それは、星々さえも凍えてしまいそうな夜だった。
幻想郷の冬は、外の世界と比べていっそう厳しく感じられる。特にここ守矢神社は山の上に位置しているために、夜間は身を刺すように冷え込んでしまう。
そんな中、私は灯かりを1つ手にし、身体を震わせながら境内の見回りを行なっていた。
新年を迎え、我が守矢神社には沢山の参拝客が訪れていた。
妖怪の山にお住まいの河童や天狗の方々が元日から大挙して押し寄せ、私はもちろん、神奈子様や諏訪子様も嬉しい悲鳴を上げていた。
客足は3日である今日も途絶えることなく、最後の参拝客が帰っていった時にはすっかり日も暮れていて。
その後も後片付けや明日の準備に追われ、1日の締めくくりとなる境内の見回りを始める頃には、既に夜の10時を回っているのだった。
それにしても寒い。と、白い息を吐き出しながら思う。
見上げれば、雲はひとかけらも見当たらない。無限の星をちりばめた夜空が視界いっぱいに広がっていた。
星空鑑賞にはうってつけの空模様。しかし今は、そんな天気が残念で仕方がない。
なぜなら、雲がなければ放射冷却によって余計に冷え込みが進んでしまうのだから。
三が日は今日で終わったのだけれども、それで初詣客が途絶えるという訳でもない。
明日も、それなりの数の参拝客が見込まれる。ならば見回りは早めに切り上げて、明日に備えて休んだ方がいいだろう。
そう思って、私は最後に一瞥する意味で、参道の方に目を向けた。
「……で、何で貴方たちがここにいるのですか?」
「新年初顔合わせだというのに、随分なご挨拶だな」
「それはまあ、相手が魔理沙なら仕方がないんじゃない?」
参道に立っていたのは、いつもの2人、霊夢さんと魔理沙さんだった。
まあいつものとは言っても、こうして守矢神社までやって来るのは珍しいことだった。何せ、普通に来ようとすればまず妖怪たちに山への立ち入りを拒否されるからだ。
「それで、一体どういうご用件です? こんな時間に」
新年の挨拶はそこそこに済ませ、私は目の前の2人に訊ねた。大晦日の夜ならともかく、常識的に考えれば誰かを訪ねるような時間ではない。
ついでに言えば、彼女たちが参拝目的で守矢神社に訪れることはまず考えられない。ならば別の用事があるのだろう。
「まあ、ちょっとした遊びの誘いみたいなもんだ」
「遊び? こんな時間にですか?」
「ああ、夜にしか出来ない遊びだからな。夜遊びってやつだ」
魔理沙さんがニヤリと笑いながら言った。そろそろ付き合いも長くなって来たから、その表情の意図も何となく分かるようになってしまう。
だから私はあえて、
「星空鑑賞ですね、分かります」
「……よく分かったな」
からかいには乗らず、正答を言い当ててやった。
星々が綺麗に瞬くこんな時間に、魔理沙さんがメインっぽい様子でやって来たのなら、何となく察しもつくというものだ。彼女の星好きはよく知っている。
こうしてわざわざ私を誘ったのも、私も星を見立てた弾幕を扱っているからだろう。ヒントは十分に揃っていた。
もっとも実際のところは、さっきたまたま満天の星空を目にしたから、そんな予想が立っただけなのだけど。
「ただ、星空鑑賞と言っても、今日はちょっと趣向が違うんだぜ」
「じゃあ、何ですか?」
言い当てられてひるむかと思ったが、それでも魔理沙さんはいつも通りの得意げな調子を崩さなかった。
それ以上は私にも分からず、訊ねるしかなかった。
「流星祈願会、だぜ」
「流星……?」
それは単なる星空鑑賞ではなく、流れ星を見る集まりらしい。それも、“祈願”なんて言葉が付いているあたり、本当にお願いごともするようだった。
「そう。で、お前は流れ星を見たことはあるのか?」
流れ星、か。
もう10年近く前になるか。私がまだ小学生の頃に、沢山の流れ星が見られるということでニュースになったことがある。確か、しし座流星群だったと思う。
その時に、私はいくつかの流れ星を目にした。初めて見る流れ星に強く胸が高鳴ったのを覚えている。
まだ子供だった私は早々と眠気に負けてしまったけれど、夜明けまで見ていた人は、100をゆうに超える数の流れ星を数えることが出来たという。
私の流れ星に関する思い出は、今のところそれだけだった。要するに、その時以降、流れ星は見ていない。
「昔にちょっとだけ、見たことがあります」
「そうか。なら一緒に久し振りの流星鑑賞といこうじゃないか」
魔理沙さんはすっかり私を連れて行くつもりのようだった。
そうやって、友達のように私を誘ってくれるのはとても嬉しい。
けれど、私は明日もここで巫女としての仕事がある。深夜にも及ぶであろう流星鑑賞に興じていては、明日の仕事に支障をきたしてしまう。
「でも私は明日も……」
「ああ、ちなみに神社の仕事なら大丈夫だ。もう神奈子からはオーケーの返事を貰ってる。お前は明日は休んでいいってさ」
「いつの間に?」
「ここに来る前、博麗神社にある分社から」
妙なところで手回しがいいものだ。と言うか分社の使い方としてこれはどうなのだろうか。
既に交渉が成されていたのなら、神奈子様も何か一言おっしゃって下さってもいいのに。
「そんな訳なんだが、どうだ? 今日は沢山見られるらしいぜ」
「沢山、ですか」
「ああ、沢山だ」
魔理沙さんの表情は、寒さなど微塵も感じていないかのように生き生きとしている。それだけ、流星鑑賞を楽しみにしているのだろう。
私としても、沢山の流れ星が見られるのなら、それを断る理由はなかった。
何より、そうして楽しげに流れ星を待ちわびる魔理沙さんを見ていると、自然、それに付き合いたくなってくる。
性格面はともかくとして、魔理沙さんのそういう純粋な一面は私も好きなのだった。
「じゃあ、お願いします。付き合いますよ」
「よしきた。じゃあ行くぜ」
「行くって、どこへですか?」
二つ返事で了承してしまってから思う。一体どこで流星鑑賞をするのだろうか。
