●
今日も負けた。くやしい。
湖の上をまほう使いがとんでいたから、昨日とおとといと、そのまた前の借りを返そうと思った。
だけど、あっさりやられちゃった。何でだろう。
まほう使いは得意そうに笑いながら、大きな洋館のほうに向かって飛んでいった。
あたいは強いのに。あたいにこおらせられないものなんてないはずなのに。
湖の前で座っていたあたいに、友だちの大ちゃんが話しかけてきた。
「もう。またそんなに服を汚しちゃって……。チルノちゃんが頑張ってるのはわかるけど、もうやめよ?
あの人たちは、私たちとは別世界の住人なんだから」
「ふ、ふんっ。何よ、たかが人間じゃない」
「妖精は本来、人間よりも力の弱い存在なのよ。チルノちゃんが特別なように、彼女達もまた特別なんだと思う」
「……あたいって、弱いのかな」
「そ、そんなことないよ。私なんかよりも全然強いじゃないっ」
なぐさめなくてもいいよ。あたいも、少しずつわかってきたからさ。
今のままじゃ勝てない、って。でも何かいやだ。そういうのってすごくあたいらしくない。
そんなことを考えていると、きゅうに目の前がじわ~っ、ってにじみ出してきた。
「な、泣かないで。ほら、今は夏だからさ。
チルノちゃんもいまいちパワーがでないんだよ。冬になったらきっと勝てるようになるよ!」
「……アイシクルフォール(easy)も当たるようになる?」
「……」
「ぐすっ」
「き、きききっと当たるようになるんじゃないかな!? ……うん、絶対、多分、恐らく。
元気出してよチルノちゃん。そんなのいつものチルノちゃんらしくないよ」
やっぱり大ちゃんは友だちだ。あたいと同じことを思っていたみたい。
あたいだって、メソメソ泣いているよりは、笑ってたほうがいい。
あたいは元気よく立ち上がった。大ちゃんが目をパチクリ、とさせておどろいていた。
「……どうしたの?」
「あたい、修行する! みこやまほう使いに負けないくらいに強くなってやるのよ!」
「修行、って……何をするつもり?」
「え? えーっと。う~ん」
どうしよう。そこまでは考えてなかった。
でもなにかしなくっちゃ。くやしいままで終わるのはいやだ。あたいが最強だってことを証明したい!
あたいがうんうんうなっていると、茂みの中からカエルが飛び出してきた。
とりあえずこおらせてみる。そんで、こおったカエルを湖の中に放りこんだ。
しばらくしてから、湖の上をさっきのカエルが泳いでいるのが見えた。
……うん、今日もあたい絶好調じゃん!
「あっ。そうだ! カエルより強いやつをこおらせればあたいも強くなれるかも!」
「だ、だめだよ! 無闇矢鱈に生き物を凍らせちゃ。みんなが迷惑しちゃうよ!」
そうかなあ? みんなあついあついって言ってるし、すずしくなればうれしいんじゃない?
最初は何にしよう。けだまとか、うさぎとか。あ、イノシシなんてむずかしそう。
なんだかちょっとワクワクしてきた。
どんどん強いやつをたおしていって、最後はみことまほう使いを氷づけにしてやるんだ!
『―――助けて下さい~。カチンコチンになって動けませ~ん!』
『フフン。助けてほしかったらこういうのよ。チルノさまはさいきょうです! って』
『言います言います! 何でもします! チルノ様こそ最強です!』
『ちょっと魔理沙! わたしの方がチルノ様のことを最強だって思っているんだから!
チルノ様は、幻想郷で一番強くて可愛くて頭のいい完璧な妖精です! だからわたしの氷から先に溶かしてくださーい!』
『あーっはっはっは! さーて、どっちから先に助けてあげようかしら?』
『チルノさまーっ』
……えへへ。面白い。ぜーったいにおもしろくなりそう。
そうと決まったら、まずはエモノを探しにいかなくっちゃ!
あたいはまほうの森にむかってとんでいった。大ちゃんが何かいってたけど、聞こえなかった。
―――にげる。あたいは必死になって空を飛ぶ。
その後ろには、ドドドッ、って大きな音を立てて、イノシシが走っていた。
よーし。そろそろ逃げるのは止めよう。これはあたいの作戦。アイツを油断させるために考えた必殺技だ。
ゆーターンしたあたいは、追いかけてきたイノシシのお尻に向かって、全速力で飛ぶ。
イノシシがくるり、と向きを変えてきたところに、すかさずあたいの最強パワーをおみまいしてやった。
「……てやーっ!」
カチンコチンのイノシシのできあがり。なーんだ、イノシシってあんまり強くないんだ。
あたいに近づけば近づくほど、なんだか動きがにぶくなったみたい。
何でかはわかんないけど、多分あたいが強いからなんだな、と思った。
森の上を飛んでるときも、近くにいた鳥をこおらせたりもした。こおらせた分だけ、自信がついた気がした。
やっぱりあたいは強いんだ。
そう思うと、いっぱいいっぱい元気になってきて、もっともっとやるぞー! ってあたいは手をふりあげた。
ちょっとあつくて大変だったけど、それでもがまんしてれば強くなれる、と信じた。
目についた鳥を、かたっぱしからこおらせながら飛んでいると、まっ黄色のお花畑が見えてきた。
黄色くて、花びらがおっきくて、あたいの住んでる森には無いお花がたくさん咲いている。
見ているだけでなんだか心がポカポカしてくる。あったかいのは好きくないけど、心があったかいのは気持ちがいい。
あたいは一目で、名前もわからないこのお花が気にいった。
もっと近くで見よう、とあたいは花畑に着地する。
……あれ? あたいが近づいたとたん、なんだかお花たちが元気を失くしてしまったみたい。
どうしてだろう、とあたいがその花にさわろうとした。その時だった。
「やめなさい。私の子たちをあんまりいじめないであげて」
そんな、きれいですきとおった声があたいの耳に入ってきた。
だれだろう、と声のしたほうに振り向いてみると、そこにはお花好きなあいつがいつものニコニコ顔で立っていた。
「ゆーかじゃない。こんなトコで何してんの?」
「向日葵に限った話じゃないけど、花はとてもデリケートな生き物なの。
貴方が纏う冷気に当てられ続けたら、この子たちはたちまちに死んでしまうのよ。わかる?」
あたいのあいさつを無視して、風見ゆーかはやさしい笑顔でそんなことを言った。
前にお花がいっぱい咲いていた時の異変に、一回だけ会ったことがある。
でもしんでしまう、ってどういうことなんだろう。よくわかんない。
「……久しぶりね雪ん娘さん。でも挨拶なんかどうだっていいのよ。
それよりも速やかに花畑から離れなさい。これ以上この場に留まるというのなら実力行使も辞さないわ」
ゆーかは、すごい妖気を出しながら、そんなワケのわからないことを言った。
笑っているのに、めちゃくちゃこわい。それはきっと目が怒っているからだ。
でも、何であたいがにげなくちゃいけないの?
にげるのは弱いほう。強いやつは絶対ににげない。それがげんそうきょうのオキテだ。
あの時は負けちゃったけど、あたいはあのころよりもずっとずーっと強くなっている。
……ちょうどいいや。あたいの修行にうってつけの相手だ。今度こそ絶対に勝ってみせるわ!
あたいは飛んだ。真上に。ここでだんまくごっこをしたらお花たちが迷惑するからだ。
ゆーかも、あたいの考えていることに気付いたのか、同じ高さくらいまでとんでくれた。
どうしてかさっきよりも怒っていないように見えた。
「案外、頭は回るみたいね。もしあの場で見境なしに暴れてくれたら、すぐさま灰燼に帰してあげたのに」
「かんちがいしないでよ。あたいはあのお花が好きだから、まきこみたくなかっただけ」
「……そう。何で氷精がこんな所までやってきたのかは知らないけど―――」
そう言って、ゆーかはもっていたかさの先を、ゆっくりとあたいの顔に向けた。
敵なのにどうしてだろう? 何だか、そんなゆーかがすごくカッコよく見えた。
「―――きなさい。今なら半殺しで許してあげる」
あたいよりも大きい、ものすごい数のピンクの花びらみたいなたまが、あたいに向かって飛んできた。
まるで生きているんじゃないか、って思うくらい、それは正確にあたいをねらってくる。
だんまくのむれの中にある、ほんの少しのスキマを見つけて、かいくぐる。その先にまただんまく。
きれいで、大きくて、力強くて、うっとうしい花びらのあらし。
よけることに精一杯で、あたいはまだ一発もこうげきできてない。
ゆーかはさいしょの場所から、ぜんぜん動いていない。
なのに、あたいは必死になって、くるくる、ばたばたとおどりつづける。
ゆーかは汗一つかかず、やさしい笑顔であたいを見つめている。
なのに、あたいは汗びっしょりになって、そんなゆーかの顔をにらんでいる。
花びらと花びらの間に、小さな光のたまが混じっていた。あわてて体をひねってそれをやりすごす。
ゆーかが、へえ、とおどろいたようにつぶやいた。
「あの頃よりも動きがサマになっているじゃない。ごっこ遊びとはいえ、相当な場数を踏んできたのね」
「―――ッ! くっ! あたりま、ひゃっ!」
当たり前、って言おうとしたけど、そんなのゆーかのだんまくが許してくれない。
だから心の中で言うことにした。
今までいっぱいいっぱい、れーむやまりさと戦ってきたんだ。これくらいどうってことないわよ!
でもこのままじゃ、いつかはつかれて、よけきれなくなって、負けちゃう。
……また負けるの?
またくやしくて、いじけて、泣き出すの?
そんなの、―――そんなのぜったいにやだっ!
あたいは最強なんだ! だから、ぜったい、あんなヤツなんかに負けるもんか!
どうすればいい、と目の前のだんまくに集中しながら、考える。
少しでもいい。あいつのだんまくが止まってくれたら、あたいにもこうげきのチャンスが出来る。
考える。考える。考えて考えてかんがえて―――
そこで、あたいはゆーかが言っていたことを思い出した。
『私の子たちをあんまりいじめないであげて』
ゆーかはお花が大好きだ。だからあたいと戦っている。
―――それならっ!
あたいは急降下した。お花畑に向かって、一直線に。
「……!」
やっぱりだ! ゆーかのこうげきが止まった。あたいがよけたらお花に当たっちゃうもんね!
服の中にしまってあったスペルカードを取り出す。あたいのこうげきのチャンスは……今しかない!
―――凍符『パーフェクトフリーズ』
ありったけのパワーをカードにこめて、あたいは氷のだんまくをゆーかにうち出した。
「こおっちまえーーーーーっ!!」
わかっていたことだけど、ゆーかはやっぱり強い。メチャクチャ強い。
れーむやまりさと同じくらい、いや、もしかしたらもっと強いかもしれない。
でも、動きだけはそんなに速くなかったことは覚えてる。おどろいてた今のゆーかなら絶対に当たる!
だからここで決めなきゃ。これでダメならあたいにもう勝ち目はない。
お願い、当たって。当たって。当たって―――!
ダメおしのスペルカードを使おうと、ポケットの中に手をつっこんでいると。
かさを前にむけて、平気な顔であたいのだんまくをふせいでいるゆーかの顔が目に入った。
……今度はあたいがおどろく番だった。
「……小賢しい真似を」
「そ、そのかさ、一体なにで出来てんのよ」
せいいっぱいの強がりだった。本当はするどい目でにらみつけてくるゆーかが、こわくてこわくてたまらない。
ゆーかの目を見たあたいのヒザが、勝手にブルブル、とふるえてる。
がんばったのに、一生けんめい考えたのに、それでもあいつらにはぜんぜん通用しないんだ。
そう思うと、なみだまでこぼれそうになった。でもそれだけは何とかがまんした。
ここで泣いたら、ホントのホントに負けになっちゃうじゃない!
