Coolier - 新生・東方創想話

アタイはバカだから(中編)

2025/02/16 19:00:35
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はじめに
 本作品は『アタイは馬鹿だから』の中編になります。
 前編ではたくさんのコメント、ありがとうございました! その中にもご指摘ございましたが、このサイトにおいては前中後編などと小分けにするのはあまり好まれないとのことで以後留意させていただきます。
 ただ、自分は筆の進みが格段に遅く、モチベが大して続く性質でもないので本作に至ってはこの形式で続行いたします。
 三ヶ月以上期間が空き、このままお読みいただくのではあまりに不便なことと思いますので、物語の簡単な梗概を載せようと思います。恥ずかしながら私、こういうのニガテでけっきょくウン千字そしてウン万字と、いやさすがに万は間抜け、まあだらだらといらんとこ拾った文章になってしまいますからそこはどうか堪忍してご覧ください。
 もちろん、はじめからお読みくださるのも大歓迎です!

梗概
 幻想郷は自然豊かな景観の広がる、人間と妖怪、それから妖精のための故郷である。そこの妖精はたいてい何を言ってるやら分からないし、ただ毎日遊び回るだけの馬鹿どもだ。一般的な人間や妖怪には蔑視されている。実際、妖精によっては他の種族には解し得ない方言や訛りで話す。しかし、その能力や無尽蔵の体力には特異なものがあり、これを利用する者もいた。氷精のチルノは、そんな人間に使役されて働くどこにでもいる一人の妖精だった。親友に大ちゃんという妖精がいる。「おしごと」が終われば二人で「人の街」に寄り、もらった賃金で買い食いなどするのが習慣だ。その日はけーね先生という寺子屋という学舎で教師をやっている人物と出会い、通学を提案されるがチルノは少しも面白く思わなかった。
 近年の幻想郷は温暖化や気候変動に遭っていた。
 幻想郷の外れにある「霧の湖」に棲むチルノはある日、妖精一団が霧の湖を囲む森を伐採しているところを目撃する。一団を取りまとめているらしい老人の姑息な発言に言いくるめられそうになるが、そこへルーミアという闇を操ることができる妖怪が現れて追い返すことができた。チルノと交友関係を結ぶ。
 別れてその後、大ちゃんと他、サニー、スター、ルナという妖精の友達と川で遊び異常な雷雨と暴風に襲われる。混乱のために離ればなれになり大ちゃんと合流できるが、先の老人と遭遇し、その凶弾に大ちゃんは昏睡状態となる。妖精がこのような状態になるのは異例でチルノは当惑に陥った。偶然通りがかった魔法使いの魔理沙が老人を撃退する。彼女は大ちゃんを昏睡から救うアテがあるとチルノを「博麗神社」に誘った。博麗神社の巫女である霊夢の母親がそのアテだった。
 しかし、霊夢の母親はほとんど取り合わなかった。〈騒動解決チーム〉と称して近年の幻想郷の自然崩壊〈騒動〉に対策を講じている最中であるということだ。どうやら〈騒動〉をうまく収めることができれば大ちゃんの目覚めにつながるようだと雰囲気で感じ取り、チーム加入を申し込むが却下される。河童の技術が自然に影響を与えているなど説明があるも、チルノは気が散ったり頭足らずだったりであまり判然としなかった。結局大ちゃんを救う手立てはそのチームの存在ぐらいで何をすればいいかチルノは分からない。さらに大ちゃんが凶弾に倒れたのはチルノの力不足と諭され、氷の涙を流しながら大ちゃんを連れて逃げ帰った。大ちゃんは霧の湖周辺の森にあるルーミアのどうくつに休ませることにした。
 数日、チルノはもっと強くなろうと修行してみるがいまいち成果がでない。ある夜に、霧の湖に魔理沙が現れる。彼女は霊夢の母親の憶測を告げる。すなわち、妖精は自然と共鳴した姿であり「自然が人間に傾いている現状では妖精も人間らしくなる」ために大ちゃんは本来の妖精の超回復力を失って昏睡した。このことから今後チルノも、死の他に痛覚や疲労、暗い感情が発現していくなど特異的な能が損なわれていくと説明した。さらに、チルノが「体」も「頭」も「心」も強くなることができさえすれば〈騒動解決チーム〉に加入させてくれるらしい。
 魔理沙はまた、馬鹿であるチルノを肯定し前向きになれるよう元気づけ、私ったら最強だ、天才だとただ叫ぶという「魔法の言葉」をチルノに教えた。加えて、大ちゃんが昏睡する前の最後の贈り物だった青色の大きなリボンをチルノにうまくつけてやった。
 チルノは奮い立たされて、強くなろうと決意する。

 さて、うまくまとまっていたでしょうか。
 それでは本編、お楽しみください!





 一

 人の街。となえてみれば、そう。
 ちょっとまえまでは「さと」だった。ほんのりとして、草みたいなにおいがする。それなのに、いまは強そうな「まち!」になった(声に出してみて。分かるでしょ)。広くて大きくて、高いのっぽのでんぱとーがそびえ立つ。たくさんの家とお店のあいだでいろんな声とかいろいろな足音がして、カラカラって荷車が抜けていく。見たことないごてごてな服、きらきらなアクセサリーをした人、ぎゃらぎゃらと工事の音、夜おそく、あかりでいっぱいにぎやかなけしき、「ごようだ!」「ごようだ!」お祭りみたいな馬鹿さわぎ。
「さと」にはなかったずっと元気で、よくばりをつめこんだ「まち」はずぅっとしあわせそうなかおりがする。それは、とってもいいことだ。
〈学校建設予定地 着工──二〇〇〇年七月三日 完工予定──二〇〇〇年一二月二四日 河童組〉
 ──ドドーンッ! ぴぃうー、ドーン!
 こんなにぎやかで、楽しくて、ダメなことなんてない。これからも街は大きくなって楽しくてうれしくてあまくておもしろいモノがいっぱいあふれるんだ。
「……大ちゃんがとなりにいてくれたら」
 アタイは振りかえった。
 今年も夏の夜空に花火が打ちあがった。今日は〝ほんとの〟お祭りの日。毎年夏のたった一日だけ、大通りがちょうちんとお飾りもりだくさんのトクベツなお店でいっぱいになる。はしからはしまでうまって、とちゅうでいくつも枝分かれしてどこまで続いているのかも分からない。きれいでごうかな衣装を着た女の人がすずをしゃんしゃん、ちいさなたいこをぱんぱん、赤くてめでたそうなかさをからから鳴らしておどる。体格のいい親分が〝おんど〟にまぎれて、声をあらげると「へい!」若い男の人たちがいっしょうけんめいにお店できびきび動いたり飛びだして何かを取りにひとごみをいそいで抜けていったり。
 よく見ると、へぇだ。
 食べものや飲みものや遊ぶものやかがやくものにむちゅうになっていたけど、みんなが楽しんでいるウラで、がんばっている人がいる。たきみたい。気づけなかった。
「ありがと、おにぃちゃん。はい、にじゅうと……あれ、ごがない。ごがない」
「──おじょうちゃん、いいよ、まけてやる。この二〇だけもらうよ。はい、わたあめ。お友達と分けあいっこしな」
「ほんとに?! ありがとごじゃぁますっ! ────ね、ね、わたあめ屋さんのおにぃちゃん五せんまけてくれたっ」
「うわぁ、わたあめおっき! わけてわけてー」
「いいよー! そっちのりんごあめも一口ちょーだい──わ、あれ見て! おくの方!」
「おみこし、おみこしだぁ!」
「おっきぃ、きらきらだ!」
 アタイもちょうどそんなかんじだった。トモダチといっしょにいっしょうしゃべり合って、笑い合って、おどろき合う。お祭りのたった一日を、最高に楽しむの。
 だけど──今日はことわった。
 トモダチは、花火を見るよりもおどろいた。
 工事の看板のそばにすわる。花火の鳴る方をむいて(わくわくしちゃう。ダメ、アタイはシンケンなの!)。
 ことわってわざわざひとりでお祭りに来たのは、さがしている人がいたから。
 でも、みんなアタマのうしろを見せるせいで分かりづらい。
 そっか、みんな花火に顔をむけるから。反対をむかなくちゃ、いけないけど……きれい。
 ──パンッ、パパパパンッ! ドドドドッ。
 さっきまでいっかいいっかい打ちあがっていたのがこんどはなんじゅうなんびゃくっていきおいではげしく、弾幕みたいにはじけあがりだした。でも弾幕じゃないんだ。もっと、もっと、色とりどりで、バクダイのかがやく粒子がキソクタダシイくて、だけどまばらで、夜空にまっちしてあくせんとで、──セイメイみたいな。
「よう、楽しんでるか」
 肩がぬくくなった。
 忘れていた息を取りもどす。
「一人か。いつもの友達はどうした」
「……」
 見てるんだからジャマしないでよって文句が出ちゃいそうになったけど、そう言えば、アタイはさがしてたんだ。
「ね、けーね先生」
 顔をむけて言った。
「てらこやにいれて」
 けーね先生は何も言わない。
 おみこしが近づいている。ぶっどい声とか楽器のリズムにのったがんがらどんどんがうるさくて聞こえなかったかも。
「てらこやに」
「驚いた」
 じとっとアタイの顔を見て口をひらいた。
「妖精はそんなにも凛々しい顔ができるんだな」
「もしかして馬鹿にした?」
「そういうわけじゃない。素直な感心だ。うん。よく休息を取ったんだな。クマが引いている。それどころか、顔つきに力強ささえ感じる。うちの生徒はいつもの〝たゆけた〟笑顔で、今もあちこちでしきりにはじけ飛ぶ始末だのに。お前こそ、それに乗じていそうなものを、どうした? どうしてこんなところに独りで膝を抱えている?」
「さがしてたの。ね、おべんきょうしたいんだ。アタイをてらこやにいれて!」
 先生はまだつくりかけのがっこーの方を見る。はだの色が赤に黄色にむらさきにいろどる。何かを考えているみたいだった。
 先生の目がアタイにむいた。
「────────どうした?」
 いち、に、さんかい目だ。いちばん感情ののった「どうした」で、先生はきいた。
 おっきくてどっしりしたガイカン、入ったしゅんかん木のにおいとみんなのにおい、げた箱を抜けてながいろうか、まどからさしこむにぎやかな赤い光、〝は〟〝ろ〟〝い〟の教室がつづいて、かべにはたまにお絵かき、ちゅういがき、そして穴とへこみ、中庭のすみっこにおまたのさけた平たいほうき、階段をのぼった先で「入れ」ととびらがひらかれる。
 呼吸がおちつかない。前にもあった、つかれがこないほうの息ぎれ。だけどいいキブンなんだ。少なくとも、外のお祭りの熱気にとかされるよりは。
 そこは教室と同じくらい広くて、でもちがう部屋だった。草のやけたようなにおいがする。電球がつくと、いくつかの机とたいりょうの書類が目についた。たぶん、先生の部屋だ。
「散らかっていてすまない。ひとまず座ってくれ」
〈上白沢慧音〉と札がある机のそばでアタイはすわらされた。これでけーねって読むの? 書くのがたいへんそうな名前だと思った。けーね先生は机の上を整理している。あめちゃんがころがってたけど「ニガイからダメ」だって(ウソかも。アヤシイ。スキをついて食べちゃお)。それからたくさんの字でうめつくされた紙、ここにかよっている子どもや妖精が書いたのかな。
〈建設のことなら河童組! 最新の技術で最速作業・最高品質を実現! ──〉
 作業員着の人がうつったちょっと大きめのチラシもあった。漢字ばっかりで分かんない。
「たしか氷の精だったよな。暑くないか。窓も開けて風を通そうか」
 アタイを気づかってあけてくれた。だけど、いっきにさわぎ声が入ってきた。
「ううん、いい」アタイは首を振った。「ここ、じゅうぶんすずしいから。ぎゃくにおまつりのあつさがはいってきちゃう。うるさいし、気がちっちゃうし。アタイはシンケンなの」
「そうか、なら閉めておこう」
 ──パタン。しーん。
 そうして先生もアタイの前にすわった。イスの下であしをぱたりぱたりさせる。しずかなのも、やっぱりおちつかない。
 それからいろいろおしゃべりした。
「名前はなんだったか」
 じこしょうかいしてってこと?
「チルノ! 幻想郷最強《さいっきょー》のひょうせーだぞっ。好きなことはトモダチとあそぶことで、大ちゃんとか、サニーとかスターとかルナとかといっしょに霧の湖のらへんとかお山のてっぺんとか、まちのお店でいつもあそんでるんだ。おきにいりは霧の湖でねっ、はるなつあきふゆあさひるばんのけしきがみんなきれいだし、しょくぶつもどうぶつもたくさんいていっしょういてもあきないの。だけどさいきんちょっとたいへんなことがおこっちゃってね────」
「お勉強がしたいと言ったな」
「言った!」
「何をお勉強したいんだ? 寺子屋では、子どもが知っておくべき字の読み書き、計算のしかたであるそろばん、幻想郷のことを深く知るための地理・歴史を取り扱っている。やはり字か? 最近じゃ文字が読めたり書けたりしないとつらい場面が増えてきたろうしな」
「ううん、ちがうよ」
「ではそろばんか。最近計算がうまくできなくて困ったことでもあったのか」
「ちがう。そんなんじゃない」
 二かい不正解しちゃって先生はむすっとした。「じゃあ何がしたい」
「アタイ、アタマがよくなりたいの!」
「──そのために、じゃあ何を勉強したいんだ」
「だから、〝アタマをよくする〟おべんきょう! もじを読んだり書いたりするやり方をおぼえたり、けいさんのしかたをまなんだりするのもだいじだけど、それより〝アタマをよくしたい〟んだ」
 アタマを良くするのが霊夢のおかあさんにみとめてもらうじょーけんのひとつ。アタマを良くするにはおべんきょうしなきゃいけないって知ってたんだから。こころあたりは寺子屋しかなかった。
 先生の顔は正解を聞いても変わらないままだった。「なるほど、理解した」だけどなっとくしたみたい。
「チルノ。お前にとって〝頭が良い〟とはどういうことだ」
「アタイにとってアタマがいいのはけーね先生だぞ」
「そうじゃない」
「え、けーね先生、アタマよくないの?!」
 だったらアタイがきたイミないじゃん。
「そういうわけじゃない! 先生は、まあ、頭は、イイほうだ。そんなにびっくりしなくてもいいじゃないか」
「だってそっちがおどろかしたもん」
 アタイはいたい背中をおこして、手をかりていすにもどった。
「違うんだ。頭が良いっていうのがつまり何を指しているのかをだな」
「だからアタマがいいっていうのは先生のことを指してるんだぞっ。だっていま、じぶんで言ってたじゃん」
「そういうことじゃ……チルノが言ったことに沿うなら、今、チルノは頭が良くないってことだな?」
「そう。だからアタマをよくするおべんきょうがひつよう」
「なら、チルノ。問題だ」
 わ、おべんきょうぽい。わくわくしてきた。
「頭が良くないチルノと頭の良い慧音先生にはいったいどんな違いがあるでしょう」
「はい!」そんなのカンタンじゃん。
「ちなみに『チルノは頭が良くないが慧音先生は頭が良い』は不正解だ。そんなの問題として成り立っていない」すごく食いこむみたいに言った。「じゃあ」
「ちなみに『チルノは背が低いが慧音先生は背が高い』という頭に良さに関係ない解答も当然不正解だ」
「ねえ、なんで読むの?」
 ひきょうな魔法使いの魔理沙みたい。こころを読まれるのはあんまりうれしくない。
「頭が良いからだ。いいか、お勉強に着目して考えてみるんだ」
「あ、わかった!」こんどこそ答える。「アタイはおべんきょうぜんぜんしてないけど、けーね先生はたくさんべんきょうしたんだ」
「どんなお勉強をしたんだと思う?」先生はまた食いこんだ。
「えっと。だから、アタマをよくするおべんきょう」
「ってなんだ?」
 またきいてきた。
「もっと言うなら、〝頭が良い〟とはなんだ?」
 さらにさらにきいてきた。
 アタマがいい。アタマがいい。が、なんなのか。先生は「アタイにとってアタマがいいとはどういうことだ」ってきいている。
 考えよう、アタイ。
 アタマがいい人っていうのは、たとえばけーね先生、霊夢のおかあさん、ひきょうな魔理沙。じゃあ、この人たちはどうして、アタマがいい人なの? アタマが〝いくない〟人と何がちがうの? さっき答えた、たくさんべんきょうしたから、は、でもちがって……
 部屋が青に、みどりに、黄色に。茶色なかべや床が花火の色ではげしく変わってく。アタイのアタマのなかも似たようなかんじ。考えれば考えるほど氷色がとかされて変な色がまじってく、きもちわるいかんじ。
「ダメ、わからない」って言おうとした。キブンがわるくてたえられないから。
「続けろ。でなきゃ、お前の望む勉強はできない」
 前かがみに先生は声をかけた。
 視線すら熱いような気がしてうつむいて、けど言うことをきいた。
 伝わるか分からないけど、それはまるでアタマのなかを見ている感覚。視界に先生や時計や机やあめちゃんがあるのに、イシキはもっとこっちのなかっかわ。そうすると考えやすいけど、かわりにものすごく体力を使うんだ。
 アタマがいいのは……年の数が大きいから。ちがう、それじゃあアタイが最強だ。大ちゃんもスターも、サニーもルナもみんな最強になる。──胸が、お腹がつらい。くるしい。
 無口だから。そんなわけ、魔理沙はあんなにひきょうでおしゃべりだった。じゅうような役割についているとか、も、魔理沙はそんなことなさそう。──ハネがそりあがる。視界の色がふるえて、ほっぺに何かがたれおちる。でも先生はやめさせてくれない。
 生まれたときから決まってる? ちがいそう。なんでちがうのかって言ったら、なんとなく。ダメ、考えなきゃ、合ってるかもしれない……まって、寺子屋があるのに、アタマをよくする場所があるのに生まれたときからアタマのよさが決まってるのはおかしい。だからこれも不正解。──ぜんしんがりきむ。服をぎうっとにぎりしめて、じゃないところげおちる。はあ。はあ。
 何を考えてるんだっけ。えっと、あの。アタマがいいってどういうことなのか。アタマがいい人はたくさんうかぶ。けどなんでアタマがいいの。アタマがいい。アタマがいいっていうのは──ビリッ。
「いたいッ!」
 ぜんしんからくずれおちた。うでと肩を打った。どうでもいい。そんな〝いたい〟が感じられないぐらいいたい! 色が打ちあがる。ピンクに、だいだいに、赤に。
「アタマがっアタマが……いたい、いたい、うああああッ!」
「……よく頑張ったな。信じられん。ほら、口開けろ」
 黄色に、白に、黒に……
 床でのたうちまわる。
 だけどそのしゅんかん、アタイは飛びあがった。
「──にっっがー!」
 舌のうえにまるいかたまりがころがる。なにこれ、石ころ?
「よく使っている眠気覚ましの激苦《げきにが》飴だ。舐めておけ。そのほうが痛みも引いていくだろう」
 先生はふうっと息をついて、イスをどかして床にあぐらをかいた。視界がほんとうの色と動きを思いだした。
 ころりとあめだまをやってニガイのをのみこむ。「うえっ」それを感じていると、先生の言うとおりアタマのなかのつらくてこわいじりじりした感覚がおちついてきたみたいだった。あれが「いたみ」。いたいこと。
 きもちをととのえている間に外の花火もおわったみたい。去年よりもずっと長かった気がする。
「ごめん。やっぱり、わかんなかった」
 アタイはしょうじきに言った。
「アタマがいいって、わかんない。これじゃあ、アタマをよくするおべんきょうもできないのか」
「今、していたじゃないか」
「なにを?」
「頭を良くするお勉強をだ」
 先生はなんてことないみたいに言った。そんなわけない。アタイのアタマ、粘土みたいにぐちゃぐちゃに引きちぎられそうだった。いまもピリピリいってる。むしろわるくしちゃったくらいだ。
「ちがうとおもう。アタマをわるくするおべんきょうだよ」
「考えたんだろう? 頭が良いとはなんなのか、頭のなかで知恵熱が爆発するぐらい考えたんだろう。それが答えだ。頭が良い人は、私も含めて、うんと考えてきたんだ」
「アタマがバクハツするぐらい?」
「なんども爆発した」
 アタイはけーね先生がいろんなばめんでアタマをちりちりにバクハツさせているところを想像した。
「だが、なんども繰り返しているうちに強くなっていった。なんども『誘惑』に負けそうになったが、諦めずに日々考えつづけた。すると、頭が良いと言われることが増えてきた。『頭が良い』ということを理解し、気がつけば教える立場になっていた」
「ゆうわく、ってなに?」
 きいたしゅんかん、先生のひとみがぎらりと光った。
「それが言いたかったことだ」
 また肩がぬくもる。がっしりとつかんで、その熱い視線で、たしかな声の調子ではっきりと、アタイをちゅういした。
「この誘惑とは──『直感』──たぶん、なんだか、なんとなくそれっぽいと決めつけることだ。直感的観測は、ありとあらゆる思考や疑問を否定する。つまり、頭をひどく悪くする。しかし子どもやとりわけ妖精はこの直感によく耳を傾けてしまう。なぜか。それが、きわめて本能的な行為だからだ。本能的とは、自然ということだ。直感は遊んだり体を動かしたり、健康な心を育むのにはとても役に立つが、あいにく頭を良くするのには邪魔でしかないんだ」
 むずかしい言葉がいっぱいだけど、先生はひっしにアタイに伝えようと、ゆっくりと、がんばって話す。そのおかげか、スッとアタマに入るみたい。
「──いいか、チルノ。直感に頼るな。頭を良くしたいなら、直感を捨てろ。なんでもいい、しかし、いつでも思考を掴め。疑問をたぐり寄せろ」
 その言葉が、深く、アタイの胸をついて、深く、アタマにきざまれた。
 ──バンッ、バンッ、バンッ!
 何かをたたく音。まどの方から?
 アタイと先生は同時に見た。
 ──ギイッ。
 誰もいないのに、こわれそうないきおいでまどがひらいた。風がとおりぬけていく。
「びっくりし……たっ?!」
 アタイの体が浮いた。先生のうでがはねのけられてそのまままどの方に、風のように連れさられる。すごくゆらされて、まだなめきってないにがあめを口からこぼしちゃった(すっかりにがさになれて忘れてた)。でも、まだまだとまらない。まどに、外に、運ばれちゃう。どうして? どうして?
 こんなときこそ考えようと思った。
 だけどそのころには、あかるい夜空に吹きとばされていた。

