「そう言えば、博麗神社ではもう新年の準備をしたりしてるんですか?」
「うん? 別に何も」
「何もって……、それでいいのですか?」
「だって、こんな底冷えのする時期だもん。初詣客なんて来ないわよ」
霊夢さんはしれっと言い放つと、みかんの皮むきの方に意識を向けてしまう。
その様子は、参拝客が全く来ないことに対していじけているように見えなくもなかった。
冬の博麗神社。
日ごろから参拝客もなく閑散としているこの神社は、今日もやっぱりいつものように閑散としていた。そんな、普段通りのひっそりとした佇まいに、どこか安心感を覚えてしまうのは何故だろう。言ったら霊夢さんに怒られてしまいそうなので言わないけど。
もっとも、今の時期はこうして寂れてしまうのも仕方がないのだろうと思う。
季節は本格的な冬。幻想郷は今、寒風吹きすさぶ一年で最も厳しい時期を迎えていた。
私は今日は買い物があって山から下りて来たのだけれど、人里は不安を覚えるほどに静まり返っていた。
大人たちはみな、建物の中に引っ込んでいるのだろう。屋外にいたのは、白い息を吐き出しながら駆け回る幾人かの子供たちくらいだった。
里の中でさえそんな有様なのだから、この寒さの中をわざわざ参拝にやって来る気まぐれな者はまずいない。そうでなくても、人里から博麗神社までの道のりは、長くて険しいのだ。
これで雪でも積もってしまえば、博麗神社は完全に陸の孤島と成り果ててしまうことだろう。
「確かに、この寒さじゃあ仕方がないですよねぇ」
正直、こんな幻想郷の隅っこに立地しているのが悪いのだが、それを決めたのは霊夢さんではない。
だからつい霊夢さんに同情の念を寄せてしまうのだけど、彼女からすれば「同情するなら賽銭くれ」だろう。
ただ、初詣客など来ないと言いながら、参道の掃除だけはきちんとなされていた。今はコタツでみかんの皮むきに勤しむ霊夢さんだけれども、それまでにひと仕事終えているからこそ、こうしてのんびりとしているのか。
もしかしたら、ひょっとしたら、万が一のことがあって、参拝客が現れるかも知れない――そんな風に一縷の望みにかけて掃除を行なっている霊夢さんを想像すると、何だか彼女がいじらしく見えてくるのだった。
「私の方はいいけどさぁ、早苗んとこはどうなのよ」
「新年の準備ですか? 進んでますよ」
「そうじゃなくて、参拝客よ。来てるの?」
「はい。毎日それなりに」
「妬ましいわね。乗っ取っていい?」
「今度こそは私の全力でもって追い返します」
「まあ無理ね」
一顧だにせず否定された。それはもう清々しいくらいにあっさりと。
彼女にとって私は、弾幕ごっこの相手としてはその程度の認識なのだろう。
実際私は、1度ならず2度も霊夢さんに負けを喫しているのだから、仕方がないと言えば仕方がない。
ただ、みかんを口に放りながら当たり前のように言われてしまうのは、やっぱり悔しいのだった。
「でもさぁ、そっちにいる参拝客って、妖怪ばっかりじゃないの?」
「はい。妖怪の山にお住まいの河童や天狗の方々が主です」
「人間の参拝客は?」
「……ゼロ、です」
「やっぱりウチと同じじゃない。安心したわ」
同じにされた。
と言うか、そこが同じだからって安心してもいいのかと突っ込みたくなる。
「いいんですよ。信仰する気持ちに、人間も妖怪も関係ありませんから」
「ま、そっちの神社は別にそれで構わないけどね」
彼女としては、やはり人間からの信仰が欲しいようだった。
――信仰する気持ちに、人間も妖怪も関係ない。
その言葉に嘘はないし、私はそれを信じて守矢の神社で巫女のような仕事に従事している。
河童や天狗など、神社を訪れる方々の信仰心はみな一様に深く、神奈子様も私もその心をありがたく受け止めていた。
それでも、私は時々思ってしまうことがある。
彼ら彼女らは妖怪であり、私は人間。同じ神奈子様を信仰する身ではあっても、彼我の違いは埋められない溝のように存在している。
それは会話の端々に現れる生活習慣の相違や、宴会の席で酒を次から次へと水のように呷る様子などからひしひしと感じてしまう。私は、彼らとは違うのだ、と。
そんな風に、人間以外と接する日々が続いてしまうと、どうしても人が恋しくなってしまうのだ。自分と同じ、人の息吹が。
