Coolier - 新生・東方創想話

Four better phrase, for better days. - ルナサと魔法のヴァイオリン

2024/04/07 14:17:28
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Key.||

「それで?」

 そう言って、つんとそっぽを向いているのはリリカ・プリズムリバー。私の妹さん。
 ここは彼女にあてがわれた個室で、たった一晩のうちに嵐過ぎたるというように荒れ果てている。
 とはいえ……一眠りして(幽霊だって休息は必要よ)スッキリした頭のおかげだろうか。リリカのトゲっとした言葉も、今まで程は堪えなかった。
 むしろ心の底から湧いてくる活力――眠ったおかげだけじゃない。それはきっと……。

「だから、思い出したの。どうして音楽を始めたのか。もちろん最初は手段でしかなかった。レイラを喜ばせるために練習しただけの手段。でもあの日、レイラは笑いもくさしもせずに私の演奏を受け入れてくれて……緊張したけど、散々だったけど……だけど、楽しかった。私、初めて音を楽しむことができた。だから……誰かを楽しませる音こそが、私の理想の音色だったんだわ」
「ああそう……それで? それと今の状況と……なんの関係があるわけ?」

 ぐしゃぐしゃになったベッドシーツに寝転がり、にべもないリリカ。
 妖精メイド達に注文したのか、ベッドの周りにはジュースの瓶やコップも出しっぱなしだし……はあ。姉としてはきっと注意した方がいいんだろうけど、それは後回し。
 だって今は、私の方からリリカに時間を取ってもらってる立場なんだ。
 今朝方に妖精メイドたちへの即興ソロコンサートを終えて……考えた。たくさんたくさん考えた。どうしてこうなってしまったんだろう。どうしたらいいんだろうって。
 まあ考えるまでもないんだけど。もとより選べる道は二つだけだ。究極的には、

 一つ。今の演奏を続け、この館を去るか。
 一つ。昔の演奏に戻して、ここでの仕事を受けるか。とはいえ……いや、今は考えまい。

 宿題の締め切りは今日の陽が沈むまで。それですら待ってもらいすぎの特例措置。そしてもう太陽は天中高くに至り、時間は刻一刻と減っていく。
 雷鼓さんは、リリカにそのことを伝えてくれただろうか? ううん、雷鼓さんは伝えておいてくれると請け負った。なら、そうなのだろう。
 実際にリリカはいらいらを隠そうともしないで、声を荒げた。

「言っておくけど泣き落としなら無意味だから! レイラが喜んでくれた? だからなに? それだから今夜の演奏会も頑張ろうってわけ? そんなの虫が良すぎない!?」
「ちがう。ちがうの、リリカ。そういうことじゃなくって。ごめんなさい私あなたの気持ちようやくわかったの。昨日の夜、あなたが言いかけていたことが」
「……いちいち覚えてないよ」
「誕生日会はおめでたいものだって。そう言ってたよね」

 それにしてもほんとうに、私は何を勘違いしていたんだか。
 だって誕生日なんだ。バースデーなんだ。お祝いなんだ、レミリア・スカーレットが依頼した演奏は。
 もちろん彼女本人は私たちの音楽を絶賛してくれた。そう、それで? まさに「それで?」って感じだわ。
 依頼人が本当に必要なものを理解しているとは限らない――なんて、そんなのはありふれた話。
 見るべきは、知るべきは、本当に気にかけるべきは、私たちの音楽をまさに届けたい相手のこと。
 「Bevitore」は理想の音色を紡ぎ出す。そう……でもその「理想」はいったい誰にとってのものなのか。最大公約数的に「完璧」な演奏が必ずしも望ましいわけじゃない。
 例えば私の拙い演奏がレイラの心を動かしたように。だけどそんなことにさえ、私はずっと気がつけなくて。

「誕生日にふさわしい音は、楽しい音、賑やかな音、そこに居たくなるような騒々しい音だ」

 おっかなびっくり自分の言葉を確かめながら、私はなんとか声を振り絞る。
 それに対して――ちぇ、と。リリカの不器用な舌打ちもどき。ぼふっとベッドに身を投げ出した彼女の「あーーっっ」という呻き声。

「おっそ!」

 そして、部屋のあらゆるを震わす力強い声量が響いた。

「え?」
「気がつくの、おっそ!! わかってんじゃん!! じゃあ最初から……はぁ、あーー、もう……知らない」
「……リリカ、怒ってる」
「当たり前だよっ!」

 姉妹で喧嘩したことは何度もあるけど、妹からこんな風に怒られるのは、もしかしたら初めてかもしれない。
 そうか。そうなんだ。怒るのは、当たり前なんだな……。

「相談もせず急に演奏の仕方を変えるなんて、怒られてもしかたなかった。本当にごめんなさい」

 だけど謝る私に対して、リリカは首を横に振って、

「そんなのは、別にいい。リーダーはルナ姉だし、私は三女だから? お姉様たちが決めてくれた道に着いていく方が楽だし~」
「そ、そうなの? じゃあやっぱり、私がなかなか誕生日会にふさわしい音に気が付かなかったから――」
「いやそれも違うでしょ……はぁ。私も一晩、いろいろ考えた! 柄にもなくさ。言葉にするのは苦手だけど……うんまあ、色々とルナ姉にばかり放り投げてきたって私も自覚してるよ。ちょっとは負い目も感じてるわけ。かしこいかわいいリリカちゃんなのよ。それでもさ……今のルナ姉は、やりすぎ」
「やりすぎ……」
「楽団の演奏をぜんぶ一人で背負ってるって感じがするよ。私たちはただ使われてるだけで。うーんでも使われるのが嫌なんじゃないけど……奏者はコンポーザー(指揮者)に従うものだから。それでもいいんだけどさ……あーごめんルナ姉、こっから言語化されてないかも。ちょとタンマ、タンマ!」

 タンマと言われてもどうしたらいいのか……。
 寝っ転がったまま「あー」とか「うー」とか言っているリリカをぼんやりと待つ。待ちながらも、私だって考える。
 とはいえ私はリリカじゃないから、リリカの心はわからない。私には私の経験値しかないから。とはいえ……一つ、思い出す。

――なあ、べヴィトレ……そんなに俺たちのことが信用できないか?