 二

 とおくのとおくで太鼓の音がする。ここはお祭りのはしっこにあるせまい公園。お店はないけどみんながきゅうけいしたり遊具で遊んだりしている。
「あげなちょんぼろばでなんしょっとら?! チルノちゃん、おまつりせっせこさそっちゃりゃ『すったらんたらたらん』てぎょぉしゅう言ってらってしぃ!」
 アタイがたいせいをととのえるよりも前に、サニーは思いっきりいかり声をぶちまけた。おこっているのはもちろんサニーだけじゃない。スターもおちついているけど言葉づかいがあらいし、ルナもほおをふくらませて口がすごくとんがっている(わたあめのあとがついてる……)。
「ウソつき! ウソつきの!」
「ウソつきって……」
「きょねんのうちずっとみないで行っちゃれたんちゃ、こねんもみないですっちゃろと言っちゃれたんに、なんもワケふぅちゃなんできえすった……ルナとスターと、たんたみとりのおまつりじゃ、たのしいかだんたのしかならんち!」
 ──あれ?
「じゃっぱ大ちゃん、いんとろーか? いんてなんけた、たのしゃんしぇなんかめ?」
「いてん大ちゃんを気ぃすっちょーて、チルノちゃん、おばっきゃろーたい。どってんばってん大ちゃんはおきるんちゃっ、きばっちゃんじょ! 気ぃすーちゃらけえそーそーちゃんっ」
 ──サニーにスター……
「ぐぐちくなんでなんばふぅってみんたいッ!」
 ──なんて言ってるの?
 せいかくには、何を伝えたいのかはだいたい分かる。言葉の〝ふいんき〟とか表情とかで。
 でもおかしい。言葉が、言葉のあげさげがぐにゃぐにゃでヘンテコで、シンチョウに聞かないとところどころの意味が分かんなくなっちゃいそう。
 とまどっているうちに、おまゆのまがったサニーに胸ぐらをつかまれた。「だまってないでなんか言ってよ」って言われた(たぶん)のにだんまりだもんね。
「サニー、聞いて。ちがうんだ」
 口をひらいたしゅんかん、キョウレツなイワカンを感じた。口をとじて、舌をうえしたのあごにあててみたりする。
 自分の言葉がきもちわるい。
「なん?」
「えっと……」
 顔と顔がズイと近くなって、口からやきそばのにおい。
 ちがうって言ったけど、何がちがうんだっけ。考えなきゃ。まずサニーたちがおこっている理由は、アタイがみんなのおさそいをことわったからで、でもそれにはちゃんと理由があって──ちがう。イワカン。
 みんなとおしゃべりするとき、こんなこといちいち考えたことなんかゼッタイにない。そう、おしゃべりは考えないものだもん。やっぱりきもちわるい。
「だーぁーあっ、チルノちゃんなん?!」
「……ぁ」
 声をうばわれたみたい。次の言葉が、どこをさがしても、スター見ても、ルナの口もとを見てもない、赤黒い夜空にも、こどもたちのカラフルなヤウヤウにも、むすうのちょうちんのあかるさにも、なみだのつぶが今にもおっこちそうな、赤くきらめく青いひとみにも……
 ──ペシンッ!
「馬鹿ッ!」
 きっとせかいいち分かりやすい言葉だ。
 その言葉といっしょに、きれいに、かたい地面に打ちつけられた。いたみは、考えたときのバクハツとは比べものにならない。ほんとうにアタマがわれちゃう。
 だけど、そんなのすっかり忘れちゃって。
 アタイは立ちあがりながらサニーのお腹に突っこんだ。
「ぶっただ、サニー! おめだんきゃゼッタイゆるしゃなんどー!」
 サニーはもちろん身がまえてなくて、アタイのとっしんでアタマから地面にすっころんだ。「ぐっ……」顔をこんなにくしゃっとしちゃって。おしえてあげる。それがいたみだ。
「サニーのぶぅあーかっ! アタイをぶったでそんな目おうんじゃれ!」
 アタイとおんなじ目にあっておんなじにくるしむのを見おろして、ちょっといい気になって笑う。
 ──っ──
「……ん? なしにがぶりちょん」
 左うでに何かがゲキトツした気がしたと思ったらぐっしょりとぬれていた。
 すると、「右のお腹」をけられた。いっちょくせんにふっ飛んで公園の大きな木の枝にからまった。
「サニーをぶっころぁしちゃー。らったらチルノちゃん、ぶっけりしちゃんもよぅけえねー」
 ふだんは大人しくて〝おとなし〟のルナの声。
 それを聞くときは、寒気がするくらい、いかりをあらわにしたとき。お月様のように青く、かたく、体がこちこちになるみたいな、こわさ。アタイはいかりを忘れた。
 スターの手にあったヤウヤウがなくなっている。アタイの気をそらしてそのうちにルナが攻撃したの? ほんとに息ぴったりだ。
 ルナが言った。「ばーがりちゃんもよぅけえねー」
 スターが言った。「わぐるっち子ば、がちれたりゃんめ」
 サニーがにらみ上げて言った。「ゆるたらん、ゼッタイゆるたらん!」
 ──どうして?
 葉と葉のすきまから、まぶしい光が目をさす。もう回避は間にあわない。
 それよりもどうして。アタイにはやっぱりうまく聞きとれないけど意味は分かった。
 ──ちょっと約束をやぶって、サニーをころばして、
「しんじゃればッ!」
 ──どうしてそんなこわい言葉たちをアタイに使うの?
 木の枝ごと全身は吹きとんだ。赤いお祭りがぐんぐんと小さくなって、見えなくなって、落ちていって、どさり。光のいたみに比べたら落ちたショウゲキはそこまでのいたみじゃなかった。植物に助けられたみたい。街からはずれたところにある畑のあたりに落ちたのかも。目をこらすとぷりぷりのピーマンがなっていた。
 まんてんの星空からみっつの星がせまってくる。
 逃げなくちゃいけない。だけど、体が動いてくれない……そうじゃないかも。アタマが「動かそう」としてくれない。それはきっと、こころのほうがショウゲキだったから。いたみって体だけじゃないんだ。
「いた、あない!」
 スターの能力があれば、誰もいないだだっ広いピーマン畑にひそむたったひとりの妖精なんか、まっくらやみの中でもイチゲキだ。弾幕を展開する。畑ごとアタイを攻撃するつもりみたい。
「ばーがりちゃん」も「がちれ」も「しんじゃれ」も、そういうおんなじ意味なんだ。とまる気は、ないんだ。みんな、アタイのこと大キライになっちゃった。おしゃべりできなくなっちゃった。約束、やぶらなきゃよかった。やぶらなきゃ、こんなことにはならなかった。
 でもやぶらなきゃ──そんなカクゴがなきゃ、大ちゃんとおしゃべりできないから。にどと。サニーは「気にするだけソンだよ」ってかるうく言うけど、それはトモダチだから。アタイにとっては大親友なんだ。だいっだいっだいしんゆう。「起きるに決まってる」なんてテキトーに思えない。
 アタマのリボンにふれた。魔法使いの魔理沙がつけてくれたあの夜から、おかみのうしろをがっしりとささえてくれる、たしかな結びつき。ひとすじの風といっしょによくなじんだ。
 暗い考えが吹きとんだ。
 体がかってに起きあがって──ぜんぶ、守らなきゃ。
 このままだとアタイのせいでピーマン畑がまきこまれちゃう。ピーマンの農家の人たちがかわいそう(街じゅうのこどもたちはよろこぶかもしれないけど)。
 みんなが出してきたのに負けないくらい弾幕をいちめんに広げる。上空からばらばらに投下される球のひとつひとつをむかえうつ作戦。できない? 誰かがそんなことを言っている気がする。アタイは聞かない。できる、って信じるんだ。だって、アタイは天才、アタイは最強。しかもなんてったって、アタイは馬鹿だから。
 胸にぐっと力が入った。
 空から光の雨がふりそそぐ。ものすごいいきおい。だけど雲ぐらいはなれているから、しっかり見てアタイも弾幕を……あれ。
 ようすがおかしい。
 むかえうとうと放った弾幕はみんなの星の弾にかすりもせず、キラキラ光る夜空に飛びこんでキラキラの一部になるだけだった。だけどしっぱいじゃない。アタイも、畑も無傷だから。だってそもそも──
 弾幕がこっちに飛んできてない。
「きゃああ!」
 ひめいだ。女の人の。
 スターが「いた!」って言って指したのは、運がよくてアタイのことじゃなかった(おっちょこちょい!)。だけどどっちだって、かんけいない人をまきこんでメイワクをかけちゃっているからダメだ。
 畑と畑のあいだのおみちでズドン、ズドンとキラキラな弾幕が地にふりそそぎバクレツする。横から飛んでいって守るように弾幕をしかえした。青白い土けむりがまってひめいをあげた人がどこにいるのか分からない。とにかくできるだけ、力のこもった弾幕たちを押しのけていった。
 ──バサッ。
「こンのっ、覚悟なさいッ!」
 そのかん高い声はうえからした。地面のどこかにいるはずの女の人を守ってたのに。
 ぴゅいと光のそくどでかけるモノがあった。
「ぎゃああ!」サニーがさけんだ。
「だ、だれぇー?!」おっちょこちょいのスターがさけんだ。
「────っ」たぶんルナが無音でさけんだ。
 みんなみっつの方向にはじき飛ばされて、すぐに見えなくなり弾幕もやんだ。
 ──バサッ、バサッ。
「あ」アタイは呼んだ。「レミリア?」
 はるか上空に飛ぶかげは振りかえって、力を抜いたみたいに、コウモリみたいな逆さのかっこうで落下した。
 急に体調がわるくなっちゃったのかなっ……アタイはおろおろしてその人が落ちてくるところを見さだめて空中でキャッチしようとした。すごいそくど。ゲキトツしたらまちがいなくしんじゃう。落ち着いて。アタイがじょうずに受けとめる。顔がはっきり見えた。せまってくる。目と鼻のさき……
「ごめん、やっぱムリっ!」
 うでは受けとめようとしたけどそれ以外が引いちゃって空《くう》をかかえた。
 ──バサッ!
 目のまえにきたしゅんかん、両肩のつばさが思いきりはばたいた。おかみのまえが思いっきりぶっとぶ。その場で一かい、二かいくるくるまわって、ピタッときれいに、アタイと顔の高さをあわせた。
 星のまたたく夜空が、その満面の笑みを濃く照らした。
「ごきげんよう」
 キラリ、ツメが白ばむ。アタイのおかみをていねいに、そっと、とかした。
 レミリア・スカーレット。
 アタイの、体のししょー。
「人の街でフェスティバルをおしになっていたでしょう。ものすごくにぎやかで、おもしろいの。ずらっと明かりがともって、道の両脇にお店が並んで、なんてゴージャスなのかしら。歩くたび感動しちゃったわ。精力的なおにいさんが『へいらっしゃいお嬢ちゃん』って、お店に顔をお出ししてもなしに次々とお誘いなさったり、わたくしはあいにくこちらのお金を持っていないから遠慮したのだけど。オシャレな衣装着て和傘をくるくると華麗に回している美人さんが通ったり、オミコシ? という立派な造形物を何十人がかりで運んでいたのも迫力モノだったわね。──ああ、極めつけはあの、満天に色香を染めんがごとき打ち上げ花火。ご覧になって? いずこにあっても、しかと目に焼きつけられたでしょう。かの大迫力は、どうにも言い表せない趣、しかし終わりの際の、その儚さと言ったら……」
 霧の湖の方向へ、歩くのとおんなじくらいのそくどで飛ぶがてらレミリアははじめてのお祭りの感想を話して、そしてなみだをにじませた。
 レミリアはおしゃべりだ。アタイといっしょ。だからおしゃべりはすごくもりあがるんだけど、アタイの言葉もさえぎっていっぱいしゃべるからおいてけぼりになることも多い。
「でもお金はないし、独りだし、楽しむのにも限度があったんだわ。花火の最後の一発の余韻もほどほどに帰ることにしたのよ」
「あるいて?」
「キブンよ。アナタもそんな経験はない?」
「雨の日はとべないからあるいたりもするぞ」
「分かってないわ。気のおもむくままに選択する心を。新たな扉をノックする鍵になるのだわ」
「ふーん」
 カギを持っているのに叩いて様子見するんだ。
 あとで、大ちゃんとおしごとしたあとになんとなくいっしょに歩いてみたときもあったことを思いだしたけど、レミリアのおしゃべりのすき間にすべりこもうとうかがっていたら何を言おうとしたかも忘れちゃっていた。