恐らく屋外なのだろうけれど、底冷えのするこの時期に長時間外にいるのは危険ですらある。十分な防寒対策をする必要があった。
空気が澄む冬場の方が星は綺麗なのだろうけれど、鑑賞をする環境は厳しくなる。残念ながら両立は出来ないのだ。
「私らの間じゃ、流星祈願会をやる場所は決まってるんだ」
「どこですか?」
「香霖堂、さ」
「なあ香霖、北東の空を見てればいいんだよな」
「あの星座が北東から上って来るのはそうだが、流れ星はどの方向を見ていても割と見えるよ」
「そうかそうか」
その言葉に、魔理沙さんは嬉しそうに頷いていた。
店内にはストーブが焚かれていて、極寒の空を飛んで来た私たちには嬉しい暖かさだった。
ストーブの火以外の灯かりは全て落とされ、私たちは窓辺に張り付いて流れ星を待ち望んでいる。
空は半分しか見えないが、真冬の星空鑑賞としては妥当な方法なのだった。
――そんな訳で私たち3人は、香霖堂にお邪魔している。
香霖堂という存在は知っていはいたけれど、こうして訊ねたのは今日が初めてだった。
正直、うら若き乙女たちが夜の時間帯に独り身の男性宅に押しかけるのはどうかと思ったのだが、霊夢さんも魔理沙さんも気にする様子はない。ついでに言えば、家主である森近さんもそういう方向で気にしているようにも見えない。
私たちを中に招き入れる時にはやや呆れたような顔をしていたが、それも、「本当に来たのか」という感じで魔理沙さんに対して作った表情のようだった。
まあその割に店内はストーブで十分に暖められていたし、東側の窓にはきちんと席が用意されていた。恐らく魔理沙さんがあらかじめお願いしておいたのだろう。
そうして、彼女の希望を受け入れる程度には、森近さんは良い人みたいだった。もっとも、単にそうしなければ魔理沙さんが五月蝿いからかも知れないが。
「流星群を見るのにいい時間帯は深夜から夜明けにかけてなんだが、それには理由があってな……」
そして今、私たちは流れ星が現れるのを心待ちにしながら魔理沙さんの講釈に耳を傾けていた。
時刻は既に0時を大きく回っているが、流れ星はまだ見えない。じれったくはあるけれど、魔理沙さんの話を聞く限りではそれも仕方がないらしい。
とは言え、1つ目が見えないことには流星鑑賞になかなか身が入らないのも事実で。
そのため私は、魔理沙さんの話を勉強でもするような気持ちで聞いていた。
「今回の流星群はしぶんぎ座流星群と言ってな……」
しぶんぎ座。それは、聞き覚えのない星座だった。まあ、世の中にはかみのけ座なんていう風変わりな名前の星座もあるらしいから、私の知らない星座があったところで不思議でもなんでもない。
「ところで魔理沙さん、しぶんぎ座ってどういう形をしてるんですか?」
「うんにゃ、知らん」
「知らんって……」
色々知っていそうな割に、肝心なところがこれでは残念である。
「僕は知っているよ」
「本当ですか?」
「今はりゅう座の一部になっている。今の時間じゃあ、まだ見えないかも知れないが」
りゅう座、と言われても、正直それが分からない。
そもそもよく考えれば、私が形を知っている星座なんて、十二星座を除いたらオリオン座とかはくちょう座くらいなものだった。
「何だよ香霖、私には教えてくれなかったじゃないか」
魔理沙さんが、暗闇の中にいる森近さんの方を向いて怒っている。
「魔理沙から訊かれなかったから答えてないだけさ」
「ちえっ、ずるいやつだな」
「まあ、事前にどこぞの図書館にでも行って調べればすぐに分かることだと思うけどね。
ここまでの話だって、今のところ僕が教えたことばかりじゃないか」
「何だよ、それを言うなよ香霖」
どうやら、今までの得意気な講義は森近さんの受け売りであるらしかった。魔理沙さんはそのことをバラされて、不貞腐れるように唇を尖らせてしまう。
普段はかなり口の悪い彼女だけれども、森近さんが相手では敵わないらしい。年の離れた兄妹みたいで何だか微笑ましかった。
そんな2人のやり取りにくすりと笑いを漏らしながら、私は星空を眺めていた、
――その時だった。
「あっ」
そう声を上げたのは、私と、そして霊夢さんだった。
私は確かに見た。星空の中に、一筋の明るい光がすっと引かれるのを。そして、それが瞬く間に消え去ってしまうのを。
それは言葉通りの「あっ」という間の出来事で。
もちろんそれを確かめることも出来ないけれど、間違いなく、流れ星だった。
「今、見えましたよね」
「見えた見えた、この夜1個目の流れ星ね」
私だけでなく霊夢さんも見えたのなら、それは見間違いや気のせいなどではなく、本当の流れ星だったのだろう。
「なっ、本当かよ!」
魔理沙さんは慌てて窓ガラスにかじり付くが、もちろんその流れ星を見ることは叶わなかった。
「くそ、香霖のせいだぜ。余計な話をするから」
「おいおい僕のせいにするなよ」
森近さんからすれば、こんな夜遅くに押しかけられた上に悪者扱いされてはたまったものではないだろう。
「まあ、まだ次がありますよ」
「それはそうだがなぁ」
「残念ね、お先ー」
「くっそー」
私はなだめようとしたのに、しかし霊夢さんが火に油を注いでしまう。
そこまで悔しがらなくてもと思うのだけど、魔理沙さん的には、私たちに先を越されたことは不本意らしかった。
まあ確かに、この流れ星の鑑賞は魔理沙さんが一番楽しみにしていたみたいだから、悔しがるのは分からなくもない。
そうして、私たちの流星祈願会は始まりを告げた。
「あっ、今見えましたね」
「おお、これで6個目だ」
「私は今のは見えなかったわ」
いくつかの流れ星を目にした頃には、魔理沙さんの機嫌もすっかり直っていた。あれだけ悔しがっていたのに現金なものである。
まあ、怒っているところよりも、こうして楽しげに流星鑑賞をしているところの方がよっぽど微笑ましくて可愛いからいいのだけど。
そう。こうして流星鑑賞をしている時の魔理沙さんの瞳は、それこそ星々をちりばめたみたいにキラキラと輝いているのだ。
