Coolier - 新生・東方創想話

一枚足りない!

2026/08/31 21:26:35
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「何度数えても一枚足りない……!」
 悲壮感たっぷりに頭を抱える布都を、一輪は冷ややかな目で見下ろしていた。
「あんた、最近はずっと口癖みたいに皿が足りない、一枚足りない、そればっかじゃないの。もう耳タコよ」
「坊主のくせになんと無慈悲な言い方をする! おぬしはお菊さんの無念がわからぬのか! たかが一枚、されど一枚、その欠けた皿のために、お菊さんはいまも……」
 布都はいまにもわっと泣き出さんばかりに地面に突っ伏す。一輪は傍らの雲山と二人、揃って肩をすくめた。
 オカルトボール騒ぎの元凶たる女子高生を捕らえて、一連の異変はひとまず解決の一途を辿りつつある。しかし、幻想郷に具現化した都市伝説、オカルトの数々は消えることなく、いまなお彼女たちの側に留まり続けていた。いずれオカルトの力が使えなくなるかもしれないと思って、存分にオカルトを満喫している者もいるが、中にはオカルトの影響で困ったことになっている人間や妖怪もいるようだ。
 布都が選んだお菊さんのオカルトもまた同じで、布都はオカルトの使いすぎか、この頃はお菊さんに精神を乗っ取られ兼ねない勢いで私生活にお菊さんが侵食しているのである。
「それにしてもお菊さん、やっぱり古いわねえ。最近は昔ながらの怪談も流行らないからね」
「何を言う、お菊さんは充分ナウいわ」
「ナウいがもうすでにナウくないのよ」
 モーレツでチョベリグな時代の言葉たちは、ハイカラ少女にはもはやちっともトレンディーに聞こえないのだった。意味がわからない? お父さんかお母さん、おじいちゃんかおばあちゃんに聞いてみよう。
 オカルトは自分の能力や特技と相性のいいものを選ぶケースが多い。皿を好んで投擲武器にする布都は、皿に関する怪談『番長皿屋敷』のお菊さんを選んだのだった。主人の大事にする皿の一枚を割ったために井戸に身を投げてしまったお菊さんは、夜な夜な井戸に現れて皿を数えては足りない一枚を嘆き続けているという。そんなお菊さんにシンクロしすぎたのか、布都はオカルトボールを七つ集めて足りない皿の一枚を見つけてもらおうとまで考え出す始末であった。
「我もお菊さんが気の毒だとは思うが、こうも頭の中が毎日皿に侵されては困ってしまう。寝ても覚めても思い浮かぶのは皿、皿、皿! 考えることといえばいつだって皿のことばかり! 我は皿に恋をしているのか!?」
「違うと思うなー」
 道具が付喪神になることも珍しくないので、皿を偏愛したところで悲恋確定にもならないのだが、皿とデートするライバルの姿は見たくないなと、秦こころあたりが聞いたら怒りそうなことを一輪は思う。
「とにかく、足りない皿が見つかるまでは我もお菊さんも落ち着かなくて、日々の修業も手につかんのだ。このままでは太子様のお手伝いもできぬというのに、皿の枚数が気になって気になって、暇さえあればつい数えてしまう……いちまーい、にまーい、さんまーい……」
「よんまーい、ごまーい、ところでいま何時?」
「そうねだいたいねー、って魔理沙殿と同じことをするな!」
「なんであんたその返し知ってるのよ」
 心なしか波の音がしたところで、いい加減面倒くさくなってきた一輪は現実的な解決策をアドバイスしてやることにした。
「そんなにオカルトのせいで困ってるなら、神子様に相談したら? あの人なら何かいい知恵を授けてくれるかもしれないでしょ」
「太子様はまだ異変の調査で忙しいのだ。お手を煩わせるわけにはいかぬ」
「そういえば、うちの聖様もそうだったわ」
 今回の都市伝説異変は完全に解決したわけではなく、紛れ込んでいた月の都のオカルトボールの謎を追って、神子や聖たちはまだ独自の調査を続けているのである。