 三

 霧の湖のほとり。魔法使いの魔理沙が飛びさってすぐ、霧にまぎれて現れた。
「──はっ……そこにおわすのは何者?」
 レミリアは霧の湖にはじめておとずれた。それどころか、その日、その夜、はじめて幻想郷にやってきた。
 幻想郷の外と中に出たり入ったりするしくみがどうなっているのかなんてなんにも知らない。だけど、そういう人たちがいることは知っていた。レミリアも、〝ふいんき〟がたぶん、そんな感じだって直感して(良くないみたいだけど)、アタイは言った。
「アタイはチルノ。幻想郷最強の妖精さ」
 なんにも知らない人だったら、カッコつけたいって思っちゃって。それに魔理沙におしえてもらった「さいっきょー」のじゅもんは口にしていてきもちがいい。
「……この郷里に在住の方?」
 声はたしかに女の人、しかもけーね先生とか霊夢のおかあさんみたいに大人っぽい、高いのに。でも背は低い。しっこくのつばさが背中にあしらわれて、ちっさな体には大きすぎてすぐたいせいをくずしちゃいそう。イガイとかるいのかな。
「そうだぞ」なんとなくで返事したのはナイショ。
「そうなの。わたくしはスカーレット家が一女、レミリアと申します」
 ドレスをつまんでふかぶかとひとぺこりする。
「レ、ミュリエ?」
「発音が曖昧だったかしら。レミリア、にございます」ゆっくりと名前を言った。
 何回か口に出して覚えた。
「ここはどこ? 気がついたらあそこにいたの」
 レミリアは湖の反対側のずっとおくの方をさした。外から来た人ってことでまちがいなさそうだ。そしてレミリアがきいている「ここ」は霧の湖ってことじゃない。
「ここは幻想郷。わすれさられた人妖がすむセカイだよ」
 幻想郷に新しく人がおとずれたとき、アタイたちのうちでさいしょに出会った人がかならずこうせつめいする。そういう決まり。今回はアタイだった。誰が決めた決まりだったのかは忘れた。もう何度も口にしてなじんできたセリフだけど、こう言ってから、すぐになっとくする人としない人がいる。
 で、しない人だったときがアタイはニガテ。めちゃくちゃきいてくるから。え、どういうイミ? 忘れさられたってどういうコト? 幻想郷ってアミャリキャのどこにある地域? ニホゥのどこらへん? チキュージョーのどこ? どこでもないってどういうこと? 分からないってどういうこと? こっちがききたいってどういうこと? ────
 あーっ! イヤだ!
 おねがいだからなっとくして。
「忘れ去られた……なるほどね、とうとう……」
 やった、なっとくした。
 レミリアはアタイといっしょに湖にむかってすわった。寒くはないらしかった。湖のすいめんをちょんとして、たぷんと水をすくった。
「幻想、と言う割には、えらくはっきりしていますこと。しかし、眼前はまさにファンタスティックな光景。視界に映しきれないほど雄大に澄み渡る湖、そこ妖精が棲み、魔法の草笛を吹き鳴らしている」
「まほうのくさぶえって」これのこと?
「その翅は飾り? アナタは飛べるの?」
 口に出そうとしてかぶっちゃった。
「とぶぞっ。しかもすっごくはやいんだから!」
 背中の氷のかたまりが「ハネ」かって言ったら形がヘンかもしれないけど、ハネは飛ぶものだし飛ぶからハネだ。
「オマエのは大きいけどはやいのか?」
 レミリアのはそれに比べて、まさに飛ぶものってカンジ。カラスのつばさと似ているから実は速そう。
「……わたくしの?」
 レミリアはじっくりと首だけ曲げた。
 ……──。
 呼吸がかんぜんに切れる音がした。
 アタイ、何もしてない。のにピキッとかたまっちゃった。お顔のよこのひとつのひとみの赤がガタガタふるえている。アタイは立ちあがった。「コレ」って、よくついたおもちみたいにぐにぐにしたつばさの先っちょにふれた。
「きゃっ!」
「わあっ」
 するとはじかれた。バサッとはじいたいきおいでレミリアは足が浮き、ちゅう返りして、目の前の湖に飲みこまれていった。これでレミリアもなかま入り。
「な、なによコレ! ファンタスティックな世界に迷い込んだと思ったらわたくしまでがファンタスティックになっているじゃないの?!」
 すっかりびしょぬれになりながら岸に上がって、湖の鏡にひっつくくらいかがんでのぞく。ほんとうに予想外だったみたい。あんまりにつばさをバサバサしてたしかめるから、またよろけておっこちそうになっていた。
「どーどー、レミリアおちついて」
「ありえないわ……ありえないわ! イルカの爪研ぎだわ!」
 アタイが支えてないとゼッタイ飛びだしちゃう。鏡の中を見れば見るほどコウフンしてつばさがバッサバッサはばたきまくる。風の力がものすごい。
「人間の腕は鳥類の翼。相同の位置。ゆえに腕有りて翼有る動物はありえずの理。神様が悪戯なさった……? ここは道理すらあやふやになった幻想の世なの? モンスター? デーモン? デヴィル? イヤよ、イヤイヤ。わたくしは貴方にも忘れ去られてしまったの?」
「レミリア」アタイは呼びかけた。
 でも声も、アタイの手もはねのけて、すっころぶようにまた湖へ進む。
「懺悔いたします。わたくしは、わたくしの妹を蔑ろにし、四年と、九か月もの月日、館の地下に監禁いたしました。──正確には、わたくしのせいじゃ──いえ、わたくし、すべてわたくしが悪いのです。妹の異変にいち早く気づくべきだった。お父様の不審な動向を看過すべきでなかった。すべてを知っておくべきだった。全命を全知すべきだったッ!」
「あっ」
 じゃぶじゃぶと湖の深いところまで進んで、とうとうアタマまでしずんじゃった。水しぶきがやむ。
 上がってこない。
 すいめんに顔を突っこんで目をひらくと、そこの方で動く力もうしなって丸まっている。表情がくるしそう。
 けっきょく、この人もめんどうくさい人だ。でも言ってられない。助けなくちゃ。レミリアは、大人っぽいけどこんなにちっちゃな女の子だ。
「……う」
 引きあげてからわりとすぐに動きだした。
 木の下でだらり、つばさもぐったりしている。
「だいじょうぶ? おちついた? 息できる? じぶんのなまえはわかる?」
「……いたい」
 口から水をはきだして、なぜかそう言った。
「どこが?」ってきこうとしたら──
「いたっ!」
 ってまた。何もしてないよ?
 レミリアは手のこうをさすっていた。アタイはもういちどどこが「いたい」なのかきいた。
「全身。翼も。ヒリヒリするわ」
「ひりひり?」
 いたみって、はだを突きさすみたいな「ズガンッ」て感覚がいっしゅんすることじゃないの? ひりひりって、ちがいそう。どんないたみ? きっとアタイの知らないいたみ。
「どうしたらいい?」
 どうしたらレミリアのためになるかな。
「とにかくわたくしに触れないでちょうだい。どうしてか、肌が敏感なの。息の流れですら鋭利なキバだわ。それと……甘いモノが欲しいわ。ケーキでも、木の実でも。気を逸らすモノが欲しい。────ああ、ダメ。ごめんなさい。こんなワガママ。ごめんなさい。贖《あがな》うべき罪有ってして」
 レミリアは顔をおおった。
「ワガママでいいよ! まってて、アタイさがしてくる」
 アタイはそっと飛びだした。こんなところで三色だんごとかみたらしだんごは売ってないけど、甘いモノだったらひとつ知ってるんだ。霧の湖をかこむ森のいっかしょで、いつも夏の終わりごろに鳥たちが食べにくる。黒くてちっちゃくて、あまあい木の実。
「よし、たくさんだ。でも、どうしよ」
 今年もいっぱいなっていた。まだほんのちょっと旬にははやくて鳥たちの間でも話題に上がってないのか、しゅうかくされてないまま。
 だけど、だからこまった。ちゃんと甘いのとまだ甘くないのを見分けられない。
 ちゃんと甘いのはまっくろ。まだ甘くないのはみどりから赤。大きさはどっちもいっしょで色だけで見分けなきゃいけない。でもお月様のあかりじゃわかりづらい。弾幕の光にたよればカンタンかもしれないけどそれじゃあキズつけちゃうかも。
「うぇ、すっぱ!」
「あ、あまあい、──こっちも。ココだ!」
 だからちょっと味見して、それが甘かったらその近くの実をしゅうかくすることにした。だって黒い実のなってるすぐ近くで急に赤やみどりになってたことないし(たぶん! 考えたでしょ!)。
 両手にいっぱいかかえてもどってきた。風をあまり起こさないようにシンチョウに。
「はい! えっと、おなまえなんだっけ」
「レミリア」
「れみゅ、れみぃえ……はい! とってきたよ! とってもあまいの」
「どうも。────そのあたりに置いてていただける」
 声に元気がない。キモチがない。
「それと、一人にさせて」
 目は赤くひらくのに、なかみの明かりは落ちて眠っているみたいな。
「ダメだぞ。ちっちゃい女の子がこんなところにいちゃ、ごろわったいヤツにおそわれるかも。なんかそんなによわっちゃってるし、ダメ!」
「……ごらぁったい」
「ん、どうしたの?」
「なんでも」
 レミリアは力なく、びみょうに首を振った。ヘンなこと口ずさんでた?
「とにかく、あまいモノ食べて、元気だそ! はい、うごく力ないんだったらアタイが食べさせてあげる。お口、あーんだぞ」
 そう言うと、ほんのすこしだけあけてくれた。そこにうまく入れてあげた。きっとよろこんでくれるはず。
 ──パハッ。
「え?」
 だけど、レミリアはひとかみしてもどした。ものすごくひきつったお顔。すっぱいの、引いちゃったのかも。
「ごめん、あまくない赤とかみどりのだったかも。見わけつかなくて……」
「なによ、コレ」
 レミリアは自分の指を口の中に入れてうごかしていた。だえきがポタポタしている。
「ごめんごめん、次はちゃんとあまいのにするから! って言っても、うーんと」
 手に持っている実をつまんでお月様にかざしてみる。
 ぱっと見は黒。
「これホントに黒いかなあ。ジシンないや。うんと」
 いっしゅんだけ考えてみて、ひらめいた。
「じゃ、アタイがはしっこだけかじってみて」
 それで甘かったらまちがいない。よし、てんさい!
 さっそくさくせんをジッコウにうつした。
「ねえ……ねえ……」
 レミリアが急に腕をつかんできた。びっくりして実をこぼす。
「ウソだと……言いなさいよ」
 とてもふるえている。感情がこもった声。でも元気じゃない。
「どうしたの、レミリア? やっぱりさむいのか」
「アナタにはその実の色がすべて黒なのが分からないの? わたくしもそのはずなの? わたくしがこの場にいたら寒がるはずなの? 微塵も震えようとも思わない。けれど、ひどく冷えるの」
 ついに両肩をがっしりつかまれた。ツメが食いこむ。
「アナタのお顔がこの暗いのにひどく鮮明なの。でもアナタは違うの? 違うはずなの? ねえ、口の中がおかしいの。『ナニカ』あるの。わたくしは、ただ翼を身に着けたキメラではないの? ──ねえ、教えて」
 引きよせられる。ハグはここちいいけど、首すじのなまあたたかい息には、ぞわりとくる。
「ナニが、見える?」
 レミリアはきいた。口の中が見えた。
 アタイはその二文字のために口をひらいた。
「キバ」
「瞳は何色?」ソクザにきいた。こわばる。ふるえる。もう、くずれそう。
 視線が光る。吸いよせられるみたい。
 アタイはこたえた。「あか」
 レミリアはきいた。「たとえると?」もう、ダメそう。
 アタイはその一文字のために、口を横に引っぱった。
「──」
 吸血鬼。
 レミリアはいちばんなりたくなかった、悪魔に、「──」の怪物に、なったんだ。
 しんじゃうさいごのしゅんかんみたいなさけび声がつらぬいた。
 でもどちらかというとしんじゃうのはアタイ。
 首がはんぶんなくなった。ズキッていたみがいっしゅんして、噛みちぎられたって分かった。いたみがなくなったのはいいけど、氷の粒子がふきだしてとまらない。
 すぐに空中に逃げた。バサッてすぐに追いかけてきた。もう、瞳の明かりは完全に切れている。そのへんの妖怪と変わらない目。あんなにおっちょこちょいだったのが、つばさはもう使いこなしている。
「……信じない。信じない。妖精の幻術ね」
「────よ!」ちがうよ!
 あれ。
「なら殺せばいい!」
「レ──、──め──!」レミリア、やめて!
 大声をかけているつもりだったけど、なぜかほとんど声にならなくて、首からおどろおどろしい草笛みたいな音が粒子といっしょにはき出るだけだった。気味がわるくて、首をおさえてしゃべらないようにした。こんなにへこんで……
 レミリアは混乱してるんだ。でもセットクしているよゆうはない。次つかまったらたいへんだ。反対がわからも噛まれてリンゴのシンみたいになっちゃう。
 ちょっとのヒガイはしかたないことにして、アタイは弾幕を展開した。
 弾幕は、ただの妖精の遊びどうぐ。だけど、初めての相手にはけっこうきく。全力をこめて、アタイは投げた。
「ああ、ちょこざい! こン、のッ!」
「──ぇ」──ぴゅっ。
 なんとレミリアは目の前の弾幕を手でつぎつぎとはじきだした。
 むかし、スターだったかルナだったか忘れたけど、真冬に大雪がふってつもったとき、みんなで雪合戦をして遊んだことがある。そのとき、アタイが強すぎるからって、ハンデをつけてみんな対アタイで遊んだことがあって、それで、ものすごいイリョクの雪玉をアタマに飛ばしてきてしばらくなおらないキズをつけられたことがある。その雪玉にはなんと、石がつめてあったんだ。
 弾幕は雪玉みたいなイリョクしかない。だけど、オモイのこめ方しだいで色も、形も、飛びかたも、においも、そしてイリョクも変わるんだ。石入りの雪玉いじょうに。アタイがいま、こんなにひっしにめいっぱいのキモチで放っている。それをはじき返すレミリアって──
 アタイはどうしようもなくうれしくなった。
 めちゃくちゃ強いってことじゃん! やった、さっそく体のししょーができるぞ。ゼッタイにレミリアを仲間にするんだ。
 アタイのキモチはいちだんとグッと強くなった。
 レミリアの目はもはやエモノをかろうとする妖怪だけど、弾幕をもっと増やして思いっきり放つアタイのほうがとらえようとするキモチが強いみたいだった。
「ぐぁっ……!」
 まだかばえるまでは慣れていなかったのか、つばさにれんぞくで二つちょくげきした。
 ちょうどアタイの真下で体勢をくずして、ちょっと様子を見た。
 だけど、タテのキョリ感ってすごく分かりづらい。下からぐんぐんとちぢめられているのに気づかなかった。気づいたときには────
「──ぁ!」──ピーッ!
 その石よりもかたい拳にたたきつけられた。
 すぐそばにモノがなくてよかった。ぐわんぐわんと視界が回るのを目にしながら、どこまで落ちたか、横に落下していってがけの岩のかべに強く着地した。
 首といっしょに胸のあたりも同じ感覚になった。いたみをいっしゅんだけ感じて、でももとどおりにはならなくて、〝あるだけになる〟みたいな感覚。
 ぽろぽろこぼれる粒子が上と下を知らせた。
「消えなさい!」
 アタマの上から。はやい。
 長いツメがひっかきにかかる。
 ──ガキィンッ!
 岩のはだに生えていた細い木の枝を折って凍らして構えた。わずかなスキ。レミリアのほっぺたをかげんしてはたく。落ち着いてよ、レミリア。でも声は出せない。忘れていた。ただやさしくたたいただけになっちゃった。
 なんどかひっかかれて木の枝は割れた。岩をけってはなれる。ぴったりついてくる。
 さっきも思ったけど、アタイのハネよりずっとはやい。追いつかれるちょくぜんでひらっとよけるのを繰りかえす。ひら、ひら、小鳥の追いかけっこみたいに。ひらりひら、木の葉の舞みたいに。ゆるやかに地面に近づく。
 タイミングを見て、ごっかんの冷気をぶちまけた。
 霧の湖の森でかくれんぼするときの知恵(アタイ専用の)。より冷たくすればするほど霧がさらに濃くなるから見つかりにくくなる。ただ、いっかしょだけ冷やしてそこにかくれてもすぐにバレちゃうからたくさん冷やして鬼をコンランさせたらいい。
 ケンカじゃ勝てそうにないけどせめてかくれんぼで勝ってやる。
 ……。
 どっか行ったかな。
 太い木の幹の根もとに丸まって周りの様子をカクニンする。
 いや、近くにいる。ケハイがする。
 どこにいる? 冷気の中のケハイは、止まっている?
 ……。
 どうしてアタイ、分かるんだろ。
 あそこだ、って分かる。
 あそこにいる。
 目をつむったほうが分かる。
 ……〝はねた〟。
 おどろきと、きょうふと、ぜつぼうと。にくのくさりとさかなのしろめ、だえきがしたたるきばにきばんだはだ、かれてしおれるくろずんだかべん。
 アタイの体はまっぷたつになった。
 え。──目をひらいた。目はひらいた。
 信じられない。ころがり避けたひざが面で切れて、そこの地面にキレツ……どころじゃない、大みぞが走って燃えて、うしろの大きな木がふたつにまっぷたつ……どころじゃない、半分からかたがわがキレイさっぱりけし飛んでいた。さっき、すんぜんまでアタイがいたところ……全身が冷える。
 なに、あのカンショク。
 おかしな景色。思いだせないくらいいっしゅんのことだった。
「あっつ」
 首がもうふさがったみたい。声がしっかりもれた。動きだそうと手をついた。
「は? なぜ生き返っているの?」
 すると、レミリアだ。
 キバをがぱってむいて、あつさで霧のうすまったいま、もえるようなギラギラのやりのようなモノを手ににらみつけられて、まるで、ジゴクの悪魔だ。
 すとっと、首もとにそのやりがついた。
「あ、まって、レミ」
 気づいたときにはおそい。
 さんでびどびどにほねのずいまでどろけたどうぶつ、あかいさけびがこだまする。くさい。くさくてたまらない。ひとが、なかみがぱんぱんにふくれあがってとびちる。
 目をひらいた。
 目があった。
 そのやりはまるで弾幕のように光りかがやくけど、ものすごくくろぐろしい。どうやって持っているのかも分からない。
「レミリ」
 かねがなる。つよくうるさくやかましく。ひとつふたつみっつ、かぞえきれないのが、どうじにひびく、からだのうちがわから、ひとつひとつこわれていく、ちぎれてひきさかれて、ぐじゅぐじゅにつぶれてからっぽになる。
「やめ……」
 からだじゅうのあなというあながかっぽじあけられる。ギュルリ。ねじこまれている。ジュルリ。へんなもややわるいえきたいがはいってくる。グギギ、ギュルル、とまらない、ギュルル、とまらない、ググググググ──
「やめて!」
 つぎに目があいたそのとき。弾幕を展開。
 全力でレミリアのやりをはじき返した。むこうのやりが弾幕とおんなじゲンリなら、きっと──
 アタイの、いわゆる本能の考えは正解だった。むこうは大きくよろけた。ただ正解すぎて、とんでもないバクハツが目のまえでした。
 アタイもさけんだけど、それ以上のさけび声が森じゅうをヒツウにつらぬいた。
 どれだけふき飛んだか、大きな木の葉っぱたちがいきおいをやわらげてくれて、ちょっとテアラだけど地面におろしてくれた。
「いてて」
 イタイだけど、こんどこそあのキモチワルイ感覚はしなくなった。しっかりいたみがつづく。それが、なぜかものすごくありがとうって言いたくて、すくわれたみたいなキモチにさせた。
「……え」
 それも、それまでだった。
 アタイがふき飛ばされたのは森のはしっこのあたりだった。少しずつ足を浮かせて、見える景色は、言葉にならなかった。
 悪魔のゴウカ。湖の反対がわまでまっぷたつに焼かれたいこいの森が、あけがたの空をお祭りのようにそめあげのみこむもうじゅうみたいな火ばしらが、なくような葉っぱと木の焼けおとが、りっぱに育ったろうぼくのいのちが折れるおとが、くろずんだ大みぞが、ながれこむ水が、すりへる湖が、────なんて言ったら────「かなしい」じゃない「つらい」じゃない。
 アタイのなかにある感情はどこにも放てない。
 冷気を放っても火をとめることはできない。なんどもためしたことがある。空気を冷やすだけのこと、火にとってはへでもないみたい。
 こころのなかでは思っていても、アタイは冷気をばらまいた。アタイとおなじようにふっ飛んだレミリアをさがしながら。もう攻撃してこないといいけど。
 火ばしらがいちばんはげしいところに行った。街の方で、お日様がびっくりした表情で「おはよう」している(気がした)。空から見下ろして、木と木のすき間がすっかり大きくなっちゃって、その小さな体でもよく見えた。
「サ……ア、コロしなさい……! どうにもならぬ我が身なら、せめて、陽に浄化せられてこそ……」
 地にうずくまって、少なくともよくないことを言っていると思った。
「ざんばなぁで」
 口をおさえた。
 ナニをおもらしした、アタイ? まるで低いげっぷみたいな。
「だいじょうぶ、レミリア?!」
 そう、こっち。こっち。
 ぜんそくりょくで火にもぐる。能力の発動も忘れずに。
 うでの中にかかえたとき、じゅわぁって音に気がついた。日光がダメなんだってすぐに分かった。アタイが火の中で水になっちゃうのとおんなじで、レミリアは日の中だとナニカになっちゃうんだ。だとしたら木のかげ、はムリそうだから、行くとしたら近場であそこしかない。
「……ぁ」
 レミリアはもうあばれたりはしなかった。
「……な、に、か」
「どうしたの?」
 水がじょうはつするみたいな音のそばで、かすれるひと声。
「みえる、わ……」
 ただ。ただただ。レミリアは運ぶあいだ、「みえる」と言う。さいごに、赤い瞳がかくれた。

 四

 夏祭りから霧の湖の森にあるルーミアのどうくつにキタクした。
 アタイは言った。「〝ケンカ上等じゃないカマキリ〟とか?」
 レミリアは首を振った。「イイ線行っているけれど、もっとスタイリッシュに」
 アタイは息をついた。「よくわかんない」
 レミリアは笑った。「意はそのままに短くするの。たとえば〝見返りカマキリ〟なんてどう?」
 アタイは唇を上げた。「なにそれ。わっかんない」
 アタイのふてくされにレミリアは楽しそうにした。
 初対面じゃあんなだったけど、いまじゃ、こんな風におしゃべりできる。
 というのも、レミリアはあの夜から、何もかもを忘れちゃったみたいなんだ。自分の家族、自分のもとの体、自分の信じるモノ……ほんとうに自分の過去すべて。名前すら、実は忘れて、アタイが教えた。「そんなだった気もするわ」だって。
 まるではじめから、幻想郷に住まう吸血鬼レミリア、みたいな。びっくりするぐらいドウヨウがなくなって、いまの落ち着いたレミリアになった。この現象はぱっと見ヘンかもしれない。だけど、ふたつのセカイがあって、ふたつの人生があって、ひとつめのセカイからふたつめのセカイにうつったとき、ひとつめのセカイの人生を知っていることのほうがヘンだ、とアタイはいまのレミリアであたりまえ、と考えた。
「ね、そろそろ……行かない?」
 となりでうずうずしていたルーミアがとうとう口を出した。
 大火災の夜明け、アタイはひからびかけたレミリアをこのルーミアのどうくつにヒナンさせた。
 ──ど、なって、るの? ……え、こんどはだ、だだ誰?
 ルーミアにはメイワクかけてばっかだ。どうくつの奥に寝かせている大ちゃんのお世話もしてくれているみたいだし。今回だって。
「そうだよ、おしゃべりしてるばあいじゃない! しょくりょうをかりに行く時間だぞ」
 霧の湖の森のだいぶのところが焼けちゃって、動物たちがにげちゃった。ルーミアはこの動物たちをかって食べてくらしているそうだから、アタイたちのせいでおおヒガイなことになっちゃった。
 だからアタイたちはそのベンショウ? をしなきゃって思って、なんどかルーミアのかりを手伝っている。ルーミアはやさしくて、しなくてもいいよって言うんだけど(だきつこうとしたらキョヒされる)、バチがオオアタリしちゃうもんね。
 アタイとルーミアとレミリアはこの森とは別のカリバをめざして飛ぶ。
「『シュート』はできるようになった?」
 レミリアがきく。
「れんしゅうちゅう。でも前よりきっとうまくなったぞ!」
「そう。なら、今宵はその成果を見せていただこうかしら。『シュート』ができたら色んな戦術に応用できるでしょう」
「のぞむところだっ」
 むかっているあいだ、ルーミアはほとんど話さない。やっぱりしずかな子。
 アタイは飛びながらうしろを振りむいた。
「ね、ね、ルーミアもいっしょにれんしゅうしない?」
「……ぇ……あ。や。いい。弾幕、撃てないし」
「アタイおしえるよ、カンタンだよ! うてたらたのしーぞ!」
「……いい」
 としずかぁにほほえんだ。闇をあやつる妖怪だって言っていたからおっかないと思ったけど、こんなにおとなしくてちょっぴりザンネンだ。体のししょーにしようと考えたこともあるけど、それよりあっとうてきにこころ強いのがきちゃったんだよね。
 夜空はいつのまにか雲におおわれた。ふたりの真っ赤なおめめはそれでもモノの位置がよく見えているみたい。アタイはこういうとき飛びづらいからうらやましい。
「ここにしましょう」
 レミリアがえらんだのは高い木とかが少ない草原っぽい。三人で草にふせる。
「見える? 羊の一群が休息を取っているわ。チルノ、準備はいい?」
「見えないよ、レミリア」
 目の前の草を見分けるのでせえいっぱい。
「目を凝らすのよ」
「むぅりッ」
「今日は、やっぱいいよ……ありがと。あとはルーミア、やる」ルーミアは立ちあがった。
「待ちなさい」
 レミリアがとめた。
「なら、ただ感じなさい。羊の気配を」
「ケハイを……」
 生きものの気配を感じとる。
 それは、トモダチのスターが大得意なことだ。
 ──すんごかスター! どなばってん見つけらんたん?
 どういうときかはともかく、誰かがそんなふうにきいて、スターがこんなふうに答えたのを覚えている。
 ──いろいろ、おときかんの。風んおと。ムシんと。葉ぁびゃっとぉ。くさんのと。はなんと。カラカラんばと。じゃりんのと。くもぉんと。びかりんほと。……
「ムチャだよ。コウモリ、じゃないん、だ」
 ルーミアはあきらめるように言った。
「……やってみる。アタイ」
 でもアタイはチョウセンした。それがリュウギってやつ。「馬鹿じゃん」そんな小声がした気がした(気にしないもんね!)。
 レミリアは指示した。
「目を閉じるの」
 目をとじた。
「姿勢を正すの」
 お腹に力を入れた。
「『心の眼』を開くの」
 ……。
「わたくしたち以外の息づかいを聴き、それを見つめなさい」
「……」ルーミアがため息している。「ムリムリ」って。
 …………。
「聴くだけじゃないわ。彼らの熱を感じなさい。彼らのニオイを感じなさい。それを見つめなさい」
「……」またため息。
「しずかにして」
「……?」
 ──なにか、いる。なにかが見えてきた。
 自分の知っている幻想郷とはまったく別のセカイにきたようなキブン。そこは、何も見えないし、何も聞こえないし、ニオイもカンショクも色もない、ただ、何もかも感じとれるセカイ。それっておかしい? だけどいま、そこにいるからしょうがない。
 アタイはたしか「感じなさい」って言われた。
 でも、アタイが感じているのは音でも熱でもニオイでもない。
 ただ「眠る羊」を感じている。
 シュートのしかたはしみこんで覚えている。
 両手のひらの空間に弾幕をいっこだけつくってつつむ。
 ──ウソ……チルノ。
 胸の前にもってきて、あとは────
 ──それは……ただの、天才だよ。
 両手を広げるだけ。
 スターが知る景色も、おんなじなのかな。
 ──バスンッ!
 遠くでひびく低いチョクゲキ音。
「あれ?」そこで『心の眼』をとじて目をひらいた。
「ノッ・クィティカゥ!」
 ザッ。気がつくとレミリアは前に飛びこんでいた。
 弾幕で相手をしとめたときはふつう「ばちゅん」とか「ぴちゅん」とかって高い音がする。感じるのに集中しすぎてたおすことを考えてなかったや。
「威力が弱いわ! シュートは一撃一殺。心得ておくことよ!」
 けっきょく、レミリアがすばやくしとめてもどってきた。
 レミリアにはいちおう弾幕のうちかたをおしえていた。だけど、すでにアタイよりあつかいがうますぎたし、あんなにはやいときっといらないんだろうな。さすが、アタイの体のししょー。
 帰るころ、おやすみなさいとお月様が言った。
 レミリアの背中でしたたるモノがうつって、苦しいキモチになった。帰ってきてから見えるさっぱりした景色もおんなじキモチにさせるし、レミリアとのおしゃべりが楽しくても苦いあめちゃんを口に放られたみたいで舌がまわらなくなる。
「じゃ、わたくしは夜の散歩に出かけるわ」
 レミリアはそう言って、ルーミアの岩どうくつのところでカイサンになった。
「はぁ。おしかったー! いちどにいろんなこと考えるのニガテー」
 くやしさをたっぷりわかれぎわのお月様にさけんでから。先にどうくつの中にはいって大ちゃんのねどこに行く。ルーミアはどうくつのお外でおしょくじの時間。見られたくないって言うから。
「ねえ聞いて、大ちゃん」
 大ちゃんはきょうも、せかいいちのしあわせのねがおでそこにすやりすやすやと横たわっている。そばに足をととのえて、大ちゃんのうでをふとももの上にのっけて手をにぎり、このねがおを見つめながら語るきょうのこと。
 きょうは、年にいっかいのお祭りがあったよ。人の街は年がいっこ変わるだけでびっくりするほど景色が変わる、それといっしょに毎年のお祭りのさわぎもびっくりするほど大きく変わるんだ。でも楽しまなかった。かわりにけーね先生のところに行ったの。そこでだいじなおべんきょうをしたんだぞ。どんなおべんきょう、って、考えるおべんきょうだよ。アタマをよくするには考えなきゃダメ。直感しちゃダメなんだ。そのあとは、スターたちと会ったよ。──あのね、ケンカしちゃった。だってッ。大ちゃんのこと、みんなぜんっぜんシンパイしないんだもん。みんなのキモチが分かんないよ。大ちゃんがいないのにお祭りを楽しむなんてできないよ。アタイはいつまでも、ゼッタイ親友だからね。レミリアにも会ったよ。いるかのつめとぎとかみかえりカマキリってどういうことか分かる? どんだけ考えても分かんなかったんだけど、レミリアってほんとうにアタマがいいってことなのかな。だけどレミリアはアタイの、体のししょーなんだぞ。前にシュートを教わったって言ったでしょ。あれ、けっこううまくなってねらって当てられるようになったんだ。イリョクがびみょーだったみたいだけど。でもまっくらな中でがんばったから帰るときさりげにほめられたんだぞ。この調子であしたからもアタマと体をトックンするつもり。こころのししょーはまだいないんだ。だって、こころ当たりないし。
 ──クスリ。
〈そうどうかいけつチーム〉はいま何やってるんだろう。アタイ、そこに入りたいから色んなおべんきょうしてるのに、なんにも見ないし聞かないから不安になっちゃう。こんどまた博麗神社に行ってみよっかな。すぐつまみ出されるかもだけど……。大ちゃんが起きないのは幻想郷の自然が弱っちゃってるからなんだよね。自然が弱ると妖精も弱る。妖精が弱ると自然も弱る。じゃ、妖精が〝強れば〟? あ、ごめんね大ちゃん。考えごとしてた。これがけーね先生にならった考えることだよ。あした、けーね先生にコレ、質問してみよっかな。
 たとえば、こんなことを語った。
 さいごに大ちゃんのぬくい手を顔のもとに持ってきて、花をかぐように口にふれさせて「どうか──」いのった。
 ほんとうに濃いひと晩だった。話しおわれば上からはいいお日様のにおいがして、ツルまみれ草まみれのどうくつのひと部屋をぼやぼやあかるくうつした。
「ルーミア、どうしたの?」
 小さく息をもらすのが聞こえてからいるのは分かっていた。おしょくじはずっと前にすんだみたい。
「訊きたいこと、あって」
 細いつうろの闇からたずねる。
「チルノは、れ、レミリアに、憎しみはないの?」
 ニクシミ。
「恨みはないの?」
 ウラミ。
 なんとなくあまくないフインキ。
 ルーミアの声はいつもの雪の結晶だけど、どうくつの中だとキンとひびく。
「森が焼けたのはアイツのせい」
「おぼえてるよ。ついこないだのことだもん」
「確認、じゃない」ルーミアはといきをひびかす。「アイツのせいで……大好きな湖の森、壊されて。イヤ、でしょ」
 ニクシミも、ウラミも、イヤとかキライってことみたいだ。
「自然が弱れば妖精が弱る、なら、も、森が焼ければ、その、チルノの大好きな大ちゃんも回復が遅れるッて、こと……! なのに。ペチャクチャぺちゃくちゃ、愉快そうに」
 アタイが返さないからルーミアが言葉を強めて言う。イライラさせちゃった? 考えながらしゃべるとこういうことが起こるみたい。
「アイツは、敵……!」
「ごめん、まって」
 ルーミアをとめる。アタマが熱くなってきた。
「なんの話だっけ?」
「レミリアが、恨めしいかッて、訊いてる……!」
「レミリアはそんなおばけみたいなこと言わないよ。ルーミアのほうがにあってる」
「『うらめしやぁ』関係ない! 嫌いかってこと」
「え、なんで? レミリア、好きだよ」
「森、焼き払ったのに?」
「森をやきはらっちゃダメって知らなかったんでしょ。つぎからはしないよ」
「え……」
「とにかく! レミリアは好き! ルーミアも好き! けーね先生も好き! ルナとサニーとスターはキライ! 氷売りのおっちゃんはビミョー! 木こりのおじちゃんは大ッキライ! れいむとれいむのおかあさんはなんかコワい! まほう使いの魔理沙はひきょうもの! それから大ちゃんは大好き!」
 眠る大ちゃんに思いっきり飛びこんだ。
 じんわり、ぽかぽか、いいにおいといっしょにぜんしんがぬくもる。冷たいのが好きなアタイでもこのぬくもりはもっと好き。
「考えるの、放棄。良くない」
「れんしゅーちゅーだもん……!」大ちゃんの服にかぶせながらもごもご言った。
 くっついたまま体勢をととのえると、アタイも眠れちゃいそうだった。
「自分。みうし、あわないで」
 なにか、言っている。
 似たけしきを思いだす気がしたけど、やっぱりたえられない。
 これが「つかれ」か。どうしようもなく、眠りたくなること。感じたことはあっても、あんまりニンシキしてこなかった。
 そのままくったくたの感覚に身をまかせようとした。お日様を全身にあびてとろけるひとかたまりの氷。そんな春がふっと浮かぶ。
 またなにか、聞こえるような。
「さぅにゃおかぁ。ようせ、ぞうお、しらんねゃ……」
 小声すぎて聞こえないや。
 うでをひっつけて、顔をその肩にのせて、あしたのケツイをひとつしながらその手をにぎって。大好きだよ。大好き……
「そんねゃ、生くぅほしにゃ」

