「霊夢っ、遊びに来たわよっ」
或る夜のこと、いつものように神社の境内に降り立った白いドレスの幼女は、紅玉よりもなお紅い瞳を爛と燃やして周囲を見渡す。
そして、がっくりと項垂れた。
「いないのかあ……」
――ここ数日、この神社の巫女は帰ってきていない。
人里で、なにやら面倒事をこなしているのだろう。
よくよく働くことだ。あの子を暢気な巫女さんと揶揄うものは数多並ぶが、さてどうなのだろうか。
来訪せし紅魔の王は、自分の方が余程に怠け者だと自信があった。
少なくとも、異変の都度、悪さする妖怪の現れる度、人里へと飛び去るなんて面倒、自分はしたことがない。誰かを助ける仕事を押し付けられたこともない。
仕える民のない王など、そんなものだ。
「……おじゃましまーす」
勝手知ったるなんとやら、で社務所兼居住所となっている居間へと上がる。
靴は脱ぐ。
そのままあがったら怒られるのだ。
とことこ歩きつつ、灯りもない部屋の中を確認。
昏い部屋の中には何の気配も残っていない。家主のいない寒々しさだけが漂っていた。
くらい部屋の中でひとり、おひさまのような光景を思い起こす。
……彼女がただそこにいるだけで、妖精も妖怪もしらずしらずに集まってきて、彼女をかまい、慕い、まとわりつく。
誰かがあの子を揶揄う。
すると、思った通り、或いはそれ以上の反応が返ってくる。
どうあれその転がした鈴の音は、ひどく心地よくその場にいる皆へと響く。
喧騒が、楽声が、部屋の中を飛び交っていき、誰もが形容のしようがない安寧を堪能してまた銘々好き勝手をはじめる。
誰しもが愉しむ、とろんとした午睡のような時間。
それをひとは「しあわせ」と呼ぶこともあるだろう。
提供してくれるのは、中心にあの子が居るからに他ならぬ。
みんなのみこ。
……あの子はわかっているのだろうか?
暗闇の中、眸と浮かび上がる、紅。
幼女はきょろきょろと、闇に燃ゆる紅い瞳を忙しなく動かしつつ、昏い部屋の中を彷徨き続ける。
……拭き掃除は一昨日やった、箒がけは、昨日。
食事…にしようかしらん。
咲夜に習った簡単な創作中華。炒め飯とやらでも作ろうか。
肉はあるかな……そうだ、昨日使った咲夜謹製ハムがまだあった筈だ。
……もう、この部屋でしてあげられることがなくなったことに寂しさを憶える。
なんだかんだあの子はしっかりものだ。
部屋はいつも清潔で綺麗だし、整頓もされている。
狼藉者が荒らし回れば怒って掃除させ、連中が仕事を終え去ったあと、仕事の不足を拭いたり掃いたりする。
あの子のそんなところがたまらなく好きだ。
独りで暮らすことの大変さをよくよく知っているし、忘れないのだろう。
「ホントは私と暮らして欲しいけど――」
まあ、無理な話だ。
あの子は王に託宣する王宮巫女ではない。
博麗の巫女なのだから。
戸棚の縁に、つうっと紅い爪を奔らせて、指先を確かめる。
僅かに付着した埃を見付けてくすりと笑う。流石に咲夜の仕事ほどではない。
それでも、あの子はいつだって身の回りを美しくあろうとしているのは間違いない。
この誰もいない部屋の有り様を見ればよくわかる。
――それは、彼女がいつ如何なるときも“もうこの部屋に戻れないかもしれない”と、こころのどこかに覚悟を置いているからではないだろうか。
あの子は多くを語らない。
だからもっともっと、あの子からいろんな言の葉を引き出したい。
紅い目の幼女は密かに願う。
そのために、もっともっと仲良くなりたいとも願う。
王は貪欲だ。
巫女からの寵愛を一心不乱に欲しがる。
身体を何度重ねても、心を何度重ねても、けして満ち足るをゆるさない。
なんせあの子はどこまでも自由なのだから。
繋ぎ止めるのは困難を極めるのだから。
無涯の蒼穹をこころに持ったあの子に対するには、無底の深海を用意する他ない。
「さてやるか」
土間に下りて、料理の準備を始める。
色んなものが高めの場所に置かれているのは彼女の背丈に合わせているからだろうか。
自分が使う際はどうしたって飛ばねばならぬ。蝙蝠羽根をほんのちょっとだけはためかせ、ふわふわと移動しながら調理器具を用意していく。
吸血幼女は生活技術を概ね会得している。
すぐ傍にパーフェクトメイドがいるから滅多にそれは振るわれないが、元々あのメイドに最初の仕込みをしたのも自分なのだ……誰に言っても信じないだろうが(咲夜にすら!)