だからこうして、私は大した用事もないのに博麗神社に立ち寄ってしまうのかも知れなかった。
「どしたの? 難しい顔しちゃって」
「あ、すみません」
いつの間にか、考えごとにふけってしまっていた。
謝罪しながら顔を上げると、目の前には――みかんの皮が、
「えいっ」
ぷちゅ
「きゃっ!」
「あらかわいい悲鳴ね」
沁みる。
まぶたを開けられないほど目が沁みる。みかん汁を思いっきり目に入れられたのだ。
子供の悪戯にありがちなネタだが、まさか自分がやられるとは思っていなかった。
「んもぉ、何するんですか霊夢さん!」
「だって早苗ったら意味もなく深刻そうなカオしてるんだもん。どう考えても突っ込み待ちでしょ」
「どんな理屈ですか!」
「違ったの?」
「違います! こうなったら、こうです!」
仕返しに、コタツを思いっ切り自分の方に引っ張ってやった。コタツ布団からするりと霊夢さんの足が現れる。
「ちょっ、寒いじゃないの」
「私が暖かければいいんですよ」
「このー」
そしてそのままコタツの引っ張り合いが始まる――かと思いきや、何と霊夢さんは、引っ張られたコタツに追いすがるようにその中に入り込んでしまう。さらに引っ張っても霊夢さんは磁石みたいに一緒に引っ付いて来るのだ。
そして気が付いたら、
「もう逃げられないわね」
「なっ!」
いつの間にか、私は部屋の隅っこに追い詰められていた。しかもコタツによって壁にホールドされて身動きが取れない状態に陥っている。
はたから見たら、酷く間抜けな光景に違いない。
「さて、と。どう可愛がってあげようかしらねぇ」
どう、とか言いながら、両手には既にみかんの皮が装備されている。
――やる気だ。
「覚悟はいいかしら、早苗さん?」
「いやぁー!」
悲鳴を上げたところで、ここは幻想郷の隅っこ。誰かの耳に届くことなどまず叶わない。ましてや、神奈子様や諏訪子様が助けに来てくれることなど望むべくもなかった。
しかし、
「お前らー、私の存在を忘れてるだろー!」
私の声を聞き届けてくれる存在が、そこにはあったのだ。
外からの怒声に、霊夢さんの蛮行もひとまずストップする。
その大声の主は、魔理沙さんだった。
「忘れてないわよー。大事な大事な焼き芋じゃないの」
「ちえっ、調子のいいやつだ」
魔理沙さんはそう言って唇を尖らせるが、別段怒っている訳でもなさそうだった。
そう、私たちは今、お芋が焼き上がるのを待ちわびているところなのだ。魔理沙さんが一人庭に出て、火の番をしている。
最初は弾幕ごっこの勝敗で焼く係を決めようとしたのだが、上空に飛び上がるとあまりの寒さに3人とも弾幕を放つどころではなくなってしまったので、結局じゃんけんでその係を決めた。まあ異変でもない限り、冬場は弾幕ごっこはお休みだろう。
火に当たっていても、風が吹けば体温は一瞬で奪われてしまう。外で凍える魔理沙さんには申し訳ないが、私と霊夢さんはこたつで暖まりながらお芋が焼き上がるのを楽しみに待っているのだった。
「とにかく、そろそろ食べごろだぜ」
「そうね。じゃあいただきましょうか」
そう言うと、霊夢さんはいそいそと表へ出て行く。
私もそれについて行こうとして、
「あっ」
コタツに足が引っかかってつんのめる。お芋に誘われて、自らが置かれている状況を忘れて急いてしまった。
これは、見られていたらたいそう恥ずかしい。が、霊夢さんはコタツと壁に挟まった私のことなど忘れたかのように焼き芋に一直線だった。
「…………」
私は無言のまま、コタツを元の位置まで押し戻した。
新聞紙にくるまれた焼き芋は、懐炉のようにほかほかと温かかった。
考えてみれば、私は落ち葉で焼いた古式ゆかしい焼き芋を手にするのは初めてかも知れない。
記憶にある限りでは、私が食べたことのあるさつま芋は、全て電子レンジで温めたものだったと思う。
石焼き芋屋さんの車は、食べたいと思う時に限って家の近くを通ってくれないのだ。
「いい感じに焼けてるぜ」
「楽しみね」
私たちの手にはそれぞれ、美味しそうに焼き上がったお芋が1つずつ。どれもが両手サイズの大物で、手に持つと確かな量感を感じさせてくれた。
この分量はおやつとしては多いのかも知れないが、こうして現物を目の前にしてしまえば食欲が優先されるのだ。
