ふわりと、魔法使いは地に足をつける。もう何度目の光景だろうか……霊夢は落ち葉を集めていた箒の手を止めた。
「タイミングが悪いわね。もうちょっと早く来ていたら掃除を手伝わせていたのに」
「それは、客に取る態度かね」
「いいでしょ。お茶代よ、お茶代」
「へー、いいのかよ。そんなこと言ってて」
「何よ」
「ふふん、天下無敵の巫女様にはこれが見えないのか」
魔理沙は、白いケーキボックスを突き出した。
「それは……!」
霊夢はご機嫌で、魔理沙の後ろにまわると背中を押す。
「さぁさぁ、入った入った! ちょうどお茶の時間にしようと思ってたの。なんてベストタイミング」
「現金な奴め」
呆れた顔で魔理沙は、腕をおろした。
ちょうど、境内にふわりと風が吹く。まだ寒さが残る柔らかい風が二人の背を優しくなぞった。
私は、洋菓子というものにさほど詳しくない。時々、紅魔館のメイドや人形遣いが作ったものをお裾分けしてもらうくらいだ。彼女たちは洋菓子を持ってくるたび、当たり前のように日本茶でいただこうとする私に小言を刺してきたり、カタカナが並んだその小難しい名前を得意げに解説したりするので、一種の面倒くささを感じる。だが、持ってきた洋菓子を一切れ口に運べば、和菓子とはまた違った魅力があることを認めざるを得なかった。
「大きいわね」
それは昔メイドが焼いてきた「ホールケーキ」とやらのサイズに似ていた。ただ、真ん中が大きくくりぬかれていて、クリームやフルーツなどで飾り付けはされてない。焼き菓子のようなシンプルさがあった。
「バームクーヘンっていうらしいぜ」
魔理沙は包丁でちょうど半分に切り分けると、それをさらに四等分にして二切れずつ皿に乗せた。
「切り方はこんなもんだろ」
そう言って、首を傾げられても私には正解が分からない。黙ってフォークや皿とお茶をお盆にのせてくと、それを同意としてとらえたのか、魔理沙は包丁を戻しにいった。
お盆を隣に置いて、いつもの縁側に腰を下ろす。「バームクーヘン」とやらは、切り分けられても形を保っていて感心する。フォークでつついてみても崩れる気配はない。洋菓子には柔らかい印象があったため、新鮮だ。
「あっ、ズルいぞ。先に食べるなんて」
エプロンの裾で濡れた手をふきながら、魔理沙が戻ってくる。別に先に食べるつもりなど無かったのだが、フォークを手に持っているとそう見えてしまうのは仕方ないだろう。
「食べてない。というか、食べようともしてない」
「ほぉー、じゃあなんだその手は」
魔理沙は育ちが良いせいか案外、礼儀正しいところがある。「つついてた」なんて言ったら、どんな反応が返ってくるかと考えると、私は正直に話すことができなかった。んーっと、と何とか他の言葉を捻り出す。
「……威嚇?」
「畜生か、お前は」
とっさに出た言葉だったが、確かに言い訳にしか聞こえない。もっといい言葉は出ないものかと魔理沙の方に目を向けると、すでに隣で手を合わせていたので慌ててそれに倣う。
「いただきます!」
はじめて食べるお菓子は緊張する。さっきまで、考えていたことが簡単に頭から抜けるくらいには。フォークを手に取って、一口サイズに分ける。
口に運ぶと、優しい甘みがふんわりと口いっぱいに広がった。外側にまぶしている白い砂糖は口溶けが良く、しっとりとした生地との相性が良い。
お茶を啜れば、茶葉の香りと共に口の甘さが一度リセットされ、茶の苦味をより一層おいしく感じられた。
「中々いけるわね。まり……」
さ、といい終わる前に、私は口を閉じてしまった。魔理沙はただジッとバームクーヘンを見つめていた。満足げにも取れ、安堵のようにも取れるその表情はどこまでも幸せそうに見えた。
「食べないの?」
「えっ……あ……」
思い出したかのようにフォークを握った魔理沙を見て、私もまた食べ進める。
なんだか特別な思い入れでもあるのだろうか……中々見ない表情をする魔理沙を思い出して、私はお茶を啜った。
「で? これどうしたの」