「でも部下の頼みくらい聞いてくれるんじゃないの?」
「いつも皿を割りまくって出費が馬鹿にならぬのだからこの機に少しはもののありがたみを噛み締めよ、とお説教された」
「あ、そういう……」
 それでも部下の皿代をわざわざ受け持ってやるあたり、厳しいのか甘いのかわからない御仁である。
「じゃあいっそ霊夢さんにお祓いでもしてもらったら? お祓いといったら巫女の仕事でしょ、お菊さんの脳天カチ割るくらいはしてくれるわ」
「そんな恐ろしいことはならぬ!」
 布都は顔を真っ青にして断固拒否の姿勢を見せた。
「困っているとはいえ、我はお菊さんのオカルトには何度も助けられてきたのだ。オカルトボールの調査が捗ったのもお菊さんのおかげだ。何も退治してほしいとまでは思っておらぬ、なのにあの無慈悲な巫女に任せたらお菊さんはどうなることか!」
「そ、それもそうね」
 最近の霊夢は問答無用で退治するばかりでもないのだが、商売敵にはヤクザ対応をする人間だと一輪も認識しているので、布都の恐れっぷりも納得した。
 それにしても、と一輪は疑問に思う。オカルト、怪談と呼ぶくらいだから、お菊さんの物語は人を怖がらせるために作られた物語である。だが冷静に考えると、深夜とはいえ、井戸のそばで皿を数える女がそれほど恐ろしいのかと疑問が沸く。実際、布都はお菊さんを怖い怪談と思って選んだというより、相性の良さを重視した結果のようで、お菊さんを怖がってはいない。
「考えてみれば、お菊さんの奉公してるご主人が『皿くらい構わぬ』なんて言ってくれる優しい人だったら、お菊さんは死ななくて済んだのよね。お菊さんも悲劇の人だわ。そんなに怖い幽霊なのかしら?」
「ふん、どうせお菊さんの主人とやらも良心の呵責があった、なんてオチなんだろう。たかだか皿一枚で人を死に追いやったのが後ろめたいのよ。お菊さんの無念もさることながら、神や死人の祟りや怨念というのは、生きた人間の罪悪感に訴えかけるところがあるからな。それらが憐れなお菊さんを怪物にしてしまったのだ。幽霊が怖いのは後ろめたいからだ。後ろめたさがなければ怖くはない」
「じゃああんたの神霊廟にいる怨霊の屠自古さんは」
「ちっとも怖くないな!」
 なっはっはと笑う布都を見て、屠自古は雷を落として脳天をカチ割った方がいいのではないかと一輪は思った。
 しかしなるほど、後ろめたさが恐怖の源というのは一理あるかもしれない、と一輪は考える。平安時代の怨霊として有名な菅原道真は、讒言によって太宰府に流され、失意のまま死んだ。その後宮中に雷が落ち、彼の流罪に関わった人間や天皇までもが次々と死んだことから、これは道真の怨霊の仕業に違いないと都中の人々を震え上がらせた。時の最高権力者たちに阿りながら、実は道真に申し訳ないと思っていた人間が少なくなかったのかもしれない。
 しかし、讒言の首謀者とされる藤原時平(ふじわらのときひら)は、宮中にて雷の鳴る中、恐れることなく太刀を抜いてきっと空を睨み、道真の怨霊を退散させんとしたとも伝わっている。逸話が本当なら、時平は道真に対する罪悪感など微塵もなかったわけで、自分が短命に終わったのも道真の仕業とは考えていなかった可能性がある。藤原氏が雷神を祀るため、雷を恐れていなかったのかもしれないが。
 あるいは、これは作り物語ではあるが、源氏物語の六条の御息所も生霊、死霊として生者に祟りをなす女性である。光源氏に元は恋人であった彼女を捨てた罪悪感があるから、六条の御息所が恐ろしいのかもしれない。
 しかし、怪談とは人を怖がらせてこそのフィクションである。別に当事者でもなんでもない、罪悪感などかけらもない人々まで戦慄せしめるのが、怪談の真骨頂だ。ならば罪悪感とは怨霊の類には適用できても、怪談にはあまり当てはまらないのかもしれない。というか、布都だって復活したての頃は妖怪に怯えていたというのだから、やっぱり罪悪感など関係ないじゃないかとも思う。