 そうだ。昨夜にあのヴァイオリンを弾き続けた時――今思えばなんでそんな事をしたんだろう? 衝動に突き動かされるままだった――ふと、白昼夢のような光景を見た。
 べヴィトレ。Bevitore。それは人の名前、あるいは呼び名だった。そこで私は、彼は、ひげもじゃの仲間から確かにそう言葉をかけられた。
 ヴィーノ・ロッソと哀しみの味。やるせない後悔と独善的な怒りの衝動。わだかまった胸の焦げるような息苦しさを覚えている。
 あるいは……リリカも……?

「ねえ、もしかして……信用されてないって、そう思ったの?」

 それは本当にただの思いつき。ふとした閃きに過ぎなかった。
 だというのに、勢い付けてがばっと起き上がるリリカ。彼女の快哉の声。

「そう!」
「えっ」
「そうだそれ!! それだよ!! 確かにリーダーはルナ姉だけど、べつにルナ姉だけの楽団じゃないわ。私たちは楽団の仲間なんだから、姉妹なんだから! 辛かったら言ってくれてもいい! 問題があるならみんなでどうにかしたらよかった! そう、だから腹立ったのよ! 私ってそんな信用されてないんだって思ってさ! あー、そうそう。そうなのよねぇ」
「どうしてそんなすっきりした顔してるの……」
「口に出したらすっきりした!」
「ああそう……それはよかっ――」
「はあ~それにしてもやっぱりルナ姉もメル姉も私がいないとてんでだめね~。外からは二人ともしっかりさんに見えるんだろうけど、実態はこれだからね~」

 安堵した私の言葉を遮ってなおも続く、リリカの幻想の無駄口の音色。この子は、すぐに調子に乗る……。
 けれど、まあ……今だけは、調子に乗らせてもいいかなと思った。
 リリカと話していたら私の肩の荷も、少しだけ軽くなった気がしたから。

「ごめんね、いろいろと」
「いいよ~。リリカちゃんが姉思いの優しい妹で良かったね~」
「うん……本当にそう思う」
「感謝してよね~。ほらほら、ちゃんと気持ちを口に出して~」
「ありがとう、リリカ。あなたが妹でいてくれて、よかった」

 言葉とともに、私は精一杯の笑顔を作ってみた。笑うのは苦手だ。それにしてもなんだか……ずいぶん久方ぶりに笑った気がするな。
 だから上手くできたかどうかはわからない。けれども少し、リリカの表情が赤らんだ気がした。

「……クソ真面目」
「え……」

 それはどういう感情なんだろう?
 束の間わかった気がした、妹のこと。けれどその理解は刹那のうちに逃げていく。そんなものかもしれない。
 こほん、とわざとらしい咳払いが一つ。

「ま、そーいうわけだから! 私のことはいいでしょもう! それよか決めなきゃいけないことがあるじゃん。こういうのはルナ姉がちゃんと言い出してよね」
「あ、ごめん……そうだよね、まだ何も決まってない。演奏会のこと、決めなくちゃ。日没まで後どれくらいだろう?」
「あっという間ってほどじゃないけど、のんびりする程でもないかな」

 リリカと向き合うことはきっと必要だった。それは間違いないと思ってる。
 とはいえ、多くの時間を使ってしまった。延期された誕生日会。そこで演奏するのか、しないのか。

「でも、誕生日会は楽しむべきだってルナ姉もわかってくれたんだよね? じゃあ、悩むことも無いじゃん。いつも通りにやろうよ。プリズムリバー楽団らしく、賑やかしてやろうよ」
「それなんだけど……一つ、問題があって」
「問題? はぁ、まだなんかあんの?」

 そんなに嫌そうな顔されても……とにかくこのことはまだリリカには伝えてなかった。それどころじゃなかったから。
 昨夜のパチュリーさんの言葉。一言一句覚えているそれを、私は思い返す。

――陽の沈むまでにどうするか決めてよ。私のオーダーに合わせた演奏をするのか……もっとも、それができればの話だけど……あるいは、くだらないクレームと一蹴して今のやり方を貫くのか。

 「もっとも、それができればの話だけど」と。彼女は確かにそう言っていた。
 その時は、単に私が考えを変えられない奴だろうっていう諦めなんだと、そう捉えていた。あるいはそれもあったのかもしれない。でも……事はそう単純でもなかったんだ。

「今朝、少しだけ普通のヴァイオリンを弾いてみたの。そうしたら――」
「待って、普通のヴァイオリンってなに? 普通じゃないヴァイオリンがあるみたいじゃん」

 そうか。私はまだマジックアイテムのことさえリリカに伝えていなかった。
 ああ、こんなんじゃ怒られて当然だ。本当に私は妹たちを信用していなかった……なんて、悔やむ時間も今は惜しい。手短に話すと、やっぱりリリカはあからさまにジトッとした目を向けてきたけど、「それで?」と言うに留めてくれた。情けない私。

