魔法の森、幻想郷の魔が自ずと集まった森。
森全体に漂う不吉な臭いがほんの少しだけ薄らいでいるところに、開けた広場のようなところがある。
そこには二つの人影があった。
二人は寝転んで、空――満天の星々が瞬く夜空を見上げていた。
「今日は良い空だな」
一人が独り言のように言った。もう一人は頷くでもなく、否定するでもなく無言だった。
「ここのところ忙しくて夜空なんて眺めてなかったぜ」
無言を気にするようでなく、一人で喋る。
男のような喋りだが、少女である。黒白のエプロンドレスを着た人間の魔法使い、霧雨 魔理沙。
「空から眺めるのも良いが、こうやって地面から見上げるのもオツなもんだ」
「……でも、月が満ちてないわ」
ぽつり、ともう一人も独り言のように呟いた。
やや西よりに浮かぶ月は、半分しか姿を見せていない。
「あれは上弦だったか、下弦だったか……。どっちにしても満月だと明るすぎて星が見えないぜ?」
「それはそうね」
あっさりと頷くもう一人。傍らに人形を携えた少女の姿をした妖怪の魔法使い、アリス・マーガトロイド。
「うむ。良い感じだな……。眠くなってきたぜ」
「こんなところで寝る気? 流石は野魔法使いね」
「忙しいっていってたろ。あんまり寝てないんだ。…………」
魔理沙は目を閉じた。やがて小さく寝息が聞こえてくる。
「……あきれた。本当に寝たの?」
「……すぅ……」
信じられない、とばかりに肩をすくめるアリス。
そして空を見上げた。
確かに、半分の明るさの月は星に優しい。
こんこん、と滅多にない来訪を告げるノックの音。
はいどなた? とドアを開けて――
「よう」
「さようなら」
ばたん。
出会い頭の一秒で、ドアを閉めた。
「まあ、そう邪険にするなよ」
外からドアを開けられた。元より鍵など付いていない。
「あなたが来るなんて、ろくな用事じゃないわ」
家主のアリスは不機嫌もあらわに、来訪者の魔理沙を追い出しにかかった。
それじゃあね、とドアを閉めようと力を込める。
「待て待て。この間のアレ、欲しくないか?」
「む……」
ドアが開いた。しぶしぶ魔理沙を招き入れるアリス。
二人とも、魔法使いで蒐集家。
狙ったマジックアイテムが被ることもあり、二人の仲は芳しくない。
先日も、いわくつきの反物の所有権を巡って弾幕りあった。
先に目をつけたのは魔理沙だったのだが、和人形の着物にとアリスが執着した。
あの手この手と交換材料を出して、交渉をしたのだが魔理沙とて簡単に引き渡さない。
希少(レア)の魔導書(グリモワール)をよこせ、と言ってきた。
これで交渉決裂。舞台を空に移して、弾幕りあうことになった。
結局、先に手をつけた魔理沙が持っていったのだが、アリスとしても諦めきれない品であった。
「ほれ」
魔理沙がぽん、と紙包みをテーブルに放った。
「少しばかり使わせてもらったが、ほとんどそのままだから問題はないはずだぜ」
開けてみると、例の反物。確かに若干使われているが人形服には充分使えるだろう。
「どういう風の吹き回し?」
「経済の基本は流通だぜ」
よくわからないことを言う。いつもは蒐集品を腐らせているくせに。
「というのは冗談で、いくらか欲しいものがある。そんなに大したもんじゃない」
それから、魔理沙は欲しいものをいくつか述べた。
「その程度なら構わないけど」
「助かるぜ」
なんとなく、なんの構いもしないのも気が引けるのでお茶を出してから、要求された品を取ってくる。
人形とそれに関する品々が所狭しと鎮座するアトリエ兼コレクションルーム兼物置を漁り、少し整理しなきゃだな、と思いつつ数分かけて揃えて戻ると、人間の魔法使いの姿がない。
「…………?」
どこへいったのかしら、と疑問に思いつつもとりあえず持ってきた物はテーブルに、空になったカップは片付けてから、魔理沙の姿を探す。
そしてすぐに、ドアが開いていることに気づいた。