「で、結局、あんたはお菊さんをどうするつもりなの?」
「太子様がオカルト騒動の真の解決策を見つけるのを待つか、何がしかの方法でお菊さんの無念を鎮める方法を見つけるか。それしかないだろう」
「どうしてもお菊さんを祓いたくないのね」
「おぬしだっていまも八尺様を連れているのだろう? オカルトを手放したくないのはおぬしも同じではないか」
「まあ、そうね」
 一輪はちらと雲山を振り返る。一輪が選んだ八尺様は比較的最近生まれたオカルトであり、八尺の長身に白いワンピースを着た女で、特に子供を狙って攫うと言われている。いつも一輪のそばに八尺様のオカルトが具現化しているわけではないが、実は一輪もこっそり夜中に八尺様の口真似をして人間を驚かすのにハマっているのである。一輪も都合よくオカルトを利用していると言われては反論できない。何より彼女は妖怪なのだ。オカルトや都市伝説が妖怪に該当するかは意見が分かれるだろうが、人ならざるものを単に迷惑だから祓っておしまい、としたくない気持ちもあった。
「というわけで、一輪、お前がなんとかできぬか?」
「は?」
「坊さんだってお祓いをやるだろう。お前の力でお菊さんの無念を少し落ち着かせてやることはできぬか?」
「え、ええー?」
 一輪は口をあんぐり開けた。
「あんた、筋金入りの廃物派じゃなかったの? どのツラ下げて僧侶の私にそんなこと頼めるのよ?」
「もちろん成仏させよなどとは言わぬ。仏に成るのが救いだ幸せだなんてのは愚かな仏教徒の欺瞞に過ぎぬわ。なれどお菊さんは坊主の読経で魂が慰められたという話もあるようだからな。我だって他に手段があったら坊さんのお前になど頼まぬわ。ああ、でも露骨な仏教式で祓われても困るからほどほどに仏教色は薄めてくれると助かる。今回ばかりはお菊さんのための特別じゃ、ありがたく思うがいいぞ」
「あ、あんたって奴は……」
 一輪は腹が立って身体がわなわな震えてきた。ここまで仏教をコケにするくせして、困ったときは厚かましくなんとかしてくれと頼んでくる。一輪が嫌う軽薄で信心の薄い人間たちと変わりやしない。やっぱり屠自古に雷を数発落とされた方がいい、いや、雲山のげんこつで外の世界まで吹っ飛ばしてやってもいいとすら思った。
 とはいえ、お菊さんのオカルトを使うようになってから、最近は特に布都が目に見えてやつれ始めたのも事実である。いつもいつも皿を求めて彷徨われても気味が悪いし、お菊さんに呪われた布都と遊んでいても面白くない。
 それに、布都のヘラヘラ抜け抜け図々しい態度に慣れてしまっているのも事実である。多少アホっぽくとも、沈んでいるよりは明るい方がいいに決まっている。無理難題を頓智で切り抜けてこそ僧侶だとも思うし、仏の慈悲は人を選ぶべきではない。たとえ異教徒の商売敵であろうと、手を差し伸べるべきだ。一輪は僧侶らしく決心した。
「わかった。私がなんとかできないか、考えてやってもいいわ」
「おお、それでこそ我が好敵手よ!」
 満面の笑みで一輪の手を握ってぶんぶん振る布都を前に、本当に調子いいんだから、とため息をつく。
 聖は相変わらず忙しいが、命蓮寺は大所帯だ。ムラサや星、マミゾウなどに話を聞けば何かいい知恵を貸してくれるかもしれない。布都のためというよりはお菊さんのため、一輪は雲山と共に尽力しようと思った。



「で、これがおぬしの考えた秘策とやらか?」
 神霊廟の庭の井戸の側に、急ごしらえの小さな小屋が建てられている。神霊廟の住人に許可を取った上で、力仕事の得意な雲山が建てたものだ。中はせいぜい一坪くらいの狭さで、高さも布都や一輪は真っ直ぐ立ってもつっかえないが、背の高い人間や大人は屈まなければならなさそうな低さである。外観は神や仏を祀る祠に似ていて、中にも外にもお札がびっしり貼り付けられている。なお、この大量のお札は命蓮寺の一同に手伝ってもらってすべて手書きで拵えたものである。