 五

 それから、数じゅうかいお月様とお日様がめぐった。
 アタイはメイカクに「つかれ」が出るようになった。少なくとも一日に一回は寝なきゃ元気をたもてなくなる。他の妖精もおんなじなのかなって思ったけど、それからいちどだって友だちは遊びにさそいにあらわれてくれなくなったし、そもそも妖精じたいを街のうちそとであんまり見かけなくなった。寺子屋をたまに出入りしている妖精たちはいちおう元気に見える。つかれているのはアタイだけ? それとも……
 秋。
 その訪れを知ったのは霧の湖の景色じゃなくて、人の街のはずれの田んぼの色でもなくて、虫のかわいい音色でもなくて、どこかのお店か家のラジオ放送からだった。
 食欲の秋って季節の言葉があるらしい。おだんごとか、おイモとか、きのことか、たきこみゴハンとか、秋にとれるおいしい食材をいっぱいタンノウしようってことみたい。知らない食べモノがたくさんあるらしいし、こんど食べてみたいな。
 なんて思ったりするけど、今日もアタイのハネはいつものおだんご屋さんに向く。
「え? なんて」
 アタイは問いただした。
「だっから、五銭足んないってんだよ」
「どういうこと?! 昨日は二〇せんで買えたじゃん!」
 おだんご屋さんのおばちゃんはお顔のシワをしわしわにしぶくする。
「こればっかしぁしょうがねえでなあ」
「なに。食よくの秋でおだん子の売れゆきが良くなるからって、ね上げしてがっぽりもうけようって言うのか?」
「そんな言いグチあんまりさ……ただ、今年は米が不作みたいでね」
「フサクってどういう意味?」
「あんまり収穫できんかったってことさ。何日か前、うちの世話んなっとるお百姓さんに田んぼば見してもらったけど……チルノちゃんは見たかい。あらぁ、えげつねえ」
 ラジオが言ってたかも。人とおしゃべりするときとちがってラジオの声はよく聞きとれないことが多いし、だいたい途中ではなれるし。
「ううん、知らなかった。そんなにヒドかったんだな。じゃあ、さっきのと、このよもぎと、三色もいっこ追加で、あと、は、コレは?」
「おためしだけどね。きびだんごってやつさ。ウチの前の店主のときに売っとったそうだけど店晒《たなざら》しだから辞めた。米じゃなくって黍《きび》を使うから、いっしょに売れりゃあタシにはなるね。色はちょいと黄ばんでイモっぽいがとっても甘いんだ」
「じゃコレもちょうだい!」
「まいどありがとね。いつも助かってるよ。ええと、ぜんぶで五○だ」
 おばちゃんはシワを広げて喜び、アタイがたのんだおだんごを包んでいった。
 パチッ。パチッ。────
「ううん、おばちゃん。ちがうよ」
「はて?」
「ぜんぶで五五だよ。みたらしと三色二ことよもぎと、あとキビのもたのんで、そしたら……うん。おばちゃん最後、珠《たま》置き忘れてる」
「ありゃま」
 アタイはお会計の皿にきっちりお金を放った。おばちゃんのシワまみれのまぶたごしの目線がじっと見ている。
「本当だねえ。おばちゃん、ウッカリしてたわぁ。はぁ。チルノちゃんは賢いのねえ」
「へへ」
 しばらくおばちゃんとの世間話に花をさかせた。おばちゃんは人の街、幻想郷のあちこちのウワサ話をたくさん持っているんだ。
「らじおや新聞じゃ流れてこねえけどね、ウワサじゃあ今年の不作は街外れのコウギョダンチのせいじゃねかってもっぱら言われとるよ。なんたってあらぁ去年か一昨年あたりに建ったろ。収穫が年々減っとんのぉ思えや、イヒ、なんか悪いジッケンでもしとんじゃねかってね」
「こうぎょだんち? って?」
「工業団地さ。チルノちゃんはアッチっかわの霧の湖から来ていると言ったかい。それじゃ、街をはさんで反対っかわだね。今流行りのキカイなんかつくってら。ウチの電話もらじおも便利なもんだけど、いつの時代も、何かを得れば何かを失う。それが理ってんなら──今年の夏の暑さはひどかったがこのたちまちの冷えはなんだい。博麗の巫女サマが言うには〈騒動〉なんてさ、いっときにしまいになる風に言うけれど、こらぁおばちゃん、違うと思うね。幻想郷の〈異変〉だよ」
「ふぅん」
 なんやかんやと話しこんで、おだんごの入ったふくろを受け取ってお店を去った。いつもよりも明るく「まいど」と見送られておだんごの味も数倍おいしく感じる。
 大通りのはしっこを歩いて、これから寺子屋に向かう。
 頭を良くするにはとにかく考えなきゃいけない。アタマのししょーのけーね先生は言った。じゃあ考えるにはどうしたらいいかと言ったら、二つのことをすればいい。
 一つは記憶力を上げること。もう一つは問題を解くこと。
 考えることじたいは問題を解くことによってなされるが、それには記憶力という土台がなければ始まらない。この二つのコンビネーションによってチルノは賢くなることができる。これを効率よく行うのに役立つのが、読み書きそろばんだ。
 アタイはけーね先生を信じて習いはじめた。さっき、そのセイカがあらわれた気がしてけっこううれしかった。
 くしにささったきびだんごを片手に見上げれば、のっぽの電波塔はいつでもとんがった先っちょを見せてくる。お日様の光がキラリとはんしゃしてカッコいいと思ってたけど。街のそこだけふんいきが違って周りはそのままの風景だから、なんだか似合ってない。ものすごいイワカンがする。そこの大時計には寺子屋がちょうど放課後になる時間が示されていた。
 おだんご買いすぎちゃった。
 さすがに寺子屋に着くまでには食べきれそうにないから残りはおべんきょうのあとにとっておこう。きびだんご、他のとはまたちがう甘さでしっかりおいしい。けーね先生にしょうかいしよっと。あともういっぽん食べちゃおっかな。
 ふくろをガサゴソとあさる。オウドウの三色だんご。けっきょく一番好きな味。「おいしい」って思わず言っちゃう。誰も返してはくれないのに。
 ──ねー、おいしいね!
 風がひとすじ。
 一人で街に来るのにはなれても、この声をなつかしむのは変わらない。りきしゃがカラカラと目の横を通っていった。別のことを考えることにした。
 お金、もっと手に入れないと。今持ってるのが一四円と七〇ぐらいかな。
 パチッ。パチッ。
 仮に一五〇〇として。
 パチッ。
 一日五〇はらうとしたら。
 ……あれ、四ケタ割二ケタってどうするんだろ。
 アタマのなかで枠の中の木の珠をパチ、パチとはじいていく。カンタンな足し引きなら暗算もお手のものなんだけど。
 ……そっか。三ケタ割一ケタにできるじゃん。
 パチッ。パチッ。パチッ。
 ──ぱっ。
「んあ?」
 アタマのなかのセカイに集中して、ぎゅいんと引きもどされた。手が急に軽くなっていた。
「よーっしゃ、おだんごいただき!」
「にげろにげろー!」
 アタイの横を抜けていくいくつものかげ。放課後の寺子屋から出てきた少年たちだ。
「おぉい! とまれぇー!」
「ハハハハハッ!」
 さけんでも笑い声が帰って来るだけ。すっぴゅーんとすばしっこく人やりきしゃのカベにまぎれようとしている。だけどまだ間に合う。
 ねらうのは的が大きいほう。
 すこしだけチュウに浮き、弾幕を一つ高めにつくって、腕を引いてかまえ手首をひねる。動きからゼッタイ目をはなしちゃダメ。
「いけっ」
 腕を胸の前にはらった。
 練習したての『トップスピン・シュート』。
 それは、腕の動きに合わせてきれいな半円を描き、カベをこえ、
 ──ボスンッ。
 逃げる背中をちょっと押した。
「ぐあっ!」
 カンゼンな手ごたえ。そのまま飛ばず、地面をけって向かう。
「マンタロー!」
「いって、だれだ背中たたいたの!」
「ナニコレ、雪? 霜?」
「おい! おめーら、カンネンするんだなッ!」
 たおれた大きな男の子を中心にわらわらと他の子が集まったけどアタイの姿をとらえたとたんワッとなってその子を置いて走りさった。
「あ、まてよッ……なっ」
「ふんっ。なんでぬすむの? 人の物ぬすんじゃいけないって、先生に習わなくても知ってるよ」おだんごのふくろを取りかえした。
「……ごめんなさい」
 あれ、実は良い子?
「もうしない? チカう?」ってきいたらキチンとうなずいた。「チカいます」
 ムカついたけどあっさりあやまって反省しているみたいだから責める気にならなくて、アタイは背を向けた。
 ──ぱっ。
「だーれがチカうかよっ、バーカッ!」
 やっぱワルイ子だった! これコソクだ、コソクってヤツだ。
 体おっきいしオマユとかおめめちょっとイカついし、キョウソウ好きなニオイするし、きっとふだんからこんなことしてるんだ。
 走りだして全速力になるまでがすごく早くて、アタイはあわてて腕を振った。
 ──びちんっ!
 それは高いとも低いとも言えないていどだった。
「あ」
「グガッ……!」
 もしレミリア風にたとえるなら、消しゴムにささったえんぴつ……やっぱ、よく分かんないや。ちゃんとたとえるなら、氷カイでジカなぐりしたみたいな、そんなイリョクがアタイの手に残った。
 能力の発動を忘れずに。寺子屋までおぶっていつもの通りに先生の部屋まで上がっていってけーね先生をたよった。
「ワケは後で聞くがひとまず診療所に電話を入れてみる」
 頭が良いけーね先生でも他の先生をたよらなきゃいけないみたい。
 石をつめた雪玉よりはゼンゼンマシだと思う。そんなに大ケガなのかな。
「チルノ。患部を冷やすのは結構だがあんまり触れてやるな。お前がやると凍ってしまう……あ、どうも。寺子屋職員の上白沢です────」
「してないよっ」するわけないじゃん!
 放課後になってすぐの職員室にはけーね先生以外だれもいない。他の先生はそれぞれの教室でイノコリの子たちを相手しているらしい。アタイは、なぜか、その教室に入れてもらえない。おざしきの上、机に紙、友だちとおしゃべり、色んな声で包まれる時間。そんな風景を想像していた。だけどけーね先生はどんだけおねがいしても教室でおべんきょうすることをゆるしてくれなくて、寺子屋が放課後になる時間に職員室に集合するように言いつけた。だから友だちはいない。知り合いすら。アタイにとっての教室は、この草のニオイがほわんとする職員室のことなんだ。
「う……ぁッ」
 カベ沿いのやわらかそうな長イスで布をかけられて男の子は声を切らして泣いていた。さっきけーね先生がいっしゅんだけ背中の服をめくっていたのをのぞいたら、ある部分が青むらさき色をしていた。
「ごめんね。マンタロくん」
 アタイは床にあしをたたんで長イスにちょこっともたれた。ふれちゃダメでもお顔とお顔を合わせるぐらいならだいじょうぶのはず。
「おだんご、食べる?」
「……ぃらね」泣くお顔をそむける。
「さっきあんなにほしがってたのに」
「……」
 だんまりしちゃった。
「──な、先生がお見えでない? どうしてっ」
 先生にしては大きな、というか〝あらあらい〟声だった。二回か三回「はい」と言ってあいさつしてから、耳にそえていた黒い物体をがしゃんとカベのソウチにさしこむ。
「想定外だ、どうするか、鷹松先生はご在宅か、いや設備もないのに連れこんでは、しかしこのまま放っておくわけには、親御さんにどう説明すれば、いや、一つあるじゃないか、あの調剤師を頼れば、だがあの遠路に連れ立っては負担ではないか、しかしこれしか」
 ……すごい。
「チルノっ。一五分、いや一〇分ここを空ける。その間、万太郎君を看ていてくれ!」
 頭が良い人って、こんなに考えるのが速いんだ。
「う、うん」
 けーね先生はアタイの返事よりも前に風のゴトク職員室のとびらにすべりこんだ。「電」と「光」と「石」と「火」でそんなことを言う四字ジュクゴなかったっけ。
「いッ……いッ、グズッ」
「マンタロくん。だいじょうぶ? どんないたみなの?」
 アタイは気になった。ヒリヒリか、ズガンッか、それか別の痛みなのか。
「うっせ……ぃぐっ、どっか行ってろっ……!」
「でもけーね先生に『見てて』って言われたから、見なきゃいけないんだ」
 だからばっちり高さを合わせて男の子の後ろの頭を見つめている。ちょっとだけ回してこっちを見てきた。バッチリ合う。
「ほんとうに見るだけじゃ」
「ジョーダンじゃん。知ってるぞ、アタイ。おセワしててって意味なんでしょ」
 うしし、と笑いがこぼれたけど笑いあうことはできなかった。そのかわり、お顔は合わせたままになった。オマユが曲がって苦しそうなひょうじょうがたまに「ひっく」とはねる。
「っん、てか、オマエだれだよ」
「アタイ?」よし、じこしょうかいだ。
「チルノ! 霧の湖にスんでるひょ……妖精だぞっ。好きな食べものはこの近くのおだんご屋さんで売ってる三色だん子で、でもさいきん新しく売りはじめたキビだん子もお気に入りなんだ。トクイなことはだんまくをしゅーとすることだぞっ。さっきもそれでオマエをやっつけたんだから、アタイったら天才ね! えっと、とっぷすぴんしゅーだったっけ。レミリア、たまに言葉の言い方がよくわかんなくて……あ、レミリアっていうのはねっ、アタイの体のししょーで」
「そんなに聞い、ってねー! グズッ、てかッ顔ちけぇんだよ」
 かぶせてある布から手が出てきて、なぐられるかと思ってお顔をかばった。
「つめたっ!」
 男の子は手を引っこめた。
 アタイはちょっとフキゲンになった。
「みんな冷たいとか寒いとかって言う! アタイそんなじゃないよっ」
 布のすき間に逃げようとした手をアタイはつかまえた。
「見た目からそんなだろッはなせ! グズッ」
「見た目からじゃなくてちゃんと感じてよ、へーきだから」
 男の子はそれでももう起きあがってアタイの手を振りほどこうとする。冷静に、冷静に、だけどのがさないように手に力をこめて。
「へーきだから」
「つんめてっ」
 息を上がらせる男の子をじっととらえる。
「──くない……?」
 冷たいって、言わないで。
『漢字を読み書きできるようになるにはどうしたらいいだろうか』
 一番最初の読み書きのおべんきょうのとき、けーね先生はまずアタイにきいた。
『先生にならう!』
『だが生憎だな。先生はチルノに読み書きの授業をする気がない』
『え、なんで?』
 ほんとうにびっくりした。またイスから転げそうになったくらい。
『なぜなら、ここは教室じゃないからな。ただの職員の作業場だ』
『じゃあ教室に行こっ。そこだったら授業できるんでしょ』
『ザンネンながら、教室はどこも空いていない。居残りの子たちでな』
『えー』
 さあ、どうする。と、先生の瞳はまだまだ問いかけてきた。アタイ、考えさせられてるんだ。
『あ、わかった。じつはよみかきはけーね先生じゃなくてほかのししょーがおしえてくれるってことなんでしょ』
『おお、正解だ』
 アタイのコンシンの答えがまさかの正解でまたびっくり。
『ではここに召喚しよう』
 先生は席を立った。それで、そこからは何もかも変だった。
 どしんっ。
『え?』
『紹介しよう。名は「幻想郷用字類聚辞典第二四版」だ』
『え? ……よ、よろしく、おねがいします?』
『ほう、挨拶するとは感心なものだな』
『え?』
 おふざけか、おふざけじゃないのか。先生のお顔だけは何も変わらないでシンケンそのまんまだった。さあ、どうする。ソレがきいている。
『えと、ひらこ、っかな』
 先生の出した問題のむずかしさにもう頭がまいっているけど、ソレがやめようとするのをやめさせる。先生よりずっと長ったらしい名前の「ししょー」をアタイは開いた。
『チルノ、なぜ開いた』
 まちがった?
『それは、なんとなく……じゃないっ、「ししょー」におしえてもらいたかったら、ひらかなきゃいけないって思ったもん』
『そうか、続けていいぞ』
 あってたっぽい? というかつづけていいって言っても文字ばっかで分かんないよ。
『ひらがなや数字は読めるな?』
『うん……カタカナも。カンジもちょこっとだけならわかる』
『なら十分だ。さあ、漢字のお勉強をしようか』
 って言うクセにむこうからはちっとも動いてくれない。
 本なんか一冊も読んだことがなかった。アタイが文字を知っているのは、街が里のときからたまにおとずれて看板やしょうひんのフダの字を山ほど見てきたからだ。それも、だいたい気にとめないから本当によく目にするものだけ。うすっぺらいシンブンシも読めないのにこんなぶ厚いの、どうしたらいいって。──でも感じるのはゼツボウじゃなかった。
 これがけーね先生の教え方みたい。すっごく、わくわくする。ドキドキする。こんな〝ムリムリな〟問題を押しつけられているのに。フシギだった。
 ぺらり、ぺらり。すごい。アタイ、紙をめくってる。思ったよりザラザラしてかるい。
 ページをてきとうにめくっていると、アタイでもちょっとだけ読めるページがあった。アタイはいつのまにか読みあげていた。
『「こうし」「こうじ」「こうぞ」「こうのとり」「こうむる」「こえ」「こえる」「こおり」……「氷」。いち、ご、の、〝は〟?』
 アタイの知っている漢字だ(アタイの大好きなかき氷屋さんはこの漢字のはたが目印だから)。その下に「一五ノは」ってある。数字の漢字も知っていた。
『「氷」は、じゅうごの〝は〟なんだって』
『それがどうかしたか?』
 だよね。もうびっくりしないんだから。
 他の知っている漢字も調べてみた。「人」は一ノせ。「木」は一二ノん。「魚」は二八ノゐ。「火」は一五ノな。でも、「それがどうかしたか?」だ。
 そのあたりのページをはなれてまたばらばらとめくった。色んな漢字がのっている。見覚えがあるのもあったけど、アタイは「氷」をさがしたい。この中から目的の漢字を見つけるにはどうしたらいいのか。読めるところだけを読んだ。
『さて、行き詰まってきたようだな』
『まって』
 ぺらり。
 先生の口をとめる。てきとうなページの「ワクの外」を見て気づいた。
『一五ノい?』
 ひとつ前のページの右上は……「一四ノん」。ぺら。ぎゃくに次のページに行くと、「一五ノろ」「一五ノは」。ぺら。「一五ノに」「一五ノほ」……。
『いろはうた?』
 アタイのバクハツしかけの頭はその答えを生んだ。いろはうたは、幻想郷の人ならだれでも知っている。ぺら。
 そしてようやく、「一五ノは」をまた開いてページの中に「氷」をはっけんした。「ヒョウ」「こおり(こほり)・ひ・コオる(コホる)」「〈名〉水が冷え固まったもの」「〈動〉冷え固まる」「〈形〉透明だ又壊れやすい」何が書いてあるかは知らない漢字のせいで分からない。でも、アタイの予想通りなら、その調べ方も分かった(実はそれはかんちがいだった。読みから書きは良くても書きから読みはできないし。でもこのときはそれでもじゅうぶんな発見だった)。
 大きくページをさかのぼる。漢字の「一」からしょうかいされている。そのワクの外を見ていく。
『一ノい、一ノろ、一ノは……一ノわ、一ノか、一ノよ……ゑ、ひ、も、せ、ず、ん……二ノい。わかった、わかったッ! アタイ、コレのつかいかたわかったよ、けーね先生!』
 声を高めてお顔を上げる。
 だれもいなかった。アタイがむちゅうになるあいだにかわやにでも行ったのかもしれない。待ちきれなくて、アタイはもう次の漢字を調べようとしていた。
「氷」はすでにアタイが知っていた漢字。こんどは知らなくてきょうみがある言葉の漢字だ。
 たとえば「つめたい」とか。ぺらり。「つめたい」は……「冷」三ノろ。見覚えがあるような。これは、三しゅうめの〝ろ〟にあるってことだ。ぶ厚い紙のたばからアタイのさがしている一まいを見つけだし、漢字も見つけた。
 そこにはさっきよりもずっとたくさんの説明がならんでいた。
「〈名〉つめたいもの」だろうね。
「〈動〉つめたくする又つめたくなる」うんうん。「あざける又さげすむ」うん?
「〈形〉すずしい又さむい」「心がない」「さびしい又ひまだ」
 なんだろう。うしろの方のいみが分からない。でもこれで書きは分かった。
 冷たい。アタイは冷たい。「ヒやす・ヒえる」とも書いているからそれを言いたいときも冷やすとか冷えるって書けるのかな。
『「さむい」もしらべよっと』
 氷も、冷たいも、寒いも、みんなアタイに力をかしてくれる。元気づけてくれる。守ってくれるものだった。大好きな言葉だった。アタイの自信のみなもとだった。
「も、いいだろ、はなせっ」
 男の子の手がアタイの手のひらからはなれた。凍ってはいない。
「ね、冷たくも寒くもないでしょ」
「まあ……」
「でしょ!?」
「わ、だからさわんなっ。手汗すげんだよ!」
 てあせ。どうしよう。ウソがバレる。
 分かってる。アタイいま、すっごく体にわるいことしてる。冷気をあやつって、冷気の守りをといて、むりやりウソを押しとおそうとしている。──ウソは、人間の。アタイはこころにもわるいことをしている。
 だけど、どうでもいいから、その言葉だけは言わないで。
「つめたっ!」
 え。
 ──ぴとっ。ひとつ、こぼれおちたのには、もうどうしようもなかった。
「氷のなみだ……?」
「見なんでっ!」
 体にわるいことをしたせいか、こころにしたせいかは分からない。
 男の子の腕についたソレをはたきおとした。とにかくお顔を見られたくなかった。男の子の体にしがみついてお顔をひっつけると全身が前に下にしずんだ。
「いぃッ────っだあぁ!」
「ヤダぁ、ヤダー!」
「おい! お前たち、何をしている!」
 さけび声、わめき声、どなり声。
 アタイのがいちばん長く、長く続いた。

