魔理沙の声に明確な焦りの色が混じる。
目を凝らすだけでは捉らえられない――などという能力自体は、幻想郷においてそう珍しいものではない。しかし、魔理沙に喰らいつくだけのスピードを維持しながらなお完璧なレベルで存在を隠蔽し続けるなど、並の妖怪にできる芸当ではなかった。
『これならどうだっ!』
大加速。
魔理沙は見えざる敵を振り切ろうと、起伏の激しい洞窟の中にあっては自殺行為ともいえる機動を敢行する。
急旋回。
螺旋降下。
パートナーであるアリスにすら管制しきれない、目茶苦茶な動き。過大なGに箒の軋む音が通信に混じる。魔法の糸で魔理沙と繋いでいなかったら、人形たちもとっくに振り飛ばされているところだ。
そして――それでもなお、距離はじわりと縮む。
『アリス、後ろだっ!』
直線飛行に戻った魔理沙が箒にしがみつきながら叫び、アリスは直ちにその意図を察して人形に命令を飛ばす――リモートサクリファイス。
しんがりを務めていたスレーブの七番が、その小さな身体に蓄積された魔力を根こそぎ火力に変換し、放たれた真紅のレーザーが背後の空間を獰猛に薙ぎ払う。
相手がどこまでも正確に追随してくるというのなら、そいつは真後ろにいる可能性が高い。魔理沙はおそらくそう考え、アリスはそれに乗ったのだ。魔力を放出しつくした人形はしばらく使いものにならないが、試みる価値はあった。
『やったか……?』
レーザーの放出が終わり、七番の人形が両腕をだらりと下げて休眠状態に入る。
魔理沙がくるりとターンして宙に止まり、アリスもまたマスターからの通信映像を注視する。
レーザーが一掃したその空間に漂うのは、魔力の余波で陽炎のように揺らめく――ただの闇。
それだけだった。
「敵……止まらない! 距離二十!」
『嘘だろ……』
どうなってる。
魔理沙はどうなる。このまま、奴を近づけたら。
刻々と募る焦りの中、アリスは己を叱咤しながら必死で考えを巡らせる。
まだだ。まだ手はある。
相手がここまで迫ってきた、今だからこその切り札が。
「……魔理沙」
マスターを魔理沙の耳元に寄せ、小声で囁く。
ちらりとマスターを一瞥した魔理沙は、内緒話であることを察したらしく、黙って頷いてみせた。
「スレーブを一体、自爆させるわ。爆発の有効半径は二十メートル。見えない相手がどこにいようが、これなら確実に墜とせる」
魔理沙が目を丸くする。
アリスは非常時に備え、八体の人形すべてに強力な爆薬を仕込んでいた。先のレーザー攻撃と違い、自爆した人形は粉々に吹っ飛んで永遠に失われることになるが、その威力は折り紙つきである。
自爆攻撃の提案に、魔理沙はひそひそ声で応じてきた。
『ずいぶん豪気じゃないか。さっきは一体いなくなっただけで大騒ぎしてたのに』
「あ、あのねえ。状況が状況でしょ」
あんたを守るためでしょうが――。
その言葉は胸にしまい、アリスは黙々と人形の安全装置を解除する。
『しかし、半径二十メートルってなあ。私はどうすりゃいいんだよ』
「魔理沙が離脱したら、敵も爆発圏内から逃れるかもしれない。できたらそこにいて欲しいんだけど」
『さらりと凄い事を言うな。お前は……』
「威力はアーティフルサクリファイス級。爆発自体は一瞬だから、そっちも瞬間的に高強度のシールドを張ればしのげるはずよ。どう? 魔理沙ならできるんじゃない?」
『……はっ』
挑発まじりのアリスの台詞に、魔理沙もまた不敵な笑いを漏らす。ちょっと楽しそう。
打つ手があり、そのために全力を傾注する局面というのは、きっと彼女にとって心地よいものなのだ。
『乗ったぜその作戦。そこまで言われちゃあ、やらないわけにもいくまい』
「グッド」
『失敗したら、怨霊と一緒に化けて出てやるからな』
「ええ。期待してるわ」
アリスは静かに人形たちの配置を変え、魔理沙の正面に回った一体、スレーブの二番に小さく手を挙げさせた。こいつを起爆する。
あからさまに秒読みなどすれば、敵に悟られるおそれがある。合図は最低限。二人の呼吸がすべてだった。
『敵はいったい何処にいるんだろうなあ? さっぱり判らなくて手も足も出ないぜー』
かなりわざとらしく、偽装の台詞を吐く魔理沙。
その言葉の裏では、ひそかに防御結界のための魔力を練っているはずだった。