バームクーヘンで大いに舌鼓を打った後、尋ねてみる。
「引き出物だよ。結婚式の」
「結婚式?」
「そう。過去依頼してきた奴が結婚してな。いやぁー、本当良かったよ」
「あんた、引き合わせでもしたの?」
「恋愛成就も霧雨魔法店の仕事のひとつだからな。実際に依頼してくる奴はあんまりいないが……それにしても、今回は依頼主もお相手もかなりシャイで恋の魔法使いさんは手を焼いたぜ」
魔理沙はいかに大変だったか語る。セッティングしても次に繋がらず、ムードを作るのにも中々苦労したという。
「でもまぁ、いい依頼だったよ。これを機にこういう依頼が増えればいいのに」
「えー、面倒くさそうじゃない?」
「嬉しいもんだぜ。見守って来た二人の結婚式を見たら、きっといい汗をかけるだろうよ」
「うーん……どうかしら。そもそも、結婚することがそんなにいいものに思えないし」
恋に憧れる気持ちは理解できても、それを結婚や恋愛と結びつけられると一気に理解できないものとなる。
自分からなにかをしなくても人は寄ってくるのだ。わざわざ、そこから離れて過ごす誰かとの共同生活など、今はまだ想像できない。
「例えば、魔理沙はここに毎日来るじゃない」
「まぁ、日が空くときもあるけどな」
「それで、私は大体知ってるわけ。あんたが、甘いお菓子を食べるときはテンションがいつもより高いとか、苦いお茶もそれなりに好んで飲むこととか」
「……」
「あとは、石鹸を最後まで使い切らないのも、寝相がそこまで良くないことも……それと……」
「おい!」
魔理沙は顔を赤くして私の言葉を止める。しかし、事実を述べただけであってそんなに酷いことを言った気はしない。私は構わず続けた。
「そういうのって、一緒に生活する上では切っては切り離せないけど、受け入れられるか分かんないじゃない。今までいいところだけを見せてきた恋愛相手に対してだと特に」
「お前……」
しばらく考え込む仕草をした魔理沙はゆっくりと口を開く。金色の瞳がゆらり揺れ動いた。
「私のこと好きなのか?」
なんでそうなる。
私は黙って、本気の顔をする魔理沙の頭をポンと叩いた。
「いて」
「そういうことじゃない」
「じゃあ、なんで私の話をした」
「付き合いが長いから例に出しただけ」
魔理沙は頬を幼児の様にぷくーっと膨らませた。
「付き合い日数と、生活する上での相性は別だろ」
うっ……と言葉を詰まらせる。確かに、そうかもしれない。
私は魔理沙との関係を引き合いにして、恋愛の不条理さを示したかっただけであったので、魔理沙の指摘にいい説明をつけられなかった。うまくまとまってない言葉を話しても次の展開は見えてこない。私は分かりやすく話を変えた。
「大体、面倒くさいのよ。恋愛って。デートとかいうのも、いちいち会う日にち決めて準備して……」
「お前らしい考えだな。まぁ、気持ちは分かる」
「でしょう。私は、あんたみたいに適当に来てもらって構わないんだけど」
言い切った後、空を眺めて気づいた。「あ」と腑抜けた声が溢れる。
「……お前、やっぱり私のこと好きだろ」
「だから、そういうんじゃないんだってば」
「じゃあ、どういうことなんだよ」
「私と魔理沙は……友情っていう枠から出ないから別にいいの!」
そう……どれだけ心を許しても好意を持っていても、それは恋愛とは明確に区別されるものなのだ。説明はできないが、それだけははっきりと言える。
それを聞くと、魔理沙はピタリと固まり、しばらくして照れた頬を掻いた。
「あー、こんなことシラフで……しかも本人に言いたくはないんだがよ」
お茶を酒に見立ててか一気に煽ると、私の方を改めて見た。
「私と霊夢の関係をただの友達でまとめるのは、違うだろ」
一瞬、本当に酔ってんじゃないかと錯覚を覚える。反論の言葉は考えるよりも先に出た。
「はぁ!? 何よそれ」
「いや、友情って名前でまとめるとお前の人間関係は画一化するだろうって話をだな……」
「何が言いたいのよ」
「だからー」
問い詰められて開き直ったのか、威勢を取り戻して話した。