 仏教でもお祓いはやる――といっても、仏教の主たる目的は悟りを開くことであり、霊魂の扱いについても解釈が分かれるようなのだが、千年以上の昔から怨霊や物怪騒ぎのときには霊験あらたかなる僧侶に加持や祈祷を依頼してきた歴史がある。そのため、一輪にも仏教的なお祓いの知識や経験はあり、さらに布都無茶ぶりもといリクエストも加味して近年の流行や他宗教の現場、昔物語のしきたりなど踏まえて独自に魂鎮めの場を整えたのだった。
 他の神霊廟の住人たちには、修業に来ている人間たちとともに一時避難してもらっている。万が一の被害を拡大させないためだ。加えておくと、お祓い自体は命蓮寺でやるという案もあったのだが、布都がアウェイよりホームを望んだことと、布都が暴れて寺に放火しても困るという理由で、神霊廟で行うことになった。
「我がこの中に入って、お菊さんに憑依されないよう引き離した上で、お菊さんを鎮めようというのだな?」
「そう。名付けて吉備津の釜作戦ってところね」
 吉備津の釜とは、これまた江戸時代の有名な怪談である。ドラ息子の夫・正太郎に騙され、金を奪われた挙句遊女と逃げられた良妻・磯良(いそら)が憤死し、幽霊となって夫に復讐する物語だ。磯良の霊に悩まされた正太郎は祈祷師に相談し、家中にお札を貼って磯良の霊がいなくなるまで家に籠るように言われるのである。
「吉備津の釜か。あれも憐れな女の悲劇よのう」
「ほんと、浮気男なんてサイテーよ。いい気味とすら思うわ」
「いや、昔の浮気なんてあんなもんだろう。本妻から金を騙して奪ったのが問題であって……」
「は???」
「は???」
 見解の相違により『これだから人を人とも思わない昔の貴人は』『これだから昔の価値観を理解しない現代っ子は』とあわや大合戦の気配となったが、雲山が割って入って事なきを得た。
「とにかく、このお札の呪力は悪しき力を遠ざけてくれるの。お札の発祥は道教だそうじゃない、これを仏様の力だから嫌だなんて言わないわよね」
「言わぬが、しかし、吉備津の釜だと、オチはお篭もり最後の夜が明けたと勘違いした正太郎が外に出てしまって……という奴ではなかったか? 本当にこれで大丈夫なのか?」
「私は『戸を開けなさい』なんて言わないわ。もう大丈夫だと判断したら私と雲山で戸を開けるから、あんたは誰に何を言われようと自分から外に出ちゃ駄目だからね」
「そうか……あれも最後に油断した正太郎の自業自得とも言えるか」
「で、お菊さんはいまどんな様子なの?」
「うーん、特別悪さをする気配があるわけではないのだが……」
 井戸の中から白い三角巾に白い死装束の、お決まりの幽霊姿のお菊さんが現れる。布都の言う通り悪意があるようには見えないし、そばにいても一輪や雲山が彼女に感化されるわけでもない。お菊さんの未練に侵食されるのは、オカルトを選んだ布都にのみ降りかかる問題なのだろうか。
 一輪はまじまじとお菊さんを観察する。僧侶という身の上、生死を問わず悩み苦しむ者を数多見てきたが、特別に皿のために苦しんで暴走しそうな気配はない。ある意味でムラサにも似ていると思った。彼女もまた未練に縛られて成仏が叶わない身だが、おそらく彼女と一度でも対面したほとんどの人物は、ムラサを未練と憎悪に満ちたいかにもな『怨霊』だとは見なさないだろう。見てくれだけでは本人の抱える懊悩の深さはわからないものだ。
「ま、いいわ。布都、あんたは小屋の中に入って。戸を閉めたら内側からもお札を貼って出入り口を密封するのよ。お菊さんが鎮まったと見なしたら、私からあんたに声をかける」
「もしお菊さんをどうにもできなかったら?」
