博麗霊夢は記憶力が弱い。
誰かがそんなことを言っていた。
買い物に出て忘れちゃうとかそういうお茶目なことではなく……まぁ、それもあるが……固有名詞に関して酷く記憶が曖昧なのだという。ちなみに、単に気にしていないという説もある。
とまぁそんな噂が、霊夢の耳に届かないところで、ゆっくりと広まっていた。
噂を聞いた者は皆、それはあり得ると頷いて笑ったものだ。
そして、ある日の霊夢のいない宴会で、その噂が話題に上り、酒の肴にして皆が笑っていた時のこと。アリスの口から呟かれた何気ない一言に、笑っていた大勢が瞬時に沈黙することとなった。
「……もしかして霊夢って……私たちの名前を憶えてなかったりするのかしら」
それは、ボソッと呟かれた一言であった。そしてそれを、魔理沙や萃香は笑い飛ばした。けれど、その場にいた他の面々は、それさえあり得るという思いを感じ、不安そうな、そして苦そうな顔を作った。
「おいおい、なんだなんだ。名前を憶えられてないってのが不安なのか。お前らなぁ、いつも会話してるんだぜ」
「そうだよ、いくらなんでも霊夢に悪いよ」
陽気に笑う二人。けれど、その笑いを見ても、一同の表情は重いままだった。
「ってことがあったんだぜ」
「失礼な話ね」
博麗神社でお茶を飲む魔理沙と萃香は、昨日の宴会の会話を霊夢に聞かせていた。
昨日の竹林での宴会は、霊夢が閻魔に呼ばれるという珍しい事態と重なり、珍しく霊夢が不参加だったのである。なお、閻魔の用件は、なんてことはない、霊夢に料理を教わりたいとのことであった。めっちゃ私用であった。
「え、宴会があったのですか。それは悪いことをしましたね」
「……まさか料理教わりたいって用件で呼ばれたとは思わなかったから」
「すみません。今日でなくても良いのですが、今からでも」
「いいわ。私もついでに、閻魔様に洋菓子の作り方を習いたいですし」
「申し訳なかったです」
こんな会話があったりする。ちなみに教えたのはグラタンの作り方であり、習ったのはプディングの作り方であった。似合わぬ洋風づくし。
話を戻そう。
「霊夢だって、名前は流石に忘れないよね」
「そりゃ、毎日毎日呼んでればね」
そもそも忘れてたら名前呼べない。
「じゃあさ、私は?」
「萃香」
「私は?」
「魔理沙……答えられないわけないでしょうが」
呆れた顔で霊夢が呟くと、魔理沙と萃香はいえーいと手を打ち合わせた。
「みんな心配しすぎなんだぜ」
「まったくだよね」
手を打ち合った辺り、無意識にこの二人も心配はしていたように見える。そう思うと、霊夢も少しばかり苦笑いを浮かべた。
……けれど、霊夢はその苦笑いの直後に、ハッとする。
「……そういえば、憶えてないわね」
ぼそりと、霊夢が呟く。
「へっ? 何が」
「何を憶えてないの?」
耳敏い二人が、同時に霊夢の言葉に食いついた。
その二人の耳の良さに少し驚いてから、霊夢は自分の気づいたことを口にした。
「そういえば名前は判るけど、名字ってそこまで憶えてないなぁって……」
気づいたことが面白いようで、うんうんと頷く霊夢。
それを見た二人は、きょとんとした顔で目線を交差させた。
「名字、憶えてないのか?」
「それって、私たちも?」
驚きに目を丸くする萃香。やや引き攣った笑顔の魔理沙。
「えぇ」
そしてこともなげな返答。
二人は、唖然とした顔で固まってしまった。
「ちょ、ちょっと霊夢。試しに私の名字を言ってみろ」
「憶えてないんだけど」
「諦めるな! いや、諦めないで! ちょっとそれは駄目だ!」
両手を振り回し、魔理沙が大いに慌てる。
魔理沙は、自分が霊夢と最も長く一緒にいるという思いがあった。だから、誰よりも霊夢は自分のことを知っていると思っていたのだ。だから、霊夢が自分の名字を知らないなんてことは、あってはいけないのだ。
上を向き、考える。しかし、浮かぶのは名前ばかり。姓の方はこれっぽっちも思い出せない。
「ごめん、判らない」
「ヒント! キで始まる!」
意地でも諦めさせないつもりのようだ。
「キ、キねぇ……」
こうして知り得た情報から、霊夢は考える。キ、キ、キと、天井を見上げながら呟き続ける様は、どこか危うかった。
それでも、一向に霊夢がひらめく様子はない。
「くそ、なら大ヒント! 次はラ行!」
歯を食いしばり、苦しげに追加のヒントを出す。ヒントを口にする度に、魔理沙は腹を抉られるような苦痛を感じ、顔を苦しげに歪めた。
「キラ、キラ……雲母(きらら)……違う」
現状、先ほどまでの呟きに一文字増えただけである。
「ねぇ、ラ行ってことは、ラじゃない可能性もあるのよね」
「お、おう! そうだぜ」
問題を解く気持ちで、少しワクワクしてきた霊夢。対して、気が気じゃない魔理沙。それを横で聞いていて、さすがに笑えない萃香。
「キリ、キリ……キル、キル……」
「通り過ぎるなぁぁ!」
「え、やっぱりキラ?」
「おい、私そろそろ本気で泣くぞ!」
魔理沙の悲鳴が響いた。
そして結局、霊夢が自力で魔理沙の名を思い出すことはなく、一人の魔女がショックのあまり気を失ってしまった。
なお、その少し後に、鬼がその横に並ぶこととなった。
仲好さげに並んで眠る二人の穏やかな寝顔を見て、霊夢はしみじみと、思う。
「……悪いことした」