「おっ、また見えたぜ。7個目だ」
「あー、見逃してしまいました」
「人の顔なんて見てるからだぜ」
言われてしまった。
けれど、流れ星を見つけるたびに声を弾ませて喜ぶ魔理沙さんを見ているのも、それはそれで楽しい。
まあ、ここから先は私も真剣に空を見ていようと思う。
何せ、今見逃した1つのせいで、流星数のカウントが魔理沙さんに並ばれてしまったのだ。
別に競争している訳ではないけれど、そうやって流星鑑賞の楽しみ方に1つ彩りを添えるのも悪くはない。
そしてやがて、流れ星に見慣れて来れば、流星祈願会の名に違うことなく、願いごとのお祈りが始まる。
「あっ、見えました」
「えーと、魔法魔法魔法」
「って何ですかそれは」
「あー、流れ星が消えないうちに3回願いごとをするなんて無理だろ? だから圧縮してるんだよ。霊夢の受け売りな」
「勝手に私の真似しないでよ」
「いいじゃないか、減るもんじゃないし」
圧縮と言っても、ここまで圧縮されては何が何だか分からない。そもそも圧縮したところで、1回目の願いごとを口にしている時点で既に流れ星は消えてしまっている。
流れ星が見えているのは、それこそ1秒にも満たないわずかな時間。星空が刹那に垣間見せる、奇跡のたまものなのだ。
もっとも、そんな一瞬だけの奇跡だからこそ、皆がこうして願いを託すのだろう。
「また流れましたね今」
「魔法魔法魔法」
「呪い呪い呪い」
呪いってなんだそれは。
魔法なら、まあ察しがつかなくもない。けれど、呪いは本気で分からない。
「なあ霊夢、やっぱりそれやめないか? 何か祟られそうで怖いんだが」
「大丈夫よ」
何が大丈夫なのか、そして何を圧縮して「呪い」になったのか。怖くて訊くことは出来なかった。
「……ところで、香霖は流れ星を見ないのか?」
しばらく流れ星が落ちない時間が続いていた時、魔理沙さんがふと口を開いた。
「僕はいいさ。これと言って、願いごとをするようなこともないしね」
「つまらないやつだな。何かないのか?」
「魔理沙の口の悪さが直りますようにとか、魔理沙が店のものを勝手に持って行かなくなりますようにとか、それこそ叶わぬ願いってやつだろう」
「なんだよそれ、酷いじゃないか」
魔理沙さんがまた、星空から目を離してしまう。
「訊かれたから正直に答えただけだよ」
「口が悪いな」
「君ほどじゃあないさ」
また始まった。
まあ、聞いている分にはそれなりに楽しいからいいけれど。
そして、気まぐれな流れ星というやつは、
「あっ、また見えました」
そういう時に限って現れるのだ。
「今の、随分明るかったわねぇ」
「そうですね、それに長くて綺麗でした」
霊夢さんも、願いごとをするのを忘れて喜んでいた。
「くそ、また香霖のせいで見逃した」
「人聞きの悪いことを言わないでくれ」
そしてまた、魔理沙さんが窓ガラスにかじり付く。見ていて面白いが、さすがに2回もやれば懲りるだろう。
そうして、流星祈願会の時間は楽しく過ぎてゆく。
「早苗はさ、何か願いごとはしないの?」
ある時、霊夢さんから思い出したように訊ねられる。
流星数のカウントも既に100を超え、そろそろ疲れと眠気が強くなって来た、そんな頃だった。
確かに、魔法だとか呪いだとか連呼する2人に対して、私は綺麗だとか明るいだとか、流れ星の感想ばかりを口にしていた。
「まあ、ないならないで別にいいんだけど」
「別に、ない訳ではないのですが……」
そう言いつつ、これと言って願いごとが浮かばないのも確かだった。
思い返してみれば、幻想郷を訪れたばかりの頃は辛いことも少なくなくて、それこそ神頼みをしたいことも沢山あった。
けれど今は。
守矢神社は多大なる信仰を受けて、神奈子様も諏訪子様も喜んでいる。お二方の喜びは、それすなわち私の喜びでもある。
私自身もこうして、楽しい流星鑑賞に誘ってくれる誰かがいる。
私は既に、十分満たされているのだ。だから、これと言って願うこともない。綺麗な流れ星を目にするだけで満足だった。
あえて言えば、この楽しい時間がもう少しだけ長続きしますように、とか。まあ、決して口には出さないけれど。
それ以外で思い付いたのは、
「そうですねぇ『霊夢さんに弾幕ごっこで勝てるようになりますように』とかでしょうか」
「残念だけど、それは叶わぬ願いね」
すっぱりと切り捨てられた。あっさり過ぎてさすがにちょっと悲しい。
まあ、そんな友達同士みたいな気楽な会話をこそ私は望んでいるので、願いごとはある意味既に叶っているのだった。
「さすがに、そろそろ眠くなって来たな……」
魔理沙さんが、欠伸をかみ殺しながらつぶやいた。彼女は滅多なことでは弱音は吐かない。ならば、既に相当眠いのかも知れない。
「あら、だったらもう寝ちゃえば? 私はまだ続けるけど」
「いやいや、まだ頑張るぜ」
ただ負けず嫌いの彼女のことだから、いくら眠かろうと、私たちよりも先にリタイアすることはないだろう。
「そうですよね、先に寝ちゃって、私たちだけいい流れ星を見ちゃうかも知れませんものね」
「へっ、言うじゃないか」
だから私はあえて、彼女の心に火をつけてやった。まぶたが落ちそうだった彼女の目に、再び光が宿る。
とは言え、私の方も限界が近い。頑張れて、あと10分くらいだろうか。次第に意識がぼんやりとして来たのがよく分かる。もしかしたら、1つ2つは流れ星を見逃しているかも知れない。
私はあえて大きく欠伸をし、酸素をめいっぱい取り込んだ。もう少し、もう少し頑張ろう。
「お前も相当きてるな」
「いえ、まだ頑張りますよ」
「そうか」
「ええ」
会話も、次第に単純なものになりつつある。ただただ覚醒していることだけに、残りの力を使いたいのだ。
そうして、最後の気合いを振り絞って星空を仰ぎ見る。
「あ」
またひとつ、流れ星が見えた。
かなり明るいな、と、ややぼんやりした意識の中でそう感じた。