ゆーかがゆっくりとあたいに近づいてくる。止めようとだんまくをいっぱい出したけどムダだった。
こ、来ないで! 近づかないでよ! あ、あんたなんかに、あんたなんかに。
「負けてたまるかぁーーーーっ!!」
―――氷符『アイシクルフォール』
こわくて、くやしくて、かなしくて。
あたいは思わず、一番なじんでいたスペルを使ってしまう。
でも、あたいの目の前にいるゆーかに、だんまくは一つも当たらなかった。
「……寒いわね」
「さ、さむくないもん! まだ負けてないわっ!」
「そうじゃなくて、貴方の近くにいると寒いのよ」
そう言って、ゆーかは思いっきり手をふりあげた。
だんまくが出来ないから、あたいをなぐるつもりなのかなぁ。
負けるのはイヤだけど、いたいのもイヤだ。あたいはギュッ、と目をつむった。
ぺちっ
いたいのにたえようとしてた、あたいのおでこに、小さないたみが走った。
おそるおそる目をあける。
そこにはこわくないゆーかが、指をでこぴんの形にして、大ちゃんやレティみたいにやさしい顔で笑ってた。
「今日の所はこれで勘弁してあげるわ。ぴーぴー泣き喚かれてもうるさいだけだしね」
「な、泣いてなんかないわよっ!」
「……はいはい。でもこれだけは覚えておきなさい。貴方が撒き散らしている冷気は、あの花にとって毒なのよ。
向日葵が好きなら、今後一切花畑には近づかないことね」
「しんじゃうってこと?」
「そうよ。そもそもどうしてこんな所まで来たのかしら? 花にいたずらしに来たようには見えないけど」
「あたいは今しゅぎょー中なの! だから色んなとこに行って、色んなヤツと戦っているのよ!」
「……修行?」
あ、なんかゆーかが面白い顔になった。まゆげが下がっているから、困っているのかも。
あたいは今までのことを説明することにした。負けちゃったけど、それなら次勝てばいいだけだもん。
負けたくやしさよりも、得意げな顔でデコピンするゆーかの強さに、あたいはあこがれた。
ゆーかみたいなヤツが、本当のさいきょうなのかもしれない。……ぜったいに口には出さないけどね。
「……つまり、自分より弱い生き物を殺して回っているってことかしら?
悪意がない分タチの悪い生き物ね、妖精ってのは。
小動物や凍らされる程度じゃ死なない妖怪ならまだしも、それが人間に向けられたりでもしたら」
「ゆーか、何を言ってるの?」
「……いたずらでは済まされないってことよ」
「?」
ゆーかはますますこまった顔をしてる。何でだろう? あたい何かしたのかな?
「まあ、私には関係ないけどね。貴方も人間もどうなろうと知った事ではないし。
ただ一つだけ忠告しといてあげる。もう修行なんてやめなさい。……手遅れになる前にね」
「どうして?」
「どうしてだと思う?」
「……あ、わかった! あたいが強くなるのがこわいのね!
だいじょうぶよ。あんたに勝つときは、あたいもでこぴんですませてあげる!」
「……貴方は一度痛い目にあっておいた方がいいのかもね。口で言うだけじゃわからないみたい」
忠告はしたわよ。そんなことを最後に言って、ゆーかは何処かへ飛んでいってしまった。
修行を止めろ、とゆーかは言ってたけど、がんばらないといつまでたっても、あたいは最強になれない。
ゆーかみたいに強くなりたい。そう思うことのどこがいけないのか、あたいにはわからなかった。
▲
―――それは、チルノの視点から、数時間ほど遡った別のお話。
私―――大妖精は今、魔法の森中を飛び回っています。
意気揚々とはしゃぎながら、森の方角へ飛び去ってしまった友達のチルノちゃんを探す為にです。
あの子はいつも元気いっぱいだし、どこかへ遊びに行っても、いつもなら探しに行くなんてことはしないのですが。
今回ばかりは事情が違いました。
飛び立つ前に、彼女がとても物騒なことを言っていたからです。
『あっ。そうだ! カエルより強いやつをこおらせればあたいも強くなれるかも!』
蛙より強い生き物など、それこそ無限に存在します。
そして、その中には凍らせたら最期、二度と戻らない命もあるかもしれません。
彼らの家族は悲しむでしょう。他でもないチルノちゃんの手によって誰かの命が奪われる。
……そんなの私には、とても耐えられそうもありませんでした。
だから私は探します。あの無邪気で幼い、掛け替えのない友達を。
チルノちゃんはきっと、生き物を殺すということの意味をまだよくわかっていない。
彼女の行動が活発になったのは、幻想郷にスペルカードルールが制定されてからでした。
確かに他の妖精たちに比べ、チルノちゃんは並外れた潜在能力を持って生まれました。
でも幼い彼女には、それを生かす術を知り得ません。
そして、なまじ強い力は『危険物』として、彼女を孤独に追い込んでいきました。
力の正しい使い方を教えてくれる人などいませんでした。
ちょうどその頃からチルノちゃんは、最強という言葉を使い始めたのを覚えています。
そんな折に、弾幕ごっこという決闘ルールが流行り出しました。
殺さず、必要以上に傷つけず、禍根の残さない決着を導き出すそのルールは、彼女の力を活かす格好の材料でした。
言うなれば、あの子は弾幕ごっこしか戦い方を知らないのです。
殺意というものを抱いたことがないのです。
妖怪のように必要悪で生命を奪う必要のないチルノちゃんは、その重要性を知らないまま、今日まで至りました。
それは詰まるところ。
「……もし、チルノちゃんが取り返しのつかない事をしてしまったら、それはきっと」
私のせいだ。
一番身近にいる私が、無理にでもあの子を諭すべきだったんだ。
ああ見えて、チルノちゃんは少し高慢なところがあります。
自分より強い相手の言う事は心に残しますが、逆の場合はあまり聞き入れてくれません。
私も妖精の中では、力の強い方ですけど、あの子に物を教えるまでには及びませんでした。
でもそれも所詮は言い訳に過ぎません。引っ叩いてでも、喧嘩してでも、あの時に止めるべきだったんです。
どうしよう、どうしよう! チルノちゃんに何かあったら私は……!
「―――貴方、チルノの連れの妖精よね? 少し、話いいかしら?」
「!?」
突然、背後から声がかかりました。いつの間にいたのでしょう?
どうやらチルノちゃんに意識を取られ過ぎて、周囲に気を配るのを怠っていたようです。
声の方に振り向くと、魔法の森の人形使いが腕組みをして浮かんでいました。
……その顔に幾分かの怒気を孕ませて。
●
ゆーかと別れてからも、あたいはやっぱり修行を続けることにした。
あたいよりもでっかいおおかみをこおらせた。
ふよふよと飛んでいた、何かを運んでいる人形をこおらせた。
森の中をうろついてる、こわい顔をした妖怪をこおらせた。
妖怪とかはちょっと苦労したけど、ゆーかたちに比べたら全然大したことない。
ふーっ、と一息ついて、辺りを見回してみると、いつの間にか夕方になっていた。
それに人がいっぱい住んでいる里まで来てたみたい。
そういえば、前に大ちゃんが人間には近づくな、って言ってたような気がする。
大ちゃん、今ごろあたいを心配しているかもしれない。そろそろ湖に戻らないと。
そう思っていると、人間の家のそばで草を食べている大きな牛が、あたいの目にとまった。
……そういえば、牛と戦ったことはないや。強いのかな?
こーきしんが勝ったあたいは、最後にその牛と戦ってから帰ることにした。
しんちょうに歩いて牛に近づく。そしたら、あたいの顔を見て、モーッ、ってないた。
ふふふ! せんせんふこくねっ! だったらあたいも名乗りをあげてやろうじゃないの!
「あたいはさいきょーのようせいチルノよ! 今からアンタに正々堂々勝負を申しこんで上げるわっ!」
「ンモォー」
ビシーッ、と人さし指をつきつけたあたいの前にいた牛が、何だか体をブルブル、とふるわせながらないている。
あたいのあまりの迫力にビビっているのね。でもようしゃなんかしてあげないんだから!
「うりゃーっ!」
あたいの最強パワーを浴びた牛は、あっけなく氷のかたまりになってしまう。
……ぜんぜん弱いじゃない。これならイノシシやおおかみの方がよっぽど素早かったわ。
さーて、それじゃ湖に帰ろうかな、とあたいがこおった牛に背中を向けると。
「コラーッ! このいたずら妖精が! うちの家畜に何さらすんじゃー!」
クワをもった見たことのないおじさんが、あたいの方に向かって走ってきた。
そ、そんなに怒ることないじゃない。あたいたちは真剣勝負をしていたの。
それにあたいが勝って、牛が負けただけなんだから!
おじさんはすごくこわい顔で、持っていたクワをふりあげる。
「とっとと出てけ! この糞ガキめっ!」
「わわっ」
あたいのすぐ横にクワの先がささった。あ、あっぶなー! 当たったらどうすんのよ!
……さてはこのおじさんも、あたいに勝負をいどんでいるのね?
ただの人間のクセにいい度胸じゃない! それならカッチンコチンにしてあげるわ!
あたいはバッ、と手をふりかざす。
「こおっちゃえーーっ!」
「―――!? あ、あがっ! ……ひ、ヒッ」
ちょっとねらいがそれちゃったのか、あたいが放った力は、おじさんの足に当たってしまう。
そのとたん、さっきまでこわかったおじさんの顔が、みるみるうちに、なさけない顔に変わってしまった。
こおりついた左足を引きずりながら、ズルズル、といも虫みたいにはって、あたいからにげようとする。
「た、助けて。やめろ、く、来るな、ヒッ、ヒィィィ!」
……何だかとっても気持ちがいい。
今までのてきは、みんなこんな必死になって、あたいをこわがってくれなかった。
言葉にするのがむずかしいけど、何かこう、あたいの方が絶対に強いんだってことを教えてくれる。
何で今まで気付かなかったんだろ。人間っていい。すごく、すごくこおらせがいがあるよ。
「……ふっ。あははっ! ねえ、おじさん。あたいがこわいの? 助けてほしい?」
「た、たすけて。お願いだから。あ、ああ足が冷たい。元に、元に戻してくれぇ!」
気持ちいい。気持ちいい。きもちいい!
これがみこやまほう使いじゃないのはガッカリだけど、それでもうれしかった。ゾクゾク、って体がふるえてきちゃった。
今、あたいはすごくこわい顔をしていると思う。きっとゆーかみたいに、カッコよく笑っているにちがいないわっ!
「……ダメだよ。これは勝負なんだから。あたいに負けたやつは、みんなれーがいなく氷づけになっちゃうのよ」
あたいの言葉に、おじさんは青い顔になってジタバタ、とあばれた。
でも、あたいが少し力をこめれば、それもすぐに動かなくなっちゃう。
氷がとけた後は、きっとあたいが最強だってことを一生骨身にしみながら、生きていくことになるのね。
「それじゃバイバイ、おじさん―――」
▲
「……チルノちゃんが、人形を?」
「ええ。使いに行かせた子が中々帰ってこないから、気になって探してみたはいいけどね。
……氷漬けになって木の枝に引っかかっていたわ。魔力の残滓があったから、人為的である事は疑いようもない。
と、なると心当たりは一人しかいないの。……身に覚えのありそうな顔してるけど?」
「……」
魔法の森の中空に佇み、アリス・マーガトロイドさんは、憮然とした顔で事のあらましを私に説明してくれました。
雲一つない真夏の晴天は、肌が痛いほどに暑いです。でもそれとは別に、私の頬に一筋の汗が流れ落ちました。
ああ、遅かったんだ。もうすでに他人に見境なく迷惑を掛けていた。
何で、なんであの時、チルノちゃんを止められなかったんだろう。
強い後悔の念が、私の心を支配します。
そんな私の狼狽する様を見て、アリスさんは少し戸惑った様相で再び話掛けてきました。
「……なによ。チルノに何かあったの?」
「え、あの。それは……」
「説明なさい。巻き込まれた以上、私もすでに当事者なのよ。貴方には釈明する義務があるわ」
「チ、チルノちゃんは何も悪くないんです。全部、全部私のせいなんです」
その言葉を皮切りに、チルノちゃんと起こしたやり取りを、私はアリスさんに説明しました。
チルノちゃんはあまりにも幼すぎること。そして、それをわかっていながら放置していた……私の罪も、全て明かしました。
アリスさんは後味の悪いものを食べた後のような渋い顔で、私の話を静かに聞いてくれました。
「―――と、いうわけなんです。後で必ずチルノちゃんと一緒に、お詫びに伺います。
でも、今は一刻も早くあの子を見つけないと。私はこれで失礼しますっ!」
「待ちなさい」
言い捨てて、逃げるように背を向けた私に、アリスさんは三度声を掛けてきました。
その声色は身震いするほどに冷たいものでした。でも、彼女がそうなってしまうのも無理はありません。
擬似生命体とはいえ、人形はアリスさんにとって、家族同然の存在であると聞いたことがあります。
それを何の良心の呵責もなく氷漬けにしたチルノちゃんは、人形使いにとって危険因子以外の何者でもないでしょう。
……でも、それでも私にだって譲れないものがあります。
身勝手だろうが、理に適ってなかろうが、誰から何を言われようと、チルノちゃんは私が守ります。
「……チルノちゃんは私にしか止められないんです。行かせてください」
「無駄よ。口で言って分かる子なら、貴方だってこんな苦労はしてないでしょう?」
「……」
「ああいうのには身体で覚えさせないとダメなのよ。……そこで私から一つ考えがあるのだけれど。
因果応報の意味と、命の尊さをひっくるめて、一番わかりやすくあの子に刻みつける方法を教えてあげるわ」
「え? そ、そんなことが出来るんですか?」
「簡単よ」
やっぱり魔法使いは、私たちなんかとは頭の出来が違います。
一筋の光明が見えた気がした私は、安心した心持ちで背けていた身体をクルリ、と翻しました。
その瞬間、私の目に飛び込んでものは、光明などではなく―――死神の鎌でした。
私の首、くびを、アリスさんの手が、ギリギリ、としめつけ、ている。
アリスさんが、酷薄な笑みを浮かべて、人形たちに私の拘束を命じている。
く、苦しい。怖くてわからなくて声も出ない。なんで? ど、どうして?