「ちなみに、これは私んちのやつなんだからね。感謝しなさい」
「寄進されたものを自分のものだって言うのもどうかと思うがな」
これらのお芋は、里の方たちからの頂き物であるらしい。
こうして農作物を貰える程度には、博麗神社は繁盛しているようだった。まあ、何かしら食料を入手する手段がなければ霊夢さんが餓死してしまう。
「ま、そんなことより早く食べようぜ」
「そうね、いただきましょうか」
感謝だ何だ言っていても、霊夢さんも早く食べたいようだった。
手元に近付けて分かる、ちょっと焦げたにおいの中に香るほのかな香ばしさ。はしたないことに、口の中では早くも唾液の分泌が始まっていた。
私は高鳴る胸を抑え、お芋さんを真ん中で2つに割り開く。すると、飛び出すように白い湯気が立ち上り、その御姿を覆い隠してしまう。
しかしそれも数瞬のこと。次第に晴れてくる湯気の向こうに姿を現したのは、
「わぁ……」
見事なまでに黄金色に焼き上がったお芋様だった。それは、コインの詰まった宝箱のようにキラキラと輝いている。
閉じ込められていた香りが待ち構えていたように広がって、部屋いっぱいに甘い香りが立ち込めていく。
そんな風に誘われてしまっては、私はもう我慢をすることさえ出来なかった。
「いただきまぁす」
そう言うが早いか、私は2人に先んじて焼き芋にかじり付いていた。
口に含んだそれは思っていた以上に柔らかくて、舌に乗せたそばから唾液に溶けていく。
それと同時に、とろけるような甘さがじんわりと口いっぱいに広がっていき。
それこそ、ほっぺたが落ちるような、と言うにふさわしい、甘くて美味しい焼き芋なのだった。
「おいひぃ……」
思わず口を付いて出る、そんな正直な言葉。
「何か、語尾にハートマークでも付きそうな台詞だな」
「ひ、ってあたりがいかにもって感じね」
そんな風に2人に茶化される。
しかし、仕方がないではないか。実際に、この焼き芋はまさに“おいひぃ”のだ。
それに、そうやって茶化してくる2人だって、焼き芋を口にした瞬間から、それこそとろけるように表情を緩ませている。
「でも、本当に美味しいわねぇ」
「何か、食べるのが勿体ないくらいだな」
私たちは口々にそんなことを言いながら、焼き芋を食べ進める。
霊夢さんも魔理沙さんも美味しそうに頬を綻ばせていて、その笑顔はいつも以上に柔らかだった。
甘いものを口にしている時の女の子の顔とは、かくも可愛いものなのかと思う。
こたつで暖まりながら、美味しい焼き芋に舌鼓を打つ。
それは寒さ厳しい幻想郷の冬にあって、ささやかだけれど暖かな幸せを享受出来る貴重なひとときなのかも知れなかった。
「……そう言えば、芋で思い出したんだけどさぁ」
霊夢さんがそんな風に喋り始めたのは、それぞれが半分ほどを食べ終えた頃だった。
「あいつら、今何してるんだろう」
「あいつらって何だ?」
「ほら、前に早苗たちをしばき倒しに行った時……」
しばき倒すとは随分と物騒な物言いだが、実際にしばき倒された身なので文句も言えない。
「途中で会ったじゃない、芋っぽいやつに」
「芋っぽいって言うとニュアンス変わってしまうぜ。秋姉妹のことか?」
「そうそう。もうすっかり冬だから、ちょっと気になったのよ」
「春が過ぎた後のリリーホワイトと並んで、謎のヴェールに包まれてるな」
秋姉妹。
静葉さんと、穣子さん。それぞれ、秋を司る紅葉と豊穣の神様である。
幻想郷におわします神様として、私もお話したことはある。けれど、私にとってはそれだけの存在に過ぎない。
私にとって祀るべき神様は、神奈子様と諏訪子様だけなのだから。
「今頃、何してるのかしらねぇ」
「何となく、どこかで2人して膝を抱えて震えてる気がするぜ」
「あー、分かる気がするわ」
「秋が終わったら用なしだからなぁ、秋姉妹」
「呼んだぁー?」
「うおっ!」
どこからともなく幽霊のような声がして、魔理沙さんが飛び退く。私も不意の声に驚いたけど、飛び上がるほどではなかった。
何で魔理沙さんだけ? と思ったが、どうやら声は彼女のすぐ後ろから聞こえて来たらしい。庭に面した方の障子が半分ほど開かれていた。
そして、そこから顔だけを覗かせていたのは、