「外?」
「――よう」
「なにしてるのよ」
どこにいるのかと外を見回すと、上のほうで箒に腰かけ、ふわふわ浮いているのがなんとか見えた。
「別に。空から空を眺めていただけだぜ」
「いきなりいなくなったから、要らなくなったのかと思ったわ」
要る要る、滅茶苦茶要るぜ、と笑う魔理沙。
「そういえば、お前は何も使わずに飛ぶんだな」
「普通の人間と一緒にしないで欲しいわね。都会派魔法使いに箒なんて要らないわ。というかあなただって、別に箒なくても飛べるんじゃないの?」
「楽できるところは楽しないとな」
飛べることは飛べるさ、と箒の柄に腰かけた体勢でくるんと一回転する。
「ん~……」
首を捻りながら、魔理沙が唸った。
「どうかした?」
「眠い」
「帰って寝てちょうだい」
「しかし眠れない」
「不眠症?」
「ここは一つ、荒療治」
「なによ」
「弾幕ごっこといこうじゃないか」
腰かけの体勢をやめ、箒に跨る魔理沙。
「睡眠不足で私とやる気?」
胡散臭そうに見るアリスだが、常時携帯の魔導書を手に、傍らに一体の人形を呼び寄せた。
「今日は、コイン無しのデモンストレーション」
「お試しプレイの体験版?」
夜空に、七色の光が舞う。
人形が踊り、箒が鋭く空を刻み、光弾が幾重にも重なり、二つの光線が焼き、何重もの円を描き、光線が交差し、魔弾が炸裂し、星が散らばり、大小の弾幕が散らばり――
「踊れ!」
――蒼符「博愛の仏蘭西人形」
「お返しだぜ」
――恋符「マスタースパーク」
二つのスペルカードがぶつかり――
「派手なスペルだぜ」
一部は相殺され、
「お互いにね」
一部は相殺されることなく、互いを襲った。
「一つの巨大なレーザー砲に見えて、その実、七色のレーザーをさらに収束させたスペル。一部が欠けていれば、抜け道はあるわ」
「威力負けしている奴が言っても、負け犬の遠吠えだぜ」
「手数の少なさを、一発の威力に賭けている人に言われてもね」
人形遣いはもう一枚カードを切る。
――操符「乙女文楽」
「レーザーはあなたの専売特許と思わないことね」
「誰もそんなことは思ってないけどな」
片方は踊るように宙を舞い、片方は閃光のように空を駆ける。
「おっと」
――魔符「スターダストレヴァリエ」
「危ない危ない」
集中の精度が下がったのか、冷や汗をかく魔理沙。
散らばる七色の星が弾幕を相殺していくのをみてアリスは、一秒だけ手を止めた。スペルカードを手にとる。
(今の魔理沙なら、この程度で落ちる。落ちなくても、これでスペルを使い切るわね)
さらにいくらかのシミュレートを済ませたのち、
「これで終わらせようかしら」
――呪詛「魔彩光の上海人形」
大小の魔弾が容赦無く黒白の魔法使いを襲った。
「――――!」
目に見えて魔理沙の顔が厳しくなる。いつも不敵に笑みを浮かべているその顔が。
「くっ……」
――恋符「ノンディレクショナルレーザー」
無指向360度の回転レーザーが夜を焼く。
包囲され、被弾直前でのスペル相殺回避。思わず安堵のため息が出た。
「気を抜いていいのかい?」
アリスのスペルはまだ続いている。
相殺されて空白ができたとはいえ、弾幕は次々と空間を埋めていく。
空白のおかげで、一拍の休止は致命的な失敗にはならない。しかし、緊張と安堵の連続で著しく集中力を消耗する。緊張(テンション)を維持することと、一旦緩まった緊張の糸を張り直すのとでは、精神の疲労は段違いだ。
「ちっ……」
舌打ちをして、魔理沙は攻撃の手を緩め、一時的に回避に専念する。
追尾性の攻撃が無い魔理沙は、回避と攻撃とを同時に行う。避けながら、攻撃できるポジションを維持しようとする。
(守りに入ったあなたに勝ち目はない)
アリスはずっと魔理沙を見ていた。
魔理沙は迫る弾幕を見ている。
(抜け道はある。でも、今のあなたでは気づけるかしら? 気づけたとしても、抜けられる?)