「……つまりまとめると、『Bevitore』は調弦すらせず理想の音色を奏でてしまうマジックアイテムなの。だから普段の演奏に戻すには、まずそれを手放さなきゃいけない」
「なんとなーく予想はついた」
「そう……だからね、さっき言った通り今朝方に普通のヴァイオリンを弾いてみたの。なのに音色は変わらずだった。『Bevitore』と全く同じ音がした」

 ようするにパチュリーさんは知ってたんだ。マジックアイテムとはただの「便利な道具」じゃないってこと。便利な力には必ず反動がついて回るってことを。本当は私こそ理解しているべきことなんだけど……愚かにも私は、彼らに親近感すら感じていたんだ。
 ううん、私と彼らにそう違いがないのは事実。だからこそ目を背けてしまった……彼らの持つ薄暗い性質から。結局それは他ならぬ私自身の闇でもあった。
 天涯孤独の少女に生み出された三匹の幽霊。私は知らないけれど、そこにマジックアイテムの介在が「無かった」とは思い難い。
 とはいえ――良き姉になろうと努力した。強き姉になろうと苦心した。裏を返せば私は最初から、自分が光よりも闇から生まれた存在だと気がついてたんだろう。
 さておきだ。

「たぶんヴァイオリンの魔力が私自身を変質させている。元々が似たような存在だから……きっと私そのものが『理想の音色』を追い求め続ける魔法の楽器になってしまったんだわ」

 魔力に呑まれた。あるいはそんな風に表現してもいい。あるいは、私自身に酔いがまわったのか。

「じゃあどうするのさ!」
「……考えが無いわけじゃない。でも、上手くいかないかも。結果変わらず誕生日会を台無しにしてしまうかもしれない」
「時間無いんだから、それしかないならやるしかないよ」
「……諦めるって手もある」
「無いよ! そんなのぜったいぜったい無し! 私が負けず嫌いなの知ってるでしょ?」
「……わかるよ。私も同じ気持ち。虫がいいよね。とにかく、日没まではまだ時間がある。決めるのはその時にする」
「ま、そうだね……調子戻ってきたんじゃん? いつもの冷静なルナ姉らしいよ」
「いつもいっぱいいっぱいなだけよ」
「あい、あい! それで? 考えがあるって?」

 私は今朝思いついたばかりのアイデアを手早く、けれど語弊の無いよう慎重に伝える。リリカは珍しく茶々も入れずに耳を傾けていたが、やがて、相好を崩した。だからどういう感情なのよ。

「それは……なるほど。うん、まあ、ギャンブルだね。だけどぜんぜん不可能ってわけじゃないと思う」
「結局は私次第だけど……」
「それはもう頑張ってよ! 半分くらいルナ姉のせいなんだし!」
「うぅ……」
「とにかくリハーサルで何とか合わせないと」
「そうね。でもその前に、メルにも伝えなきゃ」
「メル姉に伝えてないの?」
「先にリリカだと思って……昨日のこともあったし……」
「そりゃあどうも? そういえばメル姉、何してるんだろう? 昨夜からずっと見てないなぁ」

 瞬間、落ち着いたと思った心が嵐の前の夜の海のようにざわめいた。
 メル。あの子は基本的には私と同じスタンスのはず。コンサートの観客が減っている、という話を出したのももともとは彼女。
 だからメルについては、話せばわかってくれると思ってた。
 そのはずだ。
 なのになぜ、こんなに急に胸が騒がしくなるの?

「……私は部屋に閉じこもっていたから、メルのこともわからない」
「ふうん。つまみ食いでもしてるのかな? そういえば延期になった誕生会の食事とか、どうしてるんだろう? 昨日からなんにも食べてないなぁ」

 リリカの気の無い返事が余計に不安を増幅させる。
 幽霊の心臓の幽霊の鼓動がどくどくと高鳴って、高鳴って――扉が開いた。叩きつけるように乱暴に。
 メルだと思って振り向いた。
 息を切らした雷鼓さんと目が合った。

「ルナサ! それにリリカちゃんも! ああ、よかった! あなたたちまで居なくなったら私、どうしようかと――」

 不吉な言葉の並び。
 なんとはなしに気迫を感じたのか、リリカがそっと私のかげに寄り添い隠れる。

「どうしたんですか、そんなに慌てて……」

 努めて平静さを保ちながら、私は尋ねる。そうすれば不吉な予感が台風一過のように消え去ってくれるとでも言うように。
 けれどもちろん、そんなことはなくて。

「メルランちゃん、見てない……?」

 ああ。
 妹たちのことを束の間わかった気がしても、それは刹那のうちに逃げていく。ほんとうにその通り。だけどこうも矢継ぎ早にだなんて。

「いいえ、見てません。ちょうどリリカともその話をしていて」
「ああ、やっぱり……あのねルナサ、落ち着いて聞いて」
「落ち着いてます……」
「ありがとう。それで……いないのよ。メルランちゃんが。館のどこにも見当たらないの。昨夜話したことを伝えようと思っていくら探しても……」
「メルが?」
「門番さんに聞いたら、深夜にふらっと出ていったのを見かけたって……それっきり戻っていないって。なにか心当たりある……?」