調理などお手の物、お茶の子サイサイだ。
まあ、煮る焼く炒めるくらいのものだけど。
数百年の歳月がそれを教えた……という大層なものでもない。
かつて人の世に生き存えた際、やらねばならなかったからしただけのこと。
だから正直、出来の程は自信が無い。
だけど、あの子は「美味しい」と喜んでくれた。
あの笑顔が見たくて、たまにこうして腕を振るうのだ。
……もう三日、自分のためにしか作れていないが。
「オタマの位置がなー……手が届かないのよ。こっちに釘を打って吊った方がやりやすいと緒も思うのだけどなあ」
ぶつぶつ恋人の家のレイアウトに文句を言いつつ下拵え。
今夜は煮込み料理でもやってみようか。
適当に材料をぶち込んで「これはポトフ」と言い張ろう。
大丈夫、相手は咲夜じゃないから押し切れる。
そうと決まれば野菜を用意。
土間奥から設えてある井戸から水を汲み、鍋へと移す。
この神社に似合わぬ大鍋は、きっと白黒魔法使いのものだろう。
こいつ、案外活躍の場は多い。
なにしろこの神社は宴会場と勘違いしている奴儕の多いこと。あの子も、その他料理担当の者達も、この鍋の存在をありがたがっている場面をおぼえている。
「魔女と鍋は、切っても切れぬ関係なのよ」とは居候魔女の台詞であったか。
竈に火を入れる。あの子なら火口を使うのだろう。面倒臭いから魔力で賄う。
指パッチンで火を付ける。この程度の魔術ならできるのだ。
紅魔館から持(かっさら)ってきた食材を次々包丁でざっくばらんと斬り分けて、軽く洗ったら次々と魔女の大鍋へとぶちこんだ。
それから件の謹製ハムを取りだして、かなり豪快に斬り捌き、やはり、ぶち込む。
おしまい。
「やや、あっという間に終わってしまったわ」
まあ、灰汁を取ったりする暇潰しはある。
紅魔の幼女はひとしごと終え、居間へと戻った。
……もう、深夜の時間帯だ。
家主は今日も戻らないか。
あの子が座る定位置に尻を置き、ほうと一息ついた。
そうだ、お茶も作っておこう。
土間に戻ってわちゃわちゃと火を起こし、薬缶を置いてから、静か過ぎる部屋へとまた戻る。
ほう、と一息吐いてから、ちゃぶ台に頬を置いた。
……運命を操るとは、未来を操るわけではないし、未来が視えるものでもない。
彼女が空からふと現れる、そんな都合の良い現実を作れるものではなく、そして彼女の帰還を予め知れるものでもない。
だけど、そんな都合の良い能力なんて願い下げだ。
未来なんて、解らないからこそ面白い。
「だけど、待っているだけのオンナってのも、なあんかめそめそして嫌なのよねえ」
とはいえ自分が巫女の横で妖怪退治に協力というのは流石に駄目だろう。実はちょっと、いや結構興味があるのだけれど。
あの子も嫌がるはずだ。
だけど、なんとなく想像してしまう。
博麗の巫女が斃されそうになるところに、颯爽と登場し、満身創痍の華奢な身体を抱き留めて、優しく「もう大丈夫」と囁く――。
「ないわー」
あの子が其処まで追い込まれているところが想像できない。
いや、嘘。
無理矢理に、頭から追い払ったが正解。
“それ”を想像したら、いてもたってもいられなくなる。
大事なものを喪うことは、なによりもおそろしい。
――あの子を傍におきたい。
外界のなにもかもから隔離し閉じ込めて、安寧のままに己との蜜月を送り続けたい。
なんとなく、あの子はそれを受け入れるのではないかとの期待すらある。
絶対に有り得ないと強い否定がすぐに湧くのだが。
自分はそれが過ちだとわかっている。
