Coolier - 新生・東方創想話

欠番ホーム -Platform Zero -

2025/04/25 20:30:51
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第七学術区――かつて京都と呼ばれた街は、今や鉄とガラスの研究都市へと変貌していた。

衛星軌道からデータ通信を受け、地下には量子計算機が唸り、地上は生体認証と自動走行が当たり前になった。

その都市の最南端、かつての“山科”にあたるエリアに、蓮子とメリーはいた。
「また、データの欠損が出てるの」
研究棟の一室。投影装置に浮かぶ地下鉄X線の立体地図を見つめながら、蓮子が呟いた。
地図は正確だ。すべての経路が記録され、再現され、監視されている。

ただ一つ――“そこ”だけを除いて。
「ここ、本来なら駅があるはずなのに、公式記録には何も残っていないのよ」
彼女が指差したのは、A線の北東ルートに存在する微細な“沈み”だった。
測量データは揃っている。
だがその区間の途中、線路が不可解に間引かれ、ホームが存在するような“空間”だけが浮いている。
「気づいてる? 周辺の時刻表データだけ、異常に曖昧なの」
蓮子がページをめくる。デジタル端末の画面には過去十年分の運行ログが並ぶ。

が、ある日付、ある時間だけが、ぽっかりと欠けていた。
「....何かが、記録されることを拒んでいるような....」

メリーが小さく呟いた。

彼女は蓮子とは違い、理論ではなく“感覚”で空間を視ていた。
「空間が歪んでる。数値じゃなくて、存在の密度が変わってる気がする」

「面白いわよね。あるはずなのに“ない”とされてる。まるで....」

蓮子は言葉を区切ると、ゆっくりと笑った。
「まるで、“忘れられるために存在してる駅”みたいじゃない?」
その噂を蓮子が見つけたのは、地下の古書収蔵サーバだった。

廃止されたウェブサイトのアーカイブ。
個人ブログの断片。
半分壊れたテキスト。

どれも明確な情報ではない。
けれど、同じことが書かれていた。
――電車を乗り過ごした先に、見たことのない駅に降りた。

――案内板がない。
外に出ても、風景が存在しない。

――気がつくと、誰もいなくなっていた。

――きさらぎ駅、という声が聞こえた。
「“きさらぎ駅”――聞いたことある?」

蓮子が問うと、メリーは少しだけ考えて首を振った。
「でも、響きが不思議。暦の隙間みたい」

「“如月”。旧暦二月。冬と春の境界。....意味深でしょ?」

蓮子は端末を閉じ、メモを手帳に書き込んだ。
「存在しない記録。存在する空間。

ねえ、メリー。今夜、行ってみない?」
「....また、境界の上を歩くのね」
メリーの声はあきれたようで、どこか楽しそうだった。
蓮子は微笑む。
「私たちは秘封倶楽部。“封じられた秘密”があるなら、見に行かないとね」
*
第七学術区の深夜。
列車は、まだ“そこを通っている”。
だが、誰もその駅を利用することはない。
存在しているはずなのに、存在しないとされている空間。
そこに、ふたりの観測者が、今宵、足を踏み入れようとしていた。
――記録には残らない。

けれど確かに“在る”何かを探して。

夜の第七学術区は、人工光の粒子で満ちている。

昼間の喧騒を忘れた街は、むしろ日が沈んでからのほうが機能的だった。
光が落ちない通りはなく、監視カメラの目は瞬き続けていた。
蓮子とメリーは、無人運行の最終便に乗り込んだ。

A線。
かつての地下鉄東西線の名残。

今日では地図上から区画番号に置き換えられ、人々の記憶からも路線名は消えつつあった。
「データ上、この区間の移動ログは全便、時刻遅延が出ているのよ。しかも、毎年ほぼ同じ夜に」