 六

「夏祭りの出会いがきっかけだったな。寺子屋に通い始めて一ヶ月は経っただろうか。一日たりとも、お前は休まなかった。私は素直に感動したよ。妖精の暮らしぶりを以てしていればお勉強はなんとも地味で、とても退屈で、なかなか陰気臭い。それなのに、友人のためだ、と言っていたな、そのために辞書とそろばんを手に何時間と椅子の上に静止するお前には言葉を奪われた。きみがため休日出勤をもいとわなかった」
 けーね先生はししょー用のタクの前にせいざして言った。子どもたち用の散らかったタクはその三つの方向から囲っていて、どこでもいいって言われたからまっ正面のタクから聞いている。教室は思ったよりずっとキュウクツだ。
 イノコリの子たちがいたけど先生はどかせてアタイだけを入れた。ろうかの方のふすまのすき間とかえんがわの方のしょうじの穴からその子たちの視線とかこしょこしょばなしがしみ出してくる。
「私は期待したんだ。妖精の可能性に。世間一般に知能が低いと蔑まれる妖精であろうと、正しい教育さえ施されれば人間と同等さらには超過するほどの知能が授けられるはずだ、と。これは、寺子屋の存続が危ぶまれようとも、何としてでも私が死ぬまでに証明したいと思っていることの一つでな」
「寺子屋が……〝あやぶい〟?」
「よく引っかかってくれた。難解な話についていけているな」
 アタイをためしたって言うみたいによろこびの色を見せた。
 そういえば、ここは教室。けーね先生は「教室だったら授業するのに」ってかんじのこと言ってた気がする。
 もしかして、これははじめての授業?
 先生はアタイに正しい言葉づかいを教えてから続けた。
「しかしチルノはすでに、〝少なくとも二度〟目撃している。『なぜ寺子屋は存続の危機に陥っているのか』という問題に正解するための証拠をな」
 先生は両手を広げた。
 いっしゅんアタマのなかがまっさらに冷えた感覚がした。だけどアタイは先生のヒントを見ぬいていた。
 少なくとも二度。アタイはもくげきしている。それをどうしてけーね先生が、その数を出しながら言うのかって言ったら、「アタイといっしょにそれの前にいた」回数がちょうど二回なんだ。どっちのときもいんしょうに残っている。
「ガッコウ、だっけ?」
 でもそれが寺子屋のソンゾクっていうのとどうかんけいしているのか、分からない。
「そのとおり。言ったことがあるだろう。近年の人口増加にともない寺子屋は手狭になってきたのだと」
「でもたしか、ガッコウは人間の子たちのためのものにして、寺子屋は妖精用の学びやにするみたいなこと、言ってなかったっけ」
「よく覚えているな」
 しゃべっていてだんだんと自信がなくなってきていたけどほめられたから合ってたんだ。
「だがそれには裏話がある。先生はこの街の教育に関してそれなりに任されるような役についているんだが、その学校建設の判断をしたのも先生だ。しかし、依頼先が変ににおう」
 けーね先生は目もそうだけど、声にも熱がこもっている。ズバッ、ズババッ、と、けっしてたゆまないでまるでその口からこの耳にまで糸がつながっていてちょくせつとどいて伝わるみたいに感じる。糸をつたうたびにビシッとせすじが正される。足がキツくても楽にするのをゆるしてくれない。
「昔からの知り合いに建設を頼もうとした。ここでは有名な腕利きの工夫《こうふ》だ。このたびも頼ろうと訪ねたのだが、なんと知らぬ間に倒産していた……つまり、知り合いの会社が潰れていたということだ。仕事の合間合間に行方を捜し、時に文を烏に握らせひと月経つ頃、そいつの会社が『河童組』に吸収されていることを知った」
「かっぱぐみ……」
「さらに、それと同時期にその河童組から話があった。知り合いを経聞きつけたのか──うちが引き受ける、とな。それも、予定より建物の規模を大きく造りも頑丈にかつ費用を格安にさらに迅速にするときた。河童組と言えば昨今幻想郷の趨勢《すうせい》を握っていると言っても過言ではない製造業や土木業の会社であり、たしかに技術は頼れる。だが向こうはとんでもないことに『寺子屋の敷地全域の〈土地権利〉を引き渡せ』と言ってきた」
「土地ケンリ?!」
 とちゅうから何を言っているのか考えれば考えるほど頭の回転がくるっちゃっていた。だけどその言葉。聞いたことある、ものすごく覚えている、あのおじちゃん。
「かっぱぐみだったのかな……?」
「まさか聞き覚えがあるのか、──本当にお前は逸材だ」
「イツザイって?」
「他とは違い優れた存在のことだ。お前は私の持論を証明するのにこれ以上にない逸材だったのかもしれない」
 他とはちがう。他の妖精よりもすごい存在。最強とか天才とおんなじ意味だ。アタイったらほんとうに──
「さて、話を戻すが、そのような傲慢な条件など到底呑むわけにはいかなかった。青々とした好条件に潜む害虫にしてはあまりに巨大すぎる。ただしこれというのは土地権利の譲渡のみに留まり寺子屋の運営は今まで通りにこちらで執り行えるよう計らうとしているんだ。では特に支障はないと? その顔は思っているな。可能性は色々考えられる。たとえば寺子屋敷地内に彼女らの研究施設を設置される。この場合、寺子屋の運営続行にあたっては騒音や有害物質の漏洩などの被害が見込まれ事実上困難となる。他に、この地下に何らかの有用な資源が埋没しているとして採掘を行う可能性もある。この場合は騒音の他に地盤の空洞化による陥没の被害が想定される。どれだけ向こうが快適さや安全に配慮していようと子どもたちの身に万一のことがあってはならない。されど、子ども人口の増加また将来的な飛躍を想定しての対応、学校にあてる人件費の工面、何より寺子屋存続の希望は私のただの卑見《ひけん》であるところが強いこと、様々吟味してみた結果、私はそれを良しとした。四か月ほど昔。契約はかくのごとく成立し、有効になった。私は妖精と人の子を分けることを視野に入れた」
 話はいちどそれで切れた。アタイは肩がはっていたのをちょっと楽にして息をした。
「さて、先生の話にはおかしなところが一点あった。チルノ、指摘してみろ」
 先生ってほんと鬼だ。
 レミリアも鬼だ。二人とも、ムリなことばっか言ってくるししょーだ。
 でも、その二人にがんばって食らいついているアタイはきっと、逸材だ。
「おかっぱたちに良いことが少ない!」
「不正解。河童組にも十分な利益が生まれる可能性はすでに話した」
「先生の言葉づかいがどこかまちがってた!」
「不正解だ。そんなちまちました問題ではない」
「妖精と人の子を分けるって言うのがそもそもおかしい!」
「どうして?」
 引っかかった。ガケぎわで伸ばした片手みたいな。
「だって、妖精はキケンになってもいいみたいな……」
「さてもさても。お前こそ、知りぬべきことなりや」
 今、なんて? 声がいやな色をしてひびいたのは分かった。
「妖精は飛べる。妖精は適応が早く有害環境にも容易く順応する。適応が遅れたとして致命傷を負おうと回復速度は著しく、最悪でも生き返る。親もいない。そもそも万一にしか起こりえない危害であるから妖精に関してはそう取り上げた問題ではない」
 そうカンタンに生きかえらない妖精もいるんだよ……!
 アタイはさけびたかった。だけどこらえなきゃいけないと思った。マンイチにしか起こりえないキガイにこんなこと言っても、チマチマしたことだ。口だけ閉じると、のどが「ぐ」と変な音を出した。
 つき落とされたみたいな。
「さて、今度はどんな指摘をする?」
「う。分かんない……」
 頭がどんぐりみたい。振るとカラカラなるほうの。白いムシに食べられちゃった。先生の話をむしゃむしゃと。
「あ、雪」
 そんな風にすら見えた。秋まっただ中のくせに。
「とうとう頭が参ったか。ならば、これは宿題とする」
「シュクダイって?」
 雪がやまない。いつの間にか、頭のなかのイメージがしとしとな雪ばかりになっちゃって、まともじゃない。ぶんぶんと振ったけど音はしなかった。
「寺子屋ではなく帰って自分でやる課題のことだ。チルノは一ヶ月ほどのお休みが明けるまでに答えを見つけておくんだ」
 そう言ってタクで筆を動かしだした。
「えっ、寺子屋やってないの?」
「もちろんやっている」けーね先生はきっぱり答えた「今回、万太郎君とのいさかいの様子を見て私は思い知った。いくら早い結果を出さなければいけないと言っても、チルノのお勉強はあまりに厳しすぎた。チルノを『チルノの通りに生きられない』(?)まま取り返しのつかないところまで独りで行かせるところだった」
 冷気をあやつる氷精。
 冷ややか、冷淡、冷笑、寒心、悪寒……
 冷たいは、酷い──
 ──どんな言葉にも良い面と悪い面がある。
 先生はそう言ってアタイをしかりつけた。アタイは、その意味が良く分からなかった。じゃあ「悪い」って言葉にも良い面があるって言うのか。そう返したら先生は笑ったんだ。
 これについて考えることもシュクダイにするんだって。
「先生は猛省している。とびっきり反省しているということだ。私のわがままでチルノを猛烈な、とんでもない修学環境に適応、慣れるようにさせようとした。そして万太郎君には良い薬を渡せたから心配はなかろうがつらい思いをさせてしまった。二人にはまったく頭が上がらない。だから、この初めての授業を結びとしてチルノを一旦放学とする」
 アタイの名前を呼んだ。近くに寄ると、紙を渡された。
「三つの宿題と共にな」
──一、じっさいのじょうきょうとくらべ明らかにおかしな点を指てきせよ。
 横にずらりと黒アリの行列がならんでいる。
「もしかして、これ、さっきの先生のお話?」
「そのとおりだ。字を書くのは得意でな」
 いつの間に。さっき筆を動かしはじめたばかりでどうやったらそんな早く、ていねいな字で正確にきおくから取りだしながら書けるんだろう。やっぱり頭が良い人ってすごい。
──二、悪いという言葉の良い面をせつ明せよ。
──三、ちるの通りに生きるとはどういうことか、りかいせよ。
「これ……」
「どうした? 想定より課題が一つ多かったか?」
 バレてる。アタイが先生の話を聞いていて「?」ってなったこころを読まれてる。それだけじゅうようなことなのかな。やっぱりやっぱり頭が良い人ってすごい。
 お外がさわがしかった。
 教室のしょうじの穴には誰の目もなくなって子どものさけび声がする。
「はてなぁ」
 先生は立ちあがってしょうじをがらりと横に開いた。
「雪だ! わあぃわあぃ」
「つもるかな、つもるかな!」
 一面のくもり空。ふりそそぐ、あわてんぼうな、白いカゲ。ふわふわでしとしととした。
 それは風にのせられて、赤くなるには早すぎる木にふれてそっと冷やし、子どもたちや妖精はあたたかい笑顔でそれを手のひらにそっとくるんだ。一〇月に入って間もない夕暮れどき。
「な……秋が神我らを見放てりとは」
 先生はめずらしく目をまんまるくした。青白のおかみの前をおさえて固まっている。「紅葉の錦神のまにまに……」
 それよりもアタイは、冷たい雪をあたたかい笑顔で追いかけてむかえるみんなを見ていた。