カゴメカゴメは遊びだけにしておくべきなのだ。
妹のためにしたことを後悔はしていない。
けれど、間違ったことだとも理解はしていた。
「そういえば、かごめって神具女でもあるのよね」
まあ、あの子は神に囚われてはいないっぽいけど。
あれでよくもまあ巫女と名乗れるものだが。
……昏い部屋のなかで戯れる巫女と自分を夢想するのは存外好きだ。
だが、想いの中だからこそのものでもある。
昏い、くらい密度の濃い闇の中で、戯れる二つの白い肉。あの子の声、汗、匂い、息、そして、流れる血潮……。
は、と首をぶんぶん振って考えを断ち切る。
まったく、喪うを怖れるあまり、それを性欲へと強制変換する癖が付いてしまった。
まあおかげで随分と吸血衝動に耐えられるようになったが、巫女から「あんたってけっこう助平よね」とか言われてしまい、しばらくショックから立ち直れなかった。
プラトニックを至上としているわけではないけれど、性欲に負けているだなんて言われるのは甚だ心外だ。である。それをいうならあの子だって結構……いや、もうよそう。
斃れ伏せる巫女の姿を心の闇から追い払うことは出来た。それで充分。
「欲望って偉大だわ」
でも、実際のトコロ王ってそんなもんじゃないか? いや、もう蒸し返すのやめやめ。
そろそろ灰汁でも取るかと立ち上がる。
その瞬間――運命の囁きが聞こえた。
巫女が、もうすぐ帰ってくる。
まったく不便極まりないというかこの制御できない能力を、王は結構気に入っている。
自分によくよく合っている。そう思う。
さて、お茶を点てて、ポトフの調子を見て、速効で風呂の準備をして、それから夜空を見上げようか。
或る夜のこと、いつものように神社の境内に降り立った白いドレスの幼女は、紅玉よりもなお紅い瞳を爛と燃やして周囲を見渡す。
そして、がっくりと項垂れた。
「いないのかあ……」
――ここ数日、この神社の巫女は帰ってきていない。
人里で、なにやら面倒事をこなしているのだろう。
よくよく働くことだ。あの子を暢気な巫女さんと揶揄うものは数多並ぶが、さてどうなのだろうか。
来訪せし紅魔の王は、自分の方が余程に怠け者だと自信があった。
少なくとも、異変の都度、悪さする妖怪の現れる度、人里へと飛び去るなんて面倒、自分はしたことがない。誰かを助ける仕事を押し付けられたこともない。
仕える民のない王など、そんなものだ。
「……おじゃましまーす」
勝手知ったるなんとやら、で社務所兼居住所となっている居間へと上がる。
靴は脱ぐ。
そのままあがったら怒られるのだ。
とことこ歩きつつ、灯りもない部屋の中を確認。
昏い部屋の中には何の気配も残っていない。家主のいない寒々しさだけが漂っていた。
くらい部屋の中でひとり、おひさまのような光景を思い起こす。
……彼女がただそこにいるだけで、妖精も妖怪もしらずしらずに集まってきて、彼女をかまい、慕い、まとわりつく。
誰かがあの子を揶揄う。
すると、思った通り、或いはそれ以上の反応が返ってくる。
どうあれその転がした鈴の音は、ひどく心地よくその場にいる皆へと響く。
喧騒が、楽声が、部屋の中を飛び交っていき、誰もが形容のしようがない安寧を堪能してまた銘々好き勝手をはじめる。
誰しもが愉しむ、とろんとした午睡のような時間。
それをひとは「しあわせ」と呼ぶこともあるだろう。
提供してくれるのは、中心にあの子が居るからに他ならぬ。
みんなのみこ。
……あの子はわかっているのだろうか?