スレーブの二番が正面を見据えたまま、背中に回した右手を広げて魔理沙に示す。五。
「手も足も出ないわねー」
人形が親指を折る。四。
アリスの人形は手足の指だってちゃんと動く。
『困ったぜー』
三。敵は相変わらずのペースでじわじわと近づいてくる。
そうだ。それでいい。
「困ったわねー」
二。必中にして必殺の間合い。
絶対に逃さない。
『さて、見えない敵さんよ、』
一。
決して自爆が本分ではない人形に、アリスは心の中でごめんねと呟いた。
『骨は拾ってやるぜ』
零。
◇ ◇ ◇
爆音。
閃光。
限界までサイズを絞った結界の中で胎児のように身体を丸め、爆発の刹那に飛び込んできた人形たちを胸に抱いて、魔理沙は全神経を防御に集中させる。
魔術精製された火薬の生みだす破壊的なエネルギーが周囲の空間を舐めつくし、強烈な衝撃波が結界もろともに魔理沙を揺さぶって通り過ぎる。
耐え難きをどうやら耐えきったらしい結界は、その一瞬あとに消滅した。
「……おいおい、私はこんな物騒なのをお供にしてたのか……」
洞窟の壁で際限なく反響し続ける轟音の中、自分にすら聞こえない声で魔理沙はぼやく。
おそらくは残りの人形たちも同じ爆弾を抱えているのだろう。そう考えると、今更ながらに背筋の薄ら寒くなる思いだった。
『……りさ……ま…………』
懐の人形から、とぎれとぎれのアリスの声が響く。
爆発の影響で場の魔力が乱れているのか、その通信は乱れていて酷く聞き取り辛かった。
『……まだ……て……』
「おう、私はまだ生きてるぜ。敵さんが何処に吹っ飛んだのかは見逃したけどな」
『……ちが……逃げ……!』
違う――?
墜とした敵が見つからないものかと辺りを睥睨しながら、魔理沙はその切羽詰まったような声に首を傾げる。
案じられているのが魔理沙の安否でないとすれば……。
まさか、と息を飲む魔理沙の耳に、にわかに回復した通信が飛び込んだ。
『逃げて魔理沙! 敵はまだ健在! 距離十二……十!』
「なっ――」
なんだよそれ。
あまりに信じがたいその情報を、魔理沙の理性は拒みかけていた。
爆発の有効半径は二十メートル。敵との相対距離はどう見積もってもそれ以下。相手が見えようが見えまいが、『そこ』にいる限りは絶対に避けようのない一撃だったはずだ。
例えば、どこぞのスキマ妖怪のように別の空間に引っ込んでしまえばレーザーや爆発を回避することもできようが、その場合は人形の反応も一緒に消えるはずである。警戒を続けるアリスがそれを見逃すとは思えない。
「どうして、」
もしかして、自分は既になんらかの攻撃を受けているのだろうか。
敵は初めから姿など消してはおらず、魔理沙の感覚こそがその攻撃によって狂わされているのだとしたら――?
しかし、マスターを通してアリスが把握している情報はどうだ。魔理沙と人形では知覚認識の仕組みがまるで違う。その両者の感覚を同時に、しかも一切の違和感も感じさせずに騙し通すなどということができるものだろうか。
「どうして、どうして……」
わからない。
わからない。
わからない。
その、わからないモノが、確実に、近づいて、くる。
『……距離八! 魔理沙、しっかりしてっ!』
「ひっ――」
尽きせぬ疑念は、ついに恐怖に化けた。
じっとりとした地底の冷気と、底無しの闇。
もはやそれ自体が己を蝕む敵であるように思え、魔理沙は渇いた悲鳴を漏らしながら血走った瞳を四方へ向ける。
本能的に後ずさりをしかけ、しかし敵が後ろにいるかもしれない事を思い出して、身体が凍りつく。
洞窟のただ中に箒で浮いたまま、どこにも動けなくなる。
「や、やだ……やだ…………」
吐き気がする。
体中が震える。
滲む涙で前がよく見えなくなり、恐怖はさらに加速した。
「来るな……やだ……来ないで……!」
目前に迫っているに違いない敵に向かって、箒の先端をやみくもに振り回す。
手近に浮いていた人形をわしづかみにして、何処とも知れぬ虚空へ次々に投げつける。
『落ち着いて魔理沙! 大丈夫だから! 私が守るから!』
人形が何か喚いている。
うるさい。お前に何ができる。
本当に隣にいて欲しい相棒は、遥か遠い地上だ。結局のところアリスの声でしゃべるだけしか能のない人形が、その事実をむしろ冷徹に突きつけてくる。この益体もない悪魔……!