「……何だお前らか、おどかすなよ」
「何だか私たちの話をしてたみたいだからー、来てみましたー」
そこにいたのは、当の静葉さんと穣子さんだった。
その台詞は棒読みというか、どこかおざなりな印象がある。ついでにその表情も、いかにも気だるそうに沈んでいた。
これはやっぱりあれか。秋を司る神様だから、秋が終われば信仰が失われて何もかもが投げやりになってしまうのか。
「違うでしょ穣子。あんたが焼き芋の香りに釣られたからここに来たんじゃない」
「姉さんだって、この匂い嗅いだらお腹をぐーぐー鳴らしてたじゃないの」
「仕方ないじゃない、こんな美味しそうなお芋の香りがしたら食欲もわくわよ」
「何それ、じゃあ姉さんはいつも私の香りを嗅いではお腹を鳴らしてよだれを垂らしてるのね」
「誰がよだれよ、失礼ね!」
「実の妹を食べようとするなんて鬼畜! 変態! えんがちょ!」
何しに来たのだこの姉妹。
いや、今言っていた通りお芋の香りに誘われてやって来たのだろうが、顔を出したそばからいきなり口喧嘩を始められても困る。しかも言い争いの中身は救いようもなく下らないときたもんだ。
何となく、ことあるごとに喧嘩をしている神奈子様と諏訪子様を思い出してしまう。
神様同士というものは、かくも仲が悪いものなのかと呆れずにはいられなかった。
「あー、もうっ!」
耐え切れなくなったように声を上げたのは、やはりと言うか霊夢さんだった。
勝手に押しかけて来た上に勝手に喧嘩を始められてしまえば、彼女でなくとも怒りたくなるだろう。
霊夢さんの怒声によって、2人の口論もピタリと止まる。博麗の巫女の一喝は、神をも黙らせるらしい。
コタツを出、床を踏み鳴らしながら姉妹に迫る霊夢さんは、怒りの為か、肩を震えさせてさえいた。
そして、一喝されてすくみ上がっている2人の腕を手荒にひっ掴むと、そのまま部屋に引っ張り込んでしまう。さすがに乱暴が過ぎると思い、何もそこまでしなくても、と言おうとしたら、
「寒いんだからさっさと障子閉めなさい!」
それはごもっともだった。
「ああ、美味しい……」
「さすがは秋の味覚ね。さすがは私」
秋を司る神様姉妹が、秋の風物詩である焼き芋を美味しそうに味わっていた。
結局、霊夢さんはお茶と焼き芋で彼女たちをもてなすことにした。部屋に入れてしまった以上は追い出すのも忍びない。
そうでなくとも、自らが司る季節を終えてしまい意気消沈している神様を、冬の真っ只中へ放り出すのはあまりに気の毒だろう。
姉妹は温かいお茶と甘い焼き芋を口にして、ようやく人心地ついたようだった。
「で、あんたたちって冬の間は何をしてるの?」
「何って、別に何もしてないわよ」
「何もって、本当に何もしてないの?」
「うん。別にやることもないし。ねぇ穣子」
「そうそう」
部屋に落ち着いてからは、姉妹喧嘩もコロッと収まっていた。
ただその分だけ、もとのダウナーな雰囲気に戻りつつあるのだけれど。
「それで、今日は腹いせに冬の妖怪でもとっちめてやろうかと思って出掛けた訳よ」
「そしたら、ここの焼き芋の香りに誘われたって訳」
「ふぅん。まあ別に誘っちゃいないんだけどねぇ」
霊夢さんがちょっと冷たい。原因は、食べかけだった焼き芋の残り半分を2人に分けてやってしまったからだろう。
さつま芋を新たに焼き上げるには時間が掛かってしまう。だから、私たちの分を譲るしかなかったのだった。
それにしても、神様であるにもかかわらず、腹いせだのとっちめるだのと言葉遣いが穏やかでない。腹いせのターゲットにされかけた冬の妖怪とやらからすれば迷惑な話だ。
と言うか最初の沈み具合を考えたら、妖怪に喧嘩を吹っかけたところで返り討ちに遭ってしまう気がする。
私は彼女たちを信仰している訳ではないけれど、人に崇められる神様として、それらしさと言うか、威厳みたいなものを持って欲しい。
「何もしないのではなくて、例えばこう、神様らしく信仰を集めようとしたりはしないのですか?」
だから私は、2人にそう問うてみた。
神の力は、信仰の大きさによって左右される。
信仰を失っているのならば、神様としてそれを取り戻すために行動を起こして欲しいと、私は思うのだ。
そう、かつて神奈子様がそうしたように。
「けど、今は秋じゃないものねぇ」