蓮子は端末の画面を示しながら言った。
「日付は?」

「2月4日。旧暦で“如月”の入り」
メリーがわずかに眉を上げる。

「....立春。境界の日ね」
列車は静かに滑るように走っていた。

車内には彼女たちの他に誰もいない。
広告はすべてデジタル化され、景色を映すウィンドウのようにすら見える。

けれど、今夜の窓には“何も映っていなかった”。
「外が、白い....霧?」

メリーが呟く。

ガラスの向こう、黒いトンネルのはずが、まるで霧の海に沈んだような白さだった。
「この区間、本来なら直通....駅には止まらない」

蓮子がそう言った瞬間、列車はわずかに減速を始めた。
「....停車信号?」

「出てない。でも、列車が止まる」
ふたりは顔を見合わせる。
車内放送は沈黙したままだ。車掌もいない。
そして――
列車は、誰も知らないホームに滑り込んだ。

プラットフォームには駅名票がなかった。

照明はほとんど機能しておらず、ただ壁の上部に一つだけ、青白い非常灯が点っていた。

“存在してはいけない場所”を、最小限だけ照らすように。
「降りる?」

蓮子が立ち上がる。
メリーは小さく頷いた。
「....何か、感じる」
ドアが開く。音はしない。

ふたりはホームに足を踏み出した。
空気が、違っていた。

静けさが、重い。

耳鳴りのような感覚がある。
「空間が、折れてる」

メリーの声は、どこか遠くから響いているようだった。
蓮子はホームの端に立ち、壁の向こうを眺めた。

壁ではない。
それは、“奥行きのない闇”だった。
「ここが、“0番線”――欠番ホーム」
彼女はそう記した。

ふと、メリーが身を寄せる。
「蓮子....そこに、誰かいる」
振り向くと、霧の向こう、線路の先。

闇の中に、傘をさした人影が立っていた。
深い紫の布、風のない空気の中で揺れる衣。
彼女は何も言わない。

ただそこに“在る”ことだけが、確かな気配を残していた。
その時、列車がドアを閉め、警告音もなく、音もなく走り去った。
ふたりは取り残される。
そして、霧の奥から、“誰かの声”が囁いた。
「....ようこそ、“きさらぎ駅”へ」

霧は、静かに深さを増していた。

ホームの端まで歩いても、その先は白く沈んで見えない。

周囲は地下にあるはずなのに、風が吹き抜ける音がした。

どこからともなく、鈴のような音が聞こえた気がした。
「蓮子....ここ、本当に“現実”?」

「観測のフレームには、確かに収まらないわね。でも――」

蓮子は足元のレールを見た。

「でも、これは“駅”よ。構造として、歴史として、誰かが使っていた痕跡がある」
プラットフォームの端に、壊れた掲示板があった。

近づくと、ガラスの破片が踏まれて音を立てた。

埃に覆われた案内板には、かろうじて時刻表の痕跡が残っている。
「この数字....平成末期の運行データ?」

「でも、こんな駅、当時の記録には一切載ってないよね」

メリーの声に、蓮子が小さく頷いた。
「つまり、“誰かにとって確かに存在した”けど、“忘れられた”ってこと」
その瞬間――
霧が、動いた。
白い壁のようだった視界が、静かに揺れる。
空間が紙のように“めくられ”、新たな層が現れる。
メリーの目が見開かれた。
「....境界が、開いてる」
現れたのは、”駅の過去”だった。
朝の光。
制服姿の学生たちが階段を駆け上がる。