暗闇の中、眸と浮かび上がる、紅。
幼女はきょろきょろと、闇に燃ゆる紅い瞳を忙しなく動かしつつ、昏い部屋の中を彷徨き続ける。
……拭き掃除は一昨日やった、箒がけは、昨日。
食事…にしようかしらん。
咲夜に習った簡単な創作中華。炒め飯とやらでも作ろうか。
肉はあるかな……そうだ、昨日使った咲夜謹製ハムがまだあった筈だ。
……もう、この部屋でしてあげられることがなくなったことに寂しさを憶える。
なんだかんだあの子はしっかりものだ。
部屋はいつも清潔で綺麗だし、整頓もされている。
狼藉者が荒らし回れば怒って掃除させ、連中が仕事を終え去ったあと、仕事の不足を拭いたり掃いたりする。
あの子のそんなところがたまらなく好きだ。
独りで暮らすことの大変さをよくよく知っているし、忘れないのだろう。
「ホントは私と暮らして欲しいけど――」
まあ、無理な話だ。
あの子は王に託宣する王宮巫女ではない。
博麗の巫女なのだから。
戸棚の縁に、つうっと紅い爪を奔らせて、指先を確かめる。
僅かに付着した埃を見付けてくすりと笑う。流石に咲夜の仕事ほどではない。
それでも、あの子はいつだって身の回りを美しくあろうとしているのは間違いない。
この誰もいない部屋の有り様を見ればよくわかる。
――それは、彼女がいつ如何なるときも“もうこの部屋に戻れないかもしれない”と、こころのどこかに覚悟を置いているからではないだろうか。
あの子は多くを語らない。
だからもっともっと、あの子からいろんな言の葉を引き出したい。
紅い目の幼女は密かに願う。
そのために、もっともっと仲良くなりたいとも願う。
王は貪欲だ。
巫女からの寵愛を一心不乱に欲しがる。
身体を何度重ねても、心を何度重ねても、けして満ち足るをゆるさない。
なんせあの子はどこまでも自由なのだから。
繋ぎ止めるのは困難を極めるのだから。
無涯の蒼穹をこころに持ったあの子に対するには、無底の深海を用意する他ない。
「さてやるか」
土間に下りて、料理の準備を始める。
色んなものが高めの場所に置かれているのは彼女の背丈に合わせているからだろうか。
自分が使う際はどうしたって飛ばねばならぬ。蝙蝠羽根をほんのちょっとだけはためかせ、ふわふわと移動しながら調理器具を用意していく。
吸血幼女は生活技術を概ね会得している。
すぐ傍にパーフェクトメイドがいるから滅多にそれは振るわれないが、元々あのメイドに最初の仕込みをしたのも自分なのだ……誰に言っても信じないだろうが(咲夜にすら!)
調理などお手の物、お茶の子サイサイだ。
まあ、煮る焼く炒めるくらいのものだけど。
数百年の歳月がそれを教えた……という大層なものでもない。
かつて人の世に生き存えた際、やらねばならなかったからしただけのこと。
だから正直、出来の程は自信が無い。
だけど、あの子は「美味しい」と喜んでくれた。
あの笑顔が見たくて、たまにこうして腕を振るうのだ。
……もう三日、自分のためにしか作れていないが。
「オタマの位置がなー……手が届かないのよ。こっちに釘を打って吊った方がやりやすいと緒も思うのだけどなあ」
ぶつぶつ恋人の家のレイアウトに文句を言いつつ下拵え。
今夜は煮込み料理でもやってみようか。
適当に材料をぶち込んで「これはポトフ」と言い張ろう。
大丈夫、相手は咲夜じゃないから押し切れる。
そうと決まれば野菜を用意。
土間奥から設えてある井戸から水を汲み、鍋へと移す。
この神社に似合わぬ大鍋は、きっと白黒魔法使いのものだろう。
こいつ、案外活躍の場は多い。
なにしろこの神社は宴会場と勘違いしている奴儕の多いこと。あの子も、その他料理担当の者達も、この鍋の存在をありがたがっている場面をおぼえている。
「魔女と鍋は、切っても切れぬ関係なのよ」とは居候魔女の台詞であったか。