「た、助けて……アリス……助けて、よ…………」
『魔理沙ぁっ!』
◇ ◇ ◇
自分だけは安全地帯にいるという、残酷な幸運。
魔理沙を地底に遣わした張本人として、なんとしても彼女を守るという使命感。
その二つが、アリスの精神を恐慌状態の一歩手前で踏み留まらせていた。
「絶対に、魔理沙には、指一本触れさせない……!」
錯乱した魔理沙に放り投げられ、あるいは払い飛ばされた人形たち。それらをどうにか呼び集めて、防衛のための陣を修復する。
敵までの距離は五メートル。それ以外に検知できる情報は依然として皆無――。
上等だ。
「来るなら、来ればいいわ……」
心を鬼にして、魔理沙の悲壮な呻き声を頭から追い出し、アリスは凍りついた剣のごとく思考を研ぎ澄ませる。
相手がどんな奴だろうが、魔理沙に攻撃をかけるその瞬間には、必ず何らかの変化を示すはずだ。そこを叩けば、こちらが勝つ。
マスターと全スレーブに命令、暴れる魔理沙を傷つけないよう注意しながら、近接戦闘用の剣や槍を取り出して構えさせる。それぞれの人形と魔理沙を繋いでいる見えない糸だって、いざという時に魔力を注げば敵を拘束する立派な武器になるのだ。
「七色の人形遣いを、なめるんじゃないわよ」
そうとも。
このアリス・マーガトロイド、奥の手は見せないのが信条なればこそ、見せられる手は無限にある。
距離三。お前は飛んで火に入る夏の虫だ。拾った人形などを後生大事に抱えていたのが運の尽きだ。こちらが正確な距離を把握している以上、総攻撃のタイミングに狂いは、
「――――……」
ふと、アリスの脳裡を小さな違和感がよぎった。
距離二――。
アリスの眼前に座る人形は確かに、スレーブの四番が至近にいるという情報を発信し続けている。
この人形と魔理沙側のマスターは双子のようなもので、両者は完全に同じ機能を持ち、同期状態にあっては同じ挙動を示す。
だから、この人形が今も警戒警報を発している以上、マスターと共にいる魔理沙に何者かが迫っているのは、疑いようのない事実なのだ。
そう、思っていた。
同じ機能……。
同じ挙動……。
アリスの中で、ある考えが次第に形を成してくる。
仮に。仮にだ。
同期状態にある以上、この人形がアリスに教えてくれるのは魔理沙側の情報なのだ――という、それが思い込みだったとしたら。
この人形が見せている警戒反応が、魔理沙側のマスターとの同期によるものではなく、これ自身の機能によるものだとしたら。
今、スレーブの四番が、他ならぬ『この人形』の近くにいるのだとしたら――?
「――ッ――!!」
弾かれたように振り返る。
右。
左。
後ろ。
なにもいない。
部屋の中にだって、異状は、
窓が開いていた。
閉め忘れた?
