Coolier - 新生・東方創想話

森ガール

2026/10/03 16:27:43
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 噂によると、最近、人里にもフリルが出没するそうだ。この博麗神社にも、それはときおり現れる。どうやらフリルは、魔法の森からやってきているようだった。

 足元の不愉快な露を払うと、木漏れ日に散らばったそれが瞬く。私は魔法の森の中を、大幣の柄の方を使って分け入っていた。一歩進むごとに袂は汚れ、朝露にぬれるローファーが鬱陶しかった。しばらく進むと、ようやくまともな道に出ることができたので、大幣の柄を袂で拭って、また歩き出した。
 獣道を歩いていると、視界は徐々に開けてきた。先ほどまで木漏れ日を作っていた緑の天蓋は退いて、鬱蒼とした茂みに縁どられた薄茶の土道が広がっていく。私は懐から地図を取り出し、大幣を地面へと突き立てた。
「こっちが北ね。」
 地図をくるくるさせながら、霊力にはためく紙垂の指し示す方角に合わせる。地図には、印がいくつか打たれている。たった今、私はその一つにぺけを付けた所だった。フリルの目撃情報を記した地図を辿る。最初、空から探すことも考えた。しかし、地図を見失わずに空を駆けるのは、大変な苦労の様に思われた。それに、私はフリルが蔓延っている現状を悪く思ってはいなかった。これも仕事である。
 今朝、食事を済ませた後、私は仕事を始めた。稗田のご令嬢が編纂した地図を基に、フリルの元凶を成敗すべし。そういうお触れがあったのだ。私はそれを聞いたとき、たくあんを齧っていたので、到底自分事でないような思いを持っていた。結局、一通り支度を整えた後になって、ようやくこれが一種の異変であると自覚するようになった。
 そんな風に、格子の隙間から景色を眺めているような気分は、まだ残っている。森を分け入って、地図にぺけをつけても、どうにもこれが落書きにしか思えないのだった。だからだろうか、全ての印を巡っても何の手がかりも無いことに、むしろ小さな達成感すら覚えて、私は魔法の森を去ったのだった。

「お疲れさまでした。霊夢さん。」
 文机の向かいに座る彼女に、丸めた地図を差し出す。彼女――稗田阿求は恭しくそれを受け取ると、確認もせずに端に地図を置いた。その机には、私が今渡したような紙筒が数本置かれていた。阿求はその内の一つを拾い、私に向かって差し出した。
「それでは、明日はこちらをお願いします。本日は南の方でしたので、これは東の方ですね。」
 差し向けられたそれを、私はどのような気持ちで受け取ってよいのか、図りかねていた。阿求は薄く笑っている。若草色の着物から、えんじ色の袴、そしてその表情まで、どこか作り物めいた輪郭があった。そのせいもあって、私はただ不愉快だった。
「霊夢さん?」
 ほら、その眉を困らせるしぐさだって。私は紙筒を懐にしまった。
「紫には、貴方から報告してくれるんでしょう。」
「……えぇ。」
 阿求のその言葉を聞き終えると、私は屋敷を後にした。玄関を出ると、正門に向かう最中、石畳の脇に白いスズランが生えていたので、それを手折って持ち帰った。

 神社に着くと、茶を淹れた。日が暮れるには、まだ時間がある。けれど何をするにしても、気力が足りなかった。居間の奥では、薄緑の花瓶に生けられたスズランがあった。ま白い花弁がみんな俯いている。花があれば、多少心持も華やぐかと思ったけれど、選択を誤ったようだった。
 懐から地図を取り出すと、ちゃぶ台に立てる。息をふっとぶつけて、地図は倒れる。フリルを思った。フリルは、いったい何をしたのだろうか。紫はいつも、何も教えてはくれない。私にフリル退治を命じたくせに、あれ以来姿も見せていない。私は探偵屋ではない筈だ。彼女の手先にだって、なったつもりは毛頭なかった。ふつふつ湧き上がる苛立ちで、私はようやく立ち上がり、夕餉の準備に取り掛かった。