「そうそう、だから私たちのことなんて誰も信仰してくれやしないわよ」
はなっから諦めているようだった。随分とやさぐれている。
「だいたい、人間だって勝手なものよ。収穫祭の時だけはやたら持て囃して来るくせに、それが終わったらポイなんだもん」
「そうそう、紅葉が綺麗ねーとか言いながら、それが散ったら後は知らんぷり」
怒っていると言うよりは、構って貰えなくなって拗ねているような感じだった。
確かに人間側からすれば、収穫や紅葉の時期が過ぎれば彼女たちのような神様は要らなくなってしまう。
けれど、人間たちは決して彼女たちを見捨てた訳ではない、と信じたい。
残念なのは、それを伝えるだけの言葉が私の中に見つからないということだった。
「ま、都合のいい時だけ都合のいい神様を持て囃すのよね、人間は」
「そうそう。人間なんてそんなものよね」
しれっとそう言って、姉妹は焼き芋にかじりつく。諦念の入り混じったようなその言葉に、私は寂しさを感じずにはいられなかった。
人間なんてそんなもの、か。
確かにその言葉は分からなくもない。苦しい時の神頼み、なんて言葉があるように、人は窮地に陥った時だけ都合良く神様にすがったりするものだ。
そして苦境から抜け出してしまえば、神に祈ったことなど忘れてたかのように、元の生活に戻ってしまう。そこには神への信仰もなく、ましてや感謝の思いなど存在していようはずがなかった。
外の世界は、そういう人たちで溢れかえっている。それゆえに、神奈子様は一大決心をして外の世界に見切りをつけ、信仰心を取り戻すためにこうして幻想郷へと居を移したのだ。
私はそんな神奈子様に寄り添って生きて来たから、信仰を失って不貞腐れている2人の気持ちがよく分かるのだった。
しかし、私がそうして姉妹に同情の念を寄せていた時である。
それまで頬杖を付きながらなおざりに話を聞いていた霊夢さんが、呆れたように短くため息を切った。
「ったく、黙って聞いてりゃたらたらたらたら文句ばっかりね、あんたら」
それは、たいへん手厳しい一言だった。
不満ばかりをこぼす姉妹も確かに問題だけれども、霊夢さんの言葉はそれを差し引いても辛らつなものだった。
「何よ、信仰されないんだから仕方ないじゃない」
「閑古鳥が鳴いてる神社の巫女に言われたくはないわよ!」
「まあ私のことは別にいいけどさぁ。あんたら、自分たちが全く信仰されてないって思ってる訳?」
霊夢さんが頬杖を解き、思いのほか鋭い視線を姉妹に向ける。
攻撃的な物言いではあるけれど、責めている訳でも怒っている訳でもなさそうだった。
「……どういうことよ、それ」
睨み付けられてひるんでいた穣子さんが、どうにか抵抗するように言い返す。
確かに、今の霊夢さんの言葉は気になるところだった。それは要するに、「信仰されていない訳ではない」と言っているに等しい。
もし、彼女たちを信仰してくれる者がいるのならば、それは2人にとって大きな救いになるだろう。その存在を、私も知りたかった。
自然、霊夢さんに4人の視線が集まっていく。
彼女はもったいぶるように湯飲みに口をつける。そして一息つくと、何故か私の方を見やってから口を開いた。
「……あんたらが来る前だけど、さっき早苗はね、この焼き芋を食べる前に、ちゃんと『いただきます』って言ってたわ。
これって、豊穣の神様であるあんたへの感謝の言葉――信仰に他ならないと思わない?」
いきなり私の名が登場して、ドキリとしてしまう。それは全くの不意打ちだった。霊夢さんが私の何気ない一言を覚えていたのは意外である。
しかし、驚いているばかりではいられない。私はここで、考えなければならなくなる。
確かに私はいただきますを言ったのだけれど、それは一体何に向けての言葉だったのか、と。
焼いてくれた魔理沙さんにか、さつま芋の世話をして育ててくれた里の人にか、それとも、実りを司る豊穣の神様である彼女にか。
実のところ私はその時、そのいずれをも思い浮かべてはいない。穣子さんには申し訳ないが、それが正直なところだった。
けれど、と思う。
それなら何故、私は欠かすことなく「いただきます」や「ごちそうさま」を言うのだろうか。