「例えばな、ほら、早苗。東風谷早苗がいるだろ。そいつのことを単なる同業者として接しているわけじゃないだろ」
「同業者じゃない」
「そうだけど!」
人間の心はあるのかと、魔理沙はため息をついて続ける。
「じゃあ、私以外で友情を感じる相手を思い浮かべてみてくれ」
急にそんなことを言われてもと思いながらも、言われた通りに考えてみる。よく神社にくる奴らがなんとなく頭に浮かんだ。
「じゃあ、そいつらのいいところ悪いところを語れるか? さっき私のことを語ったみたいに一緒に生活してないとわからない様なことを細々と」
そう言われると、さっきみたいにスラスラと出てこない。言葉を詰まらせていると、魔理沙は得意げにした。
「な。友情にも色々種類があるんだよ。友達だからって、平等に相性がいい訳じゃないし一緒に生活できる訳じゃない」
ふむ……確かに魔理沙の言い分も理解できる。友情だって、心許せる相手がいなければそんなにいいものとは言えないのだ。
「あの霊夢が、神社が地震で倒壊したとき心配してきてくれたのも、潰れたとき鯢呑亭まで介抱しにきてくれたのも嬉しかったのに……数いる友人の中のひとりで済まされるのはちょっと寂しい」
小さな声でボソボソと呟く魔理沙を見て私はハッとした。そして、そのあまりにも幼く乙女な発想に口元を歪める。
「他の子と差別化を図る……つまり、私と一番の友達でありたいんだ。魔理沙ちゃんは」
「うわぁ〜!! その言い方やめろよ」
「ふふふ。でもそれこそ私のこと好きじゃないとできない考えじゃない」
「お前の言う、『友情』だって突き止めていけば私がてっぺんにいるだろうよ」
「うーん、そうかしら」
誰と仲良しで誰と相性が悪いかなんて、深く考えたことはない。そんなこと気にするのも面倒だ。
「割とどうでもいいかもしれない」
自然と出た言葉に魔理沙は目をまんまるにする。照れたり、驚いたりさっきから忙しい奴だ。
「やっぱりお前、私のこと大好きなんだよ」
「なんでそうなるのよ!」
「さっき、恋愛と私のことを無意識の内に結び付けていたってことだろ。そんなんもう好き以外のなんでもない!」
「はぁー?」
「ごめんな……罪な女で」
もういくら自分の意見を主張しても魔理沙は考えを曲げないだろう。頑固者め、と心の中で舌打ちをした。
こうなれば、言葉でいくら言っても通じない。手っ取り早く行動に移した方がいい。私は、魔理沙の腕を掴んでグッと自分の方に引き寄せた。
「わっ……!」
魔理沙の体制が大きく崩れて、私の腕の中に収まる。ジタバタと暴れるが、魔理沙一人くらい押さえ込むのは容易だった。
「なんだよ。急に」
涙目でこちらを睨む。本気で怯えている顔だ。私はため息をついて、軽くデコピンをした。
「ふぎゃ」
カエルが潰れた声をだして、魔理沙は大人しくなった。
「ね? 私、こうやってあんたのことを抱き寄せてもドキドキしないのよ。だから変な誤解はやめて」
語尾を強調してそう諭す。反論は返ってこない。
気を良くした私は、子供体温の温もりを感じながらふわふわと頭を撫でた。
改めて見ると、華奢な体つきをしているなーとぼんやり思う。私は魔理沙のことなら何でも知っていると、勝手に勘違いしている節があるのかもしれない。実際は、一面しか知らない可能性だってあるのに……。
そこまで考えて、私は吹き出した。柄にもないことを考えてしまったものだ。魔理沙の知らない面があったとして、それが今更なんだって言うのだろうか。
「何ひとりで笑ってんだよ」
「いやー別に」
笑い顔を隠すように顔を埋める。魔理沙のふわふわした髪が鼻先を掠めてくすぐったい。
「魔理沙はドキドキしてる。私のこと好きなんだ」
実際はドキドキなんて音はしない。でも、刻む心音に耳を傾ければ嫌でもその感情がわかった。
「心臓の音だけで好きと決めつけるのはお前くらいだぜ」
拗ねた魔理沙は、私から離れることを試みる。私は顔を上げた。
「ちょっと、寒いんだからずれないでよ」