だが今は冬だ。開けっ放しになっていたのなら寒さで気付く。
そう、例えば、つい今しがた開けられたのでない限りは。
――ことんっ。
手元で小さな音。
ひっ、と引き攣った声と息を漏らし、アリスは全身を総毛立たせて机に向き直る。
「……あっ……」
距離、零――。
鎮座する人形の声なき声が、アリスにそう告げる。
そのすぐ隣には、別の人形が――アリスが見紛うはずもないスレーブの四番が、手足を無軌道に投げ出して転がっていた。
まるで、天井あたりから落とされでもしたかのように。
「……あ……あ、あ…………!」
アリスは、震える瞳で、上を、
『それ』を見た。
「魔理――」
◇ ◇ ◇
がっ、という鈍い衝撃音が人形から響く。
混乱の渦中にいる魔理沙の耳にも届くほどの、大きな音だった。
「!?」
刹那、己の状況を忘れた魔理沙が、食い入るように人形を見つめる。
次に聞こえてきたのは、ぐぅっ、という濁った呻き声。
アリスの声だった。
「……ア、アリス……?」
応答は無い。
音も声も、それっきり止んでしまった。
次の瞬間、マスターを含めた全ての人形が一瞬びくん、と痙攣した。その頭部と四肢がだらりと垂れ下がり、彼女らの手にしていた武器がぽろぽろと落ちてゆく。
あとは、もう、ぴくりとも動かない。
糸の切れた操り人形のように。
「アリス……おい、アリス! どうしたんだよ!? 返事しろっ!!」
人形を乱暴に掴んで怒鳴りつけても、その頭はぐらぐらと揺れるばかりでうんともすんとも言わない。
もはや、人形自体が通信の役を果たしていないことは明らかだった。
「なんだよ。何があったんだよ……」
確かなのは、少なくとも『何か』がアリスの身に起こったということ。
そして、その結果としてアリスは人形を操れる状態ではなくなったのだということだ。
「………………アリス」
闇の中に一人。
迫っているはずの敵。
そして今、頼みの綱のパートナーは沈黙した。
泣くか笑うか卒倒するか、あるいは発狂するあたりが妥当な人間の反応かもしれない。
しかしこの時、なにかのメーターを振り切った魔理沙の胸に去来したのは、不思議なほどの落ち着きと、圧倒的な闘志だった。
アリス、ともう一度、動かぬ人形に魔理沙は語りかける。
我が身の恐怖は、何処かへ消えた。
見えない敵なんか、いないのと同じだ。なにせ見えないんだから。
「待ってろ」
戻らなければならない。
地上へ。
相棒のもとへ。
「見えない敵に告ぐ!」
胸を反らして、声を張り上げる。
ふがいなくも萎縮していた魔理沙の精神が、にわかに凶暴な行動力を取り戻す。
「邪魔するなら……轢き潰すぞぉ――――――っ!!」
地獄の底まで届きそうな怒号とともに、魔理沙は地底の闇を蹴散らして飛翔した。
◆
「ちょっと魔理沙! いちいち鍵壊さないで、ベルくらい鳴らしなさいよね!」
「……」
鬼気迫る勢いで、マーガトロイド邸の玄関をぶち破った魔理沙。
その魔理沙を迎えたのは、どう見ても普通に無事な相棒の姿だった。
「ちょっ……あれ? えっ、おま、無事、」
「日本語でいいのよ。魔理沙」
呆気にとられて口をぱくぱくさせる魔理沙を、アリスは相変わらずの澄ました様子で見下ろす。
さっぱり事態を把握できていない魔理沙の鼻を、ふわりといい香りが刺激した。
紅茶と、なにか甘い菓子の香り。
アリスの家では嗅ぎ慣れた、優雅なティータイムの香りだ。
「……」
なにがどうなっているのかはさっぱり解らないが、とにかく今はなんら剣呑な状況ではないらしい。
拍子抜けした魔理沙の全身からたちまち力が抜け、へなへなぺたんとその場に座り込む。
「……アリス」
「ん?」
「私にもお茶くれ」
「手を洗ってね」
都会派魔法使いのスマートな笑みを前に、魔理沙はようやく安堵の溜め息をつくのだった。
まずはアリスの紅茶を一杯、話はそれからでいい――。
◆
ダイニングの椅子には、先客がついていた。
妖怪と思しき一人の小柄な少女が、テーブルの上の大皿に山盛りになっているクッキーを、幸せそうに頬張っていたのである。
その特徴的な風体に、魔理沙は確かな見覚えがあった。なにしろ少女は桶入りだった。少女が椅子に座っているというよりは、少女入りの桶が椅子の上に置いてあると言った方がいいかもしれない。