アリスは心の中で問い掛ける。
魔理沙は必死になって、隙間を縫う。その引きつりかけた笑みにもはや余裕はない。
踊れ、踊れ、踊れ、踊れ――
人形と共に舞え、黒白の人間の魔法使い。
そして、避けきってみなさい。
そこでようやく詰めの一手を打てるのだから。
だから、
(こんなところで終わったら、許さないわよ)
これはアリスの本心。おおよそにおいて。
その時、
「――――」
「――――」
眼が合った。
「……へっ」
急に魔理沙が笑った。
そして――流星の如く、疾った。
弾幕を無視するように、弾幕の隙を正確にトレースし、
「チェックメイト、だぜ」
「――――…………」
息を飲むアリスの眼前へと迫り、唯一つ残ったスペルカードをつきつけた。
――魔符「ミルキーウェイ」
夜空に七色の星が散った。
「惜しかったわ」
「何が?」
森の中にある小さな草原の広場。そこに二人は寝転んでいた。
「もう少し反応が早ければ、人形を代わり身にして私の勝ちだったのに」
「あー? 負け犬の遠吠えだな」
「うるさいわね」
最後に魔理沙が放ったスペルは、アリスに当たらなかった。
だって、これは弾幕ごっこのデモンストレーション。
コインを入れなきゃ、結末は見れない。
「最後の最後で、詰めを誤るとはね……。あなたもあなたよ。最後だけ急にテンポ変えちゃって」
「いやー、人間、追い詰められると強いなー」
屈託なく笑う人間。苦笑する魔界人。
「まったく……」
「しかし、あの瞬間までは、ほんとに一杯一杯だったぜ」
「そうね」
眼が合った一瞬、アリスの“余裕”が魔理沙に伝播したかのように、魔理沙は集中の糸を手繰り寄せた。
「明鏡止水の境地って奴かな」
「まさに野魔法使いって感じね」
違いない、とまた魔理沙は笑った。
「ああ……中々疲れたな……」
「そっちが振ってきたんでしょ……」
「まあそうなんだが……。それにしても」
「なによ」
「お前、やっぱり見極めるんだな」
「――――」
「かなりギリギリのラインを見極めた難度だった。最後の最後で私がひっくり返さなきゃ、お前が予想してた通りの展開になったんだろうな。踊らされるのは嫌いだが、今回は結構踊らされてた」
全力を出さなくてすむのならそのほうがいい。
全力を出したらつまらないじゃない。
全力を出すのは怖いじゃない。
だから見極める。
どの程度の力を出すのか。
「――私は負けるのが嫌だ」
急に、話の方向性が変わった。
「負けず嫌いも負けず嫌いで、ともかく負けず嫌い。それこそ死ぬ気で勝とうとする」
まあ、だからこそあなたは今までやってこれたのよね。
時には500年生きた吸血鬼とやりあって、時には死を操る亡霊とやりあった。
「それはもう見苦しいぜ。卑怯すれすれの裏技まで行使する」
私は見苦しいのは嫌いよ。
「私も見苦しいのは嫌いだけどな、それでも負けるよりはいい」
私は負けるほうがいいわ。
「なあ」
なによ。
「なんで本気を出さないんだ?」
――――。
少し、会話に間が開いた。
「普通の人間がどんなに全力を出しても、高位の妖怪には敵わない。まあ一部例外はいるけどな」
どこぞの紅白巫女とかね。
「私は、普通なんだ。まあ才能がないってわけじゃないぜ。これでも魅魔様直伝の魔法使いだし。普通にやっても、そこらの妖怪に負けるとは思わない」
…………。
「霊夢とやりあったらぎりぎり引き分け。絶好調のパチュリーとやったら多分やられる。他にも比較材料はあるが、総じて言えるのは、――私は“弱い”」
何言ってるのよ。好調時のパチュリーにも勝ったことあるんでしょ。それにあのフランドールっていう吸血鬼の妹のほうだって。
「それこそ死に物狂いだったな。死ぬかと思ったし、死んだと思った瞬間だって、片手じゃ足りない。……運が良かった」
今生きてるじゃない。運も実力の内でしょ。
「それは当然」
ならいいじゃない。
「でもさ、実力っていうのはそういうものなんだ」
…………?