私にとって食事の際の挨拶は、言わば呼吸をするのと同じくらい自然な行為となっている。今後も、それをやめることはないだろう。
「いただく」という、敬意を表す言葉。
そこには、食べるという行為に対するつつしみ深い思いが込められている気がする。
それはある意味で、信仰よりももっと原始的で、漠然とした感情の発露なのかも知れなかった。
「そう、かなぁ……」
穣子さんが、半信半疑といった様子で首を傾げていた。
「ま、それを信じるかはあんたの勝手だけどね。
でも神様だったらさ、もう少し人間の方を信じてやってもいいんじゃないの? って思うわ。ねえ早苗」
霊夢さんが、明らかに何かを意図して私に話を振ろうとしている。そして同時に穣子さんが、どこかすがるような眼差しで私のことを見つめていた。
彼女たちの望んでいるものが、私にはすぐに分かった。
それは簡単なことで、ただ、気持ちを込めてその言葉を発すれば良いだけのこと。
そう、いつもの挨拶の言葉に、穣子さんという1柱の豊穣の神様へ向けて、感謝の意味を乗せれば良いのだ。
「焼き芋、美味しかったですよ、ごちそうさまです」
私はにっこりと微笑んで、穣子さんにそう言った。
本当に美味しかったのだから、お世辞を口にする必要も表情を偽る必要もない。その言葉は、私の素直な思いの現れだった。
穣子さんはしばし呆然としていたが、やがてはっと我に返ると、
「ありがとう……」
と、小さく笑って見せたのだった。
それはここを訪れて以来、怒ったりやさぐれたりするばかりだった彼女が、私たちに初めて見せる柔らかな笑顔だった。
神様という立場上、彼女はこうやって素朴な感謝を向けられることは少ないのだろうか。
収穫祭の時期だけは過剰に持て囃され、それ以外の季節は目も向けられない。
神様と言えど――いや、神様だからこそ、それは不憫な仕打ちだろう。
けれど今は。
「いただきます」と「ごちそうさま」。その2つの挨拶を、自身への信仰と信じることが出来るのならば、彼女は報われるのかも知れなかった。
――神様だったら、もう少し人間を信じてやってもいいんじゃないか。
ふと、霊夢さんのそんな一言が蘇る。
それは人間にとって、余りに都合の良い考えではある。
それでも、ある意味で人間を見捨ててしまった私や神奈子様にとって、耳が痛い言葉なのは確かなのだった。
ともあれ、全てが丸く収まって良かった。正直、最初は霊夢さんがどんなひどいことを言うのかとハラハラしていたのだ。
と、そうやって、私が胸をなでおろしていた時だった。
「ねぇ、私は……?」
寂しげにぽつりとつぶやいたのは、そう、姉の静葉さんだった。
そう言えば、彼女は別に豊穣の神様でも何でもない。つまり今までの話は、彼女にとっては何の関係もないことになる。
本当のことを言えば私は彼女の存在をすっかり失念していたのだけれども、まさかそんなことは口に出来ない。
「あー、そう言えばあんたのことをすっかり忘れてたわ」
「ひどい……」
しかし霊夢さんは、そんなことを悪びれもせず言い放ってしまう。良くも悪くも裏表がなさ過ぎる。心と口が直結してるんじゃないかと疑いたくなった。
「けどなぁ、紅葉の神様を秋以外も信仰してくれって言われても、やっぱり難しいんじゃないか?」
「うぅ……」
今までずっと黙ってたのに、どうしてこうトドメを刺すようなことを言いますか魔理沙さん。
とは言え、その言葉が間違っていないことも確かな訳で。
今にも泣きそうな静葉さんを慰めるのは、ちょっと難しいかも知れない。
「そうねぇ……。みんなが食べた焼き芋は、落ち葉を焼いて灰にして、その中で温めて作ったのよ。
だから、木々が紅葉した後で落葉してくれないと作れないの。言わばこの焼き芋は、あんたら姉妹の合作みたいなものね」
霊夢さんが、かなりそれらしいことを言ってくれる。
「……ってのじゃダメかしら」
「それは何か違う気がする……」
まあ、言っていることは間違いでなくとも、それは信仰とは余り関係がなかった。
「でも少なくとも、私たちは美味しい焼き芋を食べられたんだから、あんたたち両方に感謝したいところね」
「うーん……、でもやっぱり私は紅葉の神だし、紅葉の美しさで信仰されたい」
それだとやはり、秋以外は信仰の対象になりそうもない。