 七

 素敵な夜。さあ散歩に出かけましょう。
 体のししょー、レミリアはアタイの手を引いた。けーね先生とさよならするときにはまっくらな夜空が広がっていて、まっしろな雪の中を飛んで帰ろうとしたら呼びとめられたんだ。待ちかまえていたみたいだけどぐうぜんだって。
 レミリアの上にはうすいピンク色の丸いかさがさされていた。でもレミリアはかさを持っていなかった。
「だれ? その人」
 まっかなおかみの女の人がそばでかわりに持っていたから。背が高いせいで雪がたまにうちがわに入っている。
「ホォン(二)・メイ(三)リィン(二)、よ」
「ほぉん(一)・めい(四)りゅぅんぁ(二)、さん?」
 なんだろう。短いのに名前の音の風味がへんてこでよく分からない。レミリアの名前を聞いたときとニテヒナルかんしょく。
 レミリアはくすくす笑った。
「ね、分かりづらいでしょう。わたくしもそう思ったのよ、だから『ホン(一)・メー(四)リン(軽)』で十分でしょってこのめーりんに言ったのよ。そしたら──」
「お嬢様、深みが足りません。敵の懐に踏み迫るように『Měi』と沈み、渾身の一撃を突き上げるかのように『líng』と発してください」
「──って言ってくるの」
 二人は小さく笑った。けっきょく、めーりんでもいいらしい。アタイのリボンをかわいいってほめてくれた。
 めーりんは目が横にすごく細くて背も高いしカッコいい生き物がおどるみたいな草色の服を着ているし、どっちかって言うとオトコマエで怖い気がしたけど声はやわらかいし笑うとにゅって表情がくずれてあったかい感じがした。
 立ち話ばかりはアレだからって、アタイたちは大通りを歩きだした。かさを持っためーりんがアタイとレミリアの間に入った。つばさ、雪、のっけてる。
 まっくらな時間でも街の光がいつまでも照りつけてお昼を長くする。ひとつ昔を思っても、夏のいちばんお昼が長い日よりもみんなは〝お昼〟をたっぷりタンノウしている。こんなに明るい夜道はなかったし夜道に子どもはいなかった。でもこの秋の夜道には子どもは遊び、雪をつかまえている。
 夏をたえて、秋をこえて、冬にやっとの雪を見たとき、アタイはどうしたっけな。
 今はもう、気分が上がらない。風が寒そうな音を立てて吹くと、道沿いの店の中から不安そうに見上げていた人たちがメイワクそうに凍えて身を抱いた。レミリアとめーりんはゼンゼン平気そうだった。
「雪の地面に紅葉が埋もれてディナァの彩りを見せたり、紅葉が雪をちうと吸いつけるのは見られても、まだ幼き青い葉の群れが浴びることになろうとはアンビリーバブゥな色合いだわ」
「ならば雪の一滴一滴はお酒の雫になりましょうか」
「ここには酒豪は無いのね。みな近くに、赤くなるのよ」
「ですが元はいただかずとも赤くなる運命にあります」
「紅葉は天候に寒気を見つけてなるものよ。酒気で酔う者があるでしょう。若き葉の一枚は寒気をたっぷり呑み落とし意識を混濁させ赤らみになり、枝を掴む力も失くし、ふらりふらりと落ちゆくのだわ」
「左様でありましたか。さすがはレミリアお嬢様。ご識見《しっけん》にご洞察がいっとう深くございますようで」
 また二人だけ笑った。
 まったく分からない。けーね先生とか色んな人のお話を聞いてけっこう分かるようになってきたけどレミリアとだけはいっしょう上手くしゃべることができない。なのにこの人、ちゃんとついて行ってる
「ね、めーりん」
「どうしましたか、チルノさん」
 チルノさんなんて初めて呼ばれた。めーりんはしゃべり方がとろんとしているけどドキリとする。
「えっと、どうしてレミリアのこと、レミリア〝おじょうさま〟って言うの?」
「それはこの身がレミリアお嬢様に従うべき存在、すなわちお嬢様の従者であり敬い尊ぶからに他なりません」
 じゅうしゃ。重いひびき。漢字でどう書くのかきいたら教えてくれた。従う者。友だちとはちがうのかな。
「従者って、友だちよりも上? それとも親友よりもさらに上?」
「面白いコト訊くのね」
 レミリアは腕を組んでくちびるに指先をちょんとつけて楽しそうにつぶやいた。
 めーりんが答えた。
「比べるのは難しいことです。従者は主の手となり脚となり命令をこなし、主を強く想い寄り添う、親友以上の可能性を秘めていますが、主からの親愛の想いには差があり、御恩と奉公を回す矢印だけの冷たい関係に落ち着くこともあるでしょう。それは友達以下と言えます」
 御恩は主が従者にしてあげること、奉公は従者が主にしてあげることを言うらしい。
「じゃあアタイもレミリアの従者、なのかな? だって、レミリアが教えることにアタイいつも従ってる。これって御恩と奉公でしょ」
「奉公は?」
 めーりんにきかれて首を……頭を、ひねる(どっちだっけ。どっちでもいいんだっけ。でも頭をぐりんとひねるのっておかしいからひねるとしたら首かな)。
 従ってあげることが奉公なのかと思っていた。もっと大きなおしごとをしなきゃいけないみたい。レミリアとアタイは「師弟関係」だって。レミリアとめーりんは「主従関係」。
「じゃあ師弟と主従だったら、どっちの方が良いかんけい?」
「こだわるわねえ」レミリアが言った。
「だってだって、レミリアといちばん仲が良いのはアタイだもん! アタイがレミリアといちばんさいしょに出会ったんだもん! もしいちばん良いかんけいが友だちよりも師弟よりも主従なんだったら、アタイはこれからレミリアのこと〝レミリアおじょうさま〟ってよぶんだっ」
 アタイはくやしかった。レミリアと仲良くなるためにがんばっておしゃべりしてきたのに、急に従者が現れてすごく楽しそうにおしゃべりしているところが、見ていてくやしかった。
 レミリアはめーりんのかさから抜けた。アタイのふくらませたほっぺたに長いツメをそえて、ちょんとつついてほほえんだ。
「アナタ、わたくしのメイドになりなさい」
「ねん土?」
「メイドよ」レミリアはアタイのまわりをまわってお手てをにぎった。
「背もわたくしと同じくらいだし。この青みなら控えさせて、ひときわ威光を浮き出せるというものよ。そうそう。なにか未だ足らないと思っていたわ」
 レミリアはたしかに前の人生のことをキッパリ覚えてないけど、あったはずのモノがない、って足らない感じとかイワカンがするみたい。おしゃべり相手の従者がいた気がするからめーりんをどこかから見つけだして従者にした。そしてアタイは──
「アナタとおんなじ背丈をしてわたくしに〝ベタ惚れ〟で忠誠の厚い可愛いメイドがいたのよ。身近な遊び相手だったわ。この記憶の残骸が正しければ」
 雪がやんでいた。雲が少し晴れて、星は見えない。
 いざか屋さんがならぶロジに来ていた。変なニオイ?
「レミリアおじょうさま。なんか、ヘン」
「なによ失礼ね。あと、『です』よ」
「ヘン、です、ってのはレミリアの、レミリアおじょうさまのことじゃなくまして、このまわりがヘンな、ニオイ? ってこと……あ、ですっ」
「雪が降りやんだわね。お酒のニオイを嗅いだことはなくて? わたしくはワインの芳醇な香りが鼻もとにすら思い出されるわ」
「お嬢様、厳戒なさってください」
「めーりん?」
 めーりんはかさをとじてアタイに持たせた。
「なにか、〝邪気〟を感じます」
 そう言ってお顔をぎゅっとにらませて、マトはずれなところをながめだした。
 変なニオイのしょうたいが分かった。
 なんでマトはずれなのかって言うと、アタイにはまる見えだったから。
 目に見えなくても、耳に聞こえなくても、アタイの「心の眼」にはバレバレだよ。
「レミリアおじょうさま」
「チルノ?」
 アタイはかさをもういっかい開いておじょうさまにさしだした。
「あぶないますから、もちください、ですっ」
 心の眼に見えているのが、ニオイなのか熱なのか知らない。どうだっていい。前までできなかったことができるようになったんだ。アタイは成長したんだ。強くなったんだ。
「……もーいーちょろっ?」
 アタイはオマエらとはもうちがうんだ。サニー。スター。ルナ。
 お祭りの日から、みんなはアタイにイタズラをしかけてくるようになった。サニーの光を自由に曲げる能力とルナの音を自由にあやつる能力を組みあわせれば、気配を消して色んなことができちゃう。たとえば、買ったばかりのおだんごをぬすんだり、お昼寝ちゅうにそばまでこっそり来てバク音を鳴らしておどろかせたり、ひどいときはお店の商品を外にいるアタイの手ににぎらせてドロボーあつかいにさせたり。
 もうごまかされないよ。
 おじょうさまにかさを取らせ、先にあるいざか屋さんのひさしの上に向かっておっきく声を上げた。そのとき。
 ──ギュンッ。
 だれもいないはずの空中から赤白い光がすっ飛んできた。アタイの顔に。腕を小さく振りかぶって「らあッ!」はじき落とした。地面に穴があく。レミリアのまね、してみたけどしなきゃよかった。いっしょうでいちばんの痛みだ。ズガンッ、そしてジンジンとくる。強い人ってほんとうにすごい。
 がんばってたえて次の弾幕をけいかいした。
「な、そこかッ」めーりんはいまさら声を上げた。
 すると、キラキラと、たくさんそこから飛びだしてきた。弾速は遅い。こっちも弾幕を展開してハンゲキだ。
 だけど、それは思っていたモノじゃなかった。
「危ないッ」目の前をかさがおおった。
 ──ピシャンッ。
「いっ」
「あっつッ!」
 あしのはだに当たってモーレツな痛みがした。肩にふれたかさのえからすさまじいシンドウが伝わってくる。
「どういう……熱湯? まさか酸じゃないでしょうね」
 うたがうささやきが耳もとでした。ねっとう? レミリアに守られなかったらどうなってただろう。
 考えるとどうじに、ようやく声があらわれた。
「──なんじゃってん! あなんおんなん子、かさでからいちゃってん!」元気なサニー。
「あたぁ、だーれあん子? チルノちゃん、あったらきぃトモダチ見ぃつくばったとなん」おっちょこちょいのスター。
「こらいとき見ぃつったかん……トモダチけー? あろぅチルノちゃんちゃなったなー。はーりゃーだーれぇあん子っほんにぃだーれー」こわいこわいルナ。
 遠いせいじゃない。もうアタイには、みんなのおしゃべりがうまく聞きとれない。ただ、たぶんイタズラがうまくいかなくていらだっている、と、なにかの理由でアタイを馬鹿にしている。アタイのことがキライというふんいきはイヤなくらい、いつだって、冷たく伝わった。
 そう。燃えカスは冷たいんだ。燃やしつづけたユウジョウがあったとして。
 敵をたおすためにアタイは飛びだした。
 横からキョウレツな風がなぐりつけてきた。
「うぎゃああ!」打ちあがるさけび声。
「だ、ほんにだれぇー!?」あれ。
「──────っ!」なんか、キシカン。
 さっきまでそばにいたはずのめーりんがひさしの上の三人をまわりの建物よりずっと高いところまでふっ飛ばしてお星様にしていた。速い。下手したら、レミリアより。アタイは飛びだした体勢のまますとんと地面におりた。
 ガランッと音がしたのは見えなかったはずのバケツが落ちる音だった。
 めーりんもシュタッとおりてすぐ、おじょうさまの前に行って、ぬるい地面にひざをついてかがんだ。
「申し訳ありません。妖精相手に索敵に手間取り対処し損じました。気を探ることを得意としていながらまったくの不覚でございます。お嬢様、お怪我は──」
 でも、言いおわる前にめーりんを置いて、なんとアタイの方に来た。
 その表情は、見たことあった。
「アナタ」
 この人が初めて幻想郷に来たときだ。
「本当に妖精?」
 ──それから、なにごともなかったかのようにアタイたちはキロをたどった。
 レミリアおじょうさまはよくおじゃべりの話題をころりころりする。そんなしゃべり方だから、イタズラされて沈んだ空気もパッと明るくさせるのにたいして時間はかからなかった。知り合いらしいけどあの子たちとはどういうかんけいなの? イジメられてるの? とかきかれたら、さすがのアタイでもうまく答えを考えることができない。だけどいつの間にか、ふだんどおりの会話になっていた。
 むしろ、二人に手を振って帰るのでもいいと思っていた。
 じっさいにはめーりんだった。先に帰ってなさいって、言われていた。でもめーりん、手を振らなかった。もういちどキツク言われてようやく、めーりんは手を振るかわりにグッとにぎって両手を合わせ、目をつぶって体の上をおおげさなぐらい前に振りだした。一回だけ。なるほど、従者はレイギを示すために手じゃなくて大きく体まるごとを使って振るんだ。
 めーりんが去ったあとためそうとした。そうしたら、おじょうさま、寒いって言いだすんだ。
「ねえ、コゥトを買うのに付き合ってくださらない」
「こぉと……?」
 笑いながら手をひかれると、なにかなつかしい気がして。ロジから明るい大通り、大通りから人ごみのよこちょうへ。おようふくのお店に着くと、もうすぐしまるころみたいで中はがららんとしていた。
「え、おじょうさま、ルーミアのことキライなの?!」
 歩いてきた道のりのようにくねくねと、気がつけばこんな話題。話していて、アタイがていねいなしゃべり方するのキモチワルイって言うから、呼び方いがいいつも通りにもどった(ほんとうにしゃべりづらかった!)。
「言うほど厭いはしてないわ。向こうから勝手に顔を顰《しか》められるのよ。たまにね。このスカーレットとブラック、どちらが似合うでしょう?」
「ルーミア、やさしい女の子だと思うぞ。二人っきりでお話したことある?」
「はっきり言って無いわね。それ関しては、こちらから願い下げよ。ねえ、どう思う?」
「なんで……ん、なぁに?」
 レミリアがぐいぐいとおようふくを寄せてくる。
「どちらがわたくしにマッチしているか訊いているの、さっきから」
 タテながの置き鏡に目をうつしてみると、おっきなリボンを手に持ってアタイを見つめて大ちゃんが……えっ。
 びっくりして目を元にもどす。
「なによぅ。躊躇《ためら》っちゃって。素直にアナタの気に入ったのを指させばいいの。アナタ、素直な妖精ちゃんでしょう」
 むすっとしたお顔のおじょうさまがかたっぽのコォトをためし着している。
 気のせいだ。
 おかみのうしろにふれてみる。深い青色のリボン。鏡をのぞくと、それはぴったりとして、おおきくアタイの頭をうしろからがっしりつつむかのように、支えてくれる。はじめはキュウクツな感じもしたけど、今じゃキツくしめつけるようなハグみたいな、あったかみがするんだ。
 ──待ってて。何十年かかっても、ただの心配のしすぎだったとしても、アタイはがんばるから。
 こころでつぶやいた。
「そのすかーれっとって方、に合ってると思う」
 深い赤色はレミリアのむらさき色のくしゅくしゅしてきれいなおかみとうるうるな赤いおめめと雪のようなすべすべの白いはだにとってもまっちしている。まっ黒いのもいいけどちょっとうるさい感じがするし。
「それじゃあ、これにしましょう」
 ふふんとじょうきげんにしている。となりから、女の店員さんがやってきた。
「あ、お客様、そちらでお決まりでしょうか」早口なのは閉店の時間だからかな。
「ええ、くださるかしら」
「ご立派なお翼をお持ちのようですが、『翼の口』の幅の調節はご入用でしょうか」
 おつばさってなんだか変。つばさの口は、そで口みたいなもの?
「翼の口……ああ。結構よ。快適だわ」
「かしこまりました。ではコートをお預かりいたします。こちらへどうぞ」
 店員さんはお会計まで案内する。レミリアはアタイに話しかけてきた。
「きっとわたくしの第一の人生の手続き記憶なるものがこの深層に働いているのね。そこの人生では翼の口のない衣服を着るのに両翼を気にすることなんてなかった。だって翼が無いんだもの。けれど、その記憶のまんまこの身が気兼ねなく着衣してしまえるなんて、ここのアパレル業界は発展しているのね」
「へー」
 アタイに第一の人生第二の人生なんて考えようがないせいか、レミリアの言っていることがあまり分からなかった。
 店員さんはスカーレットのコートをていねいにていねいにたたんで台の大きな袋に入れようとしている。
「そう言えば、さっきの話に戻るのだけれど」
 ころり。どんぐりみたいに軽く。
「ルーミアをわたくしはどうしても好きにはなれないの」
 たしかに、そんな話してた。いつもひとつの話に夢中になってだいじな話も忘れちゃう。
「気になってた! どうしてなの?」
「それこその話。彼女は第一の人生の〝イケナイ記憶〟をつついてくるの。わたくし、あの幼き妖魔を夜光の下眺めれば眺めるほど、この冷えた血がガソリンになったがごとく一刹那ずつに全身に帯びる焔《ほむら》を焚くの。宿縁があるのかもしれないわ。もし仮にあの子にも別の人生があったなら──」
「お待たせいたしました」
 袋をさしだされる。受けとってアタイたちは出口へ向かった。
「ありがとう。──それは交わっていて」
「ちょ、ちょっと、お客様ッ! 代金を……」
 お会計のところから身を乗りだす店員さん。「え」アタイはレミリアを見た。レミリアもアタイを見た。
 これもレミリアのテツヅキ記憶だった。レミリアおじょうさまはお買い物をするときはいつも従者といっしょで、お会計のときに商品のホウソウがされて渡されたらすぐに取ってその場をはなれてあとのことは従者に済ませてもらう。それが第一の人生のおじょうさまだった。
 アタイのほうも、レミリアのお話にやっぱり集中しちゃってお代金を払うことなんか頭からすっ飛んでいた。
「レミリアおじょうさま、お金は?」
「夏祭りから変わりないわ」
「だよね!? えっと、店員さんっお会計いくら?」
「お会計一三円五〇になります……」
 高っ。おようふくひとつでそんな値段するんだ。いつものおだんご屋さんのおだんご、一〇〇個は買えちゃう。
「分かった」
 服のポケットに手をつっこんでかきまぜすくい上げる。おさいふとか買わないから雨でぬれたりしてくしゃっとしてるのもあるけど。
「ひー、ふー、みー、よー」
「アナタ、払えるの?」
 視界のはしっこ、今日いちばんこどもっぽい顔な気がした。
「ちょっと前まで、はたらいてたから。もうやめちゃったけど。こー、と、いー」
 お賃金はひとばんじゅう川で天然氷を作りつづけて一円札三枚から良いときで五枚(近い日の氷の売れぐあいとその日の氷売りのおっちゃんのキゲンしだいですごく変わる)。今思えば、あんまりいいおしごとじゃなかったかもしれない。おっちゃん厳しかったし。ひどいとぶたれるし。でもアタイの作った氷が信じられない暑さの夏に幻想郷中の人たちのためになっていると思うと、悪くない気がしたんだ。そのころは帰りに街に寄って大ちゃんと駄菓子とかおだんごを買ってまわっていたけど、逆にそれくらいにしか使わないからイガイとたまってきていた。──パチッパチッパチッ、パチンッ。もう一円と二〇しか残らないけど。
「みー、と、ごじゅう。はい、ごめんなさい、店員さん」
「いえ。お買い上げありがとうございます」
 外は風がいっそうびゅうびゅう鳴ってまわりを見ると、きっと秋とは思えない寒さなんだと思う。雪はあの一回だけだった。
「おじょうさま、着ないの?」
「着るけれど」
 着方が分からないとかじゃない。さっき自分で着てたし。なぜかえんりょしている。
「そう言えばこのかさはどうしたの? めーりんが払ってくれたの?」
「そうね」
 手にしているかわいいかさはよごれひとつない。こんなおおかぜの日に、おおぞらに吹きとんでぷかぷかとただよう小さなかさを見たことがある。とても楽しそうに楽そうに浮かんでまわるんだ。アタイも今ここでかさを広げたらそんな風に飛べるかもしれない。なんて、想像しちゃったり。
 レミリアはコートをしっかりはおった。袋はしっかり受けとる。大きいからかさを入れると運びやすいかも。アタイったら、頭良い。
「わたくし、吸血鬼なのねぇ」
 ころり。街からはずれて、畑げしきの小道に来た。
「そうじゃないの?」
「そうよ。その通り。なのに、未だ血の一滴も食したことがないの。人並みの食事すら必要としないのだわ。あまりに不気味なる身体よ。それでいて頑健で敏捷、さらに頭がひどく鮮明なの。思考力があるなんて程度じゃないわ。何の滞りもなく回転し、回転し、回転し……何かの理の限界値を超越したかのように、いっとき『未来』が見えるの」
「すごいじゃん!」
「恐ろしい能力よ。役に立つこともあるけれど。ここから戻って南の道を進んだところに布施屋《ふせや》があるでしょう。お食事を配給してくださるから有難いの。わたくしもこの期に及んでは貧賤の民なのだし、たまに口が淋しくなった夜に訪れてね、そこで初めてめーりんと出会ったの。話すよりも、見た瞬間、わたくしには彼女と話の馬が合う未来が見えた。運命を感じたのでしょう、けれど運命のスコアというモノがあるとするならわたくしはこれを奏でるのを聴いたのではなく直に見たのよ。実際にいささかの雑談に興ずれば、間違いなかったわ」
「コート、あったかい?」
 ころり。アタイもマネして。
「……ええ。本当に助かったわ」
 コートに手をかくれさせてすりすりとこすって、それをほっぺたに当ててあったまっている。役に立っているみたい。誰かにモノをあげて助けるのって本当に気分がいいや。
「へへっアタイ、奉公したんだぞ。アタイとレミリアおじょうさまはもう主従なんだから、おじょうさまから御恩がないとダメなんだぞっ」
「なっ、メイドの立場で生意気よ。だいたい普段から色んなワザを教授しているのだから、それが充分御恩よ! 御恩過多と言っていいわねっ」
「えー!?」
 叫びが風になり、畑を抜けた向こうの木々がゆれた。
 これがメイド?
 ただの友だちと何が違うのか、分からない。
 従者とか、メイドとか、弟子とか、どれがいちばんなんだって考えるより、ただ親友だよ、って言いたい。アタイは、となりにぶらさがった手をにぎった。
 とろり。そんな心地がして。
「まったく、素敵な夜。そんなにわたくしが」
「好きっ」
「……果てしなく素直だこと」
 先に言う言葉を読んで叫ぶとレミリアははずかしそうにした。
「今度ね。家を建てることにしたの」
 別れぎわ。風の色が変わる気がした。
「夜もすがらこの郷里を旅してアナタに教えを施して、あの洞窟に帰る暮らしは心が躍るものだけれど気が楽じゃないわ。わたくしにはしっかりとした我が家がなければならないの」
「でも、お金は?」
 アタイがきくと、レミリアはポケットからお金じゃないもの、四つ折りの紙──チラシを取りだした。
「めーりんが発見したのよ。外来者──つまり、わたくしのような者は特定の条件を満たせば『家が一軒無料』なのだと」
〈【外来者必見】随時応募可! ・幻想郷外よりお越しの方 ・幻想郷外へ出た経験がおありの方 マイホーム一軒無料!?!?──── 詳しくは河童組本局へ お電話:…… 地図:……〉

 八

 次の日の朝早く、アタイは本屋さんに行った。
「ねえ店員さん、辞書ってどこにおいてある?」
 男の店員さんは読んでいる本から顔を上げると、おまゆがくにゅっとひしゃげた。
「重しなら向かいの雑貨屋さんに売ってあるだろうよ」
「重しじゃないよ、辞書っ。しらべものがあるんだ」
 今日は朝に、けーね先生の出した宿題をする。分からない漢字や言葉がたくさんだからそのために本屋さんに来た。それで昼ごろからは博麗神社に行ってそうどう(今は異変って言う人も多いみたい。おだんご屋さんのおばちゃんから聞いた)の解決の進みぐあいを聞く予定。もっと早くに聞きに行けばよかったと思うけど、霊夢も霊夢のおかあさんも、はじめてのときのこわいイメージがずっと残っててシリゴミしちゃっていた。食タクを囲む二人はとってもゆるうくおだやかに見えたのに、アタイとせっすると特におかあさんのほうはツララでずっと胸をついてくるみたいなたいどになるんだ。だけど、もうアタイは弱くない。体のししょーとアタマのししょーにみっちりきたえられたんだ。こころのししょーはいなくても、アタイは強い。アタイったら最強。アタイったら天才。
「どうしたの? あなた」
 おくの部屋からずきんをかぶってお料理とかおそうじするかっこうの女の人が出てきた。フウフらしい。ダンナさんが事情を話した。
「どうするかい、おまえ」
「妖精が真面目ぶってんのが逆に不気味だねぇ。アンタ、文字は読めんのかい」
 ふん。アタイは両手を腰に当てた。
「当たり前だぞっ。寺子屋でけーね先生にまい日ジキジキに教わってるんだぞっ」今はホウガク中だけど。しかも教わったかって言うとビミョー?
 こころのつぶやきはおいといて、二人は口を「お」の形にして目をおっきく開いた。
「上白沢慧音、あの偉大な教育者が直々とは……羨ましい。あそこの寺子屋じゃ理事に携わると聞くが実際に教鞭も振るってらっしゃるのか」
「それを知ったりゃ、ウチの娘にも通わせたかったもんですよねぇ」
 オカミさんの言葉にはひと味ちがう感情が入っているような。
「さてな。馬鹿な妖精に感化されてウチから気づかぬうちに旅立たれるやも。ほれ、数年前どっかの道具屋の店主の長女が家出して行方をくらませたとか。あったろ。ちょうど今のウチの子ぐらいの若さで、しかも家督のはずだった。そのようなフリがウチにもあっちゃならん。アレは『鈴鈴堂』の家督とはなから決めている」
「馬鹿はどっち。この親馬鹿。可愛い我が子を箱に入れて愛でたいだけでしょう。目の前の妖精のほうがよッぽど聡明そうでござんますっ」
 くるっと視線をはずしておくの部屋にもどっていった。
 ダンナさんはくちびるを丸めてなにかつぶやいていた。
「見苦しいところを見せた」それからあやまった。「辞書はあっちの角の棚だ。店ん中で使うならここを通す必要はないが貸し出しなら持ってきてもらう。店のテーブルや筆記具なんかも自由に使ってくれてかまわないが、書物に書き込みをするとかはご遠慮いただく」
「お店の中で宿題してもいい?」
「もちろん」
 ちゃんと許可取れた。えらい。
 けーね先生ってほんとうに有名なんだ。けーね先生のせいとってだけで信用してもらえた。
 今日も外は寒いらしい。アタイには能力のせいでやっぱり分からないけど、他の人を見れば分かる。逆に、店の中はひどいくらい暑い。そのことに、この店主さんも他のお客さんも気づいてないみたいに見える。
 店のすみっこの棚はぶ厚い本でいっぱいだ。辞書って言っても色んな種類があるみたい。アタイが使ってたのは『幻想郷なんちゃら辞典うんちゃら』だったけど、おんなじのはあるかな。
 ──しゃん、しゃん……
「何かお探しですかっ」
 スズが鳴るのといっしょに元気な声が聞こえた。肩ごしに見てみる。
 赤毛に、笑顔……
 すぐに身を引いて、攻撃にそなえた。
「あぇ? ど、したんです?」
「……サニー。じゃ、なかった」
 ──りん。その女の子が首をかたむけると小さく鳴る。
 昨日のイタズラがあったからか、ちょっとまわりにビクビクしちゃっていたみたい。よく見たらカッコウがぜんぜん違う。メガネもしてるし、おんなじ赤っぽいおかみでもお飾りはリボンじゃなくてスズになっている。においはとっても落ち着いた感じだ。
「えっと、宿題したくて。辞書がほしくて」
「宿題ですかっ。手伝いますよー。言葉を調べるなら用字辞典でしょうか……どんな用途ですか」
 女の子はすらすら話しながら短いかいだんみたいな台を持ってきててきぱき準備した。
「うんと、漢字とか言葉しらべたくて。あの、『げんそうきょうよーじるいじゅーじてんなんちゃらたん』みたいなのってあるか? よく使ってて」
「えっ、あの辞書ですか!? ずいぶん大人向けと言いますか、お古な様式のをお使いになっていたんですね。最後に改訂されたの、確か百年も前ですよ」
「カイテイって?」
「もう一度見直して、間違っていたとこを正しくしたり、表記を現在に合うように改めたり、内容を新しく追加したりすることです」
 けーね先生が渡した辞書は、百年も昔の人たちのために作られたもので、今の人たちにとってはひどいくらい読みづらいものだったらしい。女の子は、お勉強を始めたばかりの人でも使いやすい用字辞典を選んでアタイをテーブルに呼んだ。
 女の子の名前は、本居小鈴。あのフウフのむすめだって。見た目にしては……言葉づかいが気になる。
 移動しているとき、フウフの〝フウ〟のほうが棚の本のすき間からアタイたちのことをのぞいていた。目線を合わせるとよく分からないひらひらがついたぼうで近くの棚をはたきだした。
 小鈴はたくさん言葉を知っていた。分からない言葉を言ったらすぐに分かりやすいように返してくれる。まるで小鈴じたいが用字辞典。それはすっごくありがとうなんだけど、けーね先生式と違ってものすごくあっけないしせっかく辞書があるから、分からない言葉は自分で調べるようにした。小鈴が選んだ辞書は漢字にるびがあるからなんいどが急に下がった感覚だ。
「チルノさんって、訛り、すごいですよね。妖精さんだから?」
 鈴の音、紙の音にまじって、質問が来た。初対面だけど、小鈴はおしゃべりが上手で少し話していたらもう友だちだ。
「なまりって、何?」
「言葉を話すとき、普通の人と違う発音の音程やリズムをすることですっ。一方、出身地の違いなどによって使う言葉自体がしばしば普通と違うようであれば方言と言います。方言には気づいても、訛りに気づかない人は一定数いるんですよ──って何かで見ましたっ」
 じゃあレミリアおじょうさまが「ごぅじゃす」「のっくぃでぃかぅ」って言ったりするのは方言で、コートのこと「こぉと」って息づいて言ったりするのはなまりなのかな。でも、アタイもなまりがあるの?
「チルノさんは、ちょっと発声が鼻にかかりがちで、『だ』が『ら』に近くなったり『い』が『え』に近くなったり、そうですね、『しゅくだい』が極端に言えば『すくらえ』のように聞こえます」
「そうなんだ」
 知らなかった。おしゃべりするときにアタイはだんだんと考えるようになってきて、(ルーミアほどじゃないけど)言葉につまることが増えてきた。自分のおしゃべりに意識を向けるようになった。それでもアタイは他の人と話し方が違う、なまりがある、だなんてまったく気づかなかった。
「わたしはあんまり外に出ないし、また妖精さんは外から滅多に来ず、けっきょく書物の中でしか出逢うことはないのですが、妖精さんは、しばしば冷ややかに見られているそうですね」
 冷ややかって見たな、あの辞書で。
 ふと、お店の中のひばちが目にとまる。中が暑いのはたぶんこれのせい。
 ──「悪い」に「良い」があるとして、「冷ややか」に「あたたか」はあるのかな。考えがそれ以上進むことはなかった。
「──で、今はっきりしましたっ。妖精さんが舐められちゃうのってきっと、ただ馬鹿だからじゃなくって、馬鹿っぽくしゃべっちゃうからです。だって、こうして話していてしゃべり方はよそにして、内容はしっかり賢く聞こえますから」
「じゃ、アタイはホントは、かしこい馬鹿ってこと?」
「だから、馬鹿じゃないですって」
 いきおいよくイスを引いて言う。だけどうまく引けてない。
「ぬおっと」
 さっきの店員さん、小鈴のお父さんがアタイたちの後ろにまで来ていたみたい。ひらひらつきのぼうといっしょに腕を組んでいた。小鈴はまるで見えていないみたいにタッタと本棚の間に鈴の音と消えていった。
 口をぱくぱくさせて、何を話そうかって感じ。
「キミは、氷の妖精かい」
「うん、まあそう」
 しゃべりづらい。こっちも、向こうも。
「あー、(チュとくちびるをはじく)今年の冬入りは早いようだけど、氷精にとってはうれしいもんなのかね」
「うれしい、と思う。暑いのはニガテだから、冬がいちばん好きだし。でも良くないことみたいな気もするんだ。自然がおかしくなっちゃってるから。小鈴のおとうさんはどう思う?」
「出来た妖精なもんだ。そうだね。不思議な天気なだけに留まるならけっこうだが、今年は食糧の貯蔵が厳しかろうて。こう気候が荒れたりゃ来年もまた不作が危ぶまれて難儀するだろうし凶年は今年いっぱいにしてほしいもんだな」
 きょうねん。農作物がぜんぜんとれない年のこと。
「巫女の代交代が節目になってくれればいいが」
「ん?」ミコノダイゴ―ダイ?
 ──しゃんしゃんしゃん……
 今、なんて言ったんだろう。
 だけど鈴の音が近くなって。
「おっと。妖精がもの珍しくてね、少し様子を見たかっただけだ。まあ、アレとは仲良くしてやってくれ」
「チルノさん、お待たせしましたっ」
 小鈴と小鈴のおとうさんがかわりばんこだ。こんどは小鈴がなにかたくさん持ってきて見せてくる。
「チルノさんをより賢く見せるためには辞書よりもこっちのほうが役立ちますっ」
 あざやかな絵がかいてあるうすっぺらな本。何個もあるうちの一個はいたずらっぽいお顔をした男の子(女の子かもしれない)が表紙にかかれていた。小鈴はテーブルの上に開いた。