しかし、次の瞬間である。
その流れ星は長く尾を引きながらさらに光度を増し、空中で爆発を起こしたかのように眩しく弾けたのだ。
私はその一瞬を、確かに目の当たりにした。確かにそれは星空の中で爆ぜ、その瞬間、フラッシュが焚かれたかのように辺りが照らし出されたのだ。
そして、流れ星が眩しく輝いたその瞬間、私はパンッという何かが破裂するような音を聞いた気がする。
さすがにそれは気のせいだとは思うが、まさにそんな音さえも聞こえてきそうな、大流星なのだった。
「……なあ、見たか、今の」
私たちはしばしの間呆然としていたが、やがて魔理沙さんが我に返ったようにつぶやいた。
「当たり前でしょう、見たわよ……」
「私も、見ました……」
「今の、凄かったなぁ……」
私たちは口々にそう言って、互いに顔を見合わせる。
そう、今のはまさに、凄かったとしか言いようのない流れ星だった。目を閉じればすぐにまぶたの裏に蘇る。
それは単なる比喩にとどまらない。眩しいものを目にした時そのままに、瞳に焼きついているのだ。
そして、
「なあ、さっきのが流れた辺り、まだ変な明るいのが残ってないか?」
「えっ」
魔理沙さんの言葉にあらためて夜空を見ると、確かに明るい雲のようなもやがそこにはあった。
「へえ、珍しい。流星痕じゃないか」
それまで静観を決め込んでいた森近さんが、久し振りに窓外を見やった。
「流星痕?」
「ああ、とても明るい流星が流れた時に、まれに残ることがある」
「へぇ、凄いなそれ……」
「とても珍しいものだよ。僕も初めて見る」
「香霖が初めてってことは、相当珍しいんだな」
魔理沙さんが感心したように頷いていた。
それから私たちはしばらくの間、流れ星を待ちながら、その流星痕を眺めていた。
しかし、元気が限界に近いところで大きな興奮がやって来てしまったものだから、私は間もなく、激しい眠気に襲われてしまう。
凄い流れ星も見られたし、もういいかな――と気持ちを緩めたところで、私の意識はあっさりと途絶えた。
気がつくと、窓からは明るい光が差し込んでいて、あたりは既に朝を迎えていた。
ふと我が身をかえりみると、いつの間にかしっかりと毛布が掛けられている。それは傍らで未だにすやすやと眠る魔理沙さんと霊夢さんも同じだった。恐らく、そのまま寝入ってしまった私たちに森近さんが掛けてくれたのだろう。
当の森近さんは、ストーブのそばでうつらうつらと舟を漕いでいた。もしかしたら、寝ずにストーブの番をしてくれていたのかも知れない。
深夜に押し掛けてしまったことと言い、彼には感謝しなければならなかった。
「……うん? 起きたのかい?」
「あ、すみません、起こしてしまったみたいで」
「いや、起きていたよ」
いやどう見ても寝ていました。
まあそれはともかく、
「すみませんでした、夜遅くまで付き合わせてしまって」
「いや、構わないよ。僕も、珍しいものを見られたしね」
そう言っていただけると、助かる。
さて、結局いつもとあまり変わらない時間に目覚めてしまったのだけど、どうしようか。
今日は神奈子様からお休みを頂いている訳だけれども、普通に朝食を摂ればそのままいつも通りの仕事が出来るような気がした。
意外と爽やかな朝を迎えることが出来たのは、暖かな毛布はもちろん、夜中にあんな素晴らしい流れ星を見ることが出来たからかも知れない。
「じゃあ、私は先に失礼することにします」
「帰るのかい?」
「はい。神社に帰ってやることがありますから。お2人が起きたら、楽しかったです、ありがとう、とお伝え願えますか?」
「了解。そう伝えておくよ」
「はい。色々と、ありがとうございました」
「うん、外は寒いから気を付けて」
「はい」
そう挨拶を終えて、扉へと向かおうとした時だった。
「ちょっと待て」
「はい?」
そう私を呼び止めたのは、もちろん森近さんではなかった。
何だろうと思って振り向くと、魔理沙さんが毛布を羽織ったままむっくりと起き上がっていた。眠そうではあるが、目はしっかりと開かれている。
そしてゆっくりと私のそばまで歩み寄ると、
「……昨日、と言うか、昨晩はありがとな」
「……はい?」
どうしたことかあの魔理沙さんが、ありがとうなどと言っている。これは事件である。
……と、それはともかく、何の理由で私に感謝などしているのだろう。
「あのでっかい流れ星の前、早苗に茶化されてなかったら、私は多分寝てしまってたと思う。
だから、起こしてくれて、ありがとう、なんだよ」
そっけない物言いではあるけれど、だからこそ彼女の心からの気持ちがよく伝わって来る。
そんな風に真っ直ぐな気持ちをぶつけられては、
「魔理沙さん」
「何だ」
「……ひょっとして、寝ぼけてます?」
「んなっ!」
こうやって茶化して照れ隠しをするしかないではないか。
「お前、人がせっかく感謝してるんだから素直に受け取れよ!」
「冗談ですよ。こちらこそ、流星祈願会に誘って下さってありがとうございます」
「ったく」
流星祈願会で思い出したけれど、あの大流星の時、私たちの誰もが願いごとをしていなかった。時間的に、ゆうに2秒は光っていたと言うのにである。
まあ確かに、あれほどの流れ星を目の当たりにすれば、願いごとなんて忘れて見入ってしまうだろう。
「それじゃあ私は帰ります。また誘って下さいね」
「ああ、じゃあな」
別れを告げて表へ出ると、ひんやりとした空気が容赦なく頬を叩いてくる。文字通り震えるほどに寒い。
冷え込みは厳しいけれど、どこまでも抜けるような青空が清々しい、気持ちの良い朝だった。
私は寒空の中を、守矢神社へ向けて飛び立つ。
新年早々、あんな素晴らしいものを見ることが出来た私は幸運だと思う。
そう、あの流れ星は願いごとを伝えるまでもなく、私たちに喜びと幸せを届けてくれたのだ。
私はその思いを胸に、今日も仕事を頑張ろうと心に誓う。
今年は、良い一年になりそうだった。