 できたのは、黙って首を横に振ることだけだった。
 私も、リリカだって、わけがわからない。
 メルはぽやっとしてるけどバカじゃない。今日の夕方までに答えを出さなくっちゃならないって、今が大事な時だってわかっているはずなのに。
 いやそもそも、メルはどこまで理解してるのだろう?
 雷鼓さんが一度も会えて無いなら、当然、メルは私とパチュリーさんの話も知らないわけだ。というか悪魔の妹君の誕生日会が延期になっていることすら聞いていないかも。
 けれどその情報は余計に私を混乱させるだけ。だって延期の事情を知らないなら、何も告げずに居なくなるなんて余計にありえない。メルはそんな責任のない幽霊じゃない。
 それでもただ唯一わかることは、

「リリカ……残念だけど、リハーサルの時間は取れないみたい」
「だね」

 もちろんそっちも心配ではある。心配すぎるくらい。だけどメルを差し置くほどじゃない。
 私は息を吐き出し、顔を上げた。暮れるにはまだ早すぎる――されど、確実に傾きつつあるお陽さまが、窓辺に優しい光を投げかけていた。


 ◯

Vn.1||
Timp.||

 メルラン・プリズムリバーがどういう少女であるのか、正直、姉である私にもよくわかっていない。
 わかるのは、以前に雷鼓さんが言っていたとおりで、メルはとても「感情に素直」だということ。それこそ彼女が躁の音色を奏でられる理由でもある。
 じゃあ、メルがいつでも超超ハイテンションガールなのかというと……それもまた違う。
 
 manic
 
 それはようするに、感情の高波のようなもの。大時化の湖というわけじゃない、でも、荒ぶる時はとても高く強く荒ぶる。
 たぶんそれがメルという人格の特徴。
 もちろんメルは頼れる妹で、いつだって太陽みたいに明るくて……でもマニシーとはそういうことじゃない。
 見知った少女が唐突に理解の及ばぬ世界に翔びだし始めるというのか。たしかに、メルにはそういうところがあった。
 わからないことは「なぜ、いま?」。しかし、考えても仕方がない。

「きっと家に戻ってるんだよ、何か取りに戻ってるんだ。私、メル姉のこと連れ戻してくる!」

 そう言って勇み足に出ていったリリカの後を、私は追わなかった。
 直感的に家では無い気がした。紅魔館も、私たちの家も、そう変わりはしない。閉じられた空間。私たちはもう、他所の家が落ち着かないなんて言う「歳頃」でもないんだから。

「ルナサ……当てはあるの?」

 雷鼓さんの問いに、私は否定の声を返す。

「正直言って、ありません」
「……もしも。もしもよ? もしメルランちゃんがどこにもいなかったら、今夜の演奏は私たちだけで?」
「それは無理です。例え出来たとしても、それは私たちの演奏じゃないような気がする。だって私、思い出したんです」
「思い出した……なにを?」
「音楽を始めることになったきっかけ。それは家族のために……最初はぎこちない、急ごしらえの、偽物の家族だったけど……音楽がそれを繋ぎ止めてくれたんです。それも、二回も」

 神妙な顔つきの雷鼓さんの気持ちは、わかる。
 今は一時でも惜しい鉄火場だ。そんな場面でなにをこいつはって、それはわかる。私だって焦ってる。
 それでも……どちらにせよ、闇雲に探せるほどの余裕があるわけじゃない。なら絞らなくちゃダメだ。メルの居そうな場所。そもそもなぜあの子が居なくなってしまったのか。
 もしもメルが私たちを困らせるというのなら、きっとなにか理由がある。意味もなく、じゃないはずだ。昨夜に感情を逆立てていたリリカのように……私が無視してしまったなにかがあるはずだ。

「私たちプリズムリバー三姉妹は、レイラという少女によって生み出されました。離れ離れになったお姉さんたちの代替品として、この世に創り出されました」
「それは聞いたことがある」
「そう。一度目は、その時です。私はレイラにどう接したらいいかわからなかった。私も、メルもリリカも、ただ戸惑うことしかできなくて。だけどそれじゃあ、そのままじゃレイラはまた一人になってしまうから。だから私はせめて彼女と言葉をかわしたくて。でも言葉は頼りなかった……それで、音楽の力を借りたんです」
「……そう。それがあなたの原点。ヴァイオリニストとしてのルナサ・プリズムリバーの原点なのね」
「はい」

 私は首肯く。これは私自身も忘れていた原点。リリカはさっき知った。メルランはきっと知らない。
 あの日、あの時、私は音楽の力を知った。ううん……知ったのは、ものを楽しむという心なのかもしれない。本来の目的ではなかったにしても……音を楽しむことで、それを媒介にして、私の魂は喜びを知った。それは結局のところ、おのずから生きる力を得た瞬間だったのだろう――と今にして思う。
 だからこそ。

「二度目は、レイラが天寿を全うした時でした。色んな感情がありました。たぶん、その感情の色とりどりがこれまで過去すら覆い隠していた部分もあって……痛みの記憶は残るものです。喜びの刹那よりも」
「そうね。喪うのは怖いことだから。孤独、絶望、そして消滅……。多くの道具はそういう負の衝動によって付喪神になる。喜びによって象られる心は奇跡のようなものよね」
「そうなんです。レイラが逝った後、存在の拠り所を失った私たちもまた消えるはずでした。夢を見せる夜の闇が朝焼けにぼやりと薄れていくように、私たちもまた指先から、つま先から、消えていくのがわかった。そのまま一時間と経てば消えてしまうんだって、誰ともなく理解していました。でもそうならなかったのは――そうさせなかったのは――私なんです」
「あなたが?」