竈に火を入れる。あの子なら火口を使うのだろう。面倒臭いから魔力で賄う。
指パッチンで火を付ける。この程度の魔術ならできるのだ。
紅魔館から持(かっさら)ってきた食材を次々包丁でざっくばらんと斬り分けて、軽く洗ったら次々と魔女の大鍋へとぶちこんだ。
それから件の謹製ハムを取りだして、かなり豪快に斬り捌き、やはり、ぶち込む。
おしまい。
「やや、あっという間に終わってしまったわ」
まあ、灰汁を取ったりする暇潰しはある。
紅魔の幼女はひとしごと終え、居間へと戻った。
……もう、深夜の時間帯だ。
家主は今日も戻らないか。
あの子が座る定位置に尻を置き、ほうと一息ついた。
そうだ、お茶も作っておこう。
土間に戻ってわちゃわちゃと火を起こし、薬缶を置いてから、静か過ぎる部屋へとまた戻る。
ほう、と一息吐いてから、ちゃぶ台に頬を置いた。
……運命を操るとは、未来を操るわけではないし、未来が視えるものでもない。
彼女が空からふと現れる、そんな都合の良い現実を作れるものではなく、そして彼女の帰還を予め知れるものでもない。
だけど、そんな都合の良い能力なんて願い下げだ。
未来なんて、解らないからこそ面白い。
「だけど、待っているだけのオンナってのも、なあんかめそめそして嫌なのよねえ」
とはいえ自分が巫女の横で妖怪退治に協力というのは流石に駄目だろう。実はちょっと、いや結構興味があるのだけれど。
あの子も嫌がるはずだ。
だけど、なんとなく想像してしまう。
博麗の巫女が斃されそうになるところに、颯爽と登場し、満身創痍の華奢な身体を抱き留めて、優しく「もう大丈夫」と囁く――。
「ないわー」
あの子が其処まで追い込まれているところが想像できない。
いや、嘘。
無理矢理に、頭から追い払ったが正解。
“それ”を想像したら、いてもたってもいられなくなる。
大事なものを喪うことは、なによりもおそろしい。
――あの子を傍におきたい。
外界のなにもかもから隔離し閉じ込めて、安寧のままに己との蜜月を送り続けたい。
なんとなく、あの子はそれを受け入れるのではないかとの期待すらある。
絶対に有り得ないと強い否定がすぐに湧くのだが。
自分はそれが過ちだとわかっている。
カゴメカゴメは遊びだけにしておくべきなのだ。
妹のためにしたことを後悔はしていない。
けれど、間違ったことだとも理解はしていた。
「そういえば、かごめって神具女でもあるのよね」
まあ、あの子は神に囚われてはいないっぽいけど。
あれでよくもまあ巫女と名乗れるものだが。
……昏い部屋のなかで戯れる巫女と自分を夢想するのは存外好きだ。
だが、想いの中だからこそのものでもある。
昏い、くらい密度の濃い闇の中で、戯れる二つの白い肉。あの子の声、汗、匂い、息、そして、流れる血潮……。
は、と首をぶんぶん振って考えを断ち切る。
まったく、喪うを怖れるあまり、それを性欲へと強制変換する癖が付いてしまった。
まあおかげで随分と吸血衝動に耐えられるようになったが、巫女から「あんたってけっこう助平よね」とか言われてしまい、しばらくショックから立ち直れなかった。
プラトニックを至上としているわけではないけれど、性欲に負けているだなんて言われるのは甚だ心外だ。である。それをいうならあの子だって結構……いや、もうよそう。
斃れ伏せる巫女の姿を心の闇から追い払うことは出来た。それで充分。
「欲望って偉大だわ」
でも、実際のトコロ王ってそんなもんじゃないか? いや、もう蒸し返すのやめやめ。
そろそろ灰汁でも取るかと立ち上がる。
その瞬間――運命の囁きが聞こえた。
巫女が、もうすぐ帰ってくる。
まったく不便極まりないというかこの制御できない能力を、王は結構気に入っている。
自分によくよく合っている。そう思う。
さて、お茶を点てて、ポトフの調子を見て、速効で風呂の準備をして、それから夜空を見上げようか。