「運とか、死に物狂いとか、その程度でひっくり返りそうになる。現に、さっきの勝負も私が勝った」
あれはあなたが……。
「本当に限界だと思ってた。弾幕を睨みつけながら、今日は負けるかな、なんて考えてた。いつもなら、フェイクの一つや二つかまして出し抜こうとするところだけど、“余裕”がなかった。でも、負けたくないって気持ちはずっとあった。負けるものかって弾幕抜けて、お前をみたら“余裕”たっぷりにこっちを見てるからな、なんか急に腹が立ったというか、意地でも負けるものかと思った」
――私の見極めが甘かっただけよ。今度から、火事場の馬鹿力も計算に入れるわ。
「計算なんか出来ないさ。本当の実力なんて、わかるもんじゃないんだぜ」
なにが、言いたいのよ。
「だからさ――」
――お前も全力、出してみろよ。
「アリス、お前が全力でやったら、私は負けると思う」
…………。
「もちろん、本当のところはわかんないぜ。勝負は時の運だからな」
そんな……。
「ん?」
……そんなあやふやで曖昧なものに賭けられるほど、私は馬鹿じゃないわ。
「全力と全力でぶつかるって、楽しいぜ?」
それでも私は……。
私は……。
……。
「……星が綺麗だ」
魔理沙は独り言のように呟いた。
すぐ側から、規則正しい寝息が聞こえてくる。
もうすっかり熟睡してしまっているようだ。
忙しくて寝ていないというか、何日か徹夜していたのではなかろうか。
「――全力、かぁ……」
持てる力の全て、と言うことだ。
自分の限界を出す、と言うことだ。
もし、全力を以って負けたら?
後がない。
だから、私は自分の力の全ては出さない。
余裕があるのはいいことだ。後がないのは怖いことだ。
勝ち負けに拘るのは器が小さい。勝敗ですら娯楽の一要素にしか過ぎない。
だったら、全力なんて出さなくていい。勝利なんてしなくていい。
だから相手を見極めて、ほんの少しだけ優る力を出せばいい。
敵わない相手とは端からやらない。
尻尾を巻いて、とまでじゃなくても、そこそこで引けばいい。
拮抗するゲームは楽しいのだから。
負けてもゲームだから、どうってことない。
ゲームは楽しむもの。必死になるなんて馬鹿らしい。
ましてや全力なんて……
……でも、私の全力はどれほどだっただろう?
――へっくし。
ふいに寝ている魔理沙がくしゃみをした。
「風邪引くわよ」
うーん、と寝言。魔法使いは熟睡していて起きない。
「やれやれ」
もう一人分の寝床はあったかしら。
魔理沙を抱えて、宙に浮かぶ。ちょっと邪魔なので帽子は脱がして腕の下に突っ込んだ。
おっと、箒を忘れるところだった。人形を遣わせて持たせる。
「――ま、機会があれば、ね」
誰にも聴こえない独り言を呟いてみた。
夜空に二人、金髪の魔法使い。
月は、まだ満ちない。