「じゃあこの際だから、焼き芋の神様になっちゃえば? そしたら誰かが焼き芋食べるたびに感謝されるかも」
「何よその野暮ったい神様は!」
「ダメ?」
「ダメよ! 私はあくまで紅葉の神なんだから、人間たちに美しい紅葉を見て貰って、それで信仰されたいの!」
「ふぅん……」
霊夢さんはまたしても、頬杖をついている。
けれど、それはそっけない態度を取っている訳ではないようで、どうしたことかニヤついてさえいた。
「さっきから話聞いてて思ったんだけどさぁ、あんたら2人って何だかんだ言って人間のこと大好きよねぇ」
「なっ!」
姉妹そろって驚く。
「何を言うのよ!」
「そうよ、何をやぶから棒に!」
「だってさぁ、さっきから凄く人間から信仰されたがってるみたいだし、それに、冬になって信仰されなくて……というか構って貰えなくなって、子供みたいに拗ねちゃってるし」
姉妹は、それこそ紅葉したみたいに頬を赤く染めてしまう。どうやら図星のようだった。
まあ確かに今までの言動を鑑みれば、さもありなんと思われる。2人は困ったように目を泳がせ、表情を引きつらせるばかりだった。
やがて静葉さんは、唇を尖らせてそっぽを向いてしまう。しかしそれでも私たち人間の方に目をやりながら、唇を動かした。
「し、仕方ないじゃない。……人間が、す、好きなんだからさ」
やばい何この神様超可愛い。
「正直でよろしいわね」
「て言うか姉さん、これからその路線で行けばいいんじゃない? きっと物凄い勢いで信仰集まるわよ」
「穣子まで何を言うのよ!」
静葉さんの顔がいい感じに紅葉している。このまま散ってしまわないか心配になるほどだった。
確かにこれなら信仰が集まりそうではある。彼女の望む類のものとは全く異なるだろうけど。
「そんなに人間を好いてくれるのなら、人間代表として、あんたたちをもてなさないとね」
「もうやめてよー!」
とうとう頭を抱えてしまった。耳の先っぽまで見事に真っ赤である。
と言うか、本当に泣きそうになっている。
「霊夢さん、さすがにそろそろ……」
「ああ、ごめんごめん、つい、ね」
つい、でこの人は神様をここまでいじり倒すのか。
「ちょっと言い過ぎたわ。これから私たちがお鍋でもご馳走するから、それで許してくれないかしら?」
「お鍋……?」
「そう。せっかくいらした神様をそうやっておもてなしするのも1つの信仰でしょ?」
それは霊夢さんとしては極めて珍しい、巫女らしい発言だった。彼女も締める時は締めるらしい。
普段からこのくらいまともだったらもう少し参拝客も集まりそうなのに、などと思うけれど、適度に緩いからこその霊夢さんかなぁ、とも思う。
「なあ霊夢、『私たちがご馳走する』って今言ってたけど、私らも手伝うのか?」
「当たり前でしょ。あんたらは神様じゃないんだから、食べる前にちゃんと手伝いなさい」
「へいへい」
おざなりな返事だけれども、手伝いはちゃんとするようだ。自身もお鍋にありつけると分かったからかも知れない。
と言うかいつの間にか私も頭数に入れられていた。
「あ、でも私は帰らないと神奈子様と諏訪子様が……」
「なら、あいつらもここに呼んじゃえば?」
「……いいんですか?」
「構わないわよ。ただし、食材の持ち込み大歓迎ね」
「大歓迎ってか、むしろそれが目的だろ?」
「ばれたか」
魔理沙さんの指摘に、霊夢さんがぺろりと舌を出す。
まあ、私たちもお鍋に参加出来るのならば、食材の提供くらい何でもない。
幻想郷におわします神様をもてなすのだから、幻想郷にいる巫女として、その手伝いをするのもある意味当然と言える。
「じゃあ、とりあえず私は神奈子様と諏訪子様を呼んで――」
「――我を呼ぶのは何処の人ぞ」
「うおっ!」
突然の声に驚いて、魔理沙さんが飛び上がる。
声のした方、魔理沙さんの背後を見ると、
「神奈子様!」
まさかとは思ったが、開いた障子から姿を見せていたのは当の神奈子様だった。
「ってお前、いくらなんでも来るの早過ぎるだろ!」
「早過ぎって、ここにはウチの分社があるんだから早くて当たり前じゃないの」
「それにしたってだなぁ……」
魔理沙さんはどこか不満そうだった。まあ考えてみれば、1日に2回も後ろから誰かに驚かされてしまったのだ。文句を言いたくもなるだろう。