幻想郷の冬は、外の世界と比べていっそう厳しく感じられる。特にここ守矢神社は山の上に位置しているために、夜間は身を刺すように冷え込んでしまう。
そんな中、私は灯かりを1つ手にし、身体を震わせながら境内の見回りを行なっていた。
新年を迎え、我が守矢神社には沢山の参拝客が訪れていた。
妖怪の山にお住まいの河童や天狗の方々が元日から大挙して押し寄せ、私はもちろん、神奈子様や諏訪子様も嬉しい悲鳴を上げていた。
客足は3日である今日も途絶えることなく、最後の参拝客が帰っていった時にはすっかり日も暮れていて。
その後も後片付けや明日の準備に追われ、1日の締めくくりとなる境内の見回りを始める頃には、既に夜の10時を回っているのだった。
それにしても寒い。と、白い息を吐き出しながら思う。
見上げれば、雲はひとかけらも見当たらない。無限の星をちりばめた夜空が視界いっぱいに広がっていた。
星空鑑賞にはうってつけの空模様。しかし今は、そんな天気が残念で仕方がない。
なぜなら、雲がなければ放射冷却によって余計に冷え込みが進んでしまうのだから。
三が日は今日で終わったのだけれども、それで初詣客が途絶えるという訳でもない。
明日も、それなりの数の参拝客が見込まれる。ならば見回りは早めに切り上げて、明日に備えて休んだ方がいいだろう。
そう思って、私は最後に一瞥する意味で、参道の方に目を向けた。
「……で、何で貴方たちがここにいるのですか?」
「新年初顔合わせだというのに、随分なご挨拶だな」
「それはまあ、相手が魔理沙なら仕方がないんじゃない?」
参道に立っていたのは、いつもの2人、霊夢さんと魔理沙さんだった。
まあいつものとは言っても、こうして守矢神社までやって来るのは珍しいことだった。何せ、普通に来ようとすればまず妖怪たちに山への立ち入りを拒否されるからだ。
「それで、一体どういうご用件です? こんな時間に」
新年の挨拶はそこそこに済ませ、私は目の前の2人に訊ねた。大晦日の夜ならともかく、常識的に考えれば誰かを訪ねるような時間ではない。
ついでに言えば、彼女たちが参拝目的で守矢神社に訪れることはまず考えられない。ならば別の用事があるのだろう。
「まあ、ちょっとした遊びの誘いみたいなもんだ」
「遊び? こんな時間にですか?」
「ああ、夜にしか出来ない遊びだからな。夜遊びってやつだ」
魔理沙さんがニヤリと笑いながら言った。そろそろ付き合いも長くなって来たから、その表情の意図も何となく分かるようになってしまう。
だから私はあえて、
「星空鑑賞ですね、分かります」
「……よく分かったな」
からかいには乗らず、正答を言い当ててやった。
星々が綺麗に瞬くこんな時間に、魔理沙さんがメインっぽい様子でやって来たのなら、何となく察しもつくというものだ。彼女の星好きはよく知っている。
こうしてわざわざ私を誘ったのも、私も星を見立てた弾幕を扱っているからだろう。ヒントは十分に揃っていた。
もっとも実際のところは、さっきたまたま満天の星空を目にしたから、そんな予想が立っただけなのだけど。
「ただ、星空鑑賞と言っても、今日はちょっと趣向が違うんだぜ」
「じゃあ、何ですか?」
言い当てられてひるむかと思ったが、それでも魔理沙さんはいつも通りの得意げな調子を崩さなかった。
それ以上は私にも分からず、訊ねるしかなかった。
「流星祈願会、だぜ」
「流星……?」
それは単なる星空鑑賞ではなく、流れ星を見る集まりらしい。それも、“祈願”なんて言葉が付いているあたり、本当にお願いごともするようだった。
「そう。で、お前は流れ星を見たことはあるのか?」
流れ星、か。
もう10年近く前になるか。私がまだ小学生の頃に、沢山の流れ星が見られるということでニュースになったことがある。確か、しし座流星群だったと思う。
その時に、私はいくつかの流れ星を目にした。初めて見る流れ星に強く胸が高鳴ったのを覚えている。
まだ子供だった私は早々と眠気に負けてしまったけれど、夜明けまで見ていた人は、100をゆうに超える数の流れ星を数えることが出来たという。
私の流れ星に関する思い出は、今のところそれだけだった。要するに、その時以降、流れ星は見ていない。
「昔にちょっとだけ、見たことがあります」
「そうか。なら一緒に久し振りの流星鑑賞といこうじゃないか」
魔理沙さんはすっかり私を連れて行くつもりのようだった。
そうやって、友達のように私を誘ってくれるのはとても嬉しい。
けれど、私は明日もここで巫女としての仕事がある。深夜にも及ぶであろう流星鑑賞に興じていては、明日の仕事に支障をきたしてしまう。
「でも私は明日も……」
「ああ、ちなみに神社の仕事なら大丈夫だ。もう神奈子からはオーケーの返事を貰ってる。お前は明日は休んでいいってさ」
「いつの間に?」
「ここに来る前、博麗神社にある分社から」
妙なところで手回しがいいものだ。と言うか分社の使い方としてこれはどうなのだろうか。
既に交渉が成されていたのなら、神奈子様も何か一言おっしゃって下さってもいいのに。
「そんな訳なんだが、どうだ? 今日は沢山見られるらしいぜ」
「沢山、ですか」
「ああ、沢山だ」
魔理沙さんの表情は、寒さなど微塵も感じていないかのように生き生きとしている。それだけ、流星鑑賞を楽しみにしているのだろう。
私としても、沢山の流れ星が見られるのなら、それを断る理由はなかった。
何より、そうして楽しげに流れ星を待ちわびる魔理沙さんを見ていると、自然、それに付き合いたくなってくる。
性格面はともかくとして、魔理沙さんのそういう純粋な一面は私も好きなのだった。
「じゃあ、お願いします。付き合いますよ」
「よしきた。じゃあ行くぜ」
「行くって、どこへですか?」
二つ返事で了承してしまってから思う。一体どこで流星鑑賞をするのだろうか。
恐らく屋外なのだろうけれど、底冷えのするこの時期に長時間外にいるのは危険ですらある。十分な防寒対策をする必要があった。