###

 次の日も、私は魔法の森に出かけていた。足元をさらう様な、秋に向かう風が心地よかった。相変わらず、私は地図を巡っていく。今日はいくつかフリルを見つけた。それでも結局、捕捉し叩き落として、ぺけを付けるだけだった。しかしどうも妙なことに、ふと視線を外すと、足元に転がっていたはずのフリルが、いつの間にか姿を消しているのだった。昨日は感じなかった、人の視線が背中をなぞるような感覚を覚える。また、新手のフリルが寄ってきたので、大幣を振り上げる。けれど私は、ついぞその姿勢のまま固まってしまった。
 気が付くと、私は木製の椅子に腰かけさせられていた。膝の上に丁寧に重ねられた手には、大幣が握られている。体は動かないが、不思議と圧迫感は少ない。催眠術を掛けられたような、そんな感じだった。手にはまだ、大幣を振るっていた感触が残っている。
「紅茶、おいしいわよ。」
 アリス・マーガトロイドは、視線を手元にじっと向けたまま、そう言った。彼女の手元は、テーブルの影に隠れて伺い知れないが、何かを繕っているようだった。私は何も言わなかった。テーブルにはティーカップとソーサーが二客、ポットが一つ。そして、フリルの断片が散らばっていた。
「いい加減、何か喋ってもいいんじゃない?」
 私はため息を吐いた。けれど、結局何も話すことは思い浮かばなかった。彼女はようやく手元から視線を上げて、手に持っていた物をテーブルに置いた。作りかけのフリルが、現れた。大方完成しているそのフリルは、広がりのある方をうにうにさせて、よちよち歩いている。
「この子に、罪はないわ。」
 目を真っすぐ見つめて、彼女はそう口にした。或いは告白なのかもしれなかった。長いこと見つめ合って、彼女は未だよちよち歩きのフリルを眺めた。その子は散らばった同胞の辺りを彷徨っている。アリスは、胸の前に両手を持ってきて、まるで祈る様にして、それを見ている。白い、レースのフリルだ。
「あんたが悪いわけじゃない。」
 私の言葉にも、アリスは茫洋と、フリルを見つめるばかりだった。テーブルの上を巡っていたフリルは、唐突に浮かび上がった。空気の中を泳ぐように、自分をはためかせて、部屋の隅の方へ寄って行った。そこには大量のフリルや、作りかけの人形がうずたかく積もっていた。様々な色のフリル、体から透明な糸を生やした金髪の人形たち。その成れの果て。
そして、少しの間その上を旋回していたフリルは、最後に開けっ放しの窓から飛び出していった。アリスは窓辺に寄ると、それを閉めた。そして積み上げられた塊の中から、青い洋服を着た人形をつまみ上げる。彼女の革靴が床板を踏み鳴らす音が響く。私の目の前に置かれたティーカップを持ち上げ、冷めた紅茶を一息に飲み干した。
「霊夢、またね。」
 彼女の去った部屋の中で、ようやく魔法が解けて、私は体の自由を得た。手を膝から降ろして、けれど、しばらくその恰好のままでいた。日はまだ高い。白樺を基調としたこの部屋は、温もりがあって、どこか白々しい。袂から和紙の地図を取り出して、私の狩ったフリルたちが散らばるテーブルに、広げた。その地図を力任せにくしゃくしゃにする。くしゃくしゃにした地図と、フリルの断片を仕舞って、私は人里に帰ることにした。やけに肌の白い、アリスの祈る顔がずっと頭から離れなかった。

「……やはり、主犯はアリスさんのようですね。」
 報告の後、少し考えて阿求はそう言った。もう動かない机の上のフリルたちを、彼女は手でかき集めるように真ん中に寄せて鷲掴みにし、引き出しにしまう。
「私にも、似合いますかね?」
「さぁ、似合うんじゃないの?」
 私の言葉を受けても、大して気にした風でもない。いったい何を言って欲しかったのだろう。昨日よりは多少人間らしいように見える彼女は、またあのしぐさをした。
「霊夢さんには、似合うと思いますよ。」
 くしゃくしゃになった地図を、丁寧に広げながら彼女はぽつねんと呟いた。本棚に囲まれた広く狭い書斎で、その言葉は酷く反響した。ジグソーパズルを解くみたいに、一つ一つ丁寧に皺を押し広げて、最後にはまた筒状にし、引き出しにしまった。閉じた音もしないくらい、丁寧に。
「そうかも、しれないわね。」
 浅葱色の、鮮やかな袴が私の目を引いた。昨日みたいなえんじ色でなく、こんな色なら或いは。
 そう思っただけで、私は踵を返して屋敷を後にした。帰る道すがらも、幾度かフリルを目にした。黒や白のレース。てろてろしたベージュのサテン。それら様々なフリルが、ときには酒屋の屋根に。ときには着物の半襟に足を休めていた。それらはどれもおしゃれで、そして同時に私の獲物でもあった。