そして、魔理沙が地底で彼女と遭い、戦ったのは、つい先程の話なのである。
「こいつは……」
桶入り少女は、闖入者である魔理沙にいくばくかの注意を払いながらも、すぐまたクッキーの消費に没頭しはじめる。どうやら今は人間を襲うどころではないらしい。
さしあたりこの妖怪に対する警戒を解き、次いで魔理沙はテーブルの隅に視線を巡らせる。
どこかで見たような人形が一つ、そこに置かれているのが目に入り、魔理沙は一瞬表情を凍らせた。
「あー、あのね? 魔理沙」
人形を見て立ちすくむ魔理沙の背中から、アリスが気まずそうな声を掛けてくる。
「その、『見えない敵』の正体なんだけど、ね?」
「……ああ、なんとなく解ったよ。たった今な……」
二度目の脱力感に襲われながら、魔理沙は絞り出すように応えた。
テーブルの上に転がっている人形は、地底で魔理沙が連れていたのと同じものだった。魔理沙の目には個々の人形の区別はつかないが、おそらくこれが行方不明になっていた四番とやらなのだろう。
そうと解れば、あとは簡単だった。魔理沙はすぐに悟った。どんな攻撃をもってしても捉らえられなかった『敵』の正体を。
まったく馬鹿らしい話である。なす術もなく相手の接近を許していたのは、魔理沙ではなくアリスの方だったのだ。
「幽霊の正体なんて、こんなもんかねえ」
「ごめんね。私の勘違いで……。怖かったでしょう?」
あっずるい、と魔理沙は思った。
かくなる上はアリスの責任をとことん追求してやろうと思っていたところなのに、そんな言い方をされたら『別に怖くなんかなかった』と答えるしかないではないか。
「べ、別に怖くなんかなかったぜ」
「そう? なら良かった」
……ずるい。
「で、この妖怪桶入り娘はどうしてここでお茶なんか飲んでるんだ? 通信が切れたあの時に一体なにがあった? そもそもこいつはどうやってこの家を突き止めたんだ?」
「ああ、そんなに一度に訊かないで」
ちゃんと説明するから、と魔理沙を制し、アリスがテーブルの上の人形を手に取る。
よくよく見てみると、人形の胸の上には小さな巻き紙のようなものがあった。
アリスはそれを指して、
「これ、この子に持たせてたものなんだけど」
「うん」
「迷子札なのよ」
「……は? 迷子札? というと、里の小さい子供なんかが首から下げてる……」
「そう。それと全く同じものよ」
アリスが巻き紙を手に取り、くるくると広げて魔理沙に示す。
紙には、アリスの流麗な字体でマーガトロイド邸の場所が綴ってあり、最後に次のような言葉が添えられていた。
『届けて下さった方、お礼いたします。アリス・マーガトロイド――』
「お前、こんなの人形に持たせてるのかよ」
「ええ。普段は懐に忍ばせてあるんだけどね。術者とはぐれて魔力が切れそうになったら、機能停止の直前にこれを手に取るようになってるわけ。人形を見つけた人の目にとまりやすいようにね」
「はぁ」
たかが人形にそこまでするか。
魔理沙は今更ながら、アリスの人形に対する過保護っぷりを思い知る。
「それじゃあこの桶入りは、私が落とした人形を拾って、この紙切れを見て、それでここまで届けに来てくれたってことか?」
「ええ。それで今はお礼のおもてなし中ってわけ」
アリスが小さく指を動かすと、台所の方から、それぞれに白い陶器のポットを抱えた上海人形と蓬莱人形が飛んできた。二体はテーブルに降り立つと、桶娘の目の前に置かれたカップに湯気の立つ紅茶とミルクをたっぷりと注ぐ。
少女は満面の笑みでさっそくカップに口をつけたかと思うと、熱さに驚いてぴょこんと跳ねた。
「それにしても、結果オーライとはいえ、地底に連れてく人形にまでよくそんなものを持たせてたもんだな。役に立つと思ってたのか?」
「期待はしてなかったのよ。本来は上海や蓬莱に持たせるためのものだし」
ミルクティーをふーふーする少女の頭を、アリスが愛しげに撫でる。
「でも、地底の妖怪なんてろくなもんじゃないと思ってたけど、こんなにいい子もいるのね」
「ああそうかい」
あれ? そういえば――。
まだ一つ残っていた疑問に、魔理沙は思い当たった。
「なあ、こいつはただ落とし物を届けにきたんだろ。だとすると、さっきのあれはなんだったんだ? いきなり物音がして通信が切れた――」