スーツの男が新聞を読みながら列車を待っている。

ベンチには老夫婦が並んで座り、穏やかな会話を交わしている。
蓮子も息を呑んだ。

目の前にあるのは幻影ではない――それは、“誰かが確かに過ごした記憶”だった。
構造は同じ。レイアウトも一致している。

けれど、いまのこの駅には、その賑わいも、名前すらも残されていない。
「これ....」

メリーが、そっと言った。

「誰かの記憶じゃない。“駅自身”の記憶....」
蓮子は、それに続けた。

「駅という構造体が、誰にも見られなくなっても、自分の“存在”を忘れていなかった....ってこと?」
場面がまた、ひとつめくられる。

夕暮れの光が、ベンチの老人の顔を照らす。

老犬が足元で眠っている。

そして――老人は、ふと何かに気づいたように振り向いた。
視線の先に、蓮子とメリーがいる。
一瞬、三者の目が合った――ような気がした。

次の瞬間、風が反転する。

境界のめくれた層が、また閉じるように白に戻っていく。
音が止み、光が褪せ、空間が再び霧に沈む。
「....見られた、かも」

メリーがぽつりと言った。

「“彼”は、私たちを見た気がした」

「“駅”の記憶に、私たちが入り込んだ? それとも、“駅”が私たちを記録した?」

蓮子は、答えのない問いを手帳に記す。
ふたりの足元で、レールが小さく震えた。

風も音も戻り、すべてが“最初の静寂”に戻っていく。
そして、ひとつの声が響いた。
それは、どこか懐かしく、どこにも属さない響きだった。
「....ようこそ、“きさらぎ駅”へ」
振り返っても、誰もいない。

けれどその名前だけが、確かに空間に“刻まれた”感覚があった。

ふたりは、再び無人のホームに立っていた。

けれど、もはやここはただの“構造物”ではなかった。
誰にも認識されなかったはずの駅が、
“自らの記憶”によって、存在を確かに伝えようとしていた。
記録には残らない。

しかし、確かに“あった”。
メリーがそっと呟いた。

「幻想って、きっと....忘れられたことを、忘れたくない気持ちのことだね」

霧が、また動いた。
先ほどまで完全に沈黙していた空間に、わずかな“揺らぎ”が走る。

それは風ではなく、空気の構造そのものが一枚、裏返ったような感覚。
紙の端をめくるように、現実のページが裏返る――
そして、彼女は現れた。
紫の衣、洋傘、古風な佇まい。
列車から降りた、あのときの女。

彼女は何も言わず、ただホームの端に立ち、メリーと蓮子を見つめていた。
まるで、“ふたりが来ることを知っていた”かのように。
「....あなたが、この駅に名を与えたのね」

蓮子が、静かに問いかけた。
女は笑わなかった。
頷きもしなかった。
けれど、その存在が“肯定”の意味を持っているように感じられた。
「忘れられた駅。名前も、利用者も、歴史もなくした構造体。

それでも、まだ“ここにいたい”と思った」

メリーの声は、少し震えていた。
女は、ようやく口を開いた。
「....幻想とはね、“記録されなかった真実”のことなの」
声は柔らかく、けれどその意味は深く染み込んでいく。
「この駅は、確かに存在していた。
誰かに使われ、誰かに愛されていた。
でも、それだけでは“世界に残る理由”にはならない。
時代が変わり、路線が再編され、地図が書き換えられ……
忘れられたのよ。誰のせいでもなく」
女は傘を軽く傾ける。

紫の布が、霧をはじいた。
「けれど――それでも、ここは“消えたくない”と思った。だって、ここには思い出があったから。人々が笑って、泣いて、恋をして、別れて……“名もなき日常”が、静かに積み重ねられていた」
蓮子は、手帳を開く手を止めていた。

記録に残せない。データに変換できない。

けれど、それでも“今、ここに在る”という感覚が、胸に満ちていた。
メリーが小さく言った。

「幻想になるって、消えることじゃないのね....
“誰かにもう一度、見つけてほしい”っていう、祈りのかたち....」
女は、それを聞いて、ほんのわずかに、目を細めた。
「あなたたちは、“見つけた”。
だからこの駅は、再び“姿を現した”の。
記録には残らないけれど、あなたたちの記憶には残る。
それで、十分なのよ」
霧が、再び動き出す。

彼女の輪郭が、空気と同化していくように溶けていく。
「ありがとう」

その声だけが、最後にはっきりと残った。

再び、静寂が訪れる。
構造は同じ。

だが、空間の“密度”が変わっていた。
蓮子は、ふと呟いた。

「この駅は……今も、誰かを待ってるのかもしれないね」
メリーが頷く。

「“忘れないで”って、言ってるような気がした」
時計は止まっていた。
時刻も路線名も、どこにも記されていなかった。
けれど――
ふたりの胸の中には、確かに“今、ここにいた”という感覚が刻まれていた。
それは、記録に残らない。