「……ふふ。すごくいい顔しているわよ、今の貴方。
気付いていないようだから教えてあげるけどね。たまたま木の枝に引っかかってくれた、ってどういうことかわかる?
上海は幸運だったの。一歩間違えれば地面に激突して、粉々になっていたのかもしれないのよ。
この顔を目にすれば、あのチルノでも少しは思い知るでしょう? 私の怒りと悲しみをね」
舌なめずりをしながら、アリスさんは憤怒に満ちた声で何かを言っています。
だけど、その言葉が、恐慌状態にある私の耳に届くことはありません。
じょじょに視界までぼやけてきて、……そして塞がれていきました。
アリスさんが言い終える前に、私の意識は闇の底へと落ち
●
「―――やめろっ! 殺すな!」
「あっ」
おじさんにトドメをさそうと思って、力を集中させてた右手を、いきなりだれかにつかまれた。
声のほうに顔をむけると、ヘンなぼうしをかぶった、背の高い女の人が、けわしい顔であたいをにらみつけていた。
……えーっと、誰だっけこいつ。たしかどっかで見たことあるんだけどなー。
「……あ、そうだ。けーねだ。えん会とかにたまにきてたでしょ? あんた」
「……ああ、確かに私たちは顔見知りだ。だからこそ、お前がこんなことをする輩だとは思わなかったぞチルノ!」
え? え? こいつも、な、何でそんなに怒ってんの?
あたいの腕をギリギリ、と強くしめつけていてすごく、いたい。
けーねってもっとやさしそうなイメージがあったのに、なんでこんなことをするんだろう?
あたいたちがにらみあっていると、その内けーねはバッ、とらんぼうに手を放してから、おじさんのところに走っていった。
「大丈夫か!」
「おぉ……。慧音様…、慧音さまぁ」
「……よし、水疱は見当たらないな。少しの間我慢してくれ」
そう言ってけーねは、おじさんのこおった左足に手を当てる。氷をとかして、手当てしてた。
おじさんは、そんなけーねのうでをにぎりしめて、安心したように泣いている。
……なによなによなによっ! これじゃあ、まるであたいが悪者みたいじゃないっ!
あたいは正々堂々戦ってたんだ! それを横からジャマして、何てヤツなの!
けーねの背中に、一発おみまいしてやろうと、あたいはもう一度パワーを集中する。
そしたら、ポン、ってあたいの頭にだれかの手がおかれた。……またジャマされた。
「そこまでだ。いたずらにしては少々度が過ぎているわね。何かあったの?」
「あんたは……」
こいつも覚えてる。竹林にいるもこーってヤツだ。
正直、こいつにはあまり勝てる気がしない。なんでだろ? あいしょーってやつ?
いくらあたいが強くても、けーねともこーが二人でかかってきたら、やられちゃうかもしれない。
でも何でみんな、あたいのジャマをするの? せっかくサイコーの遊びを覚えたっていうのに……。
けーねがやぶいた自分の服を足にまきつけると、おじさんはフラフラ走って帰っていった。あーあ、にげちゃった。
「……説明してもらうぞ。何故こんな馬鹿な真似をした。事と次第によっては」
「そんな殺気立つなよ慧音。無事だったんだからいいじゃん」
「あたいバカじゃないわよっ! バカっていう方がバカなんだからねっ!」
なんか会話がちぐはぐ、だ。
けーねが何でそんなに怒っているのかわかんないし、バカって言われるのもムカツク。
もこーはあたいの味方っぽいけど、説明はしろよ? って言われた。
説明たって何を言えばいいんだろ? しゅぎょーのことを話せばいいのかな。
あたいは、まりさに負けたこととか、ゆーかや動物たちと戦ったことをしゃべった。
最後に氷づけになっている牛のほうを指さしてみる。……二人の顔がくもった。
「……チルノ。ちょっとお前ウチに来い。先生から大切な話がある」
「ふ、ふんっ! どうせせっきょーでしょ? そんなのエンマだけで十分だわっ」
「ほぉ、そうかそうか。ならば致し方ないな」
そういってけーねは、笑顔でヒザを組んで、あたいの目の前まで顔を持ってきた。
わ、笑ってるのにすっげーコワイ。ゆーかに負けないくらいこわい。こいつタダモノじゃねぇ!
やられる前にやらなくちゃ! とあたいはスペルカードを取り出そうとしたけれど。
「……ぬんっ!」
「ぐぎゃ!」
ガシッ、と両手で頭をつかまれたと思うと、けーねは思いっきりあたいにずつきをかましてきた。
お星さまがあたいの目の前でくるくる回る。ついでにあたいも目を回して、たおれた。
「さて。聞いた通りだが、妹紅。お前はこれからどうする?」
「……付き合うよ。どうやら仲裁役が必要みたいだしね」
―――まぶたを開くと、目の前には腕を組んで座っているけーねの姿があった。
気絶してる間に、あたいはけーねの家に連れこまれちゃったみたい。
広い部屋のすみっこには、もこーも無言であたいを見つめている。
ねおきでボー、としていると、けーねに声をかけられた。
それでハッキリと目をさましたあたいは、今もジンジンいたむおでこをおさえながら、バカけーねに文句を言ってやった。
「なにすんのよ! あんた、あたいに一体なんのうらみがあるわけっ!?」
「恨みなどない。だが言わなければいけない事は山ほどある。とにかく座れ」
「イヤよ。湖に帰る」
あたいが出口に向かおうとすると、肩をつかまれた。
けーねが強い力であたいを引き止めている。こいつ、どこまであたいのジャマすれば気がすむのかしら?
もう一回文句を言ってやろうと、けーねの目を見る。そこであたいは気が付いた。
「……頼む。話を聞いてくれ。これはお前にとっても大切なことなんだ」
けーねはもう怒っていない事に。
むしろ、あたいのことを心配しているようにも見える。
けーねの目は、マジメな話をする時の、大ちゃんやレティと同じくらい真剣そのものだった。
だからあたいは、しぶしぶ座り直した。それで、けーねはようやく手を放してくれた。
「……チルノ。お前は少し命を軽んじすぎている。いくら無知蒙昧とはいえ、やっていい事と悪い事があるんだぞ」
「……何か本当にエンマみたい」
「茶化すな。私は大真面目だ」
「む~っ」
マジメなお話は苦手だ。けーねは強そうだから、いちおー聞いてあげるけどさ。
「お前は、命を奪うという事の意味をわかっていない。……いや、死という概念すら理解していないのかもしれないな」
「し?」
「死ぬ、死んでしまう。言い方は様々だが、二度と会えなくなってしまう、ということだよ」
「う~ん、なんかゆーかも同じこと言ってたよーな?」
「ゆーか?」
「うんっ! お花畑にいてね。すっごく強くてカッコいいんだよ!」
「……あの妖怪か。何を話したのかは知らんが、聞いていた話とは随分違うのだな」
「?」
「いや、何でもない。話が逸れてしまった。
お前はあの里人。……いや、おじさんを凍らせた時、何を思った?
蛙や妖怪みたいに、氷を溶かしてやれば、それでまた動けるようになると思っただろう?」
「うん。なんで? 動かないの?」
「それが死、だ。そして、命を奪うということだ」
なんか、けーねの話ってすごくわかりやすい。こういうのになれているのかな?
「蛙は体が小さいし、元々寒さに弱い生き物なんだ。だからお前の力でも冷凍保存。命を繋ぎ止めることが出来る。
ここら辺はわからなくてもいいが、妖怪だって丈夫だから凍ってしまうくらいでは死なない」
「うん? う~ん。かえるや、ようかいならいいってこと?」
「決してよくはないが、……まあ、いたずらで済ませられる範囲かも、な。
……だが、人間は違う。中途半端な力で傷つけたら、溶かしたってずっと動かなくなってしまうんだよ」
「しんじゃう?」
「そうだ。いなくなってしまうんだ。
二度と一緒に遊べなくなる。声を聞けなくなる。その人の笑顔が見られなくなる。……それはとても悲しいだろ?」
「……うん」
「もし、お前の友達が『しんじゃう』したら、イヤだろ?」
「うん」
「幽香もきっと、友達が死んじゃうのが嫌だから、お前と弾幕ごっこをしたんじゃないか?」
「……うんっ」
ゆうかが言ってたことが、やっとわかってきた気がした。
そっか。大好きなお花がしんじゃうのがイヤだったから、あんなに怒ってたんだ。
ゆうかは、修行を止めろ、とも言ってた。
それは、あたいがもし人間をしんじゃうした時、その人間の友達に悲しい思いをさせるのがイヤだったからなのかも。
あたいだって、大ちゃんやレティがいなくなったら、絶対にイヤだもん。
……ゆうかって強い上に優しいんだ。すげー、あたいもあいつみたいになれたらいいなぁ。
「……少しは分かってきたようだな。いたずらをするな、とまでは言わない。
だが、お前の軽はずみな行動は、人間と妖精の溝をますます深め、ともすれば戦争に繋がりかねない大事だったんだ。
もっと、自分のやっていることに責任をもて。他の人に悲しい思いをさせるなんて、絶対にしてはいけないぞ」
「……うん、ごめん。もう人間は絶対にこおらせない」
「わかればいい。やっぱりお前は素直ないい子だ」
そう言って、けいねはあたいの頭を優しくなでてくれた。
えへへ。おじさんを怖がらせたのも気持ち良かったけど、けいねになでられるのは、もっと気持ちいいや。
けいねにつられて笑ってると、それまでずっとしゃべらなかったもこうが、あたいたちの所に近づいてきた。
「……結局、私の出る幕はなかったみたいね。やれやれ、何のために出張ったのやら」
これじゃ空気じゃないか、って文句を言ってる割には、もこうは安心したように笑ってた。
……あったかい。うん、おじさんをしんじゃうしなくて、ホントに良かったと思う。
だって、もししんじゃうしてたら、きっとこんなにあったかくならなかったハズだから。
「それじゃ、おじさんに謝りに行こう。私も一緒についていってやるから」
「う? んー、謝るのはニガテー。まだ怒ってるんじゃない?」
「だから、ごめんなさいするんだよ。大丈夫、誠意をもって謝れば、きっと許してくれるさ」
「わ、わかったわよぅ」
「……ああ、だがその前にやることがあった」
「ん?」
けいねはニッコリ、とほほ笑んだかと思うと、突然、ガッシリあたいの体を抱きしめた。
「うぇ?」
「け、慧音?」
あたいともこうの声なんか聞こえていないかのように、けいねはそのまま、あたいの体をくの字におり曲げる。
そして、しっかりとヒザの上に乗せて固定した後、ニヤリ、と邪悪な笑みを浮かべた。
「……反省したとはいえ、お前は私の里の者を傷つけた。お仕置きだけはしておかなければならないな」
あ、あんた、しっかり頭突きしてたじゃん! あれはオシオキの内に入らないの!?
言う前にけいねはペロン、とあたいのスカートを思い切りめくりあげた。
ついでにはいてたドロワーズもずり下ろされる。けいねの前で、あたいのお尻が丸見えになった。
「―――caved!!!!」
なに? なになに? もこう、そんな真っ青になって、何意味不明なことさけんでんの?