「私はお前の抱き枕になったつもりはない! 人間扱いすらしてくれない薄情なお友達からは離れて運命の人を探しに行くんだ」
「別にいいじゃないこのままで。なんも不便することないのなら、このままずっーと一緒にいましょうよ」
「ずーっと、一緒にいても結局お前の中で私はただの友達止まりなんだろ。そんなのお嫁に行き遅れてしまうぜ」
婚期を逃した自分を想像したのか魔理沙はやだー、と足をバタつかせる。
「あー、はいはい。じゃあもう魔理沙が好きになんでも名前をつけていいわよ。大親友でもズッ友でも」
「そんなん、余計に悲しくなるだろ。もういい! 外で霊夢のことなんて忘れて、幸せな家庭でも築いてくる!!」
それを聞いて、私はお嫁に行った魔理沙を想像する。
彼女のことだから、旦那は大変苦労しそうだ。生活習慣も、趣味も、思考だって初めて知ることが多いのだから。その点、私は魔理沙とは長い付き合いだから生活する分の上で、ある程度のことは知っている。魔理沙専用のお泊まりセットも湯呑みも神社にあるのだ。そこにいなくても存在を感じることができる。
やはり、考えれば考えるほどに、今の安定して心地の良い関係性があるというのに他の奴のところに行く気持ちがわからない。恋愛という感情はそんなにも力を持っているのだろうか。だとしたら、少し疎ましい。
子供体温をしているから抱くと湯たんぽの代わりになることも、見た目以上に細い体をしていることも知っている。想像上の魔理沙の旦那はそれを知らないだろう。いや、いずれは知ることになるのだろうけれど私の方が先に知っているという事実は変わらないわけで……そう思っても、なんだか私と魔理沙の関係性を上塗りされたみたいで腹が立つ。
「……別に親友とか悪友とかそんなありきたりな名前を当てはめたいわけではないんだ」
魔理沙は力が緩まった私の腕の中から、ゆっくりと身体を起こして、ポツリと語る。
「霊夢とのことを考えるとよくわかんなくてよ。私の中で友達とかそういう域は超えてんだ。でも、それは親愛の延長線であって、恋ではない。絶対に」
「……」
「家族愛でもないし、愛玩動物に向ける愛でもない。きっと、愛だ恋だのに限りなく近い別の類のもんなんだろな」
その言葉はすんなりと私の中に入ってきた。あぁ、それならわかるかもしれない。先ほどの嫉妬心に似た感情にも説明が行く。
「そうかもね」
「わかってくれるのか」
「うーん、私はね、誰かを特別視したり関係性に名前をつけたりしようとは思わないけど……」
膝の上の温もりは少しづつ冷めていく。私は手を後ろにつけて、目線を上にずらした。
「やっぱり、あんたといると何だかんだ落ち着くし……あんたが、私から離れるのはヤダ」
それを聞くと魔理沙は、感激したように声にならない声で叫び、私の背中をバンバンと叩いた。どういう意味で受けとったのかは想像したくもない。ただ明るく「そうかそうか!」と魔理沙は笑った。
「あのな、こんなこと言うのは本当に恥ずかしいし、後悔もすると思うんだが……」
「……例え、私やアンタが誰かに恋愛感情を持ったとしても、優先順位は今と変わらないんでしょうね」
魔理沙の言葉を先回りする。互いにこれ以上発展は望んでいないけれど、誰よりも優先したいし落ち着く仲である。そう考えると、恋愛というものももっと自由であっていい気がする。まぁ、面倒くささを忘れさせてくれるような相手がいればの話だが。
「んー!」
背伸びをして、固まる魔理沙に笑いかける。
「ねっ、バームクーヘン。おかわりしたい」
「えっ……!? あっ、そんなに食べたらおゆはん食べられなくなるけど……」
「いいの。今日は酒のつまみ程度で済ますから」
「あー、それはいいな。私も今日は酒を浴びるように飲みたい気分だぜ」
「そう? じゃ、つまみを準備する担当を決めましょうか」
袖口から取り出すお札を魔理沙に向ける。待ってましたとばかりに、こちらに八卦路が向けられた。
それだけで合図は十分。
床を蹴り上げ、空を目指す。