 意外そうに目を丸くする雷鼓さんに、私は少し顔がほころんで。
 まあ、無理もない。鬱の音色のヴァイオリニストなんて真っ先に消えてしまいそうなものだ。
 でもそうはならなかった。私は消えたくなかった。消えたくなかったのは私だけだった。少なくともその時は、まだ。

「嘘をつきました。というか、かっこをつけましたよ、その時は。騒霊らしく騒がしくやっていこう――って、そう言って、二人に音楽を勧めてみたんです。さも、今思いつきましたみたいな顔で。ひどいですよね。私が巻き込んだんです、本当は。音楽を選んだのは単に私が好きだったからってだけで」
「そっか……」
「リリカがあんなに音楽の才能を持ってたのは、驚いたけど。ヴァイオリンを貸してあげたらすぐに弾きこなして……キーボード担当になってくれてよかった。あの子、その気になれば一人で楽団できちゃうから」
「あっははは。リリカちゃんらしいわ。メルランちゃんは、どうだったの?」
「メル? あの時たしか、メルは――」

 メルは。
 メルラン・プリズムリバーは。

「そういえばあの時、最後まで悩んでいたのはメルだったわ」

 突然に、締め切った薄暗い部屋のカーテンを開け放った時のような、眩い光明が私を刺し貫く。ただ問題は、寝起きに浴びたその陽の光が朝焼けなのか夕暮れか、微睡んだ頭で判断することはできないってことだ。
 それは単に、世界が闇に閉ざされる前の刹那の閃光かもしれない。
 だったとしても。

「なにか気がついたの、ルナサ」
「まだわからない……ただ少し、少しだけ、違和感があって。メルのことについて」
「私もメルランちゃんとは仲良くやってきたわ。でも、私とあなたたちはどこまでも楽団の仲間でしかない」
「そんな悲しいこと」
「事実だもの。だからルナサ、今はあなたの直感に勝る情報は無い」
「そんなふうに言わないでください! 100年以上も三人だけの楽団でした。雷鼓さんだって特別なんです」
「ありがとう」
「それに……これはきっと良いものじゃない。私たちが直面しているこれは、この問題は。きっとそれは私たち姉妹が精算し損ねた100年前の調弦のズレ、その時に聞き逃した不協和音が今になって私たちに牙を剥いている」
「そうね。音は増幅していくものだわ。悪い音は、特に」
「雷鼓さんまで巻き込んでしまって……本当に申し訳ないです」
「いいのよ、仲間じゃない。一人はみんなのために、みんなは一人のためにってね」
「……ありがとうございます」

 ああ、私はなんてことをしてしまったんだろう。ちゃんと話をすれば、リリカも、雷鼓さんも、こんなにもわかってくれるのに。
 それを、その音を、あんなふうに取り扱って。無理矢理に束ねてしまって。マジックアイテムのせいなんて、なんの言い訳にもならない私のあやまち。
 ああ、涙が出そう。でも今泣いたってしかたがない。
 せめて掴んだ音を離さずに。時間とは偉大なもので、長い練習の日々を経て、魔法のヴァイオリンが無くとも私は「そこそこ」音なら掴めるようになってきた。けれど人の心というものは未だちっともつかめない。
 
 ううん、つかもうともしなかった。

 だって私は長女だから。強き姉であるならば、なにか問題があっても私がなんとかすればいいと、なんとかするべきなんだと、そう思っていたから。
 でもそれは間違っていたんだろうか。信用されていないとリリカに思わせてしまった。
 未熟だな、まだまだ……。

「メルのことは、きっと見つけます。仲間だからこそ、これ以上雷鼓さんに迷惑をかけたくない。ううん、雷鼓さんだけじゃない。私の演奏を好きと言ってくれた紅魔館の人たちにも、もう誰にも迷惑はかけたくはない……けど」
「けど?」
「私、未熟なんです。まだまだ100年ぽっちしか生きてないってわかりました。だから、またご迷惑おかけします。頼まれてもらえませんか」

 きょとんと口を半開きにした雷鼓さんは、けれどすぐに相好を崩して、首肯いた。
 それでふと気がついたけど、私って周りの人に恵まれている。これまでなんとはなしに「できる」と思っていたことがこの頃、急に揺らいできて――泣き出しそうなことばかりだ。
 だけど、すぐさま倒れ伏さずに済むのは人に恵まれたから。それだけは確信できる。
 メルだってそう。あの子は私の大切な妹。私は先ず妹たちに恵まれている。だからこそ、急にいなくなるなんて尋常じゃない。そしてもし私の直感が正しければ、きっとあの子のいる場所は――

「お誕生日会は滞り無く行われなければならない。だからお願いがあります、雷鼓さん」
「わかった。なにをすればいいの?」
「もしあと一時間経つまでに私が戻れなければ、パリュリーさんたちにその事を伝えてください。日の入りまで待つ必要はない。次善の策も用意してあるという話ですが、準備もあるでしょう。決めるならなるべく早いほうが良い。延期の延期なんて笑えません。嫌な役割を押し付けてしまってごめんなさい」
「……あなたは本当にそれでいいの?」
「すでに迷惑はかけすぎている。でも、今すぐに諦めるわけにもいかない。私も嫌だし、何より楽団の仲間に申し訳がたたない。雷鼓さんにも、リリカにも、もちろんメルにも……。だからこれが私から示せる最大限の誠意なんです」