あ、あれ? な、なんであたいまで冷や汗が止まんなくなってんのよ。
え? 何気にこれって、もしかして今、あたい人生でさいきょーのピンチなんじゃない?
「なぁに、最初は痛いが、じきに慣れる」
「よっ、よせぇぇぇ!! 慧音正気か!? そ、そんな小さな子供を開発するつもり!?」
「躾だシツケ。天に向かって唾を吐けば、それは必ず己の顔に落ちてくるという真理を、我々は教えなければならない」
「角がないんだぞ!? ゆ、指か? 指ですんのか!? ……何だか私の尻までムズムズしてきたぁ!」
「た、助けて大ちゃーーーーーーーーーーっ!!!」
ジタバタ、と手足を動かして泣きさけぶあたい。
お尻を抑えて、モゾモゾもだえるもこう。
キリッ、とほほを引きしめながら、思い切り片手を振り上げるけいね。
そして。
―――パッシーン!
そんな軽快な音と一緒に、飛び上がるほどのしょうげきが、あたいのお尻に走った。
「……ぁ~、ひどい目にあったわ」
空からお天道様がいなくなって、暗くなりかけた空を、あたいはフラフラ、と飛んでいた。
もちろん湖に帰るためにだ。大ちゃん心配しているだろうな~。
身体をよじってみると、お尻がヒリヒリ、って痛んだ。けいねのバカっ。
でも、ズキズキよりはヒリヒリ、の方がまだマシだったのかもしんない。
お尻叩きの刑に処されたあたいを、ホッ、とした顔でながめていたもこうを見ていると、何故かそう思えた。
あの後、おじさんの所にちゃんと謝りに行った。
やっぱりまだ怖がってたみたいだったけど、けいねのおかげで、あたいはごめんなさい、って頭を下げる事が出来た。
それで許してくれるかどうかはわからない。でも、何もしないよりはいいよね?
そんなことを考えている内に、あたいは自分のナワバリである山に戻ってきた。
薄暗い空の下に、大きな湖とそのほとりにそびえる赤い洋館が見える。
……あれ?
あたいは夜目が利くほうじゃないけど、湖の水辺に誰か人が立っていたのがわかった。
大ちゃんじゃない。暗くてもよくわかるくらい鮮やかな金のかみ。周りには数体の人形が浮かんでいる。
あいつ、こんなトコで何やっているんだろ?
「アリス~!」
「……おかえりチルノ。遅かったわね」
あたいは声をかけながら、アリスのところに降り立つ。
アリスは、にこやかな顔で普段なら絶対言わないようなあいさつをした。
赤い洋館に用があるんじゃないの? あ、それなら飛んでいけばいいだけか。
何でアリスがこんな所にいるのか、あたいにはその理由が思い浮かばなかった。
だから直接聞くことにした。
「ねえ? あんたこんなトコで何やってんの?
あ、もしかして、最強のあたいに挑戦しに来たのね!? いいわっ、特別に相手してあげる!」
「ん~、半分くらい正解かな? 私の人形が随分お世話になったみたいだし」
「……げ」
や、やっばー! そういえばすっかり忘れてた。あたい、アリスの人形も凍らせてたっけ。
さっきまでのあたいだったら、それがどうしたの! って攻撃しちゃうところだけど。
けいねに会って、それがすごく悪いことだと知った。
人形はアリスの友達だもんね。友達がしんじゃうされたら、そりゃアリスだって怒るに決まってる。
謝るのは苦手だけど、おじさんには出来たんだから、アリスにもしなくちゃいけない。
「ご、ごめんっ! もう絶対しないからっ」
「? やけに素直ね。てっきり『それがどうしたの!』って弾幕を展開してくるかと思ってたけど」
「……う。け、けいねに説教されたの。だから今回だけは、あたいが悪いって認めてあげただけよ」
あたいの考えてることなんてお見通しみたい。うう~、何か腹立つなぁ。
そんなあたいを見ていたアリスはクスッ、って笑う。
細めた冷たい瞳が、本気であたいをバカにしているように見えた。
ますますムカツク! あたいを怒らせるとどうなるか、弾幕で教えてあげる必要があるようねっ!
「フフッ。別に謝る必要なんてないのよ? 私もそれ相応の『お返し』をしてあげたから」
「お返し?」
「さっき言ったわよね? 用事の半分が貴方と弾幕ごっこをする為だって。……もう半分はこれを貴方に渡す為なのよ」
そう言って、アリスは黄色い布切れをあたいに手渡してきた。
何これ? そう思ってその布切れをマジマジと見る。
……リボンだ。それも、あたいはこのリボンを知ってる。見覚えがある。これって。
「……大ちゃん、の?」
「ご名答。貴方の大事なお友達の持ち物ですものね。見間違えるはずがないか」
「な、なんでアリスが大ちゃんのリボンなんか持ってんの?」
「貴方が私のお友達にひどいことをしてくれたから、私もそれと同じことをしてあげたのよ」
「!」
頭をグワン! と何かで殴られたような衝撃があたいの全身に走った。
あ、あんた大ちゃんに何したのよ? 大ちゃんは全然カンケーないじゃないっ!
そんなに怒ったんなら、ムカついたんなら、直接あたいをやっつければいいのに!
「だ、大ちゃんはどこ?」
「……」
「―――教えろよっ!! 大ちゃんはどこにいるの!?」
あたいはアリスに掴みかかろうとした。
だけど、それよりも早く、武器を持った無数の人形があたいの前に立ちはだかった。
目の前が真っ暗になる。あ、あれ? こんなに夜更けていたっけ?
たまらずペタン、とあたいはその場に腰を落とした。地面が冷たい。夏なのに風も…冷たい。
氷精のクセに、いつの間にかあたいは自分の身体を抱きしめてブルブル、と寒さに震えていた。
そして、アリスはさらにザンコクな事実を、あたいに突きつけた。
「……あの妖精なら消滅したわ。ちょっとやりすぎちゃったみたい。
だからお詫びに、あの子の形見をわざわざ届けてあげたんじゃない。……感謝なさい」
「しょ、しょう、めつ?」
「死んだのよ。死んじゃった」
「……しんじゃう?」
しんじゃう、しんじゃうしんじゃう、とあたいは何度も何度もその言葉をくり返し口にした。
何それ? わかんない。全然わかんないよ。
いつもまりさとかにバカ、バカって言われて怒ってたあたいだけど、今だけはバカでいい。バカになりたかった。
だって、わかっちゃったら、認めちゃったら、あたいはこれからどうすれば、いいの?
わかりたくないのに、バカになりたかったのに。あたいの頭は勝手に、あの時のけいねの言葉を思い出していた。
『二度と一緒に遊べなくなる』
―――やだよ。
『声を聞けなくなる』
―――やだっ! やだ、やだやだやだぁ!!
『その人の笑顔が見られなくなる』
―――うるさいっ! やめてよ……、こんなの絶対ウソなんだから!!
『……それはとても悲しいだろ?』
―――大ちゃん! 大ちゃん大ちゃん大ちゃんだいちゃんっ!!!
あたい、もう二度と修行なんてしないから! カエルだってこおらせたりしない!
だから、だからあたいを一人にしないでよおおおおぉぉぉぉぉぉぉっっ!!!
気が付いたら、あたいの顔はぐっしょりとぬれていた。
涙とか鼻水とかヨダレとか、色んなものが混ざった水が、あたいの顔をクシャクシャに歪めている。
そんなあたいの姿を、アリスは満足そうにほほ笑みながらながめていた。
これが、これが―――死?
死んじゃうってこういうことだったのね。
友達が本当に死んでしまったら、こんなにも身が引き裂かれんばかりに、悲しいものだったんだ。
ああ、これは良くない。絶対にしてはいけない、悪いことだ。
残された人があまりにも可哀想だ。唐突すぎる。理不尽すぎる。許せなさ過ぎる。
絶望ってこういう時に使う言葉だったんだ、とあたいは思い知った。
でも、それでもアリスのしたことは、決して間違っていないと思う。
だって、こんな悲嘆を味わってしまったら、誰だってそれを与えた相手にやり返したいって思うのは当然のことだよ。
仕方のないことなんだ。誰が悪いかと言えば、それはきっと、あたいの方なんだから。
……でもさ。
それならあたいも
目の前にいる、このクソ野郎に
……やり返したいと思うのも、当然だよね?
◆
―――寒い。
チルノの前に立つ私は、しきりに二の腕を手の平でこすっていた。
地面にへたれこんだチルノは、俯いて何かをブツブツ呟きながら、ポタリポタリ、と地面に大粒の涙を落とし続けている。
その涙が地面に染み込む度に、周囲の気温が急激な勢いで下がっていった。
霧の湖は、夏なのにもはや冬の夜よりも寒い。まさかチルノに、ここまでの力があるとは思ってもみなかった。
……悲しいだろう。悔しいだろう。私が憎くて憎くてたまらないだろう。
思い切りぶつけてきなさいな。これは私からのレッスン。私の授業料はとても高いのよ。
チルノを迎撃せんが為、私の分身である八体の人形を方円に配置する。
そして、懐に納めてあるスペルカードの枚数を確認した。……もうちょっと持ってくればよかった。
今のチルノは恐らく強い。途轍もなく。
準備にはナメてかかったが、戦闘でまでそれをすれば、返り討ちに合う可能性さえありそうだ。
あれをいつもの能天気な氷精だと思うな。吸血鬼や八雲紫クラスの相手と認識しろ。
勿論、そんなの過大評価に過ぎないけれど、注意だけはしておくに越した事ない。これは私の理性。
でも、その時だった。
私の本能とも言える内なる声が、全力で戦え、と必死になって叫んだのだ。
……冗談。
いくらなんでもそこまでする必要はないでしょ、と私の理性は反論するが、動物的な本能は叫ぶのを止めない。
私は、相手がどんなに強かろうが、形勢が不利になろうが、勝負事で本気を出して戦うことは決してしない。
これは敵を小馬鹿にしたり、出し惜しみしてるつもりじゃなくて、単に私のポリシーのようなものだ。
常に相手の一段上の力で構える。その結果負けたとしても、それはそれでかまわない。
でももし―――
「……アリス」
私の思考は、氷よりもなお冷たい、チルノの小さな声によって掻き消された。
氷精が緩慢な動作で立ち上がる。その瞬間、半径数百メートル四方にある全ての命が、瞬く間に凍りついた。
木々も、生物も、湖さえも完全に死んだ。中空を飛んでいた鳥類が、氷の塊となって次々と地面に落下し、砕け散った。
周囲の気温はどこまで低下した? 氷点下すら生温い。ここはすでに……私たち以外動くものなどない永久凍土だ。
真夏のブリザードなんて、冗談の域を一足飛びで通り越していて、風物詩にもなりえなかった。
シールドが間に合ってよかった。あと一瞬遅れていたら、戦う前に世界で一番美しい氷像が出来上がってしまう所だった。
……そういえばあの妖精は大丈夫かしら?
避難してると思うけど、まさか一緒に凍っちゃってたりしてないでしょうね。
「ありがとね」
氷結の女神は、再びその青白い唇を小さく動かす。これ、本当にチルノの声?
声だけじゃない。その表情も背筋が凍るほどにのっぺらとしてて、一切の感情の色が見えない。
私には、彼女が怒りも悲しみも超越して、何か、本当に別のモノに変わってしまったように思えた。
こんなこと言える立場じゃないけど、……なんて目をしてるのよ貴方。
チルノは懐に忍ばせていたスペルカードを数枚取り出す。まさかそれを一気に使うつもりなのだろうか?
慌てて構える私の姿など、氷の彫刻のように無機質な、チルノの両眼には映っていなかった。
チルノは片腕を上げて、スペルカードの束を頭上に掲げると、それらを全て一息で粉砕した。
「……なっ!?」
「いらないのよこんな物。お前相手には」
「チ、チルノ……あな、た」
「アリス。お前には死んじゃうの恐ろしさと、残された者の悲しみを、イヤというほど教えてもらったわ。
だからありがとう。そのお礼と言ってはなんだけど、あたい誓ったの。お前も―――」
でももし―――、負けてしまえば後のない、完全な殺し合いを相手が望んでいるとすれば。
「―――大ちゃんのように死んじゃうしてやるって。他の誰でもない、あたいの手で」
私はどうすればいいのだろうか。
今日も負けた。くやしい。
湖の上をまほう使いがとんでいたから、昨日とおとといと、そのまた前の借りを返そうと思った。
だけど、あっさりやられちゃった。何でだろう。
まほう使いは得意そうに笑いながら、大きな洋館のほうに向かって飛んでいった。
あたいは強いのに。あたいにこおらせられないものなんてないはずなのに。
湖の前で座っていたあたいに、友だちの大ちゃんが話しかけてきた。
「もう。またそんなに服を汚しちゃって……。チルノちゃんが頑張ってるのはわかるけど、もうやめよ?