けれど、観測された。
それが、秘封倶楽部の役目だった。

列車は、静かに戻ってきた。

音もなく、灯りもなく、あの時と同じように、霧の中から現れた。
ふたりは無言で車両に乗り込む。

ドアが閉まり、ホームが遠ざかる。

もはや、そこがどこだったのか、地図に落とし込むことはできなかった。
「....何か、持ち帰れるものがあると思った?」

蓮子がふと口を開いた。
メリーは首を振る。

「証拠とか、写真とか、サンプルとか? 全然」
「でも、感じたでしょう」

「うん。忘れてしまったはずの、やさしさみたいなもの」
列車は無音で走り続ける。

気づけば、車内には乗客がぽつぽつと乗っていた。

皆、眠っている。夢の中のように、無防備に。
窓の外に、霧はもうない。

都市の灯りが戻り、整然とした構造体が並ぶ世界が広がっていた。
日常に帰ってきた、という実感。

けれど、その境界線は、どこか曖昧だった。

研究棟に戻ったのは、午前3時を過ぎていた。

静まり返った白い廊下を歩きながら、メリーはぽつりと呟いた。
「....あの駅、また現れるかな」
蓮子は答えなかった。
代わりに、端末を開き、今日の観測ログをチェックする。
地図上に、例の地点は表示されていない。

GPSもロガーも、まるで存在しなかったかのように、空白だった。
「ねえ、蓮子」

メリーが机にスケッチブックを置く。

開かれたページには、鉛筆で描かれた“駅”があった。
崩れかけた階段、ベンチ、時計の針。

細部まで記憶通りに描かれている。
「私たち、確かにあそこにいたよね」

「いたわ。でも、誰にも証明できない」
蓮子は手帳を開き、そこに一行だけ、静かに書き加えた。
――観測されたが、記録されなかったもの。

――その境界に、私たちは立ち会った。

翌日、ニュースにも記録にも、何ひとつ“異常”は報告されなかった。

鉄道会社の公式サイトには「運行に乱れはありません」とだけ書かれていた。

誰にも気づかれず、誰にも覚えられず、
きさらぎ駅は、また霧の中に沈んだ。
けれど――
ふたりは、確かに“見た”。

名前のない駅が、きさらぎと呼ばれる瞬間を。

誰にも呼ばれなかった場所が、“思い出”になる瞬間を。
だから今日も、秘封倶楽部は歩き出す。

記録には残らない“真実”を探すために。
なぜなら――幻想とは、忘れられたものが、
もう一度誰かに見つけてもらいたいと願うことなのだから。
ここまで読んで頂きありがとうございました。
読者の皆様に楽しんで頂けましたら幸いです。
他にも作品を書いておりますので、読んで頂けますと嬉しく思います。
真実は幻想の中へ....
Mr
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コメント



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1.80東ノ目削除
「きさらぎ駅」の元ネタってネット上の創作オカルトなので現実世界だとそもそも存在しない地なのですが、この話のきさらぎ駅はかつては本当に存在した駅なのか現実世界のようにフィクションの産物なのか(あるいは、少しうがった見方をすると「存在した」という事実ごと歴史が消されたものなのか)作者さんの意図はどれなんだろうなと思いながら読んでいました。
中々面白かったです
2.100名前が無い程度の能力削除
まっすぐにオカルト探訪していて良かったです。
5.100南条削除
面白かったです
あるはずのない場所ってワクワクしますね
駅の方が記録しているというのは斬新でした
6.100名前が無い程度の能力削除
優しい気持ちがじんわりと広がるような文章でした。
無くなったものに思いをはせるのは、その対象が何であれ尊いものなのだと思います。
ご馳走様でした、面白かったです。