 幸いというか当然というか、雷鼓さんはすぐに私の言わんとすることを理解してくれて。
 彼女は力強く頷き、私はほっと息を吐く。

「わかったわ。前にも言ったけど、楽団のリーダーはルナサよ。あなたの良いと思った音に私は合わせる」
「ありがとうございます……こんなリーダーで本当にごめんなさい……」
「ううん。あのね、ルナサ。時間が無いのは理解してるけど、これだけは伝えておく。前の時は、言ってあげられなかったから」
「はい?」

 思わず居住まいを正した私を見つめる、雷鼓さんの優しいほほえみ。
 西日を浴びて鮮やかに浮かび上がる――その横顔の端正な。

「リーダーだから決断を任せるんじゃない。信用してるから任せるの。たしかにあなたは間違えたのかもしれない。でもそれは音楽に必死に向き合った証拠でもある。きっとそれは真面目さの裏返し。誠実さの表裏なのよ。だからこそ私はあなたを信頼し、信用して、決断を委ねられるんだって……それだけは、忘れないで」
「……はい」

 ああ……と、今日は感嘆詞ばっかりだ。それでも、ああ、ああ! 本当に雷鼓さんはなんて素敵な人なんだろう! 今更のように、本当に今更にそう思った。
 どうかこんな素敵な人のようになりたい。こんな素敵なお姉さんに――って、なんだかおかしな願いを抱くほど。

――もちろん私は長女だ。そう役割を与えられたから。そして私は長女であろうとした。役割を全うするために。だから私はこれまでたゆまず音楽に打ち込んできた。

 でも、そうじゃないんだろう。
 姉であること、誰かを導ける存在であること。ヴァイオリンの腕前を身につければそれが叶うと思った。世界一とは言わずとも幻想郷一番の音楽家であればって。そうすれば皆が振り向かざるを得ないから。そうすれば妹たちに価値と安心を与えられるから。そうすればもう家族がバラバラになることもないから。そうすればレイラの願いがかなうから。
 そのはずだったから。
 だから、戸惑った。停滞する観客の増加。減少、飽きられることへの恐怖。姉妹が再びに離散するかもしれないという怯え。

 ……でも、きっと。
 
 きっとそれだけじゃないんだろう。
 雷鼓さんがこんなにも素敵に見えるのは、彼女が素晴らしい音楽家だからってだけじゃない。
 道は半ばだ。ほんとうに……ほんとうに私は未熟者で。
 ごめんねメル。ごめんねリリカ。ごめんね私。謝りたいこと、たくさんある。メルとリリカに聞かせたいこと、いっぱいだ。
 そしてそのためには――まず、メルを見つけないと。

「行ってきます、雷鼓さん。さっきのことお願いします。でも、でも……きっと戻ってきます!」
「ええ、行ってらっしゃいルナサ。だけどくれぐれも、ふふっ、本番前に気力を使い果たさないでよ? メルランちゃんを見つけたら終わり、じゃないんだからね」
「はいっ……はい!」

 もちろんわかってる。メルを見つけるのが終わりじゃない。
 マジックアイテムの呪いは未だどうしようもなく私の中にあって。私は間違えてしまったんだって。恥ずかしい。情けない。ばかみたいだ。
 それでもいい。何度だって立ち上がってやる。
 だって……だって私の心には、もっとずっと強力な呪いがかかってる。私はお姉ちゃんだから。私はリーダーだから。それは今更捨て去ることの出来ない音色。どうしようもなく愛おしい私の一部。
 真面目すぎるってリリカなら笑うだろうか。だけど、それでもいい。真面目な私には私なりの意地があるんだ。
 どんなに調弦を施しても「Bevitore」のヴァイオリンが「理想の音色」に戻っていこうとするように、私は私の理想の音色を弾けるまできっと、きっと何度だって……。


 ◯

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「やっぱり、ここだ」

 青空。傾きかけた陽に煌めく、霧の湖の湖面。といっても今は霧一つなく晴れやかで。凪いでいて。
 ここにはレイラの墓碑がある。
 彼女はついに故郷の土には還らなかった。それで良かったんだとおもう。幻想郷は素敵な場所だ。とても、とても。

「え、あれ、姉さん……? な、なんで」

 降り立った私に気がついたメルランが、素っ頓狂な声と共に顔を上げた。勢いわちゃっと広がる白い髪。

「きっと、やっぱり、私たちの原点は……原典は、やっぱりここなんだね」
「あ、あぅ……姉さん怒ってる?」
「怒ったりする権利ないよ、私に。でも理由くらいは話してほしかった。心配するじゃない、いきなりいなくなられたら」
「うぅ……」

 後ずさる、メル。きょろきょろと泳ぐ彼女のおおきな瞳。
 あたたかな風が吹き抜けては私たちを撫でつけていく。ざわめく湖面。微動だにしない墓碑。

「わ、私にもわかんないの。変なの……ごめんねっ。な、なんか私ってこの頃暗いよね……らしくないなあ! あははっ! 『メルラン』はもっとにこにこ笑顔じゃないとダメだよね! だ、だけどもう大丈夫……心配かけてごめんなさい! 私もういつも通りのハッピーハッピーなメルランちゃんでありますので――」

 とっと地を蹴る私。ふわっと風のにおいが抜けていく。
 「え」って顔のメル。優しい衝撃。幽霊にしては高い体温。ううん、幽霊だからってべつに冷たくなきゃいけないわけじゃない。
 ところでこの子は、私より背が少し大きいんだな。ほんの少しだけ。こうして抱きしめて、初めて知ったこと。