「ああ。それは、この子が降ってきたから」
「へ?」
「この子が天井から頭の上に落っこちてきて、私、しばらく気絶してたから」
「……なんで落ちてくるの?」
「さあ? そういう妖怪だからでしょ。この子にとってはそれが挨拶みたいなものらしいわよ」
「それで済ますのかよ。よくもまあ、もてなす気になったもんだな」
「まあね。結局は親切でここまで来てくれたわけだし、害意がないことはすぐに判ったから」
アリスが、ときおり人形に対してそうするように、妖怪少女の小さな身体を後ろから抱きすくめた。少女はちょっとくすぐったそうに身をよじりながら、しかし満更でもない様子で目を細めている。
この人形遣い、普段はなにかとドライなくせに、ちっちゃくて可愛いものには結構甘いのである。
ご満悦の様子のアリスに、魔理沙はやれやれと大袈裟に肩をすくめてみせた。
「まったく、こんなことならわざわざ引き返してくるんじゃなかったぜ。結構深くまで潜ってたのが無駄足になっちまった」
「……むっ」
魔理沙の物言いに、アリスもアリスで思い出したように眉をひそめる。
「それはこっちの台詞よ。私、目が覚めてすぐに通信を再開して、何度も魔理沙に呼び掛けたのよ? なのにあんたってば全然応答しな……あぁ――――っ!?」
「な、なんだよ」
いきなりアリスが素っ頓狂な声を上げた。
その腕に抱かれたままの少女が、びくんと震える。
「あんたっ、人形たちは!?」
「……へっ?」
「へっ、じゃないでしょ! 自爆した二番とそこの四番を除いてあと六体、あんたが連れてるはずでしょう! 何処にいるのよ!?」
「……」
えーと。
魔理沙は周囲を見渡す。さっきまで冒険を共にしていた人形たちの姿はない。
ぱたぱたと懐を探る。悲しいかな何も手応えがない。くそう、霊夢だってもう少しは……いや、今は考えずにおこう。
帽子を持ち上げてみる。地底で見つけた変なキノコが出てきた。後で実験に使うつもりで採ってきたやつだ。まあこれは置いといて。
ドロワーズの中。綺麗さっぱりなにもない。ちくしょう咲夜め、この前温泉で一緒になったときの憐れむような目つきが忘れ……いやいや今は忘れておこう。
さて、結論。
人形は何処か。
「……どこかに落としてきちゃった」
「ばか――――――っ!!」
七色の怒号が響いた。
頭上で吠えるアリスを見上げ、にわかにオロオロし始める桶娘。
「せっかく、せっかくこの子のお陰で迷子が無事に戻ってきたっていうのに、他の人形ぜんぶ失くしてどうするのよ!? 大赤字もいいとこじゃない、ばかぁっ!!」
『バカジャネーノ?』
「上海までっ!? あ、あのなあ、いきなり通信もサポートも無くなったんだぞ! 糸の切れた人形六体も抱えて飛ぶのがどれだけ大変か解ってんのか!?」
「うっ。それは……」
「そもそも、お前が最初に変な勘違いするからこんなよくわからん事態になったんだろうが! 頭の上に落ちてくるまで相手に気付かないなんて馬鹿かっ!!」
『バカジャネーノ?』
「だっ、だから、通信さえできればそういう事態も簡単に収拾できたんでしょうに! そのための装備を真っ先に手放してどうするのよ!? あと上海うるさい!」
ヒートアップする罵倒の応酬。
自分が悪者になって二人の喧嘩をおさめようという上海人形のもくろみは失敗に終わった。
蓬莱人形は付き合いきれないとばかりに悠々と首を吊っている。
桶娘涙目。
「ふ――――っ!!」
「しゃ――――っ!!」
アリスの蹴りが出るか。
魔理沙の尻が跳ぶか。
一触即発の雰囲気で魔法使い二人が睨み合う。
しかしその時、張り詰めた空気を不意に破るものがあった。
ちりんちりん、という玄関のベルの音である。
◇ ◇ ◇
「……はーい?」
妙なタイミングで来客があったものだ。
ふん、と魔理沙に一瞥をくれてひとまず休戦とし、アリスは来客用の声で返事をしながらドアに駆け寄った。
扉を控えめに開けて、外を覗く。
「どなたです、か……? あっ」
「やあ」
こいつは――。
玄関先に立ち、アリスを見るなりにこやかに手を挙げてみせたその人物を、アリスは間接的にではあるが見知っていた。
そう、いま家の中にいる桶入り娘と同じく、魔理沙が地底に侵入してまもなく遭遇した妖怪。確か、