あの人たちは、私たちとは別世界の住人なんだから」
「ふ、ふんっ。何よ、たかが人間じゃない」
「妖精は本来、人間よりも力の弱い存在なのよ。チルノちゃんが特別なように、彼女達もまた特別なんだと思う」
「……あたいって、弱いのかな」
「そ、そんなことないよ。私なんかよりも全然強いじゃないっ」
なぐさめなくてもいいよ。あたいも、少しずつわかってきたからさ。
今のままじゃ勝てない、って。でも何かいやだ。そういうのってすごくあたいらしくない。
そんなことを考えていると、きゅうに目の前がじわ~っ、ってにじみ出してきた。
「な、泣かないで。ほら、今は夏だからさ。
チルノちゃんもいまいちパワーがでないんだよ。冬になったらきっと勝てるようになるよ!」
「……アイシクルフォール(easy)も当たるようになる?」
「……」
「ぐすっ」
「き、きききっと当たるようになるんじゃないかな!? ……うん、絶対、多分、恐らく。
元気出してよチルノちゃん。そんなのいつものチルノちゃんらしくないよ」
やっぱり大ちゃんは友だちだ。あたいと同じことを思っていたみたい。
あたいだって、メソメソ泣いているよりは、笑ってたほうがいい。
あたいは元気よく立ち上がった。大ちゃんが目をパチクリ、とさせておどろいていた。
「……どうしたの?」
「あたい、修行する! みこやまほう使いに負けないくらいに強くなってやるのよ!」
「修行、って……何をするつもり?」
「え? えーっと。う~ん」
どうしよう。そこまでは考えてなかった。
でもなにかしなくっちゃ。くやしいままで終わるのはいやだ。あたいが最強だってことを証明したい!
あたいがうんうんうなっていると、茂みの中からカエルが飛び出してきた。
とりあえずこおらせてみる。そんで、こおったカエルを湖の中に放りこんだ。
しばらくしてから、湖の上をさっきのカエルが泳いでいるのが見えた。
……うん、今日もあたい絶好調じゃん!
「あっ。そうだ! カエルより強いやつをこおらせればあたいも強くなれるかも!」
「だ、だめだよ! 無闇矢鱈に生き物を凍らせちゃ。みんなが迷惑しちゃうよ!」
そうかなあ? みんなあついあついって言ってるし、すずしくなればうれしいんじゃない?
最初は何にしよう。けだまとか、うさぎとか。あ、イノシシなんてむずかしそう。
なんだかちょっとワクワクしてきた。
どんどん強いやつをたおしていって、最後はみことまほう使いを氷づけにしてやるんだ!
『―――助けて下さい~。カチンコチンになって動けませ~ん!』
『フフン。助けてほしかったらこういうのよ。チルノさまはさいきょうです! って』
『言います言います! 何でもします! チルノ様こそ最強です!』
『ちょっと魔理沙! わたしの方がチルノ様のことを最強だって思っているんだから!
チルノ様は、幻想郷で一番強くて可愛くて頭のいい完璧な妖精です! だからわたしの氷から先に溶かしてくださーい!』
『あーっはっはっは! さーて、どっちから先に助けてあげようかしら?』
『チルノさまーっ』
……えへへ。面白い。ぜーったいにおもしろくなりそう。
そうと決まったら、まずはエモノを探しにいかなくっちゃ!
あたいはまほうの森にむかってとんでいった。大ちゃんが何かいってたけど、聞こえなかった。
―――にげる。あたいは必死になって空を飛ぶ。
その後ろには、ドドドッ、って大きな音を立てて、イノシシが走っていた。
よーし。そろそろ逃げるのは止めよう。これはあたいの作戦。アイツを油断させるために考えた必殺技だ。
ゆーターンしたあたいは、追いかけてきたイノシシのお尻に向かって、全速力で飛ぶ。
イノシシがくるり、と向きを変えてきたところに、すかさずあたいの最強パワーをおみまいしてやった。
「……てやーっ!」
カチンコチンのイノシシのできあがり。なーんだ、イノシシってあんまり強くないんだ。
あたいに近づけば近づくほど、なんだか動きがにぶくなったみたい。
何でかはわかんないけど、多分あたいが強いからなんだな、と思った。
森の上を飛んでるときも、近くにいた鳥をこおらせたりもした。こおらせた分だけ、自信がついた気がした。
やっぱりあたいは強いんだ。
そう思うと、いっぱいいっぱい元気になってきて、もっともっとやるぞー! ってあたいは手をふりあげた。
ちょっとあつくて大変だったけど、それでもがまんしてれば強くなれる、と信じた。
目についた鳥を、かたっぱしからこおらせながら飛んでいると、まっ黄色のお花畑が見えてきた。
黄色くて、花びらがおっきくて、あたいの住んでる森には無いお花がたくさん咲いている。
見ているだけでなんだか心がポカポカしてくる。あったかいのは好きくないけど、心があったかいのは気持ちがいい。
あたいは一目で、名前もわからないこのお花が気にいった。
もっと近くで見よう、とあたいは花畑に着地する。
……あれ? あたいが近づいたとたん、なんだかお花たちが元気を失くしてしまったみたい。
どうしてだろう、とあたいがその花にさわろうとした。その時だった。
「やめなさい。私の子たちをあんまりいじめないであげて」
そんな、きれいですきとおった声があたいの耳に入ってきた。
だれだろう、と声のしたほうに振り向いてみると、そこにはお花好きなあいつがいつものニコニコ顔で立っていた。
「ゆーかじゃない。こんなトコで何してんの?」
「向日葵に限った話じゃないけど、花はとてもデリケートな生き物なの。
貴方が纏う冷気に当てられ続けたら、この子たちはたちまちに死んでしまうのよ。わかる?」
あたいのあいさつを無視して、風見ゆーかはやさしい笑顔でそんなことを言った。
前にお花がいっぱい咲いていた時の異変に、一回だけ会ったことがある。
でもしんでしまう、ってどういうことなんだろう。よくわかんない。
「……久しぶりね雪ん娘さん。でも挨拶なんかどうだっていいのよ。
それよりも速やかに花畑から離れなさい。これ以上この場に留まるというのなら実力行使も辞さないわ」
ゆーかは、すごい妖気を出しながら、そんなワケのわからないことを言った。
笑っているのに、めちゃくちゃこわい。それはきっと目が怒っているからだ。
でも、何であたいがにげなくちゃいけないの?
にげるのは弱いほう。強いやつは絶対ににげない。それがげんそうきょうのオキテだ。
あの時は負けちゃったけど、あたいはあのころよりもずっとずーっと強くなっている。
……ちょうどいいや。あたいの修行にうってつけの相手だ。今度こそ絶対に勝ってみせるわ!
あたいは飛んだ。真上に。ここでだんまくごっこをしたらお花たちが迷惑するからだ。
ゆーかも、あたいの考えていることに気付いたのか、同じ高さくらいまでとんでくれた。
どうしてかさっきよりも怒っていないように見えた。
「案外、頭は回るみたいね。もしあの場で見境なしに暴れてくれたら、すぐさま灰燼に帰してあげたのに」
「かんちがいしないでよ。あたいはあのお花が好きだから、まきこみたくなかっただけ」
「……そう。何で氷精がこんな所までやってきたのかは知らないけど―――」
そう言って、ゆーかはもっていたかさの先を、ゆっくりとあたいの顔に向けた。
敵なのにどうしてだろう? 何だか、そんなゆーかがすごくカッコよく見えた。
「―――きなさい。今なら半殺しで許してあげる」
あたいよりも大きい、ものすごい数のピンクの花びらみたいなたまが、あたいに向かって飛んできた。
まるで生きているんじゃないか、って思うくらい、それは正確にあたいをねらってくる。
だんまくのむれの中にある、ほんの少しのスキマを見つけて、かいくぐる。その先にまただんまく。
きれいで、大きくて、力強くて、うっとうしい花びらのあらし。
よけることに精一杯で、あたいはまだ一発もこうげきできてない。
ゆーかはさいしょの場所から、ぜんぜん動いていない。
なのに、あたいは必死になって、くるくる、ばたばたとおどりつづける。
ゆーかは汗一つかかず、やさしい笑顔であたいを見つめている。
なのに、あたいは汗びっしょりになって、そんなゆーかの顔をにらんでいる。
花びらと花びらの間に、小さな光のたまが混じっていた。あわてて体をひねってそれをやりすごす。
ゆーかが、へえ、とおどろいたようにつぶやいた。
「あの頃よりも動きがサマになっているじゃない。ごっこ遊びとはいえ、相当な場数を踏んできたのね」
「―――ッ! くっ! あたりま、ひゃっ!」
当たり前、って言おうとしたけど、そんなのゆーかのだんまくが許してくれない。
だから心の中で言うことにした。
今までいっぱいいっぱい、れーむやまりさと戦ってきたんだ。これくらいどうってことないわよ!
でもこのままじゃ、いつかはつかれて、よけきれなくなって、負けちゃう。
……また負けるの?
またくやしくて、いじけて、泣き出すの?
そんなの、―――そんなのぜったいにやだっ!
あたいは最強なんだ! だから、ぜったい、あんなヤツなんかに負けるもんか!
どうすればいい、と目の前のだんまくに集中しながら、考える。
少しでもいい。あいつのだんまくが止まってくれたら、あたいにもこうげきのチャンスが出来る。
考える。考える。考えて考えてかんがえて―――
そこで、あたいはゆーかが言っていたことを思い出した。
『私の子たちをあんまりいじめないであげて』
ゆーかはお花が大好きだ。だからあたいと戦っている。
―――それならっ!
あたいは急降下した。お花畑に向かって、一直線に。
「……!」
やっぱりだ! ゆーかのこうげきが止まった。あたいがよけたらお花に当たっちゃうもんね!
服の中にしまってあったスペルカードを取り出す。あたいのこうげきのチャンスは……今しかない!
―――凍符『パーフェクトフリーズ』
ありったけのパワーをカードにこめて、あたいは氷のだんまくをゆーかにうち出した。
「こおっちまえーーーーーっ!!」
わかっていたことだけど、ゆーかはやっぱり強い。メチャクチャ強い。
れーむやまりさと同じくらい、いや、もしかしたらもっと強いかもしれない。
でも、動きだけはそんなに速くなかったことは覚えてる。おどろいてた今のゆーかなら絶対に当たる!
だからここで決めなきゃ。これでダメならあたいにもう勝ち目はない。
お願い、当たって。当たって。当たって―――!
ダメおしのスペルカードを使おうと、ポケットの中に手をつっこんでいると。
かさを前にむけて、平気な顔であたいのだんまくをふせいでいるゆーかの顔が目に入った。
……今度はあたいがおどろく番だった。
「……小賢しい真似を」
「そ、そのかさ、一体なにで出来てんのよ」
せいいっぱいの強がりだった。本当はするどい目でにらみつけてくるゆーかが、こわくてこわくてたまらない。
ゆーかの目を見たあたいのヒザが、勝手にブルブル、とふるえてる。
がんばったのに、一生けんめい考えたのに、それでもあいつらにはぜんぜん通用しないんだ。
そう思うと、なみだまでこぼれそうになった。でもそれだけは何とかがまんした。
ここで泣いたら、ホントのホントに負けになっちゃうじゃない!
