縁側に立ち、半欠けの月を見やりつつ、想う。
どうやって、お帰りなさいをしようかしら。
抱きつく?
にこにこ待っている?
それともしおらしく、嫋やかにしてみようか。
いや、隠れて脅かすのも楽しそうだ。
巫女の反応が、どれを選択しても楽しめる。
半欠けにやや満たぬ月は、銀の光を少しばかりひかえめに注いでいる。
雲の少ない夜だ。それだけ陰も濃くなっている。
悪戯を選んだ吸血鬼は、縁側から少しだけ離れ、陰に身を潜める。爛と輝く紅いほむらだけは隠しようがないが、まあそれも御愛敬。
身を潜めてうひひと笑みを零していると、すうっと……あの子が降り立った。
夜空から音も無く現れた博麗の巫女は、そのまま縁側まで来て靴を脱ぐ。
――そのすがた
紅の巫女衣装が尚紅く、夥しい赫に染まっていた。
白い肌のあちこちが獣傷に紅く裂かれ、いくつかはどす黒く変色していた。
特に左肩、大きな傷の上には博麗の札。強制的に治癒を促進させ、欠損をふさぐ、つなぐものであると聞いたものが貼られている。
頬にも、しばらく残りそうな程の傷。
巫女装束の血濡れは自分のものと、相手のもの、そういうことなのだろう。
満身創痍の少女。
痛々しい有り様。だのに相貌は凛とした巫女の侭で……黒水晶を想わせる、あの綺麗な瞳の瞳孔が開ききっていた。
ああ、ようかいをころすかおをしている。
レミリアは、息をするのも忘れ、その圧倒的な美しさに見蕩れていた。
何処の三下妖怪かは識らぬが、幻想郷の枠から外れたのか。
愚かであり、羨ましくある。
もしも話す機会があったら聞いてみたいものだ。
「ねえ、巫女にころされるのって、どんなきもち?」
魔王の密かな欲望は、時折こうして現れる。
すぐに首を小さく振って、悪戯っぽく、喉が震えないよう注意しながら明るい声を絞り出す。
「れーいむっ」
――は、と。
霊夢は誰もいないと認識していた場所に、誰かが、いいや、愛らしい吸血鬼の恋人がいたことに気が付いた。
そちらを向く。
――黒瞳に、ひとの光が灯る。
――紅瞳から、妖しの畏れが消える。
「なんだ、きてたの」
「霊夢」
「……なに?」
レミリアは、問答もせずに、両手を拡げる。
「おいで」
「――」
霊夢は静かに二、三歩、近付いてきて、両膝を折って抱きついた。
つよくつよく、抱き返す。
「……つかれた」
「……うん」
少女が身体を預けてくる。
吸血鬼は、黒髪の間からのぞくうなじに一度だけ生唾を飲み込んで、それから少女を横抱きに抱え上げた。
「まずは手当て、それからごはんとおふろね」
「ふふっ…お任せするわ」
くすぐったそうに霊夢は笑い、それから甘えるように頬を寄せてきた。
……先までの、研ぎ澄まされた刃のような気配はもう何処にもない。
それはうつくしいけれど、霊夢、とても折れやすいものよ。
声には出さず、脱衣場へと向かっていく。
彼女は、折れることを躊躇わない。何度でも折られ、その度に鍛え直していき、より鋭い切っ先を持つのだろうから。
肉はそれでいいだろう。けれど、こころはどうなの?
その疑問と向き合うには、まだ答えが遠かった。
***
「手酷い怪我は食い千切られた左肩くらいか。あとはしばらく休めば治るでしょう……人間って、不便よね」
「あんたたちが便利すぎなのよ……不便な方が、生きているって実感できるわ」
一通りの世話を終え、寝床でふたり重なる。
霊夢は驚くほど素直で、レミリアの甲斐甲斐しい世話の全てを受け入れてくれた。
「いつもなら、皮肉の一つも吐くのにね」
「そりゃ怪我人なんだから世話人の言うことは聞くわよ。 まるで私が偏屈者みたいに言わないで」
頬を膨らませて抗議する霊夢。
先までの剣呑はどこにいったのやら、今夜はいつにまして可愛らしい。はて、機嫌を良くするなにかあったのかしらん。
細かいことは考えず、霊夢の黒髪を優しく撫でつつ布団を掛けてやる。
その気配に、すぐに気が付かれた。
「どこにいくの」
「どこって……帰るよ。霊夢が寝たら。怪我人を相手になにをするでもなし、お茶も、ごはんも用意できたしね」
言葉が終わる前に、手首を握られた。
――それだけで、伝わる。
「……おきたとき、おはようって言ってあげようか?」
「……ううん」
「……怪我してるじゃない」
「あんたはその方が嬉しいでしょ?」
「いやそういう趣味はあまりないよ。私が好きなのは霊夢の血潮」
「意味は同じじゃないの」
……やっぱり、助平扱いされたことには不満が残る。
おたがいさまじゃないかしらん。
もそもそと霊夢の寝床に潜り、少しばかり苦労して着せた寝装束の胸元を、開ける。
布団の作る暗闇のなかなのに、浮かび上がる少女の双丘は、はっとするほどに白く、なだらかな曲線が仄かな色香を匂わせる。
だけど獣傷は情け容赦なく、そこにも無惨に奔っていた。
布団の中から、頭上の隙間を覗き込む。
……行燈の光を受け、黒水晶が此方に向かって瞬いていた。
「……ねえ、やっぱりおはなしだけにしない? 身体の傷が痛々しくて」
「だからよ。あんたの傷で上書いて」
「――――」
その言葉は痛烈に過ぎる。
一撃で、理性が崩壊した。
牙を剥き、乳房へと奔らせる。
それが肌に沈もうとする前、霊夢はただ一言。
「わたしがこうしていられるじかんはそんなにながくないよ」
とだけ、言った。
「そんなの関係ないよ。しわくちゃのお婆ちゃんからだって、吸ってやるんだから」
「ええ……本気?」
「あったりまえじゃない」
柔肉に牙が沈む。
は、ぁ、と、巫女の息が上擦る。
赤子の如く乳を吸う。
吸っているのは血潮だが、これって乳とあまり変わらないと、いつだか魔女から聞いたことがある。
「せいぜい衰えないようにするわ。でも……」
「でも?」
霊夢は、喘ぎながら続けた。
「終わるなら、あんたに吸われながらというのも、良いかもね」
なんてひどいことばだろう。
呪詛よりもずうっと質の悪い鎖。
「終わるなら……霊夢がいい」
「うん、知ってる」
いつか終わるなら、貴女がいいわ。
ふたりは静かに微笑み合うのだった。
おわり
かいがいしくお世話してるレミリアがかわいらしかったです