「大人しく土下座でもなんでもして神子様に頼んでちょうだい。私だってあんたの無茶振りにばっか応えてらんないんだから」
 一輪はバッサリ言い切った。好意にタダで甘えさせる気はないのである。
 布都はため息をついて、小屋の中に入った。布都から『ちゃんと札は貼ったぞ』と声がかかって、一輪は雲山を井戸のお菊さんのそばに配置し、自分は小屋の前に居座ったまま、数珠を手に念仏を唱え始めた。
 布都からはあらかじめ『お菊さんのためなら念仏を唱えてもいい』と言質を取っているので、一輪は心置きなく敵の本拠地で念仏を口にするという、戦場で高砂を口ずさむのにも似た挑発じみた行為ができるわけだ。念仏といえば浄土系と思われがちだが、古来の密教系の僧侶たちも念仏を行う。中には念仏を呪術まがいの邪道行為と見做す論争もあるようだが、ひとまず一輪は昔から魔除けに唱えられた尊勝陀羅尼を唱えている。
 お菊さんに変化があれば、雲山がすぐに知らせてくれる。一輪は布都の籠る小屋から目を離さない。しばらくして、小屋の中から『うう』と布都の苦しそうな呻き声が漏れ始めた。
 雲山は動かない、ということは、どういうわけだか布都にのみ効果が現れているようだ。一輪はしばらく陀羅尼を唱え続けたが、やがて急ごしらえの小屋がガタガタと激しく上下左右に揺れ、布都の呻き声が大きく尋常でないものに変わり始めて、一輪は念仏を止めた。
「ちょっと、布都、大丈夫?」
 このとき、まだ声をかけるべきでなかったと気づいたのは、戸が勢いよく開いたときだった。一輪が慌てて小屋の中に滑り込むと、戸はばたんと閉じて、窓も隙間もない真っ暗な小屋の中に一輪は悶え苦しむ布都とともに閉じ込められた。
「ふ、布都」
「足りない……皿が足りない……一枚足りない……!」
 一輪の呼びかけにはまったく答えず、獣じみた叫び声を上げたと思ったら、耳元で陶器の砕ける音がした。皿を投げつけられたと、破片で肌を切り付けられてから気づいた。
「皿を寄越せ!」
 狭い小屋の中、雲山の庇護もない一輪は次々と飛んでくる皿を避けようがない。暗闇には慣れ切っているので、声のする方向からおおよその位置に当たりをつけ、布都の両腕を掴んで押さえつけたものの、布都は尋常でない力で暴れまくる。再び念仏を唱えようにも、かえって仏教嫌いの布都を刺激しそうで続けられない。
(だから私じゃなくて霊夢さんに頼めって言ったのにー!)
 無慈悲なヤクザ巫女でも、古き神道に心を寄せる者同士なのだから、使えるものは使っておくべきなのだ。後の請求が恐ろしいが。
「お前の皿を寄越せ!!」
 皿がぶつかった感覚もないのに、鎌鼬のように皮膚にぱっくりと裂け目が生じて、血が吹き出す。もはや一輪に防御の手段はなく、次々と生じる傷の痛みと出血に耐えるしかなかった。
(ああそうか、〝血〟の中には〝皿〟があるもんね……)
 などとどうでもいいアハ体験をしたのは、出血が続いて意識が朦朧としてきたせいかもしれない。一輪はもう人間ではないため、出血多量程度で死にはしないが、痛いものは痛いし、このままでは意識を失いかねない。雲山が助けに来る気配がないのは、戸が開かないからか、お菊さんの対応で手一杯になっているからか、それも把握しようがない。
 布都を案じて迂闊に中へ入ってしまったのが悪かったのだ、と今更ながら悔やまれる。布都を外に出してお菊さんと合流させる方がまずいと判断したのだが、もはや布都とお菊さんの精神の境界は完全に曖昧になってしまっているらしく、目に見える本体を引き離したところでどうしようもなかったのだ。
「足りない、足りない、皿が足りない!」
 布都、あるいはお菊さんは暴れ続けている。そんなに失われた皿の価値は大きいのか、高価な皿は人の命より価値が重いのかと、一輪は疑問に思う。
(そんなわけあってたまるか!)