空気が澄む冬場の方が星は綺麗なのだろうけれど、鑑賞をする環境は厳しくなる。残念ながら両立は出来ないのだ。
「私らの間じゃ、流星祈願会をやる場所は決まってるんだ」
「どこですか?」
「香霖堂、さ」
「なあ香霖、北東の空を見てればいいんだよな」
「あの星座が北東から上って来るのはそうだが、流れ星はどの方向を見ていても割と見えるよ」
「そうかそうか」
その言葉に、魔理沙さんは嬉しそうに頷いていた。
店内にはストーブが焚かれていて、極寒の空を飛んで来た私たちには嬉しい暖かさだった。
ストーブの火以外の灯かりは全て落とされ、私たちは窓辺に張り付いて流れ星を待ち望んでいる。
空は半分しか見えないが、真冬の星空鑑賞としては妥当な方法なのだった。
――そんな訳で私たち3人は、香霖堂にお邪魔している。
香霖堂という存在は知っていはいたけれど、こうして訊ねたのは今日が初めてだった。
正直、うら若き乙女たちが夜の時間帯に独り身の男性宅に押しかけるのはどうかと思ったのだが、霊夢さんも魔理沙さんも気にする様子はない。ついでに言えば、家主である森近さんもそういう方向で気にしているようにも見えない。
私たちを中に招き入れる時にはやや呆れたような顔をしていたが、それも、「本当に来たのか」という感じで魔理沙さんに対して作った表情のようだった。
まあその割に店内はストーブで十分に暖められていたし、東側の窓にはきちんと席が用意されていた。恐らく魔理沙さんがあらかじめお願いしておいたのだろう。
そうして、彼女の希望を受け入れる程度には、森近さんは良い人みたいだった。もっとも、単にそうしなければ魔理沙さんが五月蝿いからかも知れないが。
「流星群を見るのにいい時間帯は深夜から夜明けにかけてなんだが、それには理由があってな……」
そして今、私たちは流れ星が現れるのを心待ちにしながら魔理沙さんの講釈に耳を傾けていた。
時刻は既に0時を大きく回っているが、流れ星はまだ見えない。じれったくはあるけれど、魔理沙さんの話を聞く限りではそれも仕方がないらしい。
とは言え、1つ目が見えないことには流星鑑賞になかなか身が入らないのも事実で。
そのため私は、魔理沙さんの話を勉強でもするような気持ちで聞いていた。
「今回の流星群はしぶんぎ座流星群と言ってな……」
しぶんぎ座。それは、聞き覚えのない星座だった。まあ、世の中にはかみのけ座なんていう風変わりな名前の星座もあるらしいから、私の知らない星座があったところで不思議でもなんでもない。
「ところで魔理沙さん、しぶんぎ座ってどういう形をしてるんですか?」
「うんにゃ、知らん」
「知らんって……」
色々知っていそうな割に、肝心なところがこれでは残念である。
「僕は知っているよ」
「本当ですか?」
「今はりゅう座の一部になっている。今の時間じゃあ、まだ見えないかも知れないが」
りゅう座、と言われても、正直それが分からない。
そもそもよく考えれば、私が形を知っている星座なんて、十二星座を除いたらオリオン座とかはくちょう座くらいなものだった。
「何だよ香霖、私には教えてくれなかったじゃないか」
魔理沙さんが、暗闇の中にいる森近さんの方を向いて怒っている。
「魔理沙から訊かれなかったから答えてないだけさ」
「ちえっ、ずるいやつだな」
「まあ、事前にどこぞの図書館にでも行って調べればすぐに分かることだと思うけどね。
ここまでの話だって、今のところ僕が教えたことばかりじゃないか」
「何だよ、それを言うなよ香霖」
どうやら、今までの得意気な講義は森近さんの受け売りであるらしかった。魔理沙さんはそのことをバラされて、不貞腐れるように唇を尖らせてしまう。
普段はかなり口の悪い彼女だけれども、森近さんが相手では敵わないらしい。年の離れた兄妹みたいで何だか微笑ましかった。
そんな2人のやり取りにくすりと笑いを漏らしながら、私は星空を眺めていた、
――その時だった。
「あっ」
そう声を上げたのは、私と、そして霊夢さんだった。
私は確かに見た。星空の中に、一筋の明るい光がすっと引かれるのを。そして、それが瞬く間に消え去ってしまうのを。
それは言葉通りの「あっ」という間の出来事で。
もちろんそれを確かめることも出来ないけれど、間違いなく、流れ星だった。
「今、見えましたよね」
「見えた見えた、この夜1個目の流れ星ね」
私だけでなく霊夢さんも見えたのなら、それは見間違いや気のせいなどではなく、本当の流れ星だったのだろう。
「なっ、本当かよ!」
魔理沙さんは慌てて窓ガラスにかじり付くが、もちろんその流れ星を見ることは叶わなかった。
「くそ、香霖のせいだぜ。余計な話をするから」
「おいおい僕のせいにするなよ」
森近さんからすれば、こんな夜遅くに押しかけられた上に悪者扱いされてはたまったものではないだろう。
「まあ、まだ次がありますよ」
「それはそうだがなぁ」
「残念ね、お先ー」
「くっそー」
私はなだめようとしたのに、しかし霊夢さんが火に油を注いでしまう。
そこまで悔しがらなくてもと思うのだけど、魔理沙さん的には、私たちに先を越されたことは不本意らしかった。
まあ確かに、この流れ星の鑑賞は魔理沙さんが一番楽しみにしていたみたいだから、悔しがるのは分からなくもない。
そうして、私たちの流星祈願会は始まりを告げた。
「あっ、今見えましたね」
「おお、これで6個目だ」
「私は今のは見えなかったわ」
いくつかの流れ星を目にした頃には、魔理沙さんの機嫌もすっかり直っていた。あれだけ悔しがっていたのに現金なものである。
まあ、怒っているところよりも、こうして楽しげに流星鑑賞をしているところの方がよっぽど微笑ましくて可愛いからいいのだけど。
そう。こうして流星鑑賞をしている時の魔理沙さんの瞳は、それこそ星々をちりばめたみたいにキラキラと輝いているのだ。
「おっ、また見えたぜ。7個目だ」