少女たちは春に近づく風を纏った。
「タイミングが悪いわね。もうちょっと早く来ていたら掃除を手伝わせていたのに」
「それは、客に取る態度かね」
「いいでしょ。お茶代よ、お茶代」
「へー、いいのかよ。そんなこと言ってて」
「何よ」
「ふふん、天下無敵の巫女様にはこれが見えないのか」
魔理沙は、白いケーキボックスを突き出した。
「それは……!」
霊夢はご機嫌で、魔理沙の後ろにまわると背中を押す。
「さぁさぁ、入った入った! ちょうどお茶の時間にしようと思ってたの。なんてベストタイミング」
「現金な奴め」
呆れた顔で魔理沙は、腕をおろした。
ちょうど、境内にふわりと風が吹く。まだ寒さが残る柔らかい風が二人の背を優しくなぞった。
私は、洋菓子というものにさほど詳しくない。時々、紅魔館のメイドや人形遣いが作ったものをお裾分けしてもらうくらいだ。彼女たちは洋菓子を持ってくるたび、当たり前のように日本茶でいただこうとする私に小言を刺してきたり、カタカナが並んだその小難しい名前を得意げに解説したりするので、一種の面倒くささを感じる。だが、持ってきた洋菓子を一切れ口に運べば、和菓子とはまた違った魅力があることを認めざるを得なかった。
「大きいわね」
それは昔メイドが焼いてきた「ホールケーキ」とやらのサイズに似ていた。ただ、真ん中が大きくくりぬかれていて、クリームやフルーツなどで飾り付けはされてない。焼き菓子のようなシンプルさがあった。
「バームクーヘンっていうらしいぜ」
魔理沙は包丁でちょうど半分に切り分けると、それをさらに四等分にして二切れずつ皿に乗せた。
「切り方はこんなもんだろ」
そう言って、首を傾げられても私には正解が分からない。黙ってフォークや皿とお茶をお盆にのせてくと、それを同意としてとらえたのか、魔理沙は包丁を戻しにいった。
お盆を隣に置いて、いつもの縁側に腰を下ろす。「バームクーヘン」とやらは、切り分けられても形を保っていて感心する。フォークでつついてみても崩れる気配はない。洋菓子には柔らかい印象があったため、新鮮だ。
「あっ、ズルいぞ。先に食べるなんて」
エプロンの裾で濡れた手をふきながら、魔理沙が戻ってくる。別に先に食べるつもりなど無かったのだが、フォークを手に持っているとそう見えてしまうのは仕方ないだろう。
「食べてない。というか、食べようともしてない」
「ほぉー、じゃあなんだその手は」
魔理沙は育ちが良いせいか案外、礼儀正しいところがある。「つついてた」なんて言ったら、どんな反応が返ってくるかと考えると、私は正直に話すことができなかった。んーっと、と何とか他の言葉を捻り出す。
「……威嚇?」
「畜生か、お前は」
とっさに出た言葉だったが、確かに言い訳にしか聞こえない。もっといい言葉は出ないものかと魔理沙の方に目を向けると、すでに隣で手を合わせていたので慌ててそれに倣う。
「いただきます!」
はじめて食べるお菓子は緊張する。さっきまで、考えていたことが簡単に頭から抜けるくらいには。フォークを手に取って、一口サイズに分ける。
口に運ぶと、優しい甘みがふんわりと口いっぱいに広がった。外側にまぶしている白い砂糖は口溶けが良く、しっとりとした生地との相性が良い。
お茶を啜れば、茶葉の香りと共に口の甘さが一度リセットされ、茶の苦味をより一層おいしく感じられた。
「中々いけるわね。まり……」
さ、といい終わる前に、私は口を閉じてしまった。魔理沙はただジッとバームクーヘンを見つめていた。満足げにも取れ、安堵のようにも取れるその表情はどこまでも幸せそうに見えた。
「食べないの?」
「えっ……あ……」
思い出したかのようにフォークを握った魔理沙を見て、私もまた食べ進める。
なんだか特別な思い入れでもあるのだろうか……中々見ない表情をする魔理沙を思い出して、私はお茶を啜った。
「で? これどうしたの」
バームクーヘンで大いに舌鼓を打った後、尋ねてみる。
「引き出物だよ。結婚式の」
「結婚式?」