ゆーかがゆっくりとあたいに近づいてくる。止めようとだんまくをいっぱい出したけどムダだった。
こ、来ないで! 近づかないでよ! あ、あんたなんかに、あんたなんかに。
「負けてたまるかぁーーーーっ!!」
―――氷符『アイシクルフォール』
こわくて、くやしくて、かなしくて。
あたいは思わず、一番なじんでいたスペルを使ってしまう。
でも、あたいの目の前にいるゆーかに、だんまくは一つも当たらなかった。
「……寒いわね」
「さ、さむくないもん! まだ負けてないわっ!」
「そうじゃなくて、貴方の近くにいると寒いのよ」
そう言って、ゆーかは思いっきり手をふりあげた。
だんまくが出来ないから、あたいをなぐるつもりなのかなぁ。
負けるのはイヤだけど、いたいのもイヤだ。あたいはギュッ、と目をつむった。
ぺちっ
いたいのにたえようとしてた、あたいのおでこに、小さないたみが走った。
おそるおそる目をあける。
そこにはこわくないゆーかが、指をでこぴんの形にして、大ちゃんやレティみたいにやさしい顔で笑ってた。
「今日の所はこれで勘弁してあげるわ。ぴーぴー泣き喚かれてもうるさいだけだしね」
「な、泣いてなんかないわよっ!」
「……はいはい。でもこれだけは覚えておきなさい。貴方が撒き散らしている冷気は、あの花にとって毒なのよ。
向日葵が好きなら、今後一切花畑には近づかないことね」
「しんじゃうってこと?」
「そうよ。そもそもどうしてこんな所まで来たのかしら? 花にいたずらしに来たようには見えないけど」
「あたいは今しゅぎょー中なの! だから色んなとこに行って、色んなヤツと戦っているのよ!」
「……修行?」
あ、なんかゆーかが面白い顔になった。まゆげが下がっているから、困っているのかも。
あたいは今までのことを説明することにした。負けちゃったけど、それなら次勝てばいいだけだもん。
負けたくやしさよりも、得意げな顔でデコピンするゆーかの強さに、あたいはあこがれた。
ゆーかみたいなヤツが、本当のさいきょうなのかもしれない。……ぜったいに口には出さないけどね。
「……つまり、自分より弱い生き物を殺して回っているってことかしら?
悪意がない分タチの悪い生き物ね、妖精ってのは。
小動物や凍らされる程度じゃ死なない妖怪ならまだしも、それが人間に向けられたりでもしたら」
「ゆーか、何を言ってるの?」
「……いたずらでは済まされないってことよ」
「?」
ゆーかはますますこまった顔をしてる。何でだろう? あたい何かしたのかな?
「まあ、私には関係ないけどね。貴方も人間もどうなろうと知った事ではないし。
ただ一つだけ忠告しといてあげる。もう修行なんてやめなさい。……手遅れになる前にね」
「どうして?」
「どうしてだと思う?」
「……あ、わかった! あたいが強くなるのがこわいのね!
だいじょうぶよ。あんたに勝つときは、あたいもでこぴんですませてあげる!」
「……貴方は一度痛い目にあっておいた方がいいのかもね。口で言うだけじゃわからないみたい」
忠告はしたわよ。そんなことを最後に言って、ゆーかは何処かへ飛んでいってしまった。
修行を止めろ、とゆーかは言ってたけど、がんばらないといつまでたっても、あたいは最強になれない。
ゆーかみたいに強くなりたい。そう思うことのどこがいけないのか、あたいにはわからなかった。
▲
―――それは、チルノの視点から、数時間ほど遡った別のお話。
私―――大妖精は今、魔法の森中を飛び回っています。
意気揚々とはしゃぎながら、森の方角へ飛び去ってしまった友達のチルノちゃんを探す為にです。
あの子はいつも元気いっぱいだし、どこかへ遊びに行っても、いつもなら探しに行くなんてことはしないのですが。
今回ばかりは事情が違いました。
飛び立つ前に、彼女がとても物騒なことを言っていたからです。
『あっ。そうだ! カエルより強いやつをこおらせればあたいも強くなれるかも!』
蛙より強い生き物など、それこそ無限に存在します。
そして、その中には凍らせたら最期、二度と戻らない命もあるかもしれません。
彼らの家族は悲しむでしょう。他でもないチルノちゃんの手によって誰かの命が奪われる。
……そんなの私には、とても耐えられそうもありませんでした。
だから私は探します。あの無邪気で幼い、掛け替えのない友達を。
チルノちゃんはきっと、生き物を殺すということの意味をまだよくわかっていない。
彼女の行動が活発になったのは、幻想郷にスペルカードルールが制定されてからでした。
確かに他の妖精たちに比べ、チルノちゃんは並外れた潜在能力を持って生まれました。
でも幼い彼女には、それを生かす術を知り得ません。
そして、なまじ強い力は『危険物』として、彼女を孤独に追い込んでいきました。
力の正しい使い方を教えてくれる人などいませんでした。
ちょうどその頃からチルノちゃんは、最強という言葉を使い始めたのを覚えています。
そんな折に、弾幕ごっこという決闘ルールが流行り出しました。
殺さず、必要以上に傷つけず、禍根の残さない決着を導き出すそのルールは、彼女の力を活かす格好の材料でした。
言うなれば、あの子は弾幕ごっこしか戦い方を知らないのです。
殺意というものを抱いたことがないのです。
妖怪のように必要悪で生命を奪う必要のないチルノちゃんは、その重要性を知らないまま、今日まで至りました。
それは詰まるところ。
「……もし、チルノちゃんが取り返しのつかない事をしてしまったら、それはきっと」
私のせいだ。
一番身近にいる私が、無理にでもあの子を諭すべきだったんだ。
ああ見えて、チルノちゃんは少し高慢なところがあります。
自分より強い相手の言う事は心に残しますが、逆の場合はあまり聞き入れてくれません。
私も妖精の中では、力の強い方ですけど、あの子に物を教えるまでには及びませんでした。
でもそれも所詮は言い訳に過ぎません。引っ叩いてでも、喧嘩してでも、あの時に止めるべきだったんです。
どうしよう、どうしよう! チルノちゃんに何かあったら私は……!
「―――貴方、チルノの連れの妖精よね? 少し、話いいかしら?」
「!?」
突然、背後から声がかかりました。いつの間にいたのでしょう?
どうやらチルノちゃんに意識を取られ過ぎて、周囲に気を配るのを怠っていたようです。
声の方に振り向くと、魔法の森の人形使いが腕組みをして浮かんでいました。
……その顔に幾分かの怒気を孕ませて。
●
ゆーかと別れてからも、あたいはやっぱり修行を続けることにした。
あたいよりもでっかいおおかみをこおらせた。
ふよふよと飛んでいた、何かを運んでいる人形をこおらせた。
森の中をうろついてる、こわい顔をした妖怪をこおらせた。
妖怪とかはちょっと苦労したけど、ゆーかたちに比べたら全然大したことない。
ふーっ、と一息ついて、辺りを見回してみると、いつの間にか夕方になっていた。
それに人がいっぱい住んでいる里まで来てたみたい。
そういえば、前に大ちゃんが人間には近づくな、って言ってたような気がする。
大ちゃん、今ごろあたいを心配しているかもしれない。そろそろ湖に戻らないと。
そう思っていると、人間の家のそばで草を食べている大きな牛が、あたいの目にとまった。
……そういえば、牛と戦ったことはないや。強いのかな?
こーきしんが勝ったあたいは、最後にその牛と戦ってから帰ることにした。
しんちょうに歩いて牛に近づく。そしたら、あたいの顔を見て、モーッ、ってないた。
ふふふ! せんせんふこくねっ! だったらあたいも名乗りをあげてやろうじゃないの!
「あたいはさいきょーのようせいチルノよ! 今からアンタに正々堂々勝負を申しこんで上げるわっ!」
「ンモォー」
ビシーッ、と人さし指をつきつけたあたいの前にいた牛が、何だか体をブルブル、とふるわせながらないている。
あたいのあまりの迫力にビビっているのね。でもようしゃなんかしてあげないんだから!
「うりゃーっ!」
あたいの最強パワーを浴びた牛は、あっけなく氷のかたまりになってしまう。
……ぜんぜん弱いじゃない。これならイノシシやおおかみの方がよっぽど素早かったわ。
さーて、それじゃ湖に帰ろうかな、とあたいがこおった牛に背中を向けると。
「コラーッ! このいたずら妖精が! うちの家畜に何さらすんじゃー!」
クワをもった見たことのないおじさんが、あたいの方に向かって走ってきた。
そ、そんなに怒ることないじゃない。あたいたちは真剣勝負をしていたの。
それにあたいが勝って、牛が負けただけなんだから!
おじさんはすごくこわい顔で、持っていたクワをふりあげる。
「とっとと出てけ! この糞ガキめっ!」
「わわっ」
あたいのすぐ横にクワの先がささった。あ、あっぶなー! 当たったらどうすんのよ!
……さてはこのおじさんも、あたいに勝負をいどんでいるのね?
ただの人間のクセにいい度胸じゃない! それならカッチンコチンにしてあげるわ!
あたいはバッ、と手をふりかざす。
「こおっちゃえーーっ!」
「―――!? あ、あがっ! ……ひ、ヒッ」
ちょっとねらいがそれちゃったのか、あたいが放った力は、おじさんの足に当たってしまう。
そのとたん、さっきまでこわかったおじさんの顔が、みるみるうちに、なさけない顔に変わってしまった。
こおりついた左足を引きずりながら、ズルズル、といも虫みたいにはって、あたいからにげようとする。
「た、助けて。やめろ、く、来るな、ヒッ、ヒィィィ!」
……何だかとっても気持ちがいい。
今までのてきは、みんなこんな必死になって、あたいをこわがってくれなかった。
言葉にするのがむずかしいけど、何かこう、あたいの方が絶対に強いんだってことを教えてくれる。
何で今まで気付かなかったんだろ。人間っていい。すごく、すごくこおらせがいがあるよ。
「……ふっ。あははっ! ねえ、おじさん。あたいがこわいの? 助けてほしい?」
「た、たすけて。お願いだから。あ、ああ足が冷たい。元に、元に戻してくれぇ!」
気持ちいい。気持ちいい。きもちいい!
これがみこやまほう使いじゃないのはガッカリだけど、それでもうれしかった。ゾクゾク、って体がふるえてきちゃった。
今、あたいはすごくこわい顔をしていると思う。きっとゆーかみたいに、カッコよく笑っているにちがいないわっ!
「……ダメだよ。これは勝負なんだから。あたいに負けたやつは、みんなれーがいなく氷づけになっちゃうのよ」
あたいの言葉に、おじさんは青い顔になってジタバタ、とあばれた。
でも、あたいが少し力をこめれば、それもすぐに動かなくなっちゃう。
氷がとけた後は、きっとあたいが最強だってことを一生骨身にしみながら、生きていくことになるのね。
「それじゃバイバイ、おじさん―――」
▲
「……チルノちゃんが、人形を?」
「ええ。使いに行かせた子が中々帰ってこないから、気になって探してみたはいいけどね。
……氷漬けになって木の枝に引っかかっていたわ。魔力の残滓があったから、人為的である事は疑いようもない。
と、なると心当たりは一人しかいないの。……身に覚えのありそうな顔してるけど?」
「……」
魔法の森の中空に佇み、アリス・マーガトロイドさんは、憮然とした顔で事のあらましを私に説明してくれました。
雲一つない真夏の晴天は、肌が痛いほどに暑いです。でもそれとは別に、私の頬に一筋の汗が流れ落ちました。
ああ、遅かったんだ。もうすでに他人に見境なく迷惑を掛けていた。
何で、なんであの時、チルノちゃんを止められなかったんだろう。
強い後悔の念が、私の心を支配します。
そんな私の狼狽する様を見て、アリスさんは少し戸惑った様相で再び話掛けてきました。
「……なによ。チルノに何かあったの?」
「え、あの。それは……」
「説明なさい。巻き込まれた以上、私もすでに当事者なのよ。貴方には釈明する義務があるわ」
「チ、チルノちゃんは何も悪くないんです。全部、全部私のせいなんです」
その言葉を皮切りに、チルノちゃんと起こしたやり取りを、私はアリスさんに説明しました。
チルノちゃんはあまりにも幼すぎること。そして、それをわかっていながら放置していた……私の罪も、全て明かしました。
アリスさんは後味の悪いものを食べた後のような渋い顔で、私の話を静かに聞いてくれました。
「―――と、いうわけなんです。後で必ずチルノちゃんと一緒に、お詫びに伺います。
でも、今は一刻も早くあの子を見つけないと。私はこれで失礼しますっ!」
「待ちなさい」
言い捨てて、逃げるように背を向けた私に、アリスさんは三度声を掛けてきました。
その声色は身震いするほどに冷たいものでした。でも、彼女がそうなってしまうのも無理はありません。
擬似生命体とはいえ、人形はアリスさんにとって、家族同然の存在であると聞いたことがあります。
それを何の良心の呵責もなく氷漬けにしたチルノちゃんは、人形使いにとって危険因子以外の何者でもないでしょう。
……でも、それでも私にだって譲れないものがあります。
身勝手だろうが、理に適ってなかろうが、誰から何を言われようと、チルノちゃんは私が守ります。
「……チルノちゃんは私にしか止められないんです。行かせてください」
「無駄よ。口で言って分かる子なら、貴方だってこんな苦労はしてないでしょう?」
「……」
「ああいうのには身体で覚えさせないとダメなのよ。……そこで私から一つ考えがあるのだけれど。
因果応報の意味と、命の尊さをひっくるめて、一番わかりやすくあの子に刻みつける方法を教えてあげるわ」
「え? そ、そんなことが出来るんですか?」
「簡単よ」
やっぱり魔法使いは、私たちなんかとは頭の出来が違います。
一筋の光明が見えた気がした私は、安心した心持ちで背けていた身体をクルリ、と翻しました。
その瞬間、私の目に飛び込んでものは、光明などではなく―――死神の鎌でした。
私の首、くびを、アリスさんの手が、ギリギリ、としめつけ、ている。
アリスさんが、酷薄な笑みを浮かべて、人形たちに私の拘束を命じている。
く、苦しい。怖くてわからなくて声も出ない。なんで? ど、どうして?