起きたら謝ろう。そう思い、二人のためにプディングを用意し始める巫女であった。
そんなことがあった翌々日から、霊夢の周囲にちょっとした変化が起こった。それは、名字事件のことを、魔理沙と萃香が誰かに泣く泣く話し、それがあっという間に広まった結果であった。
「こんにちは霊夢」
「あ、アリス」
「えぇ、私はアリス=マーガトロイドね」
「……は?」
「マーガトロイド」
このように、挨拶と共に名字を強調されることとなったのである。
そしてそれは、数日前に泣かせた二人も、当然同じであった。
「おはよ、魔理沙、萃香」
「おう。き、り、さ、め、魔理沙だぜ」
「伊吹萃香だよ。伊吹萃香。おはよ、霊夢」
仕方ないことだ。そう思いながら、連日初対面のように名乗られると、さすがに気が滅入ってくる霊夢である。そして、未だに完全に憶えていない辺り、筋金入りであった。
更に霊夢を滅入らせたのは、名乗るためだけに博麗神社を訪れる客人と、名乗るためだけに声を掛けてくる知り合いであった。
縁側でお茶を飲んでいれば。
「あれ。珍しいわね、こんな時間に」
「こんにちは霊夢。私はスカーレット家の主、レミリア=スカーレットよ」
「その従者、十六夜咲夜です。こんにちは、霊夢」
「……あんたたちもか」
などというように、名乗りをメインに訪れ、ついでに茶を飲んでいくのだ。
雑談の最中に思い出したように名乗られる時もあった。
「あ、慧音」
「ん? どうしました。あ、私はハクタクと人とのハーフ、上白沢慧音です」
全員、一度は名乗らないではいられないらしい。
ちなみに、この自己紹介を加速させる事件も起こる。
「霊夢。私の名前は何かしら?」
「八雲紫でしょ」
「正解よ。ふふ。これだから霊夢は好き」
八雲紫に訊ねられた時、霊夢はこともなげに名字を答えたのである。
「な、なんで!」
「なんで紫は判るんだ!」
それを聞いていた魔理沙と萃香が猛抗議。
対して、霊夢は難しい顔で悩む。
「なんでだろう……」
霊夢は判っていないが、それは紫が名乗った時になんとなく「八雲立つ」という枕詞を連想したので憶えた、というだけであった。
しかし、そこで紫は魔理沙と萃香を見つめ、不敵に笑いこう言った。
「愛の差じゃないかしらぁ」
激化は避けられなかった。
「なるほど。それでそんな疲れた顔をしているのですか」
「お陰で全員が私に名字を憶えさせようとするから……大変だわ」
疲労の色が濃い霊夢が、映姫とケーキをデコレートしながら雑談をしていた。
「それだけ慕われていると思いなさい」
苦笑いを浮かべつつ、クリームを泡立てる映姫。
「……それで、ということは私の名字も、ですか?」
「……えぇ」
言いづらそうな霊夢。呆れ顔の映姫。
「まぁ、いいでしょう。ですが一応言いますね。私の名字は四季です」
「憶える努力はします」
「期待してます」
二人は雑談を続けながら、手際よくケーキを作っていくのであった。
自己紹介異変から一週間が経過した頃。魔理沙と萃香は、霊夢に自らの名前を憶えたかの確認をおこなった。
「それで、もう憶えたか?」
「えっと」
言い淀む霊夢。色々な人の名字を聞いたので、音は浮かぶのだが曖昧なのだ。
しかし、訊かれる霊夢も緊張しているが、訊いている二人はそれ以上に緊張しているのだ。
「ほら、まずは私だぜ。私の名前を呼んでみてくれ」
言われて、渋々と霊夢は魔理沙の名字を記憶から探す。そして、いくつか浮かんだ言葉から、迷い一つの名を選び出す。
「……伊吹魔理沙?」
「「混ざったぁぁぁぁぁぁぁ!?」」
鬼と魔女の悲鳴が轟く。
今日も、幻想郷は平和であった。
おまけ
「……この間、紅白の巫女に頭撫でられたんだけど。何もしてないのに」
「あぁ、私も」
チルノと橙がそんなことを言う。
「あー、私も撫でられたような」
ルーミアが言う。
「……え、私も巫女に会ったけど、別に何もされなかったよ」
「私も別に褒められてない」
リグルとミスティアが言う。
その奇っ怪な霊夢の行動の真意を、彼女らが知ることはなかった。
その人となり等は覚えていそうなんですが、苗字とかって気にしてなさそうですよね。
多分名前として覚えてるんじゃなくて、
単語として覚えてるんじゃないでしょうか。
花崗岩とか玄武岩とか。
四季映姫様と料理してキャッキャウフフしてるトコもぐっじょぶです!
是非次回も霊夢×映姫の雰囲気を漂わせて頂きたいです。
仲が良いんですね~♪
ほのぼのですっごい平和って雰囲気で、和みました~。
ところでなんだ、タグのスペースは半角で打たないと繋がっちゃうぞ。
何年東方やってんだって感じですが
紙に名前を書くのは普通にできるのに、キーボードで打ったり自己紹介するときはちょっと考えてしまいます。
普段家ですら下の名前で呼ばれないのでこんな事になるんだろうなぁ。
逆に言えばどんだけ紙に自分の名前書いてんだと。
ほかにも苗字なしのキャラって居なかったかな、と思ったのですが、
そういえば永夜抄あたりからずっと苗字アリの人ばかりですな。
妖怪連中には、人間の顔が見分けられない奴もいたりして。
笑えん……笑えんぞorz
私の時点で6660点だったので、40点入れようかな? と思ったら、勢い余って100点入れちゃったぃ!w
かわいさに100点!
確かに霊夢ならあり得る。