  むかしむかし。地面のずっと、またずーっと下の方に、オニがたくさんひしめく巨大な巣窟がありました。オニたちばかりが騒ぐ、こわーい住処です。

オニはお酒がだいすき。
大将っなまイッチョウ! 通りのあちこちから聞こえてきます。
よしっ。今からあの一点モノのお酒をかけてしょうぶだ!
のどが渇いたなあ。はい、お酒をどうぞ。
ういー。もう飲めないや。トクトクトク。うぎゃあ、まだ飲むの?
良い子じゃ良い子じゃ。たんと飲みなはれ。愛猫家のオニも言います。

「じょうずだっ」
 アタイは思わず声に出していた。
「わたし、お父さんとちがって本は声に出して読みたいタイプなんですよ。この『オニとサトリ』はもう百回は音読しちゃってますっ」
 本を誰かに読んで聞かせてもらったことはなかったけど、それでも小鈴の読みが落ち着いておじょうずなのはよく分かった。小鈴は声がちょっと小さめだけど、とっても上品でなめらかな言葉づかいなんだ。
「チルノさんも、絵本は漢字にルビ振ってますから読みやすいし、たくさん音読すればよどみない標準語で話せるようになりますよきっと」
 小鈴はアタイのちゃんとした言葉づかいのために協力してくれた。そういうのを矯正って言うらしい。
 矯正はすごくしんどいものだった。ハナ声っぽい(それ以外のしゃべり方を知らないんだけど)のを何度もおんなじ言葉を言ってなおそうとしたり、絵本の続きをこんどはアタイが読んで「です」とか「ます」とか「ください」とかていねい語の発音もまた矯正させられたり(もうしばらくいらないと思ったのに!)。ぜんぜんうまくいかなくてクラクラする。とちゅうでフウフのフの人がお茶とあまいおかしを持ってきてくれて助かった。
「まあまあ、これからですよ」
 もうお昼になるから、そう言っていったんおわることにした。
 アタイは天才なのに。こんなうまくいかないの、なっとくいかない。
「天才なんだから、ほんとはヨユーなんだぞっ」
「あはは」笑って、本をしまいに行った。
 そのとき、なんだか全身がイヤに熱かった。言わなきゃよかった。
 小鈴のお母さんがさっき来たついででアタイはお昼ごはんにさそわれていた。おくの部屋から体じゅうにしみこんでいくようないいにおいがただよっている。おだんごとか木の実ばっかしになれてきたからどんな味になのかちょっぴり不安。人の家のごはんなんて食べたことない。
 だけどせっかくのおさそいだし、ポケットはほとんどすっからかんだし、寒くなって危ないと思ったのかアタイの知ってる場所の木の実は色んな動物にいっぱい食べつくされちゃったし、
「ごはんいっしょにたぁべよっ」手まねき。
 いつの間にかすっごく仲が良いし。
 アタイはついて行く。
 そのとき、ふいにネコのけはいがした。
「ああ、どうも。こんにちは、マさん」
「返すぜ。かあっ、やっぱ魔導書はおもしれーな」
 いくつもの棚をはさんで、カウンターの方から聞こえる。
 店員のお父さんと、お客さん。
「女の子が『かあっ』とか言わない。それとも外の世界では言うのかね」
「だっから外来人じゃねえよ。名前がそれっぽいのかもしんねえけど。里生まれ里育ち。あのきんめぇ鉄塔が建つ前からしっかりここに根づいてたワケだ」
「真否はともかく、鉄塔がきんめぇは同じ里心のようだ」
 聞いたことがある。声の高さ、するどさ、あらあらさ、かたさ、黄色さ。小鈴とはセイ反対。
 棚の間から抜けたとき。アタイは。なんて言えば──
「とりあえず、次はコイツを借りて……」
 バッチリ目が合った。
「えっと。えっと。えっと、っと」
 久しぶりだ。たった一か月くらいで久しぶりって感じだ。なんて言えばいい。
「なんでここにいんだよ」
「え」
 なんて言えばよかったんだろう。このひきょうな魔法使いに。
 でもその答えは、あんがい早く見つかった。

 九

 どうにかなっちゃいそうだった。
 もしも今、弾幕を取りだしてみたならきっとまっかっかのまっくろくろになっている。それくらいの、本気の怒りだった。
「どうして何もしてないの!? 魔理沙っ、こっちに任せとけみたいなこと言ってたくせに、そうどうかい決チームなんのやくにも立ってないじゃん!」
 公園でゆーぐにつかまったりごっこ遊びしている男の子や女の子、通りかかる人の息がひくっととまる感じ、目の色が変わるけはい。どうでもいい。アタイはただ魔理沙をにらみつける。
 小鈴の手を振りはらってまで、近くにある街でいちばん大きな公園に来ている。せっかくおいしいごはんを食べられるかもしれなかったのに。怒りは大きい。
「そうは言ってもな」頭の後ろをかく。前より長くなった腰ぐらいのおかみ。
「難しいんだよ色々と。動くに動きづれえってか」
〈騒動解決チーム〉は博麗神社の巫女たちと魔理沙が、今起こっているおかしな天気とか気温とか、妖精の身に起こっているおかしな変化とかとくに、大ちゃんが大ケガしてからずっと眠りっぱなしになっちゃっていること、を、起こしている自然のよわまり、を、起こしているらしい河童たちをこらしめようとしている……はずのチーム。
 なのに。アタイが最後に会ったときからなんにもしてないって言うんだ。
 アタイはあずま屋の柱に背中をあずけてきいた。
「ちゃんと言って! 何が、どうむずかしいのっ」
「まあ倫理的問題が、密に介在しているのが難しいな。人間は河童の先端技術が気に召して依存しちまってんだから」
 でた。オトクイのリンリだ。
 アタイには分かっていた。大人とか頭が良い人は説明がめんどうくさくなったとたん、むずかしいこと言ったりだとか、むずかしい言葉を急に使いだしてアタイを話についていけなくしようとするんだ。この一か月、街にいるキカイが増えて色んな人とおしゃべりしたんだ。ひきょうな大人もいたんだよ。ひきょうな子どももいたし、ひきょうじゃなくてもむずかしいことを言う先生もいた。
「ま、チルノが理解するにはムジーだろうけどよ」
「〝リンリ〟って言うけど、〝良い悪いとか〟じゃなくてまずさ、もんだいがあるんだから放っておけないじゃん。たとえば、カッパたちのぎじゅつにたよんないようになんかタイサクは考えついたの?」
 あきらかに見る目が変わった。おかみをかく手がとまる。
 足に毛のかんしょくがする。何かと思ったら、魔理沙がかってる黒ネコのマリサだ。この寒いのに。はだしにすりついてくるのがちょっとうっとうしかったから足を振りあげた、つもりだったけど、怒ってるせいか力が入ってけりあげちゃった。
 きょりがはなれたところから二色の瞳が見ひらいてくる。ちくり、ちっちゃなどこかの痛み。また新しい痛みを知った。走ってどこかにかくれちゃった。
「対策は、追々考えるつもりだった。──それより、お前誰だよ」
「馬鹿で天才のチルノだけど、何!?」
「〝天災〟な……だからこんな気候なのかあるいは」
 魔理沙は信じられないみたい。あんまりうれしくなかった。なんでだろう。成長をみとめられたのに。魔理沙は思ってもないときにキボウをあたえてキボウがほしいときにガッカリをくれる。
 おおかぜが魔理沙との間を吹きとおっていく。広げた手のひらみたいな風アツ。服がめくれる。魔理沙はそのとんがりぼうしを押さえてほうきは逆さにして地面に突きさした。
「とにかく、今は時期が悪いんだ」
 にがっそうなお顔で言う。
 魔理沙は言うこと言うこといつもごまかしばっか。
「ジキが悪いって何? もっとちゃんと考えてよ。アタイ、街の人といっぱいお話してウワサ話とかもいっぱい聞いたぞ。そしたら、カッパ組がつくったデンワとかラジオとか、たしかにべんりだけど、そういうのをたくさんつくったりするせいで自然がヘンになるんだったらカンガエモノってなやんでる人、けっこういるみたいなんだぞっ。だから、いっきにみんなに呼びかけてひと押ししたら、きっとうまくいくんじゃないか?」
「なるほど。検討しておく」
 コンシンの提案だったのに、ひどいくらい感情がない。どうして? アタイをチームに入れてくれようとしたのは魔理沙だ。アタイの親友を助けるためにどうすればいいかを指さしてくれたのは魔理沙だ。このリボンを結んでくれたのは魔理沙だ。あの呪文を教えてくれたのは魔理沙だ。
「魔理沙、今、やらなきゃ。アタイのシンユウが待ってるんだ」
「あたしだけの判断じゃ……みんなと話し合わないと」
「じゃあ博麗神社に行こう、すぐに!」
 さいきんはあまり飛ばないようにしている。すぐつかれちゃうから。だけど。アタイはふるい立つ。
 とんっ、と地面をけった。
「待ってくれ、たのむ!」
 魔理沙はさけんだ。アタイの手をつかむ。
 強く引かれて視界がひっくり返った。アタイはそばにあったてつぼうに背中を打ちつけた。「うがッ!」どうして痛みなんてものがあるのか分からない。少なくとも痛いから、少なくともしんでない。そのカクニンができるだけ。
「今、神社に行っちゃダメだ」
 目もとがぽろぽろする視界で魔理沙の逆さのお顔が見える。なぜか、アタイよりずっと痛そうな表情だ。
「なんで?」なみだをはらう。痛みはすぐにひいてきた。
「……あたしの親友のためだ」
 魔理沙はてつぼうからおろしてアタイをあずま屋の中のイスに座らせた。
「チルノがチルノの親友を想って行動しているのは分かる。じれったい気持ちなのも分かる。だがな、だから分かってほしい。あたしもあたしの親友を想っている。今は、待たなきゃならねえんだ」
 風で乱れた金色のおかみをなおさずに、ひとすじのギンの糸をたどるように見つめてうったえた。
「待つって、何を?」
「あたしの親友、霊夢の晴れ舞台──博麗巫女《ふじょ》代交代式だ」
 二〇〇〇年一〇月八日。日曜日。休日の朝早く、あの電波塔前の広場でこれは大きく大きく行われる。何もかもがイレイなんだって。
 ほんとうは、巫女の代がかわるのは、新しい巫女が二〇になる年の一〇月二九日の代交代式のはずらしい。この一〇月二九日っていうのは、博麗(はくれい)を数字にすると「八九〇」になって、八月九〇日を計算すると一〇月二九日にあたるからみたい(なんだかおふざけだ)。でも、今回は霊夢がまだ一六の年で一〇月八日に霊夢のお母さんと代交代する。
 ヤクつづきなのを終わらせるフシメにするため。できるだけサッキュウに。ほんとうはこのギシキも神社でひっそりやるはずなんだけど、できるだけ多くの人々に伝わるように休日に街の中心に来てするんだ。
 霊夢はとびっきりゴウカな動きづらいイショウを着て、とっても多くの人の前で固まっちゃわないようにしながら祝詞をこなしてものすっごく長い時間のギシキをうまくできるようにしなきゃいけない。
「そして壮大な仕舞いとして一体の悪い妖怪を退治するための戦闘術を磨かなきゃならん。最後に現在の博麗の巫女の前で新たに博麗の巫女に就任することになる巫女が悪い妖怪を見事に倒すことができれば、晴れて代交代が結するんだ」
「その悪い妖怪はどうやってさがしてくるの?」
「現博麗の巫女、つまり霊夢のオカンが試練として見つけてくる。それが通例だ。まあ、今回は儀式の会場の問題もそうだし霊夢の準備が明らか不足してっから、ある程度弱らせて戦わせる手はずになっている」
 今も霊夢は、博麗神社でひっしにギシキの動きをカクニンして、むずかしい文章をおとなえして、どんな相手が来てもだいじょうぶなようにタイジの練習をしている。
 想像してみると、アタイの努力してきたことにとても似ている。いいやきっと、それ以上にたいへんだ。まだずいぶん先になるはずのギシキが急にせまってきたんだから。けーね先生にわたされた宿題を明日までにやって来いって言われるみたいなことだ。それを、ゼッタイことわることができないんだ。
「たのむ。チルノ、それさえ終わればあたしも、霊夢もオカンもみんな全面的に協力してやれるから。それまでは」
「わかった。待つよ。──シンユウは、だいじだよ」
 魔理沙は重くうなずいた。風にほとんど飛ばされるくらいのかすれた「ありがとう」が聞こえた。
 あずま屋の外で、マリサがゆーぐにいる子どもたちとじゃれあって遊んでいた。まっ黒くてあまり見ない色のネコでもかんけいなく輪に大カンゲイ。むじゃきにネコじゃらしをたらして、ネコもむじゃきに飛びはねる。むげんにつづくみたいな体力。さむかぜに負けない、やまない笑い声。
 かいぬしの魔理沙はどうやって取りかえそうかなやんでいるみたいだった。
「そう言えば、魔理沙」
 ふと聞きたいことができて、たずねた。
「どうして八日の朝なんてそんなビミョーなときになったのか? ……(八に七足して、七足して、七足して。あ、ちょうど)……せめて、今年の一〇月の二九日にしてもその日も日よう日で休日だし、いいと思うんだけど。そうすれば、ちょっとヨユーできるじゃん」
「理由は大きく一つ。それだと遅いから」
 遠い空を見上げながら言った。
「何週間か前から、霊夢のオカンはしきりに言うんだ。巫女の勘ってヤツかもな。──血に飢えた厄災が降る。ってな」