「あなたは……魔理沙と戦った土蜘蛛の……?」
「おっ、よく判るね。いかにも、私は土蜘蛛の黒谷ヤマメ」
土蜘蛛――ヤマメは丸みのあるスカートの端をつまんで朗らかに会釈し、興味深そうにアリスを見つめ返してくる。
「初対面のはずなのにそれを知ってるってことは、やっぱりあの魔法使い、一人で戦ってたわけじゃなかったんだね。この人形があんたの目になってたってことかな?」
「……人形? あっ、それ……」
ぺらぺらとしゃべりながらヤマメが取り出してみせたのは、一体の人形。
間違いない。ついさっき魔理沙が落としたと言っていた、六体の人形のうちの一つだった。
「気がついたら、私の巣に引っ掛かってたんだよ。これ、あんたのでしょ?」
「えっ? ええ。あの、」
「はい、どうぞ」
ヤマメは気さくな笑みを浮かべて人形を差し出す。
予期せぬ来訪者と人形の帰還にいささか戸惑いながらも、とにかくアリスはそれを受け取った。
「えっと、その……ありがとう。わざわざ、こんな所まで」
「いいってことよ! その人形には私も結構楽しませてもらったしね。大事にしてやんな」
地底妖怪のイメージとは程遠い、ころころと明るい笑い声をあげながら、ヤマメがアリスの肩を叩く。
なにはともあれ、大切な物が無事に戻ってきたのである。アリスは愛情を込めて人形を抱きしめながら、さてと考える。残りの五体はどうしたものか――。
「はい、到着ー」
視界の外から聞こえてきた、土蜘蛛とはまた別の楽しげな声が、アリスの思考を中断させた。
顔を上げると、そこには猫の耳と二又の尻尾を持った妖獣とおぼしき少女が、重たそうな手押し車を携えて立っていた。
「いやあ、たまには死体以外を運ぶってのもいいもんだね。もっと立派な魂が身についたらまたおいで、お人形さん。そん時にゃ、あたいが素敵な地獄巡りを案内してあげるよ」
少女が人懐っこい口調で語りかけながら手押し車から降ろしたのは、これまた紛れもなく魔理沙が連れていた人形の一つ。
どうやらこの猫娘、ヤマメと同じように人形を拾ってここまで来たらしい。とすると、彼女もまた地底の妖怪なのだろうか――?
そんなことを考えるアリスに、猫娘は弾むような足どりで寄ってきた。
「こんにちは、綺麗なお姉さん!」
「は、はろー」
「お姉さん、この人形の御主人かい?」
「ら、らじゃー」
「それじゃあ感動の主従ご対面だ! さあさあ、受け取っておくれ!」
気圧されっぱなしで混乱気味のアリスは、猫娘に言われるがまま手を差し出し、乗せられた人形をしげしげと眺める。
桶入り娘から数えて、これで三つ。立て続けに地底妖怪の親切に恵まれ、アリスの中で一つの認識が変わりつつあった。
地底の住人って、もしかして意外と、
「よう、落としモンだよ! 酒呑みながら歩いてたら、いつのまにか角の先に引っ掛かってたんだ」
「こんにちは。妹があなたの人形を拾いましてね。可愛い人形だから持ち主に興味があると……」
「初めまして! うわぁ、お洒落で素敵な家ね。ねえねえ、この人形ってあなたが作ったの?」
「妬ましいわ、人形のくせにここまで大事にされてるなんて……。あなたが持ち主? ちょっと妬み言を聞いてもらうわよ」
「近いうちに地上を焼き尽くすので、下見のついでに届けものに来ました!」
とかなんとか考えている間に、来るわ来るわ。
見たことある妖怪もない妖怪も、手に手に人形を持ってぞろぞろと。
気付けば、生き残りの人形すべてが再集結を果たしていた。
「なんだなんだ、今日はずいぶんと客が多いな」
魔理沙までもが、玄関からひょっこり顔を出す。
マーガトロイド邸の庭はすっかり賑やかになっていた。
やあやあよく来たな――魔理沙がまるでこの家の主人であるかのように来訪者たちと挨拶を交わし、しまいには「こりゃあ宴会だな」などと言い出す。それを聞いた一部の妖怪たちが、また余計に盛り上がる。
勝手な事を。
でも、それもいいかもしれない。
人形の恩人たちを見渡しながら、さてどんなお茶を振る舞ってやろうか――とアリスは算段し始めていた。
お母さん。
地底は、いい人たちばかりでした。
~完~
けど、最後で十分和めました。ちょっとお空何やってんのwww
ただ、最後の五人出てくるところの三番目がわからなかったのですが……こいし?