 確かに道具は大事にするべきとはいえ、こころたち付喪神には悪いが、どんなに貴重であっても、物は物だ。命あっての物種、人の命より重くてたまるものか。一輪の知るハイカラ少女は、家宝の皿を割ったがために主人に殺されかけた使用人を庇って、残りの皿をすべて叩き割り『皿を一枚割るたびに人を一人殺すというなら、ここで私を殺しなさい』と啖呵を切るのである。
 一方で、人の命が駒に等しい時代が確かにあったことも一輪は思い出す。遠い昔において、人間は時に主人の道具同然の扱いをされた。
 一輪は初めて布都とお菊さんがここまで同調してしまった理由に思い至った気がした。お菊さんのオカルトは単に〝皿〟というオブジェクトのつながりだけでなく、布都の忠誠心とも共鳴したのだ。むかっ腹の立つ過激廃仏派の商売敵ではあるが、布都が神子のために命すら賭けられるほどの忠義者であることは認めている。お菊さんもまた、捉えようによっては単に悪徳な主人の恫喝に耐えかねて死んだ被害者ではなく、主人への忠誠心が高すぎるゆえに自分の過失を気に病み自害を選び、死してなおその過ちを悔やみ続ける忠義者なのかもしれない。
(でも、いまどきそんなの時代遅れだわ)
 一輪も聖をとても慕っているから、憧れてやまない主人に身を捧げたくなる気持ちが理解できないわけではない。けれど従者とは自らの意思を放棄して一方的に尽くすのでなく、自分でものを考え、ときには主人にすら〝否〟を突きつけて、自らの選択で主人に着いて行く道を生きるべきなのだ。
(布都、あんたはあんた、お菊さんはお菊さんでしょ。お菊さんに寄り添うのはいいけど、乗っ取られて共倒れしちゃったらおしまいよ。目を覚ませったら。欠けたお皿を後悔してるのは、あんたじゃないんだから……)
 一輪はいまにも遠のきそうな意識をどうにか保ちながら、このまま自分が倒れて、布都も力を使い果たして倒れて、誰かが助けに来てくれるのを期待した方がいいのかと考えた。しかし布都の暴れっぷりを思うと、突貫仕事で作った小屋が破壊される方が早い気がした。布都が神霊廟に留まってくれたら幸いだが、もし人里に向かいでもしたら大変なことになる。
 布都を押さえつける力もだんだん抜けてくる。血が流れすぎたのだろう。事情は神霊廟にも命蓮寺にも話してあるから、せめて誰かが早く異変に気づいてくれればいいのだが……希望的観測に思考が傾き始めたそのとき、小屋の屋根が破壊されて外の光が差し込んできた。ついに布都が、と思いきや、小屋を壊したのは布都ではなく、一輪の上に覆い被さるように聳え立つ真っ白な影だった。
(――八尺様?)