「そう。過去依頼してきた奴が結婚してな。いやぁー、本当良かったよ」
「あんた、引き合わせでもしたの?」
「恋愛成就も霧雨魔法店の仕事のひとつだからな。実際に依頼してくる奴はあんまりいないが……それにしても、今回は依頼主もお相手もかなりシャイで恋の魔法使いさんは手を焼いたぜ」
魔理沙はいかに大変だったか語る。セッティングしても次に繋がらず、ムードを作るのにも中々苦労したという。
「でもまぁ、いい依頼だったよ。これを機にこういう依頼が増えればいいのに」
「えー、面倒くさそうじゃない?」
「嬉しいもんだぜ。見守って来た二人の結婚式を見たら、きっといい汗をかけるだろうよ」
「うーん……どうかしら。そもそも、結婚することがそんなにいいものに思えないし」
恋に憧れる気持ちは理解できても、それを結婚や恋愛と結びつけられると一気に理解できないものとなる。
自分からなにかをしなくても人は寄ってくるのだ。わざわざ、そこから離れて過ごす誰かとの共同生活など、今はまだ想像できない。
「例えば、魔理沙はここに毎日来るじゃない」
「まぁ、日が空くときもあるけどな」
「それで、私は大体知ってるわけ。あんたが、甘いお菓子を食べるときはテンションがいつもより高いとか、苦いお茶もそれなりに好んで飲むこととか」
「……」
「あとは、石鹸を最後まで使い切らないのも、寝相がそこまで良くないことも……それと……」
「おい!」
魔理沙は顔を赤くして私の言葉を止める。しかし、事実を述べただけであってそんなに酷いことを言った気はしない。私は構わず続けた。
「そういうのって、一緒に生活する上では切っては切り離せないけど、受け入れられるか分かんないじゃない。今までいいところだけを見せてきた恋愛相手に対してだと特に」
「お前……」
しばらく考え込む仕草をした魔理沙はゆっくりと口を開く。金色の瞳がゆらり揺れ動いた。
「私のこと好きなのか?」
なんでそうなる。
私は黙って、本気の顔をする魔理沙の頭をポンと叩いた。
「いて」
「そういうことじゃない」
「じゃあ、なんで私の話をした」
「付き合いが長いから例に出しただけ」
魔理沙は頬を幼児の様にぷくーっと膨らませた。
「付き合い日数と、生活する上での相性は別だろ」
うっ……と言葉を詰まらせる。確かに、そうかもしれない。
私は魔理沙との関係を引き合いにして、恋愛の不条理さを示したかっただけであったので、魔理沙の指摘にいい説明をつけられなかった。うまくまとまってない言葉を話しても次の展開は見えてこない。私は分かりやすく話を変えた。
「大体、面倒くさいのよ。恋愛って。デートとかいうのも、いちいち会う日にち決めて準備して……」
「お前らしい考えだな。まぁ、気持ちは分かる」
「でしょう。私は、あんたみたいに適当に来てもらって構わないんだけど」
言い切った後、空を眺めて気づいた。「あ」と腑抜けた声が溢れる。
「……お前、やっぱり私のこと好きだろ」
「だから、そういうんじゃないんだってば」
「じゃあ、どういうことなんだよ」
「私と魔理沙は……友情っていう枠から出ないから別にいいの!」
そう……どれだけ心を許しても好意を持っていても、それは恋愛とは明確に区別されるものなのだ。説明はできないが、それだけははっきりと言える。
それを聞くと、魔理沙はピタリと固まり、しばらくして照れた頬を掻いた。
「あー、こんなことシラフで……しかも本人に言いたくはないんだがよ」
お茶を酒に見立ててか一気に煽ると、私の方を改めて見た。
「私と霊夢の関係をただの友達でまとめるのは、違うだろ」
一瞬、本当に酔ってんじゃないかと錯覚を覚える。反論の言葉は考えるよりも先に出た。
「はぁ!? 何よそれ」
「いや、友情って名前でまとめるとお前の人間関係は画一化するだろうって話をだな……」
「何が言いたいのよ」
「だからー」
問い詰められて開き直ったのか、威勢を取り戻して話した。
「例えばな、ほら、早苗。東風谷早苗がいるだろ。そいつのことを単なる同業者として接しているわけじゃないだろ」