そして二人の魔法使いの友情に萌へた。
アリスの人形への愛情にも萌へた。
なんて萌え萌えなSSだろうか。
こ、怖くなんてなかったんだからね!
アリスが格好良過ぎて株が上がりました
どうしてくれる!
お空の台詞がツボに
余分なものをそぎ落として、全体的にスッキリしてました。読み終わってもスッキリ。
お話全体の柔らかい雰囲気がとても好きです。
いや、面白かったですよ。
キスメがやってきた後の人形を拾ってきた地霊殿の面々など
なんとも和みました。
光学迷彩なにとりが拾って届けようとしてるのかと思った。
アリスかっこいい。
後半の雰囲気にホッとしました。
何だろうと思って読み進めたら、そういうことかー。いい展開でした。
あとがきの最後で+10点。
オチもグッド。
会話を見るに二人とも素直じゃないっすね。
すらすら読めてよかったです
面白かったとしか言い様がないです。
この作品は見事にそれだったぜw
いいエンタテイメントでした。
楽しませていただきました。
ゾクゾクハラハラしながら読ませていただきました。
あー緊張した。
……待て、最終的にGOOD ENDな上にEXまでクリアしているだと……!?
ちょっと高速移動しながらボム連発してくる!
仕掛けは優秀 オチはあったかい
良い物読んだ
ドキドキあり、ゾクゾクあり、ニヤニヤあり。
構成も美しいし、文章も勢いがあって読みやすいし。
素晴らしかったです。
てか宴会の前に物騒なこと言ってるおくうを止めろw
で、「魔理沙の為なら大切な人形でも自爆させるアリス」と「アリスの危機と思い込んだ瞬間にエンジンが全開になる魔理沙」という素敵なクライマックスを挟んで、実は親切な地底の妖怪によるほのぼの系のエピローグとはっ!
ダメ押しに、(本文でも垣間見えていましたが)後書きで二人のツンデレ・バカップルぶり‥もう爆笑というかくすぐったいといおうか。
素晴らしいサービス精神と軸をずらす事のない折り目正しい人物描写。そしてそれを心地よく読める文章で表現できる筆力。
読む事でこんなに幸せになれる物語はやはり稀少です。素晴らしい作品をありがとうございました。
桶娘かわゆい
それにしてもアリスも魔理沙も気合が見事にからぶってますなw
二番無駄死にw
ナイス地霊殿
ほんわかラストで最高でした。
ただ前半の緊張感に対して後半があっさりしすぎてバランスが悪いように感じました
あと、キスメが可愛すぎ。
途中読むのを一時中断しかけましたが、きっと最後はほのぼのオチだと信じて読み切った甲斐がありました
ホラー風味だと知らずに読み始めたものだから、どんどん恐怖の世界に引きづり込まれる感覚に思わずぞくぞくしました。
そして大団円。
完全ホラーでもいいけど、こういう終わり方はほっとするね。
地底は、いい人たちばかりでした。
ハラハラしながら読ませていただきました。
あと、キスメでテンション上がりました。
なるほど、つまり魔理沙はまだ生えて無(マスタースパーク)
情感あふれる人形の話もいいけど、人形が機械的に規律正しい役目を担うこんな話もとても面白いです。
いやー、もう、本当にねぇ、緊迫感がふっ飛んだねぇ、清々しいくらいに。
お見事なお手前で。
しかもさらに! 魔理沙が忘れてきた他の人形達のお届け連発……!!
地底の方々は本当にいい人ばっかりですわ。
最初のホラームードとのギャップで、いっそうスカッと爽やかな気分で笑えました。
こういう温かい雰囲気はいいですねえ