「あ、え、姉さん……?」
「メル、あったかい」
「ふえ……」

 言いたい言葉、たくさんあった。
 だから伝えた、リリカには。言葉でもって。あの子にはそれで良かったんだろう。
 でもメルはリリカじゃない。私がメルやリリカじゃないように。きっと言葉じゃ伝わらない。それを教えてくれたのは姉としての勘、あるいは……。

「ごめんね」

 だって軋む音色を立てていたんだ。さっきのメルの笑顔。
 そしたら言葉はぜんぶ吹っ飛んで、ぶっとんでいって。それで気がついたら、こうだ。
 ああ、それにしても……メルはおひさまのにおいがする。

「私、きっとあなたを傷つけてしまったな」
「そ、そんなことない! そんなことないよ、私が悪いの、私が」
「メル」
「う、うん……」
「甘えたっていいんだよ」

 ぎゅっと、抱きしめる腕。おっかなびっくり震えてる。汲み上がるデジャ・ブ。記憶の井戸の底より。

 レイラを抱きしたあの日。

 メルを抱きしめた今日。
 
 まったく私は……ちっとも成長してないんだな。とはいえそのことを自覚した、それだけでも進歩があった。そういうことにしておこう。
 また風がふく。私たちの頭をそっと撫でるみたいに。ここは風のよく通る場所だから。それに鳥の唄声も聞こえる。こういう賑やかな場所がいいってレイラのリクエスト。たしかにここは素敵な場所だ。吹けよ風、唄えよ鳥たち。森羅万象の騒がしさ。レイラの心を永遠に慰める賑わいが、今は私の心をも支えてくれている。現にメルの肩が静かに震え始めても、私は落ち着いていられてる。おかげでようやく少し話ができる。ありがとう、レイラ。

「ありがとう、姉さん」
「うん。元気でた?」
「最初から元気だったもん」
「そっか」

 メルの体が、体温が、そっと離れる。
 腫れぼったい瞳が気恥ずかしそうに細まる。
 私も微笑む。二人ではにかんで、まるで初めて音を合わせた姉妹のように。

「私ね、昨日ね」
「うん」
「お誕生日会のことが心配で。なんだか……上手くいかないんじゃないかって、そんな気がして。おかしいよね、馬鹿みたいだよね。レミリアさんはあんなに絶賛してくれてたし、ルナ姉も、リリカも、雷鼓さんも、すごくすごく素敵な演奏をしていたって知ってるのに……」
「ううん、変じゃない。メルの言う通りだった。私はたくさん間違えていた。ズレた調弦だった」
「魔法のヴァイオリン?」
「知ってたの?」

 思わず聞き返してしまう。メルは昨夜に出ていってしまったから、雷鼓さん経由での説明も受けていないはず。当然、私と「Bevitore」のヴァイオリンのことなんか知る由もないはず。
 不思議に思いつつ私が顎を引くと、メルは少し申し訳無さそうに告げた。

「昨夜、怖くって私……姉さんに相談したかったの。お部屋の扉を開けようとして、そしたら中で話してるのが聞こえちゃって。私、思わず身を隠しちゃって」
「そっか」
「そう。盗み聞き、しちゃった。お行儀悪いよね」
「ううん。あの場にメルとリリカがいなかったこと、それがそもそも私の至らなさなのよ。もっと早くに二人にも話すべきだった。反省してる、今は。ごめんなさい、メル」

 頭を下げた。本当にその通り過ぎて自分の言葉が耳に痛い。私がもっと妹たちを、仲間たちを信頼できていれば。そうすればきっとこんなことにはならなかった。
 だけど、メルはむしろ首を横に振る。

「ちがう、ちがうの」
「ちがうって……」
「私のせいなの! 謝らなきゃならないの、姉さんじゃない。私なの!」
「それは……」

 意図が掴めない私。せわしなく弾む声。

「だってそうでしょう!? 元はと言えば私が、楽団の観客が減ってるなんてルナ姉を脅したせいで……そのせいで姉さんを追い詰めちゃって! 私があんなこと言わなかったら、姉さんは魔法のヴァイオリンなんて使う必要がなかった! そうじゃない!?」

 そうじゃない? と聞かれれば、たしかにそうだ。そういう因果関係は確かにある。「Bevitore」のヴァイオリンはずっと邸宅の倉庫に眠っていた代物。それが今になって私と共鳴してしまったのは、楽団が飽きられていると――姉妹をつなぐ音がほつれてしまうと、私が怯えたせい。
 雷鼓さんにも話した通りで、私たちはレイラが去ってすぐに消えるはずだった。それが今もこの世に留まっているのは音楽のおかげだ。
 だからこそ怖かった。音楽を失えば私たちはまた存在の根拠を失ってしまうと思って。また姉妹がバラバラになってしまうんじゃないかと思って。
 でも……実際は逆だった。それこそが姉妹を、仲間たちを信じていない証拠だったんだ。雷鼓さんや、リリカや、紅魔館の方々、それにレイラとの記憶の日々が思い出させてくれた。音楽が失われた程度で離れ離れになるほど、私たちの関係性は弱いものじゃないって。
 それになによりも。そのことを一番証明してくれてたのは、他ならぬメルだったんだ。

「やっぱり謝らなきゃならないのは私だよ」
「え……どうして、どうしてそうなるの」
「ずっと見落としてたんだ。今思えばどうして気が付かなかったんだろうって自分が情けない。メル、あの日のことを覚えてる? あの日、レイラが去って、私たちもまた消えようとした日のこと」