「同業者じゃない」
「そうだけど!」
人間の心はあるのかと、魔理沙はため息をついて続ける。
「じゃあ、私以外で友情を感じる相手を思い浮かべてみてくれ」
急にそんなことを言われてもと思いながらも、言われた通りに考えてみる。よく神社にくる奴らがなんとなく頭に浮かんだ。
「じゃあ、そいつらのいいところ悪いところを語れるか? さっき私のことを語ったみたいに一緒に生活してないとわからない様なことを細々と」
そう言われると、さっきみたいにスラスラと出てこない。言葉を詰まらせていると、魔理沙は得意げにした。
「な。友情にも色々種類があるんだよ。友達だからって、平等に相性がいい訳じゃないし一緒に生活できる訳じゃない」
ふむ……確かに魔理沙の言い分も理解できる。友情だって、心許せる相手がいなければそんなにいいものとは言えないのだ。
「あの霊夢が、神社が地震で倒壊したとき心配してきてくれたのも、潰れたとき鯢呑亭まで介抱しにきてくれたのも嬉しかったのに……数いる友人の中のひとりで済まされるのはちょっと寂しい」
小さな声でボソボソと呟く魔理沙を見て私はハッとした。そして、そのあまりにも幼く乙女な発想に口元を歪める。
「他の子と差別化を図る……つまり、私と一番の友達でありたいんだ。魔理沙ちゃんは」
「うわぁ〜!! その言い方やめろよ」
「ふふふ。でもそれこそ私のこと好きじゃないとできない考えじゃない」
「お前の言う、『友情』だって突き止めていけば私がてっぺんにいるだろうよ」
「うーん、そうかしら」
誰と仲良しで誰と相性が悪いかなんて、深く考えたことはない。そんなこと気にするのも面倒だ。
「割とどうでもいいかもしれない」
自然と出た言葉に魔理沙は目をまんまるにする。照れたり、驚いたりさっきから忙しい奴だ。
「やっぱりお前、私のこと大好きなんだよ」
「なんでそうなるのよ!」
「さっき、恋愛と私のことを無意識の内に結び付けていたってことだろ。そんなんもう好き以外のなんでもない!」
「はぁー?」
「ごめんな……罪な女で」
もういくら自分の意見を主張しても魔理沙は考えを曲げないだろう。頑固者め、と心の中で舌打ちをした。
こうなれば、言葉でいくら言っても通じない。手っ取り早く行動に移した方がいい。私は、魔理沙の腕を掴んでグッと自分の方に引き寄せた。
「わっ……!」
魔理沙の体制が大きく崩れて、私の腕の中に収まる。ジタバタと暴れるが、魔理沙一人くらい押さえ込むのは容易だった。
「なんだよ。急に」
涙目でこちらを睨む。本気で怯えている顔だ。私はため息をついて、軽くデコピンをした。
「ふぎゃ」
カエルが潰れた声をだして、魔理沙は大人しくなった。
「ね? 私、こうやってあんたのことを抱き寄せてもドキドキしないのよ。だから変な誤解はやめて」
語尾を強調してそう諭す。反論は返ってこない。
気を良くした私は、子供体温の温もりを感じながらふわふわと頭を撫でた。
改めて見ると、華奢な体つきをしているなーとぼんやり思う。私は魔理沙のことなら何でも知っていると、勝手に勘違いしている節があるのかもしれない。実際は、一面しか知らない可能性だってあるのに……。
そこまで考えて、私は吹き出した。柄にもないことを考えてしまったものだ。魔理沙の知らない面があったとして、それが今更なんだって言うのだろうか。
「何ひとりで笑ってんだよ」
「いやー別に」
笑い顔を隠すように顔を埋める。魔理沙のふわふわした髪が鼻先を掠めてくすぐったい。
「魔理沙はドキドキしてる。私のこと好きなんだ」
実際はドキドキなんて音はしない。でも、刻む心音に耳を傾ければ嫌でもその感情がわかった。
「心臓の音だけで好きと決めつけるのはお前くらいだぜ」
拗ねた魔理沙は、私から離れることを試みる。私は顔を上げた。
「ちょっと、寒いんだからずれないでよ」
「私はお前の抱き枕になったつもりはない! 人間扱いすらしてくれない薄情なお友達からは離れて運命の人を探しに行くんだ」