「……ふふ。すごくいい顔しているわよ、今の貴方。
気付いていないようだから教えてあげるけどね。たまたま木の枝に引っかかってくれた、ってどういうことかわかる?
上海は幸運だったの。一歩間違えれば地面に激突して、粉々になっていたのかもしれないのよ。
この顔を目にすれば、あのチルノでも少しは思い知るでしょう? 私の怒りと悲しみをね」
舌なめずりをしながら、アリスさんは憤怒に満ちた声で何かを言っています。
だけど、その言葉が、恐慌状態にある私の耳に届くことはありません。
じょじょに視界までぼやけてきて、……そして塞がれていきました。
アリスさんが言い終える前に、私の意識は闇の底へと落ち
●
「―――やめろっ! 殺すな!」
「あっ」
おじさんにトドメをさそうと思って、力を集中させてた右手を、いきなりだれかにつかまれた。
声のほうに顔をむけると、ヘンなぼうしをかぶった、背の高い女の人が、けわしい顔であたいをにらみつけていた。
……えーっと、誰だっけこいつ。たしかどっかで見たことあるんだけどなー。
「……あ、そうだ。けーねだ。えん会とかにたまにきてたでしょ? あんた」
「……ああ、確かに私たちは顔見知りだ。だからこそ、お前がこんなことをする輩だとは思わなかったぞチルノ!」
え? え? こいつも、な、何でそんなに怒ってんの?
あたいの腕をギリギリ、と強くしめつけていてすごく、いたい。
けーねってもっとやさしそうなイメージがあったのに、なんでこんなことをするんだろう?
あたいたちがにらみあっていると、その内けーねはバッ、とらんぼうに手を放してから、おじさんのところに走っていった。
「大丈夫か!」
「おぉ……。慧音様…、慧音さまぁ」
「……よし、水疱は見当たらないな。少しの間我慢してくれ」
そう言ってけーねは、おじさんのこおった左足に手を当てる。氷をとかして、手当てしてた。
おじさんは、そんなけーねのうでをにぎりしめて、安心したように泣いている。
……なによなによなによっ! これじゃあ、まるであたいが悪者みたいじゃないっ!
あたいは正々堂々戦ってたんだ! それを横からジャマして、何てヤツなの!
けーねの背中に、一発おみまいしてやろうと、あたいはもう一度パワーを集中する。
そしたら、ポン、ってあたいの頭にだれかの手がおかれた。……またジャマされた。
「そこまでだ。いたずらにしては少々度が過ぎているわね。何かあったの?」
「あんたは……」
こいつも覚えてる。竹林にいるもこーってヤツだ。
正直、こいつにはあまり勝てる気がしない。なんでだろ? あいしょーってやつ?
いくらあたいが強くても、けーねともこーが二人でかかってきたら、やられちゃうかもしれない。
でも何でみんな、あたいのジャマをするの? せっかくサイコーの遊びを覚えたっていうのに……。
けーねがやぶいた自分の服を足にまきつけると、おじさんはフラフラ走って帰っていった。あーあ、にげちゃった。
「……説明してもらうぞ。何故こんな馬鹿な真似をした。事と次第によっては」
「そんな殺気立つなよ慧音。無事だったんだからいいじゃん」
「あたいバカじゃないわよっ! バカっていう方がバカなんだからねっ!」
なんか会話がちぐはぐ、だ。
けーねが何でそんなに怒っているのかわかんないし、バカって言われるのもムカツク。
もこーはあたいの味方っぽいけど、説明はしろよ? って言われた。
説明たって何を言えばいいんだろ? しゅぎょーのことを話せばいいのかな。
あたいは、まりさに負けたこととか、ゆーかや動物たちと戦ったことをしゃべった。
最後に氷づけになっている牛のほうを指さしてみる。……二人の顔がくもった。
「……チルノ。ちょっとお前ウチに来い。先生から大切な話がある」
「ふ、ふんっ! どうせせっきょーでしょ? そんなのエンマだけで十分だわっ」
「ほぉ、そうかそうか。ならば致し方ないな」
そういってけーねは、笑顔でヒザを組んで、あたいの目の前まで顔を持ってきた。
わ、笑ってるのにすっげーコワイ。ゆーかに負けないくらいこわい。こいつタダモノじゃねぇ!
やられる前にやらなくちゃ! とあたいはスペルカードを取り出そうとしたけれど。
「……ぬんっ!」
「ぐぎゃ!」
ガシッ、と両手で頭をつかまれたと思うと、けーねは思いっきりあたいにずつきをかましてきた。
お星さまがあたいの目の前でくるくる回る。ついでにあたいも目を回して、たおれた。
「さて。聞いた通りだが、妹紅。お前はこれからどうする?」
「……付き合うよ。どうやら仲裁役が必要みたいだしね」
―――まぶたを開くと、目の前には腕を組んで座っているけーねの姿があった。
気絶してる間に、あたいはけーねの家に連れこまれちゃったみたい。
広い部屋のすみっこには、もこーも無言であたいを見つめている。
ねおきでボー、としていると、けーねに声をかけられた。
それでハッキリと目をさましたあたいは、今もジンジンいたむおでこをおさえながら、バカけーねに文句を言ってやった。
「なにすんのよ! あんた、あたいに一体なんのうらみがあるわけっ!?」
「恨みなどない。だが言わなければいけない事は山ほどある。とにかく座れ」
「イヤよ。湖に帰る」
あたいが出口に向かおうとすると、肩をつかまれた。
けーねが強い力であたいを引き止めている。こいつ、どこまであたいのジャマすれば気がすむのかしら?
もう一回文句を言ってやろうと、けーねの目を見る。そこであたいは気が付いた。
「……頼む。話を聞いてくれ。これはお前にとっても大切なことなんだ」
けーねはもう怒っていない事に。
むしろ、あたいのことを心配しているようにも見える。
けーねの目は、マジメな話をする時の、大ちゃんやレティと同じくらい真剣そのものだった。
だからあたいは、しぶしぶ座り直した。それで、けーねはようやく手を放してくれた。
「……チルノ。お前は少し命を軽んじすぎている。いくら無知蒙昧とはいえ、やっていい事と悪い事があるんだぞ」
「……何か本当にエンマみたい」
「茶化すな。私は大真面目だ」
「む~っ」
マジメなお話は苦手だ。けーねは強そうだから、いちおー聞いてあげるけどさ。
「お前は、命を奪うという事の意味をわかっていない。……いや、死という概念すら理解していないのかもしれないな」
「し?」
「死ぬ、死んでしまう。言い方は様々だが、二度と会えなくなってしまう、ということだよ」
「う~ん、なんかゆーかも同じこと言ってたよーな?」
「ゆーか?」
「うんっ! お花畑にいてね。すっごく強くてカッコいいんだよ!」
「……あの妖怪か。何を話したのかは知らんが、聞いていた話とは随分違うのだな」
「?」
「いや、何でもない。話が逸れてしまった。
お前はあの里人。……いや、おじさんを凍らせた時、何を思った?
蛙や妖怪みたいに、氷を溶かしてやれば、それでまた動けるようになると思っただろう?」
「うん。なんで? 動かないの?」
「それが死、だ。そして、命を奪うということだ」
なんか、けーねの話ってすごくわかりやすい。こういうのになれているのかな?
「蛙は体が小さいし、元々寒さに弱い生き物なんだ。だからお前の力でも冷凍保存。命を繋ぎ止めることが出来る。
ここら辺はわからなくてもいいが、妖怪だって丈夫だから凍ってしまうくらいでは死なない」
「うん? う~ん。かえるや、ようかいならいいってこと?」
「決してよくはないが、……まあ、いたずらで済ませられる範囲かも、な。
……だが、人間は違う。中途半端な力で傷つけたら、溶かしたってずっと動かなくなってしまうんだよ」
「しんじゃう?」
「そうだ。いなくなってしまうんだ。
二度と一緒に遊べなくなる。声を聞けなくなる。その人の笑顔が見られなくなる。……それはとても悲しいだろ?」
「……うん」
「もし、お前の友達が『しんじゃう』したら、イヤだろ?」
「うん」
「幽香もきっと、友達が死んじゃうのが嫌だから、お前と弾幕ごっこをしたんじゃないか?」
「……うんっ」
ゆうかが言ってたことが、やっとわかってきた気がした。
そっか。大好きなお花がしんじゃうのがイヤだったから、あんなに怒ってたんだ。
ゆうかは、修行を止めろ、とも言ってた。
それは、あたいがもし人間をしんじゃうした時、その人間の友達に悲しい思いをさせるのがイヤだったからなのかも。
あたいだって、大ちゃんやレティがいなくなったら、絶対にイヤだもん。
……ゆうかって強い上に優しいんだ。すげー、あたいもあいつみたいになれたらいいなぁ。
「……少しは分かってきたようだな。いたずらをするな、とまでは言わない。
だが、お前の軽はずみな行動は、人間と妖精の溝をますます深め、ともすれば戦争に繋がりかねない大事だったんだ。
もっと、自分のやっていることに責任をもて。他の人に悲しい思いをさせるなんて、絶対にしてはいけないぞ」
「……うん、ごめん。もう人間は絶対にこおらせない」
「わかればいい。やっぱりお前は素直ないい子だ」
そう言って、けいねはあたいの頭を優しくなでてくれた。
えへへ。おじさんを怖がらせたのも気持ち良かったけど、けいねになでられるのは、もっと気持ちいいや。
けいねにつられて笑ってると、それまでずっとしゃべらなかったもこうが、あたいたちの所に近づいてきた。
「……結局、私の出る幕はなかったみたいね。やれやれ、何のために出張ったのやら」
これじゃ空気じゃないか、って文句を言ってる割には、もこうは安心したように笑ってた。
……あったかい。うん、おじさんをしんじゃうしなくて、ホントに良かったと思う。
だって、もししんじゃうしてたら、きっとこんなにあったかくならなかったハズだから。
「それじゃ、おじさんに謝りに行こう。私も一緒についていってやるから」
「う? んー、謝るのはニガテー。まだ怒ってるんじゃない?」
「だから、ごめんなさいするんだよ。大丈夫、誠意をもって謝れば、きっと許してくれるさ」
「わ、わかったわよぅ」
「……ああ、だがその前にやることがあった」
「ん?」
けいねはニッコリ、とほほ笑んだかと思うと、突然、ガッシリあたいの体を抱きしめた。
「うぇ?」
「け、慧音?」
あたいともこうの声なんか聞こえていないかのように、けいねはそのまま、あたいの体をくの字におり曲げる。
そして、しっかりとヒザの上に乗せて固定した後、ニヤリ、と邪悪な笑みを浮かべた。
「……反省したとはいえ、お前は私の里の者を傷つけた。お仕置きだけはしておかなければならないな」
あ、あんた、しっかり頭突きしてたじゃん! あれはオシオキの内に入らないの!?
言う前にけいねはペロン、とあたいのスカートを思い切りめくりあげた。
ついでにはいてたドロワーズもずり下ろされる。けいねの前で、あたいのお尻が丸見えになった。
「―――caved!!!!」
なに? なになに? もこう、そんな真っ青になって、何意味不明なことさけんでんの?
あ、あれ? な、なんであたいまで冷や汗が止まんなくなってんのよ。
え? 何気にこれって、もしかして今、あたい人生でさいきょーのピンチなんじゃない?