「あー、見逃してしまいました」
「人の顔なんて見てるからだぜ」
言われてしまった。
けれど、流れ星を見つけるたびに声を弾ませて喜ぶ魔理沙さんを見ているのも、それはそれで楽しい。
まあ、ここから先は私も真剣に空を見ていようと思う。
何せ、今見逃した1つのせいで、流星数のカウントが魔理沙さんに並ばれてしまったのだ。
別に競争している訳ではないけれど、そうやって流星鑑賞の楽しみ方に1つ彩りを添えるのも悪くはない。
そしてやがて、流れ星に見慣れて来れば、流星祈願会の名に違うことなく、願いごとのお祈りが始まる。
「あっ、見えました」
「えーと、魔法魔法魔法」
「って何ですかそれは」
「あー、流れ星が消えないうちに3回願いごとをするなんて無理だろ? だから圧縮してるんだよ。霊夢の受け売りな」
「勝手に私の真似しないでよ」
「いいじゃないか、減るもんじゃないし」
圧縮と言っても、ここまで圧縮されては何が何だか分からない。そもそも圧縮したところで、1回目の願いごとを口にしている時点で既に流れ星は消えてしまっている。
流れ星が見えているのは、それこそ1秒にも満たないわずかな時間。星空が刹那に垣間見せる、奇跡のたまものなのだ。
もっとも、そんな一瞬だけの奇跡だからこそ、皆がこうして願いを託すのだろう。
「また流れましたね今」
「魔法魔法魔法」
「呪い呪い呪い」
呪いってなんだそれは。
魔法なら、まあ察しがつかなくもない。けれど、呪いは本気で分からない。
「なあ霊夢、やっぱりそれやめないか? 何か祟られそうで怖いんだが」
「大丈夫よ」
何が大丈夫なのか、そして何を圧縮して「呪い」になったのか。怖くて訊くことは出来なかった。
「……ところで、香霖は流れ星を見ないのか?」
しばらく流れ星が落ちない時間が続いていた時、魔理沙さんがふと口を開いた。
「僕はいいさ。これと言って、願いごとをするようなこともないしね」
「つまらないやつだな。何かないのか?」
「魔理沙の口の悪さが直りますようにとか、魔理沙が店のものを勝手に持って行かなくなりますようにとか、それこそ叶わぬ願いってやつだろう」
「なんだよそれ、酷いじゃないか」
魔理沙さんがまた、星空から目を離してしまう。
「訊かれたから正直に答えただけだよ」
「口が悪いな」
「君ほどじゃあないさ」
また始まった。
まあ、聞いている分にはそれなりに楽しいからいいけれど。
そして、気まぐれな流れ星というやつは、
「あっ、また見えました」
そういう時に限って現れるのだ。
「今の、随分明るかったわねぇ」
「そうですね、それに長くて綺麗でした」
霊夢さんも、願いごとをするのを忘れて喜んでいた。
「くそ、また香霖のせいで見逃した」
「人聞きの悪いことを言わないでくれ」
そしてまた、魔理沙さんが窓ガラスにかじり付く。見ていて面白いが、さすがに2回もやれば懲りるだろう。
そうして、流星祈願会の時間は楽しく過ぎてゆく。
「早苗はさ、何か願いごとはしないの?」
ある時、霊夢さんから思い出したように訊ねられる。
流星数のカウントも既に100を超え、そろそろ疲れと眠気が強くなって来た、そんな頃だった。
確かに、魔法だとか呪いだとか連呼する2人に対して、私は綺麗だとか明るいだとか、流れ星の感想ばかりを口にしていた。
「まあ、ないならないで別にいいんだけど」
「別に、ない訳ではないのですが……」
そう言いつつ、これと言って願いごとが浮かばないのも確かだった。
思い返してみれば、幻想郷を訪れたばかりの頃は辛いことも少なくなくて、それこそ神頼みをしたいことも沢山あった。
けれど今は。
守矢神社は多大なる信仰を受けて、神奈子様も諏訪子様も喜んでいる。お二方の喜びは、それすなわち私の喜びでもある。
私自身もこうして、楽しい流星鑑賞に誘ってくれる誰かがいる。
私は既に、十分満たされているのだ。だから、これと言って願うこともない。綺麗な流れ星を目にするだけで満足だった。
あえて言えば、この楽しい時間がもう少しだけ長続きしますように、とか。まあ、決して口には出さないけれど。
それ以外で思い付いたのは、
「そうですねぇ『霊夢さんに弾幕ごっこで勝てるようになりますように』とかでしょうか」
「残念だけど、それは叶わぬ願いね」
すっぱりと切り捨てられた。あっさり過ぎてさすがにちょっと悲しい。
まあ、そんな友達同士みたいな気楽な会話をこそ私は望んでいるので、願いごとはある意味既に叶っているのだった。
「さすがに、そろそろ眠くなって来たな……」
魔理沙さんが、欠伸をかみ殺しながらつぶやいた。彼女は滅多なことでは弱音は吐かない。ならば、既に相当眠いのかも知れない。
「あら、だったらもう寝ちゃえば? 私はまだ続けるけど」
「いやいや、まだ頑張るぜ」
ただ負けず嫌いの彼女のことだから、いくら眠かろうと、私たちよりも先にリタイアすることはないだろう。
「そうですよね、先に寝ちゃって、私たちだけいい流れ星を見ちゃうかも知れませんものね」
「へっ、言うじゃないか」
だから私はあえて、彼女の心に火をつけてやった。まぶたが落ちそうだった彼女の目に、再び光が宿る。
とは言え、私の方も限界が近い。頑張れて、あと10分くらいだろうか。次第に意識がぼんやりとして来たのがよく分かる。もしかしたら、1つ2つは流れ星を見逃しているかも知れない。
私はあえて大きく欠伸をし、酸素をめいっぱい取り込んだ。もう少し、もう少し頑張ろう。
「お前も相当きてるな」
「いえ、まだ頑張りますよ」
「そうか」
「ええ」
会話も、次第に単純なものになりつつある。ただただ覚醒していることだけに、残りの力を使いたいのだ。
そうして、最後の気合いを振り絞って星空を仰ぎ見る。
「あ」
またひとつ、流れ星が見えた。
かなり明るいな、と、ややぼんやりした意識の中でそう感じた。
しかし、次の瞬間である。
その流れ星は長く尾を引きながらさらに光度を増し、空中で爆発を起こしたかのように眩しく弾けたのだ。