 十

 電波塔前の広場ではたまにもよおしモノがやっている。
 楽器のえんそうとか、芸のひろうとか、子どもたちのためのゲキとか。じゅうぶん広いから、このあいだの夏祭りのときも何十個もお店がしきつめられていた。
「うう、寒いですね。チルノさん、半袖でそんな脚だして平気なんですか?」
「へーきだぞ。アタイと手、つなぐから寒いんじゃないか」
「あなた。その首巻かけておやんなさい」
「だって人多くてはぐれちゃいますし」
「だ、だだダメだ。わ私だって凍え死ぬよ。それにしてもこの妖精は単に着た切り雀なのではなく代謝が異常に良いらしいな」
「帳場の地蔵も外に行かせるべきでしょうか」
 数日たって、当日。
 アタイはすっかり仲良くなった小鈴の一家みんなと広場にやってきた。この数日は博麗神社に行けないし寺子屋もまだまだホウガク中だから、街に来て行くところと言えばリンリン堂になっていて小鈴と宿題したり、発音を矯正してもらったり、たまにお父さんお母さんともおしゃべりしたりしてすごした。小鈴のお母さんがつくるおりょうりはすごくおいしかった。
 ほとんど外に出ることがないらしい小鈴と小鈴のお父さんは、本屋さんを出たあとからずっとふるえっぱなしでかわいそうだ。アタイには分からないけど、昨日はおとついより寒くなって今日は昨日よりもっと寒くなったんだって。そのショウコにまた雪がちらちらふっている。右から左から、服にまとわりついたり目や鼻の中に飛びこんだり、でもまだまだこれからだよって雪雲はいちめんに空をうすぐらくうめつくしている。
「始まるのは何時だって?」
「九時の始まりですけど、まだ半刻ありますねえ」
 人と押しあいへしあいになりながら、広場を見わたせるところまできた。まだ何のじゅんびのようすもないまっさらなじょうたい。みんながきちんとまあるく囲って巫女たちが来るのを待っている。
「小鈴、小鈴」
「どうしたんですか」
「ちょっとだけはなれる。待ってて」
 アタイは小鈴とつないでいた手をはなした。
 人ごみの中に、知っている〝かさ〟があった。かき分けて、かき分けて、
「きゃ、つめたっ」
「何だ、今の」
 かき分けて、かき分けて。お山をくずさないように食べるみたいにすばやくシンチョウにもぐって進んで、やがてその背中にたどりついた。
「やっほ、おじょうさま。来てたんだ」
「あら、ごきげんよう。あなたこそ。しばらく見なかったけれど、おいでになったのね」
 ポンとたたくとレミリアおじょうさまは振りかえった。すかーれっとのコートがやっぱりとっても似あってる。従者のめーりんもかさをさしていっしょだ。
「本当は今頃寝息を立てていたでしょうけれど、めーりんが博麗の巫女の代替わりの儀式があるって言うから。この郷里の長にまつわることなのでしょう? わたくしもお顔くらい拝んでおかなくちゃと思って。今朝は雪もそぞろに散ってどうも血が騒ぐことだけれど、白雪姫のように美しいらしいじゃないの。ああ早く美貌が覗かないかしら。めーりん。傘を閉じなさい。視界をクリアーに見るの」
「陽に当てられて良いのですか」
「これくらい平気よ。それにこの様子なら当面空は厚く覆われたままでしょう。後ろの見物が迷惑するでしょうし……わたくしはあくまで余所者のようだから、ここの郷に従って謙虚に振る舞うわ」
「さすがはお嬢様。ご鳥瞰に長け天下すら平らげる五徳のほどはまこと天晴れです」
 めーりんはそう言ってかさをとじた。まだよく分からないやりとりだ。
 そのとき、あたりが急にざわついた。広場の中央へ、ひとりの女性がゆっくりとあゆんできていた。
「巫女様だ。巫女様だ」
「久しぶりね。変わらずお美しいわあ」
「あのひとだれー?」
「やはり老いは見えるのう。『色は匂へど……』ああ、かばかりの華も散りぬるを」
「しっかりめでたきお姿を見ておきなさい。福が降りてくるのよ」
 霊夢のお母さん。前に会ったときよりも下はまっ赤上はまっ白のふくそう。おけしょうで見ちがえるみたいになって、金色のかんむりもしてゴウカだ。
 広場のまんなかで、ぺこりとしながらなめらかにすーっと膝をつき、赤いお札を取りだす。なにかをとなえながら地面にそっと置いた。
 すると、ひゅっと風がやんで雪もなくなった。なくなったというか、みんなが集合するまわりにかぜ雪がそれるようになった。
 おくがいから室内にがらりと変わったみたいでざわめきもハンキョウするみたいに大きくなる。あのお札、ものすごい力を感じる。
 霊夢のお母さんは立ちあがって、ぺこりとしてからまたゆっくりと去った。
「ねえ。あれが新しい長なの? たしかに神聖そうね」レミリアはほめるけどゲンメツしたみたいに言う。
「ご心配には及びません。あのお方は現在の代の博麗の巫女でございます。次期博麗の巫女霊夢は決してお嬢様を失望させぬさまで麗しさの博されるさまが見えますことでしょう」
「あらそう。楽しみね」
 話しているあいだ、つぎつぎと物が運ばれてきた。
 小さなほこら。いくつかのだいざ。ちっちゃな木のはこにビン、赤いおさらが二つずつ。木の柱に、小鈴のお父さんがもっていたみたいなひらひらつきの、だけど大きなぼうが引っかけられたもの。だいたいは黒っぽいぼうしをかぶった男の人が置いては去って、また霊夢のお母さんも現れた。こんどは白い布と、その上にまがたまみたいなものをだいじそうにして。
 それは、さっきお札を置いた上からセッチされた小さなほこらの中に入れられた。他にもきれいな白いびんや赤い布や木の板みたいなのもほこらの中にすっぽり入れられたみたい。そこで霊夢のお母さんは座って、となえ始める。室内のような空間は静まりかえった。
 何が起こっているのか、何を言っているのか、分からなくても、霊夢のお母さんはほんとうにシンケンにカミサマにおいのりしているんだって伝わった。声のひびきがビシッとしている。けーね先生みたいな。
 さいきん、氷解って単語を覚えた。言葉をたくさん覚えると、おもしろいこともあって──アタイの胸のなかの氷塊が氷解したキブンだった。
 アタイはコワい人だと思っていた。ただただオニだって思いこんで、だけどほんとうは本気でものを考えているから、解決したいから、アタイみたいなおふざけ妖精をゴウインにつまみだしたんだ。こころを〝あたらめないと〟いけないかも。
 電波塔の時計で一〇分たった。
 はしの方にタイジョウする。
 霊夢はまだ来ない。いったいいつになったら現れるのか、みんなもレミリアも気にしている。
 うわさをすればだった。
 笛が鳴った。ひとつ、ふたつ。たいこがだんだんと連打された。
 レイ的な力をひめていそうな草付きの枝と鈴を胸の前に持って、霊夢のお母さんが。
 そして霊夢が、後ろにつづいて現れた。
 八時四九分。小鈴のもとに帰ろうと思っていたけど、動きづらくなって、少し早めに始まった代交代式はレミリアのそばで見ることにした。
 霊夢ももちろんお母さんとおんなじトクベツなふくそうをしてきれいだった。一回だけ前に会ったとき、おかみはとても長くてかかとまで伸びていた気がするけど、高めでいっかしょゆってバッとつやつやなおかみをおろして腰ぐらいに落ち着いている。枝と鈴を持ってじりじりとまんなかへ、それでかくれちゃってるけど気のせいかな、うつむきガチ?
「きれい」
「なんと端正な」
「瑞々《みずみず》しい若さ」
 声を小さめながらこしょこしょ言いあっているのが聞こえる。だけど、魔理沙にあらかじめ知らされていたから分かる。
 顔の角度。足どり。息づかい。おまゆのひしゃげ。おしろいじゃ消せない不安の色が、浮いて見える。
 魔理沙はどこからハラハラ見ているのかな。わ、まだまだ外から人が入ってきて、目の数がとんでもないや。
「外、とんでもないわよね。昼にはやむかしら」
 おじょうさまはアタイが周りをようす見たのを外をのぞいたんだと思ったみたい。中は結界みたいに守られているけど天井を見たら白いふぶきがおどり狂ってるみたいだった。
 二人はわかれて小さなほこらの前に座る。
 いちどやんだ楽器がまた鳴りだす。
 巫女の舞が始まる。枝を左、鈴を右に持って(一体化してると思ったらちがった)音楽に合わせてゆったりとおどる。たまにしゃん、しゃらら、と手首をひねる。ここでは巫女は声を出したりはしないみたい。男の人ののびやかな、ふるえるのが小ぎみいい感じのお歌がまじわっている。
 霊夢、ドウドウとしてる。この目の数を気にせず、お母さんとそろってやわらかく舞えている。本当にハレ舞台だ。そのために本当に練習してきたんだ。はげしい動きはないから、アタイでもできちゃいそうって思うけど、誰かが下から手をはめてあやつっているんじゃないかってぐらいそろってる。腕の角度、回すそくど、足のはば、音を出すいっしゅんいっしゅん、目や口の開きぐあい。すごいというか、アタイにはできない。
 じっと見て、気がついたら終わっていた。だいざの上に枝と鈴を置いて、霊夢のお母さんは去る。霊夢もおなじように置くけど、こっちはほこらのまん前にあゆんでぺこり、すーっと腰をすえた。もう視線はまっすぐだ。
 女の人の歌声。
 霊夢は大きなせんすを開いた。こんどは一人だ。
 たぶん、セキをする人もいなかった。
 そっと、力強く、なにか、物語を感じさせるような舞。ひらいて、とじて、くねり曲がって、踏みだして、あゆんで、かがんで、伸びあがって。ひとつひとつの動きの意味が分からなくても、見ればなにか、きっとオモイが伝わってくる。なんだか、気持ちが引きよせられるようなカンショクだった。
 木のちっちゃな箱の赤いむすびをといた。中の液体を小さなビンに入れて、それを赤いおさらに垂らす。さらに、もう一つ、同じことをして、お顔の倍大きい赤いおさらを持ちあげ、口にもっていく。ぜんぶ、ごくり、ごくりと一気に飲みほしちゃった。
 そのままおさらを置いてまた舞いだす。おかみの前の両はしで束にしたのがちょうちんのようにゆれる。後ろは川のように流れる。ユウガってもの。福のカミサマも見に降りてきたがるよ。ぶらりゆらり、どんぶらこと、清く清くユウガにおどって、最後にせんすを大きく広げ、とじた。
 お母さんが出てきて、せんすが受けわたしされた。
 霊夢はまた一人、こんどは紙を取りだして、広げて読みだした。音楽はなし。やっぱり、意味は分からない。発音がドクトクすぎ。これは祝詞って言って、魔理沙は、意味が分からなくてもありがたいものだって言ってた。小鈴の言っていた方言かなまりなのか、それとも別のもの? アタイはみじかい絵本を自分の「なまり」でもちゃんとすらすら音読することができない、正しい発音を意識しだしたらもっとムリ(だってだって、文字を読んで発音の舌をたしかめるのと発音をいっしゅんでするのもむずかしいんだから!)。霊夢ももともとの発音からあえてはなれてすらすら「なまり」を入れなきゃだから、きっとたいへんなはずだ。
 とぎれた。紙をしまう。おわったんだ。まったく失敗したって感じもない。祝詞も何もかもとてもジュンチョウだ。天井のあらしはちょっとやんでいた。
 霊夢のお母さんが来て、ほこらのとなりにかけていた白いひらひらの棒をていねいに取った。霊夢と向かいあう。なにか言ってる。
 ──博麗霊夢。賜る仰せに従い、第○○代博麗巫女と任ず。以て第○△代博麗巫女此れを辞す。
 霊夢が博麗の巫女になってお母さんはやめるってことだ。だけど、ほんとうはまだ終わりじゃない。魔理沙から聞いたとおりなら霊夢は最後に妖怪をひとりたおさなきゃいけない。
「決めた」
 見ているとなりでレミリアが「フフ」と笑っていた。トウトツになんだろう。
「ファーストキッスは博麗の巫女にしましょう」
 うっとりとした表情。ハァストキィスってなんだろう。ちらっと光るキバ。それはしばらく忘れていたことを思いださせた。
 どうじに、よぎる。
『血に飢えた厄災が降る。ってな』
「え?」
 いちどもどしかけた顔をまたレミリアに向けた。おかまいなく赤い赤いおめめが霊夢にクギヅケって感じの。
 そう言えば吸血鬼、のレミリアおじょうさま。何日か前に言ってた。まだ一回も血を味わったことがないって。まっくらくらの畑げしきがよみがえる。
 それってようするに、血にうえている、ってこと?
 霊夢のお母さんが巫女のカンで予感した「血に飢えた厄災が降る」。
 それが近い日に来るかもしれないから早めた代交代式。悪いことばかり続く日々を終わらせるフシメって言うのもあるけど。
 じっさい、「血に飢えた」って感じがする表情のとなりの吸血鬼。
「今朝の血の騒ぎはこのためね」
 ……そういう感じがする発言。ほほえみ。
 ヤクサイだ! んと、待って。
 決めつける自分もいるけど、信じたくないに決まってる。
 ヤクサイダッ!
 かもしれないけど、でも、レミリアはアタイの、親友というか、メイド、じゃない、アタイがメイドでレミリアが主の主従の関係なんだから。決めつけちゃダメ。
 ヤクサイダッ! 霊夢が危ない!
 まってまって。おかしいよ。
 うっとりしてる──アタイが小鈴のお母さんの料理を前にそうしていたみたいに。アタイが料理を食べまくったみたいに、レミリアが霊夢にかぶりついちゃう。
 のかな。分からない。それがヤクサイでも霊夢のお母さんが言ったのは別のヤクサイかも。
 しれないけど今となりにあるヤクサイは払わなきゃ。
 いけないかな。ほんとうに? 頭のなか、すっごくこんがらがって。
 ない。だいじょうぶ。いける。
 おかしくなって。
 ない。きっとアタイはまちがってない。弱いぶぶんの自分が勇気を否定しようとする。
 今からすること。
 まちがってないとただ言い聞かせた。ふるえて力が出ないのは弱いからだと思う。ヨワ音ってもの。はいちゃいけない。アタイは強くなったんだ。
 そう信じて、アタイは心を決めた。
 ──ぽん、ぽん。
「んあ」
「次の儀までやや間隙があるようです。お嬢様、お飲み物などご入用でしょうか」
 上から、めーりんの声だ。
「気が利くわね。と言っても昼ごろには終わるのでしょう。お紅茶はランチタイムで結構よ。チルノは平気かしら」
「う、うん」
 とりあえずうなずいた。
 頭の上からなでまわされる。するとすごく頭のなかもすっきりする感覚がした。あたらめてレミリアのお顔を見たらぜんぜん「血に飢えた」って感じじゃない。カンチガイだ。うっとりとしていたのはホントでも、ガマンできなくなるとかじゃぜんぜんなかったんだ。ちょっとしたジョウダン。ヤクサイだなんて、頭のなかでだけだけど、言っちゃった自分がイヤになった。せめて頭のなかであやまった。
 上を向こうとしたらめーりんの手がはなれた。
 一〇時三五分。
 あいかわらず人が多い。それだけ重要なギシキなんだ。夏祭りのときくらいじゃないけど熱気がはだについてくるからつらい。まわりの結界は雪と風だけじゃなくて寒さからもみんなを守るスグレモノみたい。
 広場は、棒を持って座ったままの霊夢、またお札をあちこちにぺたぺたしていちいちおとなえしている霊夢のお母さん。妖怪を呼びだすのかもしれない。それは幻想郷のどこかからテキトーに? それかあらかじめえらんだのをショウカンなのか、それとも今あたらしく生みだすのか。
 どすぐろい太陽。
 急に〝そんなキブン〟がした。
 何もかもを喰らいつくして、飲みこみつくしちゃうような、そんな現象が頭のうらっかわにえいぞうになって見えたりかくれたり。なんだろう。でも、そういうことって少なくない。
 ふだんふっつうにすごしてて、よつばのクローバーのみどりがうつることもあるし。
 おにく。みたいな感覚になることもある。
 かねのしんどうがそこに見えることもあるし、そう言えば、前に寺子屋のおざしきで雪の感覚にあった。おんなじ現象だ。めずらしいことじゃない。
 ただ、どすぐろい太陽っていうのがあんまりに怖くなった。もし、今ここにひとりっきりだったら不安で不安でしょうがなかった。
 だいじょうぶだ。今は、霊夢をおうえんしよう。何か始まりそう。
 霊夢がゆっくりと立ちあがった。
 広場のいっかしょの地面が赤く光った! やっぱり妖怪を呼びだすんだ。
 地面の光から弾幕みたいに丸い光が出てくると、だんだんと何かの形になって、みるみる頭や体のぶいが分かるようになって、黒い服が見えて、金色のおかみが見えて、おかみの赤いおかざりも見えて──
 えっ。
 見物の人たちもアタイももらしたけど、アタイのはいちばんみじかくて小さかったと思う。
 闇をあやつることができる妖怪。ルーミア。
 アタイのなかまが、お友だちが、おセワになっている妖怪が──博麗の巫女になる人の最後のギシキに呼びだされた。
 霊夢はお母さんから受けとったその棒をかまえて、向かっていった。
 ルーミアは(本当にそうなのか、ぐっとこらして見たけどダメ。ルーミアだ)急にこの場に呼びだされてたいおうできなかったのか、向かってくる霊夢のいちげきをお腹にくらった。
 吹きとんだ方向にいる人たちが悲鳴をあげてのけぞる。だけど、ルーミアは空中にぶつかってぽとりと落ちた。さっきお札を地面にはってたけど、外っかわの結界と同じようにアタイたちの前にも何枚も重ねた結界ができているみたい。飛ぶように追う霊夢。ルーミアは飛びもしないで能力を使いもしないでダッと走りだす。当然のように追いつかれておしりのあたりに振りかぶって飛ばされ、空中に頭をぶつけて落ちる。
「あの子、本当に妖怪? だとしても、なんだかかわいそうだわあ」
「心配すんな。博麗の巫女が退治すんのは悪い妖怪だけだ」
「最近の悪い妖怪には人に化けて人のお情けを買う奴もいるって回覧に注意がありましたね。新たな博麗の巫女、さすがの若さで体が動きます」
「飛んでる?」
「バッカ、巫女様の能力でしょ」
「一六歳だってよ」
「あれ、一七じゃなかった? たしかアタシとオナイってかーさん言ってた」
「やれッ! やっちまえッ! 悪い妖怪は皆殺しだッ」
 今まで静かに見ていたけど悲鳴がしたぐらいからお祭りみたいな騒ぎになってきた。耳をふさぎたくなる声もまじってる。
 ルーミアが悪い妖怪? そんなワケないじゃん。やめてよ。
 霊夢につかまる。お腹を突く。突く。ただただいっぽうてきな戦い。やめて、おねがいだから。
 たおれた。あのひきょうな子どもの背中みたいな色がついている。きっと体じゅう。どうして能力を使わないの? アタイと初めて会ったとき、あんなに広いはんいを闇でおおってた。そうすれば、回復するまで時間をかせぐことだって。
 そこまで考えて、おかしいと思った。
 なんでアタイはルーミアを助けようとしないんだろうって手を見た。どうして他の人の声のうずにまじって戦いを見守る人になっているのかって見わたした。
 だって、あの結界、入れるか分かんないし。
 だって、霊夢に勝てるか分かんないし。
 びっくりした。なんということだ。けーね先生の声が聞こえるみたい。
『わー、イイワケしぃチルノちゃん、わぐるっち子―』
 誰かも言ってるみたい。
 それでもアタイは動けなかった。
 だって──そう、また──だって、大ちゃんを救わなきゃいけないから。この代交代式さえ成功すれば、ようやく騒動解決チームが動けるようになる。大ちゃんのためにとてもだいじなことだ。なのに、ここで霊夢のじゃまをしちゃったらどうなるか分からない。霊夢も、霊夢のお母さんも、魔理沙も、どんなに悲しむか分からない。街の人たちも、その中にできただいじな知り合い、お友だちも、どんな目でアタイを見ることになるか分からない。レミリアも、めーりんも──
 なんで、こんな、頭がはたらくんだろ。
 考えてる。めちゃくちゃ考えてる。ルーミアがいじめられる目の前で。うめき声のそばで。
 大ちゃんがながい眠りについちゃうより昔。アタイはどうしようもない馬鹿だった。何も考えていなかった。考えることを習う、その前と後のちがい。今、分かる。ちしきなんか、どっさりと積もりすぎて、後ろ見おろしても何も見えないくらい。それくらいの差。もし、昔のアタイだったら、まず「ルーミア?!」って叫んで飛びだしている。後のことなんか考えていやしない。
 でも今のアタイ。考えなきゃ動けなくなった。おしゃべりのときも、考えて、さいきん覚えた言葉を引きだしてきたりしてから話す。だから、おそい。ホンノウでしゃべるのをやめたから。ユウワクを、チョッカンをやめたから。それは悪いことだって言われた。じっさい、頭が良くなったのはまちがいない。
 霊夢が赤白のお札を取りだした。たおれるルーミアに向かって投げた。
 赤白のかみなりがそこからいくつも落ちた。声なのかも分からないうったえが聞こえた。
 闇みたいにまっくろこげになって、ぴくりともしなくなった。
 ひどい。ひどいよね。
 大ちゃんのために、自分のどうくつに眠るところを用意してくれて、アタイがいない間見守ったりしておセワしてくれて、たまにアタイのおしゃべりの相手にもなってくれて。そのまま大ちゃんのためにアタイのために、ギシキがうまくいくように、たおされちゃえ、なんて。
 霊夢が横たわるルーミアの正面で振りかぶる。とどめのいちげき。
 なにも見たくない。それはホンノウだった。
 アタイは体ごと後ろを向いて、目もぎゅっとつぶった。これじゃあ最後の音が聞こえちゃうから、耳もふさぐ。
 この姿。アタイ、馬鹿だ。よっぽど馬鹿だ。かしこいって馬鹿だ。
 ねえ、もし、アタイのことを見ている人がいるんだったら、アタイのこと、どう思う?
 自分のなかの音がする。
 冷気の音だ。アタイを何千何万年も満たしつづけた。
 アタイの音だ。
 ──たぶん、おわった。
 ふさいだお耳をつらぬくくらいのカンセイはしなかった。へんなしずかさ。
「なにやってんだ! ○○代博麗の巫女!」
 代わりにとつぜん、そんながなりがひびく。
 怖い。怖い。だけど、ピクピクするまぶたを半分だけ開けて振りかえった。目につぶがあふれて何も見えない。耳をふさいでいた手を目に持っていく。そのしゅんかん──
「ぼさっとしてねえで早くやっちまえ!」
「同情したか、博麗の巫女がそんなんでいいのか!」
「やれ!」
「がんばれ!」
「○○代!」
「務めを果たせ!」
 いろんな大声の前、霊夢は棒を上にかまえたまんまのかっこうだった。ルーミアをものすごい表情で見おろしている。ものすごく息がはげしい。ふらついている。
 それはぐあいが悪いからとかじゃない。ふらついているのはみんなの大声のあらしのせいだ。
 今の霊夢のこころのなかは、きっとだれでも読めた。
 ──ころしたくないっ! それはあたりまえのことで、意外なことだった。
 このじょうきょうが良いのか悪いのか、アタイはまた考えていた。そうじゃない。今、動かなきゃいけないのに。
 横から人に押される。みんなが前のめりになって霊夢をふるい立たせようとおうえんする。そのせいでだんだんと後ろに押しだされていった。いろんな人のこぶしを振りあげる背中。
 しかたがないから飛んで上から見ようと思った。だけどおかしなものが視界に入った。
 レミリアと、それからめーりんが人ごみの後ろの方で「白いかべ」にぶつかっていたんだ。そういえばレミリアは、ルーミアが傷ついているのを見てどう思ったんだろう。おたがい仲が悪いらしいからひょっとしたらユカイだった?
 だけどそれとはセイはんたいの顔をしていた。
「あり得ないわ! なんて凶日よ! めーりん、そんなに固いの?」
「どうやら向こう数尺雪が一挙に集積してしまったようです」
 広場の戦いに夢中になっていた人は、外の本当のあらしに気づかなかった。結界になぐりつけるような雪のあらし。それがすべって、ぜんぶ下にすべって丸くてあついかべを作っていた。
 なにしてるの、なんてのんきなことはきいてられない。
「おじょうさま!」レミリアを呼んだ。
 気づいて来てくれた。
「ねえ、どうしよう?! ルーミアがあぶないよ! しんじゃうよ! ねえ、どうしたらいいの?!」
「そういう儀式なのでしょう、仕方ないわ。彼女は霊夢のために犠牲になるのよ。とにかく落ち着きなさい」
 それよりも、とレミリアは落ち着いてって言うくせにちょっとあせった感じで言う。
「〝ナニカ〟来るわ。アナタも備えなさい。ああ、ざわつく。あの〝血まみれの月〟は何?」
「ちまみれの月?」
「運命のスコアが読めると言ったでしょう」
「霊夢!」
 ひときわ大きくてするどい声がギシキの会場にひびきわたった。あの人の声。おうえんの声がぱったりとやむ。レミリアはそのまま話しかけてくる。
「もしわたくしのヨミが正しいのであれば、今からわたくしたちにとって最悪なことが起こるわ」
 ぎゅうぎゅうに前に寄っていた人たちのいちぶがいっせいに後ずさりした。オニのギョウソウのお母さんに、しかられるのを怖がるイケナイ子どもみたいにじりじりと。そこにできたすき間から、見た。本当のオニのお母さんと、本当のイケナイ子ども。
「待ってお母さ」
「黙れっ! 軟弱者!」
 それがどんな意味なのか知らなくても、お母さんがふるっちゃこわれちゃいそうなモノに決まってる。霊夢の顔。あの顔。
 向こうは向こうでたいへんだ。
「サイアクなこと? それが、その、月?」
 こっちもたいへんみたい。
「イメージよ。すぐそこまで迫ってきているわ」
 どすぐろい太陽。
 そのとき、アタイはそのキブンを思いだした。それはさっきよりもずっとずっと強く大きく。怖くなって天井のあっちこっちを見回した。
 見物の人たちが悲鳴みたいなみじかい声を上げた。
「立て! 巫女舞だけの半人前に育てた覚えはないっ」
「こ、この妖怪はっ、本当に退治すべき悪しき妖怪なの?」
「そうだ私が信用ならんと?!」
 来てる。来るっ。
「チルノ、落ち着いて。どこを見ているの」
 血まみれの月が。どすぐろい太陽が。大雪が降るこの街に。
「ヤダ……来る」
「ヤよ、やめて!」
「いいから取れ!」
「この子が悪と知るまで私はもう何もしないっ!」
 血にうえた厄災が──降ってきた。
 結界は、何の意味もなく、くだけちった。
 ──吸血鬼異変──
 正しい歴史を知る人はいない。
 これは、人によって記憶の残り方がちがう。五〇〇年も昔の話って言う人もいる。
 だけどもしアタイが合っているなら。
 吹雪にうもれたサイアクの物語はこのとき、アタイの目の前ではじまった。
 そのしゅんかん、霊夢のお母さんは腕をかたほうなくした。
 レミリアは気を失った。ちょくぜんに言った。
「フラン……」
「お母さんっ────」
 霊夢は、本当の試練と今、向かいあう。
 みんなはみんな、ぜつぼうの白いかべに叫んだ。
 アタイは霊夢がソレを力強くにぎったのを最後に見て、そこからしばらく、覚えていない。


(後編へ続く)
 さあ、どうなるか。

 というところで少しお話をば。
 前編に寄せられたコメントのことで、その数の多いことまた質の高いことに驚きました。別サイトにて活動していたときとは比べものにならない。たいへん参考になりました。本編もお楽しみいただけていれば幸いです。
 さて、私はご覧の通り若木の細い幹のように年数足らずの小筆をしておりますから、このような感想はまた貴重なものです。たとえ短くても「ああそういう風に捉えられているのか」などと勉強になります。実は意図があってこんな変な書き方をしているのでは、という疑念が実際その通りでもお寄せくだされば結構な助けになるのです。ここはひとつ正直な、清きいっ評をお示しいただければ心から嬉しく思います(解釈違いなのだーでもなんでも)。きっとここの読者様はお優しいから労いの意も含んだ高得点とコメントをくださるかも、けれど、この執る筆がもうすこしずつ成長するための刺激がなきゃいかん。個人的には展開が全体的に分かりづらい気がするのですが、どうなのでしょうか。お待ちしております(気楽にねっ)。

 後編も必ず投稿します! そこで色々と裏話などもできたらいいですね。
初瀬ソラ
[email protected]
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コメント



0.簡易評価なし
1.90奇声を発する程度の能力削除
良かったです
2.100ありがてぇ…!キンッキンに冷えてやがるッ!削除
前編から読ませていただきました。
私個人の感想としては、まず、すごくシリアスなストーリー性が重視されているなと感じました。チルノを中心とした世界線で、現実世界の厳しさが写されています。
里の人や妖精が方言…というかなまりの混じった話し方をするのは何か目的があるのかは分かりませんが、雰囲気で何とか読み取りました。
チルノが大妖精のために寺子屋に行き、考えることを習得する、これがこの中編での大きな進展なのかな、と思いました。展開がわかりづらいというよりか、会話の分の意味が少し難しいと思うときがあります。まぁこれは絶対自分の脳が低スペックによる影響だと思うので、気にしなくていいです。
正直これ深夜テンション気味で書いているのでクソ読みにくいと思いますんでまとめますね。後敬語取りますね。書きにくいんで。
まぁ言いたいのは自分長いのってちょっと苦手なんだけどいざ読んでみたらとても面白かった。自分はアイデアは浮くんだけどこんな長く詳しく描けないんで憧れますね。気長に待ってるんで、頑張ってください。
このコメント気に入らなかったらいつでも言ってください。消しますんで。
3.90ローファル削除
チルノにも傘を差してあげる美鈴とそれで自分に雪がかかっても許すレミリアのシーン好きです。
終盤の「賢くなることで失ったもの」を自覚、罪悪感に苛まれるチルノの心理描写も
とても印象的でした。面白かったです。
4.100東ノ目削除
面白かったです。後編も楽しみにしてます