「なぁに、最初は痛いが、じきに慣れる」
「よっ、よせぇぇぇ!! 慧音正気か!? そ、そんな小さな子供を開発するつもり!?」
「躾だシツケ。天に向かって唾を吐けば、それは必ず己の顔に落ちてくるという真理を、我々は教えなければならない」
「角がないんだぞ!? ゆ、指か? 指ですんのか!? ……何だか私の尻までムズムズしてきたぁ!」
「た、助けて大ちゃーーーーーーーーーーっ!!!」
ジタバタ、と手足を動かして泣きさけぶあたい。
お尻を抑えて、モゾモゾもだえるもこう。
キリッ、とほほを引きしめながら、思い切り片手を振り上げるけいね。
そして。
―――パッシーン!
そんな軽快な音と一緒に、飛び上がるほどのしょうげきが、あたいのお尻に走った。
「……ぁ~、ひどい目にあったわ」
空からお天道様がいなくなって、暗くなりかけた空を、あたいはフラフラ、と飛んでいた。
もちろん湖に帰るためにだ。大ちゃん心配しているだろうな~。
身体をよじってみると、お尻がヒリヒリ、って痛んだ。けいねのバカっ。
でも、ズキズキよりはヒリヒリ、の方がまだマシだったのかもしんない。
お尻叩きの刑に処されたあたいを、ホッ、とした顔でながめていたもこうを見ていると、何故かそう思えた。
あの後、おじさんの所にちゃんと謝りに行った。
やっぱりまだ怖がってたみたいだったけど、けいねのおかげで、あたいはごめんなさい、って頭を下げる事が出来た。
それで許してくれるかどうかはわからない。でも、何もしないよりはいいよね?
そんなことを考えている内に、あたいは自分のナワバリである山に戻ってきた。
薄暗い空の下に、大きな湖とそのほとりにそびえる赤い洋館が見える。
……あれ?
あたいは夜目が利くほうじゃないけど、湖の水辺に誰か人が立っていたのがわかった。
大ちゃんじゃない。暗くてもよくわかるくらい鮮やかな金のかみ。周りには数体の人形が浮かんでいる。
あいつ、こんなトコで何やっているんだろ?
「アリス~!」
「……おかえりチルノ。遅かったわね」
あたいは声をかけながら、アリスのところに降り立つ。
アリスは、にこやかな顔で普段なら絶対言わないようなあいさつをした。
赤い洋館に用があるんじゃないの? あ、それなら飛んでいけばいいだけか。
何でアリスがこんな所にいるのか、あたいにはその理由が思い浮かばなかった。
だから直接聞くことにした。
「ねえ? あんたこんなトコで何やってんの?
あ、もしかして、最強のあたいに挑戦しに来たのね!? いいわっ、特別に相手してあげる!」
「ん~、半分くらい正解かな? 私の人形が随分お世話になったみたいだし」
「……げ」
や、やっばー! そういえばすっかり忘れてた。あたい、アリスの人形も凍らせてたっけ。
さっきまでのあたいだったら、それがどうしたの! って攻撃しちゃうところだけど。
けいねに会って、それがすごく悪いことだと知った。
人形はアリスの友達だもんね。友達がしんじゃうされたら、そりゃアリスだって怒るに決まってる。
謝るのは苦手だけど、おじさんには出来たんだから、アリスにもしなくちゃいけない。
「ご、ごめんっ! もう絶対しないからっ」
「? やけに素直ね。てっきり『それがどうしたの!』って弾幕を展開してくるかと思ってたけど」
「……う。け、けいねに説教されたの。だから今回だけは、あたいが悪いって認めてあげただけよ」
あたいの考えてることなんてお見通しみたい。うう~、何か腹立つなぁ。
そんなあたいを見ていたアリスはクスッ、って笑う。
細めた冷たい瞳が、本気であたいをバカにしているように見えた。
ますますムカツク! あたいを怒らせるとどうなるか、弾幕で教えてあげる必要があるようねっ!
「フフッ。別に謝る必要なんてないのよ? 私もそれ相応の『お返し』をしてあげたから」
「お返し?」
「さっき言ったわよね? 用事の半分が貴方と弾幕ごっこをする為だって。……もう半分はこれを貴方に渡す為なのよ」
そう言って、アリスは黄色い布切れをあたいに手渡してきた。
何これ? そう思ってその布切れをマジマジと見る。
……リボンだ。それも、あたいはこのリボンを知ってる。見覚えがある。これって。
「……大ちゃん、の?」
「ご名答。貴方の大事なお友達の持ち物ですものね。見間違えるはずがないか」
「な、なんでアリスが大ちゃんのリボンなんか持ってんの?」
「貴方が私のお友達にひどいことをしてくれたから、私もそれと同じことをしてあげたのよ」
「!」
頭をグワン! と何かで殴られたような衝撃があたいの全身に走った。
あ、あんた大ちゃんに何したのよ? 大ちゃんは全然カンケーないじゃないっ!
そんなに怒ったんなら、ムカついたんなら、直接あたいをやっつければいいのに!
「だ、大ちゃんはどこ?」
「……」
「―――教えろよっ!! 大ちゃんはどこにいるの!?」
あたいはアリスに掴みかかろうとした。
だけど、それよりも早く、武器を持った無数の人形があたいの前に立ちはだかった。
目の前が真っ暗になる。あ、あれ? こんなに夜更けていたっけ?
たまらずペタン、とあたいはその場に腰を落とした。地面が冷たい。夏なのに風も…冷たい。
氷精のクセに、いつの間にかあたいは自分の身体を抱きしめてブルブル、と寒さに震えていた。
そして、アリスはさらにザンコクな事実を、あたいに突きつけた。
「……あの妖精なら消滅したわ。ちょっとやりすぎちゃったみたい。
だからお詫びに、あの子の形見をわざわざ届けてあげたんじゃない。……感謝なさい」
「しょ、しょう、めつ?」
「死んだのよ。死んじゃった」
「……しんじゃう?」
しんじゃう、しんじゃうしんじゃう、とあたいは何度も何度もその言葉をくり返し口にした。
何それ? わかんない。全然わかんないよ。
いつもまりさとかにバカ、バカって言われて怒ってたあたいだけど、今だけはバカでいい。バカになりたかった。
だって、わかっちゃったら、認めちゃったら、あたいはこれからどうすれば、いいの?
わかりたくないのに、バカになりたかったのに。あたいの頭は勝手に、あの時のけいねの言葉を思い出していた。
『二度と一緒に遊べなくなる』
―――やだよ。
『声を聞けなくなる』
―――やだっ! やだ、やだやだやだぁ!!
『その人の笑顔が見られなくなる』
―――うるさいっ! やめてよ……、こんなの絶対ウソなんだから!!
『……それはとても悲しいだろ?』
―――大ちゃん! 大ちゃん大ちゃん大ちゃんだいちゃんっ!!!
あたい、もう二度と修行なんてしないから! カエルだってこおらせたりしない!
だから、だからあたいを一人にしないでよおおおおぉぉぉぉぉぉぉっっ!!!
気が付いたら、あたいの顔はぐっしょりとぬれていた。
涙とか鼻水とかヨダレとか、色んなものが混ざった水が、あたいの顔をクシャクシャに歪めている。
そんなあたいの姿を、アリスは満足そうにほほ笑みながらながめていた。
これが、これが―――死?
死んじゃうってこういうことだったのね。
友達が本当に死んでしまったら、こんなにも身が引き裂かれんばかりに、悲しいものだったんだ。
ああ、これは良くない。絶対にしてはいけない、悪いことだ。
残された人があまりにも可哀想だ。唐突すぎる。理不尽すぎる。許せなさ過ぎる。
絶望ってこういう時に使う言葉だったんだ、とあたいは思い知った。
でも、それでもアリスのしたことは、決して間違っていないと思う。
だって、こんな悲嘆を味わってしまったら、誰だってそれを与えた相手にやり返したいって思うのは当然のことだよ。
仕方のないことなんだ。誰が悪いかと言えば、それはきっと、あたいの方なんだから。
……でもさ。
それならあたいも
目の前にいる、このクソ野郎に
……やり返したいと思うのも、当然だよね?
◆
―――寒い。
チルノの前に立つ私は、しきりに二の腕を手の平でこすっていた。
地面にへたれこんだチルノは、俯いて何かをブツブツ呟きながら、ポタリポタリ、と地面に大粒の涙を落とし続けている。
その涙が地面に染み込む度に、周囲の気温が急激な勢いで下がっていった。
霧の湖は、夏なのにもはや冬の夜よりも寒い。まさかチルノに、ここまでの力があるとは思ってもみなかった。
……悲しいだろう。悔しいだろう。私が憎くて憎くてたまらないだろう。
思い切りぶつけてきなさいな。これは私からのレッスン。私の授業料はとても高いのよ。
チルノを迎撃せんが為、私の分身である八体の人形を方円に配置する。
そして、懐に納めてあるスペルカードの枚数を確認した。……もうちょっと持ってくればよかった。
今のチルノは恐らく強い。途轍もなく。
準備にはナメてかかったが、戦闘でまでそれをすれば、返り討ちに合う可能性さえありそうだ。
あれをいつもの能天気な氷精だと思うな。吸血鬼や八雲紫クラスの相手と認識しろ。
勿論、そんなの過大評価に過ぎないけれど、注意だけはしておくに越した事ない。これは私の理性。
でも、その時だった。
私の本能とも言える内なる声が、全力で戦え、と必死になって叫んだのだ。
……冗談。
いくらなんでもそこまでする必要はないでしょ、と私の理性は反論するが、動物的な本能は叫ぶのを止めない。
私は、相手がどんなに強かろうが、形勢が不利になろうが、勝負事で本気を出して戦うことは決してしない。
これは敵を小馬鹿にしたり、出し惜しみしてるつもりじゃなくて、単に私のポリシーのようなものだ。
常に相手の一段上の力で構える。その結果負けたとしても、それはそれでかまわない。
でももし―――
「……アリス」
私の思考は、氷よりもなお冷たい、チルノの小さな声によって掻き消された。
氷精が緩慢な動作で立ち上がる。その瞬間、半径数百メートル四方にある全ての命が、瞬く間に凍りついた。
木々も、生物も、湖さえも完全に死んだ。中空を飛んでいた鳥類が、氷の塊となって次々と地面に落下し、砕け散った。
周囲の気温はどこまで低下した? 氷点下すら生温い。ここはすでに……私たち以外動くものなどない永久凍土だ。
真夏のブリザードなんて、冗談の域を一足飛びで通り越していて、風物詩にもなりえなかった。
シールドが間に合ってよかった。あと一瞬遅れていたら、戦う前に世界で一番美しい氷像が出来上がってしまう所だった。
……そういえばあの妖精は大丈夫かしら?
避難してると思うけど、まさか一緒に凍っちゃってたりしてないでしょうね。
「ありがとね」
氷結の女神は、再びその青白い唇を小さく動かす。これ、本当にチルノの声?
声だけじゃない。その表情も背筋が凍るほどにのっぺらとしてて、一切の感情の色が見えない。
私には、彼女が怒りも悲しみも超越して、何か、本当に別のモノに変わってしまったように思えた。
こんなこと言える立場じゃないけど、……なんて目をしてるのよ貴方。
チルノは懐に忍ばせていたスペルカードを数枚取り出す。まさかそれを一気に使うつもりなのだろうか?
慌てて構える私の姿など、氷の彫刻のように無機質な、チルノの両眼には映っていなかった。
チルノは片腕を上げて、スペルカードの束を頭上に掲げると、それらを全て一息で粉砕した。
「……なっ!?」
「いらないのよこんな物。お前相手には」
「チ、チルノ……あな、た」
「アリス。お前には死んじゃうの恐ろしさと、残された者の悲しみを、イヤというほど教えてもらったわ。
だからありがとう。そのお礼と言ってはなんだけど、あたい誓ったの。お前も―――」
でももし―――、負けてしまえば後のない、完全な殺し合いを相手が望んでいるとすれば。
「―――大ちゃんのように死んじゃうしてやるって。他の誰でもない、あたいの手で」
私はどうすればいいのだろうか。
ベスタースオリジナル吹いたw
続きに期待。
しかし……チルノには素直で明るくて悪戯好きだけど良い子で
いて欲しかったなぁ…と。
続き、期待してます。
話は面白かったです。
なんとなくオチは読めましたが続きを期待してこの点で。
楽しみです。まとめて点数つけたいのでフリーで
今しがた後編を投稿することが出来ました。
よろしければ、そちらも読んで頂けるとありがたい限りです。
タイトルが・・・真面目な人には受けないかな・・・