###

 あれ以来、アリスを見ることはなかった。そして、それとは反対に、幻想郷ではフリルの繁殖が留まることを知らなかった。
 眠れぬ夜は、提灯に寄ってきたり、軒下に羽を休めているフリルを駆除して回った。夜はフリルたちも、羽を休めているのだ。大幣で叩き落としたり、光弾で焼き払ったり、お札で撃ち落としたり。そんなことをしているうちに、段々と世界が小さくなっていくような錯覚に襲われる。今日はどうにも、提灯にフリルが集まらない。月が明るいからだろうか。世界が小さくなると同時に、自分の動きがはっきり感じる様になる。緩んだ襟巻を整えた。
 一通り里を回った後は、決まって夜雀の屋台に寄った。藍色の暖簾の下に、青いフリルが止まっていた。大幣を振り抜く。たなびく暖簾を潜り抜けて、私は長椅子に座った。
「蒲焼と熱燗一つ。」
 提灯の火を消して、椅子に置いた。布巾を持って固まるミスティアを急かす様に、じっと視線を送る。
「どこもかしこもフリルだらけね。」
 お湯に身を沈めた、ま白い徳利を眺めながら私はそう言った。彼女はどこか所在なさげに、粛々と八目鰻を翻す。炭火に落ちた油が、音を立てる。
「お先に熱燗です。」
 湯から徳利を拾い上げると、御猪口を被せて私に差し出す。じんわりと掌が熱くなる。俯いた御猪口を翻して、徳利から酒を注ぐ。一口にくいっと煽る。
「やっぱりここのは格別ね。」
「あっ、ありがとう、ございます。お次、蒲焼です。」
 私は旨い蒲焼を食べ、温かい酒を飲み、そしてひたすらにミスティアを見つめていた。頑なに口を開こうとしない彼女を、ひたすらに。彼女はしきりに暖簾のあたりを気にしていた。今日はやけに酒が進んだ。御猪口をいくら傾けても、気分はすぐれない。徳利を三本開け、蒲焼を二枚食べた頃、重かった彼女の口が、ようやく開いた。
「……実は、あの暖簾の……私が縫い付けた、ただのフリルなんです。」
 私はまた、御猪口を煽った。空になったま白い御猪口を、強く叩きつける。鋭い磁器の悲鳴が響いて、手を切ってしまった。赤黒い血が、店先の提灯に照らされて温かみを帯びる。袂から大幣を引っ張り出そうとしたが、酔ってうまく掴めなかった。
「あんまりややこしいことしないで頂戴。」
 懐から小銭を取り出し枚数を数える。御猪口の破片が散らばる机に放り投げて、私は屋台を去った。

 神社にたどり着いても、眠れなかった。布団に潜り込んでも、掌がずきずき痛んで目が冴えてしまう。縁側で茶を淹れた。満月が輝いていて、心はなかなか落ち着かない。夜風の中で茶を飲んでいると、どこからともなく黒いサテンのフリルが現れた。夜の煮凝ったような色をしたそのフリルは、散々彷徨って急須の置いてあるお盆に止まった。
 私は、白い湯呑を傾け茶を飲み干すと、フリルにそれを被せた。湯呑は一度中空まで持ち上がったが、すぐに力を失って盆の上にカタンと落ちた。それを見届けて、私は再び布団に潜った。居間の行灯を消す直前、花瓶のスズランが夜風に揺れた。

###

 季節は秋から冬へと変わり、フリルは生息域を狭め、ついには見かけることも少なくなった。ときたま誰かの裾や襟に、その存在を確認できる程度にまでなっていた。
「アリスさんは、また自宅に戻ってきたそうですよ。」
 阿求は、机の上でばらばらのフリルを繋ぎ合わせながら、そう言った。あのとき私が回収したフリルだった。私は、彼女と同じこたつに入って、ぼんやりと部屋の奥を眺めていた。
「こんなのはどうですか?」
 彼女は繋ぎ合わせたフリルを首に何周かさせて、きらきらした瞳で私を窺っている。
「さすがにそれは変じゃない?」
「……そう、ですか。」
 不格好にフリルを身に着け、気落ちする彼女は、なんとも間抜けだった。
「ふふっ、いまどき妖精でも、そんな恰好しないわよ。」
 彼女は大人しくフリルを外し、懐にしまった。どうやら巷では、私が異変を解決したことになっているらしい。結局紫は現れなかった。彼女は阿求の元にも訪れていないようで、取材をするために、阿求は足繁くこの神社に通っていた。ただ、最近は茶を飲みに来ているだけのようにも思える。
襖の隙間から見える外は、雪が降っている。しんしんと落ちる雪の影に、何かが動いた。冷え冷えとした空気の中を縫って、それはこちらに近づいてきた。浮かんだり沈んだりしながら、居間に迷い込んできたのは、しぶとく生き残っていた白いフリルだった。それは私の方に寄ってきて、襟に止まった。私は襟のフリルに触れた。それを引き裂く感触が蘇る。
「それ、払わないんですか?」
「だって、寒いじゃない。」
 こたつの中で手を合わせて、私はそう言った。
「それに、こっちの方がまだ似合ってると思うわよ。」
 阿求は不満そうな顔をしていたが、次第にそれも解けてゆく。冬は始まったばかりだった。今しばらく、この寒さは続きそうだった。
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