「別にいいじゃないこのままで。なんも不便することないのなら、このままずっーと一緒にいましょうよ」
「ずーっと、一緒にいても結局お前の中で私はただの友達止まりなんだろ。そんなのお嫁に行き遅れてしまうぜ」
婚期を逃した自分を想像したのか魔理沙はやだー、と足をバタつかせる。
「あー、はいはい。じゃあもう魔理沙が好きになんでも名前をつけていいわよ。大親友でもズッ友でも」
「そんなん、余計に悲しくなるだろ。もういい! 外で霊夢のことなんて忘れて、幸せな家庭でも築いてくる!!」
それを聞いて、私はお嫁に行った魔理沙を想像する。
彼女のことだから、旦那は大変苦労しそうだ。生活習慣も、趣味も、思考だって初めて知ることが多いのだから。その点、私は魔理沙とは長い付き合いだから生活する分の上で、ある程度のことは知っている。魔理沙専用のお泊まりセットも湯呑みも神社にあるのだ。そこにいなくても存在を感じることができる。
やはり、考えれば考えるほどに、今の安定して心地の良い関係性があるというのに他の奴のところに行く気持ちがわからない。恋愛という感情はそんなにも力を持っているのだろうか。だとしたら、少し疎ましい。
子供体温をしているから抱くと湯たんぽの代わりになることも、見た目以上に細い体をしていることも知っている。想像上の魔理沙の旦那はそれを知らないだろう。いや、いずれは知ることになるのだろうけれど私の方が先に知っているという事実は変わらないわけで……そう思っても、なんだか私と魔理沙の関係性を上塗りされたみたいで腹が立つ。
「……別に親友とか悪友とかそんなありきたりな名前を当てはめたいわけではないんだ」
魔理沙は力が緩まった私の腕の中から、ゆっくりと身体を起こして、ポツリと語る。
「霊夢とのことを考えるとよくわかんなくてよ。私の中で友達とかそういう域は超えてんだ。でも、それは親愛の延長線であって、恋ではない。絶対に」
「……」
「家族愛でもないし、愛玩動物に向ける愛でもない。きっと、愛だ恋だのに限りなく近い別の類のもんなんだろな」
その言葉はすんなりと私の中に入ってきた。あぁ、それならわかるかもしれない。先ほどの嫉妬心に似た感情にも説明が行く。
「そうかもね」
「わかってくれるのか」
「うーん、私はね、誰かを特別視したり関係性に名前をつけたりしようとは思わないけど……」
膝の上の温もりは少しづつ冷めていく。私は手を後ろにつけて、目線を上にずらした。
「やっぱり、あんたといると何だかんだ落ち着くし……あんたが、私から離れるのはヤダ」
それを聞くと魔理沙は、感激したように声にならない声で叫び、私の背中をバンバンと叩いた。どういう意味で受けとったのかは想像したくもない。ただ明るく「そうかそうか!」と魔理沙は笑った。
「あのな、こんなこと言うのは本当に恥ずかしいし、後悔もすると思うんだが……」
「……例え、私やアンタが誰かに恋愛感情を持ったとしても、優先順位は今と変わらないんでしょうね」
魔理沙の言葉を先回りする。互いにこれ以上発展は望んでいないけれど、誰よりも優先したいし落ち着く仲である。そう考えると、恋愛というものももっと自由であっていい気がする。まぁ、面倒くささを忘れさせてくれるような相手がいればの話だが。
「んー!」
背伸びをして、固まる魔理沙に笑いかける。
「ねっ、バームクーヘン。おかわりしたい」
「えっ……!? あっ、そんなに食べたらおゆはん食べられなくなるけど……」
「いいの。今日は酒のつまみ程度で済ますから」
「あー、それはいいな。私も今日は酒を浴びるように飲みたい気分だぜ」
「そう? じゃ、つまみを準備する担当を決めましょうか」
袖口から取り出すお札を魔理沙に向ける。待ってましたとばかりに、こちらに八卦路が向けられた。
それだけで合図は十分。
床を蹴り上げ、空を目指す。
少女たちは春に近づく風を纏った。
読んでいて楽しかったです!
イチャついてる二人がかわいらしかったです