 暗闇に慣れ切った目に日の光が沁みる。身の丈八尺、痩身ながら雲山にも引けを取らぬ怪力を持つ長身の女が、片手で一輪を庇いながら、もう片手で布都をがっちり押さえつけている。一輪はこのときまで、自分のオカルトを使うことをすっかり忘れていたのだった。
 だが、一輪は自らの意思で八尺様を呼んでいない。いつの間にか、まるで普段から一輪に寄り添っている雲山のように、一輪のそばに現れたのだ。
 八尺様は子供を好んで連れ去る怪異とされている。なぜ子供を狙うのかは解明されていない。
 一輪は鬼子母神の伝承を思い出した。初め、鬼子母神は我が子を養うために人間の子供を攫う悪行を繰り返していたが、釈迦に諭されてからは改心し、子育てと安産の神として現在でも多くの人々に信仰されている。我が子を愛しながらその我が子のために羅刹となる、母性の二面性を表す仏教の神であり、一輪たちの信仰する毘沙門天の部下の妻でもある。
(もしかして、八尺様も、鬼子母神みたいに案外子供を守ってくれるんじゃないかしら)
 一輪は決して見上げきれない雲山と重なる長身を持つオカルトとして八尺様を選んだが、少女の一輪を守る雲山と重なるところが八尺様にはあったのかもしれない。
 八尺様が開けた穴から即座に雲山が飛び込んできて、一輪に駆け寄った。気がついたらお菊さんも布都のそばにいて、布都と同じように苦しげに唸りながらのたうち回っている。雲山はひたすら一輪の心配ばかりしていた。
「大丈夫よ、雲山。八尺様が守ってくれたから」
 一輪は身体の痛みも忘れて立ち上がった。八尺様が窮地を脱する道を開き、雲山も駆けつけたことで、俄かに一輪に活気とやる気がみなぎってきた。
 布都とお菊さんはまだ暴れ続けている。もはや念仏のみで調伏しようなどとは一輪も考えていない。
「布都、いい加減目を覚ませ! あんたは千四百年前の豪族でしょうが! お菊さんは古風ったってせいぜい江戸生まれじゃない。数百歳程度のひよっ子に簡単に乗っ取られたら、大豪族物部の名が廃るぞー!」
 皿を振りかぶったお菊さんを、八尺様が持ち前の長身で上から押さえつけた。白い衣装に長い黒髪、新旧の女性姿のオカルト同士が取っ組み合いになる。
 一輪はお札の予備を懐から取り出して、雲山の拳と自分の拳とにそれぞれ貼り付け、勢いよく振りかぶった。
「ノウマク・サマンダ・ボダナン・ベイシラマンダヤ・ソワカ!」
 一輪と雲山の拳が布都に炸裂した。



「確かに毘沙門天は神ではあるがな」
 散らばった皿の破片を粛々と片付けながら、布都は片頬を腫れ上がらせた状態でブー垂れている。
「神子様だって昔は毘沙門天様を信仰していたんでしょ。文句ある?」
「神は神でも、毘沙門天はとっくに仏教に取り込まれているではないか!」
「でも大元を辿ればインドの財宝神よ。だいたい、神仏習合が長く続いたこの国で仏と無縁な神様なんている? 最後は神様の力で祓ってやったんだから、あんたの希望には何も反していないはずだわ」
「ぐぬぬ」
 一輪が叫んだのは毘沙門天の真言で、『あまねく仏に帰依し奉る、毘沙門天よ、願いを叶え給え』ぐらいの意味になる。わざわざあの場で真言を叫ぶ必要があったかといえば別になくてもよくて、一輪のノリでしかないのだが。
「まあ、我も少しばかり同情が行き過ぎたのであろうな。我が欠けた皿の一枚を代わりに補ってやったところで、それはお菊さんの探し求める皿ではないのやもしれぬ。お菊さんの割ってしまった皿がもうこの世のどこにもないのなら、我は皿を欠いたお菊さんを、そのままのお菊さんとして付き合って行くしかないのだろう」
「もう頭の中はお皿でいっぱいじゃないのね?」
「ああ、すっきりじゃ」
 布都は憑き物が落ちたような顔でそう言った。
 布都たちを問答無用で気絶させた後、改めてお菊さんに念仏を聞かせたのだが、布都が目を覚ます頃にはお菊さんの暴走は無事に鎮まったようで、二人ともいまはもう大人しい。