「まあいいじゃないの。ご希望の通り、食材は持って来たわよ」
「ほう、山の神様が用意する食材か。それは楽しみだな」
「ま、普通の食材だけどね」
そう言う神奈子様がひょいと差し出したのは――首根っこを掴まれた諏訪子様だった。
「食ーべーるーなー!」
「おっと間違えた」
「どこが普通の食材だ!」
喚き散らして抵抗する諏訪子様を尻目に、神奈子様は笑っている。どう考えてもわざとだった。
手足をバタつかせる諏訪子様を畳の上に下ろすと、神奈子様は今度こそ、まともな食材を差し出した。
大きなザルの上には、鶏肉や豆腐に加えて、春菊やしめじなどなど。もちろん白菜も用意されている。量的にも、みんなが食べるのに十分なほどだった。
「今日は寒いから、ウチでも鍋をやろうと思っててねぇ。用意してたのよ」
「そうそう。そしたら丁度こうして博麗神社にお呼ばれされたって訳よ」
なるほど、どうりで用意が良かった訳だ。
「じゃあ、そろそろ日も暮れてくる頃だから、お鍋の支度を始めましょうか」
「そうですね」
「だな」
そうして霊夢さんの号令のもと、人間3人が立ち上がった時だった。
いつの間にか、秋姉妹がコタツの隅っこで小さくなっていたことに私たちは気が付いた。
「……そう言えば、まだあんたたちの返事を聞いてなかったわね」
「…………」
2人とも、不安そうな表情で俯くばかりだった。
私たちが内輪で勝手に盛り上がっていた上に、山の神様まで連れて来てしまったのだ。彼女たちが萎縮してしまうのも無理はない。
申し訳ないことをしたな、と思う。
「本当に、遠慮なんていらないわよ。変な神様呼んじゃったけど、悪いやつらじゃないし」
「そうそう。たまには神様同士で仲良くするのも悪くないわよね」
こういう時は、諏訪子様の気さくな明るさが救いだった。
諏訪子様なら、姉妹の気楽な話し相手になれそうだし、もしかしたら信仰に関する相談も出来るかも知れなかった。
「……ま、さっきはちょっときついことも言ったけどさ。そのへんは勘弁して貰って。
それに何だかんだ言って、私たちももう少し神様を大事にしないとねぇ、って思うし……」
霊夢さんが、頬をかきながらぽつぽつと語る。彼女にしては殊勝な言葉である。
もてなすと言っておきながらその存在を忘れていたことに、多少なりとも後ろめたさを感じているのだろうか。
姉妹は私たちの顔をくるりと見回すと、互いに顔を見合わせる。そこでようやく、表情を和らげてくれた。
そして2人同時に頷くと、姉である静葉さんが霊夢さんに向かって、口を開いた。
「私たちは、貴方たちの厚意をありがたくいただくわ」
その言葉からは、ちょっとだけだけれども神様らしい威厳を感じさせてくれた。
そしてようやく、秋を司る姉妹が揃って笑ってくれたのだった。
「どういたしまして。さすがは人間大好きっ娘の静葉様ね」
「だからそれもうやめてってば!」
「あ、ごめん、ついつい」
そんな静葉さんのなけなしの威厳は、しかし一瞬で捨て去られてしまった。霊夢さんは笑いながらも謝っていたが、まあわざとだろう。
恥ずかしさのあまり涙目で拗ねている静葉さんを、穣子さんがなだめていた。この2人の場合は、姉も妹もないのかも知れない。
喧嘩もするようだけど、基本的には仲がいいみたいだった。
静葉さんのことは穣子さんに任せて、私たち人間3人は炊事場へと向かう。
恥ずかしい思いをしてまで、人間が好きと言ってくれたのだ。ならばそれに、思い切り応えねばならないだろう。言われるまでもなくそうするつもりだった。
霊夢さんもすこぶる上機嫌なようで、早くも鼻歌を歌い始めている。彼女も、こうして神様へ奉仕出来る機会を得られて嬉しいのだろう。
もしかしたら私は今、神と人間の理想的な関係を目の当たりにしているのかも知れなかった。
あ、自分も静葉姉さんの方が好きです
人恋し神様かわいい。
そういやかなすわと他の既存の山の神様の相性ってどんなんなんですかね。
出てきた面々と比較すると、神格にだいぶ差がありそうですが。
やっぱ気が引けたり委縮したりの天狗同様の縦社会だったりするんでしょうか。
愉快な八百万の神・・・、これはまさに日本における人と神様との理想的な関係でしょうね^^
いいお話でした、ごちそうさまです^^