私はその一瞬を、確かに目の当たりにした。確かにそれは星空の中で爆ぜ、その瞬間、フラッシュが焚かれたかのように辺りが照らし出されたのだ。
そして、流れ星が眩しく輝いたその瞬間、私はパンッという何かが破裂するような音を聞いた気がする。
さすがにそれは気のせいだとは思うが、まさにそんな音さえも聞こえてきそうな、大流星なのだった。
「……なあ、見たか、今の」
私たちはしばしの間呆然としていたが、やがて魔理沙さんが我に返ったようにつぶやいた。
「当たり前でしょう、見たわよ……」
「私も、見ました……」
「今の、凄かったなぁ……」
私たちは口々にそう言って、互いに顔を見合わせる。
そう、今のはまさに、凄かったとしか言いようのない流れ星だった。目を閉じればすぐにまぶたの裏に蘇る。
それは単なる比喩にとどまらない。眩しいものを目にした時そのままに、瞳に焼きついているのだ。
そして、
「なあ、さっきのが流れた辺り、まだ変な明るいのが残ってないか?」
「えっ」
魔理沙さんの言葉にあらためて夜空を見ると、確かに明るい雲のようなもやがそこにはあった。
「へえ、珍しい。流星痕じゃないか」
それまで静観を決め込んでいた森近さんが、久し振りに窓外を見やった。
「流星痕?」
「ああ、とても明るい流星が流れた時に、まれに残ることがある」
「へぇ、凄いなそれ……」
「とても珍しいものだよ。僕も初めて見る」
「香霖が初めてってことは、相当珍しいんだな」
魔理沙さんが感心したように頷いていた。
それから私たちはしばらくの間、流れ星を待ちながら、その流星痕を眺めていた。
しかし、元気が限界に近いところで大きな興奮がやって来てしまったものだから、私は間もなく、激しい眠気に襲われてしまう。
凄い流れ星も見られたし、もういいかな――と気持ちを緩めたところで、私の意識はあっさりと途絶えた。
気がつくと、窓からは明るい光が差し込んでいて、あたりは既に朝を迎えていた。
ふと我が身をかえりみると、いつの間にかしっかりと毛布が掛けられている。それは傍らで未だにすやすやと眠る魔理沙さんと霊夢さんも同じだった。恐らく、そのまま寝入ってしまった私たちに森近さんが掛けてくれたのだろう。
当の森近さんは、ストーブのそばでうつらうつらと舟を漕いでいた。もしかしたら、寝ずにストーブの番をしてくれていたのかも知れない。
深夜に押し掛けてしまったことと言い、彼には感謝しなければならなかった。
「……うん? 起きたのかい?」
「あ、すみません、起こしてしまったみたいで」
「いや、起きていたよ」
いやどう見ても寝ていました。
まあそれはともかく、
「すみませんでした、夜遅くまで付き合わせてしまって」
「いや、構わないよ。僕も、珍しいものを見られたしね」
そう言っていただけると、助かる。
さて、結局いつもとあまり変わらない時間に目覚めてしまったのだけど、どうしようか。
今日は神奈子様からお休みを頂いている訳だけれども、普通に朝食を摂ればそのままいつも通りの仕事が出来るような気がした。
意外と爽やかな朝を迎えることが出来たのは、暖かな毛布はもちろん、夜中にあんな素晴らしい流れ星を見ることが出来たからかも知れない。
「じゃあ、私は先に失礼することにします」
「帰るのかい?」
「はい。神社に帰ってやることがありますから。お2人が起きたら、楽しかったです、ありがとう、とお伝え願えますか?」
「了解。そう伝えておくよ」
「はい。色々と、ありがとうございました」
「うん、外は寒いから気を付けて」
「はい」
そう挨拶を終えて、扉へと向かおうとした時だった。
「ちょっと待て」
「はい?」
そう私を呼び止めたのは、もちろん森近さんではなかった。
何だろうと思って振り向くと、魔理沙さんが毛布を羽織ったままむっくりと起き上がっていた。眠そうではあるが、目はしっかりと開かれている。
そしてゆっくりと私のそばまで歩み寄ると、
「……昨日、と言うか、昨晩はありがとな」
「……はい?」
どうしたことかあの魔理沙さんが、ありがとうなどと言っている。これは事件である。
……と、それはともかく、何の理由で私に感謝などしているのだろう。
「あのでっかい流れ星の前、早苗に茶化されてなかったら、私は多分寝てしまってたと思う。
だから、起こしてくれて、ありがとう、なんだよ」
そっけない物言いではあるけれど、だからこそ彼女の心からの気持ちがよく伝わって来る。
そんな風に真っ直ぐな気持ちをぶつけられては、
「魔理沙さん」
「何だ」
「……ひょっとして、寝ぼけてます?」
「んなっ!」
こうやって茶化して照れ隠しをするしかないではないか。
「お前、人がせっかく感謝してるんだから素直に受け取れよ!」
「冗談ですよ。こちらこそ、流星祈願会に誘って下さってありがとうございます」
「ったく」
流星祈願会で思い出したけれど、あの大流星の時、私たちの誰もが願いごとをしていなかった。時間的に、ゆうに2秒は光っていたと言うのにである。
まあ確かに、あれほどの流れ星を目の当たりにすれば、願いごとなんて忘れて見入ってしまうだろう。
「それじゃあ私は帰ります。また誘って下さいね」
「ああ、じゃあな」
別れを告げて表へ出ると、ひんやりとした空気が容赦なく頬を叩いてくる。文字通り震えるほどに寒い。
冷え込みは厳しいけれど、どこまでも抜けるような青空が清々しい、気持ちの良い朝だった。
私は寒空の中を、守矢神社へ向けて飛び立つ。
新年早々、あんな素晴らしいものを見ることが出来た私は幸運だと思う。
そう、あの流れ星は願いごとを伝えるまでもなく、私たちに喜びと幸せを届けてくれたのだ。
私はその思いを胸に、今日も仕事を頑張ろうと心に誓う。
今年は、良い一年になりそうだった。
流星祈願会いいですねえ~。おれも見てみたいものです♪
安心して読めるSSでした。
ほのぼのとした空気が良かったです。