 一輪は全身切り傷だらけかつ血塗れ、B級スプラッターのような見てくれの上に失血でしばらくはふらついていたものの、しばらく安静にしているうちに痛みも引いてきた。こんなとき、妖怪の頑丈な肉体のありがたみを再認識して、人間を辞めていてよかったと思う。
 結局、お菊さんに逸話通り念仏が効いたのか、布都が自他の境界をはっきり区切り直したのが効いたのかはわからないものの、ともかく一件落着である。
「まったく、新しい力というのは扱いが難しいな。今回はおかげで助かった。一輪、おぬしもオカルトには気をつけろよ」
「わかってるって」
「ま、入道殿がついているなら平気だろうけど……」
 散らばった皿の片付けと壊れた小屋の撤去作業が完了すると、一輪は布都と別れ雲山とともに帰路についた。昼頃から始めたお祓いだったが、すっかり日が暮れてもう夕方である。
「思ったより時間かかっちゃったねー、雲山。この傷、みんなにどうやって言い訳しよう……喧嘩したとか? 一応布都をぶん殴っちゃったし、真っ赤な嘘にもならないよね」
 雲山に支えてもらいながら歩いていると、いつのまにか八尺様も出てきて一輪に寄り添った。一輪は今回の件を経て、すっかり八尺様のオカルトが気に入りつつある。
「さあて、今夜は誰を脅かしてやろうか?」
 一輪はくすくす笑った。真っ暗な小屋であんな目に遭ったばかりだというのに、もう夜が更けるのが楽しみでならなかった。もちろん一輪は僧侶の身であり、人を無闇に襲ってはいけないと心得ている。だから、オカルト騒動の記憶も新しい真夜中にも関わらず出歩いている不用心な人間を、八尺様の真似をしてちょっと脅かすだけだ。それぐらいなら、妖怪の本分を満たすための行動として多めに見てもらえるだろう。
 上機嫌な一輪を、雲山は心配そうに見守っていた。一輪のそばに寄り添って離れない八尺様は、一輪や雲山に語りかけてくることは決してない。ゆえに、雲山は八尺様が何を考えているのか理解できなかった。
 確かに、鬼子母神や地蔵菩薩のように、仏教においては人ならざる者が子供に優しいケースは存在する。
 しかし、人智を超えた存在に対して、怨霊のように恐れて鎮めようとするのも、神のようにありがたがって崇めようとするのも、結局は人間側の都合のいい物差しで測る行為でしかないのではないだろうか。
 八尺様は比較的新しく生まれた怪異なだけに、その全容は未だ謎に包まれている。彼女が子供を狙うのは、本当に子供を守るためなのか?
 元人間の一輪に未だ残る人間的な楽観思考を、雲山は信じてもいいのだろうか?
 雲山は未だ身体中に傷跡が残る一輪を憂いて見下ろしていた。実のところ、一輪が八尺様に相性の良さを感じたように、雲山もまた八尺様に対してシンパシーを感じている。それは単に背丈の高い巨大な人型の怪異同士だからではなく、千年以上昔、雲山がまだ一輪に退治される前の、人間を襲っていた頃の記憶と重なるためなのだが……。
 八尺様の影は、一輪の小さな身体をすっぽり覆い隠す。にやりと、八尺様の口元が笑みの形に広がった。
去年あらすじだけ書いて放置していた話を再利用しました。
今回はコメディベースに夏らしく(もう8/31なんだよなあ)ほんのりホラーを目指しました。もはやお馴染みってくらい描き慣れてきた布都と一輪&雲山の話です。
気がついたら深秘録ってもう十一年前の作品なんですね。時間の流れが早い。
朝顔
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コメント



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1.90奇声を発する程度の能力削除
面白かったです
2.100名前が無い程度の能力削除
良かったです。怪異を鎮めるために怪談モチーフの見立てをするのが面白かったです。
3.100南条削除
面白かったです
ゲームではパートナーというか武器や技のように扱われていたオカルトたちもやっぱり怪異の一種で立派な脅威なのだと思いました
素晴らしかったです