 静かに佇む墓碑は何も言わずに私たちを見つめている。
 そこにレイラはいないのだろう。それは知ってる。まあ、幻想郷じゃあ生も死も境の曖昧なものだけど、それはそれとして、生者(幽霊だけど)と死者の間には一つ確かな線がある。
 メルの瞳が見開かれる。
 やっぱり言うべきじゃないのかな。
 ううん、言わなきゃ前には進めない。私も、メルも、きっと。

「メルはさ、もしかしたら……ううん、きっと本当は、レイラといっしょにいきたかったんじゃない?」

 もう風は吹かない。世界には私とメルランだけになる。
 空もなく、湖もなく、墓碑もなく、ただ私たちだけがある。
 数十年前に取り逃がした後悔の出発点を挟み、私たちは向かい合っていた。なにも答えずまなじりをあげるメルを、私もまた目を逸らさずに見つめ返す。

「騒霊らしく賑やかにやっていこう――そう提案した時、リリカは二つ返事だった。でも、メルは最後まで悩んでたよね。なのに私は、あなたの言葉を深く聞こうとしなかった。ううん本当は聞こえていたの。あなたの心が、震える音色が。だから怖かった……だから耳をふさいで、強引に音を束ねようとした。今とおんなじく」

 だからあのヴァイオリンは私に共鳴したのだろう。
 つかの間見えた白昼夢を覚えている。そこで「私」になった誰か――ベヴィトレと呼ばれた誰かがいたのだろう。みなのためにと嘯いて、耳をふさぎ、自分の都合のいい音色に酔いどれた勘違い者。私と同じ。

「ど、どうかな」

 メルは……もしかしたらひどく怒ったり、泣き出したり、そんなマニシーがあるんじゃないかと私は身構えていた。でもそんなことはなくて。私の想像に反して、彼女はむしろ力強くうなずいた。またしてもダメだな、私は。まだまだ妹たちを信じきれていない。私の妹たちはこんなにも靭やかで、気高くて、美しいのに。

「うん……うん、そうよ。私は本当は嫌だった。だってレイラに創り出されてからあの時まで、ずっと頑張ってきた! もちろん楽しいこともいっぱいあったよ。でも生きるのがあんなに大変なんて、知らなかったから。だけどそれは私のわがままなんだって、それもわかってた……」
「そんなこと」
「だって! だって私は、私はいつでも真ん中だったから。姉さんみたいに皆を引っ張ること、しなかった。リリカみたいに自分を主張することも、しなかった。私は、私にできることは、なんにもなかったから……だからせめて楽しくしようと思って。姉さんやリリカ、それにレイラが笑ってくれればいいと思って。みんながハッピーになれるようにするのが私の役割だって、それで」
「楽しかったよ。メルのおかげ。私とリリカだけじゃひどいものだって、今日だけでもよくわかった」
「うん、でも……レイラとの日々が終わりを迎えて、やっと私の役割も終わったって。そう思っちゃったの。そう思ったことが、いちばん嫌だった」
「私だって今までずっと記憶に蓋をしていた。未熟な記憶ばっかりだから。たぶん、レイラに申し訳なくって忘れてしまったんだろうけど……きっといちばん酷いことをしていたわ、私」
「そんなことない! 姉さんは頑張ってるもん。私たちが消えようとした時も、姉さんは音楽って道を示してくれた! あのね、嫌なんかじゃないの! ただ、申し訳なくて! また姉さんに背負わせてしまったって! 私はまた二番目だって。だから楽団の活動には貢献したくて! で、でも、聴いてくれる人、減ってきて……怖くて!」
「うん……もういい、もういいよメル。もう無理しないで。ありがとう」
「わ、わたし! 姉さんの演奏がすごく好きなの! リリカの演奏も大好き! 雷鼓さんもよ! それなのにみんながそれに気がつけていないこと、許せなかった! だって、だって皆の演奏は理想の音色のはずなのに、それなのに上手くいかないってことは、それは私の――」
「メル」

 また、ぬくもりが重なった。
 風の音、波の音、もう元通りに戻っていた。
 ねえさん、ねえさん、って。うまれたての頃みたいに泣きじゃくるメル。幽霊でも涙はあたたかいんだと、私は初めて知った。
 ほんとうになんでも知らないことばっかりだ。

「あのね、メル。あの時どうして私が消えたくなかったか、わかる?」
「うん……」
「レイラの願い。姉妹をバラバラにしたくなかったって、それを叶えようとした……もちろん、それもある。どこまで私たちはレイラの願いによって生まれた者だから」
「うんっ……」
「でも、それだけじゃないんだね。今まで意識したことなんかなかったけど、それだけじゃない。きっと私、あなたたちのことが好きなの。好きだから、はなればなれになりたくなかった。消えてしまいたくなかったの。いつまでもそばにいたかった。レイラのそばに。メルのそばに。リリカのそばに。だからね、一番わがままなのは、やっぱり私なの」
「わたしも! わたしだって! みんなのこと好き!」
「ありがとう、ありがとう、メル……」

 なんだかぐしゃぐしゃな感じで語らい合う二人の姉妹を、墓碑はただ静かに見守っていた。もちろんそこにレイラはいない。わかってる。
 それでも、ああ。ここにレイラがいてほしかったな。間違えばかりの私たちだけど、失敗だらけのお姉さんだけど、ようやく少し、良いものになれたって。そう教えてあげたかったから。


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